第 9 章 21 世 紀 の 日 ロ 関 係 現 状 と 展 望 小 澤 治 子 はじめに 2013 年 4 月 28 日 から 30 日 にかけて 安 倍 晋 三 首 相 はロシアを 公 式 に 訪 問 し プーチン (Vladimir Putin) 大 統 領 と 会 談 を 行 った この 会 談 を 含 めて 日 ロ 両 国 間 で 2013 年 には 合 計 4 回 の 首 脳 会 談 が 実 現 したことになる そのようなことから 2013 年 は 日 ロ 関 係 が 前 進 した 年 として 注 目 されるべきであろう しかし 同 時 に 21 世 紀 にはいってからほぼ 定 期 的 に 1 年 に 3 回 程 度 の 首 脳 会 談 が 両 国 間 で 行 われてきたことにも 留 意 する 必 要 がある ロシアの 国 際 社 会 への 統 合 に 伴 い 主 要 国 首 脳 会 議 (G8) アジア 太 平 洋 経 済 協 力 機 構 (APEC) 首 脳 会 議 さらに 国 際 連 合 などの 場 で 継 続 的 に 会 談 が 行 われてきた また 日 ロ 経 済 関 係 や 文 化 交 流 の 進 展 についても 特 筆 すべきものがある もちろん 両 国 の 間 には 未 解 決 の 領 土 問 題 平 和 条 約 締 結 問 題 という 大 きな 懸 案 が 存 在 し その 解 決 の 糸 口 は 依 然 として 見 えてこ ないが それでも 今 世 紀 にはいって 日 ロ 両 国 の 関 係 が 厚 みを 増 してきたことは 間 違 いない と 言 える 本 稿 では まず 2000 年 以 降 の 日 ロ 関 係 について 主 に 政 治 外 交 関 係 を 中 心 にその 経 緯 を 振 り 返 る その 際 特 に 2012 年 5 月 第 2 期 目 のプーチン 政 権 が 誕 生 してからの 動 向 に 留 意 していきたい 次 に 日 ロ 関 係 が 今 日 抱 える 問 題 点 について 考 察 する 最 後 に 日 ロ 関 係 の 今 後 のあり 方 について 若 干 の 考 察 を 試 みたいと 考 える 1.プーチン 政 権 第 1 期 からメドヴェージェフ 政 権 期 (2000 年 5 月 ~2012 年 4 月 ) 2000 年 9 月 就 任 後 間 もないプーチン 大 統 領 は 公 式 に 日 本 を 訪 問 し 森 喜 朗 首 相 との 会 談 において 1956 年 に 調 印 された 日 ソ 共 同 宣 言 が 有 効 であることを 口 頭 で 認 めた さらに 翌 年 2001 年 3 月 森 首 相 がロシア(イルクーツク)を 訪 問 し プーチン 大 統 領 との 会 談 の 結 果 イルクーツク 声 明 が 発 表 された この 声 明 は 日 ロ 両 首 脳 が 平 和 条 約 締 結 交 渉 を 継 続 す ることを 表 明 しただけではなく 1956 年 の 日 ソ 共 同 宣 言 が 有 効 であることを 確 認 したもの である 日 ソ 共 同 宣 言 の 有 効 性 を 文 書 によって 確 認 したという 事 実 から 第 1 期 のプーチ ン 政 権 が 何 らかの 法 的 措 置 に 基 づき 日 ロ 間 の 領 土 問 題 を 解 決 に 導 く 意 図 を 持 っていたと 考 えることができる 2001 年 4 月 森 首 相 に 代 わって 小 泉 純 一 郎 政 権 が 誕 生 する 小 泉 政 権 下 日 ロ 関 係 は 一 時 停 滞 したが 2003 年 1 月 には 小 泉 首 相 のロシア 訪 問 によって 日 ロ 行 動 計 画 が 発 表 さ -103-
