第一句集『秋風琴』

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Transcription:

第一四句集 幻生花 1

2 河鹿の音ね光の糸を伝ひくる 昭和六二年 われわれは普段 生命 こそ実であって その周辺に虚の世界が息づいているような受け取り方をしているかもしれないが 八束の世界観ではどうやら 生 そのものも まぼろし のようなものと位置づけられる 幻生花 の意味を漢文的に 花を幻生す と捉えた詩人もいたが そこまで凝る必要はなかろう 幻の生をもった花 すなわち 幻生の花 で十分 どのような 花 であっても宇宙の時空から見れば寸時のはかない生をもったもの ある意味では日本の中世の無常観と通じるような部分もあるが 八束はだからこそはかない 花 あるいはその核になる 生 を無上の価値とし 生 に正面から向き合って その陰翳を含んだ光を内面に照らして 生 の実相を描き出す 経済的価値から見れば無価値かもしれないが 人間生活あるいは文化から見れば その 光 こそ人間の生が継承される上でいちばん底辺に流れてやまないものであろう ただし それは絢爛な光ではなく 薄闇をまとったような淡く細い光 淡く細いと言っても 瞬間的にはしっかりとした強さをもって伝わるような光である 上掲の句は 河鹿の声を 光の糸を伝わってくるようだ と言いとめた 句集巻頭にふさわしい一句だと思う 意味的には一物仕立てながら 光の糸 という比喩を持ち込んだために二物仕立ての句のようにも実感される また あとで触れることになろうが 八束にとって 河鹿 は三好達治の幼少期につながる素材の一つだ 三好達治が養子にもらわれていくときに おじさんの家には河鹿がいる と聞いて 養子を了解してしまう 三好達治の随筆の中にも河鹿の登場する名品 暮春記 がある そんな思い出も八束の胸中を去来したかもしれないが これは一句独立の読みでは出てこない エピソードとして いまは付記するにとどめよう 樹に登りゐるは誰かや月ひらく 昭和六二年 幻想的な雰囲気のある句 物語風でもあるが それもそのはず この句の原型は八束の随筆集 稀れな仙客 に収められた 稀れな仙客 という一篇にある 舞台は 仙台市国分寺跡の周辺の桜並木のある公園のようなところ 少し長いが 引いてみよう 桜大樹の幹は太いのが四抱え 他はいずれも三抱えくらいはあったであろう 四百年くらいはする老木で 中には枯死したのもあったが 折から満

3 開の花をつけた枝ぶりのもあって それが三十本は並んでいるのだから驚いた 中ほどにあったとくに幹太の大樹は 半分は枯れかかった太い幹が 十メートルものびているその先のところから 小学校五 六年くらいの小僧ッ子が首を出して あたりを見廻しているのに気付いたときには 更にあッと驚いて胸がつまった つまり この老大樹の桜の幹はその高さまで虚 うろ になっていて この小僧ッ子はそのウロの中をよじ登っていって 十メートルも高いその先から首を出して悦に入っていたのである それは 子供ながらどこか仙客 といった風格があった 稀れな仙客 と思って 私は感に堪えたまま しばらく眺めいった 桜の老大樹の迫力に私が魅入られたのは この時からである 石原八束 稀れな仙客 角川書店 目のつけどころのよさはもちろんのことながら 加えて 月ひらく という表現が上五中七までの文脈を受けて しぜんな展開に感じられるところが この句のよいところであろう 樹に登っている主人公のあたりから 月の光がちょうど花が開くかのように ひらいて 見えるのだ 誰かや はもちろん清音で たれかや と読まなければいけない 鰒ふくは目をみひらきてをりゑまひをり 昭和六二年 フグは下関の方では ふく と呼ぶ 鰒は袋糶 ふくろぜり という独特の仕方で値段の交渉をする この句は 糶にかけられた鰒が そばできょとんとした丸い目を見開いているが それは笑っているようにも感じられるというのであろう 現場をスケッチしたような句だが 売られゆくわが身を顧みながら観念して苦笑しているかのような新しい 笑い がある 八束が俳句に笑いを意識したのは二度ある 一回目は第二 第三句集あたりの若い時 それは 病弱だった心の影に圧されて句が必要以上に重くれてしまうことからの脱却を試みてのこと そして 二回目が この句集以降である 今回は 白夜の旅人 発刊後のやや低調な新展開からの脱却を目指してのことあった それは 同時に 意識し始めた自らの晩年の翳りを ユーモアによって払い 句にゆとりとくつろぎを求めようとしてのことだったのではないか 身を冷やす水牛の群漓り江こう照る 昭和六二年 漓江煙霧 の章の第一句 この年 八束は中国桂林の漓江下りをした

