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Transcription:

翻 訳 を 読 む 楽 しみ 太 宰 治 人 間 失 格 における のです のドイツ 語 訳 について 宮 内 伸 子 1. はじめに 筆 者 は 数 年 前 から, 日 本 語 で 書 かれた 文 学 作 品 を,そのドイツ 語 訳 と 対 照 さ せるという 作 業 に 取 り 組 んでいる 日 独 両 言 語 の 発 想 や 好 まれる 表 現 のちがい の 確 認 を 目 的 として 始 めたことであったが,この 作 業 を 通 して,よく 知 ってい るつもりの 日 本 語 の 作 品 が 新 しい 姿 で 立 ち 現 れ,それまで 気 づかないでいた 新 たな 面 白 みを 発 見 することもしばしばである これまでに,よしもとばなな, 川 端 康 成, 三 島 由 紀 夫 の 作 品 を 取 り 上 げてき たが, 今 回 は 太 宰 治 の 人 間 失 格 を,その 独 特 の 語 り 口 に 注 目 して 扱 ってみ たいと 思 う 太 宰 治 は, 明 治 42 年 (1909)に 生 まれ, 昭 和 23 年 (1948)に 亡 くなった 本 稿 で 考 察 対 象 にした 人 間 失 格 (1948)の 他, 走 れメロス (1940), 津 軽 (1944), ヴィヨンの 妻 (1947), 斜 陽 (1947)などがよく 知 られている 織 田 作 之 助, 坂 口 安 吾, 壇 一 雄 らとともに 無 頼 派 と 呼 ばれたり, 私 小 説 を 書 く 破 滅 型 の 作 家 の 典 型 と 見 なされることもある とりわけ 人 間 失 格 は, 発 表 された 直 後 に 作 者 が 心 中 で 死 んだことと, 作 品 の 中 核 をなす 手 記 の 書 き 手 である 大 庭 葉 蔵 の 生 い 立 ちや 自 殺 未 遂 を 繰 り 返 す 人 生 が, 作 家 自 身 の 生 涯 と 重 なるように 見 えるところから, 遺 書 ともいえる 自 伝 的 作 品 として 読 まれること も 多 い 人 間 失 格 は, 主 人 公 大 庭 葉 蔵 の 幼 年 期 から 青 年 期 を, 人 間 の 生 活 の 営 み に 適 応 できずに 自 滅 していく 過 程 として 描 いている 発 表 後 すでに 六 十 余 年 が 経 過 したが, 作 品 の 人 気 は 今 なお 衰 えず, 版 を 重 ね 続 けている 太 宰 生 誕 百 年 の 2009 年 には, 初 の 映 画 化 1 がなされ,またテレビアニメ 2 も 制 作 された この 作 品 は, 大 庭 葉 蔵 の 手 記 を, 別 人 の 手 になる 短 い はしがき と あと がき で 前 後 をくくるという 形 式 をとっている 中 心 は 言 うまでもなく 手 記 の 部 分 であり, 葉 蔵 が 自 らの 不 首 尾 に 終 わった 人 生 を 回 想 し, 文 章 を 綴 っていく 太 宰 節 とでも 呼 びたいその 語 り 口 は 独 特 で, 好 き 嫌 いがはっきり 分 かれる 3 自 1 監 督 : 荒 戸 源 次 郎, 主 演 : 生 田 斗 真, 公 開 は 2010 年 2 テレビアニメ 青 い 文 学 シリーズ の 一 作 として,2009 年 に 日 本 テレビ 系 で 放 映 3 このような 個 性 的 な 文 体 は, 一 長 一 短 がある 登 場 人 物 の 大 部 分 が, 太 宰 自 身 のよう 77

らを 人 間 失 格 と 断 定 しながら, 単 なる 反 省 や 後 悔 の 書 にはなっていない もっとも, 素 直 な 反 省 文 や 苦 いだけの 懺 悔 録 ならば,このような 人 気 の 高 い 作 品 にはならなかっただろう この 作 品,とりわけ 手 記 の 部 分 からは, 自 己 卑 下 と 自 己 憐 憫 がないまぜにな った 心 情 が 伝 わってくる つまり 反 省 しつつも 弁 解 し, 自 己 の 正 当 性 を 主 張 し ているという 印 象 がある 言 い 訳 を 述 べ 立 て, 開 き 直 りのような 態 度 さえ 感 じ させる このような 印 象 を 読 者 に 与 えるのはなぜか 文 章 に, 読 者 一 人 一 人 に 真 相 を 打 ち 明 けるような 調 子 があり, 自 分 のことなのにどこか 他 人 事 のように 解 説 していて,こんな 事 情 の 下 ではこのような 事 態 になっても 仕 方 ないのだ, わかって 欲 しい,という 甘 えが 感 じられるからではないだろうか 作 品 がもたらす 印 象 は, 作 品 のテーマによるところが 大 きいが,テーマは 具 体 的 には 言 葉 によって 表 現 されているのであるから, 印 象 の 源 を 突 き 止 めるの に, 何 を (テーマ)ばかりでなく,それが どのように 表 現 されているか にも 注 目 するのは 大 いに 意 味 のあることだろう ましてや 太 宰 の 場 合 は, 構 成 力 や 言 葉 の 美 しさよりも 巧 みな 語 りの 技 法 がその 魅 力 とされる 作 家 である 4 冒 頭 でも 記 したように, 筆 者 は 数 年 前 から, 日 本 の 文 学 作 品 をそのドイツ 語 訳 を 経 由 することによって, 新 たな 視 点 で 読 み 直 すという 試 みを 行 っている 日 本 語 原 作 だけを 読 むならば, 日 本 語 の 論 理 に 従 って 読 み 進 めればよいが, 別 の 言 語 への 変 換 を 視 野 に 入 れるなら,すんなり 訳 出 できそうな 表 現 と,そうで はなさそうな 表 現 があることに 気 づく 原 作 と 翻 訳 との 比 較 対 照 により, 日 本 語 が 得 意 とする( 日 本 語 が 好 む) 表 現 の 姿 が 浮 かび 上 がってくるだろう そのような 目 で, 人 間 失 格 を 読 み 直 してみると,この 作 品 (とりわけ 手 記 の 部 分 )がもたらす 上 述 のような 印 象 には, 自 分 (= 私 ) を 主 体 にした の です のでした 表 現 の 多 用 が 一 役 買 っているように 思 われる 道 化 おべ っか 精 神 受 け 身 の 奉 仕 の 精 神 等 の,テーマに 直 接 関 わる 文 言 ( 語 彙 )を, のです のような 補 助 動 詞 的 表 現 が 大 きく 下 支 えしているのではないだろう か にしゃべるからである ハムレットやコンスタンチェにせよ, 一 度 彼 の 手 にかかれば 太 宰 調 でしゃべり 始 める 葉 蔵 や 直 治 や 大 谷 になると,なおさらそうである 文 章 のあら ゆるところに 太 宰 が 息 づいている 太 宰 ファンにはたまらなく 魅 力 的 である ただ, 太 宰 ぎらいが 読 めば, 狂 人 のうわごとのように 聞 こえるかもしれない 上 田 真 太 宰 の 小 説 作 法 20 頁 ( 武 田 (1985) 所 収 ) また, 三 島 由 紀 夫 の 太 宰 嫌 いはよく 知 られている が, 大 岡 昇 平 もある 座 談 会 で, 嫌 いだ,あのメソメソした 所 が 嫌 い,と 明 言 している( 大 岡 昇 平 武 田 泰 淳 山 本 健 吉 太 宰 治 読 本 ( 座 談 会 ) 太 宰 文 学 を 裁 断 する, 山 内 (1994) 所 収 ) 4 太 宰 作 品 を 次 々と 読 む 読 者 でも, 構 成 の 堅 固 さとか 言 葉 の 美 しさに 感 動 した 人 はすく ないと 思 う それでいて 読 者 を 引 きずり 込 む 力 を 持 っているのは, 語 りの 技 法 が 巧 みで あるからだ 武 田 勝 彦 太 宰 文 学 の 補 助 線 143 頁 ( 武 田 (1985) 所 収 ) 奥 野 健 男 は, 太 宰 の 語 り 口 に 津 軽 ごたくの 影 響 を 指 摘 している( 奥 野 (1952):129 頁 ) 78

