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上田徹 私はすでに ゼノンの逆理とアリストテレスの誤謬 において (1) ゼノンの第一逆理と第二逆理について論じた つぎに 第三逆理 ( 飛矢静止の逆理 ) について論じたい 第三逆理の解釈はすでに行った解釈を踏まえている そのために まず すでに確認された諸点を簡潔に振り返っておきたい 第一 第二逆理についての解釈の要点 1 現実主義者のアリストテレスにとって 運動不可能は笑止な妄説であり (2) 第二逆理 ( アキレスと亀 ) は 線型化された時間の無限分割によって解決できると考えた 2しかし かれはゼノンの反駁をしていると考えながら 実際はゼノンが反論している 空間的延長が極小の固体 もしくは点から合成されるという多元論者を論敵とする誤謬を犯していた ゼノン自身は DK1 の断片から知られるように分割は常に 突出した部分 προύχοντος を残すため 存在を極大にするか 大きさのないほどにまで遂行されれば存在を無に帰するかの矛盾に結果するものであり ( それゆえに全一存在は不可分割である ) アリストテレスはジレンマ論法の一方の角をゼノンの見解と取り違えたのである 3アリストテレスがこのような誤謬を犯した原因は 当時 アカデメイアとリュケイオンとの間で幾何学的対象の実在性について見解の対立があったからである アカデメイア派の立場は 空間的延長が幾何学的点や 不可分の線 ἄτομοι γραμμαί (3) といった不可分割的構成要素から合成されうるとするものであり 現実性優位のアリストテレスの立場から見れば ロギコースな λογικῶς( 概念探究を事とする立場の ) 抽象論 (4) であると見えたのである ゼノンの逆理を反駁する場合 かれはゼノンの立場をアカデメイア派と同じ見解をもつものと解釈した 4 感覚的に直観される線分や物体が概念的なものに解消されれば それらは実在性を失わざるをえない それゆえ 運動の軌跡や経過時間を線型化したアリストテレスはそれが不可分割的な最小単位をもつことを否定したのだが このような考えは 66

筑波哲学 第 23 号 (2015 年 ) もともとエレア派の学説には無縁なものである 5さらに ここからアリストテレスは ゼノンのアキレスと亀の逆理を二分割の逆理と類同化する誤りを犯した アキレスと亀の逆理は 本来 ゼノンの DK1 のジレンマ論法の 無限であるほどに大きい とする角から導かれたものであり 現代の大多数の解釈者たちが問題とするように ゼノン自身は極限への収束を問題にしていなかった むしろ 感覚的直観によってとらえられる両者の速度の差である比が 論理必然的に無限に繰り返されなければならないというように非常に巧妙にゼノンは逆理を構成していたのである 以上の事柄を踏まえ 前もって飛矢静止の逆理に対するアリストテレスによる反駁の論拠を見てみると アリストテレスの見解は 線型化された時間は不可分の < 今 >から合成されてはいない 時点 としての今は連続した時間の限界点にすぎないものであるということである したがって かれはゼノンの本来の見解を誤解しており いわば 疑似問題 を設定し それに解決策を与えたのではないかと推測される そこで アリストテレス自身および諸注釈家のテキストを検証し 飛矢静止の逆理におけるゼノンみずからの見解にできるだけ近づいてみたい そしてこのことが パルメニデスの主張した 全一存在 τὸ ἐόν そのものに間接的に解明を与えることを期待したいのである I アリストテレスによる飛矢静止の逆理への言及 アリストテレスは 自然学 Ζ 巻 9 章の二箇所でゼノンの飛矢静止の逆理につい て言及している ゼノンは論過している というのは つねにすべてのものは静止しているか あるいは運動しているかのいずれかであり ἀεί ἠρεμεῖ πᾶν ἤ κινεῖται <じつは何ものも運動しないのであるが>それが等しいものを占める κατὰ τὸ ἴσoν ならば 運動体は今においてはつねに等しいものに留まり 動いている矢は静止しているとゼノンは言っているからである しかし この推理は虚偽である なぜなら 時間は複数の不可分の今から ἐκ τῶν νῦν τῶν ἀδιαιρέτων 合成されてはいないからであり このことは他の何であれ大きさをもつものがそのよう 67

