Ⅲ 讃 岐 国 府 跡 探 索 事 業 に 伴 う 調 査 報 告 1. 讃 岐 国 府 跡 発 掘 調 査 ( 第 31 次 ) 調 査 期 間 平 成 25 年 1 月 21 日 ~ 平 成 26 年 3 月 14 日 調 査 面 積 22m2 調 査 概 要 主 たる 検 出 遺 構 と 年 代 建 物 跡 8 棟 以 上 ( 礎 石 建 物 1 棟 を 含 む ) 奈 良 時 代 ~ 鎌 倉 時 代 塀 跡 2 基 奈 良 時 代 ~ 平 安 時 代 溝 跡 1 条 奈 良 時 代 ~ 平 安 時 代 主 たる 出 土 遺 物 写 真 31 調 査 地 の 遠 景 須 恵 器 土 師 器 緑 釉 陶 器 灰 釉 陶 器 古 瓦 鉄 器 ( 整 理 箱 76 箱 ) 調 査 地 位 置 と 調 査 方 法 調 査 対 象 地 は 讃 岐 国 府 域 南 部 の 微 高 地 上 であり 白 鳳 期 創 建 とされる 開 法 寺 跡 の 東 側 に 位 置 する 調 査 前 の 土 地 利 用 形 態 は 全 て 水 田 である 平 成 24 年 の 第 3 次 調 査 で 確 認 された 国 衙 北 辺 を 区 画 する 溝 塀 跡 に 対 応 する 国 衙 西 辺 の 区 画 施 設 の 検 出 と 国 衙 内 部 の 建 物 配 置 の 確 認 を 目 的 として 調 査 を 行 った 主 たる 遺 構 の 概 要 飛 鳥 時 代 (7 世 紀 中 葉 ~ 末 葉 ) 写 真 32 大 溝 1 ( 南 東 から) 各 トレンチで 真 北 を 基 準 とした 柱 穴 大 型 土 坑 を 検 出 した 建 物 6 は 7 世 紀 中 葉 の 東 西 棟 の 建 物 で ある 平 成 23 年 度 調 査 で 確 認 した 同 様 の 方 位 をもつ 建 物 群 が 一 定 規 模 の 広 がりをもつことが 明 らかに なった 奈 良 時 代 から 平 安 時 代 初 頭 (8 世 紀 ~ 9 世 紀 前 葉 ) 311 トレンチ 東 部 で 開 法 寺 伽 藍 と 国 衙 を 分 ける 遮 蔽 施 設 を 構 成 する 大 溝 1 柵 列 を 検 出 している 大 溝 1 は 条 里 型 地 割 の 方 位 をもち 奈 良 時 代 初 頭 から 平 安 時 代 中 頃 まで 機 能 している これらは 昨 年 度 調 査 で 確 認 した 国 衙 北 側 の 遮 蔽 施 設 に 対 応 した 西 側 の 遮 蔽 施 設 と 考 えられる 大 溝 1 の 東 側 ( 国 衙 側 ) において 建 物 1 建 物 3 を 検 出 している 建 物 1 は 柱 穴 掘 り 方 からみて 国 衙 内 の 大 型 建 物 となる 平 安 時 代 (9 世 紀 ~ 1 世 紀 ) 国 衙 内 部 の 建 物 群 は 継 続 し 建 物 5 7 は 検 出 位 置 からみて 奈 良 時 代 の 建 物 1 からの 建 て 替 えを 想 定 できる 国 衙 内 における 中 心 的 な 建 物 が 同 一 地 点 で 継 続 することを 示 している 建 物 5 は 9 世 紀 末 葉 36
B8 A6 A7 B6 B7 24 次 C6 D6 E6 F8 F7 8次 F6 F5 F3 F4 E1 E2 F1 F2 G6 H6 I6 J8 J7 J6 K6 L6 SD1 SD4 11 次 SX3 27 次 4 次 1 中世13 古代1 c c SD6 礎石 P1 P9 28 次 SD4 SD1 P8 P7 P6 P2 P3 P4 P5 SD3 A5 A4 A3 A2 A1 B5 B4 B3 B1 B2 5m A D1 D2 D3 C5 C2 C3 C4 C1 152 143 14 144 142 141 139 SK784 137 D 138 SK781 136 135 147 156 155 148 157 SD785 SK785 154 153 SD786 E3 E2 E1 1/25 B SD787 SE781 SD788 149 15 158 SD785 1m P3 SK785 SP19 SP17 P2 SP4 SP18 133 SP24 SP21 SP23 132 131 13 SP25 SP22 SP44 134 121 SP5 SP43 SP45 SD841 128 182 SX841 