ガザ 戦 争 とハマス A Critical Essay on the War in Gaza 森 戸 幸 次 はじめに 第 Ⅰ 章 ガザ 戦 争 の 主 役 - ハマスの 歴 史 第 Ⅱ 章 ガザ 戦 争 の 実 態 第 Ⅲ 章 ガザ 戦 争 後 のハマス 第 Ⅳ 章 中 東 和 平 2 国 家 共 存 構 想 の 行 方 私 たちパレスチナ 人 の 前 には2つの 選 択 肢 がある 武 器 を 捨 ててオスロの 仲 間 がやった ように 降 伏 するのか それとも 多 大 の 犠 牲 を 払 ってでも 私 たちの 土 地 と 人 々に 強 いられて いる 占 領 を 排 除 するためジハードを 継 続 する のかの 二 者 択 一 である -ハマス 創 設 者 アフ マド ヤシン 師 はじめに 中 東 でまた 新 たな 戦 争 が 勃 発 した 世 界 は 今 この 戦 争 の 意 味 を 真 剣 に 問 い 始 めてい る 今 夏 イスラエル 人 とパレスチナ 人 の 少 年 が 相 次 いで 殺 害 された 事 件 を 引 き 金 に イ スラエル 軍 とパレスチナのイスラム 原 理 主 義 組 織 ハマスとの 間 で 本 格 的 な 武 力 衝 突 に 発 展 した 主 戦 場 のガザ 地 区 では 最 近 5 年 間 で 双 方 が 戦 火 を 交 えるのはこれで3 度 目 であり 1948 年 のイスラエル 建 国 に 伴 う 第 1 次 中 東 戦 争 以 来 の 第 7 次 中 東 戦 争 と 名 付 けられる 戦 争 が 長 期 化 し ガザの 戦 場 から 連 日 悲 惨 な 光 景 に 接 し 日 本 をはじめ 世 界 は なぜユ ダヤ 人 とアラブ 人 はいまだにパレスチナで 戦 っているのか ( 英 誌 エコノミスト)と あ らためて 問 いかける 声 が 広 がっている 世 界 中 で 最 も 根 が 深 く 解 決 が21 世 紀 に 持 ち 越 され た< 中 東 百 年 紛 争 >の 根 源 にあるパレスチナ 問 題 歴 史 的 民 族 的 宗 教 的 思 想 的 文 化 的 な 側 面 を 備 えたこのパレスチナ 紛 争 の 本 質 を 理 解 することは 解 決 が 難 しいのと 同 様 に これまた 私 たち 日 本 人 にとっても 至 難 の 業 になっている この 小 論 では 今 夏 のガザ 戦 争 を 通 して 中 東 紛 争 の 主 役 の 座 に 躍 り 出 た ハマスの 歴 史 思 想 戦 略 そしてこの 背 後 にある21 世 紀 中 東 危 機 の 構 造 変 容 について 考 察 してみたい 第 Ⅰ 章 ガザ 戦 争 の 主 役 - ハマスの 歴 史 パレスチナ 人 の 国 造 りをめざす 民 族 解 放 の 歴 史 の 中 でハマスはどのような 系 譜 上 に 位 置 付 けられる 運 動 なのだろうか パレスチナ 建 国 闘 争 史 を 以 下 のような3つの 時 代 区 分 にわ けて 概 観 してみる Ⅰ 闘 争 第 1 期 (1930 年 代 から1967 年 まで) 第 1 次 世 界 大 戦 後 英 国 委 任 統 治 下 のパレ スチナ(1920 48 年 )で アラブの 蜂 起 を 指 導 したアミン フセイニ カデル フセイニ シェイフ イッザッディン カッサーム 師 ら 革 命 第 1 世 代 が 活 動 した 時 代 とりわけシェ イフ カッサ ム 師 はパレスチを 拠 点 にユダ ヤ 人 入 植 地 や 英 国 軍 への 聖 戦 (ジハ ド)を 実 践 した 武 闘 派 として 知 られる 1987 年 にガ ザ 地 区 で 勃 発 した 第 1 次 インティファ ダ( 民 衆 蜂 起 )を 戦 うハマスの 軍 事 部 門 はイッザッ ディン カッサ ム 隊 ( 隊 長 ムハンマド デ イフ/44 歳 )と 命 名 されている Ⅱ 闘 争 第 2 期 (1967 年 から2004 年 まで) 1967 年 の 第 3 次 中 東 戦 争 でエジプトが 統 治 するガザ 地 区 がヨルダン 統 治 の 西 岸 地 区 とと もにイスラエルに 占 領 され 東 エルサレムを 含 めてパレスチナをイスラエルの 占 領 から 解 93
