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Transcription:

Kwansei Gakuin University Rep Title 越 劇 の 老 生 : 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 Author(s) Fujino, Naoko, 藤 野, 真 子 Citation 言 語 と 文 化, 17: 79-93 Issue Date 2014-03-01 URL http://hdl.handle.net/10236/12725 Right http://kgur.kawansei.ac.jp/dspace

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 1. 越 劇 と 老 生 戯 曲 すなわち 中 国 における 概 念 区 分 としての 伝 統 劇 にあって 越 劇 の 歴 史 は 意 外 に 新 しい 他 の 地 方 劇 同 様 説 唱 系 の 芸 能 に 所 作 をつけ 複 数 の 登 場 人 物 を 分 担 して 演 じ 舞 台 芸 能 化 するという 経 路 をたどり 現 在 に 至 るまで たかだか 百 年 ほどの 時 間 しか 経 って いない 1) 浙 江 省 紹 興 市 の 南 東 部 に 位 置 する 嵊 県 ( 現 在 の 嵊 州 市 )を 揺 籃 の 地 とするこの 小 規 模 な 芸 能 は やがて 浙 江 省 を 飛 び 出 て 最 終 的 に 上 海 という 華 東 地 区 における 文 化 芸 術 活 動 の 中 心 地 に 進 出 したことにより 確 たる 地 位 を 築 き 上 げた その 黎 明 期 に 関 する 記 録 は 必 ずしも 多 くないが 時 を 同 じくして 発 達 し 始 めていた 新 聞 や 雑 誌 などの 出 版 メディ アに 記 事 として 拾 い 上 げられる 機 会 があったため 関 係 者 による 回 顧 録 と 併 せると おお よその 変 遷 はトレースできる この 越 劇 が 二 十 世 紀 前 半 の 上 海 というあらゆる 文 化 の 集 散 地 にあって 多 くの 劇 種 との 競 合 を 勝 ち 抜 いた 最 大 の 要 因 は 特 定 且 つ 母 数 の 多 い 観 客 層 をターゲットとし 演 目 の 内 容 をおおよそ 方 向 付 けたことによるだろう 現 在 越 劇 の 主 要 な 観 客 層 は 中 高 年 の 女 性 が 占 めており 中 国 文 化 圏 にあまたある 伝 統 劇 の 中 でも いわゆる 才 子 佳 人 ものを 得 意 とする 劇 種 として 認 識 されている また 本 邦 において 宝 塚 歌 劇 を 引 き 合 いにして 紹 介 さ れるように 役 者 のほとんどは 女 性 である こうした 状 況 は 中 華 人 民 共 和 国 成 立 時 点 ですでに 確 立 されていた 例 えば 人 民 共 和 国 建 国 直 後 の1950 年 に 刊 行 された 鐘 琴 越 劇 2) には 目 下 上 海 越 劇 の 観 客 は 百 分 の 九 十 が 有 閑 階 級 の 女 性 ( 当 該 書 20 頁 )と 記 され 収 益 をおさめるため 彼 女 らの 好 みに 合 わ せることこそが プロの 脚 本 家 の 目 標 であると 述 べられている また その 好 みの 具 体 的 内 容 として 服 装 の 華 美 さ シーンの 壮 大 さと 細 やかさおよび 華 麗 な 背 景 紆 余 曲 折 に 富 み 柔 らかく 且 つ 少 し 色 気 を 帯 びた 恋 愛 物 語 などが 挙 げられている 加 えて 同 書 では 上 演 演 目 の 背 景 について 以 下 のように 述 べられている 1) 高 義 龍 越 劇 史 話 ( 上 海 文 芸 出 版 社 1991 年 )など 越 劇 史 に 関 する 多 くの 著 作 において 1906 年 ( 光 緒 三 十 二 年 ) 旧 正 月 浙 江 省 嵊 県 東 王 村 における 上 演 を 舞 台 劇 としての 越 劇 の 初 演 であるとしている 2) 三 聯 書 店 出 版 79

文 化 越 劇 の 役 者 はみな 女 性 であり このことから 古 装 戯 ( 歴 史 的 伝 統 的 な 服 装 で 演 じる 劇 ) の 方 が 時 装 戯 ( 同 時 代 の 服 装 で 演 じる 現 代 劇 )より 演 じやすい 女 性 が 男 装 するにあ たって 頭 巾 着 物 靴 帽 子 そして 長 髪 に 黒 いひげ(= 古 装 )を 頼 りにすれば 些 かの 外 見 的 な 欠 点 は 補 足 できるが 時 装 戯 を 演 じるときはかなり 難 しくなる か 弱 く 小 柄 な 江 南 の 娘 が 労 働 者 農 民 兵 士 のような 堅 牢 且 つほがらかで 武 に 秀 で 豪 快 な 性 格 を 演 じるには どのみち( 両 者 に) 全 般 的 に 大 きな 距 離 が 存 在 している よって 脚 本 の 題 材 は 百 分 の 九 十 五 以 上 が みな 歴 史 もの あるいは 民 間 故 事 ものである 建 国 前 後 より 社 会 主 義 的 文 芸 政 策 を 積 極 的 に 取 り 始 めた 中 国 共 産 党 だが この 時 点 で 越 劇 には 革 命 思 想 を 人 民 に 鼓 舞 する 役 割 は 期 待 されていない もっとも 数 年 後 には 現 代 劇 こと 抗 日 戦 争 や 党 の 改 革 を 賛 美 する 内 容 の 劇 を 演 じるため 越 劇 は 否 応 なしにこの 問 題 と 向 き 合 わざるを 得 なくなる それよりこの 文 章 で 興 味 深 いのは 古 装 戯 であれば か 弱 く 小 柄 な 江 南 の 娘 の 肉 体 的 弱 点 を 覆 うことができるという 発 想 である こうした 越 劇 の 状 況 を 踏 まえた 上 で 本 論 では 越 劇 界 において 配 角 ( 脇 役 )として 扱 わ れる 老 生 に 敢 えて 焦 点 を 当 ててみたい そもそも 民 国 期 上 海 という 各 種 の 芸 能 が 娯 楽 と してしのぎを 削 る 都 市 にあって 新 参 者 の 越 劇 が 独 自 の 地 位 を 築 き 得 たもう 一 つの 理 由 と して 年 端 のいかない 少 女 たちが 若 い 男 女 に 扮 し 嫋 嫋 と 唱 いながら 舞 台 を 務 める 様 が 人 気 を 博 した 事 実 を 無 視 することはできない 当 然 若 さと 容 姿 とを 売 りにするこのような 上 演 形 態 において 中 高 年 の 男 性 を 演 じる 老 生 に 対 する 観 客 の 需 要 が 当 然 低 いであろうこ とは 容 易 に 想 像 できる 上 述 のように 演 目 の 傾 向 を 鑑 みても 中 高 年 の 男 性 に 扮 する 老 生 が 中 心 となる 可 能 性 は 小 さい 他 方 上 演 内 容 の 筋 運 びが 多 少 なりとも 複 雑 であれば 若 い 男 女 以 外 の 人 物 も 登 場 する ことになる 越 劇 において 老 生 が 扮 する 人 物 は 特 に 恋 愛 を 主 旋 律 とする 多 くの 演 目 にお いて 父 親 師 匠 上 司 主 君 など 主 役 たる 若 い 男 女 にとって 立 場 や 身 分 の 上 で 上 位 に 位 置 する 人 物 であり 時 には 庇 護 者 また 時 には 正 反 対 の 妨 害 者 として 登 場 する 若 く 未 熟 な 恋 人 同 士 は 年 輩 者 たちの 干 渉 を 何 らかの 形 で 乗 り 越 えることで 社 会 的 成 功 ( 多 くは 科 挙 への 合 格 と 仕 官 )と 恋 愛 の 成 就 を 勝 ち 取 る 物 語 に 明 確 な 起 承 転 結 を 与 えるにあ たり こうした 人 物 設 定 は 必 要 欠 くべからざる 存 在 であり 小 生 花 旦 には 遠 く 及 ばない ものの 越 劇 界 において 老 生 は 断 続 的 に 養 成 されてきたのである 後 述 するが 民 国 期 における 越 劇 の 老 生 には 京 劇 老 生 の 影 響 を 見 いだすことができる もっとも 演 技 上 越 劇 の 老 生 は 孟 小 冬 のような 京 劇 の 女 性 老 生 とは 異 なり 声 域 歌 唱 法 とも 男 性 俳 優 を 完 全 になぞることは 求 められない このことは 中 華 人 民 共 和 国 建 国 後 の 現 代 劇 において 女 優 の 持 つ 身 体 的 表 現 の 限 界 による 男 性 俳 優 の 再 度 の 養 成 という 事 態 を 引 き 起 こしたが 紅 楼 夢 や 梁 山 伯 と 祝 英 台 のようなスタンダードな 演 目 をはじめ 多 くの 演 目 では 女 性 老 生 が 舞 台 に 立 ち 続 けた 女 優 ばかりで 作 りあげられる 越 劇 の 舞 台 に 80

