教 育 テスト 研 究 センター CRET シンポジウム 2010.12 報 告 書 ショック 療 法 の 功 罪 ~ドイツにおける 低 学 力 問 題 をめぐる 評 価 の 政 治 ~ (シンポジウム 開 催 日 :2010 年 12 月 10 日 ) 講 師 : 近 藤 孝 弘 [ 名 古 屋 大 学 大 学 院 教 育 発 達 科 学 研 究 科 教 授 ] 研 究 領 域 専 門 は 教 育 内 容 の 国 際 比 較 研 究 特 に ド イ ツ と オ ー ス ト リ ア を 中 心 と す る ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 政 治 教 育 歴 史 教 育 を, 国 際 関 係 と 各 国 の 政 治 経 済 社 会 の 視 点 か ら 分 析 し て い る 経 歴 所 属 学 会 東 京 学 芸 大 学 講 師, 名 古 屋 大 学 助 教 授 を 経 て, 現 在, 名 古 屋 大 学 大 学 院 教 育 発 達 科 学 研 究 科 教 授 日 本 比 較 教 育 学 会 ( 常 任 理 事, 研 究 委 員 会 委 員 長 ), 日 本 教 育 学 会 ( 理 事 ), 日 本 カ リ キ ュ ラ ム 学 会, 日 本 ド イ ツ 学 会, Internationale Gesellschaft für Geschichtsdidaktik, Journal of Social Science Education( editorial board member) 著 書 近 藤 孝 弘 (1998). 国 際 歴 史 教 科 書 対 話 - ヨ ー ロ ッ パ に お け る 過 去 の 再 編 中 公 新 書 近 藤 孝 弘 (2001). 自 国 史 の 行 方 - オ ー ス ト リ ア の 歴 史 政 策 名 古 屋 大 学 出 版 会 近 藤 孝 弘 (2005). ド イ ツ の 政 治 教 育 岩 波 書 店 近 藤 孝 弘 (2009). 移 民 受 入 れ に 揺 れ る 社 会 と 教 育 と 教 育 学 の 変 容 佐 藤 学 他 ( 編 著 ) 揺 れ る 世 界 の 学 力 マ ッ プ 明 石 書 店 pp.50-72. な ど 要 約 PISA シ ョ ッ ク は ド イ ツ の 学 校 教 育 に 改 革 の 契 機 を 与 え た そ こ か ら 学 校 制 度 を め ぐ る 議 論 が 再 開 さ れ, 学 校 の 終 日 化 や 移 民 の 子 ど も に 対 す る ド イ ツ 語 教 育 の 強 化 と い っ た 措 置 が 取 ら れ た ほ か, 全 国 規 模 で の カ リ キ ュ ラ ム 研 究 に も 着 手 さ れ る に 到 っ た 一 種 の シ ョ ッ ク 療 法 は, 低 学 力 層 の 問 題 に 対 す る 社 会 の 関 心 を 喚 起 す る 点 で 一 定 の 成 果 を あ げ た が, そ の 負 の 側 面 も 明 ら か に な っ て い る す な わ ち 学 力 の 追 求 は 管 理 強 化 を 招 き が ち で あ り, 社 会 の 多 元 性 が 持 つ 価 値 を 軽 視 す る 方 向 に 作 用 し て し ま う さ ら に PISA の デ ー タ か ら 教 育 改 革 の 必 要 を 導 く 過 程 に つ い て も 疑 問 の 余 地 が あ り,こ の こ と は 調 査 そ の も の が 教 育 政 策 を め ぐ る 政 治 の 場 か ら 自 由 で は な い こ と を 示 唆 し て い る - 1 -
Ⅰ.はじめに はじめに: 教 育 政 策 としてのピサ ショック この 10 年 ほどのあいだ,ドイツの 教 育 に 言 及 する 際 に ピサ ショック ほど 頻 繁 に 使 われた 言 葉 はないだろう そして 重 要 なの は,この 言 葉 が 必 ずしも 日 本 におけるポスト モダン 的 な 反 ヨーロッパ 感 情 に 発 するのでは なく,ドイツで,しかも 計 量 的 データに 基 づ く 科 学 性 を 追 求 する 調 査 をきっかけに 生 まれ たということである Table 1 に 示 すような PISA 2000 の 結 果 は, 確 かに 国 民 にショック を 与 えるのに 十 分 である 更 に, 問 題 は 単 に 平 均 点 が 低 いことだけではなく, 親 の 社 会 階 層 が 子 どもの 学 力 を 決 定 する 度 合 いが 高 い 点 にも 確 認 された つまりドイツの 教 育 が 低 学 力 の 再 生 産 を 大 規 模 に 引 き 起 こしてきたのは, ほぼ 間 違 いないのである しかしながら,ピサ ショックという 言 葉 の 本 当 の 意 味 は,それが 指 し 示 している 教 育 と 社 会 の 現 実 の 深 刻 さよりも,むしろ,その 言 葉 が 作 られ,メディアで 広 く 使 われたとい う 事 実 の 方 に 認 められよう 確 かにドイツの 学 校 教 育 は 機 能 不 全 を 起 こしている しかし, それは 以 前 からわかっていたことでもある ピサはそれを 数 字 で 表 すことに 成 功 したとは いえ, 特 に 新 しい 重 要 な 発 見 をしたわけでは ない 例 えば 1995 年 の TIMSS で 既 に,ドイ ツの 生 徒 の 学 力 は 国 際 平 均 かそれ 以 下 という 結 果 が 出 ていた そのほか, 個 人 的 な 話 にな るが,たとえば 筆 者 が 90 年 代 前 半 にドイツ の 研 究 者 を 訪 問 して 話 をしたときには,いつ も 決 まって ドイツの 教 育 の 一 体 どこに 日 本 が 参 考 にすべき 点 があるのか? と 不 思 議 が られたものである したがって,ピサによってドイツ 人 の 教 育 への 自 信 が 打 ち 砕 かれたというような 理 解 は 不 正 確 と 言 わなければならない 少 なくとも 多 く の ド イ ツ の 教 育 関 係 者 に と っ て,2000 年 の 結 果 は 予 想 されたものであり 1, 敢 えて ショック という 言 葉 を 使 うとすれば,そ れは 蓋 を 開 けてみたらショッキングな 結 果 だ ったというのではなく,なかなか 教 育 の 現 