環 境 と 経 営 第 20 巻 第 2 号 (2014 年 ) 放 する パレスチナの 大 義 を 訴 えるヤセル アラファトや 第 1 次 インティファーダに 対 応 するためムスリム 同 胞 団 のパレスチナ 支 部 ( 初 代 アミン フセイニ)を 秘 密 地 下 組 織 イ スラム 抵 抗 運 動 (ハマス アラビア 語 表 記 の 略 称 / 熱 狂 の 意 )に 改 組 して1988 年 ガザで 創 設 したアフマド ヤシン 師 ら 革 命 第 2 世 代 が 活 動 した 時 代 1993 年 アラファトが 率 いた 世 俗 派 のナ ショナリストを 糾 合 したPLO(パレスチナ 解 放 機 構 )はイスラエルとの 政 治 交 渉 を 通 じて イスラエル 占 領 下 にあるヨルダン 川 西 岸 とガ ザ 地 区 に 暫 定 自 治 を 導 入 する 和 平 取 引 に 応 じ (オスロ 合 意 ) パレスチナ 民 族 解 放 闘 争 は 最 大 の 分 水 嶺 を 迎 える オスロ 後 のパレスチナの 国 造 り 運 動 に とって 中 東 和 平 を 通 してイスラエル 国 家 と の 2 国 家 共 存 路 線 を 推 進 するアラファト が 主 導 するPLOの 世 俗 的 なナショナリスト 勢 力 の 道 か それとも あくまでも 武 力 闘 争 を 通 してパレスチナを 解 放 してここに イスラ ム 国 家 の 樹 立 をめざす 1 国 家 構 想 を 推 進 するハマスのイスラム 主 義 勢 力 の 道 か 重 大 な 選 択 の 岐 路 にさしかかった Ⅲ 闘 争 第 3 期 (2004 年 から 現 在 まで) 2004 年 11 月 のアラファトの 死 後 パレスチ ナ 解 放 運 動 が アラファト 後 の 革 命 第 3 世 代 に 受 け 継 がれた 時 代 2005 年 5 月 イスラ エルが 西 岸 ガザ 分 離 構 想 を 実 行 して 一 方 的 にガザ 地 区 から 撤 退 し ガザ 地 区 を 拠 点 にイ スラム 主 義 勢 力 が 影 響 力 を 伸 張 させた アラ ファトを 後 継 したマフム ド アッバス 率 い るファタハは2006 年 1 月 の 暫 定 自 治 評 議 会 選 挙 でハマスに 大 敗 し 世 俗 的 なナショナリス ト 勢 力 が 退 潮 した 両 派 の 主 導 権 争 いは2006 年 12 月 双 方 に100 人 以 上 の 犠 牲 者 を 出 す 内 部 抗 争 に 発 展 この 結 果 1994 年 に 導 入 され たパレスチナ 暫 定 自 治 区 は 解 放 されたガザ 地 区 をハマスが 占 領 下 にある 西 岸 地 区 ファ タハがそれぞれ 自 治 区 を 分 断 して 統 治 する 分 裂 化 の 道 を 突 き 進 んでいる ガザ 反 占 領 抵 抗 運 動 の 最 前 線 基 地 このようにパレスチナ 民 族 運 動 の 解 放 闘 争 史 を 概 観 すると ハマスは パレスチナの 国 造 りのためには ファタハが 主 導 する 政 治 解 決 の 道 ではなく 武 力 闘 争 を 通 してパレスチ ナを 解 放 し このためにはガザ 地 区 をイスラ エルに 対 する 反 占 領 抵 抗 運 動 の 最 前 線 基 地 と 位 置 付 け ガザを 拠 点 に 