マユズミ 黛 アキツ 略 歴 秋 津 2004 年 9 月 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 地 域 文 化 研 究 専 攻 博 士 課 程 単 位 取 得 満 期 退 学 2007 年 4 月 2009 年 3 月 東 京 外 国 語 大 学 アジア アフリカ 言 語 文 化 研 究 所 共 同 研 究 員 2009 年 4 月 2010 年 3 月 北 海 道 大 学 スラブ 研 究 センタープロジェ クト 研 究 員 2010 年 4 月 2012 年 3 月 広 島 修 道 大 学 経 済 科 学 部 准 教 授 2012 年 4 月 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 准 教 授 ( 現 在 に 至 る) バルカンにおける 食 文 化 と 帝 国 的 秩 序 オスマン 帝 国 の 支 配 とトルコ 料 理 の 分 布 との 相 関 関 係 Food Culture of the Balkans and Imperial Order: Correlation between the Ottoman Rule and the Spread of Turkish Cuisine The aim of this study is to discuss historical empires through the spread of culinary culture, which has not yet been considered as a tool of analysis. This study focused on the Balkans, one of the main parts of the Ottoman Empire, and gave consideration to centre-periphery relations and the central rule over the provinces of the Empire through the spread of Turkish cuisine in the Balkans. Turkish cuisine is mixture of nomadic, Islamic and Mediterranean culinary traditions. It was formed in the Ottoman Empire and spread over the provinces. To this day, one can see its strong influence in Balkan cuisine. Field research in Romania, Bulgaria, Serbia and Macedonia in 2009 and 2010 examined dishes names, ingredients and categories in cookery books etc. Among many kinds of dishes in these countries, the following four typical Turkish dishes were chosen as a sample: işkembe çorbası, köfte, şiş kebabı and baklava. Our research made clear that there is a difference between Turkish cuisine in Turkey and that in these Balkan countries, particularly in the ingredients and categorization. There is also a difference between Romania and the other Balkan countries in the dishes names. 119
