KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY Institute of Disaster Area Revitalization, Regrowth and Governance 関西学院大学災害復興制度研究所ニュースレター FUKKOU Vol.39 巻頭言 contents 目次 共に在る 復興 / 池埜聡 1 2019 年度研究会ラインアップ 2 報告 ラクイラ地震から 10 年後の被災地を 訪れて / 斉藤容子 3 追悼 元運営委員の荏原明則さん 68 歳で死去 4-5 報告 GADRI Summit に参加して / 岡田憲夫 6 観感学楽世界の被災地につなぐ 恩返し / 立部知保里地域 職場 家族の変容を書き記す / 吉田耕平 7 ともに原発避難に共鳴する 命どぅ宝 夏期開室状況日本災害復興学会会員募集中!! 8 共に在る 復興 1990 年代の大学院生活に加え 2012 年と 2018 年 災害復興制度研究所運営委員池埜聡 の二度にわたって客員研究員としてUCLAで過ごしたこともあり ロサンゼルスは第二の故郷 大谷翔平選手の活躍に湧くこの地を中心に 今も数百名の在米被爆者の方々が後遺症の不安を抱えながら生活されていることを知る人は少ない 縁あって 2005 年からロサンゼルスの在米被爆者団体と共にアメリカに住む広島 長崎被爆者の調査や支援活動を行ってきた 1974 年 当時の厚生省公衆衛生局長によるたった一つの通達によって 海外に住む広島 長崎被爆者 ( 在外被爆者 ) が援護の対象から除外され続けてきた 他国の在外被爆者とも協力して訴えた数々の損害賠償請求は そのほとんどが原告勝訴として結実した しかし 未だ原爆肯定論が根強く残るアメリカ社会において 家族にすら被爆の事実を封印し やむを得ず 広島 を医師に告げた際に受けたモルモットのような扱いは 被爆者の記憶から消え去ることはない 同胞であるはずの日系コミュニティも 原爆問題を表に出すことを良しとしない Don t rock the boat! 波風を立てるな! 公式の場で ある日系団体が在米被爆者に対して放った言葉である 被爆のトラウマ 後遺症の不安のみならず 被爆者としての 存在 そのものを内外から否認される痛みは 生そのものへの罪悪感を助長する 昨年 まるっと西日本 : 東日本大震災県外避難者支援団体 ( 代表 古部真由美氏 ) の尽力による 多くは福島からの県外避難者が描いた復興曲線調査の評価に携わる機会を得た そこには被災から7 年を経てもなお関西は安住の地とはならず 福島 であるがゆえの差別 子どもの心を打ち砕く 放射能 を揶揄するいじめ 被曝による健康不安 そして故郷を離れたことへの罪悪感がひしめき合っていた そして 自らの 存在 をうまく感じ取れない避難者の現実が盛り込まれていた 各々の曲線は 在米被爆者の人生の軌跡と重なり合っていく 2017 年 本研究所顧問 山中茂樹氏の招きで まるっと西日本 主催の研修会にて身体感覚を用いたトラウマ ケアの話をさせていただいた それをうけて 古部氏はすぐに避難者向けのヨーガ プログラムを立ち上げてくださった ( 神戸新聞 2018 年 3 月 10 日 ) しかし 復興曲線は 避難者の心のケアや生活支援のみならず 故郷を剥奪された痛みを分かち合い その 存在 を忘れないで共に生きる社会の構築の重要性を私たちに突きつけた 在米被爆者と共にその 存在 の尊さ 身体の芯から 共に在る ことの深遠さを感受してきた道のりを思い返しながら 県外避難者を包摂していく社会のあり方を考え抜きたい 福島の問題は 私たち が起こした事故によるものであり 私たち が同じ痛みにさらされたとしても 何も不思議ではないのだから 人間福祉学部 藤井美和氏の言う 3 人称ではなく1 人称の視座 に立ち 避難者の 存在 を尊び 共に在る 心性を涵養していく道程を模索したいと切に願う 私たちは つながっている のだから 1
