Vol. 140, No. 1 YAKUGAKU ZASSHI 140, 25 29 (2020) 25 Activity-based protein proˆling を用いた効率的な脂質代謝阻害薬の創製 小笠原大介 Symposium Review E cient Discovery of Ligands Targeting Poor Lipid-signaling Metabolic Enzymes, as Facilitated by Activity-based Protein Proˆling Daisuke Ogasawara Department of Chemistry, The Scripps Research Institute; 10550 N Torrey Pines Rd, La Jolla, CA 92037, U.S.A. (Received July 25, 2019) Despite a continuous increase in R&D spending on potential new medicines, the success rate of drug development has not improved. The pharmaceutical industry is now facing a major challenge. As a college student who was studying pharmaceutical sciences in Japan, I became passionate about developing a new technology that would allow us to e ciently discover novel drug targets and selective chemical ligands for these targets. This realization encouraged me to join the PhD program at The Scripps Research Institute (TSRI) in 2013, where I carried out thesis research focusing on ligand discovery for poorly characterized metabolic enzymes for lipid signaling under the guidance of Prof. Benjamin Cravatt. TSRI is a unique place where researchers with dišerent backgrounds collaborate frequently to conduct highly interdisciplinary research with the goal of translating cutting-edge research into clinical use. In this column, I am sharing my experiences as a PhD student at TSRI. I hope this column will be a useful source of information for younger students considering going abroad for a PhD degree. Key words graduate school life; United States; The Scripps Research Institute; activity-based protein proˆling はじめに筆者がアメリカでの留学を開始してからもう 6 年が経過しようとしている.25 歳になるまで一度も日本を出たことがなかった筆者にとって人生で最も刺激的な 6 年であり, 短くもあり長くもあったというのが正直な感想だ. 本総説では筆者のアメリカでの大学院生活を振り返ることで, まだあまり一般的ではないアメリカへの大学院学位留学について知って頂く一助となれば幸いである. 大学院留学まで筆者は 2013 年に名古屋市立大学の修士課程を修了し, 同年 8 月にスクリプス研究所化学科の PhD プログラムに入学した.5 年半かけて PhD を取得し, 現在は同研究所でポスドク研究員として働いている. 学部 修士時代は宮田直樹先生 ( 現名古屋市立大学名誉教授 ) 及び鈴木孝禎先生 ( 大阪大学産 Department of Chemistry, The Scripps Research Institute (10550 N Torrey Pines Rd, La Jolla, CA 92037, U.S.A.) e-mail: daisuke@scripps.edu 本総説は, 日本薬学会第 139 年会シンポジウム S36 で発表した内容を中心に記述したものである. 業科学研究所教授 ) の下で創薬化学を学んだ. 研究室に入るとすぐに創薬研究の難しさを痛感した. 紙の上で書いたことがそうそううまくいかないのが研究である. 実際, 研究室に配属されてから最初に取り掛かった化合物は ( 今思えばそれほど難しくないが ) 合成に半年かかった上, 標的の酵素の活性を全く阻害しなかった. その後数々の試行錯誤を繰り返し, 標的タンパクを高活性かつ選択的に阻害する化合物を見い出し, 論文として発表することができたが, 1) それまでに研究室配属から修士卒業までの 3 年間を費やした. 