いったいどのくらいこの 文 末 表 現 が 多 用 されているのか, 以 下 に 数 字 を 挙 げ てみる 人 間 失 格 における のです のでした の 出 現 頻 度 全 1176 文 ( 句 点 でカウント)のうち: のです 115 のでした 112 これらのうち, 約 3 分 の 2 が 自 分 (= 私 ) を 主 体 にしての のです のでした の 使 用 これがきわめて 高 い 値 であることを 示 すために, 作 品 内 容 として 似 た 傾 向 を もつ 芥 川 龍 之 介 の 或 阿 呆 の 一 生 (1927)における 出 現 頻 度 も 挙 げておく 全 430 文 ( 句 点 でカウント)のうち: のである のだ 0 のだつた 5 さて,この のです(のだ) は, 日 本 語 の 日 常 会 話 に 頻 出 し, 自 然 な 日 本 語 にとって 不 可 欠 な 表 現 でありながら, 外 国 人 学 習 者 に 対 して 説 明 がしにくく, 日 本 語 に 相 当 習 熟 した 外 国 人 でも 十 分 使 いこなせない,きわめて 日 本 語 らしい 表 現 の 一 つとされている 5 従 って, 外 国 語 へ 翻 訳 する 際 には 困 難 がつきまとい, さまざまな 工 夫 を 要 するであろうことが 容 易 に 想 像 される 人 間 失 格 のドイツ 語 訳 の 検 討 を 始 める 前 に, のです(のだ) の 基 本 的 な 意 味 や 用 法 を 確 認 しておきたい 以 下 に 引 用 するのは, 菊 地 康 人 が 論 文 の だ(んです) の 本 質 の 中 で 簡 潔 にまとめた 説 明 である 1 話 手 と 聞 手 とが,ある 知 識 状 況 を 共 有 していて, 2それに 関 連 することで, 話 手 聞 手 のうち 一 方 だけが 知 っている 付 加 的 な 情 報 がある という 場 合 に,その 一 方 だけが 知 っている 付 加 的 な 情 報 を 他 方 に 提 示 する ときの 言 い 方 が のだ(んです) (その 提 示 を 求 めるときの 言 い 方 が の か(んですか) である 6 のだ の 適 切 な 使 用 にあたっては,この 説 明 の1にあるように, 話 し 手 と 聞 き 手 の 間 の 知 識 や 状 況 の 共 有 が 前 提 になるが,このことを 近 藤 安 月 子 は, 話 5 6 参 考 : 池 上 (1981):47 頁, 池 上 守 屋 (2009):138 頁 菊 地 (2000):29 頁 79

し 手 と 聞 き 手 が 共 同 注 意 態 勢 にあること, 志 向 性 が 一 致 していること とま とめ,さらに, のだ は 話 し 手 の 主 観 性 を 指 標 すると 指 摘 している つまり, 聞 き 手 が 共 有 していない 情 報 を, 話 し 手 は 自 らの 主 観 によってその 場 に 関 連 付 けて 導 入 し,そして,その 情 報 を 共 同 注 意 態 勢 にある 聞 き 手 は,ノダによっ て 指 標 される 話 し 手 の 志 向 性 に 自 らの 志 向 性 を 一 致 させ, 推 論 によって 話 し 手 の 発 話 意 図 を 理 解 する という 7 本 稿 では, 日 本 語 研 究 者 による 以 上 のような のです(のだ) に 関 する 研 究 成 果 8 を 踏 まえ, 人 間 失 格 に 多 用 されている のです の 日 本 語 的 特 性 とそ の 効 果 について,ドイツ 語 訳 を 手 がかりに 考 察 を 進 めていくことにしたい 2. 日 本 語 原 作 とドイツ 語 訳 の 比 較 人 間 失 格 のドイツ 語 訳 9 は, 英 語 訳 などよりだいぶ 遅 れて 1997 年 の 刊 行 である 10 さて,ドイツ 語 訳 において のです 文 はどのように 翻 訳 されてい るのだろうか 原 作 とドイツ 語 訳 をつき 合 わせた 結 果, のです に 一 対 一 で 対 応 するドイツ 語 はないために,ケースバイケースでの 処 理 が 行 われていたのは 事 前 の 予 想 通 りであった 前 節 で 確 認 したように, のです(のだ) は, 話 し 手 ( 語 り 手 )と 聞 き 手 ( 受 け 手 )とがある 知 識 や 状 況 を 共 有 しているという 条 件 の 下, 話 し 手 が 付 加 的 な 情 報 を 提 示 するときに 用 いられる 表 現 である このことを 踏 まえるならば, 霜 崎 實 が, 森 鷗 外 の 雁 における のである の 承 前 機 能 に 注 目 して, 英 語 で はそれが 何 によって 代 行 されているかを 考 察 した 論 文 で 挙 げた, のである の 英 語 への 翻 訳 例 は,すなわち,このような 場 合 の 付 加 情 報 の 英 語 での 提 示 方 法 とも 言 えるのではないだろうか 霜 崎 は 代 行 方 法 として 以 下 の 四 つを 挙 げてい る 11 7 近 藤 (2006):70-71 頁 のだ と 共 同 注 意 については, 本 冊 子 所 収 の 大 薗 論 文 も 参 照 されたい また 宮 下 論 文 においても のだ の 分 析 が 行 われているので 参 照 のこと 8 のです(のだ) に 関 しては,これまでに 厖 大 な 数 の 論 文 が 書 かれているが, 百 家 争 鳴 的 なところがあり, 現 在 でもまだ 決 定 版 と 言 える 説 明 は 出 ておらず, 日 本 語 教 育 で の です(のだ) の 効 果 的 な 指 導 法 もいまだ 確 立 されているとは 言 い 難 い 本 稿 で 紹 介 した 菊 地 の 説 明 に 対 しても 批 判 がないわけではない( 名 嶋 (2007):97-101 頁 ) 9 ドイツ 語 版 のタイトルは Gezeichnet であるが, 当 初 は Ein beschädigtes Leben とされ る 予 定 であったらしい( 参 考 :Hijiya-Kirschnereit (1993): S.183) 翻 訳 者 のユルゲン シ ュタルフは,1954 年 ドイツ 生 まれ,ボン,ボーフム, 東 京 外 国 語 大 学 で, 日 本 学, 英 語 英 文 学, 言 語 学 を 専 攻 東 京 のドイツ- 日 本 研 究 所 に 所 属 し,1997 年 から, 和 独 大 辞 典 の 編 纂 プロジェクト 長 を 務 める 太 宰 の 他, 阿 部 公 房, 金 井 美 恵 子, 埴 谷 雄 高, 村 上 春 樹 の 翻 訳 や, 日 本 文 学 の 翻 訳 目 録 の 作 成 も 手 がけている 10 1957 年 に 英 語 訳,1961 年 に 朝 鮮 語 訳,1962 年 にフランス 語 訳 スペイン 語 訳 イタリ ア 語 訳 が 出 版 されている この 他, 初 版 刊 行 年 の 確 認 はできていないが,チェコ 語 訳 が 遅 くとも 1996 年 以 前 に, 中 国 語 訳 も 2009 年 以 前 には 出 版 されている 11 霜 崎 (1981):122 頁 80

