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SAM による快 ( 感情価 ) と覚醒の評定 IAPS の快と覚醒の程度を測定するために,Self-assessment manikin (SAM, Lang, 1980) を開発し た ( 図 2.1).SAM の快次元は笑顔 幸福から不満 不幸までを表し,SAM の覚醒次元は興奮し, 眼を見開いた状態からリラックス 寝ている状態までを表す. 各次元を 9 段階で評定する. IAPS の各写真について SD 法による形容詞対を用いた評定と SAM による評定を比較した結果, 快と覚醒の 2 因子が得られた (Bradley & Lang, 1994).SAM 評定と SD 法による因子分析の結果, 相関は非常に高く,SAM はこれらの感情の基本次元を速やかに評価できることが示された. 評定の標準化手続 各研究において, 感情価, 覚醒, 意味内容の異なる約 60 枚の新しい写真を約 100 名の実験参加者に呈示した. 評定場面は 8-25 名の小集団で管理された.3 回の練習試行後, 各試行は 5 s 間の予告呈示 6 s 間の写真呈示 15 s 以内に SAM による評定の実施という手続きであった. 感情の空間分布 (affective space) 快と覚醒の平均評定値に基づき, 各写真を 2 次元に布置した感情の空間分布を図 2.2 に示した. この分布の特徴は,(1) 快の評定を Y 軸とした場合, ブーメラン型の様相となる, (2) 快の評定を X 軸とした場合,U 字型の関数となる. 感情分布の形は,(1) ある写真が快あるいは不快と評定されるほど, 覚醒の評定も増加する,(2) 中性的と評定された写真は覚醒の評定が低い傾向がある. 快と覚醒の評定値の相関は比較的低く (r =.28), 一方, 曲線相関 (2 次 ) は高かった (r =.54) (Greenwald, Cook, & Lang, 1989). 2

図 2.2 ( 上段 ) は, 感情分布における欲求動機づけシステムと防衛動機づけシステムの活性化の 関連を示している. 性的な写真は欲求システムを強く活性化し, 一方, 脅威的な写真は防衛シス テムを強く活性化する. 不快 穏やかの象限 ( 四分円 ) はほぼ分布のない領域である. 快と覚醒の評定値の関連には個人差がある. 不快の喚起を主に評定する傾向のある者では負の相関が認められ ( ネガティブバイアス ), 一方, 快の喚起を主に評定する傾向のある者では正の相関が認められた ( ポジティブバイアス ). このバイアスには性の影響がある. 女性 (16%) と比較して, 男性 (40%) はポジティブバイアスを示す者が多く, 一方, 男性 (15%) と比較して, 女性 (30%) はネガティブバイアスを示す者が多い. 性差は, 男女別の感情の空間分布においても認められる ( 図 2.2 下段 ). 快の写真に対して, 女性 (r =.20) と比較して, 男性は快と覚醒の高い正の相関 (r =.68) を示す. 不快な写真に対して, 男性 (r = -.55) と比較して, 女性は快と覚醒の高い負の相関 (r = -.77) を示す. したがって, 快の写真に対して, 男性は高い覚醒 ( 快 ) を報告し, 一方, 不快な写真に対して, 女性は高い覚醒 ( 不快 ) を報告することが多い. 交差文化的一貫性 感情の空間分布の形は, 少なくとも西洋文化圏において交差文化的に一貫性がある. アメリカ ドイツと比較して, スウェーデンでは写真に対する評定が全般的に低く, 一方, イタリアでは全般的に高く評定されたことから, 一般的な文化的ステレオタイプを支持する傾向であった.SAM は文化や言語による影響を受けないため, 様々な国や文化において用いることができる 年齢と感情の空間分布 写真は言語 識字能力に依存しないため,IAPS は児童を対象とした感情研究にも適している. 