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2 目 次 ごあいさつ / 인사말 1 プロジェクトの 概 要 / 프로젝트 개요 3 < 私 のナラティブ: 自 分 と 新 宿 区 との 関 わり> 5 新 大 久 保 の 原 風 景 母 のライフヒストリーに 寄 り 添 って 川 村 千 鶴 子 <나의 내러티브:신주쿠구와의 관계> 11 신오오쿠보의 마음속 깊은 풍경 -어머니의 라이프 스토리의 곁에 다가서서- 카와무라 치즈코 <インタビュー 1> 18 C さん(30 代 女 性 ) 今 が 人 生 のピーク 2010 年 3 月 1 日 ソウル 出 身 専 業 主 婦 日 本 在 住 9 年 インタビュアー:ソン ウォンソク <インタビュー 2> 21 ヒロさん(30 代 男 性 ) 韓 国 でできないことをしましょう 2010 年 4 月 11 日 京 畿 道 出 身 大 学 院 生 日 本 在 住 4 年 インタビュアー: 若 園 雄 志 郎 <인터뷰 2> 23 히로씨(남성) 한국에서는 하지 못 하는 것들을 해봅시다 년 4 월 11 일, 경기도출신, 대학원생, 일본체재 4 년 인터뷰어 : 와카조노 유우시로 <インタビュー 3> 25 J さん(40 代 女 性 ) 日 本 で 人 生 のチャレンジをする 2010 年 6 月 2 日 ボンファ 出 身 パート 勤 務 韓 国 語 教 師 日 本 在 住 15 年 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 <인터뷰 3> 28 J 씨 (40 대, 여성) 일본에서 인생의 도전을 하다 2010 년 6 월 2 일, 봉화출신, 파트근무, 한국어강사, 일본체재 15 년 인터뷰: 후지타 라운드 사치요 <インタビュー 4> 31 O さん(20 代 男 性 ) 自 分 の 力 で 何 とかできるのがいい 2010 年 7 月 21 日 チャンウォン 出 身 日 本 学 校 生 日 本 在 住 1 年 半 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 i

3 <インタビュー 5> 34 K さん(20 代 女 性 ) もっと 勉 強 をするなら 日 本 で 2010 年 7 月 23 日 テグ 出 身 日 本 語 学 校 生 日 本 在 住 10 か 月 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 <인터뷰 5> 37 K 씨 (20 대 여성) 더욱 더 공부를 한다면 일본에서 2010 년 7 월 23 일, 대구출신, 일본어학교생, 일본체재 10 개월 인터뷰: 후지타 라운드 사치요 <インタビュー 6> 40 Z さん(20 代 女 性 ) 日 本 で 学 び 写 真 作 家 になりたい 2010 年 7 月 23 日 ソウル 出 身 日 本 語 学 校 生 日 本 在 住 1 年 7 カ 月 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 <인터뷰 6> 43 Z 씨 (20 대, 여성) 일본에서 배워서 사진작가가 되고 싶어요 2010 년 7 월 23 일, 서울 출생, 일본어학교 학생, 일본체재 1 년 7 개월 인터뷰: 후지타 라운드 사치요 <インタビュー 7> 46 イサオさん(30 代 男 性 ) 映 画 ばかりの 三 十 年 2011 年 4 月 20 日 テグ 郊 外 出 身 大 学 院 生 日 本 在 住 3 年 インタビュアー: 渡 辺 幸 倫 < 中 間 報 告 書 の 感 想 > 49 中 間 報 告 書 を 読 んで 栃 谷 佳 宏 (31 歳 男 性 教 員 東 京 都 ) <コラム> 51 新 宿 への 誘 い 呉 世 蓮 <컬럼> 52 신주쿠로부터의 권유 오세연 スケジュール / 스케쥴 53 プロジェクトメンバー / 프로젝트 멤버 54 ii

4 ごあいさつ/ 新 宿 にいる 韓 国 人 の 話 を 聞 いてみませんか? 2009 年 に 始 まった 新 宿 のニューカマー 韓 国 人 のライフヒストリー 記 録 集 の 作 成 プロジェクトも 二 年 目 に 入 りました 今 回 の 記 録 集 には 全 7 人 のニューカマー 韓 国 人 のインタビューを 中 心 にまとめてあります なお 2010 年 の 10 月 には 初 年 度 の 成 果 を 中 間 報 告 書 として 全 27 本 のインタビューと 解 説 記 事 などを 発 表 しました プロジェクト 全 体 の 詳 細 とあわせてホームページ 上 にも 掲 載 されています 興 味 のある 方 はアクセ スしてみて 下 さい 新 宿 では 東 日 本 大 震 災 とそれに 続 く 福 島 原 発 危 機 の 影 響 が 確 実 に 見 え ています 今 回 の 記 録 集 のインタビューの 多 くは この 震 災 以 前 に 行 われ たものですが 今 後 このプロジェクトの 中 にも 震 災 の 影 響 が 現 れてくるの ではないでしょうか 今 後 も 全 部 で 100 人 になるまで 定 期 的 に 発 行 していきます お 楽 しみに! 2011 年 5 月 5 日 研 究 代 表 渡 辺 幸 倫 このプロジェクトは トヨタ 財 団 2009 年 度 研 究 助 成 (D09-R-0422) 新 宿 のニューカマー 韓 国 人 のライフヒストリー 記 録 集 の 作 成 顔 の 見 える 地 域 作 り のための 基 礎 作 業 (2009 年 11 月 ~2011 年 10 月 )の 助 成 を 受 けています ( 1

5 인사말 신주쿠에 사시는 한국인의 이야기를 들어 보시지 않겠습니까? 2009 년에 시작한 신쥬쿠에 새로이 이주해 오신 한국인 여러분들의 라이프히스토리 기록집 작성 프로젝트도 벌써 2 번째 해를 맞이하였습니다. 이번 기록집은 전부 7 명의 뉴커머 한국인 인터뷰를 중심으로 만들었습니다. 그리고 2010 년 10 월에 초년도 성과를 중간 보고서로써 총 27 개의 인터뷰와 해설기사 등을 발표했습니다. 프로젝트 전체의 상세 내용과 함께 홈페이지에도 게재하였습니다. 관심있으신 분은 들러 주시길 바랍니다. 신주쿠에서는 동일본 대지진 재해와 잇달은 후쿠시마 원전 위기의 영향이 확연히 들어나고 있습니다. 이번 기록집 인터뷰의 대부분은 이 지진 재해 이전에 행한 것입니다만, 앞으로 이 프로젝트에서도 지진 재해의 영향이 나타나지 않을까요? 앞으로도 총 100 명이 될때까지 정기적으로 발행할 예정입니다. 많은 관심 부탁드립니다 년5월5 일 연구대표 와타나베 유키노리 이 연구는 도요타재단으로부터 연구조성프로그램의 조성금(조성번호 D09-R-0422) 신주쿠에 새롭게 이주해 오신 한국인들의 라이프 히스토리 기록집 작성 얼굴이 보이는 지역사회만들기 기초작업 을 받아 이루어지고 있습니다. (기간 : 2009 년 11 월부터 2011 년 10 월) ( 2

6 プロジェクトの 概 要 多 文 化 多 民 族 化 する 日 本 の 地 域 社 会 で 住 民 同 士 のつながりをどのよ うに 作 っていくのかが 重 要 な 課 題 となっています 特 に 新 宿 区 では 韓 国 人 ニューカマーが 大 きな 存 在 感 を 持 っているものの 地 域 の 人 々との 接 点 は 必 ずしも 多 くなく 顔 の 見 える 関 係 という 地 域 作 りの 基 盤 が 弱 いとい われています 本 プロジェクトでは 100 人 の 韓 国 人 ニューカマーに 一 人 一 時 間 程 度 のラ イフヒストリー インタビューを 行 い その 内 容 を 本 人 の 同 意 のもと 定 期 的 に 印 刷 物 ホームページで 公 開 し 自 由 に 共 有 できるようにします(イ ンタビュー 方 法 の 詳 細 については 記 録 集 1 の 武 田 里 子 インタビュー 調 査 について をご 参 照 下 さい) 重 要 な 社 会 の 構 成 員 としてインタビュ ーされる 人 々の 地 域 社 会 への 所 属 意 識 向 上 が 期 待 できるとともに 受 け 入 れ 社 会 側 には 地 域 にいる 韓 国 人 も かけがえのない 人 生 の 一 時 期 を 同 じ 地 域 空 間 を 共 有 しながら 生 きている という 気 づきが 可 能 となるので はないでしょうか このプロジェクトの 理 論 的 背 景 には 人 生 を 語 り/ 聞 くことで 世 界 観 を 作 っていくという 物 語 (ナラティブ) 理 論 やライフサイクル 論 などがあり ます 本 プロジェクトは インタビューを 通 して 関 係 する 全 ての 人 が 自 己 を 肯 定 しながら 社 会 を 理 解 できるようになることを 目 指 しています こ のような 人 と 地 域 のつながりを 作 る 手 がかりを 得 ることが 本 プロジェク トの 目 標 です 3

7 프로젝트 개요 다문화, 다민족화가 진행되고 있는 일본 지역사회는 주민들 사이의 연결고리를 어떻게 만들어 가느냐라는 중요한 과제를 안고 있습니다. 특히 신주쿠는 한국인 이주자가 큰 존재감을 가지고 있지만 지역의 주민들과의 교류가 적어 얼굴이 보이는 관계 라는 지역사회를 만들기위한 기반이 취약합니다. 본 프로젝트에서는 한국인 이주자 100 명에게 한 시간 정도의 라이프 히스토리 인터뷰를 하여 본인의 동의하에 그 내용을 정기적으로 인쇄물, 홈페이지에 공개하여 자유롭게 공유할 수 있도록 하려고 합니다 (인터뷰 방법에 관한 상세한 내용은, 기록집 1 의 타케다 사토코( 武 田 里 子 ) 인터뷰 조사에 관하여 를 참조해 주십시요)..이로 인해 인터뷰에 응해 주신 분들이 사회의 중요한 구성원으로서 지역사회에의 소속감을 고취시키는 것과 동시에 지역사회 측에는 지역사회에 속한 한국인 또한 인생의 소중한 한 시기를 같은 지역공간에서 함께 살아가고 있다 는 사실을 깨닫게 할 수 있지 않을까요? 이번 프로젝트는 인생에 대하여 듣고 말하는 것을 통해 세계관을 만들어 나가는 이야기(내러티브)이론을 배경으로 하고 있습니다. 그리고 인터뷰를 통해 모든 분들이 자신에 대해 긍정적인 마인드를 가짐과 동시에 사회를 이해할 수 있기를 바랍니다. 즉 사람과 지역의 연결고리를 만드는 계기가 되는 것, 그것이 본 프로젝트의 목표이기도 합니다. 4

8 < 私 のナラティブ: 自 分 と 新 宿 区 との 関 わり> 新 大 久 保 の 原 風 景 母 のライフヒストリーに 寄 り 添 って 川 村 千 鶴 子 まちの 誕 生 の 原 点 東 京 大 空 襲 の 最 中 にも そして 平 成 23 年 3 月 11 日 の 東 日 本 大 震 災 の 直 後 に 瓦 礫 の 中 で 産 声 をあげる 子 どもがいた 人 は どんな 時 に どんな 場 所 で どんな 親 から 生 まれるのか それらを 選 択 することはできない それ 故 に 産 声 をあげてはじめて 出 会 う 親 との 運 命 的 な 接 触 ほど 神 秘 的 なものはないだろう 出 産 は どの 文 化 どの 国 籍 どの 民 族 においても 普 遍 的 である しか しながら 身 ごもる 環 境 文 化 的 通 念 出 産 にまつわる 文 化 的 儀 礼 や 慣 習 などは 実 にさまざまである ともに 生 きるライフサイクルの 視 点 からいえ ば ともに 生 まれるというライフステージは 人 生 のスタート 点 であり 出 産 をめぐる 社 会 的 文 化 的 背 景 は その 後 のアイデンティティの 獲 得 にも 大 きな 影 響 を 及 ぼす 東 日 本 大 震 災 から 1 ヶ 月 後 4 月 に 93 歳 の 誕 生 日 を 迎 えた 母 は テレビ の 画 面 に 津 波 と 地 震 によって 崩 壊 する 家 々 離 散 を 余 儀 なくされ 家 族 の 表 情 瓦 礫 の 山 を 見 ていた その 時 母 の 心 には 66 年 前 新 宿 を 襲 った 大 空 襲 が 蘇 ってきた 廃 墟 と 化 した 新 大 久 保 の 復 旧 の 光 景 が 脳 裏 に 浮 かび 風 化 されつつある 記 憶 がふと 蘇 ってきたのだ 本 稿 では 母 のライフヒストリーに 寄 り 添 い 新 大 久 保 の 高 齢 者 の 聞 き 書 きも 合 わせて 当 時 の 記 憶 から 新 大 久 保 という 地 域 が 戦 争 中 どんな 経 験 をもち 焦 土 と 化 した 荒 野 から いかにして 復 興 し 再 生 してきたのか その 原 体 験 と 原 風 景 を 描 き 出 してみた 戦 時 中 の 新 大 久 保 昭 和 17 年 新 宿 はすでに B25 による 初 空 襲 を 経 験 していた 新 大 久 保 駅 は 小 さな 木 造 の 駅 舎 で 切 符 切 の 車 掌 さんが 立 っており 周 辺 は 緑 が 多 く 閑 静 な 住 宅 街 であった 駅 のプラットホームの 長 さは 現 在 の 半 分 ほどで 改 札 口 への 階 段 は 両 方 からではなく 片 方 だけだった 新 大 久 保 駅 のホームに 立 つと 大 久 保 駅 のホームが 見 えて 手 を 振 りあっていた 新 大 久 保 駅 のホームの 真 下 には 20 坪 ほどの 洒 落 た 2 階 家 があった 白 いテラスにむけてホームから 声 をかけると 中 から 人 が 出 てきて 在 宅 を 確 かめてから 改 札 口 へ 降 りることができたという この 小 さな 家 で 私 の 父 母 は 見 合 いをした 当 時 は 男 女 がめぐり 合 う 機 会 も 少 なく 一 目 ぼれで 双 方 すぐにも 結 婚 したかったそうだ けれども 焼 夷 弾 がいつまた 降 り 注 ぐかも 分 からず 戦 時 中 結 婚 式 などを 挙 げること 自 体 が 夢 であった そんな 折 早 稲 田 大 学 大 隈 講 堂 の 使 用 が 許 されて 昭 和 19 年 4 月 10 日 親 族 を 集 めて 式 をあげることができた 豪 華 な 花 嫁 衣 装 に 憧 れていたが 5