れた 日 ロ 行 動 計 画 は 政 治 対 話 の 深 化 平 和 条 約 締 結 交 渉 の 加 速 化 国 際 舞 台 におけ る 協 力 貿 易 経 済 分 野 における 関 係 の 発 展 防 衛 治 安 分 野 における 関 係 の 発 展 文 化 国 民 間 交 流 の 進 展 という 6 つの 分 野 を 挙 げ それぞれの 分 野 で 日 ロ 関 係 を 進 展 させながら 領 土 問 題 を 解 決 に 導 こうという 内 容 であった 小 泉 首 相 はその 後 も 国 際 会 議 の 席 上 プーチ ン 大 統 領 と 会 談 を 重 ね 意 見 交 換 を 行 った そして 2005 年 11 月 プーチン 大 統 領 の 公 式 の 訪 日 が 実 現 して 日 ロ 首 脳 会 談 が 行 われた しかし 両 首 脳 は 会 談 後 の 共 同 記 者 会 見 で 日 ロ 関 係 が 日 ロ 行 動 計 画 に 従 って 順 調 に 進 展 していることを 確 認 したものの 領 土 問 題 や 平 和 条 約 締 結 交 渉 について 共 同 声 明 が 発 表 されることはなかったのである その 後 2006 年 9 月 小 泉 首 相 の 退 陣 に 伴 い 安 倍 政 権 ( 第 1 次 )が 誕 生 した 安 倍 首 相 も 在 任 中 の 約 1 年 間 に 3 度 にわたりプーチン 大 統 領 との 首 脳 会 談 に 臨 んだが 2007 年 9 月 に 退 陣 した 2008 年 5 月 プーチン 大 統 領 に 代 わってそれまで 首 相 であったメドヴェージェフ(Dmitrii Medvedev)が 大 統 領 に 就 任 し 2012 年 4 月 までその 職 を 務 めた プーチンが 首 相 に 就 任 し たことから 2 人 の 2 頭 体 制 が 注 目 を 集 めた 時 期 であったが 日 本 の 政 局 の 動 向 は 不 安 定 であった 2009 年 9 月 には 衆 議 院 選 挙 の 結 果 自 民 党 から 民 主 党 への 政 権 交 代 が 起 こっ た メドヴェージェフ 政 権 期 に 日 本 では 5 人 の 首 相 が 政 権 を 担 当 したことになる( 自 民 党 の 福 田 麻 生 民 主 党 の 鳩 山 菅 野 田 ) メドヴェージェフ 政 権 期 において 注 目 すべきと 思 われる 動 きを 取 り 上 げたい まず 2009 年 2 月 麻 生 太 郎 首 相 (2008 年 9 月 就 任 )がサハリンの 州 都 ユジノサハリンスクを 訪 れ メドヴェージェフ 大 統 領 との 会 談 に 臨 んだことである サハリンの LNG( 液 化 天 然 ガス) 工 場 稼 働 式 典 に 合 わせて 行 われたこの 首 脳 会 談 では 領 土 問 題 の 解 決 に 向 けた 具 体 的 な 成 果 はなかった しかし メドヴェージェフ 大 統 領 が 新 たな 独 創 的 で 型 にはまらないアプ ローチ を 提 案 したという 事 実 は 日 ロ 両 国 間 でエネルギー 資 源 をめぐる 協 力 が 大 きな 位 置 づけを 占 めつつあることを 示 唆 するものであった 2009 年 9 月 民 主 党 への 政 権 交 代 によって 鳩 山 由 紀 夫 政 権 が 誕 生 したが 短 命 に 終 わり 2010 年 6 月 には 菅 直 人 が 首 相 に 就 任 した 鳩 山 首 相 も 菅 首 相 もメドヴェージェフ 大 統 領 と 数 回 国 際 会 議 の 場 で 会 談 を 行 ったが 特 に 目 立 った 成 果 はなかった むしろ 菅 政 権 下 で 日 ロ 関 係 は 停 滞 する 2010 年 11 月 のメドヴェージェフ 大 統 領 の 国 後 島 訪 問 を 菅 首 相 が 強 く 非 難 したことがロシア 側 の 反 発 を 生 み さらにそれが 日 本 側 の 反 発 を 強 めるという 悪 循 環 が 起 こったのである 2011 年 3 月 11 日 の 東 日 本 大 震 災 は 日 ロ 関 係 の 動 きにも 大 きな 影 響 をもたらした 震 災 直 後 にロシア 側 も 他 の 諸 国 と 同 様 に 救 援 隊 を 日 本 に 派 遣 し 物 資 の 提 供 を 呼 びかけた さらに 原 発 事 故 により 電 力 不 足 に 陥 った 日 本 に 対 し ロシア 政 府 は LNG の 供 給 増 加 を 提 -104-