西 岸 地 区 の 占 領 を 終 結 させることに 目 標 を 定 めていることが 明 らかとなる このための 占 領 終 結 解 放 戦 略 とはどのようなものなのだろうか ハマスの 目 標 戦 略 対 外 関 係 などを 定 め た 聖 約 (1988 年 )によると パレスチナの 領 土 はすべてのイスラム 教 徒 に 付 与 されたワ クフ( 寄 進 財 )( 第 11 条 )であるとして パレ スチナの 土 地 を 一 部 であれ 放 棄 することは 宗 教 理 念 に 対 する 裏 切 り 行 為 であり 平 和 解 決 なるものもハマスの 原 則 に 相 容 れない( 第 13 条 ) したがって 敵 が 占 領 しているイス ラムの 領 土 を 解 放 するため ジハ ド( 聖 戦 ) がイスラム 教 徒 の 義 務 である( 第 15 条 )と, 2 国 家 共 存 をめざすPLOのナショナルア ジェンダを 真 っ 向 から 否 定 し パレスチナ 全 土 にイスラム 国 家 を 樹 立 してイスラム 法 (シャリ ア)に 基 づいて 統 治 し この 国 家 の 枠 内 でパレスチナ 人 とユダヤ 人 が 共 存 する 1 国 家 構 想 を 提 唱 する ハマスは 1988 年 の 創 設 当 時 ヤシン 師 ら 創 設 メンバ 7 人 で 最 高 指 導 部 諮 問 評 議 会 を 構 成 ヤシン 師 が 最 高 指 導 者 に 就 任 サラ ハ シェハダがジハ ド 戦 略 を 担 う 実 働 部 隊 として 秘 密 の 地 下 組 織 である 軍 事 部 門 イッ ザッディン カッサ ム 隊 を 創 設 した ヤシ ン 師 は2004 年 3 月 にイスラエル 軍 に 暗 殺 され 後 継 のアブドルアジズ ランテシも 同 年 4 月 に 暗 殺 その 後 政 治 部 門 トップのハレド マシュアルが 最 高 指 導 者 に 就 任 した シェハ ダは2002 年 に 暗 殺 され ナンバーツーのデイ フが 後 を 継 いだ ハマスの 軍 事 部 門 カッサ ム 隊 は 2000 年 秋 に 勃 発 した 第 2 次 インティファ ダで 神 風 特 攻 型 の 自 爆 テロ 戦 術 を 採 用 エルサレムやテ ルアビブなどの 各 地 でバスやレストランを 狙 って 次 々に 自 爆 攻 撃 を 繰 り 返 し イスラエ 94
ガザ 戦 争 とハマス ル 市 民 を 恐 怖 に 陥 れた 第 Ⅱ 章 ガザ 戦 争 の 実 態 トンネル 戦 争 ガザを 戦 場 にした2006 年 夏 の 第 6 次 中 東 戦 争 ( 第 2 次 レバノン 戦 争 ) 2008 年 12 月 09 年 1 月 のガザ 戦 争 そして 今 回 のガザ 戦 争 を 見 る と ハマスのジハ ド 戦 略 が 浮 かび 上 がって くる 2006 年 の 戦 争 では まずハマスが6 月 25 日 にガザから 地 下 トンネルを 使 って 越 境 して イスラエル 兵 を 拉 致 (2011 年 に 解 放 ) イス ラエル 軍 がガザに 地 上 侵 攻 すると 7 月 12 日 レバノン 南 部 を 支 配 するイスラム 原 理 主 義 の シ ア 派 組 織 ヘズボラがイスラエル 北 部 に 越 境 砲 撃 を 開 始 同 時 に 地 下 トンネルを 使 って 北 部 イスラエルに 侵 攻 して 国 境 警 備 のパトロ ル 部 隊 を 襲 撃 5 人 を 殺 害 して2 人 を 拉 致 し た これを 引 き 金 にイスラエル 軍 が 南 レバノ ンに 侵 攻 して1982 年 夏 以 来 の34 日 間 に 及 んだ 第 2 次 レバノン 戦 争 が 勃 発 した 筆 者 は2011 年 2 月 ヘズボラが 実 効 支 配 するレバノン 南 