2011 年度第 1 回研究会 < 特別講演 > 松岡 正剛編集工学研究所所長 イシス編集学校校長 次で示す試みである 目次録 も紹介いたします 私自身が 青春の日々や仕事を通して 自分の好きなものと本とを結びつけたらどうなるのだろうと模索してきましたが 実のところ 私が好きな映画も演劇も 俳句も つまり人生は 全部本と結びついているわけです 私がこれまでやってきたこと 最近考えていることなど紹介しながら 変化のただ中にある大学の図書館の参考にしていただけたらと思います はじめに今日は 各地各大学の図書館員のみなさんと一緒に編集について考えてみようと思います 図書館は 現在 電子書籍化 ネットワーク アクセス化の波を受けて非常に難しい時代にさしかかっています 一方で若者たちは 2000 年以降に生まれたゼロ世代 ゼロ年代が増えており 海外の世代も含めて 大きく意識が変化してきています 若い世代だけでなく 様々な変化が社会の中で起きている 出版科学研究所の調査では 出版業界の推定販売金額が2 年連続して2 兆円を割っています その一方で 電子書籍化が進み 学生の本の読み方も変化しています さらに 国立大学すらコンプライアンスをもとにマネジメントしなければいけない時代となり 学術や出版を取り囲む業界全体に 非常に大きな変化が起こっています おまけに大学入試の 方式と受験勉強の悪循環が何十年も続いた影響とウェブ検索社会の拡大とが このところ重なって 本気の読書力に翳りが出てきました つまり 現代は 知がバラバラになっている時代なのです そこで 今日は共に読む 共読社会 ということを提案したい また 本を軸にして世界を見ていく ブックウェア というコンセプトを申し上げたいと思います また 世界の知を階層型の目 1. 本の世界で生きる 1.1 学級文庫にときめく京都の修徳小学校 4 年生のときに 担任の吉見昭一先生が学級文庫をつくってくれました これは 近くの本屋さんに行くと 生徒の好きな本を先生の名前で買える仕組みになっていました 私は おおいにこれを利用した 吉見先生は 私に大変な影響を与えてくれた方で のちに有名なキノコ学者になった方です その学級文庫は ガラスの扉が付いた書棚に収められていました ガラス越しに本を見て 子ども心に 朝明るい日差しの中で見る本と夕陽に染まった本の雰囲気の違い 扉を開けるときのギッという怪しい音 誰が借りたのだろうということも含めて そこに秘密が閉じ込められているようで 書棚がとても謎めいたものに見えました 小学校 5 年生になって学校の図書係になった当時は 閲覧カードが不思議でしようがないものでした あれを覗くと "13.5.26"( 昭和 13 年 5 月 26 日 ) などと記入してある 本のうしろに付いているカードが その本につながった生徒との歴史を語っていました 同時に 図書館には普通の単行書だけでなく百科事典や全集があるということに気づいて ときめきを覚えたものでした 図書館は本という夢の世界へ私を誘ってくれたのです 7
館灯 50 号 (2011) 1.2 人生を編集する大学 4 年の春 父が借金を残して亡くなります 手持ちのお金がなくなり さらに借金を返さなければならなくなりました 借金を返すのに5 年くらいかかるという状況です 一転して 好きな本が買えなくなってしまったわけでした それで 今度は町の図書館通いをしようと思い 新宿区立図書館 四谷図書館 都立中央図書館などに近いところにアパートを借りる日々を送っていました 幸いなんとか借金を返し終えて 自分のしたい仕事をしようと 1971 年 池袋の喫茶店 ろば の2 階にあった木造の事務所で工作舎という出版社を立ちあげました そこで雑誌 遊 ; Object Magazine Yu ( 工作舎発行 1971~1982) を創刊しました 雑誌をつくるときも 頭の中は本の夢想だらけでした 本は動くものである 待っているものである 攻撃をしかけるものである 墜落するものである そういうふうに本をとらえた雑誌をつくりたかったのです 到底 自分が読んだ本では足りないので 都内の開架式の公共図書館で 片っ端から読んでいくという日々を過ごしました 雑誌を編集する前には 東販の出版科学研究所でアルバイトをして読書の傾向などを調べていました そのとき研究所が集めたデータを見ていて 人が読書という行為を交換していないことに気づいたのです