現 代 2 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 欧 米 世 界 1.ロシア 革 命 ソヴィエト 連 邦 の 成 立 2.ヴェルサイユ 体 制 下 の 国 際 外 交 3.1920 年 代 の 欧 米 各 国 の 様 相 1.ロシア 革 命 ソヴィエト 連 邦 の 成 立 二 月 革 命 A) 第 1 次 世 界 大 戦 における,ドイツとの 戦 線 の 劣 勢 国 内 の 物 資 不 足, 国 民 の 生 活 困 窮 = 経 済 危 機 深 刻 化, 怪 僧 ラスプーチンの 専 横 や 宮 廷 の 腐 敗 による 対 策 不 足 労 働 者 や 兵 士 の 不 満 増 大 首 都 ペトログラードでストライキの 嵐 (1917.3.8) 軍 隊 も 合 流 して 全 国 に 波 及 ( 労 働 者 兵 士 らのソヴィエトが 組 織 される) 皇 帝 ニコライ 2 世 退 位 (ロマノフ 朝 滅 亡 ), 臨 時 政 府 樹 立 二 月 革 命 (ロシアの 暦 では 三 月 ユリウス 暦 を 使 用 していたため) B) 二 重 権 力 状 態 労 働 者 兵 士 代 表 者 による 会 議 =ソヴィエト 存 続 臨 時 政 府 主 に 立 憲 民 主 党 (リヴォフ),メンシェビキのソヴィエト 戦 争 継 続 を 主 張 不 安 定 な 政 情 続 く レーニンがスイスから 帰 国 し, 四 月 テーゼ 発 表 全 権 力 をソヴィエトへ ボルシェ ビキ 勢 力 が 力 づくが 社 会 革 命 党 のケレンスキー 首 相 (メンシェビキと 組 んで 政 権 掌 握 ) ボルシェビキ 弾 圧 しかし, 帝 政 派 コルニコフの 反 革 命 がおき,ボルシェビキの 支 援 を 求 める 9 月 にはボルシェビキ 勢 力 が 増 大 する 十 月 革 命 ソヴィエト 政 権 樹 立 C) ボルシェビキが 蜂 起 (11 月 7 日 ) レーニンやトロツキーの 指 導 で 臨 時 政 府 打 倒 翌 日, 全 ロシア ソヴィエト 会 議 で 政 権 樹 立 ( 連 立 政 権 )を 宣 言 人 民 委 員 会 議 長 レーニン, 外 務 人 民 委 員 トロツキー, 民 族 人 民 委 員 スターリンらの 人 民 委 員 会 議 が 成 立 (ソビエト 政 府 ) 平 和 に 関 する 布 告 ( 全 交 戦 国 に 無 賠 償 無 併 合 民 族 自 決 の 原 則 による 講 和 の 要 請 ) 土 地 に 関 する 布 告 ( 農 民 革 命 を 認 めた)を 採 択 この 一 連 の 動 きを 十 月 革 命 という 直 後 に 議 会 選 挙 しかし 社 会 革 命 党 が 第 一 党 レーニン 議 会 を 武 力 で 解 散 (1918.1) ソヴィエト 政 権 =プロレタリア 独 裁 (ボルシェ ビキの 一 党 独 裁 ) 樹 立 ボルシェビキ 共 産 党 と 改 称,モスクワに 遷 都 国 際 的 孤 立,ドイツの 軍 事 力 優 勢 をみて ブレスト リトフスク 条 約 (1918.3) あえ て 西 部 の 広 大 な 領 土 を 割 譲 しドイツと 単 独 講 和 ドイツの 敗 戦 で 無 効 になり, 新 興 国 が 生 まれる 憲 法 制 定 全 国 にソヴィエト 設 置,18 歳 以 上 のすべての 男 女 に 選 挙 権 しかし, 共 産 党 以 外 の 政 党 は 禁 止
内 戦 と 対 ソ 干 渉 戦 争 A) 白 衛 軍 ( 反 革 命 派 帝 政 時 代 をよしとする 軍 人 や 政 党 )が 各 地 で 政 権 樹 立 ソヴィエト 政 権 との 内 戦 へ 白 軍 を 支 援 して 捕 虜 となったチェコ 兵 救 出 を 名 目 に 外 国 が 干 渉 対 ソ 干 渉 戦 争 イギリス,フランス,アメリカ, 日 本 が 革 命 拡 大 をおそれ 干 渉 日 本 は シベリア 出 兵 B) ソヴィエト 政 府 は 赤 衛 軍 ( 赤 軍 )やチェカ ( 非 常 委 員 会 )を 組 織 レーニンは 先 進 資 本 主 義 国 での 革 命 ( 世 界 革 命 )が 必 要 と 考 え,コミンテルン( 第 三 イン ターナショナル)を 結 成 (1919.3) 諸 国 の 革 命 運 動 民 族 運 動 を 指 導 したが 失 敗 新 経 済 政 策 (ネップ) C) 戦 時 共 産 主 義 (1918~21) 反 革 命 や 外 国 の 干 渉 に 対 する 武 器 と 食 糧 の 確 保 のため 採 られた 土 地 国 有 化 : 農 民 への 分 配 農 産 物 の 強 制 徴 発 工 場 国 有 化 : 労 働 者 の 工 場 管 理, 食 料 配 給 制 農 民 の 反 発 農 業 生 産 破 壊 多 数 の 餓 死 者 発 生, 工 業 生 産 力 低 下 燃 料 食 糧 不 足 がおこり, 反 政 府 行 動 が 多 発 穀 物 生 産 や 工 業 生 産 が 衰 え, 経 済 は 低 下 党 内 も 混 乱 1920 年, 国 内 の 反 革 命 政 権 をほぼ 打 倒, 外 国 干 渉 軍 も 撤 退 開 始 戦 時 共 産 主 義 による 被 害 の 復 興 策 として 採 用 ゆきすぎた 国 有 化 穀 物 強 制 徴 発 撤 回, 内 戦 終 結 とともに 実 施 (1921~28) A) 生 産 回 復 のため 資 本 主 義 的 要 素 を 一 部 導 入 私 的 経 営 や 農 産 物 販 売 の 自 由 を 認 める 国 民 経 済 の 回 復 に 成 功 ( 戦 前 水 準 ) B) 農 村 にクラーク ( 余 剰 生 産 物 を 販 売 ), 都 市 にネップマン( 中 小 企 業 の 個 人 経 営 )が 出 現 ソ 連 の 成 立 A) ソヴィエト 社 会 主 義 共 和 国 連 邦 (USSR)(1922) ロシア ウクライナ ベラルーシ ザカフカスの4ソヴィエト 共 和 国 を 統 合 した 新 憲 法 公 布 (1924.1 月 ) B) 外 国 のソ 連 邦 承 認 ドイツ ラパロ 条 約 (1922)で イギリス,フランス,イタリア (1924), 日 本 (1925), アメリカ(1933) 内 紛 トロツキー vs. 