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 あって 彼 女 らは 女 性 の 肉 体 を 以 て いかに 中 高 年 の 男 性 像 を 創 造 してきたのか 小 論 で はその 発 展 の 系 譜 をたどり 民 国 期 を 中 心 に 越 劇 老 生 発 展 の 具 体 的 様 相 を 追 っていくこと としたい 2. 老 生 という 役 柄 京 劇 等 先 行 劇 種 における 位 置 づけと 形 象 まず 中 国 伝 統 劇 における 老 生 という 役 柄 の 位 置 づけを 述 べておきたい 中 国 伝 統 劇 の 四 種 の 役 柄 である 生 旦 浄 丑 の 生 にあって 中 高 年 の 男 性 に 扮 す るのが 老 生 である 老 生 が 演 じる 人 物 の 身 分 は 上 は 王 侯 貴 族 から 下 は 貧 しい 庶 民 まで 多 種 多 様 であるが 概 して 精 神 的 に 年 齢 相 応 の 成 熟 をみせる 男 性 を 演 じる 演 技 上 は 特 に 歌 唱 が 要 視 されるが 同 程 度 に 科 白 しぐさ 表 情 の 上 でも 豊 かな 表 現 を 求 められ 時 には 武 老 生 として 武 将 に 扮 し 立 ち 回 りを 見 せることもある 3) この 老 生 のルーツは 金 代 院 本 の 末 泥 (または 尼 ) 元 代 雑 劇 の 正 末 明 代 南 曲 の 正 生 に 繋 がり 中 でも 雑 劇 においては 劇 中 の 歌 唱 の 担 い 手 すなわち 主 役 として 末 は 重 要 な 位 置 を 占 めるようになっていた その 後 江 南 地 区 を 中 心 に 行 われた 南 曲 崑 曲 の 多 くは 若 い 男 性 に 扮 する 小 生 と 女 性 に 扮 する 旦 を 主 たる 役 柄 としたが 他 方 で 京 劇 4) の 祖 型 となった 梆 子 系 の 地 方 劇 をはじめ 老 生 を 主 演 に 据 える 傾 向 は 清 代 中 葉 以 降 に 勢 力 を 伸 ばしてきた 京 劇 まで 受 け 継 がれていった 十 九 世 紀 後 半 には 北 京 を 中 心 に 全 国 へ 広 がりを 見 せた 京 劇 において 老 生 は 劇 中 最 も 重 要 な 役 柄 となった 老 生 の 形 象 は かぶり 物 を 載 せて 鬚 を 付 ける 以 外 は 常 に( 役 者 の)もともとの 容 貌 をあらわにするものであり とりわけゆったりと 優 雅 で ものごしも 鷹 揚 としていなけ ればならない 浄 の 役 者 は 顔 中 に 彩 色 を 施 し わざと 体 を 大 きく 見 せる 旦 の 役 者 は 白 粉 をはたいて 紅 を 差 し 怪 しげな 外 見 をつくる 丑 の 役 者 は 奇 妙 な 格 好 をし 軽 薄 で 不 実 な 様 を 演 じる (これらの 役 柄 を) 長 く 演 じ 続 けることは いずれも 十 分 に 自 身 の 本 性 を 失 い 自 身 の 性 格 を 変 えてしまうことに 繋 がる ゆえに それらの 立 ち 居 振 る 舞 い のいっさいすべてが 学 ぶ 者 が 行 うに 値 しないものであるのとは( 老 生 の 場 合 は) 異 な るのである ( 戲 學 匯 考 巻 之 一 戲 學 編 第 二 章 生 角 部 大 東 書 局 1926 年 ) 上 記 引 用 は 京 劇 における 老 生 の 外 見 と 風 格 について 他 の 三 つの 役 柄 と 比 較 し 如 何 な る 人 物 像 を 結 ぶべきかを 述 べた 民 国 期 の 文 章 である 他 の 役 柄 についてここではある 種 極 端 な 表 現 がなされているが それによって 老 生 という 役 柄 が 役 者 本 人 の 素 地 扮 装 に 3) 演 技 上 重 視 される 要 素 により 唱 工 ( 安 工 ) 老 生 做 工 ( 衰 派 ) 老 生 武 老 生 の 三 種 類 に 分 けられる 4) 陝 西 省 の 秦 腔 を 祖 に 山 西 河 南 山 東 河 北 などに 東 漸 し 発 展 していった 81

文 化 よって 覆 われる 部 分 が 少 ないがゆえに 端 正 な 佇 まいを 求 められる に 頼 る 部 分 が 大 きい ことを 強 調 している また 本 邦 において 京 劇 研 究 に 先 鞭 を 付 けた 一 人 である 波 多 野 乾 一 は 老 生 を 以 下 の ように 解 説 している さて 老 生 は 賢 相 忠 臣 儒 將 學 者 等 に 扮 する 役 柄 であるが これはその 扮 する 人 物 の 例 を 擧 げた 説 明 で 勿 論 かゝる 狹 小 な 範 圍 に 局 限 されてゐる 譯 でなく 善 き 人 正 し き 人 を 代 表 する 男 性 役 に 外 ならない 生 を おとこ と 訓 讀 するのは 此 間 の 了 解 を 導 くための 用 意 である 而 していはゆる おとこ は 成 人 であり 成 人 でも 中 年 以 上 で あり 必 ず 鬚 をつけて 出 る 老 生 は 京 劇 での 立 役 で 京 劇 の 大 部 分 は 又 老 生 劇 である 主 として 唱 を 聽 くべき 役 柄 ではあるが 固 より 做 白 を 重 んじない 譯 ではない 否 此 唱 做 白 の 三 拍 子 揃 つた 上 に 立 廻 り 卽 ち 武 工 をも 善 くすることが 老 生 の 理 想 なのである ( 後 略 ) ( 波 多 野 乾 一 支 那 劇 と 其 名 優 新 作 社 1925 年 ) ここでは 善 き 人 正 しき 人 を 代 表 する 男 性 役 と 規 定 されているが その 行 為 は 必 ず しも 社 会 通 念 上 の 善 であるとは 限 らず どちらかというと 物 語 中 で 当 人 による 正 義 を 貫 こうとする 人 物 と 言 う 方 が 妥 当 であろう また 若 い 男 性 に 扮 する 小 生 や 女 性 役 の 旦 に 比 べると 老 生 の 場 合 生 来 の 容 姿 の 美 醜 はあまり 問 われないが 扮 装 した 際 見 栄 えするにこしたことはない なお 老 生 は 別 名 鬚 生 胡 子 生 ( 後 述 )と 称 され 上 記 引 用 にもあるように ( 実 際 には 一 部 の 登 場 人 物 を 除 き) 扮 装 にあたって 鬚 を 付 けるのが 一 般 的 である 鬚 は 小 生 を 除 く 他 の 男 性 役 でも 用 いるが 老 生 の 場 合 は 胸 元 までの 長 さを 持 ち 年 齢 を 示 す 基 本 的 且 つ 重 要 な 扮 装 アイテム であることをあらためて 確 認 しておきたい 以 下 老 生 と 鬚 の 関 連 について 中 国 におけ るごく 一 般 的 な 理 解 を 挙 げておく 老 生 はまたの 名 を 須 生 あるいは 胡 子 生 ともいうが これは 老 生 がみな 胡 子 ( 鬚 ) をつけることによる 老 生 はまた 正 生 ともいうが ( 立 ち 居 振 る 舞 いが) 厳 粛 かつ 端 正 であることを 表 す 老 生 は 主 に 中 年 以 上 の 男 性 に 扮 する 役 柄 で 歌 唱 と 科 白 のいずれも 地 声 ( 本 嗓 )(または 真 嗓 大 嗓 ともいう)を 用 いる 伝 統 に 則 ると 老 生 は 基 本 的 に みな 三 束 の 黒 い 鬚 をつける( 専 門 用 語 で 黒 三 という) 他 に 灰 色 (ごましお)の 三 束 の 鬚 があるが 専 門 用 語 で 黲 ( 音 は 惨 ) あるいは 蒼 三 という また 白 い 三 束 の 鬚 があるが これを 白 三 という さらに 束 に 分 けず 口 全 体 ( 満 口 )を 覆 い 尽 くす 鬚 があるが 専 門 用 語 で 満 といい 黒 満 白 満 黲 満 がある しかし 京 劇 本 来 の 伝 統 に 則 ると 黒 満 あるいは 黲 三 黲 満 白 三 白 満 をつけるものを 問 わず 82

