大 阪 教 育 大 学 紀 要 第 Ⅳ 部 門 第 62 巻 第 2 号 11 22 頁 (2014 年 2 月 ) 我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) J1 浦 和 レッドダイヤモンズ を 中 心 に さ 佐 とう 藤 よし あき いり ぐち 慶 明 * 入 口 ゆたか にし じま 豊 ** 西 島 よし のり 吉 典 *** * 大 阪 産 業 大 学 ** 保 健 体 育 講 座 *** スポーツ 講 座 ( 平 成 25 年 8 月 31 日 受 付 ) 1993 年 に10クラブからスタートしたプロサッカー JリーグもJ1 J2を 合 わせて40クラブに 増 加 し, 現 在 はJ3リーグ 結 成 が 計 画 されるまでに 発 展 した Jリーグの 誕 生 が, 日 本 選 手 のレベルを 格 段 に 引 き 上 げ, 日 本 代 表 チームの4 大 会 連 続 のワールド カップ 出 場 と 世 界 ランキング 上 位 に 躍 進 させる 原 動 力 となったことは 疑 う 余 地 がない しかし, 順 調 に 発 展 してきたかに 見 えるJ リーグ クラブ 各 チームにおいては, 個 別 には 経 営 上 の 様 々な 問 題 を 抱 えていることも 事 実 であり,それらの 問 題 の 克 服 なくして 今 後 の 大 きな 飛 躍 を 望 むことは 困 難 な 情 勢 にある 本 研 究 は,Jリーグ 所 属 全 チームの 中 でも 親 会 社 を 持 つクラブの 順 位 浮 上 のた めのマネジメント 上 の 問 題 点 を,J1 J2 各 1チームのクラブ 経 営 のトップであった 元 社 長,GMへのヒアリングを 中 心 に 事 例 的 に 明 らかにすることを 目 的 とする. 特 に 本 稿 では,J1チームの 中 でもトップクラスの 人 気 と 観 客 動 員 数 を 誇 る 浦 和 レッドダ イヤモンズ の 元 GMへのインタビューを 基 に,クラブ 経 営 トップから 見 た 経 営 上 の 実 情, 問 題 点,GMの 現 状 とあるべき 将 来 像 を 明 らかにする キーワード:プロサッカー,Jリーグ,クラブ 経 営, 浦 和 レッドダイヤモンズ Ⅰ 研 究 の 背 景 2010 年 のサッカー ワールドカップ 南 アフリカ 大 会 に, 日 本 代 表 チームは4 大 会 連 続 の 出 場 を 果 たした 決 勝 トーナメント1 回 戦 ではパラグアイにPK 戦 で 敗 れたものの,ベスト16という 好 成 績 を 残 した 2002 年 の 日 韓 共 催 大 会 においてもベスト16には 進 出 したが, 自 国 開 催 という 地 の 利 を 生 かしての 成 績 と 考 えれば, 今 回 の 結 果 が 日 本 代 表 の 真 の 実 力 と 言 えるだろう Jリーグ 創 設 初 年 度 の 日 本 代 表 チームのFIFAランキングは 43 位 であったが,2010ワールドカップ 後 では30 位 に 位 置 されている そして2011 年 11 月 時 点 で19 位 まで 上 昇 し ていることを 考 えると,Jリーグが 誕 生 して20 年 足 らずで 大 きな 進 歩 を 遂 げた 1993 年 にJリーグが 誕 生 したことは, 日 本 サッカー 界 に 多 大 なる 影 響 をもたらした それまでは 選 手 は 企 業 に 勤 めながらサッカーとの 両 立 を 図 っていたが,プロ 選 手 として 社 業 を 気 にすることなくサッカー 中 心 の 生 活 を 過 ごせる 環 境 に 整 備 されたことが, 日 本 選 手 のレベルを 格 段 に 引 き 上 げた 要 因 といえる また 芝 生 のグラウ ンドなどハード 面 での 充 実 や 指 導 システムの 確 立 など,サッカーを 取 り 巻 く 環 境 が 発 展 した 成 果 が 日 本 代 表 の 活 躍 に 結 び 付 いていると 言 えよう 日 本 サッカー 協 会 が 発 表 した JFA2005 年 宣 言 では, アクションプラン2015 と 題 して,2015 年 には 日 本 代 表 チームが 世 界 のトップ10のチームとなることを 宣 言 している そのためには 代 表 チーム 強 化 のため に, 選 手 強 化 の 根 本 をなす 国 内 最 高 リーグであるJリーグを 世 界 レベルに 発 展 させ 常 日 頃 の 試 合 を 通 じ, 選 手 の 能 力 を 高 める と 説 明 している 日 本 代 表 選 手 が 所 属 しているクラブで,リーグ 戦 を 戦 って 成 長 していくこ とが 日 本 代 表 の 強 化 に 直 結 する すなわちJリーグの 充 実 が 強 化 にとって 重 要 であると, 日 本 サッカー 協 会 は 考 えている Jリーグが 誕 生 して 早 や20 年 目 のシーズンを 迎 えている 1993 年 に10クラブからスタートしたJリーグも
12 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 2012シーズンにはJクラブが40クラブに 増 加 し,J2リーグと 日 本 フットボールリーグ(JFL)の 入 替 戦 が 実 施 されるまでに 拡 大 した 現 在 のJFLにはアマチュアクラブも 在 籍 しており, 今 後 は 優 良 クラブによるプ レミアリーグ 化 やJ3リーグの 設 置 など, 新 たな 展 開 も 考 えられている 図 1 日 本 サッカーリーグの 構 造 2012シーズンからFC 町 田 ゼルビアと 松 本 山 雅 FCが,J2リーグに 加 入 することが 決 定 した 両 クラブ 共 に 市 民 クラブから 発 展 したプロサッカークラブである これでJ2リーグが22クラブとなり, 日 本 サッカー 界 のピラミッド 構 造 が 完 成 したこととなる J1リーグを 頂 点 として,J2リーグ,JFL, 各 地 域 サッカーリーグ, 底 辺 に 各 都 道 府 県 リーグが 構 成 さ れている 日 本 サッカー 界 そのピラミッドには 様 々なクラブが 存 在 し, 一 つずつステージを 駆 け 上 っていけ ば,やがてJリーグ 参 入 も 可 能 となる ただJリーグへの 資 格 を 獲 得 するには,クラブの 法 人 化 を 図 り, 準 加 盟 が 承 認 されることが 前 提 である このFC 町 田 ゼルビア 松 本 山 雅 FCも, 市 民 クラブとして 各 リーグを 戦 い 抜 き, 準 加 盟 申 請 などプロ 化 を 目 指 して 努 力 した 末 のJ2リーグ 参 入 であった この2クラブの 他 にも 準 加 盟 申 請 しているクラブは 全 国 に3クラブ 存 在 (2011 年 12 月 現 在 )し,Jリーグ 参 入 へのチャンスを 狙 っている 2012シーズンからの 入 替 戦 の 実 施 により,さらにJリーグへの 窓 口 が 開 くことになる このピラミッド 構 造 は, 日 本 のスポーツ 界 ではサッカー 界 独 特 のスタイルといって 良 いだろう 元 来, 日 本 のスポーツ 文 化 を 支 えてきたのは,プロ,アマを 問 わず 企 業 スポーツであった プロ 野 球 を 筆 頭 にバレーボー ルのVリーグのチーム 名 にも 企 業 名 が 使 用 されている