南海地震を知る 徳島県の地震 津波碑 巻頭のことば P1 南海地震を知る P2 徳島県の地震 津波碑 P8 徳島県の地震 津波碑の位置 P8 板野郡松茂町 春日神社 敬渝碑 P9 徳島市 蛭子神社 百度石 P10 名東郡佐那河内村 長願寺 扁額 P11 小松島市 立江川排水改良事業之碑 立江八幡神社

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1 想定地震の概要南海トラフで発生する地震は 多様な地震発生のパターンが考えられることから 次の地震の震源域の広がりを正確に予測することは 現時点の科学的知見では困難です そのため 本市では 南海トラフで発生する地震として 次の2つの地震を想定して被害予測調査を行いました (1) 過去の地震を考慮し

津波警報等の留意事項津波警報等の利用にあたっては 以下の点に留意する必要があります 沿岸に近い海域で大きな地震が発生した場合 津波警報等の発表が津波の襲来に間に合わない場合があります 沿岸部で大きな揺れを感じた場合は 津波警報等の発表を待たず 直ちに避難行動を起こす必要があります 津波警報等は 最新

2 被害量と対策効果 < 死者 負傷者 > 過去の地震を考慮した最大クラス あらゆる可能性を考慮した最大クラス 対策前 対策後 対策前 対策後 死者数約 1,400 人約 100 人約 6,700 人約 1,500 人 重傷者数約 600 人約 400 人約 3,000 人約 1,400 人 軽傷者

平成27年基準年度固定資産税標準 宅地の鑑定評価でのバランス検討体制等に関する説明会資料

目 次 1. 想定する巨大地震 強震断層モデルと震度分布... 2 (1) 推計の考え方... 2 (2) 震度分布の推計結果 津波断層モデルと津波高 浸水域等... 8 (1) 推計の考え方... 8 (2) 津波高等の推計結果 時間差を持って地震が

<GK クルマの保険 ( 車両保険 )> ( 自動車によるあて逃げに限ります ) お客さまのおクルマは 車両保険 に加入していますか? 自動車保険の車両保険では 一般車両 もしくは 10 補償限定 のいずれでも 台風や集中豪雨による洪水の事故が対象となります 地震 噴火またはこれらによる津波 によっ

津波の怖さを知っていますか? 平成 5 年 (1993 年 ) 北海道南西沖地震では地震発生から 5 分と経たないうちに大津波が押し寄せ 死者 202 人 行方不明者 28 人などの被害が生じました ( 写真は函館海洋気象台職員撮影 ) 宮崎地方気象台

資料 3-11 岡山県沿岸における津波浸水想定 説明資料 岡山県 平成 26 年 5 月 岡山県沿岸の概要 ( 今回の津波浸水想定の対象範囲 ) 岡山沿岸 ( 延長約 537km) 岡山県玉野市の沿岸状況 岡山沿岸の海岸地形は 瀬戸内海が遠浅であることから 古くから農地や塩田造成等の埋め立てに影響を

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2014年度_三木地区概要

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昭和南海地震について ~ 昭和南海地震から 70 年 ~ 今年は 1946 年 ( 昭和 21 年 )12 月 21 日 04 時 19 分に昭和南海地震が発生してから 70 年が経過する年にあたります 昭和南海地震 (M8.0) は 和歌山県潮岬沖を震源として発生し 近畿地方や四国地方を中心に 日

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東北地方太平洋沖地震への 気象庁の対応について ( 報告 ) 気象業務の評価に関する懇談会 平成 23 年 5 月 31 日 気象庁 1

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津波に対する水門 陸閘等の操作指針について 1. 目的 本指針は, 水門 陸閘等に関して, 海岸, 河川, 港湾, 漁港等の管理者 ( 以下 施設管理者 という ) と現場操作員が平常時及び津波発生時に実施すべき事項や, 施設に関する閉鎖基準等及び配備体制などの基本的な方針を定め, 本県沿岸に襲来す

浸水深 自宅の状況による避難基準 河川沿いの家屋平屋建て 2 階建て以上 浸水深 3m 以上 緊急避難場所, 近隣の安全な建物へ水平避難 浸水深 50 cm ~3m 緊急避難場所, 近隣の安全な建物へ水平避難上階に垂直避難 浸水深 50 cm未満 緊急避難場所, 近隣の安全な建物へ水平避難 自宅に待