4 漓江のほとりに耕牛ならぬ水牛が身を冷やしている それも一 二頭ではなく 群れになってというのが中国の広さなのであろう どれも気持ちよさそうだ 山河があれば人間も動物も共生しているという原郷風景に立ち戻らされる句でもある 水牛の群にスポットを当てるかのように 漓江は晴れ上がっている 従来の日本の季語ならば さしずめ 牛冷やす なのであろうが 水牛冷やす も似たように考えてよいかどうか その詮索よりも まずは照りわたった雄大な景色を楽しめばよい 漓江曲るときに翠すゐ微びの闇となる 昭和六二年 川下りで大きく曲がろうとしたときに 緑なす奇峰が迫って来て大きな影をなしている しかしながら 実際にその中に船が入ってみると 思ったよりも暗くはない むしろ 翠微 うす緑いろの山気 に包まれて涼やかに感じた と言うのであろう 感覚の細やかな 翠微 を持ち出すまで 漓江曲るときに とゆったりしたリズムで句を引っぱってくるところがよいバランス感覚 言葉数は少ないが 大景の中にも 翠微 を見逃さないところに八束の感覚の冴えがある 人生の晩年に接したこの風景は 八束の胸中に深いくつろぎをもたらしたことと思う 孤舟なる漓江煙霧の鯰なまづとり 昭和六二年 遊覧船が行き通うこととは無縁に ぽつんと霧の中で小舟で鯰とりをしている風景 地元の人には日常的なのかもしれないが 日本人にとっては珍しく貴重な風景に見える 先回の 稀れな仙客 に近いかもしれないが 文人気質であった八束には 文芸あるいは俳句を追う自分はこの鯰とりのようだと 咄嗟に感じられたのであろう 時代を超える悠久の時間を抱えた生命活動の象徴的風景 あるいは脈々と受け継がれる文化の根っこの暗喩的点景 不易流行の不易の一つの相 すがた がここには言い止められている 龍りゅう眼がん肉にく啖くらひ病痛しづめをり 昭和六二年 龍眼肉 という魔力めいた言葉に圧倒されている句だが 句意は何のことはない 龍眼 は ムクロジ科の果実でライチに似るが 果実の中の大きな黒い種子を 龍の目 にたとえたものらしい ビタミンも豊富で 漢方薬

5 として心と脾を補うとのこと 八束が鎮めていた 病痛 は何かが気になるところだが それは文芸的な誇張かも知れない ともあれ 中国にはとんでもない発想の命名があるものだ 日本でも昔から知られていた食材だが なにしろ本場の 龍の眼 を啖ったのだから少しぐらいの病痛は鎮まろうと言うもの 病痛 とは裏腹に 龍眼肉 という珍味と由来を愉しんでいる八束が見えてくる 迎へ撃たむさまに白鳥羽ひらく 昭和六三年 迎へ撃たむ というところが八束らしい捉え方 白鳥はとかくやさしい哀しい動物として写されがちだが なにせシベリアから遠路はるばる飛来するだけあって なまな人間よりもはるかに野性味も 体力も そして闘争心もある 白鳥が湖上に羽を広げるさまは 特に日でもさしていれば この上なく美しい しかしながら その行為は人間の鑑賞用に行われているわけではなく 防衛本能からでた仮想の敵を 迎え撃つ 動作だと言うのだ 特に大白鳥ならば 私なんかが手を広げて威嚇するよりもはるかに力強さがある 九 四 五という変則的なリズムだが 九の大きく広がるようなリズムを 次に来る四 五の ハ の頭韻によって一句を引き締めている こまかな分析を加えれば この九音は さらに三 三 三と分割され それぞれの真ん中の音はすべて か た ま と あ 音を含んでいることにも注目したい 迎へ撃たむさまに は 一挙にではなく 波の繰り返しのように少しずつふくらんでゆくのだ 蝮ゐる島の昼顔空を這ふ 昭和六三年 天売島にて二句 とある第二句 地にはおどろおどろしい蝮が生息し 空には幻のようなはかない表情の昼顔が蔓をのばして這っている 二物を取り合わせた句に過ぎないが たとえばシュールレアリスムの絵を見る時のような 妖しさと恍惚感をにわかに覚える 邪悪と決めつけてはいけないが 人間にとっては一番危険な魔物みたいなものと 薄命のマドンナのような美の化身が 一つの島に共生している 事実に過ぎないが 万物の中からこの二物のみを取り合わせてみると 一句の中で思わぬ不思議な感動を引き出す

