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Transcription:

http://webpoubelle.web.fc2.com/ddr-intellektuelle.pdf ( 本 稿 は 2010 年 の 草 稿 のリサイクルです ) 2013 10 1 リサイクル 出 版 http://webpoubelle.web.fc2.com/ kimura@gmx.net

Es gibt eine Chance für unsere Hoffnung Wenn wir scheitern, frißt uns McDonald. Christoph Hein はじめに 1989 年 11 月 9 日 にベルリンの 壁 が 崩 壊 する 五 日 前 11 月 4 日 に 演 劇 および 作 家 を 中 心 としたグループの 呼 びかけにより ベルリンのアレキ サンダー 広 場 で 東 ドイツ 1 最 大 のデモが 組 織 された 呼 びかけは ドイツ 1 東 ドイツの 正 式 名 称 はドイツ 民 主 共 和 国 (Deutsche Demokratische Republik:DDR)であるが 東 ドイツと 記 す ドイツ 連 邦 共 和 国 (Bundesrepublik Deutschland: BRD)も 同 様 に 西 ドイツとする また 党 はドイツ 社 会 主 義 統 一 党 (Einheitspartei Deitschlands: SED)で 形 式 的 2

座 フォルクスビューネ ベルリーナー アンサンブルの 演 劇 メンバー たち 市 民 グループの 新 フォーラム 作 家 団 体 などである 50 万 人 を 越 す 人 たちがそのデモに 参 加 した 壇 上 から 知 識 人 を 含 め 多 くの 人 物 が 大 衆 に 語 りかけた その 代 表 は シュテファン ハイム(Stefan Heym) そ れ か ら ク リ ス タ ヴ ォ ル フ( Christa Wolf) クリストフ ハイン ( Christoph Hein) そしてハイナ ミュラー (Heiner Müller)らである 革 命 的 な 運 動 というのはすべて 言 葉 をも 解 放 するのです これまで 言 葉 にしにくかったものがある 時 突 然 私 たちの 口 から 自 由 に 飛 び 出 してくる しかもその 言 葉 がすでに 十 分 長 いこと 考 えられてきたことであり いまこれを 大 声 で 呼 びかけているのだ とい うことに 驚 かされるのです いまこそ 民 主 主 義 を! 2 ここでのそれぞれの 短 い 呼 びかけは スタイルやニュアンスの 違 いは あれ 党 の 独 裁 に 代 わって 民 主 主 義 を 作 ろう 人 間 を 構 造 に 従 属 させな い 社 会 主 義 を 作 ろう 西 側 資 本 主 義 の 侵 入 に 対 抗 し 社 会 主 義 の 美 徳 を 守 ろうという 点 でその 時 点 ではほぼ 一 致 していた フォルカー ブラウン (Volker Braun)の 言 葉 を 使 えば 人 民 所 有 (Volkseigentum)プラス 民 には 一 党 独 裁 ではないが 実 質 的 に 独 裁 だった その 他 も 国 名 は 慣 用 的 な 表 現 を 使 用 する 2 Schüddekopf(1990: 213) 翻 訳 は 東 ドイツの 民 主 化 を 記 録 する 会 (1990: 40)を 参 照 3

主 主 義 である それまで 人 民 所 有 という 言 葉 を 使 いつつ 党 の 中 央 集 権 的 な 支 配 が 行 われていた しかし ここで 使 われている 人 民 は 当 時 スローガンとして 唱 えられた われわれが 人 民 だ(Wir sind das Volk) というときの 人 民 である 今 挙 げた 人 物 はすべて 劇 作 家 詩 人 を 含 めた 作 家 に 分 類 できる 人 々である しかし ミュラーの 発 言 はさまざまな 民 主 化 運 動 の 記 録 に 残 され ていない 彼 も 他 の 人 々 同 様 に 演 台 から 呼 びかけた 労 働 組 合 はこれま で 党 で 決 められたこと 以 外 何 もしてこなかったことへの 批 判 これから 厳 しい 経 済 状 況 になること そしてそのために 党 から 独 立 した 労 働 組 合 が 必 要 であることを 述 べた(Müller 2003: 414) これは 彼 のオリジナル な 声 明 ではなかったのだが 彼 のアピールにはブーイングが 起 こった その 時 点 ですでに 自 分 たちに 対 する 批 判 には 拒 否 反 応 を 示 していた この 5 日 後 にベルリンの 壁 が 解 放 される そこでの 知 識 人 の 役 割 と 経 過 を 見 ると 東 ドイツの 体 制 の 崩 壊 に 知 識 人 が 主 導 的 役 割 を 演 じていたと 見 ることができるかもしれない しかし このような 活 動 の 期 間 はかな り 短 いものだった 表 立 った 活 動 の 期 間 は 1989 年 の 9 月 ごろから 初 めて の 自 由 選 挙 のあった 翌 3 月 までである 11 月 9 日 にベルリンの 壁 は 予 期 せずに 崩 壊 した その 後 の 経 過 は 議 論 が 起 こる 時 間 もなく 西 ドイツ の 選 挙 キャラバンの 効 果 もあり 西 ドイツによる 東 ドイツの 吸 収 と なった 1990 年 10 月 3 日 にドイツは 統 一 された 4

西 ドイツの 社 会 学 者 レペニースが 五 日 天 下 の 知 識 人 (Helden für fünf Tage) ( Lepenies 1992: 56)と 呼 んだように 彼 らがとくに 注 目 を 浴 びた のはその 間 のことであった 西 側 の 保 守 派 だけでなく 多 くの 社 会 学 者 も 平 和 的 革 命 を 起 こしたのは 組 織 も 電 話 もコピーもなく 集 会 に 集 まっ た 東 ドイツ 市 民 であって(Beck 1989: 186) 知 識 人 で は な い こ と に 驚 き をもった 電 話 もコピー 機 も 組 織 もなくというのは 単 に 地 下 抵 抗 運 動 がなかったということの 裏 返 しでしかなかったのであるが 本 原 稿 は 革 命 の 英 雄 は 知 識 人 か 市 民 かのどちらであったかを 明 らか にするものではない ベルリンの 壁 崩 壊 に 至 るまでの 東 ドイツ 知 識 人 が どのように 行 動 したか そして そのように 行 動 した 歴 史 的 文 化 的 背 景 はどのようなものであったかを 明 らかにする 試 みである したがって 歴 史 的 出 来 事 に 関 する 発 言 の 内 容 よりもむしろ 意 識 的 あるいは 無 意 識 的 な 知 識 人 についての 自 己 理 解 が 行 動 にどのように 反 映 しているかに 注 目 する 彼 らの 行 動 を 規 定 している 暗 黙 の 自 己 理 解 から 彼 らの 行 動 を 説 明 する 当 時 活 躍 した 知 識 人 は 40 歳 以 上 で 第 二 次 大 戦 経 験 者 も 多 かった そのためには 知 識 人 が 東 ドイツでどのように 位 置 づけられ 実 際 に 活 動 してきたかを 明 らかにすることが ベルリンの 壁 崩 壊 当 時 の 彼 らの 行 動 の 原 理 を 説 明 する 鍵 になる 戦 後 ドイツの 知 識 人 の 位 置 づけ 5

