中 ロ 国 境 問 題 の 最 終 決 着 に 関 する 覚 え 書 岩 下 明 裕 2004 年 10 月 半 ば 北 京 を 訪 れたプーチン 大 統 領 は 胡 錦 濤 主 席 と 会 談 し ロシアと 中 国 がその 国 境 問 題 を 最 終 的 完 全 に 解 決 したことを 高 らかに 宣 言 し 世 界 を 驚 愕 させた 1991 年 の 東 部 国 境 協 定 締 結 により( 履 行 は1997 年 11 月 ) 国 境 問 題 の98パーセントは 解 決 されていたが 残 り2パーセント ハバロフスクに 近 いアムール 河 とウスリー 河 の 合 流 点 に 位 置 するヘイシャーズ 島 (ロシア 側 はボリショイ ウスリースキー 島 とタラ バーロフ 島 の2 島 と 数 える) 1 とアルグン 河 の 上 流 に 近 いアバガイト 島 (ロシア 名 はボ リショイ 島 )の 帰 属 交 渉 は 難 航 しており 2001 年 7 月 の 中 ロ 善 隣 友 好 協 力 条 約 の 締 結 直 前 にも 両 国 は 解 決 に 失 敗 していたからだ 今 回 の 最 終 決 着 ( 東 部 国 境 補 足 協 定 の 締 結 )に 関 しては すでに2004 年 6 月 頃 には 合 意 がなされていたと 思 われるが 中 国 とロシアは 首 脳 会 談 直 前 まで 情 報 統 制 を 引 き そのニュースが 外 部 に 漏 れることはほとんどなかった 実 際 プーチンが 近 い 将 来 中 ロは 国 境 問 題 を 完 全 に 解 決 する と 述 べたのは 北 京 にむかう 直 前 この 近 い 将 来 とはわずか 数 日 のことであった 情 報 が 伏 せられていたため 様 々な 憶 測 が 世 界 中 をかけめぐった 日 本 でもっとも 翻 弄 されたのは 産 経 新 聞 である 産 経 新 聞 は10 月 14 日 付 朝 刊 で 中 ロ 国 境 問 題 は 近 い 将 来 解 決 しない という 報 道 を 流 した 直 後 に 軌 道 修 正 を 迫 られたが 今 度 は 合 意 内 容 を 共 同 統 治 と 報 じ(10 月 15 日 付 ) あたかも 係 争 地 に 関 する 主 権 を 中 ロが 共 有 (コンドミニウム)したかのようなミスリーディン グを 行 なった 中 ロの 両 首 脳 は 係 争 地 をほぼ 半 分 に 分 けあったことを 明 かにしたが 会 談 後 も 合 意 の 詳 細 が 公 表 されなかったため 憶 測 はさらに 広 がった ロシア 国 内 では ロシ アの 譲 歩 を 批 判 する 声 があがり タラバーロフ 島 が 中 国 領 となり ボリショイ ウ スリースキー 島 の 中 心 に 線 が 引 かれたショッキングな 地 図 が 新 聞 雑 誌 にあらわれた 中 国 へ337 平 方 キロの 領 土 を 引 き 渡 し アバガイト 島 中 国 全 面 移 管 といった 根 拠 のない 情 報 が 巷 を 席 巻 した 2 日 本 のマスコミの 多 くは 無 批 判 にロシアの 情 報 をその まま 書 き 写 すか( 例 えば ロシアは3 島 のうち タラバーロフ 島 ボリショイ ウス 1 ロシア 側 の2 島 は 中 国 では 基 本 的 に 一 つとして 扱 われ 黒 瞎 子 (ヘイシャーズ) 島 と 標 記 される(たまにタラバーロフは 銀 蛇 島 という 名 前 で 別 に 呼 べることもある) 係 争 の 対 象 であっ たもう1 島 は 阿 巴 該 図 (アバガイト)と 標 記 される 従 って 中 国 にとって 係 争 地 は2 島 で あり 3 島 ではないとする 認 識 が 一 般 的 だ 2 ロシアの 報 道 のなかで コムソモリスカヤ プラウダ (2004 年 10 月 16 日 付 )と コメ ルサント ブラスチ (2004 年 11 月 1 日 付 )の2つの 記 事 に 特 に 注 目 を 払 う 必 要 がある 両 者 とも 中 国 に 引 き 渡 される 領 土 を 337 平 方 キロ とし またタラバーロフ 島 が 中 国 に 引 き 渡 されることを 明 記 しているが ボリショイ ウスリースキー 島 の 中 国 移 管 に 関 しては 異 なる 地 図 を 添 付 している 記 事 の 数 字 に 関 しては ボリショイ ウスリースキー 島 (330 平 方 キロ) とタラバーロフ 島 (40 平 方 キロ)の 面 積 を 考 慮 すれば 337 平 方 キロも 中 国 に 引 き 渡 せば ロ シアにはほとんど 何 も 残 らなくなるため 信 憑 性 がない これは 後 述 するように ヘイシャーズ 島 (ボリショイ ウスリースキー 島 +タラバーロフ 島 )のロシアと 中 国 の 係 争 総 面 積 をとりま ちがえたものと 思 われる(なお 2 島 合 算 370 平 方 キロと 337 平 方 キロの 数 字 の 誤 差 について は 詳 細 不 明 ) -73-