6 昼寝覚めてみれば誰かが死んでをり 昭和六三年 八束の自選の代表句には入っている作だが 私は八束の世界の中で この種のシニカルな味はいま一つ好きになれない 滑稽と言うには あまりにも醒めてはいないだろうか 私ならば やはり人が死んだときには もっと感情が揺さぶられるような地点にいたい しかしながら 八束の世代は 前代未聞の人間の大量死が戦争によってもたらされた時代を経てきたから 案外 誰かが 死んでいることに対しては それを世の節理のように感じてしまうことがあったのかもしれない あるいは次々に身近な者が亡くなることを経験してきた故に 無常観の中で諦め気味につぶやくように吐き出された句 という見方もあろう それにしても と思いながらこの句には違和感を持ち続けながら今日に至っている 爐にこもりでびら鰈かれひをたたきをり 昭和六三年 八束の好きそうな世界 でびら鰈というのは 瀬戸内海で採れたコノハカレイなどを天日で干したもの トントンと木槌で叩いてから炙ると 骨から身が離れ食べやすくなる 私も何度かいただいたことがあるが 炙ったあとの楚々とした香ばしさは やはり日本の素朴でしずかな味の一つだ 八束の句は 炙る前の動作だが この句を詠んでいると 食べることなどは忘れてしまって 木づちで 叩く ことを楽しんでいる気配がする ある意味では子どもの楽しみのようなもの すなわち 社会的価値からはおよそ縁遠いことに面白さを感じてそこに楽しみを見出すこと 俳句とどこか似ているような 尚 この句は句集の作品の順序からいえば 秋の頃の作品の中に並んでいるが 爐 を主とすれば冬 干鰈 を主とすれば春となる 私見を述べれば まだ爐にこもっているものの春の訪れを感じながら干鰈を叩いている と受け取りたい たちくらむ行く手炎ほの噴く去年今年 平成元年 いよいよ平成の作に入る 平成と言っても 去年今年 の感懐を綴ったものだから 正確には昭和六四年の新年の作となろう 天皇崩御の日が一月七日 この年 八束は七十歳を迎える 古希を迎えると言っても 八束の身辺

7 は必ずしも平穏ではない なによりも まだ飯田蛇笏論を抱えている 七十歳を超えて俳句の世界を拓くのがどんなに大変か 八束は過去の俳人の例をよく知っているし 恩師であった蛇笏の苦闘を一番身にしみて感じとっていたはずだ だからこその志操を改めて表明したような一句ではなかったか たちくらむ とは 老い の実感をほのめかした言葉でもあろう 炎の噴く というのが心象風景そのもの その気迫に圧倒されると同時に 最晩年に至っても 造型 に拘らなければ伝わらなかった八束の心境を察するに しずかに涙がこみあげてくる 飛び去りし鶲の息の白く残り 平成元年 純粋俳句とでも言おうか かすかなこの 息の白 は見えたのか見えなかったのか 虚でもあろうし実でもあろう 虚実皮膜の間 とは まさにこの句のようなものを言うのだろう いずれにせよ けなげな小動物の生命感が詩的実感と共に伝わってくる 音韻的にも い 音を重ねて 冷やかな引き締まった空気が伝わってくるように工夫されている ほとんど無意識なのだろうが こういう音韻的な裏打ちがあって 初めてこの句の実感が引き出されるのであることを 現代の俳句も再考しなければならないだろう 八束にしては珍しく下五を六音の字余りにしたのも 鶲の白い息の残像までを思わせて有効だと思う 廃墟にて赤き瞳のある寒卵 平成元年 戦中焼跡の彷徨を思ふ七句 と前書のある連作の第一句 体験記的に読めば 戦後の焼け野原をさまよい 寒卵を見つけては太陽に透かしながら食した風景と受け取れるか もちろん 廃墟と卵と言えば 広島や卵食ふ時口ひらく西東三鬼 がある しかしながら この前書きを意識せずに一句を読んでみたい 第二次世界大戦とは限らない 遠い日の戦乱や時代の潮流の中で崩壊した 廃墟 をまず思い浮かべてみる その廃墟の真ん中に寒卵を一つ置く 卵は日に透けて 中には目玉のような 赤い瞳 が感じられる この 赤き瞳 はこれからこの世に生まれ出てくる生命でもあるし これまでの世の中を見据えてきた 賢者 の目のようなまぎれない光を宿している この句は このようなシュールレアリズム風のコラージュ作品として成り立つかと思う この小さな寒卵の秘める新たな生のエネルギーが 廃墟と向