またバスケットボールには 日 本 リーグとbjリーグと いう 二 つのリーグに 分 裂 している 複 雑 な 状 況 にある また 各 リーグと 下 部 リーグとの 入 替 制 度 など 整 備 しなけ ればならない 点 が 多 い 日 本 における 他 の 競 技 スポーツ 団 体 の 背 景 を 考 えると,Jリーグは 成 功 している 好 例 と 言 えよう 今 後 のリーグ 構 想 については 日 本 サッカーの 進 化 を 期 待 できる 可 能 性 を 感 じるが,クラブを 経 営 する 側 から すれば 下 部 リーグへの 降 格 は 死 活 問 題 であることは 間 違 いない J1リーグからJ2リーグへの 降 格 であって も,メディア 露 出 の 減 少 によるスポンサーの 撤 退 や 観 客 動 員 数 の 減 少 という 経 営 の 根 幹 をなす 収 益 へのダメー ジは 計 り 知 れない ましてやJFLというプロとアマチュアの 混 在 するリーグへの 降 格 は, 選 手 の 流 出 や 収 入 面 の 激 減 によりクラブ 自 体 が 存 続 の 危 機 に 直 面 する 可 能 性 も 出 てくるであろう 現 状 に 甘 んじることなく, 変 革 し 続 けることによって 発 展 を 目 指 すことは 常 套 手 段 ではある しかしリーグ 創 設 20 年 足 らずで4 倍 のクラブ 数 となる 拡 大 路 線 を 採 っているJリーグに 対 して,Jクラブの 経 営 は 対 応 できているのであろうか? 最 終 的 に
我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) 13 Jリーグ 参 加 クラブを40クラブと 設 定 したことで,これからJリーグを 目 指 すクラブや 降 格 する 危 険 性 のある クラブ 経 営 に 更 なる 負 担 がのしかかっていくことが 予 想 される Jリーグ 創 設 直 後 におけるバブルの 功 罪 はある しかし,そのバブルが 去 ったことにより 日 本 サッカー 界 が 進 むべき 方 向 性 は, 地 域 密 着 というJリーグ 創 設 当 初 の 理 念 に 戻 ろうとしている サッカーだけではなく, 様 々なスポーツを 楽 しむことのできる 総 合 型 地 域 スポーツクラブ として 活 動 していく そしてクラブの 旗 頭 として,Jリーグで 活 動 していくことがJクラブの 理 想 である しかし 企 業 スポーツありきの 日 本 的 スポー ツ 風 土 に 総 合 型 地 域 スポーツクラブ が 定 着 していない 状 況 では, 未 だにJリーグ 中 心 の 経 営 に 頼 らなけれ ばならないのが 現 状 である Jリーグ 創 設 当 初 はヴェルディ 川 崎 という 人 気 クラブがあった 93 94シーズンと2 年 連 続 でリーグ チャ ンピオンとなり, 人 気, 実 力 ともにトップクラスのクラブであった しかし, 川 崎 市 から 東 京 への 本 拠 地 移 転 や 親 会 社 ともいうべき 読 売 グループの 撤 退 など, 強 さゆえの 企 業 の 都 合 による 地 域 を 軽 視 した 活 動 を 行 ってい た その 結 果, 東 京 ヴェルディへの 名 称 変 更 後 に2 度 の 経 営 不 振 に 陥 る 一 時 はJリーグの 管 轄 下 におかれ, JFLへの 降 格 の 噂 やクラブ 自 体 の 存 続 が 危 ぶまれるなど, 危 機 的 状 況 に 追 い 込 まれた 現 在 は, 当 時 のJ リーグ 事 務 局 長 が 社 長 に 就 任 し,J2クラブとして 健 全 経 営 を 目 指 している チームが 強 いに 越 したことはな いが, 地 域 を 無 視 した 活 動 を 続 けていればこのようにいつかはサポーターとの 関 係 に 大 きな 溝 を 作 ってしまう ことになる また 大 分 トリニータのように,2002ワールドカップ 誘 致 ありき,プロチーム 誕 生 を 渇 望 する 民 意 ではなく 行 政 による 立 ち 上 げもある ワールドカップ 誘 致 のために 作 られたクラブチームとスタジアムが 大 分 トリニータ の 原 点 である サポーターの 存 在 しないゼロからの 出 発 で,3 年 目 の1996 年 からJFLに 参 加 する そして 1999 年 のJ2リーグ 発 足 時 の10クラブに 入 った そして 大 分 でのワールドカップ 開 催 を 成 し 遂 げたその 年 に, J2リーグで 優 勝 しJ1リーグに 昇 格 する 2002 年 ワールドカップまでの 我 慢 と 思 っていた 協 賛 企 業 も, 官 か らのスポンサー 依 頼 に 対 して 不 満 を 積 もらせていくようになる そして2008 年 のナビスコカップで 優 勝 した 翌 年 にJ2リーグへ 降 格 した 降 格 の 決 まった2009 年 当 初 に 大 手 スポンサーの 撤 退 による 経 営 問 題 が 表 面 化 し, 社 長 が 引 責 辞 任 するなどクラブとしては 破 たんに 近 い 状 態 となった その 後,Jリーグの 公 式 試 合 安 定 開 催 基 金 などを 借 入 し, 債 務 超 過 の 解 消 に 務 めている 大 分 トリニータは, 設 立 当 初 は トリニティ と 名 乗 ってい た 語 意 は 県 民, 企 業, 自 治 体 が 連 環 する 三 位 一 体 である しかし 県 民 も 企 業 もクラブ 設 立 を 熱 望 してい なかったことが, 現 在 のクラブ 経 営 に 大 きな 影 響 を 及 ぼしている Jリーグを 目 指 してクラブを 立 ち 上 げ, 準 加 盟 登 録 したが 昇 格 できずに 解 散 したクラブもある 浜 松 市 を 本 拠 地 に 活 動 していたPJMフューチャーズが,1994 年 に 佐 賀 県 鳥 栖 市 に 移 転 した 同 時 に 準 加 盟 申 請 が 承 認 さ れ, 鳥 栖 フューチャーズとしてJリーグ 入 りを 目 指 した だがJリーグ 入 りにあと 一 歩 及 ばず,1996 年 末 にメ インスポンサーのPJMが 撤 退 を 表 明 したことにより 解 散 が 決 定 した これも 親 会 社 の 撤 退 によるクラブ 消 滅 の 一 例 だろう だがチーム 存 続 を 求 める 多 くの 署 名 が 集 まった 事 により, 新 たなクラブ サガン 鳥 栖 として 新 会 社 を 設 立 し,1999 年 のJ2リーグ 発 足 時 の10クラブとして 参 加 する そして2011 年 シーズンではJ2リー グで2 位 という 好 成 績 を 挙 げ, 念 願 のJ1 昇 格 を 果 たした クラブ 解 散 の 危 機 からサポーターの 後 ろ 盾 による 再 建 に 至 るサガン 鳥 栖 のようなケースは,Jリーグにとっての 好 例 と 言 えるであろう 一 方,クラブの 危 機 的 状 況 を 経 験 するまでには 至 らないが,いつまでもJ2リーグ 下 位 に 甘 んじていたり, 強 くなる 気 配 すら 感 じられないチームマネジメントを 行 っていれば,これもサポーターに 見 放 される 可 能 性 が ある 弱 くても 地 域 に 愛 されているクラブもあるが, 地 域 の 誇 れるビッグクラブ となることが 経 営 の 理 想 と 言 えよう このように, 欧 米 諸 国 に 比 肩 できる 組 織 化 を 図 り, 順 調 に 発 展 してきたかに 見 えるJリーグであるが,J1, J2 所 属 の 各 チームが 抱 えるチーム 経 営 上 の 問 題 点 は 山 積 しているのが 現 状 である そこで, 本 研 究 では,J リーグ 所 属 全 チームの 中 でも 親 会 社 を 持 つクラブの 順 位 浮 上 のためのマネジメント 上 の 問 題 点 に 焦 点 をあてて, Jリーグチームの 企 業 スポーツからの 自 立 に 着 目 して,チーム 経 営 のトップである 元 社 長,GMへのヒアリン グを 中 心 に 研 究 を 進 めることにした Jクラブのマネジメントの 研 究 ( 山 田,2009)は 複 数 存 在 するが, 社 長 やGMが 実 際 に 行 うマネジメントの 詳 細 に 関 する 研 究 ( 宮 崎,2007, 松 橋,2007など)は 少 ない