他 の 幹 部 22 年 秋 ~ 争 点 : 回 復 し 始 めた 経 済 の 方 向 性, 党 内 秩 序 のひきしめ 策 を 継 続 するか 否 か 一 旦 鎮 静 化 するも, トロツキーが 自 著 で 十 一 月 革 命 前 のジノヴィエフとカーメネフを 批 判 スターリン,ジノヴィエフ,カーメネフ 三 人 組 (トロイカ) 反 トロツキー キャンペーン トロツキーは 先 進 工 業 地 域 の 西 欧 の 社 会 主 義 化 こそ 必 要 とし, 農 民 の 革 命 性 を 否 定 してい る! 教 条 化 したレーニンの 言 説 とトロツキーの 意 見 の 相 反 する 部 分 をことさらとりあげて, 排 除 しようとした トロツキー 軍 事 人 民 委 員 を 辞 任 (25.1) 三 人 組 の 亀 裂 スターリン 一 国 でも 完 全 な 社 会 主 義 社 会 が 作 れる! ジノヴィエフ,カーメネフ が 批 判 しかし,22 年 以 降 の 入 党 資 格 の 緩 和 により 大 衆 政 党 化 していた 共 産 党 員 の 多 くはスターリンを 支 持 第 14 回 党 大 会 で 勝 利 (25.12)
2.ヴェルサイユ 体 制 下 の 国 際 外 交 賠 償 問 題 A) ドイツの 賠 償 金 1320 億 マルク 支 払 い 不 可 能 な 状 態 賠 償 不 履 行 を 口 実 としてフラン ス,ベルギーがルール 占 領 実 行 (1923) しかし, 国 際 的 非 難 をあびる B) 不 服 従 運 動 で 対 抗 したドイツでは 生 産 が 低 下 し,インフレ 激 化 に 対 し,シュトレーゼマ ン 首 相 が 対 策 レンテンマルクでインフレ 克 服,およびドーズ 案 成 立 (1924) 新 しい 賠 償 支 払 計 画 を 決 定 (アメリカの 借 款 による 経 済 復 興 を 図 る) シュトレーゼマンの 協 調 外 交 によりフランス,ベルギーはルール 地 方 から 撤 兵 (1925) C) ヤング 案 成 立 (1928) 賠 償 額 358 億 マルクに 減 額 D) 世 界 恐 慌 により ローザンヌ 会 議 (1930)で 30 億 マルクに 減 額 後 のナチス 政 権 はこれ すら 否 定 した 国 際 紛 争 民 族 自 立 と 国 際 協 調 の 矛 盾 A) フィウメ 問 題 イタリア ユーゴスラヴィア 戦 争 イタリア 過 激 派 がフィウメ 占 領 (1919)( 詩 人 ダヌンツィオも 参 加 ) イタリアが 併 合 (1924)(ムッソリーニ 政 権 ) イタリアとユーゴスラビアが 対 立 B) トルコ ギリシア 戦 争 スミルナ 地 方 をめぐるギリシアとトルコの 対 立 (1919~22) トルコのケマル パシャ(ムスタファ ケマル or ケマル アタテュルク)がセーヴル 条 約 を 認 めず 奪 回 のために 活 躍 ローザンヌ 条 約 へ C) ソビエト ポーランド 戦 争 (1920~21) 国 境 問 題 から 発 生 フランスの 支 援 でポーランドが 勝 利 ベラルーシとウクライナの 一 部 を 獲 得 D) ルール 占 領 (1923) 賠 償 金 の 支 払 いをめぐり,フランス ベルギーがドイツのルール 工 業 地 域 を 占 領 国 際 協 調 の 時 代 総 力 戦 となった 第 一 次 世 界 大 戦 は, 惨 禍 をもたらしヨーロッパの 人 々に 戦 争 を 嫌 う 風 潮 を 増 大 させた 大 戦 後 に 飛 躍 したアメリカは 新 たなフロンティア= 太 平 洋 の 覇 権 をめざして, 日 本 を 仮 想 敵 国 と 考 えるようになる アメリカが 望 む 形 で, 日 本 は 軍 事 力 を 制 限 されていく 日 本 国 内 では 軍 部 の 不 満 が 高 まり, 大 正 デモクラシーの 時 代 がやがて, 軍 部 による 政 党 内 閣 攻 撃 へと 向 かうことになる A) ワシントン 会 議 アメリカ 大 統 領 ハーディングの 提 唱 (1921~22) 海 軍 軍 備 制 限 条 約 主 力 艦 保 有 比 率 英 : 米 : 日 : 仏 : 露 =5:5:3:1.67:1.67 四 ヶ 国 条 約 (1921) 日 英 米 仏 太 平 洋 の 現 状 維 持 日 英 同 盟 の 破 棄 九 ヶ 国 条 約 (1922) 中 国 の 主 権 尊 重, 独 立, 門 戸 開 放, 機 会 均 等 を 約 束 日 本 は 青 島 (チンタオ), 山 東 の 利 権 返 還, 石 井 ランシング 協 定 の 空 文 化 で 破 棄 ワシントン 体 制 :この 会 議 で 決 められたアジア 太 平 洋 地 域 の 新 国 際 秩 序 B) ロカルノ 条 約 英, 仏, 独,ベルギーなど(1925) ラインラントの 不 可 侵, 非 武 装 化 ( 現 状 維 持 )= 国 境 を 相 互 に 守 ることを 確 認 ドイツ が 国 際 連 盟 に 加 盟 実 現 (1926) ジュネーヴ 軍 縮 会 議 補 助 艦 制 限 を 話 し 合 うが, 決 裂 (1927) 日 本,イギリス,アメリカ 間 C) パリ 不 戦 条 約 (ケロッグ ブリアン 協 定 ) ケロッグ 国 務 長 官 ( 米 )とブリアン 外 相 ( 仏 )が 提 唱 (1928) 国 際 紛 争 を 解 決 する 手 段 として 戦 争 に 訴 えぬことを 約 束 ( 戦 争 放 棄 を 規 定 ) 15 ヶ 国 が 調 印 実 は 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 日 本 国 憲 法 の 九 条 の 文 言 はここから 引 用 したもの