リースキー 島 の 半 分 アバガイト 島 の 計 2.5 島 を 譲 ったというような 風 評 ) ある いはこの 問 題 への 深 入 りを 避 けるしかなかった 3 2004 年 11 月 14 日 ラブロフ 外 相 は タラバーロフ 島 の 中 国 移 管 ボリショイ ウスリースキー 島 とボリショイ 島 はおよそ 半 分 に 分 けあったこと 認 めたため 事 態 は 収 拾 にむかう また 長 年 中 国 への 島 嶼 移 管 に 抵 抗 しつづけてきたハバロフスク 知 事 イシャエフが モスクワの 意 向 に 逆 らわな い 旨 公 言 し 反 対 派 の 勢 いは 急 速 に 衰 えていく 4 対 照 的 に 中 国 側 は 首 脳 会 談 後 も 報 道 統 制 の 手 を 緩 めることはなかった 中 国 社 会 科 学 院 の 研 究 所 所 長 副 所 長 クラスですら 詳 細 を 知 らされておらず 事 実 を 知 っ ていると 思 われる 外 務 省 筋 の 研 究 者 たちの 口 は 重 く ロシアの 報 道 の 少 なからぬ 部 分 が 間 違 っているというにとどめた(2004 年 11 月 の 筆 者 による 聞 き 取 りに 基 づく) 中 国 の 学 者 たちの 多 くはこの 問 題 を 討 議 することを 許 されず 真 相 についてロシアからの 情 報 によって 一 喜 一 憂 するというのが 会 談 直 後 の 状 況 であったといってよい 中 国 の 学 者 たちのなかには 領 土 の 半 分 しか 取 り 返 せなかったことを 遺 憾 に 感 じるものも 少 なくなく これらの 声 が 近 年 の 中 国 市 民 のナショナリズムと 結 びつくことの 危 険 を 考 えれば 北 京 のとった 対 応 は 合 理 的 なものだとみなしうる 最 終 決 着 の 詳 細 筆 者 がいままで 得 た 情 報 を 整 理 すれば 以 下 の 通 り 1) 2002 年 頃 から 中 国 とロシアは 残 された 国 境 問 題 をめぐって 真 摯 な 交 渉 を 加 速 化 させた ロシア 側 は 中 国 に 駆 逐 艦 5 隻 を 渡 すから 島 をロシアに 残 すよう 要 請 したが 中 国 が 拒 否 中 国 は 逆 に 図 們 江 の 日 本 海 への 出 口 となるハサン 一 帯 を 引 き 渡 すのであれば ロシアに 島 を 残 すと 提 案 だが 今 度 はロシアがこれを 拒 否 結 局 残 された 係 争 地 はその 枠 内 で 解 決 するという 方 針 が 確 認 され 後 述 す る フィフティ フィフティ 精 神 に 基 づき おおよそ 半 分 に 分 けることで 決 着 をつけた 2) 決 着 は 2004 年 6 月 頃 だと 思 われる 決 着 の 中 身 はおろか 問 題 が 近 々 解 決 するということに 対 しても 情 報 統 制 がかけられた 情 報 を 知 り 得 たものはごく 少 数 例 えば 9 月 上 旬 の 段 階 で(ほんの 一 握 りだが)モスクワ 国 際 関 係 大 学 の 専 門 家 もプーチン 訪 中 時 に 国 境 問 題 が 最 終 決 着 することを 知 っていた 従 って イシャエフ 知 事 が 事 前 に 全 く 知 り 得 ていなかったとは 到 底 思 えない 3) 決 着 以 前 の 係 争 地 は ヘイシャーズ 島 を 完 全 にロシアが 実 効 支 配 アバガイ ト 島 は4 分 の3をロシアが 実 効 支 配 上 流 部 から 中 国 国 境 に 近 い 一 部 (4 分 の1 程 度 )を 中 国 が 実 効 支 配 していた ヘイシャーズ 島 は 中 国 側 に171 平 方 キロが 移 3 会 談 終 了 のまもない 時 期 に 比 較 的 正 しい 報 道 をした 数 少 ない 例 外 が 北 海 道 新 聞 モスクワ 支 局 長 の 山 田 新 の 記 事 である( 北 海 道 新 聞 2004 年 10 月 30 日 ) 4 筆 者 は イシャエフ 知 事 は 国 境 問 題 解 決 の 内 容 を 事 前 に 知 っていたと 考 えている 2004 年 5 月 の 呉 邦 国 のロシア 訪 問 6 月 末 のイシャエフの 北 京 訪 問 を 通 じて モスクワ ハバロフス ク 中 国 の 三 者 間 で 国 境 問 題 の 落 としどころについての 合 意 が 成 立 したのであろう 1990 年 代 前 半 の 中 ロ 国 境 問 題 をめぐる 地 方 からの 抵 抗 の 大 きさや 反 発 の 深 さを 考 えれば イシャエフの 事 前 承 諾 なしに 独 断 でヘイシャーズ 島 問 題 の 解 決 をすすめた 場 合 のモスクワにとってのリス クの 大 きさは 明 らかだ 1990 年 代 の 国 境 画 定 問 題 に 対 する 地 方 の 叛 乱 については 岩 下 明 裕 中 ロ 国 境 4000 キロ 角 川 選 書 2003 年 序 章 が 詳 しい なお 日 本 国 内 ではこのラブ ロフ 発 言 のボリショイ 島 に 関 する 部 分 を 誤 解 し ( 当 初 の 中 国 全 面 移 管 とは 反 対 に) 今 度 はボ リショイ 島 はすべてロシアに 残 ったとする 報 道 が 流 された -74-