はじめに 冷 戦 終 焉 後 の 地 域 紛 争 の 激 化 やアメリカ 世 界 帝 国 論 の 興 隆 などにより 1990 年 代 から 帝 国 についての 議 論 が 盛 んになされるようになったことは 周 知 の 通 りである 帝 国 とは 近 代 国 民 国 家 と 異 なり 一 定 以 上 の 領 域 に 居 住 する 多 様 な 人 々を 多 様 な 支 配 によって 緩 やかに 統 合 する 政 治 体 であ る そうした 支 配 の 在 り 方 は 帝 国 崩 壊 後 に 成 立 した 各 国 民 国 家 の 性 格 とその 後 の 歴 史 の 歩 みに 大 きな 影 響 を 与 え 特 に 冷 戦 構 造 の 崩 壊 と 共 にカフカースやバルカンなどの 地 域 紛 争 が 激 化 したことか ら 過 去 の 帝 国 支 配 の 在 り 方 は 多 くの 人 々の 関 心 を 引 き 付 けることとなった こうした 帝 国 の 支 配 構 造 については これまで 様 々な 研 究 者 が 様 々なアプローチから 学 際 的 に 研 究 を 進 め 現 在 までに 多 くの 成 果 が 公 にされている それらの 中 には 政 治 経 済 のみならず 帝 国 内 の 社 会 文 化 に 着 目 した ものも 存 在 するが そうした 中 で 食 文 化 に 注 目 して 帝 国 を 論 じた 研 究 はほとんど 知 られていない 一 般 に 国 家 は 周 辺 地 域 の 富 を 中 央 に 集 め それを 周 辺 に 再 分 配 する 機 能 を 持 つ それは 帝 国 も 同 様 であるが 特 に 帝 国 の 場 合 中 央 政 府 による 支 配 の 度 合 いは 地 域 ごとに 異 なるため その 中 央 = 周 辺 関 係 は 多 様 である この 帝 国 内 の 中 央 = 周 辺 関 係 は ある 地 域 と 帝 都 との 間 の 様 々な 物 の 往 復 運 動 により 規 定 される それらの 中 には 人 物 資 金 など 目 に 見 えるものもあれば 法 思 想 流 行 といった 目 に 見 えないものもある そうした 様 々な 要 素 の 中 央 = 周 辺 間 の 往 復 運 動 を 見 る 際 料 理 というものはかなり 有 効 な 手 掛 かりになるのではないかと 考 えられる 何 故 なら 料 理 とは 一 方 では 現 地 の 食 材 の 制 約 を 受 けるため 食 糧 の 流 通 など 経 済 面 での 中 央 = 周 辺 関 係 を 知 る 手 掛 かり となるからであり また 他 方 料 理 は 一 連 の 調 理 法 の 体 系 でもあり それらは 人 々が 有 する 技 術 とし ての 文 化 であるため 料 理 には 帝 国 中 央 からの 人 思 想 情 報 などの 流 れが 関 わるからである 筆 者 が 寄 せている 問 題 関 心 と 展 望 は 以 上 であるが 上 述 の 通 り 帝 国 論 の 中 でのこうした 研 究 は 筆 者 の 知 る 限 りほとんど 存 在 しないため 今 後 試 行 錯 誤 しながらその 方 法 論 を 見 つけ 出 さなくて はならない 本 研 究 課 題 はそのための 最 初 の 試 みとして 筆 者 の 専 門 とするバルカンという 地 域 に 注 目 したものである バルカンは20 世 紀 初 頭 には ヨーロッパの 火 薬 庫 と 呼 ばれ 1990 年 代 にも 深 刻 な 民 族 紛 争 が 生 じたが この 地 域 の 歴 史 には 約 500 年 に 亘 るオスマン 帝 国 支 配 の 歴 史 が 大 きな 影 響 を 与 えている オスマン 帝 国 によるバルカン 支 配 とその 影 響 については 多 くの 先 行 研 究 が 存 在 するが 今 回 はトルコ 料 理 を 切 り 口 としてこの 問 題 を 考 えたい これまでの 研 究 史 について 触 れておくと オスマン 帝 国 における 食 文 化 研 究 はそれなりの 蓄 積 が あると 言 えるが そのほとんどは 帝 都 イスタンブル とりわけ 宮 廷 内 の 食 に 関 するものであり 帝 国 の 中 心 以 外 の 地 域 における 食 に 関 する 研 究 はほとんど 見 られない この 主 な 要 因 は オスマン 帝 国 においてはいわゆる 地 方 史 が 記 述 されることがほとんどなく 帝 国 内 各 地 方 の 人 々の 暮 らしを 知 る 一 次 史 料 が 少 ないことにある トルコにおいてもバルカン 諸 国 においても 食 文 化 から 帝 国 支 配 を 考 察 する 研 究 が 今 まで 現 れていないのは 主 にこうした 史 料 的 制 約 のためと 思 われる 本 研 究 はこう した 制 約 を 踏 まえつつ オスマン 帝 国 を 食 の 観 点 から 本 格 的 に 論 じるための 予 備 的 な 考 察 という 位 置 付 けである 120
