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一般会計負担の考え方

京都府がん対策推進条例をここに公布する 平成 23 年 3 月 18 日 京都府知事山田啓二 京都府条例第 7 号 京都府がん対策推進条例 目次 第 1 章 総則 ( 第 1 条 - 第 6 条 ) 第 2 章 がん対策に関する施策 ( 第 7 条 - 第 15 条 ) 第 3 章 がん対策の推進

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高齢化率が上昇する中 認定看護師は患者への直接的な看護だけでなく看護職への指導 看護体制づくりなどのさまざまな場面におけるキーパーソンとして 今後もさらなる活躍が期待されます 高齢者の生活を支える主な分野と所属状況は 以下の通りです 脳卒中リハビリテーション看護認定看護師 脳卒中発症直後から 患者の

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2 保険者協議会からの意見 ( 医療法第 30 条の 4 第 14 項の規定に基づく意見聴取 ) (1) 照会日平成 28 年 3 月 3 日 ( 同日開催の保険者協議会において説明も実施 ) (2) 期限平成 28 年 3 月 30 日 (3) 意見数 25 件 ( 総論 3 件 各論 22 件

九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository 九州大学百年史第 7 巻 : 部局史編 Ⅳ 九州大学百年史編集委員会 出版情報 : 九州大学百年史. 7, 2017

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元陸軍兵器工場の寮で始めた終戦後の養育院附属病院 文 編集宮本孝一老年学情報センター資料提供玉越慶弘養育院 渋沢記念コーナー維持ボランティア 櫻園通信 49. 平成 30 年 8 月東京都健康長寿医療センター養育院 渋沢記念コーナー連絡先 : 老年学情報センター 1945 年 ( 昭和 20) 終戦

地域医療構想の概要 1 地域医療構想の位置づけ 平成 25 年 3 月に 医療法に基づき 本県の疾病対策及び医療提供体制の基本方針である第 6 期岐阜県保健医療計画を策定した 平成 27 年 4 月に施行された改正医療法に基づき 保健医療計画の一部として 将来 (2025 年 ) あるべき医療提供体


TOHOKU UNIVERSITY HOSPITAL 今回はすこし長文です このミニコラムを読んでいただいているみなさんにとって 救命救急センターは 文字どおり 命 を救うところ という印象が強いことと思います もちろん われわれ救急医と看護師は 患者さんの救命を第一に考え どんな絶望の状況でも 他

表紙1−4/木下 中村

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されるなど 公営企業に対する環境や評価については 今後ますます厳しくなることが予想される こうした状況の変化にも対応できるだけの経営体力を醸成することはもちろんであるが 一方で採算性の面で課題のある分野についても 公立病院が引き続き担わざるを得ない分野があると考えられる 特に救急分野においては 和歌

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沿  革

13 Ⅱ-1-(2)-2 経営の改善や業務の実行性を高める取組に指導力を発揮している Ⅱ-2 福祉人材の確保 育成 Ⅱ-2-(1) 福祉人材の確保 育成計画 人事管理の体制が整備されている 14 Ⅱ-2-(1)-1 必要な福祉人材の確保 定着等に関する具体的な計画が確立し 取組が実施されている 15

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27 年度調査結果 ( 入院部門 ) 表 1 入院されている診療科についてお教えください 度数パーセント有効パーセント累積パーセント 有効 内科 循環器内科 神経内科 緩和ケア内科

がんの診療の流れ この図は がんの 受診 から 経過観察 への流れです 大まかでも 流れがみえると心にゆとりが生まれます ゆとりは 医師とのコミュニケーションを後押ししてくれるでしょう あなたらしく過ごすためにお役立てください がんの疑い 体調がおかしいな と思ったまま 放っておかないでください な

TSRマネジメントレポート2014表紙

平成 28 年 10 月 17 日 平成 28 年度の認定看護師教育基準カリキュラムから排尿自立指導料の所定の研修として認めら れることとなりました 平成 28 年度研修生から 排泄自立指導料 算定要件 施設基準を満たすことができます 下部尿路機能障害を有する患者に対して 病棟でのケアや多職種チーム

千葉大学医学部附属病院の基本情報 医療機関名 : 千葉大学医学部附属病院開設主体 : 国立大学法人千葉大学所在地 : 千葉県千葉市中央区亥鼻 許可病床数 :850 床 ( 病床の種別 ) 一般病床 800 床 精神病床 45 床 感染症病床 5 床 ( うち ICU18 床 CCU4 床

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平成 30 年度診療報酬改定に向けた検討について H29/1/16WG 厚労省提出資料 平成 30 年度診療報酬改定に向けた検討の方向性 平成 30 年度診療報酬改定に向けて 以下の遠隔医療形態モデルも参考に 委員からご指摘のあった初診に関する取扱いも含め 対面診療に比べて患者に対する医療サービスの


はじめに 平成 27 年の日本医療機能評価機構創立 20 周年を機に 病院機能評価事業のさらなる発展を目指すため 次世代医療機能評価のアジェンダ ( 以下 アジェンダ ) を取りまとめた アジェンダでは (1) 地域医療の質向上に寄与するための評価 の実現に向け 以下 2 点の施策について検討するこ

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こだま

【最終版】医療経営学会議配付資料 pptx

ンパ浮腫外来業務および乳腺外来業務で全日および半日をそれぞれ週に 2 日に変更する さくら 9 は現状の外来業務として平日の全日に 4 名を助勤しているが これに加え さらに輸血業務として 1 名を助勤し 計 5 名を助勤していきたいと考えている さくら 8 は新たに児童精神科外来業務として全日を週

04-03

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の病床数及び新たに併設する介護保険施設の入所定員 ( 病院から転換した病床 ( 以下 転換病床 という ) を活用するものに限る ) の合計が転換前の病院の病床数以下である場合には 実態として 転換後の施設 ( 病院と介護保険施設を併せた全体をいう 以下同じ ) 全体の医療提供の内容は 転換前の病院

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診療科 血液内科 ( 専門医取得コース ) 到達目標 血液悪性腫瘍 出血性疾患 凝固異常症の診断から治療管理を含めた血液疾患一般臨床を豊富に経験し 血液専門医取得を目指す 研修日数 週 4 日 6 ヶ月 ~12 ヶ月 期間定員対象評価実技診療知識 1 年若干名専門医取得前の医師業務内容やサマリの確認

賀茂精神医療センターにおける精神科臨床研修プログラム 1. 研修の理念当院の理念である 共に生きる 社会の実現を目指す に則り 本来あるべき精神医療とは何かを 共に考えて実践していくことを最大の目標とする 将来いずれの診療科に進むことになっても リエゾン精神医学が普及した今日においては 精神疾患 症