D) ロンドン 軍 縮 会 議 マクドナルド 首 相 ( 英 ) 開 催 (1930) 補 助 艦 の 保 有 比 率 を 決 定 英 : 米 : 日 =10:10:7 弱 日 本 の 軍 部 や 右 翼 は 統 帥 権 干 犯 と 猛 反 対 し, 軍 国 主 義 化 の 転 換 点 となった 3.1920 年 代 の 欧 米 各 国 の 様 相 特 徴 各 国 政 府 : 資 本 主 義 体 制 あるいは 社 会 主 義 を 志 向 する 動 き 対 立 保 守 勢 力 (すみやかな 再 建 をめざす), 急 進 的 な 右 翼 ら 反 革 命 勢 力 ドイツはもっとも 左 右 の 攻 撃 が 顕 著 だったが, 既 存 の 勢 力 が 乗 り 切 った イタリアは, 既 存 の 支 配 層 が 新 しい 党 派 に 乗 り 切 りをゆだねた 英 仏 は, 既 存 の 支 配 層 が 戦 後 危 機 を 自 ら 乗 り 切 った 1920 年 代 後 半 相 対 的 安 定 期, 労 使 協 調 路 線 の 拡 大 電 気 化 学 産 業 などの 新 興 産 業 の 本 格 的 展 開 で WW1 前 とはことなる 資 本 主 義 的 秩 序 米 国 の 金 融 的 支 援 に 支 えられていたこと ソ 連, 植 民 地 の 動 向 アメリカ A) イギリスにかわって, 主 導 的 国 家 へ 成 長 WW1 連 合 国 に 物 資 供 給 し 莫 大 な 利 益 英 仏 の 戦 債 免 除 要 請 も 拒 否 債 務 国 から 債 権 国 へ 転 換 世 界 の 金 融 市 場 を 支 配 = 世 界 経 済 の 中 心 に 高 関 税 政 策 = 国 内 市 場 を 保 護 世 界 の 富 を 集 中 B) 一 方 で,ヨーロッパの 政 治 への 直 接 的 かかわりを 回 避, 伝 統 であったモンロー 主 義 の 延 長 として 孤 立 主 義 ( 国 内 第 一 )の 傾 向 深 まる ウィルソン 大 統 領 ( 民 主 党 )(1913~21) 上 院 でヴェルサイユ 条 約 の 批 准 を 拒 否 されたため, 国 際 連 盟 不 参 加 民 主 主 義 の 進 展 女 性 参 政 権 の 実 現 (1920) イギリス C) 資 本 主 義 経 済 が 繁 栄 共 和 党 政 権 下 で 永 遠 の 繁 栄 の 時 代 大 企 業 の 利 益 重 視 自 動 車 の 大 衆 化, 家 庭 電 化 製 品 やラジオ 映 画 などの 発 達 現 代 大 衆 文 化 成 立 一 方 で, 保 守 的 傾 向 白 人 中 心 の 価 値 観 の 強 調, 禁 酒 法 の 実 施, 移 民 法 (1924)など ハーディング 大 統 領 平 常 への 復 帰 を 唱 える(バックトウノーマルシー), ワシントン 会 議 を 主 催, 日 本 の 太 平 洋 での 勢 力 拡 大 を 阻 止 する 方 向 へ クーリッジ 大 統 領 フーヴァー 大 統 領 世 界 恐 慌 に 対 して 無 策 ドーズ 案 によりドイツへ 借 款,パリ 不 戦 条 約 などの 外 交 政 策 A) 戦 後 イギリス 経 済 は 不 振 B) 民 主 政 治 の 進 展 労 働 党 の 勢 力 拡 張 ロイド ジョージ 挙 国 一 致 内 閣 第 四 次 選 挙 法 改 正 (1918) 21 歳 以 上 男 子 と 30 歳 以 上 の 婦 人 参 政 権 第 五 次 選 挙 法 改 正 (1928) 男 女 (21 歳 以 上 ) 普 通 選 挙 制 = 男 女 同 権 へ 労 働 党 が 進 出 マクドナルド 内 閣 (1924) 労 働 党 が 自 由 党 と 連 立 し 初 めての 政 権 漸 進 的 な 社 会 政 策 ソ 連 承 認 1929 年 の 選 挙, 労 働 党 初 の 第 1 党 マクドナルドⅡ 内 閣 イギリス 帝 国 会 議 (1926,30)の 決 議 ウェストミンスター 憲 章 が 制 定 され,イギリス 連 邦 成
立 (1931) 国 王 に 対 する 共 通 の 忠 誠 に 基 づく 国 家 連 合 各 自 治 領 は 本 国 と 対 等 の 地 位 を 承 認 C) アイルランド 問 題 大 戦 中 デ バレラらの 独 立 運 動 アイルランド 自 由 国 成 立 (1922) 北 部 アイルランドをのぞく 自 治 領 成 立 アイルランド 独 立 派 ウ 憲 章 にあきたらずイギリスからの 完 全 独 立 要 求 エール 共 和 国 として 完 全 独 立 (1937) フランス 国 土 が 戦 場 = 戦 争 の 被 害 が 大 きかった ドイツへ 強 い 警 戒 心 強 国 ドイツの 復 興 を 懸 念 ソ 連 が 帝 政 ロシア 時 代 の 債 務 を 破 棄 したため, 反 ソ 的 傾 向 強 まる アルザス ロレーヌの 鉄 やザールの 石 炭 を 得 ても, 財 政 は 不 安 定 A) ポアンカレ 右 派 内 閣 (1923) 賠 償 金 支 払 いのおくれを 理 由 にベルギーとともにルール 占 領 ドイツ 側 はストライキ( 生 産 停 止 )で 経 済 混 乱 結 局 得 るところはなく 撤 退 B) エリオ 左 派 連 合 内 閣 (1924) ソ 連 承 認 (1924), 対 独 協 調 政 策 へ 転 換,ロカルノ 条 約 (1925) ドイツの 国 際 連 盟 加 盟 へ C) ポアンカレⅡ(1926) 挙 国 一 致 内 閣 財 政 安 定 に 成 功 ブリアン 外 相 不 戦 条 約 など 平 和 外 交,ドイツとの 和 解 もすすめた ドイツやソ 連 を 警 戒 し,ポーランドや 小 協 商 国 と 提 携 した ドイツ ドイツ 革 命 (1918)の 後, 経 済 復 興, 国 際 協 調 に 努 めるが, 賠 償 金 の 支 払 いに 苦 しみ 政 治 経 済 は 不 安 定 社 会 民 主 党 とドイツ 共 産 党 の 対 立 A) 社 会 民 主 党 のエーベルト 臨 時 政 府 休 戦 条 約 調 印 ドイツ 共 産 党 スパルタクス 団 ( 社 会 主 義 革 命 をねらった)を 中 心 に 結 成 その 蜂 起 を 鎮 め, 国 民 議 会 開 催 エーベルト 大 統 領 の 選 出 ヴァイマル(ワイマール) 憲 法 (ドイツ 共 和 国 憲 法 ) 制 定 主 権 在 