7-9 歳,13-15 歳, 大学生の 3 群において IAPS に対する快と覚醒の評定を比較した (McManis, Bradley, Berg, Cuthbert, & Lang, 2001). 予想通り, 成人の研究結果と類似した関係が認められた. IAPS と写真の内容 人間にとって最も感情を喚起する写真は人間の活動や出来事の描写であるために,IAPS の半分以上の写真は快, 不快に関連した人間の描写である. 様々な写真内容の空間分布を男女別に示した ( 図 2.4). 男性と比較して, 女性は不快な内容の写真を全般的により不快 高覚醒と評定し, 女性と比較して, 男性は性的な内容をより快 高覚醒と評定した (Bradley, Codispoti, Sabatinelli, & Lang, 2001). この結果は, 快と覚醒の評定における個人のバイアスと一致する. 3

特定の感情 IAPS と特定の感情の喚起を検討するために, 写真呈示中に喚起された感情をリストから選択さ せた ( 参照 Bradley, Codispoti, Sabatinelli, & Lang, 2001). その結果, 同じ写真に異なる感情ラベル が選択されたことから, 写真の内容と個々の感情には明らかな 1 対 1 の対応はないと示された. 手足の切断や汚物の写真に対して最も高い一致がみられ, 男女ともに 嫌悪 が選択された. 性 的な写真に対して男女間で最も選択が異なった. 男女ともに性的な関係の男女に対し ロマンテ ィック 性的魅力がある を選択した. 一方, 男性は異性の性的写真に対して 性的魅力がある 興奮した を選択し, 女性は異性の性的写真に対して おもしろい 当惑した を選択した. 生理学と個人の評定 IAPS に対する評価基準と生理指標の関連を検討した実験から (Greenwald et al., 1989; Lang, Greenwald, Bradley, & Hamm, 1993), 明らかな関連が認められた ( 図 2.5). 顔面の皺眉筋の活動パターンは感情価の評定と強い関連がある. 写真に対する不快の評定が増加するほど, 皺眉筋の筋活動も増加する ( 図 2.5 上段左側 ). 最も快と評定された写真は皺眉筋の筋活動の減少に関連した (Larsen, Norris, & Cacioppo, 2003). 皺眉筋の筋活動よりも程度が弱いものの, 大頬骨筋の筋活動の変化は快の評定と共に変化する ( 図 2.5 上段右側 ). しかし, 最も不快な写真に対して, 大頬骨筋の筋活動はわずかな増加を示した (Larsen et al., 2003). 感情の喚起と強い関連を示す指標として, 皮膚コンダクタンスの増大と, 事象関連電位については後期陽性電位の振幅増大 ( 刺激呈示開始から 400-700 ms) がある ( 図 2.5 下段 ). IAPS は評価基準に関連した測定可能な感情の喚起を促し, 感情次元の体制化は自律神経系, 体性神経系, 中枢神経系の系統的な変化から捉えられると示唆された. 4

生理学と評定基準 IAPS を利用するうえで典型的な方法は, 標準化された IAPS の感情価と覚醒の評定に基づいて, 快, 中性, 不快な写真を選択することである (Lang, Bradley, & Cuthbert, 2004). 顔面筋電図 皺眉筋の筋活動は, 不快な写真に対して増加し, 快の写真に対して減少する ( 図 2.6 上段 ). 特に, 皺眉筋の筋活動は最も不快な内容に対して増加し, 切断された身体や汚物の写真に対して最大の変化がみられた (Bradley, Codispoti, Cuthbert, & Lang, 2001). 大頬骨筋の筋活動は, 快の評定値とともに変化する ( 図 2.6 下段 ). 特に女性の実験参加者において, 赤ちゃん, 家族, 食物などの特定の快の内容は大頬骨筋の筋活動の増加をもたらす (Bradley, Codispoti, Cuthbert, & Lang, 2001). 