接 続 詞 (および 接 続 語 句 )の 使 用 語 順 を 入 れ 替 えて 論 理 関 係 を 整 理 関 係 代 名 詞 の 挿 入 コンテクストに 委 ねる( 特 に 訳 さない) これを 参 考 に 本 稿 では, 人 間 失 格 における のです 文 のさまざまな 翻 訳 方 法 を 以 下 の 六 パターンに 分 類 してみた 1. 理 由 を 示 す 接 続 詞 などを 補 う 2.(セミ)コロン,ダッシュなどの 言 語 記 号 を 用 いる 3. 関 係 代 名 詞 などで 受 け 直 す 4. 共 起 する 副 詞 の 訳 で 補 う 5. 背 後 の 事 情 を 客 観 的 に 描 写 する 6. コンテクストに 委 ねる( 特 に 訳 さない) 以 下,それぞれのパターンごとに 文 例 を 紹 介 していく なお, 本 稿 は 原 作 と ドイツ 語 訳 の 対 照 を 課 題 とするが, 参 考 までに 英 語 訳 も 添 え, 適 宜 言 及 するこ とにする 2.1. 理 由 を 示 す 接 続 詞 などを 補 う のです の 主 要 な 機 能 として, 背 後 の 事 情 ( 実 情 )を 説 明 する 働 きが 挙 げ られる 12 理 由 を 示 す 接 続 詞 を 使 っての 訳 がしばしば 見 られるのも 納 得 がいく (1) ( ), 自 分 は 持 ち 前 のおべっか 精 神 を 発 揮 して,おなかが 空 いた,と 呟 いて, 甘 納 豆 を 十 粒 ばかり 口 にほうり 込 むのですが, 空 腹 感 とは,どん なものだか,ちっともわかっていやしなかったのです ( 原 作 9 頁 ) Mit dem kriecherischen Geist, der mir eigen ist, murmelte ich dann, Mensch, hab ich Hunger, und schob mir eine Handvoll Bohnen in den Mund, obwohl ich nicht die geringste Ahnung hatte, was das sein könnte: Hunger. (ドイツ 語 訳 S.12) Seeking to please, as I invariably did, I would mumble that I was hungry, and stuff a dozen jelly beans in my mouth, but what they meant by feeling hungry completely escaped me. ( 英 語 訳 p.23) (1)は 豆 を 食 べることに 対 して, 空 腹 感 についてわかっていないにもかかわ 12 田 野 村 忠 温 は のだ の 基 本 的 な 意 味 機 能 について,あることがらの 背 後 の 事 情 を 表 す,ある 実 情 を 表 す,とまとめている( 田 野 村 (1990):5-8 頁 ) 81

らず と, 逆 接 の 理 由 を 述 べている 箇 所 なので,obwohl が 使 用 されている ち なみに, 英 語 訳 は, 甘 納 豆 をゼリービーンズに 変 えており, 自 由 さを 発 揮 して いる これは 本 稿 のテーマとは 直 接 は 関 わらないが, 一 般 にドイツ 語 訳 は 原 文 に 忠 実 という 意 味 で, 英 語 訳 よりも 生 真 面 目 である 英 語 訳 は 原 文 に 対 して 比 較 的 自 由 に 振 る 舞 い, 逆 に 言 うと, 英 語 らしさや 英 語 の 論 理 を 尊 重 する 傾 向 が ある この 作 品 の 翻 訳 にもやはりそのような 傾 向 が 随 所 に 見 て 取 れる (2) いいえ,お 金 の 心 配 が 要 らなくなったからではありません そのひとの 傍 にいる 事 に 心 配 が 要 らないような 気 がしたのです (50 頁 ) Nicht, weil mir die Sorge ums Geld genommen worden war, nein, weil ich mir, hatte ich den Eindruck, in ihrer Gegenwart überhaupt keine Sorgen zu machen brauchte. (S.59) No, it was not simply because I was relieved of the necessity of worrying about money. I felt, rather, as if being next to her in itself made it unnecessary to worry. (pp.77-78) (2)では, 一 つ 前 の 文 の から も, のです も 両 方 ともが weil で 訳 されて いる 原 文 でも 二 か 所 ともに, から あるいは ので を 使 うことも,この 例 では 不 可 能 ではないだろう しかしやはり, から と ので には 使 い 分 ける だけの 意 味 の 差 がある ドイツ 語 訳 が weil ich den Eindruck hatte( 気 がしたから) とはせずに, 心 配 が 要 らなかったから とし,そこに hatte ich den Endruck( 印 象 を 持 ったのだが)という 挿 入 句 を 加 えて, 理 由 の 内 容 を 微 妙 にずらしている のはそのためだろう 2.2. (セミ)コロン,ダッシュなどの 言 語 記 号 を 用 いる (セミ)コロンは 単 なる 区 切 りでなく, というのは すなわち などの 言 葉 に 訳 す 必 要 がある 場 合 が 多 い 筆 者 もそれは 承 知 していたものの, のです と 関 連 させて 考 えてみたことはこれまでなかった 今 回, 原 作 とドイツ 語 訳 を 対 照 させて 読 み 進 めるうちに, 両 者 の 関 係 に 気 づき,また 大 竹 芳 夫 の の(だ) に 対 応 する 英 語 の 構 文 の 中 に,これに 関 連 する 指 摘 を 見 つけた 以 下 に 紹 介 する 英 語 の 文 語 体 では 直 接 形 表 現 が(セミ)コロンやダッシュといった 言 語 記 号 に 導 かれて 提 示 され, 先 行 情 報 の 意 味, 論 理, 事 情 などを 断 定 する 場 合 が あるが,これは 日 本 語 にはない 文 法 現 象 である (164) a. We decided not to go on holiday: we had too little money. (Swan 1995) ( 私 たちは 休 日 に 外 出 しないことに 決 めた お 金 がほとんどなかったのだ) 82

b. We had a great time in Greece the kids really loved it. (ibid.) ( 私 たちはギリシャで 楽 しく 過 ごしました 子 供 たちも 本 当 に 楽 しんだ のです) 13 (3) 女 は 引 き 寄 せて,つっ 放 す, 或 いはまた, 女 は, 人 のいるところでは 自 分 をさげすみ, 邪 慳 にし, 誰 もいなくなると,ひしと 抱 きしめる, 女 は 死 んだように 深 く 眠 る, 女 は 眠 るために 生 きているのではないかしら, その 他, 女 に 就 いてのさまざまな 観 察 を,すでに 自 分 は, 幼 年 時 代 から 得 ていたのですが, 同 じ 人 類 のようでありながら, 男 とはまた, 全 く 異 なった 生 きもののような 感 じで,そうしてまた,この 不 可 解 で 油 断 のな らぬ 生 きものは, 奇 妙 に 自 分 をかまうのでした (28 頁 ) Frauen zogen mich zu sich heran, stießen mich von sich weg, verachteten mich, solange andere Leute da waren, behandelten mich kalt, schlossen mich, sobald niemand mehr da war, fest in die Arme, sie schliefen wie Tote, man konnte meinen, sie lebten fürs Schlafen solche und andere Betrachtungen über Frauen konnte ich seit meiner frühen Kindheit anstellen; sie schienen mir, obwohl doch offenbar ebenfalls Menschen, ganz andere Lebewesen zu sein als Männer, und, das war das wunderliche, diese geheimnisvollen, geriebenen Lebewesen hatten etwas, hatten viel für mich übrig. (S.33f.) Women led me on only to throw me aside; they mocked and tortured me when others were around, only to embrace me with passion as soon as everyone had left. Women sleep so soundly they seem to be dead. Who knows? Women may live in order to sleep. These and various other generalizations were products of an observation of women since boyhood days, but my conclusion was that though women appear to belong to the same species as man, they are actually quite different creatures, and these incomprehensible, insidious beings have, fantastic as it seems, always looked after me. (pp.48-49) (3)はダッシュとセミコロンが 使 われている 例 である ただし 英 語 訳 にはその どちらも 使 用 されていない ダッシュは, 女 についての 具 体 的 観 察 が 書 かれて いる 前 半 部 分 をまとめて,その 由 来 を 説 いているところで,ドイツ 語 訳 を 日 本 語 に 反 訳 するならば, すなわち が 使 えそうである セミコロンの 方 は, と いうのも という 後 ろから 理 由 を 補 足 するようなニュアンスを 表 現 する 役 割 を 担 っている 文 の 組 み 立 て 方 が,ドイツ 語 に 訳 出 する 際 に 論 理 的 に 整 理 されて いるのが 見 て 取 れる 英 語 訳 の 方 は, 日 本 語 の 一 種 だらだらと 続 く 叙 述 に 沿 っ 13 大 竹 (2009):153 頁 引 用 部 1 行 目 の 文 語 体 とは 文 章 表 現 のこと 83

