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埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 設 立 35 年 記 念 事 業 平 成 26 年 度 ほるたま 考 古 学 セミナー 見 えてきた!! 古 墳 時 代 の 幕 開 け- 東 松 山 市 反 町 遺 跡 を 中 心 に- 開 催 にあたり 公 益 財 団 法 人 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 では これまでに 各 種 の 埋 蔵 文 化 財 保 護 思 想 の 普 及 啓 発 事 業 を 行 ってまいりました 遺 跡 見 学 会 を 始 め 集 客 施 設 巡 回 展 示 会 ほ るたま 展 や 県 民 の 日 まいぶんフェスタ また 東 京 神 奈 川 埼 玉 の 埋 蔵 文 化 財 関 係 財 団 連 携 普 及 事 業 公 開 セミナー 公 益 財 団 法 人 群 馬 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 との 共 同 展 示 会 などは いずれも 県 民 の 皆 様 から 多 大 な 御 支 持 を 頂 戴 しております このたび 皆 様 に 私 どもの 行 ってきた 調 査 研 究 の 成 果 を 御 報 告 するとともに 郷 土 埼 玉 の 歴 史 や 文 化 に 対 する 御 理 解 をさらに 深 めていただく 機 会 として 新 たに ほるたま 考 古 学 セミナー の 開 催 を 計 画 いたしました 今 回 テーマといたしました 東 松 山 市 反 町 遺 跡 は 古 墳 時 代 前 期 の 集 落 遺 跡 として 県 内 最 大 級 であるばかりでなく 全 国 的 にも 最 古 といえる 水 晶 を 用 いた 玉 つくり 工 房 本 格 えんてい 的 な 灌 漑 施 設 である 堰 堤 日 本 各 地 の 系 譜 を 引 く 土 器 などが 発 見 されており 埼 玉 県 に おける 古 墳 時 代 の 幕 開 けを 探 る 上 で 重 要 な 遺 跡 となっております 今 回 の 企 画 が 埼 玉 の 歴 史 埋 蔵 文 化 財 に 対 する 皆 様 の 興 味 関 心 をより 高 めるととも に 広 く 当 事 業 団 の 業 務 役 割 を 知 っていただくきっかけとなれば 幸 いです 本 セミナー 開 催 にあたり 講 演 を 御 快 諾 くださいました 大 塚 初 重 先 生 を 始 め 共 催 を いただきました 埼 玉 県 教 育 委 員 会 御 協 力 いただきました 関 係 機 関 各 位 に 対 し 厚 く お 礼 申 し 上 げます 平 成 27 年 2 月 公 益 財 団 法 人 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 理 事 長 樋 田 明 男

日 時 平 成 27 年 2 月 1 日 ( 日 ) 10:00 から 場 所 熊 谷 市 立 文 化 センター 文 化 会 館 (ホール) 熊 谷 市 桜 木 町 2-33-2 主 催 公 益 財 団 法 人 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 共 催 埼 玉 県 教 育 委 員 会 10:00 ~ 10:10 開 会 挨 拶 10:10 ~ 10:20 趣 旨 説 明 開 催 日 程 10:20 ~ 11:35 特 別 講 演 東 国 の 出 現 期 古 墳 と 大 和 政 権 明 治 大 学 名 誉 教 授 大 塚 初 重 11:35 ~ 12:15 研 究 報 告 1 古 墳 青 木 弘 12:15 ~ 13:20 昼 食 休 憩 ( 展 示 見 学 ) 13:20 ~ 14:00 研 究 報 告 2 集 落 と 土 器 福 田 聖 14:00 ~ 14:40 研 究 報 告 3 灌 漑 施 設 と 木 器 矢 部 瞳 14:40 ~ 14:50 休 憩 14:50 ~ 15:30 研 究 報 告 4 玉 つくり 上 野 真 由 美 15:30 ~ 15:50 総 括 反 町 遺 跡 と 古 墳 時 代 の 幕 開 け 赤 熊 浩 一 15:50 ~ 16:00 講 評 大 塚 初 重 16:10 閉 会 反 町 遺 跡 の 位 置

特 別 講 演 東 国 の 出 現 期 古 墳 と 大 和 政 権 明 治 大 学 名 誉 教 授 大 塚 初 重 はじめに 畿 内 から 見 た 本 州 東 部 地 方 を 東 国 といった のだが その 範 囲 は 時 代 とともに 多 少 の 変 化 が あった 今 回 は 地 帯 構 造 線 (フォッサマグナ)か ら 東 方 の 地 域 関 東 地 方 までを 東 国 と 考 えたい 日 本 列 島 における 古 墳 の 出 現 年 代 については 古 く から 多 くの 議 論 があり 近 年 前 方 後 円 墳 の 出 現 をもって 古 墳 時 代 のスタートと 考 え それが 大 和 政 権 成 立 の 証 であり その 年 代 を 西 暦 3 世 紀 の 中 頃 に 設 定 するのが 一 般 的 な 考 え 方 になっている 従 来 東 国 の 古 墳 年 代 については 古 墳 文 化 発 祥 の 地 である 畿 内 から 遙 かに 遠 い 東 国 に 文 化 が 伝 播 する 経 過 時 間 が 半 世 紀 から1 世 紀 にもわたり 古 墳 年 代 を 約 1 世 紀 新 しく 見 るのが 常 識 であった が 現 在 ではその 年 代 観 は 否 定 されている 列 島 の 古 墳 出 現 年 代 現 在 ほとんどの 考 古 学 研 究 者 は 列 島 最 古 の 典 型 的 な 前 方 後 円 墳 は?と 問 われれば 奈 良 県 桜 井 市 の 箸 墓 ( 箸 中 山 ) 古 墳 と 答 えるであろう 私 も 同 感 であるが 異 論 が 全 くないわけではない 箸 墓 古 墳 を 含 む 大 和 (おおやまと) 古 墳 群 の 中 に は 崇 神 景 行 陵 をはじめ 衾 田 陵 など 宮 内 庁 管 理 の 天 皇 陵 があり 未 調 査 古 墳 の 多 いことも 事 実 である 近 年 土 器 の 型 式 学 による 編 年 とA MSなどに よる 放 射 性 炭 素 14 の 年 代 測 定 が 進 み 箸 墓 古 墳 の 築 造 年 代 を 西 暦 240 ~ 260 年 頃 とする 年 代 観 が 提 起 されている しかし この 年 代 論 が 確 定 的 であるとはいえず なお 論 争 は 続 くものと 思 われる 箸 墓 古 墳 の 年 代 が 250 年 前 後 に 落 ち 着 くとす ると 西 暦 3 世 紀 の 中 頃 は 古 墳 時 代 となり 邪 馬 台 国 の 時 代 は 弥 生 時 代 ではなく 古 墳 時 代 に 入 ること になる 3 世 紀 の 中 頃 は 大 和 政 権 の 成 立 期 ともな り 日 本 古 代 国 家 成 立 論 に 重 大 な 影 響 を 与 えるこ とになる 箸 墓 古 墳 の 登 場 する 桜 井 市 の 纒 向 地 区 には 纒 向 型 前 方 後 円 墳 とよぶ 石 塚 勝 山 矢 塚 東 田 大 塚 ホケノ 山 などの 諸 古 墳 が 分 布 している 橿 原 考 古 学 研 究 所 や 桜 井 市 の 調 査 によって この 纒 向 型 前 方 後 円 墳 は 箸 墓 古 墳 より 先 行 することが 確 実 である やや 不 整 形 の 前 方 後 円 墳 とはいえ 80 ~ 90 m 級 の 墳 丘 を 有 している 点 からも 私 は 古 墳 と して 考 えたい つまり 大 和 における 古 墳 の 出 現 年 代 は3 世 紀 前 半 にまで 遡 りうるということである 3 世 紀 前 半 から 中 頃 にかけて 畿 内 周 辺 および 瀬 戸 内 山 陰 北 陸 をはじめ 広 汎 な 地 域 で 弥 生 墳 丘 墓 が 登 場 する 倉 敷 市 楯 築 弥 生 墳 丘 墓 をはじめ 島 根 県 西 谷 墳 丘 墓 群 徳 島 県 萩 原 墳 丘 墓 兵 庫 県 綾 部 山 39 号 墓 など 多 くの 弥 生 時 代 後 期 の 墳 丘 墓 が 確 認 されている いまや 各 地 に 存 在 する 弥 生 墳 丘 墓 を 社 会 的 な 基 盤 として 地 域 的 な 特 性 を 現 出 しながら 前 方 後 円 墳 や 前 方 後 方 墳 として 各 地 に 姿 を 現 すのであろうと 思 う 古 墳 出 現 前 夜 の 土 器 の 移 動 弥 生 時 代 の 中 期 後 半 頃 からの 現 象 として 列 島 内 の 土 器 の 移 動 交 流 現 象 がある 石 野 博 信 氏 らが すでに 指 摘 しているように 纒 向 遺 跡 への 東 海 関 東 北 陸 山 陰 瀬 戸 内 地 域 の 土 器 の 到 来 が 注 目 される 弥 生 終 末 期 における 外 来 系 土 器 の 移 動 は その 背 景 に 人 物 情 報 の 激 しい 動 きを 連 想 さ せ 社 会 的 な 新 しい 胎 動 をつくり 出 すエネルギー になったのではないかと 思 う 東 国 における 土 器 の 交 流 現 象 については 西 遠 江 東 遠 江 をはじめ 東 海 地 方 や 日 本 海 沿 岸 の 北 陸 地 方 の 土 器 の 流 入 が 認 められる 最 近 ではさらに 駿 河 地 方 の 土 器 が 関 東 から 南 東 北 地 方 にまで 流 入 している 現 象 が 指 摘 されている AMS 加 速 器 質 量 分 析 (Accelerator Mass Spectrometry ) - 1 -

これまでに 神 奈 川 県 綾 瀬 市 神 崎 遺 跡 ( 環 濠 集 落 ) での 西 遠 江 の 山 中 式 土 器 の 出 土 東 京 都 新 宿 区 下 戸 塚 遺 跡 ( 環 濠 集 落 )における 東 遠 江 の 菊 川 式 土 器 の 出 土 をはじめ 埼 玉 県 東 松 山 市 反 町 遺 跡 の 調 査 では 東 海 系 北 陸 系 をはじめ 畿 内 系 などの 外 来 系 の 土 器 が 出 土 していて 注 目 されている 一 方 こうした 東 国 における 弥 生 時 代 後 期 後 半 期 から 古 墳 出 現 期 にかかる 墳 丘 墓 の 発 見 が 古 墳 出 現 論 にとって 問 題 になってくる すでに 千 葉 県 市 原 市 神 門 3 4 5 号 墳 におけ る 畿 内 東 海 系 土 器 の 出 土 と 編 年 的 な 位 置 付 けは 東 国 における 古 墳 出 現 論 に 重 要 な 問 題 提 起 となっ た 神 門 古 墳 群 はいわゆる 纒 向 型 の 前 方 後 円 形 を 呈 していることから 奈 良 県 纒 向 古 墳 群 との 関 係 がさらにつみ 重 なって 注 目 を 浴 びた つまり 畿 内 の 庄 内 式 土 器 が 示 す 同 年 代 に 東 京 湾 東 岸 の 沿 岸 地 域 に 墳 丘 墓 が 出 現 することの 意 義 が 問 題 となるの であった また 千 葉 県 木 更 津 市 の 高 部 30 号 32 号 墳 と よぶ 前 方 後 方 型 の 墳 丘 墓 が 調 査 され 東 海 系 の 土 器 とともに 破 砕 された 後 漢 鏡 が 出 土 した これら は 斜 縁 半 肉 彫 四 獣 鏡 と 斜 縁 二 神 二 獣 鏡 であって 前 期 古 墳 出 土 の 三 角 縁 神 獣 鏡 の 配 布 以 前 に 入 手 し た 鏡 と 思 われる 静 岡 県 沼 津 市 高 尾 山 古 墳 の 最 近 の 調 査 では 約 60 mの 前 方 後 方 墳 の 木 棺 直 葬 から 鉄 鏃 槍 先 鉇 勾 玉 とともに 斜 縁 半 肉 彫 獣 帯 鏡 の 破 砕 鏡 が 出 土 し 膨 大 な 量 の 葬 祭 用 の 大 廓 式 Ⅰ~Ⅳ 式 土 器 が 墳 頂 部 や 周 壕 から 発 見 され この 大 廓 式 土 器 の 分 布 が 広 く 東 北 南 部 にまで 拡 散 している 点 が 問 題 と なろう いまここに 揚 げた 千 葉 県 や 静 岡 県 の 墳 丘 墓 ( 古 墳 )のほかに 長 野 県 松 本 市 の 弘 法 山 古 墳 も 東 国 の 古 墳 出 現 期 には 問 題 となる 遺 跡 である 墳 丘 長 約 60 mの 前 方 後 方 墳 であるが 竪 穴 式 石 室 から 鉄 製 農 具 刀 剣 鉄 鏃 などと 斜 縁 二 神 二 獣 鏡 が 出 土 し 墳 頂 部 から 多 量 の 土 師 器 が 発 見 さ れた これら 数 十 個 の 土 器 は 勿 論 葬 祭 用 に 供 献 されたものであるが その 多 くが 尾 張 美 濃 地 方 に 関 係 の 濃 い 土 器 であり 赤 塚 次 郎 氏 によれば 廻 間 Ⅱ 式 土 器 に 属 するという 最 近 の 年 代 観 によれ ば3 世 紀 前 半 期 といわれている 先 述 した 沼 津 市 高 尾 山 古 墳 の 大 廓 Ⅰ 式 土 器 が 230 年 頃 と 考 えら れており 後 漢 鏡 を 伴 う 前 方 後 方 墳 ( 墳 丘 墓 )が 3 世 紀 前 葉 段 階 に 東 国 に 出 現 していることになる 可 能 性 がある 埼 玉 県 東 松 山 市 高 坂 では 先 年 三 角 縁 神 獣 鏡 が 発 見 されて 話 題 となったが 古 墳 時 代 前 期 に 関 係 する 遺 物 であり 埼 玉 県 における 出 現 期 古 墳 はこ の 鏡 より 一 段 階 か 二 段 階 は 遡 るのではないかと 思 われる 反 町 遺 跡 と 埼 玉 の 出 現 期 古 墳 反 町 遺 跡 の 数 次 にわたる 発 掘 調 査 の 成 果 は 埼 玉 県 における 古 墳 出 現 期 に 関 係 する 遺 跡 として 極 めて 重 要 である 数 次 にわたる 反 町 遺 跡 の 調 査 では 古 墳 時 代 前 期 布 留 式 土 器 の 時 期 に 該 当 する 竪 穴 式 住 居 跡 が 160 軒 以 上 も 存 在 し さらに 水 晶 製 勾 玉 の 工 房 跡 やガラス 小 玉 の 鋳 型 を 出 土 する 玉 作 り 工 房 跡 の 発 見 から 東 松 山 市 を 中 心 とする 比 企 丘 陵 の 前 期 古 墳 を 現 出 させた 拠 点 的 な 集 落 遺 跡 の 存 在 を 考 え なければならない 東 国 各 地 における 古 墳 出 現 期 から 古 墳 時 代 前 期 に 及 ぶ 集 落 遺 跡 の 規 模 や 性 格 そして 集 落 の 継 続 的 なあり 方 は 一 様 ではなく 地 方 や 地 域 によって 区 々である 地 域 社 会 の 発 展 の 度 合 や 歴 史 的 性 格 についても 全 国 的 に 同 一 パターンというわけで はない 古 墳 出 現 期 の 墳 丘 墓 についても 墳 墓 としての 基 本 的 な 性 格 は 勿 論 維 持 しているけれども 被 葬 者 の 性 格 や 地 域 社 会 の 発 展 度 や 地 域 の 特 性 を 現 出 した 墳 墓 となっている 埼 玉 県 における 古 墳 の 出 現 については 比 企 地 方 はその 中 核 地 であると 思 われ 例 えば 吉 見 町 三 ノ - 2 -