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促進計画(案)最終  :促進計画/実施計画/3.5

目次 第 Ⅰ 編本編 第 1 章調査の目的 Ⅰ-1 第 2 章検討体制 Ⅰ-2 第 3 章自然 社会状況 Ⅰ-3 第 4 章想定地震 津波の選定条件等 Ⅰ-26 第 5 章被害想定の実施概要 Ⅰ-37 第 6 章被害想定結果の概要 Ⅰ-48 第 7 章防災 減災効果の評価 Ⅰ-151 第 8 章留意

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PowerPoint プレゼンテーション

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177 箇所名 那珂市 -1 都道府県茨城県 市区町村那珂市 地区 瓜連, 鹿島 2/6 発生面積 中 地形分類自然堤防 氾濫平野 液状化発生履歴 なし 土地改変履歴 大正 4 年測量の地形図では 那珂川右岸の支流が直線化された以外は ほぼ現在の地形となっている 被害概要 瓜連では気象庁震度 6 強

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0900167 立命館大学様‐災害10号/★トップ‐目次

平成 27 年度第 1 回状況説明 ( 要望 ) 活動 平成 27 年 8 月 3 日 ( 月曜日 ) 1 国土交通省 財務省 総務省 内閣府への状況説明 ( 要望 ) 活動について国土交通省へは 岡﨑高知市長と清水大洲市長を先頭に 国土交通省幹部及び関係部局へ状況説明 ( 要望 ) 書の手渡しと要

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2011 年 12 月 15 日発行 東日本大震災リスク レポート ( 第 5 号 ) 次の大地震 大津波への対応 : 防災計画の見直しと企業に求められる対応 発行 : 三菱商事インシュアランス株式会社リスクコンサルティング室 はじめに 1 本年 3 月 11 日 ( 金 ) の東日本大震災の発生か

地震防災に関するアンケート調査結果について

東海地震とは 1976 年 ( 昭和 51 年 )8 月 地震予知連絡会において東京大学理学部の石橋助手 ( 当時 ) が 東海地域でマグニチュード 8クラスの巨大地震が 極端に言えば明日起きても不思議ではない という いわゆる 東海地震説 を発表しました 予想される東海地震は 駿河トラフから北西に

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素早い避難の確保を後押しする対策として位置付けるべきものであることとされているところである 国及び関係公共団体等は 最大クラスの地震 津波に対して被害を減ずるため これらの報告で示された地震 津波対策を速やかに具体化し 推進する必要がある 主な津波対策を以下に示す (1) 強い揺れや弱くても長い揺れ

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を誘発すると共に 家屋等の災害廃棄物とともに港内外水域に漂流 沈没することとなり 航路や泊地等の水域施設が使用不可能な状況となった また 押し波 引き波により 航路や泊地等の水域施設において 洗掘あるいは埋没が発生し 洗掘された箇所では 防波堤の転倒等が誘発され 埋没した箇所では 計画水深の確保のた

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はじめに 高知県民にとって避けることのできない南海地震は 今後 30 年以内に 60% 程度 ( 地震調査研究推進本部 平成 25 年 1 月現在 ) の高い確率で発生することが懸念されており 激しいゆれによる被害のほか 直後に襲ってくる津波により大きな被害が発生することが予想されています 安芸市に

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418 を見直すことによる震源再解析結果を報告した 一方, 奄美大島の南に位置する与路島等で実施した津波堆積物を調べるボーリング調査を紹介し,1911 年喜界島津波より古い時代のこの海域の巨大津波の発生を検討した また, この海域における過去の巨大津波の発生を推定するために, 奄美大島のリーフ上に点

本ワーキンググループにおけるこれまでの検討事項

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別添資料 3 南海トラフ沿いの大規模地震の 予測可能性に関する調査部会 ( 報告 ) 南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性について 平成 25 年 5 月 -0-

建築物等震災対策事業について

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9 箇所名 江戸川区 -1 都道府県東京都 市区町村江戸川区 地区 清新町, 臨海町 2/6 発生面積 中 地形分類 盛土地 液状化発生履歴 近傍では1855 安政江戸地震 1894 東京湾北部地震 1923 大正関東地震の際に履歴あり 土地改変履歴 国道 367 号より北側は昭和 46~5 年 南

1 防災に関する意識 (1) 災害被害の具体的イメージ ( 複数回答, 上位 4 項目 ) 平成 25 年 12 月 地震 80.4% 竜巻, 突風, 台風など風による災害 48.1% 河川の氾濫 19.6% 津波 17.8% ( 複数回答 )

国土技術政策総合研究所 研究資料

4 回答者属性 (1) 性別 人数割合 (%) 男性 女性 49.4% 0.4% 男性 5 女性 % 2 0.4% (2) 年代別 人数割合 (%) 20 代 % 30 代 % 40 代 % 50 代 % 60~6