ているように 見 える (4) 自 分 は,ツネ 子 (といったと 覚 えていますが, 記 憶 が 薄 れ,たしかでは ありません 情 死 の 相 手 の 名 前 さえ 忘 れているような 自 分 なのです)に 言 いつけられたとおりに, 銀 座 裏 の, 或 る 屋 台 のお 鮨 やで, 少 しもおい しくない 鮨 を 食 べながら,( )そのひとを, 待 っていました (51 頁 ) Tsuneko (so hieß sie, meine ich, doch sicher bin ich nicht, die Erinnerung läßt nach; das bin ich, Yōzō: vergesse den Namen der Frau, mit der ich in den Tod gehen wollte) hatte mir einen Sushistand in einem Hintergäßchen der Ginza bezeichnet, wo ich, gräßliche Sushi zu mir nehmend, auf sie wartete. (S.59) I was waiting at a sushi stall back of the Ginza for Tsuneko (that, as I recall, was her name, but the memory is too blurred for me to be sure: I am the sort of person who can forget even the name of the woman with whom he attempted suicide) to get off from work. The sushi I was eating had nothing to recommend it. (p.78) (4)はドイツ 語 訳 も 英 語 訳 もセミコロンないしコロンを 用 いて, のです の もつ 理 由 の 補 足 とでも 言 うべき 機 能 を 担 わせている 2.3. 関 係 代 名 詞 などで 受 け 直 す 関 係 代 名 詞 で 受 け 直 すことによって, のです がもつ, 前 の 部 分 とのつなが りを 保 ちつつ 付 加 情 報 を 示 すという 機 能 を 代 行 させている 訳 も 見 られた... (5) 自 分 には,あざむき 合 っていながら, 清 く 明 るく 朗 らかに生 きている, 或 いは 生 き 得 る 自 信 を 持 っているみたいな 人 間 が 難 解 なのです (20 頁 ) Was ich nicht begreifen kann, sind Menschen, die täuschen und dabei rein, klar und lauter leben oder doch der festen Überzeugung zu sein scheinen, so leben zu können. (S.25) I find it difficult to understand the kind of human being who lives, or who is sure he can live, purely, happily, serenely while engaged in deceit.(p.37) (6) ほとんど 入 神 の 演 技 でした そうして, 自 分 のためには, 何 も, 一 つも, とくにならない 力 演 なのです (60 頁 ) Es war eine wirklich geniale Aufführung. Noch dazu eine, die mir nichts, nicht das geringste, einbrachte. (S.69) My performance was all but inspired a great performance which brought me 84

no benefit whatsoever. (p.90) (5)は 不 定 関 係 代 名 詞 を 使 った 文 例,(6)は 定 関 係 代 名 詞 の 文 例 である (6) は 直 接 の 先 行 詞 は 不 定 代 名 詞 にして, 前 の 部 分 とのつながりを 明 確 に 示 してい る (7) 地 獄 は 信 ぜられても, 天 国 の 存 在 は,どうしても 信 ぜられなかったので す (79 頁 ) An die Hölle, gewiß, doch an den Himmel, nein, daran konnte ich nicht glauben. (S.90) I could believe in hell, but it was impossible for me to believe in the existence of heaven.(p.117) 関 係 代 名 詞 の 他 にも,(7)のように da- で 受 け 直 すことで, 前 の 部 分 との 関 連 性 を 明 示 させている 例 もあった 2.4. 共 起 する 副 詞 の 訳 で 補 う のです にはしばしば 共 起 する 副 詞 ( 句 )や 副 助 詞 が 存 在 する 例 えば, とにかく, 実 は, ただ, ~だけ, つまり, 言 い 換 えれば, 結 局, 要 するに, 事 実, その 実, 本 来, 実 際 などが 挙 げられる 14 ので す そのものに 対 応 するドイツ 語 はないものの, 共 起 するこのような 副 詞 を 確 実 に 訳 すことで, のです が 担 うニュアンスを 処 理 している 例 はかなり 多 く 見 られた (8) つまり,わからないのです 隣 人 の 苦 しみの 性 質, 程 度 が,まるで 見 当 つかないのです (11 頁 ) Ich habe, mit anderen Worten, keine Ahnung, wie und woran mein Nachbar leidet. Ich weiß es einfach nicht. (S.14) I simply don t understand. I have not the remotest clue what the nature or extent of my neighbor s woes can be.(p.25) (8)は, のです で 終 わる 文 が 二 つ 続 いているが, 一 つ 目 の のです につ いては, つまり を 換 言 すれば の 意 で mit anderen Worten と 確 実 に 訳 すこ とで, 二 番 目 の のです については, まるで に einfach を 当 てることで 処 理 している 例 である einfach は まるで や とにかく にかなりの 程 度 うま 14 参 考 : 小 矢 野 (1980):225 頁 85

