第 2 章 史 跡 大 友 氏 遺 跡 の 立 地 環 境 1. 歴 史 的 環 境 (1) 大 分 市 中 心 部 の 歴 史 的 変 遷 と 豊 後 府 内 大 分 市 は 奈 良 時 代 に 豊 後 国 の 国 府 がおかれて 以 来 大 分 県 の 政 治 経 済 文 化 の 中 心 であり 歴 史 文 化 の 資 源 にめぐまれている そして これら 豊 富 な 資 源 が 現 代 のまちの 中 に 重 なり 合 い 遺 されていることは 本 市 の 歴 史 的 な 特 色 を 示 してい る 中 でも 大 友 氏 に 関 連 する 中 世 の 遺 跡 は 現 在 の 中 心 市 街 地 の 一 画 に 良 好 に 保 存 されており 歴 史 を 活 かしたまちづくりを 進 める 上 で 重 要 な 資 産 といえる 1 大 分 市 中 心 部 の 変 遷 大 分 川 の 河 口 に 近 い 左 岸 地 域 では 古 くは 縄 文 時 代 後 期 や 弥 生 時 代 の 遺 跡 が 多 く 確 認 されているが 古 墳 時 代 後 期 から7 世 紀 になると 上 野 台 地 の 周 辺 には 重 要 な 遺 跡 が 集 中 してみられるようになる りょう ご 上 野 台 地 の 南 方 に 位 置 する 永 興 地 区 付 近 で は 古 墳 時 代 の 後 半 から7 世 紀 にかけて 巨 石 を 用 いた 横 穴 式 石 室 墳 が 市 内 で 唯 一 まとまって こうぼうあな 形 成 されている そのひとつである 弘 法 穴 古 墳 は 当 地 を 治 めた 大 分 国 造 に 関 わる 古 墳 の 可 能 ふ る ご う 性 が 高 い 古 国 府 遺 跡 群 の 西 部 では 近 年 の 発 掘 調 査 より7 世 紀 を 中 心 とした 地 方 官 衙 に 関 係 する 大 型 建 物 跡 が 確 認 されている このように 石 室 墳 と 官 衙 的 な 遺 跡 が 集 中 する 地 域 は 市 内 の 他 にはみられず 当 地 が7 世 紀 代 における 政 治 古 国 府 遺 跡 群 飛 鳥 時 代 の 中 心 の 中 心 地 であったといえる 7 世 紀 前 半 の 大 型 建 物 続 く8 世 紀 になると 古 代 の 国 府 推 定 地 とさ れる 上 野 台 地 の 東 端 部 に 位 置 する 上 野 遺 跡 群 で りゅうおうばた いせき は 国 府 に 付 随 した 曹 司 とされる 竜 王 畑 遺 跡 や 基 壇 と 礎 石 を 有 した 古 代 寺 院 の 跡 である 上 野 廃 寺 が 建 立 されている また 台 地 の 東 斜 面 には 平 安 時 代 末 期 に 元 町 石 仏 が 造 営 されるなど 上 野 台 地 の 東 端 部 は 古 代 における 豊 後 国 の 中 心 地 で あった 中 世 になると 大 友 氏 の 豊 後 国 拝 領 にともな い 徳 治 元 年 (1306)の 万 寿 寺 の 創 建 が 起 点 と 元 町 石 仏 古 代 の 中 心 なって 大 分 川 左 岸 の 沖 積 地 上 現 在 の 元 町 か 8
ら長浜にかけて都市的な景観が形成されてい く 14 世紀後半頃には顕徳町付近に大友館が設 けられ 以後 大友氏が除国されるまでの間 政治 経済 文化 交易に関わる諸機能を備え た 豊後国の中心都市として繁栄した 江戸時代初期になると大分川の河口に府内 城が築城され 1602 年頃には中世府内町の諸寺 院や町組を取り込みながら府内城と城下が完 大友氏遺跡 中世の中心 大友氏館跡庭園 成する 豊後最大の商都として繁栄した現在の 大分市中心部は この近世城下町を踏襲したも のである このように 大分市の中心地域は飛鳥時代か ら現代にかけて上野台地を起点に反時計回り に変遷するという歴史的な特色をもっている 府内城 近世の中心 図 2-1 大分市中心部の遺跡の変遷 9
②中世府内の形成 大友氏館跡 唐人町跡 推定御蔵場跡 旧万寿寺地区などが立地する顕徳町から 元町の様子を伝える古い記録として 宇佐神領大鏡 があり 11 世紀代である天 かちがづるばたけ 喜元年(1053) 康平2年(1059) 承保4年(1077)の文書に 勝津留畠 として登場 た か ご う する このうち 天喜元年の文書によると勝津留畠の西の限りは 高国府 とされ 現在の上野台地東端部と推定されている また 同じ文書の中には 東限北廻り 二方市河 の記述もあり 11 世紀中頃は大分川が市河と呼ばれていたこと この 段階にすでに大分川沿いで河原市が立っていたことが想定され 中世 府内 の初 源的な姿と考えられている 14 世紀初頭の徳治元年(1306)には 勝津留畠を含む一帯において万寿寺が建立さ れる 発掘調査で遺構が確認されるのはこの時期からである その後 14 世紀後 半ごろには大友館が形成され つづく 15 世紀には大友館周辺の広い範囲で遺構の 展開が確認される ③豊後府内 戦国時代の府内は 遺構 遺物が質 量ともに最大化し 史実に示される南蛮貿 易の推進により繁栄した府内の姿へと発展する 府内古図 に描かれた豊後府内 の中心は南北4本 東西5本の道路が整備され 南北 2.1km 東西 0.7kmの広が りがあったと考えられ 整然と区画された道路に沿って町屋が立ち並び 方二町の 大友館内部には大規模庭園が造営されるなど 遺跡の面からも最盛期を迎えること がわかっている この頃の府内の町の姿は 武家地と商家が混在する戦国時代の京 都の町に似たものであったと考えられる 中央の道路に面して町屋が建ち並ぶ 寺小路町 の調査状況全景写真 中世大友府内町跡第 97 次調査 10
