現 在 お 台 場 の 基 幹 路 線 として また 通 勤 通 学 路 線 としても 活 躍 している[ 海 01]( 門 前 仲 町 ~ 東 京 テレポート 駅 東 京 ビッグサイト) 元 々はレジャー 路 線 として 誕 生 した 系 統 ( 高 速 道 経 由 の 項 を 参 照 )で 本 数 も 少 なかったが [ 門 19]グループを 吸 収 して 平 日 昼 間 でも 10 分 間 隔 という 基 幹 路 線 へと 成 長 していった ここでは まだお 台 場 の 開 発 が 影 も 形 もなかった 前 身 の 時 代 から 開 発 とともに 路 線 を 拡 大 してきた[ 海 01]の 歴 史 を 追 うことにする 有 明 に 最 初 にバスが 通 ったのは 昭 和 39 年 1 月 のことである 長 らく 東 雲 都 橋 を 終 点 としていた [19]( 東 京 駅 南 口 ~ 東 雲 都 橋 後 の[ 東 19] [ 門 19])が 延 長 され 有 明 町 一 丁 目 二 丁 目 三 丁 目 四 丁 目 の4 停 留 所 が 増 設 された 終 点 の 有 明 橋 四 丁 目 は 現 在 の 有 明 テニスの 森 交 叉 点 から 少 しお 台 場 へと 進 んだ 有 明 スポーツセンターの 前 に 終 点 が 設 けられた 道 路 自 体 は 戦 前 からあったようだ が バスが 通 ったのはこのときが 初 めてである 昭 和 44 年 頃 には 住 居 表 示 に 伴 い 有 明 町 一 丁 目 有 明 貯 木 場 有 明 町 二 丁 目 有 明 二 丁 目 有 明 町 三 丁 目 有 明 中 央 有 明 町 四 丁 目 新 都 橋 へとそれぞれ 改 称 された 貯 木 場 はともかくとして 有 明 中 央 はつけた 意 義 が 不 明 である 終 点 の 新 都 橋 は R357 の 北 側 ( 新 木 場 方 面 )に 架 かる 橋 の 名 前 である 終 点 からは 多 少 離 れて いるが 適 当 な 名 前 がそれくらいしかなかったのだろう 昭 和 44 年 1 月 の 路 線 図 ( 点 線 はりんかい 線 破 線 はゆりかもめ) 昭 和 49 年 7 月 十 三 号 埋 立 地 ( 現 品 川 区 東 八 潮 )に 船 の 科 学 館 が 開 館 する 実 物 の 船 を 展 示 す るなど 海 事 に 関 する 本 格 的 な 展 示 が 行 われる 博 物 館 であった ほぼ 同 時 の 昭 和 49 年 6 月 に[ 東 19 丁 ] 門 前 仲 町 ~ 新 都 橋 ~ 海 上 公 園 が 開 通 し この 科 学 館 のアクセスにあたった 現 在 のお 台 場 とは 違 い 回 りには 何 もなく しかもアクセスは 門 前 仲 町 側 からのみ( 首 都 高 湾 岸 線 の 大 井 Jct~13 号 地 出 入 口 が 開 通 するのは 昭 和 51 年 8 月 )と まさに 陸 の 孤 島 と 呼 ぶにふさわしい 場 所 であった 59
開 通 と 同 時 に 新 都 橋 から 有 明 橋 停 留 所 に 改 称 された 有 明 橋 は 新 都 橋 の 反 対 側 R357 の 大 井 方 面 に 架 かる 橋 の 名 前 である しかしながら 改 称 した 理 由 はさらに 不 明 である 新 都 橋 から 先 の 経 路 であるが 図 を 見 ても 分 かる 通 り 今 とは 全 く 違 う 経 路 である まず 有 明 橋 を 出 た 後 は 現 在 の 有 明 清 掃 工 場 やスポーツセンターの 敷 地 内 を 運 河 に 沿 って 仮 道 が 存 在 し 作 りかけの R357 へと 接 続 されていた また 当 時 の 地 図 を 見 る 限 り R357 はこの 時 点 では 現 在 の 東 京 テレポート 駅 