石 山 のツル 性 草 本 2006/12/14 の Blog ツル 性 草 本 (1) ツルニンジン ツルニンジンの 花 ツル 性 植 物 は 木 本 ( 樹 木 のこと)だけでなく 草 本 ( 草 花 )にも 存 在 する ツルニンジンは 日 本 全 国 に 自 生 する 多 年 草 のツル 性 草 本 である 蔓 は2~3m に 伸 びてまわりのものに 絡 みついて 生 長 する 花 の 先 は 五 つに 裂 け 紫 色 の 模 様 が 入 っている キキョウ 科 の 植 物 であることに 納 得 葉 やつるを 傷 つけると 悪 臭 を 放 つという 釣 り 鐘 状 の 花 をつけるツルニンジン ツルニンジンの 名 前 の 由 来 は 根 がチョウセンニンジンのようで 茎 はツルになるからと 言 われている ツルニンジンの 葉 漢 方 薬 としては 四 葉 参 (シヨウジン)と 言 われる 写 真 を 見 ると 確 かに 葉 が4 枚 輪 生 している 天 然 のツルニンジン は 韓 国 では 高 価 で 取 引 されているらしいが 日 本 では 今 だ 薬 草 山 草 としてはあまり 知 られていない 韓 国 ではす でに 抗 癌 植 物 として 認 定 されているという 1
背 後 から 見 たツルニンジン 花 の 先 は 五 つに 裂 けているが 額 も5 枚 ついている ツルニンジンの 効 用 ツルニンジンの 効 用 は 特 に 根 にあるらしい しかし 根 だけでなく 葉 も 茎 (つる)も 全 草 に 効 用 があるらしい 食 用 することにより ガン 予 防 や 治 療 ができ 健 康 維 持 に 最 適 な 薬 草 で 特 に 肺 大 腸 消 化 器 系 のガンに 効 き ま たガンになりにくい 体 質 づくりに 効 果 を 発 揮 するという また 天 然 ツルニンジンに 多 量 に 含 まれるサポニンには 体 脂 肪 を 燃 焼 する 働 きがあるという 天 然 ツルニンジンに 多 量 に 含 まれるサポニンは 体 脂 肪 を 燃 焼 させる 働 きがあるから で 肥 満 生 活 習 慣 病 などに 悩 む 者 にとって 福 音 である そのほかに 慢 性 肝 炎 糖 尿 病 便 秘 アトピー 性 皮 膚 炎 の 改 善 ヘルニアの 特 効 薬 吹 き 出 物 そして 更 年 期 障 害 等 にも 効 果 があると 報 告 されている まさに 万 能 薬 のような 薬 草 としてのツルニンジン じっくりと 付 き 合 ってみたくなる 草 本 ではある ただ 生 長 が 非 常 に 遅 く, 根 の 太 さが 大 人 の 親 指 位 になるのに10 年 かかると 言 われている すれば 希 少 価 値 が あまりにも 高 く 絶 滅 危 惧 種 なる 危 険 もある そうやすやすとは 採 取 してはらない 代 物 かもしれない 2006/12/18 の Blog ツル 性 草 本 (2) アマチャヅル アマチャヅルの 実 かつては 単 なる 雑 草 と 思 われていたが 今 や 貴 重 な 薬 草 として 脚 光 をあびるようなったアマチャヅル 朝 鮮 人 参 と 同 じ 成 分 が 含 まれていることが 最 近 の 研 究 で 明 らかになったという 実 はとても 苦 い 2
巻 きひげをからませるアマチャヅル アマチャヅルは 他 の 低 木 や 草 本 に 絡 みつきながらよじ 登 る 石 山 ではエゾニワトコの 木 に 絡 みついたアマチャヅル がとても 印 象 的 で 多 くの 実 をつけていた 緑 色 から 黒 緑 色 に 熟 していく 写 真 は 10 月 9 日 に 撮 影 のもの 万 能 薬 としてのアマチャズル 葉 や 茎 を 乾 燥 させてお 茶 として 飲 用 することで 鎮 静 鎮 咳 去 痰 消 炎 解 熱 浄 血 強 壮 強 精 利 尿 作 用 があ り 潰 瘍 胃 痛 便 秘 下 痢 扁 桃 痛 疲 労 回 復 老 化 防 止 肩 こり 冷 え 症 ぜんそく 腰 痛 糖 尿 病 高 脂 血 症 リ ウマチ 神 経 痛 老 人 性 気 管 支 炎 や 不 眠 症 ストレス リラックスしたい 時 などに 良 いとされている 便 秘 にも 下 痢 