まえがき v まえがき ことば と 意 味 が 無 関 係 だと 考 える 人 はいない.それどころか, こと ば という 語 を 聞 けば, 意 味 を 連 想 する 人 がほとんどだと 思 われる.それ ほどに 意 味 は ことば の 重 要 な 側 面 を 担 っているのだ. にもかかわらず, 言 語 学,つまりことばを 対 象 とする 学 問 においては, 意 味 の 研 究 が 本 格 化 するのは 遅 かった. 言 語 学 者 より 早 く 意 味 論 を 本 格 的 に 取 り 上 げたのは, 第 2 章 に 見 るとおり, 哲 学 者 であったが,その 研 究 対 象 は 日 本 語 と か 英 語 などの 自 然 言 語 ではなく, 記 号 論 理 学 という 人 工 言 語 だった. 1932 年 刊 行 の 平 凡 社 大 百 科 事 典 には 意 味 論 という 独 立 項 目 さえな く,1940 年 発 行 の 硏 究 社 英 語 學 辭 典 (この 著 には 当 時 の 言 語 学 一 般 の 研 究 成 果 がかなりの 程 度 反 映 されている)には Semantics( 意 義 學 意 味 論 )という 項 目 はあるものの,そこには 次 のような 記 述 がある. (1) Semantics は 言 語 の 外 形 を 硏 究 する phonetics( 音 聲 學 )と 並 んで 言 語 硏 究 の 基 礎 をなすべきものであるが,この 方 面 に 於 ける 言 語 學 者 の 業 績 は 芳 しくなく 今 後 の 開 拓 に 俟 つところが 甚 だ 多 い. (p. 916) 1930 年 代 から 60 年 代 の 初 めにかけて 有 力 だった 言 語 理 論 は,ブルームフィ ールド(Leonard Bloomfield, 1887-1949)に 代 表 されるアメリカ 構 造 主 義 言 語 学 (structural linguistics)であった.アメリカ 構 造 主 義 は 行 動 の 観 察 のみが 意 識, 認 知 などの 心 的 過 程 を 研 究 する 唯 一 の 方 法 である とする 行 動 主 義 と, 科 学 とは 観 察 に 基 づく 帰 納 的 一 般 化 の 集 成 にほかならない:すべての 理 論 的 言 明 は, 究 極 的 には, 観 察 可 能 なもののみに 言 及 する 言 明 に 還 元 されなければ ならない という 論 理 実 証 主 義 に 基 づく, 今 日 考 えるとまことに 奇 妙 な,そし てむろん 誤 った 原 理 に 立 脚 した 理 論 であったのだが,どういうわけか 日 本 ( 特 に 終 戦 後 の)を 含 む 各 国 の 言 語 学 界 に 大 きな 影 響 を 与 えた. 構 造 主 義 言 語 学 に 従 うと, 言 語 学 の 主 要 部 分 は 次 の 2 部 からなる.( 用 語 は いくぶん 簡 略 化 してある.) (2) i. 文 法 的 システム: 単 語 の 総 体 とその 配 列
vi まえがき ii. 音 韻 的 システム: 音 素 の 総 体 とその 配 列 つまりこの 学 派 では 意 味 に 関 する 研 究 は 言 語 学 プロパーには 含 まれていないと された. 意 味 的 システム とよばれる 部 門 はあることはあったが,これは 文 法 的 システムと, 直 接 観 察 が 可 能 な 物 理 的 社 会 的 世 界 との 関 係 を 扱 う, 言 語 学 プロパーの 内 部 ではなくその 周 辺 に 存 在 する 部 門 とされた. 1950 年 代 末 から 60 年 代 初 めにかけて 構 造 主 義 言 語 学 を 駆 逐 し, 少 なくとも ある 期 間, 言 語 研 究 の 主 流 となった 生 成 文 法 の 最 初 の 公 刊 本 である Chomsky (1957)には 意 味 に 関 する 言 及 は 皆 無 であるといって 過 言 でなく,Chomsky (1995)になると, 次 のように, 言 語 における 意 味 論 の 存 在 を 疑 問 視 するような 見 解 さえ 述 べられている. (3) 言 語 使 用 に 関 するわれわれの 理 解 が 正 しい 限 りにおいて, 指 示 を 基 礎 と した 意 味 論 が 成 立 するとの 議 論 は 弱 いように 私 には 思 える. 自 然 言 語 と いうものは, 統 語 論 と 語 用 論 だけからなるのかもしれない. (p. 26) ここで 注 意 すべきはチョムスキーのいう 指 示 を 基 礎 とした 意 味 論 なるも のである.これは 意 味 論 に 対 する 近 年 の 有 力 な 考 え 方 で, 第 1 章 で 述 べる 真 理 条 件 的 意 味 論 にほかならない. 第 1 章 で 詳 述 するように, 本 書 の 著 者 もそのよ うな 真 理 条 件 的 意 味 論 が 成 立 するとは 考 えていない.その 点 でチョムスキーが (3)の 前 半 でいっていることは 正 しいと 思 われる.しかし,だからといって, チョムスキーが(3)の 後 半 でいうように, 自 然 言 語 というものは 統 語 論 と 語 用 論 だけからなるものであり, 意 味 論 なるものは 独 立 に 存 在 しないとまでいえる かどうかについては 慎 重 に 検 討 する 必 要 がある.チョムスキーは 何 も 述 べてい ないが, 実 は, 真 理 条 件 的 意 味 論 とは 別 のタイプの 意 味 論 が 成 立 する 可 能 性 が あるのである.むしろ, 統 語 論 と 語 用 論 がその 本 来 の 機 能 を 適 切 に 果 たすため にも,そのような( 真 理 条 件 的 意 味 論 とは 異 なる) 意 味 論 が 不 可 欠 であることを 本 書 では 多 くの 具 体 例 で 論 証 するつもりである. 一 方 で 意 味 論 の 性 格 づけに 混 乱 をもたらしたのは, 語 用 論 (pragmatics)の 台 頭 であった. 意 味 を 考 究 の 対 象 とする,というところまでは 意 味 論 と 語 用 論 は 同 じである.ではどの 点 が 違 うのか? 当 初 は, 意 味 論 は 形 式 的 論 理 的 な 方 法 で 同 定 しうる 意 味 を 扱 い, 語 用 論 は 言 語 学 的 主 要 部 分 では 説 明 しえない 意 味 を 扱 う,という 語 用 論 =ゴミ 箱 論 をなんとなく 抱 いている 言 語 学 者 も 皆 無