知 識 人 という 言 葉 は ドレフュス 事 件 の 際 になされたゾラの 声 明 (1898 年 ) 以 降 ドレフュス 派 に 対 してバレスが 用 いた 知 識 人 の 抵 抗 に 由 来 する 規 範 的 な 意 味 での 不 正 や 真 理 の 抑 圧 に 抵 抗 する 知 識 人 3 とい う 意 味 が 一 般 化 するのは 第 一 次 大 戦 後 である(Collini 2006: 21) そ の 言 葉 は 世 界 的 に 広 まったのであるが 受 容 される 歴 史 的 文 化 的 背 景 に よって 微 妙 に 意 味 に 違 いがある ドイツでは 第 二 次 大 戦 後 に 一 般 化 する それまでは 精 神 (Geist)( あ る い は 文 化 ) に 関 わ る 者 と 権 力 ( Macht)( あ るいは 政 治 )に 関 わる 者 とは 重 ならないと 理 解 されていた それゆえ ワイマール 期 にその 二 つを 結 びつけようという 運 動 があった 戦 後 の 西 ドイツの 新 たな 知 識 人 論 は 1942 年 にアメリカで 出 版 された J シュンペーターの 資 本 主 義 社 会 主 義 民 主 主 義 なかで 述 べら れた(Schumpeter 1961: 145-148=1995: 227-230) こ の 本 は 戦 後 一 九 四 六 年 にスイスでドイツ 語 に 翻 訳 され 版 を 重 ねた 社 会 学 者 レプジウスは 1963 年 に シュンペーターの 議 論 を 発 展 させて シュピーゲル 事 件 の 知 識 人 の 活 動 から 公 共 圏 における 知 識 人 のあり 方 介 入 のあり 方 を 明 確 に した シュピーゲル 事 件 とは 62 年 に 雑 誌 シュピーゲル で NATO の 軍 事 演 習 をすっぱ 抜 いた 記 事 が 国 家 機 密 の 漏 洩 の 罪 に 当 たるとして 検 察 が 3 シャルル(2006)では ブルデューの 影 響 から 当 時 のフランス 知 識 人 (intelletuels)を 社 会 集 団 と 捉 え 直 している 6

編 集 室 を 占 拠 し 発 行 人 と 編 集 者 を 逮 捕 した 事 件 である それに 対 して 知 識 人 たちが 抵 抗 し 容 疑 者 は 解 放 され 国 防 相 が 辞 職 した J ハーバマスの 公 共 性 の 構 造 転 換 が 出 版 されたのはその 事 件 と 同 じ 年 である 彼 は 公 共 圏 の 重 要 性 とその 現 在 の 衰 退 した 状 況 を 指 摘 していた シュンペーターは 階 級 ではなく 言 葉 の 力 で 力 を 発 揮 する 人 職 業 的 専 門 から 外 れたことについて 語 る 人 を 知 識 人 と 呼 んだ レプジウスは そこに 知 識 人 を 人 間 類 型 や 動 機 ではなく 社 会 的 に 構 造 化 された 行 動 と して 定 義 し それまでドイツで 支 配 的 な 考 え 方 である 精 神 と 権 力 という 二 分 法 から 抜 け 出 す 道 を 見 出 した(Lepsius 1990: 273-283) 彼 は 知 識 人 の 使 命 を 批 判 (Kritik)とし 権 限 (Kompetenz)と 正 当 性 の 承 認 (Legitimation)との 関 係 から 知 識 人 の 社 会 への 介 入 のあり 方 を 区 別 した ひとつは 専 門 的 な 権 限 からの 批 判 (kompetente Kritik)である つまり 専 門 的 な 職 業 の 権 限 の 範 囲 内 で 行 う 批 判 である それは 専 門 的 な 職 業 的 規 範 (たとえば 医 者 弁 護 士 議 員 など)に 照 らして 行 われ 職 業 的 倫 理 への 忠 誠 が 求 められる したがって 評 価 もその 規 準 に 従 う それゆ え その 批 判 には 免 責 や 承 認 拒 否 権 不 可 侵 特 権 などの 保 護 もある も うひとつが 疑 似 - 専 門 的 職 業 (ジャーナリスト 学 者 )による 疑 似 - 権 限 をともなった 批 判 である これは 誤 解 を 与 えそうであるが 権 限 に 対 する 保 護 の 観 点 からの 分 類 である ジャーナリストの 権 限 は 報 道 するこ とであるが 報 道 の 自 由 の 制 度 的 保 証 を 要 求 する ドイツではその 明 確 7

な 権 利 が 欠 けていた シュピーゲル 事 件 では 政 治 科 学 者 国 法 学 者 は 国 民 として そして 政 治 的 責 任 を 教 育 する 教 職 の 権 限 を 持 つ 者 とし て 連 邦 大 統 領 に 書 簡 を 送 った このように 権 限 を 措 定 して 批 判 するこ とも 可 能 であるが ジャーナリストが 専 門 性 に 境 界 を 設 定 するのは 難 し いし 普 遍 的 な 価 値 に 関 する 批 判 は 専 門 化 することはできない 最 後 に 権 限 を 持 たない 批 判 が 挙 げられる それは 特 殊 な 規 範 や 保 護 を 要 求 しない 批 判 である その 意 味 で 誰 にでも 開 かれているものであるが 言 葉 による 批 判 が 可 能 でなければならない( 作 家 学 生 はここに 分 類 され る) 権 限 がないからといって 何 でもありというのではなく レプジウ スはここで 正 当 性 の 承 認 を 必 要 とするという 正 当 性 の 承 認 とは 批 判 が 社 会 的 行 動 の 規 範 として 妥 当 しうるものであることである 彼 は 知 識 人 の 領 域 を 権 限 を 持 たない 正 当 な 批 判 であるとし 正 当 性 の 承 認 をめ ぐって 知 識 人 は 戦 っているという むろんこれは 職 業 的 な 分 類 でないの で 専 門 的 職 業 の 権 限 を 越 えて 公 共 圏 で 議 論 することが 可 能 である シ ュピーゲル 事 件 の 対 応 が 後 の 公 共 圏 のあり 方 に 大 きな 影 響 を 与 えた 保 守 派 A ゲーレンなどの 知 識 人 に 対 する 批 判 もあったものの 西 ド イツでは 公 共 圏 の 活 動 が 知 識 人 を 規 定 していく レプジウスは 1988 年 に 憲 法 によって 具 体 化 された 政 治 的 秩 序 が さまざまな 論 争 を 経 て もは やエスニックな 運 命 共 同 体 ではなく 個 人 の 参 加 権 によってみずから 決 定 する 政 治 的 な 考 え 方 ポスト 国 民 国 家 的 な 政 治 的 共 同 体 に 変 わったと 8

述 べている(Lepsius 1993: 236) そのことにハーバマスは 賛 同 していた (Habermas 1990: 210) レプジウスの 知 識 人 論 を 前 提 にして イェーガー( 西 ドイツ 出 身 )や ミッテンツヴァイ( 東 ドイツ 出 身 )という 研 究 者 が 東 ドイツの 知 識 人 を 位 置 づけしようとした レプジウスは Intellektuelle( 知 識 人 )という 言 葉 を 使 って 西 ドイツの 知 識 人 の 役 割 を 語 った それに 対 して 東 ドイツ では 制 度 化 された 職 業 としての 作 家 たちがその 役 割 を 担 い そして 党 の 立 場 を 擁 護 したので 彼 ら を Intelligenz( 知 識 人 階 層 )(Jäger 1998: 358; Mittenzwei 2002: 18)と 呼 んだ 結 果 として 体 制 順 応 的 になってしまっ た 知 識 人 階 層 ではなく 批 判 的 で 公 共 圏 に 訴 える 人 を 知 識 人 ( Intellektuelle イェーガー)や 文 学 的 知 識 人 (literalische Intellektuelle ミッテンツヴァイ)と 呼 んで 区 別 したのである だが 自 由 に 発 言 できない 状 況 で 社 会 主 義 の 理 想 を 捨 てないとしたら その 二 つを 明 確 に 区 別 するのは 難 しいし 単 純 に 西 ドイツと 同 一 の 規 準 のみで 知 識 人 を 推 し 量 るのは 難 しい 比 較 的 自 由 に 発 言 できるようになったベ ルリンの 壁 崩 壊 の 時 期 を 考 察 するときにもそれだけでは 不 十 分 である 声 を 上 げた 人 のほとんどが 党 派 を 問 わず 党 の 独 裁 を 批 判 し 民 主 的 な 社 会 主 義 を 唱 え 反 対 派 が 多 数 派 を 占 めていた 状 況 で 批 判 的 知 識 人 と いう 言 葉 を 使 うのもおかしな 話 である むしろ 声 を 上 げた 知 識 人 をさら に 分 類 する 方 が 彼 らの 社 会 的 意 義 を 考 察 するのに 適 している 本 論 文 の 9