耕 地 遺 跡 の1 2 号 前 方 後 方 型 周 溝 墓 や 吉 見 町 山 の 根 前 方 後 方 墳 などは 埼 玉 県 における 出 現 期 古 墳 として 注 目 されている その 年 代 論 については 出 土 土 器 の 内 容 によって 山 の 根 古 墳 を 先 行 させ るのか 三 ノ 耕 地 遺 跡 の2 号 墳 などを 最 古 例 と 見 るのかは 土 器 型 式 の 捉 え 方 にもよる 前 方 後 方 型 周 溝 墓 から 前 方 後 方 墳 への 発 展 段 階 を 認 めるとす れば 三 ノ 耕 地 1 2 号 墳 が 先 行 し 山 の 根 古 墳 出 土 土 器 の 型 式 が 東 海 地 方 の 廻 間 Ⅲ 式 併 行 だとする と 山 の 根 古 墳 の 年 代 の 方 を 古 く 考 えることにな ると 思 われる この 問 題 は 近 年 各 地 で 弥 生 時 代 終 末 期 から 古 墳 出 現 期 の 墳 丘 墓 の 調 査 例 が 増 加 するにつれて 畿 内 先 進 地 域 から 各 地 へ 順 次 造 墓 活 動 が 波 及 し たとする 従 来 の 解 釈 論 とは 必 ずしも 一 致 しない 4 世 紀 に 入 る 典 型 的 な 大 型 前 方 後 円 墳 の 出 現 など の 大 和 政 権 の 政 治 的 な 支 配 に 関 係 するような 歴 史 的 な 現 象 とは 性 格 が 異 なるものと 思 われる 畿 内 地 方 における 200 mを 超 す 大 型 前 方 後 円 墳 の 継 続 的 な 形 成 が 見 られる 奈 良 県 桜 井 市 から 天 理 市 にわたる 大 和 古 墳 群 の 出 現 に 先 がけて 東 国 においても 墳 丘 墓 あるいは 前 方 後 方 型 墳 丘 墓 が 出 現 していることは 確 実 なことを 思 わせる 埼 玉 県 においても 反 町 遺 跡 の 五 次 に 及 ぶ 調 査 に よって 弥 生 時 代 後 期 末 以 来 東 海 系 北 陸 系 畿 内 系 および 中 国 地 方 系 のいわゆる 外 来 系 土 器 が 出 土 しており それらの 地 域 からの 住 民 たちの 移 動 流 入 があったことは 間 違 いなく 2 世 紀 から 3 世 紀 代 の 時 期 に 列 島 内 の 各 地 から 東 国 とく にこの 埼 玉 の 地 にも 移 動 移 住 があったことは 確 実 である それらの 外 来 系 土 器 の 多 くは 在 地 の 埼 玉 の 粘 土 を 用 いて 作 られているという 分 析 結 果 が あるところから 埼 玉 の 地 に 根 ざした 移 住 民 生 活 があったこととも 読 みとれる そうした 埼 玉 = 比 企 地 方 の 地 域 社 会 において 政 治 経 済 上 の 有 力 者 階 層 の 社 会 的 記 念 物 ともいえる 墳 墓 を 営 造 するこ とは 十 分 にありうることで 大 和 政 権 形 成 以 前 に 墳 丘 墓 が 存 在 したことは 十 分 にありうることだと 思 う 大 和 政 権 の 成 立 を 考 古 学 的 に 確 証 しうる 実 証 と しては 典 型 的 な 墓 制 の 枠 を 維 持 する 畿 内 的 な 前 方 後 円 墳 の 出 現 であり 全 国 各 地 へ 造 墓 の 風 潮 が 波 及 することは 政 権 との 政 治 的 関 係 の 成 立 であ り 三 角 縁 神 獣 鏡 の 多 量 の 副 葬 事 例 などは 中 央 政 権 と 地 方 首 長 との 政 治 的 な 従 属 関 係 の 動 向 を 示 すものと 思 われる 畿 内 の 大 和 政 権 の 成 立 以 前 における 政 治 的 動 向 は 全 国 的 な 墳 丘 墓 主 として 方 形 墳 丘 墓 が 多 い や 前 方 後 方 型 周 溝 墓 や 前 方 後 方 墳 の 出 現 に 見 る 如 く 各 地 に 有 力 な 首 長 階 層 が 存 在 し 外 来 系 土 器 の 移 動 流 入 に 見 られるように 東 国 社 会 における 地 域 的 な 情 報 の 共 有 や 物 流 による 生 活 形 態 の 共 通 現 象 はすでに 存 在 していたものと 思 われる 奈 良 県 桜 井 市 箸 墓 古 墳 出 現 の 前 段 階 の 纒 向 古 墳 群 の 存 在 形 態 と 性 格 は 今 後 の 重 要 な 研 究 課 題 で あるが 千 葉 県 神 門 古 墳 群 高 部 30 32 号 墳 長 野 県 松 本 市 弘 法 山 古 墳 あるいは 静 岡 県 高 尾 山 古 墳 などの 存 在 は 埼 玉 県 の 出 現 期 古 墳 を 理 解 す る 上 で 重 要 な 参 考 資 料 になると 思 われる 東 国 出 現 期 古 墳 の 歴 史 的 性 格 を 理 解 する 上 で 関 連 する 資 料 を 以 下 に 提 起 したいと 思 う 埼 玉 県 三 ノ 耕 地 1 2 号 墳 山 の 根 古 墳 千 葉 県 神 門 3 4 5 号 墳 千 葉 県 高 部 30 32 号 墳 静 岡 県 高 尾 山 古 墳 長 野 県 弘 法 山 古 墳 これらの 資 料 は 何 れも 年 代 が3 世 紀 前 葉 と 考 え られている 墳 丘 墓 であり それらの 多 くは 後 漢 鏡 の 破 砕 鏡 を 副 葬 されていて 三 角 縁 神 獣 鏡 を 副 葬 していない これらの 墳 丘 墓 が 全 国 各 地 に 存 在 し ているように 典 型 的 な 大 型 前 方 後 円 墳 出 現 直 前 に 中 国 四 国 東 海 関 東 などにも 出 現 してい たと 考 えざるをえない 大 和 政 権 による 一 元 的 な 支 配 が 貫 徹 される 前 に 各 地 に 出 現 期 古 墳 = 墳 丘 墓 に 埋 葬 されるような 人 物 が 存 在 していたのであ り 社 会 体 制 も 激 動 の 中 にあったと 理 解 している - 3 -

図 版 1-4 -

- 5 - 図 版 2

図 版 3-6 -

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図 版 5-8 -

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図 版 7-10 -

反 町 遺 跡 の 概 要 福 田 聖 反 町 遺 跡 は 東 松 山 市 高 坂 にあります 弥 生 時 代 から 平 安 時 代 にかけての 県 内 最 大 級 の 遺 跡 の 一 つ で これまでに 約 43,000 m2を 当 事 業 団 が 調 査 し ました 遺 跡 は 北 に 松 山 台 地 南 に 高 坂 台 地 を 見 上 げる 低 地 にあり 乱 流 する 都 幾 川 によって 形 成 された 自 然 堤 防 上 に 立 地 しています 標 高 は 18.0 m 前 後 灰 褐 色 のシルト もしくは 砂 の 中 から 遺 構 が 発 見 されます 調 査 では 弥 生 時 代 中 期 から 古 墳 時 代 前 期 の 大 規 模 な 集 落 跡 水 晶 緑 色 凝 灰 岩 メノウの 玉 製 作 跡 土 器 棺 墓 方 形 周 溝 墓 からなる 墓 域 古 墳 時 代 中 期 から 後 期 の 古 墳 群 奈 良 平 安 時 代 の 集 落 跡 平 安 時 代 の 河 川 祭 祀 跡 弥 生 時 代 中 期 から 中 世 までの 大 量 の 土 器 木 製 品 を 包 含 する 河 川 跡 が 発 見 されました 特 に 古 墳 時 代 前 期 の 住 居 跡 は 281 軒 調 査 さ れましたが 遺 跡 全 体 の 約 30 パーセントにしか 調 査 が 及 んでいないことから その 規 模 は 県 内 最 大 の 集 落 跡 と 推 定 されます 大 型 の 住 居 跡 が 多 く 軒 数 のみではなく 規 模 の 点 からも 地 域 の 中 核 的 な 集 落 であったことが 分 かります( 福 田 報 告 ) それに 加 え 集 落 を 縦 断 する 河 川 跡 その 河 川 跡 を 管 理 する 堰 が 発 見 されたことや 建 築 部 材 の 出 ほったてばしらたてもの 土 から 河 川 跡 沿 いに 竪 穴 住 居 跡 と 掘 立 柱 建 物 の 存 在 する 景 観 が 想 像 されます( 矢 部 報 告 ) 出 土 遺 物 は コンテナ 500 箱 に 上 る 大 量 の 土 器 が 中 心 です 東 海 東 部 東 海 西 部 畿 内 北 陸 おおぐるわ 各 地 の 系 譜 を 引 く 土 器 が 多 く 特 に 大 廓 式 土 器 などの 東 海 東 部 からの 搬 入 品 があり 人 の 往 来 の あったことが 想 定 できます( 福 田 報 告 ) 河 川 跡 からは 農 具 工 具 容 器 建 築 部 材 な どの 多 くの 木 製 品 も 出 土 しています( 矢 部 報 告 ) 中 でも 臼 は 関 東 地 方 では 唯 一 全 体 の 形 の 分 かる 貴 しょうぎ 重 なものです 床 几 形 の 椅 子 などの 精 巧 な 加 工 は 特 別 な 木 製 品 の 製 作 工 房 の 存 在 を 窺 わせます 土 器 木 製 品 については 土 器 の 部 品 や 木 製 品 の 未 製 品 樹 皮 製 作 に 伴 う 木 屑 の 出 土 から 土 器 や 木 製 品 を 生 産 していたと 考 えられます また 古 墳 の 副 葬 品 となる 水 晶 緑 色 凝 灰 岩 メノウの 玉 製 作 跡 や 玉 作 関 係 の 多 くの 遺 物 と ガ ラス 小 玉 の 鋳 型 が 出 土 したことを 考 え 合 わせる と 様 々な 玉 つくりが 行 われていたと 推 定 されま す こうした 三 種 類 の 玉 つくりが 行 われている 遺 跡 は 関 東 地 方 では 他 にありません 特 に 水 晶 製 勾 玉 の 玉 作 工 房 跡 は 全 国 で 初 めての 発 見 です( 上 野 報 告 ) 方 形 周 溝 墓 は6 基 検 出 されました その 中 で 第 せんこう 8 号 周 溝 墓 は 焼 成 前 底 部 穿 孔 土 器 が 多 く 出 土 し 覆 土 中 からベンガラが 発 見 されるなど 中 心 的 な 周 溝 墓 であったと 考 えられます また 第 29 号 墳 は 形 態 から 大 規 模 な 方 墳 の 可 能 性 もあり 同 時 代 に 周 溝 墓 とは 別 の 墓 が 存 在 し ていたことも 推 定 されます( 青 木 報 告 ) 遺 跡 から 南 側 に 見 上 げる 高 坂 台 地 上 には 三 角 縁 神 獣 鏡 が 出 土 した 高 坂 古 墳 群 西 側 には 出 現 期 の 前 方 後 方 墳 前 方 後 円 墳 を 含 む 諏 訪 山 古 墳 群 北 側 の 都 幾 川 の 対 岸 には 墳 長 115 mの 大 前 方 後 円 墳 野 本 将 軍 塚 古 墳 が 望 めます( 青 木 報 告 ) 大 規 模 な 竪 穴 住 居 跡 大 型 の 掘 立 柱 建 物 からなる 大 集 落 集 落 と 河 川 を 有 機 的 に 結 びつける 河 川 跡 玉 製 作 土 器 製 作 木 製 品 製 作 の 工 房 が 推 測 され 古 墳 に 取 り 囲 まれた 反 町 遺 跡 は 地 域 の 首 長 と 密 接 に 関 係 する 地 域 の 中 心 的 な 遺 跡 と 考 えられます 本 セミナーでは 反 町 遺 跡 の 発 掘 成 果 を 通 して 古 墳 時 代 の 幕 開 けの 具 体 的 な 姿 に 迫 ります - 11 -

古 墳 時 代 前 期 全 体 図 - 12 -

松 山 台 地 野 本 将 軍 塚 古 墳 諏 訪 山 古 墳 群 銭 塚 城 敷 遺 跡 反 町 遺 跡 都 幾 川 高 坂 古 墳 群 高 坂 台 地 周 辺 の 空 中 写 真 ( 南 東 から) 反 町 遺 跡 周 辺 の 推 定 河 川 流 路 ( 菊 地 2009 から 改 図 掲 載 ) - 13 -

重 なり 合 う 住 居 跡 群 ( 第 5 次 調 査 区 ) 大 量 の 土 器 と 木 器 が 出 土 した 古 墳 時 代 の 河 川 跡 ( 第 1 2 次 調 査 区 ) - 14 -