8 き合ってあるいは廃墟に包まれて 大きく遥かな時間と空間と呼び合うのである さらに勇み足を承知で言えば この赤い瞳こそ八束の詩精神の炎立つエネルギーに通い合うのではないか 不思議な感覚ながら どこかで人類の意識の原風景を抱え込んだような句だ 長城や凍雲碧あをき傷ひらく 平成元年 中国での作 万里の長城が限りなくつづき 凍雲が覆いかぶさっている 陰鬱な大風景だったのだろう それがある時 雲の裂け目が出来て 青空が見えた その青空の美しさに見とれながらも 八束には碧い傷がひらいたように感じとれたのだ 若い頃より心身的な 傷 を抱えて過ごしてきた八束にとって 同じ傷口でもこの青空のように爽快なものがあればよいのに という心の底からの願望が 碧き傷 という語を生んだのではないか その傷口は どこまでも澄んだ深淵を覗かせていて 宇宙への通い路のように思われたのであろう 曇天にメスを入れたかのような印象鮮明な句であるが 古稀に至って振り返った八束の人生的な傷も平安への希求もこのくらい深いものであったか 躓いてひとり笑ひて麦茶かな 平成元年 住み慣れた家の中で躓いてしまうことなど 別に年を取らなくてもときどきあるものだ 躓くことは別段 高齢者の特権ではない むしろ 子どもなどの方が 勢いよく歩き回るぶん ひょっとするといちばん躓いたり転んだりしているかもしれない しかしながら ある意味で日常茶飯事のこの 躓く 行為が 人生晩年の心境と相俟ってしみじみと俳句になろうとは 誰が思っただろう 夏の季語である 麦茶 という季語が人生を映し出す役割を演じてくれようとは 誰が考えただろう ひとり笑ひて という中七のつなぎが 躓いたときの動顚を自嘲気味にしずめ さらに自省を促すかのような麦茶を引き出す いわば さそい水 の役割を見せて絶妙だと思う 身の回りには どんな些細なことでも人生をかいま見せてくれるものがあるものだ 他人から見たら何でもないような出来ごとに 人生のメタファーを瞬間的に感じ取れるかどうか 示唆に富んだ句ではないか

9 浅草の友と切山椒 浅草の友またも逝く切山椒 雷門脇の書肆清水屋の伊藤黄雀は四十余年来の心友なりし と前書のある句 番外編にしたのは この句の出来不出来よりも個人的な思い出があるからだ この黄雀 おうじゃく 翁のおかげで石原八束門を叩くことになったいきさつはいつか述べた 実は この句を読むまで 黄雀さんの死を知らなかったのだ 当時 句会で私は清記係をしていた 八束は文字から自分の句であると予め知れ渡ってしまうのを避けるために 晩年は特に 私にこっそりと投句の短冊を手渡すことが多かった この短冊を清書して選句用紙にするのである さて その清記の折 私は何ということか 浅草の女またも逝く切山椒 と書き写してしまった 八束の書き癖で 友 という字が 女 に見えたのだ 先生 新年だと言うのに なんで 女 の句なんか詠まれたのか しかも音数から行くと おんな ではなく ひと と読ませるなんて やはり 切山椒 で浅草を詠むしかなかったのかな そんなふうにのんびりと思いながらも それ以上誰にも確かめることなく 選句の時間に入って 清記用紙が一巡りした 一巡して その清記用紙が再び回ってくると そこには八束の字で 友 と直してあるではないか もう その後の時間は句会が終わるまで 恥ずかしさと申し訳なさとで 真っ蒼になっていた俯いていた以外は何も覚えていない 句会が終わると 真っ先に先生にお詫びを申し上げた 女と見えても友と書き写せなければいけない 修業不足です ほんとうに申し訳ありませんでした と 先生は まあそういうこともたまにはあるね と許してくださったのだが 年来の友人への追悼句が台無しになってしまってさぞ寂しく感じられたことだろう 憤るにも余りのことに意気消沈されてしまったのかもしれない 黄雀さんも この不肖の弟子に 天上でまったく生きた心地がしなかったに違いない それ以来 この句を目にするたびに いつもこの大失態を思い出しては身のすくむ思いにとらわれる しかしながら 苦い思い出も 歳月を経ると それを許してくださった先生の懐の大きさと共に その失敗も懐かしく思われるのである 考えてみれば 切山椒 という季語の本意を全身全霊で学んだ貴重な授業だったのかもしれない

