上 原 記 念 生 命 科 学 財 団 研 究 報 告 集, 28 (2014) 60. エピゲノム 操 作 の 為 の 標 的 メカニズムの 解 明 小 布 施 力 史 Key words:エピジェネティクス,ヒストン 修 飾, ヘテロクロマチン, 不 活 性 X 染 色 体 北 海 道 大 学 大 学 院 先 端 生 命 科 学 研 究 院 分 子 細 胞 生 物 学 研 究 室 緒 言 ヘテロクロマチンは 細 胞 周 期 を 通 して 凝 縮 した 染 色 体 構 造 であり, 遺 伝 子 の 機 能 発 現 制 御 に 深 く 関 与 していると 考 え られている.その 主 要 な 構 成 因 子 である HP1 はヒストン H3 のメチル 化 された 9 番 目 のリジン (H3K9me3) を 認 識 し, 様 々なタンパク 質 との 結 合 を 介 して 多 様 な 染 色 体 機 能 に 関 与 している.われわれは,ヘテロクロマチンの 成 り 立 ち と 機 能 を 分 子 レベルで 理 解 するために,ヒト HP1 結 合 タンパク 質 を 網 羅 的 に 探 索 し,82 種 類 を 同 定 した.これらの 因 子 はエピゲノムマークであるヒストン 修 飾 をクロマチン 高 次 構 造 へと 変 換 するのに 不 可 欠 なメカニズムを 担 っている. われわれは,HP1 結 合 タンパク 質 として 見 いだした HBiX1 が 不 活 性 X 染 色 体 に 局 在 することを 手 がかりに,60 年 以 上 謎 であった 不 活 性 X 染 色 体 の 凝 縮 (ヘテロクロマチン 化 )の 分 子 メカニズムが 明 らかにすることができた. 同 時 に, ヒストン 修 飾 や 非 コード RNA などの 所 謂 エピゲノムマークが 如 何 にクロマチン 構 造 に 変 換 され, 如 何 に 転 写 抑 制 に 寄 与 するのか, 分 子 レベルで 理 解 することが 可 能 となった. 今 回 発 見 した 仕 組 みは,エピゲノムの 破 綻 が 引 き 起 こす 疾 患 の 理 解 を 促 すとともに,その 破 綻 を 改 善 するエピゲノム 操 作 の 為 の 標 的 メカニズムとして, 創 薬 に 貢 献 しうるものと 思 われる. 方 法 結 果 および 考 察 男 性 は X 染 色 体 を1 本, 女 性 は2 本 有 している.X 染 色 体 の 不 活 性 化 とは, 発 生 の 初 期 に 女 性 の2 本 ある X 染 色 体 のうち1 本 を,ほぼ 全 域 に 渡 って 不 活 性 化 することにより, 見 かけの X 染 色 体 の 数 が 男 性 でも 女 性 でも1 本 とする, 巧 妙 な 遺 伝 子 量 補 償 機 構 である. 不 活 性 化 X 染 色 体 の 研 究 は, 染 色 した 間 期 核 内 に, 濃 く 染 まる 領 域 ( 後 に'バー 小 体 'と 呼 ばれる)が 雌 特 異 的 に 見 られるという Barr による 1949 年 の 報 告 に 始 まる ( 図 1 A) 1).その 後, 大 野 や Lyon がバー 小 体 は 不 活 性 化 した X 染 色 体 であるという 仮 説 を 提 唱 し,これまでにこの 仮 説 が 実 証 されて,バー 小 体 はヘテロクロ マチン 化 し 凝 縮 した 不 活 性 X 染 色 体 であると 認 識 されるようになった. 1
図 1 HBiX1-SMCHD1 複合体はバー小体の形成に必要である. A) DNA 染色で濃く染まるバー小体 矢頭 女性由来細胞株 htert-rpe1 を Hoechst (DNA) H3K27me3 抗 体で染色 B) HBiX1 はバー小体形成に必要である 矢頭は H3K27me3 染色から判断できる不活性化 X 染色体 領域 左端は不活性化 X 染色体上の FISH シグナル領域を拡大したもの 左 不活性化 X 染色体の凝縮状態 は X 染色体全域に渡って設定した 14 個のプローブを用いた FISH 法により そのシグナルの占める面積によ り明らかにできる 右 C) それぞれの因子を RNAi によって阻害した時の表現型のまとめ D) 不活性化 X 染 色体形成に関わる経路 B の写真は 文献 3 より転載 Scale bars : 5µm 現在 X 染色体の不活性化の分子機構は 非コード RNA である XIST を中心に研究が進んでいる XIST