2016/01/31 礼 拝 Ⅰコリント13:1-8 13 いつまでも 残 るもの 信 仰 希 望 愛 この 写 真 何 だと 思 いますか そうどら 焼 き ある 方 からおいしいどら 焼 きをいただきま した 家 族 でそれをいただきながら どら 焼 きのどらって 中 国 で 良 く 出 てくる 銅 鑼 の かたちに 似 ているから どら 焼 きっているのかな と 娘 がいっていました 調 べて 見 ましたら 諸 説 はありますが どらに 似 ているから どら 焼 きというそうです ただ 今 のかたちのどら 焼 きは 現 在 の 二 枚 のカステラ 風 の 生 地 で 挟 む 方 式 は 大 正 3 年 (1914 年 ) 創 業 の 上 野 の 和 菓 子 屋 うさぎや にて 考 案 され *1 たそうですよ こう 言 いますと 皆 さんの 中 には 教 会 の 帰 りに 和 菓 子 のうさぎやさんでどら 焼 きが 買 い たくなる 方 もいらっしゃるかもしれませんね どらといえば 聖 書 のなかにどらがでてきます 13:1 節 です いつくもの 楽 器 がハーモニーをもって 奏 でられるならいいのですが それぞれの 楽 器 が 自 分 を 主 張 して 私 はこんな 事 ができる こんな 音 ができる こんなに 大 きな 音 だよとそ れぞれが 披 露 したら 耳 をふさぎたくなってしまいます 人 が 異 言 や 御 使 いの 異 言 を 話 しても 愛 がないなら やかましいどらや うるさいシ ンバルと 同 じです 異 言 というのはギリシャ 語 でグローサといいます 舌 言 葉 異 言 という 意 味 があ ります 人 の 異 言 の 内 容 は 聖 書 を 見 てみると 二 つあるようです *1https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%82%89%E7%84%BC%E3%81%8D -1-
一 つはペンテコステのときに 分 かれた 舌 (グローサ)が 現 れ 弟 子 達 一 人 ひとりの 上 に とどまりました 聖 霊 が 弟 子 達 に 臨 み 彼 らは それぞれの 国 言 葉 (グローサ)で 話 し 始 めたというところの 異 言 です 英 語 ですとタングです 仙 台 では 牛 タンが 有 名 ですが こ のタンは 舌 ベラのタングから 来 ています 異 言 のタングは 言 葉 という 意 味 です 祭 りのた めにいろいろな 国 からエルサレムに 来 て 人 達 が 自 分 の 国 言 葉 で 神 様 の 素 晴 らしさを 聞 く こととなったのです 神 様 は 福 音 を 伝 えるために コミュニケーションの 手 段 として い ろいろな 国 の 言 葉 で 話 ができる 能 力 をこの 時 与 えてくださいました 恐 らくこの 時 一 時 的 に 多 くの 国 から 来 ている 人 達 に 福 音 を 伝 えるために 言 葉 の 能 力 を 聖 霊 が 与 えてくださり 聖 霊 が 伝 えようとしておられたイエス 様 の 素 晴 らしさを 大 胆 に 語 ったのでしょう 次 の 章 のⅠコリント14 章 には パウロがとくに 異 言 について 説 明 をしています 最 初 のペンテコステのときの 異 言 はそこにいた 人 達 の 自 分 の 国 言 葉 であれば 通 訳 無 しで 分 かるものですが 後 者 の 異 言 は 他 の 国 の 言 葉 であるか それ 以 外 の 外 国 語 ではないこと ば あるいは どこの 外 国 語 にも 属 さないことば 通 訳 が 無 いと 意 味 が 分 からないもので す 共 通 しているのは 神 様 の 素 晴 らしさを 伝 えるものだということです Ⅰコリント 12 章 にはいろいろな 賜 物 が 出 てきます 8 節 御 霊 によって 知 恵 のことば 知 識 のことば 信 仰 癒 やしの 賜 物 奇 跡 を 行 う 力 預 言 霊 を 見 分 ける 力 ある 人 には 異 言 ある 人 には 異 言 を 解 き 明 かす 力 コリントの 教 会 の 人 達 は 聖 霊 からいろいろな 賜 物 を 持 った 人 達 がいましたが それぞ れが 主 張 してまとまっていなかったのです 彼 らに 必 要 だったのは 愛 です その 愛 はどんな 愛 でしょうか 1,) 他 の 音 を 聞 く 愛 です 今 日 の 午 後 はハンドベルコンサートがあります その 