まえがき vii ではなかった.やがて 次 のようなもう 少 し 筋 の 通 った 区 分 法 も 現 れた. (4) i. 意 味 論 は 文 の 文 字 通 りの 意 味 を 扱 う. ii. 語 用 論 は, 文 を 用 いる 脈 絡 に 従 う, 文 字 通 りでない 意 味 を 扱 う. だが 文 字 通 りか 否 か,というのは 必 ずしも 明 確 な 区 別 ではない.もちろん 明 確 な 場 合 もある. (5) 雨 が 降 ってきたよ. という 文 が,ほぼ 大 気 中 の 水 蒸 気 が 水 滴 となって 地 上 に 落 ち 始 めた と 言 い 換 えられるような 意 味 で 発 せられたのならそれは 文 字 通 りの 意 味 だが, ( 今, われわれが 散 歩 している) 代 々 木 公 園 で 雨 が 降 ってきたよ や ( 今,せっかく テレビでウィンブルドン 選 手 権 を 観 戦 しているのに)ウィンブルドンのセンタ ーコートで 雨 が 降 ってきたよ ということを 伝 えるために 使 われたのなら,そ れは 特 定 の 脈 絡 に 従 った, 文 字 通 りとはいえない 意 味 である.そればかりでな い.(5)が 今 日 のテニスはやめにしよう ということを 伝 えるために 使 われ たのなら,これまた 脈 絡 に 左 右 される, 文 字 通 りとはいえない 意 味 である. しかし, (6) 私 はあのホールが 嫌 いだ. はどうだろう? ホール は 英 語 の hole, hall という 別 語 に 由 来 するが, 日 本 語 としては 同 音 異 義 語 である.(6)の ホール が ゴルフ 場 の 得 点 孔 を 意 味 するのか,コンサートなどを 開 く 会 場 を 指 すのかは,たしかに 脈 絡 によっ て 変 わってくる.だからといってどちらの 意 味 も ホール の 文 字 通 りの 意 味 であることに 変 わりはない. 脈 絡 に 左 右 されるということと, 文 字 通 りでない 意 味 で 使 われているということとは 等 号 で 結 ばれる 関 係 にはないのである. 意 味 論 語 用 論 の 境 界 の 不 明 確 さを 解 決 する 糸 口 となる 契 機 が 1980 年 代 に 生 じた. 関 連 性 理 論 (Relevance Theory)の 誕 生 である.これは 語 用 論 理 論 であ るのだが,それまでの 語 用 論 と 異 なり, 発 話 解 釈 過 程 をいわば 人 間 の 認 知 活 動 に 内 在 する 原 理 を 見 出 していくことにより 説 明 しようとする 理 論 である.( 文 や, 句, 語 が 伝 達 に 用 いられると,それらを 発 話 とよぶ.) 関 連 性 理 論 が 発 達 を 遂 げるにつれて, 人 間 は 発 話 理 解 に 際 してどのような 手 もと 段 をどのような 制 限 の 許 に 用 いるかがはっきりしてきた. 語 用 論 的 活 動 範 囲 の
viii まえがき 広 さと 制 約 が 明 らかになってくれば,それに 応 じて 意 味 論 の 守 備 範 囲 もおのず と 明 らかになってくる. これまで, 意 味 論 を 論 じた 書 は 少 なくないが,そのうちのあるものは, 語 用 論 的 要 素 を 知 らず 知 らずのうちに,あるいは 意 識 的 に 意 味 論 記 述 として 取 り 込 んでいる.また 関 連 性 理 論 を 扱 った 本 も 決 して 数 少 なくはないが, 必 ずしも 意 味 論 との 境 界 線 を 明 瞭 に 吟 味 詳 述 しているとは 限 らない. 本 書 は, 第 1-3 章 ( 今 井 担 当 )で 関 連 性 理 論 の 諸 原 則, 発 話 解 釈 に 用 いられる 各 手 段 とそれがもつ 制 約 を 明 確 に 記 述 し, 語 用 論 のあるべき 守 備 範 囲 を 明 らか にしている. 第 4-6 章 ( 西 山 担 当 )では 第 1-3 章 のほぼ 倍 の 紙 数 を 投 じて, 意 味 論 の 扱 うべき 意 味 を 詳 細 に 論 じている.この 根 底 には,むろん 語 用 論 と 意 味 論 の 境 界 に 関 する 正 しい 認 識 がある. 語 用 論 においては,たとえば(5)が 上 記 のように 今 日 のテニスはやめにし よう の 意 味 に 解 釈 されるだけでなく, 洗 濯 物 を 取 り 込 みなさい 傘 を 持 っ て 行 けと 言 ったのに 強 情 を 張 って 持 って 行 かなかったあいつはいい 気 味 だ 等 々, 状 況 に 応 じてさまざまな 解 釈 を 許 すので,ともすれば 語 用 論 的 意 味 には 限 りがないという 誤 解 を 抱 く 人 もいるかもしれない.しかし,そのような 語 用 論 的 意 味 であっても,(5)という 文 形 式 がもつ 意 味 論 的 意 味 から 完 全 に 切 り 離 されているわけではない.さらに, 上 で 述 べたように,(5)は, 脈 絡 次 第 では, ウィンブルドンのセンターコートで 雨 が 降 ってきたよ という 語 用 論 的 意 味 を 有 するのであるが,このタイプの 語 用 論 的 意 味 は,(5)という 文 形 式 がもつ 意 味 論 的 意 味 からさらに 強 い 制 約 を 受 けているのである( 第 6 章 の 6.3 節 および 6.5 節 を 参 照 のこと). このタイプの 語 用 論 的 意 味 と 文 形 式 がもつ 意 味 論 的 意 味 との 関 係 は 絵 とデ ッサン の 関 係 に 喩 えることができるであろう. 通 常,デッサン 抜 きの 絵 がな いのと 同 様 に,またしっかりしたデッサンが 描 かれた 絵 に 強 い 制 約 を 課 すのと 同 様 に, 文 形 式 がもつ 意 味 論 的 意 味 は, 可 能 な 語 用 論 的 意 味 にしかるべき 制 約 を 課 しているのである.したがって, 語 用 論 的 意 味 を 科 学 的 に 捉 えるためにも, 言 語 形 式 自 体 がもつ 意 味 論 的 意 味 がいかなるものであるかをきちんと 押 さえ, それが 語 用 論 的 意 味 の 構 築 にいかなる 制 約 を 課 しているかを 精 査 しておくこと が 重 要 となる. 第 4,5 章 では 意 味 の 曖 昧 性 を 手 掛 かりにしてこの 点 を 具 体 的 に 論 証 し,そして, 第 6 章 では, 意 味 論 と 語 用 論 の 役 割 がいかなるもので あるかを 述 べ, 意 味 の 科 学 の 可 能 性 はどこにあるかを 論 述 する.