10 崩れむとして白牡丹羽ひらく 華麗な一句 前書きに 安西 伊藤 磯村 鈴木 畠中 来栖等の詩人と須賀川行四句 とある 須賀川の牡丹園を訪ねたものか 私も何度か訪ねたが 江戸時代に植えた牡丹の古木があったはずだ 紫の牡丹はあでやかと言うより力強い野性を感じたことを記憶している ともあれ 須賀川牡丹園には 二九〇種 七 〇〇〇株の古木が咲く もともとは 根を薬用にしようと植えたところから牡丹園が始まったというのが面白い 白牡丹が崩れるように と言うのは 蛇足を加えると 崩壊する のではなく女人が身を任せるように 崩れかかる こと 実際には風に吹かれて花びらがより開くかのように見えた瞬間を捉えたのであろう 羽をひらくかのように というのがこの句の明るい側面である 余命なきをしづかに嘆け閑古鳥 もちろん芭蕉の 憂きわれをさびしがらせよかんこどり を意識してのものに違いないが 余命なき と言う措辞が 大胆でしかも老いの実感を深く抱えている 先週引いた 麦茶 の句と言い その頃に詠んだ 逃水や行方の見えぬ老いの詩 の句と言い 老い がしっかりと意識化されてきた時期なのであろう しづかに嘆け とはかっこうへの語りかけのような体裁を取りながらも 実際には自分への言い聞かせに他ならない 自分の運命に対する覚悟のような気配が漂う 郭公の声が明るければ明るいほど 朗らかであればあるほど 八束の老いの憂愁は深まるばかりなのだ あこや貝の我に月光玉ぎょく六つ 入院月余 特大結石六個を摘出四句 とあるように 晩年の大きな入院の一つであった あこや貝とはもちろん真珠ならぬ 結石 を抱えた八束自身を自嘲したもの 手術後月光を身のほとりに感じての ほっとした心境を映したものであろうか それにしても特大結石六個とは さぞ痛みも大きかったのではないか この入院中に 尊敬し懇意にしていた永井龍男もこの世を去った これも無念のことであったにちがいない ともあれ 先生の入院を知らぬまま八束居を訪ねたのは 退院して一週間くらい経った頃ではなかったか 体調もだいぶ恢復された様子で ひさびさ

11 に寛がれてもいる様子であった あこや貝の話も出るには出たが 事情が分からないので私がキョトンとしていると 結石の大きなのが六つ それを手術で取り出したんだけど 腹に石がたまって それでひっくり返ったから イシハラというわけ と 愉快そうに笑われた 入院中にこの洒落を考えていたのか 咄嗟のウィットだったのか ともあれ 先生の予後が順調なことが感じられてうれしかった 先生が七一歳の頃の話である ところで 結石摘出の手術をしても 八束は手術される自分をゆとりを持って突き放して第三者の目で詠む 内観の句を作るためには 何よりも冷静に自分を眺めるもう一人の自分がいなければならない あまり冷静であると句自体が冷めすぎてしまうので もう一人の自分の心の持ち加減は微妙だ この句では 自らをあこや貝に見立てている 男が自分をあこや貝にたとえた俳句はこれまであっただろうか 本来生理的には不毛であるはずの一人の男が自らの腹に 玉六つ を孕んでいる というのが面白い 五つ子はいたが 六つ子はいたかどうか しかも そこに月光を流し込んで 幻想とも抒情ともいえない不思議なひかりを纏わせているあたりが 八束の句の豊穣な由縁 自らの災いを俳句の素材となし ユーモアに包みこんで詠みこんでしまうとは恐れ入る 壁冷えて死者にすがれる声きこゆ 病室と言うのは ふだんよりもはるかに多くの死者を身近にしている場所だ 入院した自分の周囲には 生への希望と死への不安が渦巻いている この句も 前述の あこや貝 と同じ四句のうちの第四句 八束のように 術後恙無く恢復した人もあれば この句のように彼岸へと旅立ってしまう人もいる 壁越しにでも聞こえてくるのだろうか 死者にすがりつくように泣く誰彼の声が洩れ聞こえてくるのだ だからこの 冷えて とは 壁の物理的な冷たさに加えて心理的な 冷え が加わっていよう ひ し き と きびしい音を三つほど大事な箇所に埋め込んでいて 音韻的にも冷ややかな印象を与えている 葉鶏頭吹かれて炎立つ虚空かな 十月十二日永井龍男先生逝く 我は入院中なれば二句 とある中の第一句 八束は永井龍男を短編の名手として尊敬していた 三好達治亡きあと 永井龍男氏の散文が八束の心の拠り所として大きな励ましになっていたので