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南海トラフ地震発生時の不安 南海トラフ地震が発生した場合 不安や危険に思うことは何ですか?( は 3 つまで ) 66.7% の人が 自宅の倒壊や損壊 49.2% の人が 家族等の安否やその確認手段 と答えています 自宅の

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第 1 章実施計画の適用について 1. 実施計画の位置づけ (1) この 南海トラフ地震における具体的な応急対策活動に関する計画 に基づく宮崎県実施計画 ( 以下 実施計画 という ) は 南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法 ( 平成 14 年法律第 92 号 以下 特措法 と

アンケート調査の概要 目的東南海 南海地震発生時の業務継続について 四国内の各市町村における取り組み状況や課題等を把握し 今後の地域防災力の強化に資することを目的としてアンケート調査を実施 実施時期平成 21 年 11 月 回答数 徳島県 24 市町村 香川県 17 市町 愛媛県 20 市町 高知県

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重ねるハザードマップ 大雨が降ったときに危険な場所を知る 浸水のおそれがある場所 土砂災害の危険がある場所 通行止めになるおそれがある道路 が 1 つの地図上で 分かります 土石流による道路寸断のイメージ 事前通行規制区間のイメージ 道路冠水想定箇所のイメージ 浸水のイメージ 洪水時に浸水のおそれが

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資料 2 東海管内における農業水利施設の防災 減災の取組 ( 農村地域防災減災事業 海岸事業 ) 平成 27 年 2 月東海農政局整備部防災課

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白紙のページ

第 1 波ピーク 最大津波高 浸水深 浸水範囲の時系列変化等 3 市町の避難計画等の調査 4 河川 海岸堤防等の対策必要箇所の整理 5 津波浸水域の基礎データ作成 防災 保全部門 :No 津波避難困難地域の設定 (1) 津波避難困難地域 3 連動地震及び巨大地震の津波浸水想定において 避

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南海地震を知る 徳島県の地震 津波碑 日本最古の津波碑 : 1364 年正平南海地震津波の供養碑 康暦碑 徳島県海部郡美波町東由岐 徳島県 監修 徳島大学環境防災研究センター

南海地震を知る 徳島県の地震 津波碑 巻頭のことば P1 南海地震を知る P2 徳島県の地震 津波碑 P8 徳島県の地震 津波碑の位置 P8 板野郡松茂町 春日神社 敬渝碑 P9 徳島市 蛭子神社 百度石 P10 名東郡佐那河内村 長願寺 扁額 P11 小松島市 立江川排水改良事業之碑 立江八幡神社 農地災害復旧碑 豊浦神社 石碑 P12 阿南市 鵠和光神社 石碑 P15 大原 地神上棟式記念碑 住吉神社 海嘯潮痕標石 八幡神社 常夜灯台石 那賀郡那賀町 海部郡美波町 海部郡牟岐町 海部郡海陽町 その他 目次 妙法寺 庚申塔 P19 志和岐 震災碑 P20 東由岐 康暦碑 東由岐浦 修堤碑 西の地 貞治の碑 木岐王子神社 石灯籠 旧旭町南海地震 記念碑 P25 牟岐町における南海震災史碑 牟岐 大震潮記念碑 牟岐町南海震災記念碑 出羽島観栄寺 石碑 浅川 南海津浪死没者供養塔 P30 浅川天神社 折損鳥居 浅川天神社 石碑 浅川天神社前 南海大地震記念碑 浅川観音堂 地蔵尊台石 浅川観音堂 宝永ノ津浪 浅川観音堂石段 津波襲来地点石標 震災後 50 年南海道地震津波史碑 津波十訓 浅川御崎神社 大地震津浪記 浅川千光寺 大地震津浪記 扁額旧熟田峠地蔵尊 供養塔 大岩 慶長 宝永地震津波碑 鞆浦 海嘯記 宍喰 南海地震津波最高潮位石標 南海地震津波 最高潮位標識 P45