民 20 歳 以 上 の 男 女 普 通 選 挙 権 労 働 者 の 団 結 権, 団 体 交 渉 権 左 翼 革 命 と 右 翼 の 反 動 による 社 会 不 安 にゆさぶられる レーテ 共 和 国 (バイエルン)(1919.4) 5 月 右 翼 の 義 勇 軍 により 倒 される 国 会 選 挙 で 右 派 台 頭 (6 月 ) これに 対 し, 政 府 が 右 翼 に 解 散 命 令 を 出 すと カップ 一 揆 (1920) 共 産 党 内 急 進 派 が 強 まり 武 装 蜂 起 (1921.3) フランスらによるルール 占 領 (1923)に 対 し, 労 働 者 のストを 指 揮 しかし,その 間 も 給 料 は 支 払 われるため, 大 インフレを 招 く B) シュトレーゼマン 内 閣 (1923 夏 ) 新 紙 幣 レンテンマルクの 発 行 インフレ 克 服 ドーズ 案 によりアメリカより 資 本 導 入 ( 借 款 )で 経 済 復 興 ヒトラーの ミュンヘン 一 揆 も 生 み 出 した その 後 シュトレーゼマンは 外 相 として,ロカルノ 条 約 締 結, 国 際 連 盟 加 盟 を 実 現 この 間,ヒンデンブルク 大 統 領 (1925~) 左 右 の 攻 撃 をどうにかのりきった 政 府 は, 米 国 資 本 に 助 けられつつ, 資 本 主 義 的 秩 序 をとりも どしていった しかし,1929 の 世 界 恐 慌 でドイツ 経 済 は 破 滅 的 状 況 になる
イタリア A) 第 1 次 世 界 大 戦 後 のヴェルサイユ 体 制 への 不 満 戦 後 の 領 土 をめぐる 不 満 の 拡 大 大 戦 後, 未 回 収 のイタリアを 取 り 戻 すが,フィウメの 領 有 を 主 張 過 激 派 ( 詩 人 ダヌン ツィオも 参 加 )によるフィウメ 占 領 (1919) 戦 後 の 経 済 危 機 で 労 働 運 動 激 化 インフレ 下 の 労 働 運 動 の 高 まり 社 会 党 左 派 (のちに 共 産 党 )の 指 導 した 北 イタリアのストライキ 失 敗 (1920) 共 産 主 義 は 信 を 失 う B) ムッソリーニがファシスト 党 結 成 (1919) 危 機 の 原 因 は 左 翼 ( 共 産 主 義 )や 議 会 制 民 主 主 義 にあると 考 え, 強 権 的 な 指 導 者 や 国 家 による 国 民 の 統 合 を 主 張 ( 全 体 主 義 ) 軍 人, 地 主, 資 本 家 の 支 持 を 受 ける ローマ 進 軍 (1922) 政 権 獲 得 をめざして 党 を 率 いてローマへ 政 権 掌 握 (1922) 国 王 より 首 相 に 任 命 され 組 閣 新 選 挙 法 (1922) 最 多 得 票 党 が3 分 の2の 議 席 を 獲 得 することとする 一 党 独 裁 体 制 確 立 (1926) 他 の 政 党 禁 止 議 会 制 度 の 廃 止 言 論 出 版 の 抑 圧 や 経 済 統 制 実 施 ファシスト 大 評 議 会 ( 党 の 最 高 機 関 )が 国 家 最 高 機 関 に(1928) 言 論 統 制 へ ラテラン 条 約 (1929) ローマ 教 皇 庁 と 和 解 (1870 以 来 ) ヴァティカン 市 国 成 立 既 存 の 支 配 層 は, 危 機 の 乗 り 切 りを, 新 しい 党 派 であるファシスト 党 にゆだねた 形 になる ソ 連 A) レーニン 死 後 (1924) 後 継 者 争 い スターリンの 一 国 社 会 主 義 論 トロツキーの 世 界 革 命 論 との 争 い トロツキー 失 脚, 国 外 追 放 (1929),スターリンが 実 権 粛 清 工 作 により 反 対 者 を 次 々に 処 刑 し, 独 裁 権 力 を 手 中 にしていった コミンテルンもソ 連 国 家 の 擁 護 を 主 課 題 としていく B) 資 本 主 義 国 の 支 援 を 受 けられない 状 態 での, 設 備 投 資 の 必 要 性 国 家 の 干 渉 統 制 がふた たび 強 められていく C) スターリン 憲 法 (1936) 民 主 的 な 内 容, 信 仰 の 自 由 や 民 族 の 平 等, 男 女 平 等 共 産 党 一 党 独 裁 と, 選 挙 の 候 補 者 推 薦 制 はかわらず D) 計 画 経 済 の 実 施 第 一 次 五 ヶ 年 計 画 実 施 (1928~32) 重 工 業 育 成 に 重 点 集 団 農 場 (コルホーズ), 国 営 農 場 (ソフホーズ)による 農 業 の 集 団 化 農 民 の 抵 抗 に 対 し 弾 圧, 生 産 物 供 出 を 強 制 多 数 の 餓 死 者 を 出 すが, 集 団 化 はほぼ 完 成 資 本 主 義 国 との 通 商 が 少 ないため, 世 界 恐 慌 の 影 響 も 受 けず 第 二 次 五 ヶ 年 計 画 (1933~37) 軽 工 業 中 心 社 会 主 義 建 設 には 民 生 の 犠 牲 もあったので, 国 民 生 活 の 向 上 をはかる 第 三 次 五 ヶ 年 計 画 (1938~42 ) ウラル シベリア 地 方 での 重 工 業 建 設, 軍 需 工 場 次 第 に 国 力 が 向 上 していった 労 働 者 といっても, 農 民 と 工 場 労 働 者 とのきずなはほとんど ないまま 官 僚 主 義 の 弊 害 が 定 着 し 始 めていく 東 欧 諸 国 民 族 構 成 が 複 雑 で 民 族 自 決 主 義 が 不 完 全 新 興 国 は 政 治 的 経 済 的 に 独 立 維 持 が 困 難 チェコ,ユーゴ,ルーマニアら 小 協 商 国,ポーラ ンドはフランスと 同 盟 ポーランド: 戦 後 バテレフスキーの 統 一 政 府 成 立 国 境 問 題 でウクライナに 侵 入 し,ソヴ ィエトと 交 戦 クーデタでピウスツキ 大 統 領 就 任 (1926) ハンガリー:ソヴィエトの 影 響 によりハンガリー 革 命 (1919) ルーマニアの 干 渉 により 失 敗 以 後 は 権 威 主 義 体 制 へ チェコスロバキア:マサリクやベネシュの 指 導 で 独 立 実 現 ユーゴスラビア 独 立 後,ユーゴスラビア 王 国 (1929)として 独 裁 が 始 まる