部 を 訪 れ 網 の 目 のように 張 り 巡 らされた 地 下 トンネルを 見 て 回 ったが 後 ろ 盾 のイラン からの 支 援 を 受 けて 軍 備 増 強 を 着 々と 進 めて いる 様 子 を 実 感 した また 2009 年 のガザ 戦 争 ではイスラエル 軍 がガザに 侵 攻 地 上 戦 で 圧 倒 し パレスチナ 側 に1400 人 の 犠 牲 者 が 出 たがイスラエル 側 は 戦 死 者 10 人 にとどまった(このうち6 人 は 味 方 による 誤 射 ) 7 月 17 日 イスラエル 軍 がガザ 地 上 侵 攻 に 踏 み 切 る 引 き 金 になったのが ハマスの 地 下 トンネルを 使 ったカミカゼ 攻 撃 だった 同 日 未 明 ガザ 境 界 から1.6キロ 離 れたイス ラエル 南 部 にあるユダヤ 人 の 共 同 農 場 (キブ ツ)スファにハマスの 武 装 兵 13 人 が 地 下 トン ネルから 出 没 してイスラエル 領 内 に 侵 入 こ れを 発 見 したイスラエル 軍 が 空 爆 を 加 えて 撃 退 した 7 月 20 日 午 前 1 時 ( 日 本 時 間 午 前 7 時 ) イス ラエル 軍 がガザ 市 東 部 にあるハマスの 軍 事 拠 点 シヤジャイーヤ 地 区 に 侵 攻 市 街 戦 に 突 入 した イスラエル 兵 7 人 を 乗 せた 兵 員 輸 送 車 が 待 ち 伏 せ 攻 撃 を 受 け 対 戦 砲 で 大 破 6 人 が 戦 死 1 人 が 行 方 不 明 になった 翌 21 未 明 シュジャイーヤ 地 区 でイスラエル 軍 特 殊 部 隊 を 対 戦 車 砲 で 襲 撃 兵 士 2 人 を 殺 害 9 人 を 負 傷 させた 7 月 28 日 午 前 6 時 ハマスの 武 装 兵 が 地 下 ト ンネルを 使 ってガザ 南 部 の 境 界 線 に 近 いナハ ルオズ(キブツ)に 出 没 監 視 塔 を 襲 撃 して イスラエル 兵 5 人 を 殺 害 トンネルを 使 って 逃 亡 した 8 月 1 日 午 前 8 時 ( 日 本 時 間 午 後 2 時 ) 地 上 侵 攻 後 初 めての 人 道 的 な 一 時 停 戦 が 発 効 午 前 9 時 30 分 ガザ 南 部 ラファでハマスの 武 装 兵 がイスラエル 領 内 に 通 じる 地 下 トンネルか ら 出 没 トンネル 壊 滅 の 準 備 をしていたイス ラエル 兵 と 遭 遇 ハマス 武 装 兵 が 自 分 の 腰 の ベルトに 巻 き 付 けていた 爆 発 物 を 爆 破 させ イスラエル 兵 2 人 が 戦 死 1 人 が 行 方 不 明 と なった 仲 間 を 救 出 するためイスラエル 軍 部 隊 がトンネルを 通 って 追 跡 し モスク 内 の 出 口 に 到 達 したが 無 人 だった 停 戦 は 数 時 間 で 崩 壊 した 8 月 5 日 午 前 8 時 ( 日 本 時 間 午 後 2 時 ) 地 上 侵 攻 後 2 度 目 の 人 道 的 な 一 時 停 戦 (72 時 間 ) が 発 効 イスラエル 軍 はガザからイスラエル 領 内 に 通 じる 地 下 トンネル32カ 所 を 破 壊 した と 発 表 してガザから 地 上 部 隊 を 全 面 撤 退 し た 同 時 に ガザ 戦 争 の 引 き 金 となった6 月 12 日 のユダヤ 少 年 3 人 誘 拐 殺 害 事 件 のパレ スチナ 人 容 疑 者 逮 捕 を 発 表 した( 逮 捕 日 は7 月 11 日 ) イスラエル 裁 判 所 の 文 書 によると ヘブロン 在 住 のホサ ム カワスメ(40 歳 ) がガザのハマス 指 導 部 から 資 金 を 得 て 武 器 を 購 入 実 行 犯 2 人 に 指 示 した と 認 