にも 利 くとはまさに 万 能 薬 である アマチャヅルの 本 格 的 な 研 究 はまだ 始 まったばかりのようであるが 自 然 の 中 には こうした 人 間 の 健 康 のための 薬 草 が 隠 された 神 の 恵 みとして 豊 かに 満 ちている それを 発 見 した 人 もすばらしいが それに 勝 って それを 備 えて くださった 神 に 栄 光 があるように アマチャヅルの 葉 アマチャヅルの 名 前 の 由 来 は 葉 に 甘 味 があるのでアマチャヅルというらしい ただ 甘 い 葉 と 苦 い 葉 があるようで ある 葉 は 互 生 し 3~7 枚 の 小 葉 からなる 鳥 足 状 複 葉 である 普 通 は 写 真 のように 5 小 葉 3
2006/12/22 の Blog ツル 性 草 本 (3) ツルリンドウ 真 紅 の 顔 を 見 せるツルリンドウ ツル 性 のリンドウ 科 のツルリンドウ リンドウといえば 濃 い 紫 色 の 花 を 思 い 浮 かべるが ツルリンドウの 花 は 薄 い 紫 色 で 木 陰 に 咲 いていて どちらかといえば 目 立 たない 存 在 である ところが 秋 になって 枯 れ 残 った 花 から 突 き 出 る ようにして 真 紅 の 実 が 顔 を 出 すと ひときわ 目 立 つ 存 在 となる たわわに 実 るツルリンドウ 石 山 の 雑 木 林 の 中 にひっそりと 生 えていたツルリンドウ 9 月 末 ともなれば 紅 葉 もはじまり 林 床 の 空 間 に 隙 間 が 多 くなってくる 季 節 である ツルリンドウの 果 実 はこの 時 期 でなければ 草 木 に 隠 れてなかなか 見 つけることができない そんな 控 えめな 草 木 である 写 真 は 10 月 3 日 撮 影 のもの 支 えられて 輝 く ツルリンドウは 他 の 植 物 に 絡 みつくことで 生 かされている 美 しい 真 紅 の 実 ( 液 果 )も 支 えられて 輝 いているのだ 星 野 富 弘 氏 の 鈴 のなる 鐘 という 詩 画 集 がある その 中 にこんな 詩 がある いのちが 一 番 大 切 だと 思 っていたころ 生 きるのが 苦 しかった いのちより 大 切 なものがあると 知 った 日 生 きているのが 嬉 しかった 自 分 のいのちを 自 分 で 輝 かさなければ と 考 えていた 彼 は 不 慮 の 事 故 で 手 足 の 自 由 を 失 った 当 初 は そうし た 不 運 な 自 分 を 呪 っていた 彼 がキリストに 出 会 ってから わずかに 動 く 口 に 筆 をくわえながら 詩 画 を 描 きはじめるよう 4
になった そして 今 や 彼 の 詩 画 が 多 くの 人 々に 慰 めと 生 きる 力 を 与 えている しかし 彼 はそんな 力 は 自 分 にないこ とを 知 っている 月 が 太 陽 に 照 らされて 輝 いているように 彼 は いのちを 生 かし 支 えてくれるキリストのまことの 光 に 出 会 い その 光 によって 見 るもの 聴 くもの 感 じるものをただ 素 直 に 描 くことで 多 くの 人 々の 希 望 の 光 となって いる そんな 自 分 を 知 ったとき 彼 ははじめて 生 きているのが 嬉 しく なったのである 自 分 で 自 分 を 輝 かせ 続 けるこ とには 限 界 があり そして 苦 しいことである いのちより 大 切 なものがあることを 知 る 者 は 幸 いである 現 実 的 な 日 常 生 活 のみならず いのち(かかわり)の 世 界 において 支 えられて 輝 く 喜 びがあることを 星 野 富 弘 氏 は たえずあかししているように 思 う ツルリンドウの 葉 と 実 紅 葉 が 進 んでいく 中 でひときわ 目 立 つこの 赤 い 実 は 情 愛 という 花 ことばを 持 つ 情 愛 とは いつくしみ 愛 情 とも 言 いかえることができる いつくしむ とは 相 手 に 対 して 良 いものを 与 え 続 けることを 意 味 する 主 イエ ス キリストは 自 分 をこの 世 に 遣 わされた 神 ( 御 父 )のことを 人 々に 教 えるために こんな 話 をされた 