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1 後 期 陽 明 学 派 と 明 の 政 治 についての 研 究 焦 堃 研 究 趣 旨 の 説 明 第 一 節 不 遇 な 陽 明 学 派 第 二 世 代 第 二 節 徐 階 の 登 場 と 厳 嵩 時 代 第 三 節 陽 明 学 の 全 盛 期 第 四 節 万 暦 以 後 の 情 勢 党 争 を 背 景 に 結 論 研 究 趣 旨 の 説 明 本 文 は 京 都 大 学 アジア 研 究 教 育 ユニット 平 成 25 年 度 次 世 代 研 究 プロジェクト の 研 究 成 果 の 一 つである 本 文 において 筆 者 が 主 に 取 り 上 げるのは 中 国 明 代 の 中 期 から 後 期 にかけて 活 躍 した 陽 明 学 派 という 儒 教 思 想 団 体 とりわけその 開 祖 である 王 陽 明 が 死 去 した 後 の 後 期 陽 明 学 派 と 明 代 の 政 治 との 関 わりの 問 題 である 王 陽 明 によって 提 唱 され 陽 明 学 派 が 奉 じていた 陽 明 学 は 明 代 を 代 表 する 思 想 の 一 つとして また 中 国 のいわゆる 新 儒 教 の 一 つの 重 要 な 流 れとして これまで 多 くの 研 究 者 に 注 目 され 研 究 されてきた しかし これまでの 研 究 の 多 くは いわゆる 思 想 史 の 枠 内 でなされたもの であり 思 想 の 内 容 と 構 造 自 体 に 着 目 するものである 王 陽 明 とその 弟 子 たちの 政 治 的 地 位 を 勘 案 した 上 で 彼 らの 思 想 とその 政 治 活 動 との 関 連 性 を 重 点 的 に 考 察 する 研 究 は 比 較 的 に 手 薄 な 状 態 にある とはいえ 王 陽 明 の 思 想 活 動 の 背 景 をなす 明 の 政 治 状 況 と 王 陽 明 個 人 の 政 界 での 遭 遇 に 関 し ては すでにプリンスと 大 学 名 誉 教 授 余 英 時 氏 の 優 れた 研 究 がある 氏 の 著 書 宋 明 理 学 と 政 治 文 化 1 の 第 六 章 明 代 理 学 と 政 治 文 化 発 微 は 陽 明 学 と 明 の 政 治 の 関 係 という 研 究 領 域 に おける 先 駆 的 な 作 品 であり 陽 明 学 の 政 治 性 について 分 析 立 証 したのみならず このテーマを 取 り 扱 う 際 の 研 究 手 法 も 提 示 している 具 体 的 な 結 論 において 異 見 を 抱 いているものの 筆 者 も かつて 余 氏 の 研 究 を 手 本 として 陽 明 派 士 人 と 嘉 靖 初 年 の 政 治 陽 明 学 派 の 政 治 倫 理 につい て 2 と 題 されている 論 文 を 作 成 し 公 表 している のみならず 近 年 陽 明 学 に 関 する 研 究 の 中 で 陽 明 学 者 の 事 跡 に 関 する 考 察 もかなり 行 われ これによって 我 々は 一 部 の 陽 明 学 者 の 政 治 活 動 をより 詳 しく 知 ることができた しかし 全 体 とし ては これらの 研 究 は 個 々の 陽 明 学 者 について 断 片 的 に 行 われており 整 合 されてもなければ 政 治 と 思 想 との 関 係 に 主 眼 を 置 くものでもない もう 一 つの 問 題 は 筆 者 が 公 表 した 論 文 を 含 め これまでの 研 究 は 王 陽 明 を 始 めとする 前 期 の 陽 明 学 者 を 取 り 上 げるものが 多 く 王 陽 明 が 死 去 し た 嘉 靖 七 年 から 万 歴 三 十 年 代 までの 時 期 については 王 陽 明 の 存 命 中 より 関 心 が 薄 い 陽 明 学

2 と 政 治 との 関 係 というテーマに 至 っては 嘉 靖 七 年 以 後 の 後 期 陽 明 学 派 についての 研 究 はほとんど なく わずかに 鄧 志 峰 氏 の 王 学 与 晩 明 的 師 道 復 興 運 動 3 があるぐらいである よって 本 文 は 数 少 ない 先 行 研 究 を 踏 まえた 上 で 特 に 王 陽 明 が 死 去 した 後 の 陽 明 学 派 に 焦 点 を 当 て これらの 陽 明 学 者 の 政 治 理 念 と 政 治 活 動 を 説 明 した 上 で 明 の 政 治 史 において 陽 明 学 の 存 在 意 義 と それが 果 たした 役 割 について 分 析 を 試 みたいと 考 えている 本 文 の 努 力 によって なお 十 分 に 開 拓 されていないこの 研 究 領 域 において 何 らかの 貢 献 ができれば 幸 いである 第 一 節 不 遇 な 陽 明 学 派 第 二 世 代 嘉 靖 の 初 年 世 宗 の 即 位 に 伴 って 起 こった 大 礼 の 議 という 政 治 事 件 を 機 に 陽 明 学 派 は 中 央 政 治 の 舞 台 でデビューを 果 たした いわゆる 大 礼 問 題 で 勃 発 した 世 宗 と 内 閣 首 輔 楊 廷 和 を 始 めとする 官 僚 たちの 対 立 で 王 陽 明 の 数 人 の 弟 子 は 張 璁 などとともに 世 宗 を 支 持 し 一 気 に 政 権 の 中 枢 部 に 入 り 込 み 国 政 の 運 営 に 関 わりうる 立 場 に 立 った その 後 彼 らは 王 陽 明 が 提 唱 した 理 念 に 沿 って 政 権 運 営 を 進 めようとしたが 結 局 はうまく 行 かなかった 王 陽 明 とその 弟 子 たちの 一 団 が 大 礼 の 議 という 政 治 闘 争 に 身 を 投 じ 世 宗 を 支 持 する 立 場 を 取 った 最 大 の 理 由 は 何 といっても 長 きにわたって 進 行 してきた 内 閣 の 勢 力 拡 張 とそれによる 朝 政 壟 断 への 反 発 にあった 大 礼 の 議 でほとんどの 大 臣 たちを 傘 下 に 収 めて 世 宗 と 対 抗 した 首 輔 の 楊 廷 和 は このような 内 閣 政 治 の 代 表 である 一 方 で 王 陽 明 の 弟 子 たちを 含 む 世 宗 支 持 派 は いわゆる 内 閣 翰 林 院 体 制 から 締 め 出 されていた 中 下 層 の 官 僚 がその 主 力 であった ここ で 注 目 しなければならないのは 王 陽 明 も 弟 子 たちと 同 じ 境 遇 に 置 かれていたことである 彼 は 紛 れもなく 楊 廷 和 の 前 任 李 東 陽 が 率 いる 多 くの 文 学 の 士 からなる 朝 廷 一 番 の 出 世 集 団 からの はぐれ 者 であった 流 放 生 活 から 中 央 政 治 に 復 帰 した 後 彼 は 楊 一 清 王 瓊 などに 引 き 立 てられ ながら 内 閣 政 治 の 腐 敗 と 無 能 ぶりを 冷 静 に 観 察 し しかも 自 分 自 身 が 内 閣 に 散 々 苦 しめられて きた それゆえ 自 分 の 弟 子 を 含 む 世 宗 支 持 派 が 楊 廷 和 たちを 打 ち 負 かし 政 権 を 掌 握 するに 至 ると 王 陽 明 はその 政 治 運 営 に 極 めて 大 きな 関 心 を 示 し そして 自 らの 理 念 をもってそれを 積 極 的 に 導 こうとしたのである しかし 王 陽 明 とその 弟 子 たちの 努 力 は 総 じて 失 敗 に 終 わった 政 権 を 手 にした 張 璁 たち 世 宗 支 持 派 にとっては 新 しい 政 治 秩 序 の 建 設 が 何 よりも 急 務 であっ た 彼 らはともに 内 閣 への 権 力 集 中 を 批 判 してきたのであり 当 然 それに 取 って 代 わる 新 たな 体 制 を 作 り 上 げる 義 務 があったからである それで 王 陽 明 は 内 閣 の 役 割 を 公 正 な 人 才 選 任 に 限 った 比 較 的 に 分 権 的 な 体 制 を 理 想 とし 世 宗 支 持 派 の 主 なメンバーにそれを 力 説 したのである そし て 新 体 制 の 確 立 は なお 一 層 の 緊 急 性 を 伴 っていた それは 大 礼 の 議 が 始 まって 以 来 の 官 僚 間 の 対 立 が 決 して 世 宗 支 持 派 の 政 権 掌 握 によって 消 えることはなかったからである 思 うに

3 内 閣 の 権 力 拡 張 がすでに 長 期 間 に 及 んで 続 いてきた 以 上 朝 廷 の 政 治 を 支 配 下 に 置 いていた 内 閣 が 様 々な 問 題 を 抱 えていたとはいえ 一 方 で 官 僚 たちの 人 心 の 向 くところともなっており その 擁 護 者 は 少 なからずいた 事 実 上 後 世 まで 楊 廷 和 たちに 同 情 する 声 が 絶 えず 明 史 もこの ような 立 場 で 書 かれている 楊 廷 和 らが 去 った 後 も 朝 廷 に 残 っている 大 勢 の 彼 らの 支 持 者 にと って 張 璁 たちは 貫 禄 がないどころか 天 子 に 迎 合 して 出 世 を 図 る 陰 険 な 小 人 いわゆる 公 論 に 抗 して 正 人 君 子 を 弾 圧 する 敵 とすら 見 なされたのである このような 支 配 集 団 内 部 での 深 刻 な 分 裂 を 収 拾 することは 張 璁 らにとっては 一 刻 たりとも 遅 らせることのできない 事 柄 のはず であった それゆえ 王 陽 明 は 自 らの 良 知 説 に 基 づき 政 権 を 握 った 世 宗 支 持 派 に 個 人 の 好 悪 に 左 右 されずに 努 めて 公 正 な 人 事 を 行 うよう 説 いたのである 王 陽 明 は 流 放 先 の 龍 場 での 思 想 転 向 を 経 その 政 治 姿 勢 に 大 きな 変 化 が 生 じた その 当 時 彼 が 著 した 五 経 臆 説 にある 君 子 雖 已 知 其 可 遯 之 時 然 勢 尚 可 爲 則 又 未 忍 決 然 舍 去 而 必 於 遯 且 欲 與 時 消 息 盡 力 匡 扶 以 行 其 道 則 雖 當 遯 之 時 而 亦 有 可 亨 之 道 也 雖 有 可 亨 之 道 然 終 從 隂 長 之 時 小 人 之 朋 日 漸 以 盛 苟 一 裁 之 以 正 則 小 人 将 無 所 容 而 大 肆 其 惡 是 将 以 救 敝 而 反 速 之 亂 矣 故 君 子 又 當 委 曲 周 旋 修 敗 補 罅 積 小 防 微 以 隂 扶 正 道 使 不 至 於 速 亂 4 君 子 は 已 に 其 の 遯 るべきの 時 を 知 ると 雖 も 然 るに 勢 として 尚 お 爲 すべくんば 則 ち 又 た 未 だ 決 然 として 舍 去 して 遯 に 必 なるを 忍 ばず 且 つ 時 と 消 息 し 盡 力 して 匡 扶 し 以 て 其 の 道 を 行 わんと 欲 す 則 ち 當 さに 遯 るべきの 時 なりと 雖 も 亦 た 亨 るべきの 道 有 るなり 亨 るべ きの 道 有 りと 雖 も 然 るに 終 に 隂 の 長 ずるの 時 に 從 い 小 人 の 朋 は 日 に 漸 く 以 て 盛 んなり 苟 も 一 に 之 を 裁 くに 正 を 以 てすれば 則 ち 小 人 は 将 に 容 れらるる 所 無 くして 大 いに 其 の 惡 を 肆 にせん 是 れ 将 に 以 て 敝 を 救 わんとして 反 て 之 に 亂 を 速 くなり 故 に 君 子 も 又 た 當 に 委 ひそ 曲 周 旋 し 敗 を 修 めて 罅 を 補 い 小 を 積 みて 微 を 防 ぎ 以 て 隂 かに 正 道 を 扶 け 亂 を 速 くに 至 らしめざるべし 云 々は つまりこのような 姿 勢 の 変 化 を 表 している 王 陽 明 は 流 放 生 活 を 終 えてから 隠 居 するこ となく 政 界 に 復 帰 したが しかし 彼 はそのまま 流 放 以 前 の 状 態 に 戻 ったわけではない 龍 場 に 流 されるまでは 翰 林 院 に 入 れなかったものの 一 文 学 の 士 として 李 東 陽 の 門 を 遊 ぶことで なお 内 閣 の 傘 下 にいた しかし 復 帰 してから 彼 は 内 閣 と 縁 を 切 り 中 央 政 治 のもっとも 目 立 つとこ ろから 離 れた そして 地 方 での 軍 事 的 政 治 的 活 動 によって 陰 か に 明 王 朝 を 扶 けたの である そして 大 礼 の 議 を 経 てすでに 明 の 政 治 を 悪 化 させる 要 因 となっていた 内 閣 が 打 倒 さ れ ついに 道 が 亨 る 機 運 が 来 た 黄 綰 への 手 紙 で 王 陽 明 が 君 子 道 長 則 小 人 道 消 疾 病 既 除 則 元 氣 亦 當 自 復 5 君 子 の 道 長 ずれば 則 ち 小 人 の 道 消 ゆ 疾 病 既 に 除 かれれば 則 ち 元 気 も 亦 た 當 に 自 ら 復 す べし

4 と 述 べたのは このような 心 境 を 表 している しかし 理 想 の 状 況 がなお 現 実 と 化 しておらず 情 勢 が 依 然 として 不 明 瞭 であったため 王 陽 明 もまたその 小 心 翼 々とした 委 曲 周 旋 する 姿 勢 を 改 めず 弟 子 たちを 但 欲 除 疾 病 而 攻 治 太 厲 則 亦 足 以 耗 其 元 氣 藥 石 之 施 亦 不 可 不 以 漸 也 6 但 だ 疾 病 を 除 かんと 欲 して 攻 治 すること 太 だ 厲 しければ 則 ち 亦 た 以 て 其 の 元 氣 を 耗 するに 足 る 藥 石 の 施 も 亦 た 以 て 漸 くならざるべからざるなり と 諌 めたのである これ 以 上 対 立 を 深 めずに 従 来 の 内 閣 政 治 の 影 響 を 徐 々に 排 除 していかなけ ればならないというのである これらのの 言 論 は 王 陽 明 が 理 想 としていた 政 治 体 制 を 反 映 して いると 同 時 に 龍 場 以 来 の 王 陽 明 の 政 治 姿 勢 をも 受 け 継 いでいる ところで 実 際 に 張 璁 そして 桂 萼 は 結 局 王 陽 明 の 提 示 した 方 向 へ 進 むことができなかった それは 彼 らが 一 旦 権 力 を 手 にすると それを 握 り 続 けることに 執 着 し 敵 を 許 すことができなか っただけでなく もとの 仲 間 であっても 意 見 が 違 えば 排 除 しようとしたからである 従 来 のよう に 大 勢 の 官 僚 たちの 支 持 を 得 ていないにもかかわらず 従 来 通 りの ないしそれ 以 上 の 内 閣 の 権 威 を 保 とうとしたのである それでますます 天 子 の 力 と 少 数 の 陰 険 な 側 近 に 頼 って 強 引 に 意 見 を 押 し 通 すしかなかった 結 局 張 璁 政 権 は 終 始 官 僚 集 団 の 中 で 正 統 性 を 得 ることができず 恐 怖 政 治 に 近 い 形 で 政 権 運 営 を 続 けていた 張 璁 本 人 も 最 後 は 夏 言 に 天 子 の 寵 愛 を 奪 われ 四 面 楚 歌 の 中 で 朝 廷 を 去 った 張 璁 政 権 の 崩 壊 はもちろん 政 界 デビューを 果 たしたばかりの 陽 明 学 派 にとっては 大 きな 挫 折 であった しかも 政 権 崩 壊 前 に 王 陽 明 も 世 を 去 っており 学 派 は 最 高 指 導 者 をも 失 っていた し かし 陽 明 学 派 には これらの 挫 折 を 乗 り 越 えるくらいの 旺 盛 な 生 命 力 があった 王 陽 明 の 死 から 暫 くは 不 遇 が 続 いたものの 嘉 靖 の 後 期 特 に 徐 階 が 内 閣 の 首 輔 となってから 再 び 政 治 の 中 央 舞 台 に 復 帰 し 全 盛 期 を 現 出 させた その 後 も 明 の 政 治 状 況 の 進 展 の 様 々な 文 脈 と 絡 みながら 命 脈 を 保 ち 万 暦 三 十 年 代 まで 影 響 力 を 発 揮 していた 本 文 ではこのような 王 陽 明 の 死 後 におけ る 陽 明 学 派 の 政 治 活 動 を 考 察 していく 王 陽 明 は 嘉 靖 七 年 十 一 月 に 亡 くなった その 後 陽 明 学 派 の 組 織 が 各 地 で 拡 大 していったが 中 央 政 治 の 場 においては 学 派 に 対 する 逆 風 が 暫 く 吹 き 続 けたのである この 時 期 はちょうど 陽 明 学 の 第 二 世 代 つまり 王 陽 明 の 晩 年 に 生 員 の 身 分 で 入 門 した 人 々が 会 試 で 合 格 し 中 央 政 界 で 頭 角 を 現 し 始 めた 時 期 に 当 たる このため この 陽 明 学 第 二 世 代 は 総 じていえば 政 界 におい て 非 常 に 不 遇 な 世 代 である 陽 明 学 派 の 不 遇 は 王 陽 明 の 死 からすぐに 始 まった 王 陽 明 が 死 去 してから 僅 か 三 ヶ 月 後 嘉 靖 八 年 の 二 月 に 王 陽 明 に 対 する 厳 しい 処 分 が 朝 廷 から 下 った 吏 部 の 処 分 案 に 世 宗 の 意 も 加 わり 王 陽 明 の 爵 位 は 一 代 限 りとされ 死 後 に 受 けるべき 様 々な 待 遇 を 剥 奪 されただけではなく さら にその 学 説 も 禁 じられた 7

