特集 越境する 社会 学 地域と時代を越えて 社会的なるもの を問う ポピュラー音楽とグローバル化 東谷護 グローバル化するポピュラー音楽 ポピュラー音楽は20 世紀にめざましいほどの発展を遂げた 幾多のヒット曲 多くの人々を魅了したスター歌手 記録的な売り上げを支えた音楽産業 等の足跡が20 世紀の文化史に刻みこまれた 2 世紀になると ポピュラー音楽文化を検討する際にインターネット等の音楽配信を無視することは出来なくなった インターネットの技術は 場所 (place) に縛られていた多種多様な音楽を空間 (space) に瞬時に解放できるようになった しかし 音楽と空間との関係は今世紀に始まったのではない この関係にはグローバル化という側面が現れている 音楽のグローバル化も現代に始まったわけではない 古来 文化交流のなかに音楽の存在がみとめられている とりわけ西洋芸術音楽の世界的な広まりは 芸術という思想をも広く行きわたらせるものであった これらの広まりの背景に 西欧列強の帝国の世界的支配 キリスト教の布教活動といった存在を無視できないが 西洋芸術音楽を世界的に広めることを可能にしたのは五線譜の存在であったことを見逃すわけにはいかない 五線譜という合理的に作られた楽譜によって 演奏や歌唱の優劣はあっても 誰もが音楽の演奏や歌唱のリテラシーを身につけることが出来た 五線譜は師匠から弟子に秘伝という名の下に伝授されるような難解なものでもなければ 一部の者にしか知ることの出来 ない特権的な閉ざされたものでもなかった 20 世紀に入ってからは大量複製技術の発展によって 欧米のポピュラー音楽が世界的に広まったが ロックミュージックはその最たる例である クラシックの普及が五線譜の威力によるものであったのに対して ロックミュージック等のポピュラー音楽はレコード ラジオ テレビ等のマス メディアの威力によるものだ なかでも テレビの威力が大きかったのはここで指摘するまでもないであろう だが いきなりマス メディアの時代が到来したのではない たとえば 日本でのテレビの本放送開始が953 年であることを鑑みれば容易にわかることだ テレビの登場以前の音楽を取り囲む環境を検討する際には軍隊の存在は無視できない 古くは軍楽隊がブラスバンドを世界各地に広め 20 世紀以降にはジャズを世界に広めた 特に 米軍が 日本 韓国 フィリピン等の東アジア地域に 欧州ではドイツ イタリア等に基地を設置したことは 米軍基地が設置された各国 各地域のポピュラー音楽文化に影響を与えた IT が整備された今日において音楽の広まり方はマス メディアのような送り手から受け手へという一方向的なものではなくなった 従来 受け手として認識されていた人たちが マルチ メディアを駆使して 一夜にして脚光をあびることも可能となった 双方向的なコミュニケーションのあり方が極度に深まったといえないだ 32 学術の動向 208.4
PROFILE 東谷護 ( とうやまもる ) 愛知県立芸術大学音楽学部教授 専門 音楽学 ポピュラー音楽研究 ろうか ここまで 駆け足で主に 20 世紀のポピュラー 音楽を巡る環境について触れたが このような 過去の出来事について音楽がグローバル化していることを捉える上でどのように活かしたらよいのだろうか 2 音楽にみる 場所 / 空間 の再考 音楽を語るときに地域の音楽 音楽空間といったフレーズを目にするが 鍵語として用いられている空間 地域とはいかなるものなのであろうか 音楽文化を考察するときに 地域と空間という概念をわれわれはどのように捉えればよいのだろうか 先ず 地域という概念が一定していないことを確認しておきたい その理由として 社会学 地理学 地域研究など 異なる分野をそれぞれの研究歴の背景を持つ者たちが各領域で研究を進めてきたことがあげられる 研究歴を異にする研究者たちが 同じ語に対して異なる捉え方をするという指摘は 地域と対にして言及されることの多い空間についても当てはまる ( 山田 995) 本稿では音楽がグローバル化していく過程に着目したいので ここでは地理学者の山田晴通が 地域 に対して一定の議論を行うために人文地理学の知見を手がかりとして 地域 の捉え方を場所 地点 空間と対比しながら概念の整理をしたモデル ( 図 )(ibid.) を音楽に援用して考えてみたい あらゆるところで 音楽は鳴り響いてきたし 各地で独自の音楽文化を人類は築いてきた 歴史のあるもの 芸術性に富んだもの いままさに生まれようとしている音楽 それらの 種類 をあげだしたら枚挙に暇がないほどだ 西洋芸術音楽にせよ 各地域の民俗音楽にせよ 地域性の強いポピュラー音楽にせよ あらゆる音楽は 地点 から始まったものに過ぎない 音楽学者の徳丸吉彦は すべての音楽が 民族音楽 である ( 徳丸 996:2) と指摘している なるほど すべての音楽はどこかの 場所 で鳴り響いていることを考えれば この指摘は検討するまでもなく 正鵠を射たものだ しかし ある種の音楽は地点にとどまっただけに過ぎなかったが ある種の音楽は広くいろいろな地域にまで伝播した これらとは対照的にある種の音楽は世界中に広まった 徳丸の提示した命題は場所という 固有性 図 地域をめぐる用語のニュアンス 学術の動向 208.4 33