2019 年度は 5 研究会で始動初めて学内公募の 3 研究会も 災害復興制度研究所は 2019 年度 新たに立ち上げた復興政策評価研究会など 5 研究会を開設するとともに 研究所の創設 以来初めて学内公募した共同研究プロジェクトとして 3 研究会を設置することになった 基幹研究会である法制度研究会では 既存の災害法制を棚卸しして再編する 被災者総合支援法案 の策定を進めてきたが 今年度中に新法案を発表する方針である また 法制度研究会に国際比較法制研究分科会を設け 昨年度から引き続き未来災害研究会には二つの分科会を設けている 持続的地域再生研究会 復興政策評価研究会 テーマ 政策フレームと人的ネットワークの構築に向けた研究 テーマ 災害復興における被災者主体の政策評価手法の研究 趣旨 大災害からの復興 は長い時間をかけての地域の持続的な取り組みである 過去の大災害の経験を系統的な知恵 知識として継承し 来るべき巨大災害に事前から備えていく政策研究パースペクティブが求められている 本研究会は研究者と実務者 行政の政策担当者などを交えて知識交換の場を重ねて 政策フレームと人的ネットワークの構築をめざす 趣旨 災害復興における政策評価は 行政主導による復興事業の進捗率等の評価にとどまり どのような事業が被災者の復興に寄与したのか 被災者の視点が基本的に抜け落ちていた 本研究会の目的は 生活再建に資する政策を被災者の視点で定量的に評価する手法を構築し その手法によって被災者の求める復興政策を具体的に提示できるようにすることである 避難 疎開研究会 テーマ原発事故や巨大災害による避難者の課題についての研究趣旨 東日本大震災では少なくとも 5 万 1 千人が今なお避難を余儀なくされ そのうち福島第一原発事故で被災した福島県では県外に避難している被災者は 3 万 1 千人を超えている 今世紀前半に発生が予想される南海トラフ地震でも広域かつ中長期の避難が想定され 被災者が避難先で十分な行政サービスが受けられるような制度が不可欠であり 二地域居住 の具体的な制度研究を進めていく 法制度研究会 テーマ 被災者総合支援法案のあらまし についての研究趣旨 災害復興基本法 試案に基づく実定法の研究を柱に据え 既存の災害法制の棚卸しを進めてきた 具体的には被災者の生活再建に直結する災害救助法 災害弔慰金支給等法 被災者生活再建支援法を再構築し 被災者支援の枠組みを応急対応 復旧 復興のフェーズに沿って総合支援法として体系化していく 国際比較法制研究分科会 テーマ諸外国の災害法制及び被災者生活再建支援制度の研究趣旨 法制度研究会における議論で国際比較研究の重要性がクローズアップされてきた 2019 年度に国際比較法制研究分科会を発足させ 他国の災害法制及び被災者の生活再建支援制度の研究を進め 被災者総合支援法案に反映させることを狙いとする 未来災害研究会 首都直下地震の復興を考える研究分科会 テーマ首都直下地震からの事前復興対策についての研究趣旨 東日本大震災を契機に大規模災害復興法が制定されたが 備えとしての復興の取り組みを推進するものではない 首都直下地震からの復興を適切に進める方策の研究を進め 事前復興対策について政策提言をする 南海トラフ地震事前復興研究分科会 テーマ南海トラフ地震からの事前復興対策についての研究趣旨 南海トラフ地震の想定被災地における高台移転施策に関する制度研究や住民主体の事前復興の実践的研究を進める 和歌山県串本町やすさみ町の先進的な津波対策まちづくりの取り組みを検証し 現行制度の問題点を明らかにして政策提言に繋げる 共同研究プロジェクト 関西学院大学における複数の組織による災害の被災者 被災地支援の仕組みや地域復興に関する学術研究と研究交流を促進することを目的に 2019 年度は 3 件を学内公募した 本学の専任教員 2 名を含む 4 名以上の研究プロジェクトを対象に 1 件につき 50 万円を上限に研究費を支給する 応募のあった 3 件について本研究所の運営会議で採択を決定した 研究課題 研究代表者は次の通り 大規模災害に備える災害廃棄物対策の合意形成に関する研究 ( 金太宇 社会学部准教授 ) ネパール大地震後の貧困と復興: ネパール農村世帯パネルデータを用いた動学貧困分析 ( 栗田匡相 経済学部准教授 ) 災害復興と防災に関する日本 台湾比較研究 ( 長峯純一 総合政策学部教授 ) 2 FUKKOU vol.39
