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日 本 大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 紀 要 No.14, 201-208 (2013) 20 世 紀 初 頭 のアメリカにおける 歌 舞 伎 寺 子 屋 の 受 容 (1) 大 塚 奈 奈 絵 日 本 大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 The Reception of the Kabuki Play Terakoya in Early 20th Century America (1) OTSUKA Nanae Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies The Pine-tree(Matsu), the English version of the Kabuki play Terakoya by M. C. Marcus, was published in 1916 in London and New York. It was staged by the Washington Square Players under the title of Bushido in November 1916 and was well received. Although Marcus maintained that he adapted the play from the Japanese, there are several reasons to think that he adapted it from Karl Florenz s German version Terakoya. 1.はじめに 平 安 時 代 に 大 宰 府 に 流 されて 没 した 菅 原 道 真 の 天 神 伝 説 に 材 をとった 竹 田 出 雲 並 木 千 柳 三 好 松 洛 らによる 浄 瑠 璃 菅 原 伝 授 手 習 鑑 は 1746 年 に 大 阪 の 竹 本 座 で 初 演 されて 人 気 をとり 直 後 に 歌 舞 伎 化 されて 成 功 を 収 めた 中 でも 竹 田 出 雲 による 四 段 目 寺 子 屋 は 独 立 して 演 じられることも 多 く 現 代 に 至 るまで 最 も 上 演 回 数 の 多 い 人 気 演 目 である 寺 子 屋 は 1892 年 に 井 上 十 吉 により 初 めて 英 訳 され その 後 1900 年 にはカール フローレンツ (Florenz, Karl Adolf)のドイツ 語 訳 とフランス 語 訳 が 出 版 されてドイツを 中 心 にヨーロッパでは 広 く 翻 訳 翻 案 され 上 演 されたことが 知 られている 1916 年 1 月 にロンドンの Iris Pub. Com.と New York Duffield & Com.から 出 版 された M. C. マーカス (Marcus, M.C.)の The Pine-tree (Matsu): a Drama, Adapted from the Japanese は 前 半 には 日 本 の 演 劇 の 歴 史 の 解 説 が 後 半 には 竹 田 出 雲 の 最 も 著 名 な 台 本 として 歌 舞 伎 菅 原 伝 授 手 習 鑑 の 寺 子 屋 の 段 が The Pine-tree というタイトルで 掲 載 されていた このマーカス 版 の 寺 子 屋 は 1916 年 11 月 に ワシントン スクエア プレイヤーズ(Washington Square Players)により Bushido というタイトルで 上 演 されて 好 評 を 博 した マーカス 版 の 寺 子 屋 は その 後 日 本 に 逆 輸 入 されて 日 本 語 に 翻 訳 され 1929 年 9 月 には 坂 東 寿 三 郎 らにより 大 阪 の 浪 花 座 で マ ツ の 題 名 で 上 演 され( 森 ) 10 月 には 友 田 恭 介 ら により 東 京 の 本 郷 座 で テラコヤ の 題 名 で 上 演 さ れたことが 知 られている ( 三 宅 310) The Pine-tree は 日 本 語 からの 翻 訳 とされている が 近 年 では 田 中 徳 一 によりカール フローレンツ のドイツ 語 訳 Terakoya und Asagao からの 重 訳 の 可 能 性 が 指 摘 されている このため 本 稿 ではフローレ ンツの 翻 訳 の 特 徴 を 論 ずるとともに The Pine-tree をフローレンツのフランス 語 訳 からの 他 の 英 訳 と 比 較 し 両 者 の 相 違 点 については ドイツ 語 訳 やフラ ンス 語 訳 および 他 の 英 語 訳 を 参 照 することにより The Pine-tree がフローレンツのドイツ 語 訳 から 重 訳 であったことを 論 証 する 2.マーカスによる 寺 子 屋 の 翻 訳 と 受 容 2.1 The Pine-tree(Matsu)の 出 版 歌 舞 伎 の 人 気 演 目 であり 現 代 でも 最 も 上 演 回 数 が 多 いといわれる 菅 原 伝 授 手 習 鑑 の 四 段 目 寺 子 屋 は ヨーロッパでは 広 く 翻 訳 翻 案 された 一 方 で 第 二 次 世 界 大 戦 以 前 に 出 版 された 英 語 訳 はわ