14 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 Ⅱ 研 究 の 目 的 方 法 1. 研 究 の 目 的 方 法 本 研 究 は,Jリーグ 所 属 全 チームの 中 でも 親 会 社 を 持 つクラブの 順 位 浮 上 のためのマネジメント 上 の 問 題 点 を,J1,J2 各 1チームのクラブ 経 営 のトップであった 元 社 長,GMへのヒアリングを 中 心 に 事 例 的 に 明 ら かにすることを 目 的 とする 1999 年 にJ2 降 格 という 危 機 的 状 況 を 経 験 し,その 後 アジアチャンピオン クラブワールドカップ3 位 に まで 上 り 詰 め,J1チームの 中 でもトップクラスの 人 気 と 観 客 動 員 数 を 誇 る 浦 和 レッドダイヤモンズ と, J2 昇 格 後 に3 年 連 続 最 下 位 を 経 験 して,2011 年 にJ1 昇 格 圏 内 にまで 成 績 を 上 げるも, 四 国 という 地 域 性 と チーム 運 営 面 や 観 客 動 員 数 にも 課 題 を 残 す 徳 島 ヴォルティス の 事 例 を 中 心 に 取 り 上 げる 当 時 の 強 化 責 任 者 であった2 名 の 方 にヒアリングを 行 い,それぞれの 問 題 点 を 肉 声 から 検 証 する 2.ヒアリング 対 象 者 (1) 浦 和 レッドダイヤモンズ 元 GM 中 村 修 三 氏 ( 現 日 本 サッカー 協 会 女 子 部 部 長 ) 経 歴 紹 介 2002 年 シーズンから2005 年 シーズンまで,ゼネラル マネジャーを 担 当 した 森 孝 慈 氏 のアシスタントとして 強 化 部 長 を 務 めた 森 氏 退 任 後 にGMに 就 任 し,クラブワールドカップで3 位 になったチームのマネジメント に 関 わった 現 在 は 日 本 サッカー 協 会 の 女 子 部 部 長 として,2011FIFA 女 子 ワールドカップ ドイツ 大 会 の 優 勝 に 貢 献 した なお, 浦 和 レッドダイヤモンズのGMを 務 めた 森 孝 慈 氏 には2011 年 3 月 にインタビューの 快 諾 を 得 たが, 東 日 本 大 震 災 のため 延 期 となった その 後, 森 氏 が 急 逝 されたので,その 当 時 森 氏 のアシスタントを 務 めた 後, 自 身 もゼネラル マネジャーに 就 任 した 中 村 修 三 氏 にヒアリングを 依 頼 した (2) 徳 島 ヴォルティス 前 社 長 高 本 浩 司 氏 経 歴 紹 介 同 志 社 大 学 サッカー 部 OBであり, 大 塚 製 薬 サッカー 部 でもキャプテンを 務 めた 徳 島 ヴォルティス 立 ち 上 げの 際 に 社 長 に 就 任 し,2004 年 9 月 から2008 年 まで 務 めた 3. 調 査 時 期 2011 年 2 月 から2011 年 8 月 にかけてヒアリングを 実 施 した 4.ヒアリング 内 容 チーム 強 化 のマネジメントを 中 心 に, 定 型 の 質 問 票 を 用 いず,その 場 の 話 の 流 れや 状 況 に 応 じて 臨 機 応 変 に 質 問 を 変 えて 収 集 していく 自 由 面 接 法 を 用 いて,ヒアリングを 進 めた 強 化 面 地 域 との 関 係 性 親 会 社 との 関 係 性 を 中 心 に 包 括 的 な 内 容 とした なお,ヒアリングの 内 容 に 関 しては 本 人 の 了 承 を 得 ている 本 稿 ( 第 Ⅰ 報 )では, J1 浦 和 レッドダイヤモンズ を 中 心 に 報 告 する Ⅲ J1 浦 和 レッドダイヤモンズ の 概 要 ここでは, 浦 和 レッドダイヤモンズのクラブホームページを 中 心 に, 概 略 を 説 明 する 1.クラブの 概 要 浦 和 レッドダイヤモンズは1993 年 から 加 盟 しており, 人 口 120 万 人 の 埼 玉 県 さいたま 市 をホームタウンとし, ホームスタジアムはワールドカップ 使 用 のためにサッカー 専 用 として 作 られた63,700 人 収 容 の 埼 玉 スタジアム と21,500 人 収 容 の 駒 場 スタジアムを 使 用 している 浦 和 レッドダイヤモンズ( 略 称 : 浦 和 レッズ)はクラブ 名 であり,もともとの 法 人 名 は 株 式 会 社 三 菱 自 動 車 フットボールクラブである 資 本 金 は16,000 万 円 (2011 年 現 在 )で, 株 主 は 三 菱 自 動 車 株 式 会 社 8,100 万 円 (50.63%), 埼 玉 県 800 万 円 (5.00%)さいたま 市 800 万 円 (5.00%)スポンサー 等 6,300 万 円 (39.37%)となって いる さいたま 市 は, 浦 和 市 と 大 宮 市 と 与 野 市 の 合 併 により,2001 年 5 月 に 成 立 した 政 令 指 定 都 市 である クラブ 名 に 都 市 の 名 称 を 付 けることがJリーグの 規 約 に 定 められているが, 大 宮 市 にもJクラブが 存 在 するために,
我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) 15 現 在 でも 浦 和 の 名 称 を 残 している クラブの 経 営 理 念 は 以 下 の 通 りである (1) 社 会 の 一 員 として 青 少 年 の 健 全 な 発 育 に 寄 与 する (2) 地 域 社 会 に 健 全 なレクリエーションの 場 を 提 供 する (3) 浦 和 から 世 界 に 向 けて 開 かれた 窓 となる また 浦 和 レッズにはJリーグ 屈 指 の 熱 狂 的 なサポーターが 存 在 する 元 来,サッカーが 盛 んな 土 地 柄 で, 高 校 サッカーでは 数 々のタイトルを 獲 得 していたこともあって,Jリーグ 発 足 が 決 定 するとJクラブの 誘 致 に 乗 り 出 すほどのサッカー 熱 が 高 い 街 であった ホームゲームでは 多 くのサポーターがスタジアムに 押 しかけ,スタンドを 真 っ 赤 に 染 めながら 熱 い 応 援 を 繰 り 広 げる 観 客 動 員 数 も 常 にリーグのトップを 走 っており,アウェイゲームでも 多 くのサポーターが 駆 け 付 け て, 時 にはホームチームのサポーターよりも 多 くの 人 員 を 動 員 