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アレルギー疾患対策基本法 ( 平成二十六年六月二十七日法律第九十八号 ) 最終改正 : 平成二六年六月一三日法律第六七号 第一章総則 ( 第一条 第十条 ) 第二章アレルギー疾患対策基本指針等 ( 第十一条 第十三条 ) 第三章基本的施策第一節アレルギー疾患の重症化の予防及び症状の軽減 ( 第十四条

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46 福島大学総合教育研究センター紀要第10号 育の支援員の参加もあった スクールカウンセラーの 表1 受講者 のべ数 の属性別人数 参加も 例年通り 一定数ある 学校以外の機関では 内は全受講者に占める 医療関係者が多く そのなかでも 臨床心理士はもち 属性 ろんのこと それ以外の職

問 2 次の文中のの部分を選択肢の中の適切な語句で埋め 完全な文章とせよ なお 本問は平成 28 年厚生労働白書を参照している A とは 地域の事情に応じて高齢者が 可能な限り 住み慣れた地域で B に応じ自立した日常生活を営むことができるよう 医療 介護 介護予防 C 及び自立した日常生活の支援が

第 3 節心筋梗塞等の心血管疾患 , % % % %


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平成30年度精神保健に関する技術研修過程(自治体推薦による申込研修)

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第3章 指導・監査等の実施

地域包括ケア病棟 緩和ケア病棟 これから迎える超高齢社会において需要が高まる 高齢者救急に重点を置き 地域包括ケア病棟と 緩和ケア病棟を開設いたしました! 社会福祉法人 恩賜財団済生会福岡県済生会八幡総合病院

「手術看護を知り術前・術後の看護につなげる」

金沢医科大学報第124号

認知症医療従事者等向け研修事業要領

2. 経口移行 ( 経口維持 ) 加算 経口移行 ( 経口維持 ) 計画に相当する内容を各サービスにおけるサービス計画の中に記載する場合は その記載をもって経口移行 ( 経口維持 ) 計画の作成に代えることができる 従来どおり経口移行 ( 経口維持 ) 計画を別に作成してよい 口腔機能向上加算 口腔

医科診療報酬点数表関係 別添 1 在宅患者支援療養病床初期加算 在宅患者支援病床初期加算 問 1 療養病棟入院基本料の注 6の在宅患者支援療養病床初期加算及び地域包括ケア病棟入院料の注 5の在宅患者支援病床初期加算の算定要件に 人生の最終段階における医療 ケアの決定プロセスに関するガイドライン 等の

副学長 教学担当 中村 久美 新しい大学づくりに向けた教育の展開 巻頭言 2012年6月に文部科学省が公表した 大学改革実行プラン は 激動の社会における大学機能の再構築を掲げています 教学に関し ては ①学生の主体的な学びの創出や学修時間の拡大化をはじめと する大学教育の質的転換 ②グローバル化に

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2011 年 11 月 2 日放送 NHCAP の概念 長崎大学病院院長 河野茂 はじめに NHCAP という言葉を 初めて聴いたかたもいらっしゃると思いますが これは Nursing and HealthCare Associated Pneumonia の略で 日本語では 医療 介護関連肺炎 と

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資料 3 全国精神保健福祉センター長会による自殺予防総合対策センターの業務のあり方に関するアンケート調査の結果全国精神保健福祉センター長会会長田邊等 全国精神保健福祉センター長会は 自殺予防総合対策センターの業務の在り方に関する検討チームにて 参考資料として使用されることを目的として 研修 講演 講

まちの新しい介護保険について 1. 制度のしくみについて 東温市 ( 保険者 ) 制度を運営し 介護サービスを整備します 要介護認定を行います 保険料を徴収し 保険証を交付します 東温市地域包括支援センター ( 東温市社会福祉協議会内 ) ~ 高齢者への総合的な支援 ( 包括的支援事業 )~ 介護予

平成 26 年度事業計画書 自平成 26 年 4 月 1 日 至平成 27 年 3 月 31 日 公益財団法人性の健康医学財団


リハビリテーションを受けること 以下 リハビリ 理想 病院でも自宅でも 自分が納得できる 期間や時間のリハビリを受けたい 現実: 現実: リ ビリが受けられる期間や時間は制度で リハビリが受けられる期間や時間は制度で 決 決められています いつ どこで どのように いつ どこで どのように リハビリ

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第3節 重点的な取り組み

社会的責任に関する円卓会議の役割と協働プロジェクト 1. 役割 本円卓会議の役割は 安全 安心で持続可能な経済社会を実現するために 多様な担い手が様々な課題を 協働の力 で解決するための協働戦略を策定し その実現に向けて行動することにあります この役割を果たすために 現在 以下の担い手の代表等が参加

. 実施方法 公表学校関係者評価の実施については 平成 8 年度に行われた 自己点検評価 を学校関係者評価委員の皆さまにご確認いただき 自己点検評価の各項目に対するご意見と評価を取りまとめました また 評価結果については 今後の各校における教育活動や学生指導等 学校運営の改善に活かすとともに教育水準

平成17年度社会福祉法人多花楽会事業計画(案)

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別紙 常勤医師等の取扱いについて 1. 一日平均患者数の計算における診療日数 (1) 入院患者数ア通常の年は 365 日である イ病院に休止した期間がある場合は その期間を除く (2) 外来患者数ア実外来診療日数 ( 各科別の年間の外来診療日数で除すのではなく 病院の実外来診療日数で除すこと ) イ

「標準的な研修プログラム《

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体制強化加算の施設基準にて 社会福祉士については 退院調整に関する 3 年以上の経験を有する者 であること とあるが この経験は 一般病棟等での退院調整の経験でもよいのか ( 疑義解釈その 1 問 49: 平成 26 年 3 月 31 日 ) ( 答 ) よい 体制強化加算の施設基準にて 当該病棟に

1 基本健康診査基本健康診査は 青年期 壮年期から受診者自身が自分の健康に関心を持ち 健康づくりに取り組むきっかけとなることを目的に実施しています 心臓病や脳卒中等の生活習慣病を予防するために糖尿病 高血圧 高脂血症 高尿酸血症 内臓脂肪症候群などの基礎疾患の早期発見 生活習慣改善指導 受診指導を実


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広報誌みなと No.38

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ようこそ 養育院 渋沢記念コーナーへ センター史展示 ココロと カラダの学び 憩いの空間

養育院 渋沢記念コーナー 東京都健康長寿医療センターの淵源は明治 5 年 (1873) に設立された 養育院 に遡ります その維持 発展には 経済人渋沢栄一の半世紀を超える尽力があります これを記念して 養育院 渋沢記念コーナー が作られました 養育院 渋沢記念コーナーは 医療センターの2 階に開設しています 売店やレストランと隣接した明るいホールです このコーナーには 3つの役割があります 1 養育院の歴史を紹介する展示 2 健康問題への対処を学ぶ自己学習の場 ( なるほど! からだラウンジ ) 3 癒し 憩いのスペース ( 飲食 OK) 養育院開設から今につながる 施設の変遷をあらわした表示 2

