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H28記入説明書(納付金・調整金)8

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公営住宅法施行令の一部を改正する政令―公営住宅法施行令例規整備*

Ⅰ 平成14年度の状況

や 会 社 等 の 種 類 名 を 表 す 文 字 等 を 結 合 したものは 原 則 として ありふれ た 名 称 に 該 当 する ただし 国 家 名 又 は 行 政 区 画 名 に 業 種 名 が 結 合 したものに 更 に 会 社 の 種 類 名 を 表 す 文 字 を 結 合 してなるもの

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運

0605調査用紙(公民)

(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 ( 各 年 4 月 1 日 現 在 ) ( 例 ) ( 例 ) 15 (H2) (H2) (H24) (H24) (H25.4.1) (H25.4.1) (H24) (H24)

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労働時間と休日は、労働条件のもっとも基本的なものの一つです

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Microsoft Word - 19年度(行情)答申第081号.doc

解 第 1 説 源 泉 徴 収 について (1) 弁 護 士 報 酬 に 関 する 源 泉 徴 収 弁 護 士 の 業 務 に 関 する 報 酬 又 は 料 金 は 所 得 税 法 204.1により 源 泉 徴 収 の 対 象 と されています ( ) そして この 報 酬 又 は 料 金 について

住 民 監 査 請 求 に 係 る 監 査 結 果 第 1 請 求 の 受 付 1 請 求 の 受 付 日 平 成 25 年 10 月 15 日 2 請 求 人 ( 省 略 ) 3 請 求 の 趣 旨 ( 原 文 のまま 掲 載 ) 請 求 の 要 旨 阿 波 町 大 道 北 54 番 地 1 と

せ ず 素 稿 以 外 訓 み を す べ て カ ラ 見 出 シ と し た 一 二 頚 印 を 必 ず 連 用 す る 場 合 不 期 身 後 京 山 蔵 よ う に し て 掲 出 し 三 思 山 蔵 を も 別 に 立 て カ ラ 見 出 シ と し た 一 所 蔵 者 名 は 通 称 雅

公文書非公開決定処分に関する諮問について(答申)

寄 附 申 込 書 平 成 年 月 日 一 般 社 団 法 人 滋 賀 県 発 明 協 会 会 長 清 水 貴 之 様 ご 住 所 ご 芳 名 ( 会 社 名 ) 印 下 記 により 貴 協 会 に 寄 附 を 申 し 込 みます 記 1. 寄 附 金 額 金 円 也 1. 寄 付 金 の 種 類

( 別 紙 ) 以 下 法 とあるのは 改 正 法 第 5 条 の 規 定 による 改 正 後 の 健 康 保 険 法 を 指 す ( 施 行 期 日 は 平 成 28 年 4 月 1 日 ) 1. 標 準 報 酬 月 額 の 等 級 区 分 の 追 加 について 問 1 法 改 正 により 追 加

している 5. これに 対 して 親 会 社 の 持 分 変 動 による 差 額 を 資 本 剰 余 金 として 処 理 した 結 果 資 本 剰 余 金 残 高 が 負 の 値 となるような 場 合 の 取 扱 いの 明 確 化 を 求 めるコメントが 複 数 寄 せられた 6. コメントでは 親

目 標 を 達 成 するための 指 標 第 4 章 計 画 における 環 境 施 策 世 界 遺 産 への 登 録 早 期 登 録 の 実 現 史 跡 の 公 有 地 化 平 成 27 年 度 (2015 年 度 )までに 235,022.30m 2 施 策 の 体 系 1 歴 史 的 遺 産 とこ

1 平 成 27 年 度 土 地 評 価 の 概 要 について 1 固 定 資 産 税 の 評 価 替 えとは 地 価 等 の 変 動 に 伴 う 固 定 資 産 の 資 産 価 値 の 変 動 に 応 じ その 価 格 を 適 正 で 均 衡 のとれたものに 見 直 す 制 度 である 3 年 ご

Microsoft Word - 表紙(正)

表紙(第1巻)

1

Ⅰ 平成14年度の状況

3. 選 任 固 定 資 産 評 価 員 は 固 定 資 産 の 評 価 に 関 する 知 識 及 び 経 験 を 有 する 者 のうちから 市 町 村 長 が 当 該 市 町 村 の 議 会 の 同 意 を 得 て 選 任 する 二 以 上 の 市 町 村 の 長 は 当 該 市 町 村 の 議

為 が 行 われるおそれがある 場 合 に 都 道 府 県 公 安 委 員 会 がその 指 定 暴 力 団 等 を 特 定 抗 争 指 定 暴 力 団 等 として 指 定 し その 所 属 する 指 定 暴 力 団 員 が 警 戒 区 域 内 において 暴 力 団 の 事 務 所 を 新 たに 設

PowerPoint プレゼンテーション

< 現 在 の 我 が 国 D&O 保 険 の 基 本 的 な 設 計 (イメージ)> < 一 般 的 な 補 償 の 範 囲 の 概 要 > 請 求 の 形 態 会 社 の 役 員 会 社 による 請 求 に 対 する 損 免 責 事 由 の 場 合 に 害 賠 償 請 求 は 補 償 されず(

(2) 都 市 計 画 区 域 市 街 化 区 域 市 街 化 調 整 区 域 の 変 遷 1 都 市 計 画 区 域 の 変 遷 2 市 街 化 区 域 及 び 市 街 化 調 整 区 域 の 変 遷 旧 石 巻 市 ( 単 位 :ha) ( 単 位 :ha) 変 更 都 市 計 画 区 域 行