現 代 2 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 欧 米 世 界 1.ロシア 革 命 ソヴィエト 連 邦 の 成 立 2.ヴェルサイユ 体 制 下 の 国 際 外 交 3.1920 年 代 の 欧 米 各 国 の 様 相 1.ロシア 革 命 ソヴィエト 連 邦 の 成 立 二 月 革 命 A) 第 1 次 世 界 大 戦 における,ドイツとの 戦 線 の 劣 勢 国 内 の 物 資 不 足, 国 民 の 生 活 困 窮 = 経 済 危 機 深 刻 化, 怪 僧 ラスプーチンの 専 横 や 宮 廷 の 腐 敗 による 対 策 不 足 労 働 者 や 兵 士 の 不 満 増 大 首 都 [ ]でストライキの 嵐 (1917.3.8) 軍 隊 も 合 流 して 全 国 に 波 及 ( 労 働 者 兵 士 らの[ ]が 組 織 される) 皇 帝 ニコライ 2 世 退 位 (ロマノフ 朝 滅 亡 ), 臨 時 政 府 樹 立 [ ] 革 命 (ロシアの 暦 では 三 月 ユリウス 暦 を 使 用 していたため) B) 二 重 権 力 状 態 労 働 者 兵 士 代 表 者 による 会 議 =ソヴィエト 存 続 臨 時 政 府 主 に 立 憲 民 主 党 (リヴォフ),メンシェビキのソヴィエト 戦 争 継 続 を 主 張 不 安 定 な 政 情 続 く [ ]がスイスから 帰 国 し, 四 月 テーゼ 発 表 全 権 力 をソヴィエトへ ボルシェビキ 勢 力 が 力 づくが 社 会 革 命 党 のケレンスキー 首 相 (メンシェビキと 組 んで 政 権 掌 握 ) ボルシェビキ 弾 圧 しかし, 帝 政 派 コルニコフの 反 革 命 がおき,ボルシェビキの 支 援 を 求 める 9 月 にはボルシェビキ 勢 力 が 増 大 する 十 月 革 命 C) [ ]が 蜂 起 (11 月 7 日 ) レーニンやトロツキーの 指 導 で 臨 時 政 府 打 倒 翌 日, 全 ロシア ソヴィエト 会 議 で 政 権 樹 立 ( 連 立 政 権 )を 宣 言 人 民 委 員 会 議 長 レーニン, 外 務 人 民 委 員 トロツキー, 民 族 人 民 委 員 スターリンらの 人 民 委 員 会 議 が 成 立 (ソビエト 政 府 ) 平 和 に 関 する 布 告 ( 全 交 戦 国 に 無 賠 償 無 併 合 民 族 自 決 の 原 則 による 講 和 の 要 請 ) 土 地 に 関 する 布 告 ( 農 民 革 命 を 認 めた)を 採 択 この 一 連 の 動 きを[ ] 革 命 という 直 後 に 議 会 選 挙 しかし 社 会 革 命 党 が 第 一 党 ソヴィエト 政 権 樹 立 レーニン 議 会 を 武 力 で 解 散 (1918.1) [ (ボルシェビキの 一 党 独 裁 ) 樹 立 ] 政 権 =プロレタリア 独 裁 ボルシェビキ [ ]と 改 称,モスクワに 遷 都 国 際 的 孤 立,ドイツの 軍 事 力 優 勢 をみて [ ] 条 約 (1918.3) あえて 西 部 の 広 大 な 領 土 を 割 譲 しドイツと 単 独 講 和 ドイツの 敗 戦 で 無 効 になり, 新 興 国 が 生 まれる 憲 法 制 定 全 国 にソヴィエト 設 置,18 歳 以 上 のすべての 男 女 に 選 挙 権 しかし, 共 産 党 以 外 の 政 党 は 禁 止
内 戦 と 対 ソ 干 渉 戦 争 A) 白 衛 軍 ( 反 革 命 派 帝 政 時 代 をよしとする 軍 人 や 政 党 )が 各 地 で 政 権 樹 立 ソヴィエト 政 権 との 内 戦 へ 白 軍 を 支 援 して 捕 虜 となったチェコ 兵 救 出 を 名 目 に 外 国 が 干 渉 [ ] 戦 争 イギリス,フランス,アメリカ, 日 本 が 革 命 拡 大 をおそれ 干 渉 日 本 はシベリア 出 兵 新 経 済 政 策 (ネップ) B) ソヴィエト 政 府 は 赤 衛 軍 ( 赤 軍 )や[ ] ( 非 常 委 員 会 )を 組 織 レーニンは 先 進 資 本 主 義 国 での 革 命 ( 世 界 革 命 )が 必 要 と 考 え,[ ] ( 第 三 インターナショナル)を 結 成 (1919.3) 諸 国 の 革 命 運 動 民 族 運 動 を 指 導 したが 失 敗 C) [ ] 共 産 主 義 (1918~21) 反 革 命 や 外 国 の 干 渉 に 対 する 武 器 と 食 糧 の 確 保 の ため 採 られた 土 地 国 有 化 : 農 民 への 分 配 農 産 物 の 強 制 徴 発 工 場 国 有 化 : 労 働 者 の 工 場 管 理, 食 料 配 給 制 農 民 の 反 発 農 業 生 産 破 壊 多 数 の 餓 死 者 発 生, 工 業 生 産 力 低 下 燃 料 食 糧 不 足 がおこり, 反 政 府 行 動 が 多 発 穀 物 生 産 や 工 業 生 産 が 衰 え, 経 済 は 低 下 党 内 も 混 乱 1920 年, 国 内 の 反 革 命 政 権 をほぼ 打 倒, 外 国 干 渉 軍 も 撤 退 開 始 戦 時 共 産 主 義 による 被 害 の 復 興 策 として 採 用 ゆきすぎた 国 有 化 穀 物 強 制 徴 発 撤 回, 内 戦 終 結 とともに 実 施 (1921~28) D) 生 産 回 復 のため 資 本 主 義 的 要 素 を 一 部 導 入 私 的 経 営 や 農 産 物 販 売 の 自 由 を 認 める 国 民 経 済 の 回 復 に 成 功 ( 戦 前 水 準 ) E) 農 村 に[ ] ( 余 剰 生 産 物 を 販 売 ), 都 市 にネップマン( 中 小 企 業 の 個 人 経 営 ) が 出 現 ソ 連 の 成 立 F) ソヴィエト[ ] (USSR)(1922) ロシア ウクライナ ベラルーシ ザカフカスの4ソヴィエト 共 和 国 を 統 合 した 新 憲 法 公 布 (1924.1 月 ) G) 外 国 のソ 連 邦 承 認 ドイツ ラパロ 条 約 (1922)で イギリス,フランス,イタリア (1924), 日 本 (1925), アメリカ(1933) 内 紛 トロツキー vs. 