案 した 震 災 の 影 響 がどこまであったのかは 定 かではないが 以 後 日 ロ 両 国 間 ではエネル ギー 資 源 をめぐる 交 渉 が 加 速 化 していったのである メドヴェージェフ 政 権 下 の 4 年 間 の 日 本 の 政 局 は 頻 繁 な 首 相 の 交 替 や 政 権 交 代 などで きわめて 不 安 定 であった その 意 味 ではロシアにとっても 対 日 政 策 の 軸 をどこに 定 め ま た 平 和 条 約 交 渉 をどのように 進 めていくかについて 見 通 しを 立 てることが 困 難 であった と 思 われる そのような 状 況 下 で 日 ロ 関 係 の 中 でエネルギー 問 題 の 占 める 位 置 づけが 特 に 重 要 になっていったと 言 えよう 2.プーチン 政 権 第 2 期 (2012 年 5 月 ~) プーチンは 大 統 領 に 正 式 に 就 任 する 2012 年 5 月 以 前 に 内 外 政 策 の 方 向 性 を 明 らかに する 論 文 を 合 計 7 本 発 表 した そのうちの 1 本 が ロシアと 変 化 する 世 界 である 1 この 論 文 はアジア 太 平 洋 諸 国 との 関 係 強 化 の 重 要 性 について 詳 細 に 述 べているが 日 本 につい ての 言 及 はない ただしプーチンは 大 統 領 に 就 任 する 以 前 からロシア 内 外 の 報 道 機 関 に 対 して 日 本 との 領 土 問 題 解 決 に 向 けて 道 筋 をつけたいという 意 欲 を 明 らかにし 引 き 分 け 戦 略 という 表 現 を 用 いて 対 日 関 係 改 善 の 必 要 性 を 訴 えた 2013 年 3 月 ロシア 政 府 は 新 たな 対 外 政 策 の 概 念 を 公 表 した その 中 で 日 本 との 関 係 について 次 のように 言 及 している ロシアは 未 解 決 の 諸 問 題 の 解 決 に 向 けて 双 方 が 受 け 入 れ 可 能 な 方 策 について 今 後 とも 話 し 合 いを 続 ける 意 向 である 2 確 かにこの 文 書 の 中 に 領 土 問 題 や 平 和 条 約 という 文 言 はない もちろん 争 点 の 島 の 名 称 について 具 体 的 に 挙 げられているわけでもない 一 見 すると 当 然 のことを 述 べたように 過 ぎない 文 書 であるが しかし ロシアの 対 外 政 策 全 般 を 扱 った 文 書 の 中 で ここまで 踏 み 込 んで 領 土 問 題 解 決 と 平 和 条 約 締 結 に 向 けた 努 力 の 必 要 性 を 訴 える 表 現 は これまでみられなかったのである 従 来 の 対 外 政 策 の 概 念 では 日 本 との 関 係 には 言 及 すらされないこともあった ある いは 対 日 関 係 改 善 の 必 要 性 が 漠 然 と 表 明 されるに 過 ぎなかった そのように 考 えると 対 外 政 策 の 方 針 を 明 らかにした 公 式 の 文 書 の 中 で 未 解 決 の 諸 問 題 の 解 決 や 双 方 受 け 入 れ 可 能 な 方 策 という 文 言 が 表 れたことは 注 目 するべきである つまりプーチン 政 権 は 領 土 問 題 を 放 置 することはせず 日 本 との 間 で 何 らかの 法 的 決 着 をつけたいと 考 えてい るのである 2 期 目 のプーチン 政 権 が 誕 生 してまもなく 2012 年 9 月 初 旬 21 ヵ 国 の 参 加 によりウラ ジオストクで 予 定 通 り APEC 首 脳 会 議 が 開 催 され プーチン 大 統 領 は 各 国 首 脳 との 会 談 を 行 った すでに 退 陣 した 菅 政 権 に 代 わって 2011 年 9 月 より 政 権 を 担 当 していた 野 田 佳 彦 首 相 との 会 談 において プーチン 大 統 領 は 日 本 との 領 土 問 題 に 決 着 をつけたいとの 意 向 を 明 -105-