管 され ロシアに164 平 方 キロが 残 る ヘイシャーズ 島 のうち ロシアが 強 く 要 求 していたカザケヴィチェヴォ 村 にのぞむ 教 会 コルホーズ ダーチャ 軍 施 設 な どがあるボリショイ ウスリースキー 島 の 東 半 分 がロシアに 残 る タラバーロフ 島 とボリショイ ウスリースキー 島 の 西 半 分 は 中 国 へ 移 管 カザケヴィチェヴォ 水 道 は 中 国 の 内 水 となるため 今 後 中 国 は 自 由 に 水 道 を 往 来 することが 可 能 4) 島 嶼 の 共 同 利 用 及 びハバロフスクに 近 い 水 道 の 利 用 については 詳 細 不 明 ヘ イシャーズ 島 の 共 同 利 用 に 関 しては 中 国 黒 龍 江 省 が 強 く 期 待 を 表 明 している ハバロフスクの 水 道 については 1991 年 協 定 第 8 条 及 びそれ 以 前 の 慣 習 に 従 って 中 国 船 が 往 来 する 権 利 が 残 る 可 能 性 が 高 い ただし 現 実 問 題 として アムール とウスリーの 往 来 にとって 時 間 的 にも 経 済 的 にも 節 約 ルートとなるカザケヴィ チェヴォ 水 道 利 用 を 中 国 は 推 進 するだろう 5) アバガイト 島 については ラブロフ 外 相 が ロシアにとって 取 水 が 大 事 であ り その 場 所 は 残 った と 発 言 している 取 水 のための 最 も 重 要 な 場 所 は 上 流 部 に 近 く 国 境 警 備 隊 の 詰 め 所 もあるアバガイト 村 近 辺 だと 推 測 されるため 少 なくとも 実 効 支 配 していた 上 流 部 北 方 はロシアに 残 ったのではないかと 思 われる アルグン 河 の 北 の 流 れにかかわる 部 分 はロシア 領 となった 可 能 性 が 高 い 分 割 の 内 実 は 中 国 側 が38 平 方 キロ ロシア 側 が24 平 方 キロとされる ところで 最 終 決 着 以 前 には 一 部 の 識 者 を 除 いて 日 本 ではあまり 話 題 に 上 ること もなかった 中 国 とロシアの 国 境 交 渉 であるが 日 ロの 領 土 問 題 を 解 決 するうえでの 参 考 事 例 として 近 年 とみに 注 目 が 高 まっている 5 他 方 で すでに 記 したように 中 国 とロシアの 国 境 問 題 解 決 の 内 実 はおろか その 長 く 続 いた 交 渉 プロセス 及 び 困 難 が 克 服 されていく 過 程 についてもあまり 知 られていない それは 果 たしてどのようなもの であったのか 6? ハサン1997: 係 争 地 の 分 割 今 回 の 最 終 決 着 のルーツは 中 ロ 両 政 府 が1991 年 の 東 部 国 境 協 定 をもとに 画 定 作 業 をすすめていくなかで 直 面 した 様 々な 問 題 に 対 する 解 決 法 のなかから 探 りだすことが 可 能 だ その 代 表 的 な 事 例 が 沿 海 地 方 ハサン 問 題 に 対 する 解 決 のアプローチである 1990 年 代 半 ば 沿 海 地 方 の 領 土 問 題 は 当 時 のE. ナズドラチェンコ 知 事 を 初 めとす る 地 方 の 行 政 府 や 専 門 家 地 元 メディアによる 中 国 に 領 土 を 渡 すな というキャン ペーンによって センセーショナルに 扱 われ ロシア 人 のナショナリズムをいたく 刺 激 した 1997 年 中 に 画 定 作 業 を 完 了 させなければ 1991 年 協 定 そのものがロシアの 国 内 法 によって 無 効 とされる 可 能 性 があるため わずか300ヘクタールの 係 争 が 中 ロ4300 キロの 国 境 全 体 の 安 定 を 揺 るがす 可 能 性 すらあった 5 袴 田 茂 樹 賽 は 投 げられた: 平 和 条 約 締 結 への 道 外 交 フォーラム 2005 年 2 月 号 木 村 汎 2 島 返 還 に 隠 れたシグナルとは: 露 の 本 音 は 北 方 領 土 の 折 半 方 式 産 経 新 聞 2005 年 1 月 24 日 などを 参 照 6 以 下 の 記 述 の 大 半 は 岩 下 明 裕 中 ロ 国 境 問 題 はいかにして 解 決 されたのか? 法 政 研 究 ( 九 州 大 学 ) 第 71 巻 第 4 号 2005 年 229-246 頁 を 圧 縮 修 正 したものである 本 稿 では 省 略 された 地 図 に 関 しても 同 論 文 を 参 照 されたい -75-