巻頭のことば 次の南海地震は今世紀前半にも起き そのエネルギーは 1946 年昭和南海地震の 4 倍以上 徳島県での死者数は 4,300 名 建物全壊棟数は 49,700 棟と予測されています 徳島県民総ぐるみで 次の南海地震に立ち向い 被害を最小化することに努めなければなりません この冊子には 県内各地に残る過去の南海地震 津波に関する記念碑 供養碑や扁額など ( 以下 総称して碑と呼ぶ ) の調査結果がまとめられています 碑には 犠牲者への供養とともに当時の被害を後世に伝へ 二度とこうした悲惨な被害を後世の人々に味あわせたくないという先人の想いが込められており その心を私たちは受け継いでいかなければなりません 徳島県には 他に例をみない古い貴重な地震 津波碑が多く残されています すなわち 太平記にも記された日本最古の津波碑といわれる 1361 年正平南海地震や 1605 年慶長南海地震をはじめ 1707 年宝永地震 1854 年安政南海地震などの地震 津波碑がそれらです さらに 終戦後間もない 1946 年昭和南海地震直後の碑に加え 外国で発生した 1960 年チリ地震津波の津波高を印した碑など 近年建てられた新しい碑も見られます これらの碑には 今後の地震 津波防災に生かすべき有用な多くの教訓が刻まれています しかしながら 碑面が風化 摩耗して碑文が読めなくなったものもある一方 先人の想いを継承するため碑文を再度蘇らせ新しい碑を建立している地域もあります ここに取り上げられた碑以外にも 県下各地にはまだ地震 津波碑が存在している可能性もあり この冊子が埋もれた貴重な碑の発見の契機となることも期待されます この冊子には 1) 碑の名称 2) 過去の南海地震の名称 3) 碑の所在地と地図 4) 碑の写真と碑文の概要 5) 碑から得られる教訓などが記されています この冊子を手に 現地を訪ね 当時の被害に想いを馳せ 碑の教訓を生かし 次の南海地震に立ち向う心構えの一助となることを期待したいものです また 学校や地域における防災教育 防災学習にも活用していただきたいと思います 今では もとの湿地や池 塩田などが埋め立てられ 地形や土地利用の形態 社会構造も過去の南海地震時と大きく変化していて 被害の形態も複雑 その規模も格段に大きくなることが考えられます そのため 次の南海地震発生時には 自助 共助 公助の機能を最大限に発揮し 被害を最小化するとともに 早期に復旧 復興できるしくみを県民総ぐるみで考えておきたいものです 先人の叫び 過去の教訓を現在に生かす知恵のヒントがここから得られることを望みます 2008 年 2 月徳島大学名誉教授村上仁士 巻頭のことば P1

南海地震とは? ユーラシアプレート 駿河トラフ フィリピン海プレート 南海地震とは 紀伊半島潮岬沖から四国足摺岬沖を震源とする海溝型地震をいいます 海側のフィリピン海プレートが陸側のユーラシアプレートの下に沈み込み プレートの沈み込みに伴う陸側のプレートの変形が限界に達し 境界面が破壊されるとき巨大地震が起きるというしくみになっています 東南海地震は 遠州灘西部から紀伊半島南端まで 東海地震は 駿河トラフ沿いで発生する地震です なお上図には 南海地震 東南海地震 想定東海地震の震源域を示しています これら 3 つの巨大地震は 歴史的にみて連動する特徴があり およそ 100~ 150 年毎に地震のマグニチュード M8 クラスの地震が起きています 最も新しい南海地震は 1946( 昭和 21) 年に起きた地震で その 2 年前の 1944( 昭和 21) 年に東南海地震が起きています 政府の地震調査研究推進本部によれば 南海地震の発生確率は今後 30 年以内に 50% 程度 50 年以内に 80~90% と発表されており 今世紀前半には必ず起きるという心構えが必要です また 内閣府の中央防災会議の被害想定によると 東海 東南海 南海が同時発生した場合 M8.7 の巨大地震となり 最悪約 28,300 名の死者が発生するといわれています 南海地震を知る P2

過去の東海 東南海 南海地震 出典 : 中央防災会議 M8.4 M8.5 M8.3 M8.5 M8.4 M7.9 M8.6 M8.4 M8.0 遺跡発掘調査から確認 ( 寒川らによる ) この図は 過去の東海 (E) 東南海 (C,D) 南海 (A,B) 地震の履歴を示しています 徳島県でも 有史以来幾度となく南海地震による被害を受けてきました その被災履歴は 古文書や碑などの歴史史料や遺跡発掘調査による噴砂の跡 さらに地下の津波堆積物などからも確認できます 記録に残る日本最古の津波は 日本書記に記された 684( 天武 13) 年の白鳳南海地震による津波で 高知県では貢物を運ぶ船が多数沈没しています この地震による噴砂の跡が徳島県板野郡黒谷川郡津頭遺跡から発見されています また 文書になかった 1498( 明応 7) 年の明応南海地震も板野郡の宮の前遺跡の噴砂の跡から確認できます 過去の履歴から南海地震には 2 つの大きな特徴があることがわかります 1 つはおよそ 100~150 年間隔で発生していること もう 1 つは東海地震および東南海地震と同時もしくは少しの間隔を空けて発生していることです 南海地震を知る P3