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 みな 老 生 が 演 じる 範 囲 には 含 まず( 末 あるいは 外 の 役 柄 が 扮 しなければならな い) 黒 三 をつけた 役 だけが 真 の 老 生 とみなされる 現 在 末 と 外 はみな 老 生 の 役 柄 に 包 摂 され 老 生 が 扮 する 役 の 範 囲 は 拡 大 されたため こうした 区 別 もなくなった のである ( 京 劇 知 識 詞 典 老 生 天 津 人 民 出 版 社 1990 年 ) さらに 付 け 加 えると この 鬚 の 色 は 当 然 ながら 年 齢 を 示 し 且 つ 三 の 鬚 をつける 人 物 は 高 尚 優 雅 秀 麗 さを 備 えており 満 の 場 合 は 人 間 性 の 善 悪 を 問 わず 雄 渾 雄 壮 だが 粗 暴 ではない 人 物 だとされる 5) さて 十 九 世 紀 後 半 から 二 十 世 紀 初 頭 にかけての 京 劇 界 では 譚 鑫 培 (1847~1917)と いう 名 老 生 が 活 躍 した 彼 は 比 較 的 長 い 活 動 期 間 を 通 じ 演 技 扮 装 など 多 方 面 において 現 代 京 劇 の 基 礎 を 確 立 した 俳 優 で 伶 界 大 王 とまで 称 され 後 進 の 目 指 すところとなっ た 以 下 は 譚 鑫 培 亡 き 後 の 京 劇 界 を 背 負 った 梅 蘭 芳 (1894~1961)のブレイン 齊 如 山 (1875~1962)による 譚 鑫 培 評 である 譚 叫 天 ( 鑫 培 )は( 俳 優 の 条 件 としての)この 六 点 ( 声 が 良 いこと よく 唱 えること 体 格 がよいこと 動 作 が 良 いこと 容 貌 がすぐれること 表 情 を 作 れること)について どれも 完 全 に 良 いとはいえないものの いずれも 優 等 の 点 数 をつけられるものである 体 格 はいささか 痩 せて 小 柄 であるが 彼 の 場 合 気 迫 の 充 足 と 動 作 の 優 美 さにより 不 足 を 補 ってくることができたのである ( 齊 如 山 談 四 脚 談 談 譚 叫 天 ) 6) 民 国 期 を 通 じ 京 劇 研 究 に 最 も 造 詣 の 深 かった 一 人 がこの 齊 如 山 だが 上 記 は 老 生 とし ての 譚 鑫 培 に 対 するごく 基 本 的 な 評 価 である 以 下 時 代 は 遡 るが 京 劇 愛 好 者 の 捉 えた 譚 鑫 培 の 様 子 を 紹 介 しておきたい 譚 鑫 培 は 中 和 園 ( 北 京 市 前 門 大 柵 欄 東 口 糧 食 店 胡 同 )の 中 心 俳 優 であったが 丙 午 ( 光 緒 三 十 二 年 1906 年 )の 秋 冬 の 間 は 全 く 舞 台 に 立 たなかったため 芝 居 を 聴 きに 来 る 者 は 日 ごとに 少 なくなり 日 に 二, 三 百 座 程 度 のこともあった 11 月 1 日 ののち 譚 伶 は 突 然 やる 気 になって 宮 中 からの 呼 び 出 しや 堂 会 の 時 以 外 演 じない 日 はなく これよ り 座 席 もいっぱいになっていった ( 中 略 )ああ! 万 人 が 通 りを 空 っぽにせんばかり の 盛 況 は 譚 叫 天 の 死 後 二 度 と 見 ることはなかった 世 の 運 気 は 日 ごとに 下 っていった 5) 王 小 明 京 劇 髯 口 之 研 究 ( 秀 威 資 訊 科 技 2013 年 ) 参 照 6) 初 出 不 詳 全 体 の 内 容 から 1940 年 代 中 盤 以 降 のものと 考 えられる 中 国 人 民 政 治 協 商 会 議 北 京 市 委 員 会 文 史 資 料 研 究 委 員 会 編 京 劇 談 往 録 三 編 ( 北 京 出 版 社 1990 年 )を 底 本 とした 83

文 化 が それも 些 細 なことであった この 月 の11 日 譚 鑫 培 と 王 瑶 卿 ( 旦 1881または1882 ~1954)が 汾 河 湾 で 共 演 したが 老 生 青 衣 みな 京 中 第 一 の 役 者 であった その しぐさは 一 挙 手 一 投 足 すべてが 絶 妙 であり 歌 唱 は 一 字 一 句 すべてが 精 妙 であり この 上 ないすばらしさに 感 嘆 してやまなかった ( 中 略 )ある 日 中 和 園 で 御 碑 亭 が 演 じられ 譚 鑫 培 が 王 有 道 に 徳 俊 如 が 柳 春 生 に 王 瑶 卿 が 孟 月 華 にそれぞれ 扮 したが 芸 の 力 が 拮 抗 し 一 筋 の 不 満 もなく 今 となっても 思 い 出 されるが まさに 広 陵 散 ( 琴 曲 の 名 晋 の 嵇 康 が 得 意 としたが その 死 後 伝 えるものがいなくなってしまった)となっ てしまった またある 日 捜 孤 救 孤 を 演 じたが 譚 鑫 培 賈 洪 林 がおのおの 公 孫 杵 臼 と 程 嬰 に 扮 し 金 秀 山 が 屠 岸 賈 に 扮 するなど 名 優 が 一 つの 芝 居 に 勢 揃 いするのも 極 めて 得 難 いことであった 譚 鑫 培 は 老 生 の 筆 頭 であり もとより 知 らぬ 者 はなかったが その 歌 唱 法 は 規 則 を 守 ったものではなく 調 子 の 高 低 拍 の 長 短 いずれも 独 自 に 工 夫 され とらえどころのないものであった ゆえに 叫 天 が 舞 台 に 立 つときは すぐれた 胡 琴 の 伴 奏 者 が 必 要 であった 大 瑣 ( 梅 雨 田 1986~1914)の 胡 琴 は その 調 子 拍 の 高 低 長 短 によく 合 わせることができ 自 在 に 操 って 思 いのままにならないところはなかっ た 叫 天 の 唱 が 冴 えれば 冴 えるほど 大 瑣 の 胡 琴 もますますすばらしさを 発 揮 する こ れは 中 和 園 の 二 絶 と 言 えよう ( 後 略 ) 7) 沈 太 侔 宣 南 零 夢 録 ( 清 代 燕 都 梨 園 史 料 所 収 中 国 戯 劇 出 版 社 1988 年 ) ( 初 版 1934 年 ) この 筆 記 は 執 筆 時 期 が 明 記 されていないが 記 事 内 容 や 筆 者 の 経 歴 から 想 定 するに 中 華 民 国 初 頭 に 記 されたものと 推 定 される 譚 鑫 培 は 民 国 六 年 (1917)に 没 しているが 執 筆 時 点 で 存 命 であるにせよ 亡 くなっているにせよ すでに 伝 説 的 な 存 在 になっていること がここから 読 み 取 れる 譚 鑫 培 に 関 するこの 種 の 記 述 は 数 限 りなく 彼 の 晩 年 に 発 展 した 出 版 メディアとそれらに 依 拠 した 劇 評 家 らによる 発 言 と 相 俟 って 次 第 に 近 代 老 生 の 規 範 としてのイメージが 形 作 られていく 当 時 は 譚 鑫 培 の 演 技 を 以 て 後 進 の 到 達 目 標 とすべき といった 論 調 が 大 いに 行 われ 死 後 は 誰 がその 衣 鉢 を 継 ぐかという 話 題 でもちきりとなっ た 後 継 者 と 目 された(あるいは 自 負 した) 余 叔 岩 (1890~1943) 馬 連 良 (1901~1966) といった 老 生 俳 優 たちの 競 合 は 譚 鑫 培 の 残 した 規 範 がそれぞれの 演 技 上 の 個 性 と 結 びつき 結 果 として 複 数 の 新 しい 流 派 の 発 展 を 促 した * こうした 動 きとともに 民 国 期 においては 役 者 の 身 体 的 な 性 と 演 じる 役 柄 との 関 係 性 にも 新 たな 変 化 を 見 いだすことができる 具 体 的 には これまで 男 性 のみで 上 演 されてい た 京 劇 をはじめとする 伝 統 劇 の 舞 台 に 女 優 が 登 場 し 始 めたのである これにより 女 性 が 7) 本 引 用 の 訳 は 中 国 都 市 芸 能 研 究 会 第 五 輯 ( 中 国 都 市 芸 能 研 究 会 2006 年 ) 所 収 の 宣 南 零 夢 録 訳 注 ( 松 浦 恆 雄 藤 野 真 子 三 須 祐 介 田 村 容 子 大 野 陽 介 当 該 部 分 担 当 は 藤 野 )に 拠 る 84