他 の 幹 部 22 年 秋 ~ 争 点 : 回 復 し 始 めた 経 済 の 方 向 性, 党 内 秩 序 のひきしめ 策 を 継 続 するか 否 か 一 旦 鎮 静 化 するも, トロツキーが 自 著 で 十 一 月 革 命 前 のジノヴィエフとカーメネフを 批 判 スターリン,ジノヴィエフ,カーメネフ 三 人 組 (トロイカ) 反 トロツキー キャンペーン トロツキーは 先 進 工 業 地 域 の 西 欧 の 社 会 主 義 化 こそ 必 要 とし, 農 民 の 革 命 性 を 否 定 してい る! 教 条 化 したレーニンの 言 説 とトロツキーの 意 見 の 相 反 する 部 分 をことさらとりあげて, 排 除 しようとした トロツキー 軍 事 人 民 委 員 を 辞 任 (25.1) 三 人 組 の 亀 裂 スターリン 一 国 でも 完 全 な 社 会 主 義 社 会 が 作 れる! ジノヴィエフ,カーメネフ が 批 判 しかし,22 年 以 降 の 入 党 資 格 の 緩 和 により 大 衆 政 党 化 していた 共 産 党 員 の 多 くはスターリンを 支 持 第 14 回 党 大 会 で 勝 利 (25.12)
2.ヴェルサイユ 体 制 下 の 国 際 外 交 賠 償 問 題 A) ドイツの 賠 償 金 1320 億 マルク 支 払 い 不 可 能 な 状 態 賠 償 不 履 行 を 口 実 としてフラン ス,ベルギーが[ ] 占 領 実 行 (1923) しかし, 国 際 的 非 難 をあびる B) 不 服 従 運 動 で 対 抗 したドイツでは 生 産 が 低 下 し,インフレ 激 化 に 対 し, [ ] 首 相 が 対 策 レンテンマルクでインフレ 克 服,および[ ] 案 成 立 (1924) 新 しい 賠 償 支 払 計 画 を 決 定 (アメリカの 借 款 による 経 済 復 興 を 図 る) シュトレーゼマンの 協 調 外 交 によりフランス,ベルギーはルール 地 方 から 撤 兵 (1925) C) ヤング 案 成 立 (1928) 賠 償 額 358 億 マルクに 減 額 D) 世 界 恐 慌 により ローザンヌ 会 議 (1930)で 30 億 マルクに 減 額 後 のナチス 政 権 はこれ すら 否 定 した 国 際 紛 争 民 族 自 立 と 国 際 協 調 の 矛 盾 A) [ ] 問 題 イタリア ユーゴスラヴィア 戦 争 イタリア 過 激 派 がフィウメ 占 領 (1919)( 詩 人 ダヌンツィオも 参 加 ) イタリアが 併 合 (1924)(ムッソリーニ 政 権 ) イタリアとユーゴスラビアが 対 立 B) トルコ ギリシア 戦 争 [ ] 地 方 をめぐるギリシアとトルコの 対 立 (1919 ~22) トルコのケマル パシャ(ムスタファ ケマル or ケマル アタテュルク)がセーヴル 条 約 を 認 めず 奪 回 のために 活 躍 [ ] 条 約 へ C) ソビエト ポーランド 戦 争 (1920~21) 国 境 問 題 から 発 生 フランスの 支 援 で[ ]が 勝 利 ベラルーシとウクライナの 一 部 を 獲 得 D) ルール 占 領 (1923) 賠 償 金 の 支 払 いをめぐり,フランス ベルギーがドイツのルール 工 業 地 域 を 占 領 国 際 協 調 の 時 代 総 力 戦 となった 第 一 次 世 界 大 戦 は, 惨 禍 をもたらしヨーロッパの 人 々に 戦 争 を 嫌 う 風 潮 を 増 大 させた 大 戦 後 に 飛 躍 したアメリカは 新 たなフロンティア= 太 平 洋 の 覇 権 をめざして, 日 本 を 仮 想 敵 国 と 考 えるようになる アメリカが 望 む 形 で, 日 本 は 軍 事 力 を 制 限 されていく 日 本 国 内 では 軍 部 の 不 満 が 高 まり, 大 正 デモクラシーの 時 代 がやがて, 軍 部 による 政 党 内 閣 攻 撃 へと 向 かうことになる A) [ ] 会 議 アメリカ 大 統 領 ハーディングの 提 唱 (1921~22) 海 軍 軍 備 制 限 条 約 主 力 艦 保 有 比 率 英 : 米 : 日 : 仏 : 露 =5:5:3:1.67:1.67 四 ヶ 国 条 約 (1921) 日 英 米 仏 太 平 洋 の 現 状 維 持 日 英 同 盟 の 破 棄 九 ヶ 国 条 約 (1922) 中 国 の 主 権 尊 重, 独 立, 門 戸 開 放, 機 会 均 等 を 約 束 日 本 は 青 島 (チンタオ), 山 東 の 利 権 返 還, 石 井 ランシング 協 定 の 空 文 化 で 破 棄 ワシントン 体 制 :この 会 議 で 決 められたアジア 太 平 洋 地 域 の 新 国 際 秩 序 B) [ ] 条 約 英, 仏, 独,ベルギーなど(1925) ラインラントの 不 可 侵, 非 武 装 化 ( 現 状 維 持 )= 国 境 を 相 互 に 守 ることを 確 認 ドイツ が 国 際 連 盟 に 加 盟 実 現 (1926) ジュネーヴ 軍 縮 会 議 補 助 艦 制 限 を 話 し 合 うが, 決 裂 (1927) 日 本,イギリス,アメリカ 間 C) [ ] (ケロッグ ブリアン 協 定 ) ケロッグ 国 務 長 官 ( 米 )とブリアン 外 相 ( 仏 )が 提 唱 (1928) 国 際 紛 争 を 解 決 する 手 段 として[ ]に 訴 えぬことを 約 束 ( 戦 争 放 棄 を 規 定 ) 15 ヶ 国 が 調 印 実 は 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 日 本 国 憲 法 の 九 条 の 文 言 はここから 引 用 したもの D) [ ] 海 軍 軍 縮 会 議 マクドナルド 首 相 ( 英 ) 開 催 (1930)