研 究 報 告 1 古 墳 青 木 弘 埼 玉 の 一 般 的 な 古 墳 観 埼 玉 県 で 古 墳 と 言 って 真 っ 先 に 思 い 浮 かぶの しんがいめいてっけん は 辛 亥 銘 鉄 剣 が 出 土 した 埼 玉 稲 荷 山 古 墳 を 代 表 とする 埼 玉 古 墳 群 です 古 墳 時 代 を 大 きく 前 期 中 期 後 期 の3つに 時 期 区 分 した 場 合 この 埼 玉 古 墳 群 の 造 営 は 古 墳 時 代 中 期 (5 世 紀 後 半 )に 始 まります つまり 今 回 のテーマとする 古 墳 時 代 前 期 (3 世 紀 後 半 から 4 世 紀 )には 埼 玉 古 墳 群 はまだ 造 られていません 埼 玉 古 墳 群 形 成 以 前 にあたるこの 時 期 には ど のような 古 墳 が 造 られていたのでしょうか ここ では 埼 玉 の 前 期 古 墳 について 考 えてみます 方 形 周 溝 墓 と 前 方 後 方 墳 古 墳 は 前 方 後 円 墳 や 前 方 後 方 墳 円 墳 方 墳 な ど 墳 形 の 違 いとともに 規 模 の 大 小 によって 階 層 が 存 在 したとされます( 都 出 1991) 近 年 では 墳 丘 長 280 mを 誇 る 大 型 前 方 後 円 墳 である 奈 良 はしはか 県 箸 墓 古 墳 の 築 造 (3 世 紀 中 葉 )をもって 古 墳 時 代 の 始 まりとする 研 究 が 多 いです( 大 阪 府 立 近 つ 飛 鳥 博 物 館 2014 など) その 一 方 埼 玉 県 下 の 出 現 期 古 墳 には 前 方 後 円 墳 は 認 められません その 代 わり 弥 生 時 代 から 続 いて 造 られる 方 形 周 溝 墓 とともに 前 方 後 方 墳 の 多 い 点 が 特 徴 です( 第 1 図 ) 前 方 後 方 墳 は 大 別 すると 前 方 後 方 墳 と 前 方 後 方 形 周 溝 墓 とに 分 けられます( 第 1 図 表 1) 両 者 は 立 地 や 墓 域 の 構 成 墳 形 に 違 いがあ ります 古 墳 時 代 に 日 本 列 島 で 造 られた 古 墳 は 数 万 基 に 達 します かつて 奈 良 県 立 橿 原 考 古 学 研 究 所 がまとめたデータによると 前 方 後 円 墳 は 4704 基 と 意 外 に 少 なく 前 方 後 方 墳 は 512 基 と 更 に 減 少 します そのうえ 前 方 後 方 墳 は 512 基 中 326 基 (64%)が 中 部 地 方 以 東 の 東 日 本 に 分 布 します( 卜 部 編 2004) 埼 玉 県 でも 古 墳 時 代 前 期 に 前 方 後 方 墳 が 分 布 し かつ 他 地 域 の 土 器 が 出 土 する 点 はこれまでの 研 究 でも 指 摘 されてきました( 塩 野 1984 高 橋 1989 など) なかでも 赤 塚 次 郎 氏 は 前 方 後 方 墳 と 土 器 に 注 目 し これらが 東 海 地 方 ( 伊 勢 湾 沿 岸 部 濃 尾 平 野 )を 起 点 に 列 島 各 地 に 広 がることを 論 じました( 赤 塚 1992 赤 塚 1996 など) 埼 玉 県 では 東 海 系 の 土 器 が 古 墳 や 集 落 から 出 土 する 事 例 が 増 加 し 古 墳 時 代 前 期 における 東 海 地 方 と 埼 玉 との 関 係 はさらに 追 及 すべき 課 題 となってい ます 前 期 古 墳 の 分 布 と 立 地 出 土 遺 物 ここで 埼 玉 県 の 前 期 古 墳 について 概 観 してみま しょう 第 2 図 から 第 4 図 の 古 墳 の 変 遷 表 と 分 布 図 を 併 せてご 覧 ください 全 体 の 特 徴 として まず この 時 期 の 古 墳 は 児 玉 大 里 比 企 入 間 北 足 立 地 域 に 分 布 し な かでも 児 玉 地 域 ( 本 庄 市 周 辺 )と 比 企 地 域 ( 東 松 山 市 吉 見 町 周 辺 )に 集 中 することがわかります ( 第 2 図 ) 東 松 山 市 反 町 遺 跡 はこうした 古 墳 が 集 中 する 地 域 に 位 置 します つぎに 墳 丘 長 100m を 超 える 古 墳 がないこと 埴 輪 の 配 列 が 認 められないことが 挙 げられます また 古 墳 の 立 地 は 台 地 の 先 端 や 尾 根 上 といった 見 晴 らしのいい 所 や 自 然 堤 防 上 など 周 辺 の 地 形 よ り 高 い 場 所 につくる 点 が 特 徴 的 です 残 念 ながら 埋 葬 主 体 部 の 明 らかな 事 例 は 少 なく 被 葬 者 の 副 葬 品 や 主 体 部 の 特 徴 ははっきりしておりません 桶 川 市 熊 野 神 社 古 墳 や 美 里 町 長 坂 聖 天 塚 古 墳 では ねんどかく もっかんじきそう 粘 土 槨 や 木 棺 直 葬 の 埋 葬 主 体 部 がみつかっていま す この 例 のみで 一 般 化 することは 難 しいですが - 15 -

過 去 の 伝 承 や 調 査 を 踏 まえると 埼 玉 の 前 期 古 墳 には 粘 土 槨 や 木 棺 直 葬 が 多 いと 想 定 されます 前 方 後 方 墳 の 集 中 時 期 ごとにみると 3 世 紀 後 半 から4 世 紀 中 葉 にかけての 古 墳 には 前 方 後 方 墳 や 前 方 後 方 形 周 溝 墓 が 多 く 認 められます 吉 見 町 三 ノ 耕 地 遺 跡 と 山 の 根 古 墳 は 互 いに 近 接 した 位 置 に 造 られた 墳 墓 です 三 ノ 耕 地 遺 跡 では 自 然 堤 防 上 に3 基 の 前 方 後 方 形 周 溝 墓 がみつかっ ています なかでも 第 1 号 墓 は 墳 長 48.8 mと 大 きな 墳 丘 をもちます 近 接 する 山 の 根 古 墳 は 三 ノ 耕 地 遺 跡 よりも 一 段 高 い 周 辺 を 見 渡 すような 尾 根 上 に 造 られてお り 墳 長 54.8 mの 前 方 後 方 墳 という 更 に 大 きな 規 模 をもちます 反 町 遺 跡 にほど 近 い 所 にある 東 松 山 市 諏 訪 山 29 号 墳 は 墳 長 53 mの 前 方 後 方 墳 です この 古 おおくるわ 墳 からは 駿 河 地 方 の 土 器 ( 大 廓 式 土 器 )などが 出 土 し 50 mを 超 える 墳 長 をもつことからも 地 域 の 中 核 を 成 す 古 墳 と 考 えられます 三 ノ 耕 地 遺 跡 第 1 号 ~ 第 3 号 墓 と 山 の 根 古 墳 そして 諏 訪 山 29 号 墳 の 築 造 順 序 と 築 造 年 代 は いまだ 意 見 が 分 かれています 近 年 の 土 器 研 究 と 実 年 代 論 を 踏 まえると 3 世 紀 代 に 築 造 された 可 能 性 もあります 今 後 慎 重 に 検 討 する 必 要 があ りますが 埼 玉 県 の 古 墳 の 出 現 を 考 える 上 で 重 要 な 古 墳 といえるでしょう 3 世 紀 後 半 から4 世 紀 前 半 にかけて 比 企 地 域 と 児 玉 地 域 を 中 心 に 前 方 後 方 墳 と 前 方 後 方 形 周 溝 墓 の 築 造 は 活 発 になります 反 町 遺 跡 では 方 形 周 溝 墓 が 古 い 住 居 跡 を 壊 す かたちで6 基 みつかりました そのなかでも 第 29 号 墳 は 全 体 像 は 不 明 ですが 方 墳 の 可 能 性 が あります 諏 訪 山 古 墳 群 とともに 反 町 遺 跡 の 近 くにある 東 松 山 市 高 坂 古 墳 群 では 近 年 前 方 後 方 墳 の 第 8 ねじもんきょう へきぎょくせいくだたま やりがんな 号 墳 から 捩 文 鏡 や 碧 玉 製 管 玉 水 晶 製 勾 玉 鎗 鉋 が 出 土 しました 同 古 墳 群 からは 三 角 縁 神 獣 鏡 が 表 採 されています 一 方 児 玉 地 域 では 志 戸 川 右 岸 に 南 志 渡 川 遺 跡 が 小 山 川 左 岸 に 塚 本 山 古 墳 群 と 北 堀 新 田 いしまき 前 遺 跡 小 山 川 右 岸 に 石 蒔 B 遺 跡 などから 前 方 後 方 形 周 溝 墓 と 方 形 周 溝 墓 がみつかっています いずれも 規 模 は 20 m 前 後 です 4 世 紀 中 葉 には さぎやまこふん 鷺 山 古 墳 という 比 企 地 域 に 比 肩 するような 墳 長 60 mを 超 える 前 方 後 方 墳 が 造 られます 比 企 児 玉 地 域 以 外 をみると 大 里 地 域 では 塩 古 墳 群 第 1 支 群 に 集 中 して 前 方 後 方 墳 がみつかっ ています 入 間 地 域 では4 世 紀 前 葉 以 降 越 辺 川 ひろづら なかこう 右 岸 に 坂 戸 市 広 面 遺 跡 中 耕 遺 跡 木 曽 免 遺 跡 北 谷 遺 跡 から 前 方 後 方 形 周 溝 墓 や 方 形 周 溝 墓 がみ つかっています 前 方 後 円 墳 のみられる 地 域 その 後 比 企 地 域 では4 世 紀 中 葉 から 後 葉 にか けて 前 方 後 円 墳 と 円 墳 が 造 られるようになりま す 東 松 山 市 高 坂 諏 訪 山 古 墳 は4 世 紀 後 半 の 前 方 後 円 墳 と 推 定 され 墳 長 も 68 mとこれまで 造 られ てきた 前 方 後 方 墳 よりも 大 型 化 します 比 企 地 域 では 前 方 後 方 墳 の 頃 から 連 綿 と 他 地 域 に 比 べて 規 模 の 大 きな 古 墳 を 造 ります その 集 約 とも 考 えら れているのが 墳 長 115 mを 誇 る 東 松 山 市 野 本 将 軍 塚 古 墳 です 県 南 地 域 では 川 口 市 高 稲 荷 古 墳 が 墳 長 78m の 前 方 後 円 墳 です この 地 域 の 古 墳 はみつかってい る 数 は 少 ないですが こうした 古 墳 を 含 め 今 後 再 評 価 の 必 要 な 事 例 もでてくるかもしれません このような 前 方 後 円 墳 の 築 造 や 副 葬 遺 物 の 背 景 には 前 方 後 円 墳 を 活 発 に 造 る 近 畿 地 方 からの 影 響 が 想 定 されます 前 方 後 円 墳 のみられない 地 域 かわわ 児 玉 地 域 では 長 坂 聖 天 塚 古 墳 や 川 輪 聖 天 塚 古 墳 万 年 寺 つつじ 山 古 墳 などの 円 方 墳 が 造 られ ます そのうち 長 坂 聖 天 塚 古 墳 は 主 体 部 と 副 葬 遺 - 16 -

物 の 判 明 した 希 有 な 例 で 墳 頂 から 粘 土 槨 3 基 と 木 棺 直 葬 3 基 が 検 出 されました 遺 物 には ほうかくきくきょう 方 格 規 矩 鏡 という 鏡 や 直 刀 滑 石 製 有 孔 円 盤 と いった 豊 富 な 副 葬 品 が 出 土 しました 北 足 立 地 域 の 桶 川 市 熊 野 神 社 古 墳 は 墳 長 38m へきぎょくせいぎじょう の 円 墳 で 粘 土 槨 から 碧 玉 製 儀 仗 筒 形 銅 器 鏡 刀 剣 玉 類 といった 副 葬 品 が 出 土 しています こ いがやまこふん の 地 域 では 江 川 山 古 墳 でも 鏡 が 出 土 しています さんぺんいなり 入 間 地 域 の 川 越 市 三 変 稲 荷 神 社 古 墳 は 方 墳 です が だ 龍 鏡 や 石 釧 が 出 土 しています 三 角 縁 神 獣 鏡 の 出 土 2011 年 東 松 山 市 高 坂 古 墳 群 で 三 角 縁 神 獣 鏡 が 埼 玉 県 で 初 めて 発 見 されました この 鏡 は 三 ちんしさくししんにじゅうきょう 角 縁 陳 氏 作 四 神 二 獣 鏡 といわれる 鏡 式 ですが どうはんきょう 同 じ 鋳 型 で 製 作 した 同 笵 鏡 は 現 在 のところみつ かっていません( 佐 藤 2012) 三 角 縁 神 獣 鏡 は 古 墳 時 代 前 期 を 代 表 する 鏡 で 現 在 全 国 で 560 面 ほど 出 土 しています( 下 垣 2010) 関 東 地 方 では 茨 城 県 1 面 ( 伝 ) 群 馬 県 8 面 千 葉 県 2 面 神 奈 川 県 2 面 と 群 馬 県 に 集 中 しています この 鏡 は 大 和 政 権 から 配 布 された という 点 から 近 畿 地 方 と 高 坂 古 墳 群 ( 比 企 地 域 ) との 関 わりが 推 定 されます 東 松 山 市 野 本 将 軍 塚 古 墳 の 謎 野 本 将 軍 塚 古 墳 は 墳 長 115 m( 後 円 部 高 13 m 前 方 部 高 8 m)の 前 方 後 円 墳 です 本 墳 は 築 造 年 代 が 定 まっておらず この 年 代 的 位 置 づけは 埼 玉 県 の 古 墳 時 代 を 考 える 上 で 重 要 な 課 題 です これまでの 研 究 では 大 きく4 世 紀 とする 甘 粕 健 氏 の 説 ( 甘 粕 1976) 5 世 紀 後 半 から6 世 紀 初 頭 とする 金 井 塚 良 一 氏 らの 説 ( 金 井 塚 1979) の 二 者 に 分 かれています いずれの 説 を 採 るにせ よ 本 墳 は 埼 玉 古 墳 群 の 成 立 に 先 立 ち 比 企 地 域 に 大 型 前 方 後 円 墳 が 存 在 したことを 示 す 事 例 とし て その 被 葬 者 像 築 造 に 伴 う 労 働 力 の 基 盤 構 造 など 重 要 な 問 題 を 提 起 しています 近 年 では 本 墳 周 辺 の 前 期 古 墳 と 集 落 遺 跡 の 出 土 資 料 から 本 墳 が 埼 玉 稲 荷 山 古 墳 より 前 に 築 造 さ れていた 可 能 性 が 高 いとする 意 見 があります( 君 島 編 2010 城 倉 2013) 野 本 将 軍 塚 古 墳 の 築 造 時 期 は 現 状 では 埴 輪 が 出 土 していないことから 埼 玉 稲 荷 山 古 墳 以 前 と しておくのが 妥 当 と 思 います 地 域 開 発 と 古 墳 築 造 反 町 遺 跡 を 中 心 に 古 墳 時 代 は 各 地 で 古 墳 の 築 造 と 土 地 の 開 発 が とても 盛 んに 行 われます 前 方 後 円 墳 が 最 も 広 く 分 布 する 時 期 には 南 は 鹿 児 島 県 ( 塚 崎 古 墳 群 ) 北 は 岩 手 県 ( 角 塚 古 墳 )まで 分 布 し 汎 列 島 的 に 古 墳 築 造 を 中 心 とした 社 会 が 形 成 されていたと 推 定 できます 古 墳 のような 大 型 土 木 建 造 物 が 列 島 範 囲 で 造 られることは 古 墳 時 代 以 前 には 認 めら れず この 点 から 古 墳 時 代 は 日 本 列 島 の 土 木 技 術 史 からみても 画 期 的 な 時 代 といえます 古 墳 を 造 るには 土 地 労 働 力 材 料 道 具 とこ れに 関 わる 技 術 が 必 要 です 大 型 の 古 墳 になれば その 分 求 められる 質 量 も 大 きくなります 古 墳 を 造 るためには 労 働 力 となる 人 間 が 生 活 する ための 住 まいやそれを 支 える 生 産 活 動 が 必 要 で す そのため 土 地 の 開 発 が 促 進 されます 古 墳 築 造 という 営 為 を 中 心 に 土 地 も 拓 かれていくとい えるでしょう( 若 狭 2007 坂 本 2013 など) この 視 点 で 反 町 遺 跡 から 古 墳 築 造 と 地 域 開 発 をみてみましょう 反 町 遺 跡 では 玉 類 を 製 作 していた 工 房 跡 がみつ かっています( 上 野 報 告 ) この 工 房 の 営 まれた 時 期 には 近 隣 では 諏 訪 山 古 墳 群 や 高 坂 古 墳 群 で 古 墳 が 築 造 されます どちらの 古 墳 群 にも 墳 長 50 mを 超 えるような 当 時 としては 大 型 の 古 墳 が 造 られることから 地 域 を 治 める 首 長 がいたこ とが 考 えられます また 高 坂 古 墳 群 では 三 角 縁 神 獣 鏡 が 出 土 し 近 畿 地 方 との 関 わりも 窺 われます その 一 方 反 町 遺 跡 では 東 海 系 北 陸 系 畿 内 系 などの 複 数 の 地 域 から 搬 入 あるいは 伝 わった - 17 -