ロシアと 中 国 の 両 政 府 は ハサン 問 題 解 決 のためにいろいろな 知 恵 を 絞 った 中 ロ が 見 いだした 解 決 のための 結 論 は ハサン 地 区 の 係 争 地 300ヘクタールを 中 国 とロシ アでおよそ 半 分 にわけるというものとなった もし 中 国 があくまで 法 的 な 解 決 に 固 執 していれば 1991 年 協 定 第 2 条 により この300ヘクタールは 中 国 に 全 面 移 管 される はずであった 要 するに ここで 中 ロ 両 政 府 は 法 律 論 を 横 において 双 方 が 受 け 入 れ 可 能 な 解 決 法 として 全 くの 政 治 的 な 妥 協 によって 問 題 を 解 決 したのである これに よって ロシアは300ヘクタールの 半 分 を 自 国 に 残 すことができたと 外 交 的 勝 利 をア ピールし 沿 海 地 方 もまた 我 々の 勝 利 を 宣 伝 することが 可 能 となった ハサンの 妥 協 は 1997 年 6 月 チェルノムィルジン 首 相 が 北 京 訪 問 の 際 に 半 分 に わける ことを 提 案 し 中 国 が9 月 にそれを 受 諾 したことで 成 立 した ロシアの 提 案 を 中 国 が 受 諾 したかたちでの 結 論 である 客 観 的 にみて これは 明 らかに 中 国 側 の 譲 歩 といえる 問 題 に 詳 しいロシア 東 欧 中 央 アジア 研 究 所 副 所 長 の 董 暁 陽 によれば 1)ゴルバチョフ 時 代 からの 長 年 の 交 渉 プロセスを 考 慮 した 2)エリツィンの 任 期 中 に 解 決 したかった 3) 国 境 地 域 の 平 和 と 安 定 を 保 つことが 最 重 視 された ことが 譲 歩 の 理 由 とされる おそらく ハサンに 対 するこの 解 決 法 は 袋 小 路 に 入 った 難 問 に 対 する 緊 急 避 難 的 な 意 味 合 いで 考 え 出 されたのであろう だが 係 争 地 を フィフティ フィフティ の 精 神 でわけるというこの 解 決 アプローチのイメージは 勝 利 を 分 けあう (win-win) という 政 治 的 演 出 の 成 功 をもたらした フィフティ フィフティ に よって 係 争 に 関 わってきた 当 事 者 すべてが 自 分 たちの 利 益 は 守 られたと 主 張 でき 1997 年 11 月 の 画 定 作 業 終 了 宣 言 にむけてはずみとなった 7 フィフティ フィフティ 精 神 重 要 な 点 は 係 争 地 をおよそ 半 分 にわけるというハサンの 決 着 は たしかに 強 引 か つ 緊 急 避 難 的 な 対 応 であったにもかかわらず それを 生 みだした フィフティ フィ フティ の 精 神 そのものは 中 ロ 間 で3500キロを 越 える 河 川 国 境 にうかぶ 島 嶼 の 係 争 を 解 決 するうえでも 発 揮 されたことであろう 実 際 中 ロの 国 境 画 定 の 真 の 難 問 は 陸 国 境 ではなく 河 川 国 境 であった ほとんどその 交 渉 の 内 実 は 明 らかにされていな いが 数 千 といわれる 島 嶼 をどう 中 ロ 間 で 配 分 するかの 難 問 がそれである 筆 者 が 入 手 した 資 料 によれば 各 河 川 の 島 嶼 の 配 分 は 以 下 の 通 り( 但 し 2004 年 10 月 に 最 終 解 決 した 島 嶼 を 除 く) 総 計 ウスリー 河 アムール 河 アルグン 河 その 他 ロシア 1163 167 778 204 14 中 国 1281 153 902 209 17 総 計 2444 320 1680 413 31 7 フィフティ フィフティ に 関 して 付 言 しておかなければならないのは これが 係 争 地 を 面 積 上 に 均 等 にわけるということを 必 ずしも 意 味 していない 点 であろう フィフティ フィ フティ の 精 神 は 中 国 と 中 央 アジア 諸 国 (カザフスタン クルグズスタン タジキスタン) にも 適 用 されたが 実 際 に 分 けあった 面 積 は 等 分 ではない 詳 細 については 岩 下 前 掲 論 文 を 参 照 -76-
この 島 嶼 配 分 の 表 向 きの 数 字 は 中 ロの 国 境 交 渉 にかんする 合 理 的 で 平 等 なイメージ を 提 示 する だが これは 一 種 の 数 字 のマジックでもある 河 川 国 境 において 係 争 化 した 島 嶼 の 多 くは 長 年 ロシアによって 実 効 支 配 されてきた それゆえ この 平 等 に 解 決 されたイメージ はうわべだけのものに 過 ぎない 事 実 ロシアは 数 百 の 島 嶼 を 中 国 に 引 き 渡 したといわれている にもかかわらず 勝 利 を 分 けあう(win-win) イメージは 中 ロ 国 境 問 題 に 関 する 民 族 的 感 情 や 反 発 を 慰 撫 するのにとても 重 要 で あった 要 するに ハサンで 示 されたアプローチの 精 神 は 300ヘクタールに 止 まるも のではなく 中 ロ 国 境 全 体 に 当 てはまる この フイフティ フィフティ 精 神 は 中 ロの 問 題 解 決 に 勝 利 を 分 けあう イ メージをもたらすだけではなく 結 局 のところ 難 問 の 解 決 が 最 後 は 政 治 的 な 判 断 で なされたことを 示 唆 している 河 川 国 境 の 島 嶼 配 分 はよく 技 術 的 に 決 められた と 説 明 されることが 多 いが いくつかのケースでは フィフティ フィフティ 精 神 に のっとり 政 治 的 な 取 引 ( 島 嶼 の 交 換 )によって 