告ォッサ市にある仮設住宅ラクイラ地震から 10 年後の被災地を訪れて関西学院大学災害復興制度研究所指定研究員報斉藤容子 (2009 年 4 月 6 日午前 3 時 32 分 マグニチュード6.3の地 2019 年 5 月 27 日 フ20~ 31 日までラクイラ 19年市及び周辺市において 5月ヒアリングを行い ま撮影たローマでは災害防護)庁やラクイラ地震に対する復興コーディネート機関等を訪れた 最も驚いたことは 復興 10 年とは思えないほどの工事の多さだった イタリア政府は被災した57 市すべてにある歴史的地区の復興と 歴史的地区外の復興を分けて考える方針を出した そのため被害が比較的軽く 歴史的な建築文化財が少ない地区は早く復興し 歴史的地区はその後に復興が本格化したためにかなりの時間を要している 長く封鎖されていた歴史的地区には現在は立ち入ることが可能となったものの 中心部は工事関係者が多く 住民を見かけることは少ない状況であった しかし 中心部のベンチに座っていた高齢男性に話を聞くと 今は仮設住宅にいるけれど もうすぐ住居の修復が終わる そうしたら帰れる と笑顔で話してくれたことが印象深い ヒアリング中に 日本では被災者生活再建支援法によって最大 300 万円が給付されると話をすると そんな少額? と驚かれた またイタリアには被災した住居を壊して立て直すという考えは少なく 昔からの住居 ( 歴史的地区はその多くが長屋スタイルである ) が多いので修復してまた住めるようにするという考えが根強くあることがわかった そのため 住居は何世代にも渡って住み続けられるものであると考えられ その修復のために税金を投入し再建することに対しての批判的な意見はあまり聞かれないというのである この政策によってラクイラ地震後の被災地には住居再建のために81 億ユーロ ( 約 1 兆円 ) の資金が使用されている その後イタリアでは2012 年エミリア ロマーニャ地震や 2018 年イタリア中部地震などが発生しており そのたびに様々な政策の変更がなされているが この政府による住宅再建支援は基本的には変更がない ( 一部補助額などの変更はある ) すべての人が災害後の住まいに関して心配なく暮らせることは重要であり 日本とはまったく違う形の復興があることを学べた訪問となった しかし 一方で 地域コミュニティの崩壊や住民の復興まちづくりへの参画の欠如はイタリア人研究者らによってこれまでに多く指摘がなされてきた通りであり 今後はより多角的な面から調査が必要であると実感した ラクイラ市工事の進む市街地区 (2019 年 5 月撮影 ) 3 震がイタリア中部にあるラクイラ市及び周辺の56 市を襲った この地震により309 名が犠牲となり 1,500 名の負傷者がでた また観光都市ラクイラ市は中世の歴史的市街地域の建造物の多くが被害を受け その結果 67,500 人が住居を失った ラクイラ市はイタリア国内においても地震活動の多い地域であり 4 月の地震発生前には小さな群発地震が発生していたために 独自に地震予知情報を流す住民らが現れた そのため 2009 年 3 月 31 日イタリア政府によって 大災害の予測と防止のための国家委員会 が開かれ 科学者と行政関係者が出席し協議が行われた この委員会後の見解を受け 各種メディアは安全であると報じた その6 日後にラクイラ地震が発生した その委員会に招集されていた科学者 6 名と行政関係者 1 名が犠牲者の遺族によって集団過失致死罪で告訴され 全員に禁固 6 年 公職から永久追放という有罪判決が出されたことは日本でもニュースとなったため覚えている人も多いのではないかと思う (2015 年最高裁判所によって科学者 6 名に対して無罪判決が出されている ) 災害後の生活再建支援のための国際比較調査を始めた時 先進国で災害が多いところから調査を始めようと思い 経済開発協力機構 (OECD) に加盟している国から調べた その中で災害の多い国のひとつがイタリアであった そしてそれまでの文献調査の中で イタリアは 災害後の被災住居に対して国が 100% 補償し 再建する という政策を取っていることがわかった この補償制度は1980 年のイルピーニア地震から始まったとされている そのためイタリアには民間住宅に対しての保険制度がないという なぜこのようなことが可能なのか 私有財産に税金を投じることに否定的な意見はないのかなど多くの疑問が沸き上がってきた そして国際比較法制研究分科会の調査の一環としてイタリア調査を実施する機会を得た
