研究ノート 支給開始年齢の引き上げに関する一考察 三井住友信託銀行ペンション リサーチ センター 主任研究員 藤本裕三 Ⅰ. はじめに雑誌等には 公的年金に関して支給開始年齢が次々に引き上がりなかなか受給が開始しない 逃げ水年金 なる用語が まことしやかに書かれていることがある 筆者はこうしたセンセーショナルな記事に対してかなりの興味を抱き 支給開始年齢に関する動向や実情はどうなっているのかについて検討したいと思っていた そうした関心を元に 本稿では まず Ⅱ. 支給開始年齢引き上げをめぐる最近の動き において最近の政府等の議論の動向を整理する 次に Ⅲ. 将来人口推計から見た支給開始年齢 において国立社会保障 人口問題研究所の公表している将来人口推計を用いて 将来の少子高齢化を踏まえた中での年金給付額と収入額の動向 および 財政的に均衡する支給開始年齢を概算し 支給開始年齢の引き上げが必要であるか否かについて概括的に検討する 最後に Ⅳ. 支給開始年齢引き上げに対応できる社会とは において支給開始年齢或いは受給開始年齢が引き上がることを前提とした中で社会がどう対応しなければならないかについて簡単に意見を述べたい Ⅱ. 支給開始年齢引き上げをめぐる最近の動き以下では 公的年金の支給開始年齢の65 歳からのさらなる引き上げについての最近の議論の動向を整理する 支給開始年齢の引き上げについて 比較的最近の話で大きな話題となったのは 平成 年 0 月 日の社会保障審議会年金部会において厚生労働省資料の中で支給開始年齢の見直し例として 厚生年金について引き上げスケジュールを前倒し 厚生年金について現在の 65へのスケジュール後さらに同じペースで 68 歳まで引き上げ 併せて基礎年金についても 68 歳まで引き上げ で前倒しを行った上で さらに同じペースで 68 歳まで引き上げの パターン が示 されたことが挙げられよう この時にはその内容が翌日の新 聞に大々的に取り上げられ それに対して反対の意見が各所 で高まったことにより それ以上の議論の進展は見られなか った 次に挙げるのは 平成 4 年 月 7 日に閣議決定された 社会保障 税一体改革大綱 の中で 支給開始年齢の引き 上げが将来的な課題として中長期的に検討する ( 法案提出は 行わない ) ことが明記されたことである この時は 消費税 引き上げが大々的に取り上げられる中 支給開始年齢の引き 上げが取り上げられることはほとんどなかったが 最近の議 論においても ここで将来的な課題として明記されたことを 出発点として議論が進められている点からも重要なポイント であると言えよう 次に新聞紙上を賑わしたのは 平成 5 年 月 0 日に国 際通貨基金 (IMF) サンジェフ グプタ財務局次長が日本 の公的年金制度について 支給開始年齢を引き上げていかな ければならない と発言したことである ネット上では 外 国人が日本のことに口を出すなといった意見が多数表明され たが 一部の新聞紙上では 日本の年金制度に警鐘をならし たという評価がなされた 次に現政権における公的年金の支給開始年齢の引き上げに 関する議論について述べたい 現政権の社会保障制度改革の 代表的な審議会である社会保障制度改革国民会議において ついに 支給開始年齢の引き上げが本格的に議論された 平 成 5 年 6 月 日の 回会議の資料 これまでの社会保 障制度改革国民会議における議論の整理 ( 年金分野 )( 案 ) には 支給開始年齢の引き上げについて 支給開始年齢とい う概念から 個人の判断でいつ受給できるかを決める受給開 それぞれの引き上げパターンの詳細な内容については社会保障審議会年金部会 HP に掲載されている資料 支給開始年齢について を参照して頂きたい
始年齢へ 運営も理念も切り替えるべき 支給開始年齢の見直しは 弾力化を含めて考えていく必要 その際 高齢者の就業の問題 医療 介護の問題 就業できない高齢者への所得保障の対応 企業における人事戦略の対応など 準備に時間のかかるテーマであり 早めに議論すべき と記載されており また 議事録によると 老後にしっかりとした年金給付を維持するためにも 支給開始年齢 ( 或いは標準的な年金を受け取り始める年齢 ) の引き上げについても検討していく必要がある 特に支給開始年齢の引き上げは雇用の問題とも密接に関係するためできるだけ早めにこの問題を提起し議論を始めることが大切だということで意見の一致をみている そして平成 5 年 8 月 6 日に安倍総理に報告された最終報告書においては 支給開始年齢の引き上げは中長期的な課題として位置付けられるに留まったが 雇用との接続や他の社会保障制度との整合性など幅広い観点からの検討が必要となることから検討作業については速やかに開始しておく必要があると結論づけられている ( また その後平成 5 年 8 月 日に閣議決定したいわゆる 社会保障プログラム法案骨子 においては 高齢期における職業生活の多様性に応じ 一人一人の状況を踏まえた年金受給の在り方 という文言で検討課題として挙げられている ) Ⅲ. 