く 対 応 するようで,einfach を 使 用 した 訳 例 がいくつも 見 られた ちなみに 英 語 訳 では, 初 めの のです に,ドイツ 語 の einfach に 相 応 する simply を 当 て, 二 番 目 については clue( 手 がかり)に remote(かすかな)の 最 上 級 をつけて, まるで~ない を 表 現 している (8)の つまり は, mit anderen Worten ( 換 言 すれば)と 訳 されていたが,mit einem Wort( 一 言 でいえば)が 使 われて いる 例 もある 英 語 訳 でも,mit anderen Worten に 相 応 する in other words を 使 用 している 例 があった mit anderen Worten ないしは mit einem Wort を 用 いた の です 文 の 訳 はしばしば 見 られた さらには, 原 文 には つまり が 明 示 され ていないのに, 訳 ではそれを 補 って,mit anderen Worten を 入 れているケースも あった (9) しかし, 自 分 の 不 幸 は,すべて 自 分 の 罪 悪 からなので, 誰 にも 抗 議 の 仕 様 が 無 いし,また 口 ごもりながら 一 言 でも 抗 議 めいた 事 を 言 いかけると, ヒラメならずとも 世 間 の 人 たち 全 部,よくもまあそんな 口 がきけたもの だと 呆 れかえるに 違 いないし, 自 分 はいったい 俗 にいう わがままもの なのか,またはその 反 対 に, 気 が 弱 すぎるのか, 自 分 でもわけがわから ないけれども,とにかく 罪 悪 のかたまりらしいので,どこまでも 自 らど んどん 不 幸 になるばかりで, 防 ぎ 止 める 具 体 策 などないのです (113 頁 ) Mein Unglück aber war allein meine Schuld, ich konnte mich bei niemandem beklagen, und wenn ich doch einmal, stockend, ein Wort der Klage führte, hatte es nicht nur Flunder, hatte die ganze Welt es gleich satt: Du mußt dich gerade beklagen! Dachte ich, wie man sagt,»nur an mich«? Oder war ich, ganz im Gegenteil, zu kleinmütig, zu schwach? Ich weiß es nicht, jedenfalls sank ich, da ich offenbar aus nichts als Schuld bestand, in immer tieferes Unglück, und konkrete Mittel, das zu verhindern, kannte ich nicht. (S.121f.) My unhappiness stemmed entirely from my own vices, and I had no way of fighting anybody. If I had ever attempted to voice anything in the nature of a protest, even a single mumbled word, the whole of society and not only Flatfish would undoubtedly have cried out flabbergasted, Imagine the audacity of him talking like that! Am I what they call an egoist? Or am I the opposite, a man of excessively weak sprit? I really don t know myself, but since I seem in either case to be a mass of vices, I drop steadily, inevitably, into unhappiness, and I have no specific plan to stave off my descent. (pp.157-158) (9)は 内 容 的 にも, 手 記 の 書 き 手 である 大 庭 葉 蔵 の 回 想 の 態 度 がよく 表 れてい る 箇 所 である 自 分 でも 訳 がわからないが,とにかくそうなのだ,それを 理 解 して 欲 しい,という 心 的 態 度 である 自 分 のことなのにどこか 他 人 事 のように 86

観 察 し, 解 説 している 雰 囲 気 も 漂 う ここでは, とにかく に jedenfalls が 当 てられている 厳 密 に 見 ると, 原 作 の 自 分 でもわけがわからないけれども, とにかく は 罪 悪 のかたまりらしい にかかっているが,ドイツ 語 訳 は,そ の 部 分 を どんどん 不 幸 になる にかけている 具 体 策 などない の 部 分 も 原 作 ではもはや 動 かせない 事 実 というニュアンスが 伝 わってくるが,ドイツ 語 訳 では,ich が 主 語 として 置 かれているせいか, 人 間 の 意 志 の 力 が 及 ぶ 範 囲 の 現 象 という 感 じが 残 る 英 語 訳 も 同 様 である 2.5. 背 後 の 事 情 を 客 観 的 に 描 写 する 原 文 が 自 分 (= 私 ) を 主 体 にして のです のでした という 形 式 の 文 で 表 現 しているのに,ドイツ 語 訳 では ich を 主 語 にすえずに, 背 後 の 事 情 の 客 観 的 描 写 ( 説 明 )に 変 えているケースも 見 られた (10) 自 分 の 家 族 は, 女 性 のほうが 男 性 よりも 数 が 多 く,また 親 戚 にも, 女 の 子 がたくさんあり,またれいの 犯 罪 の 女 中 などもいまして, 自 分 は 幼 い 時 から, 女 とばかり 遊 んで 育 ったといっても 過 言 ではないと 思 って いますが,それは,また,しかし, 実 に, 薄 氷 を 踏 む 思 いで,その 女 の ひとたちと 附 きあって 来 たのです (27 頁 ) In meiner Familie gab es mehr Frauen als Männer, eine Menge Mädchen befanden sich auch unter unseren Verwandten, ferner waren da die erwähnten»verbrecherischen«hausmägde, so daß es, glaube ich, nicht übertrieben ist zu sagen, daß ich von Frauen erzogen worden bin und immer nur mit Mädchen gespielt habe, doch war der Umgang, den ich mit ihnen pflegte, immer wie ein Gehen auf dünnem Eis. (S.33) In my immediate family women outnumbered the men, and many of my cousins were girls. There was also the maidservant of the crime. I think it would be no exaggeration to say that my only playmates while I was growing up were girls. Nevertheless, it was with very much the sensation of treading on thin ice that I associated with these girls. (p.48) (10)は 原 文 の 附 きあって 来 た という 動 詞 を,ドイツ 語 訳 では Umgang(つ きあい)と 名 詞 にしている それにかかる 関 係 文 で 私 がしたつきあいであ ることは 示 されているものの,しかしこうすることで, 語 り 手 の 声 が 薄 れ, 表 現 が 客 観 化 の 方 向 へシフトしたとは 言 えるだろう 英 語 訳 は it was... that...の 構 文 を 使 っている 15 また,ドイツ 語 訳 が 原 文 と 同 じく 一 文 に 訳 しているのに 対 15 野 田 春 美 によれば,スコープの の(だ) に 対 応 する 英 語 表 現 は it is that,ムード 87

し, 英 語 訳 は 四 つの 文 に 分 けている 文 の 区 切 り 方 についても, 英 語 訳 は 一 般 にドイツ 語 訳 よりも 自 由 に 捉 えている 傾 向 が 見 られる (11) 見 せてよ と 死 んでも 見 たくない 思 いでそう 言 えば,あら,いやよ,あ ら,いやよ,と 言 って,そのうれしがる 事,ひどくみっともなく, 興 が 覚 めるばかりなのです (48 頁 )»Zeig doch mal!«sagte ich, obwohl ich für den Tod keinen Blick auf das Zeug werfen wollte, da zierte sie sich vor Glück, Nein, nein, ach laß, nein, es war erbärmlich desillusionierend. (S.56) Show me what you ve written, I said, although I wanted desperately to avoid looking at it. / No, I won t, she protested. Oh, you re dreadful. Her joy was indecent enough to chill all feeling for her. (pp.74-75) (11)は, 原 文 は 自 分 (= 私 )の 興 が 覚 めると 述 べているが,ドイツ 語 訳 も 英 語 訳 も, 自 分 とは 特 に 関 連 させず,その 女 性 ( 下 宿 屋 の 娘 )の 様 子 に 対 する 客 観 的 な 描 写 ( 評 価 )になっている (12) 自 分 のような,いやらしくおどおどして,ひとの 顔 いろばかり 伺 い, 人 を 信 じる 能 力 が,ひび 割 れてしまっているものにとって,ヨシ 子 の 無 垢 の 信 頼 心 は,それこそ 青 葉 の 滝 のようにすがすがしく 思 われていたので す (107 頁 ) Für einen wie mich, der zerrissen ist, der vor Furchtsamkeit vergeht, der immerzu in Gesichtern forschen muß, der unfähig ist zu vertrauen, war gerade Yoshikos unschuldig vertrauendes Herz erfrischend, war»grün umlaubter Wasserfall«. (S.115) For someone like myself in whom the ability to trust others is so cracked and broken that I am wretchedly timid and am forever trying to read the expression on people s faces, Yoshiko s immaculate trustfulness seemed clean and pure, like a waterfall among green leaves. (p.150) (12)も,ドイツ 語 訳 ではヨシ 子 の 信 頼 心 について 自 分 がこう 認 識 したという よりは, 客 観 的 に 外 から 見 て,この 人 (= 自 分 )にとっては 青 葉 の 滝 のような ものだった,というニュアンスになっている の の(だ) には it is that が 対 応 する しかしこの 英 語 表 現 は の(だ) に 比 して 使 用 頻 度 は 低 く, の(だ) を 含 む 日 本 語 テクストを 翻 訳 する 際 も,この 言 い 回 しが 即 採 用 されるということにはならない( 野 田 (1997):231-232 頁 ) 88