まえがき ix 21 世 紀 に 入 り,ことばの 意 味 に 関 する 関 心 は 多 方 面 から 高 まっている. 意 味 論 語 用 論 の 正 しい 領 域 区 分 を 前 提 として, 両 領 域 についての up-to-date な 知 見 を 豊 富 に 披 露 している 点 は 本 書 の 特 徴 であると 自 負 するところであり, この 書 が 一 般 読 者 はもとより,この 方 面 の 研 究 を 志 す 学 徒 にも 大 いに 役 立 つこ とを 心 から 願 っている. 同 時 に,あるいは 強 に 残 っているかもしれない 不 備 について 読 者 諸 賢 の 御 𠮟 正 を 期 待 するのもまた 著 者 の 願 いである. このような 形 で 本 書 の 出 版 が 可 能 になったのはひとえに 岩 波 書 店 自 然 科 学 書 編 集 部 濱 門 麻 美 子 氏 のおかげである. 濱 門 氏 には 本 書 の 企 画 段 階 から 編 集 刊 行 に 至 るまで, 多 大 なお 世 話 になった. 心 からお 礼 を 申 し 上 げる. 2012 年 9 月 今 井 邦 彦 西 山 佑 司
x まえがき
目 次 xi 目 次 まえがき 第 1 章 ことばの 意 味 1 1.1 同 じ 文 のさまざまな 解 釈 1 1.2 意 味 論 と 語 用 論 2 1.3 言 語 表 現 と 伝 達 3 1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 3 第 2 章 意 味 はどのように 捉 えられてきたか 11 2.1 近 世 の 哲 学 者 たち 衽 衲 記 号 論 理 学 11 2.1.1 命 題 論 理 11 2.1.2 述 語 論 理 18 2.2 自 然 言 語 も 対 象 に 20 2.2.1 オースティンと 発 話 行 為 理 論 20 2.2.2 グライスの 語 用 論 と 協 調 の 原 理 22 2.3 近 年 の 言 語 研 究 における 意 味 の 扱 い 27 2.3.1 生 成 文 法 27 2.3.2 認 知 言 語 学 とメンタル スペース 理 論 28 2.3.2.1 認 知 言 語 学 28 2.3.2.2 メンタル スペース 理 論 30 2.3.3 単 語 の 意 味 32 2.3.3.1 意 味 素 性 ほか 32 2.3.3.2 生 成 語 彙 論 33 2.3.3.3 生 成 語 彙 論 の 問 題 点 37
xii 目 次 2.4 科 学 の 諸 相 39 2.4.1 研 究 対 象 の 決 定 39 2.4.2 科 学 の 方 法 40 2.4.2.1 解 釈 論 的 方 法 40 2.4.2.2 演 繹 と 帰 納 43 2.4.2.3 演 繹 法 則 的 説 明 法 46 アブダクション/ 反 証 可 能 性 / 目 的 と 方 法 論 注 53 第 3 章 コミュニケーションと 意 味 衽 衲 関 連 性 理 論 ( 認 知 語 用 論 ) 55 3.1 関 連 性 理 論 ( 認 知 語 用 論 ) 衽 衲 演 繹 法 則 的 科 学 を 目 指 す 唯 一 の 語 用 論 55 3.1.1 関 連 性 55 3.1.2 関 連 性 原 理 I と 関 連 性 原 理 II 58 3.1.3 何 が 伝 達 されるのか 62 3.1.3.1 明 意 64 曖 昧 性 除 去 / 飽 和 /アドホック 概 念 構 築 / 自 由 補 強 3.1.3.2 暗 意 70 3.1.3.3 高 次 明 意 72 アイロニー/ 転 嫁 /メタファーとアイロニー 3.2 発 話 解 釈 の 特 性 81 3.2.1 解 釈 の 手 順 81 3.2.2 亜 人 格 性 82 3.2.3 心 の 理 論 83 3.3 語 彙 語 用 論 84 注 86 第 4 章 語 や 句 の 曖 昧 性 はどこからくるか 89 4.1 曖 昧 性 とは 何 か 89 4.2 語 はどこまで 曖 昧 か 90
4.3 語 と 語 の 緊 張 関 係 にいかなるものがあるか 94 4.3.1 指 示 詞 + 名 詞 96 4.3.2 副 詞 +の+ 名 詞 97 4.3.3 名 詞 +の+ 名 詞 98 4.3.4 形 容 詞 / 形 容 動 詞 / 動 詞 + 名 詞 106 4.3.5 連 体 修 飾 節 + 名 詞 107 4.3.5.1 内 の 関 係 107 4.3.5.2 外 の 関 係 109 4.3.6 数 量 詞 + 名 詞 113 4.4 語 と 語 の 緊 張 関 係 がもたらす 曖 昧 性 116 4.4.1 [ 名 詞 +の+ 名 詞 ]の 曖 昧 性 116 4.4.2 ふざけた 男 の 曖 昧 性 123 4.4.3 良 い 椅 子 の 曖 昧 性 124 4.4.4 花 子 が 知 らない 理 由 の 曖 昧 性 126 4.4.5 頭 の 良 くなる 本 の 曖 昧 性 129 4.4.6 藤 田 が 描 いたアトリエ の 曖 昧 性 132 4.4.7 注 文 の 多 い 料 理 店 の 曖 昧 性 133 4.4.8 8 本 のバナナ の 曖 昧 性 139 注 142 目 次 xiii 第 5 章 文 の 曖 昧 性 はどこからくるか 145 5.1 文 の 曖 昧 性 をもたらす 要 因 145 5.2 文 の 統 語 構 造 が 曖 昧 性 をもたらす 146 5.3 要 素 の 力 の 及 ぶ 範 囲 が 曖 昧 性 をもたらす 156 5.3.1 3 個 の 問 題 に 解 答 しなかった の 曖 昧 性 157 5.3.2 12 月 29 日 まで 営 業 しなかった の 曖 昧 性 159 5.3.3 1 日 だけの 受 講 が 可 能 の 曖 昧 性 161