最 後 に 社 会 主 義 の 改 革 を 唱 えた 東 ドイツの 知 識 人 を 歴 史 的 背 景 から 三 つに 分 類 して 提 示 する 創 設 期 の 東 ドイツの 知 識 人 ソ 連 に 占 領 された 東 ドイツは ソ 連 に 命 令 され 社 会 主 義 国 家 を 形 成 した 多 くの 亡 命 した 社 会 主 義 者 や 社 会 主 義 的 信 条 を 持 つ 知 識 人 はソ 連 占 領 区 の 東 ドイツに 帰 ってきた ピーク(Wilhelm Pieck 東 ドイツ 初 代 大 統 領 ) ウルブリヒト(Walter Ulbricht) 作 家 ベ ッ ヒ ャ ー ( Johannes P. Becher)はソ 連 から ハイム ブレヒト ブロッホはアメリカから 東 ド イツに 戻 った あるいは グローテヴォール(Otto Grotewohl 東 ドイツ 初 代 首 相 )は 監 獄 から 解 放 された 東 ドイツ 国 歌 を 作 曲 したアイスラーは 亡 命 の 帰 国 後 ウィーンから 東 ドイツに 移 った 彼 らはナチズムの 批 判 者 であり 東 ドイツ 設 立 の 中 心 的 人 物 であった 国 家 を 創 設 するに 当 たってそれを 正 当 化 する 物 語 を 必 要 とした 自 分 たち の 国 家 のルーツを 示 すことで 自 分 たちの 国 家 の 正 当 性 を 示 そうとしたのであ る その 候 補 としてトーマス ミュンツァーに 始 まりワイマール 時 代 の 左 翼 運 動 家 までリストに 上 ったが それぞれルーツとして 問 題 点 があり 最 終 的 に 選 ばれた のはスペイン 内 戦 (1936-39)を 戦 った 英 雄 であった スペイン 内 戦 は ナチドイ ツとイタリア ファシストがフランコの 人 民 戦 線 政 府 を 支 援 し それに 対 してリベラ ル 共 産 主 義 反 ナチが 反 対 した そこにドイツの 共 産 主 義 者 が 多 くの 義 勇 軍 10

として 参 加 していた 彼 らはスペイン 内 戦 以 後 ナチスドイツとも 闘 い 東 ドイツ の 主 要 なポストを 占 めていた 最 も 有 名 な 人 物 は 国 家 公 安 局 長 のミールケで ある 東 ドイツは 国 家 的 に 東 ドイツ 国 家 設 立 神 話 にその 活 躍 を 利 用 した した がって その 神 話 にのっとった 彼 らの 自 己 理 解 は ファシズムに 対 する 闘 士 で あり そして 彼 らが 作 った 国 は 反 ファシズム 国 家 まったく 新 しい 労 働 者 の 国 家 である その 自 己 理 解 は 戦 後 のナチズムに 対 する 賠 償 の 拒 否 にもなったが その 一 方 で 自 分 たちのような 新 たな 国 家 となるためのアフリカなど 第 三 世 界 の 植 民 地 独 立 支 援 にも 結 びついていた できたばかりの 社 会 主 義 国 家 である 東 ドイツでいわゆる 知 識 人 たち は 指 導 的 な 役 割 を 担 った 彼 ら 知 識 人 は 大 きく 二 つに 分 けられる 一 方 が 社 会 主 義 活 動 家 党 知 識 人 (Parteiintellektuele)であり(Land und Possekel 1992: 86) も う 一 方 が 広 い 意 味 で の 作 家 ( literarische Intellektuele あるいは Intelligenz)である いずれも 現 実 的 な 政 治 に 関 わらない 伝 統 的 なドイツの 知 識 人 ではなく 社 会 を 変 え 作 っていく 社 会 主 義 的 知 識 人 であり この 当 時 はナチスへの そしてそれに 協 力 した 者 への 批 判 者 であった 党 知 識 人 は むしろ 党 エリートともいえるかも しれない これにはイデオロギーに 関 わる 学 問 分 野 の 教 授 も 含 まれる ここでいうエリートとは 全 社 会 的 意 思 決 定 に 対 し 適 切 に 直 接 的 に 影 響 11

を 与 え それゆえ 社 会 的 権 力 を 用 いることのできる 人 物 4 と 定 義 でき 党 エリートに 典 型 的 に 見 られるのは 地 位 にその 権 力 の 源 泉 があること である 党 の 指 導 的 役 割 はそう 理 解 できる しかし 特 徴 的 であるのは 作 家 たちである ブレヒトのように 直 接 支 配 機 構 に 関 与 しないものや ベッヒャーのように 文 化 官 僚 として 政 治 に 関 わるものもいた 伝 統 的 に 文 学 演 劇 は 教 化 的 役 割 を 担 うものとされてきたが 社 会 主 義 の 中 でそ の 役 割 を 担 った 国 家 創 設 時 にはファシズムの 克 服 だけではなく 戦 後 社 会 の 建 設 のた めの 試 みもなされた 農 地 や 工 業 部 門 を 国 有 化 するだけではなく 社 会 主 義 を 担 うためのエートスを 広 めるために 文 学 が 用 いられたである そ のためのプログラムはすでに 戦 争 末 期 にソ 連 で 練 られていた(Braun 2007: 17) も と に あ る の は 社 会 主 義 体 制 建 設 後 のレーニンのプログラム である われわは 社 会 主 義 にたいするわれわれの 見 地 全 体 が 根 本 的 に 変 化 したことを みとめないわけにいかない この 根 本 的 変 化 は 以 前 われわれが 重 心 を 政 治 闘 争 革 命 権 力 の 獲 得 などにおいていたし お かないわけにかなかったが いまではこの 重 心 が 平 和 な 組 織 的 文 化 的 活 動 にうつされるまでにかわってきている 私 は われわれの 重 心 は 文 化 的 活 動 に 移 るべきである (レーニン 1985: 494) 戦 後 直 後 に 手 本 4 Günter Endruweit の 定 義 引 用 は Karina(1999: 90)を 参 照 12

になったのはソビエト 建 設 期 のロシア 文 学 ( 社 会 主 義 リアリズム)で とりわけ 農 村 集 団 化 の 事 業 を 描 いたM ショーロホフの 開 かれた 処 女 地 は 東 ドイツ 農 民 のハンドブックになった 東 ドイツを 形 作 る 決 定 的 な 出 来 事 は ビッターフェルト 路 線 とベ ルリンの 壁 建 設 である 1961 年 8 月 13 日 にベルリンの 壁 が 建 設 開 始 され それまでのように 西 ベルリン 経 由 で 西 ドイツに 逃 れていくことが 不 可 能 になった それまで 毎 年 10 万 人 を 越 える 人 々が 西 ドイツに 渡 ったが 多 くの 技 術 者 科 学 者 階 層 が 東 ドイツを 出 て 行 ったことは 第 二 の 建 設 期 の 東 ドイツにとって 痛 手 となっていた その 出 口 を 閉 じることで 閉 鎖 社 会 ができあがった もうひとつの ビッターフェルト 路 線 は ウルブリヒトが 導 入 した 政 策 (1958 年 から 1970 年 まで 続 いた)で 社 会 主 義 的 に 働 き 学 び 生 活 する ために すなわち 社 会 主 義 的 生 活 スタイルを 浸 透 させるため に 肉 体 労 働 と 精 神 労 働 を 止 揚 するプロジェクトである それは 1956 年 のハンガリーとポーランドの 蜂 起 で 知 識 人 の 自 主 独 立 に 対 する 反 動 とも とれる 動 きであったが その 政 策 によって 後 の 読 書 の 国 (Leseland) を 作 り 出 す 基 盤 となった そのプログラムは 労 働 作 業 班 の 作 業 現 場 に 作 家 が 赴 き 作 業 班 とともに 働 き 作 業 現 場 を 知 ることと 肉 体 労 働 者 がペンを 取 って 日 々の 活 動 を 記 録 し 文 化 創 造 に 関 わることで 文 化 の 高 みに 到 達 することであった(エメリヒ 1999: 156) 結 果 と し て は 階 級 13