男女ともに, 脅威的な人間 動物, 汚物などの不快な写真に対しても, 大頬骨筋の筋活動が生じる. したがって, 大頬骨筋は顔をしかめるなどのより広範囲な表情にも部分的に関連するだろう. IAPS に対する眼輪筋, 大頬骨筋, 皺眉筋の筋活動を記録した結果 (Bradley, Codispoti, Cuthbert, Lang, 2001), 大頬骨筋と眼輪筋の同時賦活は本物の笑顔の指標であり, 一方, 皺眉筋と眼輪筋の同時賦活は嫌悪の表情に関連すると示唆された. 皮膚コンダクタンス 快 不快刺激の呈示中, 皮膚コンダクタンス反応が増加する ( 図 2.7). 皮膚電気反応は急速な慣れを生じる. 快の内容では性的な写真に対して, 不快な内容では脅威的な人間 動物, 切断された身体の写真に対して, 皮膚コンダクタンス反応の増加が顕著である (Bradley, Cadispoti, Cuthbert, & Lang, 2001). 皮膚電気反応の喚起は動機づけの活性化に依存すること, また, 交感神経活動の賦活 ( 闘争あるいは逃走 ) は動機づけの活性化の強度に依存すると考えられる. 5

心拍数 (HR) IAPS の呈示時間が 6 s 間の場合,HR は, 減少 ( 定位反応, 取り込みの指標 ; Graham, 1973) 増 加 減少の 3 相性の反応パターンを示す ( 図 2.8 左側 ). 感情価は最初の HR 減少に影響を及ぼす. 不快な刺激は最初の HR 減少の程度を増大し, 快の 刺激は HR 増加の頂点を増大させる (Greenwald et al., 1989). 最初の HR 減少の増大はあらゆる不 快な写真の呈示に関連することから (Bradley, Codispoti, Cuthbert, & Lang, 2001), 不快な内容は初 期の定位反応と注意の増大を促進すると示唆された. 24 枚の IAPS を呈示し ( 快, 中性, 不快, 各 8 枚 ),1 週間後, 新しい 24 枚の IAPS を呈示した 実験結果を図 2.8 に示した. いずれの場合も, 不快な写真に対して最初の HR 減少が認められた. 2 回目の実験において, 快の内容の中でも最も快を喚起する写真 ( たとえば, 性的 冒険 ) に対し て, 最初の HR 減少の程度が増大した. 定位反応は不快な刺激に対しては比較的自動的であるも のの, 何枚もの写真を呈示されたことから, 実験参加者は快の刺激に自発的な注意を払ったとい う可能性がある. 写真呈示中の HR は, 感覚の情報処理過程 ( たとえば, 定位反応 ) と密接な関係を示す. 刺激呈 示時間が短時間 ( たとえば,500 ms) あるいは閾値以下の場合も,HR にもたらす感情の影響は変 わらないだろう. 事象関連電位 (ERP) と緩電位活動 IAPS 呈示中, 感情価には関係なく, 感情喚起に対する反応として特定の ERP と陽性緩電位活動が観察される (Crites & Cacioppo, 1996; Cuthbert, Schupp, Bradley, Birbaumer, & Lang, 2000; Palomba, Angrilli, & Mini, 1997). 6

共通の知見は, 刺激呈示から 300-400 ms 後に生じる後期陽性電位への影響である. 快 不快の いずれかの写真が呈示された場合, 後期陽性電位の振幅が増大する ( 図 2.9). 感情喚起に伴う後期 陽性電位の差は, 中心 - 頭頂皮質で最大となり, 右半球において顕著である. 後期陽性電位の振 幅は, 最も感情を喚起すると評定された写真 ( 快 ; 性的 ロマンス. 不快 ; 切断された身体や脅 威的な人間 動物 ) に対して増大した (Schupp et al., 2004). 後期陽性電位は ERP の中でも P300 成分に類似している. 