豊 後 府 内 は 中 国 朝 鮮 半 島 東 南 アジア 地 域 との 貿 易 により 繁 栄 した 国 際 貿 易 都 市 戦 国 大 名 の 館 を 中 心 に 発 展 したまち という 二 つの 性 格 を 併 せ 持 った 特 性 を 有 している また キリスト 教 宣 教 師 の 報 告 をはじめとする 海 外 の 文 献 史 料 が 多 く 残 る 点 も 大 きな 特 徴 であり 東 洋 文 化 と 西 洋 文 化 の 出 会 いの 場 となり いち 早 く 南 蛮 文 化 が 育 まれた 地 であることを 詳 細 に 窺 い 知 ることができる 繁 栄 を 誇 った 豊 後 府 内 は 天 正 14 年 (1586) の 島 津 軍 の 豊 後 侵 攻 により 灰 儘 に 帰 す その 後 町 は 部 分 的 に 復 興 するが 大 友 館 は 元 の 場 所 に 再 建 されることはなかった 江 戸 時 代 初 期 になると 府 内 城 および 城 下 町 が 築 城 され 1602 年 頃 に 新 城 下 町 へ 都 市 機 能 が 移 転 したことで 豊 後 府 内 は 終 焉 を 迎 えた 府 内 古 図 は 江 戸 時 代 の 府 内 藩 主 日 根 野 吉 明 が 戦 国 時 代 の 府 内 の 町 を 偲 んで 旧 府 内 町 を 知 る 住 民 の 情 報 を 基 に 描 かせた 絵 図 と いわれている 大 友 館 や 萬 壽 寺 ( 万 寿 寺 ) 等 の 施 設 が 描 かれ 道 路 上 には 唐 人 町 などの 町 名 と 町 境 を 示 す 施 設 である 木 戸 が 確 認 できる 戦 国 時 代 の 府 内 の 町 の 様 子 を 示 す 貴 重 な 資 料 である 図 2-2 府 内 古 図 ( 部 分 )[ 個 人 蔵 ] 11
(2) 大 友 氏 の 概 要 よしなお 初 代 大 友 能 直 が 鎌 倉 時 代 に 豊 後 の 支 配 者 として 任 命 されて 以 後 大 友 氏 は 約 400 よししげ 年 間 に 渡 り 豊 後 国 を 本 拠 とし 21 代 義 鎮 ( 宗 麟 )の 頃 には 豊 後 のほか 筑 前 肥 前 など 九 州 北 半 6カ 国 の 支 配 権 を 手 に 入 れ 戦 国 大 名 としての 威 容 を 示 した 1 大 友 氏 の 豊 後 入 国 ちかひで 大 友 氏 の 豊 後 入 国 については 初 代 能 直 2 代 親 秀 とも 守 護 として 入 国 した 事 実 よりやす はなく 大 友 惣 領 家 として 最 初 に 豊 後 に 入 国 したのは3 代 頼 泰 である 頼 泰 は 仁 治 3 年 (1242) 新 御 成 敗 状 二 十 八 箇 条 寛 元 2 年 (1244)には 追 加 十 六 箇 条 を 制 定 し 豊 後 国 統 治 の 基 本 方 針 を 定 め 元 寇 の 際 は 鎮 西 奉 行 として 豊 後 国 の 御 家 人 を 従 え 奮 戦 した 2 南 北 朝 時 代 の 大 友 氏 鎌 倉 幕 府 の 滅 亡 後 後 醍 醐 天 皇 の 政 権 から 足 利 尊 氏 が 離 反 すると 天 皇 家 は 北 朝 さだむね ( 京 都 ) と 南 朝 ( 吉 野 ) に 分 裂 する 当 時 の 大 友 惣 領 家 6 代 貞 宗 は 惣 領 が 庶 氏 に 知 行 を 分 け 与 える 分 割 相 続 の 形 態 から 嫡 子 単 独 相 続 の 形 態 へと 切 り 替 えるが これが 南 北 朝 対 立 と 絡 まり 大 友 氏 一 族 内 の 対 立 を 生 みだす 原 因 となった 大 友 惣 領 家 は うじとき 足 利 尊 氏 派 ( 北 朝 方 )の 立 場 をとり 九 州 の 北 朝 方 の 拠 点 となるが 8 代 氏 時 の 頃 南 朝 軍 に 度 々 府 内 に 攻 め 入 られ 第 1 回 目 の 南 朝 軍 侵 入 の 際 は なすすべもなく 降 伏 する 北 朝 方 に 復 帰 を 果 たした 後 は 再 三 にわたり 南 朝 軍 の 侵 入 を 招 くものの うじつぐ 高 崎 城 で 攻 防 を 繰 り 返 し 敗 れることはなかった 9 代 氏 継 は 大 友 家 を 存 続 させる ちか よ ため 南 朝 方 へ 翻 るが 10 代 親 世 は 九 州 探 題 であった 今 川 了 俊 への 協 力 を 惜 しまず 南 朝 