高 柳 健 次 郎 先 生 の 研 究 開 発 及 び 学 会 産 業 界 でのご 活 躍 2015/06/16 日 高 恒 義 高 柳 先 生 の 発 明 は テレビジョンに 始 まり VTR の 基 本 特 許 を 含 め 多 くの 成 果 を 挙 げられた 一 方 先 生 は 学 会 や 産 業 界 でも 多 くの 業 績 を 残 されており 本 稿 では 先 生 のこれらの 学 会 や 産 業 界 での 功 績 の 一 部 を 研 究 開 発 の 流 れに 沿 って 紹 介 したい 1. 日 本 ビクターVTR 開 発 史 1. 1: 2 インチテープ 使 用 の 放 送 用 VTR, KV-1 *1956 年 米 国 Ampex が 放 送 用 4-Head VTR(Transverse 方 式 ) を 発 表 その 直 後 に 日 本 ビ クターは VTR 開 発 に 着 手. *1959 年 日 本 ビクターは 高 柳 健 次 郎 先 生 考 案 の 2-Head Helical-Scan VTR の 特 許 を 出 願. *1960 年 1 月 最 初 の VTR KV-1 を 公 開 発 表. KV-1 カラーVTR (カラー 化 の 為 ラック 1 本 追 加 ) KV-1 2-ヘッド 白 黒 VTR *1960 年 11 月 2-ヘッド VTR カラー 化 に 成 功 放 送 関 係 者 に 披 露. *1961 年 TBS に 持 ち 込 み 実 用 化 テストのスタート * 同 年 4 月 米 国 の NAB に 出 展 米 国 テレクローム 社 と 10 台 の 契 約 成 立 - - 1
* 同 年 4 月 スイス ITU 大 会 で 高 柳 先 生 が 表 彰 を 受 賞 *1962 年 NHK に 持 ち 込 み 実 用 化 試 験 メ モ:* KV-1は 2インチ 幅 のテープを 400mm のドラムで 斜 めにスキャンする Helical Scan 方 式 で 記 録 時 に 同 時 再 生 機 能 を 持 たせる 為 記 録 ヘッドから 90 度 ずれた 位 置 に 再 生 ヘッドを 装 備 していた. *ちなみに KV-1 は 研 究 所 の 仕 事 番 号 であり K は 研 究 所 の 意 味. -1961 年 4 月 日 高 が 入 社 3 ヶ 月 の 研 修 後 に 開 発 研 究 所 に 配 属 される * 最 初 の 仕 事 は KV-1 のカラー 化 のための Burst Licked Oscillator の 製 作 であった *VTR の 再 生 信 号 はジッターを 含 んでいる 為 テレビ 受 信 機 のカラーロック 回 路 が 受 け 付 けない.そこで 再 生 信 号 からジッターを 含 んだバースト 信 号 を 取 り 出 し Burst Licked Oscillator でこれを 連 続 波 とし 再 生 信 号 とヘテロダインすることにより ジッター 成 分 を 除 去 することが 出 来 る KV-1 ではこのヘテロダインカラー 方 式 を 採 用 した. * 先 輩 の 指 導 の 下 であったが なにせ 真 空 管 なので シャーシの 穴 あけからのスタートせ ねばならず 苦 労 であった *この 間 高 柳 先 生 はいつも 気 軽 に 実 験 室 を 訪 れられ 我 々 若 い 技 術 者 との 技 術 論 議 をさ れた 更 に 議 論 が 深 まってくると 皆 専 務 室 に 連 れて 行 かれ 黒 板 の 前 での 議 論 とつなが っていくのであった 先 生 の 技 術 力 と お 人 柄 には 何 時 も 感 銘 を 受 けていた * 議 論 のテーマは 先 生 の FM 特 許 と AMPEX の 特 許 の 技 術 的 な 優 位 性 の 比 較 等 に 集 中 することが 多 かった * 当 時 KV-1 の 実 験 室 の 片 隅 では 廣 田 昭 氏 が 単 結 晶 フェライトヘッドの 実 用 化 の 実 験 を 連 日 連 夜 続 けておられたのが 強 く 印 象 に 残 っている これが 実 用 化 されれば ヘッド の 磨 耗 低 減 感 度 の 上 昇 と 言 う 信 念 と 目 標 が 明 確 にあったからと 思 う 高 柳 先 生 の 教 え を 忠 実 に 実 行 された 賜 物 である * 廣 田 氏 の 単 結 晶 ヘッドはその 後 実 用 化 に 成 功 し KV-200 を 初 め 多 くの 当 社 製 品 に 搭 載 さ れてきた * 放 送 用 VTR, KV-1 の 開 発 技 術 は ビクターのその 後 の 各 種 フォーマットの 開 発 に 大 きく 貢 献 してきた - - 2