20 世 紀 初 頭 のアメリカにおける 歌 舞 伎 寺 子 屋 の 受 容 (1) ずかである 確 認 できる 英 語 訳 で 最 も 古 いものは 1892 年 の 井 上 十 吉 訳 のTerakoya, or the Village School であるが 語 学 教 材 として 出 版 されたため 1 国 内 での 出 版 にとどまり 海 外 に 広 まることはなかった 最 初 に 英 米 で 出 版 されたのは 1916 年 1 月 にマーカ スによりロンドンのIris Pub. Com. と New York Duffield & Com. から 出 版 されたThe Pine-tree - (Matsu)- : a drama, adapted from the Japaneseであ る マーカスの 寺 子 屋 は 黒 い 表 紙 に 金 泥 で The Pine-tree というタイトルと TAKEDA IZUMO という 作 者 の 名 前 そして 松 の 絵 があしらわれた 美 しい 本 で 本 文 に 使 われた 多 くの 日 本 風 の 挿 絵 については 大 英 博 物 館 の 許 諾 を 得 て 所 蔵 資 料 を 挿 絵 に 使 用 した との 説 明 がある 実 際 見 返 しには 国 宝 彦 根 図 屏 風 の 一 部 が 白 黒 の 線 描 で 使 われており 挿 絵 の 中 には 西 鶴 の 版 本 の 挿 絵 に 酷 似 したものもあるが どの 挿 絵 についても 出 典 は 明 らかにされていない この 時 代 には 日 本 美 術 を 石 版 画 で 紹 介 した 国 華 などの 雑 誌 が 出 版 されており 流 行 のジャポニズム を 意 識 して それらから 転 載 された 可 能 性 が 考 えら れる このことから この 本 が 日 本 文 化 のイメ ージを 凝 縮 して 伝 達 するパッケージの 意 図 で 出 版 さ れたものと 考 えられる ただし 寺 子 屋 は 前 述 し たように 歌 舞 伎 の 人 気 演 目 であったために 日 本 で は 多 くの 浮 世 絵 ( 役 者 絵 )が 残 され エキゾティシ ズムにより ヨーロッパでも 愛 好 されていたのであ るが この 本 の 挿 絵 では 舞 台 を 描 いた 浮 世 絵 は 使 用 されてはいない なお The Pine-treeでは 130 ページ 弱 の 本 文 の 前 半 82 ページが Causerie on the Japanese Theatre と いうタイトルの 日 本 の 演 劇 の 歴 史 の 説 明 にあてられ ているが 内 容 には 誤 りが 非 常 に 多 い 後 半 にThe Pine-treeのタイトルで 掲 載 されている 寺 子 屋 の 翻 訳 は サブタイトルに adapted from the Japanese 日 本 語 からの 翻 案 とある 著 者 のマーカスは 前 半 の 竹 田 出 雲 と 菅 原 伝 授 手 習 鑑 についての 詳 しい 解 説 の 中 でも 寺 子 屋 という 呼 称 や 1900 年 に 出 版 されたフローレンツの 寺 子 屋 のドイツ 語 訳 とフランス 語 訳 については 一 言 も 触 れていない 2 むしろ 菅 原 伝 授 手 習 鑑 の 中 で 最 も 輝 かしい 竹 田 出 雲 によるこの 一 幕 は 松 The Pine-treeと 呼 ばれ ていると 説 明 しているが これはマーカスの 明 らか な 誤 りである この The Pine-tree については 田 中 徳 一 はフロー レンツスの 翻 訳 の 特 徴 をあげ それら 全 ての 特 徴 が 見 られることから 日 本 語 寺 子 屋 からの 直 接 の 英 訳 ではなく フローレンツのドイツ 語 訳 からの 重 訳 である 可 能 性 が 高 い (272)と 指 摘 している 田 中 は さらに 二 十 世 紀 初 頭 に フローレンツのよ うに 言 語 的 にも 学 問 的 にも 日 本 の 文 学 文 化 に 通 暁 した 西 洋 人 は 極 めて 少 ないと 述 べている 翻 訳 者 の マーカスについては 言 及 している 資 料 が 乏 しく ま た 日 本 演 劇 の 紹 介 部 分 には 誤 りが 多 い 一 方 で 他 に 著 作 もないことから マーカスが 日 本 の 文 化 や 日 本 語 についてどの 程 度 の 知 識 があったのかについて はよく 分 かっていない 2.2 Bushido の 上 演 この 英 語 版 の 寺 子 屋 は 1916 年 11 月 にワシ ントン スクエア プレイヤーズにより Bushido と いうタイトルで 上 演 された このタイトルが 1900 年 に 新 渡 戸 稲 造 により フィラデルフィアで 出 版 さ れた Bushido: the Soul of Japan, an Exposition of Japanese Thought に 由 来 することは 言 うまでもない であろう Bushido は アメリカで 出 版 された 後 日 本 でも 出 版 され 両 国 で 版 を 重 ねるとともに 短 い 期 間 にドイツ 語 をはじめとする 数 多 くの 言 語 に 翻 訳 された Bushido は 海 外 の 人 々に 日 本 の 武 士 道 を 説 明 することを 目 的 に 著 述 された 図 書 であり 武 士 道 の 概 念 を 分 かりやすく 説 明 するために 東 西 の 著 名 な 哲 学 者 の 言 葉 や 様 々な 逸 話 を 縦 横 に 参 照 してい た 歌 舞 伎 の 作 品 では 忠 臣 蔵 や 先 代 萩 など も 紹 介 されていたが 特 に The Duty of Loyalty ( 忠 義 )の 章 では 寺 子 屋 のあらすじが Loyalty の 例 として 1 ページ 以 上 にわたって 詳 しく 紹 介 されてい た ただし ここでは 日 本 の 歴 史 上 著 名 な 人 物 であ る 菅 原 道 真 に 関 する 物 語 と 紹 介 されているのみで 寺 子 屋 というタイトルは 使 われず 話 の 舞 台 が 道 真 の 息 子 をかくまう 源 蔵 の 寺 子 屋 (village school) であるとのみ 書 かれている また 物 語 前 半 の 詳 細 202