募集新株予約権(有償ストック・オプション)の発行に関するお知らせ

給 与 所 得 控 除 控 除 額 の 計 算 については 次 のとおりです 給 与 等 の 収 入 金 額 給 与 所 得 控 除 額 180 万 円 以 下 の 場 合 180 万 円 を 超 え 360 万 円 以 下 の 場 合 360 万 円 を 超 え 660 万 円 以 下 の 場 合

異 議 申 立 人 が 主 張 する 異 議 申 立 ての 理 由 は 異 議 申 立 書 の 記 載 によると おおむね 次 のとおりである 1 処 分 庁 の 名 称 の 非 公 開 について 本 件 審 査 請 求 書 等 について 処 分 庁 を 非 公 開 とする 処 分 は 秋 田 県

資 料 1 衆 議 院 議 員 小 選 挙 区 選 出 議 員 の 選 挙 区 の 改 定 案 の 概 要 都 道 府 県 別 定 数 の 異 動 (1) 定 数 1 増 埼 玉 県 (14 15) 千 葉 県 (12 13) 神 奈 川 県 (17 18) 滋 賀 県 (3 4) 沖 縄 県 (3

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1 林 地 台 帳 整 備 マニュアル( 案 )について 林 地 台 帳 整 備 マニュアル( 案 )の 構 成 構 成 記 載 内 容 第 1 章 はじめに 本 マニュアルの 目 的 記 載 内 容 について 説 明 しています 第 2 章 第 3 章 第 4 章 第 5 章 第 6 章 林 地

事 業 税 の 外 形 標 準 課 税 事 業 税 は 都 道 府 県 が 所 得 ( 利 益 )に 対 して 課 税 します 1. 個 人 事 業 税 業 種 区 分 税 率 ( 標 準 税 率 ) 第 1 種 事 業 ( 物 品 販 売 業 製 造 業 金 銭 貸 付 業 飲 食 店 業 不 動

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(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 H H H5.4.1 ( 参 考 値 ) 97.1 H H H H5.4.1 H H5.4.1 ( 参 考

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4 松 山 市 暴 力 団 排 除 条 の 一 部 風 俗 営 業 等 の 規 制 及 び 業 務 の 適 正 化 等 に 関 する 法 律 等 の 改 正 に 伴 い, 公 共 工 事 から 排 除 する 対 象 者 の 拡 大 等 を 図 るものです 第 30 号 H H28.1

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36 東 京 私 桜 美 林 大 学 大 学 院 心 理 学 研 究 科 37 東 京 私 大 妻 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 38 東 京 私 学 習 院 大 学 大 学 院 人 文 科 学 研 究 科 39 東 京 私 国 際 医 療 福 祉 大 学 大 学 院 医

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見 学 の 手 順 1 見 学 の 日 程 コースの 希 望 を 市 教 育 委 員 会 に 報 告 年 度 のはじめに 見 学 を 希 望 する 日 程 とコースを 学 校 単 位 で 市 教 育 委 員 会 に 報 告 する 市 教 育 委 員 会 が 各 校 の 希 望 日 程 と 美 濃 陶

答申第585号

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平成28年3月ダイヤ改正について

2 県 公 立 高 校 の 合 格 者 は このように 決 まる (1) 選 抜 の 仕 組 み 選 抜 の 資 料 選 抜 の 資 料 は 主 に 下 記 の3つがあり 全 高 校 で 使 用 する 共 通 の ものと 高 校 ごとに 決 めるものとがあります 1 学 力 検 査 ( 国 語 数

(3) 調 査 の 進 め 方 2 月 28 日 2 月 28 日 ~6 月 30 日 平 成 25 年 9 月 サウンディング 型 市 場 調 査 について 公 表 松 戸 市 から 基 本 的 な 土 地 情 報 サウンディングの 実 施 活 用 意 向 アイデアのある 民 間 事 業 者 と

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退職手当とは

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Ⅰ 調 査 の 概 要 1 目 的 義 務 教 育 の 機 会 均 等 その 水 準 の 維 持 向 上 の 観 点 から 的 な 児 童 生 徒 の 学 力 や 学 習 状 況 を 把 握 分 析 し 教 育 施 策 の 成 果 課 題 を 検 証 し その 改 善 を 図 るもに 学 校 におけ

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平成16年度

注 雇 促 進 税 制 と 本 制 度 のどちらかを 利 する 可 能 性 があるが あらかじめどちらの 制 度 を 利 するか 判 断 できない という 場 合 雇 促 進 税 制 の 事 前 届 出 ( 雇 促 進 計 画 の 提 出 )をした 上 で 申 告 の 際 にどちらを 利 するかご

第1章 総則

目 次 第 1 部 個 人 所 得 税 の 概 要 居 住 者 非 居 住 者 の 定 義 4 個 人 所 得 税 の 納 付 のしかた( 給 不 所 得 者 ) 5 居 住 者 の 個 人 所 得 税 額 の 計 算 のしくみ( 給 不 所 得 者 ) 6 非 居 住 者 の 個 人 所 得 税

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小 売 電 気 の 登 録 数 の 推 移 昨 年 8 月 の 前 登 録 申 請 の 受 付 開 始 以 降 小 売 電 気 の 登 録 申 請 は 着 実 に 増 加 しており これまでに310 件 を 登 録 (6 月 30 日 時 点 ) 本 年 4 月 の 全 面 自 由 化 以 降 申

