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Transcription:

論 文 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 その新しいグローバル化モデルとしての特徴 平松茂実 Ⅰ はじめに味の素株式会社は, 繊維以外で第二次大戦前から海外に直接投資をしていた少数の企業で, その対象事業が, 日本で発明されたグローバルな優位性の強い独自のニッチ事業であった点に特徴がある 戦後の日本でグローバル化を先行した企業の一つでもあり,1946 年 6 月には早くも GHQ の承認を得て, 味の素 ( グルタミン酸ソーダ :monosodium glutamate) (1) の, 外貨獲得のための輸出向け生産を開始している (2) 戦後日本の対外直接投資は東南アジア地域から始まったが, 味の素社は同地域で戦後もっとも早く外資の受け入れを開始したタイに, 直接投資によって本格的に進出した最初の大企業でもある (3) 同社の事業全体でみれば,2006 年 3 月期の売上高国際化率は30%,2008 年 3 月期は34% で決して高いとは言えないが, 国内食品事業が売上高全体の52% であるという事業構造によるもので (4), 国内食品事業以外の高い国際化率を示唆する 全体の国際化率でも31% のキッコーマン, 16% のキリンビール,15% の日清食品などを凌いで日本の食品企業のトップである 主力事業である MSG とアミノ酸事業は世界一位で, 同社の2006 年時点でのアミノ酸生産は年産量 100 万トンに達するが, その生産拠点は国内 3 か所に対し海外は25か所に及び, 研究 技術開発から生産までがグローバルネットワークとして構築され,25 工場のうち,16 工場の工場長は現地人材に委ねられている (5) また1992 年の吉原英樹による日本企業のグローバル化研究でも, 日本の多国籍企業として研究対象とされた製造業 20 社の一つである (6) 以上から味の素社を, 日本企業の戦後のグローバル化の実例研究の一つとして取り上げることに意義があると思われる さらに, 特殊な日本創出のニッチ事業である MSG を柱に, 創業の精神を企業理念として持ち続けている味の素社の戦後のグローバル化経営に (7), 同社独特の新しいグローバル化のあり方を探れる可能性も期待できる 堀章男が1984 年と1991 年に同社社員に実施したアンケート調査でも, 多国籍企業という考え方をどう思うか という質問に対し, それぞれ70% と60% が 海外展開は進めるべき 経営史学第 46 巻第 3 号 (2011 年 12 月 ) 3 ~29 頁平松茂実 ( ひらまつ しげみ ), 平松技術士事務所 3

経営史学第 46 巻第 3 号 だが欧米流の多国籍企業になる必要はない と答え (8), 戦前から創業事業で海外市場を開拓してきた同社の社員が, 単純に欧米型の追従をよしとせず, 自社の体質に適合した新しい経営体制の開拓に挑戦的であったことがうかがえる 第二次大戦後の日本では, 大企業でも欧米の大企業に対し事業規模が及ばなかったから, そのグローバル化経営では欧米の多国籍企業とは異なった展開をしない限り, 成功は困難だったはずである 日本企業の欧米企業と異なるグローバル化の特徴については, すでにバートレットとゴシャールが, 本国本社中心の効率追求型であることを指摘している (9) 味の素社の戦後初期の MSG 事業によるグローバル化も, このような形でタイから始まり, 東南アジアでは成功したが, 欧洲企業との競争に直面するイタリアへの進出には失敗して撤退している しかしその後次第に新しい独自のグローバル化戦略に転換し, 欧米多国籍企業と競合できるグローバル化経営を展開していったと見られる IT 化, ネットワーク化, ボーダレス化など, さまざまなグローバル経営環境の変化で, 多国籍企業のグローバル化のあり方も1980 年頃から大きく変わったとされる 末廣昭によれば, 1980 年以降はアメリカを中心とする ビジネスモデルの競争 の時代に移行し (10), 吉原英樹も, グローバル経営論は,1980 年頃までの国内で確立した優位性を持つ企業が多国籍となるとする見方から, 多国籍化することで新たな優位性の形成を模索する時代になったと見ている (11) またハーバード ビジネス スクールの B.G. カサルスは, グローバル アライアンスによる企業戦略の重要性に注目し, 新しいグループ競争時代が1990 年頃から始まったとし (12), 林昇一らはそれがすでに1980 年頃から始まっていたとしながら, 多国籍化のメリットはネットワークによって創出されるようになったとする (13) このような新しいグローバル経営の変化の中で, もっとも注目されるのはボールドウインらが1997 年に提唱した事業経営のモジュール化である (14) MIT のバーガーらは,2000 年代初期のグローバル経営での成功企業 500 社の調査で, その多くがモジュール型経営を行っていることを実証し, そのモジュールの組み合わせは多種多様であるため, もはや最適唯一のグローバル経営モデルは存在しないとしている (15) しかし平松茂実は, その多種多様とされるモジュール型経営のあり方を, 組織戦略志向, 事業特性, 規模などに基づいて 8 類型化できることを提起している (16) 味の素社も1980 年前後を境に, 必然的にそのグローバル経営にこのような変化の影響を受けたはずである そのあり方はこれまで先例のない新しい独自のものと見られ, さらにモジュール型経営としての平松の 8 モデル中, ポーターのいうグローバル型事業と, マルチドメスティック, すなわちローカル型事業を併用した, 新しいⅡ( 恒星 ) 型グローバル化モデルの 1 つの代表例であると思われるので, 本論でそれを確認していきたい ポーターによると, 企業経営のグローバル化には, 世界市場共通で国際競争に晒されるグローバル型 ( 以下 G 型と略称する ) 事業と, 各地域にのみ適合し競合が限定されるマルチドメスティック型 ( 以下 M 型と略称する ) 事業の二種の事業特性が影響するという 多国籍企業論 4

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 の対象であるアメリカ企業のほとんどは, 強力な G 型事業でシンプルグローバル戦略を世界市場に展開したが, 世界各地域で異なる M 型事業によるマルチドメスティック戦略を採用する場合もあり, いずれも終局は各地域拠点の連携強化を目指すとする (17) 味の素社のグローバル化の特徴の探索にも, このポーターの事業の G 型,M 型 2 類別概念を活用したいが, 事業の実態はさらに複雑で, 本来は G 型と見られた事業が各地域市場に好まれる改良を加えないと現実には市場浸透ができないものも多いため, 実例分析ではそれらを G 型,M 型の折衷型の GM 型として,G,M,GM 型の 3 類別を活用する 対象としては, 同社の代表的な二大海外事業拠点であるタイ法人とブラジル法人での戦後のグローバル化の推移を詳しく取り上げ, その他の主要海外拠点の状況の概要についても補足分析し, さらに味の素本社の動向も探り, それらを総合的に考察して, 味の素社全体としての独自のグローバル化戦略の特徴を把握したい 味の素社の伝統的基幹事業である MSG やアミノ酸は, 基本的にポーターの指摘する G 型事業であるが, 同社がその後開拓した最大規模事業である食品事業は M 型か GM 型であり, 同社のグローバル化では, 異なる経営行動が必要とされる事業の複合経営として, これまでの G 型事業や M 型事業中心の比較的単純な多国籍企業とは異なった, 新しいグローバル化経営行動が見出せるのではないかとの期待が持てる Ⅱ タイ味の素法人のグローバル化推移タイ味の素社 [Ajinomoto Co., (Thailand) Ltd.] は,1962 年に MSG 専業 ( 年産 600t) の 1 法人 1 工場で, 戦後初めての海外生産拠点としてスタートしたが, わずか40 年余で19グループ法人, 直轄 5 工場の,MSG( 年産 30,000t) を始め十数種の主要事業を持つまでに発展している (18) ここではタイでの経営本体であるこれらタイ味の素社が主管するタイ法人グループを, タイ味の素法人 ( 通常タイ味の素社とする ) として扱う 1 第 1 期 : グローバル経営のスタート期 (1960-70 年頃 ) 1-1 進出の背景と推移味の素社は,G 型製品として戦前から輸出や海外進出の実績もある MSG の輸出によって, 戦後タイ市場にも早くから進出を再開した タイ政府は民間資本, 外国資本の投資を奨励し, これにさまざまな特恵を与えようとし, その主柱がピブーン政権下で1954 年に制定された産業投資奨励法であった (19) しかし当時外資は 49% 以下に制限され, しかも政府が30% 以上を所有するというきびしい制限があり, 外資の応募はほとんど見られなかった そこでその参加を促すために, タイ政府は一時的にはせよ 1954-55 年には MSG などを輸入禁止品目に指定し, それに反応して香港や台湾の MSG メーカーが現地生産する動きも見せた (20) また1957 年 9 月の政変で実権を握ったサリット元帥の下で, タイ政府は 国内産業奨励に関する新政策 を発表し,1960 年と62 年に相次いで産業投資奨励法 5