勢 一 掃 後 多 くの 恩 賞 を 与 えられたことから 大 友 氏 中 興 の 祖 といわれる ちかつぐ しかし 親 世 は 自 分 の 家 督 を 兄 氏 継 の 子 親 著 に 譲 ったことにより 氏 継 系 親 世 系 の 交 替 相 続 制 を 生 み 出 し 大 友 家 内 部 の 家 督 騒 動 の 要 因 を 招 くことになる ちかしげ この 家 督 騒 動 も 14 代 親 隆 が 自 分 の 娘 を 13 代 親 綱 の 弟 親 繁 (15 代 )の 妻 にする まさちか という 条 件 で 家 督 を 譲 り その 後 は 親 繁 の 嫡 子 政 親 (16 代 )が 惣 領 家 を 継 ぎ 交 替 相 続 に 終 止 符 が 打 たれ 安 定 した 権 力 基 盤 が 形 成 されることになる 3 戦 国 時 代 の 大 友 氏 戦 国 時 代 の 始 まりともいわれる 応 仁 の 乱 の 頃 大 友 親 繁 政 親 父 子 が 乱 に 深 入 り よしすけ することなく 内 政 の 充 実 に 力 を 注 いでいたが 17 代 義 右 は 父 政 親 と 対 立 し 両 者 の ちかはる で 死 を 招 くという 事 件 が 起 きた この 事 態 を 収 拾 したのが 政 親 の 異 母 弟 18 代 親 治 よしなが よしあき よしむね ある 以 後 義 長 義 鑑 義 鎮 義 統 と 安 定 した 嫡 子 単 独 相 続 が 行 われる 19 代 義 長 は 戦 国 大 名 が 分 国 の 直 接 的 支 配 を 強 化 するための 基 本 である 分 国 法 を 条 々 と いう 形 で 定 め 領 国 支 配 の 確 立 へ 向 けて 奔 走 し 戦 国 大 名 へと 歩 みだす 20 代 義 鑑 から 21 代 義 鎮 への 移 譲 は 大 友 家 最 後 の 内 紛 二 階 崩 れの 変 によっ 12
て 実 現 した 義 鎮 が 家 督 をついだ 翌 天 文 20 年 (1551)7 月 ポルトガル 船 が 日 出 沖 に 来 航 し 翌 8 月 には 義 鎮 の 招 きにより フランシスコ ザビエルが 周 防 山 口 か ら 府 内 に 入 り 布 教 を 始 める 義 鎮 は 父 義 鑑 から 継 いだ 豊 後 肥 後 筑 後 のほか 豊 前 筑 前 肥 前 を 領 し 6カ 国 の 大 名 として 過 去 最 大 の 版 図 を 築 く その 後 永 禄 5 6 年 ごろ 剃 髪 して 宗 麟 と 号 し 臼 杵 丹 生 島 城 に 移 り 天 正 元 年 (1573)には 家 督 を 嫡 子 義 統 (22 代 )に 譲 った 宗 麟 から 義 統 の 頃 豊 後 のキリシタン 布 教 は 次 第 に 定 着 し 府 内 がイエズス 会 の 日 本 におけるキリスト 教 布 教 の 拠 点 となった しかし 一 方 では 奈 多 大 宮 司 家 出 身 の 田 原 親 賢 と 宗 麟 夫 人 によるキリシタンの 圧 迫 が 行 われるなど 軋 轢 も 生 じた 宗 麟 は 天 正 6 年 (1578) 受 洗 してドン フランシスコと 命 名 された そして 島 津 氏 に 追 われた 伊 東 氏 の 本 拠 地 の 回 復 とキリスト 教 国 家 建 設 を 目 的 に 日 向 侵 攻 に 踏 み 切 るが 耳 川 の 合 戦 にて 大 敗 を 喫 する 続 く 天 正 14 年 (1586) 九 州 制 圧 を 目 論 む 島 津 氏 の 豊 後 侵 攻 を 許 し 12 月 7 日 からの 鶴 賀 城 攻 防 12 日 の 戸 次 川 の 合 戦 で 大 友 方 は 敗 れ 義 統 は 府 内 を 脱 出 する この 危 機 は 豊 臣 秀 吉 の 援 軍 で 切 り 抜 けるが 戦 後 大 友 氏 は 豊 後 一 国 を 安 堵 されたに 過 ぎなかった 宗 麟 は 秀 吉 か らの 日 向 一 国 を 与 える 申 し 出 を 辞 退 し 直 後 の 天 正 15 年 (1587)5 月 23 日 隠 棲 していた 津 久 見 にて 没 してしまう 文 禄 元 年 (1592)3 月 吉 ( 義 ) 統 は 家 督 を 長 子 の 義 乗 (23 代 )に 譲 り 6 千 名 の 士 卒 を 率 い 黒 田 長 政 の 指 揮 のもと 朝 鮮 へと 出 兵 するが 文 禄 2 年 (1593) 小 西 行 長 の 援 軍 要 請 に 対 応 できなかったという 理 由 で 知 行 を 没 収 され 能 直 以 来 続 いた 大 友 氏 の 豊 後 支 配 は 終 わった 吉 統 は 慶 長 5 年 (1600)に 起 きた 関 ヶ 原 合 戦 では 西 軍 について 豊 後 に 入 り 大 友 家 再 興 をかけ 黒 田 孝 高 と 戦 うが 石 垣 原 の 合 戦 で 敗 北 をする その 後 大 友 氏 は 江 戸 幕 府 の 儀 式 を 司 る 高 家 として 吉 統 の 子 である 正 照 の 血 統 が 仕 え 明 治 に 至 る 13