養育院施設の歴史を語る実物展示 歴史解説パネル櫻園通信 ( 解説リーフレット ) 学びと憩い 開放感のある明るい円形ホール ( 櫻園通信 1 号参照 ) 3

実物展示 養育院廃止に対する 渋沢院長の建議書 ② 渋沢栄一揮毫の軸 ③ 養育院100周年記念式典 皇太子ご夫妻 今上天皇 行啓 大塚本院 絵図 ⑨ 第11回国際老年学会 1978年東京 村上元孝病院長が会長 医学中央雑誌関連資料 ⑦ 国際老年学会 記念文鎮 ブローチ プログラム 当院関係者開催学会資料 穂積橋 ⑩ 歴代病院長の編著作 養育院の刊行物 日本最古の老年医学教科書 老人病学 大正元年 入澤達吉元医長編著 44

松平定信の 心願書 と渋沢栄一の 讃 ① 養育院初代院長 ⑧ 渋沢栄一 写真 大久保一翁 油彩 ⑥ 幕末に蕃書調所総裁時に西洋式小石川養生所を提案 明治になって東京府知事のとき 養育院を作る 松平定信 自画像 ① 七分積金 町会所 昭和天皇ご夫妻行幸 看護学校卒業式 渋沢栄一も参列 蕃書調所総裁大久保忠寛の 病幼院創立意見 ④ 渋沢栄一から 大久保一翁への手紙 ⑤ 櫻園通信 東京府病院 養育院 明治9年決算書 養育院60,70,80,100,120年史 養育院月報 渋沢栄一関連書籍 論語と算盤 渋沢栄一著 55 コーナー設置のリーフレット 櫻園通信 の各号で展示物の 説明や現代語訳などを紹介し ています ① 通信23号 ② 通信22号 ③ 通信40号 ④ 通信21号 ⑤ 通信29号 ⑥ 通信 6号 ⑦ 通信10号 ⑧ 通信28号 ⑨ 通信39号 ⑩ 通信32号

屋外へ養育院中央記念広場養育院本院の碑(碑文)養育院は 明治五(千八百七十二)年十月五日に創設された 維新後急増した窮民を収容保護するため 東京府知事大久保一翁(忠寛)の諮問に対する営繕会議所の答申 救貧三策 の一策として設置されたものである この背景にはロシア皇子の訪日もあった 事業開始の地は本郷加賀藩邸跡(現東京大学)の空長屋であった その後 養育院本院は上野(現東京芸大) 神田 本所 大塚と市内を転々としたが 関東大震災後 現在地の板橋に移転した 養育院設置の原資は営繕会議所の共有金(江戸幕府の松平定信により創設された七分積金が明治新政府に引き継がれたもの)である 養育院の歴史は渋沢栄一を抜きには語れない 営繕会議所は 共有金を管理し養育院事業を含む各種の事業を行なったが 渋沢は明治七年から会議所の事業及び共有金の管理に携わり 養育院事業に関わるようになった 明治十二年には初代養育院長となり その後亡くなるまで 五十有余年にわたり養育院長として事業の発展に力を尽くした 養育院は 鰥寡孤独の者の収容保護から始め 日本の社会福祉 医療事業に大きな足跡を残した 特に第二次大戦後は 児童の保護や身寄りのない高齢者の養護 さらに高齢者の福祉 医療 研究 看護師の養成など時代の要請に応じて様々な事業を展開した 平成十一年十二月 東京都議会において 養育院廃止条例が可決され 百二十七年にわたる歴史の幕を閉じたが 養育院が行ってきた事業は形を変えて現在も引き継がれている 養育院に関連する碑は ほかに東京都台東区谷中の大雄寺 了俒寺(リョウゴンジ) 栃木県那須塩原市の妙雲寺及び東京都府中市の東京都多磨霊園にある なお 碑の 養育院本院 は渋沢栄一の墨蹟を刻んだものである 平成二十五(二千十三)年三月養育院を語り継ぐ会この碑は元養育院職員などの篤志によって建てられました 地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター渋沢栄 1924( 板橋区文化財解説板徳川家光墓前石灯籠 ( 寛永寺より移設 ) 6 ( 櫻園通信 2.3.4.5 号参照 ) 6

今に残る 養育院 1 街路樹につけられたプレートに 養育院通り の文字 一銅像大正 14) 年建立登録有形文化財 2 養育院前交番 徳川家斉墓前石灯籠 ( 寛永寺より移設 ) 養育院本院の碑 ヒポクラテスの木 ( センター正門脇 ) 西洋医学の父ヒポクラテスは ギリシャ コス島のプラタナスの木の下で弟子に医学を教えたといわれます ゆかりの木はヒポクラテスの木と言われてコス島に現存しています この伝説の木の子孫株です ( 櫻園通信 11,12 号参照 ) 7

人の万物に勝れたるは相の恵みにむくわんと心があるゆえなれば常の心業なりとも世け何親しみ相助くるめて怠るまじき事きこと勤食住の世養育院から東京都健康長寿医療センターへ のためとなるべに我が身に費やす衣養育院掟書初款 明治 6 年 養育院を恒久施設として上野に開所した時 大久保一翁府知事が視察後に書き加える 1872( 明治 5) 年に設立された救貧施設 養育院 は 時代の求めに応えて 医療 福祉事業を展開 精神病 ハンセン病 結核 児童福祉 高齢者福祉対策などのさまざまな専門施設が養育院から生まれました その歴史は 日本の近代医療 福祉の源流といっても過言ではありません 養育院 という名称の組織は 2000( 平成 12) 年の都条例廃止まで存続しました 8

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健康長寿医療センターの源流 江戸の医療と福祉 小石川養生所設置 1722 享保7)年 幕府は無料で庶民の病気治療にあたる養生所を設 置 幕末までの約140年間 貧民救済施設として 機能 寛政の改革 1787 93 天明7 寛政5 年 松平定信は 江戸の地主負担の町入用を積立させ 困窮者の救済に役立てた 七分積金 町会所 蕃書調所改編 1856年 安政3年 黒船来航後 老中阿部正弘は蕃書調所を改編 西 松平定信 洋知識 技術の導入をはかる 病幼院創立意見 1857 安政4 年 大久保忠寛 蕃書調所総裁 幕閣に西洋版小石川 養生所の建設を提案 海軍伝習所 長崎養生所 1857 安政4 年 オランダ海軍医ポンペは 幕府による医学伝習 所 長崎養生所を設立し 西洋医学教育を行う 種痘所 西洋医学所 1858 安政5 年 伊東玄朴らは お玉が池種痘所 を設立 のちに 官立種痘所 西洋医学所 に発展した 欧米への使節団派遣 長崎養生所 幕府は遣米使節団 遣欧使節団 パリ万博使節団 渋沢栄一参加 留学生などを欧米に派遣して工場 軍事 病院などを視察 情報蓄積 に努めた 10 10 大久保忠寛 のちに養育院を創 った東京府知事大 久保一翁