状 に 危 機 感 を 持 ってくれない 国 民 にショックを 与 え, 事 態 の 深 刻 さに 気 づかせるための 機 会 として,つまり 一 種 のショック 療 法 として, 意 図 的 にピサは 利 用 されたと 考 えるべきであ る さらには,このショック 療 法 そのものが, それによって 実 現 しようとする 教 育 政 策 の 一 部 であったと 言 っても 言 い 過 ぎではないだろ う 本 稿 は,これから, 過 去 10 年 ほどのあい だにドイツで 進 められてきた 教 育 改 革 論 議 と 政 策,そしてその 結 果 を 概 観 していくが, 以 上 の 認 識 は,そうした 政 策 に 注 目 する 際 に, 専 らそれらの 効 果 に 関 心 を 寄 せる 姿 勢 は 教 育 研 究 上 必 要 な 鋭 利 さに 欠 けることを 訴 えてい る そのような 無 批 判 な 視 線 は,ショックを 与 えて 人 々の 関 心 を 引 き, 自 らが 必 要 と 考 え る 教 育 政 策 を 遂 行 しようとした 教 育 関 係 者 の 戦 術 に 取 り 込 まれてしまっている 仮 に 彼 ら の 理 念 に 賛 成 する 場 合 にも, 少 なくともドイ ツを 客 観 的 に 見 ることができる 立 場 にある 私 たちがなすべきは, 彼 らの 政 策 の 全 体 像 を 理 解 することである こうした 問 題 意 識 に 基 づき, 以 下,ショッ クの 後 に 提 案 された 代 表 的 な 諸 施 策 とその 実 施 状 況 を 簡 単 に 紹 介 したのち,それらが 示 す 諸 問 題 について 検 討 していきたい Table 1 ピサ( 読 解 力 )におけるドイツの 成 績 PISA 2000 PISA 2003 PISA 2006 PISA 2009 フィンランド 546 フィンランド 543 韓 国 556 上 海 556 カナ ダ 534 韓 国 534 フィンランド 547 韓 国 539 ニュージーランド 529 カナ ダ 528 香 港 536 フィンランド 536 --- --- --- --- 日 本 522 日 本 498 日 本 498 日 本 520 OECD 平 均 500 OECD 平 均 494 ドイ ツ 495 ドイ ツ 497 ドイ ツ 484 ドイ ツ 491 OECD 平 均 492 OECD 平 均 493 1 ただしピサの 開 発 者 であり 総 括 責 任 者 でもあるドイツ 出 身 の 教 育 研 究 者 シュライヒャーが 後 に 複 数 のメディアに 対 して 語 っ ているのは 彼 自 身 は 第 1 回 ピサの 際 ドイツは 世 界 最 高 水 準 の 成 績 をおさめるものと 考 えていたということである(この 点 につ いては Kahl, R. (2003). Gedankenblitz im Fahrstuhl: Andreas Schleicher, Pisa-Erfinder, Welt Online や o. A. (2004). Miesmacher, Andreas Schleicher, Frankfurter Allgemeine Zeitung, 15. Sep. 2004, s.10.といった 新 聞 記 事 を 参 照 のこと) この 発 言 は 俄 かには 信 じがたいが 本 当 であ るとすれば その 予 想 の 背 景 には 彼 が 大 学 で 教 育 学 ではなく 物 理 学 と 数 学 を 専 攻 し その 延 長 線 上 で 教 育 評 価 に 関 心 を 持 つに 到 ったという 個 人 的 な 経 緯 を 指 摘 できるかもしれない - 2 -
Ⅱ. 教 育 改 革 のバリエーション ショック 療 法 が 実 際 にかなりの 効 き 目 を 持 ったことは 間 違 いない マスメディアは 大 い に 盛 り 上 がり,そうした 中 で 様 々な 教 育 改 革 案 が 提 起 された 中 でも 特 に 重 要 なものとし て, 以 下 の 4 点 を 指 摘 することができる 第 1 に 学 校 制 度 の 改 革 である ドイツ, 特 に 西 部 ドイツでは,4 年 制 の 小 学 校 修 了 時 点 で 子 どもたちの 能 力 を 見 極 め, 大 学 進 学 コー スと 中 級 技 術 者 コース,そして 労 働 者 養 成 コ ースという 3 種 類 の 学 校 に 振 り 分 けるという 原 則 とそれを 反 映 した 学 校 制 度 が 支 配 的 であ る それを 改 めて, 少 なくとも 前 期 中 等 教 育 までは 全 ての 生 徒 が 同 じ 教 育 課 程 を 学 ぶよう にするというのが, 改 革 案 の 基 本 的 な 考 え 方 である この 改 革 案 のもとには, 諸 外 国 に 比 べてド イツでは 生 徒 の 成 績 の 上 下 の 差 が 大 きいこと がピサで 明 らかになったという 事 情 がある いわゆる 伝 統 的 な 三 分 岐 型 の 学 校 制 度 は 2,か つての 階 級 社 会 の 名 残 とも,あるいはモノづ くりで 戦 後 の 経 済 成 長 を 達 成 した 歴 史 の 反 映 とも 言 えるが,このような 学 校 制 度 は, 第 二 次 産 業 が 外 国 に 移 転 しつつある 今 日,すでに 時 代 遅 れであり, 特 に 労 働 者 養 成 コースで 学 ぶ 底 辺 の 子 どもたちが 学 習 意 欲 を 持 つことを 難 しくしていると 考 えられた そして,その ことが 学 力 格 差 の 主 な 原 因 であるならば, 学 力 向 上 のためには,まずは 学 校 制 度 そのもの を 変 えるところから 始 めなければならないと いう 結 論 に 到 ることになる 第 2 の 改 革 案 は,いわゆる 学 校 の 終 日 化 で ある これはお 昼 をはさんで 午 後 も 授 業 を 行 うよう 改 めることを 意 味 するが, 反 対 に 言 え ば, 従 来,ドイツの 学 校 は, 基 本 的 に 朝 8 時 ごろ 始 まって 午 後 1 時 ごろに 終 わっていた これは 半 日 学 校 と 呼 ばれ,ドイツ 全 体 で 全 て の 学 校 について 見 れば,こうした 形 態 がいま も 数 多 く 存 在 している 半 日 学 