慢 性 痛 と 睡 眠 障 害 Chronic Pain and Sleep Dysregulation 星 薬 科 大 学 薬 理 学 教 室 山 下 哲 成 田 年 痛 みは 本 来, 組 織 損 傷 を 避 けるための 警 告 反 応 としてなくてはならない 感 覚 である が, 慢 性 化 すると 痛 みを 提 供 するだけの 病 態 像 そのものになってしまう.こうした 痛 み の 難 治 化 慢 性 化 は,やがてうつ 症 状 や 不 安 などの 情 動 障 害 や 睡 眠 障 害 を 引 き 起 こし, QOLの 著 しい 低 下 をもたらす. 痛 みの 治 療 において,このような 痛 み 以 外 の 合 併 症 状 も 考 慮 に 入 れて 治 療 していく 必 要 性 があり,そのためには 基 礎 研 究 による 原 因 の 究 明 が 必 要 である. 筆 者 らは 神 経 障 害 性 痛 モデルマウスにおいて, 帯 状 回 におけるグルタ ミン 酸 遊 離 の 亢 進,アストロサイトの 形 態 変 化 とGAT-3 細 胞 膜 移 行 に 伴 うGABA 取 り 込 み 亢 進 が 引 き 起 こされていることを 明 らかにした.このGABA 神 経 機 能 低 下 が, 慢 性 痛 患 者 における 睡 眠 障 害 の 一 因 である 可 能 性 が 示 唆 された. Ⅰ) Ⅱ) はじめに 痛 みは 感 情 ではなく, 危 害 を 感 受 し, 生 態 を 防 御 する 反 応 であり, 生 体 にとってなくてはならない 感 覚 である. 痛 みは 急 性 痛 と 慢 性 痛 に 大 別 されるが, 急 性 的 な 痛 み 反 応 は, 危 害 から 生 体 を 防 御 するシグナルであ り, 生 体 防 御 に 関 与 する 重 要 なバイタルサインである. これに 対 して 慢 性 痛 では,その 病 変 部 位 が 治 癒 している, あるいは 修 復 に 向 かっている 状 態 にも 関 わらず 断 続 的 に 痛 みが 認 められる 症 状 を 示 す.2010 年 に 米 国 で 実 施 され た 集 団 ベース 研 究 の 報 告 によると, 人 口 の 約 1/3が 何 ら かの 慢 性, 再 発 性,または 長 期 的 な 痛 みを 訴 えているこ とが 明 らかになっている 1). 世 界 中 で 多 くの 人 々に 影 響 を 与 えている 慢 性 痛 は, 公 衆 衛 生 上 の 課 題 となっている 一 般 的 な 疾 患 といえる. 2013 年 のPain 誌 に 掲 載 されたcommentaryで 指 摘 さ れているように 2), 慢 性 痛 患 者 において 最 も 問 題 となる のは,うつや 不 安 障 害 などの 精 神 症 状, 睡 眠 障 害 などの 合 併 疾 患 である. 痛 みが 明 らかな 身 体 疾 患 によって 引 き 起 こされ, 精 神 症 状 は 二 次 的 な 反 応 として 引 き 起 こされ た 場 合 でも,その 精 神 症 状 が 病 態 を 複 雑 にし, 痛 みを 増 悪 させる. 慢 性 痛 患 者 において 共 通 して 訴 えがみられる 睡 眠 障 害 は 3), 痛 みの 重 症 度 と 密 接 に 関 係 していること がわかっており,このような 睡 眠 の 質 の 悪 化 が, 痛 みを さらに 増 悪 させている 可 能 性 も 指 摘 されている.また, 精 神 症 状 の 増 悪 によって 睡 眠 障 害 が 誘 発 され, 逆 に 長 く 続 く 睡 眠 障 害 によって 精 神 症 状 や 痛 みのさらなる 増 悪 が 引 き 起 こされている 可 能 性 も 考 えられている 4). 慢 性 痛 患 者 はこのような 負 のスパイラルにより, 十 分 な 睡 眠 が 星 薬 科 大 学 薬 理 学 教 室 Ⅰ)Akira Yamashita 大 学 院 博 士 後 期 課 程 Ⅱ)Minoru Narita 教 授 Anesthesia 21 Century Vol.15 No.2-46 2013 (3035) 67
