災 害 時 の 循 環 器 疾 患 対 応 災 害 と 肺 塞 栓 症 ( 静 脈 血 栓 塞 栓 症 ) 榛 沢 和 彦 新 潟 大 学 大 学 院 医 歯 学 総 合 研 究 科 呼 吸 循 環 外 科 学 分 野 はじめに 1940 年 のロンドン 大 空 襲 では 17 万 人 以 上 が 狭 い 地 下 鉄 駅 構 内 で 避 難 生 活 をやむなく 強 いられた.そ の 結 果, 肺 塞 栓 症 が 多 発 しロンドンにおける 肺 塞 栓 症 による 死 亡 者 が 前 年 の 6 倍 になったと 報 告 されて いる 1).このように 避 難 所 における 肺 塞 栓 症 は 以 前 から 知 られていた.しかし 日 本 では 症 候 性 の 肺 塞 栓 症 が 欧 米 人 よりも 少 ないことから 避 難 生 活 での 問 題 として 取 り 上 げられることは 無 かったと 考 えられ る.2004 年 の 新 潟 県 中 越 地 震 において, とりあえ ず 避 難 として 最 大 10 万 人 が 車 中 泊 による 避 難 生 活 を 行 った 結 果, 肺 塞 栓 症 が 多 発 し 死 亡 者 も 出 た.こ れはエコノミークラス 症 候 群 としてマスコミでも 大 きく 報 じられ 社 会 問 題 となった. 最 近 の 調 査 結 果 で は 新 潟 県 中 越 地 震 では 少 なくとも 11 人 が 車 中 泊 で 肺 塞 栓 症 を 発 症 し 6 人 が 死 亡 していた( 表 1). 致 死 的 肺 塞 栓 症 の 背 景 には,その 原 因 となる 深 部 静 脈 血 栓 症 (DVT)が 1000 倍 から 1 万 倍 存 在 しているとい われている.したがって 新 潟 県 中 越 地 震 後 では 1 万 人 以 上 に DVT が 発 生 していた 可 能 性 も 否 定 できな い.このことは 新 潟 県 中 越 地 震 被 災 地 で 毎 年 継 続 的 に 行 っている 検 診 においていまだに DVT 陽 性 率 が 高 いことからも 推 測 される 2). 以 上 から 日 本 人 にお いても 災 害 後 に 重 篤 な 肺 塞 栓 症 を 多 発 する 可 能 性 が あることをわれわれはまず 銘 記 すべきである. いつ,どこで 肺 塞 栓 症 および DVT が 発 生 し やすいか 新 潟 県 中 越 地 震 においては 車 中 泊 中 に 発 症 した 肺 塞 栓 症 が 一 番 多 かった.また 東 日 本 大 震 災 後 でも 車 中 泊 中 の 発 症 が 新 聞 で 報 告 されている 3).したがっ て 車 中 泊 避 難 は 最 も 危 険 であるが,それでも 致 死 的 肺 塞 栓 症 の 発 症 は 震 災 後 2 日 から 7 日 であり 震 災 直 後 では 少 ないのが 特 徴 である( 図 1).DVT 発 症 は おそらく 避 難 生 活 が 長 引 くと 多 くなっていく. 避 難 表 1 新 潟 県 中 越 地 震 後 の 症 候 性 肺 塞 栓 症 ( 震 災 後 2 週 間 以 内 ) 年 齢 性 別 車 中 泊 数 車 種 座 席 発 症 日 予 後 安 定 剤 精 神 薬 夜 間 トイレ 歩 行 等 79 歳 女 14 日 普 通 後 部 11/7 生 存 76 歳 女 2 日 普 通 後 部 10/25 生 存 75 歳 女 3 日 10/31 生 存 64 歳 女 5 日 10/28 生 存 60 歳 女 14 日 普 通 後 部 11/7 生 存 50 歳 女 6 日 軽 自 動 10/29 死 亡 50 歳 女 2 日 10/25 死 亡 48 歳 女 5 日 ワゴン 運 転 席 10/28 死 亡 47 歳 女 5 日 10/28 死 亡 46 歳 女 2 日 10/29 死 亡 43 歳 女 4 日 軽 自 動 後 部 10/27 死 亡 足 が 不 自 由 災 害 と 肺 塞 栓 症 ( 静 脈 血 栓 塞 栓 症 ) 569