経営史学第 46 巻第 3 号 を改訂して, 輸入代替工業化と外資導入の政策を打ち出した (21) これに対応して味の素社は 1962 年に戦後初めてタイに製造業の海外直接生産投資を行ったが, タイ政府の産業投資奨励法によってタイに生産進出した最初の日本大企業でもあった (22) 味の素社は1958 年に, 工場設立計画をタイ政府に提出して意向を打診し,59 年にタイの総代理店である大同公司 ( 新会社の10% 株主 ) を通じて工場建設を申請して交渉を重ねたが, 味の素 が国内を中心とする C 業種の消費財であったためか, きびしい審査を受けた しかし幸い 7 月に MSG が産業投資奨励法の指定業種に加えられ,1 年産 200t 以上,2 大半は国産原料を使用,3 工業省指定の機械設備使用,4 国際的水準の品質での生産の 4 条件付きで,BOI ( 投資委員会 ) から同年 12 月に工場建設の許可を得た (23) ただし特典は所得税の 2 年間免除, 設備機械の輸入税免除, 送金保障に限定された これにしたがい,1960 年 4 月にタイ味の素社を設立し,62 年 2 月から生産を開始した (24) タイ政府は大幅に改正整備した産業投資奨励法で, 特に外資の導入を期待して投資には最大限の便宜を与えたが, それ以上は過度の統制や干渉をしないが, 過剰な保護や積極的な援助もしない方針をとっていた 唯一国内企業の保護 育成のために, 輸入制限や輸入税の引き上げで国産品と同種の外国製品の輸入を抑制しようとしており, 産業投資奨励法にもその主旨が盛り込まれていた (25) 味の素社は MSG の世界のパイオニアであったから, 当初の採算を度外視してもその市場確保は必須の経営課題であった タイでの小規模な現地生産は, 日本からの輸出に比較してコスト的に不利であることは分かっていたが, 当時すでに MSG は台湾やアメリカでも生産されていたから, これらの国々からの進出が先行すれば,BOI によって輸入制限政策が進められ, また先行投資企業の保護のために, 後発企業の投資許可が得られなくなる危惧もあった さらに日本でのライバルである旭化成, 協和発酵 2 社のいずれかに先行される恐れもあった もともと 旭味 (MSG の商品名 ) は野口財閥の朝鮮窒素系企業が戦前満州で生産を開始したもので, すでに海外生産の実績があった また味の素社も異なる特許で対抗してはいたが, 協和発酵は1956 年に新しい MSG の発酵法技術を開発し, 副産物の少ない小規模投資生産を可能にしていた そこで味の素社はタイへの直接投資に踏み切ったが, 同様の背景から, 表 1 に見るように味の素社はタイに続きフィリピン, マレーシア, イタリア, ペルーなど, 外資の投資優遇政策を活用できる MSG の主な輸出市場の生産適地に, 次々に輸出代替と販売拡大のための直接投資生産を開始した タイへの生産投資後のタイ味の素社の経営は, その後しばらく操業の不安定と採算の確保に苦労を重ねたが, まもなくほぼ順調に発展し始めた タピオカ澱粉を原料に,1962 年 4 月から月産 50t を目標に生産を開始し,66 年には月産 95t で年率約 30% の成長を見, 月産 120t に増設を予定するようになった タイ政府は市場競争を期待し, 台湾系資本 3 社もその後間もなく BOI 恩典を得て各社ともに月産 20-30t の生産を始めたので, この 4 社の直接生産投資で, タイの MSG 輸入はほとんどなくなった (26) 6

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 表 1 味の素社海外工場の 1960~1980 年の MSG 生産高 (t/ 年 ) 年次 タイ フィリピンマレーシアインドネシア イタリア ペルー ブラジル 合計 1962 445 98 543 1963 653 600 1,253 1964 792 922 1,714 1965 1,009 1,632 405 3,046 1966 1,572 2,620 682 713 5,587 1967 2,229 2,641 1,044 3,345 9,259 1968 2,822 3,646 1,498 4,735 12,701 1969 3,804 4,520 1,171 5,309 341 15,145 1970 4,842 4,727 1,910 742 5,892 743 18,856 1971 7,526 5,448 1,513 2,079 6,400 1,043 24,009 1972 8,508 5,106 1,527 1,884 6,110 1,090 24,225 1973 9,231 5,772 2,130 2,132 6,630 1,416 27,311 1974 10,854 5,697 2,740 2,159 9,772 1,762 32,984 1975 11,712 5,663 2,980 2,482 8,171 2,005 33,013 1976 9,185 6,269 3,343 4,986 8,093 1,977 33,857 1977 12,262 7,575 3,401 5,940 4,120 2,001 3,724 39,023 1978 14,077 7,189 3,896 7,422 3,163 8,011 43,758 1979 14,667 9,517 4,066 9,135 3,288 10,385 51,058 出典 : 味の素株式会社 [1990] 味をたがやす,315,444 頁 1-2 味の素社がタイ進出に先行できた成功要因なぜ味の素株式会社が, 日本の他社に先駆けて海外直接投資に踏み切る意思決定ができたのかについては, 次のような理由が考えられる 1 市場に精通 : 味の素社は, すでに戦前からタイに MSG を輸出していた貿易部が市場を把握していたが, 代理店を通じた華僑のネットワークによっても市場に精通していた 2 経営トップの優れた国際経験と国際センス : 鈴木三郎助会長, 道面豊信社長および貿易の直接担当者である佐伯常務は, ともに国際経営経験と国際感覚が豊かであった (27) 3 戦前に培われた豊かなグローバル化経営力 : 同社は早くも1917 年にアメリカ NY 事務所を開設して販売を開始し,31 年からハインツ, キャンベルへの販売にも成功した (28) アジア地域での販売も1920 年代から組織的に推進し, 台湾, 中国に特約店を, シンガポールと香港には駐在員事務所を開設し,1930 年頃 ( 昭和初め ) にはアジア, アメリカへの輸出率は全生産量の 25% に達していた (29) また MSG の海外直接投資生産では天津, 大連, 奉天に工場を設立していた (30) この戦前のグローバル経営経験からの組織力や人材は, 戦後も確保されていた 4 味の素 という MSG 製品の国際競争力 : 味の素社は MSG 事業の開拓者で, 世界でも圧倒的に強い存在であったが,1956 年に協和醗酵に発酵法開発で先行され, 一時その立場は弱まった 新製法の発酵法は副産物が生じないプロセスであり, 投資もこれまでより大幅に減少し, 競争優位の差は一旦縮まった しかし味の素社もほとんど同時に発酵法の特許を取得しており, さらにブランドを保ち流通チャネルを支配していたので, 技術とマーケティングの両面で, 数年を経ずして圧倒的な優位性を回復していた 7

経営史学第 46 巻第 3 号 5 原料適性 : 当時の味の素社の発酵技術は原料が澱粉糖化液であり, タイは東南アジアでもっとも豊富で安価なタピオカ澱粉の生産国として, 原料立地上最適と思われた 6 関税障壁 : タイ政府は, 産業投資奨励法の対象産業製品には保護関税を設定した MSG も幸い対象産業に指定されたことによって, 保護関税の設定が見込まれた 7 現地人脈 :1950 年代から, 一部華人を含むが, タイ人主流の軍人や官僚が実業界に進出し, 新たなエリート層を形成しつつあった (31) また当時政府高官の企業役員兼務なども法的に認められていた 味の素社は戦前, 戦後の輸出を通じて豊かな人脈があり, 申請, 許認可交渉から現地法人の経営管理まで, 有力な現地人材の活用が可能であった (32) 1-3 創業時の現地経営安定化への課題と対応しかし直接投資で進出した後も,1960 年代には特にさまざまな問題があり, 以下に列挙するような諸問題を解決することによって経営に成功できたのである 1 人材問題 : 現地人材の未熟なスキルと高い流動性が大きな問題で, 即戦力人材のリクルートが盛んであった (33) しかし味の素社では, 生産に先立って基幹要員の育成に努め, 現地採用者 21 名を日本に長期間研修後に配置したほか, 日本から30 人の技術 技能者を派遣して順調な操業化を図ることに努めた また日本的な長期雇用制度を実施し, 人材の自社育成を図りつつ, 創業後も中核人材の日本への研修派遣を続けるなどに努めて, その確保に成功した (34) 2 技術問題 : 当初は日本と同じ最新工程を導入したが, 創業後素早く現地の操業能力に合せたタイ工場独自の生産フローシートに修正転換して, 現地の生産体制の早期確立に成功した (35) 3 拡販問題 : 産業投資奨励法の認可を得るための最低規模は年産 200t であったが, 採算上 600t の生産を企画したので, 拡販に苦心した そのため販売総代理店の大同公司に頼らず, 味の素社の専門販売員がタイ全土を文字どおり足で売り歩く努力を重ねた また生産の手間とコストアップを惜しまず, 数グラム単位の小袋パッケージで零細需要を開発したことが, 販売拡大に大きく寄与した (36) 4 市場競合 :BOI は台湾の味全, 津津, 中国発酵工業と提携した現地法人の味泰, 泰味精, 泰国発酵の 3 社にも進出許可を与えたので, タイでの MSG は生産過剰となり, 激しい販売競争と価格低下が経営を圧迫した これに対しては上述 3のほか, ブランドの確立と価格競争で対抗し, 特に品質面では高純度化と市場に好まれる結晶サイズの大粒化などで差別化することによって, 常にシェア60% 以上を確保した (37) 5 厳しい環境規制への対応 : 産業と市街の発展に伴い, バンコク近辺の河川の汚染が進み, タイ政府は進出外資系企業を環境保全対策の先行モデル化しようとして, タイ味の素社にもかなりきびしい排水の BOD 規制を求めた それに対しては日本でも導入して間もない活性汚泥処理法をタイでも真っ先に実施し, 高い評価を得た (38) 8

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 2 第 2 期 : 経営環境変化への生き残り対応期 (1970-80) 幸い進出初期の成功は得られたが, タイではその後さまざまな経営環境の変化があり, 引き続いて経営存続へのきびしい対応が求められた 2-1 経営環境の変化と対応それは主に以下のような経営環境の変化であり, それぞれ新しい対応が求められた 1 合弁企業の資本現地化政策 :1972 年からタイ政府は合弁企業の所有資本と経営の現地化政策を進めた 具体的には72 年に外国企業を規制する革命団布告第 281 号を公布し, 資本金比率でタイ側に支配権がない企業の経営活動に多くの制限を加え, 特に外国技術を要しない業種の外資活動を禁止した 73 年からは設備新設 拡張も禁止したが (39), 当時のベトナム カンボジア戦争による貿易の減少も含め, このような変化は現地経営に大きな影響を与えた しかしタイ味の素社では, 資本金 50% 以上禁止の業種に入る販売部門を分離し, これまでの華人系営業担当取締役を社長としたタイ味の素販売株式会社を設立して, タイ味の素社は生産法人化し, 当初 10% のタイ資本比率を30% 強にして対応した (40) 2 経営の現地化政策 : 経営の現地化については, 具体的には (a) 日本人出向者への工業ビザ発給制限,(b) 経営陣のタイ人化などの行政指導を受けたが, タイ味の素社では (a) については出向者の減員と現地リーダーの昇進を推進し,(b) については当初起用した現地経営層に加え, さらにその人脈による政府要員を経営層に補強した (41) 3 現地労働者雇用強化政策 : またタイ政府はタイ人の雇用を守るために (a) 最低賃金の値上げと実行監視の強化,(b) タイ人にできる仕事への就労ビザ発行中止,(c) 一定期間就労の臨時労働者の常傭化などを法制化した タイ味の素社では, 特に (c) に対しては補助業務に就労していた臨時作業員の一部を常傭化し, 下請け的な仕事は分離して, 人材派遣会社の設立を工場所在のプラパデン地区長に依頼し, その正規社員としての派遣活用で対応した 4オルニー事件 :1969 年 7 月にアメリカに発した MSG の安全性についてのオルニー事件が起こった (42) タイ政府はアメリカを始め世界の動向を見守る姿勢を取ったが, 消費者運動や行政の監視などで,MSG の販売がしにくくなった タイ味の素社は MSG 事業のマーケット リーダーとして市場を護る立場から, 率先してタイの行政や消費者への PR 活動を積極的に行い, 1973 年からは TV 番組も提供して MSG の適切な使用法の広告にも努めたが (43) やがて1980 年の WHO の安全宣言とともに問題は次第に解消した 2-2 苦闘時代の成長努力このように経営環境の変化に対応するだけでなく, タイ味の素社はさらなる成長発展を目指して努力した それはまずタイ政府の期待に応えるための MSG の輸出努力であり, 一方タイでの経営基盤を確立安定化させるための事業の多角化である 9

