バンコク 便 り C.A.N.H.E.L.P.Thailand NT 通 信 Vol.66 キャンヘルプタイランド ネットワーク 通 信 2014 年 7 月 30 日 発 行 第 66 号 バンコク 在 住 の 西 川 会 長 から 5 月 22 日 にクーデターが 宣 言 されて はやくも 2 か 月 が 過 ぎました 日 本 でも 大 々 的 に 報 道 されていましたので 心 配 してくださった 方 も 多 いかと 思 いますが バン コクは 今 ここ 数 年 なかった 平 穏 さに 包 まれているように 感 じます 5 月 22 日 午 後 4 時 半 軍 がクーデターを 宣 言 し 憲 法 の 停 止 を 発 表 しました ただ 周 りのタ イ 人 や 長 くいる 日 本 人 は えらいことになった というより ようやく 動 き 始 めたか という 受 け 止 め 方 をした 人 が 多 かったように 思 います むしろ 夜 間 外 出 令 が 合 わせて 発 令 されて 市 内 の 地 下 鉄 や BTS( 高 架 鉄 道 )の 運 転 時 間 短 縮 が 6 時 過 ぎになって 発 表 されたことで 様 々な 情 報 が 錯 綜 し 私 が 勤 めている 学 校 も 学 生 たちが 騒 ぎ 出 しました その 日 は 市 内 の 交 通 機 関 が 8 時 に 動 かなくなるということで( 実 際 には 9 時 でしたが) 夜 の 授 業 を 切 り 上 げて 学 生 たちを 帰 らせ 私 も 家 路 を 急 ぎました ビジネス 街 でもある 職 場 近 くの 道 路 は 急 な 夜 間 禁 止 令 発 令 で 家 路 を 急 ぐ 車 列 で 大 渋 滞 電 車 や 地 下 鉄 の 駅 にも 人 が 溢 れ 改 札 規 制 が 敷 かれるほどでした ただ パニックになるような 殺 気 立 っ た 雰 囲 気 はなく みな 秩 序 だって 淡 々と 自 分 の 順 番 を 静 かに 待 っていたのが 印 象 的 でした そこ には 今 回 のクーデターが 外 国 人 がイメージする クーデター ではないという 安 心 感 もあった のではないかと 思 います 多 くの 外 国 人 は 軍 事 クーデターというと 軍 が 一 般 市 民 に 武 力 を 行 使 したり 軍 主 導 で 暴 動 が 起 こ ったりという 事 態 を 想 像 するのかもしれませんが 私 を 含 め 多 くのタイ 人 は 今 回 のクーデターで 長 年 続 き 今 まさに 膠 着 状 態 に 陥 っている 政 府 支 持 派 と 反 政 府 派 の 抗 争 が 事 態 回 復 に 向 けて 動 き 出 したのかもしれないと 期 待 したようにと 思 います (もちろんクーデターに 反 対 する 人 たちも いますが) 翌 日 以 降 しばらく 夜 間 外 出 令 は 続 いたものの 皆 それに 合 わせて 行 動 するようになり 出 勤 帰 宅 時 の 混 乱 はなくなりました 店 舗 も 閉 店 時 間 が 通 常 より 早 くなっただけでいつもと 変 わらぬ 生 活 を 続 けることができました 市 内 各 所 にあったデモ 会 場 は 次 々に 撤 収 になり ついには 一 掃 されました そして サッカーのワールドカップ 開 催 に 合 わせて(?) 夜 間 外 出 令 も 解 除 になり 今 は 普 段 通 りの デモのない 生 活 を 楽 しんでいます 政 府 とデモ 隊 とで 銃 撃 戦 になって 近 辺 に 住 む 同 僚 を 避 難 させた 2010 年 の 戒 厳 令 バンコクから 飛 行 機 が 飛 べなくなって チェンマイまで 行 って 東 京 出 張 に 向 かった 2008 年 のデモ 隊 による 空 港 封 鎖 などを 思 い 出 して ずいぶん 長 い 間 デモが 続 いたものだと 感 慨 一 入 です もちろん 今 の 軍 事 政 権 は 暫 定 政 府 で 諸 外 国 からは 非 難 され 報 道 規 制 もされているので 完 全 に 元 通 りというわけにはいきませんが タイの 政 治 がこのままいい 方 向 に 向 かってくれることを 願 ってやみません 西 川 弘 達 1