5 この 出 来 事 は 生 前 の 王 陽 明 と 桂 萼 との 確 執 に 起 因 している 王 陽 明 は 世 宗 支 持 派 の 推 薦 で 広 西 での 反 乱 平 定 を 任 され 任 務 を 完 遂 したが その 後 桂 萼 は 手 柄 を 立 てるために 王 陽 明 にベトナ ム 出 兵 を 促 し 拒 否 されると 口 実 を 設 けて 王 陽 明 を 攻 撃 したと 明 史 巻 一 百 九 十 五 王 守 仁 伝 は 記 している 8 一 方 で 嘉 靖 以 来 首 輔 伝 は 桂 萼 の 上 奏 文 を 代 筆 していた 魏 校 という 人 物 が 王 陽 明 と 名 を 争 っていたため 桂 萼 が 王 陽 明 にこのような 仕 打 ちを 加 えたと 記 している 9 この 魏 校 も 道 学 者 であり 王 陽 明 との 間 にかつて 思 想 上 の 対 立 があった 10 王 陽 明 が 死 去 すると 桂 萼 は 彼 が 勝 手 に 役 職 を 離 れたことを 理 由 に 弾 劾 文 を 提 出 し 11 前 述 したように 翌 年 の 二 月 に 王 陽 明 への 処 分 が 決 まった この 際 の 吏 部 の 処 分 案 は 入 閣 したばかりでなお 吏 部 尚 書 を 兼 任 して いた 桂 萼 の 意 見 である 一 連 の 弾 劾 や 処 分 に 当 然 方 獻 夫 や 黄 綰 などは 反 発 したが しかし 一 向 に 受 け 入 れられること はなかった 12 しかも 世 宗 自 らが 乗 り 出 し 吏 部 の 案 よりも 重 い 処 分 を 下 したのである これらの 事 実 は 王 陽 明 の 処 分 をめぐって さらに 複 雑 な 背 景 があったことを 示 している 王 陽 明 は 天 子 世 宗 からも 睨 まれていたのである 明 史 の 王 守 仁 伝 に 始 帝 以 蘇 受 之 撫 遣 行 人 奉 璽 書 奬 諭 及 奏 斷 藤 峽 捷 則 以 手 詔 問 閣 臣 楊 一 清 等 謂 守 仁 自 誇 大 且 及 其 生 平 學 術 始 めに 帝 蘇 受 の 撫 を 以 て 行 人 を 遣 わして 璽 書 を 奉 じて 奬 諭 せしむ 斷 藤 峽 の 捷 を 奏 す るに 及 ぶや 則 ち 手 詔 を 以 て 閣 臣 の 楊 一 清 らに 問 い 守 仁 自 ら 誇 大 すと 謂 い 且 つ 其 の 生 平 學 術 に 及 ぶ とあるように 王 陽 明 が 初 めて 広 西 で 成 果 を 挙 げた 際 には 世 宗 はなお 彼 を 奨 励 していた が 断 藤 峡 での 勝 利 を 報 告 するに 及 ぶと 世 宗 は 態 度 を 一 変 させて 王 陽 明 に 批 判 的 とな った 明 世 宗 実 録 巻 九 十 四 嘉 靖 七 年 閏 十 月 戊 子 条 はこのことについて 新 建 伯 王 守 仁 以 討 平 斷 藤 峽 諸 寨 捷 聞 因 自 言 用 計 招 撫 思 田 叛 目 盧 蘇 王 受 等 以 夷 攻 夷 故 所 向 克 捷 而 我 軍 僅 湖 廣 掣 還 之 兵 八 千 人 深 入 三 百 餘 里 俘 斬 三 千 餘 賊 永 除 百 餘 年 來 兩 廣 腹 心 之 患 蓋 勞 費 不 及 大 征 十 一 而 成 功 倍 之 此 皆 由 我 皇 上 乾 綱 內 斷 任 人 不 疑 而 廊 廟 諸 臣 咸 能 推 誠 舉 任 公 心 協 贊 故 已 得 以 展 布 四 體 共 成 此 功 宜 先 行 廟 堂 協 贊 舉 任 之 賞 次 錄 諸 臣 禦 侮 折 衝 之 勞 兵 部 覆 奏 上 曰 此 捷 音 近 於 誇 詐 有 失 信 義 恩 威 倒 置 恐 傷 大 體 新 建 伯 王 守 仁 斷 藤 峽 の 諸 寨 を 討 平 するの 捷 を 以 て 聞 し 因 りて 自 ら 言 う 計 を 用 いて 思 田 の 叛 目 盧 蘇 王 受 らを 招 撫 し 夷 を 以 て 夷 を 攻 め 故 に 向 う 所 克 捷 す 而 して 我 が 軍 は 僅 かに 湖 廣 より 掣 還 せるの 兵 八 千 人 深 入 すること 三 百 餘 里 三 千 餘 賊 を 俘 斬 し 百 餘 年 來 兩 廣 腹 心 の 患 を 永 除 せり 蓋 し 勞 費 は 大 征 の 十 一 に 及 ばずして 成 功 は 之 に 倍 す 此 れは 皆 な 我 が 皇 上 乾 綱 の 內 斷 し 人 を 任 じて 疑 わず 廊 廟 諸 臣 咸 な 能 く 推 誠 して 舉 任 し 公 心 にして 協 贊 するに 由 り 故 に 己 は 以 て 四 體 を 展 布 するを 得 共 に 此 の 功 を 成 す 宜 しく 先 ず 廟 堂 の 協 贊

6 舉 任 の 賞 を 行 い 次 に 諸 臣 の 禦 侮 折 衝 の 勞 を 錄 すべし と 兵 部 覆 奏 す 上 曰 く 此 の 捷 音 は 誇 詐 に 近 く 信 義 を 失 う 有 り 恩 威 を 倒 置 し 恐 く 大 體 を 傷 つけん と と 記 している 王 陽 明 は 広 西 で 華 々しい 軍 功 を 挙 げた それをありのまま 報 告 し そし て 天 子 及 び 廊 廟 の 諸 臣 に 功 を 帰 したが しかし 世 宗 からすれば 王 陽 明 が 自 分 自 身 の 手 柄 を 目 立 たせているように 見 えたのである 咸 な 能 く 推 誠 して 挙 任 し 公 心 にし て 協 賛 する 云 々は まるで 朝 廷 の 上 下 が 王 陽 明 の 下 働 きとなっていたかのように 世 宗 の 目 に 映 ったのであろう これが 世 宗 には 大 いに 不 快 であった さらに 王 陽 明 の 学 術 も 問 題 視 された 結 局 この 時 点 では 処 分 は 下 らなかったが 前 述 したように 桂 萼 の 弾 劾 に 接 すると 世 宗 はすぐさまに 処 分 の 検 討 を 命 じ そして 自 ら 重 い 処 分 を 下 した この 際 に 桂 萼 は 王 陽 明 処 分 の 理 由 をその 学 説 とした つまり 朱 子 学 の 精 神 に 反 した 言 論 を 発 していたというのが 王 陽 明 の 公 式 な 罪 状 であった しかもその 際 に 知 衆 論 之 不 與 則 著 朱 熹 晚 年 定 論 之 書 號 召 門 徒 互 相 唱 和 其 門 人 爲 之 辯 謗 至 謂 杖 之 不 死 投 之 江 不 死 以 上 瀆 天 聽 幾 於 無 忌 憚 矣 13 衆 論 の 與 せざるを 知 れば 則 ち 朱 熹 晚 年 定 論 の 書 を 著 し 門 徒 を 號 召 し 互 相 に 唱 和 す 其 の 門 人 之 が 爲 に 謗 を 辯 ずるに 之 を 杖 するも 死 なず 之 を 江 に 投 げるも 死 なずと 謂 うに 至 けが り 以 て 上 に 天 聽 を 瀆 し 忌 憚 無 きに 幾 し と 学 派 の 結 成 を 槍 玉 に 挙 げていた 当 然 これは 陽 明 学 派 への 世 宗 の 強 い 猜 疑 を 招 いたのであ る 処 分 の 内 容 に 陽 明 学 への 禁 制 が 含 まれたのはもちろんのこと このことは 恐 らくその 後 に 陽 明 学 派 の 官 僚 たちの 悲 運 を 招 いた 大 きな 要 因 ともなったのであろう 王 陽 明 が 世 宗 の 恨 みを 買 ったことの 原 因 について なお 一 説 がある それは 葉 権 の 賢 博 編 という 書 物 にある 先 師 柴 後 愚 公 陽 明 先 生 弟 子 也 又 言 武 宗 大 漸 先 生 密 疏 預 言 世 及 之 事 疏 寢 不 報 嘉 靖 初 桂 大 學 士 與 先 生 有 隙 微 發 其 奏 幸 先 生 卒 止 削 爵 不 爾 且 有 奇 禍 先 師 柴 後 愚 公 は 陽 明 先 生 の 弟 子 なり 又 た 言 う 武 宗 大 漸 すれば 先 生 密 疏 し 世 及 の や 事 を 預 言 し 疏 寢 めて 報 ぜず 嘉 靖 の 初 め 桂 大 學 士 先 生 と 隙 有 り 微 かに 其 の 奏 を 發 す 幸 いにして 先 生 卒 すれば 止 だ 爵 を 削 るのみ 爾 からざれば 且 つ 奇 禍 有 らん と という 記 載 である 武 宗 の 病 気 が 重 篤 となっていた 際 に 王 陽 明 が 上 疏 して 後 継 者 を 推 薦 したと いうのである この 推 薦 された 後 継 者 はもちろん 世 宗 ではなかった 桂 萼 がこの 上 疏 を 拾 い 出 し て 世 宗 に 見 せたため 世 宗 は 王 陽 明 をひどく 恨 んだという 類 似 した 記 載 はほかに 見 られないた め この 説 の 信 憑 性 は 俄 かに 断 定 できないが いずれにせよ 王 陽 明 に 加 えられた 弾 圧 は 世 宗 の 性 格 をよく 表 わしている

7 王 陽 明 たちはかつて 堯 舜 をもって 世 宗 に 期 待 したが これは 大 いに 的 外 れであった 大 礼 の 議 で 世 宗 の 勝 利 に 貢 献 してから 数 年 も 経 たない 内 に 世 宗 はすでにこの 期 待 を 見 事 に 裏 切 った 嘉 靖 一 朝 を 通 じて 世 宗 は 地 位 と 権 威 の 保 持 にヒステリックなほどであり その 敏 感 さと 頑 迷 さは 張 璁 などよりも 数 段 上 であった 万 暦 野 獲 編 が 世 宗 所 任 用 者 皆 銳 意 功 名 之 士 而 高 自 標 榜 互 樹 聲 援 者 即 疑 其 人 主 爭 衡 14 世 宗 の 任 用 する 所 の 者 は 皆 な 功 名 に 銳 意 するの 士 なり しかして 高 く 自 ら 標 榜 し 互 いに た 聲 援 を 樹 つる 者 は 即 ち 其 れ 人 主 と 爭 衡 するを 疑 う と 記 しているのは 臣 下 たちが 横 に 繋 がって 人 望 を 集 めることを 絶 対 に 容 認 しないという 世 宗 の 姿 勢 をよく 道 破 している 王 陽 明 とその 学 派 の 人 々は まさにこのことで 世 宗 の 勘 気 に 触 れ 邪 険 にされたのであり 異 端 思 想 云 々とはただの 口 実 に 過 ぎなかった この 事 件 から 陽 明 学 派 の 政 治 的 命 運 は 暗 雲 立 ち 込 めるものとなった まずは 方 獻 夫 黄 綰 な ど 世 宗 支 持 派 の 主 力 たちが 世 宗 と 張 璁 らの 専 制 者 コンビと 付 き 合 っていられなくなった 明 史 巻 一 百 九 十 六 方 獻 夫 伝 に 霍 韜 黃 宗 明 言 事 一 不 當 輒 下 之 吏 獻 夫 見 帝 恩 威 不 測 居 職 二 歲 三 疏 引 疾 霍 韜 黃 宗 明 は 事 を 言 うに 一 たび 當 たらざれば 輒 ち 之 を 吏 に 下 す 獻 夫 は 帝 の 恩 威 の 測 ら ざるを 見 職 に 居 ること 二 歳 にして 三 たび 疏 して 引 疾 す とあるように 霍 韜 と 黄 宗 明 はひとたび 世 宗 の 意 に 背 けばすぐさま 獄 に 下 されるほどであり か くも 喜 怒 の 定 かならぬ 天 子 に 閣 臣 の 方 獻 夫 は 恐 れをなして 辞 職 願 いを 連 発 し ついに 嘉 靖 十 三 年 の 四 月 に 致 仕 した 黄 綰 は 嘉 靖 十 二 年 の 大 同 事 件 をきっかけに 方 獻 夫 らとともに 張 璁 の 攻 撃 を 受 けた またその 直 後 に 張 璁 の 爪 牙 だった 汪 鋐 にも 言 いがかりを 付 けられて 弾 劾 された 15 こ の 時 の 口 実 は 南 京 礼 部 の 郎 中 だった 鄒 守 益 が 病 気 を 理 由 に 帰 郷 を 申 し 出 た 件 を 当 時 左 侍 郎 とし て 南 京 礼 部 の 最 高 責 任 者 だった 黄 綰 がきちんと 審 査 せず 鄒 守 益 が 勝 手 に 離 任 するのを 黙 認 した ということである 王 陽 明 の 弟 子 である 鄒 守 益 は 大 礼 の 議 で 世 宗 に 楯 突 いて 左 遷 され 復 活 して 南 京 に 赴 任 していた この 際 に 同 じく 王 陽 明 の 弟 子 南 京 礼 部 の 郎 中 だった 季 本 も 鄒 守 益 を 庇 ったことで 黄 綰 とともに 左 遷 の 処 分 を 受 けた 16 後 述 するように これらの 陽 明 学 で 繋 がっ ていた 人 々は 意 図 的 に 狙 われたのである この 陽 明 学 派 への 風 当 りが 強 まってきた 時 期 は 前 述 したように 陽 明 学 第 二 世 代 を 主 力 とした 若 手 の 陽 明 学 者 が 続 々と 官 界 進 出 を 果 たし 中 央 政 界 での 陽 明 学 派 の 勢 力 が 拡 大 していた 時 期 で もある 年 譜 嘉 靖 十 一 年 正 月 条 に 以 下 の 記 載 がある 正 月 門 人 方 獻 夫 合 同 志 會 於 京 師 自 師 沒 桂 蕚 在 朝 學 禁 方 嚴 薛 侃 等 既 遭 罪 譴 京 師 諱 言 學 至 是 年 編 修 歐 陽 徳 程 文 徳 楊 名 在 翰 林 侍 郎 黄 宗 明 在 兵 部 戚 賢 魏 良 弼 沈 謐 等 在 科 與 大 學 士 方 獻 夫 俱 主 會 於 時 黄 綰 以 進 表 入 洪 畿 以 趨 廷 對 入 與 林 春 林 大 欽 徐 樾 朱 衡 王 惟 賢 傅 頥 等 四 十 餘 人 始 定 日 會 之 期 聚 於 慶 壽 山 房