60 50 40 30 20 10 図 1 0 07.03.10 07.03.14 07.03.18 07.03.22 07.03.26 07.03.30 07.04.03 07.04.07 DVT 東 日 本 大 震 災 避 難 所 の DVT 陽 性 最 高 率 ( 検 査 希 望 者 における 陽 性 率 ) 所 環 境 にも 影 響 されるが, 東 日 本 大 震 災 の 避 難 所 複 数 箇 所 における DVT 陽 性 最 高 率 は 震 災 後 14 日 前 後 であった. 総 務 省 による 東 日 本 大 震 災 の 避 難 者 数 は 震 災 3 日 頃 が 最 大 であったが,DVT の 最 大 陽 性 率 はそれより 10 日 程 度 遅 れている.これは 避 難 所 が 長 期 化 することで DVT 発 症 が 多 くなったことを 示 している 可 能 性 がある.したがって 震 災 後 の 肺 塞 栓 症 および DVT の 発 症 は 震 災 直 後 ではなく 2 日 か ら 2 週 間 後 程 度 までが 多 いと 考 えられた.しかしこ れらの 肺 塞 栓 症 は 顕 在 化 したのが 震 災 2 日 後 であっ て,その 原 因 となる DVT はそれよりも 前 に 発 症 し ていた 可 能 性 もあり, 震 災 直 後 からの 予 防 が 重 要 で ある. 次 にどこで 発 症 しやすいかであるが, 新 潟 県 中 越 地 震 では 震 源 地 に 近 い 車 中 泊 避 難 者 で 肺 塞 栓 症 が 多 く 4), 新 潟 県 中 越 沖 地 震 では 震 源 地 に 近 い 避 難 所 で DVT 陽 性 率 が 高 かった 5).また 東 日 本 大 震 災 におい ても 津 波 被 害 が 甚 大 な 三 陸 沿 岸 部 市 町 村 の 避 難 所 で DVT 陽 性 率 が 高 く( 図 2), 特 に 石 巻 市 では 津 波 浸 水 した 場 所 にあった 厳 しい 環 境 の 避 難 所 で DVT 陽 性 率 が 高 かった 6).したがって 震 災 後 では 震 源 地 に 近 い 地 域, 津 波 では 浸 水 地 域 など 災 害 の 被 害 が 大 き い 地 域 で DVT および 肺 塞 栓 症 が 多 いと 考 えられ る. 震 災 後 ( 災 害 後 )の 肺 塞 栓 症 および DVT の 危 険 因 子 表 1のように 新 潟 県 中 越 地 震 で 報 告 のあった 症 候 性 肺 塞 栓 症 はすべて 女 性 である.また 新 潟 県 中 越 地 震 被 災 地, 新 潟 県 中 越 沖 地 震 被 災 地 の 検 診 において は 女 性 のほうが 男 性 よりも DVT 陽 性 率 が 高 い 傾 向 がある( 男 性 の 検 診 受 診 数 が 少 ないため 統 計 的 解 析 が 不 十 分 ).したがって 日 本 では 女 性 のほうが 震 災 後 の 肺 塞 栓 症 および 重 症 DVT の 危 険 性 が 高 い 可 能 性 がある. 一 方, 肺 塞 栓 症 や DVT は 年 齢 に 伴 って 発 症 率 が 高 くなるとされているが 表 1のように 新 潟 県 中 越 地 震 での 肺 塞 栓 症 は 中 年 に 多 く, 死 亡 はすべ て 50 歳 以 下 であった.さらに 新 潟 県 中 越 地 震 と 中 越 沖 地 震 の 被 災 地 検 診 においても DVT は 年 齢 と 関 係 を 認 めていない.したがって 震 災 後 ( 災 害 後 )の 肺 塞 栓 症 は 年 齢 と 関 係 がないことを 銘 記 すべきであ る. 新 潟 県 中 越 地 震, 能 登 半 島 地 震, 新 潟 県 中 越 沖 地 震 などで 足 にケガをしている 被 災 者 に DVT を 認 め 50.00 40.00 30.00 20.00 10.00 0.00 50.00 40.00 30.00 20.00 10.00 0.00 図 2 東 日 本 大 震 災 避 難 所 の DVT 頻 度 (2011 年 3 月 16 日 から28 日 ) 570 心 臓 Vol.46 No.5(2014)