得 られず 不 安 やうつ 症 状 が 増 悪 し,QOL の 低 下 を 引 き 起 こすと 考 えられている 5 7).この 現 状 は, 痛 みの 治 療 に おいて, 痛 み 以 外 の 合 併 症 状 も 考 慮 に 入 れて 治 療 してい く 必 要 性 を 示 している( 図 1). 慢 性 痛 と 睡 眠 障 害 慢 性 痛 下 における 睡 眠 障 害 は, 単 に 痛 みが 起 きている ことによる 生 理 的 な 拮 抗 であると 考 えられてきた.しか しながら 最 近 では, 痛 みのコントロールが 良 好 な 患 者 に おいても, 過 去 に 激 しい 痛 みを 経 験 した 場 合, 睡 眠 障 害 を 訴 えるケースがあることから, 慢 性 痛 下 における 睡 眠 障 害 は 単 に 痛 みに 起 因 する 生 理 的 な 拮 抗 だけが 結 果 では ない 可 能 性 が 考 えられている. このような 慢 性 痛 患 者 の 痛 み 病 態 とそれに 併 存 する 睡 眠 障 害 の 双 方 を 効 果 的 に 治 療 するために, 慢 性 痛 病 態 の 病 因 のより 良 い 理 解 が 不 可 欠 である. 慢 性 痛 下 において 脳 内 で 何 が 起 こり, 何 が 睡 眠 障 害 の 原 因 なのか, 様 々な 動 物 モデルを 用 いて,この 問 題 を 解 決 すべく 多 くの 基 礎 研 究 が 行 われている. 本 稿 ではその 一 端 として,われわ れの 研 究 内 容 を 紹 介 する. 神 経 障 害 性 痛 下 における, 急 性 熱 負 荷 による 帯 状 回 での 神 経 機 能 変 化 前 帯 状 回 領 域 は, 痛 みの 上 行 性 経 路 の 最 終 地 点 の 1 つ である. 前 帯 状 回 は 扁 桃 体 との 強 い 線 維 連 絡 があること から, 不 安 や 抑 うつなどの 情 動 行 動 を 司 るといわれてお り, 痛 みの 認 知 にも 重 要 な 部 位 であることが 知 られてい る.そこで, 慢 性 痛 下 における 前 帯 状 回 の 神 経 機 能 変 化 を 中 心 に 研 究 した. 侵 害 刺 激 が 脊 髄 に 入 力 されると, 様 々な 神 経 伝 達 物 質 が 放 出 される.その 1 つが,グルタミン 酸 に 代 表 される 興 奮 性 アミノ 酸 である.グルタミン 酸 は, 中 枢 では 学 習, 記 憶, 思 考 などに 関 わるシナプス 可 塑 性 や 神 経 回 路 形 成 など, 様 々な 神 経 機 能 に 重 要 な 役 割 を 果 たす.そこで, 慢 性 痛 下 の 痛 覚 伝 達 機 序 について 検 討 を 行 う 目 的 で, 坐 骨 神 経 を 半 周 程 度 結 紮 して 作 製 した 神 経 障 害 性 痛 モデル を 用 いて, 帯 状 回 領 域 におけるグルタミン 酸 遊 離 量 の 変 化 を 検 討 したところ, 坐 骨 神 経 結 紮 7 日 目 に 熱 負 荷 を 与 えた 群 において, 著 明 かつ 有 意 なグルタミン 酸 遊 離 量 の 増 加 が 認 められた 8). 神 経 障 害 性 痛 刺 激 による 帯 状 回 での アストロサイト 活 性 化 痛 み 刺 激 を 負 荷 させたげっ 歯 類 の 帯 状 回 領 域 におい て,グリア 細 胞 の 中 でも 大 部 分 を 占 めるアストロサイト が 突 起 伸 展 などの 形 態 変 化 を 引 き 起 こすことを 明 らかに した 9, 10).また, 培 養 細 胞 を 用 いた 検 討 において, 突 起 伸 展 の 認 められるアストロサイトにグルタミン 酸 を 曝 露 し, 細 胞 内 カルシウム 応 答 の 変 化 について 検 討 を 行 った 結 果, 通 常 のアストロサイトと 比 較 して,グルタミン 酸 による 細 胞 内 カルシウム 応 答 の 著 明 な 増 強 が 認 められ た. 帯 状 回 領 域 において 神 経 障 害 性 痛 により 活 性 化 した 68 (3036) Basics
アストロサイトは,シナプス 伝 達 を 変 化 させ, 神 経 伝 達 効 率 に 影 響 を 与 えている 可 能 性 が 示 唆 された( 図 2). 神 経 障 害 性 痛 による 睡 眠 障 害 の 発 現 機 構 筆 者 らは 実 際 に, 神 経 障 害 性 痛 モデルにおいて, 脳 波 測 定 (EEG)および 筋 電 図 計 測 (EMG)を 用 い,サーカ ディアンリズムの 変 化 を 検 討 することにより, 睡 眠 障 害 が 引 き 起 こされることを 明 らかにした 11).さらに, 大 脳 皮 質 のGABA 神 経 系 が, 睡 眠 覚 醒 に 重 要 な 役 割 を 果 たすことが 知 られていることから 12, 13), 帯 状 回 のGABA 神 経 系 に 着 目 し 検 討 を 行 った.