経営史学第 46 巻第 3 号 1 MSG の輸出努力 : タイ味の素社では, 工場の拡大発展に伴いようやく輸出力が少しずつ生じてきていたが, 正規の輸出の開始は,1969 年頃ラオスの華人系小規模 MSG メーカーへの, 原料グルタミン酸の輸出が嚆矢である (44) MSG については1973 年にシンガポールに正規に輸出したのを始め, 東南アジア地域市場にも出荷, さらに南北アメリカ, 西ドイツなどにも輸出した (45) またその価格差から, タイの流通経路をたどったマレーシアやシンガポールに正規の通関手続きを経ない輸出もあり, 特に社会主義国で, 公式には輸入禁止としていたベトナムには密貿易が相当盛んで, 一説ではタイの全販売量の20% 程度に達していたとも言われる (46) 2 事業の多角化努力 : 当時は主事業である MSG の周辺多角化に着手した 1972 年に輸入していた小袋パッケージング用包財の自給体制を整え,78 年には, 日本でも一定の評価が得られていた塩に MSG をコーティングした 味塩 を生産発売した また副産製品としてのアミノ酸調味液 味液 も生産販売を開始した このような苦闘の期間ではあったが, タイ経済の発展にも助けられ, 幸いその努力は稔り, 1969 年から78 年の約 10 年間で, タイ味の素社は現地通貨バーツベースで 4 倍を超える売り上げ成長を遂げることができた (47) ただしこの期間は, 成長のためのさまざまな多角的努力がなされたとはいえ,MSG のタイ国内販売拡大が経営努力の中心であった 3 第 3 期 : 多角的発展期 (1980-90 年頃 ) 3-1 MSG の輸出努力とその限界この期間の味の素社の MSG 海外生産は,1978 年の年産 4 万 t 台から88 年の10 万 t 台に約 2.5 倍の成長を見せ, 同社の世界全体での MSG 生産は, 国内より海外が上回るようになった タイ味の素社も規模拡大や生産性の向上に伴い, 一層の輸出拡大を目指した (48) しかしこの頃になると, タイよりわずかに遅れて発足したインドネシアでの生産も順調に発展した また自由世界最大の甘蔗糖生産国で, 政府の輸出産業としての強い援助政策も得られる, 後発のブラジルでの生産が急成長した その結果表 1 に見るタイ, インドネシア, ブラジル 3 カ国の工場が, 味の素グループの国際的な供給生産拠点として, グローバル マーケットで競合するようになってきた 当時 MSG は日本, 台湾, 韓国, アメリカ, フランスを中心に, 国際的な自由競争下にあったため, 味の素本社としても輸出は各地域の競争に委ねざるを得なかったが, 特にインドネシア, ブラジル両国では, 新 増設に対しての許認可に明確な輸出義務が課されたため, 必然的に輸出を優先せざるを得なかった インドネシアでは, 韓国のメーカーの進出や国産メーカーも出現しており, 味の素社の増設分は100% 輸出が求められたため, 87 年には輸出専業のアジネックス インターナショナル社を新たに設立した (49) またブラジルでは設立当初から手厚い援助は得られたが, 生産の70% 以上を輸出する厳しい条件での進出許可であった したがって両国の生産拠点では強い戦略的な輸出ドライブがかかっており, 為替 10

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 レートも両国は国際的に MSG 輸出に比較的有利な状況にあった 一方タイでは外資への政策的な制限は少なかった代わりに, 創業期を経たのちの恩典は少なく, 物価や為替レートも MSG の国際価格の点からは他の二国より厳しかったので, タイの MSG 生産は次第に国際競争力が失われていった 3-2 事業多角化この頃タイ国内市場でも,MSG の一層の価格低下, 消費の飽和, 台湾系企業とのさらなる競争激化などで, 日本より約 10 年以上遅れて売上増の限界が見え始めた そこでタイ味の素社の成長には, 主力事業の MSG に頼らないさまざまな多角化の模索が必要になったが, これについては味の素本社が, すでに日本国内の MSG 事業での成長の限界感から,1960 年代半ばから1980 年頃までに多角化に挑戦し成功していたことが大きく影響してくる すなわち味の素本社では, 単品素材の調味料から複合調味料, 風味調味料, 中華合わせ調味料などへのバラエティ化と, スープ, マヨネーズ, マーガリン, 冷凍食品, インスタントコーヒー, 飲料, デザート乳製品などの食品事業, および各種アミノ酸やその誘導体, 核酸, 医薬品などのファインケミカル事業の開発に成功していた (50) そこでタイ味の素社でも, 国内向け MSG をライバルと差別化するために,1984 年から日本と同様の核酸系旨味料をコーティングした 味の素プラス の生産発売を始めた また新しい国内市場開拓を目指して,1979 年には日本の ほんだし などに相当する, 新しい風味調味料 ロスディー( チキン味 ) の生産発売を開始して幸い成功し,88 年にはさらに ロスディー ( ポーク味 ) も加えて, 国内の調味料需要の開拓に努めた (51) MSG に次ぐアミノ酸事業でも1965 年に日本で発酵法が開発され, 主に輸出で成長してきたリジンは,MSG と同様に日本での生産コスト高から, 生産の海外移転が始まった 1976 年に西欧市場の需要を満たすためにまずフランスで生産を開始し, さらに1986 年にアメリカでの生産も開始した タイでも飼料用リジンの消費が増大し, 当初は日本から輸入していたが, 市場が徐々に開発されたために新工場を建設し, アメリカと同年の1986 年にその生産を開始した ただし味の素社のリジン生産は86 年時点で 6 万 t 近くに達していたが, その生産比率はフランス62%, アメリカ10%, タイ 5 %, 日本 24% であり (52), タイでの生産は, タイ国内とその近隣諸国向けに限定されたローカル事業であった MSG に次いで日本で開発された旨味素材である核酸系調味料の発酵法による生産も, 主にコスト上の理由から, 同じ86 年にその大部分の生産をタイに移転した (53) タイが生産拠点になったのは,(a) 核酸生産は技術が高度で, 海外工場ではタイの生産技術力がもっともそれに対応できるレベルに達していたこと,(b) これまでの増設設備の兼用活用で設備投資が軽減できたこと,(c) 純度の高い安価なタピオカ澱粉原料が核酸発酵に適しており, それがタイ以外では確保しにくかったこと, などによるもので, その一部をタイ国内の複合調味料の生産に活用 11

経営史学第 46 巻第 3 号 したほかは, 大部分が日本を中心にタイからの輸出に向けられた それに加えて, すでに小規模に始めていた冷凍食品も, 漸増するタイ市場を開拓しながら, 主に日本への供給を目的に,1990 年には関係会社を設立して本格的な生産増強を図った 主にコストメリットからであるが, タイ政府がアグロインダストリーの発展を産業政策の 1 つに採択し, チキンやポーク, 野菜類などの安定供給が期待できる原料立地にもよっていた 4 第 4 期 : グローカル経営の確立発展期 (1990 年頃 現在 ) タイは豊かな農業を基盤に,6,000 万人の人口を持ち, その上で巧みな外資導入によって順調な産業発展を成し遂げ, 国内消費市場も順調に拡大発展し多様化した ただし通貨バーツは比較的安定していたので, 自然に恵まれたアグロインダストリーや, タイ政府が推進し産業クラスターを形成している家電 電子や自動車 部品産業などの輸出力は次第に高まったが, その他の製造業の輸出立地条件としては特に優位性があるとは言えなかったから (54), タイ味の素社としても, 出来る限り輸出に挑戦しながら, 国内市場の需要をさらに開拓することがさらなる発展には必要で, 二極的なグローカル経営戦略を明確に確立した時期である タイ味の素社は, スタート時の事業であった MSG の東南アジア地域への拡販に努めた しかしベトナムの市場経済化に伴い, 味の素社ではその旺盛な国内需要と豊かで安価な発酵原料に加えて, 輸出に有利な為替レートに着目し, ベトナムの本格的な MSG 輸出生産拠点化を図った (55) これにより, 味の素社の東南アジアにおける MSG のグローバル供給中心拠点はインドネシアにベトナムが加わってタイはほとんど脱落し, 世界での MSG 輸出拠点は, これにブラジルを加えた 3 カ国となった (56) このような背景から, タイ味の素社はこの第 4 期の成長発展の方向として, 第 3 期における MSG 以外の多角化事業を一層強化拡大しつつ, グローバル, ローカル両面の市場開拓を狙ったグローカル経営を推進することになった (57) 1997 年に増産のために既存工場から分離して開設した MSG の第 2 工場と,1986 年開設のリジン工場は, 主にタイ国内市場向けであったが, 2003 年に増産のために建設した核酸専門工場では, その90% 以上が輸出に向けられた また冷凍食品でも, 主に日本への供給基地として,1990 年の第 1 工場に続き,1995 年に別会社として第 2 工場を建設し, さらに2001 年にそれを増設している 依然社業の中核であることに変わりはない調味料の, 新しい柱になった複合旨味調味料は, 市場の開拓に成功したため, 本格的な増産体制の構築を目指して,2006 年にノーンケー最新鋭工場を新設した これにはタイ政府からアグロインダストリー育成の積極的な特典が与えられ, その代わりに全生産の25% の輸出義務が課されていたので, 近隣諸国への輸出も行なうことになり (58), 新しいグローカル拠点になった 味の素グループが日本でも手掛けている飲料にも進出し,1997 年に別会社を設立した 缶コーヒーはトップブランドになり, 日本茶と系列会社の代表製品であるカルピスを合わせて, その 12