してクラブを 応 援 する Jリーグ 開 幕 当 初 はサ ポーターという 耳 に 馴 染 まない 言 葉 を 概 念 として 植 え 付 け, 浦 和 レッズと 言 えば 強 烈 なサポーターという 印 象 を 与 えた J2リーグが 創 設 された99 年 に 降 格 してしまったが,それでもサポーターはJ1リーグ 同 様 に 応 援 し 続 けた J1からJ2に 降 格 すれば 観 客 数 は 大 幅 に 減 少 すると 予 想 されたが,1 試 合 平 均 で2 万 1000 人 から4000 人 程 度 減 の1 万 6923 人 の 観 客 を 動 員 した J1のクラブは 首 都 圏 に 多 く 存 在 するためサポーターの 移 動 は 比 較 的 短 距 離 で 済 むが,J2のクラブは 全 国 各 地 に 存 在 するためにアウェイで 応 援 するには 相 当 の 移 動 距 離 となる だが, サポーターはアウェイのスタジアムでもJ1 時 代 と 変 わることなく 声 援 を 送 り 続 けた J1の 施 設 に 比 べれば 貧 弱 なJ2のスタジアムに,アウェイ 側 スタンドを 多 くの 真 っ 赤 なサポーターで 埋 めつくす そしてホームサ ポーターを 圧 倒 するほどの 後 押 しを 行 い,クラブが1 年 でJ1に 復 帰 できるように 応 援 し 続 けた J1リーグ 復 帰 と 時 を 同 じくして,2002ワールドカップ 開 催 のために 埼 玉 スタジアムが 建 設 された 事 もあり, 駒 場 スタジ アムと 併 用 してホームゲームが 開 催 できるようになった この 頃 から 成 績 も 上 向 きになり,6 万 3000 人 収 容 の スタジアムも 満 杯 になっていった リーグ 優 勝 した2006 年 頃 からリーグ 戦 の 入 場 者 数 も1 試 合 平 均 で4 万 5000 人 を 超 え,2008 年 には4 万 7609 人 と 歴 代 最 高 平 均 観 客 動 員 数 を 記 録 した だが,2010 年 は3 万 9941 人 と 減 少 傾 向 にある ここ 数 年 は 減 少 傾 向 にあるといっても, 平 均 観 客 動 員 数 は4 万 人 弱 である 2 位 の 新 潟 が 約 3 万 人, 3 位 4 位 の 横 浜 FMとFC 東 京 が2 万 5000 人,そして 鹿 島 が2 万 1000 人 と2 万 人 を 超 えたクラブの 数 字 を 見 ても, 浦 和 レッズの 動 員 数 は 群 を 抜 いている 5 年 連 続 で 観 客 動 員 数 が1 位 となっている 事 でも, 浦 和 レッズ のサポーター 人 気 の 高 さを 表 している 2.クラブの 歴 史 クラブの 歴 史 については 表 1で 示 す 表 1 浦 和 レッズの 歴 史 年 内 容 1950 年 中 日 本 重 工 業 ( 本 社 神 戸 )サッカー 部 創 設 1952 年 新 三 菱 重 工 業 神 戸 サッカー 部 となる 1958 年 東 京 本 社 にサッカー 部 移 転 1964 年 三 菱 重 工 業 サッカー 部 となる 1990 年 三 菱 自 動 車 工 業 サッカー 部 となる 1992 年 三 菱 浦 和 フットボールクラブとなる 1996 年 浦 和 レッドダイヤモンズとなる 1965 年 から 参 加 している 日 本 リーグにおいての 成 績 は,2 部 降 格 の1シーズン(1990 年 )を 除 いて, 日 本 リーグ 優 勝 4 回,JSLカップ2 回, 天 皇 杯 4 回 という 素 晴 らしい 成 績 を 残 した 1978 年 には 日 本 リーグ JSLカップ 天 皇 杯 のすべてに 優 勝 し, 史 上 初 の 三 冠 を 達 成 した また 多 くの 日 本 代 表 選 手 も 輩 出 しており, 名 門 クラブの 一 つである
16 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 3.クラブの 戦 績 クラブの 戦 績 については 表 2で 示 す 表 2 浦 和 レッズ 戦 績 一 覧 監 督 年 間 順 位 1stステージ 2ndステージ ナビスコ 天 皇 杯 92 森 孝 慈 5 93 10 10 10 94 横 山 謙 三 12 12 11 95 オジェック 4 3 8 96 6 97 ケッペル 10 9 7 98 原 博 実 6 7 3 99 原 /ア デモス 15 13 14 00 斎 藤 和 夫 (J2) 2 01 チッタ/ピッタ 10 7 12 02 オフト 11 11 8 2 03 6 6 6 1 04 ブッフバルト 2 3 1 2 05 2 1 06 1 1 07 オジェック 2 08 オジェック/ゲルト 7 09 フィンケ 6 10 10 11 ペトロビッチ 15 2 Jリーグ 創 設 当 初 は, 絶 大 なるサポーター 人 気 に 支 えられつつも 最 下 位 が 定 位 置 であった ワールドカップ を 経 験 した 元 ドイツ 代 表 など 多 くの 外 国 人 選 手 を 獲 得 するが,チームとして 機 能 せず2 期 連 続 で 最 下 位 となっ た その 後, 外 国 人 監 督 の 招 へいによって 順 位 を 中 位 に 上 げるまでに 至 った しかしチーム 力 の 安 定 感 が 無 く 上 位 に 食 い 込 むことが 出 来 ず,J2が 設 立 された7シーズン 目 にはとうとうJ2に 降 格 してしまった 翌 シー ズンのJ2リーグでは2 位 となり,1 年 でJ1に 復 帰 を 果 たす J1 復 帰 1 年 目 の2001 年 シーズンでは,J2 での 勢 いに 乗 って 上 位 進 出 を 目 指 したが, 成 績 が 振 るわずに10 位 となった 当 時 の 塚 本 社 長 はクラブを 改 革 する 必 要 性 を 感 じ,2002 年 シーズンを 迎 えるにあたり, 森 氏 にゼネラル マ ネジャーを 要 請 した ここから 浦 和 レッズの 黄 金 期 を 迎 えることになる 森 ゼネラル マネジャーは 浦 和 レッ ズの 将 来 を 見 据 え, 何 人 かの 監 督 候 補 者 から 日 本 の 複 数 クラブや 日 本 代 表 で 指 揮 を 執 った 経 験 をもつハンス オフト 氏 を 監 督 に 招 いた 基 本 の 反 復 を 重 視 するオフトは 就 任 1 年 目 でチームをナビスコカップの 決 勝 に 導 い た 初 進 出 した 決 勝 では 敗 れてしまい, 初 のタイトルを 獲 得 には 至 らなかったものの, 若 手 の 台 頭 もありチー ムは 着 実 に 成 長 を 遂 げた 翌 2003 年 シーズンにはJリーグで 中 位 にランクが 上 がり, 前 年 に 続 いて 決 勝 進 出 を 果 たしたナビスコカップではクラブ 創 設 初 となるタイトルを 獲 得 した 2004 年 シーズンに 元 ドイツ 代 表 でクラブOBでもあるギド ブッフバルト 氏 が 監 督 に 就 任 すると, 在 籍 中 の 3 年 間 でJリーグは2 位 2 位 優 勝,ナビスコカップは2 位 3 位, 天 皇 杯 は2 連 覇 と 常 に 優 勝 争 いをする チームに 成 長 した そして2007 年 シーズンにはAFCアジアチャンピオンリーグで 優 勝 を 飾 り,FIFAクラブワールドカップ に 日 本 のクラブとして 初 めて 出 場 し,3 位 を 獲 得 した そのシーズンではJリーグも2 位 となり, 熱 狂 的 なサ ポーターと 共 に 浦 和 レッズは 名 実 ともに 日 本 のビッグクラブに 成 長 していった その 後, 監 督 やゼネラル マネジャーの 交 代 などチーム 首 脳 陣 の 交 代 劇 が 続 き,チーム 成 績 が 下 降 気 味 にな
