第 4 章 競合する仮説の差別化 Discriminating Between Competing Hypothesis ( 須田一幸訳 [1991] 実証理論としての会計学 白桃書房,pp. 89-139) 2012 年 5 月 15 日財務会計論 A 経済学研究科博士後期課程 3 年徳賀ゼミ酒井絢美 本章の目的 効率的市場仮説と, 初期の規範論的文献の基礎をなしている仮説とを差別化するために, 会計手続き変更の株価効果を調べた研究を跡付け 従前の会計学の基礎となっていた諸仮説を受容していた会計専門家の見解に影響を及ぼすような証拠を提示 株価変動と会計手続き変更との関連についての証拠を要約し, 理論の発展に関する教訓を示す 2 構成 競合する仮説 (1) 無効果仮説 (2) 機械的反応仮説 (3) 競合する仮説の差別化 Kaplan and Roll の研究 (1) 調査対象となる会計手続き変更 (2) サンプル (3) 調査方法 (4) 調査結果 Kaplan and Roll の研究における調査方法上の問題点 (1) 検証される仮説の特定化 (2) 事象研究の方法 (3) 結論 Ball の研究 (1) 調査対象となる会計手続き変更 (2) サンプル (3) 調査方法と結果 (4) 結論 棚卸資産会計手続きの変更に関する研究 (1)Sunder の研究 (2)Ricks の研究 (3)Biddle and Lindahl の研究 3 競合する仮説 効率的市場仮説と競合する仮説を差別化 株価変動と会計手続き変更との関係を利用 無効果仮説 (no-effects hypothesis) 自発的な会計手続き変更と株価変動は関連していない 機械的反応仮説 (mechanistic hypothesis) 株価変動は特定の会計手続き変更と関連している ( 株式市場は会計手続きにシステマティックに誤導される ) 4 (1) 無効果仮説 会計手続き変更に伴って株価が変動したとすれば, それはすべて不偏的 株価変動の方向を予測するには, 会計手続き変更と株式評価に影響を及ぼす要素との関係を示す仮説および評価モデルが必要 資本資産評価モデル 会社の市場価値 = 期待将来キャッシュフローと期待投資収益率の関数 会計手続き変更は, 株価について何のインプリケーションも有していない (2) 機械的反応仮説 ( 機能的固定化仮説, 独占仮説 ) 利益と株価の機械的関係を仮定 たとえ会計手続き変更が会社のキャッシュフローに影響を及ぼさなくとも, それは株価変動をもたらす, という仮説 会計報告書が会社についての唯一の情報源であり, したがって投資家は会社の株式評価に会計利益を利用するという仮定が根底にある 無効化仮説に対する競合仮説または対立仮説 5 6 1
(3) 競合する仮説の差別化 1. すべての会計手続き変更 :Ball [1972] 2. 税金に影響を及ぼさない会計手続き変更 : Kaplan and Roll [1972] 3. 税金に影響をもたらす会計手続き変更 : Sunder [1973],[1975] 他の多くの研究を導き, 新しい理論の展開へ 取引費用と情報費用がゼロという仮定の下では, 会計実務の記述理論は成立しない 経営者の会計手続き選択を説明するために, 取引費用と情報費用の概念が導入された Kaplan and Roll の研究 税金に影響を与えない会計手続き変更と株価変動の関連を調査することにより, 無効果仮説 と 機械的反応仮説 の矛盾した予測を検証 (1) 調査対象となる会計手続き変更 税金に影響を及ぼさない会計手続き変更 1.1964 年に行われた投資税額控除の会計手続き変更 ( 繰延法から一括控除法への変更 ) 2.1960 年代に行われた加速償却法から定額法への変更 7 8 Cf. 投資税額控除 (2) サンプル 1962 年に導入 一定の新資産を購入した会社に, その資産取得原価の 7% に相当する額を税金から直接控除することを認めたもの 当初は繰延法しか認められていなかった 1964 年, 一括控除法を容認 多くの会社は一括控除法に変え, それらの報告利益額は増加 注意 この会計手続き変更は税金に何の影響も及ぼさず, 会社の任意で行われる 1 投資税額控除 繰延法から一括控除法に変更した会社 257 社 繰延法維持の会社 57 社 ( コントロールサンプル ) 株価変動は, 年次利益が最初に公表された時点について調査 2 定額法償却への変更 1962 年から1968 年に定額法に変更した会社 ( サンプルの70% は1965 年,1966 年,1968 年 ) 株価変動は, 年次利益公表日と変更公表日の両方 ( 多くの場合, 同じ日 ) を調査 9 10 (3) 調査方法 異常投資収益率を利用 r i,t = α ir f, t +b i r m, t +e i, t ただし,r i,t :t 週における i 社株式の投資収益率 r f, t :t 週における無リスク証券の投資収益率 r m, t :t 週における市場投資収益率 機能的固定化仮説 e 0>0,CAR0>0 無効果仮説 e 0 = CAR0 =0 (4) 調査結果 1 投資税額控除 ( 第 4.1 図 p.100) 利益公表後の異常投資収益率 CAR の動きは, 効率的市場仮説と一致していない 利益公表週の平均異常投資収益率 (e 0) 変更サンプル :e 0>0 コントロールサンプル :e 0=0 2 定額法償却への変更 ( 第 4.3 図 p.102) 利益公表週の平均異常投資収益率 e 0 =0 機械的反応仮説を支持 表面上は矛盾 無効果仮説を支持 11 12 2