補 助 艦 の 保 有 比 率 を 決 定 英 : 米 : 日 =10:10:7 弱 日 本 の 軍 部 や 右 翼 は 統 帥 権 干 犯 と 猛 反 対 し, 軍 国 主 義 化 の 転 換 点 となった 3.1920 年 代 の 欧 米 各 国 の 様 相 特 徴 各 国 政 府 : 資 本 主 義 体 制 あるいは 社 会 主 義 を 志 向 する 動 き 対 立 保 守 勢 力 (すみやかな 再 建 をめざす), 急 進 的 な 右 翼 ら 反 革 命 勢 力 ドイツはもっとも 左 右 の 攻 撃 が 顕 著 だったが, 既 存 の 勢 力 が 乗 り 切 った イタリアは, 既 存 の 支 配 層 が 新 しい 党 派 に 乗 り 切 りをゆだねた 英 仏 は, 既 存 の 支 配 層 が 戦 後 危 機 を 自 ら 乗 り 切 った 1920 年 代 後 半 相 対 的 安 定 期, 労 使 協 調 路 線 の 拡 大 電 気 化 学 産 業 などの 新 興 産 業 の 本 格 的 展 開 で WW1 前 とはことなる 資 本 主 義 的 秩 序 米 国 の 金 融 的 支 援 に 支 えられていたこと ソ 連, 植 民 地 の 動 向 アメリカ A) イギリスにかわって, 主 導 的 国 家 へ 成 長 WW1 連 合 国 に 物 資 供 給 し 莫 大 な 利 益 英 仏 の 戦 債 免 除 要 請 も 拒 否 債 務 国 から 債 権 国 へ 転 換 世 界 の 金 融 市 場 を 支 配 = 世 界 経 済 の 中 心 に 高 関 税 政 策 = 国 内 市 場 を 保 護 世 界 の 富 を 集 中 B) 一 方 で,ヨーロッパの 政 治 への 直 接 的 かかわりを 回 避, 伝 統 であったモンロー 主 義 の 延 長 として 孤 立 主 義 ( 国 内 第 一 )の 傾 向 深 まる ウィルソン 大 統 領 ( 民 主 党 )(1913~21) 上 院 でヴェルサイユ 条 約 の 批 准 を 拒 否 されたため, 国 際 連 盟 不 参 加 民 主 主 義 の 進 展 女 性 参 政 権 の 実 現 (1920) イギリス C) 資 本 主 義 経 済 が 繁 栄 共 和 党 政 権 下 で 永 遠 の 繁 栄 の 時 代 大 企 業 の 利 益 重 視 自 動 車 の 大 衆 化, 家 庭 電 化 製 品 やラジオ 映 画 などの 発 達 現 代 大 衆 文 化 成 立 一 方 で, 保 守 的 傾 向 白 人 中 心 の 価 値 観 の 強 調, 禁 酒 法 の 実 施, 移 民 法 (1924)など ハーディング 大 統 領 平 常 への 復 帰 を 唱 える(バックトウノーマルシー), ワシントン 会 議 を 主 催, 日 本 の 太 平 洋 での 勢 力 拡 大 を 阻 止 する 方 向 へ クーリッジ 大 統 領 フーヴァー 大 統 領 世 界 恐 慌 に 対 して 無 策 ドーズ 案 によりドイツへ 借 款,パリ 不 戦 条 約 などの 外 交 政 策 A) 戦 後 イギリス 経 済 は 不 振 B) 民 主 政 治 の 進 展 労 働 党 の 勢 力 拡 張 ロイド ジョージ 挙 国 一 致 内 閣 第 四 次 選 挙 法 改 正 (1918) 21 歳 以 上 男 子 と 30 歳 以 上 の[ ] 参 政 権 第 五 次 選 挙 法 改 正 (1928) 男 女 (21 歳 以 上 ) [ ] 制 = 男 女 同 権 へ 労 働 党 が 進 出 [ ] 内 閣 (1924) 労 働 党 が 自 由 党 と 連 立 し 初 めての 政 権 漸 進 的 な 社 会 政 策 ソ 連 承 認 1929 年 の 選 挙, 労 働 党 初 の 第 1 党 マクドナルドⅡ 内 閣 イギリス 帝 国 会 議 (1926,30)の 決 議 [ ] 憲 章 が 制 定 され,イギリス 連 邦 成 立 (1931) 国 王 に 対 する 共 通 の 忠 誠 に 基 づく 国 家 連 合 各 自 治 領 は 本 国 と 対 等 の 地 位 を 承 認
C) アイルランド 問 題 大 戦 中 デ バレラらの 独 立 運 動 アイルランド 自 由 国 成 立 (1922) 北 部 アイルランドをのぞく 自 治 領 成 立 アイルランド 独 立 派 ウ 憲 章 にあきたらずイギリスからの 完 全 独 立 要 求 [ ] 共 和 国 として 完 全 独 立 (1937) フランス 国 土 が 戦 場 = 戦 争 の 被 害 が 大 きかった ドイツへ 強 い 警 戒 心 強 国 ドイツの 復 興 を 懸 念 ソ 連 が 帝 政 ロシア 時 代 の 債 務 を 破 棄 したため, 反 ソ 的 傾 向 強 まる アルザス ロレーヌの 鉄 やザールの 石 炭 を 得 ても, 財 政 は 不 安 定 D) ポアンカレ 右 派 内 閣 (1923) 賠 償 金 支 払 いのおくれを 理 由 にベルギーとともに[ ( 生 産 停 止 )で 経 済 混 乱 結 局 得 るところはなく 撤 退 ] ドイツ 側 はストライキ E) エリオ 左 派 連 合 内 閣 (1924) ソ 連 承 認 (1924), 対 独 協 調 政 策 へ 転 換,ロカルノ 条 約 (1925) ドイツの 国 際 連 盟 加 盟 へ F) [ ]Ⅱ(1926) 挙 国 一 致 内 閣 財 政 安 定 に 成 功 ブリアン 外 相 不 戦 条 約 など 平 和 外 交,ドイツとの 和 解 もすすめた ドイツやソ 連 を 警 戒 し,ポーランドや 小 協 商 国 と 提 携 した ドイツ ドイツ 革 命 (1918)の 後, 経 済 復 興, 国 際 協 調 に 努 めるが, 賠 償 金 の 支 払 いに 苦 しみ 政 治 経 済 は 不 安 定 社 会 民 主 党 とドイツ 共 産 党 の 対 立 A) 社 会 民 主 党 の[ ] 臨 時 政 府 休 戦 条 約 調 印 ドイツ 共 産 党 [ ] 団 ( 社 会 主 義 革 命 をねらった)を 中 心 に 結 成 その 蜂 起 を 鎮 め, 国 民 議 会 開 催 エーベルト 大 統 領 の 選 出 [ ] (ワイマール) 憲 法 (ドイツ 共 和 国 憲 法 ) 制 定 主 権 在 民 20 歳 以 上 の 男 女 普 通 選 