1. 2: 1 インチテープ 使 用 の 業 務 用 VTR, KV-200 *1963 年 4 月 日 本 ビクターは 世 界 最 小 の VTR KV-200 を 発 表 メモ:KV-200 は 1 インチテープを 使 用 ヘッドには 単 結 晶 フェライト 実 用 化 に 成 功 ( 廣 田 昭 氏 ) 朝 日 新 聞 1963.4.15 KV200 の 発 表 は 業 界 に 大 きなショックを 与 えた 放 送 業 界 はともかく 当 時 米 国 の 教 育 業 界 ではビデオカメラなどの 電 子 機 器 が 教 育 の 現 場 で 使 われ 始 め VTR の 様 な 記 録 機 器 の 出 現 が 強 く 要 望 されていた その 様 な 中 米 国 で 教 育 用 テレビカメラ 等 の 実 績 のある DAGE 社 から 販 売 契 約 の 打 診 があり 何 回 かの 交 渉 を 重 ね 合 意 に 至 った (DAGE 社 は 当 時 TBS との 技 術 協 力 関 係 にもあった) *1963 年 11 月 米 国 DAGE 社 と 販 売 委 託 契 約 を 結 び ニューヨークの 21 クラブでプレス 発 表 した. *この 時 高 柳 先 生 が DAGE 社 の 技 術 責 任 者 の Carlos Kennedy に 会 われたのが 最 初 であ る.ケネディ 氏 は 後 に AMPEX 社 に 移 り 更 に SMPTE の 会 長 に 就 任 することになる. * 同 席 上 高 柳 先 生 が The American Legion(アメリカ 在 郷 軍 人 会 )から 科 学 発 展 に 寄 与 した 功 績 で 表 彰 された. *その 後 KV-200 を 米 国 ミルウォーキーで 開 催 された NAEB (National Association of Educational Broadcasters) ショーに 展 示 大 きな 反 響 を 呼 んだ.(KV-200 を DAGE 社 が 米 国 で 販 売 するにあたり モデル 名 を DV-200 とした) - - 3
DAGE 社 ジ ェ フ 高 柳 先 生 長 <KV-200 VTR> < 高 柳 先 生 とジェフ DAGE 社 長 > < 高 柳 先 生 The American Legion から 表 彰 > <ミシガン 市 の News Dispatch 紙 に 掲 載 され た 記 事 (November 13, 1963)> <DAGE 社 製 品 カタログの 一 部 > - - 4
RCA 関 1-3: 1 インチテープ 使 用 の 業 務 用 VTR, KV-600 を 含 むシステム 開 発 * 業 務 用 VTR, KV200 の 性 能 を 向 上 させ 放 送 用 に 適 合 した 画 質 を 得 る 為 スキャナーの 径 を 大 きくした KV-600 を 開 発 カラーアダプターとの 組 み 合 わせたシステム 化 を 実 施 * 高 柳 先 生 も 折 に 触 れ 実 験 室 を 覗 かれ 適 切 なアドバイスを 頂 いた( 下 記 写 真 ) *1965 年 4 月 NHK 技 術 研 究 所 から LSC(Line Sequential Color)のトランジスタ 化 の 開 発 依 頼 を 受 け 開 発 に 成 功 ( 技 研 の 稲 津 さんの 真 空 管 の 回 路 図 面 だけが 頼 りで 苦 労 した) *1965 年 4 月 SVC-1000 フィールド 順 次 カラーVTR 発 売 ( 主 に 医 療 用 ) *1966 年 8 月 放 送 用 VTR KV-600 開 発 *KV-600 用 カラーアダプター 開 発 (LSC) * 高 柳 先 生 と RCA 技 術 研 究 所 との 技 術 交 流 ( 研 究 所 実 験 室 にて) 係 者 高 柳 先 生 田 中 冨 之 氏 徳 光 元 副 社 長 <KV-600 開 発 関 係 者 及 び RCA 来 訪 者 > <KV-600, 1 インチ VTR> - - 5
1-4: 1/2 インチテープ 使 用 の EIAJ 統 一 1 型 家 庭 用 VTR の 開 発 *1968 年 EIAJ による 家 庭 用 VTR のフォーマットが 統 一 されると 各 社 から 家 庭 用 VTR の 発 売 がはじまった *1966 年 2 月 家 庭 用 VTR KV-800 発 表 * 同 年 11 月 カラーアダプタ 式 家 庭 用 VTR KVC-800 発 売 *1969 年 統 一 1 型 家 庭 用 VTR 発 売 < 家 庭 用 VTR KV-30> < 統 一 1 型 KV-3500> **** その 後 家 庭 用 は VHS / ベータ 方 式 へと 展 開 ********* - - 6