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 旦 などの 女 性 役 を 演 じる( 役 者 の 身 体 と 役 柄 との 一 致 ) ことと 女 性 が 生 や 浄 など 男 性 役 を 演 じる( 役 者 の 身 体 と 役 柄 との 不 一 致 ) という 二 つの 流 れが 生 み 出 された 前 者 に 関 する 詳 細 な 議 論 は 他 の 研 究 に 譲 るが 男 性 俳 優 が 長 年 の 蓄 積 を 経 て 確 立 した 演 技 術 に 8) 則 って 女 性 を 演 じるという 問 題 については その 表 現 様 式 を 比 較 的 忠 実 に 踏 襲 する ことで 一 定 の 解 決 を 見 男 性 から 女 性 への 演 技 の 伝 承 は 現 在 に 至 るまで 大 きな 混 乱 を 生 じることなく 行 われたといってよい 他 方 後 者 については 言 うまでもなく 役 者 本 人 の 身 体 と 演 じる 役 柄 との 間 に 新 たな ね じれ を 生 む 特 に 鬚 をつけることをはじめ 男 性 の 外 見 的 特 徴 を 前 面 に 押 し 出 す 老 生 の 場 合 男 性 が 女 性 を 演 じることと 比 較 すると 演 技 の 系 統 的 な 蓄 積 はわずかなものである と 言 わざるを 得 ない 9) 先 に 挙 げた 譚 鑫 培 を 激 賞 したような 目 の 肥 えた 観 客 の 鑑 賞 に 堪 えうるレベルとなると 越 えるべき 様 々なハードルが 容 易 に 想 定 される しかしながら 男 性 俳 優 に 劣 らない 評 価 を 得 た 女 性 老 生 の 記 録 はいくつも 残 されている 例 えば 波 多 野 乾 一 は 支 那 劇 と 其 名 優 で 恩 暁 峯 (1887~1949)をはじめ 十 二 名 もの 女 性 老 生 を 紹 介 している 10) また 民 国 期 には 孟 小 冬 (1907~1977)を 筆 頭 に 一 流 と 見 な して 差 し 支 えない 水 準 に 至 った 女 優 も 登 場 した この 孟 小 冬 は 譚 鑫 培 の 後 継 者 として 最 有 力 視 された 一 人 の 余 叔 岩 に 私 淑 し 最 終 的 に は 直 接 教 えを 請 うことを 許 されている 余 叔 岩 の 流 派 は 余 派 と 称 されるが 孟 小 冬 は その 忠 実 な 伝 承 者 の 一 人 と 見 なされている 11) 彼 女 は 譚 ( 鑫 培 ) 派 を 善 くする 孟 鴻 群 の 娘 であり 幼 い 頃 から 裘 ( 仇 ) 月 祥 に 芸 を 学 んだ 生 まれつき 聡 明 であり 演 じることのできる 劇 は 非 常 に 多 く 譚 派 の 劇 で 巧 みに 演 じられないものはない なんといっても 得 難 く 貴 重 なのは 多 くの( 老 生 の) 女 優 たちと 比 べると 歌 唱 において 雌 音 ( 女 声 の 特 徴 を 帯 びた 声 )を 避 け 女 優 とし てのボロを 出 さないようにできることである 且 つ その 声 は 澄 んでよくとおり 節 回 しも 整 っており しぐさも 老 練 周 到 で 譚 派 老 生 の 直 伝 として 喧 伝 している 名 優 も 彼 女 にはとてもかなわない ( 缺 水 生 記 孟 小 冬 初 現 色 相 申 報 1939 年 1 月 24 日 ) 12) 8) 歌 唱 の 例 を 挙 げると 旦 の 歌 唱 における 音 域 は 男 性 にとってのいわゆる 裏 声 であり 音 域 のみであれば 元 来 女 性 に 近 かったといえる 9) 女 性 が 男 性 役 を 演 じることが 歴 史 上 なかったわけではなく むしろ 多 く 見 られる 例 えば 元 代 の 夏 庭 芝 青 楼 集 には 歌 妓 女 性 芸 人 と 雑 劇 との 関 わりが 記 され 明 代 の 家 班 ( 個 人 のプライベートな 上 演 団 体 )の 中 に は 女 性 ばかりのものも 存 在 した( 張 発 穎 中 国 戯 班 史 学 苑 出 版 社 2003 年 ) しかし 公 の 上 演 場 所 で 純 粋 に 技 芸 のみを 以 て 広 範 な 評 価 を 得 た 女 優 については 管 見 の 及 ぶ 限 り 清 代 末 葉 までほとんど 記 録 されていない 10) 男 優 と 対 抗 して 遜 色 のない 唯 一 人 である ( 恩 暁 峯 ) 声 調 清 朗 扮 装 魁 偉 ( 小 蘭 英 )といった 評 がみえる なお 恩 暁 峯 は 若 年 時 に 譚 鑫 培 に 私 淑 しており 女 叫 天 と 称 された 11) 孟 兄 弟 はみな 南 方 を 基 盤 とした 京 劇 俳 優 であり 四 男 の 鴻 群 は 武 浄 を 専 門 とした 12) この 記 事 が 書 かれた1939 年 時 点 孟 小 冬 はすでに 余 叔 岩 に 弟 子 入 りしているが 譚 派 の 劇 を 得 意 とした 点 がク ローズアップされているところからも 京 劇 老 生 = 譚 鑫 培 という 強 固 な 図 式 が 見 て 取 れる 85