将来人口推計から見た支給開始年齢それでは 支給開始年齢は本当に引き上げないといけないのだろうか 本節では国立社会保障 人口問題研究所が平成 4 年 月に推計した日本の将来人口推計 を用いて簡易な試算により支給開始年齢が 65 歳から引き上がらない場合の収入総額と給付総額 および 財政上均衡する支給開始年齢を算出する まず 財政方式としては 日本の公的年金が原則として準拠している財政方式である賦課方式 によるものとする 次に 号被保険者 号被保険者 号被保険者の割合であるが まず 公的年金加入状況等調査 ( 平成 年 月時点 ) より非加入者の割合を.4% と設定し 残りの98.6% について 厚生年金保険 国民年金事業年報 ( 平 成 年度 ) の被保険者数の割合となるものと仮定した 次に保険料であるが 平成 9 年度以降の引き上げ後の保険料を前提として 0 歳から 65 歳までの 号被保険者について 名当たり毎月 6,900 円が拠出され 0 歳から65 歳までの 号被保険者について年収の 8.% が拠出されるものとした また 国庫負担分として基礎年金の給付総額の 分の が国庫から拠出されるものとした なお 平成 9 年度以降の引き上げ後の保険料は ( 私見ではあるが ) かなり重い負担であると考えているためこれ以上の保険料の引き上げは想定しない なお 号被保険者の平均標準報酬および平均標準賞与は 厚生年金保険 国民年金事業年報 ( 平成 年度 ) によるものとして 収入の年齢カーブは平成 4 年賃金構造基本統計調査によるものとした 次に給付であるが デフレが継続するとともにデフレ化でのマクロ経済スライド 4 についても措置がなされなかった場合として 支給開始年齢以上の被保険者について平成 4 年度のモデル年金額 ( 号被保険者男子 :65,99 円 それ以外 :65,54 円 ) が支払われる場合をケース として想定した 次にマクロ経済スライドを考慮に入れるため 平成 年度の所得代替率 6.% と所得代替率の下限 50.0% を使用して給付水準が前述の平成 4 年度のモデル年金額から一律に 50.0/6. 倍に減額する場合をケース として想定した それらを前提とした支給開始年齢が65 歳から引き上がらない場合の収入総額と給付総額 および 支給開始年齢が引き上がるとした場合の収入総額と給付総額の算出過程を図示したものを図 に また 支給開始年齢が 65 歳から引き上がらない場合の各年 各ケースにおける収入総額と給付総額を表 に掲げる ( 次頁 ) 結果 平成 年 (00 年 ) 人口分布では 支給開始年齢が 65 歳である場合の収入総額が 48 兆円であるのに対して給付総額は 4 兆円であり 財政的にかなりのゆとりのある状況である 5 ( ケース )( また この年度ではケース は意味がない ) 出生中位 死亡中位の推計を利用する 現在は修正賦課方式により積立金を有して運営されているが 将来的に積立金が目減りすることを想定して敢えて積立金を考慮しないものとしている 4 前述の社会保障制度改革国民会議の最終報告においても検討課題として位置付けられている 5 平成 年時点では保険料が引き上がっていないため 実際にはこのような収支状況ではない
< 図 > 収入総額 ( 保険料収入 国庫負担 ) および給付総額の計算過程 [ 収入 ] 対象 :0 歳 ~64 歳 号被 保険料収入 男女別年齢 別被保 8.% 平 + 保険険.69 万円 月 者割合 者割合 [ 給付 ] 均年間収入 号 平均年間収入 = 平均標準報酬 + 平均標準賞与 対象 : 支給開始年齢または 65 歳 ~ 最終年齢 + 国庫負担 対象 : 支給開始年齢または 65 歳 ~ 最終年齢 ~ 65,54 円 月 < ケース > < ケース > 50.0 6. 