8 正 月 門 人 方 獻 夫 同 志 を 合 して 京 師 に 會 す 師 没 してより 桂 萼 朝 に 在 り 學 禁 方 に 厳 なり 薛 侃 ら 既 に 罪 譴 に 遭 えば 京 師 學 を 言 うを 諱 む 是 の 年 に 至 り 編 修 歐 陽 德 程 文 德 楊 名 は 翰 林 に 在 り 侍 郎 黃 宗 明 は 兵 部 に 在 り 戚 賢 魏 良 弼 沈 謐 等 は 科 に 在 り 大 學 士 方 獻 夫 と 倶 に 會 を 主 る 時 に 黃 綰 は 表 を 進 むるを 以 て 入 り 洪 畿 は 廷 對 に 趨 くを 以 て 入 り 林 春 林 大 欽 徐 樾 朱 衡 王 惟 賢 傅 頤 ら 四 十 餘 人 と 始 めて 日 會 の 期 を 定 め 慶 壽 山 房 に 聚 まる これは 嘉 靖 十 一 年 の 正 月 に 北 京 にいた 陽 明 学 派 のメンバーがほぼ 全 員 集 まって 開 いた 会 合 の 記 録 である 参 加 者 の 筆 頭 格 は 大 学 士 となって 入 閣 していた 方 獻 夫 であり 17 その 総 数 は 四 十 余 り に 及 んでいた その 前 の 年 の 八 月 に 桂 萼 が 死 去 したため 朝 廷 の 陽 明 学 への 高 圧 的 な 姿 勢 が 多 少 緩 んだのであろう そしてこの 年 には 多 くの 若 手 の 陽 明 学 者 たちが 会 試 のため 上 京 していたの である 会 合 の 参 加 者 には 方 獻 夫 黄 綰 黄 宗 明 のほか 翰 林 院 の 官 僚 であった 歐 陽 徳 程 文 徳 楊 名 言 官 の 戚 賢 魏 良 弼 沈 謐 が 含 まれている 歐 陽 徳 魏 良 弼 は 嘉 靖 二 年 の 進 士 であり 戚 賢 は 嘉 靖 五 年 の 進 士 であり 程 文 徳 楊 名 沈 謐 は 嘉 靖 八 年 の 進 士 である 彼 らは 陽 明 学 第 二 世 代 に 当 たり 楊 名 を 除 いてすべて 王 陽 明 の 直 弟 子 である 18 さらにこの 嘉 靖 十 一 年 に 王 陽 明 晩 年 の 高 弟 銭 徳 洪 王 畿 を 始 めとする 多 くの 陽 明 学 第 二 世 代 ないし 第 三 世 代 の 者 たちが 進 士 とな った 19 さらに 以 上 の 引 用 文 に 名 前 が 出 ていないがこの 時 期 に 中 央 の 官 僚 となっていた 陽 明 学 20 者 としては 嘉 靖 八 年 の 状 元 羅 洪 先 などがいる 閣 臣 から 侍 郎 翰 林 言 官 さらに 新 人 の 進 士 までを 含 むこの 顔 ぶれは 実 に 豪 華 なものであるが しかしこの 陽 明 学 者 の 一 団 が 擁 する 希 望 の 星 の 多 くは やがて 様 々な 事 件 を 起 こした 末 無 念 にも 墜 落 したのである 嘉 靖 十 年 に 王 陽 明 の 弟 子 薛 侃 が 張 璁 側 の 陰 謀 に 巻 き 込 まれて 失 脚 した 宗 室 から 一 人 を 選 ん で 守 城 王 として 北 京 に 常 駐 させようという 上 奏 は 幼 い 太 子 をなくしたばかりの 世 宗 からは 宗 室 と 結 託 した 行 為 に 見 え 当 然 世 宗 の 激 怒 を 招 いたのである そして 張 璁 は 薛 侃 の 上 疏 提 出 前 にその 内 容 を 世 宗 に 報 告 した 際 に 歐 陽 徳 もこの 上 疏 を 見 ており しかも 提 出 に 賛 成 したともい った 21 この 事 件 で 薛 侃 が 官 籍 を 剥 奪 されてから 京 師 は 学 を 言 うを 諱 む ようになったと 前 に 引 用 した 年 譜 の 記 述 は 述 べている このような 空 気 が 漂 っていたにもかかわらず 若 手 の 陽 明 学 派 の 官 僚 たちはその 後 独 裁 者 の 本 性 をあらわにした 張 璁 そして 世 宗 に 敢 えて 挑 み 続 け た 嘉 靖 十 一 年 の 八 月 に 魏 良 弼 が 彗 星 が 東 方 に 現 れたのを 理 由 に 張 璁 を 弾 劾 し 同 僚 の 助 力 を 得 て 後 者 を 一 時 失 脚 に 追 い 込 んだ 暫 く 経 って 汪 鋐 をも 弾 劾 した 張 璁 が 復 活 した 後 魏 良 弼 は ついに 二 人 に 報 復 され 官 籍 を 剥 奪 されたのである 22 同 じく 嘉 靖 十 一 年 の 十 月 にまた 彗 星 が 現 れ これをきっかけに 楊 名 が 上 疏 して 世 宗 のわがままぶりを 批 判 し その 後 にまた 上 疏 して 汪 鋐 などを 弾 劾 し 大 礼 の 議 で 罪 を 得 た 者 たちの 再 起 用 を 求 め そして 世 宗 が 道 教 に 熱 中 して 道 士 を 信 用 していたことを 批 判 した これで 楊 名 は 詔 獄 に 下 された 汪 鋐 が 反 撃 して 同 郷 であるこ とを 理 由 に 楊 名 を 楊 廷 和 の 一 党 とすると 世 宗 は 首 謀 者 を 探 し 出 すために 楊 名 を 拷 問 にかけた

9 結 局 楊 名 は 首 謀 者 こそ 白 状 しなかったが 上 疏 をかつて 程 文 徳 に 見 せたと 認 めた これで 程 文 徳 も 詔 獄 に 下 された さらに 黄 宗 明 そして 同 じく 王 陽 明 の 弟 子 である 黄 直 が 楊 名 を 救 おうとして ともに 詔 獄 に 下 された 23 楊 名 は 衛 所 に 流 放 され 帰 郷 を 許 された 後 は 再 び 起 用 されることがな かった 黄 直 も 衛 所 に 流 放 され 黄 宗 明 程 文 徳 は 地 方 に 左 遷 された これらの 事 件 を 含 む 衝 突 が 原 因 で 陽 明 学 派 の 官 僚 たちは 張 璁 汪 鋐 らに 明 確 に 狙 われるようになった 嘉 靖 十 三 年 に 前 述 した 黄 綰 鄒 守 益 そして 季 本 が 攻 撃 を 仕 掛 けられると 歐 陽 徳 はその 弟 への 手 紙 において いままでの 陽 明 学 派 と 張 璁 側 との 衝 突 を 顧 み そして 官 職 を 捨 てて 帰 郷 する 意 思 を 伝 えた 24 当 時 の 中 央 政 界 での 雰 囲 気 の 険 悪 さが この 手 紙 から 窺 える 嘉 靖 十 四 年 に 張 璁 はついに 政 界 から 姿 を 消 し 夏 言 が 世 宗 にもっとも 信 用 される 大 臣 となった 張 璁 の 引 退 から 暫 く 経 つと 夏 言 が 入 閣 し 嘉 靖 十 八 年 から 首 輔 となった もともと 夏 言 は 張 璁 の 対 抗 馬 として 台 頭 してきた 人 物 であり 官 僚 たちの 間 では 頗 る 人 気 があった 25 が それでも 陽 明 学 派 から 顰 蹙 を 買 わずにはいられなかった 今 回 首 輔 への 批 判 を 展 開 したのが 戚 賢 である この 戚 賢 は 嘉 靖 十 四 年 に 張 璁 と 汪 鋐 を 弾 劾 して 二 人 を 政 界 から 追 い 出 すのに 一 役 買 った 人 物 でもあ る 26 そして 会 試 の 年 に 当 たる 嘉 靖 二 十 年 に 世 宗 は 皇 太 子 が 成 長 したのを 祝 うためこの 年 の 進 士 から 庶 吉 士 を 選 ぼうとした その 人 選 を 任 された 夏 言 をこの 機 会 を 利 用 し またもや 従 来 のや り 方 で 個 人 勢 力 の 拡 大 を 図 ろうとしたところ 当 時 刑 科 の 都 給 事 中 だった 戚 賢 に 厳 しく 糾 弾 され 結 局 世 宗 は 戚 賢 の 請 求 に 従 い 科 挙 の 成 績 ではなく 人 望 によって 庶 吉 士 の 人 選 を 確 定 した 27 夏 言 が 首 輔 となってから 初 めての 会 試 殿 試 であるだけに 彼 への 打 撃 も 相 当 のものであったろ う やがて 太 廟 に 火 災 が 発 生 したのを 機 に 戚 賢 は 世 宗 の 信 用 を 得 ていた 武 定 侯 郭 勛 などを 弾 劾 し そして 多 くの 官 僚 を 推 薦 した その 中 には 王 畿 程 文 徳 徐 樾 馬 明 衡 魏 良 弼 王 臣 な どの 陽 明 学 者 が 含 まれている 程 文 徳 魏 良 弼 らは 前 述 したように 嘗 て 世 宗 の 怒 りを 買 った 人 物 である そして 王 畿 はこの 前 彼 を 太 子 の 属 官 に 抜 擢 しようとした 夏 言 の 意 向 を 拒 否 し その 恨 みを 買 った 28 戚 賢 の 推 薦 を 好 機 として 夏 言 が 処 理 意 見 を 作 成 する 際 に 偽 学 の 小 人 党 同 し て 妄 りに 薦 す と 述 べると 果 たして 世 宗 の 敏 感 な 神 経 に 触 れ 戚 賢 は 地 方 に 左 遷 させられた 上 推 薦 された 者 たち 全 員 に 奪 俸 の 処 分 が 下 された 戚 賢 はやがて 自 ら 致 仕 を 願 い 出 て 帰 郷 した 29 王 畿 も 翌 年 に 夏 言 の 意 向 を 受 けた 吏 部 から 免 職 の 処 分 を 受 けた 30 その 後 王 畿 は 官 界 に 復 帰 す ることなく 亡 くなるまでの 四 十 年 余 りの 間 に 各 地 を 回 り 続 けて 陽 明 学 を 講 論 し 講 学 の 一 大 巨 頭 となった 夏 言 に 恨 まれる 者 のほか 世 宗 から 直 接 怒 りを 買 う 人 物 もいた 嘉 靖 十 九 年 に 太 子 の 属 官 だっ た 羅 洪 先 唐 順 之 そして 趙 時 春 ら 三 人 は 世 宗 に 対 し 来 年 の 春 に 皇 太 子 に 大 臣 たちの 謁 見 を 受 け させるよう 上 請 した 当 時 世 宗 は 病 気 がちで この 要 請 は 自 分 の 死 を 確 実 視 しているとして 激 怒 し 三 人 の 官 籍 を 剥 奪 した 31 唐 順 之 は 羅 洪 先 と 同 じく 嘉 靖 八 年 の 進 士 である 文 士 として 名 高 いほか 陽 明 学 者 でもあり 王 畿 から 陽 明 学 を 学 んだという 32 また 戚 賢 が 郭 勛 を 弾 劾 してか

10 ら 暫 くして 郭 勛 は 一 時 的 に 世 宗 の 歓 心 を 失 い 詔 獄 に 下 された 当 時 刑 部 の 郎 中 だった 銭 徳 洪 が 案 件 の 審 理 に 当 たり 郭 勛 を 死 刑 に 処 そうとしたが かえって 気 が 変 わって 郭 勛 を 庇 おうとした 世 宗 によって 詔 獄 に 下 され やがて 官 籍 を 剥 奪 された 33 銭 徳 洪 は 帰 郷 してから 王 畿 と 同 じく 各 地 での 講 学 に 余 生 を 費 やした 嘉 靖 二 十 年 頃 までは 総 じて 陽 明 学 派 の 政 界 での 不 遇 は 続 いていた この 時 期 の 陽 明 学 派 の 主 力 である 陽 明 学 第 二 世 代 は 嘉 靖 の 始 めのように 高 位 を 占 めることなく 次 々に 重 い 打 撃 を 被 っ た 彼 らは 理 想 主 義 の 気 質 が 色 濃 く 険 悪 な 政 治 環 境 の 中 でも 依 然 として 官 僚 集 団 に 理 想 の 秩 序 をもたらすことができないどころか ますます 恣 意 的 となって 独 裁 に 走 る 首 輔 そして 天 子 に 敢 えて 挑 み 続 けた 特 に 戚 賢 の 夏 言 に 対 する 弾 劾 から 嘉 靖 初 年 に 王 陽 明 が 掲 げた 理 念 を 彼 らがな お 受 け 継 いでいたことが 明 確 に 見 て 取 れる しかしそれゆえに 彼 らは 非 常 に 高 い 代 償 を 払 わざる を 得 なかった 朝 廷 の 陽 明 学 に 対 する 高 圧 的 な 姿 勢 は 一 向 に 解 けず 34 陽 明 学 派 は 中 央 政 界 で 全 滅 する 危 険 にさらされていたのである しかし やがて 情 勢 が 変 わり 陽 明 学 派 は 大 きな 転 機 を 迎 えたのである 第 二 節 徐 階 の 登 場 と 厳 嵩 時 代 嘉 靖 三 十 二 年 から 北 京 では 盛 大 な 陽 明 学 の 講 会 が 開 かれるようになった 及 在 政 府 爲 講 會 於 靈 濟 宮 使 南 野 雙 江 松 溪 程 文 德 分 主 之 學 徒 雲 集 至 千 人 其 時 癸 丑 甲 寅 爲 自 來 未 有 之 盛 政 府 に 在 るに 及 び 講 會 を 靈 濟 宮 に 爲 し 南 野 雙 江 松 溪 程 文 德 をして 之 を 分 主 せしめ 學 徒 雲 集 すること 千 人 に 至 りし 其 の 時 は 癸 丑 甲 寅 自 來 未 だ 有 らざるの 盛 なり これは 明 儒 学 案 巻 二 十 七 南 中 王 門 学 案 三 文 貞 徐 存 斎 先 生 階 の 記 述 であるが 明 史 巻 二 百 八 十 三 儒 林 二 歐 陽 徳 伝 によれば この 霊 済 宮 という 道 教 の 寺 院 で 開 かれた 大 会 は 参 加 者 が 五 千 人 にも 及 んだという 講 会 を 主 催 したのは 当 時 の 閣 臣 徐 階 講 義 の 担 当 者 には 時 の 礼 部 尚 書 歐 陽 徳 と 兵 部 尚 書 聶 豹 などがいた 関 係 者 の 官 位 の 高 さといい 参 加 者 の 人 数 といい 確 かに 明 儒 学 案 がいうように 陽 明 学 の 講 会 としては 空 前 のものであり 正 にこ の 事 件 が 陽 明 学 派 の 華 やかな 全 盛 時 代 の 到 来 を 告 げたのである これより 五 年 前 の 嘉 靖 二 十 七 年 に 夏 言 が 棄 市 されるという 悲 惨 な 死 を 遂 げ 代 わりに 厳 嵩 が 首 輔 となった 嘉 靖 三 十 年 に 徐 階 が 入 閣 を 果 たし 以 来 陽 明 学 は 政 界 で 着 々と 地 歩 を 固 めてい った よってこの 陽 明 学 派 の 大 復 興 を 語 るには 当 然 その 張 本 人 である 徐 階 がキーパーソンとなる そしてその 個 人 的 経 歴 から 見 て 取 れるのは 一 陽 明 学 者 として 取 り 得 た 行 動 だけでなく 陽 明 学 派 の 復 興 をもたらした 様 々な 政 治 環 境 の 変 化 なのである