大 塚 奈 奈 絵 な 説 明 に 対 して その 後 半 は 省 略 され 舞 台 を 松 王 の 自 宅 であると 説 明 するなど 歌 舞 伎 竹 田 出 雲 の 寺 子 屋 の 本 来 の 筋 立 てや 設 定 とは 異 なってい る 日 本 を 長 く 離 れていたために 新 渡 戸 の 記 憶 が 正 確 でなかったのかは 不 明 である 舞 台 劇 Bushido は 非 常 な 好 評 を 博 し 当 時 の New York Times の 批 評 では nobility という 言 葉 を 使 って 称 賛 された ( Japanese ) Bushido を 上 演 した ワシントン スクエア プレイヤーズは のちにシ アター ギルドと 改 名 したアメリカの 小 劇 場 運 動 の 草 分 けであり Bushido は その 後 も 様 々なタイト ルで 他 の 小 劇 場 で 上 演 されたと 言 われている (Eliot v) なお この 上 演 では 当 時 アイルランドの 詩 人 イェーツが 日 本 の 能 に 影 響 されて 書 いた 舞 踏 劇 鷹 の 井 戸 に 出 演 する 等 世 界 的 に 活 躍 していた 舞 踏 家 Michio Ito ( 伊 藤 道 郎 1893-1961 )が ワシントン スクエア プレイヤーズの 依 頼 により 共 同 ディレ クター 兼 舞 台 デザイナーを 務 めたことが 知 られてい る 3 この 演 出 では 松 王 の 首 実 検 の 場 に 伴 奏 とし て アメリカ 人 には 悲 しげに 聞 こえた カッポレ が 使 われたといわれている ( 園 39) 新 聞 の 批 評 では 劇 のタイトルである Bushido は a vassal's loyalty (サムライの 忠 義 )の 日 本 語 である と 説 明 した 上 で 首 実 験 の 場 の 息 詰 まるような 緊 張 感 によって この 劇 は ワシントン スクウェア プレイヤーズの 歴 史 の 中 でも 最 も 興 味 深 く 成 功 し たプログラムである として 我 が 子 を 犠 牲 にする 悲 嘆 とその 感 情 を 抑 えて 首 実 験 に 臨 む 松 王 丸 役 の José Ruben の 気 品 のある 演 技 を 絶 賛 している (Woollcott 6) 2.3 日 本 での 逆 演 マーカス 版 の 寺 子 屋 の 成 功 が 日 本 でも 話 題 になったことは 例 えば 1919 年 の 読 売 新 聞 の 記 事 に 此 寺 子 屋 は 数 年 前 独 逸 人 マルクス 氏 によっ て 独 逸 訳 され それが 武 士 道 という 名 で 英 訳 さ れ 紐 育 で 上 演 されたとき 非 常 な 人 気 で 深 い 感 動 を 与 えた と 紹 介 されていることからも 明 らかである ところでマーカスは 英 語 訳 のみであり ここで 言 わ れている 独 逸 訳 は 誤 りかフローレンツと 混 同 した 結 果 であろう この 記 事 では 山 田 耕 作 が 山 東 問 題 等 において 我 国 が 米 国 人 に 誤 解 されていることを 遺 憾 として 我 国 武 士 道 を 米 国 にプロパガンダするため に 寺 子 屋 のオペラの 作 曲 をはじめたとも 書 か れているが この 作 品 は 未 完 に 終 わったらしい なお 伊 藤 道 朗 は 小 山 内 薫 とも 親 しく その 縁 で 昭 和 の 初 期 に 日 本 の 新 劇 でも 逆 輸 入 の 寺 子 屋 が 演 じられた 1929 年 9 月 には 坂 東 寿 三 郎 らにより 大 阪 の 浪 花 座 で 田 中 総 一 郎 の 翻 訳 の マツ が 10 月 には 友 田 恭 介 らにより 同 じ 脚 本 が 東 京 の 本 郷 座 で テラコヤ のタイトルで 上 演 されたが これには 賛 否 両 論 があったようである ( 紀 ノ 岡 107)マンス フィールド 訳 の 忠 義 が 歌 舞 伎 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 を 翻 案 したものであるのに 対 して The Pine-tree は 原 作 にほぼ 忠 実 であるとして 好 意 的 な 評 価 がある 一 方 で アメリカ を 強 調 したこっけいな 化 粧 や 衣 装 は 不 評 で 再 演 はされなかった いずれにせよ 日 本 が 軍 事 国 家 に 向 かう 道 のりの 中 で 寺 子 屋 は 以 後 世 界 に 通 用 する 悲 劇 ( 河 竹 214)として 称 揚 されることになるのである 2.4 マーカスによる 翻 訳 について 2.4.1 寺 子 屋 の 翻 訳 の 特 徴 田 中 徳 一 は フローレンツの 寺 子 屋 の 翻 訳 の 特 徴 として 以 下 をあげている 原 作 にない 寺 子 トクサン を 登 場 させている 武 士 が 格 調 高 く 台 詞 を 交 わすところは 五 脚 のイア ンボス 詩 句 で そうでないところは 散 文 で 翻 訳 して いる 扇 忘 れの 趣 向 を 取 り 入 れている 急 ぎ 首 打 って 出 すや 否 や という 台 詞 を 二 時 間 以 内 に 秀 才 の 首 を 差 し 出 さないと というように 具 体 的 にしている 首 実 検 の 詳 細 な 仕 草 指 示 をしている 松 の 短 冊 の 投 げ 込 みと いろは 送 り がない このうち 扇 忘 れの 趣 向 については 松 王 丸 の 妻 千 代 が 扇 を 忘 れたふりをして 子 供 の 顔 を 見 に 戻 る という 演 出 が 1884 年 に 大 阪 で 出 版 された 中 西 貞 行 演 劇 台 本 菅 原 伝 授 手 習 鑑 1885 年 に 大 阪 で 出 版 された 魁 竜 玉 ( 阪 田 玉 助 ) 著 演 劇 脚 本 と 共 通 し ていることから おそらくは フローレンツ ある 203