練 習 が 昨 日 あり お 聞 きしました 指 揮 者 がいなくても 全 体 の 練 習 を 見 事 にしておられました それは 他 の 音 を 聞 いて 素 敵 なチームワークで 紡 ぐようにしてハーモニーを 作 っておられました 荒 城 の 月 も 素 晴 ら しいですよ 午 後 楽 しみですね 私 たち 教 会 にいる 一 人 ひとりは 無 くてはならない 楽 器 の 演 奏 者 なのです 他 の 音 を 聞 くよ うにして 相 手 を 自 分 よりもまさっているものと 思 う その 遜 った 姿 はイエス 様 に 見 られ るものです そしてイエス 様 を 信 じる 信 仰 をもって 相 手 を 自 分 よりもまさったものと 思 っ て 他 の 方 の 奏 でる 楽 器 の 音 を 聞 くときに 目 に 見 えない 指 揮 者 そうイエス 様 を 意 識 し て 素 敵 なハーモニーをもって 奏 でることができます 2) 他 者 を 生 かす 愛 です 他 の 人 の 音 色 を 聞 いた 時 に どんな 音 色 か 認 識 するだけではなく どのようにしたら ハーモニーをもつことができるか あるときには 自 分 の 音 を 大 きくはっきりとしたり あるときには 自 分 の 音 を 半 分 に 抑 えて 寄 り 添 うようにしながらハーモニーを 作 って 行 け るでしょう 昨 日 ハンドベルの 練 習 を 見 ていて 興 味 深 いことがありました ハンドベルを 隣 の 人 にそ -2-
っと 引 きやすい 位 置 に 置 いて また 隣 人 も 別 のハンドベルをそっと 引 きやすい 位 置 に 置 いておられました 小 さいハンドベル 大 きいハンドベルも そして 曲 が 変 わると 位 置 を 変 えたりしていました このコリントの 手 紙 を 書 いたパウロ(サウロ)は 初 めはクリスチャンを 迫 害 してい た 人 です その 人 がイエス 様 によって 救 われ 回 心 したのです それですので クリスチ ャンになったパウロがエルサレムの 兄 弟 姉 妹 に 近 づこうとしたら 疑 われてしまいました そんなとき 慰 めの 子 という 名 前 のバルナバが 取 り 持 ってくださり パウロはエルサレム のクリスチャンとも 会 うことができたのです ですからバルナバがいなかったら パウロ の 伝 道 は 遅 れていたと 思 います 聖 書 を 読 んでいると バルナバとサウロ(パウロ) *1 と 書 いてあります ところがあるときから パウロとバルナバ *2 と 書 かれています 後 から 来 たようなパウロが 段 々 主 に 用 いられてくるときに バルナバはそっとその 位 置 を 変 えて パウロを 支 える 側 にまわっていったのです これは 他 者 を 生 かす 愛 です バルナバはパウロが 全 面 に 立 つようになったときに 妬 んだでしょうか いっしょに 伝 道 していて ペアの 相 手 を 妬 んでいたら 聖 霊 は 働 いてくださいません 二 人 の 伝 道 が 祝 されていることをみるときに 明 らかなのはバルナバはパウロを 嫉 妬 していない いやパ ウロを 支 え 生 かして 行 ったということです 4 節 愛 は 寛 容 であり 愛 は 親 切 です また 人 をねたみません 愛 は 自 慢 せず 高 慢 に なりません 人 がねたむときに その 相 手 を 引 きずりおろそうとするか 協 力 を 拒 否 して 手 をひくか またはあるときには 嫌 がらせを 態 度 でするようになります そしてその ねたみ の 深 層 にある 思 いは 自 分 こそが 認 められたいという 思 いのようです バルナバは 自 分 がいたからこそ 今 のパウロはある 私 こそ 注 目 される 人 であると 思 っ たでしょうか いいえ 神 様 に 御 国 が 広 がるように 神 様 がパウロをさらに 用 いて 下 さる ように 支 えていったのです 他 者 を 生 かす 愛 をバルナバは 持 っていました 3) 十 字 架 から 来 る 愛 です 私 が 聖 書 を 読 み 始 めて あちゃー 神 様 って 俺 のことよくご 存 知 だ と 思 ったこと があります それは 右 手 のしていることを 左 手 に 知 らせるなということです もちろん そんなことできませんようね 右 手 をうごかしたら 私 は 知 っているので 体 の 一 部 である 左 手 も 知 