我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) 17 り 観 客 動 員 の 減 少 傾 向 も 見 られる それに 伴 い,Jクラブ 内 では 常 に 興 業 収 入 のトップを 走 っていたが,2010 年 シーズンは 赤 字 に 転 落 してしまった 2011 年 シーズンではシーズン 途 中 の9 月 にGMが 解 任 され, 残 り5 試 合 を 残 して 監 督 を 交 代 させた 最 終 的 に15 位 で 残 留 したものの, 降 格 ラインぎりぎりの 成 績 でシーズンを 終 えた この 最 大 の 原 因 は5 年 間 で 監 督 が 5 人, 強 化 担 当 者 も4 人 と,チームの 根 幹 をなすグラウンドレベルの 舵 取 り 役 が 変 わる 状 況 にあったと 言 えよ う Ⅳ J1 浦 和 レッズ 元 GMのヒアリング 内 容 アジア チャンピオン,クラブワールドカップ3 位 という 時 代 を 頂 点 と 考 えれば, 現 在 の 浦 和 レッズのチー ム 状 況 は 下 降 線 にあると 言 える ここでは,その 頂 点 に 向 かうまでのマネジメントについて 元 GMの 中 村 修 三 氏 のヒアリングを 基 に 検 討 していく 1. 責 任 者 (マネジャー)について Q1 : 前 GM 森 さんはどういう 経 緯 でGMに 就 任 されたのですか? 今 までのレッズの 強 化 策 は 行 き 当 たりばったりでした その 時 だけ, 目 先 だけっていう 判 断 をされていたと 思 います 後 から 森 さんに 聞 いたのですが レッズの 憲 法 を 作 ってくれ と 塚 本 社 長 ( 当 時 )に 言 われたそう です 3 年 間 という 時 間 を 与 えるから, 土 台 となるベースを 構 築 して 優 勝 するようなチームを 作 ってくれ と そして 塚 本 社 長 が 3カ 年 計 画 をサポーターに 向 けて 発 信 しました それを 森 さんが 当 てはめていった ということです このようなメッセージをクラブとしては 初 めて 出 しました サポーターもそれを 良 いように 受 け 取 ってくれて, 3 年 かけてチームを 作 るのであれば, 俺 たちも 我 慢 しよう と 一 緒 になって 同 じ 方 向 に 向 かって 行 きました 全 員 がと 言 う 訳 ではないでしょうが, 同 じ 方 向 に 向 かえたことが 良 かったと 思 います 2. 人 事 関 係 (フロント スタッフ 選 手 )について Q2 : 監 督 人 事 はどのようにされたのですか? それに 関 しては 森 さんが 担 当 されていました 強 化 部 の 会 議 で 山 道 ( 現 強 化 部 長 代 行 兼 GM 代 行 )も 同 席 し ていましたが,オフトと 名 前 は 忘 れましたが 実 績 のある 人 のどちらが 監 督 として 良 いかを 森 さんに 聞 かれまし た そこでみんなはオフトが 良 いと 言 ったと 思 います 私 自 身 も 良 く 知 りませんでしたが, 代 表 監 督 時 代 も アイコンタクト や トライアングル など 基 本 的 なことを 繰 り 返 していたと 思 います ですからベースを 作 るという 点 では, 育 成 型 の 監 督 がレッズには 合 っていたと 感 じました その 場 で 森 さんはオフトに 携 帯 電 話 で 直 接 連 絡 を 取 り,オフトも 非 常 に 興 味 がある と 伝 えてきました その 日 から 一 日 二 日 はあったと 思 い ますが, 彼 が 一 つだけ 要 求 してきたことは 一 人 だけ 自 分 が 選 んだコーチを 連 れていきたい それがヨンセ ンでした そこでクラブの 方 向 性 が 明 確 になりました オフト 氏 が 来 た 時 は,そのシーズンの 選 手 が 先 に 決 まっていましたから,オフトが 選 んだ 選 手 は 翌 年 からで したね 日 本 人 は 都 築 と 山 瀬 の 二 人 だったかな その 選 手 たちがフィットして03 年 のナビスコカップで 優 勝 し ました 02 年 に 決 勝 で 敗 れて 翌 年 に 優 勝 出 来 た タイトルを 取 ったのが 初 めてでしたね Q3 : 観 客 動 員 数 など 経 営 面 を 背 景 にして, 監 督 を 選 ぶということはあるのですか? ギド(ブッフバルト)なんかはその 典 型 だと 思 いますね またタイミングが 良 かったのは,ワールドカップ で 埼 玉 スタジアムができてレッズが 強 くなってと,ちょうどリンクしていましたね 駒 場 では 観 れないから 埼 玉 スタジアムに 行 きましょうという 流 れを 作 ることができました 観 客 動 員 が 増 えたのは 埼 玉 スタジアムのお かげですね 駒 場 では 二 万 人 ですから,レッズが 大 きくなっていったのは, 埼 玉 スタジアムが 大 きいですね ですから 犬 飼 ( 元 社 長, 前 日 本 サッカー 協 会 会 長 )さんはそこを 見 据 えていたと 思 いますよ Q4 : 前 GM 森 さんは 契 約 更 改 の 現 場 に 顔 を 出 されていましたか? そこは 強 化 部 の 人 間 の 仕 事 でした クラブの 考 え 方 としてGMである 森 さんは 担 当 しませんでした 私 が
18 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 GMになった 時 も 山 道 など 強 化 部 の 人 間 が 担 当 していました 契 約 に 関 する 会 議 にGMは 出 席 します また 契 約 交 渉 の1 回 目 はねぎらいの 意 味 もあって 顔 を 出 しますね 今 年 はおつかれさん という 感 じで 来 年 度 は このように 考 えている という 説 明 したり, 契 約 更 新 しない 選 手 も 居 ますからね そして あとは 契 約 の 中 身 になるので,そこは 担 当 者 に 話 してくれ と そういう 部 分 を 森 さんは 非 常 に 大 事 にされていたと 思 います また 現 場 への 関 わり 方 として, 当 時 は 選 手 を 補 強 することでチームが 強 くなるという 考 え 方 が 強 かったので, 外 国 人 選 手 に 関 しては 森 さんが 担 当 されていました オフトも 顔 が 広 いので,オフトがリストアップした 選 手 をリサーチして, 実 際 に 脚 を 運 んで 見 に 行 ってということを 森 さんが 全 て 行 っていました 地 味 な 選 手 ばかり でしたが, 外 れた 選 手 は 居 なかったように 思 います 日 本 人 に 関 しては 我 々やスカウトを 含 めて 強 化 部 が 行 っ ていました 当 然, 森 さんも 絡 んでくるんですが, 国 内 に 関 しては 我 々 強 化 部 が 担 当 です 大 事 な 時 は 森 さん にも 来 てもらいましたね ですから 海 外 に 関 しては 森 さんが 中 心 で, 国 内 は 強 化 部 とスカウトという 構 図 でし た 3.