の 解 放 ではなく 家 畜 化 だった ( Müller 2003: 153) 実 質 的 に は 文 学 ( 演 劇 を 含 め)は 社 会 を 社 会 主 義 的 に 転 換 する 役 割 文 学 によって 人 民 を 導 く 役 割 を 担 っていた 東 ドイツの 作 家 は 社 会 主 義 の 運 営 の 中 に 組 織 的 に 組 み 込 まれるようになった アカデミーや 作 家 会 議 各 都 市 にある 劇 場 雑 誌 の 運 営 などに 帰 属 することで 活 動 を 行 ったのである したが って 知 識 人 に 対 してその 組 織 をとおして 党 が 介 入 することになるの だが それは 党 との 共 謀 でもあった 東 ドイツでは 検 閲 の 他 に 作 品 に 審 査 があり 書 き 直 しを 要 請 される また 体 制 批 判 の 強 い 作 品 は 出 版 許 可 が 容 易 にはおりず 出 版 されたとしても 出 版 まで 長 いこと 待 た されたあげく 印 刷 するための 紙 に 厳 しい 制 限 が 加 えられた 結 局 反 体 制 的 な 作 品 は 読 んで 欲 しい 東 ドイツ 国 内 の 人 々の 手 にいきわたる 可 能 性 はなかった それでも 作 家 たちは 特 権 とくに 外 国 に 旅 行 する 特 権 を 享 受 していた 知 識 人 の 分 裂 権 力 を 次 第 に 掌 握 していくウルブリヒトは 芸 術 に 対 する 感 受 性 や 尊 敬 がそれほど 強 いわけではなかった しかし 彼 は 芸 術 の 持 つ 人 の 行 動 を 変 化 させる 力 は 良 く 理 解 していた 彼 はその 力 を 政 治 的 に 利 用 したの である 彼 はむしろテクノクラートを 重 視 していた 1971 年 にウルブリ ヒトに 代 わってエーリッヒ ホーネッカーが 政 権 を 握 った その 直 後 の 14

第 八 回 党 大 会 で ウルブリヒトのテクノクラシー 的 傾 向 から 文 化 政 策 によるイデオロギー 統 制 を 強 化 した すなわち 生 活 の 物 理 的 条 件 の 総 体 としての 社 会 主 義 的 文 化 を 文 学 芸 術 の 理 念 をとおして 発 展 させよ うとした(Baker 2007: 18) 同 年 の 党 中 央 委 員 会 で ホ ー ネ ッ カ ー は 社 会 主 義 という 確 固 とした 立 場 から 出 発 するならば 芸 術 と 文 化 の 領 域 に おいては 私 の 考 えでは タブーはありえない (エメリヒ 1999: 308) と 述 べた それを 真 に 受 けて 一 瞬 自 由 な 雰 囲 気 が 生 じたように 感 じ た だが 現 実 にはその 当 時 の 東 ドイツの 社 会 主 義 を 反 映 した 作 品 を 発 表 したにもかかわらず 出 版 上 演 禁 止 になった 作 家 が 多 く 出 た プレン ツドルフ 若 き W の 新 たな 悩 み ブラウン 未 完 の 物 語 など 社 会 主 義 の 理 想 の 立 場 から 現 状 を 批 判 的 に 描 いたものが 批 判 された ライナー クンツェは 西 ドイツでは 公 表 されていた 詩 集 を 東 ドイツでも 出 版 し 作 家 同 盟 を 除 籍 された そして 極 めつけがビアマン 事 件 である その 事 件 が 東 ドイツにおける 政 治 的 文 化 的 生 活 において 最 も 重 大 な 政 治 的 切 れ 目 のひとつ (Braun 2007: 260)になった 東 ドイツ 作 家 たちに 決 定 的 な 分 裂 は ハンブルク 出 身 で わざわざ 東 ドイツに 移 り 住 んできたシンガー ソングライターのビアマン(Wolf Biermann)の 国 籍 剥 奪 事 件 によって 起 こった ビアマンは 65 年 以 来 東 ドイツでは 公 演 禁 止 になっていた テープに 録 音 するか 西 ドイツでコ ンサートを 開 く(しかも 満 員 の)ことしかできなかった 彼 を 擁 護 する 15

声 は 作 家 たちからだけでなく 党 幹 部 からも 出 ていた 訴 えかける 手 段 は 西 側 社 会 のように 公 共 圏 に 訴 えかけるのではなく たいていは 手 紙 による 党 幹 部 への 直 接 の 訴 えかけである その 手 段 は 建 国 当 初 からと られていたものである ビアマンに 問 題 はあると 譲 歩 しつつ 彼 の 才 能 を 擁 護 する 者 も 多 く それらの 声 は 手 紙 で 寄 せられていた 5 1973 年 4 月 にすでにビアマン 追 放 のシュタージ( 秘 密 警 察 )のシナリ オが 党 政 治 局 に 提 出 されていた 1976 年 11 月 に 西 ドイツの 金 属 労 働 組 合 からいくつかのコンサートの 依 頼 を 受 け 当 局 は 追 放 の 口 実 を 期 待 して 彼 に 旅 行 を 認 める 13 日 にコンサートが 西 ドイツで 放 送 された 後 彼 は 国 籍 を 剥 奪 された その 放 送 は 東 ドイツでも 見 ることができた それに 対 して 作 家 たちはS ヘルムリーンらのイニシアティヴでビ アマン 追 放 反 対 の 公 開 書 簡 を 起 草 し 署 名 し 抗 議 した その 公 開 書 簡 は 東 ドイツだけでなく 西 側 報 道 機 関 にも 渡 されて すぐに 公 表 された 彼 らはビアマンと 個 人 的 なつながりがあったわけではなかった むしろ 当 時 の 文 化 政 策 のあり 方 に 対 する 批 判 がビアマン 事 件 を 契 機 として 表 に 出 てきたのである ヴォルフ ビアマンは 不 愉 快 な 詩 人 であったし 今 もそうである プロレタリア 革 命 はたえず 自 分 自 身 を 批 判 する 我 々 5 ビアマンの 批 判 および 賞 賛 の 手 紙 やシュタージ 資 料 は Keller und Kirchner(1991)を 参 照 16

の 社 会 主 義 国 家 は 時 代 錯 誤 の 社 会 形 態 とは 逆 に このような 不 愉 快 を 冷 静 に 思 慮 深 く 耐 えうるはずである 我 々はビアマンのあらゆる 言 葉 あら ゆる 態 度 と 一 致 していない ビアマン 自 身 は 彼 が 二 つの 国 のどちらを 擁 護 しているか ケルンにおいてすら 疑 わせたことは 決 してなかった 我 々は 彼 の 市 民 権 剥 奪 に 抗 議 する 決 定 された 処 置 を 再 考 されるように お 願 いする 6 こ の 書 簡 を エメリヒは 社 会 主 義 批 判 と 社 会 主 義 信 奉 の 拒 否 と 忠 誠 の 抗 議 と お 願 い の 混 合 物 と 表 現 した 現 存 する 社 会 主 義 を 擁 護 する 党 に 対 し 社 会 主 義 の 理 想 を 主 張 しようとする 作 家 た ちの 東 ドイツでの 立 場 が 特 徴 的 に 現 れている その 書 簡 に 11 月 17 日 に 著 名 した 作 家 は クリスタ ヴォルフ フォルカー ブラウン S ヘ ルムリーン シュテファン ハイム ハイナ ミュラーなど 一 三 名 であ る それから 署 名 した 者 は 21 日 にかけて 約 100 名 に 上 った(Pleitgen 2006: 312-3) 逆 に 市 民 権 剥 奪 に 賛 成 した 作 家 には 東 ドイツ 創 設 期 に 中 心 的 な 役 割 を 担 ったアンナ ゼーガース 作 家 同 盟 の 議 長 をゼーガースか ら 引 き 継 いだヘルマン カント( 彼 はシュタージの 非 公 式 協 力 者 でもあ った)といった 作 家 たちもいた 7 作 家 たちはそれに 対 する 態 度 表 明 を 求 6 資 料 は Pleitgen (2006: 312) 翻 訳 は エ メ リ ヒ ( 1999: 317-318)を 参 照 7 Ernst Busch, Theo Balden, Wolfgang Heinz, Ernst Hermann Meyer, Ludwig Renn, Anna Sehgers, Konrad Wolf Akademie der Künste 17