は 将来 不活性化される X 染色体上から発現し その発現している X 染色体を覆い 抑制型のヒストン修飾などを誘導するこ とで X 染色体を不活性化すると考えられている このヒストン修飾のうち ポリコーム群複合体の PRC2 によって行 われるヒストン H3 の 27 番目のリジンのトリメチル化 (H3K27me3) は 不活性化 X 染色体のマーカーとして広く使わ れている (図 1A) しかし 凝縮したヘテロクロマチン構造 バー小体 が どのように形成されるのかは 明らかに されてこなかった ヘテロクロマチン化の分子機構としては H3K9me3 修飾 ヒストン H3 の9番目のリジンのトリメチル化 とその 修飾を認識してクロマチンに結合する HP1 による機構と H3K27me3 修飾とその修飾を認識してクロマチンに結合す 2
るポリコーム 群 複 合 体 による 機 構 の2つが 存 在 する.われわれは 以 前,H3K9me3-HP1 の 機 能 を 明 らかにする 目 的 で, HP1 と 結 合 するタンパク 質 をヒト 細 胞 から 網 羅 的 に 同 定 した 2).この 中 の 未 知 タンパク 質 の 一 つが, 不 活 性 化 X 染 色 体 領 域 に 主 に 局 在 したことから,HBiX1 (HP1 binding protein enriched in inactive X chromosome 1) と 名 付 け, 解 析 を 進 めた 3).また 質 量 分 析 器 を 用 い HBiX1 と 結 合 するタンパク 質 を 探 索 したところ,HP1 に 加 え, 変 異 マウスの 表 現 型 から X 染 色 体 の 不 活 性 化 に 関 わることが 報 告 されている SmcHD1 4) のヒトホモログ SMCHD1 を 同 定 した.これを 手 がかりとして,ヒト 細 胞 において,HBiX1 は SMCHD1 と 結 合 し 不 活 性 X 染 色 体 上 に 濃 縮 していることが 明 らかと なった. HBiX1 の 不 活 性 化 X 染 色 体 における 機 能 を 明 らかにするために, 女 性 由 来 細 胞 で HBiX1 を RNAi により 阻 害 した. HBiX1 を 阻 害 した 細 胞 では,バー 小 体 が 消 失 し, 不 活 性 化 X 染 色 体 の 凝 縮 がなくなることを 見 いだした ( 図 1B). 一 方, 不 活 性 化 X 染 色 体 上 の H3K27me3 修 飾,XIST 局 在 には 影 響 しなかった ( 図 1B,C).また,SMCHD1,PRC2( 実 際 にはその 構 成 因 子 である SUZ12),XIST をそれぞれ 阻 害 したところ,SMCHD1 の 阻 害 は HBiX1 を 阻 害 した 時 と 同 じ 表 現 型 を 示 したが,PRC2 を 阻 害 した 時 は H3K27me3 修 飾 が 消 失 するにもかかわらず,バー 小 体 形 成, 不 活 性 化 X 染 色 体 の 凝 縮 状 態,XIST 局 在 に 影 響 しなかった( 図 1C). 一 方,XIST を 阻 害 した 時 は,H3K27me3 修 飾, 不 活 性 化 X 染 色 体 の 凝 縮 (バー 小 体 形 成 ),XIST 局 在 といういずれの 不 活 性 化 X 染 色 体 の 特 徴 も 見 られなくなった ( 図 1C).こ れらの 結 果 を 考 え 合 わすと,HBiX1-SMCHD1 複 合 体 は, 不 活 性 化 X 染 色 体 の 凝 縮 (バー 小 体 形 成 )に 必 要 であるこ と,XIST の 下 流 には HBiX1-SMCHD1 によるバー 小 体 形 成 経 路 と PRC2 による H3K27me3 修 飾 経 路 の2つが 独 立 に 存 在 すること,がわかった ( 図 1D). 次 に,バー 小 体 は HBiX1-SMCHD1 によってどのように 形 成 されているのか 手 がかりを 得 るために,HBiX1 や SMCHD1 を RNAi によって 阻 害 した 細 胞 や, 変 異 型 HBiX1 を 発 現 する 細 胞 を 用 いて, 免 疫 染 色 法 による 細 胞 観 察 や ChIP-seq( 次 世 代 シーケンサー 法 を 用 いたクロマチン 免 疫 沈 降 ) 法 による 解 析 を 行 った 3). まず 最 初 に, 不 活 性 化 X 染 色 体 上 におけるヒストン 修 飾 H3K9me3,H3K27me3 の 局 在 を CHIP-SEQ 法 により 解 析 したところ, 既 に 報 告 があるように 5),ヒト 不 活 性 化 X 染 色 体 上 には H3K9me3,H3K27me3 それぞれが 覆 う 領 域 が 互 い 違 いに 存 在 していた ( 図 2A).