特 集 ~2014 年 奨 学 金 授 与 式 ~ 報 告 者 寺 島 優 美 今 年 度 の 授 与 式 は6 月 30 日 から7 月 5 日 まで タイではクーデターにより 軍 が 国 を 統 治 している 状 態 で あったため 日 本 では 治 安 の 悪 化 が 懸 念 されていましたが バンコク 東 北 地 域 共 に 目 立 った 暴 動 や 軍 隊 が 占 拠 している 所 を 目 にすることはなく 特 に 変 わった 様 子 はない 印 象 でした 現 地 の 教 育 委 員 会 の 方 々に 東 北 地 域 ではクーデターの 影 響 はありますか?と 尋 ねると やはり 地 域 的 には 内 心 は 良 く 思 っていないが 軍 の 力 が 強 いこと 5 名 以 上 の 集 まりの 際 は 事 前 に 集 会 の 目 的 を 軍 に 報 告 する 義 務 があるとのこともあり 表 立 った 抵 抗 はしておらず 普 通 に 生 活 している ということでした また 麻 薬 などの 規 制 は 強 くなり むしろ 治 安 は 良 くなっておりクーデター 後 1 か 月 の 現 在 として 市 民 は 好 意 的 な 評 価 をしているとのことでした 例 年 こ の 時 期 は 雨 期 の 始 まりで 何 度 かスコールにあいましたが 10~20 分 程 度 ザァーッーっと 降 ったあとはカ ラッと 止 み 虹 が 見 えることもありました また 今 年 度 は 授 与 式 に 参 加 する 子 供 たちが 集 合 時 間 の 前 にはか なり 集 まっており 時 間 を 守 ることが 出 来 るようになっていることに 感 心 しました 今 年 のキャンからの 挨 拶 は 寺 島 がさせて 頂 き 子 供 たちが 恵 まれない 環 境 の 中 でもやさしくたくましく 育 っていることを 尊 敬 しています これからも 大 変 なことも 多 いと 思 うがこの 心 を 失 わずに 過 ごしてほしい また わたしは 自 分 の 仕 事 ( 医 療 職 ですが)にやりがいを 感 じており この 仕 事 に 巡 り 合 えたことはとてもラ ッキーです そして 仕 事 をすることで 収 入 を 得 て 経 済 的 に 自 立 することとそれ 以 上 のものを 得 ることが 出 来 ていることはとても 幸 福 だと 感 じています 皆 さんも これから 進 路 を 決 めていく 中 で 何 をして( 職 業 ) 誰 と 関 わるか また 家 族 や 友 人 地 域 や 社 会 にどう 関 わって 貢 献 していくかを 考 えながら 楽 しいこと 嬉 しい ことを 見 つけて 過 ごしていってほしい と 伝 えました 教 育 委 員 会 の 方 の 挨 拶 は 主 に 私 達 スタッフが 現 地 へ 直 接 来 てくれたことに 対 しての 感 謝 と 奨 学 金 は 勉 強 して 国 の 役 に 立 つ 人 となるために 使 ってほしい と の 内 容 でした 中 でも 印 象 に 残 ったのがマサラカム 県 の 副 委 員 長 チャイシッツさんのお 話 で 教 育 を 受 ける ということは 親 や 周 囲 の 力 を 借 りているということ 一 種 のチャンスを 与 えられているということなのでこ のチャンスを 生 かして 経 済 的 社 会 的 に 自 立 し 恩 返 しをしてほしい また 社 会 には 誘 惑 は 沢 山 あるが 足 るを 知 る の 思 想 を 持 ち 収 入 と 支 出 など 家 庭 の 余 裕 や 自 身 の 余 裕 を 考 えて ある 程 度 自 立 をしてから 自 身 に 見 合 う 楽 しみや 喜 びを 得 てほしいとの 内 容 でした 私 は 日 本 の 恵 まれた 環 境 にいても ともすれば もっと もっと と 得 ることが 良 いことだと 感 じてしまうこともある 自 分 自 身 への 教 訓 にも 感 じました 今 年 も 継 続 生 徒 へ 何 か 出 来 る 事 を 用 意 してきてほしい なければ 自 身 の 村 の 好 きなところの 話 をしてほ しい 旨 の 通 知 をしました ナコンパノム 県 の 教 育 委 員 の 方 はタイの 子 供 は 基 本 的 に 集 団 の 中 で 自 己 主 張 す ることが 苦 手 だけれど 日 本 の 子 供 は 自 身 の 考 えや 主 張 を 持 っていて 自 己 主 張 が 出 来 るのではないか と 言 っていました 実 際 はそうでもないような 気 がしますし 私 から 見 るとタイの 子 供 はとても 素 直 で 率 直 であ り 子 供 らしいと 感 じました また 今 回 のW 杯 でも 選 手 の 活 躍 は 残 念 だったが タイでは 日 本 の 観 客 が 試 合 終 了 後 にごみを 拾 う 姿 が 有 名 になっていたとも 言 っていて つくづく 日 本 人 に 対 して 良 心 的 で 友 好 的 な 目 が 向 けられているなぁと 