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 バラエティ化を推進している 2003 年にはアスパルテームを素材とするノンカロリーシュガー, 2006 年にはクノール洋風スープを現地化した VONO などの生産発売も開始し (59), 一層の多角化を進めている このようにタイ味の素社は, グローバル企業としてはユニークな地域内外の両市場を対象とした多角化事業経営体制を, 日本より十余年遅れた1990 年頃までに構築し, その後一層その体制を強化してきている その結果, 現在タイ味の素社は連結売上高約 1,000 億円の優良経営体となり, タイ政府からもタイ経済への貢献を高く評価されている Ⅲ ブラジル味の素法人のグローバル化推移味の素社は戦後ブラジルで, 当初輸入販売会社のブラジル味の素社 (Ajinomoto do Brasil Ind. e Com. Ltda) を設立したが, その後生産法人の味の素インテルアメリカーナ社 (Ajinomoto Interamericana Ind. e Com. Ltda) とその 1 工場, 味の素バイオラチナ社 (Ajinomoto Biolatina Ind. e Com. Ltda) とその 3 工場を増設している この 3 社は常に同じトップが兼任し統括経営したので, 実質上社内カンパニー的な存在であり, したがってここではこの 3 社をブラジル味の素法人 ( 通常ブラジル味の素社とする ) として扱う ほかに合弁の日清味の素食品 (Nissin Ajinomoto Alimentos Ltda) が存在するが, 経営の主体は日清食品側にあり, ここでは一部関係ある場合を除き対象には含めない 1 第 1 期 : ブラジルへの橋頭堡構築 (1950-1970 年頃 ) 味の素社はアジアや欧米地域に遅れて,1956 年 8 月にサンパウロに現地販売法人のブラジル味の素社を開設した (60) その後味の素社の日本から世界への MSG 輸出は, アジアおよび欧洲での生産工場建設にも拘わらず順調に伸び,1968 年には14,497t( 北アメリカ3,048, アジア4,128, 欧州 4,831, 中南米 2,093, オセアニア283, アフリカ114 各 t) に達している (61) しかし当時のブラジルでは,MSG は一般消費者としての日系人のみが対象の零細市場であった 1950 年から世界の大スープメーカーであるクノールとマギーが,1961 年にブラジルにも進出して, ようやくその原料に業務用 MSG も少しずつ売れ始めたが (62), とても直接投資には踏み切れなかった (63) そのため初期のブラジル市場開拓には, 早くから主力事業の MSG に限定せず,1964 年には旨味を強化した ハイミー を, また併行して1960 年代に栄養強化用のリジン, メチオニンや医薬用アミノ酸の輸入販売なども行ったが, 市場が未熟で, 販売力にも限界があった ただし現地への販売法人の開設は, この間の現地市場と政治経済状況の情報集積に, 重要な役割を果たす意義があったと思われる 13

経営史学第 46 巻第 3 号 2 第 2 期 : グローバル拠点としての発展期 (1970- 現在まで ) ブラジル味の素社のグローバル化の経緯は, 大きくは二段階に分けられる その第一段階は主力事業 MSG によるもので, およそ1980 年代にその体制を確立した 第二段階は, その成功を基盤にした多角化で, さらに糖蜜原料によるコストリーダーシップ型のアミノ酸のグローバル生産基地化にも成功したが, その挑戦は現在まで続いている 2-1 主力 MSG によるグローバル化体制の確立 1970 年前後のブラジル MSG 市場は, 味の素社のほか, 日本の協和醗酵, 旭化成, 韓国の味元も現地の代理店を通じて激しい輸出販売競争を繰り拡げ, ともに収益の低迷に苦しんでいた このような状況の中で, 当時タイ進出と同規模の生産工場計画が立案され, 政府から一旦建設許可まで得たが, 採算の点から最終的な意思決定を見なかった (64) 味の素社が1977 年になって, ブラジルに生産のための直接投資を開始するに到るまでには, 次のようないくつかの決定的な背景の変化が挙げられる 1 日本国内生産立地条件の悪化 : ニクソン ショック後の円為替相場の上昇と, オイル ショックによる原料確保の懸念から, 味の素本社は輸出用 MSG の生産を国内から海外に移すことを決心した (65) 1973 年に味の素社はブラジル, アルゼンチンやメキシコを中心とするラテンアメリカ諸国への供給拠点の開設を検討し, 原料としての甘蔗の供給量, 価格, 品質や労働力の資質, さらに輸出に対する政府の恩典制度などから, ブラジルが最適地であると判断した (66) 2ブラジル市場の成長 : ブラジルの加工食品産業もようやく成長して業務用 MSG の需要も増加し, 有望な市場に成長することが期待され始めていた 3 輸出恩展 : しかし直接投資の意思決定に決定的な引き金になったのは, 交渉の結果 BEFIEX( 輸出特別プログラムへの免税恩典供与委員会 ) が1974 年 2 月に, 生産量の70% 以上を輸出すれば, 設備機器 原材料の輸入税の減免, 輸出利益に対する法人税の免除, 政府特別融資などを行うとする特別優遇処置を認めたことである (67) 1974 年 12 月にその認可を得て, 現地生産法人である味の素インテルアメリカーナ社を設立した すなわち MSG のブラジルでの製造業の直接投資は, 初めからグローバル市場への輸出を中心とする目的で始められ, 国内市場への輸入代替を目指したタイでの直接投資とは大きく異なる そのため設立時の生産能力も, タイの年産 600t に対し8,000t で, さらに順次 10,000t から 12,000t に拡大する計画であった (68) ただし当初から輸出の拡大だけでは経営業績の向上が期待しにくいと思われたので, 味の素本社は経営方針として価格の安い業務用の輸出にのみ頼らずに, ローカル市場も開拓しようとした そのため 1976 年に工場建設と併行して専門家を派遣し, ほんだし風の現地向け風味調味料を試作し, 現地の調査会社も活用した嗜好調査も実施した (69) 当時の味の素社の主要海外生産販売法人は 9 社で, うち MSG の生産法人は 6 社であったが, ブラジル味の素社は後発でありながら低コストの生産に成功したため, その MSG 生産量は 14

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 表 1 に見るようにまたたく間にタイに次ぐ生産となり, その世界市場への輸出は他拠点からの輸出に置き換わって予想した以上に伸び, 北米にも多量に輸出する一方,1982 年にはアフリカへの輸出も開始したので,1985 年にリメイラ工場の生産は当時世界最大の30,000t に達した 一方台湾系資本のオリエント社も, 味の素社に一歩遅れて1977 年からブラジルで MSG の生産を開始し, 年産 7,000t に達していた しかし経営に苦心していたので, 味の素インテルアメリカーナ社は1982 年から技術援助を開始していたが,1989 年に両社はさらなる経営改善を図るために両社合議で合併を BEDIEX に申請し,1994 年に認可を得て味の素社側が合併した その結果ブラジル味の素社の年産能力は55,000t となり, その大部分を輸出して当初の設立認可条件も達成し, グローバル化は予定以上に順調に進んだ 2000 年までにリメイラとラランジャパウリスタ両工場での年産量は 9 万 t 以上に成長し, 味の素グループの全生産量の25% となり, 生産拠点として No. 1 の地位を占めるに到っている 35 万 t の甘蔗シロップを使用することで現地農業発展に寄与しつつ, 1 億 $ 以上の外貨を輸出で稼ぐ存在になった (70) 2-2 多角化によるグローバル化への挑戦しかし MSG は90 年代には輸出市場をほぼ満たすに到り,MSG で成功したその経営基盤と, ブラジルの発酵生産拠点としての優れた立地を活かして, 同じく発酵製品である G 型製品の飼料用アミノ酸の生産に着手した 味の素インテルアメリカーナ社はリメイラ工場と, オリエント社から吸収したラランジャーパウリスタの 2 工場のほかに,1997 年にバルパライソに飼料用のリジン年産 15,000t の工場を開設し,1998 年にはその元オリエント社の工場と新設したアミノ酸生産工場とを合わせて, 味の素バイオラチナ社として分離した 同社はその後も南米唯一の生産地として順調に増産を重ね,2004 年には味の素社の No. 4 から No. 1 の生産拠点に発展した また2006 年にはもう 1 つの量産型アミノ酸であるスレオニンの併産も開始し, さらに第 4 のリジン年産 60,000t のペデルネイラス工場も開設したが, そのほとんどは輸出向けで, この 2 つのアミノ酸工場が加わって, ブラジル味の素社のリジンとスレオニンの年産量は 132,000t となり, 世界最大級のアミノ酸メーカーとなった (71) このころから, リメイラとラランジャパウリスタ工場は次第に役割を変えていく 味の素本社はグローバル戦略として, 当時海外市場だけでなく日本市場用の MSG の生産も海外移転を考えた (72) そこで13の海外拠点中, ブラジルのラランジャパウリスタ工場と, インドネシアのアジネックス インターナショナル社工場の 2 拠点を選択し,2004 年 4 月にブラジルからの対日輸出が始まった そのような中でリメイラ工場は,MSG や副生肥料, ブラジル国内用調味料の生産を継続しつつ, さらなるグローバル発展のための多角化を推進する拠点となった 世界の医薬用アミノ酸の需要は17,000t であり, そのうち味の素社が60% を供給している リメイラ工場ではグルタミンの世界最大の年産 4,000t 設備を新設し, 味の素社の欧米, 日, 中の 9 生産拠点中の最新工場として, 欧米, アジア市場への輸出拠点となった また2006 年には, 食 15