Kaplan and Roll の研究における調査方法上の問題点 (1) 検証される仮説の特定化 帰無仮説 : e 0 =0 対立仮説 : e 0 0 機械的反応仮説 帰無仮説が棄却されなければ無効果仮説を受容 無効果仮説を特定化しそれを検証するという努力は払われていない 1 機械的反応仮説の特定 できるだけ検定力が大きくなるように機械的反応仮説を特定することが求められる Kaplan and Rollは, 異常投資収益率の検定をできるだけ協力にすることを怠った Kaplan and Rollは, 投資税額控除の会計手続き変更が利益に及ぼす効果を利用して, 検定力を増大させている 2 無効果仮説の検証 ある特定の対立仮説の調査において, その帰無仮説が棄却されなかったので帰無仮説を受容したという進め方は, 間違いを犯している場合が多い 効率的市場仮説それだけで無効果仮説には結びつかない 13 14 (2) 事象研究 (event study) の方法 観測値は一般に,CAR を算定するために複数の年度と会社について蓄積される ( 変数の無作為化 ) 1 密集 (clustering) 会計手続き変更サンプルのCARにクロスセクションの相関をもたらす CARの有意性を過大評価している可能性がある 2 サンプル抽出バイアス (selection bias) サンプルが1つの変数に基づいて抽出され, 後にそのサンプルが, ある別の変数について観測値の母集団と異なっていることが判明した場合 クロスセクションの検証について, 他の事情が同じ という条件が満たされていない Kaplan and Roll は, 会計手続き変更が年次利益公表時点の異常投資収益率に与えた影響を推定するとき, 期待外利益を考慮すべきだった (3) 結論 Kaplan and Roll の研究における調査方法上の諸問題を勘案すると, 会計手続き変更による利益操作が永久に株価に影響を及ぼさないという彼らの結論を首肯することは難しい 15 16 Ball の研究 効率的市場仮説と資本資産評価モデルに基づき, 税金に影響を及ぼす会計手続き変更について, 変更公表時点で株価効果は観察されないと主張 (1) 調査対象となる会計手続き変更 一定期間中のあらゆる会計手続き変更を調査 ( 税金に影響を及ぼさない会計手続き変更にサンプルを限定しない ) 無効果仮説によれば, 会計手続き変更により税額が減少するからといって変更の公表時点で株価に影響を及ぼさない, と論じている 17 (2) サンプル 1947 年から1960 年までのAccounting Trends and Techniquesを調査 必要なデータが入手可能な最終サンプルは,197 社からなる267 件の会計手続き変更 14 年にわたって比較的均等な分布となっており,Kaplan and Roll の直面した密集問題を緩和している サンプル中で最も多い変更は棚卸資産会計手続きの変更と減価償却法の変更 Ball のサンプルは Kaplan and Roll のサンプルと重複していない 18 3
(3) 調査方法と結果 会計手続き変更の影響を受けた年次利益の公表月における平均異常投資収益率がゼロとは異なっているか, ということを検証 会計手続き変更が会社のリスク変動と関連しているか, ということを調査 1リスク変動について修正をしない異常投資収益率 利益公表に関連した株価変動は無い ( 無効果仮説と一致 ) 2リスク変動の検証およびリスク変動について修正された異常投資収益率 0 月後の異常投資収益率は実質的に存在しない ( 無効果仮説, 効率的市場仮説と一致 ) 19 3リスク変動について修正した異常投資収益率 -12 月から0 月の間に7% の異常投資収益率が生じた ( 両方の仮説と矛盾 ) 無効果仮説と一致し説得力のある説明 異常投資収益率は後入先出法への変更による税額の減少に起因している 後入先出法に変更した会社の当期利益や将来の期待利益が好転し, その株価が上昇した サンプル抽出バイアスの存在を意味 会計手続き変更と関連した株価変動を調査するとき, その時点での期待外利益をコントロールすることが重要である 20 (4) 結論 機械的反応仮説の検証に集中したため, 調査結果は無効果仮説に関する証拠としては脆弱 BallおよびKaplan