でないのと同断である (Phys.Ζ9.239b5-9.) 第三の議論は 先ほど言及された飛矢は静止しているという論である だがこの議論は時間が複数の今から ἐκ τῶν νῦν 合成されていると仮定することから導かれるので この仮定が認められなければ推論も成り立たない (Phys.Ζ9.239b30-33.) これらの箇所から明らかなように アリストテレスはゼノンの誤りを時間が不可分の今から合成されていると考えていることに見ている それはアリストテレス自身が 時間と運動をともに知覚される対象として 時点としての今を運動の軌跡である線分の構成要素としての点として読み替えることを前提しているからである しかし ゼノンがそのような意味で今といったという根拠はない さらに これらの箇所はテキストにも問題が多い まず つねにすべてのものは静止しているか あるいは運動しているかのいずれかである という選言はエレア派の哲学からみると不自然であるということである なぜなら エレア派の選言は あるか あらぬか という排他選言であり あとでみるようにゼノンもその例に漏れないからである 諸家は あるいは運動しているか という部分を削除するか Diels が補ったように<じつは何ものも運動しないのであるが>という付加を行って 問題を回避しようとしている (5) Zeller はこのようなテキスト上の問題が注釈家たちの解釈の相違に反映しているとして 要領よくまとめている (6) 削除 修正を支持するのは Zeller 自身も含めて Diels や Themistius( 四世紀頃 ) といった場所的な静止に重点を置く解釈者たちであり アリストテレスのテキストに忠実であるのは Simplicius や Philoponus( ともに六世紀頃 ) といった複数の今のそれぞれにおける静止に重点を置く解釈者たちである Zeller 自身が場所的静止に重点を置くのは ゼノンの断片 運動しているものは それがある場所においてもそれがあらぬ場所においても運動しない (DK4) にその内容が適合しており そこでは選言が あるか あらぬか という意味で排他的に用いられているからである また 等しいものを占める という言葉は 時間的静止に重点を置く解釈者たちも含めて 場所的に解釈されている この点を Themistius は強調して つぎのようにパラフレーズしているのである 68

筑波哲学 第 23 号 (2015 年 ) なぜなら とゼノンはいう もしすべてのものがそれ自身と等しい間隔を占めているときには κατὰ τὸ ἴσoν αὑτῷ διάστημα 静止しており 運動体はつねにそれ自身と等しい間隔を占めているなら 飛矢は静止していることが必然である (Themistius, 34) (7) このとき 今は 線型時間を合成する各々の今であるとは考えられてはいない 場所的な限界の内にあるか あらぬかということに力点があるからである この解釈は アリストテレスのように 時間の経過が複数の不可分の今から合成されているという前提をゼノンに読み込んでいない したがって はじめに本稿の前提とした第一 第二逆理の解釈の線とも一致するだろう しかし ゼノン本来の意図を手繰りだすためには さらに踏み込んだ解釈をする必要があると私には考えられる それは しかし ひとまずおき 時間的静止に重点を置く注釈家たちの解釈をつぎにみておきたい II アリストテレスに依拠する注釈家たち アリストテレスのテキストにある すべてのものは運動しているか 静止しているか という二者択一を保存している注釈家たちは みな共通してアリストテレスの記述を信頼しているようである Simplicius と Philoponus について証言をみてみたい ゼノンの議論は すべてのものはそれ自身と等しいものを占めているとき 運動しているか静止しているかのいずれかであり 今においてはなにものも運動せず さらに各々の今において καθ'ἕκαστον νῦν 運動体はつねにそれ自身と等しいもののうちに留まるということを前もって仮定し つぎのように推論したようである 飛んでいる矢はすべての今において それ自身と等しいものを占める ゆえに 時間の全体においても同様である だが 今においてそれ自身に等しいものに留まるものは運動しない なぜなら 今においては何ものも運動しないから 運動しないものは静止している すべてのものは運動しているか 静止しているかのいずれかであるゆえに したがって飛んでいる矢は 運動している間 運動する経過時間の全体において静止しているのである 69

