7 枚中 1 枚目 1 5 表 3 表 3 人種と民族 内, 語族共通の言語から発達した, 同じ系統の言語を話す人々のこと 語族 の説明として不正確である 2 6 7 風土がはぐくむ人々の暮らし ( 全体 ) 学習指導要領に示す 内容 の (1) アの 歴史の舞台としての自然環境について 自然環境と人類の活動が相互に作用し合っていることに気付かせる に照らして, 扱いが不適切である 2(1) 3 24 表 表 人類の進化 中, 猿人 の項目中の ホモ = ハビリス ホモ = ハビリス を 猿人 と分類するのは不正確である 4 34 写真 写真 クレタ島のクノッソス宮殿の壁画 この写真の壁画が原画であると誤解するおそれのある写真である 3(3) 5 36 囲み 囲み 剣闘士 ( グラディアトル ) 内 ローマでは, ギリシアよりもいっそう徹底した奴隷制が発達し, 戦争捕虜が奴隷として大量に売買された 徹底した奴隷制 の意味が不明確で, 理解し難い表現である 3(3) 6 37 8 13 3 世紀末, ディオクレティアヌス帝は 専制君主政を実施した次のコンスタンティヌス帝も 帝国の再建につとめた 帝位継承に関して不正確である 7 40 図 図 十字軍の遠征路 中の第 6,7 回十字軍の進路 出航地をマルセイユとするのは誤りである 8 41 25 28 文学では, イギリスの アーサー王物語 やドイツの ニーベルンゲンの歌 などの騎士道物語が各地域の口語でひろまった 西ヨーロッパ中世の口語文学に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 9 42 図 図 前 20 世紀前後の民族の動き 中の ドーラヴィーラー ドーラヴィーラー が,43 ページ 5 目の ドーラーヴィーラー と表記が不統一である 3(4) 10 43 側注 側注 リグ = ヴェーダ 内, 先住民の征服の過程が描かれたバラモン教の聖典の一つ リグ = ヴェーダ の内容に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 2 枚目 11 44 図 図 クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝 中の ガンジス川 ガンジス川 の位置は, 誤りである 48 6 7 淮水を境界に, 黄河を中心とする北部と長江以南の南部にわかれる 淮水を境界としながら 南部 を長江以南としており, 理解し難い表現である 3(3) 13 50 6 8 従来の秩序は崩壊し, 周の後継者としての王を名のる国が複数あらわれ, 周辺の弱小国を従えた ( 封建 ) 封建制崩壊の記述のあとに ( 封建 ) と付されており, 理解し難い表現である 3(3) 図 中華帝国成立の過程 内, 嬴 嬴 は, 脱字である 14 50 図 3(2) 15 54 55 24 1 均田制の崩壊とともに自由な土地取引がおこなわれるようになった 均田制崩壊と当時の土地取引に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 16 55 2 3 藩鎮に運河をおさえられ, 唐は江南からの物資の供給をたたれて弱体化した 唐の弱体化の理由について誤解するおそれのある表現である 3(3) 17 55 図 図 王安石 内, 法治主義的なその精神は, 中国には根づかず, 彼が再評価されたのは近代以降であった 王安石の評価が低かった理由に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 18 56 19 21 日本はさらに隋, 唐に遣隋使 遣唐使を送り, 積極的に中国の文物を導入したが,9 世紀末には唐の衰退をみた菅原道真の意見でこれをやめ, 日本独自の文化が形成されていった 遣唐使停止後の日本文化について誤解するおそれのある表現である 3(3) 19 56 地図 地図 朝鮮半島の勢力のうつりかわり 内, 6 世紀ころ の中の 加耶 ( 任那 ) 加耶 ( 任那 ) について誤解するおそれのある表現である 3(3) 20 60 15 第 5 代フビライは, クリルタイによらず実力で大ハン位についたさらにオゴタイは, 金を滅ぼし, 金の首都であった現在の北京の地に新首都を建設し, これを大都と名づけ, 中国風の国号 オゴタイ及びフビライの業績に関して, 理解し難い表現である 