12 はないかと思う この葉鶏頭は風に吹かれているうちに 燃えあがってしまったように 炎立つ 状態になったというのであろう その炎を噴いている葉鶏頭は虚空の中に吊られているようだ もっとも この句の 炎立つ を 虚空 の修飾として解釈することも可能であろう 葉鶏頭が風に吹かれて立っている その周りを炎立つような虚空 つまり夕焼けが包んでいるという解釈だ ただし 句を上五から読み下してくると どうしても 吹かれて炎立つ と言いたくなる 私はその勢いをいただきたい すなわち 葉鶏頭吹かれて炎立つ / 虚空かな と言うように 中七で一回簡単に切れるのだ この葉鶏頭に どこか 月見座頭 の話のイメージが重なり合ってくるのは私だけであろうか 直後の句が 人影に似し月影の葉鶏頭 であることからしても おそらくはそんなに見当はずれでもあるまい 枯菊を焚いて黄泉の火起しけり まったく自信のない解釈ながら 次のようにこの句を考える この世で枯菊を焚いたら ずっと離れた黄泉の世界に火が点った つまり まったくかけ離れた世界ながら どこかで火というものが以心伝心のようにつながっていると それにしては 枯菊を焚くと言うのは俳人好みの風雅な営みにちがいない いくら枯れてはいると言っても ほんのりとした菊の香りが立ち上ってくるであろう その香も黄泉の世界に伝わってゆくのだろうか いままで何の不思議もなく このように考えてきたが 新しい解釈も思い浮かんだ すなわち 作者はすでに黄泉の世界にいて枯菊を焚き火を起こしている 自分がやがて訪ねることになろう黄泉の世界に わが身を想像で置いてみたのだ 枯菊を焚いてもさほど強い火勢にはなるまいが ともあれ足元くらいは照らすことができよう 自らの行路を自ら照らしているのだ 以上の二つの解釈のいずれがよいかは読者それぞれの好みの問題であろう 超空間的な第一の世界 仮想の実感にあふれる第二の世界 いずれも 八束の意識の底が覗けるような情景であろう 人の世はかそけし暗し十二月 これまたなんとはかない感慨か かそけし に 暗し と加え さらに追い打ちをかけるように 十二月 をかぶせる この句自体は あまりにストレートで名句とも思えないが 一度読んだら忘れられない寸鉄詩のような味

13 わいがある たとえば 方丈記 の有名な冒頭の無常感は 俳句で表現するならばこのようになるはずだ 俳句の器に 輪郭も危ういほどの無常感が薄闇をまとってかぶさってくるような雰囲気の句とも言えようか ともあれ この究極のペシミズムからは早めに逃げることだ と私は思っている こんな地点に至ったら最後 ボードレールの暗鬱の詩学に魅せられるように あるいは巨大なブラックホールに出遭ったかのように 死と虚無の魅惑にどこまでも引き込まれて為すすべがなくなってしまうだろう 思わず それはポーズだ ポーズであって欲しい とでも言いたくなってしまうほど このときの八束の胸中を思いやるに やるせない淋しさがいつまでも残ってやまない 冬も人の死も裏手より来てゐたり やや形式的な捉え方の句 冬 も 人の 死 もそれ自体は見えない抽象概念だ それら晩節の身に感じとっていることを見えるように伝えたいがために 裏手より との措辞を差し挟んだのだ 冬も正面から堂々とやって来るわけではなく 気が付いたら背に沁み込んでいることもある そして 人の とは言いながらも実際には 自分自身の 身に感じられる 死の接近感 は やはり見えないうちに背中 = 裏口 から訪ねてきたものと感じられる その感じ方のうちにも なんでも正面に待ち受けて乗り越える若いときとは異なる 老いの実相がおぼろげに浮かび上がるではないか 身をかがめ剪る寒菊に風がたち 身をかがめて寒菊を剪っていたら風がたった それだけの句だが 身をかがめ ていることによって 寒菊の小ぶりの花びらがこまかく動きわたるさまが ありありと見えたのだ 瞬間的な動きの始点を目撃した心のうごきが手に取るように見えてくるような作だと思う それと共に 寒菊 に身をかがめ たつ風を心身に感じている姿には これまた若い身の溌剌さではなく 老いの自愛をまとった緊迫感のようなものがただよう 八束の小ぶりな句と言うのも 余情があってなかなか捨てがたいものだ