xiv 目 次 5.4 文 中 の 名 詞 句 の 意 味 機 能 が 曖 昧 性 をもたらす 166 5.4.1 意 味 は 同 じでも 意 味 機 能 は 異 なる 166 5.4.2 対 象 を 指 示 する 名 詞 句 168 5.4.3 対 象 を 指 示 しない 名 詞 句 170 5.4.3.1 属 性 を 表 す 名 詞 句 : 叙 述 名 詞 句 170 5.4.3.2 命 題 関 数 を 表 す 名 詞 句 : 変 項 名 詞 句 173 5.4.4 A は B だ の 曖 昧 性 176 5.4.4.1 措 定 文 と 倒 置 指 定 文 の 曖 昧 性 177 5.4.4.2 what 節 +be+xp 構 文 の 曖 昧 性 182 5.4.4.3 措 定 文 と 指 定 文 の 曖 昧 性 190 5.4.5 存 在 文 の 曖 昧 性 191 5.4.6 潜 伏 疑 問 文 198 5.4.7 変 化 文 の 曖 昧 性 202 5.5 束 縛 変 項 読 みと 自 由 変 項 読 み 207 5.6 because 構 文 の 曖 昧 性 213 5.7 指 示 的 不 透 明 性 と 指 示 的 透 明 性 217 5.8 変 項 名 詞 句 と 潜 伏 疑 問 文 の 組 み 合 わせ 223 注 228 第 6 章 意 味 をどう 科 学 するか 231 6.1 表 現 の 意 味 と 話 し 手 の 意 味 231 6.2 文 の 意 味 はいかにして 捉 えられるか 235 6.3 ウナギ 文 の 意 味 238 6.3.1 ウナギ 文 と 語 用 論 的 解 釈 239 6.3.2 ウナギ 文 に 対 する 措 定 文 としての 解 釈 242 6.4 曖 昧 性 と 不 明 瞭 性 を 区 別 する 基 準 247 6.4.1 曖 昧 性 判 別 の 古 典 的 なテスト:do so テスト 247 6.4.2 do so テストに 対 する 反 例 253 6.4.3 do so テストと 明 意 256 6.4.4 良 い の 曖 昧 性 と 明 意 262
6.5 語 用 論 はどこまで 意 味 論 から 自 由 であるか 270 6.5.1 明 意 構 築 に 働 く 四 つの 語 用 論 的 操 作 270 6.5.2 措 定 コピュラ 文 と 叙 述 名 詞 句 274 6.5.3 叙 述 名 詞 句 と 自 由 補 強 275 6.5.4 予 想 される 反 論 と 応 答 278 6.5.5 対 象 志 向 的 な 概 念 と 自 由 補 強 281 6.5.6 言 語 的 ( 意 味 ) 決 定 不 十 分 性 のテーゼについて 284 6.6 意 味 の 科 学 へ 向 けて 285 注 287 目 次 xv 用 語 解 説 289 参 考 文 献 297 索 引 303 171 ページカット= 川 野 郁 代
xvi 目 次
1.1 同 じ 文 のさまざまな 解 釈 1 第 1 章 ことばの 意 味 1.1 同 じ 文 のさまざまな 解 釈 次 の(1)という 文 の 意 味 は 何 かと 訊 かれたとする. (1) 寿 美 子 のネックレスは 高 価 だ. 読 者 のなかには, 頭 のなかに(たまたま) 浮 かんだコンテクストに 照 らして,こ れを(2)のように 解 釈 する 人 も,(3)と 解 する 人 もいることと 思 う.( 本 書 では, 意 味 や 解 釈 を 示 すのに を 使 用 する.) (2) 寿 美 子 が 着 けているネックレスは 高 価 だ (3) 寿 美 子 がデザインするネックレスは 高 価 だ さらには(4) (6)のような 解 釈 も 可 能 だ. (4) 寿 美 子 がくれるネックレスは 高 価 だ (5) 寿 美 子 が 所 有 しているネックレスは 高 価 だ (6) 寿 美 子 が 欲 しがっているネックレスは 高 価 だ これはどうしたことなのだろう? (1)が (7) 太 郎 の 好 きな 花 子 が 来 た.( 太 郎 を 好 いている 花 子 が 来 た とも, 太 郎 が 好 いている 花 子 が 来 た とも 解 せる.) のように 曖 昧 な( 専 門 的 な 用 語 では 多 義 的 な ) 文 なのだろうか. 数 行 あとに 述 べるとおり,それは 当 たっていない. (1)は, 文 法 を 用 いて 単 語 を 適 切 に 組 み 合 わせたもので,これを 言 語 表 現 と よぶ. 実 は(2) (6)は(1)という 言 語 表 現 だ け を 解 釈 したものではなくて,
2 第 1 章 ことばの 意 味 (8) 言 語 表 現 プラス 特 定 のコンテクスト を 解 釈 したものなのである.コンテクストは,(2)の 場 合 でいえば,パーティ ーか 何 かで 寿 美 子 が 特 定 のネックレスをしていて, 今 まで 一 緒 にいたが, 少 し 離 れたグループと 話 をするために 立 ち 去 った(ので 寿 美 子 のネックレスの 評 価 を 口 にしてもさしつかえない),というようなものであろうし,(3)の 場 合 は 寿 美 子 が 装 飾 品 のデザイナーだということ,(4) (6)の 場 合 はそれぞれ 寿 美 子 はネックレスが 好 きでよく 買 うがじきに 飽 きて 私 たち 友 達 にくれる 寿 美 子 はいろいろなネックレスを 持 っている 寿 美 子 が 欲 しがっているネックレス がある というコンテクストと 考 えられる.こういうコンテクストが 実 際 に 存 在 する 必 要 はない.(2) (6)の 解 釈 をする 人 はそれぞれのコンテクストが 容 易 に 想 像 できたので,それに 基 づいた 解 釈 をしたわけである. これに 対 して(7)は 別 に 特 定 のコンテクストを 想 定 しなくても 2 通 りに 解 釈 できる.これは(7)という 言 語 表 現 が,それ 自 体 で 多 義 的 だからである. 1.2 意 味 論 と 語 用 論 そうすると ことばの 意 味 には 2 種 類 あることになる. 言 語 表 現 (たとえ ば(1))だけを 解 釈 することによって 得 られる 意 味 と, 言 語 表 現 にコンテクスト をプラスしたものを 対 象 とした 解 釈 によって 得 られる 意 味 だ. 前 者 を 考 究 する 学 問 領 域 を 意 味 論 (semantics)といい, 後 者 を 研 究 する 学 問 領 域 を 語 用 論 (pragmatics)とよぶ.これに 応 じて ことばの 意 味 には (9) a. 意 味 論 的 意 味 b. 語 用 論 的 意 味 という 2 種 類 があることになる.(1)の 語 用 論 的 意 味 については(2) (6)に 見 る 例 をあげたが, 意 味 論 的 意 味 は 何 だろう? それは (10) 寿 美 子 は, 寿 美 子 自 身 との 何 らかの 関 係 において,そのネックレスが 高 価 だ という, 一 種 奇 妙 で, 抽 象 的 で,かつ 不 明 瞭 なものなのである.