9 借 れる 衣 装 は 一 着 しかなかった 新 郎 は 式 の 早 朝 高 田 馬 場 で 人 数 分 の 赤 飯 弁 当 を 買 って 大 隈 講 堂 まで 運 んだ 当 時 はなかなか 食 することができ なかった 赤 飯 を 見 た 親 戚 からは 笑 顔 がこぼれ 歓 声 が 上 がったという 新 婚 旅 行 は お 米 を 持 参 して 熱 海 に 一 泊 それはそれは 夢 のような 日 々であった とか 建 物 強 制 疎 開 軍 事 施 設 も 多 く 戸 山 が 原 には 射 撃 場 や 陸 軍 科 学 研 究 所 などもあった 空 襲 に 備 えて 線 路 周 辺 の 家 々にはすべて 建 物 強 制 疎 開 という 命 令 が でた 自 宅 を 自 ら 解 体 崩 壊 する 苦 渋 の 作 業 に 海 城 高 校 の 生 徒 や 学 生 たち も 動 員 された 父 は コロを 使 って その2 階 家 を 2 週 間 ほどかけて 一 番 街 の 道 をはさんで 移 動 させることに 成 功 した その 後 父 は 蒙 橿 の 宣 化 ( 現 在 の 中 国 河 北 省 張 家 口 市 宣 化 県 )の 建 築 課 長 として 単 身 赴 任 し ほとんどの 男 性 が 戦 地 に 駆 り 出 されていた 残 っ た 女 性 たちは 毎 日 防 空 演 習 や 消 火 訓 練 に 活 躍 した 運 動 選 手 だった 母 は 新 大 久 保 一 帯 の 班 長 に 指 名 され 鉄 兜 に 長 靴 姿 で 防 空 壕 を 掘 ったりして 奔 走 した 記 録 によれば 昭 和 19 年 11 月 29 日 B29 が 約 80 機 飛 んで 2 時 間 ほどの 空 襲 があった 恐 怖 と 不 安 空 腹 と 非 衛 生 的 環 境 家 族 の 離 散 耐 え 忍 ぶ 日 々であった 戦 火 の 中 での 移 動 東 京 大 空 襲 ( 昭 和 20 年 月 10 日 )では 死 者 8 万 人 行 方 不 明 者 を 含 めると 10 万 人 以 上 だった 焼 失 家 屋 約 26 万 戸 と 推 定 される B29 が 出 撃 したのは 300 機 以 上 東 京 に 到 達 したのは 279 機 と 伝 えられている 東 京 上 空 の 様 子 を 母 は 2 階 にあがって 眺 めた 下 谷 方 面 が 火 の 海 になっ たのを 見 た 文 房 具 店 を 営 んでいたYさんは 背 中 にリュックサックを 背 負 って 大 久 保 通 りから 文 化 通 りを 走 って 海 城 高 校 まで 逃 げようとして いた 最 中 リュックには 火 がついたままだったという 新 大 久 保 一 帯 は 焼 け 野 原 となり 南 方 には 伊 勢 丹 と 三 越 ( 現 在 の 新 宿 区 新 宿 )だけが 残 っているように 見 えた 西 方 には 聖 母 病 院 ( 現 在 の 新 宿 区 中 落 合 )だけが なぜか 残 っていた 人 々は 命 からがら 防 空 壕 に 隠 れていた 父 からは 蒙 橿 は 平 和 で 広 々した 処 だから 10 年 は 住 むつもりでこちら に 来 なさい 北 京 までしか 迎 えにいけないが と 書 かれた 手 紙 が 届 いた 母 は 東 京 を 出 発 して 九 州 に 向 かった 兄 が 見 送 ってくれた 九 州 で 親 戚 の 世 話 になり 4 月 10 日 に 宣 化 に 着 いた 父 との 再 会 の 喜 びは 生 涯 忘 れら れないものとなった 新 宿 の 児 童 の 学 童 疎 開 先 は 福 島 茨 城 5 月 ドイツは 連 合 国 に 無 条 件 降 伏 6 月 には 学 童 疎 開 が 半 強 制 的 に 始 ま っている 地 域 の 国 民 学 校 の 児 童 は 福 島 茨 城 栃 木 群 馬 山 梨 など のお 寺 や 旅 館 で 疎 開 生 活 を 送 った たとえば 戸 山 国 民 学 校 の 疎 開 児 童 たち は 群 馬 県 遍 照 寺 近 くの 川 原 で 朝 の 乾 布 摩 擦 をしている 最 近 も 町 会 のお 祭 りで 当 時 の 疎 開 生 活 を 語 りあった 6

10 ホームシックにかかり ひもじかったね 疎 開 生 活 が 語 り 継 がれて 共 有 している 家 族 の 離 散 戦 時 中 の 移 動 は 子 どもたちの 人 間 発 達 に 大 きな 影 響 を 与 えていた 筆 者 は 国 籍 や 民 族 に 関 わらず 受 容 する 街 の 形 成 に こうした 苦 難 の 移 動 の 記 憶 が 潜 んでいるように 思 えてならない 敗 戦 と 廃 墟 からの 再 生 東 京 は 廃 墟 となった 昭 和 21 年 元 旦 天 皇 陛 下 の 人 間 宣 言 を 人 々はどの ような 気 持 ちで 受 け 止 めたのだろう 母 は 帰 国 するように 言 われて 一 人 で 中 国 から 帰 国 の 手 続 きをした 3 月 25 日 1 年 振 りに 焦 土 と 化 した 日 本 の 土 地 を 踏 み 九 州 の 親 戚 の 家 に 世 話 になり 姑 と 一 緒 に 和 歌 山 で 墓 参 りを 済 ませ その 足 で 東 京 に 向 か う 新 大 久 保 一 帯 は 焼 け 野 原 となり 折 角 移 動 したあの 懐 かしい 家 も B29 によるじゅうたん 爆 撃 によって 焼 失 していた あたりは 瓦 礫 の 山 で 立 ち 尽 くすしかなかった 新 宿 区 全 域 の 90%を 焼 失 し 人 口 は 5 分 の 1 に 減 少 し バラックの 仮 住 まいの 人 々があふれていた 父 は 仕 事 を 済 ませて 後 から 5 月 に 帰 国 した 杉 並 の 知 人 の 家 の 一 間 に 仮 住 まいさせてもらった ひもじさのなかで 人 々は 焼 け 野 原 を 耕 して 家 庭 菜 園 をつくりはじめた しかし すぐに 収 穫 があるわけではない 写 真 1 は 新 宿 区 目 白 村 の 復 興 への 人 々の 様 子 で 鍋 を 囲 んで 談 笑 している どこもこんな 感 じで 戦 争 が 終 わった 喜 びもあり 人 々の 表 情 が 明 るい ようやく 希 望 が 湧 いてきた しかしどう やって 食 材 を 手 に 入 れたのだろう 写 真 1 空 襲 で 焼 け 残 った 人 々( 新 宿 区 目 白 文 化 村 ) ( 新 宿 歴 史 博 物 館 所 蔵 ) 国 民 学 校 は 40 校 のうち 23 校 が 全 焼 し 5 校 が 一 部 焼 失 した 青 空 学 校 がスタートした 健 気 な 子 どもたちの 表 情 は 明 るかった 連 合 軍 による 占 領 時 代 となり 山 手 線 の 周 辺 には GI のチョコレートや 7

11 ガム 欲 しさに 子 どもたちが 走 った 現 在 町 会 役 員 の S さんは そのガム の 美 味 しさを 未 だに 覚 えている 当 時 のひもじさ 食 料 不 足 は 深 刻 だった 新 宿 のエネルギー ヤミ 市 米 や 野 菜 をどこから どうやって 手 にいれるのか 当 時 の 闇 市 のことは 母 の 日 記 にも 記 されている 江 戸 東 京 博 物 館 には 新 宿 駅 東 口 のヤミ 市 の 模 型 が 展 示 され 戦 争 直 後 の 社 会 現 象 をしのぶことができる 昭 和 22 年 3 月 に 牛 込 四 谷 淀 橋 が 統 合 して 新 宿 区 が 誕 生 したころ 6 3 制 が 始 まり 教 科 書 の 内 容 が 大 きく 変 わった 誰 もが 空 腹 をかかえ 民 主 主 義 とは 何 のことやらよく 分 からないが 新 しい 時 代 の 幕 開 けを 感 じて いた 日 本 中 にベビーブームが 起 こる 3 月 1 日 雪 の 降 る 日 に 私 は 産 声 をあげた 起 業 の 歴 史 とうもろこしが 垣 根 の 役 割 を 果 たすほど 成 長 していた 地 域 の 人 々はそれぞれの 技 能 や 経 験 を 生 かして 起 業 するようになる 父 は 建 築 会 社 を 創 業 し 昭 和 23 年 復 興 の 中 新 大 久 保 駅 に 自 宅 と 事 務 所 を 新 築 した 12 坪 以 上 の 家 を 建 ててはいけないという 建 築 統 制 もあった が 玄 関 の 隣 に 洋 風 の 応 接 間 があって 和 室 2つ 台 所 と 食 堂 文 化 住 宅 のモデルルームとなって 大 勢 の 人 に 部 屋 を 案 内 した ぜひこれと 同 じように 建 ててください という 注 文 が 殺 到 した いま は お 金 が 無 いのですが いつかは 払 いますよ という 注 文 ばかりだった が それらを 引 き 受 けざるを 得 ない 起 業 であった 家 々では 鶏 尾 長 鳥 犬 を 飼 っていた 広 い 庭 があり 池 を 作 ってア ヒルもいた 写 真 2 は 尾 長 鳥 の 写 真 で 背 景 にあるのが 新 大 久 保 の 自 宅 鶏 の 生 む 卵 が 貴 重 な 食 料 であったことは 言 うまでもない 鶏 は 大 事 な 来 客 時 ご 馳 走 の 主 役 となった 切 り 落 とされた 2 本 の 足 先 手 先 は 私 たち 幼 い 子 どもの 遊 び 道 具 である 子 どもたちは ダルマさんが 転 んだ 缶 けり ゴム 弾 などたいした 道 具 のいらない 遊 びに 夢 中 になった 大 きな 蕗 の 葉 は かくれんぼの 絶 好 の 隠 れ 場 所 だった 百 人 町 はつつじの 里 として 江 戸 時 代 から 有 名 であるが 筆 者 の 思 い 出 は 大 きな 芙 蓉 の 花 が 咲 き 乱 れていることだった 庭 には 大 きなイチジクの 樹 があり 枝 の 間 にダンボールを 引 いて 子 供 の 遊 び 場 ができたりした 正 月 には 獅 子 舞 やはしご 踊 りが 人 を 集 めて 祭 りも 次 第 に 盛 大 になっていった まだ 下 水 道 も 電 気 製 品 もない 時 代 であるが エネルギッシュで 楽 しい 思 い 出 がつきない 8

12 写 真 2 懐 かしい 新 大 久 保 の 自 宅 ( 現 在 の 新 大 久 保 駅 付 近 ) ロッテガム 線 路 の 向 こう 側 には ロッテガムの 工 場 ができ そこからは なんとも 言 えない 美 味 しそうな 香 りが 地 域 全 体 に 漂 っていた ロッテガムの 創 業 者 は 韓 国 の 本 土 から 来 た 留 学 生 で 早 稲 田 実 業 を 出 て 苦 学 した 体 験 やリ ヤカーを 引 いて 石 鹸 やガムを 売 り 歩 いていた 姿 を 記 憶 している 住 民 が 多 い 町 会 では 今 でもこの 創 業 者 を 尊 敬 の 気 持 ちをもって 語 る 人 が 多 い チューインガムの 香 りは 山 手 線 の 電 車 の 中 まで 漂 った 近 所 の 主 婦 は ダンボールにガムやキャラメルを 入 れて 自 宅 に 運 び 小 さな 包 み 紙 に 包 む 内 職 をしていた 地 域 には 韓 国 の 方 々が 移 住 するようになる 大 久 保 通 りを 挟 んで 歌 舞 伎 町 に 向 かう 地 域 には 済 州 島 からの 移 住 者 も 増 えて いった ともに 生 きるまち 大 久 保 駅 近 くにある 淀 橋 教 会 は アメリカの 教 会 のような 素 朴 で 新 しい 光 景 を 醸 し 出 した とうもろこし 畑 に 囲 まれ 3 歳 になった 私 は 日 曜 礼 拝 に 祖 母 に 手 をひかれて 通 った 敵 国 であったアメリカは ともに 祈 る 隣 人 となり 宣 教 師 が 移 住 してきた いまの 文 化 通 りあたりにあったその 家 は アメリカ 風 の 台 所 ドアに 網 戸 がついていて 天 井 の 高 い 優 雅 な 家 だった 筆 者 は 中 学 生 になると 英 語 をしゃべってみたくて そうした 家 のドアをた たき 友 人 となって 子 守 りをかってでたりした 家 族 ぐるみの 付 き 合 い が 始 まる 鬼 畜 米 兵 といった 時 代 は コペルニックス 的 転 回 をとげ 地 域 は 復 興 とともに 平 和 の 心 を 広 げ 敵 味 方 という 考 えはなくなり 楽 しい 交 流 が 始 まったのだ 以 上 母 の 記 憶 に 寄 り 添 って 戦 後 の 荒 廃 と 復 興 への 新 大 久 保 の 原 風 景 9

13 の 一 齣 を 素 描 してみた ライフヒストリーに 寄 り 添 うことによって これ までの 新 宿 の 歴 史 書 には 書 かれなかったこと 見 えなかったこと 地 域 の 人 々の 本 音 も 可 視 化 することができる 母 は 80 年 代 以 降 から 来 日 した 韓 国 の 学 生 に こういった 情 景 を 話 した ことがある とても 想 像 できないと 驚 くとともに 高 齢 者 の 語 りから 多 くを 学 べることに 感 動 していた 喜 怒 哀 楽 が 聞 こえてくるような 生 活 史 の 中 に 時 代 に 翻 弄 されながらも 自 らの 人 生 をたくましく 生 きる 気 概 と 主 体 性 が 伝 わってくる 地 域 の 再 生 とネットワークの 形 成 そして 変 貌 の 速 さに 驚 きながらも 語 り 継 ぐことの 重 要 性 が 人 々のこころに 流 れて それが 由 緒 となって 地 域 を 支 えていることを 読 み 取 っていただければ 幸 いである 10

14 <나의 내러티브:신주쿠구와의 관계> 신오오쿠보의 마음속 깊은 풍경 -어머니의 라이프 스토리의 곁에 다가서서- 카와무라 치즈코 마을 탄생의 원점 동경대공습이 계속 되던 중에서도 그리고 2011 년 3 월 11 일의 동일본대지진 직후에도 잔해 속에서 새로이 태어나는 생명이 있었다. 인간은 자기가 원하는 시간이나 원하는 장소, 원하는 부모에서 태어나고자 하는, 그러한 선택을 할 수 없다. 그렇기에 태어나 첫울음을 터트리며 만나는 부모와의 운명적인 접촉만큼 신비스러운 것은 없지 않을까? 출산은 어느 문화나 국적이나 민족이든지 보편적인 일이다. 그렇지만 임신을 하게 되는 환경, 문화적인 통념, 출산에 관련된 문화적인 의례나 관습 등은 각양각색이다. 함께 살아가는 라이프스타일의 시점으로 보면 함께 태어나는 라이프스테이지는 인생의 출발점이며 출산을 둘러싼 사회적, 문화적 배경은 나중의 정체성 획득에 큰 영향을 끼치게 된다. 동일본대지진으로부터 1개월 뒤, 4 월달에 생일을 맞이하여 93 살이 되시는 어머니는 쯔나미와 지진으로 무너지는 집들이나 어쩔 수 없이 가족들과 헤어지는 사람들의 표정과 산처럼 쌓인 잔해를 티비를 통해 보셨다. 그 때 어머니의 마음 속에는 66 년 전, 신쥬쿠의 대공습을 떠올리셨다. 폐허가 되어 버린 신오오쿠보의 복구의 광경이 뇌리에 떠올라 아련했던 기억이 다시 떠오기 시작했던 것이다. 본고에서는 어머니의 라이프스타일을 함께 거슬러 올라가면서, 그리고 신오오쿠보의 고령자들에게 보고 들은 내용을 당시의 기억을 통해 신오오쿠보라는 지역이 전쟁중에 어떠한 경험을 겪었으며 잡초가 무성한 황야에서 얼마나 복구되었으며 재생했는가, 그러한 옛날의 체험과 풍경을 그려내었다. 전쟁중의 신오오쿠보 1942 년 신쥬쿠는 이미 B25 의 첫 공습을 경험한 뒤였다. 신오오쿠보역은 목조로 된 작은 역으로 표를 끊는 차장이 있었으며 주변은 녹색의 자연이 풍부한 조용한 마을이었다. 역의 플랫폼 길이는 지금의 절반 정도로 개찰구의 계단은 양쪽이 아니라 한 쪽 밖에 없었다고 한다. 플랫폼에 서면 오오쿠보역이 손에 잡힐 정도로 눈에 들어왔다. 신오오쿠보역 플랫폼의 바로 밑에는 20 평정도의 멋진 2층 가옥이 있었다. 플랫폼에서 새하얀 테라스를 향해 말을 걸면 안에서 사람이 나오기 때문에 사람이 있는 것을 확인하고 개찰구로 내려올 수 있었다고 한다. 그 작은 집에서 나의 부모님은 선을 봤다고 한다. 당시는 남녀가 서로 만날 수 있는 기회가 적어서 한눈에 반한 부모님은 바로 결혼을 하고 11