1.オスマン 帝 国 の 興 隆 とトルコ 料 理 の 成 立 最 初 に トル コ 料 理 とは 何 か? とい う 定 義 の 問 題 で あ る が トル コ 料 理 を 最 も 簡 単 に 定 義 する ならば 現 在 のトルコ 共 和 国 で 一 般 に 食 されている 料 理 のことである しかしその 成 立 の 背 景 を 考 慮 した 場 合 トルコ 料 理 は 長 い 時 間 をかけて 歴 史 的 に 形 成 されたものであり 特 に600 年 以 上 存 続 した 巨 大 なイスラーム 帝 国 としてのオスマン 帝 国 の 下 で 基 礎 が 固 まり 19 世 紀 以 降 の 西 洋 料 理 の 影 響 を 多 少 受 けつつ 成 立 した 料 理 と 定 義 できる 従 って 現 在 のトルコ 共 和 国 以 外 の 領 域 であって も かつてオスマン 帝 国 の 支 配 を 受 けた 地 域 には トルコ 料 理 がかなりの 程 度 存 在 することになり 本 稿 では トルコ 料 理 を この 歴 史 的 背 景 を 踏 まえた 後 者 の 意 味 で 用 いることにする オスマン 帝 国 は 13 世 紀 にイスラーム 戦 士 集 団 としてアナトリアにいたトルコ 系 遊 牧 部 族 のうち オスマンという 人 物 に 率 いられた 集 団 から 興 隆 した 当 初 はアナトリア 北 西 部 のわずかな 領 域 を 支 配 するのみであったが 次 第 に 支 配 領 域 を 拡 大 し 14 世 紀 半 ばになるとヨーロッパ 側 のバルカンへ 進 出 して 同 地 にあった 諸 国 を 次 々と 征 服 した さらに15 世 紀 半 ばにはビザンツ 帝 国 の 帝 都 コンスタンティ ノープルを 征 服 し 16 世 紀 初 頭 にはシリア アラビア 半 島 エジプトなど アラブ 地 域 の 多 くをも 領 有 し 三 大 陸 にまたがる 広 大 な 帝 国 を 築 いた このようなオスマン 帝 国 の 成 立 と 拡 大 の 過 程 は 帝 国 の 中 での 料 理 の 成 立 に 大 きな 影 響 を 与 えた 上 の 拡 大 過 程 で 明 らかなように オスマン 帝 国 の 支 配 層 は 当 初 トルコ 系 遊 牧 部 族 であり 遊 牧 民 の 食 がトルコ 料 理 の 基 本 であると 言 える 今 日 でも 羊 を 余 すところなく 利 用 する 数 々の 料 理 や チーズ やヨーグルトなどの 乳 製 品 の 多 用 などの 特 徴 が 見 られる そのうえで 彼 らはイスラーム 化 して 故 郷 の 中 央 アジアから 戦 士 としてイスラーム 世 界 に 流 入 定 着 したため その 過 程 で 当 時 イスラーム 世 界 の 中 核 であったアラブ イラン 世 界 の 食 文 化 とイスラーム 的 食 習 慣 の 影 響 を 強 く 受 けることになった 例 えば 右 手 を 用 いる 習 慣 や 豚 肉 の 禁 忌 イスラーム 暦 による 特 定 の 年 中 行 事 に 食 される 様 々な 菓 子 や 料 理 などである 言 葉 の 面 でも 代 表 的 なトルコ 料 理 の 一 つである 肉 料 理 のケバブ(kebap)が アラビア 語 のカバーブ(kabâb)に 由 来 することを 見 れば その 影 響 の 強 さが 窺 えるだろう その 後 の オスマン 帝 国 の 領 土 拡 大 によるアラブ 地 域 の 支 配 は オスマン 帝 国 にその 影 響 を 定 着 させることと なった その 他 にトルコ 料 理 成 立 に 大 きな 影 響 を 与 えたのは 旧 ビザンツ 帝 国 領 をその 支 配 下 に 治 めたことによる いわゆる 地 中 海 料 理 との 出 会 いであった オリーブ 油 の 使 用 や ズッキーニ セロ リ レモン イチジクなどの 野 菜 や 果 物 いわしなどの 魚 といった 地 中 海 周 辺 地 域 に 特 有 の 食 材 の 受 容 である こうして1453 年 以 降 コンスタンティノープルの 新 たな 主 となったオスマン 支 配 層 の 遊 牧 民 的 イス ラーム 的 な 食 の 慣 習 は ビザンツ 地 中 海 的 な 食 の 要 素 と 交 わり 徐 々に 社 会 に 新 しい 食 文 化 が 浸 透 することになったのである 三 大 陸 にまたがる 各 地 域 から 様 々な 食 材 時 にはその 地 方 の 郷 土 料 理 などが 帝 都 にもたらされ 帝 国 中 央 で 新 たな 