14 初鰒は目をひらきをり袋ふくろ糶ぜり 平成三年 めでたい河豚の初糶の風景だが 淑気の中に滑稽を持ち込んだところが異色の句 袋糶とは 八束に聞いた話では 下関の方の糶の習慣で 両端を切った筒っぽのような布の中に 両端からそれぞれ手を入れて その中で手を握り合って糶値を付け合うのだそうだ 外からはいくらの値段を付け合っているかいるか分からないが 糶の当人たちのみは分かるという仕組みになる なぜこのような変ったやり方を考えたのか不思議でもあるが ともあれ地方色の滲み出た風景に違いない この句では 肝心の競られている河豚の方は 傍らできょとんと目をひらいているというのだ これが年の暮の風景ではなくて 新年の風景であるからユーモラスに見える 年初の珍風景 竹田の細筆描きの宝船 平成三年 竹田 とは田能村竹田 たのむら ちくでん : 一七七七 ~ 一八三五 で 江戸時代後期の南画 文人画 家 竹田の竹林と書室の取り合わせのような水墨画が 八束の応接間に掛けてあったのだが それはもちろん宝船の絵ではない この季語の 宝舟 は正月にこれを敷いて寝ると吉運の初夢に恵まれるというもの 八束は大雅も蕪村も好きで何度も書画を観に足を運んだ 二人とも竹田と年譜的に重なる部分がある 大雅と蕪村の競作 十便帖 と 十宜図 の優劣について 竹田が 大雅は正にして橘 けつ ならず 春星 = 蕪村 は橘にして正ならず と大雅を褒めて蕪村を貶めた評価をしたことについて 三好達治は あれは竹田の言い過ぎ と異を唱えていたという話を 八束から何度か聞いていたので この竹田と言う名前にはいまでも懐かしさがつきまとう ともあれ この宝船 細筆でなんだか頼りなくも見えるが 見方を変えると筆の速度感もあって 新年にふさわしい爽涼感のただようものであったのかもしれない 句としては 細筆描きの宝船 の語の連結がなんとも言えない 軽妙な味わいを出していて八束の心のあり方が伝わってくる の を二つ使っての三つの名詞をつなげた文体も まじないめいた雰囲気を感じさせて面白いと思うのは 私だけであろうか

15 磨崖文殊に寒の泉を掬みにけり 平成三年 国東にて四句 と前書のある句の第一句 この磨崖文殊が 未調査で特定できないのだが 磨崖仏のそれも知恵を授けてくださる文殊菩薩のほとりに清冽な泉があるのだろう 八束はその泉に手を浸してみたのか 寒のさ中で 水は手が切れるほど冷たい 自分の文筆の道のきびしさと授かる知恵の有難さを 改めて思ったに違いない 季語としては 泉 は夏の季語で 寒の泉 は 泉 に 寒 を加えただけの形だが いまや言い尽くされて平凡になりかかっている 泉 よりも 八束の厳しい人生経験に裏打ちされたこの 寒の泉 の方が新鮮な味わいがあって 私には好もしく感じられる ひとつばたご咲く浦潮の濃かりけり 平成三年 ひとつばたご は八束が対馬の鰐浦に渡って挑戦した新季語 こまかくて真っ白なさらさらした花が初夏に咲く この花がたいそう気にいった様子で 八束は晩年 毎年のようにこの時期になると句会の仲間を誘っては ひとつばたご を詠んだ 珍しい花のように思われるかもしれないが 東京ならば神宮外苑にも何本かある これも五月の連休の初めの頃に見ごろになる この句は 技巧的には何も特記することはない おそらくは浦に臨む崖の斜面のようなところに湧くように咲いているひとつばたごの白い花と 眼下に迫ってくる紺碧の 浦潮 その対照が美しい いつか訪ねてみたいと思いながら まだ夢を果たしていない 玄海の仮幻にひとつばたごの花 平成三年 昨日に引き続き対馬鰐浦での作 玄海の押し寄せる中に まるで 仮の幻 であるかのように ひとつばたごの花 が咲いているという句 ことばの捌きに観念性が少々残っているが たしかに ひとつばたごの花 には 細かく湧きあがるように咲いたら そのままさらさらと跡形もなく流れ去ってしまいそうな気配がある 初夏の青い海と空に映り合ってはなおさらのこと 蛇足だが ひとつばたご は ひとつば たご とリズムをとるのが本来の読み方