15 싶었다고 한다. 하지만 소이탄 1 이 언제 또 떨어질지도 모르는 전쟁중에 결혼식을 올리는 것 자체가 꿈이었다고 한다. 그러던 차에 와세다대학의 대강당을 사용할 수 있게 되어 1944 년 4 월 10 일 친적들이 모인 자리에서 결혼식을 올릴 수 있었다. 호화스런 신부 드레스를 기대했었지만 빌릴 수 있는 것은 한 벌 밖에 없었다. 신랑은 결혼식 당일 아침 타카다노바바에서 팥찰밥 2 도시락을 사람 수만큼 사서 대강당으로 가져왔다. 당시에는 왠만해서는 먹을 수 없었던 팥찰밥을 본 친척들은 얼굴에 웃음꽃이 활짝 피우며 환호성을 질렀다고 한다. 신혼여행은 쌀을 직접 가지고 아타미( 熱 海 )에서 일박을 했다. 정말로 꿈과도 같은 날들이었어 건물강제소개( 建 物 強 制 疎 開 ) 토야마가하라( 戸 山 ヶ 原 )에는 군사시설도 많았었고 사젹장이나 육군과학연구소도 있었다. 공습에 대비하여 선로 주변의 집들에는 전부 건물강제소개 라는 명령이 떨어졌다. 자기 집을 스스로 해체하여 무너뜨리는 고통스런 작업에 카이세이( 海 城 )고등학교의 학생들이 동원되었다. 아버지는 그 2 층 가옥을 2 주에 걸쳐서 바퀴가 달린 큰 판으로 1 번지의 도로를 건너 이동시키는 데에 성공했다. 그 뒤에 아버지는 몽강의 선화(지금의 중국 하북성 장가구시 선화현)로 건축과장으로 단신부임하였는데 대부분의 남성은 전쟁에 불려 나갔었다. 남아 있는 여성들은 매일같이 방공연습과 소화훈련에서 활약하였다. 운동선수였던 어머니는 신오오쿠보 일대의 반장으로 지명받아서 철모와 장화를 신고 방공호를 만드는데 정신이 없었다고 한다. 기록에 의하면 1944 년 11 월 29 일 B29 80 대가 날라 와서 2 시간 정도 폭격을 가했다고 한다. 공포와 불안, 배고픔과 비위생적인 환경, 이산가족. 참고 견디는 날들의 연속이었다. 전쟁의 불길 속에서의 이동 동경대공습(1945 년 3 월 10 일)에는 사망자가 80 만명으로, 행방불명자를 포함하면 10 만 이상이 되었다. 불에 탄 가옥은 26 만 채로 추정된다. B29 가 출격한 수는 300 대 이상으로 동경에 도착한 것은 279 대라고 전해진다. 어머니는 2 층에 올라가서 동경대공습을 바라보았다. 시모다니( 下 谷 )방면이 불바다가 된 모습을 보았다. 문방구접을 경영하던 Y 씨는 등에 가방을 메고 오오쿠보 거리에서 문화 거리를 달려 카이세이 고등학교로 도망가려던 중에 1 소이탄( 燒 夷 彈 ) 목표물을 불살라 없애는 데 쓰는 포탄이나 폭탄 따위를 말하는 것으로, 적군, 도시, 구축물, 항공기 등을 태워 없애기 위해 쓰인다. 2 팥찰밥( 赤 飯 ) 팥을 넣어 만든 밥. 일본에서는 결혼식이나 입학식, 생일과 같은 날에 먹는 풍습이 있다. 12

16 가방에 불이 붙은 채로 달렸다고 한다. 신오오쿠보 일대는 불에 탄 들판처럼 되었고 남쪽은 이세탄( 伊 勢 丹 )과 미코시( 三 越 )(지금은 신쥬쿠구 신쥬쿠)만이 남은 것럼 보였다. 서쪽은 성모병원(지금의 신쥬쿠구 나카오치아이) 만이 왠일인지 남아있었다. 사람들은 가까스로 목숨을 부지하여 방공호에 대피하고 있었다. 아버지로부터 멍강은 평화롭고 넓은 곳이니까 10 년은 살 생각을 가지고 이 곳으로 와라. 북경까지 밖에 데리러 갈 수 없지만 이라고 쓰여진 편지가 왔다. 어머니는 동경을 떠나 큐슈를 향했다. 형이 우리를 데려다 주었다. 큐슈에서는 친척집에 머무르다가 4 월 10 일에 선화시에 도착하였다. 어버지와의 재회는 평생 잊지 못할 소중한 기억으로 남았다. 신쥬쿠의 어린이의 학동소개지 후쿠시마( 福 島 )와 이바라키( 茨 城 ) 5 월 독일은 연합국에 무조건적인 투항을 했고 6 월에는 학동소개가 반강제적으로 시작되었다. 지역의 국민학교의 어린이들은 후쿠시마, 이바라키, 토치기, 군마, 야마나시 등 절이나 여관에서 소개 생활을 보냈다. 예를 들면 토야마국민학교의 소개아동들은 군마현 헨죠우지( 遍 照 寺 )에서 가까운 내천에서 아침에 건포마찰을 하곤 했다. 지금도 마을회 주최로 열리는 축제에서는 당시의 소개 생활이 말로 전해지고 있다. 이산 가족, 전쟁중의 이동은 어린 아이들의 발달에 큰 영향을 끼쳤다. 필자는 국적이나 민족에 상관없이 모든 이들을 받아주는 마을 형성에 이러한 고난의 이동에 관한 기억이 숨겨져 있다고 생각하지 않을 수 없다. 패전과 폐허로부터의 재생 동경은 폐허가 되었다 년 1 월 1 일 천황폐하의 인간선언을 사람들은 어떤 심정으로 받아들였을까? 어머니는 귀국하라는 말을 듣고 혼자서 중국에서 귀국 수속을 밟았다. 3월 25일, 1 년 만에 재로 변한 일본의 땅을 밟고 큐슈의 친척집에 머물다가 시어머니와 와카야마( 和 歌 山 )에서 성묘를 마치고 그 길로 동경으로 향했다. 신오오쿠보 일대는 불에 탄 벌판으로 변했고 모처럼 이동시켰던 그 그리운 집도 B29 에 의한 융단폭격에 의해 타버리고 없어져 있었다. 주변은 잔해가 산처럼 쌓여 있었고 어머니는 그저 멍하니 서 있을 수 밖에 없었다. 신쥬쿠구 전역의 90%가 불에 타버렸으며 인구는 5 분의 1 로 감소하였고 판자집에 임시로 살고 있는 사람들이 넘쳐났었다. 아버지는 일을 마치고 나중에 5 월에 귀국했다. 스기나미( 杉 並 )의 아는 사람 집의 한 켠에 임시로 살게 되었다. 배고픔 속에서 사람들은 타버린 들판을 일구어서 가정 농원을 만들었다. 하지만 바로 13

17 수확할 수 있을 리가 없었다. (사진 1)은 신쥬쿠구의 메지로촌 복구를 위한 사람들의 모습으로 냄비를 둘러싸고 담소를 나누고 있다. 어디를 가나 이러한 풍경으로 전쟁이 끝났다는 기쁨도 있었으며 사람들의 표정이 밝았다. 드디어 희망이 솟아 올랐다. 하지만 어떻게 먹을 것을 구했을까? [사진 1] 공습으로 인해 타고 남은 집에 모인 사람들(신쥬쿠구 메지로 문화촌) (신쥬큐역사박물관소장) 국민학교는 40 개교 중에 23 개교가 전부 타버렸고 5 개교가 부분적으로 불에 타버렸다. 푸르른 하늘 아래서의 수업이 시작되었다. 건강한 아이들의 표정은 밝고 명랑했다. 연합군에 의한 점령시대가 시작되었고 야마노테선 주변에는 GI 의 쵸콜렛이나 껌을 원하는 어린이들이 뛰어다녔다. 현재 마을회 임원을 맡고 있는 S 씨는 그 때의 껌이 얼마나 맛있었는지 아직도 기억하고 있다고 한다. 당시의 배고픔과 식량부족은 심각한 것이었다. 신쥬쿠의 에너지 뒷시장 3 쌀이나 야채를 어디서 어떻게 구했을까? 당시의 뒷시장에 대해서는 어머니의 일기에도 기록되어 있다. 에도동경박물관에는 신쥬쿠역 동족 출구에 있었던 뒷시장의 모형이 전시되어 있어서 전쟁직후의 사회현상을 들여다볼 수 있다 년 3 월 우시고메( 牛 込 ), 요쯔야( 四 谷 ), 요도바시( 淀 橋 )가 통합되어 신쥬쿠구가 탄생되었을 때, 6.3 제도가 시작되어 교과서의 내용이 크게 바뀌었다. 모든 사람들이 허기진 배를 부여잡고 민주주의 가 뭔지도 모르지만 새로운 시대의 막이 열렸다는 것을 느꼈다. 3 뒷시장( 闇 市 ) 물자부족으로 인해 물가를 통제하는 상황하에서 이루어지는 비합법적 시장경제원리에 의한 시장. 블랙마켓이라고도 불린다. 14

18 창업의 역사 옥수수가 울타리처럼 높아질 정도로 성장했다. 지역 주민들의 각자의 기술과 경험을 살려 기업을 일으키게 되었다. 아버지는 건설회사를 설립하여 1948 년 복구가 한창이던 때에 신오오쿠보에 자택과 사무소를 신축하셨다. 12 평이상의 집을 지으면 안 된다는 건축통제도 있었지만 현관 옆에 서양풍의 응접실이 있어서 일본식 방 2 개와 부엌, 식당이 있었다. 문화주택의 모델룸으로서 많은 사람들을 방으로 안내하였다. 꼭 이 집과 똑같이 지어주세요 라는 주문이 쇄도하였다. 지금은 지불할 돈이 없지만 언젠간 지불할게요 라는 주문밖에 없었지만 그것을 받아 들일 만큼 기개가 넘치는 창업이었다. 집에서는 닭, 오나가도리( 尾 長 鳥 4 ), 개를 키웠다. 넒은 정원이 있었고 연못을 만들어 오리도 키웠다. 사진 2 는 오나가도리의 사진으로 배경이 된 곳이 신오오쿠보의 자택이다. 닭이 낳는 달걀이 귀중한 식량이었다는 것은 말할 필요도 없었다. 닭은 중요한 손님이 올 때에 밥상의 주역이 되었다. 어린 우리들은 두 다리를 잘라서 가지고 놀곤 했다. 어린이들은 무궁화 꽃이 피었습니다. 깡통 차기 고무총 등, 특별한 도구 없이도 놀 수 있는 놀이에 흠뻑 빠져있었다. 큰 후키의 잎( 蕗 の 葉 )은 숨바꼭질할 때에 절호의 은신처가 되어 주었다. 햐쿠닌쵸( 百 人 町 )는 진달래 마을로 에도 시대부터 유명하였다. 큰 부용 꽃이 어우러져 만발한 모습이 나의 추억의 한 장면이다. 정원에는 큰 무화과 나무가 있었는데 가지 사이에 박스를 깔아서 어린이들의 놀이터로 쓰여지기도 했었다. 정월에는 사자춤이나 하시고춤(は しご 踊 り 5 )을 하는 사람들이 모여서 축제도 성대하게 열렸었다. 아직 하수도도 전기제품도 없는 시대였지만 에너지가 넘치며 즐거운 추억이 끊이지를 않았다. 4 오나가도리( 尾 長 鳥 ) 일본 고유의 닭의 한 품종. 5 하시고춤(はしご 踊 り) 일본의 전통적인 소방수들의 춤으로서 사다리 위에서 이루어지는 춤. 15

19 [사진 2] 그리운 신오오쿠보의 자택 (지금의 신오오쿠보역 근처) 롯데 껌 선로 건너편에는 롯데 껌 공장이 생겼는데 거기에서는 이루 말할 수 없는 맛있는 향기가 지역 전체에 퍼져 나갔다. 롯데 껌의 창시자는 한국 본토에서 온 유학생으로 와세다 실업 고등학교를 나와 고생한 경험이나 리어카를 끌고 다니며 비누와 껌을 팔며 다니는 모습을 기억하고 있는 사람이 많았다. 마을회에서는 아직도 그 사람을 존경의 마음으로 이야기하는 사람들이 많다. 츄잉껌의 향기는 야마노테선의 전차 안까지 퍼졌었다. 주변의 주부들은 종이박스에 껌이나 캬라멜을 넣어 자택에 가져와 작은 포장지에 싸는 일을 했다. 점점 한국 사람들이 이주해오기 시작했다. 오오쿠보거리를 둘러싸며 카부키쵸 방면으로 향하는 지역에는 제주도로부터 이주해 온 한국인들이 늘어나고 있었다. 함께 살아가는 마을 오오쿠보역 근처에 있는 요도바시교회는 미국의 교회와 같이 소박하면서도 새로운 광경을 자아냈다. 옥수수 밭이 풍성한 가운데 3 살이 된 나는 일요일에는 할머니의 손에 이끌리어 예배를 드리러 교회를 다녔었다. 적국이었던 미국은 이제는 함께 기도를 드리는 이웃이 되었고 많은 선교사들이 이주해 왔었다. 지금의 문화거리 근처에 있었던 그 집은 미국풍의 부엌문에 망사 문이 달려 있었고 천정이 높은 우아한 집이었다. 나는 영어로 말을 걸어 보고 싶어서 그 집의 문을 두드려, 친구가 되었고 애 보는 일을 자청하기도 하였다. 가족 전체가 친하게 지내는 계기가 되었다. 16