融 合 洗 練 が 見 られた 後 料 理 は 帝 国 中 心 の 文 化 と して 各 地 方 に 伝 わっていった そして17 世 紀 頃 からはジャガイモや 茄 子 トマトといった 新 大 陸 の 食 材 19 世 紀 半 ば 頃 からは 西 洋 料 理 の 影 響 などをも 取 り 込 みつつ 今 日 我 々が 目 にするトルコ 料 理 が 成 立 したのである 例 えば 現 在 のトルコの 一 般 的 な 朝 食 メニューは チーズ ハムやサラミ( 牛 肉 や 七 面 鳥 など 豚 肉 以 外 ) オリーブ トマト キュウリ バター はちみつ ジャム 紅 茶 などである 我 々はこれら 121
の 中 に 遊 牧 民 イスラーム 地 中 海 新 大 陸 の 要 素 を 見 ることが 出 来 よう このようにトルコ 料 理 は オスマン 帝 国 という600 年 余 り 存 続 した 巨 大 帝 国 の 下 で 様 々な 要 素 が 融 合 して 歴 史 的 に 成 立 した 料 理 なのである 2.オスマン 帝 国 の 中 のバルカンの 位 置 と 役 割 次 にオスマン 帝 国 のバルカン 支 配 について 触 れておこう バルカンという 地 域 は オスマン 帝 国 の 中 では 総 じて 中 核 地 域 と 位 置 付 けられる すなわちオスマン 帝 国 のいわゆる 古 典 期 を 支 えた 軍 事 土 地 制 度 であるティマール 制 が 多 くの 地 域 で 施 行 され イスタンブルとヨーロッパとの 間 の 主 要 交 通 路 が 通 り 多 くの 物 人 金 情 報 が 往 来 する 場 所 であった そして 何 よりも 帝 国 にとってのバルカンの 重 要 性 は 帝 都 イスタンブルへの 食 糧 必 需 品 の 供 給 地 としてであった 16 世 紀 半 ばに 人 口 が 約 40 万 とも5 0 万 とも 言 われるイスタンブルへ 安 定 的 に 食 糧 や 必 需 品 を 供 給 することは 帝 国 政 府 の 最 重 要 課 題 の 一 つであり バルカンは 羊 肉 小 麦 塩 など 多 くの 必 需 品 の 供 給 地 として 重 要 な 役 割 を 担 っ た それ 故 オスマン 政 府 のバルカン 支 配 の 問 題 は 帝 国 の 根 幹 にかかわる 重 要 な 問 題 であったので ある このように 重 要 な 中 核 地 域 としてのバルカンに 対 し オスマン 政 府 は 一 律 に 強 力 な 直 接 統 治 を 導 入 したわけではなく その 支 配 の 在 り 方 は 地 域 によって 差 異 があったことに 注 意 しなくてはならな い 上 述 の 通 り ティマール 制 が 施 行 されたのはバルカン 全 域 ではなく 険 しい 山 岳 地 帯 であるモ ンテネグロ イスタンブルから 見 てドナウの 向 こう 側 に 位 置 し 現 在 のルーマニアを 構 成 するワラキ ア モルドヴァ トランシルヴァニアの 三 国 そしてヴェネツィアとイスタンブルの 中 間 に 位 置 し 東 地 中 海 貿 易 の 中 継 点 として 繁 栄 したラグーザ(ドゥブロヴニク)などには 導 入 されなかった これらの 地 域 は 食 糧 供 給 や 貢 納 の 義 務 などと 引 き 換 えに 現 地 の 統 治 機 構 が 存 続 し 一 定 の 自 立 が 認 められ るなど 間 接 統 治 が 行 われたのである さらにこれらの 間 接 統 治 地 域 の 間 でも 中 央 政 府 との 関 係 は 一 律 ではなく 比 較 的 中 央 の 統 制 の 緩 やかなラグーザから 厳 しいワラキア モルドヴァまで 多 様 で あった このようにオスマン 帝 国 は バルカンをその 地 域 それぞれの 事 情 にあわせて 柔 軟 に 支 配 しており 少 なくとも16 世 紀 までは こうした 柔 軟 性 を 持 ちつつも イスタンブルの 皇 帝 を 中 心 に 各 地 に 専 制 的 な 支 配 を 敷 いたのであった 3. 調 査 の 方 法 と 結 果 このようなオスマン 帝 国 による 多 様 な 支 配 を 受 けたバルカンでは 総 じてその 食 生 活 の 中 に 今 日 で も 各 地 でトルコ 料 理 の 強 い 影 響 が 見 られることが 知 られている 現 在 見 られるその 広 がりと 定 着 は どのようなものか またその 広 がりと 定 着 は 歴 史 的 にどのような 過 程 をたどったのか そしてそれら はオスマン 帝 国 支 配 の 何 と 関 連 しているのか 中 央 からの 地 理 的 な 距 離 なのか 中 央 による 支 配 統 制 の 強 弱 なのか あるいは 中 央 = 地 方 間 の 物 資 の 流 通 量 や 人 の 往 来 の 頻 度 によるものなのか いず れにしてもこうした 問 題 を 検 討 することにより 帝 国 というものの 本 質 の 一 端 が 明 らかになるのでは ないかと 考 える 122
