マックス ウェーバー著 大塚久雄訳 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 1989 年 Max Weber, Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus, 1920 第 1 章 問題 1. 信仰と社会の層分化 ( 二十世紀初頭のドイツでは ) 企業家や熟練労働者がプロテスタント的色彩を帯びている (p.16) 十六世紀のドイツでも プロテスタンティズムを信仰したのは 裕福な都市の人々だった (p.17) これらの人々が 宗教改革を受け入れるべき素質を備えていたのはなぜだろうか この点については 宗教改革が人間生活に対する教会の支配を排除したのではなくて むしろ従来とは別の形態による支配にかえただけだ ということに留意しなければならない (p.18) しかも 従来の形態による支配 ( カトリシズム ) が ほとんど形式的なものに過ぎなかったのに対し 新しい形態による支配 ( プロテスタンティズム ) は 公的生活と私的生活の全体にわたって厄介な規律を要求するものだった 経済的に発展した地方の人々が プロテスタンティズムの専制的支配を受け入れたのは いったいなぜ だったのか (p.19) 禁欲的であることと 営利活動に携わることには親和関係があるのではないか (p.29) 2. 資本主義の精神 資本主義の精神 という名称が意味をもつような対象は 歴史的個体 でなければならない (p.38) 歴史的個体 : 歴史的現実における諸要素を ある観点から概念的に組み合わせた複合体 資本主義の精神 : 歴史的概念 ( 歴史的 特殊的 ) 直近の類 ( 最近類 )+ 種差 によって定義することはできない 歴史的現実における諸要素を ある観点から概念的に組み立てなければならない 1
暫定的な例示 : ベンジャミン フランクリン ( アメリカ建国の父 ) 自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想 (p.43) 貨幣の獲得を人間に義務づけられた自己目的 すなわち 天職 とみるような見解 (p.83) これに違反することは 義務の不履行 ( 罪 ) だとされている エートス ( 倫理観 ) が表明されている この倫理の最高善は貨幣を獲得することであり それは自己目的と考えられているために 個人の幸福 ( 個人的な合理性 ) と対立して 非合理的なものとして立ち現れている (p.47) われわれの究明すべき点は 資本主義文化の構成要素となっている 天職 ( 自己目的な義務としての職業 ) の観念と 職業労働への献身 ( 個人的には非合理的 ) が どのように生まれたかという問題である (p.94) 3. ルターの天職観念 職業 ( 世俗的な義務 ) を意味する ベルーフ には 召命 ( 自己目的な義務 ) の意味がこめられている ベルーフ は 召命としての職業 すなわち 天職 のことである (p.95) これは聖書の翻訳に由来しており 翻訳者 ( ルター ) の精神に由来している 新しい思想 : 職業は召命であり その遂行こそが神に喜ばれる唯一の道である (p.110) しかし ルターは伝統主義 ( 営利の排斥 ) を脱しなかった (p.125) 宗教改革はルッターの個人的な宗教的展開から切りはなしては考えられず また 彼の人格から長き にわたって深い精神的影響をうけたとはいえ 彼の事業は カルヴィニズムなくしては とうてい外的な 永続性をもちえなかっただろう (p.129) われわれは 近代文化のもつ一定の特徴ある内容のうち どれだけを歴史的原因として宗教改革の影 響に帰属させることができるか ということだけを問題とする (p.135) 第 2 章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理 1. 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤 われわれにとって重要なのは [ ] 宗教的信仰および宗教生活の実践のうちから生み出されて 個々人の 生活態度に方向と基礎をあたえるような心理的起動力をば明らかにすること である (p.140) カルヴァン派 : 予定説 ( ウェストミンスター信仰告白 )(p.146) 神はその栄光を顕わさんとして みずからの決断によりある人々 [ ] を永遠の生命に予定し 他の人々を永遠の死滅に予定し給うた ( 第 3 章 3 節 ) 2