(Simplicius, 31) ゼノンはいう すべてのものは それ自身と等しい場所にあるなら 静止しているか運動しているかのいずれかである だが それ自身と等しいもののうちにあるものは運動しない ゆえに静止している ここから 飛矢は運動している間 その時間の今どもの各々のうちにあり ἐν ἑκάστῳ τῶν νῦν χρόνου それ自身と等しい場所のうちにあるので静止していることになるだろう その時間の無限な今どものうちで静止しているならば その時間全体でも静止していることになるだろう しかし 飛矢は運動していると仮定されていた したがって飛ぶ矢は静止するだろう (Philoponus, 33) これをみると 時点としての今において飛矢がそれ自身と等しい場所を占め 静止しているとすれば 経過時間の全体においても それは無限の時点が合成されたものであるから 静止していることになるということがゼノンの推論の根幹であると Simplicius も Philoponus も同様に証言しており アリストテレスのテキストに忠実にゼノンの推論を引用しているようである (8) Zeller もまた Schleiermacher が促した注意から Simplicius がアレキサンドリアの Anmonius を聴講していたときにはゼノン自身のテキストを参照し得た可能性はあるが のちには主に抜粋を利用できたに過ぎず この箇所の記述もゼノン本来の見解ではなく アリストテレスの解釈による潤色をまぬかれていないと考えている (9) たしかに Zeller の指摘するように このようなゼノンの推論はアリストテレス自身が設定したものであり アリストテレスにとって みずからの運動論の枠組みのなかで反駁を試みるのに好都合なものであったと考えられる そのことを示すために 自然学 からアリストテレス自身の運動論を振り返ってみたい III アリストテレスによるゼノン擬似問題の解決策 自然学 Ζ 巻 1 章でアリストテレスは 連続的なものは不可分割的なものから合成されることは不可能である 例えば 線が連続的であり 点が不可分割的なものなら 線は点から合成され得ない (Phys.Ζ1.231a24-26.) ということを出発点とし みずからの運動論の概念枠のなかでゼノンの逆理を解釈し 解決策を与えて 70

筑波哲学 第 23 号 (2015 年 ) いるとたしかにみられる アリストテレスの運動論では 連続的なものはつねに連続的なものへと分割されうるのであり 不可分の最小単位は存在しない 冒頭で顧みた第一 第二逆理の解釈の要約を踏まえると この立場は 不可分の単位が何らかの仕方で内在すると考えるアカデメイア派やピュタゴラス派の立場に対立するものであった アリストテレスは ゼノンの見解をかれらと類同化し 反駁するという誤解を犯したのである 自然学 Ζ 巻 1 章から 8 章までのなかで かれは運動 直線 時間の不可分割的単位の否定をおこなっている 運動については とくに不可分の 運動単位 κίνημα という概念を反駁しているのである このなかでとくに注目されるのは アリストテレスが Ζ 巻 9 章でゼノンの飛矢静止の逆理について言及している箇所で問題となり 後代の注釈家たち Simplicius や Philoponus がそれに追従したと考えられる すべてのものは運動しているか静止しているかのいずれかであることが必然 という命題を かれが Ζ 巻 1 章での運動単位の反駁のなかですでに公理として用いているということである (Phys.Ζ1.232a12.) ここからも ゼノンの逆理のアリストテレスによる再説は かれの理論の概念枠によって加工されたものであると判断してよいだろう アリストテレスの運動論では 時点としての今は 点が線分に対してそうであるように 時間の限界としての< 今 >πέρας τοῦ χρόνου なのである なぜなら それ ( 時間の限界としての < 今 >τὸ ἔσχατον αὐτοῦ νῦν) は限る ものであり それらの今の中間に時間があるから (Phys.Ζ6.237a5-6.) このことを根拠にして アリストテレスは時間の限界としての < 今 > においては運 動も静止も不可能であると結論するのである ( 転化するものは ) 時間を通してあるものに対応している κατὰ τι のではなく 時間の限界において κατὰ πέρας τοῦ χρόνου 対応しているのである 今においてはつねに何かに対応しているが 静止することはない なぜなら 今においては運動も静止もないからである (Phys.Ζ8.239a34-b2.) アリストテレスはこのようにして自分の理論からゼノンの論過を反駁し得ると信 71