解 決 されたと 思 われる ウスリーとアムールの 妥 協 地 図 で 判 断 する 限 り 国 際 法 の 主 要 航 路 原 則 を 適 用 すれば 中 国 領 になると 思 われ るいくつかの 島 がロシア 領 として 残 されている 例 えば ウスリー 河 の 事 例 としては シェレメチエフスキー 島 がある 4 平 方 キロのこの 島 はロシアが 実 効 支 配 してきたが 中 国 側 も 強 硬 に 自 国 領 だと 主 張 していた だが 交 渉 の 結 果 これはロシア 領 として 残 る 他 方 で シェレメチエフスキー 島 から 下 流 約 80キロ 地 点 に 位 置 するサハリンス キー 島 の 処 遇 は 逆 である 中 国 は 以 前 この 島 の 移 管 をロシアに 要 求 して 来 なかった にもかかわらず 画 定 の 結 果 中 国 に 移 管 された ここでも 取 引 が 行 われた 可 能 性 が ある すなわち シェレメチエフスキー 島 を 自 国 に 残 したいロシアがサハリンスキー 島 を 代 わりに 中 国 に 引 き 渡 すという 政 治 的 決 着 を 行 なったというのがそれである ウ スリー 河 のいくつかの 島 嶼 帰 属 が 最 後 までもめていたことは ロシア 側 全 権 G. キ レーエフも 示 唆 しているが ロシア 外 務 省 筋 の 情 報 でもいくつかの 島 嶼 の 帰 属 が 政 治 的 な 決 断 で 確 定 したとされる 中 ロが 技 術 的 作 業 の 結 果 として 島 嶼 の 配 分 の 全 てを 決 定 したとすることに 対 す る 疑 問 は アムール 河 の 島 嶼 帰 属 にも 向 けられる 中 国 がかたくなに 要 求 していた 島 嶼 のいくつかが ここでもロシアの 手 に 残 されている 代 表 的 な3カ 所 は チェルム シュキヌィ コンスタンチノフスキー ペレカトヌィと 呼 ばれる 群 島 であり それぞ れ 群 島 の 北 側 に 位 置 するいくつかの 島 々はロシア 領 と 確 認 された 河 川 に 大 きく 広 がって 散 在 するこれらの 群 島 は どの 河 の 流 れを 主 要 航 路 とみなす かの 判 断 を 難 しくしており 群 島 を 一 体 として 中 ロのどちかに 帰 属 させることは 困 難 であったようだ また この 一 帯 の 河 川 水 量 の 変 化 の 激 しさも 画 定 交 渉 を 難 航 させた と 考 えられる 従 って これら 島 嶼 を 航 行 可 能 な 河 の 流 れの 主 要 航 路 を 国 境 とする 国 際 法 原 則 にのっとり 厳 密 に 技 術 的 な 意 味 で 分 割 しえたとは 思 えない とくに 中 国 側 はこれら3つの 群 島 それぞれを 一 括 して 名 付 けており 群 島 の 一 部 分 だけをロシ ア 領 として 認 めるにはかなりの 抵 抗 感 があったと 思 われる 交 渉 が 難 航 した 結 果 最 終 的 には 中 ロが 島 嶼 を フィフティ フィフティ 精 神 でわける 政 治 的 な 決 断 がここ にもあったのではないかと 推 察 しうる -77-
相 互 に 受 け 入 れ 可 能 な 譲 歩 ロシアと 中 国 の 国 境 交 渉 を 総 括 するとき その 成 功 の 秘 訣 は 明 らかだ 交 渉 のプロ セスのための 枠 組 を 整 備 し 段 階 的 に 国 境 問 題 を 解 決 していくことで 相 互 の 信 頼 関 係 を 深 めていった 第 1 段 階 として 1991 年 協 定 では 東 部 国 境 の98%を 解 決 し ( 多 少 の 国 境 線 の 修 正 を 施 しながらも)97 年 の 履 行 宣 言 にこぎつけた そして 第 2 段 階 にむけ ては 1991 年 協 定 でも また 善 隣 友 好 協 力 条 約 でも 同 じように 残 された 係 争 地 に 対 する 真 摯 な 交 渉 の 継 続 が 約 束 された 第 2 段 階 の 残 された 係 争 地 の 最 終 解 決 のハード ルは 冒 頭 で 述 べたように 低 いものではなかったが お 互 いに 受 け 入 れ 可 能 な 譲 歩 を 検 討 した 結 果 ハサン 方 式 を 島 嶼 にも 適 用 することが 決 まった 現 時 点 で こ の 最 終 案 を 中 ロのどちらが 先 に 提 案 したかは 定 かでないが 法 律 上 の 権 利 の 断 念 を 中 国 側 から 持 ち 出 すとは 思 えないため ハサンの 先 例 にならえば ロシア 側 のイニシャ ティヴが 強 かったのではないかと 筆 者 は 考 える 一 般 に 未 決 の 国 境 問 題 が 存 在 する 限 り それが 時 限 爆 弾 として2カ 国 間 関 係 に 大 きな 影 響 を 与 える 可 能 性 は 常 に 存 在 する 8 かつて 国 境 をめぐって 緊 張 と 対 峙 を 繰 り 返 してきた 中 国 とロシアが 全 ての 国 境 問 題 を 比 較 的 に 相 互 関 係 が 安 定 し 発 展 している 現 在 急 いで 解 