20 世 紀 初 頭 のアメリカにおける 歌 舞 伎 寺 子 屋 の 受 容 (1) いはマーカスが 翻 訳 に 使 用 した 台 本 に 由 来 するもの と 考 えることができる また 松 の 短 冊 の 投 げ 込 みや いろは 送 り がな いという 点 については フローレンツ 自 身 が 翻 訳 に 際 して 竹 本 すなわち 語 り ナレーションの 部 分 を 省 略 し 台 詞 として 補 足 したことを 序 文 で 説 明 している 翻 訳 に 際 しては 必 要 に 応 じて 時 には 原 文 に 密 着 して 時 にはかなり 自 由 に 訳 した 原 文 の 技 巧 から 離 れたのは 主 に 叙 唱 (レタティーヴォ)を 人 物 のセリフに 取 り 入 れたり 情 景 描 写 やト 書 に した 個 所 である ( 中 略 ) 寺 子 屋 に 於 いては 叙 唱 がドラマ 構 成 全 体 に 対 して 持 つ 役 割 は 副 次 的 であり 通 読 に 際 してはむしろ 邪 魔 になると 判 断 したからである (ドイツ 語 版 寺 子 屋 序 文 の 翻 訳 )( 石 澤 168) 前 述 したように マーカスの The Pine-tree には 日 本 語 からの 翻 案 との 但 し 書 きがつけられている しかし 田 中 徳 一 の 指 摘 では The Pine-tree には フローレンツの 翻 訳 の 全 ての 特 徴 が 見 られることか ら 日 本 語 からの 直 接 の 英 訳 ではなく フローレン ツのドイツ 語 版 を 翻 訳 したものである 可 能 性 が 高 い 一 方 フローレンツのフランス 語 版 寺 子 屋 の 英 訳 としては サミュエル エリオット(Eliot Jr., Samuel A.)による Bushido, adapted from Terakoya or The Village School otherwise called Matsu, the Pine-tree by Takeda Idzumo, が 1921 年 に 出 版 された Little Theater Classics. Vol. 3 に 収 録 されていて この 翻 訳 については エリオット 自 身 が 一 部 の 台 詞 を 改 変 し たことを 序 文 で 説 明 している このため The Pine-tree とエリオットの Bushido の 本 文 を 台 詞 とト 書 きを 整 理 し 対 応 する 個 所 を 比 較 した 予 想 されるように The Pine-tree がフロー レンツのドイツ 語 訳 からの 重 訳 であれば フランス 語 版 からの 重 訳 である Bushido にも 基 本 的 に 同 じ 特 徴 がみられるはずである 他 方 The Pine-tree と Bushido の 翻 訳 が 相 違 する 場 合 には The Pine-tree が 著 者 マーカスの 主 張 するように 日 本 語 からの 翻 訳 である 場 合 や エリオットが 翻 案 した 場 合 等 の 可 能 性 が 考 えられる このため The Pine-tree と Bushido の 翻 訳 に 相 違 がある 部 分 については フローレンツ のドイツ 語 版 とフランス 語 版 の 原 文 に 相 違 がないか を 改 めて 確 認 し さらに 井 上 十 吉 の 翻 訳 やその 後 の 他 の 翻 訳 者 による 英 訳 等 を 参 照 し 比 較 を 行 った 2.4.2 フローレンツ 訳 と The Pine-tree の 一 致 点 と 相 違 点 1フランス 語 版 ドイツ 語 版 との 比 較 次 の 表 は 田 中 徳 一 が 指 摘 しているフローレンツ のドイツ 語 訳 に 見 られる 特 徴 を フローレンツのフ ランス 語 版 マーカスの The Pine-tree エリオット の Bushido と 比 較 したものである 独 語 版 の 特 徴 仏 語 版 Pine-tree Bushido 寺 子 トクサン 武 士 の 台 詞 のみ 韻 文 扇 忘 れの 趣 向 二 時 間 以 内 首 実 検 の 仕 草 指 示 有 松 の 短 冊 の 投 込 無 いろは 送 り 無 興 味 深 いことに フローレンツのドイツ 語 版 とフ ランス 語 版 には 相 違 があることが 分 かる ドイツ 語 訳 では 武 士 の 台 詞 に 韻 文 を 使 用 しているが フラ ンス 語 訳 では 全 体 が 散 文 で 訳 されている これは 特 にフランス 語 において 外 国 の 韻 文 は 一 貫 して 散 文 として 翻 訳 される(ピム 116)ためであろうと 思 われる ただし これ 以 外 にも ドイツ 語 版 とフランス 語 版 の 相 違 に 起 因 すると 思 われるささやかな 相 違 点 は ある 例 えば 戸 波 が 千 代 に 持 参 した 堺 重 の 煮 しめ を 差 し 出 す 此 堺 重 は 子 達 への 土 産 我 子 に 世 話 を 焼 豆 腐 つぶ 椎 茸 の 入 りたるは という 箇 所 は The Pine-tree では And the contents of this box (she gives Mistress Tonamee the second parcel) are for your 204