見い出された阻害剤は動物レベルでも効果があることが共同研究により確認されたが, 2) 卒業までの 3 年間では時間が足りず自ら実験を行うことはできなかった. 実際の薬までもっていくにはさらにヒトでの安全性及び薬効試験をクリアしなければならない. 創薬研究に非常に長い時間と莫大な資金が必要なのも納得である. さて, 筆者が日本で学部生だった頃は製薬業界で 2010 年問題というものが取り沙汰されていた. 新薬メーカーの大型医薬品の特許が 2010 年前後に次々と特許切れを迎え売上高の急激な減少が見込まれるという問 2020 The Pharmaceutical Society of Japan
26 YAKUGAKU ZASSHI Vol. 140, No. 1 (2020) Fig. 1. (A) Beckman Building of The Scripps Research Institute (taken from www.scripps.edu),and(b) Blacks Beach Which Is Located within Walking Distance from the Institute 題だ. たとえ薬が特許切れを迎えたとしても次々と新しい薬を見つけ続ければよいだけの話であるが, 新薬を見つけるのは近年ますます難しくなっている. 新薬 1 つあたりの研究開発費が年々増加していることからも製薬業界が厳しい時代に突入していることが窺い知れた. 筆者がアメリカで研究してみたいと思い始めたのはこの 2010 年問題の真っただ中であった. 産官の両方から新たなアイデアを持った研究室やベンチャー企業が次々と生まれるアメリカで創薬を学びたいと思ったからだ. より一般的なポスドク研究員として留学する選択肢もあったが, できるだけ早くいってみたいという気持ちが勝り, アメリカの PhD プログラムに応募することを決めた. 大学院留学準備周りに大学院留学の経験者がおらず, 当初は何から準備を始めたらいいか全く分からなかったが, 幸い今ではアメリカ大学院留学経験者のブログや化学ポータルサイトである Chem-Station などに大学院留学の記事が豊富にあり, 情報収集にそれほど苦労することはなかった. アメリカ大学院の出願には英語力をはかる TOEFL 及び基礎学力を測る GRE と呼ばれるテストを受ける必要がある. さらにそれに加え, 出願の動機や自分の将来の展望などについて書く statement of purpose, そして 3 通の推薦状が必要であり, 日本の大学院入試の形式とは大きく異なる. 学部 ( そして修士 ) の成績も加味されるため, できるだけ高い GPA を維持しておくことも心掛けておかなければならない. これらのテスト及び書類の準備を修士論文の研究と同時並行で行った. この間に実際にいくつかの大学院を訪問し興味のある教 授や研究室のメンバーと話し, 更なる情報収集及びモチベーションの向上に努めた. 研究と並行しての出願書類の準備は大変ではあったが, 何とか書類を揃えることができた. アメリカの大学院はオンラインで出願することができるので出願自体は手軽だ. しかも受ける大学院の数に制限はない. 結局筆者は西海岸, 中西部, 東海岸とまんべんなく 11 校ほどに出願した. その中でスクリプス研究所と Tri- Institutional Program for Chemical Biology (TPCB) からオファーをもらうことができた. スクリプス研究所については同研究所に留学経験のある鈴木孝禎先生及び伊藤幸裕先生 ( 京都府立医科大学准教授 ) から研究及び住環境のよさなどについて話を聞いており, もともと第一志望にしていたため, 迷わずスクリプス研究所化学科の PhD プログラムに入学することを決めた. スクリプス研究所スクリプス研究所はサンディエゴ ( カリフォルニア州 ) とジュピター ( フロリダ州 ) に 2 つのキャンパスがあり, 大学院もそれぞれのキャンパスに併設されている ( 筆者はカリフォルニアの方に入学した ). カリフォルニアキャンパスのあるサンディエゴは快適な気候と美しいビーチに恵まれ, とてもリラックスしながら研究できる環境にある (Fig. 1). スクリプスの大学院自体は 1989 年設立と歴史はまだ浅いが, 既に Phil Baran や Benjamin Cravatt など著名な研究者を輩出している. 全体で 2600 人以上の人が働いており, そのうち大学院生が 250 人程度となっている. また,2017 年に Nature Index より発表されたランキングでも世界で最も影響力のあ