められた 署 名 した 者 は 何 らかの 軽 い 処 罰 を 受 けた 東 ドイツが 建 設 され 20 年 たち 社 会 主 義 の 持 つ 矛 盾 や 経 済 の 行 き 詰 まりなど 社 会 主 義 内 部 の 矛 盾 が 表 立 ってきて 作 家 たちはそれを 題 材 にするようになったのである それを 覆 い 隠 そうとする 中 央 とその 問 題 を 批 判 的 に 取 り 上 げようとする 芸 術 家 たちとのあいだでせめぎ 合 いがあ り それが 頂 点 にたっしたのがビアマン 事 件 である この 事 件 が 文 化 政 策 の 転 換 点 になった 反 体 制 的 な 作 品 に 対 して 所 轄 の 党 委 員 会 と 国 家 機 関 は 段 階 を 付 けた 処 罰 を 適 用 しはじめた それにより 反 体 制 的 な 作 品 は 表 に 出 てきにくくなった 制 度 的 にも 一 九 七 八 年 以 降 作 品 の 演 劇 の 初 演 には 文 化 省 の 許 可 が 必 要 になった(Baker 2007: 21) ヴ ォ ル フ は 当 時 を 振 り 返 って ビアマンの 国 籍 剥 奪 以 降 極 端 な 形 で 東 ドイツの 知 識 人 が 分 極 化 した と 述 べている(Wolf 2009: 19) ベルリンの 壁 崩 壊 からドイツ 統 一 へ 1985 年 にソ 連 で ペレストロイカ グラスノスチ の 改 革 が 始 まっ たが 東 ドイツ 政 府 は 改 革 に 抵 抗 する 東 ドイツの 芸 術 家 たちも 多 の 共 産 圏 とも 独 立 して 独 自 の 路 線 を 行 っていた ハンガリー ポーランド SED Fritz Cremmer, Hermann Kant, Erik Neutsch, Helmut Sakowski Braun 2007: 262 18

チェコ スロバキアとは 違 い 共 産 圏 の 民 主 化 の 初 期 の 段 階 から 東 ドイ ツは 孤 立 主 義 を 取 っていた そんな 中 で 1980 年 代 に 頭 角 を 現 してきた 劇 作 家 クリストフ ハイン は 作 家 同 盟 会 議 で 作 家 の 役 割 に 関 連 して 1987 年 に 当 時 としてはまだ 勇 気 のある 行 動 であったのであるが 検 閲 の 問 題 を 的 確 に 指 摘 した(Hein 1990: 104ff.) そ の 講 演 は 読 書 の 国 である 東 ドイツにおける 作 家 の 本 来 の 役 割 を 取 り 戻 すように 作 家 たちに 呼 びかけた そのテーマを 文 学 と 影 響 としているように 文 学 が 読 者 市 民 に 社 会 像 を 引 き 出 すように 影 響 を 与 えるとし それができていない 作 家 たちを 批 判 激 賞 した 彼 らの 仕 事 の 障 害 になっている 問 題 のひとつが 検 閲 である 第 二 次 大 戦 後 は カオスから 秩 序 を 作 り 出 し 誤 った 歴 史 的 思 想 をただすのに 役 立 ったが その 後 も 残 ってしまった もはやそれは 障 害 なだけで 役 に 立 たないから 廃 止 しようと 文 学 作 品 に 対 する 締 め 付 けの 雰 囲 気 が 変 わってくる これまで 公 開 で きなかった 作 品 が 出 版 され 上 演 されるようになるのが 1988 年 頃 からで ある 8 1987 年 の 終 わりにハイナ ミュラーはヘンシェル 出 版 社 の 編 集 者 と 賭 けをして ヴォロコラムスク 幹 線 路 の 第 三 部 のみの 独 立 した 上 演 8 Braun 2007:415-422 19

が 許 可 されない 方 にスコッチ 二 本 を 賭 けた その 作 品 はアンナ ゼーガ ースの 決 闘 の 続 編 として 書 かれ 東 ドイツの 創 設 期 にナチスに 抵 抗 してきた 人 たちがその 過 去 を 克 服 しつつ 国 家 の 建 設 にかかわったのに 約 20 年 後 には 東 ドイツの 体 制 に 服 従 しているというものだった ミュラ ーは 賭 に 負 けた もはや 原 稿 はホーネッカーの 机 の 上 にあって 誰 も 決 定 を 下 さなかった ということのようだった そこでミュラーは そこ で 私 は 悟 った 終 わったのだな と 彼 らがもはや 禁 止 することもでき ないなら 終 わりなのです (Müller 2003: 349-345=2003: 284)と 自 伝 の インタビューで 語 っている とはいえ 1988 年 1 月 17 日 のローザルクセンブルク=リープクネヒ ト デモでもその 主 導 者 は 拘 束 され 国 外 追 放 されている 1989 年 6 月 に 起 きた 中 国 の 天 安 門 事 件 を 政 府 は 容 認 する 発 言 をしていた 一 般 の 人 々が 通 りに 出 てくるのは 1989 年 9 月 頃 からである ビアマン 事 件 以 降 東 ドイツの 知 識 人 を 党 知 識 人 と 党 に 認 められた 社 会 主 義 的 作 家 と それから 潜 在 的 でマージナルな 作 家 たちに 分 類 する ことができる 9 最 後 の 作 家 たちがベルリンの 壁 崩 壊 時 に 社 会 の 前 面 に 出 てくる 9 ベルリンの 壁 崩 壊 当 時 の 東 ドイツの 作 家 同 盟 には931 名 の 会 員 が 登 録 さ れ 118 名 の 候 補 者 がいた 20

ベルリンの 壁 崩 壊 からドイツ 統 一 の 動 きの 中 で 知 識 人 は それぞれ の 知 識 人 に 対 する 自 己 理 解 自 覚 的 であれ 無 自 覚 であれ にもとづい て 活 動 したと 見 ることができる そして 東 ドイツの 知 識 人 は みな 程 度 や 表 現 に 違 いはあるものの やっと 民 主 的 な 真 の 社 会 主 義 を 実 現 する 機 会 が 来 たと 思 い 民 主 的 で 人 間 的 で そしてエコロジカルな 社 会 を 目 指 した 活 動 をした 以 下 それほど 単 純 に 分 けることができるわけで はないが 特 徴 を 捉 え 三 つのタイプの 知 識 人 に 分 類 する 作 家 = 社 会 主 義 知 識 人 シュテファン ハイムやクリスタ ヴォルフは 改 革 運 動 に 積 極 的 に 関 与 していった アレキサンダー 広 場 での 発 言 や 集 会 や 新 聞 などでも 積 極 的 に 発 言 した 彼 らの 社 会 の 関 与 の 仕 方 が 典 型 的 にあらわれたのが ベルリンの 壁 崩 壊 後 に 出 した 声 明 である その 声 明 は 西 ドイツコール 首 相 が 両 ドイツの 関 係 を 発 展 させるための 援 助 を 申 し 出 たことに 対 する 反 応 である 具 体 的 な 10 項 目 の 要 求 をコールが 提 示 したのは 1989 年 11 月 28 日 であるが それとほぼ 同 時 にハイムらも 声 明 を 出 した このとき すでに 市 民 との 乖 離 が 始 まっていた 祖 国 のために シュテファン ハイム 主 導 クリスタ ヴォルフ 最 終 編 集 21