校 を 終 日 化 することの 意 味 は 2 つあ 2 1960 年 代 後 半 より 中 等 教 育 段 階 に 総 合 制 学 校 (ゲザムト シューレ)が 導 入 されて 実 際 には( 特 殊 学 校 を 除 いて) 四 分 岐 型 になっていたが その 新 しい 学 校 の 普 及 は 州 により 程 度 の 差 が 大 きいことから 本 稿 は 西 ( 部 )ドイツの 学 校 制 度 全 体 を 簡 潔 に 表 現 する 際 慣 例 に 従 い 三 分 岐 型 と 呼 ぶことにする ると 考 えられる 第 1 は, 言 うまでもなく 授 業 時 数 を 増 やして 学 力 向 上 につなげようとい うことである とはいえ, 実 際 に 終 日 化 した 学 校 の 授 業 時 間 割 を 見 てみると, 終 日 化 によってドイツ 語 や 数 学 といった 主 要 教 科 の 時 間 が 増 えたと 単 純 には 言 えない ここには,そのような 教 科 を 重 点 的 に 教 えたくても, 教 えられる 教 員 の 手 当 てがままならないという 現 実 的 な 問 題 も ある しかし,より 興 味 深 いのは,そもそも 子 どもが 学 校 にいる 時 間 を 長 くするだけで 学 力 格 差 の 縮 小 につながると 考 えられているら しいということである つまり, 階 層 社 会 を 反 映 した 家 庭 環 境 が 子 どもの 成 績 に 影 響 を 与 えてしまうというところに 問 題 の 一 つの 原 因 が 見 られており,その 影 響 を 少 なくする 方 法 として, 学 校 に 滞 在 する 時 間 を 長 くする ことそのものに, 学 力 格 差 縮 小 への 効 果 が 期 待 されている 改 革 案 の 第 3 は 就 学 前 教 育 の 強 化 である これは 早 期 の 英 才 教 育 のことではない ここ で 強 化 の 主 要 な 対 象 になっているのは,ドイ ツ 語 を 母 語 としない,いわゆる 移 民 の 子 ども たちである 今 日,ドイツでは 同 一 年 齢 の 子 どもの 20% 以 上 が, 両 親 のどちらか 一 方 あるいは 両 方 が 移 民 や 外 国 人 という 状 況 であり, 学 校 によっ ては,そういう 国 際 児 童 生 徒 が 9 割 を 越 え る 例 も 珍 しくない そして 彼 らのうちのかな りの 部 分 が 小 学 校 入 学 時 点 でドイツ 語 能 力 の 不 足 のために 授 業 についていけない 状 況 であ り,その 遅 れを 学 校 で 回 復 するのは 困 難 なの が 現 実 と 言 わなければならない そこで, 小 学 校 に 入 学 するまでに 一 定 のドイツ 語 を 獲 得 させることで 入 学 後 の 学 習 に 備 えさせ, 彼 ら を 一 人 でも 多 くドロップアウトから 救 うこと が 目 指 されているのである そして 最 後 に 教 育 課 程 改 革 がある これに は 2 つの 側 面 が 認 められるが,まず 全 国 共 通 の 教 育 水 準 のスタンダード 作 りが 進 められた ことに 注 目 する 必 要 がある 連 邦 国 家 である ドイツでは,いわゆる 州 の 文 化 高 権 により, 教 育 内 容 は 各 州 が 管 轄 している 学 習 指 導 要 領 はそれぞれ 州 ごとに 異 なっており, 各 種 の 学 校 で 期 待 される 教 育 水 準 はもちろん, 学 校 - 3 -
制 度 自 体 も 微 妙 に 異 なっている こうした 在 り 方 は 地 方 分 権 の 観 点 からは 望 ましいようにも 見 えるが,ピサの 芳 しくない 結 果 を 前 にして,ドイツ 全 体 で 学 力 向 上 に 取 り 組 もうという 姿 勢 が, 特 に 革 新 系 の 教 育 関 係 者 や 政 治 家 のあいだから 高 まり, 保 守 派 も 呼 応 する 形 で, 主 要 教 科 について 全 国 共 通 の スタンダードが 作 られるに 到 った なお,このスタンダードは,あくまでも 各 州 が 独 自 に 教 育 政 策 を 進 める 際 の 参 考 にすべ きものであり, 全 国 統 一 の 教 育 課 程 を 意 味 す るものではない したがって 各 州 が 持 つ 文 化 高 権 が 放 棄 されたわけではなく, 大 きな 枠 組 みの 変 更 を 意 味 するものではないが,こうし た 努 力 が,ピサが 多 くの 州 にそれまでの 教 育 の 在 り 方 への 反 省 と 成 績 向 上 への 努 力 を 迫 っ たことを 示 しているのは 間 違 いない さらに 教 育 課 程 改 革 の 第 2 の 側 面 は,その スタンダードが 従 来 の 学 習 指 導 要 領 のように, 各 学 年 で 教 えるべき 内 容 を 定 めるのではなく, たとえば 10 歳 の 児 童 はドイツ 語 でこういう ことができなければならない というように, いわゆるコンピテンシーを 規 定 する 形 で 書 か れるように 改 められた 点 に 認 められる ここ には, 国 際 的 な 教 育 学 の 潮 流 に 対 応 しようと する 関 係 者 の 姿 勢 を 見 ることができる こう した 動 きは 2000 年 代 の 半 ばに 一 種 のブーム となり,ドイツ 語 や 数 学 や 自 然 科 学 のような 各 州 が 協 力 してスタンダードを 作 成 した 主 要 教 科 のほか, 歴 史 科 や 政 治 科 といった 教 科 に おいてまで,それぞれの 関 連 学 会 が 自 主 的 に スタンダードを 作 成 するに 到 った ここには, ピサ ショックが 世 間 の 関 心 を 集 めるなかで, いわゆる 低 学 力 問 題 と 関 連 性 の 薄 いと 考 えら れがちな 教 科 の 関 係 者 が 抱 いた 危 機 感 が 表 れ ていると 言 えよう Ⅲ. 