男子 99,858 円 月 + ~ 65,54 円 月 <ケース> <ケース> 50.0 6. これが 平成 47 年 (05 年 ) 人口分布では ケース において 支給開始年齢が 65 歳である場合の収入総額が 4 兆円であるのに対して給付総額が 4 兆円となり 財政的にほぼ均衡する状態になり ケース において 支給開始年齢が 65 歳である場合の収入総額が 40 兆円であるのに対して給付総額が 4 兆円となり かなりゆとりのある状態であることが分かる さらに 平成 7 年 (060 年 ) 人口分布では ケース において支給開始年齢が 65 歳である場合の収入総額が 兆円であるのに対して給付総額は 40 兆円となり財政的にかなりの支払超過が生じることが分かる また ケース においては支給開始年齢が 65 歳である場合の収入総額が 兆円であるのに対して給付総額は 兆円となり財政的な支払超過が若干生じることが分かる < 表 > 各年 各ケースにおける収入総額 給付総額 ケース ( 将来に亘って現行給 ケース ( 給付減額あり ) 付水準を維持 ) 収入総額 給付総額 収入総額 給付総額 平成 年 48 兆円 4 兆円 - - 平成 47 年 4 兆円 4 兆円 40 兆円 4 兆円 平成 7 年 兆円 40 兆円 兆円 兆円 そして 平成 7 年 (060 年 ) 人口分布のケース に おいて 支給開始年齢が引き上がるとした場合の均衡する支 給開始年齢は 7.9 歳となり ( 次頁図 参照 ) 同年人 口分布のケース において 支給開始年齢が引き上がるとし た場合の均衡する支給開始年齢は 66.45 歳となる ( 次頁
図 参照 ) < 図 > 財政上均衡する支給開始年齢の算出式 64 歳 X=0 歳 各年齢保険料収入 最終年齢 = X= 支給開始年齢 各年齢給付額 - 各年齢国庫負担 財政上均衡する支給開始年齢を求めるには 上記式を 支給開始年齢 について解く ( 但し 年未満の年齢については線形補間を使用 ) これから見ると ケース においては 長期的な少子高齢 化を踏まえると支給開始年齢の引き上げを避けることはかな り困難であると考えることができ また ケース において も支給開始年齢の引き上げは長期的には視野に入ることが想 定される また 上記の検証より 或いは次のような言い方 ができるかもしれない つまり マクロ経済スライドによる 給付水準の低下に対して給付水準を一定以上に維持すべく受 給開始年齢を選択しようとすれば それは 65 歳以降の年齢 に引き上がった年齢からの受給開始とならざるを得ないこと になる Ⅳ. 支給開始年齢引き上げに対応できる社会とは 支給開始年齢 ( 或いは 受給開始年齢 ) の引き上げが避け られないのであれば それまでの間の生活資金を如何に確保 するかを考えなければならない これを自己責任であるとし 個人の自助努力にゆだねるのはあまりにも政府の怠慢と言え る あくまでも社会として収入確保ができるような体制づく りを行っていかなければならない そのための方策について 以下で簡単に考えを述べたい a. 企業年金による対応 まず 日本の企業に根付いている退職給付制度のつなぎ年 金への活用が考えられよう 大企業 中堅企業の多くは企業 年金制度が整備されていることが多いが この支給形態の中 につなぎ年金として活用できる給付形態を設けることは容易 に対応できる方策である また 小規模な企業においても退職金制度は広く普及して いるが それを原資に購入できるようなつなぎ年金を生命保 険会社 信託銀行等の金融機関が開発することも容易に対応 できる方策であると言える いずれの場合でも公的年金の支給開始年齢 ( 或いは 受給開始年齢 ) の引き上げに対応したものであるため 政府としては 何らかの税制上のメリットを設置し 普及に努めることが必要となろう また ここで活用する対象に想定している現行の退職給付の水準がつなぎ年金部分とその後の老後所得保障の両者をカバーするには不十分である場合も考えられるが そうした場合には 平成 4 年 月より制度化された確定拠出年金のマッチング拠出を活用すれば ( 原資としては自助によるものでありながら ) 税制上のメリットを享受しつつ退職給付の水準を引き上げることができるインフラになり得るため 企業 個人の双方にとって有効な手段となるものと考えられる b. 高齢者雇用の変革しかし さきほど見た平成 7 年 (060 年 ) の概算結果を踏まえると 給付水準を一定以上に保つために受給開始年齢を選択する場合を想定すると 企業年金による対応は一時的なものにすぎないと考えられる 企業年金による対応のみではなく 高齢者雇用の在り方を大きく見直し 少子高齢化によって勤労者人口が減少する中 働くことができる高齢者が仕事をすることによって日本の社会全体を支える発想も必要になってくるものと考えられよう (a) 高齢者雇用の変革 ( 企業内の対応 ) 企業内における高齢者雇用に関しては 企業側が 継続雇用を中心として 多様化する高齢者のニーズに対応できるような多様な選択肢を提供する必要があると考えている