大 塚 奈 奈 絵 boys, your pupils. となっているが Bushido では Here (presenting the other box) are some sweets for all the boys to share. と 菓 子 を 差 し 出 すように 変 えられ ている これについては フローレンツのドイツ 語 版 とフランス 語 版 の 本 文 を 参 照 したところ 原 文 の 相 違 に 起 因 していることが 判 明 した müssen. (Weinend)Ach, unglücksel ges Kind! Unsel ge Mutter, Die diesen Tag gewählt, ihr liebstes Kleinod Uns zu vertraun. Und wehe über uns, Die wir ihm Vater, Mutter sollen sein, Nun seine Würger: Welche bitter Pein! 2 せまじきものは 宮 仕 へ 田 中 徳 一 は フローレンツの 寺 子 屋 を 基 にし たドイツ オーストリア ガリチアでの 様 々な 翻 訳 を 比 較 して 原 作 に 近 い 厳 粛 な 身 代 わりの 忠 君 劇 に なっている として 専 ら 祖 国 のための 自 己 犠 牲 の 視 点 からのみ 受 容 されたように せまじきものは 宮 仕 へ というような 原 作 に 込 められた 人 間 的 な 独 特 の 人 生 観 が 反 映 されているとは 言 い 難 い と 評 し ている ( 田 中 271) 日 本 においては 小 太 郎 を 秀 才 の 身 代 わりに 場 合 によっては 母 ももろともにと 決 意 した 源 蔵 と 戸 波 の 嘆 きの 場 面 の 弟 子 子 と 言 えば 我 が 子 も 同 然 今 日 に 限 って 寺 入 りしたは あの 子 が 業 か 母 御 の 因 果 か 報 いはこちが 火 の 車 追 っ 付 け 廻 ってきましょ うと 妻 が 嘆 けば 夫 も 目 をすり せまじきものは 宮 仕 えと 倶 に 涙 にくれ 居 たる が 寺 子 屋 の 前 半 でのクライマックスとされている この 部 分 は 江 戸 東 京 の 歌 舞 伎 の 上 演 では 源 蔵 と 戸 波 の 掛 け 合 いで 演 じられ 一 方 上 方 では 通 常 妻 が 嘆 けば 夫 も 目 をすり せまじきものは 宮 仕 えと 倶 に 涙 にく れ 居 たる の 部 分 は 竹 本 で 語 られることが 多 いので あるが フローレンツ 系 の 翻 訳 では この 部 分 全 体 が 戸 波 のセリフとなっている これは せまじきものは 宮 仕 へ は 寺 子 屋 の 名 セリフとされていたが フローレンツが 寺 子 屋 を 翻 訳 したと 考 えられる 明 治 20 年 代 末 は 天 皇 への 配 慮 によって 元 々は 源 蔵 のセリフであった せ まじきものは 宮 仕 へ を 女 である 戸 波 に 言 わせたり それを 源 蔵 が 打 ち 消 すなどの 演 出 が 行 なわれ そう した 台 本 をフローレンツが 使 用 した 可 能 性 が 考 えら れる <ドイツ 語 版 > Tonami:Wohlan denn, sein wir Teufel, da wir s <フランス 語 版 > TONAMI:Eh bien! soit, puisque notre sort le veut ainsi, ne reculons devant rien. (Sanglotant.) Pauvre enfant! Pauvre mère! Aujourd hui même elle nous a confié ce qu elle a de plus cher, et nous violà obligés d égorger cet enfant auquel nous devrions servir de père et de mère. Malheur à nous! The Pine-tree MISTRESS TONARMEE: Well, let us be devils, If it can't be otherwise. (Crying) Oh, wretched child, Ill-fated mother! Why did she come to-day Entrusting us with he beloved treasure? And woe to us who undertook to be His father, mother-and who'll butcher him. Oh, day of grief and sorrow, mournful day! Bushido TONAMI: So be it, O Gods! Since fate will have it so. Let us recoil at nothing! Oh, poor child, poor mother! This very day to have entrusted him whom she holds most dear to us! and we, miserable! compelled to sacrifice a child to whom we should be father and mother! これらの 翻 訳 では 原 作 の 業 や 因 果 火 の 車 という 逃 れられない 宿 命 の 中 で 罪 におの のく 人 間 の 感 情 を 表 す 仏 教 用 語 は devils や Gods fate に 置 き 換 わっているが 妻 が 嘆 けば 夫 も 目 をす り せまじきものは 宮 仕 えと 倶 に 涙 にくれ 居 たる という 部 分 に 対 応 する 翻 訳 部 分 が 見 当 たらない 例 えば 先 行 の 井 上 十 吉 訳 や 戦 後 の Jones によ る 翻 訳 では せまじきものは 宮 仕 へ に 相 当 する 訳 205