経営史学第 46 巻第 3 号 品用分岐鎖アミノ酸であるロイシン, バリン, イソロイシンの生産もスタートした (73) このようにブラジル味の素法人のグローバル化は,1972 年の MSG の直接生産投資の開始以 降, 多角化によって現在に至るまで, 継続発展してきている 3 第 3 期 : グローカル経営の確立発展期 (1985- 現在 ) ブラジル味の素社の本格的な国内市場の開拓は遅れていた 当初グローバル経営体制の確立に経営力を傾注したためでもあるが,MSG がアジア地域とは異なり, 西欧人中心のブラジルの食生活に馴染みにくかったことも大きく影響している しかし直接投資当初から併行して多角化に挑戦し,MSG の生産開始とほぼ同時に,1977 年 7 月からは ほんだし,12 月からは ハイミー の現地生産も開始し (74),1981 年には アジ塩 も生産したが (75), これらは日本国内用のローカル製品を, そのまま日系人向けにコピー生産したに止まる また別のローカル市場開拓として, 味の素本社が直轄して,1972 年から業界トップの日清食品との協業でインスタントラーメン事業にも進出した 1981 年には新工場を建設し, 日清味の素食品として業界をリードしながら大きく成長し, 圧倒的なシェアを確保している (76) 大規模投資をしたグローバル化経営確立の目途が立った80 年代の半ば頃になると,1950 年代当初から目指していたブラジル国内のローカル市場開拓にも, 積極的な努力を傾注した 1976 年の市場調査の経験も活かし, 本腰を入れて1987 年に現地で MSG に香辛料を加えた複合調味料を開発したところ, 初めてのローカル開発製品 SABOR A MI が大ヒットし, さまざまな販売促進活動で一気に市場が拡大できた さらに1989 年に開発された ほんだし のブラジル型風味調味料 SAZON はリテイルの主力商品となり,1996 年に月 150t 前後であった販売は, 2005 年には 6 倍以上の1,000t を上回るまでに成長した (77) 当時ブラジルでは, 消費者保護法で全ての食品の使用期限か賞味期限の表示が義務化されたが, それをきっかけに, ブラジル味の素社は1994 年に消費者と直接コミュニケーションを図る消費者サポートセンターを開設し, 自社製品の適切な用法の普及, レシピの提供などに努めたことも, ローカル市場開拓に寄与したはずである (78) 複合調味料の成功に止まらず, ローカル市場の多角化開発努力はさらに続けられ,1999 年には砂糖にアミノ酸甘味料アスパルテームをミックスした, 低カロリーシュガーである MID SUGAR の生産も始めた また同年玉葱と胡椒風味のペーストである SAZON RECEITA DE CASA も開発した 2000 年には粉末ジュースの MID REFRESCO6 種類を,2001には低脂肪のスープベース (broth powder) にも参入している 2005 年にはシュガーフリーの粉末ジュース FIT DIET や, 日本での実績からブラジル市場に風味を合わせた11 種類の洋風スープ VONO も開発生産を開始した 結局 2006 年にリメイラ工場では, 現地市場向けに11 種類の製品, すなわち MSG, アジ塩, ほんだし,SABOR A MI,TEMPERO SAZON,RECEITA DE CASA,CAIDO SAZON,VANO,MID SUGAR,MID REDRESCO,FIT DIET を多角的に 16

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 生産している (79) その他 1996 年には, 欧州では ACTIVA としてもっとも革新的な食品添加物のタイトルを得た肉質改善剤の HARMONIX-F を, 業務用に供給している また1998 年以来, 5 種類のアミノ酸誘導体化粧品素材である AJIDEW NL-50も, 生産を開始した これらはもちろん一部ブラジル市場向けであるが, 日本で開発された G 型製品であり, ブラジルは日本に次ぐ世界 2 番目の生産拠点となり, その製品は主に西欧, ラテンアメリカおよび日本向けである また各工場で生じる副産物として,AJIFER,AJIFOL,AJIPOWER,AMINOPLUS などの各種有機質肥料を, 現地農業用に供給している (80) なお本業ではないが, ブラジル味の素社は現地企業とのいくつかの協業にも努力しており, たとえば養鶏会社に資本参加した大里味の素食品での鶏肉加工などがある (81) このように, ブラジル味の素社も,2000 年までにタイ同様の, ユニークな多角的グローカル経営体制を構築できたと見られよう グローバル市場への輸出が多い点で, ローカル市場のウエイトが高いタイとは様相を異にするが, 国内事業の開発にも成功し, ブラジルに安定したグローカルな事業基盤を構築することができ, 販売法人の設立から50 周年を迎えた2006 年には, 売上高約 700 億円の大事業拠点に発展している (82) Ⅳ 味の素社の新しいグローバル経営の特徴 1 味の素社のグローバル化経営資源の変化 ( 事業の多角化 ) グローバルな競争優位を持つ G 型事業の MSG がなければ, 味の素社のグローバル化は実現していない しかし MSG は調味素材で需要には限界があり, グローバル化の大きな発展には事業の多角化転換を伴わなければ成功していないが, その中心となる食品が M 型か GM 型事業であったことが, 同社のグローバル化経営に大きく影響している 戦後復活に尽力した道面豊信社長時代の終期から, すでに本業 MSG での発展の限界を意識し,1965 年就任の鈴木恭二,1973 年就任の渡辺文蔵,1981 年就任の歌田勝弘の 4 代の社長に渡り, 多角化による成長発展への転換を経営方針に掲げて強力に推進した (83) その結果まず調味料の多様化として, 大型商品の風味調味料ほんだし, 中華味,Cook Do などを次々に開発した しかしもっとも事業体質を転換したのは, 外資との提携による食品事業の開発である 1962 年にケロッグ社との提携によるコーンフレーク類,1963 年にアメリカの CP 社との合弁によるクノールスープを始め,1965 年のマヨネーズ,1970 年のマーガリン, 1973 年 GF 社との合弁によるインスタントコーヒー,1980 年の BSN ジュルベ ダノン社との提携でのチルド商品などの事業化を積極的に推進した これに1972 年の自社開発で始めた冷凍食品事業を加え, 味の素本社は総合食品企業に大きく転換した (84) また自社開発を中心に,1956 年からのアミノ酸輸液に始まり,1961 年のアミノ酸甘味料アスパルテーム,1965 年からのリジンを始めとする発酵法アミノ酸素材,1970 年のアミノ酸系界面 17

経営史学第 46 巻第 3 号 活性剤や1964 年の発酵法核酸などのファインケミカル事業も確立した このように,1960 年から1980 年頃に渡る約 20 年間で, 味の素本社が事業を MSG 単品から, 食品, ファインケミカルに多角化出来たことが, 味の素社のグローバル経営の複合化を可能にした それにより味の素社の売上構成は,1965 年対 1980 年比較で調味料事業比率を52% から 26% に下げつつ, 食品事業を 3 % から35%, アミノ酸事業を 3 % から 9 % に大幅に伸ばし, 総売上高を 6 倍以上に伸ばすことに成功している (85) 2 タイ, ブラジル味の素法人のグローバル化戦略の比較本格的なグローバル化経営に成功した味の素社の, 2 大拠点タイ法人とブラジル法人での直接投資行動の違いは, まず MSG 事業での進出当初の目的が, タイでは国内市場への輸入代替, ブラジルでは一部国内市場への輸入代替が含まれてはいたが輸出が中心であったことである またタイでは多角化までの期間が長く, かつその比重が高く, ブラジルでは初期から多角化に挑戦し, その割には多角化の比率が低いことである この二つの違いから見れば, 両地域のグローバル化戦略は大きく異なるように見える しかし両法人ともに, 当初はグローバル競争力のある G 型の MSG 事業の直接投資で海外経営基盤を築いている タイではすでに1960 年に日本からの MSG 輸出が569t にも達し, タイ政府の産業投資奨励法の恩典も1958 年には得られたため, 現地への輸入抑制の懸念もあって早期の進出となった 一方ブラジルでは,MSG の現地市場開拓が進まぬままに, やがて日本の MSG 生産拠点までをコスト問題から海外に移転する必要性が高まり,1974 年にようやくブラジル政府から輸出優遇恩展が得られて, 輸出中心の生産を始めている 両法人の MSG 事業でのグローバル経営行動の相違は, 日本本社の共通した MSG 事業のグローバル化戦略の下で, 進出地域と時代変化の状況に対応する条件適合の差から生じたと理解される 一方多角化には, タイ法人, ブラジル法人ともに挑戦し, その事業は経営上無視できない規模に達している また味の素本社が, そのグローバル プラットフォームとして食品とファインケミカルでの多角化体制を確立したのは, ようやく1980 年前後である タイ法人が多角化に積極的に挑戦し始めたのは1980-90 年頃であり, ブラジル法人では1985 年前後以降であるから, ともに本社よりやや遅れてほぼ同時の挑戦開始である さらに多角化事業での輸出も図りながら,M 型や GM 型事業で地域市場の開拓に努力している点も同じである タイ法人よりブラジル法人の方が輸出比率は高いが, 市場や生産立地条件の違いを考慮すれば, 両法人の多角化経営戦略は基本的に同じであると見られよう 3 タイ, ブラジル味の素両法人の事業構造比較次に前節での推論を確認するため,G 型,M 型のほか, はじめに で述べた折衷型の GM 型も加えた 3 種分類を用いて, タイとブラジル両法人の事業構造を比較したい 18

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 表 2 タイ味の素社が扱う事業製品のグローバル特性 事業 事業本来の特性 タイ味の素社での実態 MSG G M(+ G) リジン G M(+ G) 核酸系調味料 G G(+ M) ノンカロリーシュガー G M 冷凍食品 GM G(+ M) 飲料 ( コーヒーなど ) GM M インスタントラーメン GM M 洋風スープ GM M 味の素プラス GM M 味塩 M M 風味調味料 M M(+ G) 味液 ( アミノ酸醤油 ) M M 有機質肥料 M M 出典 : 筆者作成 注 : G; 世界市場で競争優位を持つグローバル型,M; 地域毎に競争優位が異なる マルチドメスティック型,GM; その中間型の略号 ( ) 内は+αの傾向を示す まず事業本来の特性と, タイ味の素社での現状特性を分析した結果を, 表 2 に示す その結果,G 型と M 型の事業を併用して, 多角的なグローカル経営をしていることを明確に確認できる その扱い事業は 3 種事業の全てに渡るが,M 型の事業のウエイトが高い タイ法人は, タイがグローバル拠点としては不十分だがローカル市場としての魅力が大きいことから,MSG, リジン, コーヒー, インスタントラーメンなどのような G 型や GM 型製品を苦心して M 型事業化し, ローカル市場の拡大に活用する度合いが高くなっている しかし逆に, 本来 GM 型製品事業である冷凍食品をタイ法人ではほとんど G 型事業化しているように, グローバル化努力も決して怠っていない 次いでに表 3 に, ブラジル法人の現状を示す ブラジル法人でも,G 型と M 型の事業をグローカルに併行経営していることが確認できる 当初の直接投資が輸出中心で, その後も原料コスト, 為替レート, 産業政策などの立地条件がグローバル市場に有利であるため,G 型事業のウエイトがタイ法人より高く, その事業数がタイでは20% 前後に止まるのに対し, ブラジルではほぼ半ばを占める M 型事業は売上規模が小さいので, 実質的な売上比率はさらに G 型が高まるが,1985 年以降はローカル市場開発による成長を強く志向し, 本来の G 型や GM 型事業を M 型事業として活用しようとしている努力は, ブラジル法人でもタイ法人と同様に明確に読みとれる このようにタイが地域市場中心の立地で, ブラジルがグローバル生産立地にあるための G 型事業のウエイト差を除けば, タイ法人とブラジル法人の経営行動は共通している 19