土 器 が 出 土 しています( 福 田 報 告 ) 反 町 遺 跡 は 調 査 成 果 を 未 調 査 部 分 に 照 らし 合 わ せると 埼 玉 県 で 前 期 最 大 の 集 落 遺 跡 と 目 されて います そしてこの 地 域 には 当 時 としては 大 型 の 前 方 後 方 墳 が 連 綿 と 築 造 されています 比 企 地 域 の 古 墳 時 代 前 期 の 大 きな 特 徴 は 墳 長 50m 前 後 の 古 墳 の 築 造 が 継 続 する 点 にあります 反 町 遺 跡 はこうした 古 墳 の 築 造 の 基 盤 となる 集 落 と 評 価 で きるでしょう ただし 3 世 紀 後 半 から4 世 紀 前 葉 の 段 階 では 山 の 根 古 墳 と 諏 訪 山 29 号 墳 のように 河 川 流 域 ごとに 同 規 模 の 古 墳 が 築 造 される 点 から 小 範 囲 の 支 配 領 域 が 存 在 したと 想 定 できます これがよ り 広 範 囲 の 領 域 へと 拡 大 する 契 機 となるのが 4 世 紀 後 葉 以 降 とされる 野 本 将 軍 塚 古 墳 の 築 造 にあ ると 考 えられます まとめ: 埼 玉 の 古 墳 前 期 の 魅 力 これまで 埼 玉 県 の 古 墳 時 代 前 期 は 他 地 域 と 比 較 できるほどの 具 体 像 も 判 然 とせず 埼 玉 古 墳 群 以 降 の 展 開 に 比 べて 地 味 なイメージを 抱 かれてきた と 思 います しかし 近 年 の 発 掘 調 査 により 前 期 に 関 する 資 料 はより 増 加 し 分 析 視 点 もより 多 様 になりつ つあります これまでの 研 究 成 果 から 埼 玉 県 における 古 墳 時 代 と 古 墳 のはじまりは 様 々な 地 域 との 交 流 を しつつ 独 自 性 ( 地 域 性 )を 育 み 後 の 比 企 埼 玉 児 玉 といった 小 地 域 の 形 成 の 基 礎 を 築 いていたと 評 価 できます 今 後 は 出 現 期 古 墳 の 築 造 時 期 と 前 方 後 方 墳 の 展 開 について 周 辺 地 域 の 成 果 と 比 較 しつつ 丹 念 に 追 究 していく 必 要 があ るでしょう このような 課 題 を 考 えていく 上 で 今 回 扱 った 東 松 山 市 反 町 遺 跡 と 周 辺 の 古 墳 の 展 開 は 古 墳 築 造 と 地 域 開 発 そして 地 域 間 の 交 流 を 示 す 重 要 な 地 域 像 を 提 示 していると 言 えるでしょう ( 岡 部 町 石 蒔 B 遺 跡 ) (さいたま 市 関 東 遺 跡 ) 第 1 図 墳 形 用 語 解 説 - 18 -

上 里 町 1 2~5本 庄 市 鹿 野 町 上 武 山 地 秩 父 盆 地 秩 父 市 皆 野 町 神 川 町 長 瀞 町 横 瀬 町 6 7 8 9 10 11 北 12 美 里 町 武 寄 居 町 東 秩 父 村 蔵 外 秩 父 山 地 飯 能 市 深 谷 市 台 ときがわ 町 地 小 川 町 越 生 町 13 嵐 山 町 鳩 山 町 滑 川 町 26 毛 呂 山 町 毛 呂 台 地 日 高 市 飯 能 台 地 妻 沼 低 地 入 間 市 熊 谷 市 行 田 市 東 松 山 市 16 吉 見 町 18 19 17 鶴 ヶ 島 市 入 間 台 地 14 15 23 20 21 22 24 川 島 町 25 荒 27 坂 戸 28市 坂 戸 台 地 所 沢 市 狭 山 市 33 武 蔵 野 台 地 川 越 市 鴻 巣 市 北 本 市 川 桶 川 市 34 ふじみ 野 市 三 芳 町 大 羽 生 市 加 須 低 地 宮 29~32 上 尾 市 富 士 見 市 低 志 木 市 伊 奈 町 台 朝 霞 市 和 光 市 加 須 市 久 喜 市 地 白 岡 市 さいたま 市 地 戸 田 市 蓮 田 市 蕨 市 利 根 川 宮 代 町 幸 手 市 川 口 市 中 杉 戸 町 低 35 川 春 日 部 市 地 越 谷 市 草 加 市 松 伏 町 八 潮 市 吉 川 市 三 郷 市 新 座 市 荒 川 中 川 1 万 年 寺 つつじ 山 古 墳 7 石 蒔 B 遺 跡 13 塩 古 墳 群 19 柏 崎 天 神 山 古 墳 25 中 耕 42 号 墳 31 殿 山 古 墳 2 北 堀 新 田 前 遺 跡 8 南 志 渡 川 遺 跡 14 下 田 町 12 号 墓 20 諏 訪 山 古 墳 群 26 広 面 9 号 墳 32 江 川 山 古 墳 3 塚 本 山 古 墳 群 9 志 渡 川 遺 跡 15 雷 電 山 古 墳 21 高 坂 8 号 墳 27 木 曽 免 4 号 墓 33 三 変 稲 荷 神 社 古 墳 4 前 山 古 墳 10 川 輪 聖 天 塚 古 墳 16 山 の 根 古 墳 22 反 町 遺 跡 28 北 谷 1 号 墓 34 権 現 山 2 号 墳 5 村 後 遺 跡 周 溝 墓 11 長 坂 聖 天 塚 古 墳 17 三 ノ 耕 地 遺 跡 23 下 道 添 2 号 墳 29 熊 野 神 社 古 墳 35 高 稲 荷 古 墳 6 鷺 山 古 墳 12 中 道 1 号 墳 18 野 本 将 軍 塚 古 墳 24 根 岸 稲 荷 神 社 古 墳 30 領 家 宮 下 1 号 墓 1 万 年 寺 つつじ 山 古 墳 10 川 輪 聖 天 塚 古 墳 19 柏 崎 天 神 山 古 墳 28 北 谷 1 号 墓 2 北 堀 新 田 前 遺 跡 11 長 坂 聖 天 塚 古 墳 20 諏 訪 山 古 墳 群 29 熊 野 神 社 古 墳 3 塚 本 山 古 墳 群 12 中 道 1 号 墳 21 高 坂 8 号 墳 30 領 家 宮 下 1 号 墓 4 前 山 古 墳 13 塩 古 墳 群 22 反 町 遺 跡 31 殿 山 古 墳 5 村 後 遺 跡 周 溝 墓 14 下 田 町 12 号 墓 23 下 道 添 2 号 墳 32 江 川 山 古 墳 6 鷺 山 古 墳 15 雷 電 山 古 墳 24 根 岸 稲 荷 神 社 古 墳 33 三 変 稲 荷 神 社 古 墳 7 石 蒔 B 遺 跡 16 山 の 根 古 墳 25 中 耕 42 号 墳 34 権 現 山 2 号 墳 8 南 志 渡 川 遺 跡 17 三 ノ 耕 地 遺 跡 26 広 面 9 号 墳 35 高 稲 荷 古 墳 9 志 渡 川 遺 跡 18 野 本 将 軍 塚 古 墳 27 木 曽 免 4 号 墓 第 2 図 埼 玉 県 における 古 墳 の 分 布 - 19 -

第3図 各地域における古墳の変遷 第4図 反町遺跡周辺における古墳の分布 20

第 5 図 古 墳 出 土 遺 物 と 墳 形 の 代 表 例 - 21 -

表 1 埼 玉 の 前 期 古 墳 地 域 古 墳 名 古 墳 群 遺 跡 所 在 河 川 立 地 墳 形 墳 長 主 体 部 主 な 出 土 遺 物 南 志 渡 川 遺 跡 1 号 墓 南 志 渡 川 遺 跡 美 里 町 駒 衣 南 志 志 戸 川 右 岸 台 地 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 壺 坩 器 台 高 坏 南 志 渡 川 遺 跡 2 号 墓 南 志 渡 川 遺 跡 美 里 町 駒 衣 南 志 志 戸 川 右 岸 台 地 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 壺 坩 器 台 高 坏 南 志 渡 川 遺 跡 4 号 墓 南 志 渡 川 遺 跡 美 里 町 駒 衣 南 志 志 戸 川 右 岸 台 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 パレススタイル 二 重 口 縁 壺 小 型 壺 坩 南 志 渡 川 遺 跡 5 号 墓 南 志 渡 川 遺 跡 美 里 町 駒 衣 南 志 志 戸 川 右 岸 台 地 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 壺 鉢 塚 本 山 第 14 号 墓 塚 本 山 古 墳 群 児 玉 町 下 浅 見 小 山 川 左 岸 丘 陵 前 方 後 方 形 周 溝 墓 あり 剣 高 坏 塚 本 山 第 33 号 墓 塚 本 山 古 墳 群 児 玉 町 下 浅 見 小 山 川 左 岸 丘 陵 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 壺 高 坏 北 堀 新 田 前 遺 跡 SZ2 北 堀 新 田 前 遺 跡 本 庄 市 北 堀 新 田 前 小 山 川 左 岸 微 高 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 23~ 不 明 二 重 口 縁 壺 S 字 状 口 縁 小 型 台 付 甕 北 堀 新 田 前 遺 跡 SZ3 北 堀 新 田 前 遺 跡 本 庄 市 北 堀 新 田 前 小 山 川 左 岸 微 高 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 15~ 不 明 小 型 台 付 甕 石 蒔 B 遺 跡 第 1 号 墓 石 巻 遺 跡 岡 部 町 後 榛 沢 小 山 川 右 岸 微 高 地 方 形 周 溝 墓 不 明 甕 坩 高 坏 石 蒔 B 遺 跡 第 2 号 墓 石 蒔 遺 跡 岡 部 町 後 榛 沢 小 山 川 右 岸 微 高 地 方 形 周 溝 墓 不 明 台 付 甕 児 玉 石 蒔 B 遺 跡 第 8 号 墓 石 蒔 遺 跡 岡 部 町 後 榛 沢 小 山 川 右 岸 微 高 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 坩 鷺 山 古 墳 鷺 山 児 玉 町 下 浅 見 女 堀 川 右 岸 丘 陵 前 方 後 方 墳 60~ 不 明 二 重 口 縁 壺 埦 村 後 遺 跡 周 溝 墓 村 後 遺 跡 美 里 町 下 児 玉 小 山 川 右 岸 自 然 堤 防 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 パレススタイル 壺 北 堀 前 山 1 号 墳 北 堀 前 山 本 庄 市 北 堀 小 山 川 左 岸 丘 陵 帆 立 貝 式 古 墳? 不 明 不 明 北 堀 前 山 2 号 墳 北 堀 前 山 本 庄 市 北 堀 小 山 川 左 岸 丘 陵 方 墳 粘 土 槨 壺 坩 刀 子 鉄 鎌 錐 鎗 鉇 鉄 剣 片 長 坂 聖 天 塚 古 墳 諏 訪 山 古 墳 群 美 里 町 関 志 戸 川 右 岸 台 地 円 墳 粘 土 槨 3 基 木 棺 直 葬 3 基 第 1: 菱 雲 文 縁 変 形 方 格 規 矩 鏡 櫛 刀 子 直 刀 剣 滑 石 製 有 孔 円 板 など 川 輪 聖 天 塚 古 墳 諏 訪 山 古 墳 群 美 里 町 関 志 戸 川 右 岸 丘 陵 円 墳 不 明 壺 形 埴 輪 中 道 1 号 墳 白 石 古 墳 群 美 里 町 白 石 天 神 川 左 岸 丘 陵 円 墳 不 明 壺 形 埴 輪 壺 甕 高 坏 万 年 寺 つつじ 山 古 墳 旭 小 島 古 墳 群 本 庄 市 小 島 利 根 川 右 岸 沖 積 地 方 墳 不 明 滑 石 製 模 造 品 ( 刀 鎌 斧 など) 志 渡 川 古 墳 美 里 町 駒 衣 志 戸 川 右 岸 台 地 円 不 明 円 筒 朝 顔 形 器 財 埴 輪 壺 高 坏 坩 塩 第 1 支 群 1 号 墳 塩 古 墳 群 江 南 町 塩 滑 川 左 岸 丘 陵 前 方 後 方 墳 不 明 二 重 口 縁 壺 埦 塩 第 1 支 群 2 号 墳 塩 古 墳 群 江 南 町 塩 滑 川 左 岸 丘 陵 前 方 後 方 墳 不 明 小 型 短 頸 壺 有 段 口 縁 壺 大 里 塩 第 1 支 群 7 号 塩 古 墳 群 江 南 町 塩 滑 川 左 岸 丘 陵 方 墳 不 明 二 重 口 縁 壺 下 田 町 12 号 墓 下 田 町 遺 跡 熊 谷 市 大 里 町 和 田 吉 野 川 左 岸 自 然 堤 防 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 壺 台 付 甕 高 坏 坩 根 岸 稲 荷 神 社 古 墳 古 凍 古 墳 群 東 松 山 市 古 凍 市 野 川 右 岸 舌 状 台 地 前 方 後 方 墳? 25~ 不 明 吉 ヶ 谷 系 底 部 穿 孔 壺 三 ノ 耕 地 遺 跡 1 号 墓 三 ノ 耕 地 遺 跡 吉 見 町 久 米 田 市 野 川 左 岸 自 然 堤 防 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 二 重 口 縁 壺 高 坏 三 ノ 耕 地 遺 跡 2 号 墓 三 ノ 耕 地 遺 跡 吉 見 町 久 米 田 市 野 川 左 岸 自 然 堤 防 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 壺 高 坏 底 部 穿 孔 小 型 壺 三 ノ 耕 地 遺 跡 3 号 墓 三 ノ 耕 地 遺 跡 吉 見 町 久 米 田 市 野 川 左 岸 自 然 堤 防 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 壺 下 道 添 2 号 墳 下 道 添 遺 跡 東 松 山 市 古 凍 市 野 川 右 岸 台 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 壺 坩 器 台 高 坏 甕 山 の 根 古 墳 山 の 根 吉 見 町 久 米 田 市 野 川 左 岸 尾 根 上 前 方 後 方 墳 不 明 高 坏 諏 訪 山 29 号 墳 諏 訪 山 古 墳 群 東 松 山 市 西 本 宿 都 幾 川 右 岸 台 地 縁 辺 前 方 後 方 墳 不 明 二 重 口 縁 壺 高 坏 器 台 大 廓 式 壺 比 企 柏 崎 天 神 山 古 墳 柏 崎 古 墳 群 東 松 山 市 小 原 市 野 川 右 岸 台 地 縁 辺 前 方 後 方 墳 石 室 状 の 遺 構 銅 釧 ( 伝 ) 内 行 花 文 鏡 ( 伝 ) 土 師 器 高 坂 8 号 墳 高 坂 古 墳 群 東 松 山 市 高 坂 都 幾 川 右 岸 台 地 縁 辺 前 方 後 方 墳? 20~ 木 炭 槨? 捩 文 鏡 碧 玉 製 管 玉 12 点 鎗 鉇 高 坂 諏 訪 山 古 墳 諏 訪 山 古 墳 群 東 松 山 市 高 坂 都 幾 川 右 岸 台 地 縁 辺 前 方 後 円 墳 不 明 不 明 反 町 遺 跡 第 8 号 墓 反 町 遺 跡 東 松 山 市 高 坂 都 幾 川 右 岸 自 然 堤 防 方 形 周 溝 墓 不 明 壺 甕 台 付 甕 高 坏 鉢 赤 色 顔 料 反 町 遺 跡 第 29 号 墳 反 町 遺 跡 東 松 山 市 高 坂 都 幾 川 右 岸 自 然 堤 防 方 墳? 16.8~ 不 明 壺 甕 台 付 甕 高 坏 鉢 など 雷 電 山 古 墳 三 千 塚 古 墳 群 東 松 山 市 大 谷 滑 川 左 岸 尾 根 上 前 方 後 円 墳 不 明 円 筒 埴 輪 野 本 将 軍 塚 古 墳 野 本 古 墳 群 東 松 山 市 下 野 本 都 幾 川 左 岸 台 地 縁 辺 前 方 後 円 墳 不 明 不 明 権 現 山 2 号 墓 権 現 山 遺 跡 上 福 岡 市 福 岡 新 河 岸 川 右 岸 台 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 高 坏 広 面 遺 跡 SZ9 広 面 遺 跡 坂 戸 市 堀 込 越 辺 川 右 岸 沖 積 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 24~ 不 明 壺 器 台 高 坏 中 耕 遺 跡 SR42 中 耕 遺 跡 坂 戸 市 善 能 寺 越 辺 川 右 岸 沖 積 地 前 方 後 方 形 周 溝 墓 不 明 有 段 口 縁 壺 坩 器 台 高 坏 台 付 甕 入 間 木 曽 免 4 号 墓 木 曽 免 遺 跡 坂 戸 市 小 沼 越 辺 川 右 岸 沖 積 地 方 形 周 溝 墓 15(21) 不 明 大 型 壺 二 重 口 縁 壺 坩 器 台 鉢 北 谷 1 号 墓 北 谷 遺 跡 坂 戸 市 横 沼 越 辺 川 右 岸 台 地 方 形 周 溝 墓 15.5(21) 不 明 壺 ( 破 片 ) 三 変 稲 荷 神 社 古 墳 仙 波 川 越 市 小 仙 波 新 河 岸 川 台 地 方 墳 木 棺 直 葬? 碧 玉 製 石 釧 だ 龍 鏡 壺 領 家 宮 下 1 号 墓 領 家 宮 下 遺 跡 上 尾 市 領 家 荒 川 台 地 方 形 周 溝 墓 25~ 不 明 壺 広 口 壺 小 型 壺 熊 野 神 社 古 墳 樋 詰 桶 川 市 川 田 谷 荒 川 左 岸 台 地 円 墳 粘 土 槨 碧 玉 製 儀 仗 筒 形 銅 器 鏡 刀 剣 玉 類 北 足 立 高 稲 荷 古 墳 新 郷 古 墳 群 川 口 市 峯 荒 川 左 岸 丘 陵 前 方 後 円 墳 粘 土 槨? 大 刀 片 イガヤマ コフン 江 川 山 古 墳 上 尾 市 畔 吉 ( 伝 ) 荒 川 左 岸 台 地 円 墳? 不 明 不 明 獣 形 鏡 捩 文 鏡 鉄 剣 高 坏 甕 殿 山 古 墳 上 尾 市 畔 吉 荒 川 左 岸 舌 状 台 地 円 墳 不 明 壺 坩 鉄 鎌 - 22 -