2. 高 柳 先 生 の 学 会 産 業 界 でのご 活 躍 2-1: 高 柳 先 生 SMPTE から Horary Membership の 称 号 を 授 与 される SMPTE (Society of Motion Picture and Television) の Honorary Membership は 映 画 テ レビジョン 或 いは 関 連 した 芸 術 科 学 等 の 先 端 技 術 に 寄 与 した 著 名 な 人 に 与 えられるも のである Honorary Membership の 授 与 は Society では 最 高 の 栄 誉 である これまで Tomas Edison (1928) George Lucas (2014) Charles Ginsberg (1976) Walt Disney (1955) 等 々にこの 称 号 が 与 えられている ( 以 下 は 授 賞 式 のスナップ 岩 崎 陽 三 氏 提 供 ) <1988 年 SMPTE 受 賞 者 の 主 役 は 高 柳 先 生 でした> <ケネディ SMPTE 会 長 から 賞 を 受 け 取 られる 先 生 > 高 柳 先 生 がケネディ 氏 に DAGE 社 で 初 めて 会 ったのが 1963 年 11 月 実 に 25 年 前 である 以 来 ケネディ 氏 は 高 柳 先 生 を 尊 敬 し 先 生 の 功 績 を 高 く 評 価 してきた 今 回 SMPTE 会 長 として 自 らの 手 で 賞 を 渡 すことが 出 来 大 変 感 激 し 名 誉 なことと 述 べ ていた - - 7
< 受 賞 のお 礼 スピーチを 英 語 でされた 先 生 > < 高 柳 先 生 の 功 績 と 89 歳 の 受 賞 に 万 来 の 拍 手 > 2-2: MPEG 符 号 化 技 術 確 立 に 貢 献 したビクター 久 里 浜 * 高 柳 先 生 が SMPTE から Honorary Membership の 称 号 を 授 与 された 同 じ 年 1988 年 5 月 に 第 一 回 MPEG 会 合 がカナダのオタワで 開 催 された *MPEG-1 としてスタートした 圧 縮 技 術 は MPEG-2, MPEG-4 AVC と 進 展 を 続 け 現 在 は HEVC (High Effencency Video Coding) の 規 格 が 制 定 され 4K/8K の 超 高 解 像 度 の 映 像 が 家 庭 で 楽 しめる 時 代 となった *1989 年 11 月 には MPEG 会 議 が ビクター 久 里 浜 研 究 所 で 開 催 MPEG-1 の 画 質 評 価 が 実 施 された <MPEG 久 里 浜 会 議 藤 本 正 煕 氏 の 挨 拶 > <MPEG 久 里 浜 会 議 参 加 メンバー> *1991 年 11 月 再 び MPEG 久 里 浜 会 議 が 開 催 され MPEG-2 の 評 価 テストも 実 施 され た この 会 合 には 世 界 17 ヶ 国 111 企 業 から 201 人 のメンバーが 久 里 浜 に 集 結 した - - 8
* 圧 縮 技 術 は 高 柳 先 生 の 教 えを 受 けた ビクターの 技 術 陣 の 努 力 の 成 果 と 言 える *MPEG スタート 当 初 は 画 質 も 中 々 上 がらず これが 本 当 に 実 用 化 出 来 るのであろうか との 思 いもしばしばあった *しかし 高 柳 先 生 の 教 えを 守 り 必 ず 目 標 を 達 成 すれば 素 晴 らしい 世 界 が 広 がるとの 信 念 の もと 努 力 を 重 ねてきた 結 果 当 社 は 双 方 向 予 測 ( 杉 山 氏 )を 始 め 数 多 くの 基 本 特 許 を 取 得 し MPEG の 性 能 向 上 に 大 きく 貢 献 してきた * 下 記 文 献 は MPEG 議 長 のキャリヨーネ 氏 が 名 古 屋 大 学 で 講 演 し 映 像 情 報 メディア 学 会 誌 Vol 66, No.6, pp427 ~pp431 (2012) に 寄 稿 されたものである * 当 社 の MPEG 標 準 化 に 対 するサポートに 対 し 感 謝 の 意 が 述 べられている - - 9
2-3:. 高 柳 先 生 の 産 業 界 でのご 活 躍 * 高 柳 先 生 は 産 業 界 の 異 業 種 企 業 との 交 流 も 熱 心 に 進 めておられた *1987 年 7 月 3 日 に 久 里 浜 で 全 豊 田 技 術 会 議 が 開 催 された * 高 柳 先 生 の 左 隣 が 松 本 清 トヨタ 自 動 車 副 社 長 ( 当 時 ) *その 他 豊 田 中 央 研 究 所 ( 取 締 役 ) 豊 田 中 央 研 究 所 長 トヨタ 自 動 車 専 務 日 本 電 装 社 長 等 々の 参 加 があった むすび 高 柳 健 次 郎 先 生 の 研 究 開 発 及 び 学 会 産 業 界 でのご 活 躍 の 様 子 を 研 究 開 発 の 流 れに 沿 って また 出 来 るだけ 写 真 を 使 いながら 紹 介 させて 頂 いた 高 柳 先 生 のご 活 躍 の 広 さ ご 功 績 の 深 さについては 枚 挙 に 遑 はないが ここではその 一 端 を 紹 介 させていただいた 高 柳 健 次 郎 先 生 のような 偉 大 な 方 に 直 接 指 導 を 受 け 技 術 の 議 論 をさせて 頂 けたことは 大 変 名 誉 なことであり 感 謝 しております --- - - - - - - - - - - - 10