上 に 架 かる 巨 大 歩 道 橋 までしか 完 成 しておらず そこからは 斜 めに 突 っ 切 る 仮 設 道 路 を 経 て 船 の 科 学 館 へと 達 してい た ちょうど 今 の 東 京 テレポート 駅 を 突 っ 切 る 形 だが これらの 道 路 は 今 は 影 も 形 もない 途 中 には 建 材 埠 頭 入 口 停 留 所 が 新 設 された( 門 前 仲 町 方 面 のみ) 今 建 材 埠 頭 と 言 うと 若 洲 か 城 南 島 のことを 指 すが 当 時 は 青 海 埠 頭 のことをそう 呼 んでいたのかもしれない 昭 和 50 年 1 月 の 路 線 図 終 点 停 留 所 だが 名 前 は 海 上 公 園 になった 海 上 公 園 は 一 般 名 詞 で ここ 以 外 にも 東 京 湾 の あちこちに 存 在 するが 船 の 科 学 館 停 留 所 にならなかったのが 不 思 議 である そして2 年 後 昭 和 51 年 8 月 にお 台 場 の 部 分 の R357 が 完 成 し [ 東 19 丁 ]は R357 経 由 に 変 更 され 建 材 埠 頭 入 口 は 両 方 向 停 車 になり 従 来 の 仮 道 は 程 なくして 閉 鎖 された 昭 和 54 年 の 時 点 では 既 に 跡 形 もなくなっている R357 をまっすぐ 進 んで 突 き 当 たりの 潮 風 公 園 を 左 折 し 海 上 公 園 終 点 となるように 変 更 された 直 後 の 10 月 に[ 東 19]グループは 全 て 門 前 仲 町 発 着 に 短 縮 され [ 門 19]に 変 更 された 60
さらに 昭 和 53 年 に 現 在 のお 台 場 で 宇 宙 博 覧 会 が 開 催 され 品 川 駅 東 口 ~ 海 上 公 園 に 臨 時 バスが 走 った これが[ 海 01]の 始 まりである 詳 しくは 首 都 高 経 由 の 路 線 の 項 を 参 照 されたいが これが 昭 和 54 年 1 月 に 定 期 化 されて[ 海 01]が 走 り 始 めた お 台 場 には 新 たに 13 号 地 海 底 トンネル 入 口 停 留 所 が 新 設 された 首 都 高 から 出 るときは Uターンして R357 に 入 り 13 号 地 海 底 トンネ ル 入 口 に 停 車 入 るときも R357 からUターンという 経 路 をとっている また 昭 和 50 年 代 前 半 には[ 門 19 甲 ]( 門 前 仲 町 ~ 有 明 橋 )が 有 明 終 点 まで 延 長 された 有 明 橋 から 右 折 し 倉 庫 街 の 行 き 止 まりの 路 地 に 終 点 が 設 置 された 当 時 の 周 囲 にある 施 設 は 晴 海 ゴ ルフセンター( 後 の 東 京 スポーツセンター 平 成 11 年 閉 鎖 )くらいであった 昭 和 56 年 12 月 の 路 線 図 かつての 有 明 終 点 ( 目 ) [ 海 01]に 変 化 が 訪 れたのは 昭 和 57 年 12 月 の 改 編 のときである 路 線 廃 止 や 短 縮 が 多 い 中 で [ 門 19 丁 ]を 統 合 して 門 前 仲 町 ~ 海 上 公 園 ~ 品 川 駅 東 口 という 路 線 に 拡 張 された もっとも ルート 自 体 には 変 更 はなく 海 上 公 園 の 行 きと 帰 りで 13 号 地 海 底 トンネルに2 回 停 車 するようになった 同 時 期 に 建 材 埠 頭 入 口 は お 台 場 海 浜 公 園 入 口 に 改 称 された 昭 和 58 年 7 月 には 深 川 営 業 所 が 参 入 して 2 営 業 所 体 制 になった 昭 和 62 年 3 月 には 現 在 の 有 明 一 丁 目 からフェリー 埠 頭 入 口 へと 抜 ける 道 路 に 経 路 を 変 更 し 61