わが 国 は 深 刻 な 危 機 にある 不 当 にも ひとつの 党 が 国 民 と 国 民 の 代 表 を 牛 耳 った 国 民 は 革 命 的 な 革 新 のプロセスを 非 暴 力 的 大 衆 デモによって 手 に 入 れた われわれにはほんのわずかに しか 残 されていない / 選 択 肢 は 次 のいずれかである /われわれは われわれ 全 員 の 力 と 自 分 の 国 のなかで 連 帯 した 社 会 を 発 展 させる 国 家 と 関 係 団 体 と 一 緒 になって 東 ドイツの 独 立 性 を 要 求 し それ を 試 みる その 社 会 で 平 和 社 会 的 正 義 個 々 人 の 自 由 転 居 の 自 由 環 境 の 保 全 を 成 し 遂 げる /あるいは / 強 力 な 経 済 的 圧 力 と 東 ドイツに 対 する 西 ドイツの 庇 護 のもと 彼 らの 政 治 と 経 済 の 影 響 力 の 及 ぶ 範 囲 に 入 るという 異 常 な 条 件 によって われわれの 資 料 的 価 値 と 道 徳 的 価 値 の 在 庫 を 一 掃 し いずれ 東 ドイツは 西 ドイツに 独 占 されてしまうことに 耐 えなければならない /われわれはひとつ 目 に 掲 げた 道 を 歩 みましょう われわれと 希 望 と 不 安 を 共 有 して いる 市 民 の 皆 さんに われわれはこのアピールに 署 名 することを 呼 びかけます /1989 年 11 月 26 日 ベルリン 10 署 名 の 順 序 は ABC 順 で 記 載 されており リストのメンバーは 作 家 10 http://www.hdg.de/lemo/html/dokumente/diedeutscheeinheit_aufruffuerunse rland/index.html(2010 年 1 月 1 日 参 照 ) 22

俳 優 たちから 主 婦 女 性 看 護 師 まで 広 い 領 域 にわたっていた 署 名 の 書 き 方 自 体 を 見 れば ドレフュス 事 件 の 時 の 署 名 の 仕 方 社 会 的 地 位 を 示 す 肩 書 きによる 象 徴 的 効 果 や 影 響 力 のある 人 物 から 並 べる ランク 効 果 という 戦 略 (シャルル 2006: 164-181)とは 一 線 を 画 する 社 会 主 義 的 戦 略 と 呼 べるかもしれない だが そもそもこの 声 明 は 抗 議 文 ではない 本 来 抗 議 する 対 象 である 東 ドイツの 国 家 は 権 威 を 喪 失 してい た したがって われわれ に 付 いてこいという 国 民 への 呼 びかけとな ったのである しかし 人 民 はそれに 付 いてくることはなかった 最 後 の 市 民 全 員 に 署 名 を 呼 びかけるようなスタイルはこれまで 社 会 主 義 国 家 のなかで 求 め られていた 作 家 知 識 人 が 文 学 によって 上 から 人 民 を 導 くという 作 家 の 役 割 の 延 長 上 であった S ハイムは 60 年 代 末 から 東 ドイツで 作 品 を 出 版 できずに 西 ドイツでしか 出 版 されなかった 彼 はアメリカのパスポー トをもっており 西 側 に 自 由 に 出 入 りできた 彼 に 典 型 的 に 見 られるよ うな 特 権 を 享 受 していた 作 家 たちが 上 から 呼 びかけても 人 々は 付 いてく るはずもなかった 作 品 によって 関 与 する 作 家 12 月 になると 西 ドイツの 保 守 派 の 新 聞 フランクフルター アルゲマイネ で 東 ドイツ 知 識 人 は 何 もしていない 知 識 人 (フォルカー ブラウン シュテファン 23

ハイム ハイナ ミュラーなど)はどこにいったのだという 批 判 が 新 たに 起 きてい た( 相 澤 1991: 24) 彼 ら 保 守 派 も 西 ドイツの 新 聞 などの 公 共 圏 で 論 争 する 知 識 人 のスタイルを 当 然 のように 受 け 入 れており むしろこれまで 批 判 されていた 保 守 派 が 独 裁 国 家 の 東 ドイツに 民 主 主 義 を 教 えてやるという 態 度 で 論 争 を 仕 掛 けてきていた しかし それとは 違 ったスタイルでアプローチする 東 ドイツ の 作 家 たちがいた 11 月 11 12 日 ノイエス ドイチェラント 誌 にブラウンの 自 由 の 経 験 11 という 散 文 詩 が 掲 載 された 1.われわれは 自 由 を 経 験 している この 運 動 がドイツ 史 のあら ゆる 闘 争 とちがって 勝 利 の 道 を 歩 むという 保 障 はどこにもない /3. われわれこそが 人 民 だ 人 民 はまだ 権 力 を 握 ったことがない 権 力 は 討 議 というものをしたことがなかった だから 民 衆 はもはや 権 力 の いうことを 聞 こうとしない 民 衆 はこの 数 日 のあいだに 権 力 が 自 分 の 手 の 中 に 育 っていることを 感 じていながら その 権 力 を 嘲 笑 し 駄 目 に してしまっている 民 衆 がほんとうに 問 われるべきでないのか 民 衆 は 誘 惑 や 甘 い 言 葉 でズタズタに 引 き 裂 かれている /4.われわれは 民 主 主 義 を 教 われなかった われわれはずいぶんたくさんのものを 手 中 に 11 Braun(1993: 163-167) 翻 訳 は 東 ドイツの 民 主 化 を 記 録 する 会 (1990: 8-15)を 参 照 24

収 めている 民 衆 の 知 恵 が 本 物 であるかどうかが 試 される 時 が 来 たの だ /7.われわれが 経 験 している 自 由 は 責 任 のない 自 由 だ しかしわ れわれはやがて 自 由 を 背 負 って 立 たねばならなくなる 自 由 はわれわれ に 義 務 を 課 す 民 衆 の 運 動 がこの 冬 を 乗 り 切 れば 民 主 的 な 意 思 が 形 成 されるようになるだろう 社 会 主 義 革 命 は たえず 自 己 批 判 し 立 ち 止 まり やり 直 しながら 目 標 を 達 成 していくのだ /8. 人 民 所 有 プラ ス 民 主 主 義 世 界 中 どこでも 実 現 していない 人 類 未 踏 の 試 みなのだ でもそれこそが 自 由 の 経 験 なのだ さあこの 国 のど 真 ん 中 に 入 ってい こうではないか ブラウンは 先 のハイムらの 声 明 にも 著 名 した しかし 転 換 期 のこの 時 期 に 彼 は 作 家 として 活 動 した 新 聞 に 詩 を 書 いたり 劇 場 で 詩 の 朗 読 ないし 掲 示 インタビューを 受 けたりした すでに 述 べたように 東 ド イツは 国 策 で 多 くの 作 家 劇 作 家 詩 人 を 排 出 していた 当 時 も 彼 らは 多 くの 作 品 を 残 している オーエンは その 転 換 期 の 詩 を 記 録 的 詩 (documentary poem) あ る い は 時 代 詩 ( Zeitgedichte) と 呼 ん だ ( Owen 2001: 76ff.) そ れ は あ る 特 定 の 機 会 に 読 む 詩 ( Gelegenheitsgedicht)の 一 種 であるが それは 歴 史 的 経 験 によって 鼓 舞 された 詩 であり 日 常 的 なかしこまっていない 詩 である その 詩 の 多 くのは 歴 史 的 な 出 来 事 に 対 する 単 なる 印 象 の 報 告 になっている しかし ブラウンのような 作 家 は 先 の 詩 のように 作 品 のなかで 旧 体 制 の 批 判 だけでなく 国 民 に 対 す 25

