律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む (2) 一見矛盾したように聞こえるイエスの約束 1ヨハ 10:10 盗人が来るのは ただ盗んだり 殺したり 滅ぼしたりするだけのためです わたしが来たのは 羊がいのちを得 またそれを豊かに持つためです 2ヨハ 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは あなたがたがわたしにあって平安を持つためです あなたがたは 世にあっては患難があります しかし 勇敢でありなさい わたしはすでに世に勝ったのです 3クリスチャン生活は 戦いの生活である 4 聖化 の過程で 信者は 霊的戦い に巻き込まれる (3) パウロの苦しみは 救われる前の体験ではなく 救われた後の体験である 1 この箇所の動詞は すべて動詞が現在形である 今の状態を指している 2 ロマ書の文脈では 聖化を扱っている箇所である 2. アウトライン (1) 信者は罪の奴隷である (14~17 節 ) (2) 信者は無力である (18~20 節 ) (3) 信者は 2 つの性質を持っている (21~24 節 ) 3. メッセージのゴール (1) まとめ (25 節 ) (2) 聖化と霊的戦い (3) 聖化の過程 このメッセージは 聖化の原理について学ぼうとするものである 1
Ⅰ. 信者は罪の奴隷である (14~17 節 ) 1.14 節 私たちは 律法が霊的なものであることを知っています しかし 私は罪ある人間であり 売られて罪の下にある者です (1) これはパウロ自身の体験である 1 体験的知識がある (2) 律法は霊的なものである 1 聖霊によって啓示された 2 神の本質を示す (3) 自分は 罪ある人間 である 1 わたしは肉の人であり ( 新共同訳 ) 2 わたしは肉につける者であって ( 口語訳 ) 3ギリシア語は サークス ( サーキコス ) である 4 肉 とはアダムに属する古い性質のことである (4) 自分は 売られて罪の下にある者 である 1パウロは奴隷のたとえによって 自分の状態を説明している 2 新生した信者が なぜこのような状態にあるのか 3これは 律法を行うことによって聖化を達成しようとしている信者の姿である 2.15 節 私には 自分のしていることがわかりません 私は自分がしたいと思うことをしているのではなく 自分が憎むことを行っているからです (1) ひとりの人間の中に 2 つの性質が宿っている 1 分裂症のことではない 2したいと思うことがある ( 新しい性質 ) 3 憎むことを行っている ( 古い性質 ) (2) 人類は 3 つに分類される (1 コリ 3:1) さて 兄弟たちよ 私は あなたがたに向かって 御霊に属する人に対するようには話すことができないで 肉に属する人 キリストにある幼子に対するように話しました 2
1 未信者 2 肉に属する人 ( キリストにある幼子 ) 3 御霊に属する人 ( 成長した信者 ) (3) 古い人と新しい人の葛藤がある 1 未信者の時には この葛藤はなかった 一つの性質しかなかったから 3.16~17 節 もし自分のしたくないことをしているとすれば 律法は良いものであることを認めているわけです ですから それを行っているのは もはや私ではなく 私のうちに住みついている罪なのです (1) 罪の性質が 本当の私の性質に反して働いている 1これは責任逃れではない 2 罪の力がどれほど強いかを説明している (2) 罪が私のうちに住みついている ( 例話 ) ユダヤ教のラビ 罪を客に迎えれば 最後には罪が主人になってしまう Ⅱ. 信者は無力である (18~20 節 ) 1.18~19 節 私は 私のうち すなわち 私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています 私には善をしたいという願いがいつもあるのに それを実行することがないからです 私は 自分でしたいと思う善を行わないで かえって したくない悪を行っています (1) 願っている自分と それとは異なったことを行う自分とがいる (2) ジョン ストットのコメント 1パウロの時代のユダヤ人信者の典型的な姿である 2 彼らは新生したが 解放されていない 3 律法の下にいるが 聖霊の支配下にいない 4 彼はこのような信者を 旧約聖書のクリスチャン と呼ぶ 5 今も多くの信者が同じ問題で苦しんでいる ロマ書 7 章クリスチャン 2.20 節 3
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば それを行っているのは もはや私ではなくて 私のうちに住む罪です (1) 罪の性質が 本当の私の性質に反して働いている (16~17 節と同じ ) 1これは責任逃れではない 2 罪の力がどれほど強いかを説明している Ⅲ. 信者は 2 つの性質を持っている (21~24 節 ) 1.21~22 節 そういうわけで 私は 善をしたいと願っているのですが その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです すなわち 私は 内なる人としては 神の律法を喜んでいるのに (1) 本当のパウロ ( 新生したパウロ ) は 神の律法を喜んでいる 1 詩 1:2 にある祝福されている人である 2.23 節 私のからだの中には異なった律法があって それが私の心の律法に対して戦いをいどみ 私を からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです (1) しかし 内側では 2 つの性質が戦っている 1 神の律法 = 私の心の律法 2 異なった律法 = 罪の律法 (2) ガラ 5:17~18 なぜなら 肉の願うことは御霊に逆らい 御霊は肉に逆らうからです この二つは互いに対立していて そのためあなたがたは 自分のしたいと思うことをすることができないのです しかし 御霊によって導かれるなら あなたがたは律法の下にはいません 1 肉と御霊の対立 2これは 肉の性質と御霊の性質の対立である (3) 信者の希望 (1 ヨハ 3:2) 愛する者たち 私たちは 今すでに神の子どもです 後の状態はまだ明らかにされていません しかし キリストが現れたなら 私たちはキリストに似た者となることがわかっています なぜならそのとき 私たちはキリストのありのままの姿を見るか 4
らです 1 信者の希望がここにある 2 今は分からないが キリストに似た者となる 3.24 節 私は ほんとうにみじめな人間です だれがこの死の からだから 私を救い出してくれるのでしょうか (1) この叫びは 本当に新生した人の叫びなのか 1 神の聖さが分かると 自分の行動がいかにそれと隔たっているかが分かる 2 罪の深みが分かると 自力で聖化を進めるのが不可能であることが分かる 結論 : 1. まとめ (25 節 ) 私たちの主イエス キリストのゆえに ただ神に感謝します ですから この私は 心では神の律法に仕え 肉では罪の律法に仕えているのです (1) 神に感謝 1 聖化の可能性 2 終末的喜びも含まれている (2) 信者の内にある 2 面性の確認 2. 聖化と霊的戦い (1) ロマ 6:23 罪から来る報酬は死です 1 報酬 は軍隊用語 ( オプソウニオン ) 2 将軍が兵士に払う日当 (2) ロマ 7:11 それは 戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き 戒めによって私を殺したからです 1 機会 は軍隊用語 ( アフォルメイ ) 2 戦略基地 3 同じくロマ 7:18 5
(3) その他の箇所 1 戦いを挑み (23 節 ) 2 とりこ (23 節 ) 3. 聖化の過程 (1) 時間がかかる 1 肉の力によるか 恵みによるか 2らせん階段を上るように 両者の間を揺れ動きながら上に向かう 3 葛藤があることこそ 信者になっている証拠である (2) 肉の力に頼れば 失望する 1この箇所には 私 という言葉が 23 回出てくる ( 新改訳 ) 2 英語 (ASV) 訳では 38 回出てくる 3しかし 聖霊という言葉は一度も出てこない (3) この箇所は 絶望と希望を結びつける連結器のような役割を果たしている 6