特集 越境する 社会 学 地域と時代を越えて 社会的なるもの を問う を手放した時に説得力を持たないものとなってしまう その格好の例がポピュラー音楽だ ポピュラー音楽の特徴の一つに 大量複製技術を背景に商品として世界各地に大量配給されるという側面がある ここでは 広く伝播することのみならず 没場所的な性格を帯びている点において 先のモデルの 空間 に該当できよう 一般に ポピュラー音楽と言った場合 英語圏 とりわけアメリカ合衆国のものを指すことが多いと思われる 音楽文化に影響を与えた媒介 メディエーションを最大限に利用したのがアメリカ合衆国であったからこそ ポピュラー音楽の代表がアメリカ発のものだと捉えられたのだろう アメリカ合衆国という 地域 より具体的な 場所 としては アメリカ合衆国内のスタジオという 地点 でレコードに録音されたポピュラー音楽が アメリカが切り拓いた英語文化の流通ルートに載って 全世界へと拡散した ( 山田 2003:5) のである これらは レコードとラジオという音の複製技術の発達と普及の過程においてアメリカが占めていた特権的な位置 (ibid.) が大きく左右した このようにしてアメリカという一 地域 の音楽が 空間に放たれ 世界各地でアメリカ合衆国のポピュラー音楽が享受 消費された 受容側が アメリカ発のポピュラー音楽を消化 消費するにつれて 在来のポピュラー音楽と融合させ 自分たちの音楽文化にアメリカ発のポピュラー音楽を馴染ませることになった 3 ポピュラー音楽文化に影響を与えたメディエーション なぜ 一部の 種類 の音楽だけが 地点 から違う場所に 地域に そして空間へと伝播 していったのであろうか 前節で検討した図 からもわかるように 場 所 地域 には個別的要素の高いものが含まれ る 音楽に関していえば その場所 その地域 独自の要素が含まれる かつて 民族音楽学者 が録音機を持って 各地の音楽文化を調査した ことは 調査対象である場所や地域の独自の固 有性を調べたことに他ならない 先述した徳丸 の すべての音楽が 民族音楽 である ( 徳丸 ibid.) という命題を打破した 空間 へ飛び 出していった音楽にはどのような特長が見いだ せるのであろうか ここで着目したいのは音楽の種類ではなく 場所 や 地域 の音楽を 空間 へと飛び立 たせたシステムが何であったのかである なお 本稿ではポピュラー音楽を主たる考察対象とし ているので 主に 20 世紀以降に主眼をおくこと をあらかじめ断っておきたい 音楽のグローバル化に大きな影響を与えたメ ディエーションを主軸にそえると 以下のよう な時代区分が考えられる 五線譜が威力をもった時代 米軍基地が威力をもった時代 マス メディアが威力をもった時代 マルチ メディアが威力をもった時代 34 学術の動向 208.4
この時代区分 はポピュラー音楽にみるグ ローバル化を捉えるための見取り図の指標と成 り得る しかしグローバル化とはいえ 根底に あるのは 西欧圏の音楽が非西欧圏へ進出して いく際に 支えとなったものが これらの存在 だったという点を意識しなくてはいけない ポ ピュラー音楽のグローバル化とは とりわけ 20 世紀以降はアメリカナイゼーションであったと いっても過言ではない ヒットした楽曲はもち ろんのこと ジャズ ロック フォーク ヒッ プホップといった主要ジャンルにせよ 音楽産 業にせよ ありとあらゆるものがアメリカ発で あったことを鑑みれば納得がいくだろう だが ポピュラー音楽とはアメリカ発の音楽 だと当然視することは出来ない たしかに強力 なメディエーションを支えとして アメリカ発 のポピュラー音楽が世界各地に流入した 日本 もその例に洩れない だが グローバル化とは 逆にローカル アイデンティティという側面が 見え隠れしていることを見逃すわけにはいかな い アメリカが本物だという真正性の指向を前 面に押し出す者たちがいるということは それ だけ アメリカ発のオリジナルが何らかの形で 変化していることを意味しているといえるだろ う ( 東谷 2008:28-29) 4 メディエーションとしての米軍基地 マス メディアが威力をもった時代 戦後日 本を例にとるならば 歌謡曲華やかなりし頃 すなわちテレビ黄金期を迎える準備が占領期日本の米軍基地内に設置された米軍クラブでの音楽実践にあった つまり 米軍基地という一カ国一地域にとどまらない世界的展開 グローバル化の下に 米国のポピュラー音楽が 米軍基地が設置された当該地域のバンドマンが米軍クラブに出入りすることによって 米軍クラブで流れたポピュラー音楽を受容し 彼らの住む国や地域にそれぞれの流儀で根付かせていったのである