らかにし 12 月 の 野 田 首 相 のロシア 訪 問 を 要 請 した またサミット 開 催 に 合 わせ 両 首 脳 立 会 いの 下 日 ロ 両 政 府 による ウラジオストク 液 化 天 然 ガスプロジェクト に 関 する 覚 書 の 調 印 式 が 行 われ ロシア 側 はアジア 太 平 洋 地 域 におけるロシアのエネルギー 市 場 拡 大 の 重 要 性 と 日 ロ 協 力 の 意 義 を 訴 えた 2012 年 12 月 の 衆 議 院 選 挙 の 結 果 民 主 党 は 敗 北 し 再 び 自 民 党 の 安 倍 政 権 が 誕 生 した そのため 野 田 首 相 による 12 月 のロシア 訪 問 は 幻 に 終 わったが 2 期 目 のプーチン 政 権 成 立 を 契 機 に 菅 政 権 下 で 一 時 冷 却 化 した 日 ロ 関 係 の 再 構 築 を 野 田 政 権 が 試 みていた 可 能 性 がある 一 般 にも 広 く 報 道 されたように 野 田 政 権 は 自 民 党 の 森 元 首 相 を 特 使 としてロ シアに 派 遣 する 計 画 を 立 てていた これは 2001 年 3 月 のイルクーツク 声 明 をベースに 日 ロ 関 係 再 構 築 を 日 本 政 府 が 検 討 していたことを 示 唆 するものである APEC 首 脳 会 議 に 先 立 つ 2012 年 7 月 メドヴェージェフ 首 相 の 再 度 の 国 後 島 訪 問 にもかかわらず 予 定 通 り 日 ロ 外 相 会 談 は 行 われた 2012 年 10 月 には 安 全 保 障 会 議 書 記 をはじめ ロシア 側 からの 要 人 の 訪 問 が 相 次 いでいたことも 事 実 である またロシアの 新 聞 の 中 には 野 田 首 相 のロシア との 対 話 姿 勢 を 評 価 して 日 ロ 両 国 の 外 交 関 係 打 開 に 期 待 を 示 す 論 調 も 表 れていた 3 民 主 党 政 権 期 の 日 本 外 交 については ロシアとの 関 係 にとどまらず 別 途 改 めて 検 証 され るべきであろう ただし 少 なくとも 日 ロ 関 係 については プーチン 大 統 領 と 野 田 首 相 の 間 で 関 係 改 善 に 向 けた 方 策 が 検 討 されつつあった もちろん 日 本 の 政 権 がどの 程 度 安 定 し ているかについて ロシア 側 は 冷 静 に 観 察 していたと 言 えよう 2012 年 12 月 の 再 度 の 自 民 党 への 政 権 交 代 と 安 倍 内 閣 の 誕 生 後 2013 年 にはいって 日 ロ 関 係 は 目 に 見 える 形 で 進 展 していくが その 土 台 はすでに 前 年 に 築 かれていたのである 2013 年 4 月 末 安 倍 首 相 のロシア 訪 問 による 日 ロ 首 脳 会 談 の 結 果 共 同 声 明 が 発 表 され た その 中 で 特 に 次 の 箇 所 に 注 目 する 必 要 があろう 第 2 次 世 界 大 戦 後 67 年 を 経 て 日 ロ 平 和 条 約 が 締 結 されていない 状 態 は 異 常 であるとの 認 識 で 一 致 交 渉 において 存 在 する 立 場 の 隔 たりを 克 服 して 双 方 に 受 け 入 れ 可 能 な 形 で 最 終 的 に 解 決 することにより 平 和 条 約 を 締 結 するとの 決 意 を 表 明 した また 両 首 脳 の 議 論 に 付 すため 平 和 条 約 問 題 の 双 方 に 受 け 入 れ 可 能 な 解 決 策 を 作 成 する 交 渉 を 加 速 させるとの 指 示 を 自 国 の 外 務 省 に 共 同 で 与 えることで 合 