表 2-1 大 友 氏 府 内 関 連 年 表 14
15
2. 自 然 的 環 境 (1) 地 形 地 質 1 地 形 大 分 市 の 東 端 は 豊 後 水 道 を 望 む 佐 賀 関 半 島 高 島 で 西 は 別 府 市 由 布 市 に 接 し ており 東 西 距 離 は 約 42km の 広 がりをもつ 北 は 別 府 湾 に 面 し 南 は 臼 杵 市 豊 後 大 野 市 竹 田 市 と 接 しており 南 北 距 離 は 約 20 kmである 豊 後 大 野 市 との 境 界 よろいがだけ え ぼ し だけ く も が せ たけ ご ざ が だ け は 鎧 ヶ 岳 ( 標 高 約 859m)をはじめ 烏 帽 子 岳 雲 ヶ 背 岳 御 座 ヶ 岳 等 といった 標 高 700~800mの 急 峻 な 山 が 連 なっている 東 に 進 むにしたがって 比 較 的 なだら かな 山 並 みが 続 く 大 分 市 内 には 大 分 川 と 大 野 川 の2つの 一 級 河 川 がある 大 分 川 は 由 布 市 狭 間 から 横 瀬 賀 来 光 吉 を 蛇 行 して 東 流 し 古 国 府 付 近 から 北 流 して 別 府 湾 に 注 ぐ 大 分 川 支 流 のひとつである 七 瀬 川 は 豊 後 大 野 市 付 近 の 源 流 から 野 津 原 を 経 て 光 吉 付 近 にて 本 川 に 合 流 する 大 野 川 の 源 流 は 宮 崎 県 大 分 県 の 県 境 にある 祖 母 山 に 発 し 大 分 市 域 では 北 流 し 別 府 湾 に 至 る つるさき 高 崎 山 から 東 に 延 びる 上 野 台 地 大 野 川 と 大 分 川 に 挟 まれた 鶴 崎 台 地 大 野 川 右 に う 岸 の 丹 生 台 地 は 標 高 200m 以 下 の 丘 陵 地 及 び 台 地 で 農 地 里 山 から 住 宅 地 や 工 業 地 帯 に 変 貌 しつつある 下 流 域 は 大 分 川 と 大 野 川 によって 形 成 された 大 分 平 野 が 広 がっている 海 岸 部 においては 北 部 沿 岸 海 域 は 水 深 が 深 く 東 部 沿 岸 は 豊 予 海 峡 に 面 したリ アス 式 海 岸 で いずれも 天 然 の 良 港 となっている 図 2-3 大 分 市 地 勢 図 16
大友氏遺跡は 大分川左岸に形成された自然堤防上に立地し 現在の標高は約 4.0 6.0mを測る この自然堤防を構成する堆積土層は 2.0 4.0m程の厚さがあり 下位の砂層からは縄文時代後期 古墳時代前期の土器が 上位の層からは 8 世紀頃 の遺物が出土していることから 縄文時代 古代にかけて形成されたと考えられる ②地質 市域の表層地質の分布についてみると 佐賀関山地の変成岩類 大野山地の古生 層 高崎山山地一帯の火山岩類に分けられ これらの縁辺に第三紀層や洪積砂礫層 河川沿いの段丘堆積物や沖積層などが分布する構成となっている 地層の古い順に 時代未詳の超塩基性岩 ジュラ紀の三波川変成岩類 朝地変成 岩類 野津原古生層 前期白亜紀の花崗岩類 後期白亜紀の大野川層群 新第三 紀の大野火山岩類 新第三紀から第四紀にかけての碩南層群 第四紀の大分層群や 火山岩類などがある なお 大分層群を被覆するように また大野川 大分川 七瀬川流域に沿って阿 蘇 3 火砕流堆積物 阿蘇 4 火砕流堆積物が広範囲に堆積している 大友氏館跡にて検出された庭園に配された景石のうち 凝灰岩については 大分 りょう ご あ そ よ う け つ ぎょうかいがん 市 永 興 付近で産出される上記の火砕流堆積物起源となる阿蘇熔結 凝 灰 岩 である き せ き あんざんがん また 輝石 安山岩 については 大分川水系の由布市狭間町を流れる石城川で産出さ れたものと推測されている 図 2-4 大分市地質図 出典 大分市地域防災計画 資料編 17 大分市地質図を一部改変
2 植 生 大分市の植生は 南部の山地 丘陵地ではスギ ヒノキ林 クヌギ コナラ林な どの植栽林が大半を占めている 柞原八幡宮 西寒多神社などでは コジイやイチ イガシが優占する社寺林がみられるほか 本宮山山頂にもアカガシ林が分布するな ど比較的自然林の状態で残されているところもある 一方 市街地内の緑には 都市公園や河川 教育施設などの公共の緑地や社寺境 内地などの民間の緑地がある 大友氏遺跡は 現状における植生はわずかであり 旧万寿寺地区の一部には畑が 推定御蔵場跡の一部には水田耕作が行われている また 上原館跡については 館内部は宅地化されているが 北西部の張り出し部は 現在山林となっており クスノキ カシ類の樹木が成長して密生している 大友氏遺跡 図 2-5 大分市植生図 出典 第6回環境省自然環境保全基礎調査植生調査 18