南海地震 津波の古文書 ( 徳島県海部郡海陽町宍喰田井家 震潮記 ) 本表紙 表紙 書き出し 徳島県内には 過去の南海地震に関する各地の被害の様子を知ることができる古文書が残されています ここでは その一例として原本と近年現代語訳がなされた宍喰 ( 徳島県海部郡海陽町 ) に残る 震潮記 を紹介します 震潮記 は 当地の元組頭庄屋田井久左衛門宣辰 (1802~1874) が 宍喰を襲った安政南海地震 津波 (1854.12.24) の当時の状況を克明に書き残した古文書です 特筆すべきは この安政の津波に襲われた宍喰の被害の様子を描いた 宍喰浦荒図面 が残されていることです さらに 宍喰各所の津波の浸水高や遡上した位置 液状化現象 この地震発生前日に発生した安政東海地震 (1854.12.23) から約 1 年以上にわたる大小余震の発生回数なども克明に記録されています また 宍喰を襲ったそれ以前の地震 津波 すなわち永正 (1512) 慶長 (1605) および宝永 (1707) の様相を記した旧寺などに残る記録の 写しも入れられています 原現代語訳版 宍喰浦荒図面 ( 部分 ) 安政の地震 津波から 150 年余りの月日を経た 2007( 平成 19) 年 田井晴代氏によりこの原本の現代語訳版が上梓され 地震 津波に対する防災教育 防災学習に資する優れた教材となっています 南海地震を知る P4

南海地震 津波の記録 ( 徳島県内で発刊された出版物 ) 6 5 4 7 3 2 8 1 徳島市民双書 16 徳島の地震津波 - 歴史資料から - 徳島市立図書館 1982 年 2 南海地震津波の記録 宿命の浅川港 海南町役場 1986 年 3 南海道地震津波の記録 海が吠えた日 牟岐町教育委員会 1996 年 4 南海大地震 五十年の記憶と教訓 徳島県海部郡宍喰町総務部 1996 年 5 地震津波体験の記録 恐怖の大津波 鴰津波を語り継ぐ会 2003 年 6 徳島市 昭和南海地震体験談に見る徳島市の姿と知恵 徳島市消防局 2003 年 7 あの惨況を忘れない 昭和南海地震聞き取り調査 徳島地方気象台 2006 年 8 阿波国宍喰浦地震 津波の記録 震潮記 田井晴代 2006 年 徳島県内で発刊された南海地震 津波の記録に関する主な出版物を上の写真に示しています 徳島県では これまでに南海地震 津波の記録の整理も精力的に行われてきました 1 は 徳島の地震津波を歴史史料からまとめられた先駆書 2~8 は 各地における昭和南海地震 津波の体験集 8 は前頁で紹介した現代語訳版 震潮記 です これらの書籍が出版された背景には 地域の悲惨な体験を後世に伝え残したいという想いがあります 当時の被害の様子が見え 被災者の生の悲痛な声が聞こえてきます 1 南海地震を知る P5

次の南海地震時の震度 液状化予測 ( 東南海 南海地震同時発生 ) 震度 出典 : 徳島県地震動被害想定調査報告書 吉野川 那賀川 この図は 徳島県における次の南海地震時の震度の予測結果を示しています 沿岸域の一部の地域で震度 6 強 県南部や吉野川沿いで震度 6 弱 山間地で震度 5 強の揺れが予測されています 地震動への最も効果的な対策は家屋の耐震化と家具類の固定です これらは その後に来襲する津波から避難するためにも必要です 震度 6 弱とは 人間は立っていることが困難になります 屋内では 固定していない重い家具の多くが移動 転倒します 耐震性の低い木造建物では 倒壊するものがあります 液状化現象 出典 : 徳島県地震動被害想定調査報告書 危険度きわめて高い危険度高い危険度低い危険度かなり低い 吉野川 那賀川 この図は 液状化現象による危険度の予測結果を示しています 沿岸域 特に吉野川や那賀川河口部など沖積平野部 県南部沿岸集落の震度が高い集落で液状化現象の危険度が極めて高くなります 被災後の早期復旧開始のためにも 道路 橋脚 港湾施設およびライフラインなどへの対策が必要です 液状化現象とは 地震によって地盤が一時的に液体のようになってしまう現象です 埋立地や河口など砂質の地盤で起こり 地盤の上の建物を傾かせたり沈ませたりします 南海地震を知る P6