経営史学第 46 巻第 3 号 表 3 ブラジル味の素社が扱う事業製品のグローバル特性 事業 事業本来の特性 ブラジル味の素社での実態 MSG G G(+ M) リジン G G(+ M) スレオニン G G(+ M) 医薬用アミノ酸 G G(+ M) 食用分岐鎖アミノ酸 G G(+ M) 化粧品用アミノ酸誘導体 G G(+ M) 肉質改善酵素製品 G G(+ M) 低カロリーシュガー GM M 粉末飲料 GM M インスタントラーメン GM M 洋風スープ GM M コンソメ類 GM M アジ塩 GM M 風味調味料 M M 有機質肥料 M M 出典 : 筆者作成 注 : 記号は表 2 に同じ 4 味の素社のその他海外法人のグローバル化事業構造味の素社としてのグローバル化行動の全体傾向を見るために, タイ, ブラジル法人以外の味の素社の海外法人の状況も概観しておきたい 2009 年現在, 味の素社は世界 130カ国に事業を展開しているが, そのうちタイ, ブラジルの 2 拠点以外の主な生産拠点は ASEAN のフィリピン, マレーシア, インドネシア, ベトナムを始め, 中国, アメリカ, ペルー, フランスである これら諸拠点での事業展開は, すべて MSG 事業を柱としながら, タイやブラジルほどにはグローカル化していない その主な理由を考えると,(a) グローバル化の最初の現地経営基盤構築段階で, 現地市場規模が小さいために多様な事業を展開するに十分な経営規模を築けない場合,(b) 経営環境として, グローバル生産立地としての条件が整わない場合,(c) 味の素社が経営資源として, 当該現地市場に適合する十分な事業開発力を持たない場合のいずれかであると思われる このような味の素社型グローカル経営成立の 3 要件に対する各拠点の筆者の推測による実態分析結果を表 4 に示すが, タイ, ブラジル以外は完全なグローカル型事業戦略を展開する条件が整っていないために, 同様の展開ができていないと思われる ベトナムでの経営基盤構築は,MSG 事業の急速な拡大と,2006 年前後からの M 型や GM 型商品開発人材の投入で, 最近になって急速に強化された フランスへの1974 年のリジン, アメリカへの1982 年のアミノ酸や1986 年のリジンの生産投資などは,(c) 要件がブレーキになって M 型事業開発力が見込まれないために, 本社主導の G 型事業展開に止まっている しかしその後アメリカでも GM 型の冷凍食品事業を伸ばす努力 20

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 表 4 味の素社主要海外生産法人のグローカル経営 3 要件の差異 味の素社型グローカル経営の 3 要件 主な海外生産拠点 グローカル経営展開 グローバル展開に必 ローカル事業開発に に必要な経営規模 要な立地環境条件 必要な経営力 タイ フィリピン - - マレーシア - - インドネシア ベトナム 中国 - - アメリカ - ペルー - - ブラジル フランス - 出典 : 筆者作成 注 : 記号は ; 充足, ; ある程度充足, ; 不備を表す をしているように (86), 各地法人とも, 出来る限りタイ, ブラジルと同様なグローバル化を意図 し努力していることは間違いない アジア地域全般で,1970 年代からは共通して多角化による地域市場拡大を始めており, 複合 風味調味料などは, タイ以外でも1989 年インドネシアの マサコ,1991 年にフィリピンの ギ ニサ なども相次いで発売し, 現在では第二の柱に成長している その他フィリピンでは醤油, マレーシアでは 味の素プラス, アジ塩 アジ塩ペッパー, ふりかけ, ゴマ油, パルスイー ト, インドネシアでは 味の素プラス, ふりかけ, カルピスを手掛けるなど, 各地域に適合 した多角化を推進している (87) 特に, 上述した最後発のベトナム法人の事業展開に注目したい 味の素社は1992 年にベトナ ムの国営企業と出資 60% の合弁 B & W ベトナムを設立し, 当初 MSG 原料の粗グルタミン 酸の輸入 精製 包装でローカル市場向けに年産 5,000t 規模でスタートした (88) さらに間もな く味の素社の出資を70% として, 発酵からの一貫生産に切り替えて12,000t に増設するととも に, 急速に輸出によるグローバル化を図り,2000 年には年産 20,000t 規模に増設し (89),2006 年 にはその売上高も60 億円を超えるようになった さらに地域市場専用の風味調味料 Ajingon やスープ製品も併行開発して, 地域市場の拡大にも努め, 3 年後の売上を1.5 倍の100 億円に伸 ばそうとしている (90) すなわち最後発のベトナムでは, 急速な経営環境の変化に対応して, 長 い時間かけてこれまでに構築してきた味の素社独自のグローカル経営モデルを, 一挙に開花さ せようとしていることを示す このような努力の結果,M 型, あるいは GM 型事業である味の素社の海外食品事業は, 2007 年 3 月期で売上高 1,277 億円 ( 対前年 128.3%), 営業利益 101 億円 ( 対前年 202.4%) に成長 しているが (91), さらに2008 年度も, アジア, 南米の家庭用風味調味料は大幅な増収となってお 21

経営史学第 46 巻第 3 号 り (92), そのグローバル経営は, 前節で見た 2 大拠点であるタイ, ブラジルに限らず, 世界各地 域法人ともに共通のグローカル戦略理念で展開されていると見られる Ⅴ 味の素社が独自のグローバル化経営に成功出来た理由ではなぜ味の素社がグローバル経営に, このような新しいビジネスモデルで成功できたのであろうか 事業の多角化のほか, 味の素社が保有する企業理念やマトリックス経営, 企業文化と人材がそれを生み出したと推論する 1 多角化での市場開発マーケティング手法の獲得 Ⅳの 2 で, 多角化が味の素社の本格的なグローバル経営に不可欠であったことを見てきた しかし一部のファインケミカル事業を除き,M 型諸事業はグローバルな優位性に乏しかったから, 多角化しただけでは複合的なグローバル経営には成功できない それを可能にしたのはアメリカの CP 社との提携で, 味の素社が CP 社の徹底的な消費者中心主義のマーケティング技法を学んだことが大きい これまで独創的な商品であるから必ず売れるという発想のもとに市場開発を進めてきた同社が, 消費者ニーズを考えることの重要性を改めて体得した (93) 多角化は発展に不可欠とのトップの強い経営意思を受けて関係者は必死にこの手法を学び, これにより多数の社員が消費者志向の事業開発力を身に付け, それが海外法人への出向時に現地での M 型事業の開発に活かされたと見られる 2 多角化による世界市場開発の経営理念味の素社は戦前戦後を通じて強い海外発展志向があったが, 渡辺社長時代に1977 年の 海外事業に関する基本問題 で, 5 年間に多角化を背景に海外事業の利益を倍増する目標を掲げた (94) また1985 年に歌田社長は世界に貢献できる企業としての長期経営構想を打ち出し, それを具体化した1988 年の長期経営目標 WE -21 で,21 世紀までに世界の優良企業になるために, 食品, ファインケミカル ( アミノ酸, 化成品, 医薬 ) とソフト事業で売上高を2.5 倍, 輸出と海外法人の売上高を4.5 倍にすることを目標に定めた (95) 味の素社のトップの経営理念が, このように国外でも多角化による飛躍的成長を求め, 現地法人のトップはその意を受けた出向者であったから, タイ, ブラジルに限らず, 全ての海外法人の戦略がそれを反映したものになるのは当然である グローバル志向の強かったブラジル法人でも, グローバル市場をさらに拡大しながらローカル市場の開拓も推進する併行経営で, WE -21に沿った成果を2000 年までに実現しようと施策した (96) 3 巧みなマトリックス経営力 G 型商品事業はグローバル プラットフォームの本社が経営権を掌握し, 一方 M 型事業は 22

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 本社コントロールを最小限に止め, 地域法人トップが主体的に経営権を掌握せねばならない このように事業の主管が二元化した経営では, 当然グループ本社と地域法人間の調整が必要になり, それはマトリックス経営となる このような 2 元化経営が味の素社グループで容易に展開出来たのは, 味の素本社での開発体制が 2 元化されていた影響が大きいと思われる 同社は1967 年に, 事業部によらないシーズ事業を探索する開発企画室を開設し, 事業開発の 2 元化をスタートさせたが,1987 年にはさらにマーケット ニーズに対応する新事業開発部を分離した このような経緯から, 味の素社では事業部中心のニーズ開発と事業部外のシーズ開発の 2 元経営の組織学習が進んでいた (97) それを体得した出向者が, 本社主導の事業を育成しつつ, 現地開発の事業の開発にも努めたのは, 味の素社では当然の行動であったであろう 近年マトリックス経営は, そのコミュニケーションの煩雑さが成功を阻んでいるとされる しかし味の素社は, もともと本社と現地の経営担当者の往復交流が盛んであった さらにアメリカ法人社長を経験した池田安彦が1974 年に海外担当役員に就任すると, 制度的にもグローバル経営の近代化に努め,1978 年に海外法人管理要綱を定め, 現地法人の権限を明示し, また海外法人会議, 海外工場長会議, 地域ブロック会議を毎年開催するようにし (98), 特に前二者は本社での経営トップへのプレゼンテーションとした これによって本社と地域の責任者相互の意思疎通は格段に向上した 事業責任者には長期的な経営計画とその執行を問うことで, 本社側の現地適合開発, 人材派遣, 資金援助などの強いバックアップと, 各地域法人責任者の強い発展志向に基づく G 型事業の導入および M 型事業での現地市場の併行開拓意欲を呼び, 同社のグローカルな二元的経営を成功させている 4 開発志向の企業文化と人材異種の事業で広範なエリアに共通した経営行動を求めるには, 強い企業文化が求められ, 歌田社長もクリエイティブな企業文化の重要性を強調している (99) しかし開発志向の企業文化も, グローカルな二元的経営に活かすためには, 味の素社の M 型事業のグローバルな優位性が乏しいために, 現地市場のニーズ開拓に溢れたものでなければならない 味の素社本来の創業の精神と, 国内の多角化で組織学習した市場ニーズ開発の手法に合わせて, 味の素社は食を通じて世界各国の消費者の方々の生活と健康にいかに貢献できるか と常に問いながら, 現地の食文化を探求するためには, 現地の人々と生活を共にしなければならない と駐在員たちに訴え続けてきた同社トップ層の姿勢が (100), 長年かけてようやく企業文化に結実したと見られる それが経営資源化されるには, 戦後だけでも30 年におよぶ海外経験のノウハウ蓄積が必要で,1980 年頃になってようやくそれが結実したことを同社自身も確認している (101) そのような企業文化の構築と併行して, それを事業に具現化する人材の育成確保が必須であ 23