感 じました 子 供 たちの 発 表 では 村 の 好 きなところ は 田 んぼがあり 水 があり 魚 が 住 んでいて 緑 豊 かな 風 景 を 誇 りに 思 う 村 にあるお 寺 好 きで お 寺 に 行 くと 安 らぎを 感 じる 家 が 好 き で 家 族 で 過 ごしたり 農 作 業 しているときに 幸 せだと 感 じる など 流 石 なかなかしぶいなぁという 感 じで したが 子 供 達 の 表 現 はとても 素 直 できれいでした また 得 意 の 英 語 でスピーチ( 身 振 り 手 振 りを 加 えた 劇 場 版 ) 日 本 語 の 歌 を 歌 う( 愛 している~ と 歌 詞 がはっきり 聴 こえたのが 印 象 的 でした) タイの 歌 を 歌 う ( 透 き 通 るような 歌 声 が 印 象 的 でした)やギターや 民 族 楽 器 を 演 奏 してくれる 男 の 子 もいて 多 岐 にとんでい ました 2
今 年 の 家 庭 訪 問 はサッケオ 県 の 新 規 の 奨 学 生 小 学 6 年 生 サラウッドくん 宅 を 訪 問 させて 頂 きました 家 族 構 成 は 10 人 家 族 で 父 親 は 居 なく 母 親 は 新 しい 家 族 を 作 りサラウ ッド 君 の 面 倒 を 見 なくなったため 祖 父 母 に 引 き 取 られ 祖 父 母 が 親 代 わりをしています 祖 父 は 5 年 前 に 脳 卒 中 を 患 い 後 遺 症 があり 働 くことは 出 来 ません 姉 夫 婦 のわずかな 賃 金 と 土 地 を 貸 しているお 金 で 生 活 をしていますが 電 化 製 品 は 扇 風 機 1 台 テレビ 1 台 ケータイ 電 話 1 台 のみで 交 通 手 段 がありませんでした その 影 響 もあってか 祖 父 は 発 症 した 直 後 の 数 か 月 は 1 人 で 歩 くことや 右 手 も 使 うこと ( 左 から3 番 目 :サラウッドくん 真 ん 中 : 祖 父 ) が 出 来 たそうですが 現 在 は 一 人 では 歩 くことや 右 手 を 使 うことが 出 来 ませんでした おじいさんの 歩 行 介 助 をさせて 頂 いているときに この 家 族 がなすすべなくこ のような 状 態 になってしまったことを 受 け 入 れるしかないことが 何 だか 悲 しくも 感 じられましたが 同 時 に どのようなリハビリをやると 良 いか? とおばあさんが 一 生 懸 命 尋 ねてきましたし それを 聴 くおじいさ んの 目 も 輝 いているのを 見 て 人 間 が 良 くなりたい という 想 いは 本 当 に 強 いものだ と 感 じました タイ では 高 齢 となり 病 気 やけがをした 場 合 基 本 的 に 在 宅 となりますが 訪 問 診 療 や 訪 問 看 護 リハビリの 制 度 は 普 及 しておらず 保 健 所 の 診 療 所 職 員 による 訪 問 のみとのことで 日 本 同 様 に 少 子 高 齢 化 という 社 会 問 題 を 抱 えており これから 子 供 たちがどのような 社 会 を 創 っていくのか と 考 えると 共 に 何 気 なく 祖 父 母 の 手 伝 いをする 子 供 達 をみて 今 回 サラウッド 君 を 新 規 の 奨 学 生 として 迎 えることが 出 来 て この 少 年 のチャンス に ほんのわずかでもこの 家 庭 の 希 望 になって 本 当 に 良 かったなぁと 思 いました 今 回 のように 新 規 の 奨 学 生 を 受 け 入 れることが 出 来 るのも ドナーの 皆 様 の 温 かいご 支 援 の 継 続 によるものです 有 難 いなぁと 改 め て 感 謝 するとともに この 場 をお 借 りして 深 くお 礼 申 し 上 げます 今 回 家 庭 訪 問 をさせて 頂 いたサラウッドくんはとても 成 績 優 秀 だそうで そのような 子 供 のやる 気 と 才 能 が 環 境 が 整 わないことで 芽 を 出 すことが 出 来 ないことはこの 子 自 身 や 家 族 にとってもタイの 社 会 にとって も とてももったいないことだと 思 いました ドナーの 皆 様 には 後 日 送 付 させて 頂 く 各 種 書 類 をご 覧 にな るときに 子 供 達 の 家 庭 や 生 活 はどのような 状 況 なのか 手 紙 をご 覧 いただくときにどんなことを 想 い 生 活 をしているのかをみて 頂 き 子 供 達 を 理 解 して 頂 くことで また 何 かを 感 じとって 頂 くことができると 幸 い です また この 奨 学 