1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 3 1.3 言 語 表 現 と 伝 達 意 味 論 的 意 味 と 語 用 論 的 意 味 の 違 いについてもう 少 し 付 け 加 えると, 前 者 は 他 人 に 何 かを 伝 達 しようとする 意 志 とは 無 関 係 に 存 在 するものといえる.それ に 対 して 後 者 は 話 し 手 (あるいは 書 き 手 )が 言 語 表 現 を 使 って 相 手 に 伝 えようと している 内 容 である.ところが 意 味 論 的 意 味 は(10)に 例 を 見 るとおり, 不 明 瞭 なものであることが 多 い.そこで 聞 き 手 (あるいは 読 み 手 )はいろいろ 推 論 をし て 話 し 手 が 伝 えようとしていることを 突 き 止 めようとし,(2) (6)のような 解 釈 を 得 る. 私 たちにはそのような 推 論 をしているという 意 識 が 普 通 ないので, 読 者 も 不 思 議 に 思 われるかもしれないが,(1)のなかに 着 けている デザイ ンする くれる 所 有 している 欲 しがっている などの 語 が 入 っていな いのにもかかわらず(2) (6)のような 解 釈 が 生 まれるのは, 聞 き 手 が 推 論 をし ている 証 拠 である. ものごとを 学 問 的 に 捉 えようとすると, 日 常 的 な 考 え 方 や 用 語 の 用 い 方 から 離 れた 考 え 方 や 用 語 使 用 をしなければならないことがある. 私 たちが 普 通 文 の 意 味 というときは,(9b),つまり 言 語 表 現 プラスコンテクストを 解 釈 し たものを 指 す.(2) (6)がその 例 だ.これは, 人 は ことばの 意 味 といえば, そのことばが 伝 達 に 使 われた 場 合 を 意 識 するものであり, ことばそ の も の の 意 味 などということはあまり 考 えないのが 通 常 だからである. (1)の 意 味 は? と 訊 かれて(10)のような 一 見 不 思 議 な 答 えをイキナリ 素 人 相 手 に 出 す 人 は, 言 語 学 者 のなかでもかなり 変 わった 人 だといえるだろう. だから 言 語 学 者 のなかには, 厳 密 にいえば(9)のような 分 類 法 は 不 正 確 だ, と 考 える 人 がいる.(9a)こそが 本 当 の ことばの 意 味 であって,(9b)は 意 味 ではなくて 解 釈 だというわけだ.それにも 一 理 あるが,(9)のよう な 分 け 方 は 便 利 なので,この 本 でもときどき 使 うことがある. 1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 ある 時 期 までの 意 味 論 のなかで 中 心 的 な 地 位 を 占 めていた 考 え 方 は, 文 の 意 味 とは,その 文 の 真 理 条 件 (truth-condition)である というものだった. ( 文 (sentence) は, 犬 のしっぽ のような 句 (phrase)とか 犬 のような
4 第 1 章 ことばの 意 味 語 (word)と 並 んで, 言 語 表 現 の 一 種 である.) この 立 場 を 正 しいとする 意 味 論 を 真 理 条 件 的 意 味 論 (truth-conditional semantics)とよぶ.ある 文 の 真 理 条 件 とは,その 文 を 真 とよべるために 世 界 が 満 たさなければならない 条 件 をい う.たとえば(11)の 真 理 条 件 は(11 )である. (11) 山 田 太 郎 は 毎 朝 ジョギングをする. (11 ) 山 田 太 郎 という 特 定 の 個 人 が 存 在 していて,その 人 が 毎 朝 ジョギング をするという 事 実 がある. ただ,そうすると, 次 の(12)のような 文 はどういうことになるのか? (12) 乙 姫 様 は 美 人 だ. (12)の 真 理 条 件 は(12 )ということになる. (12 ) 乙 姫 という 特 定 の 人 物 が 存 在 し,その 人 が 美 人 という 性 質 を 有 する. これについて,ある 人 々は, 乙 姫 などという 人 物 は 現 実 世 界 に 存 在 しないのだ から,この 文 の 真 理 条 件 を 問 うことは 意 味 のないことだと 考 えた.またある 人 々は, 真 理 条 件 を 問 うことは 無 意 味 ではないが,(12)に 代 表 されるような 文, つまり 一 般 的 にいえば 存 在 しない 人 ものを 主 題 とする 文 の 真 理 値 は 常 に 偽 で あると 考 えた.だが, 浦 島 太 郎 を 読 む 子 供 にとっては,(12)は 偽 でもない し,いわんや 無 意 味 ではない.そこで 可 能 世 界 (possible world)というものを 想 定 する 動 きが,ことに 真 理 条 件 的 意 味 論 を 支 持 する 人 々のあいだで 広 まった. たとえば,(12 )が 成 り 立 つような 可 能 世 界 を 想 定 すれば,(12)は 真 となるわ けだ. さて, 単 純 に (13) 文 の 意 味 =その 文 の 真 理 条 件 としてしまうと, 困 ることが 起 こる. 次 の 2 文 を 見 てみよう. (14) 杉 浦 惇 史 は 2001 年, 日 本 の 首 都 で 生 まれた. (15) 杉 浦 惇 史 は 2001 年, 日 本 の 最 大 都 市 で 生 まれた. 現 実 世 界 では 2001 年 には 日 本 の 首 都 は 東 京, 日 本 最 大 の 都 市 も 東 京 だったか ら,どちらの 文 をも 真 とする 条 件 は,
1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 5 (16) 杉 浦 惇 史 という 名 の 少 年 が 存 在 し,その 子 は 2001 年, 東 京 で 生 まれた. になり,(14)と(15)は 意 味 が 等 しいことになってしまう.だがこれは 直 観 的 に いっておかしい. 日 本 の 首 都 と 日 本 の 最 大 都 市 が 同 一 であるのは 偶 然 のもたらした 同 一 性 であって, 何 らかの 理 由 で 遷 都 がおこなわれ,2001 年 に は 東 京 が 日 本 の 首 都 ではなかったかもしれないし, 第 2 次 関 東 大 震 災 などとい うものが 起 こって, 東 京 の 人 口 が 半 減 し, 日 本 最 大 の 都 市 は 2001 年 には 大 阪 市 であったという 可 能 性 もある.このように 可 能 世 界 (たとえば, 東 京 が 日 本 の 首 都 でなかったり, 日 本 最 大 の 都 市 ではなかったりする 世 界 )では(14)と (15)の 真 理 条 件 が 異 なる 場 合 がある. これに 対 して, (17) 山 田 は 眼 科 医 である. (18) 山 田 は 眼 医 者 である. という 2 文 は 必 然 的 に 意 味 が 等 しい.つまり 一 方 が 正 しくて 他 方 が 偽 であると いうことはない.