っているということです 右 手 に 脳 があって 左 手 も 脳 があって 別 々に 認 識 し ているわけではありません でも 痛 いほど 私 は 分 かりました 自 分 は 人 に 認 められたい と 思 って 何 かをしている 誰 かにほめられたい それが 動 機 になっていることがある *1 使 徒 11:30 彼 らはそれを 実 行 して バルナバとサウロの 手 によって 長 老 たちに 送 った (13:43,46,50,15:2,35) *2 使 徒 13:43 会 堂 の 集 会 が 終 わってからも 多 くのユダヤ 人 と 神 を 敬 う 改 宗 者 たちが パウロとバルナバについて 来 たので ふたりは 彼 らと 話 し 合 って いつまでも 神 の 恵 みに とどまっているように 勧 めた (13:43,46,50,15:2,35) -3-
皆 さん 誰 かにほめられたいと 思 う 気 持 ちが 全 部 悪 いということではありません 親 に 喜 んでもらいたいと 思 って 子 どもが 親 のいないときに 一 生 懸 命 お 掃 除 をしている とします ほめてもらいたい だってお 母 さん 大 好 きだから それって 健 全 ですよね 右 手 のしていることを 左 手 に 知 らせないというのは 自 分 が 何 か 良 い 事 ができたとして も まるで 忘 れているかのように 淡 泊 でありなさい だって 神 様 が 見 ていて 下 さいます よ 報 いてくださいますよ ということです いつかお 話 をしましたが 高 校 時 代 の 時 のことです 年 末 に 学 級 費 が 数 千 円 余 ったので す それをどうするかという 話 しになりました 良 いことを 思 いついた 私 は 手 を 上 げて 静 岡 の NHK の 年 末 助 け 合 いに 募 金 しようぜ そうしたらよ これ 達 のクラスの 名 前 がバー ンと 載 るぜ そう 言 ったら それはいい それはいいということで 決 まり 私 と Y 君 が 届 けに 行 きました そして 私 たちの 学 校 とクラス 名 を 残 しました それから 毎 日 NHK を 見 て いつ 私 たちのクラスの 名 前 が 出 るか 楽 しみにしていまし た そしてとうとう 出 たのです 高 校 3 年 何 組 の 皆 様 ご 協 力 をありがとうございま した 次 の 日 学 校 に 行 ったら 名 前 見 た 見 た やったなあ という 話 題 がでていまし た なんとも 空 しいことでしょうか 募 金 することは 幸 いですが 私 が 願 っていたのは 募 金 で 誰 かを 助 けるということではなくて 私 たちのクラスの 名 前 が 公 表 されて 誰 かに すごいね と 思 ってもらいたい 自 分 達 がそう 思 いたいという 動 機 です その 動 機 のど こにも 愛 は 無 かったのです 私 は 高 校 時 代 のあの 出 来 事 を 思 い 出 し いかにいままで に 悪 い 動 機 をもって 善 行 してきたか その 空 しさを 感 じていたのでした 目 を 覆 いたくな るような 罪 を 示 されました 右 手 のしていることをしっかりと 左 手 にしらせていたのでし た 3 節 を 見 てみましょう 私 の 持 っている 物 の 全 部 を 貧 しい 人 たちに 分 け 与 え また 私 のからだを 焼 かれるために 渡 しても このようなことを 私 たちはとてもできるものでは ありません しかしたとえそのようなことをしたとしても 愛 がなかったら 何 の 役 に も 立 ちません 一 体 どんな 愛 でしょうか それはイエス 様 の 十 字 架 の 愛 です 私 たちを 罪 から 救 いたいという 思 いで ご 自 身 のいのちを 捨 てて 下 さった 見 返 りを 求 めない 愛 です 私 たちがイエス 様 の 十 字 架 を 見 上 げる 時 に 私 たちはイエス 様 の 愛 を 思 いだし またイエス 様 の 愛 に 倣 って 人 生 を 歩 むことができるのです ですから 私 たちがイエス 様 の 十 字 架 を 見 上 げていたら 礼 儀 に 反 する 事 をせず 自 分 の 利 益 を 求 めず 怒 らず 人 のした 悪 を 思 わず 不 正 を 喜 ばずに 真 理 を 喜 びます 全 てを 我 慢 し すべてを 信 じ すべてを 期 待 し すべ てを 耐 え 忍 ぶ そのような 力 を 神 様 が 与 えてくださいます 午 後 のハンドベルのコンサートがあります 大 きなベル 小 さなベル よく 使 われるベ ル ここぞというときに 使 われるベル いろいろです 同 じハンドベルという 楽 器 ですが 皆 違 うのです 練 習 を 見 ているときに あまりの 美 しさに 感 動 していました なぜ 素 敵 な ハーモニーが 奏 でられるのでしょうか 目 に 見 えない 努 力 練 習 チームワーク 優 れた 指 導 者 がいらっしゃいますが なによ -4-