SD789 SP41 SP31 SP28 SP27 SP46 125 124 SP33 SP32 SP6 SP47 126 SP4 127 129 SP37SP38 SP34 SP3 SP29 P1 P1 P9 SP35 SP7 1/1 14 次 17 次 C SD842 SP3 SP15 SP16 B SP14 F3 F2 F1 SP13 SD788 SD785 SP2 D SP12 C SD843 SP11 G6 G5 G4 SP1 G3 G2 SP1 G1 SP9 SP8 P7 P3 SD784 176 175 P4 P5 P6 6次 I6 I5 I4 I3 I2 I1 SD784 18 次 4 次 2 H6 H5 H4 SD783 9次 H3 H1 AH2 2 次 SD3 SD1 23 次 SK4 SK3 SK2 SD1 SK1 SP33 SD8 SD7 SD6 SD5 SK5 SP65 SP76 SD4 SP77 SP66 SP6 SP1 SP12 SX2 SD3 SP214 SK6 SD1 16 次 SE1 SK7 SD12 SP133 5次 SK8 BTr P5 P4 19 次 SD4 P8 P6 P2 P7 P1 CTr P3 D1 D2 D4 SD1 D3 D6 ATr D5 SD1 SD3 SP3 土器溜まり DTr SD3 SP2 SE1 SD3 SX1 SP1 SD6 1/1 3m 1/1 3m 1 次 13 次 ST1 SK1 22 次 7次 SX1 SD1 鼓岡神社 AⅠ 3 次 B BⅠ BⅡ BⅢ 12 13 32Tr 11 29 次 21 次 CⅢ CⅡ CⅠ 2次 1/1 5m 26 次 DⅡ DⅢ DⅠ EⅠ FⅠ 12 次 29 次 3 次 33Tr 31 次 H25 29 次 開法寺 1m 1:25 第 18 図 讃岐国府跡における既往の調査区 1/2,5) 37
建 物 8 建 物 2 大 溝 1 8 世 紀 ~1 世 紀 初 頭 柵 列 2( 塀 ) 柵 列 1( 塀 ) 建 物 3 建 物 4 瓦 敷 遺 構 43 号 建 物 6 建 物 5 建 物 1 7 世 紀 8 世 紀 9 世 紀 ~1 世 紀 初 頭 1 世 紀 建 物 7 1m (1/2) 第 19 図 遺 構 平 面 図 写 真 33 建 物 2 全 景 ( 西 から) 写 真 34 建 物 1 43 号 柱 穴 断 面 ( 北 から) 38
写 真 35 建 物 1 5 7 全 景 ( 東 から) 写 真 36 建 物 4 上 面 の 瓦 溜 り ( 東 から) 写 真 37 建 物 4 全 景 ( 東 から) 39
段 階 に 礎 石 建 物 に 改 築 されている 建 物 7 1 等 1 世 紀 中 頃 で 廃 絶 する 建 物 は 柱 抜 き 取 り 穴 に 焼 土 炭 化 物 を 多 く 含 むことから 火 災 等 が 廃 絶 要 因 として 考 えられる 本 時 期 以 降 の 遺 構 は 一 切 検 出 して いない まとめ 今 年 度 の 発 掘 調 査 では 奈 良 時 代 から 平 安 時 代 の 国 衙 西 辺 を 区 画 する 遮 蔽 施 設 と その 内 部 において 建 物 群 を 検 出 した 昨 年 度 の 調 査 成 果 を 合 わせると 国 衙 北 西 辺 を 確 認 したことになる 国 衙 内 部 では 建 物 1 の 継 続 して 建 て 替 えられる 大 型 建 物 を 検 出 した 今 後 調 査 を 継 続 することにより 国 衙 の 詳 細 な 規 模 や 内 部 の 建 物 配 置 を 更 に 明 らかにし 適 切 な 保 護 措 置 を 採 るための 資 料 を 得 ることが 必 要 である 2. 讃 岐 国 府 跡 整 理 作 業 讃 岐 国 府 跡 における 過 年 度 の 発 掘 調 査 の 内 昭 和 52 年 度 から 昭 和 56 年 度 調 査 分 ( 国 庫 補 助 事 業 ) に ついて 調 査 報 告 書 作 成 のための 遺 構 図 のトレース 実 測 遺 物 の 抽 出 作 業 を 行 った 整 理 箱 で 485 箱 の 出 土 遺 物 が 整 理 作 業 対 象 となり 建 物 跡 などの 遺 構 出 土 資 料 を 中 心 にして 6 点 程 度 の 抽 出 を 行 っ た 次 年 度 以 降 図 化 作 業 に 移 行 する 予 定 である 写 真 38 5 次 調 査 ( 昭 和 54 年 度 )の 総 柱 建 物 写 真 39 6 次 調 査 ( 昭 和 55 年 度 )の 築 地 基 壇 3. 