Vol. 140, No. 1 (2020) YAKUGAKU ZASSHI 27 Fig. 2. Schematic for Activity-based Protein Proˆling る研究機関に選ばれている. 3) 大学院生活さて, サンディエゴに到着していよいよ大学院生活のスタートだ. アメリカの大学院では所属研究室を決める前にラボローテーションという制度があり, 自分が興味のあるラボをいくつか短期間でまわることができる. ラボの雰囲気やボスの指導スタイルなど実際にその研究室に入ってみないとわからないことも多々あるので, 個人的にとてもいい制度だと思っている. 筆者の場合は最初, 複雑な天然物を基にした創薬研究を行っている Dale Boger 教授の 研究室でバンコマイシン全合成プロジェクトのチームに加わった. その際に当時 Boger 研究室の research assistant professor であった岡野晃典博士 ( 現 Pharmacyclics, an AbbVie) 及びポスドク研究員であった中山淳博士 ( 現徳島大学助教 ) に大変お世話になった. 本シンポジウムのお話を頂いたのも中山博士からである.Boger 研究室の後は Benjamin Cravatt 研究室に移り, シグナリング脂質代謝酵素のケミカルプローブ開発研究を行った. どちらの研究室に行くか非常に悩んだが, 最終的に動物を用いて阻害剤を用いたターゲットタンパク質の機能解析を行うことのできる Cravatt 研究室に入ることに決めた.Cravatt 研究室では activity-based protein proˆling (ABPP) と呼ばれる手法を用いてタンパクの機能の解明及びリガンドの探索を行っている.ABPP 法とは, タンパク質に対し指向性のある化学プローブ (Activity-based probe) を用いて標的となるタンパク質の生理条件下における機能を評価する手法である (Fig. 2). 4) 化学プローブは蛍光基やビオチンなどのタグを有しており, 未精製の細胞 臓器ライセートといった複雑なプロテオームにおいて多数のタンパク質を同時に評価することが可能となる. 筆者はセリン加水分解酵素と呼ばれる酵素ファミリーに特異的に反応するフルオロホスホネート (fluorophosphonate; FP) を用い, セリン加水分解酵素の阻害剤の開発研究を行った. セリン加水分解酵素のような大きな酵素ファミリー ( ヒトで 200 種類以上 ) をターゲットにした選択的阻害剤の開発は一般的に困難である. 阻害剤の選択性の Fig. 3. (A) Photo with Lab Members Celebrating My Successful Defense, and (B) Photo with My PhD Advisor, Benjamin Cravatt at the Graduation Ceremony
28 YAKUGAKU ZASSHI Vol. 140, No. 1 (2020) 確認に莫大な時間と労力がかかるからだ.FP-プローブを用いた ABPP では多数のセリン加水分解酵素の活性状態を評価できるため, 阻害剤により細胞や動物の組織でターゲットの活性がどの程度阻害されているか, オフターゲットがいくつあるか, といった情報を一度の実験で得ることができる. 4 6) 筆者はこの手法を用いてシグナリング脂質代謝酵素の阻害剤開発に取り組み, 動物モデルで使用可能なジアシルグリセロール加水分解酵素 (diacylglycerol lipase; DAGL) 及びリゾホスファチジルセリン分解酵素 (ABHD12) の選択的阻害剤を初めて見い出すことができた. 7 9) 大学院生としてアメリカに来ると研究成果を出し論文を発表すること以外にもクリアしなければならない要件がある.1 つ目は授業だ. スクリプスでは最初の 2 年のうちに 6 コマの授業を履修することになっている. 初めて受ける英語での授業に慣れるまでに時間がかかったが, 基本的な内容から最新の研究まで広範囲にカバーした授業が多く, とてもためになった. 授業をとり終えると次に待ち受けているのは Qualifying Exam と呼ばれる進級試験である. 大学により形式は様々だがスクリプスの場合は博士論文用プロジェクトを基に NIH グラント形式のプロポーザルを書くというものである. これに合格すると PhD Candidate と呼ばれるようになる. スクリプスではこれに加え, もう 1 つ Original Research Proposal と呼ばれる試験がある. これは博士論文とは関係のないオリジナルなプロジェクトを提案しプロポーザルを書くというものである. どちらの試験も大量の文献を読み込まなければならず大変だったが, 今振り返るとよいトレーニングになったと思う. これらの試験をクリアした後, 博士論文を仕上げて Defense を終えると晴れて PhD となる (Fig. 3). アメリカでの大学院を終えてみてスクリプスに入学した当初の不安と期待の入り混じった感情は今でも鮮明に覚えている. あれからもう 6 年が経ち, 大学院を卒業したのだと思うと感慨深い. 大学院生という, いわば研究者としての人格形成期に世界中から集まってきた優秀な学生と苦楽をともにし, 切磋琢磨しながら研究をすることができたというのはやはり今後とても大きな財産になると思う. 学生といえども彼らの年齢 経歴は様々 だった. 一度働いてから大学院に戻った人もいるし, 飛び級を繰り返して 10 代で入学した人もいた. 大学院に入る前は ミュージシャンを目指していた New York で舞台女優を目指していた という経歴の人もいた. 卒業生の進路も様々で, 全くサイエンスに関係のないことをやっている人も少なからずいる. 生まれも育ちも日本である筆者にとってこうしたアメリカの大学院で目の当たりにした 多様性 はとても新鮮なものだった. スクリプスの大学院生はそのほとんどがアメリカ国内外の一流大学と呼ばれるところから来ている. 