元運営委員の荏原明則さん 68 歳で死去 瀬戸内海の環境保全に尽力阪神大震災後は災害法制研究も 災害復興制度研究所の運営委員で司法研究科教授だった荏原明則さんが4 月 14 日 気管支拡張症のため死去した 68 歳だった 荏原さんは横浜市の出身 5 歳の時に肺炎が悪化し 気管支拡張症を患って 小学低学年では半年間の入院生活を送ったこともあった 東京教育大学を卒業し 筑波大学の大学院で学んだ後 神戸学院大学法学部で教鞭をとった 関西学院大学司法研究科の開設当初の2004 年 4 月から在籍し 今年 3 月末に退職したばかりだった 研究生活の全般を通じて瀬戸内海の環境保全に研究面で尽力され 兵庫県環境審議会の特別委員をはじめ NPO 法人瀬戸内海研究会議の副理事長 公益財団法人国際エメックスセンターの評議員選定委員会委員を歴任 阪神 淡路大震災後は 研究の対象を災害法制や復興まちづくりにも広げ 兵庫県まちづくり審議会の委員も務めた 震災後は関東の知人らと意識のずれを感じ始めたようで 自分のアイデンティティーは関東人だったが 震災でこっちの人間になった と いずみ夫人に話したこともあった 関東の大学から移籍の誘いもあったが 震災被災地にある関西にとどま 旅先でくつろぐ荏原明則さん いずみ夫人との旅行だった =2012 年 3 月 フランス ディジョンで ることを選んだという 若いころから体調の良い時期は長く続き スキーやサイクリングも楽しんでいたが 病気の悪化により2017 年 9 月から休職していた 災害復興制度研究所にはその年の春 かつて総務委員長を務めた日本災害復興学会の会則改訂の確認作業に出向いてくださったのが最後となった ( 災害復興制度研究所主任研究員 野呂雅之 ) 惜別 赤心の人だった 山中茂樹 ( 災害復興制度研究所顧問 ) 赤心 の人であった 荏原明則先生のことだ 夫人を帯同し 車いすでの最終講義 顔を見せるだけの登壇だったが それで力尽きたのだろうか 予期もしない突然の別れだった 言葉を失い 無念の思いで天を仰いだ 早すぎる まだ 知恵を貸してくれる約束が残っていたじゃないか と 最初の出会いは いつだったろう 記憶の彼方だが ふと見回すと いつも荏原さんの穏やかな微笑みがあったように思える 15 年前 昂揚を抑えきれなかった研究所最初の全体研究会 現地研究会を兼ねた被災地長田の街歩き そして2008 年の日本災害復興学会旗揚げ総会 元気だったころの荏原先生は 皆勤 だった 研究所創設の目的であり Stretch Target( 難易度の高い目標 ) であった災害復興基本法試案の策定 省庁の垣根を取り払った復興交付金の提案 被災者生活再建支援法の大改正を後押しした全国自治体の横出し 上乗せ支援の調査と分析 ともすれば前のめりになりがちの研究チームにとって 荏原さ んは冷静で しかも頼りになる後見役だった 荏原さんの真骨頂を目の当たりにしたのは 復興学会の総務委員長をお願いしたときだ あの人 人より沸点が高いんです でも臨界点を超えると突然 切れる と令夫人 学会を構成する各委員会の委員長たちは予算の増額と権限拡大に懸命で 学会事務局の職員泣かせの人も少なくない そんなとき いつも穏やかな荏原さんが決然と要望や苦情を跳ね返した 事務局に乗り込んできた人と直接 渡り合うこともあったが 不思議とその人たちは笑顔で帰って行った 何も要望はかなわなかったというのに 赤心 真心 誠意のことをいう と辞書にある 赤心を推して他人の腹中に置く という後漢書の一節の通り まるごとの誠意で立ち向かう人柄だった 2 年前 いや3 年前だったろうか お題目だけの復興基本法を実効性のある法律に改正したい と荏原さんに知恵を貸してくれるようお願いした 概略をお話しした後 改めて検討会を開こうと約束した 快諾をいただいたが そのままになってしまい 連絡も取れなくなった 健康が限界に近づいていたと知っていたら あんな宿題を出すようなお願いはしなかったのに と心残りでならない 4 FUKKOU vol.39