この悲愴な非人間性をおびる教説が その壮大な帰結に身をゆだねた世代の心に与えずにはおかなかった結果は 何よりもまず 個々人のかつてみない内面的孤独化の感情だった (p.156) 牧師も助けえない 聖礼典も助けえない 教会も助けえない 神さえも助けえない 世界の ( 救済のための ) 呪術からの解放 (p.157) ひとつの謎 : 内面的孤独化と分業の両立 隣人愛の結果である 隣人愛は 神の栄光に奉仕するためのものでなければならないから 神 ( 自然法?) によって与えられた天職の遂行のうちに現れる また 神は社会的な秩序の合理的な ( 合目的的な ) 構成を求めるから 分業こそが神の栄光を増すものと考えられた (p.166) 信徒の疑問 : 私はいったい選ばれているのか どうしたら選びの確信が得られるのか (p.172) 勧告 1. 自分は選ばれているのだと考えるように義務づけること (p.178) 選びの確信にみちた 聖徒 が育成された 勧告 2. 確信を得るための方法として 職業労働を教えこむこと (p.179) 勧告 2 の根拠 : 宗教的な特質 ( ルター派と対比して 救済についての教説に現れている ) ルター派 : 神秘的合一 ( 自己の魂のうちに神的なものが現実に入ってくるという感覚 ) カルヴァン派 : 選びの確信 ( 神が自己のうちに働き それが意識にのぼるという感覚 ) 宗教的達人が自分の救われていることを確信しうるかたちは 自分を神の力の容器と感じるか ある いはその道具と感じるか その何れかである 前者 ( ルター派 ) の場合には彼の宗教生活は神秘的な感情 の培養に傾き 後者 ( カルヴァン派 ) の場合には禁欲的な行為に傾く (p.183) 聖徒 たちの生活はひたすら救いの至福という超越的な目標に向けられた が また まさしくそのために現世の生活は 地上で神の栄光を増し加えるという観点によってもっぱら支配され 徹底的に合理化されることになった (p.197) このような合理化は カルヴァン派の信仰に禁欲的な性格を与えることになった (p.198) 西洋的な禁欲は 自然の地位を克服し 人間を非合理的な衝動の力と現世および自然への依存から引き 離して計画的意志の支配に服させ 彼の行為を不断の自己審査と倫理的意義の熟慮のもとにおくことを 目的とする そうした合理的生活態度の組織的に完成された方法 として 出来上がっていた (p.201) こうして生活の聖化は ほとんど事業経営という性格をさえもつものとなりえた 生活全体の徹底し たキリスト教化は カルヴィニズムが生活態度に押しつけたその方法意識の帰結だったのだ (p.214) ところで カルヴァン派以外の禁欲的な運動は 禁欲の宗教的な動機という観点からは カルヴィニズム の首尾一貫性を緩和したものとして現れてくる (pp.219-285) 3
どの教派においてもつねに 宗教上の 恩恵の地位 を [ ] 一つの身分と考え この身分の保持は [ ] 自然 のままの人間の生活様式とは明白に相違した独自な行状による確証 によってのみ保証されう るとした (p.286) このことからして 個々人にとって 恩恵の地位を保持するために生活を方法的に統御し そのなかに 禁欲を浸透させようとする起動力が生まれてきた (p.286) ところで この禁欲的な生活のスタイルは すでに見たとおり 神の意志に合わせて全存在を合理的に 形成するということを意味した [ ] こうして 宗教的要求にもとづく聖徒たちの 自然 のままの生 活とは異なった特別の生活は [ ] 世俗とその秩序のただなかで行われることになった (pp.286-287) このような 来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化 これこそが禁欲的プロテス タンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ (pp.287) 2. 禁欲と資本主義の精神 プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は 所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し 消費を とり わけ奢侈的な消費を圧殺した (p.342) その反面 この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った 利潤の追 求を合法化したばかりでなく それを [ ] まさしく神の意志に添うものと考えて そうした伝統主義の桎 梏を破砕してしまったのだ (p.342) そして さきに述べた消費の圧殺とこうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば