技 術 報 告 601A 鈴 木 利 雄 ( 米 沢 工 業 会,suzutosi@ms3.omn.ne.jp) 川 治 健 一 ( 米 沢 工 業 会,kkawaji@ ms3.omn.ne.jp) 関 口 理 希 ( 山 形 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科,tyt54047@st.yamagata-u.ac.jp) 石 川 智 士 ( 山 形 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科,twt38682@st.yamagata-u.ac.jp) 伊 藤 智 博 ( 山 形 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科,tomohiro@yamagata-u.ac.jp) 立 花 和 宏 ( 山 形 大 学 大 学 院 理 工 学 研 究 科,h9rbvq3x@yz.yamagata-u.ac.jp) The telephone named Kurodenwa that is connected every home anywhere in Japan: Recollections of the development of the model 601A dial Toshio Suzuki (Alumn Association of Yamagata University at Yonezawa, Japan) Kenichi Kawaji (Alumn Association of Yamagata University at Yonezawa, Japan) Masaki Sekiguchi (Graduate School of Science and Engineering, Yamagata University, Japan) Satoshi Ishikawa (Graduate School of Science and Engineering, Yamagata University, Japan) Tomohiro Ito (Graduate School of Science and Engineering, Yamagata University, Japan) Kazuhiro Tachibana (Graduate School of Science and Engineering, Yamagata University, Japan) 要 約 関 東 大 震 災 をきっかけに 固 定 電 話 網 の 整 備 のためにダイヤル 式 電 話 機 と 自 動 交 換 機 の 技 術 のニーズは 生 まれ 黒 電 話 が 産 声 を 上 げた 終 戦 を 経 て 高 度 成 長 期 に 黒 電 話 の 完 成 版 600 型 が 世 に 姿 を 表 した 電 電 公 社 がダイヤル 自 動 化 100 %を 目 指 す 中 日 本 はオイルショックの 狂 乱 物 価 に 見 舞 われた 黒 電 話 の 製 造 コストを 下 げるため 完 成 されたと 言 われた 黒 電 話 600 型 をさらに 改 善 することを 余 儀 なくされた 山 形 大 学 工 学 部 電 気 工 学 科 を 卒 業 して 間 もない 鈴 木 を 中 心 として 山 形 県 米 沢 市 の 田 村 電 機 で 黒 電 話 601A 型 ダイヤル 開 発 が 行 われた 新 しく 開 発 された 黒 電 話 601A 型 は 日 本 の 家 庭 を 電 話 で 隅 々までつないだといってい い 本 稿 はその 開 発 の 状 況 がいかがなものであったか 時 代 背 景 とともに 書 き 残 すものである キーワード 黒 電 話, 高 度 成 長 期, 自 動 交 換 機,ダイヤル, 固 定 電 話 網 1. 緒 言 こんなにシンプルなのにすごい 機 能 が 搭 載 されていたん ですね 筆 者 らのうち 若 い 世 代 の 口 をついて 出 た 言 葉 だった その 黒 電 話 は かつて 山 形 県 米 沢 市 にある 山 形 大 学 工 学 部 応 用 化 学 科 第 一 講 座 の 教 授 室 に 設 置 され 鎌 田 仁 教 授 松 木 健 三 教 授 尾 形 健 明 教 授 らが 使 ったものだった それが 本 稿 の 執 筆 時 点 でまだ 現 役 で 動 作 しているのだから 30 年 以 上 も 稼 動 していることになる ちゃんと 話 もできるし ダイヤルもス ムースに 動 く 驚 くべき 耐 用 年 数 である スマートホンのピ クトグラム( 図 1)の 原 型 でもある 黒 電 話 今 や 実 動 する 姿 を ほとんど 見 かけなくなったが その 開 発 はどこでいかになさ れたのであろうか 図 1: 今 でも 使 われる 電 話 のピクトグラム 2. 