その際 高齢者の有するノウハウを承継できる態勢構築には十分配慮するとともに 支給開始年齢の引き上げを前提として年金収入がなくとも生活できる賃金水準も選択肢の中に加えることが必要になるものと考えている まず 高齢者雇用については 継続雇用 と 定年の延長または廃止 という選択肢が想起されるが 筆者は定年延長または廃止という選択肢も高齢者雇用を拡大する方策であることは認めつつも 我が国全体にとっては あまりふさわしいものではないと考えている その一の理由は 定年の延長または廃止によって 若者の雇用を奪うことになっては日本の未来にとって良い影響を与えないと考えるからであり また 二の理由は 高齢者は幾ら元気と言っても体力的な衰えはある程度考慮に入れる必要があることと こどもが自立した後は壮年期ほどの収入も不必要となるということから 4
壮年期とは違った就業形態でも問題ない 或いは その方が望ましいと考えるからである 次に高齢者は壮年期と異なり 就労についてニーズが多様化することが重要なポイントとなる 先ほども述べたとおり 高齢者の体力的な衰えを企業は考慮する必要があるほか 例えば 壮年期の貯蓄がかなりあるため 賃金水準は低くてもいいという高齢者もいるなど 壮年期に比べると 体力面 意欲面 ライフスタイル等 定年後の雇用については 高齢者それぞれにニーズが多様であることが想定され 企業側としては それらの多様なニーズに応じた 例えばパートタイム勤務や短時間正社員制などの多様な就労形態を準備することが重要であると考えている 次に 高齢者は長年の勤務経験から経験豊富であり 企業にとってかけがえのない技能 ノウハウを有している場合が多いことが重要なポイントとなる 企業としては そうした技能 ノウハウを承継することに付加価値を見い出し それが達成できるような態勢の構築を十分に考慮に入れた就労形態とすることで 長年自社のために頑張ってくれた高齢者を活用することを考えねばならない 最後に 高齢者雇用における賃金水準についてであるが 先ほど述べたとおり 多様な選択肢を準備することが重要となるが その中には 支給開始年齢が引き上がったことにより年金収入がなくなった高齢者が生活する上で困らない程度の賃金水準の準備も必要となってくるものと考えている 現在 65 歳に向けての支給開始年齢の引き上がりが始まり 定年退職後に年金収入が全くない人の中から 継続雇用時の賃金がそれを考慮していないもののままであるという声がちらほら聞こえてくる 企業は 支給が本当に開始されていない高齢者については そのニーズに応じて対応できるような選択肢も準備することが重要である (b) 高齢者雇用の変革 ( 企業外或いは地域での対応 ) て重要な意義を持つという観点から 求人における年齢差別の禁止を行っていくことも検討に値する 一方 低職業能力高齢者についても 活用を拡大するための国 自治体等の取り組みが必要になろう たとえば ニーズが拡大することが期待される介護などの分野において 体力的に若干の衰えがある高齢者が活躍できるよう介護機器等の高度化を図った上で 職業訓練の制度を設けていくことなどが必要となろう Ⅴ. 最後に支給開始年齢の引き上げについては Ⅱ 節で見てきた通り 中長期的な課題とされながらも政府において継続的に議論が進められており 将来的に法制化し適用される可能性は否めない また Ⅲ 節の議論によって少子高齢化の進展を踏まえればマクロ経済スライドを考慮に入れたとしてもその必要性は視野に入るものであり また 給付水準の低下を一定程度に抑えようとするのであれば受給開始年齢の引き上げは必須のものになる可能性が高いことが分かった そして そうした支給開始年齢 或いは 受給開始年齢の引き上げを想定した将来においては 高齢者人材を 企業内外で活用することが我が国の将来を考えれば必要不可欠であるという認識の下で Ⅳ 節で述べたような方策によって 企業 公的機関双方が取り組みを図っていくことで 可能な限り現役を続行できる雇用制度の変革を実現していくことが極めて重要になってくるものと筆者は考えている ( なお 本稿は筆者の属する団体とは無関係であり 内容は筆者の個人的見解である ) また これまでは 企業における継続雇用を中心として話を進めてきたが 企業外或いは地域において 高齢者を活用する体制を国 自治体等が整備することも高齢者雇用の拡充には必要不可欠と考えられる 高齢者の技能は一企業だけが活用するのは勿体なく広く社会の中でニーズとマッチングを図れるような公的機関の取り組みを推進すべきである それに関連して 現在 求人において年齢制限を設けることが広く行われているが 高齢者人材の活用が我が国にとっ 5