文 化 女 性 老 生 の 場 合 やはり 焦 点 となるのは 歌 唱 時 の 声 であろう 雌 音 は 克 服 すべき 最 大 の 問 題 であり 彼 女 らに 対 する 劇 評 では 常 にその 有 無 に 言 及 されている 他 方 扮 装 や しぐさなど 視 覚 的 要 素 を 注 視 した 場 合 女 優 たちが 本 来 備 えている 女 性 としての 身 体 や 動 作 的 な 特 徴 を 中 高 年 の 男 性 としての 外 見 の 内 に 封 じることは 言 及 の 度 合 いを 鑑 み るに 聴 覚 的 な 要 素 に 比 べると 難 易 度 が 低 いようである 結 果 的 に 彼 女 ら 老 生 を 専 門 と する 女 優 たちは 若 さや 美 貌 を 武 器 とすることはなく 男 性 俳 優 と 同 様 純 粋 に 演 技 者 とし ての 技 量 を 以 て 観 客 に 訴 えかけることになる 上 海 でも 何 度 も 大 規 模 な 上 演 を 行 い 多 く の 観 客 に 支 持 された 孟 小 冬 の 存 在 は 直 接 的 ではないにせよ 同 時 代 を 生 きた 越 劇 の 女 性 老 生 に 影 響 を 与 えた 可 能 性 は 十 分 にあると 考 える 3. 民 国 期 女 子 越 劇 の 演 目 と 老 生 男 性 俳 優 のみで 構 成 された 早 期 越 劇 の 上 海 進 出 は1917 年 とされる 13) 当 時 の 上 海 では 大 小 の 劇 場 や 遊 楽 場 において 京 劇 をはじめさまざまな 演 劇 が 行 われていたが 彼 らの 目 をひいたのは 男 女 共 演 もしくは 女 優 のみの 上 演 団 体 であったと 考 えられる 14) 女 優 を 養 成 する 計 画 が 続 々と 実 行 された 結 果 現 在 でも 多 少 の 例 外 を 除 き 越 劇 は 女 性 のみで 行 わ れる 中 国 でも 希 有 な 存 在 となっている なお 早 期 の 男 性 俳 優 たちが 間 近 で 観 たと 思 われ る 女 優 たちの 多 くは 必 ずしも 高 いと 言 えない 技 芸 レベルであったことは 想 像 に 難 くない が 演 目 等 から 推 定 するに すべての 主 要 な 役 柄 が 揃 っていたこともまた 間 違 いない 越 劇 が 女 優 を 養 成 する 際 に 老 生 が 採 り 入 れられたのも 当 然 であった ここであらためて 今 日 の 越 劇 における 役 柄 と 老 生 の 一 般 的 な 定 義 を 確 認 しておく 一 般 に 越 劇 の 役 柄 は 小 生 小 旦 老 生 小 丑 の 四 種 に 分 けられるが この 四 つの 役 柄 は 越 劇 の 四 柱 頭 と 称 される ( 中 略 ) 老 生 は 四 十 歳 以 上 の 男 性 役 を 指 す 黒 い 鬚 を 付 ける 役 柄 を 正 生 といい 演 技 においては 歌 唱 しぐさを 共 に 重 視 する 碧 玉 簪 の 李 廷 甫 打 金 枝 の 唐 の 皇 帝 二 堂 放 子 の 劉 彦 昌 凄 凉 遼 宮 月 の 道 宗 红 楼 梦 の 賈 政 李 娃 伝 の 鄭 北 海 などに 扮 する 白 い 鬚 と 胡 麻 塩 の 鬚 を 付 ける 役 柄 を 老 外 と いい かつて 戯 文 ( 南 戯 南 曲 )では 末 と 称 されていた しぐさを 重 視 し 演 技 に おいては 動 作 性 が 強 い 珍 珠 塔 の 方 本 情 探 の 王 忠 梁 山 伯 と 祝 英 台 の 祝 公 遠 李 娃 伝 の 宗 禄 などに 扮 する 老 外 は 常 に 文 武 老 生 を 兼 ねており 主 に 武 芸 に 秀 でた 将 軍 の 役 を 演 じる 演 技 においては( 工 架 )を 極 め その 気 概 には 非 凡 なものがある 打 金 枝 13) 越 劇 史 話 小 歌 班 四 闖 上 海 灘 14) 高 義 龍 氏 は 越 劇 史 話 第 一 個 女 班 において 紹 興 文 戯 と 称 した 早 期 越 劇 が 影 響 されたのは 十 九 世 紀 末 葉 から 上 海 などで 盛 んに 行 われてきた 京 劇 の 髦 児 戯 ではないとする 十 九 世 紀 中 にすでに 髦 児 戯 が 杭 州 に 入 っ ていること 紹 興 文 戯 が 遊 楽 場 の 一 つである 新 世 界 で 上 演 した1922 1923 年 には 上 演 広 告 に 髦 児 戯 が 見 られないことを 理 由 として 挙 げ 当 時 の 上 海 では 髦 児 戯 以 外 にも 地 方 劇 や 説 唱 芸 能 で 女 性 のみの 上 演 団 体 が 多 数 存 在 し それらから 広 範 に 影 響 を 受 けたとする 86

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 の 郭 子 儀 金 山 戦 鼓 の 韓 世 忠 轅 門 責 夫 の 楊 六 郎 などに 扮 する 越 劇 において 老 生 を 主 役 とする 演 目 は 少 なく 上 述 の 三 種 類 の 老 生 も 役 者 の 中 で 厳 格 に 分 業 されて はいない 越 劇 がこんにち 発 展 するまでの 著 名 な 役 者 として 商 芳 臣 張 桂 芳 徐 天 紅 呉 小 楼 などが 挙 げられる ( 上 海 市 文 化 広 播 影 視 管 理 局 越 剧 上 海 文 化 出 版 社 2010 年 ) ここで 述 べられているように 京 劇 同 様 扮 する 人 物 および 鬚 の 色 に 基 づく 老 生 の 区 分 は こんにち 曖 昧 なものとなっている こと 歴 史 もの 同 時 代 もの 異 境 もの 15) など ジャ ンルを 問 わず 新 作 劇 が 多 かった 越 劇 において 劇 中 人 物 を 役 柄 上 の 特 質 に 当 てはめながら 造 りあげる 必 要 性 はなく 同 じ 役 柄 内 の 微 細 な 区 分 は むしろあまり 意 味 を 持 たなかった と 考 えられる なお 古 装 戯 に 限 定 した 場 合 他 に 遅 れて 大 規 模 化 した 越 劇 は 衣 裳 や 化 粧 などにおいて 地 元 の 紹 劇 をはじめ 京 劇 など 既 存 の 劇 種 を 参 照 にしたと 考 えられる よっ て 越 劇 の 老 生 もまた 女 性 としての 外 見 的 特 徴 を 扮 装 によって 隠 す 冒 頭 で 記 したよ うに 肉 体 的 弱 点 を 覆 うことが 可 能 になっている 他 方 楽 曲 の 体 系 は 大 きく 異 なるものの 老 生 という 役 柄 に 高 い 歌 唱 力 を 要 求 すること 自 体 は 越 劇 もまた 京 劇 と 同 様 であった ただし 役 者 のすべてが 女 性 という 前 提 のある 女 子 越 劇 において 実 際 に 歌 唱 を 聴 く 限 り 京 劇 の 女 性 老 生 ほど 雌 音 が 忌 避 されてい る 形 跡 はない ところで 越 劇 が 現 在 のように 才 子 佳 人 劇 を 主 要 レパートリーとするようになったのは 越 劇 が 女 優 中 心 に 舵 を 切 ってからのことである もともと 中 国 伝 統 劇 において 恋 愛 劇 は 演 目 の 一 ジャンルとして 相 当 の 蓄 積 があった 特 に 京 劇 の 発 展 前 夜 ( 明 ~ 清 代 )に 全 16) 盛 期 を 迎 えた 崑 劇 は 舞 台 設 定 やストーリーテリングにバリエーションはあるものの 多 くは 才 子 佳 人 が 紆 余 曲 折 の 末 に 大 団 円 を 迎 えるものであり 越 劇 の 演 目 にも 系 統 的 連 続 性 を 見 いだすことができる 但 し 上 記 引 用 中 で 述 べられているように 老 生 が 主 役 となる 演 目 は 少 なく 結 果 的 に 今 日 でも 小 生 や 花 旦 と 比 べると 非 常 に 地 味 な 扱 いとなっている 同 時 に とおしの 作 品 ( 本 戯 )で 老 生 が 登 場 しない 作 品 はほとんどないといってもよく 決 してその 存 在 が 軽 視 されているわけではない ここで 民 国 期 に 上 演 された 演 目 を 関 連 資 料 を 用 い 見 ていきたい 筆 者 の 手 元 に 刊 行 時 期 は 記 されていないが おそらく1930 年 代 後 半 の 17) ものと 思 われる 戯 考 すなわ ち 歌 唱 部 分 の 歌 詞 を 収 録 した 冊 子 がある こうした 戯 考 の 出 版 は 読 み 物 としての 性 格 を 備 えると 同 時 に ラジオやレコードの 普 及 とともに 現 在 の 歌 詞 カードに 類 似 した 性 質 を 備 えるようになっていった 特 に 大 きなレコード 会 社 は 自 社 がリリースした 各 種 伝 統 劇 15) 尹 桂 芳 ( 小 生 1919~2000)によるモンゴルを 舞 台 とした 沙 漠 王 子 (1946)などがある 16) 現 在 の 江 蘇 省 崑 山 市 を 発 祥 地 とする 17) 早 世 した 馬 樟 花 (1921~1942)と 袁 雪 芬 (1922~2011)が 組 んでいる 演 目 から 類 推 すると 1938 年 以 降 と 考 え られる なお 馬 樟 花 は 越 劇 で 最 も 早 くラジオ 局 に 進 出 した 女 優 である( 越 劇 2010 年 ) 87