りも 聴 衆 に 素 敵 な 音 色 を 届 けたいという 思 いがあるからでしょう 私 たちの 教 会 に 適 応 したら 神 様 の 愛 を 受 け 生 かされ その 愛 をまわりの 方 にお 伝 え したいという 思 い 愛 です コリントの 教 会 の 人 達 は 聖 霊 から 与 えられた 賜 物 の 取 説 取 扱 説 明 書 をパウロを 通 して 教 えてもらったようなものです 機 械 には 耐 久 年 というのがあります このエアコンは 50 年 100 年 と 持 つものではあり ません 20 年 丁 寧 に 使 ったら 30 年 でも 使 えなくなるときがあります 私 たちに 与 えられた 賜 物 それは 一 時 的 なものです 預 言 の 賜 物 はすたれ 異 言 ならや みます 知 識 ながらすたれます 賜 物 はすたれていくのです 私 たちの 知 っていることは 一 部 分 でやがてイエス 様 の 再 臨 のときか 私 たちが 地 上 の 生 涯 を 終 えて 天 国 に 移 されイ エス 様 にお 会 いするとき そう 完 全 なものが 現 れたら 不 完 全 なものは 廃 れてしまいます いろいろなものが 廃 れていっても 愛 は 決 して 耐 えることはありません 私 の 家 内 は 容 子 と 言 います そして 彼 女 の 姉 は 寛 子 といいます 4 節 の 寛 容 から 名 づけられたそうです 愛 について 4 節 から 素 敵 なことがかかれています 愛 は 寛 容 であり 愛 は 親 切 です また 人 をねたみません 愛 は 自 慢 せず 高 慢 になりま せん 愛 は 礼 儀 に 反 することをせず 自 分 の 利 益 をもとめず 怒 らず 人 のした 悪 を 思 わ ず 全 てを 我 慢 し すべてを 信 じ すべてを 期 待 し すべてを 耐 え 忍 びます 愛 は 決 して 耐 えることがありません 何 と 力 強 い 宣 言 でしょうか 私 たちの 心 に 響 いてきますね 皆 さん 私 たちに 必 要 なのはこの 愛 です 私 たちはそれぞれ 違 った 器 官 尊 い 器 官 です 私 たちは 素 敵 なハーモニーをもって 奏 で ることができます そのハーモニーの 麗 しさに 感 動 するのはまず 私 たちです 互 いに 祈 り あるときに 助 け 合 い 支 え 合 い 裁 かず 愛 し 合 うその 姿 に 私 たちは 神 様 の 御 臨 在 と 聖 霊 の 喜 びを 感 じるでしょう また 私 たちが 一 つとなって 互 いに 愛 し 合 い ハーモニーを もって 奏 でるときに 周 りの 人 達 は 私 たちを 通 して 教 会 を 見 またイエス 様 の 素 晴 らし さを 知 ります わたしがあなた 方 を 愛 したように あなたがたも 互 いに 愛 し 合 いなさい そうすればあなたがたがわたしの 弟 子 であることを 全 ての 人 が 認 めるのです *1 1-12 節 までコリント 教 会 の 愛 する 兄 弟 姉 妹 にどのようにしたら 互 いに 愛 し 合 えるか を 具 体 的 に 話 していって 最 後 の13 節 でまとめをしています こういうわけで いつまでも 残 るものは 信 仰 と 希 望 と 愛 です その 中 で 一 番 すぐれて いるのは 愛 です 私 たちにはこの 愛 が 必 要 です この 世 界 にはこの 愛 が 必 要 です 玉 川 聖 学 院 のモットーは 信 仰 希 望 愛 ですね 私 たちの 為 に 十 字 架 にかかり 三 日 目 によみがえって 下 さったイエス 様 は *1 わたしがあなたがたを 愛 したように あなたがたも 互 いに 愛 し 合 いなさい もし 互 いの 間 に 愛 があるなら それによってあなたがたがわたしの 弟 子 であることを すべての 人 が 認 めるのです ヨハネ 13:34-35 -5-