次の南海地震時の津波予測 ( 東南海 南海地震同時発生 ) 第 1 波到達時間 出典 : 平成 15 年度徳島県津波浸水予測調査報告書 この図は 次の南海地震時の津波の第 1 波到達時間の予測結果を示しています 県南の海陽町 牟岐町 ~ 美波町では 地震発生後 数分 ~10 分後に第 1 波が到達します これらの地域では 地震の揺れが収まりしだい 一刻も早く近くの高いところへ避難すべきです 日頃から複数の避難経路を決めておきましょう また 阿南市では約 20 分後 小松島市では約 35 分後 徳島市では約 40 分後 鳴門市では 45 分後に第 1 波が到達します これらの地域でも まずは地震の揺れから身を守り その後近くの高いところに避難しましょう 第 1 波到達時間とは 初期水位から 20cm 以上上昇するまでの時間と定義しています 最大津波高 出典 : 平成 15 年度徳島県津波浸水予測調査報告書 最大津波高とは 満潮時に津波が来襲したときの T.P.( 東京湾中等潮位面 ) 上の高さのことです この図は 最大津波高の予測結果です 津波は第 1 波が必ずしも最大になるとは限らないことに注意が必要です 一方 予測で 3 波目が最大となっていても 第 1 波目に最大波が来ると考え避難することが大切です 海陽町 ~ 美波町では 5~9m 阿南 ~ 鳴門市では 3~5m の津波が来襲します どの地域でも日頃から複数の避難経路 避難場所を決めておきましょう 3m の浸水が予測される場合には 4 階建て以上 2m の浸水では 3 階以上の鉄筋コンクリート造りの避難ビルへの避難が必要です 南海地震を知る P7

徳島県の地震地震 津波碑津波碑の位置 国土地理院承認平 14 総複第 149 号 白地図 :KenMap ver8.3 使用 N 1. 春日神社 敬渝碑 徳島市 3. 立江川排水改良事業之碑 4. 立江八幡神社 農地災害復旧碑 2. 蛭子神社 百度石 6. 豊浦神社 石碑 5. 長願寺 扁額 7. 鵠和光神社 石碑 8. 大原 地神上棟式記念碑 9. 住吉神社 海嘯潮痕標石 11. 妙法寺 庚申塔 13. 東由岐 康暦碑 10. 八幡神社 常夜灯台石 14. 東由岐浦 修堤碑 12. 志和岐 震災碑 15. 西の地 貞治の碑 16. 木岐王子神社 石灯籠 21. 出羽島観栄寺 石碑 33. 旧熟田峠地蔵尊 供養塔 34. 大岩 慶長 宝永地震津波碑 35. 鞆浦 海嘯記 36. 宍喰 南海地震津波最高潮位標識 日和佐 17. 旧旭町南海地震 記念碑 18. 牟岐町における南海震災史碑 19. 牟岐 大震潮記念碑 20. 牟岐町南海震災記念碑 22. 浅川 南海津浪死没者供養塔 23. 浅川天神社 折損鳥居 24. 浅川天神社 石碑 25. 浅川天神社前 南海大地震記念碑 26. 浅川観音堂 地蔵尊台石 27. 浅川観音堂 宝永ノ津浪 28. 浅川観音堂石段 津波襲来地点石標 29. 震災後 50 年南海道地震津波史碑 30. 津波十訓 31. 浅川御崎神社 大地震津浪記 32. 浅川千光寺 大地震津浪記 扁額

けいゆひ 春日神社 敬渝碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地板野郡松茂町中喜来字牛飼野西ノ越 30 春日神社境内建立安政 3 年 (1856) 中喜来春日神社 敬喩碑 板野郡松茂町の国道 11 号沿いの春日神社境内に 敬渝碑は建っています 敬渝 には 変をおろそかにしない という意味があり 安政南海地震 (1854.12.24) の様子が漢詩で刻まれています 山は鳴り大地が揺れ 寺社や人家が多く倒れ 水が噴き出し ( 液状化現象 ) 火災も発生 津波により田や桑畑は海のようになった 恐ろしくあの世に陥るくらいの惨状である さらに 厳しい寒さが骨身に沁み 寝具 食糧も無くて飢えていた 地震の翌日には 人々は疲れ果て 流言を流す者もいたが 被災者のために炊き出しを施す人もいた 余震は翌年になっても続いた などと刻まれています 教訓海岸近くに住む人は 南海地震が起きれば 地震の大きな揺れ それに伴う液状化現象や火災の被害ばかりでなく 津波被害にも注意が必要です このような悲惨な状況の中でも 共に助け合う共助の精神は今でも大切です 徳島県の地震 津波碑 P9