11 35 本 論 が 徐 階 について 論 じるに 当 たり もっとも 参 考 としたのは 中 純 夫 氏 の 論 文 徐 階 研 究 である 以 下 は 徐 階 の 政 界 での 足 跡 を 軸 に 陽 明 学 が 全 盛 時 代 まで 辿 った 道 程 を 概 観 する 徐 階 ( 字 は 子 升 号 は 少 湖 存 斎 )は 南 直 隷 松 江 府 華 亭 県 の 人 嘉 靖 二 年 の 進 士 である 殿 試 で 第 一 甲 第 三 名 という 好 成 績 を 収 めたので 翰 林 院 の 編 修 を 授 けられた 一 般 的 に 徐 階 の 陽 明 学 思 想 は 彼 が 生 員 だった 頃 に 華 亭 の 知 県 を 務 めた 陽 明 学 者 聶 豹 に 伝 授 されたと 言 われているが しかし 中 氏 の 考 証 によれば 実 は 登 第 後 に 同 年 の 進 士 歐 陽 徳 に 影 響 されたものである 彼 は 王 陽 明 とは 面 識 がなかった 徐 階 は 官 途 についてからまもなく 父 の 喪 に 服 するため 帰 郷 し 喪 が 明 けると 元 のポストに 復 帰 した 嘉 靖 八 年 に 羅 洪 先 が 進 士 となると 彼 とも 講 学 の 仲 間 となった そして 翌 嘉 靖 九 年 に 徐 階 は 官 界 での 初 めての 挫 折 を 味 わうこととなる 時 に 世 宗 は 大 礼 の 議 で 勝 利 した 勢 いで さらに 自 分 自 身 の 権 威 を 高 めるために 一 連 の 礼 制 改 革 に 乗 り 出 した その 中 には 孔 子 の 礼 制 上 の 扱 いにまつわるものも 含 まれている 世 宗 の 意 を 受 けた 張 璁 は 孔 子 の 王 号 を 去 ってその 塑 像 を 木 主 に 替 え さらに 祭 祀 に 用 いられる 籩 豆 や 樂 舞 をも 縮 小 させるなど いわゆる 師 道 を 貶 めて 君 を 顕 彰 する 36 改 革 措 置 を 発 案 したが これに 対 し 徐 階 は 公 に 反 対 を 唱 えた これによって 彼 は 張 璁 の 怒 りを 買 ったのはもちろんのこと 天 子 の 逆 鱗 にも 触 れたのである 張 璁 に 呼 びつけられて 厳 しく 叱 責 された 37 上 世 宗 から 天 下 の 小 人 呼 ばわりされ 二 度 と 起 用 するなとの 命 令 が 下 される 38 ほどであった 結 局 この 件 で 徐 階 は 福 建 の 延 平 府 の 推 官 に 左 遷 され それから 九 年 間 に 渡 り 地 方 の 官 職 を 転 々とした 張 璁 に 叱 責 された 際 に 徐 階 は 自 分 は 初 めから 張 璁 に 付 き 従 ったことがないと 言 い 放 ち 39 彼 のこの 時 の 姿 勢 は 陽 明 学 第 二 世 代 のそれと 変 わらないものである さらに 翰 林 院 エリートとし 40 て 政 治 上 の 成 り 上 がり 者 である 張 璁 を 蔑 視 するという 大 礼 の 議 以 来 の 官 界 の 風 潮 とも 合 致 している 嘉 靖 十 八 年 の 五 月 に 徐 階 はついに 中 央 復 帰 を 果 たす 司 経 局 洗 馬 兼 翰 林 院 侍 読 を 拝 命 し 二 月 に 立 てられたばかりの 皇 太 子 の 属 官 となったのである この 時 に 鄒 守 益 も 同 じく 司 経 局 洗 馬 兼 翰 林 院 侍 読 を 授 かった この 二 つの 人 事 は 当 時 の 中 央 政 界 の 空 気 を 微 妙 に 反 映 している 蓋 し 徐 階 も 鄒 守 益 も かつて 重 大 な 問 題 で 世 宗 に 公 然 と 逆 らった 人 物 である しかし 長 く 退 けられて いたこの 二 人 が この 時 に 俄 かに 中 央 に 呼 び 戻 され しかもいきなり 太 子 の 属 官 に 任 じられたの である 太 子 の 属 官 はもともと 翰 林 院 官 僚 の 昇 進 ルートにあるポストである そして 徐 階 も 鄒 守 益 も もともとは 翰 林 院 の 官 僚 であった 太 子 の 属 官 とともに 二 人 は 翰 林 院 の 侍 読 を 合 わせて 拝 命 したことは その 従 来 の 内 閣 翰 林 院 体 制 下 で 持 つべきキャリアを 歩 む 権 利 を 完 全 に 認 められ たことを 意 味 している 二 人 を 含 む 人 々を 推 薦 したのは 吏 部 尚 書 の 許 讃 である 41 が 官 界 での 支 持 基 盤 を 固 めるため 張 璁 と 対 抗 し 大 礼 の 議 で 退 けられた 者 たちをも 復 活 させようとして 42 いた 当 時 の 首 輔 夏 言 にとっても 二 人 の 起 用 は 意 に 沿 ったものであったろう 明 史 巻 二

12 百 十 三 徐 階 伝 で 夏 言 がかつて 徐 階 を 推 薦 したと 記 されているのは この 時 のことだった かもしれない 張 璁 が 政 界 から 消 えて 夏 言 の 時 代 になると 一 旦 強 引 に 攪 乱 された 従 来 の 官 界 の 秩 序 を 回 復 させようとする 動 きが 一 段 と 活 発 となってきた いくら 専 制 君 主 の 威 力 で 臣 下 たちを 睨 み 続 けた 世 宗 とはいえ 隙 を 見 つける 度 にあの 手 この 手 で 抵 抗 を 試 みる 官 僚 の 動 きは 封 じ 込 め 切 れなかったのである さて 中 氏 が 述 べているように 中 央 に 復 帰 してから 翌 年 に 母 の 訃 報 に 接 して 帰 郷 するまで 徐 階 は 一 年 足 らずの 間 に 鄒 守 益 そして 同 じく 太 子 の 属 官 だった 羅 洪 先 唐 順 之 とともに 中 央 の 官 僚 たちの 間 で 一 つの 講 学 グループを 結 成 しその 中 核 となっていたが やがて 仲 間 たちは 次 々 と 失 脚 した 羅 洪 先 唐 順 之 についてはすでに 第 一 節 で 述 べた 鄒 守 益 は 中 央 に 復 帰 してからも 以 前 と 同 じように 天 子 の 不 興 を 買 い 続 け やがて 夏 言 に 南 京 に 飛 ばされ 最 後 は 世 宗 に 免 職 され た 43 また 中 氏 によれば 徐 階 の 知 友 だった 王 与 齢 と 鄭 暁 も 嘉 靖 二 十 二 年 に 当 時 台 頭 してきた 厳 嵩 との 確 執 で 官 籍 剥 奪 か 左 遷 の 処 分 を 受 けたが そのうちの 鄭 暁 は 道 学 者 であったようである 44 そして 第 一 節 で 述 べたように 戚 賢 や 王 畿 銭 徳 洪 らが 夏 言 か 世 宗 から 不 興 を 買 って 相 次 いで 政 界 を 追 われた 中 徐 階 はほぼ 一 人 だけ 中 央 政 界 で 生 き 残 り 陽 明 学 派 の 命 脈 を 保 っていたのであ る これは 一 に 中 央 に 復 帰 してからの 徐 階 の 政 治 姿 勢 の 変 化 によるものである 中 氏 が 論 じたよ うに 徐 階 にとって 長 年 の 地 方 官 歴 任 はこたえた そこから 抜 け 出 してから 彼 は 若 かりし 頃 の 圭 角 をすっかりなくし 目 上 の 者 にはひたすら 低 い 姿 勢 を 取 るようになった 険 悪 な 官 界 で 生 き 残 るための 処 世 術 を 身 に 付 けたのである 45 それで 彼 は 夏 言 の 時 代 を 難 なく 過 ごし さらに 世 宗 が 熱 中 していた 道 教 の 儀 式 を 手 伝 うことで 天 子 の 歓 心 を 買 い やがて 幕 を 開 ける 厳 嵩 独 裁 の 時 代 も 生 き 抜 いた 厳 嵩 は 明 史 の 奸 臣 伝 に 入 れられるほど 明 の 政 治 史 において 悪 名 高 い 人 物 である ま た 彼 が 首 輔 として 振 るい 得 た 権 勢 も 空 前 なものであり 明 一 代 を 通 じてもその 右 に 出 るのは 張 居 正 くらいである 貪 忮 つまり 財 貨 への 貪 欲 さと 器 量 の 狭 さで 知 られていた 厳 嵩 46 が 夏 言 を 倒 して 首 輔 の 座 についてから 朝 政 をほぼ 壟 断 して 官 僚 人 事 をほしいままにし 彼 に 逆 らって 失 脚 した 者 は 数 え 切 れないほどである しかし こういう 情 勢 の 中 でも 陽 明 学 派 には 意 外 と 厳 嵩 への 接 近 を 果 たした 人 々がいる 何 良 俊 の 筆 記 である 四 友 斎 叢 説 の 巻 二 十 六 に 以 下 の 一 条 がある 余 在 都 見 雙 江 於 介 老 處 認 門 生 余 問 之 雙 江 曰 我 中 鄉 舉 時 李 空 同 做 提 學 甚 相 愛 起 身 會 試 往 別 之 空 同 曰 如 今 詞 章 之 學 翰 林 諸 公 嚴 惟 中 爲 最 汝 至 京 須 往 見 之 故 我 到 京 即 造 見 執 弟 子 禮 今 已 幾 四 十 年 矣 余 都 に 在 り 雙 江 介 老 の 處 に 門 生 を 認 むるを 見 る 余 之 に 問 い 雙 江 曰 く 我 鄉 舉 に 中 る ゆ 時 李 空 同 提 學 と 做 り 甚 だ 相 い 愛 す 會 試 に 起 身 し 往 きて 之 と 別 れれば 空 同 曰 く 如

13 今 詞 章 の 學 は 翰 林 の 諸 公 に 嚴 惟 中 は 最 たり 汝 京 に 至 れば 須 らく 往 きて 之 に 見 えるべし と 故 に 我 京 に 到 れば 即 ち 造 見 し 弟 子 の 禮 を 執 り 今 已 に 四 十 年 に 幾 し と 双 江 とは 徐 階 の 師 聶 豹 の 号 であり 介 老 とはつまり 厳 嵩 のことである 47 何 良 俊 によ れば 聶 豹 は 会 試 のために 上 京 してから 数 十 年 に 渡 り 厳 嵩 の 門 下 にいたのである 二 人 を 結 ぶの は 詞 章 の 学 つまり 詩 文 などの 文 学 である このエピソードから 厳 嵩 のもう 一 つの 側 面 を 見 ることができる 厳 嵩 は 弘 治 十 八 年 の 進 士 登 第 後 に 庶 吉 士 に 選 ばれ そして 翰 林 院 の 編 修 を 授 かった 当 時 は 李 夢 陽 などが 巻 き 起 こした 文 学 復 古 運 動 の 風 潮 の 盛 んなりし 頃 であり 文 士 の 淵 藪 である 翰 林 院 に 身 を 置 いていた 厳 嵩 が この 時 代 の 流 れから 逸 れることなどありえない その 文 学 力 は 以 上 の 引 用 文 が 述 べるように 李 夢 陽 から 翰 林 の 諸 人 に 冠 すると 評 されるほどであった やがて 帰 郷 し て 長 年 にわたる 読 書 生 活 を 送 る 中 でも 厳 嵩 は 文 壇 の 名 士 たちと 交 際 を 結 び 続 け 48 天 下 は 公 望 を 以 てこれに 帰 す 49 ほどまで 名 を 揚 げた 彼 が 故 郷 の 江 西 分 宜 県 に 鄕 居 していた 頃 に 交 際 を 持 った 一 人 が かつての 大 文 士 で 当 時 江 西 で 巡 撫 の 任 にあった 王 陽 明 であり 厳 嵩 の 書 斎 である 鈐 山 堂 の 額 は 王 陽 明 が 題 した 50 嘉 靖 三 十 年 代 に 出 版 された 厳 嵩 の 文 集 である 鈐 山 堂 集 の 首 を 飾 った 数 多 くの 序 文 の 中 に 湛 若 水 黄 綰 趙 貞 吉 によるものがある 51 いずれも 厳 嵩 の 文 才 を 讃 えるものである さらに 序 文 に 続 く 像 賛 の 中 には 歐 陽 徳 によるものがある 趙 貞 吉 は 嘉 靖 十 一 年 の 進 士 であり 明 儒 学 案 においては 泰 州 学 派 に 入 れられており 徐 樾 から 陽 明 学 を 伝 授 されたという 52 この 趙 貞 吉 はかつて 厳 嵩 を 批 判 したことで 一 度 失 脚 し その 後 は 厳 嵩 を 詩 文 での 我 が 朝 の 第 一 人 と 阿 ったことで 復 活 した 53 王 陽 明 の 時 からの 好 感 が 原 因 なのか そして 聶 豹 や 趙 貞 吉 らが 進 んで 厳 嵩 に 取 り 入 ったことも 大 きく 関 係 していたであろう 厳 嵩 は 多 くの 陽 明 学 者 と 陽 明 学 派 に 近 い 道 学 者 と 文 学 趣 味 を 通 じて 関 わりを 持 っていた かつて 文 士 として 厳 嵩 と 交 際 があった 唐 順 之 54 は 世 宗 に 官 籍 を 剥 奪 された 後 厳 嵩 に 再 起 用 されて 倭 寇 の 防 御 に 当 たったのである 55 そして 唐 順 之 と 親 しかった 羅 洪 先 は 厳 嵩 の 同 郷 でもあるゆえ 彼 にも 厳 嵩 から 再 起 用 の 声 がかかった 56 こういった 文 学 趣 味 や 士 人 を 籠 絡 する 上 手 さは 正 しくかつて 李 東 陽 などが 見 せた 内 閣 政 治 の 特 徴 である ゆえに 厳 嵩 が 政 権 を 掌 握 したことは ある 意 味 では 当 時 の 政 治 構 造 が 古 い 形 態 へ さらに 一 歩 近 づいたことでもある 明 史 の 文 苑 伝 に 入 れられるほどの 文 士 であった 何 良 俊 は 厳 嵩 の 才 を 憐 れみ 士 に 下 る ことを 評 価 する 一 方 その 政 治 上 の 悪 行 をすべて 子 の 厳 世 蕃 のせいにしている 57 厳 嵩 に 籠 絡 されていた 聶 豹 などの 陽 明 学 者 は なお 鄕 居 していたか 地 方 での 官 職 にあり 政 界 では 大 きな 役 割 を 果 たせなかった 中 徐 階 は 厳 嵩 の 妾 と 揶 揄 される 58 ほど 唯 々とした 態 度 を 取 りながら 極 めて 順 調 に 昇 進 していった 徐 階 の 昇 進 ルートを 見 ると 嘉 靖 二 十 六 年 に 吏 部 左 侍 郎 として 翰 林 院 学 士 を 兼 ねて 庶 吉 士 の 教 習 に 当 たらされ そして 嘉 靖 二 十 八 年 にかつて 翰 林 院 出 身 者 の 専 属 ポストだった 礼 部 尚 書 に 任 じられた 天 子 の 歓 心 が 徐 階 に 戻 って