貴重なアドバイスに深く感謝 宮原浩二郎 ( 災害復興制度研究所初代所長 社会学部教授 ) 兄弟ともに忘れ得ぬご交誼に感謝 岡田太志 ( 災害復興制度研究所運営委員 商学部教授 ) 荏原明則先生には復興研の立ち上げに際して大変お世話になりました ちょうど関学に移られたばかりの頃だったと思いますが 行政法や環境法の第一級の研究者であり 災害復興にも熱心に取り組まれていた先生から多くの頼もしいお力添えを頂きました その後も研究所活動の要所要所で貴重なアドバイスを頂き 深く感謝しています 一 二年前にたまたま阪急電車でご一緒したとき 最近は体力がなくなって講義に苦労している と言われ 少し気になってはいたのですが これほど早く逝かれてしまうとは思いもよりませんでした 残念でなりません いつも穏やかな微笑みを浮かべながら 緻密な議論を丁寧に展開して下さる 先生独特の語り口が脳裏に浮かんできます 荏原先生 ほんとうにありがとうございました 荏原明則先生に初めてお目にかかりご挨拶する機会に恵まれたのは 先生が関西学院大学司法研究科にご就任された4 月でした 先生の前任校神戸学院大学で 愚兄が親しくしていただいていた同僚だった関係で 以来 学内でお会いするといつも 先生の方から こんにちは お元気ですか と 包むように優しく穏やかにお言葉をかけ続けていただきました 無理のないように とお気遣いいただき 激励し続けていただきました 今は 先生の時々のお姿と数々のお言葉が走馬灯のように脳裏を駆け巡っています 復興研立ち上げの際には いつか一緒に研究をとお声がけいただきましたが 申し訳なくもそれが叶わず残念でなりません 一級の研究者そして教育者であられた先生 兄弟ともに 忘れ得ぬご交誼と多くの想い出を賜り 本当にありがとうございました これからも どうかお見守りください 安らかなお眠りを心から祈り上げます 堅実な法解釈論者 山崎栄一 ( 災害復興制度研究所指定研究員 関西大学教授 ) 目を開かされた日弁連での講演 永井幸寿 ( 災害復興制度研究所研究員 弁護士 ) 荏原先生には 生前には災害復興制度研究所においてさまざまな手堅い法解釈論を提供していただいた 災害救助法に関するご報告の際には 救助法制定当時の文献を交えた丁寧な論証を展開されておられた そのうち 被災者生活再建支援法に関する論稿を執筆されたいとの意向をお示しであったが これから荏原先生のご高説を伺うことができなくなり残念である 法解釈論の手堅さゆえに 災害復興制度研究所の目指している運動の方向性に対してある種のブレーキ的な作用をもたらしたかも知れないが 法制度としての理論的整合性を担保するために必要不可欠な役割を果たしていただいたと確信している ここまで手堅い法解釈論を提示してくれる研究者は他にはなく 人間の復興を目指す我々にとっては 運動が今どのようなポジションに立ち どのような方向に運動を展開すればいいのかを示してくれる貴重な灯台を失ってしまったといえる 荏原先生には 十数年前に日本弁護士連合会の災害復興支援委員会で災害救助法の講演をしていただきました 従前 厚労省が 災害救助法に現金給付の明文の規定があるにもかかわらず 現物給付の原則 という法令に全く根拠のない原則を理由にして現金支給を禁止しているのが不思議でしたが 災害救助法の前身の戦前の罹災救助基金法が現物給付の原則をとっており厚労省がこの影響を受けていること 災害救助法に関する訴訟事件がなく運用について司法審査の洗礼を受けてないので行政の独善が改まらないことを明快にご説明されました 当時は現物給付の原則に関する文献が全くなかったので目から鱗が落ちるようでした その後 弁護士や研究者の間で現物給付の問題点にする研究が進みました 荏原先生にはもっと色々教えていただきたかったです 以前 奥様とクラシックコンサートを聴きに来られているのをお見かけして ご夫婦の仲むつまじいところを拝見しました 晩年の先生の講義にも奥様が介助されたとうかがっています 安らかな眠りをお祈り致します 5
告GADRI Summitに参加して関西学院大学災害復興制度研究所顧問報岡田憲夫 関西学院大学災害復興制度研究所の部屋の壁に枠に入った証 書が掛けられている 世界防災研究所連合 (GADRI) に本研究所が 2017 年から加盟していることが認証されている GADRIの誕生は東日本大震災が発生した年 (2011 年 ) の 11 月に遡る 京都大学防災研究所が主催した国際サミットがきっかけである GADRIの目的と趣旨は以下のように述べられている 1 学術研究の地球規模ネットワークを形成すること 2 災害研究のロードマップ 研究計画 研究組織の組成に資すること 3 