じたが それはあくまでもかれの理論の概念枠で解釈された擬似問題に対してかれ が反論しえたということにすぎないだろう IV ゼノンの場所論 このようにみると われわれは Zeller の提案に従って Themistius Diels のとる場所的静止に重点を置く解釈を支持するべきであるのだろうか この解釈の利点は < 今 >を線型化された時間経過を合成する不可分割的な時点とはみなしていないこと ゼノンの現存断片 4 の運動不可能の根拠とされる場所的静止に適合していること そしてそこから アリストテレスの運動論の公理であったと推定される すべてのものは運動しているか 静止しているかのいずれかである という選言ではなく エレア派の根本原則 あるか あらぬか という排他選言に基づいてゼノンの主張を解釈でき アリストテレスのおこなった改変を取り除くことができるという点である しかし すでに述べたように さらにもう一歩この解釈には踏み込む必要があると私にはおもわれる それはつまり アリストテレスの伝承したゼノンの 場所についてのアポリア を無視することはできないからである さらに場所そのものもまた存在するものの何かであるならば それはどこかに存在することになるだろう なぜならば ゼノンのアポリアがなんらかの説明を求めているからである というのは 存在するすべてのものが場所のうちにあるならば 場所の場所 τοῦ τόπου τόπος があることになる そしてこのことは無限に繰り返される (Phys.Δ1.209a23-25.) (10) 第一 第二逆理で問題とされた 限界と限界を超えるあらたな限界設定が無限に繰り返されるというアポリアは 場所についてもまったく同様に妥当するとゼノンが考えていたことは疑いない 諸家の見解をみれば Ross はつぎのようにいう 全宇宙はそのうちに唯一のものを含むことになる それは存在 全宇宙それ自体である 全宇宙にはいかなる意味での数多性も存在しない (11) また Cherniss は エレア派は 唯一の不変の存在から乖離した部分の存在 すなわち空間の存在を否定した といっている (12) 後代には ゼノンの二律背反は エレア派の全一存在そのものも含めて 存在すべてに向けられたという解釈もあるが (13) プラトンが証言し 72

筑波哲学 第 23 号 (2015 年 ) ているように ゼノンはパルメニデスの哲学に忠実であり かれの弁証法は師パルメニデスの学説を擁護するために用いられたと考えられるならば ゼノンが ある というとき またそれと 今 静止 を関連づけて語ったとすると その意味はパルメニデスの主張した 全一存在 に基づくものであると考えるのが自然なのではないだろうか V パルメニデスの < 今 > パルメニデスの時間論は議論が多く 断片そのものを詳細に検討しなければならないから 述べ尽くすことはできない しかし ゼノンの飛矢静止の逆理へのアリストテレスの反駁の全力点がそこに置かれていることを考えれば ひとまず 素描的にでも言及することをゆるされたい パルメニデスの< 今 >とは あるか あらぬか という排他選言を根本原理にするロゴスによる判定によって 現在 過去 未来の現象的時間相のうち過去 未来の相が抹消され 不変の形式に限界づけられた 現在 であるばかりではなく 詩全体の序歌における女神との邂逅にみられる秘儀的時間相 つまり 思惟によってロゴスによる判定のホドス ( 行程 ) をたどる者が経過する時間相が交錯し 全一存在 がそこにおいて現在する 現在 である それゆえに 現象的時間相を超越した不変性と時間内的な現在であるという相矛盾した性格をもっているのである この全一存在は時空間というべき連続体であるから 現象的時間の査定である線型的な時間軸で記述することはできない いつ どこに という問いに対して 今 ここに としか答え得ない存在がゼノンの意図にあったとするならば 現象的な時間 空間は虚妄になる Calogero の言葉を借りれば 飛んでいる矢とは死すべき人間たちがおいた名目 ὄνομα にすぎないもの と化すだろう (14) 後代のエレア学徒メリッソスが 時空間は限界を越えて延び広がる 無限なもの であり それゆえ 全一存在は過去 現在 未来を貫通して永続しなければならないと主張したのに対して (15) ゼノンは 師パルメニデスと同じように 現在 を限界づけられた不変の形式のなかで 秘儀的時間相と現象的時間相の交錯点において見ていたのではないだろうか ゼノンのいう< 今 >をアリストテレスの呪縛から解放して 生まれ故郷であるパルメニデスの懐に返してやること これが飛矢静止の逆理の検討を経て 私が得た教訓であった 73