電 話 の 歴 史 表 1 に 電 話 とそれに 関 連 する 歴 史 を 示 す 1876 年 送 話 器 の 実 験 で 希 硫 酸 をこぼしたグラハムベルが ワトソン 君 ちょっと 来 きてくれ と 言 ったのが 実 用 に 耐 える 電 話 だった かどうかはともかく その2 年 後 には 日 本 でも 電 話 機 が 作 ら れた 1890 年 には 逓 信 省 ( 現 総 務 省 )の 管 轄 で200 名 の 加 入 者 を 記 した 電 話 番 号 簿 が 発 行 された 会 話 の 内 容 (= 情 報 )に 先 立 って 宛 先 の 番 号 (= ID)を 付 与 するこの 仕 組 みはインター ネットの 世 界 でもなんら 変 わることはない 当 初 は 交 換 手 に 電 話 番 号 を 伝 えて 電 話 回 線 を 切 り 替 えてもらう 手 動 交 換 が 行 われていた 1923 年 に 未 曾 有 の 地 震 が 関 東 一 円 を 襲 った ちょうどお 昼 時 で 竈 七 輪 から 同 時 多 発 的 に 火 災 が 発 生 した 折 からの 強 風 で 火 災 はたちまち 延 焼 し 消 防 能 力 を 超 えた 消 防 組 織 の 迅 速 な 対 応 のため ステップバイステップ 交 換 機 とダイヤル 式 電 話 機 が 開 発 され 消 防 ダイヤルが 開 設 された 電 話 のピ クトグラム( 図 1)に 使 われる 元 祖 黒 電 話 が 登 場 したのも こ の 頃 であった いつの 時 代 もニーズは 発 明 の 母 である かく して 電 話 機 にダイヤルが 搭 載 されたのであった その 後 時 代 は 太 平 洋 戦 争 へと 進 み 多 くの 不 幸 と 悲 しみ を 抱 えたまま 終 戦 を 迎 えた 戦 後 の 混 乱 の 中 治 安 のための 警 察 通 報 用 電 話 110 番 が 設 置 された ダイヤルしてから 警 察 につながるまで 時 間 がかかっては 緊 急 時 に 役 立 たない 10 パ ルス 毎 秒 だった 速 度 を20 パルス 毎 秒 までスピードアップし クロスバー 交 換 機 を 日 本 国 中 に 巡 らせて 固 定 電 話 網 を 整 備 す Union Press 科 学 技 術 研 究 第 5 巻 1 号 2016 年 123
表 1: 電 話 の 歴 史 年 号 事 項 1876 年 グラハムベル 電 話 機 発 明 1878 年 国 産 第 一 号 電 話 機 1890 年 初 めての 電 話 番 号 簿 発 行 1908 年 後 藤 新 平 電 話 普 及 のため 度 数 制 度 を 導 入 1923 年 関 東 大 震 災 1926 年 ステップバイステップ 交 換 機 (S S) 導 入 1926 年 ダイヤル 式 電 話 機 消 防 ダイヤル( 現 在 の 119) 開 設 1933 年 元 祖 黒 電 話 3 号 自 動 式 卓 上 電 話 機 1941 年 太 平 洋 戦 争 1943 年 運 輸 通 信 省 設 置 1944 年 米 沢 工 業 専 門 学 校 に 通 信 工 学 科 設 置 1945 年 終 戦 1946 年 逓 信 省 設 置 1948 年 110 番 が 8 都 市 で 利 用 可 能 1949 年 山 形 大 学 工 学 部 電 気 工 学 科 設 置 1952 年 電 電 公 社 発 足 1952 年 クロスバー 交 換 機 XB 導 入 1962 年 ポリプラスチックスにより CELCON の 輸 入 販 売 開 始 そ の 後 日 本 における 商 品 名 を ジュラコン と 命 名 1963 年 黒 電 話 600 型 電 話 機 完 成 された 電 話 機 と 言 われる 20パ ルス 毎 秒 に 対 応 1964 年 東 京 オリンピック 1966 年 ビートルズ 来 日 ベトナム 戦 争 への 批 判 高 まる 1967 年 クロスバー 交 換 機 C-400 導 入 1968 年 全 国 加 