ここにはグローバル化したポピュラー音楽がローカル化していく過程を見て取ることが出来る 前述したとおり 米軍基地は世界的展開をしていたため 東アジアでの同時代の状況を鑑みると 第二次世界大戦後に異なる戦後を歩んだ日本と韓国だが ポピュラー音楽文化に関しては 米軍クラブからアメリカのポピュラー音楽を受容した点においては似ている 2 世紀に入ってから日本と韓国は 両国のポピュラー文化の交流という点はもちろんのこと これまで以上に身近な存在となったといえようが 第二次世界大戦後に歩んだ日本と韓国の道のりは あまりにもかけ離れたものであった 日本はアメリカによる占領の日々を終えると 950 年代半ばから高度経済成長期に入り 戦後日本のめざましいほどの発展という時代を経験した 日本人にとって 占領といういわば 暴力としてのアメリカ は 980 年代の高度消費社会を迎えると 消費の対象としてのアメリカ へ変貌した ( 吉見 2007) 翻って韓国では 20 世紀後半まで軍事政権の下 駐韓米軍とともに 学術の動向 208.4 35
特集 越境する 社会 学 地域と時代を越えて 社会的なるもの を問う 時代を歩んだ 日本と韓国はあまりにも異なる戦後の歴史を刻んできたが 米軍基地内のクラブで流れた音楽は アメリカ発のポピュラー音楽だったのである 時代背景が違うにもかかわらず アメリカ という特異な空間には同じ音が鳴り響いていたのだ その空間に出入りしていた日本と韓国の米軍クラブ関係者が 自由を求め アメリカに想いを馳せたのはある種 必然の出来事だったのかもしれない 米軍クラブは 米軍関係者への娯楽提供という目的を離れ アメリカ発のポピュラー音楽を広く普及させるためのメディエーションとして機能した いわば文化装置の役割を担ったのだ しかも 米軍基地の設置された国のポピュラー音楽文化に対して アメリカ発のポピュラー音楽の楽曲の伝播だけにとどまらず 演奏技術 仲介業を含むポピュラー音楽のショービジネスといった音楽産業の発展の種をも蒔いたのである つまり 米軍クラブは アメリカ発のポピュラー音楽のグローバル化を推し進めると同時に 各国独自のポピュラー音楽文化の発展というローカル化にも貢献したのである 少考では ポピュラー音楽のグローバルな展開に力点をおいたため 日韓の米軍クラブでの音楽実践にみる共通点を指摘するにとどまってしまった しかしながら いくつかの問題は解決できないままになっている 最後にそれらのうち大きな問題系 2 点について今後の課題として明示しておきたい 先ず 日米 あるいは 韓米 という従来の 二国間的 ( 被 ) 占領関係のモデルを超えた 被占領地集団間の関係性が米軍クラブには存在するという問題系である このインターアクションはどのような形態をとり それは何を意味するのかについての分析である 次に 基礎資料の整備という側面についてである 筆者の研究スタイルの特色として 実体験者へのインタビュー調査に比重をおいているが これは実体験者の貴重な語りを一次資料として残す側面もある こうした基礎資料の整備は 実体験者が高齢なだけに今後 貴重な資料になるといえよう また 米軍基地という特異な空間に関わった実体験者たちがアメリカ文化をどのように受容し消化したのか あるいは抗ったのかという問題をアメリカナイゼーションに関する言説との差違があるのか否かをまで射程に入れることが肝要だ もちろん インタビューで話をうかがった方々 一個人の問題にとどまるものではないことは言うまでもないことである 日本と韓国の米軍クラブでの文化実践に関しては ポストコロニアリズムの観点から 2 世紀に生きる我々がどのように継承し 考えていけばよいのかを示唆するものにも成り得る可能性はあるだろう 個人史という特殊事例が 社会史と接合することによって得られる考察は 過去と対話する ことを我々に促し 大文字で語られることのない 大衆 の語りによって みえなかった歴史 に光をあてるであろう 36 学術の動向 208.4
注 これらは必ずしも明確に区分けされるものではない というのは 五線譜と米軍基地は併行して影響を持っていたこともあるからだ 比重としてどちらが強いかということでは区分けはできるだろう 参考文献 東谷護, 2005, 進駐軍クラブから歌謡曲へ 戦後日本ポピュラー音楽の黎明期 みすず書房. 東谷護 ( 編著 ), 2003, ポピュラー音楽へのまなざし 売る 読む 楽しむ 勁草書房. 東谷護 ( 編著 ), 2008, 拡散する音楽文化をどうとらえるか 勁草書房. 徳丸吉彦, 996, 民族音楽学理論 放送大学教育振興会. 山田晴通, 995, 地域のコミュニケーション という視点 コミュニケーション科学 3:53-64, 東京経済大学. 山田晴通, 2003, ポピュラー音楽の複雑性 東谷護 ( 編著 ) ポピュラー音楽へのまなざし : 売る 読む 楽しむ 勁草書房. 吉見俊哉, 2007, 親米と反米 戦後日本の政治的無意識 岩波新書. 学術の動向 208.4 37