3. 社 会 的 環 境 (1) 交 通 1 広 域 的 な 交 通 網 大 分 市 は 東 九 州 最 大 となる 47 万 人 の 人 口 を 要 する 中 核 都 市 であり 同 時 に 大 分 臨 海 工 業 地 帯 に 代 表 される 産 業 都 市 である 日 本 の 九 州 の 東 端 東 九 州 軸 の 北 部 瀬 戸 内 海 の 西 端 に 位 置 し 大 分 県 の 扇 状 県 域 の 要 として 南 は 臼 杵 市 及 び 豊 後 大 野 市 西 は 別 府 市 由 布 市 及 び 竹 田 市 に 接 し 九 州 でも 有 数 の 広 い 市 域 を 有 している このため 大 分 市 は 陸 海 の 広 域 交 通 拠 点 となっており 九 州 西 日 本 各 地 から 東 九 州 への 玄 関 としての 役 割 を 担 っている 陸 路 としては 大 分 自 動 車 道 や 東 九 州 自 動 車 道 が 鉄 道 では 大 分 駅 を 起 点 とす るJR 在 来 線 ( 日 豊 本 線 豊 肥 本 線 久 大 本 線 )が 整 備 され 宮 崎 熊 本 福 岡 へ のルートを 形 成 している 海 路 は 大 分 市 から 神 戸 三 崎 ( 愛 媛 県 ) 大 阪 を 発 着 するフェリーがあり 瀬 戸 内 海 を 介 した 人 物 の 移 動 が 活 発 に 行 われている なお 空 路 は 国 東 市 にある 大 分 空 港 を 利 用 して 東 京 ( 羽 田 ) 大 阪 ( 伊 丹 ) 名 古 屋 ( 中 部 国 際 )からの 路 線 が 就 航 しており 大 分 空 港 から 市 内 まではバスで 1 時 間 ほどの 距 離 となる 図 2-6 大 分 市 への 交 通 網 図 19
②大友氏遺跡周辺の交通網 JR大分駅から東に約 1.0 の地点に所在する大友氏館跡は 徒歩約 15 分とア クセス性が極めて高い 駅から大友氏館跡までは JR高架側道がメインとなる 現在側道の一部については整備構想中であるが 主に歩行者と自転車利用者による 通路が予定されており 遺跡までの導入路としての活用が期待される また 大分 駅からは路線バスが利用できる 最寄の停留所は 大友氏館跡は 顕徳町 バス停 旧万寿寺地区は 東元町 バス停 上原館跡は 上野 バス停である 大分市中心部へは 大分自動車道大分インターチェンジより庄の原佐野線を経由 して車で約 10 分以内の距離にあるが 今後東九州自動車道の全面開通 平成 28 年 度予定 により 県外からの車による大友氏遺跡への来訪が容易になると予想され る 交通アクセスの観点から観光地としてのポテンシャルは高いと考えられるが 駐車場については 現状において旧万寿寺地区東側の大分川河川敷等に臨時駐車場 が確保されているのみであることから 利便性の改善や駐車台数の確保が課題とな る 図 2-7 大友氏遺跡周辺の交通網図 20
2 中心市街地の歴史文化関連施設 大友氏遺跡が位置する中心市街地には 多くの人で賑わう大分駅 JRおおいた シティ 商店街などの本市の拠点となる商業施設のほか 大分県立美術館や大分市 立美術館 アートプラザのような芸術文化施設 ホルトホールやコンパルホール 大分県総合文化センターといった複合文化施設などが数多く立地している また 府内城址公園 県 市指定文化財府内城址 とその周辺には 近世城下町の都市区 画が現在の中心市街地の道路や地割りに継承されており 大分市中心部に残る唯一 の洋館である大分銀行赤レンガ館 登録有形文化財 もその中に含まれている 大友氏遺跡は これらの中心市街地に点在する歴史文化施設や近世府内城と連携 した公開活用が期待される環境にある 図 2-8 中心市街地における大友氏遺跡の位置図 21
(3) 法 規 制 の 設 定 状 況 大 友 氏 遺 跡 とその 周 辺 の 法 規 制 の 設 定 状 況 を 整 理 する 規 制 区 域 担 当 課 概 要 文 化 財 保 護 法 に 基 づく 埋 蔵 文 化 財 包 蔵 地 ( 図 2-9) 都 市 計 画 法 第 11 条 に 基 づく 都 市 施 設 大 友 氏 遺 跡 歴 史 公 園 ( 図 2-10) 都 市 計 画 法 第 8 条 に 基 づく 地 域 地 区 ( 図 2-10) 建 築 物 における 駐 車 施 設 の 附 置 等 に 関 する 条 例 に 基 づく 駐 車 場 附 置 義 務 地 域 ( 図 2-11) 自 転 車 等 の 放 置 の 防 止 等 に 関 する 条 例 に 基 づく 駐 輪 場 附 置 義 務 地 域 ( 図 2-11) 景 観 法 ( 大 分 市 景 観 計 画 )に 基 づく 行 為 の 制 限 文 化 財 課 都 市 計 画 課 都 市 計 画 課 都 市 計 画 課 都 市 計 画 課 都 市 計 画 課 工 事 予 定 地 が 周 知 の 埋 蔵 文 化 財 包 蔵 地 にある 場 合 は 届 出 ( 文 化 財 保 護 法 93 条 )が 必 要 である 中 世 大 友 府 内 町 跡 は 埋 蔵 文 化 財 包 蔵 地 であり 保 護 と 開 発 事 業 との 調 和 を 図 り 適 正 な 発 掘 調 査 の 実 施 と 遺 構 遺 物 の 公 開 活 用 に 努 めるものである 平 成 24 年 3 月 時 点 で 17.5ha