20 귀축미군( 鬼 畜 米 兵 6 ) 과도 같은 시대는 코페르쿠니스적 전환 7 과도 같이 180 도로 바뀌었는데 마을은 부흥과 함께 평화의 마음이 퍼져 적과 아군이라는 생각은 없어지고 즐거운 교류가 시작되었던 것이다. 이상으로 어머니의 기억을 더듬어 올라가서 전쟁후의 황야와 부흥을 향한 신오오쿠보의 옛 풍경의 한 장면을 그려내 보았다. 라이프 스타일에 다가서서 나란히 걸어가는 것을 통해 지금까지 신쥬쿠의 역사서에는 쓰여지지 않았던 사실, 보지 못했던 사실, 지역 주민들의 본심까지도 눈에 보이듯이 그려낼 수 있었다. 어머니는 80 년대 이후부터 일본에 온 한국의 학생에게 이와 같은 정겨운 풍경을 이야기 해 준 적이 있다. 정말로 상상도 할 수 없을 만큼 놀라면서 고령자의 이야기에서 많은 것을 배우는 것에 감동하고 있었다. 희로애락이 들려오는 듯한 생활사 속에서, 시대에 휩쓸려 가면서도 스스로의 인생을 힘차게 살아가는 기개와 주체성을 느껴졌다. 지역의 재생과 네트워크의 형성, 그리고 빠르게 변해가는 스피드에 놀라면서도 대대로 전해져 오는 이야기들의 중요성이 사람들의 마음 속에 흘러 퍼져, 그것이 마을의 유래가 되어 지역을 유지하고 있다는 것을 느낄 수가 있었다. 6 귀축미군( 鬼 畜 米 兵 ) 제 2 차세계대전 중에 일본국내에 퍼진 일종의 슬로건과 같은 것으로 미군은 여자는 강간하며 남자는 죽인다는 소문이 퍼졌었다. 7 코페르쿠니스적 전환 코페루쿠니스가 그 때까지 지동설이 지배적이었던 세상의 상식을 깨고 지동설을 주장한 역사적인 사실을 빗대어 지금까지의 생각이나 사상이 180 도로 바뀌는 것을 말한다. 17

21 <インタビュー 1> C さん(30 代 女 性 ) 今 が 人 生 のピーク 2010 年 3 月 1 日 ソウル 出 身 専 業 主 婦 日 本 在 住 9 年 インタビュアー:ソン ウォンソク 結 婚 を 契 機 に 来 日 家 族 は 都 内 の 私 立 大 学 の 助 手 である 夫 と 6 歳 の 娘 3 人 家 族 韓 国 には 自 営 業 を 営 む 両 親 と 会 社 勤 めしている 兄 弟 がいる 2002 年 5 月 に 留 学 生 だった 夫 ( 当 時 大 学 院 修 士 課 程 )と 結 婚 を 契 機 に 来 日 した 1999 年 に 大 学 を( 数 学 科 ) 卒 業 し 会 社 勤 めや 放 課 後 教 師 ( 日 本 の 学 童 に 類 似 する)をやった 来 日 した 当 時 は 1 年 だ け 生 活 をするつもりだったが もう 9 年 目 を 迎 える 韓 国 の 家 族 も 1 年 と 思 ってい たが こんなに 長 くなり 早 く 帰 ってきて と 言 われる 自 分 にとって 日 本 は 初 めての 海 外 生 活 だ 両 親 は 海 外 旅 行 はたくさんしたが 生 活 したことはない お 父 さんが 厳 しくて 大 学 の 時 に 門 限 が 9 時 で 旅 行 どころか 合 宿 もいけなかった だか ら 日 本 に 来 て 自 由 な 生 活 を 謳 歌 しているのでとても 良 い 1 年 間 遊 ぶつもりだったので 日 本 語 も 全 然 勉 強 しないでひらがなも 分 からない 状 態 で 日 本 に 来 た 日 本 については 首 都 が 東 京 である 程 度 の 学 校 で 習 ったこと 以 外 は 何 も 知 らなかった 教 科 書 に 出 てくる 怖 い 国 というイメージもあって 差 別 もあ るのではとはじめは 怖 かった 来 日 してからは 大 学 の 寮 で 生 活 していたが その 寮 を 出 て 民 間 のアパートに 移 るときに 不 動 産 屋 で 大 家 が 外 国 人 は と 断 れたこと 以 外 は あまり 差 別 のようなことを 経 験 した 覚 えはない 時 期 が 2002 年 ワールド カップもあり その 後 冬 のソナタ で 韓 流 ブームもあって 雰 囲 気 が 良 かった 初 来 日 は 観 光 ビザで 来 た 1 年 間 は 3 ヶ 月 ずつ 往 復 して 日 本 にいる 間 日 本 語 学 校 に 2 ヶ 月 通 った その 後 は 今 住 んでいる 都 下 の 市 の 地 域 センターの 日 本 語 教 室 で 週 4 時 間 勉 強 した 日 本 語 学 校 より 会 話 練 習 の 機 会 が 多 く 勉 強 になった そこで 日 本 人 の 友 達 もできた 当 時 韓 国 に 対 する 関 心 が 高 かったので 韓 国 について 聞 いて くる 人 も 多 く そのうち 韓 国 料 理 や 韓 国 語 を 教 える 機 会 もあった 当 時 できた 友 達 は 代 の 女 性 が 多 かった とても 仲 良 く 楽 しく 過 ごした 地 域 の 日 本 語 教 室 で 日 本 語 能 力 試 験 を 受 験 する 雰 囲 気 もあって 妊 娠 してから 胎 教 として 勉 強 でもし ようと 試 験 勉 強 をして 来 日 1 年 半 で 1 級 に 合 格 した 一 つ 印 象 に 残 ることは 日 本 に 来 た 当 時 夫 が 住 んでいたアパートで 1 週 間 ほど 過 ごしたが 古 い 木 造 で 手 巻 き 点 火 式 のお 湯 沸 かし 機 はショックだった 先 進 国 と いわれる 日 本 でこんな 生 活 をしているなんて 想 像 もできなかった それから 新 築 さ れた 大 学 の 国 際 寮 の 家 族 室 に 移 ったが 韓 国 と 比 較 すると 普 通 なのに 最 初 の 木 造 アパートに 比 べると 宮 殿 のようだった 国 際 寮 に 入 ってからはそこに 住 んでいる 奥 さん 達 と 友 達 になった 家 にいるよりは 外 に 出 て 人 とつきあうのを 好 む 性 格 なので たくさん 友 達 ができた 周 りに 助 けられる 子 育 て 娘 は 韓 国 で 出 産 し 2 ヶ 月 後 日 本 に 戻 った 娘 が 3 歳 になって 幼 稚 園 に 通 い 始 める 前 までは 家 で 子 供 と 二 人 だけで 過 ごしたのでとてもつらかった 体 の 調 子 が 悪 くて も 子 供 をみてもらえる 人 がいなくて 大 変 だった その 時 が 日 本 の 生 活 の 中 で 一 番 つ らかった その 時 知 り 合 いの 紹 介 で 地 元 の 育 児 クラブに 入 った 週 に 一 度 集 まっ て 市 の 施 設 の 部 屋 を 借 りて 保 育 士 に 子 供 を 預 けて 母 親 達 は 料 理 やおもちゃ 作 り 時 には 育 児 について 先 生 を 呼 んで 話 しを 聞 くなど とても 有 意 義 で 楽 しい 時 間 を 過 ご 18

22 した はじめは 6 人 から 後 に 12 人 まで 増 えたが 幼 稚 園 に 入 ると 自 然 に 脱 会 する 市 の 公 民 館 でリトミックや 体 操 など 親 子 のための 多 様 なプログラムがあるのも 育 児 クラブのお 母 さん 方 から 情 報 を 得 ていろいろ 参 加 した 実 はそのようなプログラ ムを 知 らない 人 が 多 い 育 児 クラブに 入 ったので 情 報 を 得 ることができた 一 人 子 育 ては 長 短 がある 自 分 の 教 育 観 で 好 きなように 育 てられるのは 良 い 点 だ が やはり 何 かあるときに 子 供 を 預 けられないのが 困 る 24 時 間 子 供 と 一 緒 にいな いといけないのでストレスもたまる 発 散 できないとそれが 子 供 に 向 けられること もあるので 困 る だが 日 本 は 子 育 て 環 境 が 良 い 韓 国 で 子 育 てをやったことがな いので 比 較 はできないが ここは 補 助 金 もあるし 子 供 をつれて 出 かけても 子 供 関 連 の 施 設 も 整 備 されているし これは 良 い 点 だ 出 産 してからは 市 から 相 談 員 が 来 ていろいろ 教 えてくれた 何 かあったときに 利 用 できる 施 設 の 情 報 を 教 えてくれた し 安 心 させてくれた 周 りで 産 後 鬱 になる 人 もいると 聞 く 自 分 はつらかった 記 憶 もあるがもう 忘 れた 今 から 考 えると 子 供 が 赤 ちゃんだった 時 が 良 かったなと 思 っている 幼 稚 園 選 びは 育 児 クラブの 友 達 などから 情 報 を 得 て 選 んだ 子 供 が 幼 稚 園 に 入 っ てから 学 習 塾 の 掃 除 パートの 仕 事 を 始 めた 午 前 中 1 日 2 時 間 程 度 週 6 日 やってい る 終 わると 買 い 物 したり 友 達 とランチしたりする 幼 稚 園 は 2 時 に 終 わる バス もあるが 迎 えに 行 く 行 くと 他 のお 母 さん 達 と 会 って 情 報 交 換 もできる 市 から 補 助 がでるので 幼 稚 園 費 の 3 分 の 2 はそれでまかなえ あまり 負 担 は 感 じない 週 2 回 お 弁 当 を 持 たせるが はじめは 他 のお 母 さん 方 がとてもかわいく 作 って それ が 負 担 だった でも 年 中 になると 冷 凍 食 品 も 使 う 他 のお 母 さんもみんな 同 じ 子 供 が 生 まれて 1 年 間 は 大 変 だったが 去 年 から 夫 が 大 学 で 博 士 課 程 に 在 籍 しな がら 契 約 職 の 助 手 になり 韓 国 語 講 師 もやっている パートの 仕 事 もあるので 経 済 的 に 問 題 はない 今 が 人 生 のピークのようだ 今 年 子 供 が 小 学 校 に 行 ったら 世 話 が 減 るので 何 かやりたいことをやってみよう かと 思 っている 具 体 的 なことはないが 勉 強 をしてみようか 以 前 やったことの ある 韓 国 料 理 を 教 えて 稼 ぐか いろいろ 考 えている 子 どもの 教 育 が 悩 み 夫 は 韓 国 に 帰 りたがる ところが 子 供 が 今 年 小 学 校 に 入 学 するので 悩 んでいる 生 まれてから 日 本 の 幼 稚 園 に 通 い 友 達 も 日 本 人 ばかりなので 途 中 で 韓 国 に 帰 っ たら うまく 適 応 できるかどうか 子 供 に 韓 国 人 であることをどう 教 えるかも 悩 み 韓 国 では 韓 国 に 対 して 息 をするように 教 育 を 受 けるが 娘 は 日 本 の 子 供 が 息 をする ように 受 け 入 れる 日 本 を 同 じように 受 け 入 れてきた 子 なので どうすれば 良 いか 悩 んでいる 歴 史 の 問 題 もあるだろうし いざ 韓 国 に 帰 ろうとすると 韓 国 の 教 育 の 現 実 に 耐 えられるかが 一 番 大 きい 韓 国 に 帰 った 友 達 をみるとうまく 適 応 でき ない 子 もいる 韓 国 は 教 科 学 習 の 面 で 早 い 日 本 ではみんなが 知 らない 事 を 前 提 に はじめから 教 えるが 韓 国 だと 5 まではやってきただろうと 6 から 教 える 韓 国 に 帰 った 友 達 から 子 どもが 日 本 から 馬 鹿 が 来 た と 言 われたことがあると 聞 い た 言 葉 もうまくできないので 特 に 小 学 校 は 仲 間 に 入 れてくれないようだ 娘 は 韓 国 語 があまりできない 生 活 会 話 程 度 はできるが 韓 国 語 で 話 しかけると 日 本 語 が 帰 ってくる 1 年 前 に 韓 国 人 の 友 達 が 来 て 韓 国 語 がうまくなったが 学 校 で 使 う 学 習 用 語 は 全 然 できない 数 も 数 えられない もし 韓 国 に 帰 るならば 娘 の 事 が 一 番 心 配 小 学 校 の 時 期 は 教 育 もされてない 段 階 で 動 物 的 で 露 骨 ないじめが あるので 傷 つきやすい できればこの 時 期 を 避 けたいが 中 高 になると 教 育 のレ 19

23 ベルが 違 うのでまた 無 理 かもしれない どうすれば 良 いか 悩 みだ 最 近 娘 が 韓 国 を 意 識 し 始 めた 韓 国 と 日 本 がサッカーをやって 日 本 が 勝 ったら 幼 稚 園 でみんなと 一 緒 に 喜 んだようだが お 父 さん お 母 さんは 日 本 に 住 んでい るのに なんで 韓 国 を 応 援 するの? と 聞 かれた 自 分 は 日 本 に 住 んでいるし 友 達 もみんな 日 本 人 で 韓 国 語 もできないのに なぜ 自 分 を 韓 国 人 と 言 うのか と 聞 かれた 事 がある その 程 度 だったが 今 はお 父 さん お 母 さんが 韓 国 人 で 何 かの 違 いを 感 じているようだ 韓 国 人 の 友 達 が 幼 稚 園 に 来 て 二 人 で 韓 国 語 を 喋 ったり 日 本 語 が 全 然 できない 韓 国 人 の 友 達 に 韓 国 語 で 言 ってあげたりしながら 少 しずつ 違 いを 感 じ 始 めたようだ いまは 周 りの 子 が 娘 に 対 して おまえ 韓 国 人 だろう と 言 っても 言 う 子 も 聞 く 娘 もそれに 対 する 認 識 がないのでそれが 良 い 悪 いといっ たところまではいかないと 思 うが 小 学 校 に 行 ったら 違 うのではないかと 心 配 して いる 娘 にとって 日 本 はとても 良 い 国 で 母 国 のような 感 覚 なので 特 に 歴 史 問 題 な どに 対 してどう 説 明 してあげれば 良 いのか 悩 む 夫 が 歴 史 を 勉 強 する 人 なので う まくやってくれるだろうと 期 待 している 日 本 の 教 育 は 子 供 には 良 いと 思 うが や はり 歴 史 問 題 が 一 番 引 っかかる だが 自 分 は 日 本 に 来 て 両 方 を 比 較 できるようになって 良 かったと 思 う 微 妙 な 関 係 の 両 国 を 理 解 できるようになった 同 じように 娘 にとってもそれは 良 いだろ う 抑 圧 されてきた 在 日 とは 違 って 別 の 考 えを 持 つのではないか 家 で 韓 国 語 を 教 えようとしているが 難 しい 韓 国 から 送 ってもらった 本 や 資 料 で やってみたがうまくいかない 自 分 と 娘 は 日 本 語 を 受 け 入 れる 感 覚 が 違 う 自 分 は 外 国 語 として 覚 えて 使 うが 娘 は 自 然 と 分 かる 自 分 には 聞 き 取 れない 事 も 娘 は 聞 き 取 れる 自 分 が 日 本 語 を 習 うことと 同 じように 娘 は 韓 国 語 を 学 ばないといけな い とても 難 しい 小 学 校 選 びに 韓 国 学 校 も 考 えたが 生 活 圏 が 違 うし 学 習 の 熱 も 違 うらしいので やめた 経 済 的 要 因 韓 国 学 校 のお 母 さん 達 の 教 育 熱 いろいろあるが 日 本 に 住 みながらわざわざ 韓 国 学 校 に 行 かせるのもそうだし 一 番 はやはり 生 活 圏 を 新 宿 に 移 すことがいやだった 自 分 も 娘 も 今 住 んでいるところになれているし 友 達 も 多 く まるで 故 郷 だ 大 久 保 には 日 本 人 のお 母 さん 達 と 食 事 しに 行 く 自 分 のためにいくのは 希 何 か 用 事 があって 都 心 に 行 くついでに 食 事 しに 立 ち 寄 る 家 では 韓 国 料 理 しかしない 自 分 ができるのがそれだけだから 材 料 は 通 信 販 売 で 買 ったり 韓 国 から 送 っても らったりしている 昨 年 までは 旧 正 月 の 時 に 友 達 が 集 まって 食 事 したり 遊 びに 行 ったりしたが 今 年 はできなかった 日 本 では 普 段 通 りの 生 活 をしているので 難 し い 20