養育院と東京府病院 福祉施設と近代的病院 1868 慶応4 年 江戸開城 大久保一翁 若年寄 は 七分積金を含む幕府財産の移管に立ち会う 1867 1868 慶応3 明治元 年 明治維新 幕府崩壊 による市中経済の破綻により 新首都東京は大量の貧民 があふれる事態に 七分積金による救育所 三田 高輪 四谷 で対応 1868 明治元 年 大久保一翁は大政奉還後の駿府徳川 藩立ち上げに尽力 1872 明治5 年 町会所 七分積金は営繕会議所 共 有金に改名 廃藩置県で大久保一翁上京 東京府知事に 任命 大久保一翁府知事 営繕会議所に対して貧民の対 応策を諮問 営繕会議所は答申で 救貧三策 を提示 ①工作場 ②日雇い会社 ③養育院施設を作る ロシア大公来日 市内の貧民を加賀藩敷地内の長 屋 文京区本郷 に仮収容 翌年上野に恒久的な保護 施設養育院を開設 1872 明治6 年 東京府病院の開設公布 翌年開院 高給お雇い医師 米 英 蘭 幕府の奥医らが活躍 養育院の医療は東京府病院の管轄に 救貧三策第3条 明治13年 外人 幹部医師退任 救貧医療に限定 明治14年廃院 有志共立東京病院 高木兼寛 松山棟庵ら に払い下げ のちに渋沢栄一は慈恵会を設 立して財政支援し 慈恵会医 科大学となる 東京府病院 11 11

大久保一翁 忠寛 と 渋沢栄一 養育院をつくった知事 大久保一翁 忠寛 1857 安政4 年 蕃書調所総裁の時 病幼 院創立意見 を提出したが 実現せず 江戸城無血開城時は幕府の実務責任者だった 救民基金 七分積金 を 江戸幕府から明治新 政府に引き継ぐ 江戸開城後 駿府藩中老に就任 渋沢栄一のパ リ派遣団帰国報告 徳川慶喜 に立ち会う 1869 明治2 年 静岡藩の太政官札の運用を 渋沢栄一に託し 商法会所を設立 1872 明治5 年 廃藩置県後に上京 東京府 知事に就任 養育院 東京府病院を設立 日本資本主義の父 渋沢栄一 若い頃 尊皇攘夷運動に傾倒するも 縁あって 一橋家に仕官して武士になり 慶喜が徳川将軍 になると幕臣に 江戸幕府のパリ万博派遣団に庶務 会計係とし て参加 ヨーロッパ資本主義 銀行制度 株式 制度を学ぶ 明治政府で経済運営の要を占めたが 大久保 利通の予算要求に抵抗し 1873 明治6 年退 官 東京府知事大久保一翁より七分積金の運用 を託される 現在の みずほ銀行 王子製紙 東京ガ ス 第一三共 など 約500社の設立に貢 献し 日本資本主義の父と言われている 12 12

養育院 冬の時代 苦しい委任経営 渋沢栄一の奮闘と公営復帰 東京府会での養育院廃止論と渋沢栄一の反論 東京府会で沼間守一 田口卯吉らが 税金を使って 貧乏で 働けない人を養育することは怠け者を作ることになり 税金 で養うべきではない と演説 渋沢栄一は 政治は論語でい う仁に基いて行なうのは当然と主張した しかし 税からの 運営費支出が止められ 養育院は委任経営となった 公営廃止後 養育院経営を受託した渋沢栄一 養育院委員会 伊達宗成 橋本綱常 松平教敬ら を編成 養育院は本所に移転 土地の売却 利子 鹿鳴館の慈善バザー 寄付 皇室の援助などで運営するも 資金不足で縮小 養育院運営資金を 確保するための 慈善バザー 渋沢栄一の 養育院公営化を求める建議書 養育院は 1890 明治23 年 東京市営となり 渋沢栄一は養 育院長に就任 渋沢栄一は ヨ ーロッパには大きな慈善施設が あると主張し 大塚に新施設の 建設を求めた 養育院に関する渋沢栄一の建議書 櫻園通信第22号参照 13 13

渋沢養育院長のもとで福祉事業拡大に貢献した人々 養育院は明治 22 年 東京市市営となり 渋沢は市委託の養育院長となる そのもとで 大塚に新施設建設 安達憲忠 入澤達吉 光田健輔 田中太郎らが活躍 安達憲忠 1887( 明治 21) 年 東京府に就職 渋沢栄一に見込まれて1891( 明治 24) 年に養育院幹事となる 渋沢を補佐して社会事業に邁進 実質的な企画運営を担い 回春病室 井之頭学校, 安房分院, 巣鴨分院, 板橋分院の創設などに尽力 安達が企画し 渋沢が政治的な仕組み作りと資金集めを行い 安達が運営の実務をこなすと言う二人三脚であった 入澤達吉東大でベルツに学び 1895( 明治 28) 年東大助教授 助教授時代に養育院医長を兼任 安房分院 板橋分院などで 結核対策に尽力 養育院体験を元に 老人病学 出版 老人病学の草分けとなる ベルツの後任教授となり 内科学の確立に貢献 光田健輔 東京帝大病理から 東京市養育院に派遣 ハンセン病に関心をもち, 専用の回春病室を設営した 病理 臨床教育 看護教育 安房分院 結核対策などで活躍 1908( 明治 41) 年養育院副医長に就任 その後 多摩全生病院 長島愛生園園長 昭和 26 年文化勲章 14 14

養育院での看護活動 拝志よしね養育院幹事 安達憲忠の妻 日本人として初めてヨーロッパの看護学を修めた 新婚早々 看護学留学生としてロンドンへ 帰国後 東京慈恵医院で勤務したが 結核に斃れる 安達との結婚生活は5 年 このうち3 年はロンドン しかも極めて多忙な日々であった 瓜生岩子養育院の孤児の不活発な様子に心を痛めていた渋沢は 安達憲忠の旧知の慈善家 瓜生岩子を 幼童世話掛長として会津から招いた 瓜生は維新の会津戦争下で 両軍の傷兵や窮民の看護 孤児の教育に実績をあげ その後も恵まれない子供の養育に携わった人である 日本のナイチンゲールと言われ 浅草の浅草寺境内に銅像がある 養育院での看護教育 1873( 明治 6) 年 : 養育院掟書に看護人規則 1896( 明治 29) 年 : 養育院で看護講習開講 1899( 明治 32) 年 : 東京市養育院看護婦養成所認可 1951( 昭和 26) 年 : 東京都養育院附属看護学院 1971( 昭和 46) 年 : 東京都板橋高等看護学院 1977( 昭和 52) 年 : 東京都板橋看護専門学に改称 聖トマス病院にナイチンゲールが作った看護学校拝志よしねはここに学ぶ 浅草寺の瓜生岩子銅像 渋沢栄一は 大正 9 年より 12 年間 毎年卒業式に出席し 卒業証書を授与している 写真は昭和初期の写真で 中央に渋沢が写っている 15