文 化 レコードの 歌 詞 を 収 録 刊 行 しており 現 在 では 当 時 の 流 行 演 目 や 旧 来 の 歌 詞 を 確 認 する ための 貴 重 な 資 料 となっている 18) 筆 者 所 蔵 のものは 嵊 越 劇 紹 興 戯 考 と 題 されており 巻 頭 に 各 ラジオ 局 名 や 周 波 数 住 所 等 の 一 覧 表 が 収 録 されているところから ラジオで 放 送 された 伝 統 劇 レコードの 歌 詞 を 収 録 したものと 思 われる 収 録 されているのは 現 在 の 呼 称 を 用 いれば 越 劇 と 紹 劇 であるが 越 劇 の 収 録 演 目 のみに 着 目 すると やはりほとんどが 才 子 佳 人 劇 である 且 つこうした 冊 子 には 劇 中 の 名 場 面 のみが 抽 出 して 収 録 されており やはりほとんどが 恋 愛 関 係 にある 男 女 の 掛 け 合 い 部 分 に 集 中 している ここから 越 劇 の 物 語 世 界 において 老 生 の 登 場 場 面 が 重 要 な 見 せ 場 ではなかったことがうかがえる また 近 年 編 集 されたものであり 活 字 を 簡 体 字 で 組 み 直 している 点 を 鑑 みると 一 次 資 料 としての 価 値 はさほど 高 くないが 19) 孫 世 基 建 国 前 女 子 越 劇 戯 考 ( 内 部 発 行 2000 年 ) には 一 部 亡 逸 した 民 国 期 の 各 種 越 劇 戯 考 から 抜 粋 された 演 目 が 多 数 収 録 されている この 戯 考 に 収 録 演 目 とともに 記 された 女 優 の 中 には 数 は 少 ないものの 数 名 の 老 生 の 名 前 が 見 え 当 時 若 干 ではあるが 老 生 の 見 せ 場 が 認 知 されていたことがわかる 具 体 的 には 呉 小 楼 (1926~1998) 徐 天 紅 (1925~2010) 張 桂 芳 (1922~2012)で 20) 演 目 は 香 妃 ( 呉 徐 ) 明 月 重 圓 夜 ( 徐 ) 天 作 之 合 ( 張 ) 太 平 天 国 ( 徐 ) 紅 粉 金 戈 ( 徐 ) 漁 娘 ( 呉 ) 考 女 心 ( 徐 ) 血 洒 孤 城 ( 徐 ) 両 代 児 女 ( 徐 )となっている 特 筆 すべきは 徐 天 紅 で 袁 雪 芬 と 組 み 新 越 劇 の 創 作 上 演 に 尽 力 した 彼 女 は 香 妃 では 乾 隆 帝 の 老 臣 紀 暁 嵐 明 月 重 圓 夜 では 漁 翁 の 鐘 老 など 異 なる 身 分 の 人 物 を 演 じ 分 けている また 血 洒 孤 城 両 代 児 女 ではいずれも 生 き 別 れた 実 子 との 再 会 が 描 かれ 父 親 として 運 命 の 悲 し さを 切 々と 唱 う 場 面 が 収 録 されている また 漁 娘 は 京 劇 の 打 漁 殺 家 のことであり 呉 小 楼 は 多 くの 京 劇 老 生 が 演 じてきた 蕭 恩 に 扮 している * 知 名 度 は 上 述 の 三 名 に 譲 るが 民 国 期 から 中 華 人 民 共 和 国 建 国 後 にかけて 活 躍 した 越 劇 老 生 の 商 芳 臣 (1920~2001)にも 目 を 向 けてみたい 21) 圧 倒 的 に 小 生 花 旦 が 優 勢 な 越 劇 界 において 商 芳 臣 は 劇 団 内 の 序 列 で 第 三 位 を 占 めたほど 実 力 者 であった 22) 18) 高 亭 百 代 蓓 開 などのレコード 会 社 で 発 売 された 京 劇 申 曲 ( 滬 劇 )などの 地 方 劇 太 鼓 や 小 調 のような 説 唱 芸 能 の 歌 唱 部 分 が 収 録 される 会 社 を 跨 いだ 合 訂 本 ( 上 海 図 書 館 蔵 )も 存 在 する 19) 越 劇 のように 新 しく 且 つ 高 尚 ではない 劇 種 の 戯 考 は 京 劇 とは 異 なり 非 常 に 粗 末 な 体 裁 で 残 存 して いるものは 少 ない また 残 存 していても 他 の 劇 種 との 同 時 収 録 で 劇 種 単 独 のものはあまり 見 られない こう した 点 を 鑑 みるに 当 該 の 編 集 資 料 には 一 定 の 価 値 があると 考 えてもよいだろう 20) なお この 戯 考 の 編 集 者 は 本 書 のあとがきで 越 劇 の 舞 台 あるいは 上 海 をかなり 早 い 時 期 に 離 れたか ある いは 文 化 大 革 命 のために 戯 考 が 散 逸 してしまったために 本 書 に 収 録 していない 名 優 として 二 十 名 以 上 の 女 優 の 名 を 挙 げているが その 中 で 老 生 五 名 ( 姚 月 明 商 芳 臣 邢 湘 麟 銭 秀 霊 陳 金 蓮 )の 名 が 記 されている 21) 拙 論 麒 派 と 民 国 期 上 海 演 劇 文 化 ( 中 国 都 市 芸 能 研 究 第 十 輯 中 国 文 芸 研 究 会 2011 年 )において 商 臣 芳 について 言 及 しているので 詳 細 はそちらを 参 照 されたい 22) 頭 牌 (トップ)を 姚 水 娟 とする 水 雲 劇 団 において 三 牌 ( 三 番 手 )として 商 芳 臣 の 名 前 が 挙 がっている( 越 謳 一 巻 三 期 1939 年 ) なお のちに 小 生 として 名 をなし 自 らの 流 派 徐 派 を 造 りあげた 徐 玉 蘭 (1921~)も デビュー 当 時 は 老 生 を 演 じ のち 小 生 に 転 じた 88