今 回 の 調 査 では この 問 題 を 考 察 する 出 発 点 として 現 在 のバルカンにおけるトルコ 料 理 の 広 がり について 現 地 調 査 を 行 った 2 度 の 調 査 で 訪 れたのは トルコ ルーマニア ブルガリア セルビア マケドニアの5 カ 国 であり 訪 問 地 はほとんどが 首 都 に 限 られたが そこで 市 場 やスーパーマーケッ トでの 食 材 の 調 査 食 堂 や 伝 統 料 理 レストランでのメニュー 調 査 そして 料 理 食 文 化 関 連 文 献 の 調 査 と 収 集 を 行 った 特 に 今 回 は 典 型 的 なトルコ 料 理 のうち スープ 類 からは 胃 袋 スープであるイ シュケンベ チョルバス(işkembe çorbası 写 真 1) 肉 料 理 からは 羊 肉 の 小 型 ハンバーグあるいは つくねとも 言 うべきキョフテ( köfte 写 真 2)と 串 焼 き の シ シ ケバ ブ( şiş kebabı 写 真 3) そして デ ザ ートからは シロップ が けの 焼 き 菓 子 バクラヴァ( baklava 写 真 4)を 主 な 調 査 対 象 とし それぞ れの 名 称 素 材 ジャンルの 分 類 と 定 義 などについて 調 査 した 写 真 1 イシュケンベ チョルバス 写 真 2 キョフテ 写 真 3 シシ ケバブ 写 真 4 バクラヴァ (1) 名 称 について 表 1が 各 国 での 調 査 対 象 の 料 理 名 称 を 比 較 したものである ここから 明 らかなように ほとんど の 地 域 でトルコ 語 の 借 用 語 が 用 いられているが ルーマニアだけ 他 の 系 統 の 単 語 が 多 用 されている 例 えば 串 焼 肉 では トルコ 語 で 串 を 意 味 するşişの 代 わりに ラテン 語 起 源 の 串 (frigare) から 派 生 したfrigăruieが 同 じく 胃 袋 スープにはişkembeで は な く 腹 腔 胃 を 意 味 す る ラ テ ン 語 起 源 の burtăが 使 用 されるなど ラテン 語 起 源 の 言 葉 が 使 われている ルーマニアにおいてはこれ 以 外 にも 例 えば バルカン 諸 国 の 多 くで トルコ 語 のturşuの 借 用 語 が 用 いられている 酢 漬 けにも muratură というおそらくラテン 語 起 源 の 語 が 用 いられるなど 他 の 料 理 名 称 に 関 しても 同 様 の 多 くの 例 が 見 ら れる 123
表 1 (2) 素 材 分 類 と 定 義 について 調 査 を 行 った 地 域 のほとんどの 住 民 はキリスト 教 徒 であるため 肉 料 理 に 関 してはトルコとは 異 な り 豚 肉 の 使 用 が 見 られた イシュケンベ チョルバスについては トルコでは 牛 や 羊 の 胃 袋 が 使 わ れるのに 対 し 調 査 を 行 ったバルカン 各 国 では 羊 はほとんど 見 られず 牛 の 他 に 豚 の 胃 袋 なども 使 用 される またキョフテやシシ ケバブについても 調 査 地 では トルコで 使 われる 羊 肉 や 牛 肉 (シ シ ケバブについては 鶏 肉 も)の 他 豚 肉 も 使 用 されている キョフテとシシ ケバブに 関 しては 一 般 に 牛 肉 と 豚 肉 の 使 用 が 多 い ルーマニアのミティテイ(mititei)あるいはミチ(mici)については む しろ 豚 肉 の 使 用 が 一 般 的 である バクラヴァに 関 しては トルコでは 一 般 的 なピスタチオ(fıstık)の 使 用 が 見 られず くるみが 一 般 的 である このように 名 称 や 料 理 法 は 共 通 であっても 使 用 され る 材 料 に 違 いが 見 られる 次 に 料 理 の 分 類 と 定 義 の 問 題 であるが まずトルコにおけるキョフテは 形 状 を 問 わず 小 判 型 細 長 型 ともに 指 し 示 すが 