第 2 次世界大戦と戦後の復興 養育院疎開の悲劇 1944( 昭和 19) 年 塩原温泉の旅館を買収し 栃木分院を開設 養育院入所者を疎開させた 1945( 昭和 20) 年には養育院収容者 1,211 人のうち 694 人が在籍した 戦中 戦後の劣悪な食糧事情の中で 1952 ( 昭和 27) 年まで この地における物故者は582 名にのぼり 那須塩原の妙雲寺に合葬されている 妙雲寺の養育院合葬墓 板橋本院の空襲 1945( 昭和 20) 年 4 月 米軍の東京大空襲で板橋施設の9 割が焼失 看護婦等の奮闘にもかかわらず 利用者 107 名の犠牲を出した 戦後の復興戦災孤児収容と板橋本院再建戦後の混乱期 養育院には戦災浮浪児が収容された 1949( 昭和 24) 年には 昭和天皇御夫妻がお見舞いに行幸された日本が高度成長の波にのると 社会の求めも変質し 救貧対策から 障害者 高齢者福祉の充実へと移行し 施設が徐々に作られるようになった 板橋本院敷地内で不発弾処理 昭和天皇皇后両陛下が養育院へ行幸 16

板橋キャンパス1972-2009 高齢社会の到来にむけた三位一体の事業展開 医療 養育院附属病院から 東京都老人医療センターへ最新の医療設備 (CT MRI PET) 医療 高齢者リハビリテーションの展開高齢者診療のガイドライン作成先端医療 地域連携 高齢者に最適の治療を追及 研究 福祉 研究 東京都老人総合研究所の開設老化 老年病の自然科学的研究高齢者と社会の人間科学 社会科学的研究市民公開講座 (1972~ 継続中 ) 海外との研究交流 福祉 老人福祉施設の開設 養護老人ホーム 特別養護老人ホーム 板橋ナーシングホームハーフウエイハウス指定介護老人福祉施設介護老人保健施設ショートステイ通所リハビリテーション 付属病院開院時皇太子 ( 今上天皇 ) ご夫妻行啓 板橋キャンパス模型 (1975 年 ) 17

地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターの出発 東京都老人医療センターと東京都老人総合研究所を経営統合 2009( 平成 21) 年 2 施設を合併し 地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターとして発足 旧病院新病院 新施設の建設 2013( 平成 25) 年 新病院 研究所に移転 東京都健康長寿医療センターのめざすもの 基本理念センターは 高齢者の心身の特性に応じた適切な医療の提供 臨床と研究の連携 高齢者のQ OLを維持 向上させるための研究を通じて 高齢者の健康増進 健康長寿の実現を目指し 大都市東京における超高齢社会の都市モデルの創造の一翼を担います 急性期診療 研究所との共同研究 病院運営方針 患者さま本位の質の高い医療サービスを提供します 高齢者に対する専門的医療と生活の質 (QOL) を重視した全人的包括的医療を提供します 初期診療 かかりつけ医 自宅 慢性期診療 ( 療養中心 ) リハビリ病棟療養病床介護老人保健施設 18 18

地域の医療機関や福祉施設との連携による継続性のある一貫した医療を提供します 診療科や部門 職種の枠にとらわれないチーム医療を実践します 高齢者医療を担う人材の育成及び研究所との連携による研究を推進します 研究所運営方針高齢者の健康維持や老化 老年病の予防 診断法の開発等の研究を支える観点から老化のメカニズムや老化制御などの基盤的な研究を実施するとともに 高齢者の健康長寿と福祉に関して 疾病予防や介護予防等の視点から 疫学調査や社会調査などによる社会科学的な研究を実施します 都民 成果の還元公開講座出版 病院との共同研究 高齢者医療 保健 福祉行政の支援 老化の研究重点医療の研究高齢者の健康と福祉に関する研究 海外の研究機関共同研究 東京都の行政 共同研究 共同研究 民間企業 自治体 共同研究 高齢者福祉施設 東京都の高齢者医療 保健 福祉行政を研究分野で支えています 地域の自治体や高齢者福祉施設と連携して研究を進めています 国や地方公共団体 民間企業等と活発に共同研究を行います 諸外国の代表的な老化研究機関と積極的に研究交流を行います 最先端技術を用いて老年病などの研究を行います 研究成果を公開講座や出版によりみなさまに還元しています 19

時代の求め 社会の求めに応える志 養育院を支えた 多くのひとたちの志 船形磨崖碑 千葉県 多くの人たちの基金 が養育院建設に充てられ こ のことを顕彰する10mを超 える巨大な磨崖碑が大正3年 に房総の船形に作られた 櫻園通信19号参照 村上元孝 太田邦夫 1972 の病院 研究所の活発な運営 渋沢栄一 半世紀以上にわたって養育院の 維持 発展に尽力 安達憲忠 拝志よしね 社会事業に執念 入沢達吉 養育院医長 老人病学 光田健輔 ハンセン病 看護 医師教育 大久保一翁 病院幼院創立意見 養育院 東京府病院創立 松平定信 白河楽翁 七分積金 町会所 20 20

養育院 渋沢記念コーナー 養育院 渋沢記念コーナーは 老 利用案内 養育院 渋沢記念コーナー 施設沿革の紹介 患者様とご家族の自己学習 くつろぎの場 年学情報センター 職員用図書 館 と連携し 多くのボランティ アのみなさまのご協力により運営 されています 老年学情報センター 職員専用図書館 歴史資料の整理と保存 患者様とご家族の自己学習支援 屋外の史跡 渋沢栄一銅像 養育院本院の碑 徳川家墓前石灯籠 歴史を知る愉しみ 健康問題に関する自 己学習 憩いの空間 という3つの機能 は 養育院 渋沢記念コーナー 老年学 情報センター 養育院中央記念広場で構 成されています 利用時間 入院している患者様とご家族の方 全日 7:00 21:00 通院している方 その他一般の方 平日のみ 9 00 18 00 持ち込み飲食可 患者様とご家族には図書の貸出可 医学や介護の一般的な解説書を置いています 図書の内容が患者様の症状と一致しない場合もあります 患者様 ご家族と担当医師が より良い話し合いをすすめていた だくための参考としてご利用ください 21 21

こころとからだの情報なるほど! からだラウンジ 養育院 渋沢記念コーナーの中のサブコーナー なるほど! からだ ラウンジ は 患者様とご家族の方の自己学習を援助する場として 次のような情報提供を行っています 老年学情報センターの司書が 企画運営しています 疾患や治療法についての理解を深める情報を提供患者様やご家族の方には図書の貸出 ( ボランティア ) 生活情報として役立つ老年学の知見を解説 病院部門および研究部門各所が作成した一般向けの業務案内 イベント情報 健康管理に関する情報を提供 読書の楽しみとしての図書 ( 小説等 ) も提供 インターネット接続パソコンに インターネット版養育院 渋沢記念コーナー をつくり 主に公的機関が発信している保健 医療 福祉関連サイトを紹介 ( リンク集 ) からだのしくみや疾患の状態の理解に役立つ立体モデル等の展示 22