蛭子神社 百度石 (1854 年安政南海地震 ) 所在地徳島市南沖洲 1-2 蛭子神社境内建立文久元年 (1861) 9 月移転平成 15 年 (2003) 3 月 3 日 蛭子神社 百度石 徳島市南沖洲の新しい蛭子神社境内に移転された百度石に 安政南海地震 (1854.12.24) の様子が刻まれています 砂岩の劣化が激しく 現在では 4 面のうち 2 面は剥落しています 大地震に驚いた人々は 竹薮に逃げ込んだ 津波が来ると騒いで 驚いて船で逃げようとして船が転覆し 命を失った人がいた 津波の際には絶対船に乗ってはいけない また 家が倒壊し炬燵 ( こたつ ) や竃 ( かまど ) からの出火することも多かったので そのような時には 冷静になって火を消すことも肝心である 百年が経つ頃にはこのような大地震が起きるので気を付けよ などと刻まれていました 教訓南海地震はおよそ100 年周期で繰り返し起きています 大地震が起きた時には 冷静に火を消すこと また 津波の際には 絶対に船に乗って避難してはいけません 徳島県の地震 津波碑 P10

立江川排水改良事業之碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地小松島市赤石町 3 番立江川排水機場敷地内建立昭和 53 年 (1978)6 月吉日 前面 背面 小松島市赤石町の阿波赤石駅横の立江川排水機場敷地内に 昭和南海地震 (1946.12.21) により地盤沈下が起き そのために生じた塩水や雨水の冠水被害対策として行われた排水改良事業の碑が建てられています 教訓地震時の地盤沈下による大規模な農地冠水塩害対策には 排水機 樋門 排水路の整備等のハード対策も必要です 徳島県の地震 津波碑 P12

立江八幡神社 農地災害復旧碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地 小松島市立江町新開 18 八幡神社境内 建立昭和 42 年 (1967)2 月 農地災害復旧碑 小松島市立江町新開の八幡神社境内に 昭和南海地震 (1946.12.21) 後の農地災害復旧事業を後世に伝える 農地災害復旧碑 があります 大地震に起因する地盤沈下により立江町の水田 40 町歩が 悪水の滞留のため不毛の地と化した 災害後 農地改良復旧事業として昭和 27 年 3 月に着工 総工費 3,300 万円の巨費を投じて昭和 31 年 3 月に竣工した などと刻まれています 教訓南海地震の発生により 地盤沈下が起き 冠水した水が長期間滞留 農地などに被害が出ることがあります 排水施設の整備も必要となります 徳島県の地震 津波碑 P13

長願寺 扁額 (1854 年安政南海地震 ) 所在地 奉納不詳 名東郡佐那河内村上字久保井 101 長願寺 扁額 佐那河内村から神山町に抜ける新しいバイパスの近くに 新装なった長願寺があります ここには 蜂須賀家の家老賀島家の大書院に使われていた戸板で作られた 扁額 に 安政南海地震 (1854.12.24) の様子が記されています それには 後世の人が忘れないように 大地震で多くの家屋が倒壊 津波により海辺の家屋が流出 徳島城下や小松島では大火災が発生し 数千戸の家屋が焼失した などと記されています 教訓安政南海地震で 徳島県下で死者が最も多かったのは徳島市です 当時の徳島城周辺は人口が多く 家屋も集中しており 地震後に各所で発生した火災により 死者 73 名 負傷者 131 名を出しています 家屋が密集している地域では 地震時に火災への備えをおろそかにしてはなりません 徳島県の地震 津波碑 P11

豊浦神社 石碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地 建立不詳 小松島市赤石町 97 豊浦神社境内 石碑 小松島市赤石町にある豊浦神社南入口の鳥居の右に 青石に達筆な文字で刻まれた安政南海地震 (1854.12.24) の碑が建っています この地震による津波により 徳島県下でも多くの死者を出したが 豊浦近郊の村人は 小高いこの神社の庭に避難し 難を逃れたのは白楽天のおかげ と刻まれています この神社の祭神の白楽天は 地元では はくろくさん と呼ばれています また この地震時に白い鹿 白鹿 ( はくろく ) が現れ住民をこの境内に導き住民を助けたという言い伝えも残っています 教訓この神社は今では高所とは言えませんが 津波来襲の恐れが少しでもある時は 一刻も早く近くの高い所へ避難することが大切です 徳島県の地震 津波碑 P14