研 究 報 告 2 集 落 と 土 器 福 田 聖 土 器 考 古 学 では 最 も 出 土 量 が 多 い 土 器 の 文 様 や 形 の 変 化 を 用 いて 年 代 ごとに 型 式 段 階 を 設 定 し 時 期 を 決 定 しています 反 町 遺 跡 からは 関 東 地 方 の 古 墳 時 代 前 期 の 土 器 型 式 である 五 領 式 土 器 が 出 土 し おおよそ3 段 階 の 変 化 を 辿 ることが 分 かりました( 反 町 Ⅱ-1~ 3 期 ) 本 報 告 ではその 時 期 区 分 に 従 って 各 々 の 遺 構 遺 物 の 時 期 を 示 します 1 期 は 近 畿 地 方 で 前 方 後 円 墳 の 造 営 が 始 まる3 世 紀 後 半 から4 世 紀 初 頭 2 期 は 埼 玉 県 で 出 現 期 の 古 墳 が 造 られ 始 める4 世 紀 初 頭 から 中 葉 3 期 は4 世 紀 中 葉 から 後 半 になります 土 器 の 中 心 は 五 領 式 土 器 を 中 心 とする 在 地 の 土 よしがやつ 器 です 東 松 山 市 周 辺 は 弥 生 時 代 終 末 には 吉 ケ 谷 式 と 呼 ばれる 非 常 に 地 域 色 の 強 い 土 器 が 使 われて いました それが 台 付 甕 を 用 いる 南 関 東 的 な 五 領 式 土 器 に 変 化 したのは 古 墳 時 代 という 新 たな 時 代 へ の 大 きな 変 革 があったためと 考 えられます 反 町 遺 跡 は 新 たな 時 代 の 到 来 とともに 開 かれ たムラですが その 住 人 は 弥 生 時 代 以 来 の 在 地 の 人 々が 中 心 でした 弥 生 時 代 後 期 から 施 されてき た 甕 磨 き 手 法 によって 出 土 する 台 付 甕 の 内 側 は ツルツルに 近 い 平 滑 な 状 態 に 仕 上 げられていま す 土 器 型 式 が 変 わっても 土 器 作 りの 基 本 的 な 方 法 は 引 き 継 がれているのです 反 町 遺 跡 の 土 器 は 丁 寧 な 作 りのものが 多 く 伝 統 的 な 方 法 を 踏 ま えた 上 での 新 たな 時 代 の 土 器 づくりが 行 われた と 考 えられます その 一 方 で 反 町 遺 跡 からは 東 海 北 陸 畿 内 あるいは 中 国 地 方 に 系 譜 が 求 められる 壺 や 甕 高 坏 小 型 壺 が 出 土 しています こうした 他 地 域 の 系 譜 を 引 く 土 器 は 外 来 系 土 器 と 呼 ばれていま す それぞれの 地 域 から 運 ばれてきた 土 器 は 外 来 ひがしとおとうみ 土 器 と 呼 ばれ 僅 かに 東 遠 江 産 と 考 えられる 粗 くしっかりした 縄 文 施 文 の 壺 と 駿 河 産 の 胎 土 が おおぐるわ 真 っ 白 な 大 廓 式 の 大 型 壺 があるのみです こうした 他 地 域 の 系 譜 を 引 く 土 器 は 北 側 を 流 れる 都 幾 川 によってもたらされました 東 海 地 方 の 土 器 には 愛 知 県 域 を 中 心 とする 東 海 西 部 系 と 静 岡 県 域 を 中 心 とする 東 海 東 部 系 があ ります 東 海 西 部 系 は 外 来 系 土 器 の 中 で 最 も 多 く 出 土 しています 口 縁 部 の 断 面 形 が S の 形 をして いることに 因 んで 命 名 された S 字 状 口 縁 台 付 甕 や ギリシャ クレタ 島 のミノア 文 化 の 華 麗 な 壺 になぞらえ 命 名 された 白 地 に 赤 の 山 形 文 などの 文 様 が 施 されたパレス スタイルの 壺 が 代 表 的 なものです( 第 2 図 ) この 両 者 は 古 墳 時 代 前 期 に 広 く 関 東 地 方 全 体 に 分 布 し 東 海 西 部 の 人 々の 頻 繁 な 往 来 が 推 定 されます 他 にも 伊 勢 湾 型 と 呼 ばれる 櫛 描 文 を 施 した 二 重 口 縁 壺 が 見 られます ヒョウタンの 形 を 模 した 瓢 壺 などはパレス 文 様 が 施 されたものもあり オリジナルへの 強 い 志 向 が 窺 えます 東 海 東 部 系 には 大 きく 遠 江 と 駿 河 の 両 地 域 の 系 譜 が 見 られます 遠 江 系 では 櫛 描 の 波 状 文 が 施 された 壺 や 菊 川 式 の 壺 を 模 したと 考 えられる 小 型 壺 などが 見 られます 駿 河 系 では 前 述 の 大 廓 式 の 大 型 壺 の 口 縁 部 を 模 倣 した 壺 があります 近 畿 地 方 の 系 統 を 引 くものとしてはタタキ 甕 が あります 近 畿 地 方 では 板 で 器 面 を 叩 く 甕 が 弥 生 時 代 後 期 を 中 心 に 見 られます 大 和 河 内 摂 津 では 古 墳 時 代 前 期 にはこうした 手 法 が 見 られな くなりますが 山 城 では 継 続 しています 埼 玉 県 内 では 反 町 遺 跡 のように 古 墳 時 代 前 期 のタタキ - 23 -

弥 生 土 器 から 土 師 器 へ 吉 ヶ 谷 式 五 領 式 東 海 東 部 反 町 遺 跡 の 土 器 縄 文 施 文 の 壺 外 来 土 器 運 ばれた 土 器 大 廓 式 の 大 型 壺 第 1 図 反 町 遺 跡 の 土 器 (1) - 24 -

畿 内 系 二 重 口 縁 壺 タタキ 甕 中 国 地 方 系 近 畿 北 部 系 北 陸 系 屈 曲 口 縁 鉢 東 海 西 部 系 鉢 器 台 装 飾 器 台 5の 字 状 口 縁 の 鉢 S 字 状 口 縁 台 付 甕 パレススタイルの 壺 蓋 東 海 東 部 系 ヒサゴ 壺 大 廓 式 の 壺 外 来 系 土 器 模 倣 した 土 器 第 2 図 反 町 遺 跡 の 土 器 (2) 菊 川 式 の 壺 - 25 -

甕が多く 山城地域との交流関係が推定されます り遠方との関係を推定させる資料です 近畿地方の北部 丹後半島から北陸西部にかけ 以上のように 反町遺跡では新しい五領式土器 て分布するエックス字形をした小型器台もまと への交代とともに 東海 近畿 北陸の系譜を引 まって出土しています く土器群が出土し 更に遠方との交流も推定され 北陸系では 北陸地方全体でみられる高坏の坏 るなど 大々的な変革がありました 部の上に大きく開く器受部を乗せた装飾器台 口 第3図は 反町遺跡周辺の東海西部 東部 北 縁部が 5 の字状の形態をした鉢 壺の蓋と 陸 畿内 山陰の系譜を引く外来系土器の出土遺 口縁の端が短く摘まれる上越を中心としたいわゆ 跡です 代正寺遺跡と合わせると反町遺跡からは る千種甕が出土しています 反町遺跡の北陸系土 全ての地域の土器が出土しています 複数の地域 器は五領式土器と同じ方法で作られており 北陸 の土器が出土している遺跡はありますが 全てが の本来の形とは異なるものになっています 揃う遺跡は県内に他にありません 5 の字状口縁の鉢には 吉備地域の鉢と同 反町遺跡は都幾川による広汎な交流関係をもっ 様のものがあります 直接ではないにせよ かな た地域の核となる遺跡なのです 河川に沿った水 ちぐさがめ 第3図 外来系土器の出土遺跡分布図 26

はけの 悪 い 土 地 に 集 落 が 造 られる 一 因 が この 都 幾 川 を 通 した 他 地 域 との 関 係 に 求 められます 周 辺 の 遺 跡 では 五 領 遺 跡 が 100 軒 以 上 の 住 居 が 調 査 された 有 力 な 集 落 です 反 町 遺 跡 には ふるがめ ない 布 留 甕 や 屈 曲 口 縁 鉢 などの 近 畿 地 方 系 の 外 来 系 土 器 が 多 く 出 土 していますが 反 町 遺 跡 に 多 い タタキ 甕 が 一 点 も 出 土 していません 同 じ 近 畿 地 方 との 間 で 異 なるチャンネルを 持 っていたと 推 定 されます 両 者 の 違 いは 当 時 の 有 力 集 落 の 他 地 域 との 交 流 の 異 なる 方 法 を 示 しています また 第 3 図 の 複 数 の 地 域 の 外 来 系 土 器 が 出 土 している 遺 跡 の 周 辺 には 出 現 期 古 墳 や 大 型 方 形 周 溝 墓 がみられます 有 力 な 墳 墓 の 造 営 に 際 して の 他 地 域 の 人 々の 深 い 関 与 を 窺 わせます 集 落 反 町 遺 跡 からは 古 墳 時 代 前 期 の 住 居 跡 281 軒 が 調 査 されています 関 東 地 方 の 古 墳 時 代 前 期 の 住 居 跡 は 隅 丸 正 方 形 4 本 柱 穴 炉 跡 は 中 央 奥 に 1 カ 所 という 構 造 がほとんどで 貯 蔵 穴 と 呼 ばれる 土 壙 を 備 えている 場 合 があります 反 町 遺 跡 の 場 合 には 弥 生 時 代 以 来 の 長 方 形 多 柱 穴 複 数 炉 の 住 居 が 継 続 し それが 方 形 主 体 へと 変 化 します ここでは 長 辺 5.1m 以 上 を 大 型 5.0m 以 下 を 小 型 とします また 60 軒 余 りが 古 墳 時 代 前 期 の 住 居 跡 と 考 えられるものの 遺 物 が 小 さな 破 片 で あるため 年 代 が 判 断 できませんでした 反 町 遺 跡 の 集 落 は 都 幾 川 の 小 支 流 によって 分 割 された 自 然 堤 防 上 に 造 られています 集 落 の 西 側 から 北 側 へ 流 れていた 河 川 への 主 要 な 流 れを 堰 によって 東 側 に 導 水 しています 北 側 への 流 れ を 調 整 することによって 水 田 を 開 き 経 済 的 基 盤 を 整 備 した 後 に 集 落 が 開 かれたと 考 えられます 幾 筋 もの 河 川 を 挟 んだ 各 地 点 に 住 居 が 造 られ 始 め ます (13 頁 の 図 版 参 照 ) Ⅱ-1 期 は 22 軒 が 該 当 します 遺 跡 の 南 側 を 除 く 全 体 に 分 布 し 集 落 は 早 くから 広 範 囲 に 展 開 していました 各 住 居 跡 群 はかなり 離 れており 複 数 の 集 団 によって 集 落 が 開 かれます 大 型 の 住 居 は 約 半 数 の 11 軒 で 弥 生 時 代 以 来 の 長 方 形 の 平 面 形 のものが 多 く 見 られます 北 側 の 一 群 は 大 型 の 住 居 跡 で 構 成 され 小 型 の 住 居 跡 とは 軸 方 向 を 違 えて 分 布 しています Ⅱ-2 期 は 85 軒 が 該 当 します 遺 跡 全 体 に 住 居 跡 が 分 布 し 南 側 は 方 形 周 溝 墓 群 が 造 られています 各 住 居 跡 群 は 引 き 続 き 一 定 の 間 隔 が 保 たれま す 大 型 の 住 居 跡 は 33 軒 に 上 ります 大 小 の 組 み 合 わせではなく 規 模 が 大 きなもの 同 士 小 さ なもの 同 士 で 群 を 構 成 しています 平 面 形 は 明 瞭 な 長 方 形 は 減 少 し 方 形 もしくは 隅 丸 方 形 になります 第 234 号 のみは 円 形 に 近 い 平 面 形 で 近 畿 北 部 系 の 器 台 がまとまって 出 土 するなど 特 異 な 住 居 と 考 えられます Ⅱ 3 期 は 87 軒 が 該 当 します これまで 遺 構 が 多 く 認 められた 遺 跡 の 南 側 や 北 東 側 では 少 なく なっています 大 型 住 居 跡 は 40 軒 に 上 り 一 定 の 間 隔 で 分 布 しています その 周 囲 に 小 型 の 住 居 跡 が 造 られ 大 小 の 組 み 合 わせが 認 められます また 北 側 の 一 群 はⅡ-2 期 同 様 にほぼ 大 型 住 居 跡 のみで 構 成 され 群 の 間 で 様 相 が 異 なります 明 瞭 な 長 方 形 のものは 少 なく 方 形 もしくは 隅 丸 方 形 の 平 面 形 が 大 部 分 になります 反 町 遺 跡 は 長 方 形 から 方 形 隅 丸 方 形 へ 変 化 することからも 明 らかなように 弥 生 時 代 的 な 集 落 から 古 墳 時 代 的 な 集 落 へと 変 遷 します 水 路 を 整 備 し 複 数 の 集 団 が 広 い 範 囲 で 住 居 を 造 り 始 め 計 画 的 に 集 落 が 開 かれたと 考 えられます その 後 集 落 は 拡 大 を 続 け 80 件 以 上 の 大 集 落 となるⅡ-2 期 には 玉 つくりが 行 われています 玉 製 作 跡 は 1 北 側 河 川 の 北 側 2 堰 の 対 岸 3 西 側 河 川 の 南 側 の 三 箇 所 に 大 まかに 分 かれて 分 布 し 集 落 内 に 製 作 跡 が 存 在 したと 考 えられます 堰 の 造 営 などで 土 木 工 事 にも 長 けた 反 町 の 人 々 - 27 -