24 <インタビュー 2> ヒロさん(30 代 男 性 ) 韓 国 でできないことをしましょう 2010 年 4 月 11 日 京 畿 道 出 身 大 学 院 生 日 本 滞 在 歴 4 年 インタビュアー: 若 園 雄 志 郎 日 本 に 来 るまで ヒロさんは 韓 国 の 大 学 で 英 語 関 連 の 学 部 を 卒 業 した 後 専 門 学 校 で 語 学 講 師 マ ネージャーをやっていた マネージャーというのはヒロさんによれば 韓 国 語 も 出 来 て 英 語 も 出 来 る 人 で 外 国 人 生 徒 に 何 か 問 題 が 起 きた 時 に 相 談 や 調 整 を 行 うものだ という ここでは 西 洋 人 と 一 緒 に 生 活 して 留 学 のかたちで 国 際 的 な 気 持 ちでや ったから あんまり 大 変 なことはなかった 新 鮮 で 自 分 は 他 の 人 が 出 来 ないこと をやったからちょっと 期 待 があった という 感 じだったとのことであった 来 日 してから 現 在 その 後 新 しい 挑 戦 として 来 日 し 日 本 語 学 校 でひらがなから 学 んだ 来 日 に あたっての 手 続 きや 住 居 探 しなどは 業 者 に 任 せず 全 て 自 分 一 人 で 行 ったという そ れは 自 分 はおしゃべりで 人 と 人 のつながりとか 人 と 会 うことが 好 きだから 自 分 がひとつひとつ 調 べてるその 過 程 も 自 分 にとっては 大 事 な 部 分 じゃないか 何 でも 自 分 一 人 でやろうと 思 えばできないことはない と 述 べていた 自 分 の 手 で 全 て 行 いたいという 意 志 が 感 じられるといえるだろう 同 時 に どこに 居 たって 人 間 が 住 む 場 所 は 一 緒 とも 述 べていたが これは 日 本 以 外 にも 多 くの 国 々を 旅 した 経 験 が 生 きているとのことであった 来 日 した 際 は 食 堂 で 厨 房 手 伝 いをしていた しかし このような 体 力 の 要 る 仕 事 では 勉 強 に 影 響 してしまうと 考 え 現 在 では 社 会 科 学 系 の 大 学 院 に 進 学 したことも あり 体 より 頭 を 使 う 仕 事 として 英 語 や 韓 国 語 の 個 人 レッスンをやっている そうす ることで 自 分 の 語 学 スキルも 維 持 できているという 将 来 について 英 語 のスキルを 生 かし 教 師 など 教 育 関 係 の 仕 事 に 就 きたいと 考 えている 教 え ることができるのであれば 小 学 校 でも 大 学 でもかまわないという 自 分 の 力 が 生 か せれば 日 本 も 韓 国 もこだわりはなく アメリカなどでもいいそうである そのた め 日 本 に 定 住 する あるいは 韓 国 に 帰 国 するということも どこで 自 分 の 力 が 生 かせるかによって 選 択 は 変 わってくると 答 えていた 新 宿 について ヒロさんは 三 角 形 をつくってみる と 述 べていた これは 住 む 場 所 仕 事 を する 場 所 学 校 の 3 ヶ 所 を 結 んだときにできる 三 角 形 が 小 さい 程 いい というこ とだという それぞれが 遠 ければ 遠 い 程 無 駄 が 多 いのである 大 久 保 は 韓 国 の 食 堂 が 多 いからアルバイト 先 が 多 い 近 隣 に 学 校 も 多 くある それを 考 えたときに 家 賃 が 少 々 高 くてもその 三 角 形 を 小 さくできるようなところ つまり 大 久 保 ないしは 新 宿 が 最 も 合 理 的 ではあると 考 えているという しかし 最 初 は 新 宿 大 久 保 にコミュニティを 求 めて 行 くが 1 年 程 度 でやっぱ りここは 日 本 だから 韓 国 人 だけのつながりだけのためにここに 居 る 必 要 ないじゃ ないって 思 う 最 初 は 弱 い 時 は 大 久 保 に 入 って ちょっと 自 分 が 強 くなった 21

25 ら もっと 他 の 場 所 にちょっと 増 やす とも 答 えており 常 に 人 との 関 係 を 求 めて 発 展 させていこうとしているのである 日 本 について 気 になることとしては 相 手 が 西 洋 人 か 韓 国 人 や 中 国 人 かによって 日 本 人 の 態 度 が 全 く 違 うことだという つまり 西 洋 人 に 対 しては 自 分 たちが 英 語 ができないこと を 申 し 訳 なく 思 っているのに 対 して 韓 国 人 や 中 国 人 に 対 しては 彼 らが 日 本 語 がで きないことや 不 充 分 な 日 本 語 であることを 見 下 している 部 分 があるように 思 うと のことであった また 日 本 では 書 類 が 多 いこと 仕 事 などの 手 順 について 間 違 い を 許 さないことなど 情 がない 感 じ であることについても もっと 人 とのつな がりを 大 切 にした 方 がいいと 感 じているようである さらに 日 本 語 の ちょっと という 表 現 についても はっきりと 意 見 を 表 明 しないことについて 違 和 感 があるという 例 えば 日 本 人 を 食 事 に 誘 おうとしたとき に 相 手 が ちょっと と 答 えたとき それは 今 は 行 けない なのか それとも あなたとは 行 かない なのかがわからないのである あなたとは 行 かない の であればはっきりそう 言 ってくれた 方 が 次 回 また 同 じ 事 をしなくて 済 むのに と 感 じているとのことである 日 本 社 会 に 対 して 一 言 を 求 めたところ 自 分 はまだまだ 頑 張 っている 途 中 なの で 社 会 の 一 人 として 自 分 がやる 役 割 をがんばって 生 きていこうと 思 う と 答 えた ヒロさんはまだまだ 日 本 社 会 について 知 らないことがあるため 現 時 点 では 明 言 で きないということだと 感 じられた 22

26 <인터뷰 2> 히로씨(남성) 한국에서는 하지 못 하는 것들을 해봅시다 년 4 월 11 일, 경기도출신, 대학원생, 일본체재 4 년 인터뷰어 : 와카조노 유우시로 일본에 오기까지 히로씨는 한국의 대학에서 영어 관련 학부를 졸업한 뒤, 전문학교에서 어학강사와 매니저를 했었다. 히로씨에 의하면 매니저는 한국어와 영어가 둘 다 가능한 사람으로써 외국인 학생이 뭔가 문제가 생겼을 때 상담이나 여러 가지 조절을 하는 역할을 담당한다고 한다. 거기에서는 서양인들과 같이 생활하면서 유학 생활처럼 국제적인 느낌을 가지고 했었기 때문에 그다지 힘들지 않았다. 신선했었고 내가 다른 사람들이 못 하는 것들을 했기 때문에 조금은 기대감이 들었었다 라는 느낌을 항상 받았다고 한다. 일본에 오고 나서부터 현재까지 그러한 뒤에 새로운 도전 을 위해 일본에 오고 일본어학교에서 히라가나부터 배우기 시작했다. 일본에 오기 위해 밟아야 하는 수속이나 집구하기 같은 것들은 업자에게 맡기지 않고 자기 스스로 했다고 한다. 그는 나는 수다쟁이고 사람과 사람 사이의 끈, 사람들과 만나는 것이 좋으니까 내가 하나씩, 하나씩 알아보는 그 과정도 중요한 부분이 아닐까요., 뭐든지 자기 혼자서 하려고만 한다면 안 되는 것이 없어요. 라고 말했다. 자신의 손으로 뭐든지 해보고 싶다는 의지가 느껴졌다. 또한 어디에 있더라도 사람 사는 곳은 똑 같은 것 같아요. 라고 했는데 이것은 일본 이외에도 많은 나라들을 여행한 경험이 있기 때문에 가질 수 있는 생각이었다. 처음 일본에 왔을 때는 시당에서 주방 보조를 했었다. 하지만 체력이 필요한 주방 보조와 같은 일은 공부에 영향을 끼친다고 생각한 것도 있고 지금은 사회과학 쪽의 대학원에 진학한 것도 있고 해서 몸보다 머리를 쓰는 영어, 한국어의 개인 레슨을 하고 있다. 이러한 일을 하면서 자신의 어학 능력도 유지하고 있다고 한다. 장래에 대하여 영어 능력을 살려서 교사와 같은 교육에 관련된 일을 하고 싶다고 한다. 가르칠 수만 있다면 초등학교라도, 대학교라도 상관없다고 한다. 자신의 능력을 발휘할 수만 있다면 일본이나 한국이나 어느 쪽이라도 고집하지 않으며 미국이라도 좋다라고 말했다. 그렇기 때문에 일본에 영주하느냐 아니면 한국에 돌아가느냐 라는 선택도 어디서 자기의 능력을 살릴 수 있느냐에 따라 달라진다고 대답했다. 신쥬쿠에 대하여 히로씨는 삼각형을 만들어 봐요 라고 말했다. 이것은 사는 장소, 일을 하는 장소, 학교 라는 세 군데를 연결했을 때 생기는 삼각형이 작을수록 좋다라고 한다. 각각의 장소가 멀리 떨어져 있으면 있을수록 쓸데없이 시간이나 체력을 소비한다고 한다. 오오쿠보에는 한국 식당이 많아서 아르바이트를 구하기 쉽고 23

27 근처에 학교도 많이 있다. 이러한 것을 고려해 보았을 때 월세가 조금은 비싸도 삼각형을 좁힐 수 있다는 점, 즉 오오쿠보라던지 신쥬쿠가 제일 합리적이라고 생각한다고 언급했다. 하지만 처음에는 신쥬쿠와 오오쿠보에 커뮤니티를 위해서 가지만 1 년 정도 지나면 여기는 일본이니까 한국인들과의 모임을 위해서만 여기에 있을 필요는 없지 않을까 라고 생각해요., 처음 약할 때에는 오오쿠보에 갔다가 조금 강해지면 조금 더 다른 장소를 옮겨가는 거죠. 라고 말하는 히로씨는 항상 사람과의 관계를 위해 발전해 가고 있는 것이다. 일본에 대하여 일본인은 상대가 서양인이냐 아니면 한국인, 중국인이냐에 따라 그 태도가 전혀 다르다는 점이 특이하다고 한다. 서양인에게는 영어를 못 하는 자기가 미안하다는 듯이 대하면서 한국인이나 중국인에게는 그들이 일본어를 못 하는 것이나 일본어능력이 부족한 것에 대하여 깔보는 경향이 있는 것 같다고 한다. 그리고 일본에서는 무슨 일을 하던지 서류가 많은 것과 일할 때 그 순서를 틀리는 것에 대해 용납하지 않는 것 등과 같은 정이 없는 느낌 에 대해서도 사람과의 연결고리를 더욱 소중히 하는 것이 좋지 않을까라고 느끼고 있는 것 같다. 더욱이 일본어의 ちょっと 라는 표현에 대해서도 확실히 자신의 의견을 나타내지 않는 것 같아서 위화감을 가지고 있다고 한다. 예를 들면 일본 사람을 식사에 초대하려고 했을 때 상대방이 ち ょ っ と 라고 말하면 그것이 지금은 갈 수 없어 라는 것인지 아니면 너랑은 가지 않겠어 라는 것인지 잘 모르겠다는 것이다. 만약에 너랑은 가지 않겠어 라는 것이라면 다음에도 똑 같은 일을 되풀이 하지 않아도 되는데 라고 늘 생각한다는 것이다. 일본 사회에 대하여 한마디 부탁하자 자기는 아직 열심히 하는 도중이기 때문에 사회의 일원으로서 자기가 할 수 있는 역할에 최선을 다해 살아가겠다 라고 대답했다. 히로씨는 아직 일본 사회에 대하여 모르는 것이 많기 때문에 지금은 확실히 이야기 할 수 없다는 뜻이 아닐까 라고 느꼈다. 24

28 <インタビュー 3> J さん(40 代 女 性 ) 日 本 で 人 生 のチャレンジをする 2010 年 6 月 2 日 ボンファ 出 身 パート 勤 務 韓 国 語 教 師 日 本 在 住 15 年 目 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 略 歴 と 家 族 J さんは 1969 年 生 まれで 4 人 きょうだいの1 番 目 釜 山 に 近 いとボンファで 生 まれ 後 にソウルに 移 る 大 学 はソウル 近 郊 の 大 学 で 経 営 学 科 専 攻 副 専 攻 は 教 育 学 で 選 択 科 目 で 日 本 語 を 勉 強 する 卒 業 後 貿 易 会 社 に 就 職 し 3 年 間 働 いた 後 に 日 本 に 留 学 初 めは 1 年 間 勉 強 してから 帰 国 をするつもりでいたが 日 本 語 学 校 の 後 に 大 学 の 研 究 生 として 2 年 間 大 学 院 進 学 に 向 けて 児 童 心 理 学 を 勉 強 する しかし 結 果 として 大 学 院 は 選 ばず 就 職 をする 来 日 後 は 現 在 にいたる 15 年 間 新 宿 区 に 住 み 続 ける 学 生 に 始 まり 韓 国 企 業 へ 就 職 日 本 の 企 業 への 転 職 結 婚 出 産 子 育 てと 自 分 の 生 活 を 築 く 現 在 は 二 人 の 子 どもの 子 育 てと 同 時 に パートで 仕 事 をしながら さらに 韓 国 語 教 師 の 国 家 資 格 をとるための 勉 強 もしている ぎりぎりの 生 活 をした 日 本 での 留 学 生 活 韓 国 の 大 学 では 語 学 はそれほど 好 きではなく 数 学 に 自 信 をもっていたので 理 系 の 経 営 学 を 専 攻 し 副 専 攻 に 教 育 学 をとっていた 大 学 の 選 択 科 目 として 日 本 語 をとったので 在 学 中 集 中 的 に 勉 強 をし 日 本 語 能 力 試 験 1 級 に 合 格 をした それもあって 貿 易 会 社 で 3 年 ほど 働 いた 後 27 歳 のときに 日 本 留 学 を 決 心 する やっぱり 人 生 には 波 があるじゃないですか 会 社 に 勤 めたくない 結 婚 もした くない なんか 新 しい 人 生 のチャレンジをしてみようっていう そういう 時 期 だっ たんです 親 戚 もいるわけではなく お 金 は 学 費 と 当 面 の 生 活 費 しかなかったが まあ やってみよう と 来 日 し 以 後 日 本 語 学 校 大 学 院 研 究 生 として 苦 労 をすること になる 水 道 の 水 にご 飯 を 入 れて 食 べながら 学 校 に 通 っていた 時 期 もあった しか し 今 ではその 時 期 を 振 り 返 って そういう 経 験 があったから 本 当 に 日 本 に 耐 えることがちょっと こういうと 変 なんですが 根 強 く 耐 えることができたわけで す 悔 しいんですね せっかくこうやって 来 たのに そのまま 何 もなしで 帰 るとい うことが 経 済 的 にぎりぎりの 生 活 の 中 で J さんを 親 身 になって 助 けてくれたのが 同 じ 韓 国 出 身 の 日 本 語 学 校 での 先 輩 たちだった 先 輩 たちに 助 けられ 一 緒 に 教 会 に 通 うよ うになり 神 様 の 愛 ってこういうものだ と 実 感 して クリスチャンとなる 日 本 で 通 っている 教 会 は 韓 国 人 も 多 く 韓 国 語 で 話 すこともできる 日 本 で 初 めにアルバイトをしたのは 焼 肉 屋 だった 働 き 始 めて 一 カ 月 後 に この 焼 肉 屋 の 家 族 が 夜 逃 げをしたので アルバイト 代 をもらえず 残 っていた 鍋 とか 電 気 炊 飯 器 をもらってきた 6 ヶ 月 後 にようやく 別 のアルバイト 先 を 見 つけることが できた その 職 場 では 日 本 人 の 同 僚 と 仲 良 くなり 一 人 の 日 本 人 の 同 僚 とは 現 在 で も 付 き 合 う 長 年 の 友 人 となっている 25