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しているようであり また 当 時 の 人 々の 認 識 とは 必 ずしも 一 致 するものではない 史 記 ~

定款  変更

第1章 簿記の一巡

第1章

4 調 査 の 対 話 内 容 (1) 調 査 対 象 財 産 の 土 地 建 物 等 を 活 用 して 展 開 できる 事 業 のアイディアをお 聞 かせく ださい 事 業 アイディアには, 次 の 可 能 性 も 含 めて 提 案 をお 願 いします ア 地 域 の 活 性 化 と 様 々な 世

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22 第 1 章 資 本 金 等 利 益 積 立 金 貴 見 のとおり 資 本 等 取 引 は 本 来 は 増 資 とか 減 資 と か さらには 旧 資 本 積 立 金 額 の 増 加 または 減 少 をいうこと になる ただ 利 益 の 配 当 はいわゆる 資 本 金 等 取 引 である か 損

Transcription:

東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 について 1 はじめに 2011 年 12 月 の 古 田 史 学 の 会 東 海 の 例 会 において 佐 藤 章 司 氏 は" 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 と 俀 国 の 首 都 と 題 して 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 について それは 支 配 領 域 と 言 う よりも 海 東 の 天 子 菩 薩 の 徳 が 行 き 渡 っている 範 囲 であるとされました 具 体 的 には 筑 紫 を 原 点 として 東 西 は 九 州 か らアムール 川 の 河 口 までの 日 本 海 を 囲 む 交 易 圏 南 北 は 筑 紫 から 沖 縄 ( 琉 球 )までの 東 シナ 海 を 囲 む 交 易 圏 であり 東 西 南 北 のクロスする 所 が 九 州 であり と 記 述 されます これに 関 しては すでに 古 田 武 彦 氏 が 復 刻 版 失 われた 九 州 王 朝 (ミネルヴァ 書 房 201 0 年 2 月 20 日 )の 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 の 項 で 佐 藤 氏 とほぼ 同 様 の 考 えを 示 されていま す この 東 西 五 月 行 が 九 州 だけにとどま るものではなく 四 国 から 本 州 へとつながる 日 本 列 島 の 全 体 を 指 していることはいうまでもな い < 中 略 > 問 題 はつぎの 南 北 三 月 行 だ ズバリ 答 えよう これは つぎ の 南 北 に 縦 貫 する 線 をいっているのだ 対 馬 - 壱 岐 - 九 州 - 種 子 屋 久 - 奄 美 諸 島 -( 沖 縄 諸 島 ) 東 西 の 場 合 の 東 端 が 青 森 県 までか 北 海 道 までか それともさらにその 北 や 東 北 に つらなる 島 々をもふくむか それは 明 らかでは ない( 一 方 関 東 地 方 まで ということもあり うるかもしれぬ) ) ) ) ( 同 書 269ページ) これに 対 して 私 は 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 は 俀 國 の 支 配 領 域 を 指 し それは 九 州 本 島 の 大 きさを 示 していると 考 えます 2 東 西 南 北 の 語 句 の 使 われ 方 隋 書 俀 國 伝 には 次 のとおりあります 俀 國 在 百 濟 新 羅 東 南 水 陸 三 千 里 於 大 海 之 中 依 山 㠀 而 居 魏 時 譯 通 中 國 三 十 餘 國 皆 自 稱 王 夷 人 不 知 里 數 但 計 以 日 北 三 月 行 各 至 於 海 同 じ ) 其 國 境 東 西 五 月 行 南 ( 下 線 は 筆 者 による 以 下 この 記 述 の 中 で 其 國 境 の 其 は 最 初 に 記 述 された 俀 であることについて 誰 も 異 論 はないでしょう そして 其 國 境 と 記 述 され ているのですから 俀 國 の 国 境 です 国 境 であ るからには 決 して 観 念 的 なものではなく 物 理 的 な 境 界 を 指 していると 思 われます ここに は 海 東 の 天 子 菩 薩 の 徳 が 行 き 渡 っている 範 囲 などの 観 念 的 な 文 字 は 一 切 ありません 私 には むしろ 淡 々と 国 境 の 大 きさを 記 述 しているよう に 思 われます 重 要 なことは 東 西 南 北 の 記 述 方 法 が どのような 意 味 を 表 しているかです 一 般 的 には 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 は 東 か ら 西 までは 五 月 行 かかり 南 から 北 までは 三 月 行 かかると 言 う 内 容 であると 解 釈 されています すなわち この 東 西 や 南 北 は 東 から 西 まで の 長 さ 南 から 北 まで の 長 さであり 東 西 と 南 北 の 比 率 が5 対 3の 横 長 の 形 をしてい ると 捉 えられていると 思 います しかし 果 たしてそうでしょうか こうした 語 句 の 使 い 方 を 知 るには 古 田 氏 が 示 されたように 同 じ 文 献 から 他 の 例 を 調 べるこ とです 隋 書 俀 國 伝 には 同 様 の 例 がありま せんので 他 の 中 国 の 史 書 である 魏 志 韓 伝 や 魏 志 倭 人 伝 の 記 述 が 参 考 になります A 韓 在 帶 方 之 南 東 西 以 海 爲 限 南 與 倭 接 方 可 四 千 里 ( 魏 志 韓 伝 ) 韓 は 帯 方 の 南 に 在 り 東 西 は 海 をもって 限 り となし 南 は 倭 と 接 する 方 四 千 里 ばかり B 始 度 一 海 千 餘 里 至 對 海 國 無 良 田 食 海 物 自 活 乗 船 南 北 市 糴 ( 魏 志 倭 人 伝 ) 良 田 は 無 く 海 物 を 食 して 自 活 し 船 に 乗 り し て き て 南 北 に 市 糴 す C 又 南 渡 一 海 千 餘 名 曰 瀚 海 至 一 大 國 耕 田 猶 不 足 食 亦 南 北 市 糴 ( 魏 志 倭 人 伝 ) 田 を 耕 せどもなお 食 するに 足 らず また 南 北 - 1 -