挙 権 労 働 者 の 団 結 権, 団 体 交 渉 権 左 翼 革 命 と 右 翼 の 反 動 による 社 会 不 安 にゆさぶられる レーテ 共 和 国 (バイエルン)(1919.4) 5 月 右 翼 の 義 勇 軍 により 倒 される 国 会 選 挙 で 右 派 台 頭 (6 月 ) これに 対 し, 政 府 が 右 翼 に 解 散 命 令 を 出 すと カップ 一 揆 (1920) 共 産 党 内 急 進 派 が 強 まり 武 装 蜂 起 (1921.3) フランスらによる[ ] (1923)に 対 し, 労 働 者 のストを 指 揮 しかし,その 間 も 給 料 は 支 払 われるため, 大 インフレを 招 く B) [ ] 内 閣 (1923 夏 ) 新 紙 幣 [ ]の 発 行 インフレ 克 服 ドーズ 案 によりアメリカより 資 本 導 入 ( 借 款 )で 経 済 復 興 ヒトラーの ミュンヘン 一 揆 も 生 み 出 した その 後 シュトレーゼマンは 外 相 として,ロカルノ 条 約 締 結, 国 際 連 盟 加 盟 を 実 現 この 間,ヒンデンブルク 大 統 領 (1925~) 左 右 の 攻 撃 をどうにかのりきった 政 府 は, 米 国 資 本 に 助 けられつつ, 資 本 主 義 的 秩 序 をとりも どしていった しかし,1929 の 世 界 恐 慌 でドイツ 経 済 は 破 滅 的 状 況 になる
イタリア A) 第 1 次 世 界 大 戦 後 のヴェルサイユ 体 制 への 不 満 戦 後 の 領 土 をめぐる 不 満 の 拡 大 大 戦 後, 未 回 収 のイタリアを 取 り 戻 すが,[ ]の 領 有 を 主 張 過 激 派 ( 詩 人 ダヌンツィオも 参 加 )によるフィウメ 占 領 (1919) 戦 後 の 経 済 危 機 で 労 働 運 動 激 化 インフレ 下 の 労 働 運 動 の 高 まり 社 会 党 左 派 (のちに 共 産 党 )の 指 導 した 北 イタリアのストライキ 失 敗 (1920) 共 産 主 義 は 信 を 失 う B) [ ]がファシスト 党 結 成 (1919) 危 機 の 原 因 は 左 翼 ( 共 産 主 義 )や 議 会 制 民 主 主 義 にあると 考 え, 強 権 的 な 指 導 者 や 国 家 による 国 民 の 統 合 を 主 張 ( 全 体 主 義 ) 軍 人, 地 主, 資 本 家 の 支 持 を 受 ける ローマ 進 軍 (1922) 政 権 獲 得 をめざして 党 を 率 いてローマへ 政 権 掌 握 (1922) 国 王 より 首 相 に 任 命 され 組 閣 新 選 挙 法 (1922) 最 多 得 票 党 が3 分 の2の 議 席 を 獲 得 することとする 一 党 独 裁 体 制 確 立 (1926) 他 の 政 党 禁 止 議 会 制 度 の 廃 止 言 論 出 版 の 抑 圧 や 経 済 統 制 実 施 [ ] ( 党 の 最 高 機 関 )が 国 家 最 高 機 関 に(1928) 言 論 統 制 へ ラテラン 条 約 (1929) ローマ 教 皇 庁 と 和 解 (1870 以 来 ) [ ] 市 国 成 立 既 存 の 支 配 層 は, 危 機 の 乗 り 切 りを, 新 しい 党 派 であるファシスト 党 にゆだねた 形 になる ソ 連 A) レーニン 死 後 (1924) 後 継 者 争 い スターリンの[ ] 論 トロツキーの 世 界 革 命 論 との 争 い トロツキー 失 脚, 国 外 追 放 (1929),[ ]が 実 権 粛 清 工 作 により 反 対 者 を 次 々に 処 刑 し, 独 裁 権 力 を 手 中 にしていった コミンテルンもソ 連 国 家 の 擁 護 を 主 課 題 としていく B) 資 本 主 義 国 の 支 援 を 受 けられない 状 態 での, 設 備 投 資 の 必 要 性 国 家 の 干 渉 統 制 がふた たび 強 められていく C) スターリン 憲 法 (1936) 民 主 的 な 内 容, 信 仰 の 自 由 や 民 族 の 平 等, 男 女 平 等 共 産 党 一 党 独 裁 と, 選 挙 の 候 補 者 推 薦 制 はかわらず D) 計 画 経 済 の 実 施 第 一 次 [ ] 計 画 実 施 (1928~32) 重 工 業 育 成 に 重 点 集 団 農 場 ([ ]), 国 営 農 場 (ソフホーズ)による 農 業 の 集 団 化 農 民 の 抵 抗 に 対 し 弾 圧, 生 産 物 供 出 を 強 制 多 数 の 餓 死 者 を 出 すが, 集 団 化 はほぼ 完 成 資 本 主 義 国 との 通 商 が 少 ないため, 世 界 恐 慌 の 影 響 も 受 けず 第 二 次 五 ヶ 年 計 画 (1933~37) 軽 工 業 中 心 社 会 主 義 建 設 には 民 生 の 犠 牲 もあったので, 国 民 生 活 の 向 上 をはかる 第 三 次 五 ヶ 年 計 画 (1938~42 ) ウラル シベリア 地 方 での 重 工 業 建 設, 軍 需 工 場 次 第 に 国 力 が 向 上 していった 労 働 者 といっても, 農 民 と 工 場 労 働 者 とのきずなはほとんど ないまま 官 僚 主 義 の 弊 害 が 定 着 し 始 めていく 東 欧 諸 国 民 族 構 成 が 複 雑 で 民 族 自 決 主 義 が 不 完 全 新 興 国 は 政 治 的 経 済 的 に 独 立 維 持 が 困 難 チェコ,ユーゴ,ルーマニアら 小 協 商 国,ポーラ ンドはフランスと 同 盟 ポーランド: 戦 後 バテレフスキーの 統 一 政 府 成 立 国 境 問 題 でウクライナに 侵 入 し,ソヴ ィエトと 交 戦 クーデタでピウスツキ 大 統 領 就 任 (1926) ハンガリー:ソヴィエトの 影 響 によりハンガリー 革 命 (1919) ルーマニアの 干 渉 により 失 敗 以 後 は 権 威 主 義 体 制 へ チェコスロバキア:マサリクやベネシュの 指 導 で 独 立 実 現 ユーゴスラビア 独 立 後,ユーゴスラビア 王 国 (1929)として 独 裁 が 始 まる