その 結 果,GABAの 取 り 込 みに 関 与 するGABAトランスポータの 帯 状 回 領 域 に おける 発 現 変 化 を 免 疫 組 織 化 学 的 染 色 法 を 用 いて 検 討 し たところ, 坐 骨 神 経 を 結 紮 したマウスの 帯 状 回 領 域 にお いて,GABAトランスポータの 著 明 な 増 加 が 認 められ, さらにこの 増 加 したGABAトランスポータは, 帯 状 回 領 域 に 発 現 するグリア 細 胞 線 維 性 酸 性 タンパク 質 (glial fibrillary acidic protein:gfap) 陽 性 アストロサイト の 伸 展 した 突 起 上 に 局 在 していることが 明 らかになっ た.また, 神 経 障 害 性 痛 下 における 帯 状 回 領 域 の 細 胞 外 GABA 濃 度 を 測 定 したところ,GABAトランスポータの 増 加 に 呼 応 した 形 で,GABA 再 取 り 込 みの 増 加 が 認 めら れた.さらに, 帯 状 回 領 域 にGAT-3インヒビタである SNAP-5114を 微 量 注 入 した 際 のEEG/EMGを 測 定 した. その 結 果,SNAP-5114を 微 量 注 入 することにより, 結 紮 群 においてみられた 睡 眠 障 害 の 改 善 が 認 められた. 一 方,マウス 大 脳 皮 質 由 来 初 代 培 養 グリア 細 胞 にグルタミ ン 酸 を 加 えた 後 にGAT-3の 細 胞 内 挙 動 を 観 察 した 結 果, アストロサイトに 存 在 するGAT-3の 細 胞 膜 への 移 行 が 観 察 された. 前 述 のように, 神 経 障 害 性 痛 下 に 熱 負 荷 を 与 えた 際 に, 帯 状 回 領 域 におけるグルタミン 酸 遊 離 量 の 増 加 が 認 められたことから, 神 経 障 害 性 痛 下 における 帯 状 回 領 域 におけるグルタミン 酸 の 増 加 が,アストロサイ トを 刺 激 し,その 結 果 GAT-3の 細 胞 膜 移 行 を 誘 導 して, 細 胞 外 GABA 濃 度 の 低 下 を 引 き 起 こしている 可 能 性 が 示 唆 された.これらの 結 果 より, 神 経 障 害 性 痛 により 抑 Anesthesia 21 Century Vol.15 No.2-46 2013 (3037) 69
制 性 GABA 神 経 系 の 伝 達 効 率 の 低 下 が, 睡 眠 障 害 の 一 因 となる 可 能 性 が 推 察 される( 図 3) 14). おわりに 前 述 のように, 慢 性 痛 モデルでみられる 睡 眠 障 害 は, 皮 質 シナプスにおける 神 経 伝 達 物 質 バランスの 調 節 不 全 がその 原 因 の 1 つである.この 他 にも, 様 々な 知 見 があ るが, 慢 性 痛 下 において, 脳 神 経, 特 に 情 動 反 応 に 関 与 する 脳 内 部 位 の 変 化 が 認 められている. 慢 性 的 な 痛 み 刺 激 が, 脳 内 に 多 大 な 影 響 を 与 え, 不 安 や 抑 うつ 症 状 など の 情 動 障 害 や 睡 眠 障 害 を 引 き 起 こし,それらの 症 状 がさ らに 痛 みを 増 悪 させるといった 悪 循 環 が 形 成 されている 可 能 性 が 考 えられるが,より 良 い 慢 性 痛 の 治 療 戦 略 を 目 指 すために, 慢 性 痛 に 伴 ううつ 症 状 や 睡 眠 障 害 がどのよ うなメカニズムで 引 き 起 こされるのか,さらなる 研 究 の 発 展 が 期 待 される.また, 鎮 痛 薬 の 効 果 を 痛 みそのもの に 対 する 効 果 だけでなく, 睡 眠 障 害 やうつ 症 状 といった, 痛 みに 伴 う 他 の 合 併 症 への 有 効 性 も 解 析 する 必 要 もある といえる. 70 (3038) Basics
参 考 文 献 1)Johannes CB, Le TK, Zhou X, et al.:the prevalence of chronic pain in United States adults:results of an Internetbased survey. J Pain 11:1230-1239, 2010 2)Araujo P, Tufik S, Andersen ML:Animal models of pain: best behavioral analysis for better translational research. Pain 154:968-969, 2013 3)O'Brien EM, Waxenberg