20 世 紀 初 頭 のアメリカにおける 歌 舞 伎 寺 子 屋 の 受 容 (1) は 以 下 のようになっている < 井 上 十 吉 訳 > Tonami: Ah, what we should most shun is service at Court. Recitative: While they are weeping together, enters <Jones 訳 > GENZO: None suffer such hurt and sadness as those lowly ones who serve noble masters at the court. NARRATOR: Both are dissolved in tears/ フローレンツは 翻 訳 に 際 して 竹 本 の 部 分 を 省 略 したと 説 明 しているので フローレンツが 翻 訳 した 台 本 では 妻 が 嘆 けば 夫 も 目 をすり せまじきもの は 宮 仕 えと 倶 に 涙 にくれ 居 たる が 竹 本 で 語 られ ていたために フローレンツが 省 略 した 可 能 性 が 考 えられる The Pine-tree においても このセリフは 省 略 されているが フローレンツ 系 以 外 の 翻 訳 では 省 略 されているものはないことからも The Pine-tree がフローレンツ 訳 からの 重 訳 であると 言 える なお せまじきものは 宮 仕 え というセリフに 相 当 する 部 分 が 省 略 されたことは 劇 としての 寺 子 屋 の 印 象 にきわめて 大 きな 影 響 を 与 えたものと 思 われる 何 故 ならば 犬 丸 が 指 摘 しているように せまじきものは 宮 仕 え には 究 極 の 選 択 に 迫 ら れた 中 に 一 縷 の 人 間 性 の 光 がある ことを 感 じさ せるからである 菅 原 伝 授 手 習 鑑 では 能 書 家 である 菅 丞 相 が 不 義 により 破 門 された 源 蔵 の 書 道 の 腕 を 認 めて 筆 法 の 極 意 を 伝 授 する 筆 法 伝 授 を 受 けて 寺 子 屋 の 場 の 展 開 となる 源 蔵 戻 り と 呼 ばれる 花 道 での 歩 みですべてが 決 まるとまで 言 われ 律 儀 な 源 蔵 が 恩 師 の 息 子 である 秀 才 を 助 けるために 罪 のない 子 を 手 にかけて 地 獄 に 落 ちることを 覚 悟 して 苦 しみ せ まじきものは 宮 仕 え と 嘆 く 故 に 大 衆 に 愛 され 一 貫 して 源 蔵 の 芝 居 だからである ( 野 口 145)と 評 さ れてきた ところが フローレンツによる 翻 訳 では 三 人 の 作 者 がそれぞれ 三 組 の 親 子 の 別 離 を 描 いたとされる 演 劇 としての 全 体 性 がなく 筆 法 伝 授 という 伏 線 も 源 蔵 戻 り も せまじきものは 宮 仕 え の 名 セ リフもなくなって 源 蔵 の 存 在 の 影 は 薄 くなり そ れに 対 比 されるように 松 王 丸 の 忠 義 が 強 調 される 結 果 となっている このため 前 述 したような 新 渡 戸 稲 造 の Bushido の 出 版 や 折 からの 日 露 戦 争 での 日 本 の 勝 利 と 第 一 次 世 界 大 戦 を 背 景 として フローレンツ 翻 訳 の 寺 子 屋 は 主 君 への 忠 義 のために 息 子 を 捧 げる 一 幕 劇 としてヨーロッパで 広 く 受 容 されたものと 考 えら れ フローレンツの 翻 訳 の 重 訳 である The Pine-tree もアメリカにおいて 同 様 に 受 容 されたと 考 えられる なお フローレンツによる 翻 訳 とマーカスの 翻 訳 は それぞれのセリフの 単 位 やト 書 きの 内 容 までが 一 致 しているが 相 違 している 点 もわずかに 1 箇 所 存 在 する フローレンツは 前 述 したようにほとん どの 竹 本 を 省 略 してト 書 きに 組 み 込 んだが 松 王 丸 らが 源 蔵 の 寺 子 屋 に 乗 り 込 む 場 面 の 竹 本 は 残 してお り その 個 所 をマーカスが 削 除 しているのであるが 内 容 的 な 影 響 はほとんど 見 られない 3.おわりに 以 上 に 述 べてきたように マーカスによる The Pine-tree とその 他 の 寺 子 屋 の 英 語 の 本 文 を 比 較 した 限 りでは フローレンツの 翻 訳 に 見 られるすべ ての 特 徴 がマーカスの 翻 訳 にも 共 通 してみられた 一 方 相 違 点 は 1 個 所 のみであった このことから マーカスによる 寺 子 屋 の 翻 訳 は 田 中 徳 一 の 指 摘 の 通 り フローレンツのドイツ 語 版 をかなり 忠 実 に 英 訳 したものであることは 明 らかである その 結 果 として 井 上 十 吉 の 英 訳 を 除 けば 第 二 次 世 界 大 戦 前 に 世 界 中 で 翻 訳 翻 案 された 多 くの 寺 子 屋 は すべてカール フローレンツのドイツ 語 または フランス 語 の 翻 訳 から 重 訳 されたものであったとい うことが 言 える フローレンツによる 翻 訳 は その 時 代 性 もあり 読 者 の 分 かりやすさを 配 慮 し セリフの 一 部 が 省 略 されるなどした 結 果 原 作 に 忠 実 な 翻 訳 というより もフローレンツの 西 欧 的 な 視 点 からの 翻 案 と 呼 ぶこ とがふさわしい 忠 誠 の 物 語 となっていた また 菅 原 伝 授 手 習 鑑 という 長 大 な 物 語 の 一 幕 である 寺 子 屋 の 段 のみを 独 立 して 翻 訳 したために 物 語 の 206