調 査 を 行 ったバルカン 諸 国 では トルコ 語 の キョフテ を 起 源 とする 語 は 小 判 型 のものに 限 定 され 細 長 型 のものにはケバブ あるいはケバプチェ(ケバブの 指 小 辞 )の 語 が 用 いられている ややこしいのは トルコにおいてキョフテは 串 に 刺 して 焼 かれる 一 部 を 除 き 網 焼 き を 意 味 するウズ ガ ラ( ızgara)というジャンルに 入 れられ ケバブとは 一 般 に 見 なされない トル コにおける 伝 統 的 なケバブとは 串 焼 きの 他 水 を 加 えることなく 調 理 した 肉 料 理 全 般 を 指 し シ シ ケバブのような 我 々の 思 い 浮 かべる 典 型 的 な 串 焼 タイプ 以 外 にも オーヴンでの 蒸 し 焼 き ある いは 水 をほとんど 加 えず 野 菜 などと 一 緒 に 煮 込 むタイプの 肉 料 理 もケバブに 含 まれるのである しか し 調 査 を 行 ったバルカン 各 国 においては ケバブがそのような 広 い 意 味 にも 用 いられるのだが 単 独 で ケバブ といえば 主 に 細 長 型 のキョフテを 意 味 する このように ケバブ の 示 す 内 容 について トルコとバルカン 諸 国 とではややずれが 存 在 する またこれに 関 しても ルーマニアでは ケバブ の 語 は 辞 書 には 見 られるものの 一 般 的 な 料 理 書 やメニューにおいてその 名 が 付 く 料 理 名 は 見 られな い このように 調 査 を 行 ったバルカン 諸 国 におけるトルコ 料 理 は 地 域 的 な 食 材 の 状 況 や 食 に 関 す る 宗 教 上 の 禁 忌 の 問 題 などから 使 用 される 素 材 についてトルコとは 相 違 が 見 られるなど 調 理 法 や 調 理 体 系 として 広 く 定 着 していると 言 える しかし 料 理 名 の 調 査 から バルカンとトルコで 料 理 の 分 類 や 料 理 名 の 示 す 内 容 にずれが 見 られた こうした ずれ の 存 在 については オスマン 帝 国 内 での 料 理 の 広 がりと 定 着 の 歴 史 的 変 遷 をたどる 必 要 があり 今 後 は 文 献 による 調 査 が 必 要 となるだ 124
ろう 今 回 の 調 査 で 際 立 ったのがルーマニアの 特 殊 性 である トルコ 料 理 は 多 く 見 られるものの 料 理 名 についてはドナウ 以 南 の 地 域 ほどトルコ 語 起 源 の 言 葉 が 使 用 されていない これは 元 々 料 理 を 受 け 入 れても 名 前 は 受 け 入 れなかったためか あるいはトルコ 語 の 料 理 名 が 定 着 した 後 近 代 になって 別 の 名 前 に 置 き 換 えられたのかは さらに 詳 しい 調 査 を 行 う 必 要 がある いずれにしてもオスマン 帝 国 の 支 配 が 間 接 的 なものにとどまり ドナウ 以 南 のオスマン 臣 民 の 立 ち 入 りが 政 府 の 許 可 を 受 け た 者 のみに 限 定 されていたというオスマン 中 央 政 府 の 支 配 のあり 方 が こうした 結 果 に 影 響 を 与 えた 可 能 性 が 考 えられる 4. 研 究 史 料 としての 旅 行 記 の 可 能 性 今 回 日 本 においても 調 査 地 においても 本 課 題 に 関 する 一 定 量 の 文 献 を 収 集 した それらのう ち オスマン 帝 国 での 料 理 の 成 立 や 広 がりをたどる 手 掛 かりとなる 一 次 史 料 の 本 格 的 な 分 析 は 今 後 の 課 題 として 残 されたが 今 回 収 集 した 文 献 を 調 べる 中 で バルカンを 通 過 した 人 物 による 旅 行 記 が 重 要 な 手 掛 かりとなり 得 ることが 明 らかとなった こうした 旅 行 記 のうち バルカン 諸 国 では 自 国 の 範 囲 のみの 抜 粋 であることが 多 いが 主 に 西 欧 人 により 書 かれた 旅 行 記 が 自 国 語 に 翻 訳 され 出 版 されている またオスマン 帝 国 の 旅 行 家 として 知 られているエヴリヤ チェレビー(Evliya Çelebi 1611 1682または83)の 残 した10 巻 にも 及 ぶ 旅 行 記 (Seyahatnâme)には オスマン 帝 国 内 外 の 料 理 や 食 材 についてのかなりの 情 報 が 含 