は 木の伐採や加工も行い 木製品も生産してい 本将軍塚古墳が造られます たと考えられます また前述のように 伝統を踏 第4図には主要な集落遺跡を掲載しましたが まえた新時代の土器作りが行われ 多くの地域の 20 軒以上の規模の大きな集落に伴って大規模な 外来系土器も作られています 墳墓が造営されているのが分かります 特に出現 計画的な大集落である反町遺跡は 玉つくり 期古墳はそうした集落が複数存在する箇所に営ま 土器 木製品の製作において地域の中核となる集 れており 大規模集落と首長との密接な関係が窺 落です 合わせて 外来系土器からは多くの地域 えます の人々の往来が考えられます 反町遺跡はその中でも最大であり しかも古墳 反町遺跡の拡大に合わせて 南側の見上げる場 造営に必要な土木技術 各手工業生産の中心です 所に反町で作られた玉が副葬された高坂8号墳を 河川を通して 頻々と他地域とも交流が行われて はじめとする高坂古墳群が 遠望する西側に諏訪 いました 遺跡周辺に造られた埼玉県を代表する 山 29 号墳 諏訪山古墳を含む諏訪山古墳群が 出現期の古墳群を支えた集落は 反町遺跡であっ そして北側に地域最大の 115m の規模を誇る野 たと考えられます 第4図 集落遺跡分布図 28

研 究 報 告 3 灌 漑 施 設 と 木 器 矢 部 瞳 発 掘 された 木 質 遺 物 反 町 遺 跡 では 約 1700 年 前 の 人 々が 生 活 に 使 っていた 木 製 品 が 多 数 出 土 しています その 数 およそ 766 点 にものぼります 遺 跡 が 低 湿 地 に あることから 腐 食 せずにこれだけ 多 くの 木 製 品 が 残 ったのです かんがい 木 で 作 った 農 具 や 工 具 灌 漑 施 設 である 堰 が 発 見 されており これら 木 質 遺 物 や 構 造 物 は 当 時 の 土 地 開 発 の 様 子 や 人 々の 暮 らしを 私 たちに 教 えて くれます この 報 告 では 木 の 利 用 を 観 察 していくことで 古 墳 時 代 の 幕 開 けに 展 開 していった 反 町 遺 跡 の 様 子 について 考 えていきます 灌 漑 施 設 反 町 遺 跡 の 南 方 には 都 幾 川 が 東 流 し その 流 れ を 遺 跡 内 に 引 き 込 んでいます (13 頁 反 町 遺 跡 周 辺 の 推 定 河 川 流 路 図 ) 引 き 込 んだ 流 れを 堰 によっ てコントロールしていた 様 子 が 発 掘 調 査 によって 明 らかになりました( 赤 熊 ほか 2011)( 第 1 図 ) 堰 は 北 上 する 第 48 号 溝 跡 ( 河 川 )に 作 られて います 北 上 する 流 れに 堰 を 設 けることで 流 路 を 東 に 変 える 役 割 を 果 たしています (12 頁 古 墳 時 代 前 期 全 体 図 ) 堰 の 構 造 を 見 てみると 後 方 部 を2 本 の 大 木 で 支 え 前 面 に3 列 の 矢 板 を 打 ち 込 み 表 面 を 草 木 粘 土 砂 などで 覆 う 後 方 支 持 型 で 作 られてい ます 堰 は 丸 木 や 分 割 材 など 合 わせて 約 280 本 もの 部 材 から 構 成 されています 堰 に 使 われた 樹 種 をグラフ 化 したものが 第 2 図 です ムクロジが 19%と 最 も 多 くを 占 め コナ ラ 節 が 13% アカガシ 亜 属 が 12%と 続 きます 24 種 類 もの 多 様 な 樹 種 を 用 いたようです 木 の 道 具 を 作 る 際 には その 道 具 に 合 う 特 徴 を せき 持 った 樹 種 を 選 ぶのが 一 般 的 です 例 えば 鍬 や 鋤 などの 農 具 には 農 耕 に 耐 えられるように 硬 質 なアカガシ 亜 属 やコナラ 節 を 選 択 する 傾 向 があり ます 一 方 堰 では 様 々な 樹 種 が 混 在 し 樹 種 を 選 択 している 様 子 はうかがえません 報 告 書 にも 記 述 されているとおり 堰 を 構 築 するにあたって 山 のある 一 区 画 の 木 を 根 こそぎ 伐 採 し 堰 を 作 る その 場 所 で 製 材 して 300 本 近 い 部 材 を 作 ったよ うです 古 墳 時 代 の 堰 は 全 国 でもあまり 発 見 されていま せん 埼 玉 県 内 では 熊 谷 市 北 島 遺 跡 で 弥 生 時 代 古 墳 時 代 前 期 古 墳 時 代 後 期 の 堰 が 発 見 されてい ます( 吉 田 2003 宅 間 2005) このうち 古 墳 時 代 前 期 の 堰 は 流 れを 分 水 させる 役 割 をはたし ており 支 流 の 先 には 水 田 が 広 がっていたようで す 反 町 遺 跡 では 水 田 跡 は 検 出 されていません し かし 北 島 遺 跡 同 様 堰 により 東 流 した 流 れの 先 には 水 田 が 広 がっていた 可 能 性 が 考 えられます 堰 の 存 在 から 考 えられることは 水 をコント ロールして 低 地 の 開 発 を 行 い 生 産 力 を 拡 大 させ ていった 様 子 です 生 産 力 の 拡 大 によって 反 町 遺 跡 の 人 々は 大 きな 経 済 力 を 持 ったことでしょう 木 製 品 反 町 遺 跡 で 出 土 した 木 の 道 具 は 合 計 766 点 で す その 内 容 は 農 具 20 点 工 具 10 点 容 器 そ だ 11 点 粗 朶 3 点 敷 物 3 点 建 築 材 43 点 杭 125 点 加 工 木 209 点 堰 構 造 材 342 点 です( 第 3 図 ) このほか 自 然 木 63 点 が 出 土 しています (1) 農 具 農 具 では 鍬 鋤 臼 などが 出 土 しています 鍬 には 様 々な 形 があります( 第 6~9 図 ) 第 6 図 はスリット 入 り 曲 柄 平 鍬 といって 中 央 - 29 -

第 1 図 堰 跡 全 景 スダジイ ハイノキ 属 1% イヌガヤ1% 1% ヤナギ 属 1% トネリコ 属 1% エノキ 属 1% コウゾ 属 2% ハンノキ 属 ハンノキ 節 2% トネリコ 属 シオジ 節 3% カエデ 属 4% モミ 属 5% オニグルミ 6% キハダ 7% クワ 属 7% ニワトコ 1% ツバキ 属 1% クリ1% コナラ 属 クヌギ 節 11% トチノキ1% その 他 1% ムクロジ 19% コナラ 属 アカガシ 亜 属 12% コナラ 属 コナラ 節 13% 第 2 図 堰 構 造 材 の 樹 種 ( 福 田 2011) 農 具 工 具 容 器 粗 朶 敷 物 建 築 材 杭 加 工 木 堰 構 造 材 加 工 木 49% 農 具 5% 工 具 容 器 2% 3% 建 築 材 10% 粗 朶 1% 敷 物 1% 杭 29% 第 4 図 鍬 未 成 品 第 5 図 樹 皮 紐 第 3 図 木 製 品 構 成 比 - 30 -

に 切 り 込 みが 入 っているのが 特 徴 です これは 長 野 県 北 部 にみられる 形 態 です 第 7 図 はナスビ まがりえひらぐわ 形 曲 柄 平 鍬 といって 近 畿 東 海 地 方 から 東 日 本 に 伝 播 したと 考 えられているものです 第 8 図 は 直 柄 広 鍬 という 鍬 で 関 東 地 方 でよくみられる 形 態 の 鍬 です このように 近 畿 東 海 地 方 や 中 部 地 方 など 様 々な 地 域 の 情 報 を 取 り 入 れて 鍬 を 製 作 していたようです 第 48 号 溝 跡 からは 臼 ( 第 10 図 )が 出 土 して います これは 竪 杵 を 使 って 籾 摺 りをするための 道 具 で 重 く 硬 質 な 特 徴 を 持 つケヤキを 使 って います 胴 部 に 付 く 把 手 状 の 造 り 出 しは 装 飾 性 が 高 いことから 装 飾 と 考 えられています( 村 上 1996) このような 細 かな 削 り 出 しのできる 高 い 技 術 を 持 った 木 工 職 人 がいたことが 考 えられま す 鍬 の 樹 種 にはイチイガシが 使 われていますが イチイガシは 関 東 地 方 の 南 岸 にしか 生 育 しないこ とから 原 材 料 または 製 品 が 搬 入 された 可 能 性 が 考 えられています( 能 代 2011) 第 4 図 は 溝 跡 から 出 土 した 製 作 途 中 の 鍬 です 第 5 図 は 木 の 部 材 を 綴 じる 時 に 使 う 樹 皮 紐 の 材 料 で 樹 皮 巻 というものです 第 4 5 図 の 出 土 か らは 木 の 道 具 を 集 落 で 製 作 していたことが 分 か ります 農 具 の 形 や 使 用 している 木 の 種 類 からは モノ 情 報 の 流 通 について 理 解 することができます 他 地 域 から 木 製 品 製 作 に 関 する 情 報 を 得 て 時 には 材 料 を 搬 入 して 木 器 生 産 を 行 い 生 産 力 を 拡 大 し ていったのでしょう (2)ウルシの 木 第 48 号 溝 跡 の 中 からウルシの 自 然 木 が 出 土 し ています 漆 の 掻 きとり 跡 はありません 隣 接 す る 東 松 山 市 城 敷 遺 跡 では 漆 を 掻 きとった 跡 のある 木 が 出 土 しています ( 富 田 山 本 2010)ウル シは 日 本 には 自 生 しないことから 漆 掻 きのため の 栽 培 が 考 えられています ( 能 代 ほか 2009) これら 農 具 やウルシの 木 から 分 かるのは 漆 の 木 をはじめとして 樹 木 の 管 理 を 行 い 木 製 品 を 製 作 消 費 して 生 産 活 動 を 行 っていた 人 々の 姿 です 反 町 遺 跡 の 古 環 境 について 遺 跡 から 出 土 した 木 器 そのものを 研 究 するだけ でなく 周 辺 科 学 と 合 わせて 研 究 することで 分 か る 事 があります 反 町 遺 跡 の 環 境 はどのようなものだったので しょうか 出 土 した 自 然 木 の 種 類 を 調 べることで どのような 木 が 生 育 していたのかを 知 ることがで きます 分 析 の 結 果 をグラフ 化 したものが 第 11 図 です エノキ 属 ムクロジ クワ 属 カエデ 属 キハダ ムクノキといった 日 当 たりのいいところに 生 育 す る 二 次 林 の 構 成 樹 種 が 優 先 していることから 人 為 的 な 伐 採 を 繰 り 返 した 結 果 二 次 林 が 形 成 され たと 考 えられています( 能 代 ほか 2009) このほかに 特 徴 として 挙 げられるのは コナラ 属 アカガシ 亜 属 の 多 さです コナラ 属 アカガシ 亜 属 は 農 具 のほか 堰 の 構 築 材 に 多 数 使 用 されている ことから 周 辺 で 自 生 していたことが 考 えられま す コナラ 属 アカガシ 亜 属 は 狭 山 丘 陵 での 生 育 が 分 かっていますが 反 町 遺 跡 周 辺 のような 平 地 で 生 育 することはまれであることから 樹 木 の 生 育 に 関 して 人 為 的 な 要 因 があった 可 能 性 が 考 えられ ています( 能 城 ほか 2009) 反 町 遺 跡 の 人 々は このような 周 辺 環 境 や 木 の 特 徴 を 知 り それを 生 かす 技 術 を 持 っていたこと が 考 えられます まとめ ここまで 木 からみた 反 町 遺 跡 について 報 告 をしてきました 東 海 地 方 や 中 部 地 方 から 技 術 を 獲 得 しながら 農 具 などを 製 作 して 生 産 活 動 を 行 い 灌 漑 技 術 を 導 入 して 堰 を 作 り 水 田 を 作 り 権 力 の 基 盤 となる 生 産 力 を 高 めていったと 考 えられます - 31 -

第 7 図 ナスビ 形 鍬 第 8 図 平 鍬 第 6 図 スリット 入 り 平 鍬 第 9 図 横 鍬 樹 皮 2% その 他 ツブラジイ 17% 2% クリ 2% キハダ 2% ヒメコウゾ 3% クヌギ 節 3% ヤナギ 属 4% ムクロジ 4% コナラ 節 5% ニワトコ 6% カエデ 属 6% アカガシ 亜 属 15% エノキ 属 7% クワ 属 11% オニグルミ 10% 第 10 図 臼 第 11 図 自 然 木 の 樹 種 ( 福 田 2011) - 32 -

研 究 報 告 4 玉 つくり 上 野 真 由 美 古 墳 時 代 の 幕 開 けは 日 本 の 国 家 形 成 の 原 点 で あると 言 えます そしてそれは 畿 内 の 大 型 の 前 方 後 円 墳 に 象 徴 される 大 和 政 権 の 勢 力 拡 大 と 切 り 離 すことができないこととも 言 えます 各 地 での 前 方 後 円 墳 出 現 に 象 徴 される 祭 祀 の 統 一 と そこで 用 いられる 祭 具 としての 玉 類 の 需 要 という 点 から ここでは 反 町 遺 跡 で 発 見 された 玉 つくりについて 考 えてみます 埼 玉 における 大 和 政 権 との 関 係 は 5 世 紀 には 稲 荷 山 古 墳 出 土 の 辛 亥 銘 鉄 剣 の 銘 文 に 見 られるよ うに 埼 玉 を 含 む 東 国 が 大 和 政 権 と 従 属 的 な 関 係 であったことがわかっています では そこにいたるまでの 古 墳 時 代 前 期 におけ る 埼 玉 ( 反 町 遺 跡 )の 有 力 者 と 大 和 政 権 との 関 係 はどうだったのでしょうか 反 町 遺 跡 では 日 本 で 最 も 古 い 水 晶 製 勾 玉 を 作 った 製 作 跡 が 見 つかりました 玉 は 祭 祀 を 司 るうえで 大 きな 意 味 合 いを 持 つものです その 玉 の 製 作 跡 にこそ 古 墳 時 代 の 幕 開 けを 知 る 大 きなヒントがあったのです 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 跡 反 町 遺 跡 からは 2 軒 の 玉 製 作 跡 が 発 見 されま した そのうちの1 軒 である 第 48 号 住 居 跡 で 水 晶 製 勾 玉 を 製 作 していました 反 町 遺 跡 玉 製 作 跡 ( 第 48 号 住 居 跡 ) 第 48 号 住 居 跡 からは 水 晶 製 の 遺 物 が 大 量 に 見 つかりました 発 見 されていた 遺 物 は 勾 玉 製 作 途 中 の 未 製 品 製 作 時 に 発 生 した 剥 片 砕 片 で す 床 面 には 細 かな 水 晶 の 破 片 が 多 数 突 き 刺 さる ように 残 されていました 製 作 跡 は 住 居 跡 として 調 査 されましたが 遺 物 が 発 見 された 状 況 からは 玉 を 製 作 する 製 作 跡 であったと 考 えられます また 住 居 跡 の 北 西 コーナーの 床 面 上 には 3 点 の 水 晶 製 勾 玉 未 製 品 がまとめて 置 かれた 状 態 で 出 土 しました 水 晶 製 勾 玉 の 完 成 品 は その 後 使 用 するものの 手 に 渡 ったわけですから 製 作 跡 からは 発 見 され ませんでした 反 町 遺 跡 勾 玉 未 製 品 出 土 状 況 ( 第 48 号 住 居 跡 ) 反 町 遺 跡 の 玉 製 作 跡 発 見 から 半 年 後 今 度 は 桶 川 市 前 原 遺 跡 からも 古 墳 時 代 前 期 の 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 跡 が 発 見 されました 第 2 号 住 居 跡 からは 反 町 遺 跡 と 同 様 に 水 晶 製 勾 玉 製 作 途 中 の 未 製 品 製 作 時 に 発 生 した 剥 片 砕 片 が 発 見 されました そして 第 2 住 居 跡 からも 床 面 上 に 水 晶 製 勾 玉 の 未 製 品 がまとめて 置 かれた 状 態 で 発 見 されました 15 点 が 二 段 に 重 ねて 置 かれ そのうち1 点 はメノウ 製 でした 前 原 遺 跡 で 製 作 跡 が 発 見 されたことから 両 者 - 33 -