みんな ひとりぼっちで本を買い 図書館でこっそり読み そして頭の中にしまいこむ 今はブログやツイッターもありますが 当時は本当に日記やノートになるぐらいで 読み終えて頭の中に入ったものをどうするのだろうと感じたのです 私が初めて作家の書庫に入ったのは 武田泰淳の家の書庫です 赤坂のマンションの中でした 本当にドキドキしながら入れてもらって 蔵書を見ていくと 赤い鉛筆でところどころ線が引っ張ってある 武田泰淳がこの本のここに赤い線を入れていることは この作家を読むこと以上に大事じゃないか これを読者に知らせるべきだ と思ったのですが そういうことが本の業界では ほとんど語られていなかったのです 1980 年 遊 をようやく月刊にしたとき 大学教授や作家たちに依頼して 誰がどの本を買ったかという欄をつくり それを連載にしました 大好評でした みなさん お互いの家にどういう本が置いてあるか あまり知らないと思うのです しかも本は 自分の中の柔らかい あるいはフラジャイルな あるいはちょっと隠したいような そういう感情を表現していると思われるのです 本棚は もうひとつの自分 のプロフィールなのですね 1.3 身体は本である本は 私の印象ではたくさんの人が実はこっそり読んでいて その正体が分からないものになっていると思えます そういう社会になってきてしまっているのです けれども本は 本来 ときめいていて そこに人々が活き活きとライブでいるものだと私は考えているのです 言い換えると 読書は ダンスのように身体で読むものです ダンサーはたいてい読書家です 本を持つ 開く 読む という行為を全部ダンスにしてきた 同様に みなさんには この身体がかつては本だったことを思い出してほしい 今は本という形になりましたが それ以前 私たちは身体をもって自然界とか 天体とか 虫だとか母親だとか動物とつきあってきたのです ですから 私たちのパフォーマンスの中に 実は本を開いたり 読んだり 食べたり しゃべったりという行為が残っているはずです 私たちは読書をするとき たいてい黙読をしています 音読をしている人はあまりみかけません しかしヨーロッパでは15 16 世紀まで 日本の場合は明治 15 6 年まで みんな声を出して読書をしていた 音読があたりまえだったのです したがって 今でも音読をしている図などが残っています 遺跡の一部にもそういうのがあるのですが 中世の図書館にはキャレルといいまして ブースが付いている まだ写本時代で 大きな写本された本をそこへ持ってきて 司書が鍵をかけて持って帰れないようにした 書見台も 大きな本だから衝立てが付いていて ブツブツお経を唱えるようにみんな声を出して読む だからそれが聞こえないように あっちこっちで 衝立て越しにブツブツ言うわけです こんなふうに読書に音読と黙読があるように 私たちがふだん使うことばも2 種類あります ひとつは話し言葉 もうひとつは書き言葉です このふたつは ぜんぜん違うものです 話し言葉には構文が省かれることが多いし ( テン ) とか ( マル ) とか ( カギカッコ ) とかは付いていない 主語 述語も明確ではない 一方 書き言葉は 口語とは違うランゲージになっていて しかも黙読しています 話し言葉は声を出して読んでいる このリ 8
ズムの違いが 読書という行為を社会化するときの壁になっているわけです 聴覚の回路を使った読書と 黙読する読書とはぜんぜん違うわけです 図書館で本の未来を考えるとき あるいは電子書籍化で図書館がどうなるかを考えるときに 音読していた二千年間の歴史が今 数百年ずっと黙読になっていることに気がつくべきです 今後 電子書籍に音声技術が加わったならば たちまち社会が変わると思うのですが 残念ながらこのあたりのことはまだ議論されていません ですから 私たちは 音読と黙読 話し言葉と書き言葉 という私たちの知識をとりまく環境も含めて 読書をとらえ 考えていなければならないのです 2. 