29 大 学 院 進 学 か 就 職 かの 選 択 来 日 直 後 に 入 った 日 本 語 学 校 では 日 本 語 能 力 試 験 の 1 級 に 合 格 していたことも あり 上 級 クラスに 入 れられる しかし 上 級 クラスに 入 った 当 初 は 先 生 の 言 っ ていることもよく 理 解 できず 初 めの 6 カ 月 は 授 業 についていくのに 苦 労 した 先 生 から 韓 国 に 帰 った 方 がいい と 言 われたこともあるが これだけ 苦 労 をしてき たのだからと 一 生 懸 命 踏 ん 張 り 続 けた 日 本 語 学 校 に 1 年 間 在 学 した 後 は 児 童 心 理 学 を 専 門 として 勉 強 のできる 国 立 大 学 の 研 究 生 となった その 大 学 は 家 から 近 く 自 転 車 でも 行 けた 大 学 院 で 児 童 心 理 学 を 専 攻 するためには 児 童 心 理 学 の 基 本 を 学 ぶ 必 要 があった J さんの 学 部 の 専 門 分 野 は 経 営 学 だったため 研 究 生 として 在 学 できる 2 年 間 を 使 って 基 礎 を 学 び 大 学 院 に 備 えるつもりだった ところが いよいよ 大 学 院 に 進 学 できるかというときに 別 の 選 択 肢 が 出 てきた 韓 国 の 大 手 企 業 の 日 本 支 社 から 仕 事 がはいり 結 果 としては 大 学 院 を 受 けることはしないで 就 職 をすることにする 就 職 後 まもなく 韓 国 の 経 済 危 機 が 起 こり 勤 めていた 会 社 は 日 本 から 撤 退 する ことになり 会 社 の 紹 介 で 今 度 は 日 本 の 会 社 に 転 職 をすることになった このとき は 31 歳 になっていた フルタイムの 会 社 員 として 日 本 企 業 で 働 く 日 本 の 企 業 での 新 たな 仕 事 について J さんは 私 にとってはすごい 勉 強 になっ たところですね ただお 金 を 稼 ぐだけではなくって ほんとにもう 日 本 語 もそうだ し 日 本 語 の 文 化 に 接 することができる 幅 広 く 経 験 できる お 金 を 稼 ぎながら 勉 強 にもなったという 貴 重 な 経 験 でした という 入 社 直 後 は 会 社 の 97%ぐらいは 日 本 人 が 占 める 職 場 だった 上 司 である 日 本 人 の 部 長 は 自 分 よりも 3 歳 年 下 で 職 場 では J さんは 年 齢 的 には 若 い 方 ではなかった 営 業 マンが 多 い 部 署 に 事 務 の 女 性 として J さんが 配 置 されたが 職 場 全 体 でいじめ られたこともあった 何 日 も 涙 を 流 しながら 会 社 に 通 い 後 から 聞 くと 周 りの 人 も そのときに 辞 めるかと 思 ったくらい 当 時 はつらい 時 期 でもあった しかし そこ で 辞 めると 私 が 負 ける と J さんは 結 局 頑 張 り 続 けた 職 場 は 日 本 全 国 各 地 から 電 話 で 顧 客 へサービスを 提 供 していたので 日 本 語 の 標 準 語 だけではなく 大 阪 弁 や 東 北 弁 などの 方 言 の 人 とも 対 応 しなければならなかっ た ある 時 すいません もう 一 度 お 願 いします と 言 った 時 に もう 帰 れよ! と 怒 鳴 られたこともあった また 韓 国 語 を 使 うお 客 から 電 話 がかかってくると いつもは 冷 たい 職 場 の 人 が J さん お 願 いします と 頼 んでくる J さんは 職 場 では 20-30%くらいは 韓 国 語 を 使 っていた 結 婚 出 産 そして 子 育 て J さんは 日 本 で 通 っていた 教 会 で 知 り 合 ったご 主 人 と 34 歳 のときに 結 婚 ご 主 人 は 韓 国 人 なので 二 人 の 結 婚 式 はソウルで 行 った ご 主 人 の 故 郷 では 三 日 間 に 亘 る 独 特 の 文 化 があるということだったが それを 二 人 の 場 合 は 一 日 ちょっと で 披 露 宴 をしてきた 35 歳 のときに 一 番 目 の 子 どもを 出 産 結 婚 をしたときはまだフルタイムで 働 いて いたが 出 産 の 一 か 月 前 に 退 職 をした 出 産 後 一 年 間 は 体 調 を 崩 し 子 育 てをし ながら 休 養 をした 赤 ちゃんが 生 まれたときは 名 前 は 二 人 で 考 え 洗 礼 は 現 在 通 26

30 っている 日 本 の 教 会 で 行 った 家 族 を 持 ち 後 に 二 番 目 の 子 どもが 生 まれたころには たまに 韓 国 に 行 きたい と 思 うときもあるんです もし 結 婚 前 に 韓 国 に 帰 っていたら 韓 国 で 住 んだと 思 うんですけど もう 日 本 で 子 どもを 産 んだので それからはたまに 行 くのはいいん ですが まあ ここが 私 の 住 む 場 っていうか 韓 国 に 帰 って 住 むのは まだまだ 後 になるってなんとなく 思 っています J さんにとって 母 国 を 離 れ 新 しい 人 生 にチャレンジするということは 苦 労 の 連 続 だったが それを 乗 り 越 え 安 定 した 基 盤 を 築 いたのは 留 学 先 の 日 本 だった 今 は 日 本 の 方 が 楽 で 慣 れている 逆 に たまに 韓 国 に 行 くと 家 族 に 会 えるこ とはうれしいものの 韓 国 社 会 の 変 化 の 激 しさに 戸 惑 うことも 多 い 例 えば 携 帯 電 話 やインターネットなども 韓 国 の 普 及 したのは J さんの 来 日 後 なので J さんに とっては 携 帯 やインターネットは 日 本 での 方 が 馴 染 んでいるためか 韓 国 ではつい ていけない J さんは 出 産 後 フルタイムからパートタイムに 仕 事 を 切 り 替 え 一 人 目 の 子 ども 一 歳 になる 頃 から 働 き 始 めた 二 人 目 の 子 どもを 出 産 後 現 在 では パートの 仕 事 と 派 遣 という 形 で 韓 国 語 を 教 えて 仕 事 と 二 つの 仕 事 をしている 子 どもがまだ 幼 いので 自 分 の 時 間 が 増 えたときには 自 分 のやりたいことを 積 極 的 にやりたい 子 どもたちと 将 来 韓 国 語 を 教 える 仕 事 は 自 分 に 向 いていると 思 うので 韓 国 語 教 師 の 国 家 資 格 がで るサイバー 大 学 の 三 年 生 に 編 入 し 子 どもたちが 寝 静 まった 夜 中 に 勉 強 もしている 来 年 は 一 番 目 の 子 どもが 小 学 校 に 上 がるので 現 在 子 どもの 教 育 についても 真 剣 に 考 えている 子 どもたちは 地 元 の 保 育 園 に 通 い 土 曜 日 に 教 会 で 行 っている 韓 国 語 の 民 族 学 校 みたいな 教 室 に 通 っている 日 本 語 の 方 が 上 手 だが 家 庭 では 最 近 意 識 的 に 母 親 の 自 分 が 韓 国 語 を 使 っている 子 どもを 教 育 中 心 の 韓 国 人 学 校 か ゆっくりと 自 分 のペースで 勉 強 して 自 由 に 勉 強 できる 日 本 の 学 校 か どちらに 行 か せるか ただ 韓 国 人 なので 日 本 に 住 んでいても 韓 国 の 歴 史 を 知 ってほしい 子 どもたちには 韓 国 人 として 誇 りをもって 日 本 に 住 んでほしいという 希 望 が 親 とし てあるという 27

31 <인터뷰 3> J 씨 (40 대, 여성) 일본에서 인생의 도전을 하다 2010 년 6 월 2 일, 봉화출신, 파트근무, 한국어강사, 일본체재 15 년 인터뷰: 후지타 라운드 사치요 약력과 가족 J 씨는 1969 년에 4 형제 중에 첫째로 태어났다. 부산에서 가까운 봉화에서 태어나서 그 뒤에 서울로 옮겼다. 서울 근교의 대학교에서 경영학과를 전공하여 선택과목으로 일본어를 배웠다. 졸업 후에 무역회사에 취직하여 3 년 동안 일하고 일본으로 유학을 왔다고 한다. 처음에는 1 년 동안 공부하고 귀국할 예정이었지만 일본어학교를 마치고 대학원 진학을 위해서 2 년 동안 대학교의 연구생으로서 아동심리학을 공부했다. 그러나 결과적으로 대학원을 선택하지 않고 취직을 하게 된다. 일본에 오고 나서부터 15 년간 신쥬쿠에 살고 있다. 학생시절부터 시작하여 한국기업에 취직, 일본기업으로 직장을 옮기게 되고, 결혼을 하게 되며, 그리고 육아와 자신의 생활을 만들어갔다. 현재는 두 아들의 육아와 파트 아르바이트를 하면서 한국어강사를 위한 국가자격시험을 앞두고 공부를 하고 있다. 경제적으로 늘 아슬아슬했던 일본의 유학생활 한국의 대학교에서는 어학에 그다지 관심이 없었고 수학에 자신이 있었기 때문에 이공계 쪽의 경영학을 전공하고 부전공으로 교육학을 하고 있었다. 그리고 선택과목으로 일본어를 배웠기 때문에 열심히 공부하여 재학중에 일본어능력시험 1 급에 합격하였다. 일본어능력시험에 합격한 것도 있고 해서 3 년 동안 무역회사에 일한 뒤, 27 살 때에 일본유학을 결심하게 된다. 역시 인생에는 파도가 있지 않습니까? 회사 다니고 싶지도 않고 결혼도 하고 싶지 않고, 뭔가 새로운 도전을 해보고 싶다는 그런 시기였던 것 같아요. 친척이 있었던 것도 아니고 학비와 당분간의 생활비 정도 밖에 돈이 없었지만 뭐 한번 해볼까 라는 마음으로 일본에 와서 일본어학교의 학생, 그리고 대학원의 연구생으로서 고생이 시작되었다. 수돗물에 밥을 말아먹으며 학교를 다닌 적도 있었다. 하지만 그런 생활을 뒤돌아 보면서 그런 경험이 있었기 때문에 정말로 일본에서 견딜 수 있었던 것 같아요. 어떻게 보면 이상한 말이지만 이렇게 까지 고생했는데 그냥 돌아가기엔 억울하고 분해서 더욱더 끈질기게 견딜 수 있었던 것 같아요. 라고 말했다. 경제적으로 아슬아슬한 생활을 하는 중에 같은 한국출신의 일본어학교 선배들이 친절하게 도와주었다고 한다. 선배들이 도와주고 함께 교회도 나가게 되어 하나님의 사랑은 바로 이런 것이다 라고 실감하여서 기독교인이 되었다. 일본에서 다니는 교회는 한국인도 많아서 한국어로 이야기를 할 수도 있었다. 일본에서 처음으로 시작한 아르바이트는 불고기 가게였었는데 그 주인집 가족이 밤에 도망을 가버려서 아르바이트 월급도 받지 못하고 남은 냄비라던가 전기밥솥 같은 것을 가지고 왔었다고 한다. 6 개월 뒤에 겨우 다른 아르바이트를 구했는데 거기에서는 일본인 동료와 친해져서 그 중에 한 명은 지금도 자주 만나는 오랜 친구가 되었다고 한다. 대학원에 진학하느냐, 취직하느냐의 선택 일본에 와서 처음 다닌 일본어학교에서는 일본어능력시험 1 급에 합격한 것도 28