新 宮 古 墳 の 確 認 調 査 平 成 21 年 度 から 開 始 した 讃 岐 国 府 跡 探 索 事 業 では 讃 岐 国 府 跡 の 発 掘 調 査 と 並 行 して 国 府 周 辺 の 地 理 的 歴 史 的 環 境 を 明 らかにす ることを 目 的 とした 地 名 地 形 等 の 調 査 を 実 施 してきた ( 香 川 県 教 委 211.213) 平 成 24 年 度 からは 讃 岐 国 府 設 置 に 係 る 歴 史 的 な 経 緯 を 明 らかにすることを 目 的 に 国 府 周 辺 に 多 く 分 布 する 大 型 横 穴 式 石 室 墳 の 測 量 調 査 を 開 始 した 平 成 24 年 度 は 穴 薬 師 ( 綾 織 塚 ) 古 墳 の 測 量 調 査 を 実 施 しており その 成 果 は 既 に 報 告 済 である ( 香 川 県 教 委 213) 平 成 写 真 4 石 室 全 景 ( 西 から) 4
25 年 度 は 新 宮 古 墳 を 調 査 対 象 とするとともに 過 去 に 確 認 調 査 が 実 施 されている 醍 醐 3 号 墳 の 再 整 理 を 行 い 合 わせて 調 査 報 告 書 を 刊 行 した 調 査 は 平 成 25 年 9 月 3 日 に 開 始 し 11 月 2 日 に 地 元 対 象 の 説 明 会 を 行 った 後 現 地 を 撤 収 した また 新 宮 古 墳 の 測 量 調 査 は 讃 岐 国 府 跡 ボランティアの 参 加 を 得 て 実 施 している 調 査 の 概 要 墳 丘 新 宮 古 墳 は 綾 北 平 野 の 南 部 に 位 置 し 南 方 の 丘 陵 から 北 へ 派 生 した 標 高 約 3m の 尾 根 上 に 築 造 されている 同 一 の 尾 根 の 南 東 側 約 2m には 小 規 模 な 横 穴 式 石 室 をもつ 仏 坂 古 墳 谷 筋 を 挟 んだ 約 3m 東 側 の 尾 根 上 の 果 樹 園 には 新 宮 東 古 墳 が 存 在 したとされるが 現 状 では 明 らかではない これら 2 基 の 横 穴 式 石 室 墳 の 詳 細 は 不 明 であるが 加 茂 古 墳 群 や 醍 醐 古 墳 群 のような 群 集 傾 向 は 採 らない 墳 丘 は 北 側 の 丘 陵 先 端 部 から 約 2m 南 へ 離 れた 位 置 に 築 造 されており 尾 根 の 幅 一 杯 に 墳 丘 を 乗 せ ている 現 状 で 墓 地 造 成 や 砕 石 事 業 に 伴 い 丘 陵 尾 根 の 改 変 が 進 んでいるが 墳 丘 南 部 の 忠 魂 堂 と 呼 ばれる 建 造 物 を 境 にした 南 側 は 元 来 急 傾 斜 の 丘 陵 となっていたようであり 墳 丘 は 傾 斜 変 換 点 付 近 に 設 けられていると 考 えられる 古 墳 後 期 から 終 末 期 古 墳 に 多 くみられる 所 謂 山 寄 せ の 立 地 ではない 横 穴 式 石 室 の 開 口 方 向 は 西 側 であり その 延 長 線 上 には 城 山 城 明 神 原 がある 北 側 の 綾 北 平 野 全 域 を 見 渡 す 方 位 は 採 らない 測 量 調 査 は 最 小 限 度 の 樹 木 の 伐 採 と 落 葉 を 除 去 し たのち 標 高 測 量 を 行 った また 標 高 測 量 にはトー タルステーションを 使 用 し そのデータから 図 化 ソ フト 上 で 等 高 線 を 発 生 させた 墳 丘 形 態 については 残 存 状 態 が 良 好 な 南 側 の 状 況 や 墳 頂 部 付 近 の 上 位 の 等 高 線 の 状 況 から 方 墳 と 考 られる 墳 丘 規 模 は 南 東 部 尾 根 斜 面 が 抉 れる 箇 所 や 西 側 の 等 高 線 の 張 り 出 し 石 室 床 面 レベルなどか らみて 一 辺 が 約 21m の 規 模 を 推 定 しておきたい また 開 口 部 となる 西 側 については テラス 面 の 写 真 41 玄 室 全 景 ( 西 から) 状 