めたとさ れる 72 時 間 停 戦 の 期 限 が 切 れ 双 方 攻 撃 を 再 開 8 月 11 日 午 前 零 時 ( 日 本 時 間 午 前 6 時 ) 再 び 一 時 停 戦 (72 時 間 )が 発 効 8 月 14 日 午 前 零 時 ( 日 本 時 間 午 前 6 時 ) 5 日 間 停 戦 が 発 効 8 月 18 日 に24 時 間 停 戦 で 合 意 したが 翌 19 日 停 戦 協 議 が 決 裂 し 双 方 が 戦 闘 を 再 開 した 8 月 19 日 イスラエル 軍 がガザ 市 にある 民 家 を 空 爆 ムハッマド デイフの 家 族 を 殺 害 デイフの 安 否 は 不 明 8 月 21 日 イスラエル 95
環 境 と 経 営 第 20 巻 第 2 号 (2014 年 ) 軍 が 南 部 ラファを 空 爆 カッサ ム 隊 の 創 設 メンバ 3 人 を 殺 害 8 月 26 日 午 後 7 時 ( 日 本 時 間 27 日 午 前 1 時 ) 無 期 限 の 長 期 休 戦 が 発 効 7 月 8 日 の 開 戦 から 50 日 目 今 回 のガザ 戦 争 ではイスラエル 兵 65 人 が 戦 闘 で 命 を 落 としたが これは 主 にハマスの 自 爆 攻 撃 によるものだ イスラエル 側 は7 月 8 日 以 降 5262カ 所 を 空 爆 これに 対 し ハマス 側 はロケット 弾 4562 発 を 発 射 このうち3641 発 がイスラエル 領 内 に 着 弾 したが うち735 発 がイスラエルの 防 空 システム アイアンド ム で 迎 撃 された 世 界 保 健 機 構 (WHO)によると ガザ 戦 争 による 犠 牲 者 は 人 口 180 万 人 のうちパレ スチナ 人 2100 人 以 上 うち 大 半 が 民 間 人 で 子 供 およそ500 人 負 傷 者 1 万 1000 人 避 難 民 約 60 万 人 家 屋 破 壊 1 万 7000 軒 イスラエル 側 民 間 人 6 人 (ユダヤ 人 アラブ 人 タイ 人 ) を 含 む71 人 ハマスの2 段 階 戦 略 ハマス 側 は ヘズボラとイスラエル 軍 が34 日 間 戦 火 を 交 えた 第 2 次 レバノン 戦 争 ( 第 6 次 中 東 戦 争 )よりも 大 きな 戦 果 を 上 げているた め 強 気 の 構 えを 崩 していない 最 高 指 導 者 ハレド マシュアルは,イスラエル 側 との 停 戦 に 応 じる 条 件 として (1)イスラエルに よるガザ 封 鎖 の 解 除 (2)パレスチナ 占 領 解 放 ー から 成 る2 段 階 戦 略 を 掲 げている 人 間 の 生 命 維 持 は 条 件 などではなく パレスチ ナに 暮 らすわれわれ 人 民 の 権 利 であり この ためには 港 や 空 港 が 必 要 だ ガザ 封 鎖 は 集 団 的 懲 罰 なので この 解 除 を 要 求 する 現 在 の 流 血 を 終 わらせるためには ガザ 問 題 の 根 源 である 占 領 の 問 題 に 目 を 向 けなければならな い ネタニヤフはわれわれパレスチナ 人 の 希 望 と 夢 をすべて 打 ち 砕 いた ( 米 CBSテレビと のインタビュ 7 月 28 日 ) ガザ 戦 争 の 指 揮 をとる カッサーム 隊 のムハマッド デイ フは ハマスは 武 装 解 除 を 拒 否 する 西 岸 を 占 領 から 解 放 し ユダヤ 人 国 家 を 地 上 から 抹 殺 するまで 戦 う ジハ ドと 反 占 領 抵 抗 がな ければ 2005 年 にイスラエルからガザ 撤 退 を 勝 ち 取 れなかった 明 日 のパレスチナはイス ラエルにとって 地 獄 になるだろう (ビデオに よる 覆 面 インタビュー 2005 年 