and Rollは, 株価効果がないという予測を検証しているので, その検証は無効果仮説を強力に検定したものではない 会計手続き変更と関連するサンプル抽出バイアスを説明しておらず, サンプル抽出バイアスが存在する可能性があるために調査結果の信憑性が損なわれる 後続の研究が初期の研究から多くを学び, 同一時点の期待外利益という問題を解決することが期待され, 現にその傾向が観察されている 21 棚卸資産会計手続きの変更に関する研究 株価効果がゼロではないという予測を用いて, 無効果仮説について相対的に強力な検定を実施 無効果仮説と機械的反応仮説とを差別する機会を提供 (1)Sunder の研究 後入先出法への変更または後入先出法から他の方法への変更に関連した異常投資収益率とリスク変動を調査 ( 機械的反応仮説を検証 ) し, リスクは後入先出法への変更と同時に増加するということが確認された サンプル抽出バイアスは考慮されていない 22 (2)Ricks の研究 期待外利益ならびに業種を基準として, 後入先出法変更会社と非変更会社とを対応させたペアをサンプルに用いて, 密集問題の緩和に努めた ( サンプル抽出バイアスのコントロール ) 結果は無効果仮説よりも機械的反応仮説を支持 ( 後入先出法へ変更することによりもたらされた利益額の変更で市場は誤導される ) 問題点 自己選抜バイアス (self-selection bias) 変更会社と非変更会社の両サンプルには重大な経済的相違点があり, 両サンプルにおける投資収益率の差を説明するには看過できない変数をRicksが省略した可能性がある 23 (3)Biddle and Lindahl の研究 異なる方法 (15 ヶ月間の異常投資収益率を利用 ) により, 自己選抜バイアスを回避 節税額が多ければ多いほど会社の価値変動も大きく, 後入先出法への変更が行われなかったと仮定して算定される利益における期待外利益が大きければ大きいほど会社の価値も高くなる, という結果 機械的反応仮説よりも無効果仮説が現実に適合していると主張 ただし, 第 4 四半期の結果については矛盾が生じており, Biddle and Lindahl はそれを測定誤差として説明している 24 4
要約 差別化の検証が辿った道程は, 過去の研究のうえに次の研究が積み上げられていく過程を例証 ある研究で発見された問題が, 後の研究で解決すべく取り組まれる 研究が繰り返され徐々に検定力が高まり, 的確な差別が可能となる 情報費用と取引費用がゼロ という仮定を取り除き, そのような費用に基づいて会計手続き変更を説明する研究を誘発 ( 次章以降 ) 25 参考文献 Ball, R. J. [1972] Changes in Accounting Techniques and Stock Prices, Journal of Accounting Research, Vol. 10, supplement, pp.1-38. Biddle, G. C. and F. W. Lindahl [1982] Stock Price Reactions to LIFO Adoptions: The Association Between Excess Returns and LIFO Tax Savings, Journal of Accounting Research, Vol.20, Autumn, pp.551-588. Kaplan, R. S. and R. Roll [1972] Investor Evaluation of Accounting Information: Some Empirical Evidence, Journal of Business, Vol. 45, April, pp.225-257. Ricks, W. [1982] The Market s Response to the 1974 LIFO Adoptions, Journal of Accounting Research, Vol.20, Autumn, pp.367-387. Sunder, S. [1973] Relationship Between Accounting Changes and Stock Prices: Problems of Measurement and Some Empirical Evidence, Journal of Accounting Research, Vol. 11, supplement, pp.1-45. [1975] Stock Price and Risk Related to Accounting Changes in Inventory Valuation, Accounting Review, Vol.50, pp.305-315. Watts R L and J L Zimmerman [1986] Positive Accounting Theory 26 5