決 したいと 思 うの は 自 然 の 道 理 であろう 9 沈 黙 の 理 由 では なにゆえ ハサンのときと 違 って 中 ロ 両 政 府 及 びハバロフスク 行 政 府 は 最 終 決 着 を 歴 史 的 快 挙 や 他 の 国 境 問 題 に 適 用 可 能 な 先 行 例 として 対 外 的 に 誇 る 一 方 で 交 渉 の 内 実 に 関 する 情 報 をいまだにあまり 出 さないのであろうか? もちろん それは 批 准 プロセスを 考 慮 してのこともあろうが ロシアと 中 国 のナショナリズムが 最 終 決 着 を 勝 利 を 分 けあった(win-win) のではなく 敗 北 を 分 けあった と 攻 撃 するのを 恐 れてのことであろう 本 稿 では 省 略 するが 中 国 とクルグズスタンによる 相 互 に 受 け 入 れ 可 能 な 譲 歩 に 基 づいた 最 終 決 着 ( 係 争 地 の 分 割 )は それがマス コミで 大 きく 取 り 上 げられたがゆえに クルグズスタン 国 内 の 反 大 統 領 運 動 と 結 びつ き 批 准 は 大 幅 に 遅 れ 2002 年 にクルグズスタンの 政 治 的 安 定 を 揺 るがす 一 因 となっ た この 事 態 から 教 訓 を 学 んだ 中 国 は2002 年 5 月 にタジキスタンとの 国 境 問 題 を 最 終 的 に 解 決 した 際 厳 しい 情 報 統 制 を 引 いて 内 実 の 公 表 を 差 し 控 えた タジキスタン 側 もこれに 呼 応 し 批 准 が 終 わった 今 ですら 中 国 に 移 管 される 場 所 がどこなのかは 具 体 的 に 明 らかにしようとはしない 10 ロシアのみならず 中 国 側 にも 今 回 の 妥 協 に 対 する 不 満 が 存 在 していることを 冒 頭 8 例 えば 昨 今 の 尖 閣 列 島 及 び 竹 島 をめぐっての 日 中 日 韓 の 政 治 的 対 立 を 想 起 せよ これ らの 領 土 問 題 における 姿 勢 硬 化 は 北 朝 鮮 拉 致 問 題 や 対 中 国 姿 勢 における 頑 なさとあいまって 日 本 のナショナリズムの 大 いなる 高 揚 として 周 辺 諸 国 には 脅 威 に 映 るに 違 いない 北 東 アジアのナショナリズム 高 揚 の 悪 循 環 については しゃりばり ( 北 海 道 総 合 研 究 調 査 会 )2005 年 2 月 号 30-31 頁 を 参 照 9 筆 者 は 海 外 の 一 部 マスコミのなかで 流 布 していた 中 ロの 密 約 やエネルギーにおける 裏 取 引 の 存 在 には 懐 疑 的 である その 種 の 議 論 が 交 渉 のなかで 交 わされた 可 能 性 自 体 は 否 定 しないが 中 ロの 長 年 の 国 境 交 渉 をウオッチしてきた 立 場 から 言 えば 中 国 とロシアは 一 刻 も 早 く 国 境 問 題 を 解 決 したかったのであり 今 回 の 妥 協 はその 長 年 の 交 渉 がようやくゴールを 迎 えたに 過 ぎ ない パイプラインをめぐる 日 中 の 駆 け 引 きのような 状 況 対 応 的 なイッシューと 国 境 問 題 を 短 絡 に 結 びつけて 結 論 を 導 き 出 すのは あまり 説 得 的 とはいえない 10 中 央 アジアと 中 国 の 国 境 問 題 の 詳 細 については 岩 下 前 掲 論 文 を 参 照 -78-
で 触 れた 妥 協 が 敗 北 として 国 民 に 認 識 されることは 政 権 にとって 大 きなダメー ジとなる 万 一 妥 協 が 自 らの 側 の 大 きな 譲 歩 に 基 づいたもの と 認 識 されたなら ば これは 妥 協 に 反 発 するナショナリズムの 高 揚 へ 転 化 しかねない それゆえ 譲 歩 の 度 合 いを 白 日 の 下 にさらす 妥 協 の 内 実 の 公 表 に 対 して 両 政 府 が 慎 重 な 姿 勢 を 崩 さないのは 理 解 しうる さらに 現 実 問 題 として 内 実 が 明 らかにされたとしても ど ちらがより 多 くを 譲 ったのか(= 敗 北 したのか)を 結 論 づけるのは 難 しい 係 争 地 は すべてロシアに 残 るべきと 確 信 するロシア 人 にとって 実 効 支 配 し 続 けてきた 領 土 の 半 分 をも 中 国 に 引 き 渡 すのは 敗 北 でしかありえない 一 方 で 発 展 しつつある 中 国 の 国 力 をもとに 法 律 上 の 権 利 を 主 張 しつづけておけば 将 来 係 争 地 がすべて 中 国 領 となると 考 えてきた 中 国 人 にとって 半 分 しか 移 管 されないのは 同 様 に 敗 北 とし てうつる 逆 に 時 間 がたてば 中 国 に 有 利 と 考 えていたロシア 人 にとって 本 来 法 律 的 に 権 利 が 弱 い 係 争 地 を 半 分 も 自 国 領 として 残 せたのは 勝 利 だ 実 効 支 配 をロ シアが 続 けるかぎり 何 も 手 に 入 らない 状 況 にあるなか 半 分 でも 取 り 返 せたのは 利 益 だと 考 える 