し て き に 市 糴 す Aは 韓 國 の 位 置 や 大 きさを 示 しています ここで 重 要 なのは 東 西 以 海 爲 限 です ここ に 記 述 されている 東 西 は 東 から 西 まで の 間 の 長 さという 意 味 でしょうか 違 います Aの 東 西 は 東 から 西 まで の 間 の 長 さを 表 しているのではありません 東 も 西 も 海 を 以 て 限 りとなすという 意 味 です もう 少 し 言 葉 を 足 して 言 えば 東 の 境 界 も 西 の 境 界 も 海 を 限 りとすると 記 述 されているのです 同 じく B Cの 南 北 市 糴 は 南 から 北 まで の 間 で 交 易 することを 意 味 するでしょう か ニュアンスが 違 うように 思 います 南 から 北 まで の 間 ではしっくりしません 南 にも 北 にも 交 易 に 行 くことを 意 味 すると 思 います これらの 例 を 参 考 にすれば 其 國 境 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 各 至 於 海 の 東 西 は 東 から 西 までの 国 境 の 間 が 五 月 行 の 月 数 がかかると いう 意 味 ではありません 東 や 西 の 国 境 は 五 月 行 の 月 数 がかかるという 意 味 です 同 様 に 南 北 については 南 や 北 の 国 境 は 三 月 行 の 月 数 がかかるという 意 味 です 要 するに 東 の 境 界 と 西 の 境 界 の 長 さは それ ぞれ 五 月 行 であり 南 の 境 界 と 北 の 境 界 の 長 さ は それぞれ 三 月 行 であることを 表 現 している のです すなわち 東 西 と 南 北 の 比 率 が3 対 5 の 縦 長 の 形 をしている 区 域 を 表 しているのです これまで 東 西 の 語 句 を 東 から 西 までの 間 の 長 さ という 近 年 の 観 念 で 理 解 されていた 方 にとっては 不 審 に 思 われるかもしれません が 他 の 例 を 知 れば これは 東 の 国 境 や 西 の 国 境 の 長 さ を 表 現 する 記 述 方 法 であることが 明 確 です 3 耽 牟 羅 國 の 東 西 南 北 さらに 隋 書 百 済 伝 には ずばり 距 離 で 表 現 されている 例 があります 其 南 海 行 三 月 有 耽 牟 羅 國 百 里 南 北 千 餘 里 東 西 數 その 南 の 海 行 三 月 に 耽 牟 羅 国 があり 南 北 (の 境 界 の 長 さ) 千 余 里 東 西 (の 境 界 の 長 さ) 数 百 里 耽 牟 羅 国 は 済 州 島 と 思 われますが 済 州 島 を 地 図 で 見 れば 横 長 の 地 形 の 島 です 決 して 縦 長 の 島 ではありません これは 南 や 北 の 境 界 の 長 さ が 千 余 里 で 東 や 西 の 境 界 の 長 さ が 数 百 里 であることを 表 現 しています 横 長 の 島 を 表 しているのです 具 体 的 に 数 値 で 示 せば 余 は4 程 度 が 一 般 的 と 考 えられますので 南 と 北 の 境 界 は 魏 西 晋 朝 短 里 の76m 1000~1400 里 とし て76~106km 程 度 東 と 西 の 境 界 は 同 じ く 短 里 76m 400 里 として 約 30kmとい うことになります 実 際 の 島 の 大 きさは 横 80km 縦 30km 程 度 であり おおむね 百 済 伝 に 記 述 された 内 容 に 似 ていると 考 えてよいと 思 います これを 図 示 すれば 次 の 図 1のとおりです ここでも 古 田 氏 が 主 張 される 魏 西 晋 朝 短 里 説 が 間 違 っていないことが 確 認 できます < 図 1> つまり この 南 北 というのは 南 から 北 までの 間 が 千 余 里 の 距 離 であるではなく 南 の 境 界 と 北 の 境 界 の 距 離 がそれぞれ 千 余 里 である ということを 意 味 していることになります 同 様 に 東 西 も 東 から 西 までの 距 離 が 数 百 里 で はなく 東 の 境 界 西 の 境 界 がそれぞれ 数 百 里 であることを 表 現 しているのです 以 上 のことから 東 西 や 南 北 について ほとんどの 方 が 間 違 えて 理 解 していたと 思 いま すが 文 献 からは 東 や 西 の 境 界 の 長 さ 南 や 北 の 境 界 の 長 さ と このように 読 むのが 正 しいと 私 は 思 います なお 隋 書 百 済 伝 に 其 國 東 西 四 百 五 十 里 南 北 九 百 餘 里 の 例 がありますが 明 確 な 地 形 地 物 で 区 切 られていないので ここでは 取 り 上 げません - 2 -