意 した 4 ここで 注 目 すべきは 双 方 に 受 け 入 れ 可 能 という 文 言 が 2 度 にわたって 表 れているこ とである これは 2013 年 3 月 に 発 表 されたロシアの 対 外 政 策 の 概 念 の 中 の 表 現 が 日 ロ 共 同 声 明 に 盛 り 込 まれたものであり 領 土 問 題 という 直 接 的 な 言 及 こそないが 領 土 問 題 を 解 決 しようという 双 方 の 意 志 とりわけロシア 政 府 の 意 志 を 表 している さらに 共 同 声 明 では 経 済 協 力 の 枠 組 み 作 りについて 都 市 開 発 や 農 業 支 援 などこれまでよりさらに -106-
広 範 囲 な 分 野 について 行 っていくこと エネルギー 協 力 の 拡 大 また 安 全 保 障 防 衛 分 野 における 協 力 の 拡 大 について 言 及 した 特 に 安 全 保 障 治 安 分 野 については 日 ロ 両 国 間 で 外 務 防 衛 閣 僚 級 会 議 (2 プラス 2 会 議 )の 立 ち 上 げについて 合 意 されたのである 上 記 の 合 意 に 基 づき 2013 年 11 月 2 日 両 国 初 の 外 務 防 衛 閣 僚 級 会 議 が 東 京 で 開 催 された 日 本 にとってこのような 枠 組 みが 作 られているのはアメリカとオーストラリアの みであることを 考 えると いかにロシアとの 関 係 の 緊 密 化 が 進 展 したかが 明 らかである 両 国 はアジア 太 平 洋 地 域 での 安 全 保 障 の 協 力 推 進 で 一 致 し 海 上 自 衛 隊 とロシア 海 軍 の 間 でのテロ 海 賊 対 策 の 共 同 訓 練 実 施 やサイバー 安 全 保 障 協 議 の 立 ち 上 げ 定 期 化 について 合 意 したのである 5 以 上 のように2012 年 から13 年 にかけて 日 ロの 外 交 関 係 は 着 実 に 前 進 してきた しかし さらに 前 進 するために 克 服 すべき 課 題 は 多 い 以 下 その 問 題 点 を 検 討 する 3.21 世 紀 の 日 ロ 関 係 の 問 題 点 日 ロ 関 係 の 問 題 点 の 第 1 は 近 い 将 来 領 土 問 題 を 解 決 して 両 国 が 平 和 条 約 を 締 結 するこ とは 本 当 に 可 能 か ということであり おそらくこれが 最 大 の 問 題 であろう 平 和 条 約 締 結 は 日 ロ 両 首 脳 の 合 意 に 従 って 双 方 が 受 け 入 れ 可 能 な 解 決 策 を 見 出 すことができるか どうかにかかっている 日 ロ 双 方 は 2013 年 8 月 末 に 外 務 次 官 級 会 議 を 開 催 して 平 和 条 約 問 題 の 実 質 的 交 渉 に 入 ったが 問 題 の 性 格 上 詳 細 を 窺 い 知 ることはできない では 双 方 が 受 け 入 れ 可 能 な 解 決 策 とはどのような 内 容 であろうか 私 見 では 1956 年 の 日 ソ 共 同 宣 言 に 基 づきロシアが 日 本 に 歯 舞 諸 島 と 色 丹 島 を 引 き 渡 す こと 加 えて 日 本 側 が 要 求 している 国 後 島 と 択 捉 島 について 何 らかの 妥 協 を 日 ロ 双 方 が 行 うことであると 考 える かつて 日 ロ 外 交 の 現 場 を 経 験 し 両 国 関 係 についての 有 識 者 であ るアレクサンドル パノフ(Alexandr Panov) 氏 と 東 郷 和 彦 氏 が 基 本 的 にはその 趣 旨 に 沿 った 内 容 の 論 文 をロシア 紙 に 共 同 で 発 表 した 6 しかし その 内 容 を 日 ロ 両 国 の 国 民 が 真 に 納 得 して 受 け 入 れるかというと 依 然 としてハードルが 高 いと 言 うべきであろう 加 えて 領 土 問 題 解 決 をめぐる 交 渉 は