有 明 橋 停 留 所 は[ 門 19 甲 ]のみ 停 車 の 停 留 所 となった 同 時 期 に[ 海 01]での 有 明 終 点 方 面 へのアク セスとして 有 明 一 丁 目 停 留 所 が 新 設 されたほか 存 在 自 体 がバブル 期 を 思 い 出 させるエムザ 有 明 ( 現 格 闘 技 場 ディファ 有 明 有 明 コロシアム 停 留 所 ) 停 留 所 があったのも 懐 かしい 平 成 元 年 4 月 の 路 線 図 昭 和 63 年 6 月 の 有 楽 町 線 新 木 場 延 伸 改 編 では 一 気 に 深 川 営 業 所 の 受 け 持 ち 分 が 増 え 品 川 駅 東 口 ~ 有 明 テニスの 森 深 川 車 庫 等 の 枝 系 統 が 誕 生 し バリエーションが 一 気 に 豊 になった また 朝 夕 のみの 限 られた 本 数 ではあるが[ 海 01 乙 ] 門 前 仲 町 ~ 青 海 流 通 センターが 新 設 一 気 に 青 海 埠 頭 の 先 まで 路 線 が 達 した 現 在 のテレコムセンター 駅 付 近 では[ 海 01 乙 ]は 坂 を 上 り 台 場 大 橋 という 名 の 橋 を 渡 っていた 現 在 では 埋 め 立 ても 完 了 し 橋 も 痕 跡 もなく 消 えてしまったため かつて 橋 が あったことを 知 る 人 は 少 ない また この 改 編 と 同 時 期 に 現 在 の 有 明 クリーンセンター 停 留 所 の 位 置 に フェリー 埠 頭 入 口 停 留 所 が 新 設 された 位 置 の 関 係 で 片 方 向 のみである [ 海 02]( 新 木 場 駅 ~フェリー 埠 頭 )にも 同 名 の 停 留 所 が 開 設 されたが 双 方 の 位 置 がかなり 離 れているのは 気 にされなかったようだ 品 川 駅 東 口 発 S62.7 現 在 全 日 6 30 50 7 10 30 50 8 10 35 9 00 25 50 10 15 45 11 15 40 12 05 30 55 13 20 14 00 35 15 05 35 16 05 35 17 00 45 18 30 19 20 50 テ 21 無 印 門 前 仲 町 テ 有 明 テニスの 森 お 台 場 の 開 発 の 起 爆 剤 と 期 待 されていた 都 市 博 が 開 催 決 定 され 少 しずつお 台 場 も 開 発 が 進 んで 62
きた 新 交 通 ゆりかもめ と 第 三 セクター りんかい 線 が 営 業 に 向 けて 建 設 が 進 む 中 で [ 海 01]は 海 上 公 園 付 近 で 経 路 変 更 を 行 った 図 のように 一 方 向 循 環 にするというもので 13 号 地 海 底 トンネル 入 口 停 留 所 は 現 在 の 東 京 テレポート 駅 入 口 付 近 に 移 設 された 平 成 に 入 ってから 昼 間 は 品 川 駅 東 口 ~ 有 明 テニスの 森 門 前 仲 町 ~ 海 上 公 園 という 折 り 返 し 運 転 が 多 くなり 通 し 便 の 運 転 は1 時 間 に1 本 程 度 になっていたのが 興 味 深 い 特 に 休 日 は 行 楽 対 応 か 本 数 も 多 かったが 折 返 便 の 割 合 も 多 かった 実 際 の 旅 客 流 動 に 合 わせたものだったと 思 われる 平 成 6 年 10 月 の 路 線 図 品 川 駅 東 口 発 H6.4.1 改 正 平 日 休 日 6 30* 50 30* 7 10 30 50 05* 30 50 8 10 35 10 35テ 9 00 20 50 00 15テ* 40 58 深 10 25 20 深 35テ* 50 11 00テ* 40 15テ* 35 45テ* 55テ* 12 00テ* 