金 プログラムはスタート 以 来 20 年 になりますが 最 近 5~6 年 は 寄 付 金 が 減 少 傾 向 になり 特 に 2011 東 日 本 大 震 災 から 支 援 金 の 流 動 があり 大 幅 に 減 少 しておりまして 当 会 の 繰 り 越 し 基 金 から 補 填 して 奨 学 生 の 人 数 を 維 持 しているのが 現 状 です そこで 下 記 県 に 関 しては 本 年 度 限 りで 新 規 奨 学 生 の 受 付 中 止 と 奨 学 金 授 与 式 中 止 せざるを 得 なくなりましたのでご 報 告 させて 頂 くと 共 にご 理 解 頂 きたく お 願 い 申 し 上 げます サ コ ン ナ コ ン 県 ヤ ソ ト ー ン 県 シ ー サ ケ ッ ト 県 ス リ ン 県 ブ リ ラ ム 県 サ ッ ケ オ 県 計 6 県 なお 現 在 の 継 続 奨 学 生 に 対 しては 各 教 育 委 員 会 の 方 々のご 協 力 の 元 対 象 生 徒 が 卒 業 するまで 責 任 を もって 本 人 宛 に 直 接 講 座 送 金 して 支 援 を 継 続 することとさせて 頂 きます 皆 様 の 友 人 知 人 へのお 声 掛 けで 支 援 の 輪 を 再 度 広 げてきたいと 思 いますので 皆 様 のご 協 力 をお 願 いし たいと 思 います 3
2014 年 県 別 支 援 人 数 3,000バーツ 支 援 2,000バーツ 支 援 県 名 高 校 専 門 学 校 中 学 生 人 数 小 学 生 人 数 県 の 合 計 支 援 金 額 短 大 人 数 サケーオ 3 5 0 19000 ブリラム 8 10 0 44000 スリン 4 6 0 24000 シーサケット 8 3 0 30000 ヤソトーン 9 5 0 37000 ロイエット 7 4 1 31000 マハサラカーム 8 6 0 36000 カラシン 11 4 0 41000 サコンナコーン 10 5 0 40000 ムックダハーン 10 4 0 38000 ナコンパノム 11 4 0 41000 授 与 式 報 告 6 月 30 日 (サコンナコン ナコンパノム 県 ) サコンナコン 県 この 地 域 は 中 学 卒 業 後 に 専 門 的 な 職 業 内 容 について 学 ぶ 職 業 訓 練 校 が 充 実 しているということで 他 県 から も 職 業 訓 練 の 為 に 学 生 が 集 まっていると 教 えて 頂 きました また 2~3 年 前 から 国 としても 高 校 進 学 より も 職 業 訓 練 校 を 推 進 しているそうです 目 的 をもって 未 来 に 繋 がることを 学 ぶことが 出 来 るといった 点 でそ れもいいことだなぁ と 感 じました 授 与 式 は 初 めての 県 ということもあって 緊 張 しましたが とても 温 か く 迎 え 入 れて 頂 き 中 学 生 位 の 女 の 子 が 手 作 りのキーホルダーをお 礼 に 下 さいました 事 前 に 10~20 個 位 作 成 し きれいに 包 装 してあり この 日 の 為 に ドナー 様 への 感 謝 の 気 持 ちを 込 めて 時 間 をかけて 作 ってく れたのだなぁ と 感 じ 喜 ばしい 気 持 ちで 少 し 和 みました ナコンパノム 県 教 育 委 員 会 副 委 員 長 さんがお 話 をしているなかで タイの 子 供 はとても 素 直 だから 悪 用 されてしまうと 騙 されたり 傷 つけられたりしてしまうことがあるからそれが 心 配 だ とおっしゃっていました 昨 年 3 月 の 海 ツアーに 参 加 していた 男 の 子 が 居 たので ( 私 のことを) 覚 えている? と 尋 ねると 覚 えてない と 笑 顔 で 返 事 があり やはりなるほど 率 直 な 返 答 と 無 邪 気 さが 感 じられ 逆 に 微 笑 ま しく 思 いました 私 の 個 人 的 な 感 想 としても タイの 子 供 たちは 素 朴 で 純 粋 な 印 象 があり カラッとした 感 じが 魅 力 に 思 います 7 月 1 日 (ムクダハン カラシン 県 ) ムクダハン 県 周 りの 風 景 として 田 が 多 くとても 開 けている 印 象 で 7 月 は 田 植 えの 真 っ 最 中 でした ここで 協 力 団 体 Freeの むさん( 奨 学 生 のフォローをして 下 さっていて 4