8 月 ) ムハッマド デイフは1970 年 ガザ 中 部 の ハンユニス 難 民 キャンプで 生 まれ 1987 年 に 始 まった 第 一 次 インティ ファ ダに 参 加 何 度 もイスラエルに 逮 捕 投 獄 を 繰 り 返 し 1992 年 以 後 地 下 に 潜 伏 した 1990 年 代 以 降 は イスラエル 各 地 で 続 いたハマスによる 自 爆 作 戦 を 指 揮 し イスラエルが 追 跡 するNO1 の テロリスト になった 2002 年 6 月 サラハ シェハダがイスラエルの 空 爆 で 暗 殺 されたあ と カッサ ム 隊 の 指 揮 をとり 2007 年 7 月 の 空 爆 で 負 傷 したが 幾 度 も 暗 殺 未 遂 をくぐり 抜 けて 来 た ハマスは レバノンのヒズボラのようにガ ザ 地 区 を 軍 事 要 塞 化 した (イスラエル 国 防 省 ) ガザ 地 区 は2007 年 9 月 イスラエルから 敵 対 地 域 と 宣 言 され 経 済 封 鎖 が 強 化 さ れたが 07 年 7 月 以 降 エジプトからの 武 器 密 輸 ル トを 確 保 するため 地 下 トンネルを 掘 り 武 器 の 備 蓄 を 続 け イラン 製 過 チュー シャロケット 弾 対 戦 車 ロケット 砲 (RPG) AK 自 動 ライフル 爆 発 物 などが 地 下 トンネ ルを 使 って40トンがガザに 搬 入 された (ニュ ヨークタイムズ2007 年 9 月 19 日 付 )という( 地 下 トンネルの 地 図 参 照 ) ハマスは カッサ ム 隊 を 中 核 に1 万 5 千 な いし2 万 の 兵 力 がガザ 防 衛 のために 地 下 壕 を 使 って 侵 攻 イスラエル 軍 と 戦 う 体 勢 を 準 備 長 期 に 及 ぶ 消 耗 戦 に 持 ち 込 んでガザ 封 鎖 の 解 除 や 検 問 所 の 再 開 などを 受 け 入 れる 停 戦 を 勝 ち 取 ることを 政 治 目 標 に 掲 げている これ に 対 し イスラエル 側 は このようにガザを 軍 事 要 塞 化 したハマスの 非 武 装 化 を 達 成 でき ないと 地 下 トンネルの 越 境 攻 撃 ロケット 弾 の 越 境 攻 撃 を 終 わらせてイスラエル 南 部 の 安 全 を 確 保 できず 2006 年 夏 にヒズボラが 軍 事 力 を 温 存 したまま 停 戦 した 第 2 次 レバノ ン 戦 争 の 二 の 舞 になりかねないだろう これ は イスラエルにとって 今 回 のガザ 戦 争 以 前 への 現 状 維 持 に 他 ならず 双 方 による 新 た な 消 耗 戦 が 延 々と 続 くことになる 96
ガザ 戦 争 とハマス 第 Ⅲ 章 ガザ 戦 争 後 のハマス しかしながら 2 段 階 戦 略 を 発 動 したハマ ス 側 は ガザ 戦 争 が 長 期 消 耗 戦 化 するにつ れて 第 1 段 階 のイスラエルによるガザ 封 鎖 の 解 除 から 国 際 社 会 の 世 論 の 動 向 に 訴 える 第 2 段 階 のパレスチナ( 西 岸 ) 占 領 解 放 へと 力 の 比 重 を 軍 事 から 政 治 決 着 へシフトする 機 会 を 狙 っていると 思 われる 8 月 23 日 政 治 局 のアブ マズル クは イスラエルは 力 と 抵 抗 の 言 葉 のみを 理 解 する ハマスはもは やこれまでの 暫 定 停 戦 には 固 執 せず パレス チナ 人 がエルサレムと 占 領 地 ( 西 岸 )を 解 放 する 闘 争 を 継 続 する< 抵 抗 >に 焦 点 を 定 めた 統 一 草 案 の 起 草 に 動 いている ガザ 戦 争 に 軍 事 解 決 の 道 はなく 政 治 解 決 を 達 成 しな ければならない (アルジャジ ラとのインタ ビュ ) パレスチナ 自 治 政 府 のアッバス 議 長 も8 月 23 日 仲 介 役 のシシ エジプト 大 統 領 と 会 談 スラエルとの 長 期 的 な 和 平 合 意 をめ ざす 考 えを 表 明 国 連 を 通 して 東 エルサレム を 首 都 とするパレスチナ 国 家 を 1967 年 の 第 3 次 中 東 戦 争 以 前 の 西 岸 ガザに 樹 立 するた め イスラエル 側 に 占 領 の 終 結 期 限 を 設 定 す るよう 求 める 内 容 の 安 保 理 決 議 案 の 作 成 に 向 けてエジプト,サウジアラビアなどアラブ 各 国 と 協 議 している この 決 議 案 が 安 保 理 で 拒 否 されたら 国 際 刑 事 裁 判 所 (ICC)に 提 訴 する 構 えだ ハマスが8 月 26 日 ガザ 封 鎖 の 緩 和 などエ ジプトの2 段 階 仲 介 案 を 受 け 入 れ イスラエ ルに 力 による 軍 事 対 決 の 道 を 迫 る 第 1 段 階 戦 略 から ガザの 統 治 と 長 期 的 な 政 治 決 着 に 道 を 開 くための 第 2 段 階 戦 略 への 転 換 に 舵 を 切 った と 考 えられる われわれは 過 去 数 年 間 にわたってイスラエルによるパレスチ ナ 占 領 地 を 解 放 するため 準 備 を 進 めて 来 た 今 回 の 戦 争 は 単 にガザの 境 界 線 にとどまら ず エルサレムとパレスチナの 全 面 解 放 が 目 標 だった (ハニヤ 元 首 相 ) われわれは イ スラエル 軍 の 不 敗 の 神 話 を 打 ち 砕 き 差 し 迫 ったパレスチナ 側 の 要 求 の 一 部 を 獲 得 し た 今 回 の 戦 いを 通 して 聖 地 エルサレムとパ レスチナ 占 領 地 の 解 放 に 近 づいた (ハマスの サーミ 首 席 スポークスマン) われわれは もはやイスラエルとの 間 でこれからどうな るのか 分 からない 和 平 交 渉 を2 度 と 行 わない われわれは 国 連 に 対 し 1967 年 の 第 3 次 中 東 戦 争 以 前 の 境 界 線 に 基 づくパレスチナ 国 家 の 樹 立 をめざす 詳 細 な 計 画 を 提 出 する (アッ バス パレスチナ 自 治 政 府 議 長 ) 今 回 のガザ 戦 争 の 犠 牲 者 を 単 純 に 比 較 する と パレスチナ 側 約 2100 人 に 対 してイスラエ ル 側 70 人 と ハマス 側 は 過 去 の 中 東 戦 争 でア ラブ 諸 国 が 一 度 も 達 成 できなかった 戦 果 を 獲 得 したことになり パレスチナ 人 の 抵 抗 がも たらした 勝 利 ( 同 スポ クスマン)と 位 置 付 けている 双 方 はエジプトの 調 停 案 を 通 して 即 時 停 戦 とガザ 検 問 所 の 再 開 と 人 道 援 助 復 興 計 画 ガザ 沖 合 漁 場 の11キロ 拡 大 を 受 け 入 れたが 今 後 の 間 接 交 渉 を 通 して(1)ガザ の 港 と 空 港 の 建 設 問 題 (2)パレスチナ 人 の 釈 放 問 題 (3)イスラエル 兵 の 遺 体 返 還 問 題 が 焦 点 になる 第 Ⅳ 章 中 東 和 平 2 国 家 共 存 構 想 の 行 方 この 中 東 和 平 を 通 して 2 国 家 共 存 構 想 を 追 求 する 米 オバマ 政 権 は2013 年 7 月 9ケ 月 以 内 の 最 終 合 意 を 目 指 した 和 平 交 渉 の 再 開 に こぎ 着 けたものの 将 来 パレスチナ 国 家 の 領 土 となる 西 岸 地 区 でのユダヤ 人 入 植 活 動 の 凍 結 などをめぐり 行 き 詰 まり