25 45テ* 05 19テ* 35 45テ* 58テ* 13 10 45テ* 10 24テ* 38テ* 14 00 10テ* 30テ* 00 深 20テ* 29 53テ* 15 05テ* 20 32テ* 20 33テ* 57テ* 16 25 55* 20 46テ* 17 35 10* 40 18 15 深 30 10テ* 30 45 深 19 40 深 35テ* 55 深 20 05 海 * 30 深 30 深 21 00テ* 00テ* 無 印 門 前 仲 町 * 品 川 営 業 所 担 当 テ 有 明 テニスの 森 海 海 上 公 園 深 深 川 車 庫 平 成 7 年 4 月 に ついに[ 門 19 甲 ]は 廃 止 され 全 て[ 海 01]に 吸 収 されることとなった 有 明 終 点 有 明 橋 は 廃 止 され 新 たに[ 海 01] 門 前 仲 町 ~ 有 明 一 丁 目 という 折 返 系 統 が 新 設 された 有 明 終 点 のあったところはしばらく 駐 車 場 としてそのまま 使 われていたが その 後 は 中 古 車 販 売 場 オート メッツオ タックスお 台 場 に 化 け 今 では 面 影 はほとんどない また 同 年 10 月 には 新 交 通 ゆりかもめ( 新 橋 ~ 有 明 )の 開 業 に 合 わせ 現 在 と 同 じようなテレ コムセンター 駅 経 由 の 大 回 りに 変 更 された しかし 海 上 公 園 までノンストップというのは 相 変 わ 63
らずで テレコムセンター 駅 な どの 停 留 所 が 設 置 されるのは もう 少 し 後 のことである 平 成 8 年 3 月 に お 台 場 を 貫 通 する 鉄 道 りんかい 線 の 第 一 期 分 ( 新 木 場 ~ 東 京 テレポー ト)が 開 通 した これと 同 時 に お 台 場 では 大 規 模 な 改 編 が 行 われた [ 海 01]に 関 しても 大 きく 変 更 された 主 な 点 として は 1R357 からゆりかもめ 下 の 道 路 に 経 路 変 更 2お 台 場 地 区 への 停 留 所 増 設 3 朝 夕 を 除 き 東 京 テレポート 駅 で 路 線 を 分 断 4 東 京 テレポート 駅 をタ ーミナルとし [ 海 01 乙 ]を 東 京 テレポート 駅 発 着 に 短 縮 5 東 京 ビッグサイトの 折 返 線 を 追 加 の5 点 である 12により 海 上 公 園 は 船 の 科 学 館 に 改 称 され 他 にもテレコムセンター 駅 潮 風 公 園 入 口 台 場 駅 お 台 場 海 浜 公 園 駅 の 各 停 留 所 が 誕 生 した(フジテレビは 遅 れての 設 置 ) 経 路 は 有 明 テニスの 森 からそのまま 直 進 するよう 変 更 され こまめに 客 を 拾 うことが 可 能 となった ちなみに 元 の 有 明 橋 停 留 所 の 場 所 は 再 び 通 過 する ようになったのだが 今 度 は 停 留 所 が 新 設 される ことはなかった 平 成 7 年 10 月 の 路 線 図 R357 からは 本 線 は 撤 退 したのだが 前 述 の 門 前 仲 町 ~ 有 明 一 丁 目 の 折 返 系 統 がそのまま 東 京 テ レポート 駅 まで 延 伸 された ここで 面 白 いのは テレコムセンター 駅 経 由 にはせず 台 場 駅 を 出 る 品 川 駅 東 口 発 H8.3.30 改 正 平 日 土 曜 休 日 6 30* 50* 30* 55* 30* 7 20 35 55レ* 27 56レ* 05レ* 30 8 15 53レ* 06 45レ* 03 08レ* 41レ* 9 15* 30レ* 50 豊 08* 33レ* 20* 10 10 30 豊 15 12 25レ* 11 00* 45レ* 02* 45レ* 