中 国 人 にとっても 今 回 の 決 着 は 同 じく 勝 利 とみなせよう 要 する に 勝 利 か 敗 北 かの 議 論 は 個 々の 認 識 の 出 発 点 における 期 待 値 の 取 り 方 によっ て 変 わる 相 対 的 なものといえる その 意 味 で 真 の 評 価 は (ナショナリズムの 反 発 は あっても) 国 境 問 題 が 最 終 決 着 することで 中 国 とロシアがそれぞれに 得 ることができ る 果 実 ( 双 方 の 国 境 地 域 の 行 政 府 や 人 々にとっての 利 益 を 含 む)と 係 争 が 未 決 のま ま 放 置 され 続 けた 場 合 のマイナスの 間 のバランスシートによってはかられるべきだろ う 明 らかに 中 国 とロシアは 1990 年 代 の 経 験 (1991 年 協 定 の 履 行 とその 後 の 国 境 地 域 の 安 定 及 び 発 展 ) 11 をもとに 妥 協 してでも 得 られる 利 益 の 大 きさを 今 回 選 択 し たのである 中 国 もロシアもともに2005 年 5 月 末 までに 批 准 を 終 え 6 月 2 日 ウラ ジオストクの 外 相 会 談 の 際 批 准 書 を 交 換 した 12 日 ロ 国 境 問 題 へ 適 用 は 可 能 か? 13 では 日 本 とロシアの 国 境 問 題 に フィフティ フィフティ 精 神 の 適 用 は 可 能 で あろうか? もし 日 本 とロシアの 双 方 が 妥 協 をしてでも 領 土 問 題 を 早 く 解 決 したけ れ ば これは 適 用 可 能 だと 筆 者 は 考 える フィフティ フィフティ 精 神 による 政 治 的 決 着 を 目 指 せば 日 本 は 歯 舞 色 丹 に 加 え 国 後 島 も 取 り 戻 すことができるかもし れない フィフティ フィフティ なる 文 言 は 近 年 日 本 でもロシアでも 流 行 文 句 のようになっている 4 島 返 還 を 長 年 強 調 し 続 けてきた 識 者 が 双 方 が 一 定 の 痛 み を 分 けあうこと や 国 後 や 択 捉 の 一 部 返 還 で 交 渉 が 妥 結 する 可 能 性 を 示 唆 し ロ シアでは 国 後 を 含 めた3 島 返 還 論 を 3プラス1 と 表 現 し 択 捉 島 を 永 久 に 残 すこ とを 条 件 に 支 持 する 意 見 さえ 登 場 した 11 1997 年 の 画 定 作 業 終 了 後 の 国 境 地 域 の 安 定 と 発 展 に 関 しては 岩 下 明 裕 多 様 化 する 中 ロ 国 境 地 帯 における 経 済 と 外 交 : 接 触 地 点 の 現 場 検 証 大 津 定 美 編 北 東 アジアにおける 国 際 労 働 移 動 と 地 域 経 済 開 発 ミネルヴァ 書 房 2005 年 を 参 照 12 ロシアにとって 批 准 問 題 をクリアできた 意 義 はとりわけ 大 きい 2005 年 5 月 20 日 下 院 で は 批 准 に 対 して 307 人 が 賛 成 する 一 方 で 共 産 党 の 議 員 など 80 人 が 反 対 した ラブロフ 外 相 以 下 外 務 省 はこの 補 足 協 定 を 防 戦 するのに 必 死 であった 国 境 問 題 の 解 決 には 議 会 や 世 論 から どのように 支 持 を 調 達 しうるかが 大 きな 鍵 を 握 るといえよう 13 ここからの 記 述 は 北 海 道 新 聞 2005 年 2 月 15 日 付 ( 夕 刊 )に 掲 載 された 筆 者 のエッセ イ 北 方 領 土 問 題 解 決 のために の 一 部 を 加 筆 修 正 したものである -79-
だが 見 過 ごしてならない 点 は 中 ロが フィフティ フィフティ で 決 断 を 下 す に 至 った 前 提 と 経 緯 である 中 国 とロシアは4000キロを 越 える 国 境 をもち 1960 年 代 末 に 国 境 の 島 をめぐって 軍 事 衝 突 した 経 験 をもつ 中 ロには 妥 協 をしてでもいち 早 く 問 題 を 解 決 したい 前 提 が 存 在 していた また 中 ロは 問 題 を 段 階 的 に 解 決 するやり 方 で 進 めてきた 合 意 可 能 な 国 境 から 先 に 画 定 し 難 しい 係 争 地 を 後 に 廻 すというのが それだ 今 回 の 最 終 決 着 は 1991 年 の 協 定 から 実 に13 年 をかけてたどりついたゴー ルである フィフティ フィフティ とはこの 間 の 様 々な 信 頼 醸 成 措 置 や パートナー シップ を 積 み 重 ねる 過 程 を 通 じて 生 み 出 された 成 果 に 他 ならない 14 要 するに フィフティ フィフティ は 周 到 かつ 十 全 な 準 備 なしに 実 行 しうるもの ではない 実 際 日 ロ 間 には 今 あえて 双 方 の 妥 協 を 急 ぐ 理 由 も また( 例 えば) 段 階 的 交 渉 についての 合 意 も 十 分 にはない 相 互 関 係 の 熟 成 なしに 妥 協 をいそぐと 何 が 起 こるだろうか? それは 