況 や 前 庭 部 を 示 唆 する 須 恵 器 群 の 出 土 位 置 との 関 係 から 最 低 1 段 の 基 壇 状 施 設 が 設 けられていた 可 能 性 がある 横 穴 式 石 室 横 穴 式 石 室 の 図 化 の 方 法 は 前 室 羨 道 部 の 壁 面 は 手 書 き 実 測 を 行 っているが 玄 室 については 左 側 壁 上 部 を 中 心 に 倒 壊 の 危 険 性 がみられたため トー タルステーションの 補 正 機 能 を 活 用 した 写 真 実 測 を 行 った 床 面 平 面 断 面 については 全 てトータル ステーションによる 図 化 を 行 っている 写 真 42 玄 門 全 景 ( 東 から) 横 穴 式 石 室 は 羨 道 部 と 前 室 界 前 室 と 玄 室 界 に 41
遺物群1 羨道部石材端 遺物群1 34m 33m 32m 29m 3m 31m 尾根線の傾斜変換 尾根線の抉れ 忠魂堂 第 2 図 新宮古墳墳丘測量図 42 1 2 1m
43 遺物群1 昭和32年調査時の 羨道部石材 33. 第 21 図 新宮古墳石室実測図 32. 31. 遺物群1 31. 32. 33. 1:6 5m 32. 31.
立 柱 石 をもつと 同 時 に 前 壁 石 材 が 一 段 下 がる 複 室 構 造 をもつ 現 況 での 石 室 全 長 は 約 11.8m を 測 るが 昭 和 32 年 調 査 時 で 確 認 された 羨 道 部 右 側 壁 を 合 わせて 考 えると 石 室 全 長 は 13m を 測 る 石 室 石 材 は 奥 壁 最 下 段 の 安 山 岩 製 の 大 型 石 材 や 玄 門 部 立 柱 石 を 除 きほぼ 花 崗 岩 から 構 成 されている 玄 室 は 全 長 5.5m 中 央 部 での 幅 2.5m であり 長 幅 比 がほぼ 1:2 の 緩 い 胴 張 りの 長 方 形 を 呈 する 床 面 積 は 12.8m2 である 天 井 石 は 4 枚 の 花 崗 岩 の 大 型 石 材 から 構 成 されており 現 況 で 高 さ 2.3 ~ 2.5m を 測 るが 水 平 には 高 架 されておらず 玄 門 部 付 近 が 若 干 持 ち 上 がる 側 壁 は 基 底 石 に 大 型 石 材 を 用 いる 点 は 共 通 するが 左 側 壁 の 方 が 上 部 まで 大 型 の 石 材 を 用 いており 左 右 で 段 数 が 異 なる 横 断 面 の 形 状 は 下 よ り 2 段 目 までは 垂 直 積 みに 近 く それより 上 位 では 持 ち 送 りが 顕 著 となる 玄 門 部 は 内 側 に 迫 り 出 す 高 さ 1.5m 幅.5m の 立 柱 石 が 一 段 下 がるマグサ 構 造 をもつ 天 井 石 を 直 接 支 持 する 形 となるが 南 側 の 立 柱 石 はマグサ 構 造 となる 天 井 石 と 僅 かな 接 点 しか 持 ちえておらず 専 ら 墳 丘 盛 土 でそれを 支 持 する 形 であり 醍 醐 3 号 墳 や 穴 薬 師 ( 綾 織 塚 ) 古 墳 でみられるような 立 柱 石 と 天 井 石 との 間 に 玄 室 前 室 側 壁 と 共 有 する 石 材 を 介 していない 前 壁 は 立 柱 石 上 位 のマグサ 石 と 小 型 の 合 石 を 介 して 別 の 石 材 が 積 まれた 2 段 構 成 となる 玄 門 立 柱 石 から 約 2.5m 開 口 部 側 の 両 側 壁 には 内 側 へ 張 り 出 すように 据 えられた 中 型 の 石 材 があり 前 門 立 柱 石 と 考 える 前 室 幅 は 玄 門 部 付 近 で 約 1.8m 前 門 部 付 近 で 約 1.65m を 測 り 玄 門 部 寄 りの 天 井 石 が 1 枚 残 存 しているが これより 羨 道 部 側 では 失 われている 羨 道 部 については 右 側 壁 2 段 左 側 壁 1 段 のみ 確 認 でき 右 側 壁 の 最 前 列 の 石 材 は 長 辺 が 内 側 に 傾 き 後 世 の 移 動 を 受 けている 可 能 性 が 高 い 玄 室 の 床 面 のレベルから 判 断 して 下 位 にもう 1 段 の 基 底 石 が 遺 存 していると 考 えられる まとめ 新 宮 古 墳 