タイミングを 逃 してしまったのではないかという 懸 念 もある すでに 述 べたように 2005 年 11 月 のプーチン 大 統 領 訪 日 において 領 土 問 題 や 平 和 条 約 交 渉 について 共 同 声 明 が 発 表 されることはなかった 2003 年 1 月 の 小 泉 首 相 の ロシア 訪 問 以 降 2005 年 にかけて ロシア 側 は 様 々な 形 で 領 土 交 渉 をめぐる 対 日 アプローチ を 行 ってきた また 日 本 国 内 でもこの 問 題 についていろいろなレベルで 意 見 交 換 が 行 われ た このようにロシア 政 府 が 2001 年 3 月 のイルクーツク 声 明 を 土 台 にして 日 本 側 との 何 らかの 接 点 を 求 めていた 可 能 性 を 否 定 できない ただし 歯 舞 と 色 丹 のみに 具 体 的 に 言 及 し -107-
たイルクーツク 声 明 だけでは 日 本 の 要 求 を 満 たすことは 不 可 能 であるため 結 局 日 ロ 双 方 の 接 点 はみつからず 2005 年 11 月 のプーチン 大 統 領 訪 日 の 際 にも 共 同 声 明 を 発 表 するこ とができなかった 可 能 性 がある 第 1 期 プーチン 政 権 下 2000 年 から 2005 年 にかけて ロシアは 1956 年 の 日 ソ 共 同 宣 言 に 基 づく 平 和 条 約 締 結 と 日 ロ 関 係 改 善 の 可 能 性 の 有 無 を 模 索 していた 可 能 性 がある また 両 国 関 係 の 改 善 を 前 提 に 日 本 が 主 張 する 北 方 領 土 の 開 発 に 日 本 の 参 入 を 期 待 した 可 能 性 も ある しかし それは 実 現 にはいたらず 2006 年 8 月 千 島 諸 島 の 社 会 経 済 発 展 計 画 をロシア 政 府 として 承 認 し 2007 年 から 2015 年 までの 計 画 として 実 施 されることになっ た あくまでも 状 況 証 拠 から 言 えることだが 2006 年 以 降 ロシア 政 府 は 日 本 との 間 にあ る 領 土 問 題 の 解 決 をいったん 断 念 して 日 本 の 参 入 に 依 存 しない 千 島 の 開 発 を 実 行 するよ うになったのである 問 題 点 の 第 2 は 日 本 が 今 後 ともロシア 極 東 シベリア 開 発 において ロシアにとって 必 要 なまた 魅 力 あるパートナーであり 続 けることができるかという 点 であろう 仮 に 日 本 が 参 加 しない 形 でロシア 極 東 シベリア 開 発 が 行 われるとすれば たとえ 領 土 問 題 が 首 尾 よく 解 決 されたとしても それは 日 ロ 関 係 の 将 来 の 発 展 を 大 きく 限 定 してしまう そこで 日 本 が 意 識 するべきは 中 国 と 韓 国 の 存 在 である 21 世 紀 の 初 頭 に 経 済 貿 易 外 交 安 全 保 障 など 多 岐 にわたって 関 係 が 深 まったロシアと 中 国 の 関 係 であるが 近 年 関 係 の 深 化 ゆえの 矛 盾 が 大 きくなっている アジア 太 平 洋 地 域 において 中 国 に 対 する 貿 易 依 存 度 が 高 いことは ロシアが 中 国 を 警 戒 する 要 因 になる また 中 国 からの 労 働 者 移 住 者 がロシア 極 東 で 増 大 した 結 果 ロシア 側 は 中 国 の 脅 威 を 認 識 することになった さらにロシア が 中 国 に 売 却 する 天 然 ガス 価 格 や 武 器 供 与 をめぐる 問 題 など 利 害 対 立 の 要 因 は 増 大 して いる しかし だからロシアは 極 東 シベリア 開 発 において 確 実 に 日 本 の 存 在 を 必 要 とし ていると 結 論 づけるのには 論 理 的 に 無 理 がある 韓 国 の 存 在 も 注 目 すべきである 