る 批 判 社 会 の 現 状 分 析 未 来 の 行 動 の 指 針 を 示 している 論 説 ではな く むしろ 文 学 作 品 をとおして 社 会 に 介 入 した 文 学 作 品 によって 社 会 に 批 判 的 に 介 入 してくる 作 家 は 東 ドイツに 限 ったことではない しかし 東 ドイツの 演 劇 は 独 特 なものがあった 職 業 的 な 劇 場 は 全 部 で 39 あり 2 万 人 ぐらいの 住 民 がいる 都 市 にはだいた い 多 目 的 劇 場 があった 中 心 的 な 劇 場 は ABC にランク 分 けされ ベルリ ーナー アンサンブルなどのとくに 重 要 な 劇 場 は S にランクされた そ のランク 分 けに 従 って 上 演 できる 演 目 や 予 算 が 決 められた 演 劇 は 関 与 (Engagement)なしに 考 えることができない (Hein 1990: 121) そ れ は 政 治 的 時 間 的 作 品 と 観 客 の 関 係 においてもいえる その 関 与 は 解 放 の 契 機 にも 家 畜 化 の 契 機 にもなりえた 当 然 そこで 上 演 される 作 品 には 認 可 が 必 要 で 監 視 がついていた ミュラーなどもそうであるが はっきりと 体 制 批 判 をしても それが 公 開 できる 可 能 性 はなかったので 古 典 的 な 演 劇 を 解 釈 し 直 した 遠 回 しな 書 き 方 か あるいは 難 解 なスタイ ルにするなどして 間 接 的 な 書 き 方 をした そうした 立 場 をもっとも 明 快 に 述 べていたのがミュラーである 彼 は その 当 時 の 作 家 である 知 識 人 の 社 会 的 位 置 づけを 理 解 して 確 信 犯 的 に 行 動 していた 東 ドイツが 存 在 しなくなれば きっと 退 屈 だ というミ ュラーは 11 月 4 日 の 大 規 模 デモの 前 日 にドイツ 座 の 俳 優 ウルリヒ ミュ ーエ( 映 画 善 き 人 のソナタ の 主 演 男 優 )らと 冷 静 に 状 況 を 分 析 し 26

てインタビューに 答 えている(Merschmeier 1989: 4) 芸 術 家 は 数 ヶ 月 の 間 沈 黙 しているが どうしてアヴァンギャルドの 指 導 的 立 場 に 立 たない のかという 問 いに 対 して 以 下 のように 答 えている 労 働 者 はデモをし ている 人 々よりも 遙 かに 右 にいて 今 デモをしているのは 若 者 と 知 識 人 半 知 識 人 そして 芸 術 家 である 労 働 者 は 現 在 の 政 府 の 転 換 に 対 し て 不 信 感 をもっている 私 は 自 分 が 国 民 のスポークスマンだなんて まったく 思 わない そう 思 うのは 思 い 上 がりである 労 働 者 は 芸 術 家 に 対 して 不 快 に 思 っている というのもわれわれは 特 権 を 持 っていたから だ 知 識 人 階 級 と 労 働 者 階 級 は 分 断 されていた それが 生 きている 労 働 者 は 芸 術 家 や 知 識 人 を 信 用 していない (Merschmeier 1989: 4) そしてミュラーは 知 識 人 あるいは 芸 術 家 の 役 割 を 別 のところにみて いる ドイツには 昔 から 舞 台 で 理 念 や 政 治 思 想 を 扱 う 伝 統 があるが 東 ドイツの 演 劇 の 役 割 についてはどうかと 問 われたとき はっきりと 自 分 の 役 割 について 述 べている 重 要 なのは これまで 口 のきけなかった 東 ドイツの 人 々が 語 り 出 すことである それは 私 が 前 に 出 て 他 の 人 々に 語 ることよりも 重 要 である 重 要 なのは 語 ることを 知 らなかった 人 々 が 語 り 自 分 の 言 葉 を 持 つことである (Merschmeier 1989: 4) 演 劇 をと おしてそれを 訴 えかけることが 彼 の 役 割 である 彼 らは 文 学 作 品 演 劇 等 の 作 家 としての 活 動 をとおして 人 々に 影 響 力 を 与 えようとした 1956 年 に 亡 くなったブレヒトも 党 幹 部 に 直 接 アクセ 27

スでき 影 響 力 も 大 きかったが 執 行 部 には 入 らず 作 品 をとおして 作 家 として 活 動 した その 立 場 を 基 本 的 には 維 持 して 文 学 演 劇 活 動 で 影 響 力 を 維 持 しようとした しかし 彼 らは 壁 崩 壊 前 には 望 まれた 作 家 だったが 崩 壊 後 やっと 自 由 に 書 けるようになったのに 今 度 は 読 み 手 が いなくなってしまった ミュラーだけはもてはやされたのであるが 党 エリート わずかではあるが 支 配 体 制 の 内 部 から 社 会 主 義 の 改 革 を 行 うとい う 動 きがあった 一 九 八 八 年 の 秋 頃 からフンボルト 大 学 哲 学 部 の 若 手 研 究 者 が 中 心 になって 現 代 社 会 主 義 とは 何 なのか 人 類 的 な 問 題 とアク チュアルな 時 事 問 題 を 根 本 的 に 議 論 する 研 究 会 近 代 社 会 主 義 の 構 想 (Konzeption eines modernen Sozialismus) 12 が 開 かれていた 彼 らは 壁 崩 壊 時 にも 基 本 的 な 活 動 方 法 を 変 えず 党 エリートとしての 立 場 を 崩 すことなく 改 革 を 行 おうとした 大 学 の 教 員 とくにイデオロギーに 関 わる 学 部 の 教 員 は 党 に 組 み 込 まれていた もともと 連 邦 制 で 州 の 独 立 性 が 高 かったのであるが 東 12 はじめの 三 人 が 共 同 で 一 九 八 九 年 に Mitautor und Herausgeber mit Rainer Land und Michael Brie, Philosophische Grundlagen einer Theorie des modernen Sozialismus. Berlin: Eigenverlag der Humboldt- Universität, Februar 1989 を 出 したようであるが 図 書 館 の 目 録 では 見 つからなかった 28

ドイツが 成 立 すると 中 央 主 権 化 して 統 治 された 政 治 の 中 枢 にあるフ ンボルト 大 学 は 政 治 に 組 み 込 まれていた したがって 政 府 や 政 策 の 批 判 はもちろんありえなかった イデオロギーに 関 わらない 学 部 自 然 科 学 系 や 技 術 系 の 学 部 ではそれほど 政 治 的 な 縛 りがきつくなかった 自 然 科 学 者 等 が 市 民 運 動 などや 独 立 系 組 織 労 働 組 合 などの 組 織 は 党 が 組 織 をとおして 統 制 の 道 具 としたため 組 織 は それほど 発 達 しなかった (Jäger und Walter 1998: 299-343) に 関 わっていたのはそのためである 批 判 をすれば 首 になるが 批 判 的 な 学 者 はそれ 以 前 の 段 階 で 多 く 西 側 に 逃 れていった したがって フンボルト 大 学 のメンバーの 活 動 も なによりも 党 へ の 戦 略 的 提 言 という 形 で 行 われていた フンボルト 大 学 の 中 心 的 なメン バーは マルクス-レーニン 哲 学 部 ラント(Rainer Land) 同 ゼーゲアト (Dieter Segert) 同 ブリー(Michael Brie) 法 学 部 ヴィル(Rosemarie Will) である そのうち ブリーは 後 にシュタージの 非 公 式 協 力 者 であったこ とをカミングアウトした 1989 年 11 月 25 日 の 臨 時 党 大 会 のために 彼 らは 東 ドイツの 生 きの こるたたかい 第 三 の 道 -- でSEDのスターリン 主 義 政 党 の 解 体 現 代 社 会 主 義 政 党 としての 新 生 を 要 求 民 主 主 義 が 可 能 になるように 規 約 の 改 定 環 境 問 題 などの 世 界 的 問 題 に 対 応 した 経 済 生 活 様 式 の 転 換 民 主 的 に 構 成 され 公 共 的 に 管 理 された 労 働 商 品 通 貨 資 本 の 国 際 化 29