入 者 数 1000 万 突 破 1968 年 ポリプラスチックスがジュラコン(ポリアセタール) 国 産 化 を 開 始 1969 年 アナログ 電 子 交 換 機 DEX 導 入 1969 年 プッシュ 式 電 話 機 1971 年 ドルショック 1971 年 電 電 公 社 公 衆 回 線 開 放 1972 年 田 中 角 栄 総 理 大 臣 日 本 列 島 改 造 論 で 交 通 情 報 インフ ラ 全 国 整 備 を 唱 える 1972 年 沖 縄 返 還 1973 年 第 4 次 中 東 戦 争 1973 年 ( 第 1 次 )オイルショック 1973 年 フィンガー 5の 歌 謡 曲 恋 のダイヤル 6700 大 ヒット 1976 年 小 学 館 小 学 四 年 生 1 月 号 のドラえもんの 秘 密 道 具 に もしも ボックス 初 出 1978 年 黒 電 話 601A 型 商 用 試 験 1979 年 ダイヤル 自 動 化 100% 完 了 1979 年 ( 第 2 次 )オイルショック 1982 年 日 本 列 島 改 造 論 から 10 年 上 越 新 幹 線 東 北 新 幹 線 営 業 開 始 1982 年 国 産 PC NEC PC-9801 発 売 1983 年 ディジタル 交 換 機 D70 導 入 ISDN 導 入 開 始 1985 年 電 電 公 社 民 営 化 NTTへ 端 末 自 由 化 1995 年 Windows 95 発 売 固 定 電 話 から 携 帯 電 話 へ 1996 年 固 定 電 話 加 入 者 数 6153 万 件 (ピーク) 2000 年 ISDN 契 約 回 線 1000 万 回 線 2011 年 東 日 本 大 震 災 2011 年 固 定 電 話 加 入 者 数 3766 万 件 ( 半 減 ) 全 国 の 家 庭 をつなぐ 固 定 電 話 網 の 整 備 を 国 民 から 託 されてい た 電 電 公 社 としてはあきらめるわけにはいかなかった 電 電 公 社 から 民 間 の 会 社 に 悲 鳴 とも 思 えるミッションが 下 った 完 成 された 黒 電 話 600 型 をさらに 改 善 してコストダウンをは かれ 本 稿 では1970 年 代 に 山 形 県 米 沢 市 の 田 村 電 機 でなされた 黒 電 話 600 型 の 後 継 機 種 黒 電 話 601A 型 のダイヤル 開 発 状 況 を 書 き 残 すことを 目 的 とする 3. 固 定 電 話 のダイヤルに 要 求 される 仕 様 と 自 動 交 換 の 仕 組 み ダイヤル 式 電 話 機 と 自 動 交 換 機 の 仕 組 みを 一 言 で 言 えば ダイヤルに 設 けられた 接 点 をつないだり(メーク) 切 ったり (ブレーク)することで 自 動 交 換 機 の 中 の 電 磁 石 を 操 作 し 目 的 の 宛 先 に 電 話 回 線 を 接 続 することにある( 川 上, 2015; 高 作,2014) 黒 電 話 の 受 話 器 を 持 ち 上 げることで 電 話 局 側 の 48 V の 電 源 が 供 給 され その 加 入 者 線 ループを 回 転 ダイヤル で 断 続 することによって 決 められた 仕 様 のパルス( 図 2)を 自 動 交 換 機 に 送 る その 速 度 は 元 祖 黒 電 話 で10パルス 毎 秒 メー ク 時 間 33ミリ 秒 ブレーク 時 間 67ミリ 秒 ポーズは 最 低 650 ミリ 秒 である 20 パルス 毎 秒 となってもメーク 時 間 とブレー ク 時 間 の 比 メークレシオは 変 わらない 初 期 特 性 としてメー クレシオは 公 差 3 % 20 万 回 ダイヤル 後 で 公 差 4 % それが 電 電 公 社 から 要 求 された 規 格 であった 黒 電 話 では スプリ ングとギアだけの 機 械 部 品 でこれだけの 精 度 を 実 現 するので ある るため 電 電 公 社 が 発 足 した 完 成 された 電 話 機 と 言 われる 黒 電 話 600 型 が 世 に 出 回 り 始 めた 頃 日 本 の 高 度 成 長 期 の 象 徴 とも 言 える 東 京 オリンピックが 開 催 された 順 調 とも 思 えた 経 済 成 長 にも 陰 りが 出 てきた 泥 沼 化 する ベトナム 戦 争 への 批 判 が 高 まり アメリカは 介 入 縮 小 を 余 儀 なくされた 長 年 にわたる 膨 大 な 軍 事 支 出 はドルへの 信 用 不 安 をもたらし 当 時 のアメリカのニクソン 大 統 領 は1971 年 ドルと 金 の 兌 換 停 止 に 踏 み 切 った このドルショックに 加 え てオイルショックも 日 本 を 直 撃 し 日 本 は 終 戦 直 後 のような 狂 乱 物 価 となった 公 害 問 題 や 廃 棄 物 問 題 に 加 えて 各 地 で 賃 上 げを 求 めたストライキも 行 われた そんな 世 相 にあっても 図 2:ダイヤルパルスの 規 格 (10パルス 毎 秒 ) 4. 