2.6. コンテクストに 委 ねる( 特 に 訳 さない) 特 に 訳 出 していないケースも 多 々 見 られた 葉 蔵 の 手 記 に 使 われている の です の 多 くが 心 的 態 度 の 伝 達 16 に 重 心 のある 用 法 だからであろう つまり, のです が 欠 けても,ニュアンスが 変 わるだけで, 文 の 意 味 内 容 は 変 化 しな い 三 例 ほど 挙 げるにとどめる (13) 何 を,どう 言 ったらいいのか,わからないのです (11 頁 ) Ich weiß nicht, was ich sagen soll, ich weiß nicht, wie ich es sagen soll. (S.15) What should I talk about, how should I say it? I don t know. (p.26) ただし,(13)は ich weiß nicht を 繰 り 返 すことで,ニュアンスを 出 そうとして いるのかもしれない 英 語 訳 はダッシュを 使 用 している (14) 好 きだったからなのです 自 分 には,その 人 たちが, 気 にいっていたか らなのです しかし,それは 必 ずしも,マルクスに 依 って 結 ばれた 親 愛 感 では 無 かったのです / 非 合 法 自 分 には,それが 幽 かに 楽 しかった のです むしろ, 居 心 地 がよかったのです (42 頁 ) Ich mochte diese Leute nämlich. Sie gefielen mir. Aber es war nicht Marx, der uns verband. Mit Marx hatte meine Zuneigung nichts zu tun. / Die Illegalität. Sie machte mir ein bißchen Spaß. In ihr fühlte ich mich fast zu Hause. (S.49) I did it because I liked to, because those people pleased me and not necessarily because we were linked by any common affection derived from Marx. / Irrationality. I found the thought faintly pleasurable. Or rather, I felt at ease with it. (p.67) 16 野 田 春 美 は の(だ) の 機 能 の 中 で, のだ を スコープの のだ と ムード の のだ に 分 けて 考 察 することを 提 唱 している そして ムードの のだ をさら に, 対 事 的 ムードの のだ と 対 人 的 モードの のだ に 分 類 し, 対 人 的 モード の のだ について 次 のように 説 明 している 対 人 的 ムードの のだ は, 聞 き 手 は 認 識 していないが 話 し 手 は 認 識 している 既 定 の 事 態 Qを 提 示 し,それを 聞 き 手 に 認 識 さ せようという 話 し 手 の 心 的 態 度 を 表 す 告 白, 教 示, 強 調 といったニュアンスを 帯 びる こともある / 関 係 づけの 対 人 的 のだ は, 状 況 や 先 行 文 脈 Pの 事 情, 意 味 としてQ を 提 示 し,それを 聞 き 手 に 認 識 させようとするときに 用 いられる いわゆる 説 明 を 表 す のだ をはじめとして, 用 法 には 広 がりがある / 非 関 係 づけの 対 人 的 のだ は, Qが 既 定 の 事 態 であることをことさらに 示 す 場 合 や, 教 示 的 な 場 合 などに 用 いられる / 対 人 的 のだった は, 物 語 的 過 去 に 用 いられ, 関 係 づけの 場 合 と, 物 語 の 進 行 の 中 で 重 要 な 意 味 を 持 つ 出 来 事 の 発 生 を 述 べる 場 合, 詠 嘆 の 場 合 がある ( 野 田 (1997):104 頁 )ただし, 心 的 態 度 の 伝 達 は のだ の 本 質 的 な 機 能 ではなく, 本 質 的 な 機 能 から 二 次 的 に 伝 達 されるものではないか,との 指 摘 もある( 名 嶋 (2007):99 頁 ) 89

(14)はたたみかけるように のです が 続 くが, 最 初 のものに nämlich が 使 用 されている 他 は(その nämlich にしても, から の 訳 語,ないしは から と のです 両 方 の 訳 を 兼 用 しているとも 考 えられる), 具 体 的 に 対 応 するドイ ツ 語 表 現 は 見 当 たらない (15) 弱 虫 は, 幸 福 をさえおそれるものです 綿 で 怪 我 をするんです 幸 福 に 傷 つけられる 事 もあるんです (53 頁 ) Der Schwache fürchtet selbst das Glück. Verletzt sich an Watte. Kann sich an Glück gar verwunden. (S.62) The weak fear happiness itself. They can harm themselves on cotton wool. Sometimes they are wounded even by happiness. (p.81) (15)も のです(んです) を 連 続 させている 箇 所 である この 例 でも ので す に 対 応 する 訳 語 は 見 当 たらないが, 主 語 を 前 の 文 と 兼 用 させることで, 前 の 部 分 との 連 続 性 ( 承 前 機 能 )は 表 現 されている 3. 考 察 以 上, 文 例 を 見 てきたように, のです にそのまま 一 対 一 で 対 応 するドイツ 語 はない( 英 語 にもない) 一 対 一 の 言 葉 が 存 在 しないから 翻 訳 できないという ことにはならないが, 日 本 語 でなら のです という 文 末 表 現 でやすやすと 表 現 できるのに,ドイツ 語 や 英 語 ではそうなっていないという 事 実 は, のです には 日 本 語 が 好 み, 得 意 とする 表 現 上 の 何 かがあると 考 えてよいだろう 本 稿 では 六 つのパターンに 分 けて,ドイツ 語 訳 の 工 夫 を 見 てきたが,このよ うなさまざまな 工 夫 で 個 々の 意 味 内 容 の 伝 達 は 成 し 遂 げられるとしても, 原 作 を 読 んだときに 受 ける, 連 発 される のです がもたらす 一 貫 した 印 象 は 消 え てしまうのは 確 かである 恥 の 多 い 生 涯 を 送 ってきました で 始 まる 大 庭 葉 蔵 の 手 記 は, 失 敗 した 自 らの 人 生 の 弁 明 弁 解 を 書 き 綴 ったものである 従 って,そこに 本 人 しか 知 ら ない 背 後 の 事 情 を 示 す(ある 意 味, 言 い 訳 にもってこいの), のです が 多 用 されているのは 当 然 ともいえる 葉 蔵 がいかに 人 間 失 格 に 至 ったかの 実 情, 葉 蔵 だけが 承 知 しているらしい 背 後 の 事 情 が 吐 露 される しかし, 吐 露 された 背 後 の 事 情 は 大 部 分, 周 囲 の 状 況 等 の 客 観 性 のある 説 明 ではなく, 17 葉 蔵 の 自 己 17 葉 蔵 の 世 界 は 驚 くほど 知 覚 的 な 印 象 が 欠 落 しており,そのことがぞっとするような 効 果 を 上 げているのである 人 々や 物 について 外 観 の 描 写 がなされることはまれであり, ただ,それらの 物 と 葉 蔵 との 相 互 作 用 の 性 質 を 通 して, 理 知 的 な 定 義 がなされているだ けである ( ) 葉 蔵 は 一 種 の 超 自 然 的 次 元 に 属 しており,そこでは, 人 間 の 生 活 の 本 質 が 認 識 されてはいない 五 感 から 成 る 人 間 世 界 に 住 んでいないために, 葉 蔵 は, 窓 の 無 90