また, 間 期 細 胞 核 を 観 察 すると,この2つの 修 飾 領 域 はそれぞれ 隣 り 合 ってまとまっ た 配 置 をとり,XIST RNA は H3K27me3 領 域 に 主 に 局 在 していた ( 図 2A).HBiX1-SMCHD1 複 合 体 の 局 在 に 対 する 相 互 依 存 性 を 調 べたところ,HBiX1-SMCHD1 の 局 在 は,H3K9me3 領 域 に 関 しては H3K9me3 を 認 識 する HP1 と HBiX1 との 直 接 結 合 に 依 存 しており,H3K27me3-XIST 領 域 に 関 しては SMCHD1 に 依 存 していた ( 図 2B).また RNA 免 疫 沈 降 法 により,HBiX1-SMCHD1 複 合 体 は SMCHD1 を 介 して XIST と 相 互 作 用 していることがわかった. 3
図 2 HBiX1-SMCHD1 複合体によるバー小体形成のモデル. A) 不活性化 X 染色体上の H3K9me3 H3K27me3 修飾 XIST の分布 なお ChIP-seq による解析では 不活性 化および活性化 X 染色体に由来するシグナルは分離していない B) HBiX1-SMCHD1 複合体の H3K9me3 領 域 H3K27me3-XIST 領域それぞれにおける結合様式 C) HBiX1-SMCHD1 複合体によるバー小体形成のモデ ル HBiX1-SMCHD1 複合体が H3K9me3 領域と H3K27me3-XIST 領域とを繋ぐことで バー小体が形成され ると考えられる A のバー小体の写真は 文献 3 より転載 これらのことを考えあわせると HBiX1-SMCHD1 複合体は不活性化 X 染色体上で HP1 の結合する H3K9me3 領域 と XIST に富む H3K27me3 領域とを繋ぐことで 凝縮した染色体構造を作り出していると考えられる (図 2C) 4
HBiX1-SMCHD1 複 合 体 は, 男 性 由 来 細 胞 でも 発 現 しており,ChIP-seq 解 析 から X 染 色 体 以 外 でもいくつものドメ インを 形 成 して 局 在 していることがわかった 3).このことは, 染 色 体 上 のいたる 所 に,バー 小 体 に 類 似 したミニ 不 活 性 化 X 染 色 体 様 構 造 が 形 成 され, 遺 伝 子 発 現 の 制 御 に 寄 与 していることを 示 唆 している. 実 際,SMCHD1 の 変 異 が, 常 染 色 体 に 由 来 する 異 常 な 転 写 産 物 によって 引 き 起 こされる 顔 面 肩 甲 上 腕 型 筋 ジストロフィー2 型 の 原 因 の 一 つとして, 最 近 同 定 された 6).おそらく,HBiX1-SMCHD1 が 形 成 するヘテロクロマチン 形 成 が 脆 弱 になることによるものと 思 わ れる. さらなる 解 析 によって, 染 色 体 の 高 次 構 造 形 成 によるエピジェネティックな 遺 伝 子 発 現 制 御 の 解 明 につながることが 期 待 できる.また, 今 回 発 見 した 仕 組 みは,エピゲノムの 破 綻 が 引 き 起 こす 疾 患 の 理 解 を 促 すとともに,その 破 綻 の 改 善 や 細 胞 を 人 為 的 に 操 るためのエピゲノム 操 作 の 標 的 メカニズムとして, 創 薬 に 貢 献 しうるものと 思 われる. 共 同 研 究 者 本 研 究 は, 北 海 道 大 学 大 学 院 先 端 生 命 科 学 研 究 院 分 子 細 胞 生 物 学 研 究 室 の 長 尾 恒 治 講 師, 野 澤 竜 介, 柴 田 幸 子, 奥 田 将 旭, 九 州 大 学 生 体 防 御 医 学 研 究 所 ゲノム 機 能 制 御 学 部 門 エピゲノム 制 御 学 分 野 の 佐 渡 敬 准 教 授, 大 阪 大 学 大 学 院 生 命 機 能 研 究 科 細 胞 核 ダイナミクス 研 究 室 の 木 村 宏 准 教 授 と 共 同 で 行 った. 