黒 電 話 601A 型 ダイヤルの 産 声 筆 者 らのひとり 鈴 木 はオイルショック 当 時 公 衆 電 話 機 ( 赤 電 話 )を 製 造 していた 田 村 電 機 に 勤 務 していた 田 村 電 機 の 相 模 原 工 場 では 公 衆 電 話 を 組 み 立 てており 米 沢 工 場 では 公 衆 電 話 に 取 り 付 けるダイヤルやクロスバー 交 換 機 に 取 り 付 け る 度 数 計 を 製 造 していた 相 模 原 工 場 よりも 米 沢 工 場 の 方 の 124 Studies in Science and Technology, Volume 5, Number 1, 2016
鈴 木 利 雄 他 : 日 本 の 家 庭 を 隅 々までつないだ 黒 電 話 人 件 費 が 低 かったため よりコストメリットが 得 られると 判 断 されたのか 黒 電 話 601A 型 のダイヤルの 共 同 開 発 ( 電 電 公 社 武 蔵 野 通 信 研 究 所 岩 崎 通 信 機 東 芝 大 興 電 機 製 作 所 日 本 通 信 工 業 田 村 電 機 )は 山 形 県 米 沢 市 で 行 うことになっ た 田 村 電 機 米 沢 工 場 には 山 形 大 学 工 学 部 の 卒 業 生 が 多 く 勤 務 しており 電 気 科 出 身 の 鈴 木 も 運 よく 上 司 の 命 令 で 彼 らと ともにその 開 発 業 務 に 携 わることとなった 開 発 に 携 わった 筆 者 らのひとり 鈴 木 は 当 時 まだ 20 代 まだ 世 相 など 振 り 返 る ゆとりはなかった 黒 電 話 601A 型 のダイヤルの 共 同 開 発 の 発 端 は 田 村 電 機 で 試 みていたクロスバー 交 換 機 の 電 話 料 金 課 金 のための 度 数 計 のオールプラスチック 化 であった その 当 時 は 電 話 機 が 回 線 に 接 続 している 間 クロスバー 交 換 機 に 取 り 付 けられた 度 数 計 で 課 金 情 報 を 記 録 していたのである そのことから 筆 者 ら のひとりの 鈴 木 はオールプラスチック 化 されたタップダイヤ ルの 開 発 を 下 命 された 筆 者 らのひとりで 機 械 科 出 身 の 川 治 は 方 眼 紙 に 鉛 筆 でオールプラスチックの 度 数 計 の 図 面 を 起 こ すところからはじめた 150 トン 程 度 の 射 出 成 型 器 が 社 内 に あったので そのための 金 型 を 作 った 材 料 のエンジニアリ ングプラスチックとしてポリカーボネート ナイロン 66 ジュ ラコン(ポリアセタール)などが 検 討 されたが 摩 擦 係 数 が 少 な いこと 吸 湿 性 がないこと 国 産 化 がはじまったことなどか らジュラコンが 選 ばれた そうやって 開 発 されたオールプラスチックのタップダイヤ ルを 搭 載 した 電 話 機 は 電 電 公 社 で 策 定 した 国 内 の 規 格 外 で あったため 当 初 海 外 で 販 売 した サイパン インドなど 営 業 に 赴 いて 販 促 した そうこうするうちに 海 外 で 販 売 されてい るオールプラスチックのタップダイヤルが 電 電 公 社 の 目 にと まった 折 りしもオイルショックに 伴 う 狂 乱 物 価 で 黒 電 話 600 型 のコストダウンを 何 とかして 実 現 しなければならなかった 電 電 公 社 は 改 めてプラスチックダイヤルの 共 同 開 発 を 前 述 の 民 間 会 社 に 下 命 した そして 改 めて 国 内 の 形 式 としてオール プラスチックの 黒 電 話 601A 型 の 開 発 が 始 まったのであった 黒 電 話 601A 型 の 開 発 はダイヤル 回 路 網 ベルの3 つの グループに 分 かれて 開 