共読する空間 2.1 ネットで本を語る 20 世紀の後半に入ると 活字が電子化され 個人がコンピュータを使うようになり それらがつながってインターネットの時代になりました Wikipedia が出てくる直前 インターネットストラテジー 遊牧する経済圏 ( 松岡正剛 金子郁容 吉村伸著 ダイヤモンド社 1995) という本をつくり 電子化された知が今後どうなっていくのかを考えました そこで 2000 年 1 月に 編集の国 というサイトをつくって 仮想空間で 知を相互編集しようと考えました 2000 年 2 月 23 日には 編集の国で 千夜千冊 の連載を開始しました 毎日一冊 本について書こうとしたのです 書評ではなくあくまで読書ナビゲーションをするということを決めて 今年で12 年目になります 同じ年の6 月にイシス編集学校を開校しました 本や音楽や映画の編集だけが編集ではない 人々が本を読んだり 考えたり しゃべったり 書き言葉を話し言葉に変えたり 話し言葉を書き言葉に変えることが編集なのだ ということをやろうと考えたわけです 2.2 共読したくなる書店その後 本棚だけでできている 図書街 を構想したり ウェブの 千夜千冊 を8 冊の大部の全集にしたり いろいろ本に関する実験をしてきました 図書街 はいまは国立国会図書館を仕切られている長尾真さんがおもしろがって 当時 理事長をさ れていた NICT( 情報通信研究機構 ) で電子化を試みました そこへ丸善さんから声がかかったので 丸の内の丸善本店の4 階に 松丸本舗 というこれまでになかった書店をつくってみました 千夜千冊 の中から1,400 冊を選び そのキーブックを基にさらに全体を約 2 万冊ぐらいに膨らませたものが 松丸本舗の真ん中に迷宮のようにつくり上げてあります そこでは 私たちが共読したくなるようなズレあるいは重なりを起こすよう本棚が設計されています オープンは 2009 年 10 月 23 日でした 実際にご覧いただくと分かりますが ブックライン レッドという 書棚を横にまたがり つなげていく本棚があります 普通 本棚は縦に割れてしまうのですが 横に本がつながる 実はこれは全国で初めての本棚なのですね 側板よりも棚板の方が3 センチ程度前に出ているのです さらに違い棚のような段差をつけたり 袋棚や引き出し盆もつけた したがって 普通は棚板が側板で区切られるのが 縦にも横にも本が動きつながっていけるのです 松丸本舗を頼まれたときに ものすごく考えました こういうふうになっている理由のひとつはスペースにあります 丸の内のオアゾビル1 階から3 階まで 丸善の店舗が蔵書量と売上力を誇っていたところへ 私が与えられたスペースは4 階のたった 65 坪なのです だからこそ 実験の場として共読したくなる空間ができたとも言えます 2.3 心が本の形になる松丸本舗の試みは 本の分類と本のサービスと本の活用に加え 本の堪能をおこす要素をいろいろ混ぜたものと言い換えることができます あるいは 世界知と共同知と個人知を切り分けず これらが連続的につながっていくような場が本の世界に必要だということを示そうとしたのです さらに 言い換えると 本と人と場 これらを重ねて考えられる仕組みです 元になった考え方は アフォーダンス理論です アフォーダンスというのはひとことで言いますと たとえばこの絵画は 我々を見るようにしているわけです 我々が見ているわけではない このピアノは私たちに弾かせようとしている そのためにこの鍵盤の並びがある このコップは私の手に取られようとしている だから私がこのコップを取る前に 私の手がここにあってコップがここにあるだけでは 9
館灯 50 号 (2011) なくて この手に近づくときにコップの形になる これがアフォーダンスですね 本もそうでしょう 本に近づいたときに心がアフォードされる 心が本の形になろうとする そのように考えて 松丸本舗では本と人のあいだの関係を拡張しようとしたのです 本棚が横につながっているとか そこに袋戸があるとか 本が横に積んであって奥が見えない状態は ある種の不便さをつくりだします それでも手に取りたいという葛藤を起こさせるような実験をしているのです 2.4 思いをパッケージに松丸本舗では 様々な企画によって 本と人を結びつけ その関係を拡張しようとしています そのいくつかをビデオをご覧いただきながら紹介します 本の福袋これも書店の歴史始まって以来だと思いますが デザイナーや写真家と組み 本の福袋 をつくりまして これは正月 2 日の9 時に売り出したところ あっというまに完売しました 美輪明宏 ヨウジヤマモト いとうせいこうなどが参加してくれました 本屋さんが まだまだやっていないことが いっぱいあるのですね from-to