お 姉 さん 的 存 在 )のケータイに 電 話 がかかってきました 中 学 から 奨 学 金 を 受 けていて 現 在 短 大 生 の 子 が 学 校 がお 休 みの 土 日 に 就 労 した 賃 金 で 収 入 を 得 ることが 出 来 ているため 奨 学 金 の 枠 を 譲 りたいとの 申 し 出 がありました 去 年 奨 学 生 に 配 布 した 冊 子 に 最 南 部 で 川 を 4 つ 渡 らなければ 通 学 出 来 ないが 毎 日 勉 強 をす るために 長 時 間 かけて 通 学 している 子 供 が 居 るという 内 容 の 記 事 を 載 せてあったのですが その 記 事 を 見 て 自 分 よりも 大 変 な 思 いをしている 子 に 譲 りたいと 働 くことを 始 めたそうです 自 身 も 奨 学 金 を 必 要 とする 家 庭 環 境 のなかで それでも 自 分 よりも 大 変 な 思 いをしているであろうと 感 じる 心 と それに 対 して 自 ら 働 く という 行 動 をして 自 立 し 他 者 を 助 けるという 考 えとなったということがとても 素 晴 らしく 喜 ばしいと 感 じ ました カラシン 県 発 表 の 時 間 に 中 学 生 くらいの 男 の 子 が 民 族 楽 器 (ギターのようなもの)を 演 奏 してくれました この 子 は 終 始 とてもニコニコしていてそれでいながらも 堂 々とした 演 奏 で 力 強 さを 感 じました 私 自 身 も2 日 目 の 授 与 式 ということもあり 言 葉 は 分 からないなりにだんだん 子 供 たちの 個 性 が 伝 わってく るような 感 じがしました 恥 ずかしがり 屋 だったりお 茶 目 だったり 自 信 満 々だったり と 色 々な 子 供 がいま したがどの 子 にも 共 通 して 感 じたことは 生 きているたくましさ でした それが 時 々 垣 間 見 えるような 気 がして 大 変 な 環 境 の 中 で 今 まで 頑 張 って 生 きてきた そしてこれからも 生 きていくたくましさが 真 っ 直 ぐに 伝 わってきました この 心 姿 勢 が 現 実 の 中 で 実 を 結 び 社 会 で 生 きていける 力 をつけることが 出 来 ま すように と 祈 る 気 持 ちになりました 7 月 2 日 (マサハラカム ロイエット 県 ) マサハラカム 県 授 与 式 開 始 30 分 前 にほぼ 全 員 揃 って いる 位 の 集 合 の 良 さでした タイの 人 々は 大 らかな 印 象 がありますが 今 年 の 授 与 式 では 殆 ど 遅 刻 してくる 子 供 は 居 ませんでした 先 述 させて 頂 いた 副 委 員 長 さんのお 話 がとても 印 象 的 で した ロイエット 県 この 県 では 女 子 高 校 生 の 4~7 人 がグループでワイワイしながら 写 真 を 撮 ってく ださい と 積 極 的 に 声 を 掛 けてくれました 青 春 真 っ 盛 りといった 感 じで とても 生 き 生 きしていて 私 も 高 校 生 にかえったような 気 持 ちで 楽 しく 写 真 を 何 枚 も 撮 りまし た どんな 環 境 でも このような 青 春 があることが 良 かったなぁと 感 じました 7 月 3 日 (ヤソトーン シーサケット 県 ) ヤソトーン 県 この 県 では 沢 山 のお 礼 の 品 を 頂 きました どの 品 も 手 作 りで 自 身 が 描 いた 絵 やお 祖 母 さんが 作 ってくれた 枕 など どれも 手 間 暇 かけて 作 ってくれたものばかりでした 大 変 申 し 訳 ないことに 大 きさの 大 きい 枕 などはお 届 けすることが 出 来 ませんが ドナ ー 様 へ 描 いた 絵 やポストカードは 後 日 郵 送 させて 頂 きます また これらの 品 々を 手 渡 す 時 に 合 掌 して 深 々と 頭 を 下 げる コップン マーク カァ(クラップ) と 言 う 子 供 達 の 姿 を 見 て 子 供 たちの 心 からの 感 謝 を 感 じるとともに 私 自 身 も 子 供 たちの 感 5