改 革 の 総 決 算 こ れ ま で 紹 介 し て き た 改 革 の 他 に も, ピ サ シ ョ ッ ク は 様 々 な 対 応 を ド イ ツ 各 地 の 様 々な 人 々にもたらした それは, 教 室 内 の 規 律 を 維 持 する 方 法 についての 提 案 や, 管 理 職 を 中 心 とした 教 員 の 学 校 マネジメント 能 力 の 向 上 といった, 学 校 教 育 をより 良 く 機 能 す るものにしようとする 試 みから,いわゆる 公 立 学 校 離 れのような 既 存 のシステムからの 避 難 といった 現 象 にまで 及 んでいる また, 時 期 的 に 並 行 して 進 められた 高 等 教 育 のヨーロ ッパ 共 通 化 の 動 きと 連 動 する 教 員 養 成 改 革 な ども,この 文 脈 で 触 れられるべきかもしれな い 紙 幅 の 都 合 から, 本 稿 ではこれらの 論 点 す べてを 取 り 上 げることはできないが,いずれ にしても 重 要 なのは,こうした 個 々の 対 応 が, 必 ずしも 全 国 一 律 に 実 施 されたのではなく, 各 地 でそれぞれ 重 点 を 別 のところにおきつつ, 可 能 な 範 囲 で 実 行 されたということである 従 って, 個 々の 対 応 が 学 力 向 上 に 果 たした 役 割 を 議 論 することは 事 実 上 不 可 能 だと 言 わ なければならない さらに 根 本 的 には,この 10 年 のあいだに,ピサにおけるドイツの 生 徒 の 成 績 はどの 程 度 向 上 したと 言 えるのかも 問 題 である(Table 1 参 照 ) 2009 年 の 結 果 はドイツのマスメディアか ら 一 般 に ようやく 一 息 ついた という 評 価 を 受 けたが,2006 年 の 時 点 では,すでに 成 績 が 向 上 してきたとする 見 方 と,そのように 考 える 根 拠 はないとする 見 方 で, 専 門 家 のあい だでも 見 解 が 分 かれていた 3 このように, 仮 にこの 10 年 間 に 成 績 が 向 上 しているとして も,それはわずかであり,さらにユーロ 安 等 にともなう 失 業 率 の 低 下 のような 他 の 社 会 的 要 素 の 影 響 もあわせて 考 えると, 教 育 改 革 の 効 果 を 議 論 することはあまり 意 味 がないと 言 わなければならない 結 局 のところ, 個 々の 改 革 については,その 結 果 によってではなく, 意 図 に 関 して 評 価 するしかないのである そして 個 々の 政 策 の 意 図 については 政 党 間 で 評 価 が 分 かれる 場 合 があり,その 対 立 にこ そむしろピサの 存 在 理 由 を 見 ることができよ う 上 記 の 4 つの 改 革 案 のうち,まず 教 育 スタ ンダードについては, 既 述 のように 保 革 両 陣 営 のあいだにコンセンサスが 作 られたと 言 っ て 良 い 学 校 の 終 日 化 と 就 学 前 教 育 のドイツ 3 PISA 2006 の 結 果 が 明 らかになったとき ドイツのピサ 実 行 委 員 会 委 員 長 であったキール 大 学 のプレンツェル(Manfred Prenzel)はドイツの 成 績 向 上 を 評 価 したのに 対 し OECD のシ ュライヒャーは それまで 2 回 のピサとは 設 問 も 観 点 も 違 う 以 上 わずかなポイントの 上 昇 はドイツの 学 校 教 育 が 改 善 したことを 証 明 するものではないとの 立 場 を 示 した - 4 -
語 教 育 の 強 化 についても,その 重 要 性 の 認 知 度 そのものに 政 党 間 の 差 は 見 られない それに 対 して 学 校 制 度 改 革 については 大 き な 論 争 が 生 じた 21 世 紀 初 頭 のドイツで 学 校 体 系 を 変 えようと 主 張 した 人 々は,いわゆる 三 分 岐 型 の 中 等 教 育 を 一 本 化 することが 国 民 全 体 の 学 力 向 上 にとって 有 意 義 だと 考 えた その 根 拠 となったのは, 韓 国 やフィンランド のような 単 線 型 の 諸 国 の 方 がピサの 成 績 が 良 いというデータである しかし,この 点 については,たしかに 国 際 比 較 の 結 果 からは,そうした 主 張 も 可 能 だが, ピサと 同 じ 問 題 でより 大 規 模 にドイツ 国 内 で 行 なった 調 査,いわゆる PISA-E( 拡 大 ピサ 調 査 )では, 反 対 に Table 2 が 示 すように, 特 に 西 部 地 域 を 見 る 限 り,むしろ 古 い 学 校 制 度 を 厳 格 に 守 っている 州 の 方 が 成 績 が 良 いという 結 果 が 出 ている 実 際 には,こうした 国 ごとあるいは 州 ごと の 成 績 には,それぞれの 地 域 の 移 民 の 割 合 (や その 出 身 地 と 出 身 階 層 ),さらには 失 業 率 とい った 様 々な 社 会 的 経 済 的 要 因 が 関 係 してい ると 考 えられる 拡 大 ピサ 調 査 の 結 果 も, 必 ずしも 分 岐 型 の 学 校 制 度 の 方 が 優 れていると いう 解 釈 を 導 くものではない とはいえ, 少 なくともドイツの 学 校 を 単 線 型 にすれば 成 績 が 向 上 すると 考 える 根 拠 が 薄 弱 なのは 確 かで ある すなわち,すべての 子 どもが 同 じ 教 育 課 程 を 学 ぶべきであるという 教 育 理 念 上 の 価 値 を 訴 えることで 単 線 型 の 学 校 制 度 を 主 張 す ることは 妥 当 と 考 えられても, 学 力 向 上 策 と してそれを 唱 えるのは, 少 なくともドイツに おいては 無 理 なのである そもそも,こうした 学 校 制 度 をめぐる 対 立 は,かつて 60 年 代 から 70 年 代 にかけて, 革 新 系 の 教 育 関 係 者 がスウェーデンのような 北 欧 モデルにならって 単 線 型 の 学 校 制 度 を 導 入 しようと 試 み, 保 守 派 と 激 しく 衝 突 した 経 緯 を 想 起 させる すなわち 中 等 教 育 の 単 線 化 は, ドイツの 革 新 勢 力 にとって 一 つの 政 治 的 信 条 にかかわる 問 題 であり,それがピサ ショッ クの 中 で 再 び 活 性 化 されたと 見 ることができ るだろう この 点 では,ピサにつながる 動 き が, 社 会 民 主 党 のシュレーダー 政 権 を 擁 して いたドイツのケルンで 開 かれたサミットから 