BOOX( フロムトゥブークス ) 今年 5 月に発表したのが from-to BOOX( フロムトゥブークス ) という ボックスとブックをかけたものです 本の重箱を考えまして 中に3 段に重箱がつくってあって まず私のものでスタートを切ったのですが いろいろなゲストがこれから加わっていくと思います 本家これは本家 ( ほんけ ) の棚と呼んでいまして 学者や女優 建築家に頼んで あなたの家の蔵書を松丸本舗で飾りたい 売りたい と誘っています 福原義春 山口智子 町田康 杉本博司 高山宏 隈研吾さんたちが参加してくれている もちろん蔵書を持ってくるのではなく それにあたるものを丸善が仕入れ 棚を提供します 誰も断らないので どんどんゲストが増えています 著者一族の棚これは 情報 LiFE 日本 の特集棚の一部で 有吉佐和子と有吉玉青 森鴎外と森茉莉など 一族で作家となった人たちの本を集めたものです つまり 家という本棚をつくったわけです くすくす贈りマス欧米にはブッククラブがあって 本を贈り合う文化がありますが 日本にはありません そこで 松丸本舗は俳優やデザイナーに依頼して あなたが選んだ本をクリスマスプレゼントにしたい ただし 本以外になにか一品入れてください という企画を立てました 日本には再版制度があって 本を高くも安くも売れない 本に贈り主の思いを加えてそこに新たな一品 二品を加えてパッケージすることで 新たな価値を創造しようとしたものです 3. 知を編集する 3.1 本の分類とサービスと活用ところであるとき 私は 本の分類と本のサービスと本の活用 本来つながっているべきこの三つが切れてしまっているのではないか と気づきました 出版というのは著者 編集者 印刷所があって 取次があり 書店があって読者がある 図書館は最後にできあがった本を所蔵して貸し出しているのですが それだけでは読書という行為が見えてこない しかも出版社は独自の分類をもちい 図書館は日本十進分類法に基づいて図書を分類し 蔵書としている 一方 大学は 学問を学科によってカテゴライズしています 出版社と図書館と大学は全部別のことをやっていると言ってもいいのです 本の分類とサービスと活用が バラバラになっている それをなんとかしなければいけないと感じたのです そこでまず世界中の本はどのように分類とサービスと活用によって律せられているかを 調べました するとヘレニズムの時代のアレクサンドリア図書館では カリマコスが ピナケス というすごい目録をつくっていたわけです よく見ると アレクサンドリア図書館は 一神教や多神教の世界を反映していて 全知全能の神がそこにいて それが今降りてきたというようなデザインをしている 目録もそうつくってある 神の人々への行為によって本が生まれ 本の分類と本のサービスがあり それをありがたいと思って本を活用する人々とがいて 10
当時はこの三つが一致していたわけです それが18 世紀に 百科全書 や 四庫全書 が編まれるなど 啓蒙やフランス革命のような下からの知が出てくるにしたがって 少しずつ変化してきました 日本で言うと 1906 年 ( 明治 39 年 ) 狩野亨吉という蔵書家が京都帝国大学文科大学の初代学長になりまして 内藤湖南や幸田露伴を招き 夏目漱石も呼ぼうとした時代までは 本の分類とサービスと活用が一致していました ところが漱石の 三四郎 の中にいろいろな本が出てくるように それがだんだんだんだん食い違ってきてしまったわけです そのうちさらにテレビが出現し 大学が変化するにしたがって 出版社 書店 図書館とが いつの間にか切れてしまったのです なんとかしなければいけないと思い 1980 年 2 月 雑誌 遊 1011 号で 国家論インデックス という知のマザーのような分類を発表しました ただ これは自分がとりあえずつくったものなので それを将来使うことになるとは夢にも思っていませんでした 3.2 世界を情報としてとらえる 30 年前の 国家論インデックス をイシス編集学校で5 年間テストしてみて これなら行けるというところまで達したので これを新たに 目次録 という名前にして 今それを著者 出版社 印刷会社から書店 図書館 読者までを巻き込んで 知のマザー として大きくしていこうという試みに取り組んでいます 私は 世界のあらゆる現象 宇宙も物質も 環境も法則も あるいは生活も 歴史も事件も を情報として見ています