4 隋 書 百 済 伝 における 三 月 の 概 念 隋 書 百 済 伝 の 記 述 に 其 南 海 行 三 月 有 耽 牟 羅 國 とあります 百 済 から 済 州 島 まで 海 行 三 月 だと 記 述 されています ハンソン ユウシン もともと 百 済 の 首 都 は 漢 城 そして 熊 津 にあり ユウシン サ ビ ましたが 538 年 に 都 を 熊 津 から 泗 沘 ( 現 忠 清 南 道 扶 余 郡 )へ 南 遷 しましたので この 百 サ 済 伝 の 記 述 にある 都 は 泗 沘 です ここから 済 州 島 までが 海 行 三 月 になります 図 2のとおり330km 程 度 です ビ 東 西 南 北 が 海 に 至 るとされます つまり 俀 國 は 周 りを 海 に 囲 まれた 一 塊 の 陸 地 ですので 九 州 を 表 していると 考 えて 間 違 いないでしょう 隋 書 俀 國 伝 は 俀 國 の 四 面 が 海 に 囲 まれ ているとの 認 識 に 立 って 又 十 餘 國 を 経 て 海 岸 に 達 す と 記 述 されています 海 岸 に 達 す の 記 述 は 俀 國 の 境 界 が 海 までであるからこそで あり 俀 國 の 尽 きるところを 表 しているのです < 図 3> < 図 2> 5 九 州 に 合 致 する 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 サ ビ 泗 沘 から 済 州 島 までの 海 行 三 月 の 例 からする と この 程 度 の 長 さを 三 月 行 と 認 識 されている ことから 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 は 決 して 九 州 からアムール 川 の 河 口 まで や 筑 紫 か ら 沖 縄 ( 琉 球 )まで といった 広 大 な 範 囲 を 示 しているようには 思 われません 私 は 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 すなわち 縦 が 五 月 行 で 横 が 三 月 行 の 縦 長 の 大 きさと 九 州 の 縦 長 の 形 が 概 念 的 にほぼ 合 致 しているように 思 います 其 國 境 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 各 至 於 海 さらに この 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 に 続 いて 各 至 於 海 が 記 述 され 俀 國 の 境 界 は さらに 旧 唐 書 倭 国 伝 に 俀 國 の 境 界 が 海 岸 であったことを 追 認 する 記 述 があります 倭 國 者 古 倭 奴 國 也 去 京 師 一 萬 四 千 里 在 新 羅 東 南 大 海 中 依 山 島 而 居 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 世 與 中 國 通 其 國 居 無 城 郭 以 木 爲 柵 以 草 爲 屋 四 面 小 島 五 十 餘 國 皆 附 屬 焉 これは これまで 九 州 本 島 のみを 俀 國 の 範 囲 とされていたものが 九 州 の 周 りにある 小 島 五 十 餘 國 に 附 屬 が 拡 大 されてきたことを 示 した 記 述 であると 思 います 旧 唐 書 の 記 述 は 俀 と その 属 国 の 領 土 が 九 州 であったことを 裏 付 けて いると 思 います 従 って 隋 書 俀 國 伝 の 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 は 縦 に 五 月 行 で 横 に 三 月 行 の 九 州 の 大 きさを 表 しており 境 界 の 長 さを 月 数 で 示 して おり それは 九 州 とするのが 適 切 であると 考 え るものです - 3 -