マネジャーの 業 務 について (1) 現 場 との 関 係 Q5 :マネジャーとして 現 場 への 関 与 は? 森 さんは 現 場 に 口 を 出 すことは 絶 対 に 無 かったと 思 います その 分 だけ 監 督 であるオフトとのコミュニケー ションを 緊 密 に 行 っていました お 互 いタバコが 好 きだったから,タバコ 会 談 みたいなことをされていました よ 監 督 がギドに 代 わったときも,クラブとしては 積 極 的 に 補 強 をしていましたから,その 先 陣 として 森 さんは 活 躍 されていましたね 森 さんはオフトの 時 も 関 係 は 良 好 でしたし,ギドとも 同 様 でした (2) 経 営 との 関 係 Q6 :GMとして 現 場 以 外 の 経 営 面 との 関 係 は? 森 さんはGMということではなくて,ああいう 人 柄 だから 地 元 の 方 々に 顔 を 出 してもらうといったことや サッカー 関 係 者 や 行 政 だとかスポンサーなど,そういう 部 分 のお 付 き 合 いにも 入 っていただきました 結 果 的 には 直 接 のお 金 の 対 応 では 無 いにせよ,そういう 部 分 に 繋 がっていきましたね 森 さんは 代 表 監 督 やレッズの 監 督 だったということで 顔 も 知 れ 渡 っていましたし,そういう 方 々とのお 付 き 合 いも 相 当 広 かったですね 私 のGM 時 代 とは 比 較 にならないほどですね 年 齢 も 年 齢 でしたし 森 さんのキャラクターを 活 かして,クラブ の 色 々なところに 顔 を 出 していただきました Q7 :オフト 体 制 2 年 目 の 時 に 犬 飼 氏 が 社 長 に 就 任 され,3 年 計 画 の 途 中 でありながら 社 長 自 らギドにオ ファーを 出 したと 伺 ったのですが そうですね そのことを 聞 いた 森 さんは 辞 任 するつもりだったと 思 います オフトと 心 中 する 覚 悟 だった んでしょう 森 さんは 辞 めるって 口 には 出 されていませんでしたが, 身 近 にいた 私 たちには 分 かりましたね ちょっとした 発 言 で いろんな 人 たちが 止 めたと 思 うんですが, 森 さんは 辞 めるつもりだったんでしょうね そのようになった 経 緯 であったり,オフトに 対 しての 思 いやりであったり オフトもおそらく 辞 めたらだ めだよ って 言 ったと 思 います Q8 : 観 客 動 員 数 などGMは 気 にされるのですか? 経 営 としては 気 にするでしょうね しかし 現 場 のトップチームが 輝 くことが 観 客 動 員 数 やスポンサー 獲 得 に つながるという 考 え 方 でしたので, 優 勝 することで 連 動 していくと 考 えていました (3) 親 会 社 との 関 係 Q9 : 前 GM 森 さんが2005 年 に 退 任 されて 後 任 に 中 村 さんが 就 任 されていますが, 成 績 が 良 かったので 2006 年 も 担 当 されることは 無 かったんですか? 森 さんはGMという 立 場 で 契 約 されていましたが, 実 は 役 員 もされていました 三 菱 自 工 の 役 員 のルールで 辞 めなければならなかった ですから 犬 飼 さんや 横 山 謙 三 さん( 元 監 督, 当 時 役 員 ), 森 さんが 一 緒 にお 辞 め になりましたね
我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) 19 Q10 : 現 在, 浦 和 レッズは 潤 っている 方 ですよね 現 在, 三 菱 自 工 から 橋 本 氏 が 社 長 に 就 任 されていますが, 三 菱 自 工 の 介 入 はどれくらいあるのでしょうか? 以 前 Jクラブの 強 化 の 方 から, 親 会 社 から 補 てんしてもらっ ているという 話 を 聞 きました 三 菱 自 工 はあるのですか? 年 間 3 億 円 程 度 でした 損 失 補 てん 方 式 というやり 方 がありますね おそらく 他 のJクラブは 赤 字 が 出 れば 親 会 社 が 補 てんするという 方 法 を 採 っているんだと 思 います 浦 和 レッズも2005 年 までその 方 式 を 行 っていま した そこで 犬 飼 さんが 社 長 に 就 任 して,その 方 式 を 辞 めました そしてユニフォームに 広 告 を 出 す 費 用 対 効 果 として3 億 円 程 度 と 決 めました それぐらいの 価 値 だろうと 判 断 した 結 果 です それは 三 菱 自 工 の 介 入 を 少 しでも 減 らすための 措 置 でした, 独 立 するために しかし 結 果 的 にはそうならなかった お 金 は3 億 円 程 度 で すが, 株 を50% 以 上 三 菱 自 工 が 保 持 しているので 人 事 権 を 握 っています ですから 三 菱 自 工 の 介 入 はあります ね Q11 : 犬 飼 さんは 独 立 したビッグクラブを 目 指 そうとしたのですね 変 えきれなかったということでしょうね 私 も 含 めて 藤 口 さん( 前 社 長 )も 森 さんも 横 山 さんも 犬 飼 さんも 三 菱 自 工 ではありますが,サッカーOBですよね 今 レッズに 出 向 しているのはサッカーを 知 らない 人 ばかり ですね 私 は 役 員 では 無 かったけれど, 藤 口 さんや 森 さんなど 経 験 者 が 役 員 になっていました しかし3 年 前 から 誰 もいなくなりましたからね ですから 経 験 者 が 役 員 に 入 っていればいいのですが,この3 年 間 は 三 菱 自 工 のサッカーを 知 らない 人 が 来 て, 任 期 が 終 わればまた 新 しい 人 が 来 るんです (4) 地 域 との 関 係 Q12 : 地 域 に 対 する 活 動 については? 基 本 的 に 選 手 は 出 さなかった そこはクラブ 事 情 もあると 思 いますね 一 番 の 貢 献 は 地 元 で 試 合 を 行 い, 良 い 試 合 をする そして 勝 つということが 一 番 の 地 域 貢 献 だと 考 えていました 私 たちの 時 はそういう 認 識 で 活 動 していましたし, 絶 対 に 出 さないってわけじゃないですけれどその 様 にしていましたね それが 今 になって, 観 客 が 少 ないからレッドボルテージに 選 手 を 店 員 で 出 すっていうのもねえ でも 少 しでもお 客 さんに 来 てもら う,グッズを 少 しでも 売 ると 言 うのなら 私 もそうした 方 が 良 いと 思 います でももっと 先 を 見 据 えた 強 化 をす る 方 が 大 事 なんじゃないかなと 思 います でもお 客 さんあってのことですから,お 客 さんを 呼 ぶための 地 道 な 活 動 が 大 事 ですよね 昔 はチケットが 売 れているけれどスタジアムに 来 ないお 客 さんに 連 絡 を 取 って 他 へ 回 す 活 動 をしていました それを 行 っていた 人 がJFAハウスの9 階 にいる 佐 藤 ( 仁 司 )さん サポーターズクラブを 作 ったのも 佐 藤 さん ああいう 人 が 居 なくなって 寂 しいですね,サポーターの 前 に 行 って 色 々と 説 得 したり, 夜 な 夜 な 足 を 運 んで 話 したりしてい たのはあの 人 でしたね 4.GMの 現 在 像 と 将 来 像 (1)GMの 現 在 像 Q13 :ゼネラルという 名 称 ですから, 基 本 的 に 社 長 が 行 うべきだと 思 いますが? 