14 いたとはいえ これは 明 らかにかつての 内 閣 翰 林 院 体 制 下 の 翰 林 院 出 身 者 の 出 世 ルートである 嘉 靖 三 十 一 年 徐 階 がついに 内 閣 入 りを 果 たすより 少 し 前 に 歐 陽 徳 聶 豹 そして 程 文 徳 らが 相 次 いで 中 央 へ 復 帰 した それによって 嘉 靖 三 十 二 年 の 徐 階 による 大 規 模 な 講 会 の 開 催 が 可 能 と なったのである 厳 嵩 は 嘉 靖 四 十 一 年 まで 権 力 を 握 り 続 けたが それまでに 陽 明 学 への 弾 圧 や 陽 明 学 者 を 狙 った 攻 撃 などはついに 聞 かれなかった 第 三 節 陽 明 学 の 全 盛 期 嘉 靖 四 十 一 年 徐 階 はついに 失 脚 した 厳 嵩 に 代 わって 内 閣 の 首 輔 となり 出 世 の 階 段 を 上 り 詰 めた これに 伴 い 陽 明 学 の 流 行 もそのクライマックスを 迎 えた 万 暦 野 獲 編 は 嘉 靖 末 年 徐 華 亭 以 首 揆 爲 主 盟 一 時 趨 鶩 者 人 人 自 託 吾 道 凡 撫 臺 蒞 鎮 必 立 書 院 以 鳩 集 生 徒 冀 當 路 見 知 59 嘉 靖 の 末 年 徐 華 亭 首 揆 を 以 て 主 盟 と 爲 り 一 時 に 趨 鶩 する 者 は 人 人 自 ら 吾 が 道 を 託 す 凡 ねが そ 撫 臺 蒞 鎮 するに 必 ず 書 院 を 立 て 以 て 生 徒 を 鳩 集 し 當 路 に 知 らるるを 冀 う と 記 し 当 時 の 陽 明 学 の 流 行 ぶりを 伝 えている 北 京 での 大 規 模 な 講 会 も 引 き 続 き 徐 階 によっ て 開 催 されていた 60 このように 最 盛 期 にあった 陽 明 学 と 徐 階 が 政 権 を 掌 握 していた 時 期 の 政 治 情 勢 がいかに 関 係 していたのかは 自 ずと 本 論 の 解 明 しなければならないところとなるであろう まず 指 摘 しておきたいのは 徐 階 は 陽 明 学 を 奨 励 する 際 に はっきりとした 政 治 上 の 目 的 を 抱 いていた ということである つまり 徐 階 は 陽 明 学 を 奉 ずる 者 たちを 自 らの 政 権 の 支 持 基 盤 に しようとしたのである このことは 以 上 に 引 用 した 万 暦 野 獲 編 の 記 述 からも 窺 えるが ま た 次 のような 史 料 からも 見 て 取 れる 乙 丑 入 覲 謁 政 府 存 齋 徐 公 公 訪 以 時 務 師 曰 此 時 人 材 爲 急 欲 成 就 人 材 其 必 由 講 學 乎 公 是 之 遂 屬 師 合 部 寺 臺 省 及 覲 會 諸 賢 大 會 靈 濟 宮 徐 政 府 手 書 程 子 定 性 一 書 學 者 先 須 識 仁 一 條 令 長 子 携 至 會 所 兵 部 南 離 錢 公 出 次 朗 誦 諸 公 懇 師 申 說 師 亦 悉 心 推 演 聽 者 躍 然 乙 丑 に 入 覲 す 政 府 の 存 齋 徐 公 に 謁 す 公 訪 ねるに 時 務 を 以 てし 師 曰 く 此 の 時 に 人 材 を 急 と 爲 す 人 材 を 成 就 せんと 欲 すれば 其 れ 必 ず 講 學 に 由 らんか と 公 之 を 是 とし 遂 に 師 に 屬 して 部 寺 臺 省 及 び 覲 會 の 諸 賢 を 合 わせ 靈 濟 宮 に 大 會 せしむ 徐 政 府 手 ずから 程 子 定 性 一 書 の 學 者 先 須 識 仁 の 一 條 を 書 き 長 子 をして 携 えて 會 所 に 至 らしめ 兵 部 南 離 錢 公 出 ねが 次 して 朗 誦 す 諸 公 師 の 申 說 するを 懇 い 師 も 亦 た 悉 心 にして 推 演 し 聽 者 躍 然 たり これは 徐 階 が 内 閣 にいた 時 期 に 頭 角 を 現 してきた 陽 明 学 者 羅 汝 芳 についての 記 録 である 61 羅 汝 芳 は 明 儒 学 案 では 泰 州 学 派 に 入 れられ 顔 山 農 の 弟 子 とされている 62 乙 丑 は 嘉 靖 四 十 四 年 に 当 たる この 年 に 入 覲 のため 上 京 した 羅 汝 芳 は 徐 階 に 時 務 について 尋 ねられた

15 際 に 講 学 によって 人 材 を 成 就 せよと 勧 めた 徐 階 は 羅 汝 芳 に 賛 同 し 霊 済 宮 での 大 規 模 な 講 会 の 開 催 を 彼 に 託 したという 講 学 で 人 材 を 育 てる 云 々は 当 然 一 種 の 美 化 である この 講 会 に 参 加 したのは 部 寺 台 省 および 覲 会 の 諸 賢 つまり 中 央 の 各 部 署 の 官 僚 と 業 績 評 定 の ため 北 京 に 来 ていた 地 方 の 官 僚 であることから 徐 階 と 羅 汝 芳 の 意 図 が 見 抜 けるであろう 彼 ら は 中 央 地 方 の 官 僚 の 中 で できるだけ 自 らの 思 想 理 念 に 同 調 する 者 を 見 つけ 出 し それらを 人 材 として 使 おうとしたのである 徐 階 が 北 京 で 開 催 した 講 会 の 多 くは 会 試 と 入 覲 の 年 を 選 んで 行 われた 63 事 実 を 考 えれば このことは 一 層 明 らかである この 羅 汝 芳 は 会 試 に 合 格 した 嘉 靖 三 十 二 年 にも 徐 階 主 催 の 霊 済 宮 大 会 に 参 加 していた 当 時 の 状 況 は 盱 壇 直 詮 下 巻 ではこのように 記 されている 癸 丑 廷 試 中 式 時 內 閣 存 齋 徐 公 部 院 雙 江 聶 公 南 野 歐 陽 公 儼 山 周 公 皆 以 興 起 斯 學 爲 己 任 者 乃 定 會 所 於 靈 濟 宮 師 集 同 年 桂 岩 顧 公 近 麓 李 公 洞 陽 柳 公 望 山 向 公 一 吾 李 公 會 試 同 年 昆 湖 瞿 公 澤 峰 吳 公 渾 庵 戴 公 少 龍 賀 公 敬 所 王 公 舊 同 志 善 山 何 公 西 吾 張 64 公 吉 陽 何 公 浮 峰 張 公 芳 麓 王 公 數 十 百 人 連 講 兩 月 人 心 翕 然 癸 丑 廷 試 して 式 に 中 る 時 に 內 閣 存 齋 徐 公 部 院 雙 江 聶 公 南 野 歐 陽 公 儼 山 周 公 は 皆 な 斯 學 を 興 起 するを 以 て 己 の 任 と 爲 す 者 なれば 乃 ち 會 所 を 靈 濟 宮 に 定 む 師 同 年 の 桂 岩 顧 公 近 麓 李 公 洞 陽 柳 公 望 山 向 公 一 吾 李 公 會 試 同 年 の 昆 湖 瞿 公 澤 峰 吳 公 渾 庵 戴 公 少 龍 賀 公 敬 所 王 公 舊 同 志 の 善 山 何 公 西 吾 張 公 吉 陽 何 公 浮 峰 張 公 芳 麓 王 公 を 集 め 數 十 百 人 にして 連 講 すること 兩 月 人 心 翕 然 たり 内 閣 に 入 ったばかりの 徐 階 と 聶 豹 や 歐 陽 徳 などの 陽 明 学 の 重 鎮 たちが 講 会 を 開 くと 羅 汝 芳 は 鄕 試 と 会 試 での 同 年 や 旧 来 の 知 人 などを 大 勢 集 め 講 会 に 連 れて 行 った この 中 の 敬 所 王 公 つまり 王 宗 沐 吉 陽 何 公 つまり 何 遷 などは 明 儒 学 案 でも 伝 を 立 てられている 人 物 であ る 65 羅 汝 芳 はその 後 北 京 で 務 めていた 頃 には 多 くの 官 僚 たちを 集 めて 日 々 学 を 講 じた 66 そ して 嘉 靖 四 十 一 年 に 地 方 官 に 転 出 した 際 に 徐 階 が 彼 をよいポストに 充 てようとしたが 成 功 せず それで 気 がふさいでいた というエピソードが 伝 えられている 67 厳 嵩 が 失 脚 したのはこの 年 の 五 月 であるから この 頃 に 徐 階 はまだ 首 輔 になっていないか あるいは 首 輔 となったばかりで 人 事 権 を 掌 握 しきれていなかったのであろう そして 羅 汝 芳 が 南 直 隷 の 寧 国 府 に 地 方 官 として 赴 任 すると そこで 講 会 を 大 々 的 に 挙 行 したことはいうまでもない 68 徐 階 がこれほど 陽 明 学 を 奨 励 することで 人 心 を 収 めようとしたのは 彼 自 身 が 陽 明 学 者 である ほか 陽 明 学 派 の 勢 力 の 拡 大 という 現 実 的 な 要 因 が 大 きく 働 いたのであろう 王 陽 明 の 死 から 朝 廷 が 長 きにわたって 陽 明 学 を 弾 圧 する 姿 勢 を 示 し 中 央 での 陽 明 学 者 たちが 痛 手 を 負 ったにも かかわらず 一 方 の 地 方 では 陽 明 学 が 影 響 力 を 伸 ばし 続 けてきた 王 陽 明 の 死 後 陽 明 学 派 の 組 織 拡 大 が 一 貫 して 見 られる 中 央 からの 圧 力 が 弱 まると その 勢 いが 更 に 加 速 したことは 想 像 に 難 くない 大 物 の 陽 明 学 者 は 地 方 と 官 界 で 多 くの 弟 子 門 生 を 抱 えるほか その 名 が 天 下 に 知 れ 渡

16 っていた また 学 派 の 若 手 たちも やがて 続 々と 官 界 入 りして 地 位 を 高 めていく これらの 人 々をうまく 籠 絡 すれば 政 界 で 一 つの 有 力 な 支 持 基 盤 を 獲 得 できる それゆえ 徐 階 は 地 方 官 の 時 代 から 積 極 的 に 陽 明 学 の 影 響 力 拡 大 に 尽 力 した 69 嘉 靖 三 十 二 年 の 霊 済 宮 での 講 会 は 歐 陽 徳 や 聶 豹 などの 大 物 が 参 加 したことで 空 前 の 盛 況 を 呈 した この 中 でも 歐 陽 徳 は 特 に 影 響 力 が 強 く その 門 人 は 天 下 に 半 す と 言 われるほどであ り しかも 当 時 は 礼 部 尚 書 の 任 にあった 70 一 方 嘉 靖 三 十 七 年 に 何 遷 の 主 宰 で 講 会 が 行 なわれ ると 満 足 の 行 く 結 果 は 収 められなかった それは 端 的 に 何 遷 の 名 位 がそれほどのもので はなかったからである 71 これらの 事 実 は 徐 階 が 自 ら 陽 明 学 者 であり しかも 内 閣 入 りを 果 た していたにもかかわらず 彼 一 人 ではとても 人 心 を 収 めきれず 歐 陽 徳 のような 名 望 と 地 位 のあ る 人 物 から 力 を 借 りなければならなかったことを 示 している 故 に 彼 も 努 めて 自 らの 政 治 力 によ って 重 要 な 陽 明 学 者 たちの 名 望 と 地 位 を 高 めようとしたのである 聶 豹 が 兵 部 尚 書 に 起 用 された のは 徐 階 の 推 薦 によるものであり 死 後 は 首 輔 となった 徐 階 から 手 厚 い 礼 遇 を 贈 られた 王 畿 の ような 考 察 で 退 けられ 官 界 復 帰 の 見 込 みのない 人 物 の 場 合 でも 徐 階 は 極 力 その 名 声 を 高 めよ うとした 72 支 持 基 盤 を 固 めるための 徐 階 のこの 戦 術 は 成 功 を 収 めた 前 に 引 用 した 万 暦 野 獲 編 の 記 述 から 当 時 の 各 地 方 の 官 僚 が 一 斉 に 書 院 を 建 設 して 徐 階 の 機 嫌 を 取 ろうとしたことがわかり そ して 中 央 の 高 官 たちも 徐 階 が 主 催 する 講 会 を 手 伝 うようになった 王 畿 がかつて 嘉 靖 四 十 四 年 の 講 会 について 公 首 命 述 職 諸 司 及 計 偕 諸 士 凡 同 志 者 先 後 大 會 於 靈 濟 宮 時 以 直 廬 不 能 出 屬 宗 伯 李 公 少 宰 朱 公 中 丞 毛 公 分 主 會 事 73 公 首 めて 述 職 の 諸 司 及 び 計 偕 の 諸 士 に 命 じ 凡 そ 同 志 たる 者 は 先 後 に 靈 濟 宮 に 大 會 せよと あた 時 に 廬 に 直 るを 以 て 出 づる 能 わざれば 宗 伯 李 公 少 宰 朱 公 中 丞 毛 公 に 屬 して 會 事 を 分 主 せしむ と 述 べているが 宗 伯 李 公 とは 当 時 の 礼 部 尚 書 李 春 芳 少 宰 朱 公 は 当 時 の 吏 部 侍 郎 朱 衡 中 丞 毛 公 は 当 時 の 都 御 史 毛 愷 である 74 この 中 で 李 春 芳 は 南 京 の 国 子 監 で 湛 若 水 と 歐 陽 徳 に 学 んだことがあり この 年 に 徐 階 の 推 薦 で 入 閣 した 75 こういった 表 舞 台 での 徐 階 の 支 持 者 集 めが 陽 明 学 を 介 して 行 われたと 同 時 に その 裏 側 の 政 治 的 駆 け 引 きでも 陽 明 学 人 脈 は 彼 の 強 みとなった この 裏 人 脈 の 最 大 の 見 せ 場 は 厳 嵩 の 失 脚 劇 である 明 儒 学 案 巻 三 十 二 泰 州 学 案 一 はこのように 記 している 心 隱 在 京 師 闢 各 門 會 館 招 來 四 方 之 士 方 技 雜 流 無 不 從 之 是 時 政 由 嚴 氏 忠 臣 坐 死 者 相 望 卒 莫 能 動 有 藍 道 行 者 以 乩 術 幸 上 心 隱 授 以 密 計 偵 知 嵩 有 揭 帖 乩 神 降 語 今 日 當 有 一 奸 臣 言 事 上 方 遲 之 而 嵩 揭 至 上 由 此 疑 嵩 御 史 鄒 應 龍 因 論 嵩 敗 之