6 あらためて 隋 書 俀 國 伝 隋 書 俀 國 伝 の 記 述 内 容 をしっかりと 認 識 するには 大 局 を 把 握 する 必 要 があります まずは 隋 書 俀 國 伝 の 概 要 を 把 握 すること が 大 切 であり ただちに 各 論 に 入 ると 内 容 を 理 解 する 上 で 間 違 いが 生 じやすくなります そもそも 隋 書 はそれ 以 前 の 中 国 の 史 書 三 国 志 後 漢 書 宋 書 を 踏 まえて 記 述 されて います これは 中 国 の 伝 統 的 な 史 書 のあり 方 で す そして 隋 書 俀 國 伝 では この 伝 統 を 踏 まえ 俀 國 の 場 所 や 地 形 を 示 した 上 で これま での 中 国 との 関 わりについて 次 のとおり 概 略 を 記 述 しています 俀 國 在 百 濟 新 羅 東 南 水 陸 三 千 里 於 大 海 之 中 依 山 㠀 而 居 魏 時 譯 通 中 國 三 十 餘 國 皆 自 稱 王 夷 人 不 知 里 數 但 計 以 日 其 國 境 東 西 五 月 行 南 北 三 月 行 各 至 於 海 其 地 勢 東 髙 西 下 都 於 邪 靡 堆 則 魏 志 所 謂 邪 馬 臺 者 也 古 云 去 樂 浪 郡 境 及 帶 方 郡 並 一 萬 二 千 里 在 會 稽 之 東 與 儋 耳 相 近 自 魏 至 于 齊 梁 代 與 中 國 相 通 先 述 したとおり 俀 國 の 国 境 は 縦 に 長 く 横 に 短 い 地 形 であり 東 西 南 北 は 海 に 至 る 山 島 す なわち 九 州 です しかも 魏 から 梁 に 至 るまで 代 々 中 国 と 相 通 じるということから 隋 書 のい う 俀 國 は 三 国 志 の 倭 國 と 同 じ 國 であること を 示 しています 倭 も 俀 も 同 一 の 國 であるので 三 国 志 の 都 斯 麻 國 も 一 支 國 も 倭 國 であった 状 況 が 隋 書 においても 同 様 に 引 き 継 がれて います また 都 の 場 所 は 邪 靡 堆 にあって そこは 魏 志 による いわゆる 邪 馬 臺 と 記 述 され るとともに 帯 方 郡 から 一 万 二 千 里 にあるとさ れることから 三 国 志 と 同 様 に 博 多 湾 岸 にあ った 邪 馬 壹 国 です 要 するに 俀 國 は 三 国 志 の 時 代 と 基 本 的 な 状 況 は 変 わっていないことが 記 述 されています 俀 國 は 四 面 を 海 に 囲 まれた 山 島 であり 都 は 三 国 志 の 邪 馬 壹 国 から 変 わっていません このように 概 要 が 示 されたあとに 王 の 名 が 多 利 思 北 孤 であるなどの 新 しい 情 報 が 追 加 して 記 述 されています 最 後 段 においては 大 業 三 年 に 俀 王 が 朝 貢 した 翌 年 に 文 林 郎 の 裴 清 が 俀 國 に 使 者 として 遣 わされた 時 のことが 記 述 されて います ここでは 竹 斯 國 の 東 にある 秦 王 國 の 人 々は 華 夏 と 変 わらないことや 竹 斯 國 よりも 東 は 皆 俀 に 附 庸 していると 示 されます こうした 大 局 を 無 視 し 東 の 方 は 皆 俀 に 附 庸 していることだけに 注 目 して 近 畿 や 出 雲 や 吉 備 に 都 があるなど 様 々な 仮 説 が 提 示 されてい ます しかし 大 枠 を 踏 まえれば このような 仮 説 が 生 まれる 余 地 はありません 隋 書 俀 國 伝 に 様 々な 説 が 生 まれるような 記 述 がされてい る 訳 がないと 思 います 三 国 志 には 女 王 國 東 渡 海 千 里 復 有 國 皆 倭 種 とあり 九 州 の 東 にも 倭 種 がいることを 中 国 側 は 承 知 しています また 隋 書 において 俀 國 は 東 西 南 北 の 四 面 を 海 に 囲 まれていると 真 っ 先 に 記 述 されています 7 秦 王 國 始 め 十 余 國 佐 藤 章 司 氏 が 述 べられた 秦 王 国 始 め 十 余 國 は 瀬 戸 内 海 のあたり という 考 えは 平 成 22 年 8 月 22 日 に 開 催 の 例 会 で 林 伸 禧 氏 が 紹 介 された 木 佐 敬 久 氏 の 中 国 史 書 に 隠 された 琉 球 および 倭 の 変 遷 ( 下 ) ( 古 代 の 風 194 号 平 成 22 年 8 月 号 )の 主 張 と 似 ています 陸 行 の 文 字 がないので 筑 紫 から 秦 王 国 さ らに 十 余 国 を 経 て 俀 国 の 玄 関 にあたる 港 に 入 る まで 海 上 ルートがつづく 方 角 は 東 から 転 じ た 記 述 がないから 一 貫 して 東 であり 瀬 戸 内 海 を 東 進 したのは 間 違 いない( 日 本 海 を 出 雲 地 方 へ 向 かうのは 東 北 方 向 になる) 秦 王 国 は 豊 前 か 長 門 周 防 十 余 国 は 瀬 戸 内 海 の 島 を 含 む 国 々 であろう ただ 佐 藤 氏 と 木 佐 氏 の 大 きな 相 違 点 は 自 竹 斯 國 以 東 皆 附 庸 於 俀 について 佐 藤 氏 が 竹 斯 國 を 除 く 東 の 國 は 俀 に 附 庸 すると 解 釈 されて いるのに 対 し 木 佐 氏 は 筑 紫 が 俀 國 に 従 属 して いると 解 釈 され 俀 は 吉 備 王 朝 であるとされま す この 木 佐 氏 の 解 釈 が 間 違 っていることは 古 田 武 彦 氏 が 邪 馬 一 国 の 証 明 (307~310 ページ)において 詳 細 に 論 証 しており 私 も 竹 斯 國 を 除 く 東 の 國 は 俀 に 附 庸 する と 解 釈 する のに 同 感 です たとえ 竹 斯 國 を 含 めて 東 の 國 は 俀 に 附 庸 す - 4 -