穴 薬 師 ( 綾 織 塚 ) 古 墳 醍 醐 3 号 墳 は 石 室 形 態 や 出 土 遺 物 からみて TK43 型 式 併 行 期 末 葉 から TK29 型 式 併 行 期 の 短 期 間 に 一 定 の 規 範 の 下 に 築 造 された 方 墳 であると 考 えれる 当 該 期 の 綾 北 平 野 では 仏 願 1 2 号 墳 やサギノクチ 1 号 墳 ( 井 上 玉 城 1982) など 玄 室 床 面 積 1m2 以 下 の 小 型 の 横 穴 式 石 室 墳 が 綾 川 を 介 して 大 別 した 場 合 に 2 群 に 分 かれて 分 布 するが この 3 基 はこ れらの 上 位 階 層 墳 に 位 置 付 けられる 讃 岐 地 域 全 体 の 横 穴 式 石 室 墳 にみられる 階 層 構 造 は 椀 貸 塚 古 墳 平 塚 古 墳 角 塚 古 墳 へ 累 代 的 な 築 造 が 行 われ 墳 丘 石 室 規 模 ともに 絶 対 的 な 存 在 と 言 える 大 野 原 古 墳 群 を 頂 点 としていることは 明 らかであるが その 一 方 で 綾 北 平 野 のような 中 小 地 域 での 階 層 構 造 が 問 題 となろう 綾 北 平 野 の 大 型 石 室 墳 群 が 累 代 的 に 築 造 されたものではなく 短 期 間 に 同 時 多 発 的 に 築 造 された 意 味 については 7 世 紀 初 頭 を 前 後 する 時 期 に 綾 北 平 野 が 急 速 に 重 要 視 されたという 点 を 認 識 しつつ 古 墳 群 データの 充 実 を 行 いつつ 後 続 する 記 念 物 である 城 山 城 そして 讃 岐 国 府 との 歴 史 的 脈 絡 を 追 及 していくことが 重 要 である 大 久 保 徹 也 29 大 野 原 古 墳 群 の 基 礎 的 検 討 一 山 典 還 暦 記 念 論 集 考 古 学 と 地 域 文 化 一 山 典 還 暦 記 念 論 集 刊 行 会 大 久 保 徹 也 中 島 美 佳 29 石 ヶ 鼻 古 墳 御 厩 天 神 社 古 墳 高 松 市 教 育 委 員 会 川 畑 迪 渡 部 明 夫 28 坂 出 市 新 宮 古 墳 出 土 須 恵 器 について 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 研 究 紀 要 Ⅳ 廣 瀬 常 雄 編 1986 醍 醐 3 号 墳 発 掘 調 査 報 告 香 川 県 教 育 委 員 会 松 本 敏 三 1985 原 始 古 代 編 観 音 寺 市 誌 通 史 編 44
久 保 田 昇 三 28 観 音 寺 市 内 遺 跡 発 掘 調 査 概 要 報 告 書 観 音 寺 市 教 育 委 員 会 久 保 田 昇 三 編 29 香 川 県 指 定 史 跡 椀 貸 塚 角 塚 及 び 平 塚 古 墳 保 存 活 用 検 討 委 員 会 報 告 書 観 音 寺 市 教 育 委 員 会 川 畑 迪 渡 部 明 夫 28 坂 出 市 新 宮 古 墳 出 土 須 恵 器 について 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 研 究 紀 要 Ⅳ 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 21 Ⅲ 讃 岐 国 府 跡 探 索 事 業 に 伴 う 調 査 報 告 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 年 報 平 成 21 年 度 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センター 211 讃 岐 国 府 跡 探 索 事 業 平 成 21 22 年 度 地 名 地 形 調 査 報 告 香 川 県 埋 蔵 文 化 財 センタ 213 讃 岐 国 府 跡 探 索 事 業 調 査 報 告 平 成 23 24 年 度 坂 出 市 史 編 纂 委 員 会 1988 坂 出 市 史 資 料 編 山 崎 信 二 1985 横 穴 式 石 室 構 造 の 地 域 別 比 較 研 究 中 国 四 国 編 1984 年 度 文 部 省 科 学 研 究 費 奨 励 研 究 A 実 績 報 告 書 45