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 1930 年 に 高 昇 舞 台 の 科 班 ( 俳 優 養 成 所 )に 入 り 兪 伝 梅 応 方 義 などに 師 事 老 生 を 専 門 とする 四 年 間 の 修 行 期 間 にあって 苦 労 して 努 力 し 科 班 でのちにトップを 張 る に 至 った 前 後 して 琵 琶 記 三 宮 堂 仁 義 縁 桂 花 亭 などの 劇 を 演 じ 同 時 に 京 劇 の 空 城 計 ( 諸 葛 亮 に 扮 した) 紹 劇 の 双 龍 会 なども 演 じた ( 中 略 ) 彼 女 が 主 演 した 空 城 計 李 陵 碑 烏 龍 院 などの 演 目 は みな 観 客 の 好 評 を 得 た その 声 は 悲 憤 慷 慨 の 気 を 帯 び よく 響 き 深 みがあったため 次 第 に 人 気 を 博 していっ た 修 行 を 終 えた 後 姚 水 娟 をトップとする 越 新 舞 台 の 劇 団 に 加 わった ( 中 略 ) 1938 年 の 初 めに 上 海 を 訪 れ 姚 水 娟 らと 通 商 劇 場 に 出 演 した 後 に 老 閘 大 中 華 天 香 といった 劇 場 に 移 って 演 じ 姚 水 娟 による 越 劇 の 改 良 にも 参 与 した ( 廬 時 俊 高 義 龍 主 編 上 海 越 劇 志 中 国 戯 劇 出 版 社 1997 年 ) 歌 唱 に 対 する 悲 憤 慷 慨 の 気 を 帯 び よく 響 き 深 みがある ( 原 文 激 昂 慷 慨 洪 亮 深 远 ) という 表 現 は 京 劇 老 生 に 対 する 劇 評 によく 見 られる 表 現 である また 上 記 レパートリー には 京 劇 の 演 目 も 含 まれているが いずれも 老 生 が 主 演 を 張 るものばかりであり 23) まだ 発 展 段 階 にあった 当 時 の 越 劇 の 上 演 内 容 や 相 互 の 役 柄 のバランスが 現 在 に 比 べると 多 種 多 様 であったことがうかがわれる これらの 演 目 群 からは 商 芳 臣 が 劇 団 の 中 でも 相 当 の ポジションにいたことがわかるのみならず 見 方 を 変 えると 越 劇 の 観 客 の 中 にこうした 老 生 中 心 の 演 目 を 歓 迎 する 層 が 一 定 数 いたこともうかがわれる 女 子 越 劇 の 観 客 層 につい て その 勃 興 期 は 少 女 の 美 貌 を 愉 しむ 男 性 層 が 主 体 であり その 後 女 性 層 へと 拡 大 していっ 24) たと 考 えられるが 同 じく 紹 興 地 区 で 行 われていた 紹 劇 を 演 じることができた 商 芳 臣 の 活 動 を 見 る 限 り 演 技 や 歌 唱 自 体 の 鑑 賞 を 目 的 とする 観 客 も 存 在 していた 可 能 性 が 高 い さらに 彼 女 が 演 じたとされる 演 目 群 の 中 で 注 目 したいのは 烏 龍 院 ( 座 楼 殺 惜 ) で 京 劇 では 做 工 老 生 すなわち 歌 唱 よりも 科 白 しぐさに 重 きを 置 く 演 目 であった(なお 上 掲 漁 娘 ( 打 漁 殺 家 ) も 同 じく 做 工 老 生 主 演 の 演 目 である) 多 くの 老 生 がこの 演 目 を 得 意 としていたが その 中 には 上 海 京 劇 の 大 立 て 者 である 周 信 芳 ( 麒 麟 童 1895~1975) も 含 まれ 新 聞 に 掲 載 された 上 演 広 告 を 見 る 限 り かなり 頻 繁 に 演 じている なお 拙 論 で 言 及 済 みであるが 25) 民 国 期 上 海 伝 統 演 劇 界 における 周 信 芳 の 影 響 力 は 相 当 大 きなものが あった 越 劇 の 老 生 たちも 正 統 と 見 なされていた 北 方 の 京 劇 老 生 を 意 識 すると 同 時 に 地 元 の 観 客 に 歓 迎 されている 上 海 京 劇 を 無 視 できなかったのだろう こんにちでは 商 芳 臣 における 周 信 芳 の 影 響 を 明 確 に 肯 定 した 以 下 のような 見 解 も 見 られる 上 海 に 進 出 したのち 女 子 班 ( 劇 団 )の 役 者 はさらに 意 識 的 に 京 劇 の 歌 唱 と 演 技 術 を 23)ただし いずれも 折 子 戯 ( 見 取 り)としての 上 演 であろう 24) 紹 劇 は 比 較 的 古 い 劇 種 で 楽 曲 体 系 上 は 越 劇 との 直 接 の 縁 戚 関 係 はないが 一 部 の 曲 調 や 演 目 など 越 劇 が 紹 劇 から 採 り 入 れた 要 素 はいくつか 指 摘 できる 25) 注 21 参 照 89

文 化 学 んだ 上 海 には 名 優 が 集 まっており 彼 女 らが 一 流 の 名 優 に 学 ぶための 条 件 が 提 供 さ れていた この 種 の 学 習 は 彼 女 らが 後 日 各 自 の 風 格 を 成 熟 させ 形 成 させていくにあ たって 非 常 に 大 きな 影 響 を 与 えた 老 生 役 者 の 商 芳 臣 は 周 信 芳 ( 麒 麟 童 )の 麒 派 に 対 して 独 自 の 思 い 入 れがあり 明 末 遺 恨 26) 文 素 臣 27) 温 如 玉 28) などの 多 くの 麒 派 の 芝 居 を( 越 劇 に) 移 植 した ( 越 劇 29) ) ここに 挙 げられた 明 末 遺 恨 文 素 臣 温 如 玉 は いずれも 抗 日 戦 争 期 の 周 信 芳 が 自 ら 手 がけ 上 海 中 に 影 響 を 与 えた 作 品 であるが 女 子 越 劇 の 歴 史 上 こうした 老 生 主 体 の 演 目 に 言 及 されること 自 体 希 少 なことだと 言 うべきであろう なお 商 芳 臣 が 他 を 圧 するほどの 人 気 を 博 していたわけではなく 理 由 は 不 詳 だが い わゆる 越 劇 十 姉 妹 による 山 河 恋 上 演 にも 参 加 していない さらに 付 け 加 えると 中 華 人 民 共 和 国 建 国 後 の 商 芳 臣 は 竺 水 招 ( 花 旦 小 生 1921~1968)と 行 動 を 共 にし 越 劇 の 本 拠 地 上 海 を 離 れ 南 京 に 根 を 下 ろした 結 果 的 に 建 国 後 も 越 劇 界 をリードした 上 海 のムーブメントから 距 離 を 置 くことで 彼 女 自 身 の 個 性 が 越 劇 老 生 全 体 に 大 きな 影 響 を 与 える 機 会 も 自 ずとなくなってしまったのである 30) 越 劇 は 抗 日 戦 争 勝 利 前 夜 より 袁 雪 芬 や 尹 桂 芳 による 上 演 内 容 歌 唱 劇 作 システム などの 改 革 を 通 じ 越 劇 の 思 想 性 と 表 現 の 密 度 を 高 めた 一 方 梁 山 伯 と 祝 英 台 に 代 表 される 古 装 戯 を 観 客 のニーズに 応 えるべく 繰 り 返 し 演 じ 洗 練 の 度 合 いを 高 めていった 結 果 彼 女 らが 専 攻 した 小 生 花 旦 中 心 の 方 向 性 はより 強 固 になり 且 つ 彼 女 ら 主 体 に 造 りあげられる 越 劇 史 の 中 で 老 生 たちの 活 動 は 埋 もれがちになっていった 31) 総 じて 民 国 期 女 子 越 劇 の 老 生 たちには 偶 像 的 な 華 やかさはもとより 改 革 者 として の 戦 闘 的 イメージともあまり 縁 が 無 い しかし 主 流 とはならなかったとはいえ 実 際 には 多 彩 な 活 動 が 行 われ それに 対 する 一 定 の 評 価 が 与 えられていた 事 実 には もっと 目 を 向 けてしかるべきであろう 4. 中 華 人 民 共 和 国 建 国 後 の 越 劇 老 生 先 に 引 用 した1950 年 代 刊 行 の 越 劇 には 中 国 共 産 党 の 文 芸 政 策 のもと 推 し 進 められ た 農 民 労 働 者 兵 士 あるいは 革 命 烈 士 や 党 の 指 導 層 を 主 人 公 とする 社 会 主 義 的 な 演 目 26) 満 清 三 百 年 の 一 部 として 1931 年 満 州 事 変 を 受 け10 月 28 日 に 初 演 潘 月 樵 の 旧 作 を 改 編 したもの 27) 連 台 戯 1938 年 12 月 9 日 頭 本 初 演 全 六 本 28)1938 年 4 月 27 日 初 演 29) 越 劇 2010 年 30)1946 年 5 月 初 演 の 祥 林 嫂 ( 原 作 は 魯 迅 の 祝 福 )をもって いわゆる 才 子 佳 人 劇 からの 脱 皮 を 図 っている 31) 例 えば 1947 年 8 月 の 越 劇 十 姉 妹 による 山 河 恋 上 演 であるが 上 述 の 呉 小 楼 ら 三 名 もの 老 生 が 参 加 し ていたが 老 生 の 女 優 たちの 役 割 や 活 動 に 関 する 記 述 は 寂 しいものだと 言 わざるを 得 ない 90