日 本 のGMと 世 界 のGMとの 違 いは, 日 本 はお 金 を 稼 ぐという 面 はあまり 気 にしませんね 本 当 の 意 味 での GMは,ゼネラルですからお 金 を 儲 けることも 含 めて 選 手 の 獲 得 などにいくら 使 えるという, 全 体 を 把 握 した うえで 強 化 を 図 るということですよね だから 日 本 のGMは 強 化 のみですね Q14 :ということはビジネス 面 のマネジャーがいて, 強 化 担 当 のマネジャーがいてというスタイルが 日 本 流 ですね? その 通 りですね 日 本 のサッカー 文 化 がそういうカタチで 進 んできたから,そういう 流 れになっていますね 最 近 はJFAのGM 講 座 などがありますから, 少 しは 変 化 してきているとは 思 いますが Q15 :ではビジネス 面 と 強 化 面 はどのようにリンクしているのでしょうか? 難 しい 質 問 ですね 私 が 古 いからかも 知 れませんが,サッカーに 精 通 していて 経 営 にも 嗅 覚 のある 人 が 担 当 するべきだと 思 いますね 森 さんはそうだったと 思 いますよ 三 菱 重 工 などで,そういう 経 験 をされていまし たから Q16 : 日 本 代 表 のマネジメントもされてましたね
20 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 そうですね,そういう 発 想 をお 持 ちでしたよね 今 は 過 渡 期 と 言 いますか,そういう 講 座 も 開 講 されている ので, 将 来 的 にはそういった 人 材 が 増 えてくるとは 思 いますけれど これまではそういうものも 無 かったし, GMという 役 職 もとりあえずは 名 前 だけという 感 じでしたね 今 はチームによってもバラバラですし,GMだ けじゃなくて 強 化 部 長 や 本 部 長 という 役 職 もありますから いずれそういったGMという 名 の 付 く 人 はクラブ ライセンス 制 度 に 入 ってくるでしょうね (2)GMの 将 来 像 Q17 : 日 本 のサッカー 界 では,GMという 名 前 の 方 が 現 場 に 顔 を 出 しやすいイメージがあるのですが 介 入 と 言 うと 語 弊 がありますが, 強 化 部 長 という 肩 書 よりも 現 場 に 近 いようなイメージがあります そういうこともあるかも 知 れませんね ただ 強 化 部 長 がグラウンドに 立 とうがGMが 立 とうがやっているこ とは 同 じなんですよ ただ 選 手 獲 得 とかにおいては 強 化 部 の 方 が 動 くんです ですから 責 任 を 取 るためにGM を 置 いている 可 能 性 はあります また 育 成 や 普 及 があるので, 全 てを 見 るうえでGMが 必 要 になるんだと 思 い ます 統 括 ということで 強 化 する 部 長 がいてスカウト 部 長 がいるのなら,GMという 名 前 はともかくとして, 統 括 する 人 が 組 織 には 必 要 になるでしょうね ですから 強 化 だけに 関 して 言 えばGMとかぶってしまいますね Q18 :そうなりますと,トップチームをメインとする 強 化 があって,そこに 育 成 とスカウトがリンクする それを 統 括 する 人 がGMということでしょうか? そうなりますね そこに 関 しての 責 任 者 がGMで, 一 方 で 事 業 を 統 括 する 人 がいて 社 長 の 下 につくというこ とですね それが 日 本 のスタイルだと 思 います Q19 :では 海 外 は 違 うのですか? 違 うんじゃないですか? 私 は 知 りませんが, 海 外 は 事 業 も 含 めてマネジメントしていくんじゃないですか Q20 : 海 外 のGMは 社 長 のイメージが 強 いと 思 っているのですが, 日 本 スタイルはあってもいいと 思 います 言 い 方 は 良 くないのですが, 社 長 を 切 るよりもとりあえずはGMを 先 に 切 った 方 が 対 面 的 にもいいとは 思 うの ですが それはありますね 全 部 のクラブではありませんが 親 会 社 というものがあって, 社 長 のポジションに 出 向 が ありますから そこが 日 本 オリジナルになるんですよ Q21 : 現 在 違 うところの 空 気 を 吸 われていますが,もう 一 度 GMを 担 当 するとしたら,どういう 施 策 を 行 い ますか? やはりトップチームが 輝 かなければ,お 客 さんも 来 ないしスポンサーも 集 まらないと 思 っているので, 現 場 の 強 化 と 華 のある 選 手 を 取 るという 作 業 をしますね 並 行 して 育 成 普 及 をやらなければなりませんが,トッ プチームが 輝 かなければ 駄 目 だと 思 います 私 が 意 を 強 くしたのも, 今 回 のなでしこジャパンの 活 躍 があって, 女 性 で 日 本 国 民 がこれだけ 盛 り 上 がるっていうことを 見 たので,その 思 いが 更 に 強 くなりました 女 子 でもこ んなに 盛 り 上 がるんですから, 普 及 はこれからですけれど やっぱり2 位 じゃ 駄 目 なんですよ 1 位 にならな いと 2 位 ではここまでにならないですよ 優 勝 してプラスαのことが 出 てきますよ,あとは 内 部 の 問 題 です が, 同 じ 方 向 性 を 持 った 集 団 で 戦 わないといけない 方 向 性 というのは, 優 勝 という 目 標 をみんなで 共 有 して いくことですね 今 のレッズにはレッズ 愛 みたいなものが 感 じられませんね そこが 一 番 大 事 です さきほどお 話 しした 三 菱 自 工 から 来 た 社 長 とかにはレッズ 愛 が 感 じられにくい レッズのサポーターはそういう 部 分 を 大 事 にしますか ら Q22 :そこでGMのような 人 が 強 烈 なレッズ 愛 を 出 せば,クラブは 変 わってくるってことですか? 間 違 いなく 変 わるでしょうね そういうリーダーがいないんですよ リーダーがスタッフとかを 同 じ 方 向 に 持 っていくんですよ 本 来 なら 社 長 がすればいいんですが, 社 長 はそこまで 強 化 の 事 は 分 かっていないから だからGMなんでしょうね 1 年 後 2 年 後 はこういうチームになるから 一 緒 にやろうよ, 今 は 厳 しいけ ど って 言 う 一 言 が 大 事 になるんですよ 以 上 のことから, 今 回 研 究 対 象 とした 浦 和 レッズのような 首 都 圏 クラブにおいては,マーケットの 規 模 が 大 きいため, 社 長 の 下 にGMを 置 いてチームマネジメントを 行 う 手 法 が 適 切 であることが 分 かった また,クラ