が 都 市 公 園 として 決 定 し ている 用 途 地 域 大 友 氏 遺 跡 歴 史 公 園 は 近 隣 商 業 地 域 第 1 種 住 居 地 域 準 工 業 地 域 に 該 当 する 防 火 地 区 準 防 火 地 区 大 友 氏 遺 跡 歴 史 公 園 には 準 防 火 地 区 が 含 まれる 特 別 用 途 地 区 旧 万 寿 寺 地 区 は 大 規 模 集 客 施 設 制 限 地 区 である 大 分 都 市 計 画 区 域 内 の 準 工 業 地 域 の 全 部 を 特 別 用 途 地 区 と して 指 定 し 大 規 模 集 客 施 設 制 限 地 区 において 床 面 積 の 合 計 が 一 万 平 方 メートルを 超 える 集 客 施 設 の 建 築 を 制 限 ( 大 分 市 特 別 用 途 地 区 建 築 条 例 : 平 成 20 年 5 月 2 日 施 行 ) 駐 車 場 の 必 要 性 が 高 い 商 業 地 等 において 一 定 規 模 を 超 える 建 築 物 の 新 築 増 築 及 び 用 途 の 変 更 を 行 う 場 合 は 駐 車 施 設 を 設 置 する 商 業 地 域 及 び 近 隣 商 業 地 域 等 の 指 定 区 域 内 において 規 定 する 規 模 を 超 える 建 築 物 の 新 築 増 築 を 行 う 場 合 は 自 転 車 等 駐 車 場 を 設 置 する 市 全 域 を 景 観 計 画 区 域 に 設 定 している 市 街 化 区 域 における 行 為 の 制 限 の 例 として 建 築 行 為 は 高 さ 20m 以 上 又 は 延 床 面 積 3,000 m2 以 上 を 届 出 の 対 象 としている 屋 外 広 告 物 条 例 ( 図 2-12) 都 市 計 画 課 禁 止 地 域 広 告 物 を 表 示 し 又 は 掲 出 物 件 を 設 置 してはならない 地 域 であり 文 化 財 指 定 範 囲 都 市 計 画 に 定 めた 地 域 地 区 の 一 部 あるいは 都 市 公 園 等 を 対 象 に 設 定 されている 許 可 地 域 禁 止 地 域 以 外 は 第 1 種 許 可 地 域 第 2 種 許 可 区 域 特 別 規 制 地 区 ( 大 分 駅 南 地 区 )に 区 分 される その 他 区 域 鉄 道 高 架 沿 線 区 域 ( 高 架 上 区 域 ) 22
図 2-9 図 2-10 史跡 埋蔵文化財包蔵地等の設定状況 都市計画における地域地区 用途地域等 の設定状況 23
図 2-11 図 2-12 駐車場 駐輪場附置義務地域の設定状況 屋外広告物条例関連の地域 地区等設定状況 24
(4) 上 位 関 連 計 画 における 大 友 氏 遺 跡 の 保 存 活 用 ( 整 備 )の 位 置 づけ 上 位 関 連 計 画 位 置 づけ 担 当 課 大 分 市 総 合 計 画 - 第 2 期 基 本 計 画 - 平 成 23 年 12 月 策 定 目 標 年 次 : 平 成 28 年 度 第 2 部 思 いやる 豊 かな 心 と 生 きがいをはぐくむまち づくり( 教 育 文 化 の 振 興 ) 第 2 章 個 性 豊 かな 文 化 の 創 造 と 発 信 基 本 方 針 地 域 の 歴 史 や 文 化 財 の 特 性 をいかした 文 化 の 薫 るまちづくりを 進 めます また うるおい とやすらぎのある 市 民 生 活 を 実 現 するため 市 民 の 主 体 的 で 創 造 性 あふれる 文 化 活 動 の 振 興 を 図 るとと もに 地 域 に 受 け 継 がれてきた 文 化 文 化 財 の 調 和 のとれた 保 護 保 存 活 用 を 図 り 地 域 文 化 の 創 造 と 発 信 を 行 います 企 画 課 教 育 文 化 の 振 興 において 文 化 財 保 護 に 関 す る 基 本 方 針 や 取 組 を 示 している このほか 魅 力 あ る 観 光 の 振 興 都 市 基 盤 の 整 備 においても 地 域 の 歴 史 文 化 を 活 かす 方 向 性 を 示 している 大 分 市 教 育 ビジョン - 第 Ⅱ 期 基 本 計 画 - 平 成 24 年 3 月 策 定 目 標 年 次 : 平 成 28 年 度 4 文 化 財 の 保 護 保 存 活 用 大 友 氏 遺 跡 関 連 のみ 抽 出 地 域 住 民 や 市 民 との 協 働 で ( 仮 称 ) 大 友 氏 館 跡 歴 史 公 園 の 整 備 計 画 の 策 定 を 進 める おおいた 応 援 隊 大 友 歴 史 保 存 会 等 の 市 民 ボランテ ィア 組 織 と 連 携 し 大 友 宗 麟 公 の 偉 業 の 顕 彰 や 大 友 氏 遺 跡 の 情 報 発 信 などソフト 事 業 を 積 極 的 に 展 開 する 大 友 氏 遺 跡 を 新 たな おおいたブランド として 継 承 していくため 冊 子 や 絵 本 などによる 周 知 活 動 を 推 進 する 大 友 氏 遺 跡 の 歴 史 的 特 性 を 踏 まえた 個 性 的 