それをどうしたら編集できるかということを考えてきました 私たちは 脳の中のブラックボックスを通して情報を見ています たとえば 木 を見るとブラックボックスを通して うしろに 木 という情報が生じる どちらも世界だけれども 片方は 世界 になっているわけです つまり 私たちの学習行為は ブラックボックスをあいだに置いて その前後でイン アウトの行為をすることです しかし 入ってくるときの知のインターフェースと出るときの知のインターフェースが違っている 認知科学的にいえば 人間の記憶の仕組みと想起の仕組みが別々なのです それを連続化させる仕組みを 編集工学 と呼んでいるのですが 一方ではその基になる知のアーキテク チャーも必要だろうというので 知のマザー としての 目次録 をつくったわけです 私たちは 日本語を使ってしゃべっています 今しゃべった日本語は この空間にあるわけではなくて すでに私の脳に入っている これを脳から取り出しながらしゃべって 人と情報を交換している それがもっと見やすい状態になったものが 本 であるわけです 本にはすでに著者がいて いろいろなコンテンツが存在する ここに生身の私がいて 同時に 本 の世界にも私が存在しているのです この組み合わせをうまく応用すると 知の状態は取り出しやすいものになるのではないかと思ったわけです 3.3 図書分類を超える知の仕組み知の状態をコードにする作業を始めた理由のひとつは 図書分類に極めて限界を感じたためです もちろん図書分類があるのは構いません しかし あのような組み立てで 私たちは今日 21 世紀のネット社会と共に読書ができるか 図書館利用ができるだろうか と思うわけです たしかに在庫とレファレンスと貸出と収納に関しては便利かもしれない けれども 紙の時代の図書分類がそのまま IT 化されているのは 意味がないのではないか IT 化されたマザーコードは まったく図書分類と別のものであっていいのではないかと考えたわけです これから電子教科書時代が始まると 小学生や中学生がテキストを電子的に読むようになります そしてその学習も 一部の大学で始めているようなインタラクティブなものになります 大学でやっている教育が もっと下の年齢から始まる そうなってきたときに 図書館の利用は今のままでは恐竜のようなものになってしまいます だからみなさんラーニングコモンズなど いろいろな試みを始められているわけですが その基礎になる分類が変わらないままでいいんだろうかと思うのです 先ほど本の分類とサービスと活用がバラバラになっていると言いましたが そこに 目次録 が役に立てればと思いついたわけです 目次録 では 親コードから孫コードまでが 3 階層になっています 大分類は20 弱 中分類が15から35 小分類は15から35に分かれています その小分類ひとつずつに5 冊ずつのキーブックが付いていまして このキーブックにさらに10 冊とか100 冊とかが付いて 結局数百万冊の本にたどりつけるというものを考え 11
館灯 50 号 (2011) たわけです 目次録 とは 目次の目次の目次 であるとともに 知の状態がそこへ行くたびに切り替わるナビゲーションのしくみなのです 目次録 では 図書分類と違って文脈を持ちながら ひとつひとつを大きな流れにしてあります しかも それが親 子 孫とゲートをまたいで 階層性を持ち 連想力をそこに含みながら分類ができるような方法を取っているのです ある子コード 時間と空間 のところでは 孫コードが出てくると インドの数学や 中国の淮南子 ( 前漢の武帝の頃の思想書 ) などが出てきます 普通の物理学や天文学の分類では出会えない知の仕組みをつくってみたのです 3.4 成長するインターフェースとして現在 目次録 は イシス編集学校で テスト版をつくりまして これをもとに大日本印刷や TRC と共同で 共読プラットホーム にしようと開発を進めています グーグルやアマゾンの検索でアクセス数に応じてリコメンデーションが出てくるのではなくて 文脈的に出てくるような しかも自己学習ができる さらにシステムもだんだん成長できるようなものをつくろうしています たとえば グーテンベルグの夢 という項目のところを引くと 写本の時代 声の文字 耳の記号 目の装飾 さっき言いました音読社会から黙読社会という小項目が出てきます これにキーブックが付いていって そこにまた10 冊 100 冊が出てくる これを上手く使ってもらいながら TRC MARC の書誌とマッチングして目次録に組み合わさってくるようなインターフェースをテストしつつあります 全体を Book meets Books というキャッチフレーズで考えていまして 今年中にはプロトタイプが固まってきてインターフェースのデザインも終わると思います 4. 