謝 を 感 じ 伝 えるこのような 機 会 を 頂 きドナーの 皆 様 へ 感 謝 の 気 持 ちで 一 杯 になりました シーサケット 県 この 県 では 発 表 の 時 に 皆 が 恥 ずかしがって?なかなか 出 てきてくれませんでしたが 女 の 子 が 2 人 自 身 の 村 の 好 きなところを 話 してくれました 県 によっても 子 供 たちの 個 性 があるようで 面 白 く 感 じました 7 月 4 日 (スリン ブリラム 県 ) スリン 県 この 県 では 毎 年 このような 形 で 子 供 たちが 自 己 紹 介 とお 礼 の 言 葉 を 述 べます 教 育 委 員 会 の 方 は 子 供 たちが 皆 の 前 で 何 かを 発 表 す ることの 練 習 にもなり 自 信 をつけることにもなるのでこの 機 会 を 大 切 にしている とおっしゃっていました 来 年 この 県 では 授 与 式 を 実 施 出 来 ないため 申 し 訳 ない 気 持 ちになりましたが スリン 県 の 教 育 委 員 会 の 方 々は 終 始 友 好 的 協 力 的 で 温 かく 接 してくださいました 奨 学 金 を 受 け 取 るだけでなく 子 供 たちがどのような 援 助 が 必 要 でどのように 社 会 に 迎 えられるかを 考 えてみえている 所 が 垣 間 見 られて 印 象 的 でした ブリラム 県 比 較 的 ざっくばらんに 授 与 式 が 行 われ 終 始 和 やかな 印 象 でした 途 中 奨 学 生 の 子 供 の 挨 拶 の 発 音 が 異 な ったので タイ 語 は 話 しますか? と 質 問 すると 家 では 民 族 の 言 葉 で 話 しているとのことでした 色 々な 民 族 の 人 々がタイで 普 通 に 馴 染 んで 生 活 しているのなだなぁ と 身 近 に 感 じました 7 月 5 日 (サッケオ 県 ) サッケオ 県 授 与 式 後 一 人 の 少 女 がむさんに 駆 け 寄 り なにやら 一 生 懸 命 話 をして いました なんでも 将 来 医 者 になりたいがそのためにはどうすれば 良 いか とのことでした 今 後 の 生 活 や 職 業 を 含 めて 将 来 に 希 望 や 意 思 が 芽 生 えていることはとても 良 いことで 奨 学 金 はその 灯 りをともす 手 助 けになっているのではないかと 感 じられ 継 続 的 な 奨 学 金 プログラムの 必 要 性 を 感 じることになりました 私 としては 子 供 達 一 人 一 人 に 何 の 科 目 が 好 きなのか どんな 遊 びが 好 きなのか?など 沢 山 聞 きたいこと はありましたが わずかな 滞 在 時 間 で 多 くのことは 聞 くことが 出 来 ませんでした ムクダハン 県 で 子 供 たち に どんな 時 に 楽 しいか どんな 時 につらいか? と 聞 くと 友 達 といるとき 勉 強 をしているとき 家 で 農 家 の 手 伝 いをしているとき 家 族 といるとき サッカーをするときなどに 楽 しいと 感 じ 自 分 よりも 大 変 な 生 活 をしている 人 のニュースを 見 たとき 母 親 が 苦 労 をしているとき アルバイトをしているときなどに つらいと 感 じるとのことでした 子 供 たちは 奨 学 金 を 支 援 し 陰 で 支 えて 下 さっているドナーの 人 はどんな 人 何 だろうと 興 味 関 心 を 持 っ ていますので 皆 様 から 何 かお 声 掛 けや 質 問 (そちらの 天 気 はどうですか? 過 ごしやすいですか? 今 一 番 楽 しいことは 何 ですか? 日 本 では 今 このようなものが 流 行 っています 日 本 のことで 知 りたいことはありま すか?など なんでも 構 いません)がございましたら 日 本 語 で 構 いませんので 是 非 事 務 所 あてにお 送 り 頂 ければと 思 います 事 務 所 でタイ 語 に 翻 訳 させて 頂 いて 生 徒 へ 送 らせて 頂 きますので この 機 会 にお 便 りを 頂 きたくお 願 い 申 し 上 げます 2014 年 7 月 寺 島 優 美 記 6
報 告 ~すみれ 基 金 奨 学 生 からの 手 紙 ~ パニッサラー セーヤーンさんからの 手 紙 สว สด ค ะพ ๆท กคน เป นอย างไรก นบ าง? คะ สบายด ร เปล าคะ? ช วงน หน ก กาล งเตร ยมต วอ านหน งส อเพ อเตร ยมความพร อมในการเร ยนค ะ ท งต นเต น ท งอยากร ว า ช ว ตในมหาล ยจะเป นย งไงนะ?? เพ อนๆในมหาล ยจะด เหม อนเพ อนๆสม ยม ธยมร เปล า?? การเร ยนในมหาล ยจะเป นแบบไหน? ก นนะ และก แอบกล วน ดๆ >> << แต ก จะส เต มท ค ะ และแล วว นท 28 เมษายน ท ผ านมา หน ก ได เห นค าเทอมต วเอง ม นค อนข างแพงค ะ ย งไงหน ก ขอเบ กเง นในส วนน