イスラエル 右 派 のネタニヤフ 政 権 との 間 で 政 治 交 渉 を 通 じた 政 治 解 決 の 道 は 2014 年 4 月 に 期 限 切 れを 迎 えて 完 全 に 閉 ざされてしまった 仲 介 役 のケ リー 国 務 長 官 は 和 平 交 渉 は 崩 壊 の 危 機 にあ り 米 国 が 費 やす 事 ができる 時 間 と 努 力 には 限 度 がある と 断 言 中 東 和 平 プロセスから の 後 退 を 表 明 中 東 百 年 紛 争 は 長 い 冷 却 局 面 に 入 った だがしかし 冒 頭 で 引 用 した 英 誌 エコ ノミスト が 3 年 前 のガザ 戦 争 の 時 The hundred years`war why Arabs and Jews still fjght in Palestine と 問 いかけたように 世 界 で 最 も 問 題 の 根 源 が 深 く 解 決 が 至 難 なパレ スチナ 問 題 の 解 決 に 国 際 社 会 は 向 き 合 わざる を 得 ないだろう 今 回 再 噴 火 したガザ 戦 争 が いかなる 決 着 の 道 を 辿 るにせよ パレスチナ の 民 衆 に 今 残 されているものは 過 去 にも 将 97
環 境 と 経 営 第 20 巻 第 2 号 (2014 年 ) 来 にも 決 して 消 え 去 ることのないパレスチナ 国 家 樹 立 への 夢 である (モハメド H ヘイ カル)という 根 源 的 な 真 理 は 今 後 も 消 え 去 ることはないに 違 いない ( 了 ) 主 要 参 考 文 献 1) 森 戸 幸 次 中 東 の 戦 争 と 平 和 の 条 件 吉 田 康 彦 編 21 世 紀 の 平 和 学 明 石 書 店 2005 年 2) 森 戸 幸 次 中 東 百 年 紛 争 パレスチナと 宗 教 ナショナリズム 平 凡 社 2001 年 3) 森 戸 幸 次 中 東 和 平 構 想 の 現 実 パレスチ ナに2 国 家 共 存 は 可 能 か 平 凡 社 2012 年 4) 森 戸 幸 次 パレスチナ 問 題 を 解 く 中 東 和 平 の 構 想 筑 摩 書 房 1996 年 5) 森 戸 幸 次 アラブ 民 主 革 命 中 東 和 平 重 大 な 岐 路 に 2011 年 8 月 30 日 付 読 売 新 聞 朝 刊 論 点 所 載 6)Al-Tahariir(アラビア 語 紙 カイロ) December 21, 2013. December 28, 2013. Janiary 4, 2014. 7)Muhammad Ali Khair, Al tariiq ila Qasr al Uruuba(アラビア 語 カイロ) Sefsafa Publishing House, Cairo, 2011. 8)Michael Hudson, ARAB POLITICS, Yale University Press, New Haven and London, 1977. 9)David E.Long, Bemard Reich, and Mark Gasiorowski, The Govemment and Politics of the MIDDLE EAST and NORTH AFRICA, sixth edition, West view Press, 2011. 10)Rabab E L-Mahdi and Philip Marfleet, EGYPT, Moment of Change, The American University in Cairo Press, Cairo, 2009. 11)Asef Bayat, LIFE AS POLITICS, Stanford University Press, California, 2010. 98