我 が 国 のプロサッカークラブの 経 営 に 関 する 事 例 的 研 究 (Ⅰ) 21 ブに 対 して 親 会 社 が 経 営 に 関 与 している 場 合, 親 会 社 から 社 長 として 出 向 してくるケースが 多 く,サッカーに 関 しての 造 詣 の 薄 い 人 物 が 社 長 のポジションに 就 く 場 合 は,サッカー 経 験 者 をGM 職 に 配 置 することでフロン トと 現 場 の 橋 渡 しがしやすい 事 実 も 明 らかとなった 最 終 の 決 定 権 は 社 長 にあるが, 現 場 を 預 かる 監 督 の 言 い 分 をGMがクラブの 考 えと 照 らし 合 わせて 協 議 した 結 果 について 社 長 が 判 断 し,そして 社 長 自 らがクラブ 全 体 の 最 終 責 任 をとる 形 が 理 想 的 と 言 えよう 引 用 参 考 文 献 アルフレッド ヴァール: 遠 藤 ゆかり 訳, 大 住 良 之 監 修 (2002)サッカーの 歴 史. 創 元 社. 祖 母 井 秀 隆 (2010) 監 督 を 決 める 仕 事.ダイヤモンド 社. 浦 和 レッドダイヤモンズHP.http://www.urawa-reds.co.jp/club/ 季 刊 サッカー 批 評 18(2003) 大 分 トリニータ, 官 主 導 の 結 実 と 今 後. 双 葉 社. 木 村 元 彦 (2010) 大 分 トリニータの15 年 社 長 溝 畑 宏 の 天 国 と 地 獄. 集 英 社. 後 藤 健 生 (2002) 日 本 サッカー 史 代 表 編. 双 葉 社. 妹 尾 陽 子 (2005) 地 域 のJクラブという 起 爆 剤.Training Journal March 2005:3. 玉 木 正 之 (1999)スポーツとは 何 か. 講 談 社 現 代 新 書. 忠 鉢 信 一 (2001) 進 化 する 日 本 サッカー. 集 英 社 新 書. 徳 島 ヴォルティスHP.http://www.vortis.jp/clubinfo/index.html 西 野 努 (2008)なぜ, 浦 和 レッズだけが 世 界 に 認 められるのか. 東 邦 出 版. 日 本 オリンピック 委 員 会 HP.オリンピックメモリアルvol.3. http://www.joc.or.jp/memorial/20080612.html 日 本 サッカー 協 会 HP.http://www.jfa.or.jp/dream/index.html 広 瀬 一 郎 (2004) Jリーグ のマネジメント. 東 洋 経 済 新 聞 社. 松 橋 崇 史 (2007) スポーツ 組 織 マネジメントにおける 地 域 コミュニティ 戦 略.スポーツ 産 業 学 研 究. Vol.17,No.2:39-55. 宮 崎 純 一 (2008) 日 本 企 業 による 欧 州 サッカークラブ 経 営 の 事 例 研 究. 青 山 経 営 論 集. 第 42 巻. 第 4 号 : 140-151. 山 田 耕 生 (2009) プロサッカークラブの 本 拠 地 におけるサッカーのまちづくり: 浦 和 レッズとさいたま 市 浦 和 地 域 の 事 例. 共 栄 大 学 経 営 論 集, 第 7 号 :107-121. 吉 田 誠 一 (2011) クラブ 経 営 厳 しく 審 査. 日 本 経 済 新 聞 2011 年 5 月 31 日 ( 火 ) 朝 刊. 米 田 豊 彦 (2005) 官 主 導 で 立 ち 上 げJ2 参 戦 を 実 現. 月 刊 体 育 施 設.2005-01. FIFA. HP.http://www.fifa.com/worldranking/rankingtable/index.html J GOALオフィシャルニュース.http://www.jsgoal.jp/official/00021000/00021656.html Jリーグ 公 式 サイト.http://www.j-league.or.jp/aboutj/jleague/aboutjleague.html Jリーグ 将 来 構 想 委 員 会 第 一 回 報 告 J2リーグの 将 来 像. http://www.j-league.or.jp/pdf/futureofj2_060321.pdf JリーグニュースVol.100.http://www.j-league.or.jp/document/jnews/100/04.html 2011 J.LEAGUE PROFILE. 社 団 法 人 日 本 プロサッカーリーグ.
22 佐 藤 慶 明 入 口 豊 西 島 吉 典 A Case Study of Management of a Professional Football Club in Japan(Ⅰ) Focus on a Case of the Urawa Red Diamonds (J1) SATO Yoshiaki * IRIGUCHI Yutaka ** and NISHIJIMA Yoshinori *** * Osaka Sangyo University, Dito City, Osaka 574-8530, Japan ** Department of Health and Physical Education, Osaka Kyoiku University, Kashiwara, 582-8582, Japan *** Department of Sports, Osaka Kyoiku University, Kashiwara, 582-8582, Japan The purpose of this study is to make the actual conditions of management of a professional football club in Japan (J- league)clear through having an interview with the general manager of the J1- league and the J2- league clubs. Especially, the present study is to examine the actual conditions of management of the Urawa Red Diamonds (J1)through having an interview with the former general manager of the Urawa Red Diamonds. The finding and discussions on the following topics are presented in this paper: 1. An outline of the Urawa Red Diamonds 2. Contents of an interview with the former general manager of the Urawa Reds (1)about a management of the general manager (2)the relationship among the front, the staff, and the players (3)the duties of the general manager (4)the present state and the future of the general manager of the J- league Key Words: J- League, general manager, Urawa Red Diamonds