な 整 備 活 用 ソフト 事 業 の 充 実 を 図 り 本 市 の 観 光 メニュー の 中 に 組 み 込 むことで 観 光 地 域 産 業 との 連 携 を 検 討 する 大 友 氏 遺 跡 体 験 学 習 館 での 大 友 氏 や 大 友 氏 遺 跡 の 紹 介 出 土 遺 物 の 公 開 展 示 体 験 発 掘 など 学 習 交 流 活 動 の 場 の 積 極 的 な 提 供 に 努 める 教 育 委 員 会 大 友 氏 遺 跡 の 整 備 活 用 の 具 体 的 な 取 組 が 記 載 され ており 多 面 的 な 方 向 性 が 明 確 に 位 置 づけられてい る 上 記 のほか 文 化 財 に 関 する 情 報 提 供 機 能 の 充 実 に 関 して 発 掘 調 査 報 告 書 の 刊 行 遺 跡 説 明 会 やホ ームページの 活 用 などは 大 友 氏 遺 跡 においても 求 められる 25
上 位 関 連 計 画 位 置 づけ 担 当 課 大 分 市 都 市 計 画 マスタープラン 平 成 23 年 3 月 策 定 都 市 環 境 景 観 形 成 の 基 本 方 針 歴 史 と 文 化 を 活 かした 個 性 ある 空 間 づくり : 府 内 城 址 や 大 友 氏 遺 跡 などの 史 跡 や 歴 史 的 資 源 の 適 切 な 保 存 管 理 に 努 めるとともに それらの 活 用 を 図 る 大 分 市 のシンボルとなる 景 観 づくり : 大 友 氏 遺 跡 などの 大 分 市 のシンボル となるべき 景 観 につい ては 重 点 的 に 保 全 形 成 を 図 る 中 心 市 街 地 のまちづくり 方 針 元 町 周 辺 地 区 では 大 友 氏 遺 跡 を 活 用 し 地 域 再 生 につながる 歴 史 文 化 観 光 施 設 の 整 備 を 図 る 旧 万 寿 寺 跡 では 市 民 や 観 光 客 が 歴 史 や 文 化 に 身 近 にふれあえる 交 流 空 間 の 整 備 を 推 進 する 都 市 計 画 課 大 分 市 景 観 計 画 平 成 18 年 9 月 策 定 平 成 21 年 4 月 改 正 大 分 市 緑 の 基 本 計 画 平 成 12 年 5 月 策 定 平 成 21 年 6 月 改 正 都 市 のアイデンティティの 形 成 歴 史 文 化 観 光 拠 点 の 形 成 として 大 友 氏 遺 跡 の 保 存 整 備 活 用 を 位 置 づけている 景 観 形 成 の 方 針 市 のシンボルとなる 景 観 づくり : 歴 史 的 な 遺 構 や 史 跡 と 周 辺 の 街 並 み 固 有 の 地 勢 から 形 成 される 景 観 など 本 市 の 顔 となるべき 景 観 について 重 点 的 な 保 全 形 成 に 取 り 組 みます 特 に 都 心 部 における 公 共 施 設 整 備 や 大 規 模 開 発 においては 積 極 的 な 緑 化 を 誘 導 し 都 心 部 に 不 足 する 緑 量 の 確 保 を 図 りま す 市 のシンボルとなりうる 地 域 として また 都 心 部 に おける 緑 地 として 重 点 的 な 景 観 形 成 が 求 められて いる 大 分 駅 を 中 心 とする 中 心 市 街 地 を 緑 化 重 点 地 区 に 定 めており その 中 で 大 友 氏 館 跡 歴 史 公 園 周 辺 は 緑 の 拠 点 と 位 置 づけている 大 友 氏 館 跡 や 旧 万 寿 寺 跡 など 公 園 と 道 路 空 間 を 活 用 した 緑 化 を 推 進 し 歴 史 資 源 と 一 体 になった 緑 豊 かな 環 境 を 創 造 する 新 たな 公 園 として 大 友 氏 館 跡 歴 史 公 園 の 整 備 を 推 進 する 大 分 地 区 の 緑 の 配 置 方 針 : 旧 万 寿 寺 跡 周 辺 地 区 は 歴 史 文 化 自 然 を 活 かした 市 民 の 活 動 拠 点 と 位 置 付 け 大 分 川 河 川 敷 と 併 せて 歴 史 的 環 境 や 景 観 に 配 慮 した 緑 化 を 推 進 する 新 たな 緑 の 拠 点 を 形 成 する 歴 史 公 園 として 先 導 的 な 整 備 が 求 められている 都 市 計 画 課 公 園 緑 地 課 26
上 位 関 連 計 画 位 置 づけ 担 当 課 大 分 市 生 涯 学 習 推 進 計 画 ( 第 二 次 ) 平 成 23 年 3 月 策 定 目 標 年 次 : 平 成 28 年 度 学 習 機 会 や 内 容 の 充 実 として 大 友 氏 遺 跡 体 験 学 習 館 での 子 どもを 対 象 とした 学 習 機 会 の 提 供 民 間 団 体 等 との 連 携 によるイベント 開 催 市 民 の 自 主 的 活 動 の 支 援 と 促 進 につながる 教 室 講 座 の 創 出 を 挙 げている 具 体 的 な 実 施 事 業 には 大 友 氏 遺 跡 体 験 学 習 館 にお ける 歴 史 教 室 体 験 工 房 南 蛮 かぼちゃ 苗 植 え 祭 