このことを (19) (17)の 真 理 条 件 と(18)の 真 理 条 件 はあらゆる 可 能 世 界 で 同 一 である. と 表 現 する.もっと 一 般 的 にいえば, (20) 二 つの 文,S1 と S2 が 同 じ 意 味 であるとは,あらゆる 可 能 世 界 で S1 と S2 の 真 理 条 件 が 同 一 であるとき,そしてそのときに 限 る. となる. なお 可 能 世 界 とはいっても,2+3 が 7 であったり,ピタゴラスの 定 理 が 成 立 しないような 世 界 を 考 えることはない.また 眼 科 医 と 眼 医 者 の 意 味 が 異 なってしまうような 可 能 世 界 を 考 えることもナンセンスである. そもそも 可 能 世 界 という 概 念 を 導 入 したのは, 表 現 の 意 味 と 世 界 との 関 係 を 考 えるときに, 世 界 の 側 を 現 実 世 界 に 固 定 しないで 可 能 な 世 界 にまで 広 げ,その 上 で 両 者 の 関 係 を 考 察 するためなのだから, 表 現 の 意 味 の 方 を 変 更 し てしまうのでは 可 能 世 界 という 概 念 導 入 の 目 的 が 失 われてしまう.また 眼 科 医 と 眼 医 者 では 使 用 範 囲 が 違 うのは 事 実 だ. ものもらい ができた 幼 児 に さあ, 眼 科 医 に 行 こうね というのはおかしい.ここは 眼 医 者 を 使
6 第 1 章 ことばの 意 味 わなければ 不 自 然 である.しかしこれは, 繰 り 返 しになるが, 使 用 範 囲 の 違 いで, 何 を 指 すか という 意 味 の 違 いではない. このように 可 能 世 界 という 概 念 も 持 ち 込 むと, 真 理 条 件 的 意 味 論 は 成 立 しそうに 見 える.しかし 実 はそうではない. 次 の 2 文 を 見 てほしい. (21) この 図 形 は 二 等 辺 三 角 形 だ. (22) この 図 形 は 二 等 角 三 角 形 だ. この 2 文 の 真 理 条 件 はあらゆる 可 能 世 界 で 同 一 である. (23) 二 等 辺 三 角 形 = 二 等 角 三 角 形 はあらゆる 可 能 世 界 で 成 立 する 数 学 的 事 実 だからだ.しかし(21)と(22)の 意 味 は 明 らかに 異 なる. 可 能 世 界 という 概 念 を 導 入 しても, 真 理 条 件 的 意 味 論 は 成 立 しえないのである. もう 一 つ 例 をあげよう. (24) 偶 数 の 素 数 =2 素 数 (prime number)とは 1 かそれ 自 身 に 依 る 以 外 には 割 り 切 れない 整 数 をいう.13 は 1 か 13 以 外 では 割 り 切 れないから 素 数 である. 奇 数 には 素 数 で あるものもあるが,すべてではなく,たとえば 51 は 3 で 割 り 切 れるから 素 数 ではない.2 以 外 の 偶 数 はみな 2 で 割 り 切 れるから 素 数 ではない.2 は 唯 一 の 偶 数 でかつ 素 数 である 数 だ.(24)はいかなる 可 能 世 界 でも 偽 になることが ない 数 学 的 事 実 である.だから(25),(26)はどちらも 同 じ 真 理 値 をもつ. (25) 山 田 家 の 子 供 の 数 は 2 だ. (26) 山 田 家 の 子 供 の 数 は 偶 数 の 素 数 だ. それにもかかわらず,(25),(26)の 意 味 は 明 らかに 異 なる.そのことは(25), (26)を 5 歳 の 久 美 子 は, であることを 知 っている の 部 分 に 埋 め 込 んだ (25 ),(26 )の 意 味 が 異 なることからわかる. (25 ) 5 歳 の 久 美 子 は, 山 田 家 の 子 供 の 数 は 2 であることを 知 っている. (26 ) 5 歳 の 久 美 子 は, 山 田 家 の 子 供 の 数 は 偶 数 の 素 数 であることを 知 って いる.
1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 7 5 歳 の 子 は, 健 常 であれば 2 という 数 は 知 っているから(25 )は 真 だが, 偶 数 とか 素 数 という 概 念 は 知 らないだろうから(26 )は 偽 であろう.ここにも, 可 能 世 界 という 概 念 が 真 理 条 件 的 意 味 論 を 救 済 しえない 証 拠 がある. 文 の 意 味 とはその 文 の 真 理 条 件 である,とする 考 えが 正 しく 当 てはまる 場 合 がないわけではない.たとえば (27) 地 球 は 自 転 し,かつ 公 転 している. という 文 について, 小 学 1 年 の 太 郎 が 自 転 公 転 等 のことを 正 しく 説 明 できれ ば, 太 郎 には(27)の 意 味 がわかっていると 言 えるし,3 歳 の 次 郎 にそれができ なかったら, 次 郎 には(27)の 意 味 がわかっていないと 言 えるからだ. また, (28) あの 男 はその 日 その 店 には 現 れなかった. のような 文 には あの 男 のような 代 用 表 現 がいくつも 使 われていて,このま までは 真 理 条 件 もへ っ た く れ もなく, 意 味 論 的 意 味 は 不 明 だが, あの 男 そ の 日 その 店 が 誰 いつ どこを 指 しているかが 聞 き 手 にとってコンテク ストから 明 らかならば, 真 理 条 件 を,つまり 意 味 を 獲 得 する.この 場 合 の 意 味 は 語 用 論 的 意 味 である. とは 言 いながら, 真 理 条 件 的 意 味 論 には 別 の 問 題 点 がある. 文 のなかには, これまで 例 にあげたような 平 叙 文 以 外 にも, 下 の(29),(30)のような 疑 問 文, (31)のような 命 令 文,(32)のような 感 嘆 文 がある. (29) フォアグラはお 好 きですか? (30) 君 は 何 をしているんだ? (31) 冗 談 言 うなよ. (32) これはなんと 美 しい 音 楽 か! 言 うまでもなく 非 平 叙 文 というものは, 真 理 条 件 をもっていない. フォアグ ラはお 好 きですか? という 質 問 は 真 か 偽 か という 設 問 はナンセンスだ.と なると 非 平 叙 文 は 意 味 論 の 対 象 から 外 されることになるのだろうか? 20 世 紀 も 半 ばを 過 ぎてからロス(John Ross, 1938-)という 言 語 学 者 が 遂 行 分 析 という 説 を 提 唱 した.これに 従 うと,(29) (32)は, 話 し 手 は している, つまり 質 問 命 令 等 の 行 為 を 遂 行 している(29 ) (32 )という 平 叙 文 を 基