彼らは皆自信に満ち溢れているように見えたし, 何でもできる天才なのだろうと当時の筆者は勝手に想像していた. 日本の地方大学出身の筆者はそんな彼らを前にして当然のように委縮していた. しかし, そんな彼らも筆者と同年代の若者である. 彼らにだって未熟な部分はあるし, 同じような将来の悩みや不安を抱えていたりするのだ. 大学院生活をともに過ごし, 彼らのこうした一面を知ることで彼らに対して最初に抱いていたコンプレックスは次第に消えていった. 学生としての留学は終わったが, 今度はポスドク研究員として筆者の留学はこれからもまだ続いていく. 新しい薬を見つけたいという目標は留学を志した当初と変わっておらず, これからも どのように薬を効率的に見つけるか をテーマに研究を行っていきたい. これからまたどのような人やサイエンスと出会えるのか楽しみだ. 利益相反開示すべき利益相反はない. REFERENCES 1) Ogasawara D., Itoh Y., Tsumoto H., Kakizawa T., Mino K., Fukuhara K., Nakagawa H., Hasegawa M., Sasaki R., Mizukami T., Miyata N., Suzuki T., Angew. Chem. Intl. Ed., 52, 8620 8624 (2013). 2) Sareddy G. R., Viswanadhapalli S., Surapaneni P., Suzuki T., Brenner A., Vadlamudi R. K., Oncogene, 36, 2423 2434 (2017). 3) Nature Index 2017, ``Top 200 institutions by Lens score.'': https://www.natureindex.com/ supplements / nature-index-2017-innovation / tables / top200-institutions-lens, cited 29 June, 2019.
Vol. 140, No. 1 (2020) YAKUGAKU ZASSHI 29 4) Niphakis M. J., Cravatt B. F., Annu. Rev. Biochem., 83, 341 377 (2014). 5) van Esbroeck A. C. M., Janssen A. P. A., Cognetta A. B., Ogasawara D., Shpak G., van der Kroeg M., Kantae V., Baggelaar M. P., de Vrij F. M. S., Deng H., Allaràa M.,FezzaF., Lin Z., van der Wel T., Soethoudt M., Mock E. D., den Dulk H., Baak I. L., Florea B. I., Hendriks G., De Petrocellis L., Overkleeft H. S., Hankemeier T., De Zeeuw C. I., Di Marzo V., Maccarrone M., Cravatt B. F., Kushner S. A., van der Stelt M., Science, 356, 1084 1087 (2017). 6) Huang Z., Ogasawara D., Seneviratne U., Cognetta A. B., am Ende C. W., Nason D. M., Lapham K., Litchˆeld J., Johnson D. S., Cravatt B. F., ACS Chem. Biol., 14, 192 197 (2019). 7) Ogasawara D., Deng H., Viader A., Baggelaar M.P.,BremanA.,denDulkH.,vanden Nieuwendijk A. M., Soethoudt M., van der Wel T., Zhou J., Overkleeft H. S., Sanchez- Alavez M., Mori S., Nguyen W., Conti B., Liu X., Chen Y., Liu Q. S., Cravatt B. F., van der Stelt M., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 113,26 33 (2016). 8) Ogasawara D., Ichu T.-A., Vartabedian V. F., Benthuysen J., Jing H., Reed A., Ulanovskaya O. A., Hulce J. J., Roberts A., Brown S., Rosen H., Teijaro J. R., Cravatt B. F., Nat. Chem. Biol., 14, 1099 1108 (2018). 9) Ogasawara D., Ichu T.-A., Jing H., Hulce J. J., Reed A., Ulanovskaya O. A., Cravatt B. F., J. Med. Chem., 62, 1643 1656 (2019).