大 塚 奈 奈 絵 他 の 部 分 とのつながりが 希 薄 になり その 結 果 とし て 松 王 丸 夫 婦 の 忠 義 がより 強 調 される 結 果 を 生 ん でいた このため マーカスは 出 版 に 際 してタイトルを 源 蔵 の 悲 劇 の 場 である 寺 子 屋 から 松 王 丸 の 悲 劇 を 意 味 する 松 に 変 えたものと 推 測 される ところで 1900 年 に 新 渡 戸 稲 造 がアメリカのフィ ラデルフィアで 出 版 した Bushido の 1905 年 の 増 訂 10 版 の 序 文 では ルーズヴェルトがこの 本 を 読 み 友 人 に 配 ったことが 語 られている クリストファ ー ベンフィー(Christopher Benfey)によれば 柔 道 に 凝 っていたルーズヴェルトとその 息 子 達 に 柔 道 着 とともに Bushido を 贈 ったのは 新 渡 戸 とも 親 しか ったビゲロウであり 当 初 Bushido を 好 きになれな かったルーズヴェルトが Bushido を 日 本 人 の 実 際 の 哲 学 を 書 いたものではなく 外 国 向 けに 加 工 された ものではないかと 問 い ビゲロウがそれに 反 論 した 逸 話 を 伝 えている (309) 忠 義 の 章 についていえ ば 新 渡 戸 は 寺 子 屋 のあらすじを 説 明 する 前 に ビスマルクが 忠 義 をドイツの 美 徳 として 誇 ったこと やそのことを 封 建 制 度 (Feudalism)の 名 残 りである と 述 べているので ルーズヴェルトの 外 国 向 けに 加 工 されたものではないかという 感 想 は 自 然 なもので あったと 思 われる なお 新 渡 戸 は 寺 子 屋 の 松 王 丸 が 息 子 を 主 人 の 息 子 の 身 替 りとしたことを 旧 約 聖 書 のアブラ ハムがイサクを 犠 牲 にした 話 と 同 じくらい 意 義 深 く それ 以 上 に 嫌 悪 すべきものではないと 述 べているが これは 後 にドイツでの 寺 子 屋 の 上 演 の 際 の 新 聞 評 に 同 様 にアブラハムとイサクの 物 語 と 比 較 が あったこと( 中 村 吉 蔵 315)と 共 通 している 新 聞 記 者 が Bushido を 読 んでいた 可 能 性 も 考 えられるが いずれにしろ 新 渡 戸 の 日 本 人 にとっての 忠 義 の 義 務 は 西 欧 人 にとっての 神 の 声 と 同 じものであ るという 説 明 が 受 け 入 れられたものと 考 えられる Bushido の 出 版 後 1904-05 年 の 日 露 戦 争 におけ る 日 本 の 勝 利 は 欧 米 に 大 きな 衝 撃 を 与 えた さらに 1912 年 の 明 治 天 皇 崩 御 に 続 く 乃 木 希 典 夫 妻 の 自 決 は Bushido の 言 葉 とともに 世 界 中 で 報 道 された 翌 1913 年 には 乃 木 を 称 えるスタンリー ウォシュ バン(Stanley Washburn)の Nogi, a Great Man Against a Background of War ( 日 本 語 タイトル 乃 木 大 将 と 日 本 人 )がロンドンで 出 版 された 日 本 文 化 に 対 して 好 意 的 な 感 情 を 持 っていた 当 時 のアメリカの 東 海 岸 の 知 識 層 にとって 新 渡 戸 の Bushido は 日 本 の 侍 の 精 神 を 現 したものとして 広 く 受 け 入 れられていたの であろう そして このような 日 本 精 神 の 本 質 = 武 士 道 という 日 本 理 解 を 背 景 に 寺 子 屋 がマー カスによって 忠 義 のために 息 子 を 捧 げる 松 王 丸 の 忠 義 の 物 語 The Pine-tree として 翻 訳 されたと 考 えられ る マーカスの 翻 訳 による The Pine-tree を Bushido の タイトルで 上 演 したワシントン スクエア プレイ ヤーズは 当 時 の 商 業 演 劇 に 対 して 知 識 人 の 青 年 ら が 中 心 となって 芸 術 的 な 演 劇 を 目 指 した 新 進 の 劇 団 であった Bushido の 中 で 我 が 子 の 犠 牲 を 厭 わない 忠 誠 の 例 として 紹 介 され 取 り 上 げられた 寺 子 屋 すなわち The Pine-tree を Bushido のタイトルで 上 演 したことは 松 王 丸 が 君 主 のために 我 が 子 を 犠 牲 に する 忠 誠 心 こそが 日 本 の 武 士 道 の 真 髄 であると の 認 識 が 当 時 のアメリカ 国 内 の 理 解 であったためで あると 考 えられる < 参 考 資 料 > 赤 坂 治 績 知 らざあ 言 って 聞 かせやしょう 心 に 響 く 歌 舞 伎 の 名 せりふ 新 潮 社 2003 石 澤 小 枝 子 ちりめん 本 のすべて 弥 井 書 店 2004 伊 藤 道 郎 アメリカ 羽 田 書 店 1940 犬 丸 治 菅 原 伝 授 手 習 鑑 精 読 歌 舞 伎 と 天 皇 ( 岩 波 現 代 文 庫 ) 岩 波 書 店 2012 魁 竜 玉 演 劇 脚 本 大 阪 : 梅 原 忠 蔵 1895-96 河 竹 登 志 夫 演 劇 の 座 標 理 想 社 1959 紀 ノ 岡 杏 華 當 世 看 客 氣 質 歌 舞 伎 1929.12 104-8. ヘレン コールドウェル 中 川 鋭 之 助 訳 伊 藤 道 郎 : 人 と 芸 術 早 川 書 房 1985 佐 藤 マサ 子 カール フローレンツの 日 本 研 究 春 秋 社 1995 園 義 雄 アメリカ 新 劇 史 五 月 書 房 1951 田 中 徳 一 ドイツ オーストリア ガリチアにおけ る 寺 子 屋 劇 受 容 の 概 観 日 本 比 較 文 学 会 編 世 界 と 出 会 う 日 本 文 学 - 日 本 比 較 文 学 学 会 創 立 60 周 年 記 念 論 文 集 彩 流 社 2011 261-73. 207