災害研究を進める研究機関の能力向上を目指し 研究者や学生の交流を推進すること 4 地球規模で学術研究のためのデータや情報の共有化を進めること 5 意思決定に影響を及ぼせるように 統一した声明を発信するための調整を行うこと 本年 (2019 年 )3 月 15 日に第 2 回世界防災研究所連合 (GADRI) 総会が開催された 関連して3 月 12-15 日には第 4 回世界防災研究所サミット (GADRI Summit) が京都大学宇治キャンパスで開かれた 災害復興制度研究所からは私 ( 岡田憲夫 ) のほか 山泰幸副所長と斉藤容子氏が参加した 第 4 回サミットには世界 33の国と地域から 251 名の参加があり 現国連防災機関 (UNDRR) ユネスコ 世界銀行などの国際機関や 内閣府 国立研究開発法人 (ICHARM) などの国内機関 京都府副知事 宇治市長 京都市長などの政府関係者の参加も得て 大変活発で実り多い会議であった 3 月 15 日の第 2 回世界防災研究所連合 (GADRI) 総会には60を超える各国機関からの参加があった 重要議案の承認に加え 今後の活動の方向性に関して活発な議論がなされた 岡田 山 斉藤は 関連するセッションや総会に参加して内外の研究者 国際機関関係者等の参加者と積極的に情報交換と討議に加わった シンポジウムでパネル討論をする各国の参加者たち (3 月 14 日 京都大学で ) GADRI の証書 第 4 回世界防災研究所サミットでは以下のことが議論された (1) 防災をめぐる重要な諸課題に関する議論と科学技術ロードマップの作成 (2) 2015 年 3 月の仙台防災枠組み以降の防災研究関連分野における世界や国内の動きの共有化 (3) 各国機関での取り組み状況や研究成果の共有化 (1) に関しては グループ討議を中心として方向を取りまとめ そのインプットを2019 年 5 月にスイスで開催されるグローバルプラットフォーム2019にて共有化することになった (2) に関しては 16 件の基調講演があり 仙台防災枠組みと国際機関や各国機関からの取り組みの紹介に加えて GADRIが今後目指すべき方向性に関して 多くの示唆があった (3) に関しては 北アメリカ主体 アフリカ主体 及びイギリス主体の世界防災研究所連合での活動報告や 52 件のポスター発表があり 活発な意見交換と研究成果が共有された 参加した岡田の印象と見解は以下のようである 日本がイニシアティブをとって誕生し グローバルに発展しつつあるGADRIは 極めて有用な研究機関ネットワークとして活用していく価値がある 本研究所が目指す 人間復興を中心にした災害復興 という高邁な趣旨と現場を重視した実績は このようなプラットフォームを活用してもっとアピールしていくべきである Act locally を Think globally につなげていく知恵も学べる この機会に 研究所の壁に掲げられたGADRI 加盟の証書に目をとめていただけると幸いである 6 FUKKOU vol.39
フィリピン バンタヤン島の漁村の人々7 観 感 被災地を観る 被災地の痛みを感じる 学 楽 そして 被災地から学ぶ 被災地ネット 世界の被災地につなぐ 恩返し / 立部知保里 かんかんがくがく 被災地の人たちと楽しむ 地域 職場 家族の変容を書き記す / 吉田耕平 世界の被災地につなぐ 恩返し 兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科博士後期課程立部知保里 2018 年 3 月 私は大学院の修士論文の調査のため フィリ ピン セブ州北部のメデリン町とバンタヤン島を訪れた 2013 年の台風ヨランダで被災した農村 漁村の人々に話を聴き 家に泊めていただき 寝食を共にして 祭りで一緒に踊るなどして過ごした 彼らは台風の直接的な被害からは回復しているようだが 経済的な厳しさや観光開発に伴う沿岸地域からの立ち退き勧告など もともと抱えている問題は解決しておらず 今も再建の過程で課題に向き合い続けている 復興においては災害による被害だけではなく 彼らの本来の生活を見なければならないと痛感した 滞在中は 調査者 という自分の立ち位置に悩みながら ただただ 人 として付き合いたいと思っていた そんな私に現地の人たちは 一方で 外国人 / 日本人 