本を堪能する 4.1 読書はスポーツである今日のひとつの結論としてみなさんにお伝えしたいのは 読書も編集だ ということです 読者も本を読むことによって編集しているのです 本をつくっている人も書店も編集しています 本は静かに読む ひとりぼっちで黙って読むと思われがちです でも ウォッカのようにノドの奥で 読むべき本もあれば 点字のように指で触りたくなるような いつくしむような読書もあっていいわけです ところがそういう感覚が起こらない そうした共感覚が起こるような空間や 刺激や 起こるようなメディア化が まだできていないのです 本をもうすこし別の官能 セクシャルなもの スポーティーなもの アスリートのようなもの あるいは 丹念なもの 寂しいものというように 多様なものにしていかないとダメだろうと思います 私は書物 本 読書を つながりのあるもの 共読できるものにしたいと思いつづけてきました 自分の内側にも外側にもあるものが本によって結びつけられる 本を軸にして世界を見て 感じる そうありたいと思っています これを私は ブックウェア と呼んでいます 簡単に言うと 服を着たり 脱いだり 履いたり 洗ったり 乾かしたりするように本と接するようにすることです そうして 読書をファッションやスポーツと匹敵するものにすべきだろうと考えているのです 4.2 書物がもつ永遠のフォーマット書物というのは表紙 裏表紙 背があって そこに何枚もページが綴じてあるものです そのページはほかのページと結びついて 星座のようにコンステレーションされています 開けたページは 必ずダブルページ ( 見開き ) になっています このフォーマットは永遠だと思っています 人は このフォーマットで何千年と学習してきたわけです きっと非常に強いフォーマット力を持っているのだろうと思います ダブルページの中に ワード フレーズ センテンス パラグラフがあり ページが連続してチャプターというまとまりになっています 今 電子が このフォーマットを食べようとしています パラグラフもワードもセンテンスもフレーズも含めて真似しようとしている しかし私が見ている限り まだまだ出来栄えはよくありません ただダブルページを電子書籍にすればよいというものでもないでしょう 電子書籍の中に本のメタファーを入れている限り 絶対にリアルな本が先行するはずなのです しかし そのリアルな本を持っている図書館員や書店員やエディターが その本の可能性を スポーツやラーメンや あるいはダイエットや登山のように語っていないのです これが大問題なのですね 12
本は静かに書架にあって 静かに読むものとは限ら ないのです もう電子がそこを破っています 4.3 装い楽しみながら共読する去年からブックパーティーという企画を始めました 年に2 回 人々が集まってパーティーをしよう かっこいい格好をして本や著者や本の職人たちと楽しんでくださいという企画です 五木寛之 佐藤優 コシノジュンコ 川上未映子 講談社の野間さんや岩波の山口社長など いろいろな人が来ます とにかく本について いろいろ装いをして楽しもうじゃないかというものです 前回は5 月 28 日にやったので 次は11 月 12 日に東京で予定しています それから一昨日 大阪 その前は東京で 本を共読する会 参座 ( さんざ ) を始めています このように 私は私でいろいろなことをやってみているのですが みなさんが所属されている大学には大きなホールを持たれている すばらしい装置を持たれているところに 今日紹介したような 目次録 ブックパーティー BOOX いろいろなものを加えていきながら 本と読書と人がつながりのあるものに少しずつ変えていただきたいと思いますし みなさんも変える気になっていただきたいと思います ---------------------------------------------------------------------- ( まつおかせいごう ) 13