3(3) の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 3 枚目 を元とした 21 63 写真 写真 歴代宝案 東恩納文庫写本 内, 福建省出身の中国人が那覇に寄留して記録した 歴代宝案 歴代宝案 に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 写真 グローブ グローブ は, 誤記である 22 66 写真 3(2) 23 75 写真 写真 フランシスコ = ザビエル 内, 商売上手で, 言葉などの面で現地にとけこもうとつとめる一面もあった 聖職者ザビエルの人格に関して理解し難い表現である 3(3) 24 76 側注 側注 主権国家 内, 明確な国境で囲まれ中央集権化された領土と, 独立の主権をもった近代国家のこと 主権国家について説明が不十分で誤解するおそれのある表現である 3(3) 25 81 囲み 囲み 歴史上の産物としての主権国家体制 内, 主権国家は明確に区切られた一定の 領土 国民 独立 の主権の三つをそなえるものとなっていった 主権国家の要素について誤解するおそれのある表現である 3(3) 26 91 写真 写真 鄭成功 内, 国姓爺合戦 国姓爺合戦 は, 誤記である 3(2) 27 104 図 図 ボストン茶会事件 内, インディアン (3 ページ囲み 涙の旅路 内も同様 ) 105 ページ 22 目などの 先住民 との関係が説明不足で理解し難い表現である 3(3) 28 108 側注 1 これが第 1 回対仏大同盟で第 2 回 (1799~1802), 第 3 回 (1813~1814 ) と対仏大同盟はその後何度か更新された 対仏大同盟に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 29 114 図 図 ラテンアメリカ諸国の独立 内, ハイチ 1804(1844) 及び ドミニカ 1804 ハイチ 1804(1844) 及び ドミニカ 1804 は, 不正確である の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 4 枚目 30 0 16 パリ = コミューンとよばれる社会主義的な自治政府を樹立した パリ = コミューンの性格を誤解するおそれのある表現である 3(3) 31 1 20 27 1877 年, ロシアは ロシア = トルコ ( 露土 ) 戦争をおこし, オスマン帝国をやぶってサン = ステファノ条約をむすび, バルカン地方を勢力下においたイギリスとオーストリアがこれに サン = ステファノ条約締結年とベルリン会議開催年を理解し難い表現である 3(3) 反対すると, 翌年, ビスマルクはベルリン会議をひらいて 32 132 写真 写真 ラクシュミー = バーイ像 内, 反乱に参加した中部インド藩王国の王女 王女 は不正確である マンディゴ語族系の諸部族 マンディゴ語族系 は不正確である 33 139 側注 2 34 141 31 32 軍隊の近代化のために欧米の技術を導入し ( 洋務運動 ), 清の再興をはかろうとした 洋務運動が軍事的側面でのみ展開されたかのように誤解するおそれのある表現である 3(3) 35 143 25 28 アメリカも 東アジアへの関心を強め,1899 年, 国務長官ジョン = ヘイが 門戸開放 と 機会均等 をかかげ, 翌年には中国の 領土保全 を提唱し, 中国分割に加わろうとした アメリカが中国分割に加わろうとしたかのように誤解するおそれのある表現である 3(3) 36 144 11 宗教結社の義和団は, 扶清滅洋 を唱え排外運動をおこした 義和団の性格について誤解するおそれのある表現である 3(3) 37 161 側注 3 1919 年には各国組織の連絡組織として, のちの国際赤十字赤新月社連盟が設立された 各国組織の連絡組織 は誤解するおそれのある表現である 3(3) 38 176 側注 1 ボスフォラス ダーダネルス両海峡の開放と国際管理が定められ, トルコ領はギリシアへの割譲などで縮小した財政も列強に監視され, 治外法権を認めさせた 理解し難い表現である 3(3) の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 5 枚目 39 177 囲み 囲み 西アジアの女性のヴェール 