16 入り舟も出舟も照らしなたおろし 平成三年 八束は先の作も含めて ひとつばたご で十三句を成している なかなか困難だが 新しい季語を発掘して後世に伝えてゆくためには このような冒険と情熱が必要だ 世にいる大家にはもちろんのこと 若い俳人たちもこの新しい季語をもっと探ってみようではないか 季語にふさわしい清楚な品位を感じさせる花だ 十二句目に次のような後註がある 以上十二句のひとつばたごは北対馬に群生する天然記念物にて五月開花 別名 海照らし なたおろし とも呼ばれ対馬のなんじゃもんじゃといはれる 冒頭の 海照らし はこのひとつばたごの別名であった 入り舟も出舟も照らし によって すこし小高い所にこの花が群生していることが想像されようか なたおろし 鉈折 と言うのは 木質が硬いのであろうか 下五に至って 最後にとどめを刺すかのように 一気に白い花の光が投げかけられる 己れ動けば句もまた動く羽抜鶏 平成三年 霜柱俳句は切字響きけり石田波郷 と同様 ややスローガン的な句だが 下五の 羽抜鶏 に自己激励のような滑稽も感じられて忘れ難い 旅吟は俳句ではないと言った俳人もいたが 俳句はやはり動いて実際の現場をたくさん見ることが大切 それらの風景がしだいに沈殿した中から あるとき人生観と相俟って本質的なイメージがふっと湧きあがってくるのだと思う 造型の人為的な側面を自然なかたちで支えるのが 動く ことだ 自分が動けば 影法師のように句も動いてくるとは そのこと自体おもしろい 人間だけでなく 俳句自体も 羽抜鶏 にならないように気を付けないといけない 伏せばなほ涙や露の音すらむ 平成三年 病気で伏せたのか 悲しみごとで伏せたのか 伏せればさらにとめどなく出てくる涙 その涙に共鳴して四囲から包み込むように露の音がとどいてくる 涙が露の音を誘いこむような繊細な感覚の句だ 涙と露は素材的に近いかもしれないが 一方が人間の涙 もう一方が自然の草木の涙と考えると それぞれの涙が響き合うように感じられても不思議ではない 露の音など聞

17 こえないと主張する向きがあるかもしれないが 逆に露の音はかなしみに打ちひしがれ虚心に自分の心を見つめるときにひとりでに聞こえてきそうな気がする 主情的な句ではあるが 人間の心と自然の心との接点を示唆した ひそやかでしずかな心の世界がここにはあって味わい深い 長城のうねり連なる涯に雪 平成四年 万里の長城だからどう描こうと景色は大きい 八束は うねり連なる と言って 奥行きを示した うねり との措辞の中に 長い時代の うねり も重ねられているかのようだ 情景を端的に描きながらも その暗喩する世界が示唆されているのが八束の世界 そのために難解に見えたり 作為が露わに見えすぎてしまうことも間々あるが たった十七音の短い詩型ゆえに 意味の重層性は俳句の豊かさにとってかけがえのないものになる 八束のこの句は うねり続けてきた時間の果てに雪が降りしきっている 時間と空間の広がりが宇宙 その意味で この句にも八束が最晩年に追い求めた宇宙感覚の手応えが確かにある 兵馬俑並びて寒き叫おらびあり 平成四年 兵馬俑とは 古代の中国で死者を埋葬する際に 家臣たちの殉死に代えて作った馬や兵を象った俑 = 人形 である 秦の始皇帝陵に埋納されたものがよく知られている 俑坑は三つあるようだが その中には戦車が百余台 陶馬が六百体 武士俑は八千体ちかくあるとのこと 規模からも とうてい日本の埴輪の比ではない それらが 寒い地下で 雄叫びを上げて出陣する構えを見せているようだと言うのであろう いや 八束は足を踏み入れた途端に これらの腹から突き上げるような雄叫びを幻聴のように聞いたのだろう さりげない表現だが 並びて の一語によって おびただしい軍勢が整然と並んでいるさまが思い浮かんで ここにも寒々しい風景が活写されている 空音して雁塔がんたふ晨しん鐘しょう辛夷咲く 平成四年 西安の慈恩寺の大雁塔に対して この雁塔晨鐘の方は薦福寺に立っている小雁塔を言うそうだ 大雁塔が勇壮で男性的な外観なのに対して こちらは

18 たおやかで女性的だというのが大方の感じ方でもあるらしい 大雁塔と東西に対峙していて 建築当時は十五層あったが 現在は十三層で 高さは四十三メートルとのこと 薦福寺の鐘楼には 十二世紀初頭に鋳造された大きな鉄鐘がかかっていて この音色が美しいとのこと その妙なる音が 旅人八束の耳にこれも空音としてとどいてきたのだろう 幻のものをありありと見 ありありと聞き ありありと感じる その辺が八束の俳句の特徴でもあるが この句などもその典型の一つ 折から辛夷の花がすがすがしく咲いて 早春を呼び込んでいる 旋つむじ霾ばいおこる渭水の彼岸かな 平成四年 渭水は黄河の支流で 西安の北を流れる 特に唐の時代には洛陽への運輸の重要な川であった 渭水に望む渭城は 王維の七言絶句 送元二使安西 という友人を送る詩で知られる 西出陽関無故人 西のかた陽関を出づれば故人なからん という最終行が殊に知られている 八束のこの句は 渭水の向こう岸に霾が巻き上がっているさまを描く 彼岸の旋風の中に 別れて行った多くの旅人の姿を幻想の中に思い描いているような気配がある 岸の向う側は文字通り 彼岸 であるに違いない 旋霾 つむじばい は造語だと思うが なかなかうまい表現ではないか 第一四句集 幻生花