発 した 稼 動 部 で 最 も 難 しかったのが ダイヤル まさに 思 い 出 が 詰 まったダイヤルだ 黒 電 話 600 型 で 全 て 金 属 製 だったダイヤルをベースプレートも メイン シャフトも ギアも 全 てプラスチック 製 に 設 計 変 更 すること を 試 みた 当 時 は CADもなく 手 書 きで 図 面 を 起 こした 自 宅 に 開 発 人 員 が 集 まり 開 発 に 没 頭 したこともあった そ の 開 発 の 真 っ 最 中 にまさかのストライキ 勃 発 開 発 人 員 不 足 を 補 うため 組 合 の 上 層 部 にいた 丸 山 氏 が 応 援 に 来 られた 覚 えがある 要 求 規 格 は 20 万 回 のダイヤリング 金 型 を 起 こしてベース プレート メインシャフト ギアをジュラコンで 射 出 成 型 100 万 回 の 保 証 を 目 指 してダイヤルをひたすら 回 す 高 さ1 メートル 幅 2 メートルのダイヤル 寿 命 試 験 機 を 導 入 し 不 眠 不 休 で 試 験 した 最 初 のトライではわずか2,000 回 でスティッ ク 原 因 は 部 品 のジュラコンが 同 種 材 料 のため メインシャ フトと 挿 入 する 部 品 などの 摩 擦 係 数 がダイヤル 動 作 を 重 ねる ごとに 大 きくなるためであった 試 作 品 の 納 期 まであと 一 週 間 の 猶 予 しかなかった 上 司 はインドに 出 張 でいない もし 納 品 できなければ 受 注 を 逃 し 会 社 の 命 運 に 関 わる 本 当 に 必 死 でがんばった 苦 肉 の 策 で 考 え 出 したのが フロイルという 潤 滑 油 にトリ クレンを 希 釈 剤 として 添 加 して 添 加 剤 とすること そこに ジュラコンの 部 品 をディップ 有 毒 のトリクレンが 蒸 発 して 作 業 員 の 健 康 を 損 なわないように 冷 却 して 容 器 を 密 閉 した 組 成 を 最 適 化 して3 7 15 20 % 溶 液 を 調 整 し 部 品 に 応 じて 使 い 分 けることで 要 求 規 格 をはるかに 上 回 る300 万 回 の 試 験 実 績 を 作 った やっと 解 決 できた 各 社 の 担 当 者 が 集 まり 色 々な 苦 労 秘 話 の 後 最 終 案 を 持 ち 寄 り 核 心 部 分 については 田 村 電 機 の 案 が 採 用 され 量 産 化 に 踏 み 切 ったことが 思 い 出 される 結 果 的 に 構 造 や 材 料 から 見 てコストは3 分 の1 程 度 になったと 考 えられる 誤 接 続 の 無 い 高 品 質 のまま コストを 極 限 まで 抑 えた 黒 電 話 601A 型 はこうして 歴 史 に 産 声 を 上 げたのだった 5. 黒 電 話 601 A 型 の 構 造 と 特 徴 黒 電 話 600 型 ( 図 3)と 黒 電 話 601A 型 ( 図 4)の 外 観 はほとん ど 変 わっていない しかし 外 観 からは 想 像 できないぐらい 電 話 機 の 内 部 構 造 は 変 化 している( 図 5 図 6) 黒 電 話 600 型 か 図 3: 黒 電 話 600 型 電 話 機 の 外 観 注 : 写 真 は650A1 型 で ダイヤルは600A 型 と 同 じであり 山 形 大 学 工 学 部 施 設 管 理 課 に 保 管 されていたものである 図 4: 黒 電 話 601A 型 の 外 観 注 : 写 真 は 601A2 型 で 山 形 大 学 工 学 部 施 設 管 理 課 に 保 管 されて いたものである 科 学 技 術 研 究 第 5 巻 1 号 2016 年 125
図 5: 黒 電 話 600 型 の 内 部 構 造 図 7: 黒 電 話 600 型 のダイヤル ( 表 ) 図 6: 黒 電 話 601A 型 の 内 部 構 造 ら 黒 電 話 601A 型 のコスト 削 減 はダイヤルだけでなく 着 信 時 鳴 動 するベルや ハンドセットを 載 せるフックスイッチま でおよび ハンドセット 内 の 送 話 器 受 話 器 回 路 網 ( 図 3 図 4) 端 子 ( 図 8)も 半 田 付 けからファストン 端 子 ( 図 11)に 代 わった その 結 果 黒 電 話 601A 型 の 組 立 は 部 品 を 軸 に 一 方 向 から 挿 入 するだけの 簡 単 な 工 