る と 解 釈 したとしても 秦 王 国 始 め 十 余 國 が 俀 の 属 国 であることに 変 わりはありません ですから 竹 斯 國 を 含 もうが 含 まないであろ うが 竹 斯 國 より 東 に 都 は 絶 対 に 存 在 しませ ん 属 国 に 都 が 存 在 するわけがないこと この 点 をしっかり 認 識 すべきです したがって た とえ 瀬 戸 内 海 の 国 々であろうが 難 波 であろうが 絶 対 に 都 は 存 在 しません この 大 枠 の 概 念 を 外 した 議 論 は 全 く 意 味 をなしません 8 自 A 以 B さて それでは 自 竹 斯 國 以 東 皆 附 庸 於 俀 の 記 述 で 竹 斯 國 はどちらになるのでしょうか まず 一 般 論 として 自 A 以 B ではAを 含 むのでしょうか 含 まないのでしょうか これについては 東 海 の 古 代 102 号 ( 平 成 21 年 2 月 ) 東 海 の 古 代 103 号 ( 同 年 3 月 )において それぞれ 加 藤 勝 美 氏 と 林 伸 禧 氏 が 木 佐 氏 と 同 様 の 批 判 を 展 開 する 川 村 明 著 九 州 王 朝 説 批 判 を 紹 介 されました 林 氏 は 古 田 氏 と 川 村 氏 の 両 方 の 主 張 を 紹 介 するととも に 隋 書 の 自 A 以 B の 用 法 は Aの 基 点 を 含 む 場 合 と 含 まない 場 合 があるとされました この 意 見 に 私 は 全 く 同 感 です 古 田 氏 があげた 次 のイの 例 は Aの 基 点 を 含 まない 例 であり 確 かにAを 含 んでいないと 思 います ア 自 夫 人 以 下 世 有 筯 損 太 祖 建 國 始 命 王 后 其 下 五 等 有 夫 人 有 昭 儀 有 祜 礱 有 容 華 有 美 人 文 帝 筯 貴 嬪 淑 媛 脩 容 順 成 良 人 明 帝 筯 淑 妃 昭 華 脩 儀 除 順 成 官 太 和 中 始 復 命 夫 人 登 其 位 於 淑 妃 之 上 イ 自 夫 人 以 下 爵 凡 十 二 等 貴 嬪 夫 人 位 次 皇 后 爵 無 所 視 淑 妃 位 視 相 國 爵 比 諸 侯 王 淑 媛 位 視 御 史 大 夫 爵 比 縣 公 昭 儀 比 縣 侯 昭 華 比 郷 侯 脩 容 比 亭 侯 脩 儀 比 關 内 侯 倢 伃 視 中 二 千 石 容 華 視 眞 二 千 石 美 人 視 比 二 千 石 良 人 千 石 ( 三 國 志 魏 書 后 妃 傳 第 五 ) これは 後 宮 の 女 たちの 順 位 を 示 したもので す 私 はこの 記 述 を 次 のように 読 みます アは 夫 人 より 以 下 は 世 にあっては 加 除 が 有 る 太 祖 建 国 の 時 には 王 后 を 始 めその 下 に 五 つ の 位 夫 人 昭 儀 祜 礱 容 華 美 人 が 有 った 文 帝 の 時 には 貴 嬪 淑 媛 脩 容 順 成 良 人 が 追 加 された 明 帝 の 時 には 淑 妃 昭 華 脩 儀 が 追 加 され 順 成 は 除 かれた 太 和 中 には 淑 妃 より 上 に 夫 人 の 位 を 登 らせた ということであり 夫 人 を 含 んで 位 の 加 除 が あったと 考 えて 良 さそうです つまり 自 A 以 B のAである 夫 人 を 含 むと 思 われます イは 夫 人 以 下 は( 貴 族 に 値 する) 爵 の 位 で あり ( 位 は) 凡 てで12あるとされます そし て いままでの 経 緯 で 加 除 されたものを 整 理 し て 現 在 の 位 の 順 番 を 羅 列 したわけです 古 田 氏 は 貴 嬪 と 夫 人 は 皇 后 に 次 ぐもので 無 爵 の 高 位 だから 自 夫 人 以 下 の 夫 人 は 爵 には 含 まれないとされました 確 かにこの 二 つ なぞら の 位 は 皇 后 の 次 の 位 であり 爵 に 視 える 所 には 無 いと 記 述 され 次 の 淑 妃 の 位 は 相 国 で 爵 は 諸 侯 王 に 相 当 し その 次 の 淑 媛 の 位 は 御 史 大 夫 で 爵 は 県 公 に 相 当 するとあります これに 対 し 川 村 氏 は 貴 嬪 と 夫 人 は ( 男 子 なぞら の 爵 に) 視 える( 対 応 する)ものがないと 言 っ ているだけであって 貴 嬪 夫 人 淑 妃 淑 媛 昭 儀 昭 華 脩 容 脩 儀 倢 伃 容 華 美 人 良 人 という12の 爵 が 実 際 に 列 挙 されているか ら 自 夫 人 以 下 には 夫 人 が 含 まれるとするも のです 私 は 川 村 氏 の12の 爵 が 列 挙 されたという 解 釈 は 全 くの 誤 りだと 思 います 12の 位 の 誤 りです 川 村 氏 が 最 後 に 括 弧 書 きで 不 思 議 であ ると 自 ら 述 べたところが 重 要 だと 思 います 川 村 氏 の 解 釈 ですと この 括 弧 書 きのように 疑 問 が 残 ります (ちなみに 自 貴 嬪 以 下 と 書 かずに 自 夫 人 以 下 と 書 いてあるのは 不 思 議 であるが こ れは 貴 嬪 と 夫 人 の 位 が 対 等 で かつ かつ 夫 人 の 方 が 貴 嬪 より 由 緒 が 古 いからではな いかと 思 われる) 貴 嬪 を 含 む12の 位 が 全 て 爵 であれば 自 夫 人 以 下 とは 記 述 されません 川 村 氏 の 解 釈 ど おり 自 A 以 B のAを 含 むとした 場 合 には 自 貴 嬪 以 下 と 記 述 されなければなりません し かしそのようには 記 述 されていません 貴 嬪 か - 5 -