2013 年 11 月 中 旬 プーチン 大 統 領 は 韓 国 を 訪 問 し 朴 (パク クネ) 大 統 領 と 首 脳 会 談 を 行 った その 結 果 ロ 朝 間 の 鉄 道 敷 設 に 向 けて 韓 国 企 業 が 出 資 すること ロシアから 韓 国 へのガスパイプライン 計 画 を 検 討 すること さらに 韓 国 北 朝 鮮 ロシアの 間 での 電 力 供 給 網 の 妥 当 性 について 協 議 することなど 両 国 間 の 幅 広 い 協 力 が 合 意 されたのである 7 もちろん 日 本 には 1970 年 代 に 極 東 シベリア 開 発 をソ 連 との 間 で 実 施 し 日 ソ 経 済 関 係 を 発 展 させた 実 績 がある 特 にエネルギー 資 源 開 発 プロジェクトを 冷 戦 期 に 実 現 させた 意 義 は 大 きく 今 日 のサハリン プロジェクトの 進 展 は 70 年 代 から 80 年 代 にかけての 関 係 者 の 努 力 が 実 を 結 んだものと 言 われている 8 日 本 との 経 済 関 係 において 最 も 日 本 に 期 待 -108-
する 分 野 はエネルギー 関 連 の 事 業 であるというロシアの 有 識 者 の 指 摘 も 頷 ける 9 しかし エネルギー 関 連 プロジェクトを 真 に 成 功 に 導 くためには 日 本 とロシア 双 方 によるさらな る 努 力 が 必 要 である また 2013 年 4 月 の 首 脳 会 談 後 の 共 同 声 明 で 明 らかにされたように ロシアの 農 業 や 都 市 開 発 などを 日 本 が 支 援 することも 必 要 かつ 有 望 な 分 野 であろう すな わちこれまでよりももっと 広 い 分 野 で 日 本 とロシアの 経 済 協 力 を 構 築 する 必 要 がある 問 題 点 の 第 3 は 国 際 舞 台 における 中 国 の 立 場 と 行 動 が 日 ロ 関 係 の 今 後 の 動 向 にどの ように 影 響 するかということである 既 述 のように 日 ロ 両 国 間 では 2013 年 11 月 に 初 の 外 務 防 衛 閣 僚 級 会 議 が 開 催 された 安 全 保 障 の 分 野 で 日 ロが 踏 み 込 んだ 協 力 を 行 うよう になった 重 要 な 要 因 として 中 国 の 存 在 を 日 ロ 双 方 が 意 識 しているということは ほぼ 間 違 いない 10 では 中 国 の 存 在 は 日 ロの 領 土 問 題 平 和 条 約 問 題 に 果 たしてどの 程 度 影 響 を 及 ぼすものであろうか ここではこの 問 題 をめぐる 日 本 における 2 つの 見 方 をまとめてお きたい 第 1 の 見 方 ロシアは 中 国 を 脅 威 と 認 識 しているので 安 全 保 障 の 領 域 を 含 めて 日 ロ 協 力 に 積 極 的 にならざるを 得 ない よって 領 土 問 題 の 解 決 において 日 本 はロシアに 対 して 有 利 な 立 場 にある 第 2 の 見 方 中 国 とロシアの 関 係 には 協 力 の 側 面 と 対 立 の 側 面 という 2 つの 側 面 がある よってロシアが 中 国 の 存 在 を 脅 威 と 認 識 しているからと 言 っ て それが 日 本 に 有 利 な 形 での 領 土 問 題 の 解 決 につながることはない ロシアと 中 国 の 関 係 のみならず 日 中 関 係 の 今 後 については 注 視 する 必 要 がある 中 国 を 敵 とみなして 日 ロが 協 力 を 進 めることは 仮 にそれによって 日 ロ 間 の 領 土 問 題 解 決 と 平 和 条 約 締 結 につながったとしても 東 アジアの 平 和 と 安 定 を 生 み 出 すことにはならな いと 考 える 終 わりに 日 ロ 関 係 の 発 展 に 向 けて 両 国 が 取 り 組 むべき 課 題 は 多 い 経 済 関 係 の 発 展 や 