なるほど! からだラウンジで提供する 9 つの情報 病気になる前に 1 病気の予防についての知識を 2 病気の兆候に気づき 早期発見に役立つ知識を 発病後 3 日常的な自己管理に関する知識を 4 病気をもちながらの今後の人生について 生き方 価値観 心のもち方を新たにするために参考になる知識を ご本人も ご家族も 5 患者様本人も 患者さまとともに生活する人も 病気や治療法の正しい知識を 6 患者様を支える人の生き方 考え方の参考になる知識を 健康情報 健康商品の氾濫 7マスコミや口コミで見聞きする情報の信頼性の見極めに役立つ知識を 医師とのコミュニケーション( 患者学 ) 8 医師とのやりとりで 要領よく患者様や家族の方が必要なことを伝えたり 医師に大事な点を聞いたりするのに役立つ知識を 介護の知識 9 家族の方に 介護の制度 技法 考え方に関する知識を 23

センターからのお知らせ 老年学公開講座の開催 治験のご案内 が ん相談支援センターのご案内など センタ ーからのお知らせを展示しています センター職員の著作を展示 当センターの職員が一般向けに執筆した 図書を展示しています センター2階の売店で購入もできます 一 部 在庫がない場合もありますが その 際はもよりの書店でご注文ください インターネットで資料を公開 このパンフレットと 養育院史紹介リーフ レット櫻園通信 おうえんつうしん は 東京都健康長寿医療センターのホームペー ジでも公開しています http://www.tmghig.jp/hospital/about/ sub03.html 山口晃 2013年 養育院幾星霜之図 櫻園通信第6号参照 1階ホール 24 24

参考図書 歴史 養育院開設から 現在の東京都健康長寿医療センターへ 安達憲忠 東京市養育院の沿革及実 況現況(1896) 渋沢栄一 回顧50年(1922) 養育院 養育院60年史(1933) 養 育院70年史(1943) 養育院80年史 (1953) 養育院100年史(1974) 養育院120年史(1995) 養育院月報復刻版 全30巻(不二出版 2009) 続編全12巻 2017 東京都老人医療センター:東京都老 人医療センター36年の軌跡(2009) 大久保一翁著/勝海舟編:櫻園集 1892 東京都総務局 東京市史稿 救済編 第4 1975 江戸旧事采訪会 雑誌 江戸 2巻3 号 7号 1915 松岡英夫 大久保一翁 最後の幕臣 中公新書 1979年 古川愛哲 勝海舟を動かした男大久 保一翁 徳川幕府最大の頭脳 グラフ 社 2008年 東京都総務局 七分積金始末 東 京都史紀要第8 1951 渋沢青淵記念財団竜門社 渋沢栄一 伝記資料 全58巻 別10巻 1955 1971 光田健輔:黎明期に於ける東京都社 会事業(1956) 内藤二郎 社会福祉の先駆者 安達 憲忠 1993 健康問題の自己学習 患者様とご家族の方の学習 北澤京子 患者のための医療情報収 集ガイド 2009 中山建夫 健康 医療の情報を読み 解く 健康情報学への招待 第2版 2014 柳田邦男 元気が出る患者学 2003 名郷直樹 健康第一 は間違って る 2014 菊池祐 病院患者図書館 患者 市 民に教育 文化 医療情報を提供 2001 戸ヶ里 泰典 中山 和弘 市民のた めの健康情報学入門 2013 福田洋ほか ヘルスリテラシー 健康教育の新しいキーワード 2016 25 25

年表 養育院から東京都健康長寿医療センターにいたる医療面を主に記載しました 病院名は 養育院附属病院 (1972) 東京都老人医療センター (1986) 東京都健康長寿医療センター (2009) と変わりましたが 英名は一貫して TOKYO METROPOLITAN GERIATRIC HOSPITAL です 渋沢栄一は明治 7 年営繕会議所の養育院 ガス局の事務取扱として養育院に関わり 明治 9 年養育院事務長となり 昭和 6 年の逝去まで 58 年間養育院に関わり続けました 経営 本院西暦 和暦 月 事項 1722 享保 7 小石川養生所開設 ( 幕末には機能せず 明治元年廃止 ) 1787 天明 7 老中 松平定信 : 町会所 七分積金制度開始 窮民救済 1857 安政 4 目付 蕃書調所総栽 大久保忠寛 ( 一翁 ) 病幼院創立意見を提出 1868 明治元 4 江戸開城 七分積金は明治政府に移管 ( 若年寄 : 大久保一翁 ) 12 大久保一翁 ( 駿府徳川家中老 ) 渋沢栄一( パリ帰国報告 ) の出会 1869 2 8 救育所 ( 三田 高輪 四谷見付 ) で七分積金による救護 1872 5 5 大久保一翁 第 5 代東京府知事となる 8 町会所 七分積金 営繕会議所 共有金に ( 井上馨の内喩 : 資金を橋 梁 ガス灯建設などの都市基盤整備に使用 ) 9 窮民救済策諮問 救貧三策を答申 養育院設置提案 本 10 ロシア大公訪日時 加賀藩邸長屋跡 ( 現東大 ) に浮浪者 240 名収容 郷 ( 養育院の創設 ) 浅草溜へ引っ越し 1873 6 1 東京府病院開設予定公布 2 上野 護国院 ( 現 東京芸大 ) に養育院恒久施設開設大久保一翁知事視察 ( 養育院掟書 ) 営 医師 ( 村上正名 ) を嘱託し 入所者に医療業務開始 繕 1874 7 5 愛宕下病院開院 ( 府下病院 東京府病院と改称 ) 会 11 渋沢栄一が東京会議所共有金取締に嘱託 養育院事務を管理 議 1875 8 1 養育院は東京府病院の付属となり 医長 栗田胤顕派遣養育院の重症患上所者は病院へ養育院収容者の一部は病院の看護人に野 2 東京医学校の長与専斎から養育院に臨床講義依頼 5 渋沢栄一が養育院事務長になる 以後 昭和 6 年まで実質的院長 1876 9 1 渋沢栄一が東京会議所会頭に推選される 5 養育院事業は東京府直轄経営となる 会議所は議会機能を目指す 1877 10 6 府下生活困窮者の無料診療 施薬開始 東 1879 12 7 東京大学医学部派遣の医員引き揚げ 京 10 神田和泉町に本院移転 ( 現 三井記念病院の隣 ) 神府養育院の癲狂患者を残置し癲狂院とす 巣鴨病院 松沢病院に発展田 26 26