後期陽性電位の振幅増大が IAPS の情 報負荷に起因すると仮定した場合, 後期陽性電位の振幅は動機づけに関連した刺激に対する注意 の増大を反映するものと解釈できる (Lang et al., 1997). BOLD (blood-oxygenation-level-dependent) による神経活動 MRI 装置内で快 不快の写真を呈示した場合, 紡錘状回, 外側後頭皮質, 内側頭頂皮質を含む後頭皮質 ( 特に右半球 ) において BOLD 信号が増大した (Lang et al., 1998). 感情を強く喚起する刺激 ( 性的, 脅威, 手足の切断など ) に対して, 視覚紡錘状回における BOLD 信号の変化が最大となった. 2 次視覚野の活動性の増加は, 特に扁桃体などの興奮過程を反映すると考えられる. IAPS 呈示中の扁桃体と紡錘状回における BOLD 活動を測定した結果 (Sabatinelli, Bradley, Fitzsimmons, & Lang, 2005), 扁桃体と紡錘状回に活性化が認められた ( 図 2.10 左側 ). 紡錘状回の活動の増加は扁桃体の活動の増加と関連していた. 7

さらなる感情反応 これまでに紹介した研究の他に,IAPS を用いて数多くの研究が行われている. 具体的には, 驚 愕反射の調節, 神経内分泌反応, 呼吸変化, 大脳の代謝変化, 記憶成績などに関する研究である. IAPS の問題点 - 安全性と有効性 - IAPS は安全かつ非侵襲的な方法で感情を喚起するために考案されており, 実験参加者の精神的健康を考慮したうえで, 統制場面における感情反応を喚起する.IAPS による感情の喚起はテレビでみられるイメージ喚起に勝るものではなく, 雑誌や新聞で日常的にみられる程度である. 写真による感情反応の強度は, 現実の快あるいは実際の危険予期により喚起される程度より小さい. IAPS 呈示前に, 写真の内容に関する情報を実験参加者に与えるべきである ( たとえば, 数枚の写真は, 暴力的などの異論があると考えられる内容を含んでいます ). 実験参加者がある特定の内容 ( たとえば, 血液恐怖 ) について心配している場合, 参加を思い留まらせるべきである. IAPS は臨床治療場面においても用いられてきた. 具体的には, 神経症,PTSD, 不安障害, 薬物乱用や依存, 抑うつ, 精神病, 摂食障害, 統合失調症などである. IAPS は感情反応を促進するものの, 評価的 生理的反応は呈示中および呈示後の一過性のものであり, 急速に鎮静化する. 写真呈示に起因した精神医学的な状態の悪化は報告されていない. 物理的, 知覚的特性 IAPS は自然の写真であるために, 色彩, 輝度, コントラスト, 明度, 空間周波数などの知覚的特性が異なる. これらの物理的差異は, デジタル編集ソフトウェアを用いて統制できる. 写真がカラーあるいは白黒のいずれの場合であっても, 感情に関連する生理指標には, ほとんどあるいは全く影響を及ぼさないことが証明されている. IAPS の入手と連絡先 現在,IAPS は感情と注意研究のための NIMH センター ( フロリダ大学 ) によって, 感情価と覚醒の評定とともに CD-ROM で配布されている.IAPS は, 非営利的研究における個人の使用目的に限り, 学術的な研究者に無料で配布される.IAPS の研究開発は現在も進行中である. 結論 IAPS は, 速やかに注意を惹起し, 人間の感情の基盤となる動機づけシステムを活性化する. 呈示時間が短い場合も, 感情価, 覚醒, 特定の感情状態において, 実験参加者は異なる感情経験を報告する.IAPS は, 感情の喚起の根拠となる自律神経系, 体性神経系の反応も促進する. 脳波研究と神経イメージング研究の結果から,IAPS による感情の喚起が確認され, 視覚野および注意と行動に関連する神経回路において感情喚起に伴う賦活の増大が認められた.IAPS による実験結果は, 感情反応に関連する洗練されたデータベースとなる. 感情研究者にとって, 標準化された大規模な感情刺激のセットは有効であり, 再現性の基盤, および実験室や実験パラダイムを超えた本物の知識の集積をもたらすだろう. 8