文 化 交 流 の 促 進 をさらに 進 めなければならない また 人 的 交 流 を 拡 大 させるためにも 2013 年 4 月 末 の 日 ロ 共 同 声 明 で 示 されたように 両 国 国 民 の 短 期 渡 航 の 査 証 (ビザ)を 相 互 に 撤 廃 す ることについて 日 ロ 両 政 府 は 努 力 する 必 要 がある 日 ロ 両 国 の 関 係 を 抜 本 的 に 発 展 させるためには やはり 領 土 問 題 の 解 決 と 平 和 条 約 の 締 結 に 向 けてもっと 努 力 する 必 要 があり それには 日 ロ 両 国 民 間 の 相 互 理 解 を 一 層 深 める 必 要 がある 研 究 や 教 育 に 携 わる 者 の 役 割 も 大 きい ソ 連 が 解 体 した 1991 年 に 生 まれた 若 者 は 現 在 22 歳 である 日 本 でもロシアでもソ 連 を 知 らない また 冷 戦 期 の 日 ソ 関 係 を 実 感 として 味 わっていない 世 代 が 今 日 大 学 で 学 んでいるのである ロシアのアニメやチェブラ ーシカに 興 味 のある 日 本 の 若 者 の 多 くにとって 領 土 問 題 は どうでもよいこと に 過 ぎ -109-
ない 彼 ら 彼 女 らの 無 邪 気 な 発 想 は 時 として 参 考 になる 半 面 同 時 に 歴 史 教 育 の 必 要 性 を 実 感 させられる ソ 連 を 知 らない 日 ロ 両 国 の 若 者 に 対 して 日 ソ 関 係 の 歴 史 における 様 々な 側 面 日 本 の 問 題 点 ソ 連 の 問 題 点 を 可 能 な 限 り 史 実 に 基 づいて 伝 えていく 必 要 があろ う 日 ロ 両 国 民 がそれぞれの 持 ち 場 で 役 割 を 果 たしていくことを 通 じて 領 土 問 題 におい ても 真 に 双 方 が 受 け 入 れ 可 能 な 解 決 策 を 見 つけ 出 すことができるのではないだろうか - 注 - 1 2 3 4 5 6 V.Putin, `Rossiya i Menyayusshiisya Mir`, <Krasnaya Zvezda>, 29Febryary-6March 2012, pp.4-7. `Kontseptsiya Vneshnei Politiki Rossiskoi Federatsii`, <NG Dipkur`er>, 4March 2013, pp.13. A.Fenenko, `Strategiya Khikivake` <Nezavisimaya Gazeta>, 19March 2012, p.3. 日 本 経 済 新 聞 2013 年 4 月 30 日 中 国 念 頭 安 保 協 力 広 く 日 本 経 済 新 聞 2013 年 11 月 3 日 A.Panov, K.Togo, `Otsustvie Mirnogo Dogovora- Nenormal`naya Situatsiya`, <Nezavisimaya Gazeta>, 18July 2013,p.3. 7 ロ 朝 結 ぶ 鉄 道 韓 国 勢 が 出 資 日 本 経 済 新 聞 2013 年 11 月 14 日 8 白 井 久 也 米 ソ 冷 戦 下 の 日 ソ 経 済 貿 易 関 係 の 新 展 開 日 ソ 日 ロ 経 済 交 流 史 出 版 グループ 編 著 日 ソ 日 ロ 経 済 交 流 史 東 洋 書 店 2008 年 79 頁 9 V.シヴィドコ(Vitaly Shvydko) 世 界 経 済 国 際 関 係 研 究 所 アジア 太 平 洋 地 域 研 究 センター 長 兼 日 本 経 済 政 治 研 究 部 門 長 の 発 言 (2013 年 12 月 12 日 モスクワ) 10 対 中 国 日 本 を 見 せ 球 に 日 本 経 済 新 聞 2013 年 10 月 24 日 中 国 念 頭 安 保 協 力 広 く 日 本 経 済 新 聞 2013 年 11 月 3 日 -110-