経営本院西暦和暦月事項東 1880 明治 13 府会などで 沼間守一 田口卯吉が演説 : 貧民への税支出停止を求める神京 6 東京府病院施療限定 お雇医師 幹部医師退任 田府 1881 14 7 東京府病院廃院 有志共立東京病院 ( 高木兼寛ら後の慈恵医大 ) に払下げ 委任経営東京市養育院 本所大塚板橋 1885 18 4 養育院への税支出停止 養育院委員会 ( 渋沢栄一 橋本綱常 伊達宗城 松平教敬 大蔵喜八郎 蓄積財産 東京府病院蓄積金 慈善会 下賜金 寄付金で委任経営 12 本所長岡町 ( 現 石原 4 丁目 ) に本院移転 1888 21 種痘実施 22 人善感 1889 22 11 出獄罹病者診療のため収容開始 12 東京市営時代となる 渋沢栄一養育院長 安達憲忠養育院へ 1890 23 6 院内診療を東京大学医学部に委任 看護婦養成開始 6カ月 1891 24 3 幼童世話掛長として 瓜生岩子を招聘 1896 29 3 大塚辻町に本院移転 ( 現 大塚病院 監察医務院 大塚公園 ) 12 看護婦 看護人の教育開始 1897 30 4 入澤達吉医長在籍 ~35 年 結核対策 後に 老人病学 出版 1901 34 ハンセン病患者専用の 回春病室 設置 ( 光田健輔 ) 1902 35 児童の結核多し 房州勝山転地療法開始 明治 42 年に安房分院に移る 9 看護婦規則を改正 修業年限 2カ年となる本院で感化部事業開始 1906 39 10 結核患者病室設置本院感化部を発展させ 井の頭学校開校 1908 41 9 全生病院開設 ( 東村山 ) 養育院のハンセン病患者転院 42 4 巣鴨分院新設 ( 幼少年者対象 ) 後(1942 年 ) に石神井学園となる 5 安房分院落成 ( 虚弱児対象 ) のちに安房臨海学園 船形学園となる 1914 大正 3 10 肺結核患者隔離治療のため板橋分院を開設 船形に磨崖碑建設 1923 12 9 板橋に本院を移転 ( 関東大震災で大塚施設壊滅 ) 1925 14 11 渋沢栄一銅像竣工 ( 板橋 ) 1930 昭和 5 10 本院医療施設 病院として開設許可 1931 6 11 渋沢栄一養育院長逝去 1933 8 2 老人患者の病後静養室を設置 1934 9 1 本院医療施設を病院として認可 患者収容定員 717 1936 11 4 外来診療所を開所 地元住民の診療も行う 5 本院医療施設 定員 731 名で認可 1937 12 7 内科 外科 眼科 精神科 耳鼻咽喉科 小児科を置く 1940 15 6 看護婦長及び看護婦勤務規定制定 1941 16 10 医療保護法による医療保護施設として府知事より認可 27 27

経営 本院 西暦和暦 月 事項 1944 昭和 19 碧素 ( 国産ペニシリン ) 本邦で始めて治療に使用 1945 20 4 米空軍 B29の大空襲 板橋施設焼失し利用者 107 名戦災死 9 元陸軍造兵廠工員宿舎を借り 練馬分院として運営 1947 22 7 医務課を廃止 付属病院開設 1948 23 養育院は児童施設を民生局に移管 ( 石神井学園 安房臨海学園 ) 3 付属病院レントゲン室 手術室 新築竣工養育院現地復興計画と 板橋区の都市再開発計画との衝突 1949 24 3 養育院付属看護学院設置 昭和天皇ご夫妻行幸 24 4 連合軍軍政部 (GHQ) キャロー女史の記者会見で 養育院板橋復興決定 ( 養育院用地の一部を学校 区民施設 公園とすることで " 養育院 " 復興 ) 1951 26 光田健輔医師 文化勲章受章 ( ハンセン病対策 ) 1952 27 7 付属病院解剖室竣工 1958 33 3 付属病院新築工事竣工 (470 床 ) 9 准看護学院竣工 1969 44 1 美濃部亮吉都知事 1000 床の老人専門病院建設表明 1971 46 4 板橋高等看護学院第 1 回入学式 東 1972 47 3 養育院付属准看護学院閉校 京 4 新付属病院 研究所開設 ( 一般都民のための老人施設 ) 都養育院 板橋 村上元孝養育院附属病院長 大田邦夫老人総合研究所長この後 全国から新スタッフ集合 10 養育院 100 周年 皇太子殿下 ( 今上天皇陛下 ) ご夫妻行啓昭和 56 年まで順次病棟開棟 ( 最大 750 床 ) 10 日本老年学会開催 ( 会長 村上元孝病院長 ) 病院内に臨床医のための病院研究室オープン 1973 48 9 第 1 回老年学公開講座がはじまる 市民に対する働きかけ 1976 51 9 板橋ナーシングホーム開設 1978 53 1 CT( コンピューター断層撮影 ) 開始 8 第 11 回国際老年学会 ( 会長 村上元孝病院長 ) 第 2 付属病院 ( 現多摩北部医療センター ) 第 1 回建設委員会開催研究検査科 放射線科当直体制開始 1979 54 4 第 2 付属病院基本構想答申 5 精神科病棟開棟 ( ナーシングホーム2 階 ) 1981 56 4 今堀和友老人総合研究所所長就任 10 東京都老人総合研究所は財団法人に改組 1982 57 4 第 2 付属病院基本設計 11 養育院附属病院 10 周年記念行事 ( 記念誌 S58.3 刊行 ) 1983 58 1 病院内研究室を拡充 3 外来 全面禁煙開始 28