程 とすることができた 黒 電 話 600 型 から 黒 電 話 601A 型 への 移 行 は まさに 一 大 機 構 改 革 だったと 言 っていい もちろんダイヤルの 機 械 的 特 性 として 黒 電 話 601A 型 も 黒 電 話 600 型 と 同 等 の 性 能 が 要 求 された 実 験 室 では 約 100 万 回 回 転 させた 後 のスピードとメークレシオが 規 格 ( 図 2)を 満 足 している 動 作 機 構 は 黒 電 話 600 型 から 黒 電 話 601 A 型 の 共 通 であ る( 図 9 図 12) 指 でダイヤルを 巻 き 込 む 際 にクラッチスプ リングが 緩 み 指 を 放 してダイヤルが 戻 る 際 にはクラッチス プリングが 締 って メインスプリングの 復 元 力 がクラッチギ アからメインギアに 伝 達 され フリクション 機 構 が 働 き 速 度 制 御 されながらフィンガープレートが 回 転 する 黒 電 話 600 型 ダイヤルではコンタクトスプリング( 図 8)が また 黒 電 話 601A 型 ダイヤルではインパルススプリング( 図 11)が 開 閉 し 電 話 番 号 通 りのパルスを 発 生 させ 交 換 機 を 通 して 相 手 の 電 話 機 に 繋 がる またダイヤルの 温 度 特 性 として 実 験 室 ではマイナス20 度 からプラス60 度 まで 湿 度 も90 % で 要 求 規 格 が 満 たされて いることを 保 証 した プラスチックの 温 度 による 寸 法 変 化 に 対 応 することは 黒 電 話 601A 型 ダイヤルの 大 きな 課 題 だった 図 8: 黒 電 話 600 型 電 話 機 のダイヤル ( 裏 ) もともと 宅 内 用 に 開 発 したダイヤルであったが 電 電 公 社 は その 有 用 性 を 認 識 し 最 終 的 にまだ 返 還 されたばかりの 高 温 多 湿 の 沖 縄 から 零 下 の 北 海 道 まで 全 国 で 使 用 される 公 衆 電 話 のダイヤルにも 採 用 した そのため 後 になって 公 衆 電 話 ボックスの 約 80 度 まで 動 作 可 能 な 新 たな 潤 滑 油 の 選 定 が 必 要 となった 黒 電 話 600 型 ダイヤルの 裏 面 ( 図 8)に 見 える 一 番 大 きなギ アがメインギアで 中 には 金 属 板 が 埋 め 込 まれている メイン ギアと 繋 がっているギアがクラッチギア( 図 9)である 当 初 黒 電 話 600 型 ではメインギアが 金 属 だったため 20 万 回 もダ イヤルすると 金 属 の 磨 耗 のため 誤 発 信 が 多 くなった そこで メインギアだけエンジニアプラスチック 材 料 のジュラコンで 作 ったのが 黒 電 話 600A 型 である 当 時 開 発 されたばかりの ジュラコンはまだ 国 産 化 されておらず 黒 電 話 600A 型 では メインギア クラッチギアともに 輸 入 したジュラコンで 作 ら れている 黒 電 話 600 型 と 黒 電 話 601A 型 ともにフィンガープレート の 奥 にはメインスプリングが 入 っている かなり 強 い 板 バ 126 Studies in Science and Technology, Volume 5, Number 1, 2016
鈴 木 利 雄 他 : 日 本 の 家 庭 を 隅 々までつないだ 黒 電 話 図 9: 黒 電 話 600 型 のダイヤル 側 面 図 ネで 分 解 すると 勢 い 良 く 飛 び 出 してくる 強 さだ 黒 電 話 601A 型 のメインスプリングはステンレスのままだったので ここだけはバネ 同 志 の 接 触 摩 擦 を 下 げるため 潤 滑 剤 として 二 硫 化 モリブデンが 使 用 されている 使 用 者 がフィンガープ レートを 回 す 時 にポーズスプリングが 作 動 しないように ま たダイヤルが 重 くならないように クラッチ 機 構 が 付 いてい た 黒 電 話 601A 型 ダイヤル( 図 11)ではコスト 削 減 のため 大 幅 に 部 品 の 材 料 変 更 がなされている メインギアはもちろん ベースプレートやガバナユニットなどほとんどが 金 属 から ジュラコンに 変 更 した またクラッチスプリングの 材 料 をベ リリウム 銅 からステンレスの 焼 鈍 品 に 変 更 した シャントス