本 格 化 したことを 確 認 すべきである Table 2 PISA-E 2009 における 各 州 の 読 解 力 の 順 位 と 社 会 指 標 (Spiegel Online による) 順 位 州 生 徒 数 中 退 率 外 国 人 GDP 若 年 失 業 率 小 学 校 学 校 体 系 終 日 化 の 進 み 具 合 1 バイエルン 25.1 人 6.5% 8.9% 34,397 4.6% 4 年 制 3 分 岐 型 全 学 校 の 15% 2 ザクセン 22.4 人 11.8% 3.0% 22,228 12.5% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 80% 3 バーデン ヴュルテンベルク 25.0 人 5.6% 11.7% 31,982 4.6% 4 年 制 3 分 岐 型 小 学 校 12%, HS33%, RS18%, GY41% 4 ラインラント プファルツ 24.8 人 7.2% 9.0% 25,511 6.6% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 55% 5 ザクセン アンハルト 20.9 人 12.1% 3.0% 21,744 13.0% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 1/4 5 テューリンゲン 19.4 人 9.4% 2.7% 21,653 10.2% 4 年 制 2 分 岐 型 小 学 校 100% 7 メクレンブルク フォアポンメルン 20.4 人 17.9% 3.2% 21,264 12.0% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 30% 8 ザールラント 25.0 人 6.7% 9.6% 28,113 7.6% 4 年 制 3 分 岐 型 全 学 校 の 90% 8 ヘッセン 25.0 人 7.0% 12.7% 35,731 7.0% 4 年 制 3 分 岐 型 全 学 校 の 40% 10 ニーダーザクセン 24.5 人 7.4% 6.8% 25,877 7.6% 4 年 制 3 分 岐 型 全 学 校 の 1/3 10 ノルトライン ヴェストファーレン 26.4 人 6.8% 12.7% 29,159 8.5% 4 年 制 3 分 岐 型 全 生 徒 の 1/3 12 シュレスヴィヒ ホルシュタイン 23.6 人 8.4% 5.4% 25,935 8.4% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 1/4 13 ブランデンブルク 22.4 人 10.6% 2.9% 21,422 12.5% 6 年 制 2 分 岐 型 小 学 校 23%, 中 等 学 校 81%, GY25% 14 ハンブルク 25.4 人 8.9% 15.6% 48,229 8.1% 4 年 制 2 分 岐 型 全 学 校 の 50% 15 ベルリン 24.7 人 10.6% 17.2% 26,265 15.3% 6 年 制 2 分 岐 型 小 学 校 100%, 中 等 学 校 100%, GY10% 16 ブレーメン 23.6 人 8.2% 15.5% 40,529 10.7% 6 年 制 2 分 岐 型 小 学 校 44%, 中 等 教 育 67% 注 ) グレーの 部 分 は 旧 東 独 地 域 の 州 生 徒 数 は 前 期 中 等 教 育 の 1 クラスの 平 均 生 徒 数 を, 中 退 率 はいかなる 卒 業 証 も 取 得 せ ずに 義 務 教 育 を 離 れる 生 徒 の 割 合 を, 外 国 人 は 10-15 歳 年 齢 層 における 外 国 人 の 割 合 を,GDPは 1 人 あたりGDPを, 若 年 失 業 率 は 25 歳 以 下 の 失 業 率 を 表 す HSは 基 幹 学 校,RSは 実 科 学 校,GYはギムナジウムの 略 また 中 等 学 校 の 正 式 名 称 は 州 によ り 異 なる - 5 -
しかし, 今 回 も 社 会 民 主 党 の 意 図 は 貫 徹 さ れなかった 決 定 的 だったのは,ドイツ- 特 に 西 部 ドイツ-の 人 々の 過 半 数 が 単 線 型 の 学 校 制 度 を 望 んでいないという 事 実 である 伝 統 的 なエリート 養 成 コースであるギムナジウ ムは,すでに 全 国 平 均 で 同 一 年 齢 層 の 3~4 割 が 通 うまでに 大 衆 化 しているが,それでも, その 学 校 に 対 する 人 々の 信 頼 と 期 待 は 失 われ ていない 以 前 から, 特 に 労 働 者 養 成 コースの 学 校 ( 基 幹 学 校 )は, 高 い 中 途 退 学 率 に 象 徴 されるよう に, 学 校 として 十 分 な 機 能 を 果 たしていない ことが 指 摘 されており,そもそも 近 年 は 多 く の 州 で 生 徒 を 集 めることさえ 難 しくなりつつ あった これは 40 年 前 とは 異 なる, 中 等 教 育 の 単 線 化 を 目 指 す 人 々にとって 有 利 な 状 況 を 意 味 する しかし, 議 論 の 末 にいくつかの 州 が 出 した 結 論 は,3 分 岐 型 を 2 分 岐 型 に 改 めるという 方 針 だった 学 力 の 最 低 辺 層 だけ を 集 めると 授 業 は 成 立 しなくなりがちだが, 中 間 層 まで 一 緒 にすれば,なんとか 学 校 らし い 学 校 を 運 営 することができるというのであ る ここでは,ドイツ 統 一 時 にそれまでの 単 線 型 の 学 校 制 度 を 2 分 岐 型 に 改 めた 東 部 ドイ ツの 諸 州 がモデルを 提 供 してもいる 東 部 5 州 は, 統 一 から 10 年 の 時 点 で 行 なわれた 第 1 回 ピサでは,おそらくは 政 治 経 済 的 混 乱 など の 要 因 から 西 部 ドイツ 地 域 よりも 成 績 が 悪 か ったが,それ 以 後 の 10 年 の 間 に 学 力 を 回 復 してきている 西 部 の 州 の 一 部 で 3 分 岐 型 から 2 分 岐 型 へ と 転 換 されたことは,ピサの 一 つの 結 果 と 見 ることができる しかし,この 妥 協 は 分 岐 型 学 校 制 度 を 維 持 している 点 で, 単 線 化 を 目 指 した 人 々から 見 れば, 二 度 目 の 敗 北 を 意 味 す るのは 間 違 いないところである Ⅳ.