認 識 によるものであるため, 葉 蔵 に 感 情 移 入 できる 読 者 はすんなりと 納 得 がい って,そうか,こんな 事 情 があったのではこういう 人 生 をたどることになった としても 無 理 はないと 考 えるが,そうでない 読 者 には 言 い 訳 がましく, 自 らの 駄 目 さ 加 減 を 図 々しく 正 当 化 しているようにしか 感 じられない アメリカの 大 学 でこの 作 品 ( 英 語 訳 )を 授 業 で 取 り 上 げたところ, 何 人 かの 学 生 から, 弱 い 人 間 を 主 人 公 にしたこのような 小 説 をなぜ 読 ませるのか,とい うクレームがついたと 武 田 勝 彦 が 紹 介 しているが, 18 原 作 からは 伝 わってくる, 葉 蔵 の 弱 さの 図 々しさ 図 々しい 弱 さ が 英 語 訳 では 感 じられにくいことも, 学 生 がそのように 捉 えた 一 因 であろう 日 本 語 では 語 り 手 の 口 を 通 して 特 に のだ が 主 観 性 の 指 標 ということになれば そのように 語 ること 自 体 が 図 々しいのである 客 観 的 な 描 写 となってしまっては 伝 わらないニュアンスが ある それは, 自 分 のことについて, 思 いを 語 る 場 合 にとりわけ 強 く 伝 わって くる 同 じ 内 容 でも 語 り 口 によって 印 象 が 違 ってくる 原 作 で 繰 り 返 される の です は, 日 本 語 読 者 にボディブローのように 効 いているはずである のです のだ は 語 り 手 のみが 承 知 している 実 情 (それも,それは 自 分 の 力 では 変 更 不 可 能 な 事 態 であるというニュアンスを 伴 って)を 伝 えることで, 聞 き 手 の 理 解 共 感 納 得 を 要 求 してくる 常 体 の のだ では, 断 定 的, 高 圧 的, 有 無 を 言 わせぬ 感 が 強 く 出 るが, 葉 蔵 の 手 記 のように 敬 体 の のです だと,そのような 感 じは 相 当 薄 まるものの, 控 え 目 な 調 子 ながら,わかって 欲 しい, 理 解 してくれなければいけないのだ,という 心 的 態 度 は 変 わらない のです(のだ) の 機 能 は, 心 的 態 度 の 表 現 だけではないが, 人 間 失 格 で 多 用 されている のです はその 多 くがこの 要 素 を 強 く 感 じさせる これが 手 記 の 書 き 手 の, 事 情 を 読 み 手 に 理 解 させたい,わかってもらいたいという 気 持 ちの 表 明 に 適 合 している 読 み 手 の 側 から 見 ると,この 表 現 により, 自 分 だ けに 語 りかけてくるような 感 じが 強 まる レトリック 的 にいえば,このような のです 表 現 を 駆 使 した 人 間 失 格 は, 言 葉 と 主 題 言 葉 と 語 り 手 ( 書 き 手 ) 言 葉 と 受 け 手 ( 読 み 手 )との 適 合 が, きわめて 的 確 であるということになる 19 ただし, 読 み 手 にこの 表 現 が 適 合 し ているかどうかは, 個 々の 読 み 手 によるので,この 調 子 を 受 け 入 れられない 読 み 手 にとっては, 不 適 合 ということになってしまう 20 太 宰 を 嫌 った 三 島 由 紀 い, 身 も 凍 えるような 部 屋 に 閉 じ 込 められてしまっているのである スティーブン ブルーム 人 間 失 格 の 主 題 と 構 造 133-134 頁 ( 武 田 (1985) 所 収 ) 18 武 田 勝 彦 太 宰 文 学 の 補 助 線 148 頁 ( 武 田 (1985) 所 収 ) 19 参 照 : 佐 藤 他 (2006) レトリック 事 典,729 頁, 適 合 の 項 20 聞 き 手 によるノダの 理 解 は, 共 同 注 意 の 態 勢 を 前 提 とし, 協 調 の 原 理 に 則 った 推 論 に 支 えられる ノダの 文 脈 依 存 性 とは, 話 し 手 がノダによって 主 観 的 捉 え 方 を 指 標 し, 聞 き 手 が 話 し 手 と 志 向 性 を 一 致 させるという 相 互 行 為 性 への 依 存 ということになろう ( 近 藤 (2006):72 頁 ) 91

夫 が 書 いた 仮 面 の 告 白 (1949)は, 内 容 的 には 人 間 失 格 と 同 様 の 傾 向 を もつが, 文 体 的 には 大 きく 異 なる のだ(のである) の 使 用 は 少 ない このように, 受 け 手 によっては, 語 り 手 が 期 待 するような 反 応 は 得 られない わけだが,この 作 品 が 発 表 されて 以 来, 多 くの 日 本 人,とりわけ 青 春 期 の 若 者 世 代 に 愛 読 され 続 けているという 事 実 を 考 えると,このような, 自 分 にはどう しようもない 事 情 があるのだから わかって 欲 しい さらには わかってくれ て 然 るべき という 心 的 態 度 での 告 白 は, 戦 略 として 成 功 する 確 率 が 高 いと 考 えてよいのだろう 人 間 にはその 人 自 身 にはどうしようもない 事 情 がある(あ った)ことを 根 拠 に, 相 手 に 理 解 を 求 め, 聞 き 手 も,それなら 仕 方 ないと 納 得 してしまうということは,すなわち, 日 本 語 世 界 では, 物 事 を 個 人 の 意 思 や 意 欲 ではどうすることもできないこととして,あたかも 自 然 現 象 のように 表 現 す るようなものの 言 い 方 が, 説 得 表 現 として 有 効 だと 考 えられそうだ 自 然 現 象 の 強 大 な 力 の 前 には, 人 間 はひれ 伏 すしかない だから,そのような 強 大 な 力 とそれに 類 似 するものに 負 けたと 告 白 するなら 責 められにくい さらに,この 作 品 での のです の 連 発 は, 自 分 の 弱 さをことさらにアピー ルしているようにさえ 感 じられるが,これは 弱 さ が 逆 に 力 になることを 書 き 手 が 承 知 しているためでもあるだろう 21 背 景 には, 判 官 贔 屓 などの 心 情 に うかがわれる, 弱 さやはかなさに 魅 かれる 日 本 人 の 傾 向 がありそうだ 現 代 日 本 のポップカルチャーの かわいさ 志 向 も, 日 本 文 化 のこのような 嗜 好 とつ ながっているはずである のです には,このように, とにかくそうなっている という 背 景 の 事 情 を 説 明 することで, 相 手 の 理 解 を 求 めるという 働 きが 認 められる これは 筆 者 が 以 前, 吉 本 ばななの キッチン のドイツ 語 訳 を 手 がかりに, してしまう 表 現 を 考 察 した 結 果 とも 相 容 れるものである 日 本 語 においては, 本 来 の 自 然 現 象 にとどまらず, 人 間 の 力 で 左 右 できる 事 柄 であっても, 不 可 避 的 宿 命 的 なことであるかのように 表 現 することが 好 まれる 傾 向 がある 併 せて, 聞 き 手 責 任 の 高 い 言 語 22 であるという 点 も, 今 回 の のです を 通 した 考 察 でも 確 認 できたと 思 う 21 如 是 我 聞 (1948)では 太 宰 はストレートに 攻 撃 的 な 文 章 を 書 いている 人 間 失 格 と 如 是 我 聞 は 陰 画 陽 画 の 関 係 にあるとも 言 われる 22 さらに, 聞 き 手 配 慮 の 志 向 性 と のだ の 関 係 についても 触 れておきたい つまり, 話 し 手 の 主 観 的 な 関 連 付 けが 聞 き 手 の 意 志 や 健 康 状 態 など, 聞 き 手 の 私 的 領 域 に 関 わる 場 合 は,ノダの 適 切 性 は 話 し 手 と 聞 き 手 の 関 係 に 依 存 する このことは, 日 本 語 の 聞 き 手 配 慮 への 志 向 性 がノダの 使 用 制 限 として 機 能 することを 示 唆 する ノダが 頻 出 する 話 し 方 は 押 し 付 けがましく, 聞 き 手 に 不 快 感 を 与 えると 言 われることがあるが,それは, 話 し 手 が 日 本 語 の 談 話 の 特 徴 である 聞 き 手 配 慮 への 志 向 性 を 尊 重 していないからであろ う ( 近 藤 (2006):72 頁 ) 92