プリング コンタクトスプリング ポーズスプリングの 先 端 にある 接 点 も 銀 パラジウムの 一 体 品 から 銅 の 上 に 銀 パラジ ウム(50:50)を 張 り 合 わせた 材 料 に 変 更 した また 板 バネ 類 はすべてステンレスに 変 更 した 黒 電 話 601A 型 に 特 徴 的 なボール 機 構 ではダイヤルを 巻 く ときはボールでロックをかけることでメインギアは 止 まって いるが ダイヤルを 戻 すときにはボールのロックが 解 除 され ることで3 つが 同 期 して 回 り 出 す またシャントスプリング 兼 ポーズスプリングやインパルススプリングはロール 状 態 で 3 分 の1 に 半 田 メッキをすることにより 接 触 抵 抗 の 増 大 を 防 止 している 図 10: 黒 電 話 601A 型 ダイヤル( 表 ) 6. 黒 電 話 のその 後 図 11: 黒 電 話 601A 型 ダイヤル( 裏 ) 図 12: 黒 電 話 601A 型 のダイヤル 側 面 図 1972 年 に 著 された 日 本 列 島 改 造 論 は 水 は 低 きに 流 れ 人 は 高 きに 集 まる の 序 から 始 まる( 田 中,1972) その 著 書 で 田 中 は 都 市 の 過 密 と 農 村 の 過 疎 の 格 差 是 正 のため 新 幹 線 と 高 速 道 路 と 情 報 通 信 ネットワークの 必 要 性 を 高 らかに 謳 っ ている 著 者 のひとり 立 花 がまだ 物 心 つくかつかないかだっ たそのころ 祖 父 母 のもとで 夏 休 みを 過 ごしたとき その 日 本 列 島 改 造 論 を 片 手 に 東 北 にも 新 幹 線 が 来 るぞ と 亡 くなっ た 祖 父 が 興 奮 気 味 に 語 って 聞 かせてくれたのをはっきりと 覚 えている 祖 父 の 家 には 有 線 放 送 設 備 があり 電 話 と 有 線 の 違 いについて 周 囲 の 大 人 に 聞 いてみたが よくわからなかっ た 当 時 の 地 方 の 農 村 の 有 線 放 送 では グループ 加 入 で 電 電 公 社 の 固 定 電 話 網 に 接 続 したいという 要 望 が 強 く 電 電 公 社 がこれを 嫌 っていたと 知 ったのは 本 稿 執 筆 のため 黒 電 話 につ いて 調 査 を 始 めてからだった( 高 橋,2011) 1979 年 についにダイヤル 自 動 化 100 % が 達 成 され 黒 電 話 601A 型 のダイヤルを 回 すだけで いつでも 日 本 中 のどこへで も 繋 がって 会 話 出 来 る 時 代 となった しかし 黒 電 話 601A 型 の 驚 異 的 な 耐 用 年 数 が 裏 目 に 出 て 科 学 技 術 研 究 第 5 巻 1 号 2016 年 127
その 市 場 は 急 速 に 縮 小 し 電 気 通 信 各 社 は 新 たなニーズを 求 めて 凌 ぎを 削 ることとなった 日 本 通 信 工 業 はそののち 日 本 電 気 の 子 会 社 となった 1982 年 にはその 日 本 電 気 から 発 売 さ れたPC-9801 は 漢 字 が 表 示 できることもあって 日 本 のビジネ スを 一 転 させた 同 じ1982 年 に 田 村 電 機 は 磁 気 カード 式 公 衆 電 話 ( 緑 電 話 )を 開 発 し 華 やかなデザインのテレフォンカー ドが 一 世 を 風 靡 した 日 本 列 島 改 造 論 が 世 に 出 て 10 年 時 期 を 同 じくして 上 越 新 幹 線 と 東 北 新 幹 線 が 営 業 開 始 した そし て 1985 年 に 役 目 を 終 えた 電 電 公 社 は 解 散 し NTT として 新 た なスタートを 切 った 使 用 者 は 好 みの 電 話 機 を 家 電 量 販 店 で 購 入 する 時 代 となったのである さらに 時 代 が 進 み 交 換 機 がディジタル 電 子 交 換 機 に 置 き 換 わり Windows 95の 発 売 でインターネットが 爆 発 的 に 普 及 す ると 回 転 式 ダイヤルからプッシュボタンへ さらに 携 帯 電 話 のキーパッドに 引 き 継 がれた 携 帯 電 話 のキーパッドから はジーコロコロというダイヤルの 回 転 音 もピッポッパッとい うプッシュトーンも 聞 こえず 単 なる 情 報 入 力 装 置 と 化 した