32 있고 해서 상급클래스에 들어가게 되었다. 하지만 처음 상급클래스에 들어갔을 때는 선생님이 말하는 것이 하나도 이해가 안되어서 6 개월 동안은 수업 따라가는 데 고생했다고 한다. 선생님은 한국에 돌아가는 편이 낫겠다고 하셨지만 이렇게 고생해왔는데 돌아갈 수 없다고 이를 악물고 열심히 했었다. 일본어학교에서 1 년 다닌 후에 아동심리학을 전문적으로 공부할 수 있는 국립대학의 연구생이 되었다. 그 대학은 집에서 가까워서 자전거로도 다닐 수 있었다고 한다. 대학원에서 아동심리학을 전공하기 위해서는 아동심리학의 기초를 배울 필요가 있었다. J 씨의 학부 전공은 경영학이었기 때문에 2 년 동안은 연구생으로서 기초를 닦고 대학원을 준비할 셈이었다. 하지만 겨우 대학원에 진학할 수 있게 되었을 때에 다른 선택의 길이 열렸다고 한다. 한국 대기업의 일본지사에 일이 들어와서 결과적으로 대학원 시험을 치르지 않고 취직을 하게 되었다. 취직 후, 얼마 안되어서 한국의 경제가 안 좋아졌는데 그로 인해 일하고 있던 회사도 일본에서 철수하게 되었다. 하지만 이번에는 그 회사에서 소개받은 일본회사로 직장을 옮기게 되었다. 그 때 나이가 31 살이었다. 풀타임 회사원으로 일본기업에서 일하다 일본기업의 새로운 일에 대하여 J 씨는 저에게 있어서는 정말로 좋은 경험이 되었어요. 단지 돈을 벌기 위해서가 아니라 정말로 일본어도 그렇고 일본문화를 접할 수 있는 그리고 폭넓은 경험을 할 수 있는, 그런 돈을 벌면서 공부도 되었던 귀중한 경험이었어요 라고 말했다. 입사했을 당시에는 회사의 97%가 일본사람인 직장이었다. 일본인 상사였던 부장은 자기보다 3 살 어렸으며 직장에서 J 씨는 비교적 젊은 쪽이었다고 한다. 영업직이 많은 부서에 사무여직원으로 배치되었는데 직장의 모든 사람들에게 이지메를 당한 적도 있었다고 한다. 많은 날들을 울면서 회사에 나갔는데 나중에 들어보니 주변의 사람들도 그 때는 그만두지 않을까 라고 생각할 정도로 힘든 시절이었다. 하지만 거기서 그만둔다면 내가 지는 거야 라며 J 씨는 결국 끝까지 열심히 했다. 그 회사는 일본 전국에서 전화로 고객서비스를 제공하고 있었기 때문에 일본어의 표준어뿐만 아니라 오사카 사투리나 토호쿠 사투리등 여러 가지 사투리를 쓰는 사람들도 상대하지 않으면 안 되었다. 어떤 때는 죄송합니다. 다시 한번 부탁 드립니다. 라고 말하자 그냥 돌아가버려! 라고 화낸 고객도 있었다고 한다. 그리고 한국어를 쓰는 손님이 전화를 하면 언제나 차갑게만 대하던 직장동료가 J 씨 부탁해요. 라면서 부탁한다고 한다. J 씨는 회사에서 20~30%는 한국어를 쓰고 있었다. 결혼, 출산, 그리고 육아 J 씨는 일본에서 다니던 교회에서 알게 된 신랑과 34 살에 결혼하였다. 결혼식은 신랑이 한국인이었기 때문에 서울에서 치렀다고 한다. 신랑의 고향에서는 결혼식을 3 일에 걸쳐서 하는 독특한 문화였는데 둘의 경우는 하루하고 조금 더 피로연을 하고 왔다고 한다. 35 살 때 첫째 아이를 출산하였다. 결혼을 할 당시에는 풀타임으로 일하고 있었지만 출산하기 1 개월 전에 퇴직을 하였다. 출산 후, 1 년 동안은 몸이 안 좋아서 애를 키우면서 휴양했다고 한다. 태어난 아기의 이름은 둘이서 생각해서 짓고 세례는 지금 다니는 교회에서 받았다고 한다. 29

33 가족이 생기게 되고 나중에 둘째를 낳았을 때는 가끔은 한국에 가고 싶다는 생각을 하곤 해요. 만약에 결혼 전에 한국에 돌아갔다면 한국에서 살고 있겠지만 이젠 일본에서 아이를 낳았기 때문에 이곳이 내가 살아갈 장소라고나 할까.. 뭐 가끔은 한국에 가는 것도 괜찮지만 한국에 돌아가서 사는 것은 아주 먼 얘기라고 왠지 느껴져요. 라고 말했다. J 씨에게 있어서 자기 나라를 떠나서 새로운 삶에 도전하는 데에 많은 고난이 뒤따랐지만 그 고난을 이겨내고 안정된 생활을 이룩해낸 곳은 바로 유학을 왔던 일본이었다. 반대로 가끔 한국에 돌아가면 가족들과 만나게 되어서 기쁘지만 한국 사회가 너무 급변해서 놀랄 때도 많다고 한다. 예를 들면 휴대폰이나 인터넷이 보급되기 시작한 것은 J 씨가 일본에 온 뒤였기 때문에 J 씨는 일본의 휴대폰이나 인터넷에 익숙해져 있어서 인지 한국에서는 그 변화에 따라갈 수가 없었다. J 씨는 출산 후에 풀타임 직원에서 파트타임으로 일을 바꾸어서 첫째 아이가 1 살이 되었을 때부터 일을 시작하였다. 둘째 아이를 출산한 뒤로 지금까지 파트타임 아르바이트와 파견사원으로서 한국어강사 일을 하고 있다. 아이들이 아직 어리기 때문에 자기 자신만의 시간이 있을 때 자기가 하고 싶은 일들을 하고 싶다고 한다. 아이들과 장래 한국어를 가르치는 일이 자기의 적성에 맞는다고 생각하기 때문에 한국어교사 국가자격증이 나오는 사이버대학에 3 학년으로 편입하여 아이들이 잠든 후에 열심히 공부하고 있다고 한다. 내년에는 첫째 아이가 초등학교에 입학하기 때문에 지금은 아이들의 교육에 대해서도 진지하게 생각 중이라고 한다. 아이들은 근처의 보육원에 다니면서 토요일은 교회에서 하는 한국어 민족학교 같은 곳에 보내고 있다. 일본어를 더 잘하지만 집에서는 엄마인 자신부터 의식적으로 한국어를 사용하고 있다고 한다. 아이들을 교육중심인 한국인학교에 보낼 것인가 아니면 천천히 자신의 페이스에 맞게 공부하고 자유로운 일본의 학교에 보낼 것인가 고민하고 있다. 단지 한국인이니까 일본에 살고 있어도 한국의 역사를 알았으면 좋겠다고 한다. 아이들에게는 한국인으로서의 자긍심을 가지고 일본에서 살아주었으면 하는 바램을 부모로서 가지고 있다고 한다. 30

34 <インタビュー 4> O さん(20 代 男 性 ) 自 分 の 力 で 何 とかできるのがいい 2010 年 7 月 21 日 チャンウォン 出 身 日 本 学 校 生 日 本 在 住 1 年 半 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 略 歴 と 家 族 O さんは 1984 年 生 まれ 4 人 家 族 で 両 親 姉 がいる 出 身 はチャンウォンで 小 学 校 3 年 生 のときにソウルに 移 る 高 校 卒 業 後 軍 隊 生 活 を 2 年 送 る 軍 隊 後 音 響 関 係 の 専 門 学 校 に 入 学 し 修 了 後 は 専 門 学 校 の 先 生 のアシスタントを 務 め そ の 後 レコーディング エンジニアとして 2 年 間 働 く その 後 で 日 本 に 25 歳 で 来 日 日 本 はレコーティング 技 術 を 磨 くという 目 標 を 持 って 来 日 したが まずは 日 本 語 学 校 に 入 学 する 現 在 は 日 本 語 学 校 に 在 学 中 で 2011 年 から 専 門 学 校 に 入 る 中 学 校 のときに 出 会 った 日 本 のポップカルチャー O さんは 小 学 校 3 年 生 のときに 家 族 がソウルに 引 っ 越 したので 転 校 をした そ れまでは 山 とか 貯 水 池 のある 比 較 的 郊 外 の 街 だったので 友 達 と 外 でよく 遊 んだが ソウルの 引 っ 越 し 先 の 印 象 は 町 全 体 がマンションという 印 象 で 友 達 とはサッカー ぐらいしかできなかった おもしろい 性 格 なので 学 校 にはすぐに 溶 け 込 めた O さんは 中 学 校 時 代 に 今 の O さんにとって 重 要 となる 人 や 本 に 出 会 っている 何 でも 話 しあうことができる 親 友 中 学 生 の 頃 は 勉 強 はあまりしなかったもの 幼 児 期 にお 母 さんから 本 を 読 むように 言 われ 続 けてきたので 中 学 の 時 に 偉 人 伝 や 小 説 を 多 く 読 んだ その 中 でも 12 巻 からなる 冒 険 物 語 の ドラゴンラジャ という 韓 国 では 結 構 有 名 な 本 は 毎 日 毎 日 読 んでいた 中 学 2 年 のときに エヴァンゲリオンというアニメに 初 めて 接 して ほんとにあ の ああすごいなと 思 ったんですよ プレーステーションやコンピューターゲー ムを 通 して 日 本 は 面 白 そうな 国 だなとその 時 から 興 味 を 持 った そうして 日 本 の アニメとゲーム そして 音 楽 が 好 きになった 軍 隊 での 生 活 軍 隊 には 高 校 卒 業 後 6 か 月 で 入 隊 2 年 間 を 軍 隊 で 過 ごす 軍 隊 は 本 当 に 厳 しく 他 の 人 が 経 験 できないことを O さんは 経 験 して 自 分 自 身 が 変 わったという 軍 隊 に 行 ったら できないことはない ということで 何 をしても やる 気 があれ ばできると 思 えるようになった 軍 隊 での 仕 事 としては 家 を 建 てたり 音 響 に 関 わる 仕 事 をした 音 響 の 仕 事 は 機 材 がすべて 英 語 で 説 明 書 などもすべて 英 語 だったため 高 校 ではあまり 勉 強 を しなかったが 軍 隊 で 英 語 を 独 学 することになった しかし 英 語 は 読 めるように はなったが 話 すことはできない 軍 隊 にいたときは 中 国 の 三 国 志 を 繰 り 返 し 読 み ギリシャ 神 話 などの 歴 史 に 興 味 が 湧 いた それから 宇 宙 に 関 する 本 も 片 っ 端 から 読 んだ 軍 隊 では 国 で 本 を 買 ってくれるので 小 説 や 偉 い 人 の 回 顧 録 とか いろいろなジャンルの 本 も 読 んだ 軍 隊 に 入 ったときに 一 番 考 えたのが 軍 隊 を 出 た 後 に 何 ができるかとういうこ と O さんが 好 きなものは 音 楽 だったので 音 楽 に 関 わる 専 門 的 な 仕 事 をしようと 31

35 決 心 をした 韓 国 での 専 門 学 校 で 技 術 を 身 につける 軍 隊 後 に 音 響 技 術 を 学 ぶために 専 門 学 校 に 入 学 をし 一 年 半 ほど 勉 強 をする 修 了 後 専 門 学 校 の 先 生 から もう 学 生 として 勉 強 するのはいいから 自 分 のアシ スタントにならないかと 誘 われた 半 年 間 アシスタントをした 後 に 就 職 をして 二 年 間 レコーティング エンジニアリングとして 働 く 仕 事 の 現 場 はアマチュアのバンドの 人 たちが CD を 作 るための 音 響 調 整 や ミキ シングをするスタジオで 時 々コンサートの 仕 事 もあった コンサートでミキサー といっても 実 際 に 機 械 を 操 作 するのは 5 年 以 上 経 験 をした 人 なので O さんは 主 にスピーカーを 運 んだり 下 働 きをした この 仕 事 をしているときに O さんの 現 場 に 日 本 の 人 が 出 張 に 来 て 一 緒 に 仕 事 をする 機 会 があった 日 本 人 の 人 は 韓 国 語 ができず 自 分 も 日 本 語 ができなかった が なんとかできたんですよ つまり 音 楽 の 機 材 やスイッチの 名 前 はすべて 英 語 なので 技 術 さえあれば 仕 事 の 上 では 日 本 語 や 韓 国 語 の 言 語 はあまり 関 係 がな いと 実 感 したという 専 門 技 術 をさらに 発 展 させるための 日 本 留 学 O さんによると 韓 国 での 音 楽 事 情 は MP3が 主 流 で 市 場 が 小 さく 日 本 の 方 が 音 楽 市 場 は 広 いと 感 じたという それなので 日 本 で 勉 強 して 日 本 の 音 楽 市 場 で 働 くのもいい 経 験 になると 考 えるようになった 韓 国 で 働 いた 時 は 最 初 は 留 学 しようとしても 留 学 の 資 金 がなかったんです よ でも 留 学 する 3 カ 月 4 か 月 前 いきなり 行 きたくて 日 本 語 の 学 校 教 えて もらう 塾 で 二 か 月 ぐらい 勉 強 しました まだレベルゼロから 両 親 の 勧 めもあり 留 学 を 決 意 し 韓 国 にある 留 学 斡 旋 会 社 で 新 宿 と 池 袋 にある 日 本 語 学 校 を 見 つけ 最 終 的 に 新 宿 区 にあった 学 校 に 決 める 新 宿 区 の 日 本 語 学 校 では 月 曜 日 から 金 曜 日 まで 午 前 中 の 9 時 から 12 時 半 ま で 授 業 がある 来 日 後 半 年 は 日 本 語 を 学 ぶのに 忙 しかったが 半 年 後 にアルバイ トを 始 める このアルバイトは 日 本 に 住 んでいる 韓 国 出 身 が 作 成 したインターネッ ト 上 のェブサイトで 見 つけた 社 会 経 験 があり 専 門 技 術 をすでに 身 につけている O さんは 目 標 のはっきりし た 留 学 生 活 を 送 っている しかし 日 本 語 学 校 とアルバイトに 限 定 されている 生 活 なので 自 分 が 説 明 したい うまく 説 明 したい 表 現 が 日 本 語 ではまだできないの が 困 る という 特 にトラブルと 感 じることは 起 きないが バイトの 面 接 で 落 ちた ことなどはある 現 在 は 朝 学 校 に 行 って その 後 アルバイトに 行 き 家 に 帰 宅 するのが 夜 の 12 時 1 時 の 生 活 恋 人 は 学 校 の 同 級 生 なので 毎 日 学 校 で 会 う お 金 を 使 うことになるので あまり 出 かけず 同 じ 繰 り 返 しの 単 調 な 生 活 に 今 飽 きてしまった 面 もある 来 日 した 時 は 一 年 間 日 本 語 を 勉 強 して すぐに 専 門 学 校 に 入 ろうと 考 えてい たが お 金 が 足 りなかったので 二 年 目 も 日 本 語 学 校 に 残 り アルバイトをして 専 門 学 校 に 入 るためのお 金 を 貯 めている これ 以 上 親 のすねをかじることがちょ っとできない と 感 じ 日 本 語 学 校 の 学 費 家 賃 を 払 いながら 専 門 学 校 の 学 費 を 貯 めている 32

36 日 本 に 留 学 してよかったと 思 うことは 韓 国 の 社 会 ではできない 経 験 ができたこ と 例 えば 韓 国 社 会 のように 年 齢 に 縛 られていなかったり 日 本 語 学 校 には 中 国 やマレーシアの 友 達 がいるので 世 界 に 対 する 自 分 の 見 識 が 広 くなったりした それ から 韓 国 にいれば 親 の 世 話 になっていることが 日 本 に 来 て 家 賃 や 生 活 費 学 費 を 自 分 で 働 いて 払 うので 自 分 の 力 で 何 とかできるということ 自 立 したと 感 じることができる 将 来 の 目 標 O さんは 現 在 来 日 1 年 半 なので これから 半 年 先 に 専 門 学 校 に 入 学 し その 後 の 2 年 間 日 本 で 音 響 技 術 を 学 ぶことになる 今 の 考 えでは その 先 は アメリ カやヨーロッパにいって 音 響 の 勉 強 を 続 け 専 門 性 を 追 求 していきたいという 音 響 の 仕 事 ができれば それが 日 本 でも 韓 国 でも 他 の 国 でも 構 わず 日 本 でこれから 得 る 経 験 と 他 の 国 での 経 験 が 増 えれば さらに 自 分 が 成 長 し どこでもやっていけ るのではないかと 考 えている こうして 勉 強 し 続 けることや 年 齢 に 特 に 焦 りはな い O さんの 夢 は 一 番 有 名 な 歌 手 のコンサートの 仕 事 をすることだという レコー ディング エンジニアの 仕 事 は スピーカーを 設 置 して スピーカーで 変 な 音 がし ないように 一 番 いい 音 をお 客 さんに 聞 かせるという 仕 事 なので O さんが 技 術 者 として 音 を 支 えることになり ここにエンジニアの 創 造 性 がある 中 でも 一 番 やりたいのは クラシック 音 楽 のレコーディング そうすると 日 本 より ヨーロ ッパなどのほうに 機 会 が 多 いだろうから その 時 は ヨーロッパに 行 くことも 考 え る 親 のことは 心 配 だが 自 分 が 立 派 な 人 間 になることが 親 孝 行 であると 考 え 今 は 自 分 の 将 来 を 優 先 的 に 考 えることにしている 今 私 に 興 味 があるのは どうし たら 自 分 を 強 くするかということ だが 私 が 今 韓 国 人 とかいろんな 留 学 生 み て 惜 しいと 思 うのは 目 標 がない 人 は 本 当 に 迷 うことです そして 何 もできなく て 帰 るから お 金 だけ 使 って 帰 るから それが 本 当 に 惜 しいなと 思 います でも 目 標 のある 人 は どこに 行 っても 何 をしてもうまくできるから 自 分 の 目 標 を 強 く 感 じるのが 一 番 大 切 だと 思 います 33