17 心 隱 京 師 に 在 り 各 門 會 館 を 闢 き 四 方 の 士 を 招 來 し 方 技 雜 流 は 之 に 從 わざる 無 し 是 の 時 に 政 は 嚴 氏 に 由 り 忠 臣 坐 して 死 する 者 相 い 望 むも 卒 に 能 く 動 かす 莫 し 藍 道 行 なる 者 有 り 乩 術 を 以 て 上 に 幸 せらる 心 隱 授 けるに 密 計 を 以 てし 嵩 に 揭 帖 有 るを 偵 知 し 乩 神 ま して 語 を 降 し 今 日 當 に 一 奸 臣 有 りて 事 を 言 うべしと 上 方 に 之 を 遲 てば 嵩 の 揭 至 り 上 やぶ 此 れに 由 りて 嵩 を 疑 う 御 史 鄒 應 龍 因 りて 嵩 を 論 じて 之 を 敗 る 心 隠 とはつまり 何 心 隠 のことである 彼 は 世 宗 の 信 任 を 得 ていた 道 士 の 藍 道 行 の 手 を 借 りて 神 託 と 偽 って 世 宗 と 厳 嵩 を 離 間 した この 事 件 が 厳 嵩 失 脚 の 決 め 手 となったのである 何 心 隠 はもともと 江 西 吉 安 府 永 豊 県 の 挙 人 本 名 は 梁 汝 元 である 顔 山 農 に 入 門 し 泰 州 一 派 の 学 問 を 伝 えた 若 い 頃 には 郷 里 に 宗 族 のための 学 校 を 興 し また 納 税 共 同 体 を 組 織 するなど 色 々と 社 会 活 動 をした その 後 県 令 との 齟 齬 で 獄 に 投 じられたが 何 遷 そして 程 学 顔 という 陽 明 学 派 官 僚 などの 力 で 救 い 出 され 一 旦 は 胡 宗 憲 の 幕 府 に 入 った それから 南 京 に 行 って 程 学 顔 と 遊 び また 程 学 顔 に 従 い 上 京 した 北 京 で 彼 は 羅 汝 芳 や 羅 汝 芳 と 同 じく 徐 階 の 傘 下 にいた 新 進 の 陽 明 学 派 官 僚 耿 定 向 と 交 際 したが 特 に 耿 定 向 とは 親 密 だったようである 76 明 儒 学 案 が 記 しているように 何 心 隠 は 北 京 で 方 技 雑 流 を 大 勢 招 き 集 めていた その 中 に 藍 道 行 も 含 まれているであろう 厳 嵩 失 脚 の 件 から 彼 はこれらの 方 技 雑 流 を 利 用 し いろいろと 裏 で 政 治 に 関 わったと 推 察 できる 耿 定 向 が 北 京 では 同 郷 の 官 僚 たちでも 何 心 隠 を 避 けようとしたと 記 している 77 のは 正 に 彼 が 政 界 で 裏 工 作 をやっていたからであろう 藍 道 行 事 件 については 当 時 の 人 々は 皆 徐 階 の 指 図 によるものと 伝 えていたという 78 徐 階 は 羅 汝 芳 や 耿 定 向 などを 介 して 何 心 隠 と 知 り 合 ったのであろう 藍 道 行 事 件 以 前 の 嘉 靖 三 十 九 年 に 耿 定 向 はすでに 厳 嵩 の 息 がかかった 吏 部 尚 書 呉 鵬 を 弾 劾 し 厳 嵩 から 睨 まれていた 79 羅 汝 芳 と 何 心 隠 の 師 に 当 たる 顔 山 農 ( 名 は 鈞 江 西 吉 安 府 永 新 県 の 人 )も 何 心 隠 と 同 じく 若 い 頃 に 郷 里 で 宗 族 を 教 化 する 組 織 を 立 ち 上 げ その 後 は 各 地 で 心 火 を 治 療 するなどと 称 し 宗 教 的 な 修 業 法 で 信 者 を 集 めていた 80 その 後 は 王 艮 の 弟 子 である 徐 樾 そして 王 艮 本 人 に 学 び 一 布 衣 でありながら 羅 汝 芳 のような 官 僚 士 大 夫 を 弟 子 として 擁 し そして 陽 明 学 人 脈 で 多 くの 官 僚 と 交 際 した 彼 はかつて 北 京 で 徐 階 に 招 かれ その 講 会 で 講 演 したと 自 称 している 81 そして 彼 が 嘉 靖 二 十 三 年 に 北 京 で 集 めた 信 従 者 たちの 中 には 藍 道 行 事 件 の 直 後 に 厳 嵩 を 弾 劾 して それを 失 脚 に 追 い 込 んだ 鄒 応 龍 の 名 前 がある 82 さて 内 閣 が 陽 明 学 を 大 々 的 に 奨 励 し 陽 明 学 派 の 官 僚 を 自 らの 支 持 基 盤 としたことは 明 の 歴 史 において 斬 新 な 事 態 であり 嘉 靖 の 初 めに 世 宗 支 持 派 が 政 権 を 取 った 頃 にも このような 事 態 は 現 れなかった 陽 明 学 派 の 勢 力 を 中 央 まで 広 く 吸 い 上 げてそれを 頼 りとしていたことは 果 たして 徐 階 政 権 の 性 質 に 何 らかの 影 響 を 与 えなかったのであろうか 嘉 靖 初 年 の 状 況 からわかるように もともと 陽 明 学 は 政 治 において 反 内 閣 的 な 傾 向 を 持 って いた 従 来 の 内 閣 翰 林 院 体 制 の 下 では 内 閣 がほとんど 翰 林 院 出 身 者 に 独 占 され さらに 六 部

18 などでの 重 要 なポストも 内 閣 傘 下 の 人 物 に 押 さえられ 内 閣 翰 林 院 とその 周 辺 にいる 勢 力 以 外 の 者 たちは 政 権 の 中 枢 部 から 事 実 上 永 久 的 に 締 め 出 されたのである 陽 明 学 派 のメンバーたち の 政 治 的 地 位 を 考 察 すると 王 陽 明 が 講 学 を 広 めてから 陽 明 学 を 奉 ずるようになったのは 地 方 の 生 員 か 中 下 級 の 官 僚 がほとんどで 王 陽 明 自 身 も 早 くから 内 閣 の 周 辺 から 脱 落 し そして その 後 は 内 閣 と 激 しく 対 立 するようになった 故 に 陽 明 学 は 内 閣 翰 林 院 体 制 下 で 抑 圧 される 立 場 に 置 かれていた 官 界 の 中 下 層 と さらにその 下 にいる 官 界 の 狭 き 門 に 苦 しむ 人 々を 中 心 に 受 容 されたといっても 過 言 ではない この 論 は 当 時 の 人 々の 観 察 からも 裏 付 けられる 例 えば 張 居 正 はかつて 昔 陽 明 先 生 昌 學 於 東 南 學 士 大 夫 或 頗 有 棄 而 不 信 而 閭 巷 之 儒 油 然 宗 焉 83 とな 昔 陽 明 先 生 學 を 東 南 に 昌 え 學 士 大 夫 或 いは 頗 る 棄 てて 信 ぜざる 有 るも 閭 巷 の 儒 は 油 然 と して 宗 とす と 述 べている 一 方 内 閣 とその 周 辺 がなす 政 界 の 上 層 部 では これまで 見 てきたように 文 学 趣 味 が 発 達 し やすい 嘉 靖 の 初 めから 陽 明 学 者 の 中 に 科 挙 で 好 成 績 を 収 め 翰 林 院 の 官 僚 に 選 ばれる 者 が 続 々 と 現 れ 始 め そして 徐 階 に 至 ってついに 内 閣 翰 林 院 体 制 の 頂 点 にまで 到 達 したが しかし 学 派 全 体 から 見 るとこのような 例 は 極 めて 稀 である 王 陽 明 の 死 後 各 地 での 陽 明 学 派 の 拡 張 は 地 方 官 ないし 経 師 さらに 生 員 に 主 導 されるケースが 多 く 84 さほど 高 位 高 官 となっておらず しかも 政 争 で 敗 れて 失 脚 した 陽 明 学 派 の 官 僚 が 帰 郷 すると たちまち 絶 大 な 影 響 力 を 見 せ 度 々 数 百 人 に 及 ぶ 会 合 を 組 織 した 85 生 員 層 を 政 界 の 最 下 層 と 見 なせば 徐 階 が 政 権 を 掌 握 した 時 期 にも 暗 躍 する 山 人 の 類 を 除 き 陽 明 学 派 のメンバーのほとんどは 政 界 の 中 下 層 の 人 々と 見 て 間 違 いないであろう 徐 階 はこれらの 人 々を 支 持 者 層 とした 以 上 勢 いとして 彼 らの 訴 えに 答 え なければならない そこで 徐 階 の 政 治 姿 勢 を 考 察 する 必 要 が 生 まれるのであるが これについてはすでに 城 地 孝 氏 の 研 究 があるため まずはこれを 利 用 することにする 城 地 氏 は 著 書 長 城 と 北 京 の 朝 政 明 代 内 閣 政 治 の 展 開 と 変 容 86 において 徐 階 の 政 治 運 営 の 方 針 について 検 討 している 87 氏 が 提 示 しているように 徐 階 は 分 権 公 治 的 な 政 治 を 進 めようとした これを 端 的 に 示 す 史 料 は 徐 階 の 文 集 である 世 経 堂 集 巻 三 に 収 められている 答 添 閣 臣 諭 二 ( 日 付 は 嘉 靖 四 十 四 年 四 月 初 九 日 )という 上 奏 にある 臣 惟 人 臣 之 罪 莫 大 於 專 臣 自 壬 戌 之 夏 大 書 壁 間 云 以 威 福 還 朝 廷 以 政 務 還 諸 司 以 用 舍 刑 賞 還 公 論 臣 惟 うに 人 臣 の 罪 は 專 より 大 なる 莫 し 臣 は 壬 戌 の 夏 より 壁 の 間 に 大 書 して 云 く 威 福 を 以 て 朝 廷 に 還 し 政 務 を 以 て 諸 司 に 還 し 用 舍 刑 賞 を 以 て 公 論 に 還 す と

19 という 文 面 である 徐 階 は 内 閣 の 専 権 を 矯 め 政 務 を 六 部 などの 各 部 署 に 返 し そして 官 僚 の 人 事 を 公 論 に 任 せることを 目 標 とした これは 正 に 王 陽 明 らがかつて 求 めたものである 城 地 氏 は 北 辺 の 事 案 を 具 体 例 に 挙 げ 徐 階 が 確 かに 六 部 の 事 務 に 不 干 渉 主 義 を 取 っていたことを 明 ら かにしている また 徐 階 はかつて 内 閣 の 増 員 を 何 度 も 要 請 し そして 増 員 について 臣 惟 閣 臣 地 親 任 重 祖 宗 時 每 用 三 四 員 盖 本 不 欲 權 有 所 專 而 閣 中 先 臣 每 事 皆 相 商 確 亦 無 敢 專 者 自 夏 某 暴 狠 人 莫 敢 犯 繼 以 嵩 受 制 逆 子 欲 便 其 私 於 是 事 皆 獨 斷 而 權 始 有 所 專 矣 今 皇 上 有 意 復 成 祖 之 制 誠 乃 攬 乾 綱 收 政 柄 之 要 務 88 臣 惟 うに 閣 臣 地 親 しく 任 重 し 祖 宗 の 時 に 每 に 三 四 員 を 用 い 盖 し 本 より 權 の 專 らにする 所 有 るを 欲 せず 閣 中 の 先 臣 も 事 每 に 皆 な 相 い 商 確 し 亦 た 敢 えて 專 らにする 者 無 し 夏 某 暴 狠 なりて 人 敢 えて 犯 す 莫 きより 繼 ぐに 嵩 逆 子 に 制 を 受 け 其 の 私 を 便 するを 欲 し 是 に 於 いて 事 皆 な 獨 斷 するを 以 てすれば 而 して 權 始 めて 專 らにする 所 有 り 今 皇 上 成 祖 の と 制 を 復 するに 意 有 るは 誠 に 乃 ち 乾 綱 を 攬 り 政 柄 を 收 むるの 要 務 なり と 述 べている 閣 臣 たちが 互 いに 協 議 して 物 事 を 決 めるというかつての 内 閣 のあり 方 に 復 帰 し 首 輔 が 一 人 ですべてを 仕 切 る 局 面 を 避 けようとしたのである これも 王 陽 明 がかつて 求 めた 同 寅 協 恭 と 同 じ 精 神 である 城 地 氏 の 議 論 の 補 足 として 徐 階 が 首 輔 を 務 めていた 頃 の 吏 部 の 状 況 についても 少 し 考 察 を 加 えたい 吏 部 は 官 僚 人 事 を 司 り 六 部 の 中 でもっとも 肝 要 な 部 署 であり 由 来 内 閣 は 吏 部 を 操 縦 することで 朝 政 を 牛 耳 ってきたからである 明 史 巻 一 百 九 十 三 巻 厳 訥 伝 には この ような 記 述 がある 禮 部 尚 書 郭 朴 遷 吏 部 遂 以 訥 代 之 朴 遭 父 喪 復 代 爲 吏 部 尚 書 嚴 嵩 當 國 吏 道 汙 雜 嵩 敗 朴 典 銓 猶 未 能 盡 變 訥 雅 意 自 飭 徐 階 亦 推 心 任 之 訥 乃 與 朝 士 約 有 事 白 於 朝 房 毋 謁 私 邸 慎 擇 曹 郎 務 抑 奔 競 振 淹 滯 又 以 資 格 太 拘 人 才 不 能 盡 倣 先 朝 三 途 並 用 法 州 縣 吏 政 績 異 者 破 格 超 擢 銓 政 一 新 訥 嘗 語 人 曰 銓 臣 與 輔 臣 必 同 心 乃 有 濟 吾 掌 銓 二 年 適 華 亭 當 國 事 無 阻 且 所 任 選 郎 賢 舉 無 失 人 華 亭 謂 徐 階 選 郎 則 陸 光 祖 也 禮 部 尚 書 郭 朴 吏 部 に 遷 り 遂 に 訥 を 以 て 之 に 代 う 朴 父 喪 に 遭 い 復 た 代 わりて 吏 部 尚 書 と つかさど 爲 る 嚴 嵩 國 に 當 たり 吏 道 は 汙 雜 なり 嵩 敗 れ 朴 銓 を 典 るも 猶 お 未 だ 盡 く 變 うる 能 わず 訥 雅 より 自 飭 を 意 い 徐 階 も 亦 た 推 心 して 之 に 任 ず 訥 乃 ち 朝 士 と 約 し 事 有 れば 朝 房 に 白 し 私 邸 に 謁 する 毋 れ と 慎 んで 曹 郎 を 擇 び 務 めて 奔 競 を 抑 え 淹 滯 を 振 う 又 とらわ た 資 格 の 太 だ 拘 れ 人 才 能 く 盡 されざるを 以 て 先 朝 の 三 途 並 用 法 に 倣 い 州 縣 吏 の 政 績 異 なる 者 を 格 を 破 りて 超 擢 し 銓 政 は 一 新 す 訥 嘗 て 人 に 語 りて 曰 く 銓 臣 と 輔 臣 とは 必 な たまたま ず 同 心 にして 乃 ち 濟 す 有 り 吾 れ 銓 を 掌 ること 二 年 適 華 亭 國 に 當 たり 事 に 阻 み 無 し

20 且 つ 任 ずる 所 の 選 郎 賢 く 舉 ぐるに 人 を 失 う 無 し と 華 亭 は 徐 階 を 謂 い 選 郎 は 則 ち 陸 光 祖 なり 厳 訥 は 嘉 靖 四 十 二 年 から 四 十 四 年 までに 吏 部 尚 書 を 務 めた 人 物 であり 89 ちょうど 徐 階 が 首 輔 を 務 めている 時 期 に 当 たる 厳 訥 は 吏 部 の 政 務 を 主 宰 する 間 に 資 格 によらずに 人 才 を 選 抜 し 州 県 の 地 方 官 の 中 で 有 能 な 者 に 破 格 の 昇 進 をさせた これは 当 初 世 宗 支 持 派 が 政 権 を 掌 握 した 後 に 打 ち 出 した 方 向 と 全 く 同 様 なものである 厳 訥 によれば 彼 の 方 針 は 徐 階 の 全 面 的 な 支 持 を 得 ており そして 注 意 すべきは 彼 の 方 針 の 施 行 はその 選 郎 陸 光 祖 に 大 きくかかって いた ということである 選 郎 とは 吏 部 文 選 司 の 郎 中 つまり 文 選 司 の 最 高 責 任 者 のことである 文 選 司 は 官 僚 の 人 事 異 動 を 管 轄 する 権 限 を 持 ち 官 僚 の 業 績 評 定 を 司 る 考 功 司 と 並 んで 吏 部 でもっとも 肝 要 な 部 門 である この 陸 光 祖 の 文 選 司 郎 中 としての 振 る 舞 いについて 明 史 巻 二 百 二 十 四 陸 光 祖 伝 は 嚴 訥 爲 尚 書 雅 重 光 祖 議 無 不 行 既 而 改 文 選 益 務 汲 引 人 才 登 進 耆 碩 幾 盡 又 破 格 擢 廉 能 吏 王 化 江 東 邵 元 善 張 澤 李 珙 郭 文 通 蔡 琮 陳 永 謝 侃 或 由 鄉 舉 貢 士 或 起 自 書 吏 由 是 下 僚 競 勸 訥 亦 推 心 任 之 故 光 祖 得 行 其 志 もと 嚴 訥 尚 書 と 爲 り 雅 より 光 祖 を 重 んじ 議 すれば 行 われざる 無 し 既 にして 文 選 に 改 めら ほとん れ 益 ます 人 才 を 汲 引 するに 務 め 耆 碩 を 登 進 すること 幾 ど 盡 く 又 格 を 破 りて 廉 能 吏 王 化 江 東 邵 元 善 張 澤 李 珙 郭 文 通 蔡 琮 陳 永 謝 侃 を 擢 んづ 或 いは 鄉 舉 貢 士 に 由 り 或 いは 書 吏 より 起 こる 是 れに 由 り 下 僚 競 勸 し 訥 も 亦 た 推 心 して 之 に 任 じ 故 に 光 祖 其 の 志 を 行 うを 得 と 述 べている この 記 述 を 読 む 限 り どうも 当 時 厳 訥 は 人 事 方 針 の 策 定 と 実 際 の 人 事 案 の 執 行 を 陸 光 祖 に 任 せていたようである そして 陸 光 祖 は 耆 碩 つまり 名 望 のある 長 者 を 積 極 的 に 起 用 したほか 挙 人 や 胥 吏 からも 有 能 な 人 物 を 抜 擢 し それで 下 級 の 官 僚 たちは 皆 奮 い 立 った と いう 陸 光 祖 は 陽 明 学 者 であり かつて 王 陽 明 を 祀 る 施 設 の 建 設 に 関 わり 講 会 を 開 いたことがある 90 そして 朱 子 学 を 奉 ずる 朝 鮮 使 節 とも 論 戦 を 繰 り 広 げた 91 徐 階 とも 親 密 であった 92 以 上 に 述 べた 事 実 から 徐 階 政 権 期 の 吏 部 は 陽 明 学 の 政 治 的 傾 向 に 沿 う 形 で 出 身 資 格 に よる 官 職 の 独 占 を 打 破 し 中 下 級 官 僚 にも 昇 進 ルートを 開 く 方 向 へ 動 いたことがわかる これ がつまり 徐 階 のいう 公 論 なのである かつて 王 陽 明 らが 求 めた 大 礼 の 議 の 後 世 宗 と 張 璁 などによって 抑 圧 され 続 けた 反 対 派 の 官 僚 たちの 再 起 用 を 実 現 させたのも 徐 階 である 以 上 の 分 析 から 徐 階 政 権 が 陽 明 学 の 政 治 的 傾 向 を 強 く 体 現 したものであることがよくわかる 彼 の 下 で 政 界 での 上 昇 を 果 たした 人 物 について 一 つの 例 を 挙 げることができる 容 肇 祖 氏 はか つて 嘉 靖 二 十 三 年 に 何 心 隠 の 出 身 地 である 江 西 永 豊 県 の 知 県 となった 淩 儒 という 人 物 について