経営史学第 46 巻第 3 号 る 味の素社は国内, 海外の盛んな人事交流と, 人事での成果主義を尊重し,1988 年時点で海外派遣経験者が社員 10 人中 1 人に達し, 本社役員の半分近くが海外出向経験者で占められるようになった (102) また現地人材を積極的に活用しており,2003 年時点で食品事業の全従業員数は国内 4277 人, 海外 11487 人で, 現地従業員が過半を大きく超えている 特に現地幹部は若い人材を日本へ専門研修派遣し, 味の素インターナショナル マネジメント セミナー でマネジャー育成にも努め (103), 林吉郎のいう第三文化体として日本側, 現地の両組織文化の接点への配置に留意し (104), さらに他の日本企業に比較し, その第三文化体の組織内の位置の引き揚げが早かったことが, 営業や開発部門で有効に機能し,M 型事業開発, 牽いては経営グローカル化の推進に有効に機能したはずである (105) Ⅵ おわりに最後に本稿の課題である, 味の素社の新しいグローバル経営モデルの特徴を, いくつかの主なグローバル経営理論を用いて確認しておきたい まず味の素社のグローバル経営をポーターによる事業の G 型,M 型 2 類別論で点検しても, 単純にそのどちらに寄っているともできない 味の素社のグローバル経営が異種の事業の複合経営であることはすでに認められているが (106), それは単純な同質事業の併行経営ではなく, グローバルな経営行動が大きく異なる G 型と M 型の事業に加えて, はじめに で見てきた G 型,M 画の折衷型である GM 型を合わせた 3 種類の事業の併行経営であり, かつ G 型が先行主導する独自の新しい複合モデルであることを確認してきた またこの味の素社での事業のあり方を, バートレット (107) や根本孝ら (108) のグローバル経営での組織構造の発展モデルで見ると, グローバルな共通事業でのシンプルグローバル戦略, あるいは地域別に異なる事業展開をするマルチドメスティック戦略のいずれかを単純に経たグローバル化ではなく,G 型事業でのシンプルグローバル化を先行させた後,1980 年頃からは M 型, GM 型事業でのマルチドメスティック型を併行上乗せして拡大を図るという, これまでに指摘されていないグローバル化の発展経緯を展開してきている 多国籍企業は, 歴史的にも資本の所在国から見てもさまざまであるが (109), 代表的な多国籍企業論の対象は, 第二次大戦後に主役になったアメリカの製造大企業であり, 本国本社が G 型事業を集権的に管理する大規模なグローバル展開であった (110) その後復活, あるいは成長した西欧と日本の一部の企業がそれに追従しているが (111), バートレットとゴシャールは, これら多国籍企業のグローバル経営のあり方には, 戦略能力と経営伝統が強く影響しているとした そしてアメリカの多国籍企業の行動をインターナショナル型とする一方, 欧州多国籍企業の行動をマルチナショナル型, 日本の多国籍企業の行動をグローバル型と区別した上で, 現地への対応と, 効率性およびイノベーションの同時達成を目指し, 多国籍なオープン ネットワーク協業がベースになるトランスナショナル型を第 4 の新時代モデルとして提起している (112) 24

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 味の素社のグローバル化をこのバートレットらのモデルで見ると, 第 4 のモデルには到らない MSG やアミノ酸などの G 型事業では世界的な経営効率を重視した日本的なグローバル型からスタートし, 次第に本社の高い技術力を武器に, プロダクト ライフサイクルの推移につれて本社の知識 能力を海外子会社に拡大し, 拠点を移動させて行くアメリカ的なインターナショナル型に変わりつつ, 本社が意思決定し主導している 一方 M 型や GM 型事業はその性格上地域主導でなければならず, 高い現地適応力を目指して, 各地域企業にかなり自主性を与える欧州的なマルチナショナル型であり, それらが共存するグローバル経営は, バートレットらのモデル外の新しい複合型モデルであると思われる いずれにせよバーガーらの最近の調査研究に見るように,21 世紀のグローバル経営成功企業はモジュール型経営の例外とはみなし難いので, そのあり方を類型化できるとした平松のⅠ~Ⅷまでのモジュール型グローバル化 8 類型モデルで見ると, まさにそのⅡ( 恒星 ) 型に該当し,MSG を始め, アミノ酸, 核酸などの G 型事業を恒星のように中心構造とし, 食品などの M 型事業を惑星のようにそれに付随させることで全体の恒星系の拡大をもたらす, 複合事業構造モデルの代表ケースであると見られる ここで具体的に触れる余地はないが, 筆者は日本コカ コーラ, ロッテ, キッコーマンなどにも, 恒星型のグローバル化を認めている 以上のように, 味の素社の戦後, 特に1980 年以降のグローバル経営は, グローバル経営の諸理論から点検しても, 新しく開拓されたグローバル化モデルの一つであると見られる 注 ( 1 ) 登録商品名は 味の素 であるが, 今後特に必要のない限り化学名 monosodium glutamate の略称である MSG を用いる ( 2 ) 味の素株式会社 [1990] 味をたがやす味の素八十年史 205 210 頁 ( 3 ) 本稿で事例として取り上げる会社は略称を用いるが, 味の素株式会社の場合には, 商号と商標を区別するため, 会社を表す場合には味の素社とする ( 4 ) 東洋経済新報社 [2008. 7] 会社四季報 夏号 ( 5 ) 五十嵐弘司 [2006. 4] あしたのもと Vol. 22,16 17 頁 ( 6 ) 吉原英樹 [1992] 日本企業の国際経営 同文館,15 頁 ( 7 ) 堀章男 [1992] 味の素: 食文化のクリエーター TBS ブルタニカ,110 頁 ( 8 ) 同上,187 193 頁 ( 9 )Bartlett, C. A. & S. Ghoshal [1989], Managing across Borders :The Transnational Solusion, Harvard Business School Press.( 吉原英樹訳 地球市場時代の企業戦略 日本経済新聞社,1990 年 ) (10) 末廣昭 [2003] 進化する多国籍企業 岩波書店,101 頁 (11) 吉原英樹 [2002] 国際経営論への招待 有斐閣,75 76 頁 (12) B. Gomes Casseres,[1994. 8 9 ] 新たな競争優位 : グループ vs グループ ハーバード ビジネス レヴュー ダイヤモンド社 (13) 林昇一 徳永善昭 [1995] グローバル企業論 中央経済社,36 41 頁 (14)Baldwin, C. Y. & K. B. Clark [1997], Managing in an Age of Modulality, Harvard Business Rewiew, 25

経営史学第 46 巻第 3 号 75(5), pp.84-93. (15)Berger, S. & the MIT Industrial Performance Center, [2005], How We Compete :What Companies Around The World Are Doing To Make It In Today s Global Economy. Currency Books/Doubleday.( 楡井浩一訳 グローバル企業の成功戦略 草思社,2006 年 ) (16) 平松茂実 [2009. 9] 国際経営環境の変化と経営グローバル化の新モデル 日本経営学会編 日本企業のイノベーション ( 経営学論集 79 集 ) 千倉書房,222 223 頁, 同 [2009. 10] モジュラー オープン化視点からのグローバル化戦略モデルとその構造 国際ビジネス研究学会第 16 回全国大会報告要旨,146 149 頁など (17)Porter, M. E. [1986], Competition in Global Industries: A Conceptual Framework, In Porter, M. E. (ed.), Competition in Global Industries, Harvard Business School Press で, 事業の 2 類別化と合わせて, シンプルグローバル戦略とマルチドメスティック戦略のグローバル化二途選一モデルが提起されている (18)Ajinomoto Co. (Thailand) Ltd., [2002], Ajinomoto-40th Anniversary, および同 [2005], AJINOMOTO-A taste of the future など (19) 外務省アジア局南東アジア第一課編 [1973] タイ王国 日本国際問題研究所,91 93 頁 (20) 前掲 味をたがやす,313 頁 (21) 前掲 (19) (22) 山村勝郎 田中忠治 [1966] タイの日本企業 アジア経済研究所,108 112 頁によれば, 産業投資奨励法の恩典でタイに進出した日本企業は1960 年の亜鉛鉄板 2 社に始まるが, 旧木下産商と三井物産 伊藤忠商事がそれぞれ出資する零細企業で,1962 年になって味の素社のほか, 山口賢毛布, 吉田工業, 松下電器, ラサ鉱業の 5 社が進出した (23) 産業投資奨励法の投資申請審査機関として, 投資委員会 (BOI:Board of Investment) が設けられた (24) 前掲 味をたがやす,313 315 頁 (25) 前掲山村 田中 タイの日本企業,55 57 頁 (26) 同上,123 124 頁 (27) 三代目鈴木三郎助は創業家出身の経営者で, 第二次大戦前後は社長であったが, 戦前から 味の素 の海外販売に苦労を重ね, アジアおよびアメリカ市場とその経営環境に精通していた また道面豊信社長はアメリカで教育を受けた戦前の味の素社のニューヨーク事務所長, 貿易部担当の佐伯武雄常務は戦前アジア地域の販売担当者であった 当時の佐伯常務の談では, タイへの進出は小規模で採算に合わないため輸出が有利として, 役員会で強く反対されたが, 佐伯常務の進出論を鈴木会長が支持し, 道面社長が決断をしたとされ, そうでなければ同社のグローバル化はおそらく相当遅れていた (28) 味の素株式会社 [1971] 味の素株式会社社史 1,278 283 頁 (29) 同上,223 236 頁 (30) これら戦前の海外工場進出については, 同上,299 301,415 421,434 438 頁に詳しい (31) 駒井洋 [1971] タイの近代化 日本国際問題研究所,58 60 頁 (32) 元高級軍人の人事渉外担当役員, 華人系人材の販売購買担当役員, 元警察官僚の工場総務部長などへの起用をバランスよく行なえた (33) 末廣昭 安田靖編著 [1987] タイの工業化 :NAIC への挑戦 アジア経済研究所,198 202 頁, および前掲駒井 タイの近代化,148 152 頁などに詳しい (34) 前掲 味をたがやす,314 315 頁 (35) 筆者の実際の見聞による (36) 前掲 味をたがやす,315 頁, および (33) 吉原英樹編著 [1992] 日本企業の国際経営 同文館,91 頁 (37) 前掲山村 田中 タイの日本企業,123 124 頁 26