37 <インタビュー 5> K さん(20 代 女 性 ) もっと 勉 強 をするなら 日 本 で 2010 年 7 月 23 日 テグ 出 身 日 本 語 学 校 生 日 本 在 住 10 か 月 インタビュアー: 藤 田 ラウンド 幸 世 略 歴 と 家 族 K さんは 1984 年 生 まれ テグ 出 身 両 親 姉 自 分 弟 の 5 人 家 族 K さんは 中 学 高 校 と 出 身 地 のテグで 過 ごし 希 望 の 大 学 に 合 格 したことにより ソウルで 一 人 暮 らしが 始 まる 大 学 では 美 術 を 専 攻 卒 業 を 一 年 延 ばし 英 語 を 勉 強 し TOEIC などの 試 験 を 受 けたが しかし 就 職 ができなかったのでそれで 大 学 院 にいく 気 持 ちになっていった 日 本 へは 旅 行 や 日 本 の 大 学 との 展 覧 会 交 流 で 訪 れ その 時 の 日 本 の 美 術 館 などが 強 く 印 象 に 残 り 大 学 院 は 日 本 で 勉 強 をしたいと 考 えるようになった 現 在 は 日 本 語 学 校 で 日 本 語 に 磨 きをかけながら 経 営 学 を 大 学 院 で 学 ぶために 独 学 で 受 験 勉 強 をしている 第 二 外 国 語 としての 日 本 語 K さんは 中 学 校 のときに 両 親 の 勧 めで 家 庭 教 師 から 日 本 語 を 習 った 経 験 があ る 期 間 は 3,4 か 月 だったが ひらがなとカナカナ 動 詞 の 勉 強 をしたことを 覚 えている 高 校 で 第 二 外 国 語 を 選 択 するときに 日 本 語 フランス 語 ドイツ 語 の 中 から 日 本 語 を 選 んで 週 に 1 時 間 の 授 業 を 受 けた 日 本 語 を 選 んだ 理 由 は 中 学 生 のときに 習 ったので 点 数 がよく 取 れると 考 えたからだった K さんは 中 学 や 高 校 のときには 特 に 日 本 のドラマや 歌 アニメや 漫 画 などには 興 味 はなかったという 大 学 の 時 も 日 本 語 の 授 業 を 1 回 くらい 受 けたことがあり その 時 は 初 級 クラスだ った 家 族 から 離 れ ソウルにある 大 学 に 進 学 K さんは 地 方 都 市 のテグ 市 で 家 族 と 一 緒 に 住 み 地 元 の 中 学 校 と 高 校 に 通 った 高 校 時 代 の 大 半 は 大 学 受 験 のために 勉 強 に 明 け 暮 れた 通 っていた 高 校 は 普 通 高 校 だったため 美 術 大 学 に 進 学 を 目 指 していた K さんは 高 校 1 年 生 の 時 から 美 術 ア カデミーという 予 備 校 に 通 っていた 学 校 が 終 わると 学 校 の 近 くにあったアカデ ミーに 通 い 友 達 と 晩 御 飯 を 食 べて ずっと 11 時 まで 美 術 の 技 術 や 勉 強 をした ソウルの 美 術 大 学 へは 一 度 で 合 格 し とても 嬉 しかった そこから 家 族 から 離 れ て ソウルのアパート 生 活 が 始 まる K さんの 通 っていた 大 学 は 学 力 的 に 上 の 大 学 だということだったが K さんいわく でも 入 ったらあんまり 他 のところと 変 わってないという 印 象 だった 日 本 との 出 会 い 大 学 時 代 に 日 本 に 旅 行 に 行 き 美 術 館 にいったら 韓 国 より なんか 美 術 と か 芸 術 とかがちょっと 発 展 していると 感 じて 勉 強 をするなら 日 本 でしたいなと 思 いました K さんは 今 回 の 留 学 の 前 に 3 回 日 本 に 来 ている 初 めに 来 たのは 22 歳 のとき だった 1 回 目 は 大 学 の 学 科 の 友 達 と 相 談 して 3 泊 4 日 で 日 本 の 大 阪 に 行 った 34

38 2 回 目 は 初 め 卒 業 旅 行 として 友 達 とヨーロッパへ 行 くつもりだったが 予 約 を するのが 遅 かったため ヨーロッパツアーの 定 員 がいっぱいになってしまい その 代 わりとして 2 週 間 の 東 京 と 大 阪 の 旅 行 をしている その 時 は 新 幹 線 に 乗 りたか った という 旅 行 の 楽 しみもあった 3 回 目 は 大 学 卒 業 後 東 京 の 浅 草 で 日 本 と 韓 国 の 美 術 大 生 が 一 緒 に 交 流 展 示 会 をするために 5 日 間 展 示 会 をしながら 滞 在 した こうした 短 期 の 旅 行 は 動 機 はどうしても 日 本 に 来 たかったというわけではなく 大 学 を 通 して また 偶 然 が 重 なったという 要 素 が 強 かった この 頃 に 見 た 日 本 のド ラマは のだめカンタービレ で かわいくて ドラマなんだけど ファンタジ ーな 感 じ 漫 画 みたいな 感 じがあって 韓 国 のドラマと 違 うところがいいです と いっている 大 学 を 一 年 間 休 学 し 23 歳 で 卒 業 した 休 学 期 間 中 は 英 語 を 勉 強 して 就 職 をし ようとしたが なかなかむずかしく その 中 で 日 本 の 大 学 院 に 進 学 する 意 志 を 固 め ていった 日 本 への 留 学 K さんは 日 本 への 留 学 を 決 心 してから 6 ヶ 月 後 に 来 日 している その 間 3, 4 か 月 の 間 集 中 して 日 本 語 を 勉 強 し 日 本 語 能 力 試 験 2 級 に 合 格 している しか し 試 験 は 運 よく 合 格 したということだが 実 際 に 日 本 に 来 たときには 会 話 が できないことを 痛 感 したという 日 本 語 学 校 が 始 まったときのプレースメントテス トでは 日 本 語 能 力 試 験 2 級 の 勉 強 の 成 果 が 反 映 され 日 本 語 学 校 では 初 めからレ ベル4にプレースされた K さんは 美 術 を 専 門 として 大 学 院 で 勉 強 をしようとしたら 大 学 院 の 入 試 にも 美 術 の 実 技 が 問 われるので 留 学 院 で 日 本 語 学 校 を 選 ぶ 時 に 日 本 語 ばかり 勉 強 さ せられる 厳 しい 学 校 はやめようと 考 えたという 美 術 の 専 門 科 目 は 自 分 で 勉 強 しよ うと 考 えていたので 日 本 語 習 得 に 使 う 時 間 と 労 力 とのバランスを 考 えていたよう だった そうして 選 んだ 新 宿 区 にある 日 本 語 学 校 だったが 入 ってみるとやはり 日 本 語 の 勉 強 は 予 想 以 上 に 厳 しくて 勉 強 は 大 変 だと 感 じる しかも K さんは 大 学 院 の 専 攻 を 美 術 から 経 営 に 変 えたので 週 5 日 の 午 前 中 を 日 本 語 学 校 の 授 業 で 勉 強 を し あとは 週 に 一 度 くらいは 気 分 転 換 をするが それ 以 外 ほとんど 家 で 勉 強 をす る 毎 日 を 送 っている 大 学 院 の 入 試 には 英 語 も 必 要 で これまでの 専 門 と 違 うの で 経 営 の 勉 強 も 一 人 でしなければならない 2011 年 1 月 の 受 験 までは 勉 強 漬 けであ る K さんは 両 親 から 全 面 的 なサポートを 受 けて 勉 強 をしているので 今 のところ はアルバイトはせずに 勉 強 に 打 ち 込 める 環 境 にある K さんは 2009 年 3 月 に 日 本 に 留 学 する 決 意 をし 2009 年 10 月 に 来 日 をした のだが 留 学 生 活 を 始 めるに 当 たって 当 初 日 本 へ 留 学 する 人 が 集 まってするブ ログ トンリュ で インターネット 上 で 探 したアパートに 韓 国 のルームメート と 一 緒 に 住 んだという しかし インターネットで 探 した 最 初 のルームメートとは あまり 合 わず 現 在 は 引 っ 越 しして 気 の 合 う 友 人 と 同 じマンションに 隣 同 士 住 んでいる 故 郷 のテグの 両 親 とは インターネット 上 の スカイプ というテレビのように 顔 をみながら 話 ができるネット 電 話 で 定 期 的 に 話 就 職 大 学 のためソウルにいる 35

39 姉 と 弟 たちとは インターネット 上 のチャットで 連 絡 を 取 り 合 っている 今 年 の K さんの 誕 生 日 には 韓 国 から 母 親 と 姉 が 日 本 に 会 いにきてくれたという 将 来 の 夢 K さんの 近 い 将 来 の 夢 は 大 学 院 で 経 営 関 係 の 勉 強 をして 2 年 後 に 修 了 する ときに 日 本 で 就 職 し 後 々は ブランド マネージャー になることである ブ ランド マネージャーになりたいんですが ブランド マネージャーって 初 めから できないから マーケティング 部 署 とかに 入 ると 思 います 例 えば TOYOTA の レクサスというブランドがあったら 全 体 的 にブランドをネーミングとか イメー ジとか マーケティング 方 法 とかを 管 理 する 人 になりたいです 美 術 専 攻 の 学 部 のときに そうした 勉 強 を 少 ししたということだが 美 術 だけで は 就 職 の 競 争 で 残 ることができないことから 日 本 では 大 学 院 で 経 営 学 を 勉 強 しよ うと 専 攻 を 変 えたらしい 日 本 で 就 職 できたら できるだけ 働 いて キャリアを 積 み マネージャーになる くらいに 努 めたいという その 上 でキャリアが 確 立 したあとに もし スカウトと かされたら 韓 国 に 戻 ることも 考 えるかもしれない キャリアとは 別 に 歳 をとったら または 家 族 ができたら カナダやオースト ラリアなど 住 みやすいっていうか 環 境 のいいところ アジアって 学 歴 とか 必 要 だし なんか 競 争 が 激 しいっている 感 じがあって 住 みやすいところ に 子 ど ものためにそうした 環 境 の 中 で 住 んでみたいと 思 うこともある 自 分 の 子 どもには 競 争 が 激 しくないところで 育 ってほしいという 願 いがあるようだった 36

40 <인터뷰 5> K 씨 (20 대 여성) 더욱 더 공부를 한다면 일본에서 2010 년 7 월 23 일, 대구출신, 일본어학교생, 일본체재 10 개월 인터뷰: 후지타 라운드 사치요 약력과 가족 K 씨는 1984 년, 대구에서 태어나 부모님과 언니, K 씨, 남동생으로 5 인 가족이다. K 씨는 중학교와 고등학교 시절을 대구에서 보내고 희망했던 대학교에 입학하여서 서울에서 자취생활을 시작했다. 대학교에서는 미술을 전공하였다. 졸업을 1 년간 미뤄서 영어를 공부하여 TOEIC 시험 등을 치렀으나 취직을 못했기 때문에 그 길로 대학원에 진학하려고 했었다. 일본에는 여행이나 일본대학의 전람회에 교류를 위해 오게 되었는데 그 때 일본 미술관 같은 곳이 너무나 인상에 남아서 대학원은 일본에서 진학하기로 마음을 먹었다. 지금은 일본어학교에서 일본어를 갈고 닦으며 경영학을 대학원에서 배우기 위해 독학으로 공부를 하고 있다. 제 2 외국어로서의 일본어 K 씨는 중학교 시절에 부모님이 시켜서 가정교사에게 일본어를 배운 적이 있다. 3, 4 개월 밖에 배우진 않았지만 히라가나와 카타카나, 동사의 활용에 대해 배운 기억이 있다고 한다. 고등학교에서 제 2 외국어를 선택할 때에는 일본어와 프랑스어, 독일어 중에 일본어를 선택하여 일주일에 한 시간 일본어 수업을 받았다고 한다. 일본어를 선택한 이유는 중학교 때 한 번 배웠었기 때문에 점수를 잘 받지 않을까 라고 생각해서였다. K 씨는 중학교와 고등학교 때에는 특히 일본의 드라마나 노래, 애니메이션, 영화 등에 관심이 많았다고 한다. 대학교에 들어가서도 일본어 수업을 한 번 정도 들었는데 그 때에는 초급클래스였다고 한다. 가족으로부터 떨어져 서울의 대학에 진학 K 씨는 지방도시인 대구에서 가족들과 같이 살면서 그 곳에서 중학교와 고등학교를 다녔었다. 고등학교 시절의 대부분은 대학 수험을 위해 공부만 했었다. 다니고 있었던 고등학교는 보통의 학교였었기 때문에 미술대학을 꿈꾸고 있었던 K 씨는 고등학교 1 학년 때부터 미술아카데미라는 입시준비학교에 다녔었다. 학교가 끝나면 학교 근처에 있었던 아카데미에 가서 친구들과 저녁밥을 먹고 11 시까지 계속 미술에 관한 기술을 배웠었다고 한다. 서울의 미술대학에는 한 번에 합격하여 정말 기뻤다고 한다. 그 때부터 가족들과 떨어져 서울에서 자취생활이 시작되었다. K 씨가 다니고 있었던 대학교는 성적이 우수한 학교였지만 K 씨는 하지만 들어가보니 다른 학교들과 별 다를 것이 없었어요. 라는 인상을 받았다고 한다. 일본과의 만남 K 씨는 일본에 유학 오기로 결심하고 6 개월 뒤에 일본에 오게 된다. 그 사이에 3, 4 개월 동안 집중적으로 일본어를 공부하여 일본어능력시험 2 급에 합격하였다. 하지만 시험에는 운이 좋아서 합격했다고 하는 실제로 일본에 왔을 37

:. 蔿 蔿 蔿 蔿, 蔿

:. 蔿 蔿 蔿 蔿, 蔿 Title 旺 山 許 蔿 [ウィ](ワンサン ホウィ)の 逮 捕 後 の 動 向 考 察 ( fulltext ) Author(s) 李, 修 京 Citation 東 京 学 芸 大 学 紀 要. 人 文 社 会 科 学 系. I, 63: 119-135 Issue Date 2012-01-31 URL http://hdl.handle.net/2309/125470 Publisher

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