13* 35レ* 12 35 50レ* 28 50レ* 45レ* 56 13 45* 40* 21* 55レ* 14 05レ* 00レ* 30 15 10 15レ* 05レ* 25 56* 09* 50レ* 16 05* 20レ* 20レ* 18 50レ* 17 33 15 25 18 30* 30* 45レ* 00レ* 15 深 30* 19 15 深 05 05レ* 20 21 00レ* 00レ* 00レ* 無 印 門 前 仲 町 * 品 川 営 業 所 担 当 レ 東 京 テレポート 駅 豊 豊 洲 駅 深 深 川 車 庫 64
と 左 折 して R357 に 入 りすぐの 所 に 潮 風 公 園 入 口 を 新 設 し 停 車 フジテレビの 裏 の 13 号 地 海 底 トンネル 入 口 に 停 車 し そのまま 東 京 テレポート 駅 を 終 点 としたことである まだテレコムセン ター 駅 側 の 需 要 が 低 いと 考 えられていたのかもしれない ただし 大 井 方 面 の 13 号 地 停 留 所 は 復 活 せず 東 京 テレポート 駅 を 出 ると 次 は 潮 風 公 園 入 口 となった また 3により ダイヤも 白 紙 改 正 され 品 川 駅 東 口 側 については 大 幅 に 本 数 が 減 り 終 日 にわ たって 品 川 駅 東 口 ~ 東 京 テレポート 駅 という 運 行 が 多 くなった これは 海 底 トンネルを 渡 って 13 号 地 の 出 入 口 を 出 るとすぐに 東 京 テレポート 駅 で 終 点 となり テレコムセンター 等 を 無 視 するもの であった 船 の 科 学 館 輸 送 は 完 全 にゆりかもめに 任 せるという 意 志 か この 時 期 より 品 川 駅 東 口 ~ 豊 洲 駅 という 運 行 も 誕 生 しているのも 面 白 い 平 成 8 年 3 月 の 路 線 図 4では 同 時 に 路 線 形 態 の 変 更 が 行 われ 東 京 テレポート 駅 を 出 ると 台 場 駅 テレコムセンター 駅 を ぐるりと 回 って 青 海 流 通 センターまで 行 くようになった 東 京 テレポート 駅 ~ 台 場 駅 の 間 は この 路 線 のみが 走 ることとなった 5の 新 設 により ( 旧 )フェリー 埠 頭 入 口 停 留 所 を 発 着 する 路 線 が カバーされた さすがに 本 当 のフェリー 埠 頭 入 口 にも 停 車 するため 有 明 クリーンセンターと 改 称 された 片 方 向 なのは 相 変 わらずである 65
結 局 この 設 定 では 不 評 だったということなのか 1 年 と 少 し 経 った 平 成 9 年 7 月 に 大 幅 なテコ 入 れが 入 れられた 門 前 仲 町 ~ 東 京 テレポート 駅 の 折 返 は 本 線 と 同 じくテレコムセンターを 経 由 する ように また 品 川 駅 ~ 東 京 テレポート 駅 の 折 返 に 関 しては [ 海 01 乙 ]と 同 じように 海 底 トンネル を 出 た 後 台 場 駅 テレコムセンター 駅 東 京 テレポート 駅 と 左 回 りに 循 環 して 品 川 駅 東 口 へと 戻 る 通 称 台 場 循 環 へと 変 化 した これにより 昼 間 の 通 し 運 行 は 完 全 に 消 滅 した 平 成 10 年 3 月 の 路 線 図 これにより 長 らく 停 車 が 続 いてきた 13 号 地 海 底 ト ンネル 入 口 停 留 所 は 廃 止 された 現 在 でも フジテレビ 南 口 と 名 を 変 えて 京 急 バスが 停 車 しているが R357 上 の 潮 風 公 園 入 口 については 亡 霊 のようにバス 停 と 休 止 のお 知 らせが 残 っている 品 川 駅 東 口 発 H10.4.1 改 正 平 