収 穫 祭 大 友 氏 遺 跡 フェスタイベント 大 友 氏 遺 跡 検 定 文 化 財 ボランティアの 育 成 などがある 大 友 氏 遺 跡 体 験 学 習 館 を 核 とした 各 種 事 業 が 多 数 企 画 実 行 されており 生 涯 学 習 の 観 点 から 大 友 氏 遺 跡 の 活 用 の 方 向 性 を 明 確 に 位 置 づけている 教 育 委 員 会 大 分 市 観 光 振 興 計 画 平 成 20 年 策 定 歴 史 の 活 用 : 大 友 氏 遺 跡 や 宗 麟 が 取 り 入 れた 西 洋 文 化 といった 大 分 市 特 有 の 歴 史 を 活 用 して テーマご とに 歴 史 を 訪 ねるルートづくりなどハードとソフト の 両 面 から 整 備 を 進 める 大 分 駅 を 中 心 とした 市 街 地 の 観 光 コースに 加 え 街 中 に 点 在 する 彫 刻 などのテーマ 別 コースづくりや 大 分 駅 高 架 大 友 氏 遺 跡 事 業 などの 進 捗 状 況 に 合 わせ た 街 中 観 光 の 開 発 に 取 り 組 む 大 友 氏 遺 跡 の 整 備 事 業 は 観 光 資 源 の 魅 力 向 上 ( 歴 史 の 活 用 街 中 観 光 の 開 発 )のための 具 体 的 施 策 と して 位 置 づけられている 観 光 課 史 跡 大 友 氏 遺 跡 保 存 管 理 計 画 平 成 25 年 策 定 遺 跡 の 特 性 である 大 友 氏 400 年 の 拠 点 中 世 を 文 化 財 課 代 表 する 守 護 館 の 典 型 地 方 最 大 級 の 禅 宗 寺 院 跡 南 蛮 文 化 発 祥 都 市 の 地 国 際 貿 易 都 市 遺 跡 機 能 分 化 した 城 館 を 将 来 にわたって 守 り 伝 える ことを 基 本 的 な 考 え 方 として 定 めた 保 存 管 理 計 画 で あり これからの 史 跡 管 理 の 指 針 とする 基 本 方 針 史 跡 の 追 加 指 定 と 史 跡 の 本 質 的 価 値 を 構 成 する 諸 要 素 の 確 実 な 保 存 学 術 調 査 を 計 画 的 に 実 施 し 破 損 や 修 理 を 有 する 場 合 は 速 やかに 保 存 の 措 置 を 講 じる 歴 史 公 園 としての 公 開 に 取 り 組 む 史 跡 地 内 外 の 景 観 保 全 形 成 を 推 進 する 関 係 諸 機 関 との 連 携 調 整 による 史 跡 の 価 値 の 伝 達 史 跡 の 関 係 者 間 による 円 滑 な 保 存 管 理 体 制 づくり 27
(5) 大 友 氏 遺 跡 の 保 存 活 用 関 連 事 業 事 業 名 目 的 担 当 課 大 友 宗 麟 プロモーション 事 業 平 成 24 年 度 検 討 委 員 会 大 友 宗 麟 や 南 蛮 文 化 大 友 氏 遺 跡 を 市 長 室 核 とした 歴 史 文 化 観 光 拠 点 を 観 光 振 広 聴 広 報 課 興 や 地 域 振 興 に 活 かし 大 分 市 の 顔 観 光 課 として 全 国 に 発 信 するための 戦 略 を 文 化 財 課 検 討 する 市 民 から 事 業 の 企 画 提 案 を 募 集 し これまで 大 友 宗 麟 や 南 蛮 文 化 にち なんだ 食 や 音 楽 のイベントや 演 劇 カ ルタ 作 成 等 市 民 の 視 点 からの 多 様 な 取 り 組 みが 行 われている 平 成 27 年 度 は 6 つの 事 業 が 実 施 中 である 事 業 名 目 的 担 当 課 等 キリシタン 南 蛮 文 化 交 流 協 定 協 議 会 事 業 平 成 26 年 2 月 発 足 平 成 27 年 4 月 1 日 由 布 市 加 入 大 友 宗 麟 やキリシタン 南 蛮 文 化 に ゆかりのある 自 治 体 が 連 携 協 力 を 図 り 情 報 や 人 的 交 流 を 組 織 的 に 展 開 す ることにより 地 域 に 残 る 文 化 遺 産 を より 広 く 周 知 させ それぞれの 市 町 の まちづくりの 推 進 及 び 地 域 振 興 観 光 振 興 の 活 性 化 につなげることを 目 的 に 設 立 平 成 27 年 度 の 主 な 事 業 JR 九 州 とのウォーキングイベント の 共 同 開 催 や JR の 一 大 イベントで あるデスティネーションキャンペー ンに 併 せたキリシタン 南 蛮 文 化 遺 産 を 巡 るガイドツアー 7 市 町 村 の 歴 史 文 化 遺 産 を 紹 介 するガイドマップ の 作 成 Facebook によるキリシタ ン 南 蛮 文 化 の 情 報 発 信 を 計 画 し 実 施 中 である [ 担 当 課 ] 観 光 課 文 化 財 課 [ 構 成 団 体 ] 国 東 市 日 出 町 大 分 市 臼 杵 市 津 久 見 市 竹 田 市 由 布 市 [オブザーバー] JR 九 州 大 分 支 社 キリシタン 南 蛮 文 化 交 流 協 定 協 議 会 会 議 風 景 28