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 (38) 筆者の実経験による (39) 前掲末廣 安田 タイの工業化 :NAIC への挑戦,252 253 頁 (40) 前掲 味をたがやす,452 453 頁参照 タイ味の素社の資本比率は, 当初味の素社 70%, 香港代理店 20%, タイ代理店 10% で外資比率 90% であったが, 代理店の持株 30% を入手 ( 代理店権買収 ) の上, タイ農民銀行への分譲,1976 年に設立したメセナ財団 味の素財団 への寄付, 従業員持株制度による配分などで, 外資比率を70% に下げた (41) 設立時にピブーン元首相夫人の身内の退役空軍将校を役員に起用したが, さらにその身内の副大臣クラスの人材を役員に補強した (42) 前掲 味をたがやす,352 355 頁参照 アメリカのオルニー博士による,MSG のマウス新生仔への注射による大過剰投与試験の結果から, ニクソン大統領の栄養問題担当顧問のメイヤーや, アメリカ食品医薬局 (FDA) によって, ベビーフードには使用しない方がよいとの勧告がなされた タイでも注目され,WHO が 1980 年に食品として使用される限り問題はないと保証するまで, しばらく尾を引くことになった (43) 前掲 味をたがやす,452 頁 (44) 当時タイ工場に出向中の筆者自身が担当して, ベトナム輸出向けの原料粗グルタミン酸の暫定生産をした (45) 前掲 味をたがやす,452 頁 (46) タイ味の素社が直接販売したのではなく, 流通経路の末端業者の動向であり, 当時の販売担当日本人出向者の推定量である (47) 前掲 味をたがやす,452 頁 (48) 同上,605 頁 (49) 同上,606 頁 (50) 同上,392 440 頁や, 野村マネジメント スクール [1985] 味の素株式会社多角化戦略 (1983 年 ) ( ビジネスケース ) に詳しい (51) 前掲 味をたがやす,609 610 頁 (52) 同上,609 頁や, 前掲 AJINOMOTO-A taste of the future,15 頁 (53) 前掲 AJINOMOTO-A taste of the future, 16 頁 (54) 平松茂実 [2009] タイにおけるモノづくり 野村重信 那須野公人編著 アジア地域におけるモノづくり経営 学文社,119 141 頁などを参照されたい (55) 長町隆 味の素, ベトナム強化 日経産業新聞 2006 年 6 月 7 日 (56)The Nikkei Weekly,2006 年 10 月 23 日や, 日経産業新聞 2006 年 10 月 5 日参照 山口範雄社長は味の素グループの BRICs 戦略を語り,MSG, リジンを中心としたアミノ酸が年産 13 万 t に達しているブラジルの輸出センターとしての役割を強調している (57) 前掲 AJINOMOTO-A taste of the future, 14 21 頁 (58)2007 年の訪問時のタイ味の素社の説明であるが, 5 年間 30 億円の範囲内で納税が控除され, 実質上建設投資が回収される (59) 味の素株式会社 [1996. 8] みらい,14 17 頁 (60) 前掲 味をたがやす,446 447 頁 (61) 同上,311 312 頁 (62)DBA Dorea Books and Art [January, 2006], Ajinomoto:50 years of Brazil, 42 45 頁 (63) 前掲 味をたがやす,446 447 頁 (64) 佐々木達 [2006] Ajinomoto do Brasil 1970 74 年 ブラジル味の素 50 年の歩み : 記念寄稿集 味の素株式会社サンパウロ事務所,47 48 頁 27

経営史学第 46 巻第 3 号 (65) 前掲 味をたがやす,441 頁 (66) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 57 58 頁 (67) 前掲 味をたがやす,446 447 頁 (68) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 61 頁 (69) 伊藤健吉 [2006] パウリスタは うまみ は好きだった 前掲 ブラジル味の素 50 年の歩み : 記念寄稿集, 20 24 頁 (70) 前掲 Ajinomoto:50years of Brazil, 71 89 頁 (71) 同上,72,85,89 頁 (72) アミノ酸や核酸の発酵生産は, 澱粉 糖系発酵原料費が原価パレートの 1 位にあるため, これら農産原料が農業保護のための厳しい輸入制限と高関税で保護されている日本国内では, グローバル競争の激化に伴い, 次第に事業として成り立たなくなった (73) 前掲 Ajinomoto:50years of Brazil, 89 91 頁 (74) 前掲 味をたがやす,448 頁 (75) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 75 頁 (76) 同上,55 57 頁や, 植木俊康 サンパウロ事務所 50 年史発刊について 前掲 ブラジル味の素 50 年の歩み, 56 59 頁参照 味の素社は1965 年設立の明星ラーメンに1972 年に資本参加し,1975 年には全株を取得した後, 日清食品に50 対 50での資本参加を要請し,1983 年に社名を改名して現在に到っている (77) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 75 79 頁や, 地球の裏に築いた王国 日経ビジネス 2006 年 12 月 18 日, 41 頁参照 (78) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 81 82 頁 (79) 同上,94, 103, 105 頁や, 日経ビジネス 2006 年 12 月 18 日,41 頁参照 (80) 前掲 Ajinomoto:50 years of Brazil, 103 107 頁 (81) 山本正樹 小山さんを偲んで 前掲 ブラジル味の素 50 年の歩み,110 111 頁 (82) 味の素株式会社 [2006. 10] あしたのもと Vo. 23,29 頁 (83) 日本経営史研究所 [1980] 70 年代の記録 味の素株式会社,13 16 頁, 長谷川正 [1982] 味の素の経営戦略 評言社,54 55 頁や, 前掲 味をたがやす,256,296 302,490 493 頁など (84) 前掲 (50) のほか, 野村総合研究所 [1981] 日本企業の世界戦略 野村総合研究所情報開発部,365 367 頁や, 前掲 味の素の経営戦略,49 58 頁など (85) 前掲 味の素株式会社多角化戦略 (1983 年 ),33 頁, および前掲 味の素の経営戦略,52 頁 (86) 栃尾雅也 味の素冷凍食品経営企画部長談 日経産業新聞 2006 年 4 月 14 日 (87) 味の素株式会社 [1996. 8] みらい: アジア特集,14 15 頁 (88) 味の素, ベトナムで合弁 日本経済新聞 1992 年 11 月 13 日 (89) 味の素, ベトナムで増産 日経産業新聞 1999 年 1 月 1 日 (90) 長町隆 味の素, ベトナム強化 日経産業新聞 2006 年 6 月 7 日 (91) 味の素株式会社 平成 19 年有価証券報告書総覧 [2007. 7],12 頁 (92) 味の素株式会社 第 130 期株主通信 [2008. 6],10 頁 (93) 前掲長谷川 味の素の経営戦略,194 198 頁 (94) 前掲 70 年代の記録,142 143 頁 (95) 小池弘 [1989] 味の素 WE 21 計画 ダイヤモンド社,50 頁 (96) 前掲 Ajinomoto:50years of Brazil, 82 頁 (97) 前掲小池 味の素 [WE 21] 計画,53 56 頁や, 前掲 味をたがやす,598 599 頁 28

論文 : 味の素株式会社の戦後のグローバル化経営 (98) 前掲 日本企業の世界戦略,362 363 頁や, 前掲 味をたがやす,468 頁 (99) 歌田勝弘 [1986] 味の素 の経営戦略 日本食糧新聞社,75 77 頁 (100) 前掲堀 味の素 : 食文化のクリエーター,48 50 頁 (101) 前掲 70 年の記録,143 頁 (102) 同上 (103) 田崎正巳 現地社員と現地幹部の育成は多国籍展開する企業に不可欠 週刊ダイヤモンド 2006 年 3 月 4 日号,114 115 頁 (104) 林吉郎 [1985] 異文化インターフェイス管理 有斐閣では, 異なる二国の組織文化を第一, 第二文化体とし, 両者に通じる組織文化の第三文化体の存在が, 異文化経営で両者の重要な連結役を果すとする (105) 平松茂実 [1998] 味の素インテルアメリカーナ社 ( 慶応ビジネススクール教材 ) に, 味の素ブラジル法人の現地幹部の配置と昇進が, 味の素株式会社 [2009] 挑戦者の系譜 : 味の素グループの百年,215 216 頁には海外法人全体の実態が, 示されている (106) 日本在外企業協会 [2000] グローバル経営における組織 人材戦略: 日本企業のあり方,101 102 頁や, 前掲長谷川 味の素社の経営戦略,47 75 頁など (107)Bartlett, C. A.,[1986], Building and Managing the Transnational :The New Organizational Challenge, in Porter, M. E.,(ed.), Competition in Global Industries. (108) 根本孝 諸上茂登編著 [1988] 国際経営の進化 学文社,80 91 頁 (109) 前掲吉原 国際経営論への招待 25 42 頁や, 安室憲一編著 [2007] 新グローバル経営論 白桃書房, 95 107 頁など (110) 前掲吉原 国際経営論への招待,32 33,41 頁など (111) たとえば前掲吉原 国際経営論への招待,41 42 頁 (112) 前掲 ( 9 ) 付記本稿は編集委員の橘川武郎先生はじめ匿名のレフェリーの諸先生より, 三度にわたる懇切丁寧な御指摘御教示なくしては完成していない 記して深く感謝申しあげます 29