図 3 アメリカ 疾 病 予 防 センターの 避 難 所 健 康 環 境 スコア ることが 多 く,またトイレを 我 慢 していた 被 災 者 に も 多 かった.そこで 東 日 本 大 震 災 の 避 難 所 で 注 意 し てアンケートし 多 変 量 解 析 で 検 討 したところ, 足 に ケガをした 被 災 者 でオッズ 比 7.5 倍 (p<0.001),ト イレを 我 慢 した 被 災 者 でオッズ 比 3.4 倍 (p< 0.001) 有 意 に DVT が 多 く, 車 中 泊 はオッズ 比 2.1 倍 (p<0.05)であった 7).このほかに 避 難 所 環 境 もリ スク 因 子 と 考 えられる. 日 本 では 避 難 所 の 健 康 環 境 の 指 標 が 定 められていないため,アメリカ 疾 病 予 防 センターの 災 害 避 難 所 健 康 指 標 ( 図 3)をもとに 東 日 本 大 震 災 避 難 所 の 健 康 指 標 をスコア 化 したところ 有 意 に 逆 相 関 を 認 めた( 図 4).したがって 避 難 所 の 健 災 害 と 肺 塞 栓 症 ( 静 脈 血 栓 塞 栓 症 ) 571
DVT P 0.01 40 30 20 10 0 10 18 19 25 26 32 33 39 40 46 60 図 4 東 日 本 大 震 災 避 難 所 の 健 康 環 境 スコア 表 2 新 潟 県 中 越 地 震 8 年 後 の 被 災 地 住 民 DVT および DVT 既 往 と 震 災 後 の 脳 心 血 管 イベント( 単 変 量 解 析 ) DVT 95%CI p 値 肺 塞 栓 症 (n=7) 脳 梗 塞 /TIA(n=27) 虚 血 性 心 疾 患 (n=51) 7 16 15 リスク 比 6.1 オッズ 比 4.0 オッズ 比 2.0 5.43-6.88 2.04-7.93 1.07-3.67 p<0.00001 P<0.00001 P<0.05 (2012 年 の 検 診 受 診 者 数 1412 人,そのうち DVT 既 往 および DVT を 認 めた 237 人 で 検 討 ) 康 環 境 も 肺 塞 栓 症 および DVT の 重 要 な 危 険 因 子 で あると 考 えられた. 震 災 後 の DVT による 脳 心 血 管 イベント 新 潟 県 中 越 地 震 被 災 地 で 検 診 を 継 続 的 に 行 った 結 果, 震 災 後 に 無 症 候 性 を 含 めた DVT を 発 症 した 被 災 者 では 震 災 後 に 肺 塞 栓 症 がリスク 比 で 6.1 倍, 脳 梗 塞 /TIA オッズ 比 で 4.0 倍, 心 筋 梗 塞 狭 心 症 は オッズ 比 で 2.0 倍 有 意 に 多 いことが 判 明 している ( 表 2) 8). 肺 塞 栓 症 および DVT と 慢 性 期 の 心 筋 梗 塞, 脳 梗 塞 発 症 との 関 連 については 他 にも 報 告 があ る 9).その 機 序 についてはいまだ 不 明 だが 震 災 後 ( 災 害 後 )の DVT は 慢 性 期 に 肺 塞 栓 症 発 症 のみならず 脳 梗 塞, 心 筋 梗 塞 などの 発 症 を 増 加 させる 可 能 性 が あるので 予 防 は 重 要 であると 考 えられる. おわりに 新 潟 県 中 越 地 震 での 教 訓 により,それ 以 後 の 震 災 では 車 中 泊 はほとんどみられなくなった.しかし 能 登 半 島 地 震, 新 潟 県 中 越 沖 地 震 では 運 動 指 導 やトイ レ 数 の 確 保, 水 分 摂 取 や 食 事 が 十 分 でも 避 難 所 の DVT は 予 防 できなかった.また 岩 手 宮 城 内 陸 地 震 では 仮 設 住 宅 でも DVT が 発 生 していた.そして 東 日 本 大 震 災 では 避 難 所, 仮 設 住 宅 で DVT がこれ までになく 多 発 していた.このことは 現 在 の 避 難 所, 仮 設 住 宅 ではいくら 予 防 策 を 行 っても DVT の 発 生 を 防 げないことを 示 していると 思 われる.アメリカ 疾 病 予 防 センターの 避 難 所 健 康 環 境 指 標 の 項 目 は 今 の 日 本 における 避 難 所 では 急 性 期 には 半 分 も 満 たせ ない.これは 日 本 の 避 難 所 を 早 急 に 改 善 すべきこと 572 心 臓 Vol.46 No.5(2014)