LB, Atchison JW, et al.:negative mood mediates the effect of poor sleep on pain among chronic pain patients. Clin J Pain 26:310-319, 2010 4)Imbe H, Iwai-Liao Y, Senba E:Stress-induced hyperalgesia: animal models and putative mechanisms. Front Biosci 11: 2179-2192, 2006 5)Bloom JR, Stewart SL, Chang S, et al.:then and now:quality of life of young breast cancer survivors. Psychooncology 13:147-160, 2004 6)Spiegel D, Sands S, Koopman C:Pain and depression in patients with cancer. Cancer 74:2570-2578, 1994 7) 仙 波 恵 美 子 : 慢 性 痛 による 情 動 障 害 睡 眠 障 害 と 脳 報 酬 系. ペ インクリニック 34:611-623, 2013 8)Niikura K, Furuya M, Narita M, et al.:enhancement of glutamatergic transmission in the cingulate cortex in response to mild noxious stimuli under a neuropathic pain-like state. Synapse 65:424-432, 2011 9)Kuzumaki N, Narita M, Hareyama N, et al.:chronic paininduced astrocyte activation in the cingulate cortex with no change in neural or glial differentiation from neural stem cells in mice. Neurosci Lett 415:22-27, 2007 10)Narita M, Kuzumaki N, Kaneko C, et al.:chronic pain-induced emotional dysfunction is associated with astrogliosis due to cortical delta-opioid receptor dysfunction. J Neurochem 97: 1369-1378, 2006 11)Takemura Y, Yamashita A, Horiuchi H, et al.:effects of gabapentin on brain hyperactivity related to pain and sleep disturbance under a neuropathic pain-like state using fmri and brain wave analysis. Synapse 65:668-676, 2011 12)Gottesmann C:Brain inhibitory mechanisms involved in basic and higher integrated sleep processes. Brain Res Brain Res Rev 45:230-249, 2004 13)Kilduff TS, Cauli B, Gerashchenko D:Activation of cortical interneurons during sleep:an anatomical link to homeostatic sleep regulation? Trends Neurosci 3:10-19, 2011 14)Narita M, Niikura K, Nanjo-Niikura K, et al.:sleep disturbances in a neuropathic pain-like condition in the mouse are associated with altered GABAergic transmission in the cingulate cortex. Pain 152:1358-1372, 2011 Anesthesia 21 Century Vol.15 No.2-46 2013 (3039) 71