内, ムスリム女性のヴェール着用は隷属の表れか, イスラームへの帰属か, 自由な表現か, 現在でも問題になっている 2010 年にはベルギーやフランス でニカブやブルカの公共の場での着用禁止が法制化された 西アジアとベルギーなどとではヴェールに関する問題の性質が異なることが説明されず, 理解し難い表現である 3(3) 40 183 囲み 囲み 20 世紀前半の台湾 内, 皇民化運動によって, 創氏改名がおこなわれ, 日本的な名字が強制された 創氏改名 は, 誤りである 41 184 囲み 囲み 海の戦い 中, ヨーロッパ 内, 北方からヨーロッパをおそったノルマン人は, 喫水の深い大型の船で大量の軍馬も運んだ 喫水の深い は不正確である 42 186 側注 1 満洲事変からの連続性を考えて 十五年戦争 とよぶことも多いが, 中国ではふつう 抗日戦 という 抗日戦 は, 誤記である 3(2) 43 189 側注 6 なお,1941 年 2 月には日ソ中立条約がむすばれた 1942 年 2 月 は誤りである 44 190 5 9 同年 7 月には, 連合軍はシチリア島に上陸して南からイタリアを攻撃し, 翌 1944 年 6 月には大軍を北フランスのノルマンディーに上陸させ 8 月にはパリを解放した敗戦を続けたイタ ムッソリーニ失脚とイタリア降伏の時期に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) リアでは, ムッソリーニが失脚し, あとをついだバドリオ政権は,9 月に連合軍に無条件降伏した 45 190 9 11 東西から挟撃されたドイツも,1945 年 5 月にヒトラーが自殺し, ベルリンが陥落して無条件降伏した ヒトラーの自殺を 1945 年 5 月とするのは誤りである 46 191 16 連合国は各地で枢軸国との終戦条件や戦後秩序について会談し, 日本にも通告したが, 日本政府は回答をさけ続けたしかし,1945 年 8 月に米軍が広島と長崎に原子爆弾を投下し, その間に 終戦に至る過程が説明不足で理解し難い表現である 3(3) の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 6 枚目 ソ連も参戦するにいたって, 日本はついにポツダム宣言を受諾して無条件降伏し, アジアと太平洋における戦争も終結した 47 191 図 図 太平洋戦争関係図 内, 日本軍の最大進出線 (1942 年夏 ) 日本軍の最大進出線が不正確である 国際政治裁判所 (ICC) 国際政治裁判所 (ICC) は誤記である 48 193 33 3(2) 49 200 写真 写真 毛沢東 内, 中華人民共和国の建国のさい, 国家主席に就任した 国家主席 は不正確である 50 205 22 25 ニクソン政権は空爆を強化して戦争をラオス カンボジアにまで拡大したしかし,1973 年 1 月, パリでヴェトナム和平協定の締結を余儀なくされ, 米軍はインドシナから全面的に撤退した ニクソン政権の対ベトナム政策に関して誤解するおそれのある表現である 3(3) 51 206 16 1972 年, ニクソン米大統領が訪中し また, 同年, 日中共同声明により日本と中華人民共和国との国交が正常化し,1978 年には日中平和友好条約がむすばれたこれにより日米両国は, 日米両国と台湾政権との国交断絶の経過について誤解するおそれのある表現である 3(3) 台湾政権との国交を断絶した 52 207 22 24 1980 年には, ポーランドで民主的改革をめざす自主管理労組 連帯 がうまれ, 代表のワレサ ( 任 1990~95) が, 1989 年, 大統領に就任した ポーランド民主化の過程が説明不足で理解し難い表現である 3(3) 写真 オバマ 内, 第 45 代大統領 第 45 代大統領 は誤記である 53 217 写真 3(2) の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す
7 枚中 7 枚目 54 222 図 図 中国の自治区 内の, 北朝鮮 韓国間の境界線 両国間に国境があるかのように誤解するおそれのある表現である 3(3) 55 224 写真 写真 カストロとゲバラ 内, ゲバラ ( 右,1928~67) 右 は誤りである の欄には 義務教育諸学校教科用図書又は高等学校教科用図書の第 2 章及び第 3 章に掲げる項目のうち 該当するもののを示す