おわりに おわりに:ピサ ショックが 意 味 するもの 以 上 は,40 年 前 と 比 較 して,ドイツの 学 校 を と り ま く 社 会 状 況 は 大 き く 変 わ っ て も, 人 々の 意 識 と, 教 育 をめぐる 政 治 対 立 の 構 造 はあまり 変 わっていないことを 示 唆 する 21 世 紀 に 入 り, 改 革 派 にとってのお 手 本 はスウ ェーデンからフィンランドへと 変 わったが, 北 欧 への 憧 れはいずれも 一 時 的 なブームで 終 わることになった しかし,ブームが 去 った 今 こそ,ショック 療 法 の 功 罪 を 検 討 すること が 可 能 であり,また 必 要 となる まず 功 の 面 に 注 目 すれば, 最 大 の 功 績 は, ピサ ショックとその 後 の 教 育 政 策 により, 社 会 的 弱 者 あるいは 低 学 力 層 の 教 育 に 対 する 社 会 全 体 の 意 識 が 高 まった 点 に 認 められる この 点 に 関 しては,ドイツはいわゆる 社 会 的 市 場 経 済 を 国 是 とする 福 祉 国 家 であること が 思 い 起 こされよう そこでは 国 家 に 対 し, 市 場 の 競 争 原 理 を 有 効 に 機 能 させるためのル ールを 形 成 維 持 する 役 割 と, 市 場 では 解 決 できない 福 祉 に 代 表 される 平 等 原 理 を 推 進 す る 役 割 の 両 方 を 果 たすことが 求 められ,いわ ゆる 市 場 原 理 主 義 とは 異 なる 経 済 社 会 運 営 が なされてきた このような 比 較 的 大 きな 政 府 を 持 つ 国 で, 社 会 的 弱 者 の 教 育 が,これまで あまり 省 みられてこなかったというのは 意 外 と 言 わなければならない その 原 因 は 必 ずしも 明 らかではないが,と りあえず 次 の 2 点 を 考 慮 する 必 要 があろう 第 1 は, 近 年 のドイツで 低 学 力 者 の 中 心 を なしているのが,いわゆるドイツ 人 ではない こと あるいは 少 なくともそのように 認 識 さ れてきたということである すなわち,1970 年 前 後 に 学 校 制 度 改 革 論 議 が 行 われていた 頃 には, 労 働 者 養 成 のための 学 校 に 学 んでいた 生 徒 の 多 くは,まだドイツ 人 であった ところが,その 改 革 論 議 が 終 息 するのに 並 行 して 大 学 への 進 学 の 道 が 拡 大 さ れ,それにともない 底 辺 校 に 通 うドイツ 人 が 減 少 する 一 方, 同 時 期 に 外 国 人 労 働 者 が 急 増 し,その 子 どもたちがドイツ 人 生 徒 が 明 け 渡 した 労 働 者 養 成 コースに 集 中 するようになっ た それに 加 えて, 外 国 人 労 働 者 はいずれ 帰 国 するものという 想 定 が,ドイツ 社 会 だけで なく 移 民 の 当 人 自 身 も,ドイツの 学 校 での 成 績 向 上 という 課 題 に 真 剣 に 向 き 合 うのを 遅 ら せる 結 果 をもたらしたと 考 えられる 4 4 近 年 の 調 査 では 移 民 の 親 は 子 どもの 学 業 に 対 して 必 ずし も 関 心 が 乏 しいわけではないことが 明 らかになっている しかし ドイツの 教 育 制 度 に 対 する 知 識 の 不 足 のために 職 業 教 育 を 軽 視 してギムナジウムで 大 学 入 学 資 格 をとることに 固 執 する 一 方 子 どもの 能 力 を 学 校 の 成 績 よりも 個 人 的 かつ 全 般 的 な 印 象 で 評 価 する 傾 向 が 強 く その 結 果 子 どもの 能 力 を 伸 ばすこ とに 失 敗 しがちであると 考 えられている (Menke, B. (2011). Einwanderer überschätzen die deutschen Schulen, Spiegel Online.) - 6 -
また 第 2 の 要 因 として, 正 にドイツが 福 祉 国 家 であるということも, 一 人 ひとりが 学 力 向 上 に 向 けて 努 力 するのを 阻 害 する 方 向 で 作 用 したであろう 加 えてドイツでは, 労 働 者 のあいだに, 自 分 が 労 働 者 であることを 誇 り に 思 う 文 化 も 根 強 く 見 られる 比 較 的 最 近 ま で, 社 会 で 役 に 立 たない 知 識 を 大 学 で 学 ぶよ りも 手 に 職 をつけた 方 が 稼 ぎが 良 いと 広 く 考 えられていたのであり,こうした 社 会 観 も, 学 力 向 上 という 課 題 を 相 対 的 に 軽 視 させる 一 因 となったと 考 えられる そしてこのことは 反 対 に,ショック 療 法 が 必 要 とされたのは,そういう 従 来 の 労 働 者 中 心 の 福 祉 国 家 が 国 内 産 業 の 空 洞 化 などのため に 立 ち 行 かなくなりつつあるという 新 しい 状 況 によるものであることを 示 唆 している こ の 点 では,イギリスのブレア 首 相 がかつて 1 に 教 育,2 に 教 育,3 に 教 育 と 語 ったのが 有 名 だが, 同 じころドイツのシュレーダー 首 相 も 失 業 者 に な り た く な け れ ば 大 学 に 行 け! と 言 って, 若 者 を 叱 咤 激 励 していた こうした 主 張 の 背 後 には Table 3 のような データもある この 表 によれば, 確 かに 学 歴 と 失 業 率 とのあいだにはかなりの 関 係 があり, 特 にドイツの 場 合 はそれが 顕 著 である ショ ック 療 法 は, 将 来 の 失 業 者 予 備 軍 の 中 から 少 しでも 自 力 救 済 できる 若 者 を 増 やすことを 意 図 していたと 考 えられる Table 3 ヨーロッパ 各 国 における 学 歴 別 の 失 業 率 25-64 歳 人 口 の 失 業 率 (%) 高 校 卒 業 程 度 中 学 校 卒 業 以 下 高 等 教 育 修 