野 の 花 がどうし て 育 つのか よくわきまえなさい(よく 考 えてみなさい) 働 きもせず 紡 ぎもしません しかし わたしはあなたがたに 言 います 栄 華 を 窮 めたソロモンでさえ このような 花 の 一 つほどにも 着 飾 ってはいませんでした きょうはあってもあす は 炉 に 投 げ 込 まれる 野 の 草 さえ 神 はこれほどに 装 ってくださるのだから ましてあなたがたに 良 くしてくださらないわ けがありましょうか ( 新 約 聖 書 マタイの 福 音 書 6 章 ) 赤 い 美 しい 果 実 を 持 つツルリンドウは もしかすると 誰 の 目 にも 触 れなかったかもしれない たとえそうだとしても 創 造 主 である 神 はこれほどまでに 美 しく 装 ってくださっている これは 神 の 情 愛 神 のいつくしみのひとつのあかしで ある ましてや ツルリンドウにまさる 私 たちに 対 して 神 はこのように 美 しく 装 ってくださるばかりでなく すべてにおい て 良 くしてくださる 方 である 聖 書 の 神 は 良 いことしかすることのできない いつくしみ に 満 ちた 方 なのである その ことを 知 り 信 じていくとき 私 たちの 人 生 は 変 えられていく そのひとつのしるしは 心 の 平 安 である 思 い 煩 い ( 心 配 不 安 恐 れ)というだれもがかかる 心 の 病 から 癒 され 解 放 されるのである 2006/12/23 の Blog ツル 性 草 本 (4) クズ クズの 花 日 本 全 国 に 自 生 するマメ 科 のツル 植 物 である クズのつるは 10m 以 上 に 伸 びるという 他 の 木 々に 巻 きついて 生 5
育 する この 根 から 葛 (くず) 粉 が 取 れる 葛 粉 の 澱 粉 は 良 質 で 葛 餅 など しばしば 高 級 和 菓 子 に 使 われるという 秋 の 七 草 のひとつ クズは 秋 の 七 草 の 一 つである 秋 の 七 草 は オミナエシ ススキ キキョウ ナデシコ フジバカマ クズ そしてハ ギである これらは それぞの 名 前 の 頭 文 字 を 綴 り 合 わせて お 好 きな 服 は と 覚 えると 良 い 春 の 七 草 は 食 べるの に 対 して 秋 の 七 草 は 見 て 楽 しむ 花 らしい クズの 葉 は 互 生 し 三 枚 の 小 葉 からなる クズの 葉 クズの 花 言 葉 は 芯 の 強 さ クズの 根 は 太 く 長 い そしてそこに 多 量 の 澱 粉 が 含 まれている 茎 はつるになって 伸 びるが 基 部 は 木 質 化 する 他 の 木 々に 巻 きついて 生 育 するクズの 花 ことばは 芯 の 強 さ だという ところで 芯 の 強 さ とはなんだろう それは 単 なる 頑 固 で 融 通 のきかないことを 意 味 しないと 思 う 私 が 思 うに それは 失 望 の 夜 でも 先 の 見 えない 暗 闇 の 只 中 でも 人 生 のたそがれ 時 でも 決 して 希 望 を 失 うことなく 朝 が 来 る ことを 信 じて 光 に 向 かって 歩 み 続 ける 強 さである 聖 書 によれば 創 造 主 である 神 が 初 めに 造 られたのは 光 であった 神 は 光 であられるゆえに 神 が 光 を 必 要 とし たのではなく それはすべての 被 造 物 のために そしてとりわけ 人 間 のために 必 要 であった なぜなら 人 間 を 光 の 中 に 置 き 光 の 中 で 生 かすためであった それまでの 世 界 は 闇 と 混 沌 の 中 に 長 く 閉 ざされていたからである 神 の ふところにおられた 独 り 子 の 神 イエス キリストは この 世 に 来 られてこう 言 った わたしは 世 の 光 です わたしに 従 う 者 は 決 してやみの 中 を 歩 むことがなく いのちの 光 を 持 つのです と( 新 約 聖 書 ヨハネの 福 音 書 8 章 12 節 ) この いのちの 光 に 導 かれ 生 かされるとき どんな 闇 の 中 に 置 かれても 光 に 向 かって 生 きることができる それこそ 芯 6
の 強 さ である 7