21 紹 介 している この 人 物 は 後 に 中 央 入 りを 果 たして 御 史 となり 徐 階 が 高 拱 側 から 攻 撃 された 際 に 徐 階 陣 営 に 加 わり 高 拱 を 致 仕 に 追 い 込 むのに 一 役 買 った 容 氏 が 述 べているように 淩 儒 は 王 艮 と 同 じく 泰 州 の 人 であり 永 豊 で 知 県 を 務 めていた 際 に 何 心 隠 と 書 簡 のやりとりがあった 書 簡 の 中 で 何 心 隠 は 学 について 言 及 したことがあり しかも 淩 儒 は 御 史 となってから 羅 洪 先 などを 推 薦 したことがある 93 から やはりこの 淩 儒 は 陽 明 学 派 に 接 近 していた 人 物 であり 徐 階 の 力 で 中 央 入 りを 果 たしたのであろう 政 界 の 下 層 部 に 上 昇 の 機 会 を 与 える 過 程 の 中 でも 陽 明 学 が 大 きな 役 割 を 果 たしていたことが この 一 例 からわかる 94 厳 嵩 による 内 閣 権 力 の 濫 用 の 後 を 受 け 以 上 に 述 べたような 徐 階 の 政 治 姿 勢 は 人 心 を 掌 握 する ために 役 立 ったに 違 いない しかし 徐 階 政 権 は 陽 明 学 一 辺 倒 というほど 単 純 なものではない 徐 階 は 陽 明 学 の 政 治 的 代 弁 者 の 面 目 を 人 に 示 す 一 方 同 時 に 内 閣 翰 林 院 体 制 に 身 を 置 く 人 間 でも あることを 忘 れてはいけない 夏 言 の 時 代 から 張 璁 らによって 一 旦 強 引 に 攪 乱 された 内 閣 翰 林 院 体 制 を 復 活 させる 流 れが 現 れたことは すでに 述 べた 翰 林 院 出 身 の 徐 階 は 正 にこの 流 れに 乗 って 政 界 で 上 昇 を 重 ねてきたのである そして 彼 が 権 力 を 掌 握 する 時 期 に この 流 れがどのよ うな 進 展 を 見 せたかというと それはさらに 加 速 していったのである 会 試 の 年 に 当 たる 嘉 靖 二 十 六 年 に 徐 階 は 翰 林 院 学 士 として 庶 吉 士 の 教 習 に 当 てられたが こ の 年 の 庶 吉 士 に 張 居 正 がいる 95 張 居 正 は 当 時 徐 階 に 器 重 されたという 96 なお 李 春 芳 は この 年 の 状 元 であり 翰 林 院 の 修 撰 を 授 かった 徐 階 が 入 閣 を 果 たしていた 嘉 靖 三 十 二 年 の 庶 吉 士 に 張 四 維 と 馬 自 強 がいる 徐 階 が 首 輔 となった 嘉 靖 四 十 一 年 に 状 元 の 申 時 行 は 翰 林 院 修 撰 を 授 かり 榜 眼 の 王 錫 爵 と 探 花 の 余 有 丁 は 編 修 を 授 かった 四 十 四 年 の 庶 吉 士 には 沈 鯉 許 国 が いる 穆 宗 の 隆 慶 二 年 には 探 花 の 趙 志 皋 が 翰 林 院 編 修 を 授 かり 庶 吉 士 に 陳 於 陛 沈 一 貫 王 家 屏 朱 賡 張 位 于 慎 行 がいる ここまでで 万 暦 の 初 めから 三 十 年 代 半 ばまでの 歴 代 の 首 輔 を 含 むほぼすべての 閣 臣 の 名 前 が 出 揃 っている 97 そして 隆 慶 二 年 の 庶 吉 士 選 抜 が 終 わった 後 の 七 月 に 徐 階 は 首 輔 を 退 いて 致 仕 したのである 98 後 に 明 の 最 大 の 権 臣 となった 張 居 正 は 首 輔 になった 徐 階 により 引 き 立 てられ そして 徐 階 の 首 輔 在 任 中 に 入 閣 を 果 たした 99 張 居 正 が 首 輔 となってから 数 十 年 にわたり 内 閣 首 輔 そしてほ とんどの 閣 臣 の 座 は 以 上 に 挙 げた 隆 慶 二 年 までの 翰 林 院 出 身 者 の 間 で 伝 えられていった それ までの 明 の 歴 史 においても 空 前 の 事 態 である 万 暦 に 入 ってからの 内 閣 翰 林 院 体 制 の 大 復 活 は まさに 徐 階 の 時 代 にその 土 台 が 最 後 に 出 来 上 がったといえよう 張 居 正 や 李 春 芳 に 対 する 態 度 から 見 れば 徐 階 は 翰 林 院 の 後 輩 たちを 引 き 立 てることにかなり 積 極 的 だったようである 恐 らく 政 権 を 維 持 するために 一 つでも 多 くの 支 持 基 盤 を 獲 得 しようとしたのであろう とはいえ 徐 階 が 公 に 陽 明 学 を 奉 じていたから 彼 が 権 力 を 握 っていた 時 期 に 文 学 趣 味 の 本 拠 である 翰 林 院 出 身 者 の 間 でも 陽 明 学 はかなり 勢 力 を 伸 ばしたようである そのもっとも 典 型 的 な 例 は なんといっても 張 居 正 であろう 彼 は 万 暦 の 初 めまで 熱 心 な 陽 明 学 者 であった この

22 ことについて 黄 卓 越 氏 がその 論 文 張 居 正 与 王 学 関 係 之 考 辨 100 において 詳 細 に 考 察 している 張 居 正 は 嘉 靖 年 間 から 羅 汝 芳 耿 定 向 101 そして 胡 直 などの 陽 明 学 者 と 講 学 しており 黄 氏 が 引 用 した 書 簡 でのやりとりから 見 れば その 思 想 上 の 造 詣 も 並 々ならぬものであった しかも 彼 は 隆 慶 六 年 から 万 暦 二 年 に 起 こった 王 陽 明 の 孔 廟 従 祀 をめぐる 論 争 において 王 陽 明 を 弁 護 した ことがあるという 彼 が 後 に 政 治 上 の 原 因 で 態 度 を 一 変 させ 陽 明 学 を 虚 にして 当 無 し と 攻 撃 した 上 講 学 を 徹 底 的 に 弾 圧 したことは 如 何 にも 皮 肉 に 見 える 102 張 居 正 が 死 去 した 二 年 後 の 万 暦 十 二 年 に 王 陽 明 の 孔 廟 従 祀 が 天 子 に 裁 可 されたが この 時 に 首 輔 を 務 めていた 申 時 行 は 天 子 への 上 奏 で 王 陽 明 を 讃 えていた 103 張 居 正 の 死 から 陽 明 学 が 再 び 盛 況 を 呈 するようになっ た 104 のは 申 時 行 ら 徐 階 政 権 期 の 翰 林 院 出 身 者 の 陽 明 学 への 好 意 が 一 因 だったと 思 われる 徐 階 政 権 について 最 後 に 付 け 足 して 説 明 したいが この 官 界 の 大 同 団 結 を 謳 う 政 権 は かなり 汚 れていた 李 贄 はその 続 蔵 書 にある 徐 階 の 伝 においてこそ 言 及 しなかったものの 張 璁 の 伝 では 嘉 靖 末 年 華 亭 當 國 世 亦 共 以 爲 賢 然 莊 田 美 屋 跨 州 郡 出 京 之 日 大 車 幾 百 輛 彌 月 不 輟 方 舟 而 下 連 數 百 艘 105 嘉 靖 の 末 年 華 亭 國 に 當 たり 世 も 亦 た 共 に 以 て 賢 と 爲 す 然 るに 莊 田 美 屋 州 郡 を 跨 ぎ 京 わた や なら を 出 づるの 日 大 車 幾 百 輛 にして 月 に 彌 りて 輟 まず 舟 を 方 べて 下 り 連 なること 數 百 艘 なり と 徐 階 による 蓄 財 を 暴 露 してる 北 京 でそれほどの 財 産 を 蓄 えられたのは 政 治 権 力 によるも のとしか 考 えられない さらに 于 慎 行 はその 筆 記 穀 山 筆 塵 で 華 亭 相 在 位 多 蓄 織 婦 歲 計 所 積 與 市 爲 賈 公 儀 休 之 所 不 爲 也 往 聞 一 內 使 言 華 亭 在 位 時 松 江 賦 皆 入 里 第 吏 以 空 牒 入 都 取 金 於 相 邸 相 公 召 工 傾 金 以 七 銖 爲 一 兩 司 農 不 能 辨 也 106 華 亭 相 位 に 在 り 多 く 織 婦 を 蓄 え 歲 ごとに 積 む 所 を 計 り 市 と 賈 を 爲 すは 公 儀 休 の 爲 さ むかし ざる 所 なり 往 一 內 使 の 言 を 聞 けり 華 亭 位 に 在 る 時 松 江 の 賦 皆 な 里 第 に 入 り 吏 空 牒 を 以 て 都 に 入 り 相 邸 に 金 を 取 る 相 公 工 を 召 して 金 を 傾 け 七 銖 を 以 て 一 兩 と 爲 し 司 農 辨 ずる 能 わざるなり と と 記 している なんと 徐 階 は 税 金 を 公 然 と 横 領 していたのである 大 土 地 所 有 と 紡 織 業 も 政 治 権 力 と 不 正 に 取 得 した 資 金 の 上 で 成 り 立 ったのであろう そして 嘉 靖 二 十 九 年 に 羅 洪 先 は 王 畿 に 与 えた 書 簡 で 弟 於 傳 聞 有 一 二 事 則 有 頓 足 扼 腕 長 吁 而 隱 痛 矣 往 年 韶 州 之 行 物 議 騰 滿 豹 穀 之 黜 藉 以 指 瑕 涇 縣 之 聚 郡 守 持 以 短 縣 令 縣 令 幾 至 削 迹 其 他 瑣 瑣 姑 不 條 叙 諸 公 誠 爲 己 矣 何 地 不 可 託 宿 必 欲 近 城 市 勞 官 府 力 犯 人 言 果 取 何 益 乎 今 風 俗 披 靡 賄 賂 公 行 廉

23 恥 道 喪 交 際 過 情 若 冒 取 善 之 名 借 開 來 之 說 以 責 後 車 傳 食 之 報 不 知 於 此 輩 同 條 例 否 107 弟 傳 聞 に 一 二 事 有 るに 於 いては 則 ち 頓 足 扼 腕 し 長 吁 して 隱 痛 する 有 り 往 年 韶 州 の 行 そし 物 議 騰 滿 し 豹 穀 の 黜 藉 りて 以 て 瑕 を 指 す 涇 縣 の 聚 郡 守 持 ちて 以 て 縣 令 を 短 り 縣 令 は 幾 ど 削 迹 に 至 る 其 の 他 の 瑣 瑣 は 姑 く 條 叙 せず 諸 公 誠 に 己 が 爲 すれば 何 地 に 託 宿 す べからずや 必 ず 城 市 に 近 づき 官 府 を 勞 さんと 欲 し 力 めて 人 言 を 犯 すは 果 たして 何 の ほろ 益 を 取 らんか 今 風 俗 披 靡 し 賄 賂 公 行 し 廉 恥 の 道 喪 び 交 際 情 を 過 ぐ 若 し 取 善 の 名 を 冒 し 開 來 の 說 を 借 り 以 て 後 車 傳 食 の 報 を 責 むれば 此 の 輩 に 於 いて 條 例 を 同 じくす るや 否 やを 知 らず と 不 満 を 漏 らしている 王 畿 らは 講 会 を 開 く 際 に 必 ず 都 市 に 入 り そして 地 元 の 官 府 に 種 々の 便 宜 を 提 供 させたのである しかもそれによって 輿 論 が 沸 騰 し 地 方 官 を 失 脚 させるほどであった これはまだ 徐 階 が 入 閣 する 前 の 事 態 である 地 方 官 が 争 って 書 院 を 建 設 する 徐 階 政 権 の 時 期 にな ると 各 地 に 後 車 伝 食 108 つまり 官 府 からの 手 厚 い 接 待 を 目 当 てに 講 学 に 従 事 する 陽 明 学 者 が 多 くであろうことは 想 像 に 難 くない 理 想 理 念 を 高 く 掲 げる 政 治 運 動 も 最 後 は 往 々にして 従 来 と 代 わり 映 えのしない 代 物 に 堕 してしまうのである 第 四 節 万 暦 以 後 の 情 勢 党 争 を 背 景 に 前 節 では 徐 階 が 政 権 を 掌 握 する 時 代 に 現 れた 二 つの 流 れ つまり 陽 明 学 の 政 治 的 傾 向 に 沿 っ て 政 権 をより 開 かれたものとする 流 れと 閉 鎖 的 な 内 閣 翰 林 院 体 制 を 復 活 させる 流 れについて 考 察 した 徐 階 の 時 代 に 二 つの 流 れは 大 きな 齟 齬 なく 共 に 政 権 を 支 えたが しかし 本 来 この 二 つの 流 れは 原 理 的 に 相 容 れないものである そこから 徐 階 の 政 権 運 営 が 将 来 に 禍 根 を 残 した のではないかと 考 えられる 果 たして 短 い 隆 慶 朝 が 幕 を 閉 じて 万 暦 年 間 に 入 ると 朝 廷 では 昔 に も 増 して 熾 烈 な 対 立 抗 争 が 起 こったのである 張 居 正 の 奪 情 や 言 論 統 制 の 強 化 を 契 機 に 明 末 に 党 争 が 延 々と 繰 り 広 げられたことは 一 般 的 に 知 られている 明 末 の 政 治 を 特 徴 付 ける 党 争 については すでに 小 野 和 子 の 明 季 党 社 考 東 林 党 と 復 社 などの 優 れた 研 究 があり そして 本 文 の 射 程 をも 超 えているため ここで 詳 しく 述 べることはできない 本 文 が 目 標 としているのは 党 争 という 大 きな 背 景 の 下 での 陽 明 学 派 の 現 実 政 治 への 関 与 の 方 向 性 を 提 示 することである 張 居 正 は 強 権 によって 反 対 者 を 一 時 的 に 制 圧 したが その 後 は 翰 林 院 出 身 者 が 内 閣 を 占 拠 し 続 ける 中 吏 部 を 中 心 に 反 内 閣 運 動 が 再 燃 した 吏 部 はもともと 各 官 署 の 中 で 最 も 地 位 が 高 く し かも 官 僚 の 人 事 権 を 握 っていたため 反 内 閣 の 勢 力 が 吏 部 を 中 心 に 集 結 したのも 事 理 の 当 然 であ