ด วยนะคะ หน ได แนบเอกสารใบแจ งยอดการชาระเง นจากทางมหาว ทยาล ยแม ฟ าหลวงมาเร ยบร อยแล วค ะ ซ งทางมหาล ยกาหนดให จ ายต งแต 28 เมษายน - 9 พฤษภาคม 2557 ค ะ ส ดท ายน หน ต องขอขอบค ณพ ๆม ลน ธ พ นพล งท กคนท ให โอกาสแก หน ขอบค ณนะคะ หน จะต งใจเร ยนค ะ และเม อหน เต บโตข นหน จะเป นผ ให ก บผ อ นเหม อนอย างท ทางม ลน ธ ให โอกาสหน ขอบค ณค ะ ขอพระเจ าทรงอวยพระพร เสร มกาล งเร ยวแรง ด แลปกป องค มครอง และทรงนาช ว ตพ ๆท ม ลน ธ ท กคนให ประสบแต ความสาเร จ และม ความส ขมากๆๆนะคะ Thank you very much for your chance for me GOD BLESS U NUTTY น.ส.เปม กา ก ตต ศ กด ย งย น น ส ตสาน กว ชาพยาบาลศาสตร มหาว ทยาล ยแม ฟ าหลวง 皆 様 こんにちは お 元 気 ですか? 今 私 は 大 学 の 勉 強 の 準 備 をしています 大 学 生 生 活 はどんな ものかとてもわくわくしています 大 学 の 友 達 は 高 校 の 友 達 と 同 じようにいい 人 なのか? 大 学 での 勉 強 はどんなものなのか? ちょっと 不 安 です >><< でも 一 所 懸 命 頑 張 ります 4 月 28 日 に 学 費 の 請 求 書 が 来 ました かなり 高 いです 学 費 の 一 部 は 奨 学 金 に 頼 るしかありません 学 費 の 支 払 いは4 月 28 日 から5 月 9 日 までとなっています 宜 しくお 願 いします 最 後 に 財 団 や 基 金 のみなさんに 大 変 感 謝 いたします 私 に 勉 強 のチャンスをくださってありがとう ございます 一 所 懸 命 勉 強 することを 約 束 します 大 きくなるとみなさんが 私 にチャンス を 下 さったのと 同 じように 私 も 他 の 人 にできることをしたいと 思 います 神 様 の 力 でみなさんの ご 健 康 ご 成 功 を ご 多 福 をお 祈 りいたします Thank you very much for your chance for me NUTTY 7 GOD BLESS U Pemika (Panissara) Kittisakyangyuen (Saeyang) Nurse Department Maefaluang University アッチラー アドウィンジットさんからの 手 紙 27 พฤษภาคม 2557 สว สด พ ๆท กคนนะคะ เป นย งไงบ างค ะ ตอนน น องฝนสบายด ค ะ หล งจากท ได ออกอากาศไปม คนใจบ ญโอนเง นมาให น องฝนด วยคะ ตอนน ก ได ประมาณหน งหม นกว าบาทคะ น องฝนต งใจว าจะเก บเอาไว ใช เฉพาะการศ กษาเท าน นจะไม ถอนออกมาเด ดขาด เด อนหน าน องฝนก จะไปอย มหาว ทยาล ยเต มต วแล วนะคะ ส ปดาห หน าน องฝนก เตร ยมต วซ อข าวของเข าอย หอแล วค ะ ซ งเง นท ซ อของเข าหอพ กน น องฝนเอามาจากเง นท ทางานค ะ น องฝนม ความส ขท กคร งท ได เห นเง นท ต วเองทามาก บม อด วยน าพ กน าแรงของต วเอง ม นร ส กม ความภาคภ ม ใจท ต วเองสามารถทาอะไรได โดยท น องฝนไม ต องให ใครมาลาบาก สาหร บเร องท ต วเองสามารถช วยเหล อได