に対するまなざし 一方で 友人 として気さくに温かく接してくれた 私は2019 年 4 月からCODE 海外災害援助市民センターというNGOでインターンをしている NGOで働く若者をサポートする CODE 未来基金 というプログラムの一環である CODEは阪神 淡路大震災で世界中から支援を受けたことの 恩返し として創設され 世界各地で被災地支援を行っている 支援の届きにくい人の声に耳を傾け 被災地の人々の内発性を尊重し 最後のひとりまで かかわることを追求している 被災地での 支援する人 される人ではなく 人と人 としてかかわる姿勢に 私は強く共感した 地域 職場 家族の変容を書き記す首都大学東京客員研究員吉田耕平 この文章を書き始めた6 月 18 日の夜 ゴゴゴゴという音とともに地面が揺れた 震源地は山形県沖 私は福島市内にいた この ゴゴゴゴ という音はいつも 24 年前の冬に私を連れ戻す 阪神地域に住んでいた小学 6 年生の頃へと 最後にこの音を聞いたのはいつだったか それは 都内に住んでいた2011 年 3 月 11 日の昼下がりのことだったと思う このとき私は大学院生 津波被害と原子力災害の行く末を案じながら 阪神 淡路大震災の資料を探した そして次の事実に気づく 大震災の発生日以降 被害はどのように拡大 現在 CODEで事務局業務に携わりながら NGOの災害支援の こころ を学んでいる 今後それらを現場で実践していけるよう力をつけていきたい CODE は小さな団体で 現地に常駐しない だからこそ 限られた機会の中でどれだけ目の前の被災者の声を聴き 彼らの暮らしを理解し できることに考えを巡らせられるかが問われるだろう フィリピンでの葛藤や人の温かさを心に留め フィリピンの彼ら そして世界の被災地への 恩返し をつないでいきたい し 継続したのか これを知らないまま自分は過ごしてきた だがそれだけではない 社会科学の文献も ある重要な点に関してインテンシヴな記録を残していなかった はたして地域 職場 家族の構成員だった人たちは 離れ離れになったとき どのように関わり合いを続けたのだろうか? 東日本大震災の発生から 1 カ月あまりたった 4 月末 郡山市と会津若松市を訪問 警戒区域等が設置された相双地区を離れ 避難生活を送る方々から話を聴いた このとき富岡町の企画課長と大熊町の総務課長にも時間をいただいた 聴けば 全国に散らばる町民の所在は概ね判明したという しかし 町民が各地で直面している境遇は十分に把握できない様子 以降 県内外の皆さんを訪ね 時折その様子を役場に伝えることにした その過程で目の当たりにしたのは 浪江町 から 楢葉町 までの町民団体が各地に立ち上がったこと そして 各町の役場がこの動きを応援したことだ 私が最初に接したのは その年の暮れに大熊町役場で紹介された各地のサロン ( 写真 ) および翌年 2 月に設立された富岡町民のネットワークだ これらの試みは 災害史上どのような意義を持つのだろうか 近刊の日本災害復興学会学会誌 復興 に 大熊町の施策を紹介する まだまだ書くべきことは多い 今後も 災害と再生の過程を伝え 残したい 2012年2月1日 広報おおくま 2 5頁 コミュニティ紹介 吉田寄稿記事
仁川甲東園歯科 門戸厄神西宮聖和 舞鶴若狭自動車道関西学院前タウンカルチャー原発避難に共鳴する 命どぅ宝 原発事故で福島から最も 遠い沖縄に避難しているの はなぜなのか その理由を知りたいと考え 沖縄戦の戦没者を悼む 慰霊の日 にあわせて沖縄を訪ねた 福島避難者のつどい沖縄じゃんがら会 代表の桜井野亜さんは事故当時 福島県郡山市でフードスタイリストをしていた 2011 年 3 月 12 日 東京電力福島第一原発の 1 号機が水素爆発を起こした 続いて 14 日に 3 号機が水素爆発を起こすと その夜に家族で東京の知人宅に避難した 関西に避難先を移したものの 小学生だった 2 人の子どもの学校が始まると福島に戻った テレビでは毎日 天気予報で放射線量を映し出していた 子どもたちは目の下に濃い隈ができるようになり 学校で尋ねると 自分の子どもだけではなかった 直向きに取り組んできたフードスタイリストの職 夫は広告写真のカメラマンとして事務所を構えていた 子どもの健康が心配だが 福島から離れて生計を立てることができるのか 