(1) 筑波哲学 第 22 号 2014 年 pp.53-70. (2) アリストテレスはエレア派の議論は全体として争論的であり 粗雑 φορτικῶς であると考えていた Cf. Phys.Α2.185a8-12., Met.Β4.1001b14. (3) W.D.Ross, Aristotle's Metaphysics, vol.i, pp.203-207. Ross は 不可分の線について De Lineis Insecabilibus は 作者不明ではあるが アリストテレス自身の立場から プラトン自身およびプラトニストの見解が批判されていると考えている 注目されるのは プラトンが 不可分の線 を唱えた理由がゼノンの二分割の逆理を回避することにあったとも考えられるということである (4) 概念探究を事とする立場 とは ソクラテス プラトン プラトニストたちの立場であり アリストテレスは具体的存在から遊離した抽象論という批判的な意味で用い 時には詭弁ともとれる意味にも用いている ἐν τοῖς λόγοις σκέψιν Met.Α6.987b31-32., οἰ ἐν τοῖς λόγοις Met.Θ8.1050b35., διὰ τὸ λογικῶς ζητεῖν Met.,Λ1.1069a28., τᾶς λογικὰς ἀποδείξεις Met.Ν1.1087b21., λέγω λογικὴν (ἀποδείξιν) διὰ τοῦτο, ὅτι ὅσῳ καθόλου μᾶλλον, πορρωτέρω τῶν οἰκείων ἐστιν ἀρχῶν G.A.747b28. 最後の 動物発生論 の引用箇所の訳は 私が概念的論証というわけは よりいっそう普遍的な探究をすることによって それだけより本性固有の原因から遠ざかるゆえんである となる (5) Diels は οὐδὲν δὲ κινεῖται を挿入する Cornford は削除するか καὶ μὴ κινεῖται を挿入すべきとする F.M.Cornford, Aristotle Physics vol.ii, Loeb.pp.180-181. (6) E.Zeller, Die Philosophie der Griechen, Bd.I, Leipzig, 1923, S.757-760. (7) 以下 引証番号は H.D.P.Lee, Zeno of Elea, Cambridge UP, 1936. による (8) Zeller, op.cit. S.759. Anm.1. において Zeller はこの推論において κατὰ τὸ ἴσον が場所的意味と 同じ今において という時間的意味の多義性をもっており 四個概念の虚偽の疑いをぬぐえないといっている (9) Zeller, op.cit. S.757-758. Anm.3. (10) H.Cherniss, Aristotle's Criticism of Presocratic Philosophy, New York, 1971, pp.144-145, p.157. で Cherniss は ゼノンのアポリアは 空間や位置といった 全一存在以外の存在をいかなる意味でも許容しないものであると考えている (11) Ross, op.cit. p.245. (12) Cherniss, op.cit. p.144. (13) G.Calogero, Studien über den Eleatismus, Darmstadt, 1970, S.165-166. Calogero はゼノンの二律背反を極端に解釈し 虚無主義に結びつけた解釈をとった流れとして Gorgias, Seneca, Simplicius を挙げている (14) Calogero, op.cit. S.157. 飛矢静止の逆理の解釈に関して私は Calogero に賛同する このようにみると アリストテレスや注釈家たちの再説で問題であった κατὰ τὸ ἴσον は パルメニデスの断片 DK8.49, οἵ γὰρ πάνθοτεν ἴσον, ὁμως ἐν πείρασι κύρει に結びつけられるのではないだろうか ただし Calogero には いったいなぜアリストテレスがゼノンに対してエレア派の学説には無縁であった時間 空間の不可分の構成要素という立場を押しつけたのかということについて 十分な説明はない (15) Mellissos の断片 とくに DK2, DK3, DK4, DK7 を参照 ( うえだ とおる筑波大学非常勤講師 ) 74