を 示 している.1941 年 にロンドン 市 は 地 下 鉄 避 難 所 に 肺 塞 栓 症 予 防 のため 簡 易 ベッドを 計 40 万 台 準 備 し( 実 際 の 避 難 者 数 の 2 倍 以 上 ),その 後 は 肺 塞 栓 症 の 死 亡 は 減 少 した. 欧 米 の 避 難 所 における 簡 易 ベッ ド 使 用 は 文 化 的 背 景 のみならず,こうした 教 訓 があ るためであり, 日 本 でも 避 難 所 の 健 康 環 境 改 善 のた めにも 簡 易 ベッド 導 入 を 行 うべきである. 文 献 1) Simpson K:Shelter deaths from pulmonary embolism. Lancet 1940;2:744 2) 榛 沢 和 彦 : 新 潟 県 中 越 地 震 6 年 後 の DVT 検 診 結 果 : DVT と 高 血 圧 との 関 連. 静 脈 学 2012;23(4):315-320 3) 外 記 子 : 被 災 の 地 からエコノミークラス 症 候 群 車 中 泊 で 血 の 塊, 心 停 止. 朝 日 新 聞 インターネット 版 : http://www.asahi.com(cited 2011 Apr 16) 4) Sakuma M, Nakamura M, Hanzawa K, et al:acute pulmomary embolism after earthquake in Japan. Semin Thromb Hemost 2006;32(8):856-860 5) 榛 沢 和 彦, 岡 本 竹 司, 佐 藤 浩 一,ほか: 中 越 沖 地 震 にお ける DVT 頻 度.Ther Res 2008;29(5):641-643 6) Ueda S, Hanzawa K, Shibata M, Suzuki S:High Prevalence of Deep Vein Thrombosis in Tsunami- Flooded Shelters Established after the Great East- Japan Earthquake. Tohoku J Exp Med 2012;227:199-202 7) Shibata M, Hanzawa K, Ueda S, Yambe T:Deep venous thrombosis among disastershelterinhabitants following the March 2011 earthquake and tsunami in Japan:a descriptive study. Phlebology 2013;10:1-10 8) K Hanzawa, M Ikura, T Nakajima, et al:pulmonary Embolism or Ischemic Stroke Increase 8-YearafterMid Niigata Prefecture Earthquake 2004 in the Residents with Asymptomatic Below-The-Knee Deep Vein Thrombosis. International Angiology 2013;32(suppl 1) No 5:78 9) Sorensen HT, H-Puho E, Pedersen L, et al:venous thromboembolism and subsequent hospitalisation due to acute arterial cardiovascular events:a 20-year cohort study. Lancet 2007;30:1773-1779 災 害 と 肺 塞 栓 症 ( 静 脈 血 栓 塞 栓 症 ) 573