24 る このことについては 林 麗 月 閣 部 衝 突 与 明 万 暦 朝 的 党 争 109 が 詳 細 に 考 察 している まず 注 目 すべきは この 時 に 反 内 閣 運 動 の 先 鋒 を 務 めた 一 人 が 陸 光 祖 だったことである 陸 光 祖 は 文 選 司 郎 中 時 代 の 上 司 そして 張 居 正 などとの 対 立 から 度 々 失 脚 してはまた 起 用 さ れ 万 暦 十 五 年 に 三 度 目 の 復 活 を 果 たした 後 十 九 年 に 吏 部 尚 書 となった 110 以 来 吏 部 の 権 が 内 閣 に 奪 われている 状 況 を 快 く 思 わず これを 正 そうとした 同 年 申 時 行 は 致 仕 するに 当 たり 密 かに 趙 志 皋 と 張 位 を 自 らの 後 継 者 として 神 宗 に 推 薦 したが 陸 光 祖 は 事 情 を 知 った 後 に 天 子 に 抗 議 し 廷 推 つまり 吏 部 を 含 む 各 部 署 の 共 同 推 薦 で 閣 臣 の 人 選 を 決 めるよう 求 めた 111 陸 光 祖 は 文 選 司 の 郎 中 だった 時 に 都 察 院 の 長 官 と 礼 を 争 い また 吏 部 侍 郎 を 務 めていた 際 に 翰 林 院 の 庶 吉 士 に 道 を 譲 らせようとして 罵 られたことがある 112 以 前 から 吏 部 の 地 位 の 優 越 さを 主 張 す ることに 熱 心 な 人 物 であった 徐 階 の 時 代 に 内 閣 に 籠 絡 され 面 子 を 立 てられたことに 慣 れたの が 一 因 であろう そして 吏 部 尚 書 になった 後 には 吏 部 の 地 位 を 高 めようとしたのみならず 閣 臣 の 座 をも 狙 っていた 113 彼 自 身 は 進 士 となった 後 に 知 県 に 任 命 され 翰 林 院 に 入 ったことがな く その 行 動 は 翰 林 院 出 身 者 による 内 閣 独 占 を 打 破 する 意 味 合 いも 帯 びている 万 暦 二 十 年 の 地 方 官 の 業 績 評 定 を 機 に 陸 光 祖 が 吏 部 の 官 僚 に 抜 擢 した 一 人 が 後 に 東 林 派 の 祖 となった 顧 憲 成 である 114 翌 万 暦 二 十 一 年 の 京 察 つまり 中 央 官 僚 の 業 績 評 定 では 正 に 陸 光 祖 から 吏 部 尚 書 を 受 け 継 いだ 孫 鑨 と 吏 部 考 功 司 の 郎 中 だった 趙 南 星 そして 験 封 司 の 員 外 郎 だ った 顧 憲 成 らを 中 心 に 反 内 閣 の 嵐 が 巻 き 起 こされたのである 林 麗 月 氏 が 指 摘 したように こ の 時 に 吏 部 を 支 持 した 史 孟 麟 于 孔 兼 顧 允 成 薛 敷 教 それに 高 攀 龍 などは 万 暦 三 十 年 代 に 顧 憲 成 とともに 東 林 書 院 を 修 復 し そして 講 学 活 動 を 展 開 して 東 林 学 派 を 興 した 人 々である 115 以 上 に 挙 げた 孫 鑨 から 高 攀 龍 までの 人 々の 履 歴 を 調 べると 進 士 となった 後 に 翰 林 院 に 入 った のはわずか 史 孟 麟 一 人 である 彼 らが 吏 部 の 元 に 集 結 して 内 閣 と 激 しく 対 立 したのは 内 閣 翰 林 院 体 制 への 強 い 反 発 があるからである このことは 彼 ら 自 身 の 発 言 からも 確 認 できる 例 えば 万 暦 二 十 一 年 に 孫 鑨 が 吏 部 尚 書 の 任 を 離 れたのを 受 け 首 輔 の 王 錫 爵 が 翰 林 院 出 身 の 礼 部 尚 書 羅 万 化 を 吏 部 尚 書 に 充 てようとした 際 に 顧 憲 成 は 不 可 內 閣 者 翰 林 之 結 局 冢 宰 者 各 衙 門 之 結 局 今 天 下 大 勢 折 而 入 內 閣 矣 況 可 併 冢 宰 據 之 乎 往 者 內 閣 之 推 往 往 用 各 衙 門 不 專 翰 林 一 途 今 不 能 以 內 閣 與 各 衙 門 共 而 更 以 冢 宰 與 翰 林 共 乎 116 不 可 なり 內 閣 なる 者 は 翰 林 の 結 局 なり 冢 宰 なる 者 は 各 衙 門 の 結 局 なり 今 天 下 の 大 むか し 勢 折 れて 內 閣 に 入 るに 況 や 冢 宰 を 併 せて 之 に 據 らしむべきをか 往 者 內 閣 の 推 は 往 往 にして 各 衙 門 を 用 い 翰 林 の 一 途 を 専 らにせず 今 內 閣 を 以 て 各 衙 門 と 共 にする 能 わざる に 更 に 冢 宰 を 以 て 翰 林 と 共 にするか と 明 確 に 反 対 を 表 明 した 彼 は 内 閣 を 翰 林 の 結 局 と 見 なし 内 閣 が 翰 林 院 出 身 者 を 通 じて 吏 部 の 掌 握 を 図 る 動 きに 抵 抗 し 同 時 に 内 閣 を 各 衙 門 に 開 かれたものにするよう 求 めた また

25 万 暦 十 九 年 に 時 の 福 建 道 監 察 御 史 後 にやはり 東 林 派 の 中 心 人 物 の 一 人 となった 銭 一 本 117 は 上 疏 で 我 列 聖 論 相 蓋 有 以 才 望 用 初 不 以 資 格 爲 資 猶 有 司 寇 攝 相 遺 意 今 復 能 行 否 翰 林 一 途 謂 之 儲 養 相 才 厥 初 講 讀 編 脩 咸 得 簡 入 以 備 顧 問 尚 知 爲 官 擇 人 今 惟 累 資 躡 級 循 列 卿 位 以 覬 必 得 遂 使 國 家 命 相 之 大 任 僅 爲 閣 臣 援 引 之 私 物 故 自 來 內 閣 之 臣 善 終 者 絕 鮮 嵩 之 鑒 不 遠 而 時 行 又 蹈 之 118 我 が 列 聖 相 を 論 ずるに 蓋 し 才 望 を 以 て 用 うる 有 り 初 めに 資 格 を 以 て 資 と 爲 さず 猶 の 司 寇 相 を 攝 るの 遺 意 有 り 今 は 復 た 能 く 行 なうや 否 や 翰 林 の 一 途 は 之 を 相 才 を 儲 養 す ると 謂 い 厥 の 初 めは 講 讀 編 脩 咸 な 簡 入 せらるるを 得 以 て 顧 問 に 備 え 尚 お 官 が 爲 に 人 かさ ふ のぞ を 擇 ぶを 知 る 今 は 惟 だ 資 を 累 ねて 級 を 躡 み 卿 位 に 循 列 するのみなりて 以 て 必 得 を 覬 む 遂 に 國 家 の 相 を 命 ずるの 大 任 をして 僅 かに 閣 臣 の 援 引 するの 私 物 たらしむ 故 に 自 來 の ふ 內 閣 の 臣 は 善 終 する 者 絕 えて 鮮 なし 嵩 の 鑒 遠 からず しかして 時 行 は 又 た 之 を 蹈 む と 致 仕 に 追 い 込 まれたばかりの 申 時 行 を 名 指 しした 上 で 翰 林 院 出 身 者 が 内 閣 を 独 占 する 状 況 を 批 判 した 後 に 顧 憲 成 らは 東 林 派 と 立 場 の 近 い 非 翰 林 院 出 身 の 李 三 才 を 閣 臣 に 推 す 119 など 内 閣 翰 林 院 体 制 の 打 破 を 実 際 に 試 みたのである 東 林 派 を 中 心 とした 反 内 閣 の 勢 力 は 往 々にし て 皇 太 子 の 冊 立 と 処 遇 そして 鉱 税 などの 問 題 で 内 閣 への 批 判 を 強 めたが それは 一 般 の 官 僚 た ちを 締 め 出 して 翰 林 院 の 者 たちでのみ 構 成 される 内 閣 が 常 にこのような 重 大 な 問 題 で 官 僚 たち 全 体 の 公 論 を 無 視 して 天 子 の 恣 意 に 追 従 する 姿 勢 を 見 せたからである このような 情 勢 の 中 で 陽 明 学 を 奉 じていた 人 々は 政 治 においてどのような 動 きを 見 せたの であろうか まずは 東 林 派 と 近 い 立 場 を 取 り そしてやがて 東 林 に 合 流 して 行 く 一 つの 流 れを 観 察 することができる その 代 表 的 人 物 が 東 林 の 一 員 にすら 数 えられた 鄒 元 標 である 120 彼 は 明 儒 学 案 において 江 右 王 門 に 列 せられている 121 講 学 にかなり 熱 心 だった 人 物 であり 張 居 正 の 死 後 毀 された 天 下 の 書 院 を 尽 く 再 建 するよう 天 子 に 求 めた そして 自 らの 郷 里 である 江 西 吉 安 府 吉 水 県 の 文 江 書 院 を 仁 文 書 院 として 復 興 させることにも 尽 力 した 122 また 天 啓 年 間 に 明 代 の 北 京 での 初 めての 書 院 である 首 善 書 院 を 建 設 したのも この 鄒 元 標 と 馮 従 吾 などである 鄒 元 標 は 張 居 正 の 奪 情 つまり 丁 憂 期 間 中 の 首 輔 留 任 をめぐる 論 争 で 張 居 正 を 厳 しく 批 判 し 廷 杖 を 受 けた 上 で 辺 境 の 衛 所 に 流 されたが これで 清 流 士 大 夫 としての 名 声 が 確 立 した 123 張 居 正 の 死 後 に 復 活 した 彼 は 張 居 正 と 結 託 して 礼 部 尚 書 にまでなり 申 時 行 の 姻 戚 ともなった 徐 学 謨 を 弾 劾 したことで 申 時 行 から 恨 まれ また 天 子 の 神 宗 をも 批 判 したことで 左 遷 された その 後 吏 部 尚 書 の 宋 纁 は 彼 を 文 選 司 の 員 外 郎 に 起 用 しようとして 神 宗 と 申 時 行 の 怒 りを 買 い 彼 自 身 も 南 京 に 飛 ばされた 後 に 病 気 を 理 由 に 帰 郷 して 講 学 に 精 力 を 注 いだ 124 その 帰 郷 が 許 された 時 に 顧 憲 成 は 時 の 首 輔 王 錫 爵 に 反 対 を 表 明 した 125 因 みに 宋 纁 は 陸 光 祖 に 先 立 って 吏 部 の 権 威 を 高 めようとした

26 人 物 である 126 熹 宗 の 天 啓 元 年 に 中 央 政 界 に 復 帰 してから 鄒 元 標 は 趙 南 星 高 攀 龍 などの 再 起 用 を 求 め 127 そして 小 野 和 子 氏 も 著 書 で 紹 介 しているように 孫 慎 行 ら 東 林 党 人 とともに 光 宗 の 急 死 に 関 わった 前 首 輔 方 従 哲 の 責 任 を 追 及 した 128 政 治 においてのみならず 思 想 においても 鄒 元 標 などの 陽 明 学 者 には 東 林 派 との 交 流 そして 接 近 が 見 られる 小 野 氏 が 紹 介 しているように 鄒 元 標 は 顧 憲 成 高 攀 龍 そして 銭 一 本 などとと もに 東 林 書 院 と 関 係 の 深 い 宜 興 の 明 道 書 院 で 講 学 したことがある 129 そして 東 林 派 の 官 僚 だ った 余 懋 衡 という 人 物 は 万 暦 二 十 五 年 に 任 地 の 江 西 吉 安 府 永 新 県 に 明 新 書 院 を 建 設 し 鄒 元 標 王 時 槐 鄒 徳 泳 を 招 いて 講 学 させた 130 王 時 槐 は 後 期 の 江 右 陽 明 学 の 重 鎮 であり 131 鄒 徳 泳 は 鄒 守 益 の 孫 で 彼 も 陽 明 学 を 奉 じていた 132 王 時 槐 については 劉 元 卿 という 人 物 の 書 いた 伝 記 によれば 陸 光 祖 と 親 しく 陸 光 祖 は 吏 部 尚 書 となった 後 に 彼 を 南 京 の 太 常 寺 卿 に 起 用 しようとしたという 133 ちなみにこの 劉 元 卿 も 陽 明 学 者 であり 王 時 槐 に 傾 倒 し 134 そして 張 居 正 に 反 対 していた 135 鄒 徳 泳 はかつて 太 子 冊 立 の 問 題 で 首 輔 の 申 時 行 を 弾 劾 してそれを 致 仕 に 追 い 込 むのに 一 役 買 った 人 物 である 136 から 政 治 におい て 鄒 元 標 さらに 東 林 派 の 人 々と 同 じ 立 場 にいたことは 明 らかである 明 儒 学 案 によれば 銭 一 本 の 思 想 には 王 時 槐 から 受 け 継 いだものが 多 いという 137 また 銭 明 氏 は 王 時 槐 の 思 想 に ついて 顧 憲 成 や 高 攀 龍 の 評 論 を 紹 介 し 陽 明 学 と 東 林 派 の 思 想 との 間 の 架 け 橋 としている 138 鄒 元 標 王 時 槐 そして 鄒 徳 泳 はいずれも 翰 林 院 に 入 ったことがないことを 付 け 加 えておきたい この 三 人 のほかに 陽 明 学 派 と 東 林 派 の 思 想 交 流 の 例 として なお 小 野 和 子 が 紹 介 している 泰 州 派 の 一 人 で 桐 城 で 崇 実 会 館 を 主 宰 した 方 学 漸 のケースがある 139 方 学 漸 は 王 陽 明 の 無 善 無 悪 説 に 批 判 的 であり その 点 において 東 林 派 の 人 々との 強 い 同 調 が 見 られる 彼 自 身 は 任 官 したこと がないが 子 の 方 大 鎮 は 東 林 派 の 官 僚 であり 140 そして 曾 孫 の 方 以 智 は 東 林 派 の 流 れを 汲 む 復 社 の 重 要 メンバーであった 141 万 暦 以 来 内 閣 翰 林 院 体 制 が 力 強 く 復 活 するにつれ 内 閣 と 反 内 閣 勢 力 との 衝 突 も いよい よクライマックスを 迎 えた 一 部 の 陽 明 学 派 の 官 僚 が 反 内 閣 の 側 に 加 わったのは 陽 明 学 の 本 来 の 政 治 的 傾 向 からすれば 極 自 然 なことである しかし 注 意 すべきは この 時 期 に 反 内 閣 闘 争 の 主 力 を 務 めたのは 東 林 派 として 集 結 した 人 々であり 陽 明 学 を 奉 ずる 一 部 の 者 たちが 東 林 に 合 流 していくような 形 となったことである この 意 味 においては 東 林 派 を 陽 明 学 派 の 後 継 者 と 見 なすことができる 但 し 万 暦 に 入 ってからの 陽 明 学 派 には 鄒 元 標 のような 東 林 に 同 調 する 人 物 が 現 れる 一 方 内 閣 側 に 位 置 する 者 もいた その 最 たる 例 は 耿 定 向 である すでに 触 れたように 彼 はかつて 徐 階 の 傘 下 に 居 り また 張 居 正 とも 共 に 講 学 する 仲 であった 明 儒 学 案 は 彼 について 142 定 向 初 立 朝 有 時 望 後 歷 徐 階 張 居 正 申 時 行 王 錫 爵 四 輔 皆 能 無 齟 齬

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