20 世 紀 初 頭 のアメリカにおける 歌 舞 伎 寺 子 屋 の 受 容 (1) 中 西 貞 行 菅 原 伝 授 手 習 鑑 大 阪 : 中 西 貞 行 1894 中 村 吉 蔵 独 逸 座 の 寺 子 屋 劇 最 近 欧 米 劇 壇 博 文 館 1911 307-16 中 村 哲 郎 西 洋 人 の 歌 舞 伎 発 見 劇 書 房 1982 新 渡 戸 稲 造 岬 龍 一 郎 訳 武 士 道 今 依 って 立 つべ き 日 本 の 精 神 PHP 研 究 所 2005 野 口 達 二 歌 舞 伎 入 門 と 鑑 賞 演 劇 出 版 1991 アンソニー ピム 武 田 珂 代 子 訳 翻 訳 理 論 の 探 求 みすず 書 房 2010 クリスロファー ベンフィー 大 橋 悦 子 訳 グレイ ト ウェイブ 日 本 とアメリカの 求 めたもの 小 学 館 2007 三 宅 三 郎 歌 舞 伎 劇 鑑 賞 続 三 田 文 学 出 版 部 1943 森 ほのほ 英 訳 寺 子 屋 の 逆 演 浪 花 座 第 一 劇 場 演 芸 画 報 82(1929): 82-5. 山 田 耕 作 氏 新 作 歌 劇 寺 子 屋 の 上 演 日 本 武 士 道 鼓 吹 の 為 め 明 春 紐 育 に 上 演 されん 読 売 新 聞 3 9 1919 朝 刊 Eliot Jr., Samuel A. Bushido, adapted from Terakoya or The Village School otherwise called Matsu, the Pine-tree by Takeda Idzumo, Little Theater Classics. Vol. 3. Boston: Little Brown. 1921. [1]-49. Chaleston: Bibliolife, [2011]. Ernst, Earle. Three Japanese Plays from the Traditional Theatre. London: Oxford UP, 1959. Florenz, Karl. Scènes du Thèâtre Japonais: L'école de Village: Terakoya: Drame Historique en un Acte. Tokyo: T. Hasegawa, 1900. Florenz, Karl. Terakoya und Asagao. Tokyo: T. Hasegawa, 1900. Inoue, Jukiti. trans. Terakoya, or the Village School. Tokyo : T. Yoshioka, 1892. Japanese Tragedy Admirably Staged, Bushido the Climax at the Washington Square Players Finest Program. New York Times, 14 Nov. 1916, p. 8. Jones, Stanleigh H. Jr., ed. and trans. Sugawara and the Secrets of Calligraphy. New York: Columbia UP, 1985. Marcus, M. C. The Pine-tree (Matsu) a Drama, Adapted from the Japanese; with an Introductory Causerie on the Japanese Theatre. New York: Iris, 1916. Nitobe Inazo. Bushido: the Soul of Japan, an Exposition of Japanese Thought. Tokyo: Shokwabo, 1901. Pronko, Leonard. Terakoya: Kabuki and the Diminished Theatre of the West. Modern Drama. 8(1965): 47-57. Scott, A. C. The Kabuki Theatre of Japan. London : Allen & Unwin, 1956. Woollcott, Alexander. Second Thoughts on First Nights. New York Times, 19 Nov. 1916, Sec. Ⅱ, p. 6. 1 1888 年 の 第 一 高 等 中 學 校 入 学 試 業 科 目 例 題 の 広 告 頁 には 他 の 教 科 書 と 並 んで 井 上 十 吉 訳 の 菅 原 伝 授 手 習 鑑 寺 子 屋 ノ 段 が 近 刻 として 掲 載 されている 2 1904 年 以 降 フローレンツの 寺 子 屋 はドイツを 中 心 にヨーロッパでは 度 々 上 演 され 翻 案 も 出 版 され ていた マーカスは 日 本 の 新 聞 記 事 では 独 逸 人 マ ルクス と 紹 介 されていることからドイツ 系 の 人 物 で あると 考 えられ フローレンツのドイツ 語 訳 を 知 らな かったとは 考 え 難 い なお マーカスは 歌 舞 伎 の 部 分 の 解 説 の 中 で 日 本 では 比 較 的 知 名 度 の 低 い 朝 顔 日 記 も 紹 介 し ヒロインの 美 雪 をシャクンタラ と 比 較 しているが ここでも 朝 顔 日 記 がフローレン ツにより 翻 訳 され 寺 子 屋 と 一 緒 に 刊 行 されている ことには 言 及 していない 3 伊 藤 道 郎 は 後 に その 著 アメリカ の アメリ カ 気 質 忠 臣 藏 と 寺 小 屋 より で 以 下 のよ うに 回 想 している 忠 臣 蔵 を 見 た 米 国 人 が 何 て 馬 鹿 なことをす るんだらうと 言 つた 身 命 をなげうつて 主 君 の 讐 を 報 ずるといふことが 理 解 出 来 ぬらしい 主 君 の 遺 恨 を 継 承 するといふこともわからぬかもしれぬ 第 一 彼 らは 犠 牲 といふことは 馬 鹿 げたことだと 思 つてゐ る ところが この 米 国 人 が 寺 子 屋 を 見 て 泣 い た 勿 論 その 時 私 は 英 語 で 上 演 したのだが キャ ッキャと 騒 いでゐたアメリカ 人 達 が 涙 をながしてシ ーンとしてしまつた リンドバークの 子 供 が 殺 され たときに 民 衆 のうけたショックは 大 きなものだつた が あゝいふ 気 持 から 寺 子 屋 には 感 激 したのだ らうと 思 ふ (41) (Received:December 20,2013) (Issued in internet Edition:February 7,2014) 208