双 方 の 勝 利 ではなく 双 方 の 敗 北 である とくに 中 ロ 交 渉 を 決 着 させた 経 験 をもつロシアよりも ロシアのみならず 中 国 と 韓 国 の 領 土 問 題 に 関 しても 昨 今 往 生 している 日 本 にとって 敗 北 感 は 強 いだろう 第 1に 日 本 側 には 日 本 固 有 の 領 土 択 捉 島 を 手 放 したという 不 満 が 残 る 将 来 これは 日 本 外 交 の 失 敗 と 揶 揄 され 不 健 全 なナショナリズムと 結 びつくことで 新 たなロシア 敵 視 論 を 呼 び 起 こしかねない 第 2に 唐 突 な 妥 協 は 外 からの 敵 に 備 え るものと 理 解 されやすい この 場 合 の 敵 とは 中 国 である 実 際 に 領 土 問 題 の 解 決 を 中 国 脅 威 論 を 梃 子 にロシアに 促 そうとする 人 々が 存 在 する しかし 敵 を 仮 想 し 同 盟 を 提 案 するかたちによる 問 題 解 決 は 時 代 錯 誤 のみならず 日 本 の 国 益 を 損 なう ものとなる 筆 者 は 領 土 問 題 の 解 決 は 最 終 的 には フィフティ フィフティ によるしかない と 考 える だが まずこの2 点 に 決 着 をつけることが 先 決 だ 第 1に 4 島 返 還 に 関 するリアルな 状 況 を 認 識 すること 具 体 的 には ロシアが 戦 後 4 島 全 ての 返 還 を 一 度 でも 考 えたことがあったのか 私 たちは 本 当 に4 島 全 てを 取 り 戻 すチャンスを 得 た ことがあったのか についての 真 摯 な 検 証 だ ロシアが 平 和 条 約 締 結 時 に2 島 返 還 を 約 束 した1956 年 の 日 ロ 共 同 宣 言 も 4 島 返 還 の 現 実 的 可 能 性 の 有 無 と 結 びつけて 論 じ てこそ 客 観 的 な 評 価 が 可 能 となる 妥 協 の 前 にそれ 以 外 の 選 択 肢 があり 得 ないこと を 確 認 することは 将 来 に 禍 根 を 残 さないための 必 要 作 業 である 15 第 2に 日 ロの 妥 14 軍 事 上 の 国 境 地 域 に 関 する 信 頼 醸 成 措 置 に 関 しては 岩 下 明 裕 上 海 プロセスの 軌 跡 と 展 望 ロシア 研 究 第 34 号 2002 年 を 参 照 15 筆 者 はこの 論 点 をハワイのシンポジウムで 開 催 されたペーパー( 未 公 刊 )のなかで 論 じたこ とがある(The Search for a New Exit from Japanese-Russian Territorial Deadlock, Conference on "Russia and Russian Far East: Transnational Security and Regional Cooperation," Asia-Pacific Center for Security Studies, Honolulu(2003.12.2-4)) 同 ペーパーのダ イジェスト 版 (ロシア 語 )としては A. Ивасита. Опыт российско-китайских пограничных переговоров: применим ли он к территориальному вопросу между Россией и Японией? (A. Ивасита - Д. Кривцов (сост.). Взгляд вне рамок старых проблем: опыт российско-китайского пограничного сотрудничества, Саппоро, 2005)を 参 照 なお このハワイ ペーパーが 2004 年 2 月 4 日 付 の イズベスチヤ の 曲 解 インタビュー の 発 端 となる 日 本 側 では これを 諜 報 機 関 による 見 事 な 情 報 操 作 とみる 向 きもあるが これはロシアに 対 する 全 くの 過 大 評 価 である 周 到 な 仕 掛 けをしているのであれば 筆 者 の 抗 議 を 受 けて 見 出 しを 削 除 したり 訂 正 記 事 を 掲 載 することはありえない この 操 作 プロセス 及 び 内 外 のリ アクション 自 体 が 政 治 学 的 には 興 味 深 い 分 析 対 象 である これに 関 しては 別 の 機 会 に 詳 細 に 論 じたい -80-
協 が 北 東 アジアの 地 域 秩 序 にプラスの 影 響 をもたらすように 配 慮 すること 具 体 的 に は 日 ロの 和 解 が 日 米 安 保 の 前 提 のもと 中 国 包 囲 網 となることを 防 ぎ 逆 に 日 ロ 関 係 が 軸 となり 米 国 と 中 国 を 含 めた 四 角 形 の 安 定 と 協 力 の 要 となりうることを 地 域 にアピールする 必 要 がある この2 点 をクリアして 初 めて フィフティ フィフティ の 精 神 は 日 ロ 関 係 を 画 期 的 な 方 向 に 動 かす 力 となりえよう -81-