前 原 遺 跡 玉 製 作 跡 ( 第 2 号 住 居 跡 ) 前 原 遺 跡 勾 玉 未 製 品 出 土 状 況 ( 第 2 号 住 居 跡 ) を 比 較 して 分 析 することで 勾 玉 の 製 作 工 程 を 明 らかにすることが 可 能 になりました 製 作 工 程 ( 第 1 図 ) 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 工 程 については 残 された 製 作 途 中 の 遺 物 から 以 下 のように 考 えることができ ました 1 原 石 を 探 索 採 取 して 運 搬 する 未 調 整 の 工 程 2 原 石 を 略 D 字 形 略 板 状 に 加 工 していく 剥 離 工 程 こうだ ざらめ 3 D 字 形 からC 字 形 に 成 形 していく 敲 打 粗 目 けんま 研 磨 工 程 4 勾 玉 の 孔 を 穿 つ 穿 孔 工 程 5 完 成 品 と 同 形 の 勾 玉 形 に 整 形 する 敲 打 粗 目 研 磨 工 程 6 表 面 を 研 磨 し 光 沢 をつける 光 沢 研 磨 工 程 完 成 された 勾 玉 は 使 用 するため 持 ち 出 されるの で 残 されていません また それぞれの 工 程 の 遺 物 を 作 業 途 中 の 途 上 品 作 業 が 終 了 した 終 了 品 状 態 な 良 好 で はないため 一 旦 工 程 から 外 した 保 留 品 製 作 途 中 に 破 損 した 破 損 品 不 要 となった 剥 片 類 などの 廃 棄 物 に 分 類 しています この 製 作 工 程 を 分 類 した 過 程 で さまざまな 特 性 が 見 えてきました 残 された 勾 玉 未 製 品 から 見 えてきた 特 性 1 水 晶 を 加 工 する 技 術 と 製 作 者 反 町 遺 跡 第 48 号 住 居 跡 は 現 在 のところ 日 本 最 古 の 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 跡 です それでは 反 町 遺 跡 が 水 晶 製 勾 玉 製 作 の 発 生 の 地 なのでしょうか 反 町 遺 跡 前 原 遺 跡 ともに 水 晶 を 原 石 として 勾 玉 に 加 工 する 工 程 は 同 じ 工 程 をたどり また 敲 い て 加 工 することが 特 徴 的 でした 関 東 周 辺 には 水 晶 製 勾 玉 製 作 の 技 術 の 伝 統 はなく 古 墳 時 代 前 期 に 忽 然 と 製 作 跡 が 現 れたことになります 反 町 遺 跡 前 原 遺 跡 では 製 作 工 程 や 未 製 品 形 状 などから 初 めて 水 晶 製 勾 玉 を 作 ったのではない つまり 製 作 したのは 水 晶 の 性 質 をよく 知 っていた 熟 練 製 作 者 であると 推 定 されます このことから すでに 水 晶 製 勾 玉 を 作 る 技 術 を 持 っている 製 作 者 が 他 の 地 方 から 来 たと 考 えられます 2 工 程 によって 大 きく 変 化 する 未 製 品 の 出 土 量 各 工 程 に 分 類 した 未 製 品 ですが 1~3の 工 程 では 各 工 程 の 途 上 品 や 工 程 が 終 了 した 段 階 の 終 了 品 再 利 用 が 可 能 な 保 留 品 も 残 されていました ところが 4~6の 工 程 のものは 勾 玉 の 一 部 が 残 されていた 破 損 品 のみが 残 されるもので 途 上 品 や 終 了 品 は 残 されていませんでした ではなぜ 加 工 が 可 能 な1~3の 工 程 品 が 多 く 残 されたのでしょうか 反 町 遺 跡 や 前 原 遺 跡 での 勾 玉 製 作 の 目 的 が 終 了 したのなら そのまま 製 作 者 が 持 って 移 動 することの 可 能 な 量 です 3 使 用 されなかった 原 石 反 町 遺 跡 からは 出 土 しませんでしたが 前 原 遺 跡 からは 原 石 が 出 土 しました 小 さくて 使 用 でき なかったものもありましたが 勾 玉 製 作 が 可 能 な ものもありました - 34 -

これも 不 思 議 なことです 1と 同 様 持 ち 帰 れ ば 次 に 使 用 が 可 能 であったわけです また 熟 練 した 技 術 を 持 っている 製 作 者 が 使 用 不 可 能 な 原 石 をなぜ 採 取 したのでしょうか 4まとめて 置 かれたままの 未 製 品 反 町 遺 跡 前 原 遺 跡 の 製 作 跡 である 住 居 跡 から はまとめて 置 かれた 未 製 品 が 出 土 しました 勾 玉 製 作 途 中 のもので 続 けて 勾 玉 を 製 作 することが 可 能 なものでした まとめて 置 かれた 未 製 品 は ある 一 定 の 製 作 工 程 までは 終 了 品 を 貯 めておくという 製 作 工 程 の 様 子 が 見 られる 貴 重 な 出 土 状 況 ですが それが 残 さ れていることについては 2と 同 様 どうして 持 ち 出 さなかったのかという 疑 問 が 残 ります 5 少 数 しか 発 見 されない 製 作 跡 水 晶 製 勾 玉 製 作 跡 については 両 遺 跡 とも1 軒 だけが 発 見 されました 大 量 に 水 晶 製 勾 玉 の 未 製 品 や 剥 片 が 検 出 されましたが 一 つ 一 つは 小 さい ものなので 全 体 を 合 わせても1 人 でも 持 ち 運 び 可 能 な 量 と 考 えられます 1 軒 のみの 製 作 跡 や 総 出 土 量 からすると 反 町 遺 跡 前 原 遺 跡 ともに 水 晶 製 勾 玉 製 作 は 短 期 間 であったと 考 えられます 6 運 ばれた 原 石 使 用 された 水 晶 は 草 入 り 水 晶 という 特 徴 的 な 夾 雑 物 が 入 っており 原 産 地 は 山 梨 県 の 竹 森 である 可 能 性 が 高 いと 考 えられます また 良 質 な 水 晶 の 原 産 地 は 埼 玉 県 内 からは 見 つかっておら ず そのことからも 原 産 地 は 山 梨 県 であると 考 え られます 特 性 の 意 味 するもの 前 項 の1から 考 えると 製 作 者 は 他 の 水 晶 を 加 工 する 技 術 のある 地 域 から 来 たと 考 えられます 反 町 遺 跡 と 同 時 期 以 前 の 水 晶 を 加 工 した 遺 跡 は 水 晶 が 産 出 する 丹 後 半 島 に 近 い 弥 生 時 代 の 京 都 府 なぐおか 奈 具 岡 遺 跡 があり 反 町 遺 跡 や 前 原 遺 跡 に 来 た 製 作 者 はその 周 辺 から 来 た 可 能 性 が 高 いと 考 えられ ます 普 通 に 考 えれば 反 町 遺 跡 で 玉 を 必 要 とす る 有 力 者 が 製 作 者 を 招 き それに 応 じて 製 作 者 が 反 町 遺 跡 や 前 原 遺 跡 に 来 たと 考 えられます しかし そう 考 えると2~5の 事 象 と 整 合 しな い 部 分 が 多 いことがわかります まず 途 上 品 終 了 品 とした 加 工 すれば 使 用 できる 未 製 品 が 残 されていることです 製 作 者 が ある 程 度 自 由 であるとすれば 当 然 持 ち 帰 って 次 に 使 用 することが 自 然 です 故 意 に 放 棄 されたと しか 考 えられないのです 次 に 原 材 料 の 中 に 使 用 が 不 可 能 なものが 存 在 していることです 製 作 者 が 自 ら 採 取 したのであ れば そのような 原 石 は 選 択 しなかったはずです また 製 作 者 がどうして 山 梨 県 の 産 地 を 知 ってい たのでしょうか そして 残 された 遺 物 の 量 からみても ごく 短 期 間 滞 在 していたと 考 えられます ある 程 度 完 成 品 ができあがった 時 点 で 未 製 品 をすべて 残 し て 退 去 していたのです これらのことは 何 を 意 味 するのでしょうか 古 墳 時 代 前 期 の 大 和 政 権 との 関 連 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 者 は 直 接 原 材 料 を 採 取 する こともなく 完 成 品 をある 程 度 製 作 すると 道 具 以 外 の 玉 に 関 係 するものをすべて 置 いて 退 去 してい たことになります このことから 製 作 者 が 大 き な 規 制 を 受 けていたことがわかります そして 招 いた 側 ( 反 町 遺 跡 や 前 原 遺 跡 の 有 力 者 )が 製 作 者 に 対 して そのような 権 力 を 行 使 できたとは 考 えにくいでしょう つまりこれらのことは 製 作 者 を 自 由 に 動 かす ことができる 権 力 が 別 に 存 在 したことを 示 してい るのではないでしょうか そうした 権 力 者 は 丹 後 周 辺 を 治 め 水 晶 製 作 者 を 派 遣 できる 力 を 持 って いたと 考 えられます 加 えて 原 産 地 から 原 石 を 入 手 することが 可 能 な 力 を 持 った 存 在 であったこと も 考 えなくてはなりません そのような 条 件 に 見 合 う 古 墳 時 代 前 期 の 大 きな 権 力 者 といえば 大 和 政 権 に 他 ならないのではない - 35 -

でしょうか 大 和 政 権 は 前 方 後 円 墳 という 特 徴 的 な 形 態 の 墳 墓 を 持 って3 世 紀 に 突 如 姿 を 現 します 古 墳 に 祭 られた 副 葬 品 には 鏡 玉 剣 石 製 品 の 他 鉄 製 農 耕 具 が 見 られます これらの 副 葬 品 に 見 られる 物 こそが 大 和 政 権 が 掌 握 していた 物 で 権 力 を 安 定 させたい 地 域 の 有 力 者 が 欲 していた 物 その ものだったと 考 えられます 反 町 遺 跡 における 有 力 者 にとって 耕 地 を 増 や して 周 囲 の 勢 力 を 取 り 込 みさらに 大 きな 勢 力 と なるための 不 可 欠 なものが 大 規 模 な 土 木 工 事 を 可 能 にする 鉄 製 農 耕 具 と 自 然 を 統 御 する 強 力 な 祭 祀 であったのです そして 大 和 政 権 も その 支 配 を 広 げるために それらをセットとして 地 域 の 有 力 者 に 与 えていたのではないでしょうか 反 町 遺 跡 の 玉 つくりの 意 義 ではなぜ 大 和 政 権 は 反 町 遺 跡 の 有 力 者 に 勾 玉 そのものを 与 えず 製 作 者 を 派 遣 したのでしょう か 製 作 者 を 派 遣 すること 自 体 が 古 墳 時 代 前 期 の 畿 内 と 地 域 との 関 係 性 そして 地 域 と 畿 内 との 関 係 性 を 現 していると 考 えられます 玉 は 祭 祀 を 司 るうえで 大 きな 象 徴 といえ ます それを 他 人 に 与 えることは 与 えた 本 人 が 祭 祀 の 主 催 者 であることに 通 じ 有 力 者 にとって 権 力 の 拡 大 や 地 位 の 保 全 のために 重 要 な 道 具 で あったと 言 えます また その 玉 を 自 分 の 手 で 生 み 出 すこと つまり 製 作 することは 祭 祀 を 司 っていることを 証 明 することでもあったので す 一 方 大 和 政 権 の 関 東 支 配 はまだ 表 面 上 に 現 れ ず ゆるやかな 協 力 関 係 を 築 いていたと 考 えられ ます しかしながら 鉄 と 祭 祀 を 掌 握 しつつある 大 和 政 権 は それらを 使 って 関 東 支 配 を 試 みてい たとも 考 えられます 同 じ 祭 祀 ( 玉 )を 与 える ことは その 大 きな 第 一 歩 となったのでしょう そして 与 えた 地 域 の 有 力 者 が 玉 を 利 用 して 周 辺 の 勢 力 を 取 り 込 んでいくことは 大 和 政 権 の 祭 祀 を 普 及 していく 行 為 に 等 しく 王 権 にとって 都 合 の 良 いことだったのだと 考 えられます しかしながら 玉 つくりの 製 作 者 が 派 遣 した 地 域 で 定 住 し 玉 を 作 り 続 けていくことは その 価 値 を 下 げ 大 和 政 権 の 特 別 性 を 失 わせる 可 能 性 があります だからこそ 玉 つくりは 短 期 間 であ り 限 定 的 であったのです それは 地 域 の 有 力 者 にとっても 同 様 で 玉 は 希 少 性 がなくてはな りませんでした だからこそ 一 定 の 量 の 勾 玉 が 製 作 されたら それ 以 上 の 勾 玉 たとえ 未 製 品 で あっても 決 して 持 ち 出 すことが 許 されなかったの です また 産 地 を 製 作 者 に 知 られることも 同 様 な 理 由 で 許 されなかったと 考 えられます そのた め 製 作 者 と 採 取 者 は 別 であったのでしょう そのような 両 者 の 思 惑 が 一 致 し 反 町 遺 跡 に 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 者 が 派 遣 され 玉 つくりが 行 われ たと 考 えられます 大 和 政 権 の 国 家 形 成 戦 略 反 町 遺 跡 の 有 力 者 にとって 利 用 するはずの 大 和 政 権 の 玉 は 実 際 には 大 和 政 権 にとっては 地 方 戦 略 の 重 要 な 手 段 であったわけです その 戦 略 の 成 果 は 反 町 遺 跡 の 北 側 に 位 置 する 前 方 後 円 墳 である 野 本 将 軍 塚 古 墳 の 築 造 にみることができ るのではないでしょうか そして 東 国 が 同 盟 的 な 関 係 から 従 属 的 な 関 係 になると 玉 つくりの 製 作 者 は 派 遣 されるこ とはなくなり 玉 は 大 和 政 権 から 直 接 地 域 の 有 力 者 に 与 えられたと 考 えられます 反 町 遺 跡 で 発 見 された 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 跡 か ら 古 墳 時 代 前 期 の 大 和 政 権 の 地 方 戦 略 を 類 推 す ることができました 大 和 政 権 は 鉄 においても 同 様 な 戦 略 を 行 っていたことが 推 測 されます またその 戦 略 は 結 果 として 国 家 形 成 に 向 けて の 戦 略 となって 行 ったと 考 えられます そして 古 墳 時 代 前 期 から 約 100 年 後 冒 頭 の 辛 亥 銘 鉄 剣 の 銘 文 に 見 られたように 畿 内 の 王 権 に 従 属 する 時 代 となるのです - 36 -