まれており バルカンに 関 しても 例 外 ではない 近 年 この 旅 行 記 に 記 述 されている 食 に 関 する 情 報 を 集 め 分 析 した 研 究 なども 現 れており 史 料 としていわゆる 地 方 史 というものがほとんど 存 在 しないオスマン 帝 国 の 一 地 方 を 扱 うためには こうした 旅 行 記 の 分 析 が 有 効 であるといえよう おわりに 課 題 と 展 望 以 上 のように 本 課 題 は 料 理 というものを 分 析 の 切 り 口 として 帝 国 の 本 質 を 明 らかにしようとす る これまでほとんど 研 究 が 見 られない 大 きな 問 題 関 心 に 基 づき その 第 一 歩 としてバルカンとオス マン 帝 国 の 一 地 域 に 焦 点 を 当 てて トルコ 料 理 の 広 がりを 調 査 したものであった 時 間 的 予 算 的 制 約 からバルカンの 全 域 で 調 査 を 行 うことはかなわず ドナウの 南 の 地 とルーマニアの 違 いが 明 ら かになった 以 外 は 未 だ 結 論 めいたことは 得 られていない 今 後 旧 オスマン 帝 国 の 外 縁 に 位 置 する ハンガリー トランシルヴァニア ボスニア クロアチア( 特 にドゥブロヴニク)などでの 調 査 を 行 う 必 要 があり また 各 国 の 地 方 料 理 そして 少 数 民 族 として 存 在 するトルコ 系 コミュニティーの 食 につい ての 調 査 なども 不 可 欠 であると 考 える その 一 方 で 上 で 示 した 旅 行 記 などの 一 次 史 料 を 使 用 して トルコ 料 理 のバルカンへの 広 がりの 歴 史 的 過 程 を 明 らかにすることもこれから 本 格 的 に 取 り 組 むべき 課 題 である しかしいずれにしても 本 研 究 助 成 によって 食 による 帝 国 研 究 の 第 一 歩 を 踏 み 出 す ことが 出 来 たわけであり こうした 機 会 を 与 えて 下 さった 財 団 法 人 アサヒビール 学 術 振 興 財 団 に 対 し 心 から 謝 意 を 表 したい 今 後 はこれまでの 反 省 点 や 上 述 の 問 題 点 を 踏 まえ この 研 究 をさらに 継 続 し 発 展 させることが 必 要 であると 考 える 125
参 考 文 献 トルコ 料 理 東 西 交 差 路 の 食 風 景 柴 田 書 店 1992 年 鈴 木 董 食 はイスタンブルにあり 君 府 名 物 考 NTT 出 版 1995 年 鈴 木 董 トルコ ( 世 界 の 食 文 化 9) 農 山 漁 村 文 化 協 会 2003 年 Voki Kostić, Gastronomski dnevnik: kuvar od 700 recepata, Beograd, 1998. Constantin Bacalbaşa, Dictatura Gastronomică: 1501 de feluri de mâncǎri din 1935, Bucureşti, 2010. Димитър Мантов, Българска традиционна кухня: 2000 изпитани рецепти, София, 1999. Адрjиана Алачки, Македонски традиционален готвач: Од моето срце за Вашата трпеза, Скопjе, 2010. Maria Kaneva-Johnson, The Melting Pot: Balkan Food and Cookery, Prospect books, 1999. Arif Bilgin, Özge Samancı eds., Türk mutfağı, Ankara: T.C. Kültür ve Turizm Bakanlığı, 2008. Marianna Yerasimos, 500 yıllık Osmanlı Mutfağı, İstanbul, 2002. Evliyâ Çelebi Seyahatnâmesi, 10 vols., İstanbul: Yapı Kredi Yayınları, 1996-2007. Robert Dankoff & Sooyong Kim eds., An Ottoman Traveller: Selections from the Book of Travels of Evliya Çelebi, London, 2010. 126