最 後 に, 本 研 究 にご 支 援 を 賜 りました 上 原 記 念 生 命 科 学 財 団 に 深 く 感 謝 いたします. 文 献 1) Barr, M. L. & Bertram, E. G. : A morphological distinction between neurones of the male and female, and the behaviour of the nucleolar satellite during accelerated nucleoprotein synthesis. Nature, 163 : 676, 1949. 2) Nozawa, R. S., Nagao, K., Masuda, H. T., Iwasaki, O., Hirota, T., Nozaki, N., Kimura, H. & Obuse C. : Human POGZ modulates dissociation of HP1α from mitotic chromosome arms through Aurora B activation. Nat. Cell. Biol., 12 : 719-727, 2010. 3) Nozawa, R. S., Nagao, K., Igami, K. T., Shibata, S., Shirai, N., Nozaki, N., Sado, T., Kimura, H. & Obuse, C. : Human inactive X chromosome is compacted through a PRC2-independent SMCHD1-HBiX1 pathway. Nat. Struct. Mol. Biol., 20, 566-573, 2013. 4) Blewitt, M. E., Gendrel, A. V., Pang, Z., Sparrow, D. B., Whitelaw, N., Craig, J. M., Apedaile, A., Hilton, D. J., Dunwoodie, S. L., Brockdorff, N., Kay, G. F. & Whitelaw, E. : SmcHD1, containing a structural-maintenanceof-chromosomes hinge domain, has a critical role in X inactivation. Nat. Genet., 40 : 663-669, 2008. 5) Chadwick, B. P. & Willard, H. F. : Multiple spatially distinct types of facultative heterochromatin on the human inactive X chromosome. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 101 : 17450-17455, 2004. 6) Lemmers, R. J., Tawil, R., Petek, L. M., Balog, J., Block, G. J., Santen, G. W., Amell, A. M., van der Vliet, P. J., Almomani, R., Straasheijm, K. R., Krom, Y. D., Klooster, R., Sun, Y., den Dunnen, J. T., Helmer, Q., Donlin- Smith, C. M., Padberg, G. W., van Engelen, B. G., de Greef, J. C., Aartsma-Rus, A. M., Frants, R. R., de Visser, M., Desnuelle, C., Sacconi, S., Filippova, G. N., Bakker, B., Bamshad, M. J., Tapscott, S. J., Miller, D. G. & van der Maarel, S. M. : Digenic inheritance of an SMCHD1 mutation and an FSHD-permissive D4Z4 allele causes facioscapulohumeral muscular dystrophy type 2. Nat. Genet., 44 : 1370-1374, 2012. 5