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 について 性 質 上 越 劇 には 向 いていない 旨 述 べられている 他 方 越 劇 は 建 国 前 夜 から 中 国 共 産 党 との 人 脈 が 太 く 袁 雪 芬 は 周 恩 来 から 男 女 共 演 の 可 能 性 を 問 われている 32) そ の 後 1950 年 に 浙 江 省 で 続 いて1954 年 には 上 海 で 男 性 越 劇 俳 優 の 養 成 がスタートした 越 劇 史 の 書 籍 等 でよく 見 かけるのは 建 国 の 元 勲 たる 毛 沢 東 や 周 恩 来 あるいは 一 般 の 労 働 者 や 農 民 に 扮 した 男 性 俳 優 の 写 真 だが 実 際 は 建 国 以 降 の 本 格 的 な 男 女 共 演 は 古 装 戯 十 一 郎 (1960 年 初 演 )に 始 まる この 時 期 養 成 された 男 性 俳 優 として 史 済 華 (1940~ 小 生 ) 張 国 華 (1937~ 老 生 ) などの 名 が 挙 げられるが 彼 らの 師 匠 はいずれも 民 国 期 に 活 躍 した 女 子 越 劇 界 の 名 優 で あった 続 く 世 代 からは 男 性 俳 優 として 現 時 点 でもっとも 成 功 している 尹 ( 桂 芳 ) 派 小 生 の 趙 志 剛 (1962~)が 出 ている 肉 体 的 にも 小 柄 で 高 い 声 域 までカヴァーできる 趙 は ある 種 特 殊 な 部 類 に 属 する 俳 優 だともいえるが 歌 唱 に 優 れ 古 装 現 代 劇 を 問 わず 演 じ られることへの 評 価 は 極 めて 高 い 現 在 趙 志 剛 は 男 性 越 劇 俳 優 の 後 進 も 養 成 しはじめて おり 若 手 のコンクール 等 で 頭 角 を 現 している 俳 優 もいる とはいえ 現 実 の 男 性 の 身 体 が 持 ち 込 まれたことにより 越 劇 の 舞 台 世 界 には 確 実 な 変 化 が 生 じた 舞 台 劇 としての 性 質 の 相 違 もあり 安 易 な 比 較 は 控 えたいが 以 下 本 邦 の 宝 塚 歌 劇 における 男 役 に 関 する 見 解 を 示 しつつ このことについて 考 えてみることとした い 男 役 の 造 形 は 生 物 学 的 男 性 の 観 察 模 倣 から 発 するが そこにとどまらない そ こに 過 剰 化 された 意 味 や 現 実 にないにもかかわらず 強 く 願 望 されているイメージなど を 付 加 することで 生 物 学 的 男 性 のパロディを 創 り 出 す 生 身 の 男 性 よりも 男 らしい 男 性 が 文 化 的 に 構 築 されるのである 大 越 アイコ 男 役 論 いきの 構 造 の 観 点 からの 考 察 ( 青 弓 社 編 集 部 編 宝 塚 という 装 置 青 弓 社 2009 年 ) 33) 越 劇 の 場 合 宝 塚 歌 劇 の 男 役 に 近 いのは 演 技 や 扮 装 あるいは 人 物 造 形 を 作 り 込 み 洗 練 してきた 小 生 であろう 何 より 歌 劇 において 越 劇 の 老 生 に 類 似 する 記 号 的 外 見 を 備 えた 人 物 はまず 登 場 しないのではないか そもそも 中 高 年 の 男 性 に 扮 する 行 為 は 美 観 上 からしても 夢 や 理 想 が 求 められる 舞 台 空 間 とは 相 容 れない 新 越 劇 のような 改 革 の 動 きこそ 生 じたものの 民 国 期 から 人 民 共 和 国 建 国 初 期 にかけて 確 立 した 小 生 花 旦 を 中 心 とする 越 劇 の 舞 台 は やはりリアルな 日 常 とは 離 れた ある 種 の 理 想 世 界 だった といえる 同 時 に 越 劇 において 老 生 が 中 心 から 距 離 を 置 かざるを 得 ない 原 因 はそこに 32) 越 劇 (2010 年 ) 33) なお 本 引 用 の 筆 者 は 越 劇 について 結 論 としては それは 男 装 であっても 男 役 ではないといわざるを 得 ない と 評 しているが 越 劇 の 観 劇 体 験 自 体 が 十 分 とは 言 えず 単 純 には 肯 首 できない 91

文 化 ある 前 述 のように 小 生 老 生 いずれの 場 合 も 男 性 俳 優 たちの 師 匠 は 上 の 世 代 の 女 性 俳 優 たちであった 例 えば 張 国 華 は 張 桂 鳳 の 歌 唱 法 を 基 盤 にしつつ 呉 小 楼 の 演 技 をも 参 照 したとされる 34) 実 際 越 劇 老 生 の 場 合 こと 歌 唱 に 関 しては 京 劇 の 女 性 老 生 が 極 力 男 声 に 倣 って 発 声 を 行 ってきたこととは 状 況 が 異 なり 音 域 の 問 題 等 々 越 劇 の 女 性 老 生 か ら 男 性 老 生 への 技 芸 の 伝 授 にいささかの 困 難 が 伴 うであろうことは 想 像 に 難 くない そう であれば せめて 女 優 が 蓄 積 してきた 演 技 を 基 本 的 な 部 分 においてなぞることで これ まで 培 ってきた 舞 台 空 間 を 多 少 なりとも 保 とうという 意 思 が 働 いたのではないだろうか 仮 に 民 国 期 の 老 生 から 越 劇 界 全 体 をリードするような 人 材 が 出 て 老 生 のポジションに 変 化 が 生 じていれば 間 違 いなく 越 劇 の 舞 台 空 間 は 現 在 とは 異 なる 様 相 を 呈 していただ ろう しかしそれは 現 在 越 劇 の 優 点 とされている 要 素 理 想 や 夢 を 備 えた 物 語 世 界 を 損 ねてしまうことに 繋 がりかねないことかもしれない 少 なくとも こんにちで も 女 子 越 劇 が 圧 倒 的 優 勢 にあることの 背 景 に 老 生 の 立 ち 位 置 を 含 めたさまざまな 問 題 が あることを 民 国 期 に 遡 ってより 詳 細 に 検 討 する 必 要 があることは 間 違 いない 34) 越 劇 小 戯 考 ( 上 海 文 芸 出 版 社 1982 年 ) 末 尾 掲 載 の 俳 優 小 伝 参 照 92

越 劇 の 老 生 民 国 期 の 状 況 と 発 展 の 可 能 性 藤 野 真 子 越 剧 老 生 的 形 象 民 国 时 期 发 展 情 况 与 将 来 展 望 藤 野 真 子 20 世 纪 初 在 浙 江 嵊 县 出 世 之 越 剧, 在 1910 年 代 初 进 上 海 时 都 是 由 男 艺 人 表 演 的, 不 过 他 们 在 上 海 很 多 游 乐 场 看 到 女 演 员 登 台 演 出 风 行 世 上, 于 是 决 定 回 乡 开 办 女 子 科 班 培 养 女 演 员 在 嵊 县 第 一 个 女 子 科 班 开 办 后, 女 演 员 如 雨 后 春 笋 般 地 出 现, 之 后 开 始 陆 续 组 成 戏 班 到 浙 江 地 区 城 市 演 出 后 来 越 剧 再 度 尝 试 在 上 海 演 出, 这 次 就 获 得 了 一 定 的 成 功 1930 年 代 越 剧 女 班 在 上 海 扎 下 根 后, 应 观 众 之 要 求, 一 贯 排 演 才 子 佳 人 剧 以 小 生 与 花 旦 为 重, 而 将 老 生 花 脸 等 其 他 行 当 看 做 是 次 要 的 实 际 上 京 剧 等 大 剧 种 当 时 最 重 视 之 行 当 即 老 生, 因 其 扮 演 中 年 以 上 之 正 面 人 物, 又 在 剧 中 担 任 主 要 角 色 当 时 纷 纷 出 版 的 各 种 戏 考 之 类 收 录 的 越 剧 折 子 戏 大 多 是 恋 爱 戏, 这 也 证 明 小 生 与 花 旦 被 重 视 的 事 实 越 剧 的 老 生 一 般 作 为 年 轻 男 女 主 角 的 庇 护 者 或 妨 碍 者, 扮 演 严 父 师 傅 上 司 主 君 等 人 物 自 民 国 期 至 解 放 初, 张 桂 凤 (1922-2012) 徐 天 红 (1925-2010) 吴 小 楼 (1926-1998) 等 女 老 生 各 有 个 性, 活 跃 在 舞 台 上 她 们 排 演 的 戏 中 就 有 老 生 为 主 的 作 品, 舞 台 人 物 的 创 造 上 也 突 破 旧 套 其 中 商 芳 臣 (1920-2001) 功 底 较 厚 戏 路 较 广, 曾 担 任 戏 班 的 台 柱, 在 1940 年 代 风 靡 一 时 她 迷 上 京 剧 老 生 周 信 芳 ( 麒 麟 童 ) 唱 腔 之 苍 劲 有 力, 将 麒 派 戏 等 移 植 到 越 剧 作 为 她 的 拿 手 节 目 目 前 越 剧 有 女 班 与 男 女 合 演 之 两 条 路, 包 含 组 织 剧 目 演 出 办 法 等 多 方 面 的 改 革 还 在 进 行, 老 生 也 摸 索 表 演 之 新 途 径 93