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水 晶 製 勾 玉 未 製 品 緑 色 凝 灰 岩 製 管 玉 未 製 品 - 38 -

総 括 反 町 遺 跡 と 古 墳 時 代 の 幕 開 け 赤 熊 浩 一 平 成 17 年 から 平 成 20 年 にかけて 発 掘 調 査 し 弥 生 時 代 的 な 土 器 調 整 法 である 磨 きの 手 法 が 色 濃 た 埼 玉 県 東 松 山 市 反 町 遺 跡 の 調 査 成 果 をもとに く 残 される 地 域 でもあります 古 墳 時 代 の 幕 開 けについて 考 えます 反 町 遺 跡 で 見 られる 五 領 式 土 器 には 畿 内 系 土 反 町 遺 跡 は 松 山 台 地 と 高 坂 台 地 に 挟 まれた 都 器 と 伊 勢 湾 地 域 の 東 海 系 土 器 が 見 られます この 幾 川 の 沖 積 低 地 に 広 がる 遺 跡 です 発 掘 調 査 に 二 つの 地 域 は 関 東 地 方 の 土 器 に 強 い 影 響 を 与 え よって 今 から 約 1,700 年 前 の 古 墳 時 代 前 期 の たことがわかります 畿 内 系 の 叩 き 甕 は 東 日 本 大 規 模 な 集 落 跡 が 見 つかりました 発 見 された 集 各 地 に 影 響 を 与 え 関 東 地 方 でも 出 土 します ま 落 土 器 玉 つくり 灌 漑 施 設 木 器 は た 伊 勢 湾 系 のS 字 甕 伊 勢 湾 型 二 重 複 合 口 縁 壺 この 地 域 の 歴 史 を 考 える 上 で 大 きな 特 徴 と 言 え パレス 式 土 器 の 壺 や 高 坏 なども 見 られます さら ます また 遺 跡 周 辺 の 古 墳 には 前 方 後 方 に 駿 河 の 東 海 東 部 系 壺 大 廓 式 土 器 北 陸 系 の 墳 や 前 方 後 円 墳 などをはじめとした 古 墳 群 が 存 在 高 坏 近 江 播 磨 山 陰 系 の 甕 なども 見 られます さきたま します この 地 域 では 埼 玉 古 墳 群 より 200 年 も 前 から 古 墳 が 造 られていました 集 落 は これまで 丘 陵 や 台 地 上 に 営 まれていま したが 沖 積 地 の 開 発 や 河 川 交 通 の 発 達 により 河 川 流 域 に 営 まれるようになります 都 幾 川 に 隣 接 した 沖 積 地 に 造 られています 古 墳 時 代 前 期 の 集 落 は 複 数 の 住 居 跡 群 が 流 路 の 周 辺 に 存 在 し 住 居 跡 は 281 軒 が 調 査 さ れました 集 落 は 規 模 を 拡 大 しながら 複 数 の 単 位 集 団 によって 営 まれてい たようです 住 居 跡 の 形 態 は 長 方 形 から 方 形 に 移 行 し 弥 生 時 代 から 古 墳 時 代 への 変 化 を 示 して います 土 器 は 在 地 の 弥 生 時 代 の 吉 ケ 谷 式 土 器 から 古 墳 時 代 の 五 領 式 土 器 へと 変 化 します 刷 毛 目 をも つ 台 付 甕 が 基 本 ですが 各 地 域 の 影 響 を 受 けた 外 来 系 土 器 各 地 域 の 土 器 が 関 東 地 方 に 波 及 していること は 人 の 移 動 があったことを 物 語 っています 伝 統 的 な 弥 生 社 会 をベースに 中 核 的 な 古 墳 時 代 集 落 が 形 成 されたと 考 えられます そこには 東 京 湾 岸 地 域 東 海 地 域 畿 内 地 域 との 接 触 により 古 墳 時 代 社 会 の 新 しいネットワークが 構 築 されてい 北 陸 系 山 陰 系 丹 後 系 畿 内 系 吉 備 系 尾 張 系 東 海 系 - 39 -

る 様 子 がわかります 灌 漑 施 設 としては 集 落 の 周 囲 を 巡 る 河 川 から 堰 跡 が 発 見 されました 新 たな 土 木 技 術 の 導 入 に より 谷 戸 を 利 用 した 伝 統 的 な 水 田 から 用 水 路 を 整 備 した 水 田 開 発 を 進 め 耕 地 の 拡 大 と 農 業 生 産 力 が 飛 躍 的 に 高 まったと 考 えられます 木 器 は 東 海 系 の 木 製 品 大 型 建 物 などの 建 築 部 材 が 数 多 く 出 土 しています これらの 材 質 を 調 べたところ この 地 域 で 自 生 していない 東 海 以 西 に 生 育 するイチイガシが 多 く 見 られるのが 特 徴 です このことは イチイガシの 製 品 が 搬 入 され たのか あるいは 原 材 料 が 搬 入 され この 地 域 で 木 器 製 作 が 行 われたことが 考 えられます 玉 つくりの 工 房 では 水 晶 緑 色 凝 灰 岩 瑪 瑙 の 石 材 を 使 った 玉 製 作 が 行 われ 玉 を 磨 く 結 晶 片 岩 の 玉 砥 石 や 砂 岩 質 の 置 き 砥 石 鉄 製 の 針 はず み 車 などの 工 具 も 見 つかっています また 別 の 工 房 からは ガラス 小 玉 鋳 型 も 出 土 し ガラス 小 玉 の 製 作 も 行 われていたことがわかりました 遺 跡 に 隣 接 した 高 坂 台 地 上 に 造 られた 前 方 後 方 墳 の 高 坂 第 8 号 墳 主 体 部 からは 水 晶 製 勾 玉 緑 色 凝 灰 岩 製 管 玉 捩 文 鏡 が 副 葬 されていたことから 玉 の 製 作 地 と 供 給 地 の 関 係 が 明 らかになってきまし た 古 墳 時 代 前 期 の 水 晶 製 勾 玉 は 山 梨 県 長 野 県 千 葉 県 など 東 日 本 を 中 心 に 分 布 し 朝 鮮 半 島 でも 出 土 しています ガラス 小 玉 鋳 型 は 東 京 千 葉 で4 例 の 出 土 が 報 告 され 福 岡 や 朝 鮮 半 島 でも 出 土 しています いずれも 古 墳 時 代 前 期 の 特 殊 な 現 象 ですが 共 通 しているのは 半 島 以 外 では 関 東 地 方 にしか 分 布 していないことです このことは 半 島 の 影 響 を 強 く 受 けた 工 人 が 関 東 地 方 に 存 在 していたこ とになります このように 玉 つくりは 工 人 が 派 遣 され 在 地 生 産 を 行 っていたことがわかりま す 大 和 政 権 は 東 国 支 配 の 拠 点 となる 地 域 に 先 進 技 術 をもたらし 在 地 勢 力 と 融 合 を 図 ったと 考 え ることができます その 背 景 には 大 和 政 権 によ る 支 配 構 造 のあり 方 が 垣 間 見 られます 古 墳 は 反 町 遺 跡 周 辺 の 根 岸 稲 荷 神 社 古 墳 が3 世 紀 前 半 に 築 造 されます 比 企 地 域 は 前 方 後 方 墳 が 多 く 造 られる 特 徴 があり 政 治 的 なまとまり が 見 られ 卓 越 していたことがわかります また 反 町 遺 跡 を 囲 む 高 坂 台 地 上 には 諏 訪 山 古 墳 群 や 高 坂 古 墳 群 などが 形 成 され 都 幾 川 を 挟 んだ 対 岸 の 台 地 先 端 には この 地 域 の 統 率 者 としての 存 在 を うかがわせる 県 内 第 二 の 規 模 をもつ 全 長 115 m の 野 本 将 軍 塚 古 墳 が 存 在 します 大 和 政 権 は 関 東 地 方 に 対 し どのように 政 治 的 支 配 を 展 開 したのか その 手 掛 かりは 反 町 遺 跡 の 古 墳 集 落 土 器 灌 漑 土 木 施 設 木 器 玉 つくり などの 現 象 から 見 えてきました 大 和 政 権 を 背 景 とした 人 工 人 集 団 の 移 動 が 在 地 社 会 と 接 触 することにより 新 しい 社 会 秩 序 が 図 られたと 考 えられます 大 和 政 権 は 伊 勢 湾 か ら 東 海 地 域 を 含 む 太 平 洋 沿 岸 から 東 京 湾 岸 に 至 る 地 域 を 介 して 関 東 地 方 の 統 治 を 行 っていったの でしょう また 朝 鮮 半 島 の 影 響 をもつ 人 の 入 植 も 想 定 できます そして 前 方 後 方 墳 から 前 方 後 円 墳 への 移 行 こそが 大 和 政 権 による 実 効 支 配 の 完 成 ではないでしょうか ここに 弥 生 社 会 から 古 墳 時 代 の 幕 開 けが 見 えてきました 高 坂 古 墳 群 の 第 8 号 墳 主 体 部 から 水 晶 製 勾 玉 緑 色 凝 灰 岩 製 管 玉 が 出 土 東 松 山 市 教 育 委 員 会 提 供 - 40 -

引 用 参 考 文 献 赤 塚 次 郎 1992 東 海 系 のトレース 3 4 世 紀 の 伊 勢 湾 沿 岸 地 域 古 代 文 化 第 44 巻 第 6 号 赤 塚 次 郎 1996 前 方 後 方 墳 の 定 着 東 海 系 文 化 の 波 及 と 葛 藤 考 古 学 研 究 第 43 巻 第 2 号 甘 粕 健 1976 三 千 塚 古 墳 群 に 関 する 覚 え 書 北 武 蔵 考 古 学 資 料 図 鑑 上 野 真 由 美 大 屋 道 則 2014 水 晶 製 勾 玉 の 製 作 とその 工 程 研 究 紀 要 第 28 号 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 上 野 真 由 美 田 村 朋 美 2012 埼 玉 県 反 町 遺 跡 出 土 のガラス 小 玉 とガラス 小 玉 鋳 型 について 研 究 紀 要 第 26 号 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 上 野 真 由 美 宮 井 英 一 2010 前 原 / 大 沼 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 373 集 卜 部 行 弘 編 2004 前 方 後 方 墳 もう 一 人 の 主 役 特 別 展 図 第 62 冊 奈 良 県 立 橿 原 考 古 学 研 究 所 大 阪 府 近 つ 飛 鳥 博 物 館 2009 卑 弥 呼 死 す 大 いに 冢 をつくる 平 成 21 年 度 春 季 特 別 展 図 録 大 阪 府 近 つ 飛 鳥 博 物 館 2014 箸 墓 以 降 邪 馬 台 国 連 合 から 初 期 ヤマト 政 権 へ 平 成 26 年 度 秋 季 特 別 展 図 録 大 塚 初 重 2012 邪 馬 台 国 をとらえなおす 講 談 社 現 代 新 書 金 井 塚 良 一 1979 比 企 地 方 の 前 方 後 円 墳 北 武 蔵 の 前 方 後 円 墳 の 研 究 (1) 埼 玉 県 立 歴 史 資 料 館 研 究 紀 要 第 1 号 埼 玉 県 立 歴 史 資 料 館 河 野 一 隆 1997 奈 具 岡 遺 跡 ( 第 7 8 次 ) 京 都 府 遺 跡 調 査 概 報 76 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター 河 村 好 光 2010 倭 の 玉 器 玉 つくりと 倭 国 の 時 代 青 木 書 店 菊 地 真 2009 都 幾 川 下 流 早 俣 低 地 の 埋 没 微 地 形 と 遺 跡 立 地 人 文 科 学 研 究 第 125 集 新 潟 大 学 人 文 学 部 君 島 勝 秀 編 2010 稲 荷 山 出 現 以 前 の 古 墳 埼 玉 県 立 さきたま 史 跡 の 博 物 館 公 益 財 団 法 人 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 2014 さいたま 埋 文 リポート 2014( 年 報 34 平 成 25 年 度 ) 坂 本 和 俊 2013 古 墳 築 造 の 基 盤 となった 集 落 と 首 長 居 館 埼 玉 の 文 化 財 第 53 号 埼 玉 県 文 化 財 保 護 協 会 佐 藤 幸 恵 2012 東 松 山 市 高 坂 古 墳 群 の 調 査 第 45 回 遺 跡 発 掘 調 査 報 告 会 発 表 要 旨 埼 玉 考 古 学 会 ( 公 財 ) 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 埼 玉 県 立 さきたま 史 跡 の 博 物 館 塩 野 博 1984 埼 玉 県 の 古 式 古 墳 稲 荷 山 古 墳 以 前 の 北 武 蔵 埼 玉 県 史 研 究 第 13 号 島 根 県 立 古 代 出 雲 歴 史 博 物 館 2009 輝 く 出 雲 ブランド 古 代 出 雲 の 玉 作 り 下 垣 仁 志 2010 三 角 縁 神 獣 鏡 研 究 事 典 吉 川 弘 文 館 城 倉 正 祥 2013 北 武 蔵 の 大 型 墳 と 首 長 層 の 動 向 埼 玉 の 文 化 財 第 53 号 埼 玉 県 文 化 財 保 護 協 会 高 橋 一 夫 1989 前 方 後 方 墳 出 土 土 器 の 研 究 研 究 紀 要 第 6 号 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 宅 間 清 公 2005 北 島 遺 跡 ⅩⅠ 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 303 集 都 出 比 呂 志 1991 日 本 古 代 の 国 家 形 成 論 序 説 前 方 後 円 墳 体 制 の 提 唱 日 本 史 研 究 343 日 本 史 研 究 会 富 田 和 夫 山 本 靖 2010 銭 塚 Ⅱ/ 城 敷 Ⅰ 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 369 集 利 根 川 章 彦 2012 埼 玉 の 古 墳 出 現 断 章 埼 玉 県 立 史 跡 の 博 物 館 紀 要 第 6 号 沼 津 市 教 育 委 員 会 2012 高 尾 山 古 墳 発 掘 調 査 報 告 書 沼 津 市 文 化 財 調 査 報 告 書 第 104 集 能 城 修 一 佐 々 木 由 香 村 上 由 美 子 2009 反 町 遺 跡 出 土 木 材 の 樹 種 反 町 遺 跡 Ⅰ 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 361 集 能 城 修 一 2011 反 町 遺 跡 出 土 木 材 の 樹 種 反 町 遺 跡 Ⅱ 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 380 集 比 田 井 克 仁 2010 弥 生 後 期 社 会 の 系 譜 類 型 と 古 墳 時 代 への 移 行 古 代 第 123 号 福 田 聖 2011 関 東 地 方 における 古 墳 時 代 前 期 の 木 器 と 低 地 遺 跡 研 究 紀 要 第 25 号 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 福 田 聖 2011 埼 玉 県 における 古 墳 時 代 前 期 の 植 生 と 木 器 の 樹 種 選 択 埼 玉 考 古 第 46 号 埼 玉 考 古 学 会 増 田 逸 朗 1997 古 墳 出 現 期 の 北 武 蔵 前 方 後 方 墳 成 立 の 要 因 調 査 研 究 報 告 第 10 号 埼 玉 県 立 さきたま 資 料 村 上 由 美 子 1996 杵 と 臼 の 変 遷 について 滋 賀 考 古 第 15 号 吉 田 稔 2003 北 島 遺 跡 Ⅵ 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 286 集 若 狭 徹 2007 古 墳 時 代 の 水 利 社 会 研 究 学 生 社 反 町 遺 跡 に 関 する 報 告 書 反 町 遺 跡 Ⅰ 2009 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 361 集 反 町 遺 跡 Ⅱ 2011 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 380 集 反 町 遺 跡 Ⅲ 2012 埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 報 告 書 第 393 集