こうきゆう ら 良 人 までは 後 宮 の12の 位 を 最 終 的 に 整 理 して 表 したものであって 爵 を 列 挙 したもので はないのです この 位 を 川 村 氏 は 爵 と 間 違 えて います このように 理 解 すれば 川 村 氏 の 不 思 議 に 応 えることができると 思 います 12の 位 の 内 順 位 一 位 の 貴 嬪 と 二 位 の 夫 人 を 除 いて それよりも 未 満 の 位 が 爵 に 相 当 する 身 分 であるとしか 読 みようがないのです 一 方 で 川 村 氏 が 自 A 以 B の 指 示 領 域 に A 自 身 が 含 まれるとしてあげられた 次 の 例 は たしかにA 自 身 が 含 まれる 例 と 考 えます 自 A 以 B の 指 示 領 域 にA 自 身 が 含 まれる か 否 かを 判 定 するには もっと 適 当 な 例 がある 一 番 わかりやすいのは 隋 書 の 次 の 例 である i 皇 帝 之 組 綬 以 蒼 以 青 以 朱 以 黄 以 白 以 玄 以 纁 以 紅 以 紫 以 緅 以 碧 以 緑 十 有 二 色 諸 公 九 色 自 黄 以 下 諸 侯 八 色 自 白 以 下 諸 伯 七 色 自 玄 以 下 諸 子 六 色 自 纁 已 下 諸 男 五 色 自 紅 已 下 三 公 之 綬 如 諸 公 ( 隋 書 志 第 六 禮 儀 六 ) 皇 帝 の 組 綬 (= 佩 玉 や 官 印 を 付 けるための 組 紐 )が 順 に12 色 列 挙 されている そして 諸 公 の9 色 が 自 黄 以 下 だというのであるから だというのであるから 黄 白 玄 纁 紅 紫 緅 碧 緑 と 実 際 に 数 えてみれば 明 らかなように 黄 を 含 まなけれ ば9 色 にならない 次 の 自 白 以 下 の8 色 も その 次 の 自 玄 以 下 の7 色 も 同 様 である( 句 読 点 の 付 け 方 が 間 違 っている などということ はないので 確 認 されたい) これは 他 に 解 釈 の 余 地 がなく 明 確 に 自 A 以 B の 指 示 領 域 にA 自 身 が 含 まれる 例 であ る このiの3 例 が 存 在 することにより 少 な くとも 自 A 以 Bには その 指 示 対 象 にA 自 身 が 含 まれる 用 法 が 存 在 する ことがわかった 以 上 のことから 自 A 以 B については A を 含 む 場 合 と 含 まない 場 合 があることがわか ります 9 自 竹 斯 國 以 東 皆 附 庸 於 俀 それでは 次 の 隋 書 俀 國 伝 の 場 合 自 A 以 B の 指 示 領 域 に 竹 斯 國 は 含 まれるのかふくま れないのか どうでしょうか 明 年 上 遣 文 林 郎 裴 清 使 於 俀 國 度 百 濟 行 至 竹 島 南 望 身 冉 羅 國 經 都 斯 麻 國 逈 在 大 海 中 又 東 至 一 支 國 又 至 竹 斯 國 又 東 至 秦 王 國 其 人 同 於 華 夏 以 爲 夷 洲 疑 不 能 明 也 又 經 十 餘 國 達 於 海 岸 自 竹 斯 國 以 東 皆 附 庸 於 俀 最 初 に 述 べたように 俀 の 基 本 的 な 状 況 は 変 わ りません ということは この 竹 斯 國 の 位 置 が その 名 称 からして 現 在 の 博 多 湾 岸 であるとすれ ば それは 俀 の 中 心 領 域 と 考 えられます 従 っ て 竹 斯 國 を 含 んでその 東 は 皆 俀 に 附 庸 する と 解 釈 するより 竹 斯 國 を 含 まずその 東 は 皆 俀 に 附 庸 する と 解 釈 した 方 が 基 本 的 な 状 況 に より 合 致 しています もし 竹 斯 國 が 属 国 である とすれば 目 的 地 に 該 当 しそうな 國 は ここに は 見 あたらないことになってしまいます つまり 竹 斯 國 が 属 国 であるとした 仮 定 が 間 違 っているのです 竹 斯 國 は 俀 の 本 国 と 考 えるべ きでしょう 10 裴 清 を 出 迎 えたところ 俀 王 遣 小 徳 阿 輩 臺 從 數 百 人 設 儀 杖 鳴 鼓 角 來 迎 後 十 日 又 遣 大 禮 哥 多 毗 從 二 百 餘 騎 郊 勞 既 至 彼 都 其 王 與 清 相 見 以 上 を 踏 まえると 俀 王 の 使 者 小 徳 阿 輩 臺 が 来 迎 したところについて 竹 斯 國 から 東 の 秦 王 国 や 十 余 國 を 経 て 達 した 海 岸 九 州 の 東 の 海 岸 であると 捉 えるのは 全 くの 見 当 はずれであるこ とがわかります 九 州 の 東 の 端 属 国 の 海 岸 に 隋 使 を 出 迎 えることはあり 得 ません ましてや どこにも 地 名 が 出 てこない 難 波 に 出 迎 えること は 全 くありえません 身 分 の 順 位 が 第 二 位 の 小 徳 阿 輩 臺 が 数 百 人 を 従 えて 裴 清 を 迎 えに 出 向 いたのは 三 国 志 の 時 代 と 変 わりません 皆 臨 津 捜 露 傳 送 文 書 賜 遺 之 物 詣 女 王 不 得 差 錯 つまり 傳 送 文 書 や 賜 遺 之 物 に 差 錯 がないように 捜 露 するのは 都 の 近 く の 津 のはずです 三 国 志 であれば 伊 都 國 です 差 錯 がないことを 確 認 できたので 十 日 後 に 裴 清 が 滞 在 している 郡 使 往 来 常 所 駐 都 の 郊 勞 に 大 禮 哥 多 毘 が 二 百 余 騎 を 従 えて 出 迎 えたとい うことでしょう そして 既 に 彼 の 都 邪 靡 堆 に つい 至 り 俀 王 と 面 会 したのです - 6 -