その外面的結果はおのずから明らかとなる すなわち 禁欲的節約強制による資本形成がそれだ 利得したものの消費的使用を阻止することは まさしく それの生産的利用を つまりは投下資本としての使用を促さずにはいなかった (p.344) さて こうした宗教運動が 経済への影響力を全面的に現わすにいたったのは 通例は純粋に宗教的な熱 狂がすでに頂上をとおりすぎ 神の国を求める激情がしだいに醒めた職業道徳へと解体しはじめ 宗教 的根幹が徐々に生命を失って功利的現世主義がこれに代わるようになったとき である (p.355) 宗教的生命にみちていたあの十七世紀が功利的な次の時代に遺産として残したものは 何よりもまず 合法的な形式で行われるかぎりでの 貨幣利得に関するおそろしく正しい [ ] 良心にほかならなかった (p.356) 近代資本主義の精神の いやそれのみでなく 近代文化の本質的構成要素の一つというべき 天職理念 を土台とした合理的生活態度は [ ] キリスト教的禁欲の精神から生まれ出たのだった (p.363) 4
資料 1. 地理 シリア アッシリア パレスチナ バビロニア 資料 2. ユダヤ教の成立 紀元前 1300 年頃ヘブライ人がエジプトからパレスチナに脱出する ( 出エジプト ) 1000 年頃パレスチナにヘブライ王国が建国される ( ダヴィデ王 ソロモン王 ) 932 年 ヘブライ王国が北部と南部に分裂する ( イスラエル王国 ユダ王国 ) 722 年 イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる 587 年 ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされる ( バビロン捕囚 ) 538 年 新バビロニアがペルシアに滅ぼされる ( ペルシアの支配 ) 2-1. 出エジプト 神の特別な力が働いたのではないか ヤハウェ信仰が成立 2-2. イスラエル王国の滅亡 ( 神の沈黙 1) ユダヤ人 イスラエル王国は神に対する落ち度によって滅びたのではないか 神に対する落ち度があったということは 神との間に契約 ( 義務と権利の関係 ) があったということであり 義務を履行しなかったということである イスラエル王国は神との契約における義務の不履行 ( 罪 ) によって権利を喪失したのではないか 2-3. ユダ王国の滅亡 ( 神の沈黙 2 バビロン捕囚 ) ユダ王国は神との契約における義務の不履行 ( 罪 ) によって権利を喪失したのではないか 神との断絶 2-4. ペルシアの支配 ペルシアへの提出物として律法 ( 創世記 出エジプト記 レビ記 民数記 申命記 ) が成立 5
資料 3. キリスト教の成立 紀元前 27 年共和政ローマが帝政になる ( ローマ帝国の支配 ) 紀元後 30 年頃イエスの活動と処刑 ( ペトロ的教会の成立 ) 33 年頃パウロの異邦人伝道 ( パウロ的教会の成立 ) 100 年頃旧約聖書の成立 ( 全 39 書 ヘブライ語 ) 300 年頃新約聖書の成立 ( 全 27 書 ギリシア語 ) 3-1. ペトロ的教会の成立 イエスは神の国 ( 神の全面的な介入 ) を告知した イエスは処刑されたが 復活し 弟子たちに顕現した 弟子たちはイエスの顕現 ( 神の部分的な介入 ) を告知し 教会を組織した 3-2. パウロ的教会の成立 それとも 神はユダヤ人だけの神でしょうか 異邦人の神でもないのですか そうです 異邦人の神でもあります 実に 神は唯一だからです この神は 割礼のある者を信仰のゆえに義とし 割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです ( ロマ 3:29-30) 資料 4. キリスト教の発展 紀元後 392 年ローマ帝国のキリスト教国教化 395 年ローマ帝国の東西分裂 476 年西ローマ帝国の滅亡 800 年西ローマ帝国の復興 962 年神聖ローマ帝国の成立 1054 年東方教会と西方教会の分裂 4-1. 宗教改革 (1517 年 ~) ルター派 : 聖書のみ 信仰義認論 万人祭司説 ( アウクスブルク信仰告白 ) カルヴァン派 : 予定説 ( ウェストミンスター信仰告白 ) 神の聖定によって 神の栄光が現われるために ある人間たちとみ使たちが永遠の命に予定され 他の者たちは永遠の死にあらかじめ定められている ( 第 3 章 3 節 ) 4-2. 主要教派 初代教会 東方教会 西方教会 プロテスタント オーソドックスカトリック英国聖公会 メソジストルター派 敬虔派ピューリタン バプテストカルヴァン派 改革派再洗礼派 メノナイト クエーカー 6