สาหร บส งต อไปท น องฝนต องทาก ค อ ความฝ น ตอนน น องฝนกาล งเด นหน าต อไป น องฝนร ส กว าเหม อนต วเองเด นอย บนเส นทางท เปล ยวย งไงไม ร คะ ร ส กเหม อนม นโดดเด ยวย งไงไม ร พ เข าใจใช ไหมค ะ ว าการท เราต องเด นทาตามความฝ นโดยลาพ งม นร ส กเหงา และว าเหว มาก แต ถ งย งไงน องฝนก จะทาความฝ นให สาเร จให ได เพราะว ตถ ประสงค ของน องฝนก ค อ เร ยนให จบ ม งานทา สร างบ านให เป นหล กแหล ง เพ อท จะให ย าได สบายตอนท ท านชรา น องฝนค ดตลอดคะ ว าส งท น องฝนทาอย ตอนน ทาเพ อใคร และน องฝนต องทาให สาเร จให ได พ ๆช วยเป นกาล งใจให น องฝนด วยนะคะ ส ดท ายน น องฝนขอให พ ๆม ความส ข ส ขภาพท แข งแรง และอย เป นกาล งใจให ก บพวกเราต อไปนะคะ ขอบค ณพ ม และพ ๆท กคนมากคะ นางสาวอ จฉรา อด ลจ ตร น กศ กษามหาว ทยาล ยราชภ ฏส ราษฏร ธาน みなさん こんにちは 2014 年 5 月 27 日 お 元 気 ですか? 私 は 元 気 です この 間 テレビ 番 組 が 取 材 したものが 放 送 された 後 1 万 バーツくらいの 支 援 金 が 振 り 込 まれました この 支 援 金 をできるだけ 長 く 貯 金 して 必 要 なとき 勉 強 のためだけに 使 い たいと 考 えています 来 月 から 大 学 での 生 活 が 始 まります 来 週 寮 生 活 に 必 要 なものを 購 入 する 予 定 で す この 分 のお 金 は 自 分 が 仕 事 して 得 たお 金 です 自 分 の 力 で 得 たお 金 他 の 人 に 迷 惑 せずに 自 力 で 頑 張 れることはとても 誇 りに 思 います 私 は 次 にやるのは 夢 を 実 現 することです これから 向 かっていきます しかし 今 自 分 が 一 人 で 誰 も いない 道 に 進 んでいるというのは なんだかとても 孤 独 で 寂 しいです それでも 頑 張 ります 私 も 一 番 の 夢 は 大 学 を 卒 業 仕 事 をして ちゃんとした 家 を 作 り 私 を 育 ててくれたおばあさんが 高 齢 のときに 快 適 に 過 ごせることです いつも 自 分 が 持 っている 目 標 を 思 っています 必 ず 成 功 してみせます 私 を 応 援 してください 最 後 にみなさんのご 多 福 ご 健 康 をお 祈 りいたします 末 永 く 私 たちを 応 援 してください みなさんに 大 変 感 謝 しています ありがとうございます Atchara Aduljit Rajabhat Suratthani University 運 営 委 員 会 (2014 年 5 月 ~7 月 ) 活 動 月 日 場 所 内 容 運 営 委 員 会 5 月 事 務 所 奨 学 金 アサイン 作 業 運 営 委 員 会 6 月 事 務 局 奨 学 金 授 与 式 準 備 運 営 委 員 会 7 月 事 務 所 ネットワーク 通 信 編 集 授 与 式 報 告 (メール) 運 営 委 員 募 集 中! 一 緒 にキャンヘルプタイランドの 運 営 に 参 加 してみませんか? 通 常 は 毎 月 第 4 土 曜 日 に 事 務 所 に 集 まり 会 の 運 営 について 話 し 合 っています 見 学 でも 結 構 ですので 是 非 事 務 所 へ 遊 びに 来 てください 次 回 の 運 営 員 会 は 開 催 日 未 定 のため 参 加 希 望 の 方 は 事 務 局 までメールでお 問 い 合 わせください 編 集 後 記 8 一 時 期 は 毎 日 ニュースになっていたタイの 情 勢 もこのと ころは 安 定 しているようですね 10 年 ほど 前 のこの 時 期 は 毎 年 3 週 間 ぐらいタイのイサーンの 学 校 で 校 舎 建 設 を していました タイも 日 本 も 夏 の 気 温 はそんなに 変 わり <キャンヘルプタイランドネットワーク 通 信 Vol.66> 発 行 キャンヘルプタイランド 発 行 人 西 川 弘 達 編 集 人 坂 茂 樹 発 行 日 2014 年 7 月 30 日 住 所 450-0003
9 C.A.N.H.E.L.P.Thailand NT 通 信 Vol.66