日 土 曜 休 日 6 30 50 30 55 30 7 20 55 30 05 台 40 8 22 35 10 31 台 55 台 10 台 14 57 台 9 05 台 23 台 43 台 26 台 45 台 23 台 10 07 55 台 48 台 09 台 11 18 台 44 台 05 台 30 台 51 台 00 台 18 台 12 28 台 54 台 10 台 38 台 05 台 31 台 13 40 台 40 台 10 台 40 台 14 10 台 45 台 12 台 49 台 17 台 52 台 15 18 台 20 台 25 台 16 05 28 台 02 25 台 00 29 台 51 台 17 21 15 12 56 台 18 30 30 30 台 19 13フ 05フ 01 20 21 00 豊 00 台 00 台 無 印 門 前 仲 町 台 台 場 循 環 ( 品 川 担 当 ) フ 深 川 車 庫 豊 豊 洲 駅 昼 間 は 双 方 で 東 京 テレポート 駅 折 り 返 しになっていた[ 海 01] いずれの 折 返 線 もテレコムセンタ ー 駅 まで 回 れるようにという 配 慮 であるが 台 場 循 環 は 路 線 設 定 に 問 題 があるのか いつ 乗 っても 客 が 少 ない 状 態 だった 結 局 この 区 間 の 需 要 を 維 持 する 必 要 はないということか 平 成 11 年 1 月 66
のダイヤ 改 正 であっけなく 台 場 循 環 は 廃 止 され 品 川 営 業 所 はついに[ 海 01]から 撤 退 した 品 川 駅 東 口 ~ 東 京 テレポート 駅 の 区 間 を 走 るのは 本 線 直 通 の 朝 夕 のみの 運 転 になってしまった その 後 も 品 川 側 は 路 線 の 縮 小 が 続 く その 間 には 企 業 送 迎 バスの 充 実 でもあったのか 平 成 13 年 3 月 限 りで[ 海 01 乙 ]が 廃 止 されるという 出 来 事 もあった [ 海 01]の 本 線 もダイヤ 改 正 のたびに 少 しずつ 本 数 が 減 っていき ついに 平 成 14 年 12 月 のりんかい 線 全 通 による 改 編 で 品 川 駅 東 口 発 着 の 系 統 は 全 廃 され 下 図 のように 相 当 シンプルな 形 態 になった これにより [ 海 01] 開 業 時 のオリジナルな 区 間 は 失 われたのだが 近 年 のゆりかもめ 豊 洲 延 伸 で も 客 足 は 思 ったよりも 衰 えず また 東 京 テレポート 駅 発 着 の 本 線 は 増 便 が 行 われている 停 留 所 も 増 設 ( 平 成 12 年 9 月 に 東 京 港 湾 合 同 庁 舎 平 成 18 年 6 月 に 日 本 科 学 未 来 館 )され 今 後 とも 基 幹 路 線 としての 活 躍 が 続 きそうだ 品 川 駅 東 口 発 H11.1.27 改 正 平 日 土 曜 休 日 6 30 50 30 55 30 7 10 深 20 50 30 40 8 22 35 深 10 53 14 9 05 27 深 20 深 00 16 15 02 00 17 21 15 12 18 30 44 深 22 深 30 21 深 30 19 13 深 05 深 20 50 深 50 深 51 深 無 印 門 前 仲 町 深 深 川 車 庫 平 成 18 年 11 月 の 路 線 図 品 川 駅 東 口 発 H13.4.1 改 正 平 日 土 曜 休 日 6 30 50 30 55 30 7 20 50 30 40 8 22 10 53 14 9 05 27 深 20 深 00 深 16 00 00 17 21 14 12 18 38 22 22 19 13 深 05 深 20 無 印 門 前 仲 町 深 深 川 車 庫 67