8 第 1 章 ことばの 意 味 礎 にもつことになり,したがってその 真 偽 を 問 うことが 可 能 になる. (29 ) 話 し 手 は 相 手 がフォアグラを 好 きかどうか 訊 いている. (30 ) 話 し 手 は 相 手 が 何 をしているかを 訊 いている. (31 ) 話 し 手 は 相 手 が 冗 談 を 言 わないように 命 じている. (32 ) 話 し 手 はある 音 楽 の 美 しさに 感 動 している. だがこれで 解 決 がつくだろうか? (29 ) (32 )に 訊 いている 命 じてい る 等 の 動 詞 が 意 味 に 加 わっているということは,(29) (32)がたんなる 文 で はなくて, 伝 達 のために 用 いられた 発 話 だということを 示 している( 文 や,そ の 他 の 言 語 表 現 を 伝 達 に 用 いたとき,それは 発 話 (utterance)とよばれる). 発 話 であるとすれば, 話 し 手 の 意 図 を 抜 かして 考 えることはできない.( 別 の 言 い 方 をすれば,ここで 得 られる 意 味 は 語 用 論 的 意 味 だ. 真 理 条 件 的 意 味 論 を 推 奨 する 人 々は 意 味 論 語 用 論 の 区 別 にあまり 注 意 を 払 っていない.) (29)の 話 し 手 は, 相 手 の 食 べ 物 の 好 き 嫌 いを 訊 いているだけでなく, お 好 き なら 注 文 しますが という 提 案 も 兼 ねているのかもしれないし,(30)の 話 し 手 は 質 問 をしているのではなく,イキナリ 町 なかで 服 を 脱 ぎ 始 めた 連 れの 男 の 異 常 行 為 を 咎 めているのかもしれない. 同 じように(31)の 話 し 手 は 会 社 の 部 長 か なにかで, 下 役 である 相 手 にもっとお 世 辞 (たとえば 部 長 は, 将 来 の 社 長 で すよ など)を 言 ってもらいたいのかもしれないし,(32)はとても 音 楽 とはよ べない 演 奏 を 聴 かされた 話 し 手 が 皮 肉 を 言 っているのかもしれない. 英 語 からも 少 し 例 をあげよう. (33) I m not happy: I m ecstatic. などはどうだろう? happy は 満 足 して, 幸 せで, 等 の 意 味 をもつの だから,ecstatic の 意 味 の 一 部 であるといえる.とすれば,(33)の 意 味 論 的 意 味 は 矛 盾 しているといっていいだろう.しかし(33)の happy はその 意 味 を 伝 えるために 使 用 されているのではなく, 言 及 されているだけなのだ. つまり(33)を 意 訳 すれば happy なんて 形 容 詞 は 私 の 気 持 ちを 表 すには 不 十 分 よ. 私 は ecstatic( 有 頂 天 )なんだから となるのだ. (34)はどうか. (34) I m not Bill Clinton s wife: he s my husband.
1.4 真 理 条 件 的 意 味 論 9 これを,この 原 稿 の 執 筆 時 点 でアメリカの 国 務 長 官 であるヒラリー クリント ンの 発 話 だとしてみよう.ビルがヒラリーの 夫 であるなら,ヒラリーはビルの 妻 なわけだから,(33)も 矛 盾 であるといえる.けれどもヒラリーの 意 図 は い つまでも 私 を 元 大 統 領 の 夫 人 扱 いにしないでほしい. 今 や 私 が 主 役 でビルは 傍 役 なんだから という 趣 旨 を 伝 えるところにあるわけだ.もっと 甚 だしい 例 と して(35)がある. (35) He was upset, but he wasn t upset. これは 殺 人 罪 に 問 われた 米 国 フットボールの 元 花 形 選 手 O. J. シンプソン 裁 判 の 証 人 の 証 言 中 にある 発 話 で, 二 つの he はどちらもシンプソンを 指 している. これも 一 見 矛 盾 した 文 だが, 証 人 は, 最 初 の upset を 怒 っていた というほど の 意 味 で,2 番 目 の upset を 殺 意 を 抱 くほど 乱 心 していた の 意 味 で 使 ったの である.つまり 証 言 の 趣 旨 は 被 告 は 怒 ってはいたが, 殺 意 を 抱 くほど 乱 心 し てはいなかった であって, 法 廷 でもこの 趣 旨 で 受 け 取 られたという. このように 見 てくると, 真 理 条 件 的 意 味 論 を 成 立 させることは 不 可 能 である といえる.なぜならば, 文 の 真 理 条 件 を 見 ようとすれば,ほとんど 例 外 なしに 話 し 手 の 意 図 を 考 慮 しなければならないからである. 話 し 手 の 意 図 とは 言 語 表 現 プラスコンテクスト のコンテクストの 大 きな 部 分 を 占 める. 言 語 表 現 プ ラスコンテクストから 読 み 取 られる 意 味 は,この 本 でいう 意 味 論 的 意 味 で はない.
10 第 1 章 ことばの 意 味
2.1 近 世 の 哲 学 者 たち 11 第 2 章 意 味 はどのように 捉 えられてきたか 2.1 近 世 の 哲 学 者 たち 衽 衲 記 号 論 理 学 意 味 論 はことばの 意 味 を 考 究 する 学 問 領 域 なのだから,この 領 域 の 研 究 者 は 当 然 初 期 から 言 語 学 者 であったろうと 思 うかもしれないが, 意 味 論 に 最 初 に 本 格 的 に 取 り 組 み 始 めたのはブール(George Boole, 1815-64),フレーゲ(Gottlob Frege, 1848-1925),ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970), 少 し 遅 れてウィトゲ ンシュタイン(Ludwig Wittgenstein, 1889-1951)などの 哲 学 者 数 学 者 論 理 学 者 だった. ただし, 彼 らの 研 究 対 象 は 日 本 語, 英 語,ドイツ 語 などの 自 然 言 語 では なく, 人 工 言 語 であった. 人 工 言 語 というと,エスペラントなどの 国 際 補 助 言 語 が 思 い 浮 かぶかもしれないが,これらの 哲 学 数 学 論 理 学 者 が 扱 った のは 記 号 論 理 学 だった.フレーゲたちにとって 自 然 言 語 というものは, 原 始 的 で, 曖 昧 で, 非 論 理 的 で, 混 乱 したもの であり,したがって 彼 らは 人 類 が 科 学 上 の 基 礎 的 な 概 念 主 張 の 意 味 を 明 白 にするためには, 記 号 論 理 学 という 明 晰 な 人 工 言 語 の 考 究 が 必 要 である という 考 え 方 の 持 ち 主 だったので ある.( 思 考 の 内 容 を 捨 象 し, 推 論 の 形 式 や 法 則 を 追 究 する 学 問 は 形 式 論 理 学 とよばれる. 形 式 論 理 学 はアリストテレスから 西 洋 中 世 に 至 る 過 程 で 伝 統 的 論 理 学 として 体 系 化 されたが,19 世 紀 後 半,フレーゲによって 数 学 的 論 理 学 として 新 たな 展 開 を 見,これが 現 代 形 式 論 理 学 の 主 流 をなす. 記 号 論 理 学 とは,この 数 学 的 論 理 学 の 別 名 である.) 2.1.1 命 題 論 理 記 号 論 理 学 の 要 素 となるものは, 命 題 (proposition)である. 命 題 とは 文 (sentence)で 表 現 され,かつ 正 しいか 正 しくないかの 一 方 であるもの, 言 い 換 えれば 真 か 偽 のいずれかの 値 をもつものをいう. 真 か 偽 のいずれかの 値 をも