資料 5. 新共同訳聖書 おのおの[ ] それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい [ ] 割礼を受けている者が召されたのなら 割礼の跡を無くそうとしてはいけません 割礼を受けていない者が召されたのなら 割礼を受けようとしてはいけません 割礼の有無は問題ではなく 大切なのは神の掟を守ることです おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい ( 一コリ 07:17-20) 契約をしっかり守り それに心を向け 自分の務めを果たしながら年老いていけ 罪人が仕事に成功す るのを見て 驚きねたむな 主を信じて お前の労働を続けよ 貧しい人を たちどころに金持ちにする ことは 主にとって いともたやすいことなのだ ( シラ 11:20-21) 復讐してはならない あなたの国の人々を恨んではならない あなたの隣人をあなた自身のように愛 しなさい わたしは主である ( レビ 19:17-18) これがたいせつな第一の戒めです あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ という第二の戒め も それと同じようにたいせつです 律法全体と預言者とが この二つの戒めにかかっているのです ( マタ 22:38-40) 資料 6. ウェーバー著 折原浩訳 社会科学と社会政策にかかわる認識の 客観性 ( 岩波文庫 ) 理念型概念は 仮説 そのものではないが 仮説の構成に方向を指示してくれる それは 実在の叙 述そのものではないが 叙述に一義的な表現手段を与えてくれる (p.112) 理念型はむしろ 純然たる理想上の極限概念であることに意義のあるものであり われわれは この極 限概念を規準として 実在を測定し 比較し よってもって 実在の経験的内容のうち 特定の意義ある 構成部分を 明瞭に浮き彫りにするのである (p.119-120) 資料 7. ウェーバー著 中山元訳 世界宗教の経済倫理 ( 日経 BP クラシックス ) 預言の類型 1. 模範預言 ( 救いに到達しうる生活のありかたを模範として生きてみせるもの ) 預言の類型 2. 使命預言 ( 神の名において何らかの要求を現世の人々につきつけるもの ) この使命預言では 敬虔な者は自分を神的なものの入った< 容器 >のようなものを感じるのではなく 神の< 道具 >と感じていた そしてこうした使命預言はある種の神観念と密接な親和関係をそなえていた すなわち 世界を超越し 万物を創造した人格的な神 人間たちを怒り 赦し 愛し 求め 罰するような神の観念と強く結びついていたのである これと対照的なのが模範預言の神の観念である 模範預言の場合には つねにというわけでないが原則として 神は非人格的な最高存在であって ただ瞑想によってしか 神に近づくことはできないとされたのである (p.60) 7
新共同訳聖書旧約聖書 創世記出エジプト記レビ記民数記申命記ヨシュア記士師記ルツ記サムエル記上サムエル記下列王記上列王記下歴代誌上歴代誌下エズラ記ネヘミヤ記エステル記ヨブ記詩編箴言コヘレトの言葉雅歌イザヤ書エレミヤ書哀歌エゼキエル書ダニエル書ホセア書ヨエル書 アモス書オバデヤ書ヨナ書ミカ書ナホム書ハバクク書ゼファニヤ書ハガイ書ゼカリヤ書マラキ書 旧約聖書続編 トビト記ユディト記エステル記 ( ギリシア語 ) マカバイ記一マカバイ記二知恵の書シラ書バルク書エレミアの手紙ダニエル書補遺エズラ記 ( ギリシア語 ) エズラ記 ( ラテン語 ) マナセの祈り 新約聖書 マタイによる福音書マルコによる福音書ルカによる福音書ヨハネによる福音書使徒言行録 ローマの信徒への手紙コリントの信徒への手紙一コリントの信徒への手紙二ガラテヤの信徒への手紙エフェソの信徒への手紙フィリピの信徒への手紙コロサイの信徒への手紙テサロニケの信徒への手紙一テサロニケの信徒への手紙二テモテへの手紙一テモテへの手紙二テトスへの手紙フィレモンへの手紙ヘブライ人への手紙ヤコブの手紙ペトロの手紙一ペトロの手紙二ヨハネの手紙一ヨハネの手紙二ヨハネの手紙三ユダの手紙ヨハネの黙示録 愛は忍耐強い 愛は情け深い ねたまない 愛は自慢せず 高ぶらない 礼を失せず 自分の利益を求めず いらだたず 恨みを抱かない 不義を喜ばず 真実を喜ぶ すべてを忍び すべてを信じ すべてを望み すべてに耐える 愛は決して滅びない [ ] それゆえ 信仰と 希望と 愛 この三つは いつまでも残る その中で最も大いなるものは 愛である ( 一コリ 13:04-13) 8