絆の強い地域の仲間と離れてしまっていいのか 避難しなきゃいけないね 迷っているとき 長男のその言葉が背中を押した 原発事故から 3 ヶ月余り 桜井さんは勤め先を退職し 夫は事務所をたたんで 福島原発から遠く 原発のない沖縄に避難した これで本当によかったのだろうか 避難してからも迷いが続く中 沖縄で知り合った人から 命どぅ宝だよ と言われた 宝である子どもたち その命を優先したことは間違いではなかった そう納得できるようになった 大きな外圧にさらされ ずっと命と向き合ってきた沖縄の人々の優しさが胸に染みた 沖縄では太平洋戦争の末期 3 ヶ月超に及ぶ地上戦で 20 万人以上が亡くなった 米軍の本土進攻を遅らせるため 沖縄は 捨て石 にされ 住民も巻き込まれて県民の 4 人に 1 人 12 万人が犠牲になったといわれる 戦後長く米国の施政権下に置かれ 1972 年にようやく本土復帰したが 日本の国土の 0.6% にすぎぬ島に全国の米軍専用施設の 7 割が集中している不公平 いまもなお大きな外圧にさらされているのである 桜井さんは原発事故から 1 年後 沖縄じゃんがら会を立ち上げた 沖縄のエイサーの起源とされる福島 いわきの じゃんがら念仏踊り にちなんで名付けた 福島出身者を中心に会員は 389 人 桜井さんは社会福祉協議会に働きかけて 福祉の分野で避難者を支えもらうネットワークづくりを進めている 沖縄各地で整ってきた支援のネットワーク 苦悩の歴史を知る沖縄だからこそ 原発避難への共感が広がっているのではないか ( 野呂雅之 ) 夏期開室状況 開室時間 8 月 1 日 ~ 9 月 10 日 9:00 ~ 16:00( 通常 8:50 16:50) 閉室期間 8 月 10 日 ~ 8 月 21 日 日本災害復興学会会員募集中!! 平和の礎 に花を手向ける沖縄戦の遺族 = 慰霊の日 の 6 月 23 日 平和祈念公園で野呂撮影 ご入会ご希望の方は入会申込書に所定の事項をご記入のうえ 下記の学会事務局まで郵送にてお申し込みください 入会申込書は 日本災害復興学会のホームページ (http://www.f-gakkai.net/) よりダウンロードしていただくか 下記までご連絡いただき お取り寄せください また 後日事務局よりお送りする専用振り込み用紙にて必要金額をご入金ください 西宮上ケ原キャンパス 西宮聖和キャンパス 神戸三田キャンパス 大阪梅田キャンパス 下鉄御堂筋線JR 大阪駅梅田地下鉄谷町線地大阪梅田キャンパス ( アプローズタワー 10 14F) 阪急梅田駅 東梅田 西宮 梅田芸術劇場 毎日放送 ホテル阪急インターナショナル 梅田ロフト 阪急イングス 地下鉄谷町線 阪急梅田駅茶屋町口から北へ徒歩 5 分 530-0013 大阪市北区茶屋町 19-19 アプローズタワー 14 階 TEL:06-6485-5611 関西学院東京丸の内キャンパス 100-0005 東京都千代田区丸の内 1-7-12 サピアタワー 10 階 TEL:03-5222-5678 急電鉄今津JR東海道線梅田ロフト バス 薬局西宮上ケ原キャンパス医院甲山森林公園美術館県立西宮高等学校中学部高等部 10 分阪神戸キャンパス女学院大学中央体育館線阪急電鉄神戸線 JR 神戸線西宮北口 I.C. 神戸三田キャンパス川三田西 タウン中央神南ウッディタウン線ウッディ吉川 J.C.T. 神戸三田 I.C. 東京国際フォーラム大手町駅JR京葉線東京駅中国自動車道 六甲北有料道路 国道176号線武庫JR宝塚線戸電鉄公園都市フラワータウン 新三田 三田 横山神戸電鉄三田線 丸の内線東京駅丸の内北口 JR 東京駅 八重洲北口丸首都高速八重洲線 JR 東京駅八重洲北口から徒歩 1 分 新丸ビルビル東西線 徒歩 国道 171 号線 三田本町 東京丸の内キャンパス ( サピアタワー 10F) バス (1) 申込書送付先 662-8501 兵庫県西宮市上ケ原一番町 1-155 関西学院大学災害復興制度研究所内日本災害復興学会事務局 TEL:0798-54-6996 (2) 入会金 3,000 円 (3) 学会費 ( 年額 ) 1) 正会員 7,000 円 3) 購読会員 6,000 円 2) 学生会員 3,000 円 4) 賛助会員 一口 :50,000 円 8 FUKKOU vol.39 災害復興制度研究所 2019 年 7 月発行