経営 本院 西暦和暦 月 事項 1984 昭和 59 1 老年学情報センター 開設 3 村上元孝病院長退任 ( 同日付 名誉院長 ) 4 豊倉康夫病院長就任 9 米国国立研究所 (NIA) と研究協力協定締結 1985 60 12 医事事務の電算化 血液科病棟にクリーンルーム (2 床 ) 開設 1986 61 4 養育院附属病院 の名称を 老人医療センター と改称積田亨老人総合研究所所長就任 多摩老人医療センター ( 第 2 附属病院 ) 開設 5 連続剖検 5000 例達成 (1960 年 12 月より ) 6 老人総合研究所はWHO 研究協力機関としての指定 11 伊豆大島三原山噴火被災者受け入れ 救護団派遣 1987 62 4 厚生省臨床研修指定病院となる豊倉康夫病院長 紫綬褒章 平成 5 年に 勲三等旭日中授章 この年 多くの診療科で予約制を導入 ( 昭和 61 年より試行 ) 1988 昭和 63 3 MR( 核磁気共鳴画像検査 ) 開始中華人民共和国老年医療研究中心と研究交流事業協定 9 ソヴィエト連邦医学アカデミー老年学研究所と研究協力覚書 東 日本老年医学会認定医制度発足 当院から多数認定 京 1989 平成元 1 村上元孝名誉院長逝去 都養 板橋 7 養育院事業推進検討委 養育院のあり方 を報告宇野宗佑首相板橋キャンパスを視察 育 1990 2 3 豊倉康夫病院長退任 名誉院長となる 翌日蔵本築院長就任 院 7 精神科病棟内に痴呆病床 (10 床 ) 開床外来処方 診療予約のコンピュータ導入 8 老化モデル動物施設の開設 看護部制度に変更 9 老人研にポジトロンCT 施設 (PET) 完成 付属診療所開設 1991 3 4 第 1 期病棟改修工事開始 以後順次行い平成 8 年竣工 9 第 8 回アジア太平洋神経学会 ( 会長 豊倉名誉院長 ) 12 週 40 時間勤務試行 翌年 7 月本格実施 1992 4 4 木幡陽老人総合研究所長就任 6 救急救命士の病院実施研修を受け入れ 7 新病院 20 周年記念講演会 ( 都民ホールにて ) 記念誌発行 1993 5 4 小澤利男病院長就任 10 中国北京市に老年病医療研究交流団を派遣 1993 5 11 豊倉康夫名誉院長 逝去 12 初めて 養育院 QOL 発表会 開催 腹腔鏡下胆嚢手術 内視鏡下胃瘻手術盛んに 1994 6 5 第 36 回の日本老年医学会総会 蔵本築会長 6 第 1 回養育院老年学会 ( 小沢利男会長 ) 平成 17 年まで毎年開催 7 総合機能評価 (CGA) 病棟開設 29

経営 本院 西暦和暦 月 事項 1995 平成 7 3 養育院老人医療センター運営基本方針策定阪神 淡路震災救援団派遣 1996 8 3 老人医療センター改修工事竣工 4 ICU CCU 拡大 1997 9 4 蔵本築名誉院長 折茂肇院長就任 7 高齢者施策推進室の発足 ( 以後 養育院に関する組織改正繰返す ) 9 脳卒中診療ユニットの開設 東京 12 エイズ診療拠点病院の指定を受ける 12 板橋区 板橋区医師会との地域連携 3 事業開始 都養 1998 10 高齢者施策推進室管理部門は新宿の都庁舎に移る 11 インフルエンザワクチン戦略展開 2001 年に定期接種になる 育院 1999 11 もの忘れ外来 ペインクリニックの開設ブレインバンクの開設 7 区西北部二次保健医療圏全医師会と医療連携に関する協定締結 10 国際高齢者年記念講演会開催 2000 12 1 区西北部二次保健医療圏等医療連携協議会の開催 4 老人医療センター ホームページ を開設 板 4 鈴木紘一老人総合研究所所長就任 橋 4 三宅島噴火救援団派遣 全島避難一部受け入れ 10 地域連携室の開設 11 養育院条例廃止 : 都の組織図上 養育院 の名前が消える 2001 13 1 高血圧外来 不整脈外来 めまい外来の開設心臓ペースメーカー植込み1000 例達成各科でクリニカルパス入院盛んになる 4 高齢者施策推進室は福祉局に統合となる 12 老人医療センター院内 LAN 稼働 東 2002 14 4 ( 財 ) 東京都研究福祉振興財団 老人総合研究所に改組 京 9 老人医療センター 30 周年記念式典開催 記念誌発行 都 10 林泰史病院長就任 研究所所長兼任 福 2003 15 7 オーダーメイド医療実現化プロジェクト参画 祉 2004 16 4 新 初期研修医制度開始 ( マッチング方式 ) 局 5 病院機能評価受審 8 月に認定 8 福祉局 と 健康局 が統合され 福祉保健局 となる冠動脈造影装置導入冠動脈インターベンションン盛んに 2004 16 専任リスクマネージャー配置 2005 17 感染管理ナース専従となり 感染管理チーム活性化包括的呼吸リハビリ クリニカルパス開始 30 30

経営 本院 西暦和暦 月 事項 2006 平成 18 1 東京都老年学会と東京都保健医療学会が統合 4 井藤英喜病院長就任 研究所所長兼任 東京 7 東京都が 行財政改革実行プログラム を公表育寿会 ( 糖尿病患者会 )30 周年記念行事 都福 2007 19 5 福祉保健局 板橋キャンパス再編整備基本構想 公表 NST( 栄養サポートチーム ) 活動開始 祉 2008 20 1 老研 遠藤玉夫 : 朝日賞受賞 福山型筋ジストロフィーと 保健局 11 レセプトオンライン請求開始 (10 月診療分 ) 連続剖検 9000 例達成 (1960 年 12 月より ) 昭和 47 年以来の医局主催同窓会 第 100 回記念 老年学公開講座開催 2009 21 3 心臓外科開設 養育院付属病院同窓会 4 老人医療センターと老人総合研究所を一体化し地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センターとなる松下正明理事長 井藤英喜センター長就任 板橋 バイオリソースセンター設立 DPC( 診断群分類別包括評価 ) 実施病院に指定 11 さい帯血移植医療機関診療科 として登録される 地 2010 22 新センター建設基本設計 ( 平成 25 年開院予定 ) 方 2011 23 2 東アジアの高齢化 高齢社会 第 1 回ワークショップ開催 独 3 東日本大震災 救援活動 立行 2013 25 4 板橋区地域感染症対策合同カンファレンス開始 ( 医師会 日大 帝京大 豊島病院などとの連携 ) 政 5 新施設内覧会 法 医局同窓会 ( 池袋メトロポリタン ホテル ) 人 6 新施設開院 電子カルテ運用開始 7 養育院 渋沢記念コーナー開設 2014 26 養育院の医療 140 周年記念講演会 ( 稲松 井藤 ) 2015 27 3 松下正明理事長退任 (11 月に退任記念講演会 ) 4 井藤英喜 理事長就任 許俊鋭 センター長就任 6 第 29 回日本老年学会開催 総会長 : 井藤英喜 ( センター理事長 ) 2016 28 熊本震災救援 一部に不適切な表現がありますが歴史的事実を損なわないように原文を尊重してそのまま掲載しています 31

本パンフレットは 明治 5 年 (1872 年 ) に創設された 養育院 から 今日の 東京都健康長寿医療センター に至る140 年余の福祉 医療史の道筋 敷地内にある養育院本院碑 渋沢栄一銅像などについて わかりやすく説明したものです 先人たちの 他人への思いやり 公益に対する志を考えるきっかけとしていただければ幸いです 発行 東京都健康長寿医療センター 2016( 平成 28) 年 10 月 監修 松下正明 ( 前理事長 ) 井藤英喜 ( 理事長 ) 許俊鋭 ( センター長 ) 制作 稲松孝思 ( 顧問医 ) 宮本孝一 ( 老年学情報センター )