了 ドイツ 17.7 8.2 3.7 ポーランド 15.5 8.7 3.8 フランス 10.2 5.9 4.8 EU 平 均 9.3 6.0 3.6 フィンランド 8.9 6.1 3.6 スウェーデン 7.0 4.2 3.4 出 典 : Statistisches Bundesamt Deutschland (2008). Erwerbslosenquoten nach dem erreichten Bildungsniveau im Jahr 2007, Pressemitteilung. Nr.333 vom 05.09.2008 をもとに 作 成 さて,これまで 功 罪 の 功 の 面 に 着 目 してき たが, 罪 の 面 を 見 逃 すことは 許 されない む しろ, 両 者 は 表 裏 一 体 をなしている まず, 失 業 問 題 との 関 係 では, 仮 に 様 々な 対 策 の 結 果, 底 辺 層 を 中 心 とする 若 者 の 学 力 が 向 上 した 場 合,それは 本 当 に 期 待 されてい るほど 就 業 の 機 会 を 増 やすかという 問 題 があ る たしかに 学 歴 と 失 業 率 のあいだに 明 らか な 関 係 があり, 現 状 において 学 力 と 失 業 率 の あいだに 相 関 関 係 が 見 られるとしても, 失 業 率 を 決 めるのは 基 本 的 には 市 場 が 生 み 出 す 雇 用 の 数 であり, 底 辺 の 生 徒 の 学 力 の 底 上 げが 彼 らの 雇 用 をもたらす 保 証 は 存 在 しないので はないだろうか こうした 見 解 に 対 して,ピサの 総 括 責 任 者 であるシュライヒャーは,その 得 点 が 25 点 上 がれば,2030 年 には 約 1%,2050 年 には 約 3%,そして 2110 年 には 35% 前 後 ( 最 低 16%, 最 高 50% 以 上 ) 経 済 成 長 率 を 押 し 上 げ る 効 果 があるとの 試 算 を 発 表 し 5,いま 教 育 に 予 算 を 投 入 して 学 力 を 向 上 させることで 長 期 的 に 大 きなリターンを 得 るよう 提 言 する つ まり, 国 民 全 体 の 学 力 が 上 がれば 雇 用 も 創 出 されるという 考 え 方 である 同 様 の 主 張 は 民 間 の 研 究 機 関 によってもな されている Figure 1 によれば, 今 すぐに 学 校 改 革 を 行 なって 低 学 力 者 を 9 割 減 らさない と,20 年 後 には 690 億 ユーロつまり 約 7 兆 円 の 経 済 的 な 損 失 が 出 て,2090 年 にはそれは 約 300 兆 円 にも 上 るということになる ここ では, 提 言 は 警 告 ないし 脅 迫 に 変 わっている と 言 って 良 いだろう シュライヒャーは, 自 らの 予 測 について, それを 過 去 60 年 の OECD 諸 国 のデータから 導 いた 結 果 であると 述 べているが,その 結 果 から 各 国 に 対 して 政 策 提 言 を 行 なうことの 妥 当 性 については 検 討 を 要 する まず 世 界 全 体 に 対 する 分 析 結 果 が, 個 々の 諸 国 についてど の 程 度 に 妥 当 するかを 考 えなければならない 特 に 中 小 の 国 家 については, 遠 くない 未 来 に, 教 育 が 経 済 に 対 してなしうる 貢 献 を 吹 き 飛 ば してしまうような 大 きな 変 動 に 見 舞 われる 可 能 性 が 排 除 できない そもそも 60 年 という 期 間 は, 各 国 の 未 来 を 考 えるためのデータを 得 るにはあまりにも 短 かすぎはしないだろう か 5 Schleicher, A. (2010). The long-run economic impact of improvements of learning outcomes, 25. Jan. 2010. - 7 -
Figure 1 不 十 分 な 教 育 により 失 われる GDP 出 典 : Wößmann, L. & Piopiunik, M. (2009). Was unzureichende Bildung kostet - Eine Berechnung der Folgekosten durch entgangenes Wirtschaftswachstum, Bertelsmann Stiftung, s.10. こうした 疑 念 が 意 味 するのは, 教 育 研 究 者 は, 様 々なデータを 使 いながら 言 わば 費 用 対 効 果 の 予 測 を 嵩 上 げし, 一 種 の 無 駄 な 公 共 事 業 の 旗 振 り 役 をしてしまっているのかもしれ ないということである 教 育 に 携 わる 者 は, 多 くの 場 合, 学 校 教 育 は 極 めて 重 要 であると 考 える そして 自 らが 考 える より 良 い 教 育 を 実 現 するために 必 要 な 予 算 を 要 求 する ここには, 自 らの 存 在 理 由 を 確 認 したいという 欲 求 も 作 用 している だろう そして 万 一, 教 育 に 振 り 向 けられる パイが 小 さくなる 気 配 を 感 じれば,それまで の 予 算 を 確 保 するためにできる 限 りの 努 力 を しがちである こうした 国 内 政 治 的 な 一 面 を, ピサあるいはピサ ショックに 始 まる 低 学 力 論 争 に 見 ないわけにはいかない 仮 に 学 力 向 上 が, 教 育 学 が 決 して 譲 ることのできない 目 標 の 一 つであるとしても,その 目 標 追 求 の 過 程 で 要 求 される 職 業 倫 理 について, 私 たちは 繰 り 返 し 自 問 する 必 要 があろう 第 2 の 罪 も 深 刻 な 問 題 である それは 弱 者 を 救 おうとすると, 社 会 の 画 一 化 を 促 しがち であるということである たとえば 移 民 の 子 どもに 対 するドイツ 語 教 育 の 強 化 は, 移 民 の 地 位 向 上 という 目 的 によって 正 当 化 されるが, そこから,では 多 文 化 主 義 や 多 言 語 主 義 とい う 理 念 はどうなるのかという 別 の 問 題 が 生 じ る