12 第 2 章 意 味 はどのように 捉 えられてきたか つ ことを 真 理 値 をもつ という. 次 の 文 は 命 題 を 表 現 している. (1) 東 京 は 日 本 の 首 都 である. (2) 仙 台 は 日 本 の 首 都 である. (1)は 真 であり,(2)は 偽 であることがはっきりしている.つまりどちらも 真 理 値 をもつ.それゆえどちらも 命 題 である.これに 対 して (3) 大 阪 はかなり 進 歩 的 な 都 市 だ. というのは, 文 で 表 現 されてはいるが, かなり というのはどの 程 度 をいう のか, 進 歩 的 な というのはどういう 状 態 を 指 すのかが 明 確 ではないので, (3)は 真 理 値 をもたない.だから(3)は 命 題 ではない.しいていうなら 不 十 分 な 命 題 ということになろう. 同 様 に, 平 叙 文 以 外 の 文 は, 次 に 見 るとおり, 命 題 を 表 すことができない. (4) 君 は 野 球 が 好 きですか? ( 疑 問 文 ) (5) もっと 勉 強 をしなさい.( 命 令 文 ) (6) なんと 美 しい 音 楽 だろう.( 感 嘆 文 ) (4) (6)のどれをとっても,それが 真 か 偽 かを 問 うのは 不 可 能 だ.そこで 記 号 論 理 学 では 平 叙 文 以 外 の 文 で 表 されたことは 考 究 の 対 象 とならない. 命 題 論 理 では, 命 題 を 要 素 とした 推 論 の 体 系 を 扱 う.ただし 命 題 はその 内 容 を 示 されることなく p,q,r 等 の 命 題 記 号 で 表 され,それらに 論 理 語 とか 論 理 演 算 子 とよばれる,, (それぞれ AND[かつ],OR[また は],NOT[ でない]を 意 味 する)などが 結 びつけられる. 次 が 例 である. (7) p q (p かつ q) (8) p q (p または q) 命 題 を や で 結 んだものを 複 合 命 題 といい, で 結 ばれた 複 合 命 題 を 連 言 (conjunction), で 結 ばれた 複 合 命 題 を 選 言 (disjunction)とよぶ.p をたとえ ば 東 京 は 日 本 の 首 都 である とし,q をたとえば ロンドンはイギリスの 首 都 である とすると,(7)は 東 京 は 日 本 の 首 都 であり,かつロンドンはイギ リスの 首 都 である となり,(8)は 東 京 が 日 本 の 首 都 であるか,またはロン ドンがイギリスの 首 都 である となる.この または の 使 い 方 は 日 常 言 語 か
2.1 近 世 の 哲 学 者 たち 13 らすると 妙 に 思 えるかもしれない. 日 常 言 語 では p または q といえば p, q の 一 方 が 正 しく 他 方 は 間 違 っている ことを 表 すことが 多 いからだ.しかし 論 理 学 では 両 方 とも 正 しい 場 合 でも 一 方 だけ 正 しい 場 合 でも または を 使 う のが 普 通 である. 両 方 とも 正 しい 場 合 を 含 む 選 言 を 両 立 的 選 言 とよぶ.しいて 一 方 だけ 正 しい 場 合 のみ p と q の 選 言 が 正 しい,つまり 排 反 的 選 言 を 表 し たいときは,exclusive( 排 反 的 )の ex をつけて p ex q のように 表 す. 命 題 は 真 理 値 をもつものだ,と 上 で 言 った.まず,(7)の 真 理 値 を 見 てみよ う. 真 理 値 をはっきり 示 すには 真 理 値 表 を 用 いるとわかりやすい.(7 )は(7) の 真 理 値 表 であり,T は 真 (true),f は 偽 (false)を 表 す. (7 ) p q p q T T T T F F F T F F F F つまり,p q は p と q の 両 方 が 真 であるときのみ 真 で, 一 方 ないし 両 方 が 偽 なときは 偽 なのである.(8 )は(8)の 真 理 値 表 である. (8 ) p q p q T T T T F T F T T F F F これは 両 立 的 選 言 なので,p,q ともに 正 しいときも, 一 方 だけが 正 しいとき も, 複 合 命 題 は 正 しく,p,q の 両 方 とも 偽 なときだけ 複 合 命 題 が 偽 になる. 上 で は NOT( でない)を 意 味 すると 言 った. を 使 った 例 を 見 てみよう. (9) p p p p T F T F T T p p の 例 として(10),(11)があげられる. (10) 今, 雨 が 降 っているか, 降 っていないかのどちらかだ.
14 第 2 章 意 味 はどのように 捉 えられてきたか そがのえみし (11) 中 大 兄 皇 子 は 蘇 我 蝦 夷 を 殺 したか,または 殺 さなかったかである. p p というタイプの 命 題 は 常 に 正 しい.よって 恒 真 (tautology)とよばれる. 恒 真 か 否 かは(1),(2)のようにこの 世 の 事 実 関 係 に 照 らして 決 まるわけではな い. 日 本 国 が 東 京 以 外 の 地 に 遷 都 をすれば(1)は 偽 になってしまうし, 遷 都 先 が 仙 台 なら(2)は 真 になる.しかし p p はそうではない. 中 大 兄 皇 子 が 殺 したのは 実 は 蘇 我 入 鹿 であり, 蝦 夷 は 自 殺 である.つまり(11)の 前 半, (11 ) 中 大 兄 皇 子 は 蘇 我 蝦 夷 を 殺 した. は 史 実 に 照 らして 偽 である.にもかかわらず(11)は 常 に 正 しいのだ. ある 命 題 が 成 立 し,かつそれが 成 立 しない つまり p pというのは 矛 盾 (contradiction)であり, 真 理 値 表 (12)に 見 るとおり,これは 常 に 偽 である. (12) p p p p T F F F T F だから 第 1 章 で(35)としてあげた 例 ( 下 に(13)として 再 現 )とか(14)の 下 線 部 など は,まさしくフレーゲたちが 自 然 言 語 の 非 論 理 性, 混 乱 として 捉 えていた ものに 相 当 する. (13) He was upset, but he wasn t upset. (14) 門 松 は 冥 土 の 旅 の 一 里 塚 芽 出 たくもあり 芽 出 たくもなし. 論 理 語 のなかには というものもある.これは もし ならば である という 意 味 をもつ.p q(p ならば q である)の 真 理 値 表 を 見 よう.なおこの 場 合,p を 前 件 (antecedent),q を 後 件 (consequent)とよぶ. (15) p q p q T T T T F F F T T F F T p を 消 費 税 率 引 き 上 げを 政 策 として 掲 げる,q を 総 選 挙 で 負 ける とす れば,p q は 消 費 税 率 引 き 上 げを 政 策 として 掲 げると,その 党 は 総 選 挙 で