4. おわりに 本 稿 は,2011 年 秋 の 日 本 独 文 学 会 研 究 発 表 会 ( 於 : 金 沢 大 学 )におけるシン ポジウム 翻 訳 という 問 題 から 見 えてくる 言 語, 文 化, 人 間 での 発 表 を 元 に, 修 正 を 加 えまとめたものである 23 シンポジウムの 他 の 四 人 のメンバーは 語 学 研 究 者 であり,そこに 混 じっての 筆 者 の 役 割 は, 語 学 的 取 り 組 みによる 成 果 を 文 学 作 品 に 応 用 すること,そして 文 学 作 品 を 用 いて 日 独 語 対 照 のデータをさら に 豊 かなものにすることだったと 思 う シンポジウムは 終 了 したが,これから も, 語 学 研 究 の 成 果 を 応 用 援 用 して 文 学 作 品 をより 深 く 読 み 込 み, 日 独 語 対 照 のデータを 充 実 させるような 事 例 を 提 供 していきたいと 考 えている また, 本 稿 で 提 示 した のです のニュアンスをドイツ 語 で 再 現 するための さまざまな 工 夫 は,ドイツ 語 教 育 学 習 の 場 面 において, 日 本 人 が 独 作 文 をす る 際 のヒントとして 役 立 てることができるだろう 文 献 リスト 使 用 テキスト 原 作 : 太 宰 治 人 間 失 格 新 潮 文 庫,1981 年 (89 刷 ). ドイツ 語 訳 :Dazai Osamu: Gezeichnet. Aus dem Japanischen übertragen von Jürgen Stalph. Frankfurt am Main und Leipzig: Insel, 1997. 英 語 訳 :Osamu Dazai: No longer human. Translated by Donald Keene. New York: New Directions, 1973. 参 考 文 献 安 藤 宏 (2002): 太 宰 治 弱 さを 演 じるということ,ちくま 新 書. 池 上 嘉 彦 (1981): ノデアル テイル に 関 する 断 章, する と なる の 言 語 学, 大 修 館 書 店,47-77 頁. 池 上 嘉 彦 (2007): 日 本 語 と 日 本 語 論,ちくま 学 芸 文 庫. 池 上 嘉 彦 守 屋 三 千 代 ( 編 著 )(2009): 自 然 な 日 本 語 を 教 えるために: 認 知 言 語 学 をふま えて,ひつじ 書 房. 大 竹 芳 夫 (2009): の(だ) に 対 応 する 英 語 の 構 文,くろしお 出 版. 奥 田 継 夫 (1979): 児 童 文 学 が 文 学 になるとき: のです 調 に 教 育 をみた, 叢 書 児 童 文 学 第 4 巻, 世 界 思 想 社,194-199 頁. 奥 野 健 男 (1952): 文 庫 版 解 説, 太 宰 治 人 間 失 格, 新 潮 文 庫,128-146 頁. 方 村 恒 雄 (1980): のである の 用 法 : 主 として 芥 川 龍 之 介 の 初 期 小 説 における, 解 釈 23 筆 者 の 発 表 タイトルは 翻 訳 を 読 む 楽 しみ ドイツ 語 経 由 で 日 本 文 学 を 享 受 する: 太 宰 治 の 人 間 失 格 における のです の 効 果 とその 日 本 語 的 特 性 をドイツ 語 訳 を 手 が かりに 考 える であったが, 論 文 にまとめるにあたり, 副 題 以 下 を 簡 潔 な 表 現 に 改 めた 93

第 26 巻 1 号,38-42 頁. 菊 地 康 人 (2000): のだ(んです) の 本 質, 東 京 大 学 留 学 生 センター 紀 要 第 10 号, 25-51 頁. 熊 倉 千 之 (2006): 主 観 を 本 質 とする 日 本 文 学, 言 語 5 月 号, 大 修 館 書 店,28-34 頁. 小 矢 野 哲 夫 (1980): のだ をめぐる 諸 問 題, 島 田 勇 雄 先 生 古 稀 記 念 ことばの 論 文 集, 明 治 書 院,215-232 頁. 近 藤 安 月 子 (2006): のだ が 指 標 する 話 し 手 の 主 観 性, 言 語 5 月 号, 大 修 館 書 店, 68-73 頁. 佐 藤 信 夫, 佐 々 木 健 一, 松 尾 大 (2006): レトリック 事 典, 大 修 館 書 店. 霜 崎 實 (1981): ノデアル 考 :テキストにおける 結 束 性 の 考 察, 上 智 大 学 大 学 院 言 語 学 研 究 室 Sophia Linguistica 第 7 号,116-124 頁. 武 田 勝 彦 ( 編 )(1985): 太 宰 治 文 学 海 外 の 評 価, 創 林 社. 田 野 村 忠 温 (1990): 現 代 日 本 語 の 文 法 Ⅰ のだ の 意 味 と 用 法, 和 泉 書 院. 長 尾 章 曹 (1963): 井 伏 鱒 二 の 作 品 における 一 問 題 : のだ 終 止 の 文 を 中 心 に, 広 島 文 理 科 大 学 国 語 国 文 会 国 文 學 攷 第 30 号,53-63 頁. 名 嶋 義 直 (2007): ノダの 意 味 機 能 : 関 連 性 理 論 の 観 点 から,くろしお 出 版. 野 田 春 美 (1997): の(だ) の 機 能,くろしお 出 版. 宮 内 伸 子 (2009): 自 然 の 成 り 行 き と 空 気 のドイツ 語 への 訳 され 方 : 吉 本 ばななの キッチン の 訳 を 手 がかりに, 日 本 独 文 学 会 北 陸 支 部 ドイツ 語 文 化 圏 研 究 第 7 号,61-79 頁. 宮 内 伸 子 (2010): 翻 訳 で 確 認 する 日 本 語 の 省 筆 の 美 : 川 端 康 成 の 山 の 音 のドイツ 語 訳 を 手 がかりに, 日 本 独 文 学 会 北 陸 支 部 ドイツ 語 文 化 圏 研 究 第 8 号,28-53 頁. 宮 内 伸 子 (2011): 日 本 語 の 直 喩 表 現 はどのように 翻 訳 されているか: 三 島 由 紀 夫 の 愛 の 渇 き のドイツ 語 訳 を 手 がかりに, 日 本 独 文 学 会 北 陸 支 部 ドイツ 語 文 化 圏 研 究 第 9 号,92-122 頁. 村 瀬 学 (1988): 人 間 失 格 の 発 見 : 倫 理 と 論 理 のはざまから, 大 和 書 房. 山 内 祥 史 ( 編 )(1995): 太 宰 治 論 集 作 家 篇 第 2 巻,ゆまに 書 房. Junko Ando, Irmela Hijiya-Kirschnereit, Mathias Hoop (Hg.) (2006): Japanische Literatur im Spiegel deutscher Rezensionen. Bibliographische Arbeiten aus dem Deutschen Institut für Janpanstudien. München: Iudicium. Irmela Hijiya-Kirschnereit (1993): Traumbrücke ins ausgekochte Wunderland. Frankfurt am Main und Leipzig: Insel. Irmela Hijiya-Kirschnereit (1997): Nachbemerkung von Gezeichnet. Frankfurt am Main und Leipzig: Insel, S.137-151. 94