たとえば 2010 年 秋,メルケル 首 相 は 多 文 化 主 義 は 失 敗 だったことが 明 らかになった と 述 べて 物 議 をかもした ドイツ 語 の 重 要 性 を 主 張 することは, 現 実 には 移 民 の 母 語 の 学 習 を 軽 視 することにつながりがちである そのほか, 既 述 のようななるべく 生 徒 を 家 庭 に 返 さず, 学 校 にいる 時 間 を 長 くするとい った 考 え 方 も, 原 理 的 には 多 様 性 を 減 らそう とする 発 想 の 延 長 線 上 にあると 考 えられる 経 済 社 会 が 多 文 化 主 義 的 に 構 成 されていな い 以 上, 国 家 が 弱 者 の 経 済 的 な 救 済 に 乗 り 出 せば,それだけ 文 化 的 多 様 性 は 失 われる こ の 経 済 と 文 化 のトレードオフが 解 消 されない 現 状 において,ピサは, 経 済 が 好 調 なときだ けの 多 文 化 主 義 という 実 態 を 明 るみに 出 した と 言 って 良 いだろう 最 後 に, 以 上 の 論 点 を 踏 まえてピサが 持 つ - 8 -
意 味 を 改 めて 検 討 するとき,やはりそれが 文 字 通 りショック 療 法 として 機 能 したことを 確 認 せざるを 得 ない ドイツにおいてピサは 決 して 毒 にも 薬 にもならない 政 策 ではなかった 現 実 に,この 間, 教 育 関 連 予 算 はかなりの 増 加 傾 向 を 示 している 6 しかし,これは 納 税 者 が 教 育 研 究 者 の 言 い 分 を 素 直 に 了 解 したことを 意 味 しないだろう メディアリテラシーの 発 達 した 市 民 は, 事 業 予 測 における 費 用 対 効 果 が 嵩 上 げされている 可 能 性 を 見 抜 いている ピサの 開 発 者 は,す でに 人 々の 目 に, 新 手 の 投 資 コンサルタント として 映 っているかもしれない このような 形 でしか, 今 日, 教 育 研 究 は 社 会 に 関 与 できないのだろうか シュライヒャーは, 学 力 と 経 済 成 長 との 関 係 についての 自 らの 予 測 を 発 表 した 最 後 に, データがないなら,あなたは 他 の 単 に 意 見 を 持 っているだけの 人 と 同 じであることを 忘 れるな 7 と 述 べているが,ここに 潜 むトリッ クを 見 破 り,その 上 でそれぞれの 形 で 反 省 的 に 研 究 を 進 めていくことが, 教 育 学 には 求 め られているだろう ドイツのピサ ショックは, 日 本 における 教 育 研 究 のあり 方 にも 大 きな 問 いを 投 げかけ ているのである < 引 用 文 献 > Kahl, R. (2003). Gedankenblitz im Fahrstuhl: Andreas Schleicher, Pisa-Erfinder, Welt Online, (http://www.welt.de/print-welt/article668 292/Gedankenblitz_im_Fahrstuhl_Andre as_schleicher_pisa_erfinder.html, Retrieved on February 10, 2011.) Menke, B. (2011). Einwanderer überschätzen die deutschen Schulen, Spiegel Online. (http://www.spiegel.de/schulspiegel/wiss en/0, 1518,736392,00.html. Retrieved on February 10, 2011.) o. A. (2004). Miesmacher, Andreas Schleicher, Frankfurter Allgemeine Zeitung, Sep. 15. 2004, s.10. Schleicher, A. (2010). The long-run economic impact of improvements of learning outcomes, (http://www.oecd.org/document/58/0,3746,en_32252351_32236191_44417722_1_1_ 1_1,00.html. Pdf file retrieved on February 10, 2011.) Statistisches Bundesamt Deutschland (2008). Erwerbslosenquoten nach dem erreichten Bildungsniveau im Jahr 2007, Pressemitteilung, Nr.333 vom 05.09.2008. Statistisches Bundesamt Deutschland (2008). Öffentliche Bildungsangaben im Jahr 2008 bei 92,6 Mrd. Euro, Pressemitteilung, Nr.458 vom 02.12.2008. Wößmann, L. & Piopiunik, M. (2009). Was unzureichende Bildung kostet - Eine Berechnung der Folgekosten durch entgangenes Wirtschaftswachstum, Bertelsmann Stiftung, s.10. 6 ドイツの 連 邦 州 地 方 公 共 団 体 による 教 育 予 算 の 総 額 は 第 1 回 ピサの 前 の 1995 年 には 759 億 ユーロだったが 2005 年 には 867 億 ユーロに また 2007 年 には 926 億 ユーロへと 増 大 した これは 12 年 のあいだに 2 割 以 上 増 加 したことを 意 味 す る (Statistisches Bundesamt Deutschland (2008). Öffentliche Bildungsangaben im Jahr 2008 bei 92,6 Mrd. Euro, Pressemitteilung. Nr.458 vom 02.12.2008.) 7 Schleicher, a.a.o. - 9 -