の 必 要 を 説 いている それとほぼ 同 時 に 書 き 上 げた 本 未 来 への 飛 躍 (Land et al. 1990)では 一 般 の 人 々が 解 決 策 を 議 論 できるように 自 分 たちの 議 論 を 提 示 している そこでは 政 治 的 経 済 的 改 革 がどのよう に 進 行 しているか そこで 市 民 運 動 によって 新 たな 状 況 が 生 じているこ とを 明 らかにし それらがどのような 流 れになっているか 示 している 党 やその 式 の 革 新 に 時 間 が 必 要 であることも 挙 げられている こうした 議 論 は 下 から 引 き 上 げられなければならず 専 門 家 と 政 治 家 は 議 論 を 整 え 立 場 を 明 確 にし そこから 法 律 の 草 案 を 作 り 出 すように 尽 力 しなけ ればならない 彼 らは その 議 論 のための 資 料 を 公 開 する 必 要 があると 考 え 綱 領 を 公 開 した それは 国 民 に 公 開 することで 議 論 を 喚 起 しよ うとする 意 図 があったとはいえ 党 の 内 部 からの 変 革 を 行 おうという 従 来 の 支 配 体 制 の 手 続 きの 延 長 上 でもあった 彼 らは 大 学 の 教 授 であるが 文 章 は 西 側 の 学 者 が 書 くような 論 証 するスタイルの 論 文 とはほど 遠 く むしろ 政 治 家 の 文 章 に 近 かった その 意 味 でも 彼 らは 基 本 的 に 党 エリ ートの 立 場 から 発 言 していた おわりに 1989 年 11 月 24 日 の 世 論 調 査 では 東 ドイツが 独 立 していることに 賛 成 している 人 の 割 合 は83% 12 月 17 日 では73%であった(Wittek 1997: 15) したがって 東 ドイツの 知 識 人 が 行 っていたことは 支 持 されていたは 30

ずであった そのときの 東 ドイツの 知 識 人 のあり 方 は 先 に 見 たように 東 ドイツ 創 設 期 の 知 識 人 のあり 方 が 後 の 活 動 に 影 響 を 与 えているのを 見 て 取 ることができる とくにその 特 徴 的 なことは 言 論 の 自 由 がない 中 で いかに 社 会 主 義 や 人 間 の 理 想 を 表 現 し 実 現 するかということが 重 要 な 課 題 だった 先 の 三 類 型 で 示 した 知 識 人 もその 中 で 役 割 を 果 たそう としていた しかし ベルリンの 壁 崩 壊 の 直 前 から 政 府 の 言 論 の 締 め 付 けがほとんどなくなった 後 すぐにこれも 独 特 な 西 ドイツの 公 共 圏 の スタイルとともに 資 本 主 義 が 侵 入 してきた 彼 らは 自 分 たちの 体 制 を 打 ち 立 てる 前 に 資 本 主 義 社 会 と 西 ドイツへも 反 対 しなければならなかっ た( 後 に 祖 国 の 統 一 という 幻 想 へと 結 びつく) それに 直 面 し 体 制 の 変 動 のはざまに 新 たなスタイルを 見 いだせずに 社 会 主 義 の 理 想 と 可 能 性 を 唱 えたが 結 局 多 くの 人 民 とくに 若 者 は 離 れていった それ 以 降 の 状 況 を 見 てみる 1990 年 3 月 には 東 ドイツ 初 の 自 由 選 挙 が あり こともあろうか 隣 の 国 の 西 ドイツから 選 挙 キャンペーンにやって きた 新 フォーラムの 設 立 時 からの 中 心 的 人 物 であるボーレイは 西 ド イツから 介 入 してきた 政 党 の 影 響 によって 形 成 途 中 の 東 ドイツの 意 見 形 成 が 圧 倒 的 に 影 響 を 受 け 10 月 のドイツ 統 一 にいたったことを 以 下 の ように 振 り 返 っている 1990 年 をとおして 民 主 的 で 社 会 的 な 目 標 は 統 一 前 の 西 ドイツの 政 治 的 言 語 を 規 準 として 書 き 直 されなければならな かった 自 分 自 身 の 言 語 の 喪 失 によって そのことはすなわち みずか 31

ら 社 会 を 変 えていく 道 を 失 うことによって 東 ドイツ 人 も 民 主 的 な 自 己 確 証 も 自 己 決 定 権 も 失 ってしまった (Bohley 2008: 29) 東 ドイツの 知 識 人 は 西 側 の 外 国 へ 行 く 特 権 があり 西 側 社 会 に 出 て 行 こうと 思 えば 出 て 行 けたにもかかわらず そこにとどまっていた し たがって 転 換 期 を 迎 えた 時 に 真 の 社 会 主 義 を 実 現 するチャンスだ と 思 い これまで 果 たしていた 役 割 のなかで 行 動 した 彼 ら 知 識 人 から すれば 革 命 が 真 の 革 命 にならず 志 し 半 ばで 頓 挫 して 反 革 命 に 行 き 着 いた ( 森 川 1998: 36)ということになる だが 新 しい 社 会 の 構 想 があったわけではなかった また 自 由 に 発 言 できる 状 態 に 変 化 し 新 たに 資 本 主 義 と 戦 わねばならない 状 況 において 従 来 の 閉 鎖 社 会 での スタイルを 作 家 たちは 上 手 に 変 える 必 要 があったのかもしれない ドイツ 統 一 の 直 前 の1990 年 6 月 に 早 くもベルリンの 壁 崩 壊 後 に 出 版 さ れたヴォルフの 残 るものは 何 か に 対 する 西 ドイツの 新 聞 の 批 判 から ドイツ 文 学 論 争 が 起 こった これは 西 側 の 知 識 人 のスタイルによるドイ ツ 統 一 の 始 まりでもあった ヴォルフの 作 品 は 東 ドイツ 時 代 にシュタ ージによって 監 視 されていたことを 題 材 にしていたのであるが 東 ドイ ツの 国 家 と 作 家 たちの 緊 密 な 関 係 を 問 題 とすることになった 次 第 に 作 家 たちとシュタージの 関 係 に 焦 点 が 当 てられ 東 ドイツの 作 家 たちに 対 する 追 及 がなされた 壁 崩 壊 以 前 はもてはやしていた 東 ドイツの 作 家 を 独 裁 国 家 を 批 判 しないでいた 点 で 糾 弾 するものであった それはなかに 32

は 過 去 への 取 り 組 みを 取 り 上 げる 生 産 的 な 議 論 もあったが センセーシ ョナリズムに 陥 る 傾 向 もあった たとえば ミュラーはシュタージと 接 触 があった 彼 は 誰 かを 売 るようなことはしていなかったのであるが シュタージが 自 分 たちの 都 合 で 書 いた 文 書 は 残 っていたのを 西 側 ジャー ナリストが 見 つけ 他 の 非 公 式 協 力 者 と 同 じであるかのように 大 々 的 に 報 道 した 人 間 的 な 潔 癖 さなど 重 視 しないミュラーは むしろ 報 道 の 速 さとそのあり 方 に 疑 問 を 呈 した(Müller 2003: 477-478) そ れ は 市 場 で 注 目 を 集 めるためメディアがセンセーショナルなものを 扱 うことになる 西 側 の 公 共 圏 の 問 題 点 をも 示 していた 参 考 文 献 相 澤 啓 一 東 ドイツの 崩 壊 と 文 学 Bayker, Barrie, 2007, Theatre Censorship in Honecker s Germany: From Volker Braun to Samuel Beckett, Bern: Peter Lang. Beck, Ulrich, 1989, Die unvollendete Demokratie, Der Spiegel, No. 51: 186-187. Bohley, Bärbel, 2008, Under Open Skies : Reflection on German Unification, GHI Bulletin No. 42: 27-37. Braun, Matthias, 2007, Kulturinsel und Machtinstrument: Die Akademie der Künste, die 33

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