さらにタッチパネルになったスマホでは 電 話 番 号 は 電 話 帳 に 登 録 してあるので 相 手 の 名 前 をタップするだけになった 今 となっては 回 転 式 ダイヤルを 見 かけることはまずない 山 形 大 学 も 被 災 した2011 年 の 東 日 本 大 震 災 は 新 たな 教 訓 を 生 んだ そのときの 工 学 部 キャンパスには 公 衆 電 話 ボッ クスがなかった 皮 肉 にもかつてキャンパスにあった 公 衆 電 話 ボックスは 携 帯 電 話 の 普 及 と 経 済 的 な 理 由 から 撤 去 されて いたのだった 1923 年 の 関 東 大 震 災 がきっかけで 電 話 の 自 動 交 換 とダイヤル 化 を 進 め 1979 年 にダイヤル 自 動 化 100% が 達 成 するまで 約 半 世 紀 その 後 また 半 世 紀 が 過 ぎようとし ている 電 気 通 信 事 業 法 によると 災 害 時 などのときは 救 援 秩 序 の 維 持 などに 関 わる 重 要 通 信 のための 優 先 電 話 を 設 けなく てはならない NTT が 設 置 する 公 衆 電 話 は 優 先 電 話 と 同 様 の 扱 いとなっているため 災 害 時 でも 通 信 規 制 を 受 けない しかし 携 帯 電 話 の 普 及 により 2001 年 には68 万 台 あった 公 衆 電 話 は 2012 年 には 21 万 台 に 減 った( 総 務 省,2013) 誰 もが 便 利 になったと 思 って 使 っていた 携 帯 電 話 は いつ のまにか 関 東 大 震 災 後 に 必 要 とされた 黒 電 話 とは 別 物 に 変 貌 を 遂 げていた そしてついには 災 害 時 の 最 後 の 頼 みの 綱 であ る 公 衆 電 話 を 駆 逐 するまでに 勢 いを 増 していた そして 東 日 本 大 震 災 時 には 携 帯 電 話 を 利 用 していた 多 くの 人 が 通 信 手 段 に 事 欠 く 状 況 となった その 点 受 動 素 子 と 機 械 部 品 だけで 構 成 された 黒 電 話 は たとえ 停 電 時 でも 日 本 中 どこへでもつ ながることができた 華 々しく 新 たに 開 業 した 青 森 新 幹 線 や 北 陸 新 幹 線 も 在 来 線 を 第 3 セクターに 追 いやり 都 市 部 の 新 幹 線 利 用 者 と 過 疎 地 域 の 交 通 弱 者 との 格 差 が 広 がっているようにも 見 える 黒 電 話 601A 型 に 限 らず 人 々がなぜその 工 業 製 品 を 求 めたのか 改 めて 考 え 直 す 時 期 ではなかろうか? 良 かれと 思 ったモノづ くりがゴミづくりにならぬよう 本 稿 がこれからの 時 代 を 担 う 次 世 代 の 一 助 となることを 切 に 願 うものである 伊 藤 一 男 氏 をはじめとした 山 形 大 学 工 学 部 卒 の 方 々 黒 電 話 601A のダイヤル 開 発 に 携 わった 全 ての 方 々の 日 夜 を 惜 し まない 努 力 と 知 識 知 恵 に 深 く 感 謝 申 し 上 げます 引 用 文 献 川 上 孝 之 助 (2015). 公 衆 通 信 網 における 交 換 システム 技 術 の 系 統 化 調 査. 技 術 の 系 統 化 調 査 報 告,Vol. 22,No. 1,217-281. 高 作 義 明 (2014). 徹 底 図 解 通 信 のしくみ 改 訂 版. 新 星 出 版 社. 田 中 角 栄 (1972). 日 本 列 島 改 造 論. 日 刊 工 業 新 聞 社. 高 橋 雄 三 (2011). 電 気 の 歴 史 人 と 技 術 のものがたり. 東 京 電 気 大 学 出 版 局. 総 務 省 (2013). 平 成 25 年 版 情 報 通 信 白 書, 固 定 通 信.http:// www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h25/ html/nc245220.html. ( 受 稿 :2016 年 6 月 16 日 受 理 :2016 年 6 月 21 日 ) 謝 辞 田 村 電 機 の 開 発 グループ 員 として 神 原 一 氏 横 山 賢 一 氏 128 Studies in Science and Technology, Volume 5, Number 1, 2016