くぐい 鵠和光神社 石碑 (1946 年昭和南海地震 1960 年チリ地震津波 ) 所在地阿南市橘町青木和光神社段脇建立平成 4 年 (1992)10 月 10 日 阿南市橘町青木にある和光神社の階段脇に 高さ 3m 余りの 津波碑 が平成 4 年に建てられました この碑には 鵠地区ではおよそ 100 年毎に襲われた過去の地震津波の歴史が示され 平常時にそのことを心に留めるよう 戒めています この碑には 1946( 昭和 21) 年の南海地震津波と 1960 ( 昭和 35) 年のチリ地震津波の浸水高が刻まれ 住民が常にその高さを実感できるようになっています 教訓 V 字型湾の湾奥部では 津波エネルギーが集中 大津波に襲われる危険性が高く 橘湾奥地区では宝永地震 (1707.10.28) 時の津波でも大被害を受けています また 南海地震のような近地津波ばかりでなく 17,000kmも離れたチリ沖で発生した遠地津波でも被害の恐れがあることも知っておく必要があります 和光神社 1946 年昭和南海地震津波潮位 1960 年チリ地震津波潮位 石碑 徳島県の地震 津波碑 P15

大原 地神上棟式記念碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地阿南市福井町大原 116-1 大原集会所西建立昭和 23 年 (1948) 12 月 21 日 震災碑 地神上棟式記念碑 阿南市福井町大原の国道 55 号線近くの大原集会所西に 昭和南海地震 (1946.12.21) からちょうど 2 周年目に建てられ 当時の被害の様子を記した 地神上棟式記念碑 があります そこには 南海地震発生とともに大津波が福井村を襲い 海岸地の一帯が泥海になった 大原平野の田畑は砂礫で覆われてしまった などと刻まれています 教訓津波に襲われた田畑は 塩害を受けるばかりでなく 砂礫の堆積により長期間使用不可能となり 農業への被害は甚大です また 沿岸域の湿地や河川は環境上も貴重で多様な生態系が育まれている場でもあり 環境保全面からも大津波による被害防止対策を急ぐことが必要です 徳島県の地震 津波碑 P16

かい しょう 住吉神社 海嘯潮痕標石 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地 建立不詳 阿南市福井町浜田 162 住吉神社段脇 住吉神社 海嘯潮痕標石 阿南市福井町浜田 ( 旧後戸 ) の住吉神社の階段脇に 海嘯潮痕標石 が建っています そこには 昭和 21 年 (1946)12 月 21 日の夜明けに大地震 大音響と共に津波が来襲 最初の波は 住吉神社の石段第 6 段目まで 一旦退き 間もなく再来 2 番目の波は 10 段目まで この大津波により 大戸 後戸 赤崎 大原 湊 大西 吉津 大宮 山下 宮宅まで泥海となった 津波は約半時間後に退いた 負傷者 3 名 家屋 13 棟 船 10 艘および家畜を流失 床上浸水 197 戸 衣食もほとんど流失 大変困った などと刻まれています 教訓津波は数回 長時間にわたり押し寄せます 必ずしも第 1 波が最大になるとは限らず 2 波目や3 波目が大きくなることもあるので注意が必要です すなわち 高い所へ避難した後は 半日もしくは津波警報が解除されるまで 自宅へ物を取りに帰ったり 海の様子を見に行くなどの行為は禁物です 徳島県の地震 津波碑 P17

八幡神社 常夜灯台石 (1854 年安政南海地震 ) 所在地阿南市椿町浜 1 八幡神社鳥居前建立安政 3 年 3 月 8 日 (1856.4.12) 常夜灯 阿南市椿町浜 ( 旧横尾 ) の八幡神社鳥居前にある 2 基の 常夜灯台石 に 安政南海地震 (1854.12.24) 時の津波来襲の様子が刻まれています それによると 安政南海地震の前日に起きた安政東海地震 (1854.12.23) に伴う津波が堤防を越え 川筋の奥深くまで浸入した 翌日 午後 4 時頃の安政南海地震の大揺れが続くなか 午後 6 時頃に見上げるばかりの大津波が来襲 多くの家屋や田畑に被害を出したものの 老人 子供を素早く避難させたため幸い死者はなかった などと刻まれています 教訓幼児 高齢者 外国人など援護を要する者には 特に素早い避難補助ができる体制を整えておくこと もちろん 事前に家族や地域で避難体制を十分整えておくことが大切です 徳島県の地震 津波碑 P18

こうしんとう 妙法寺 庚申塔 (1854 年安政南海地震 ) 所在地那賀郡那賀町谷内下傍示 94 妙法寺境内建立安政 5 年 (1858) 前面 側面 那賀町 ( 旧相生町 ) 谷内の妙法寺は 那賀川中流の支流谷内川の山合にあります 現存する 庚申塔 は安政南海地震 (1854.12.24) により損壊したため 1858 年に再建されたものです 海岸から 20km も離れた山間部で石塔が損壊したということは この地は震度 5 以上の揺れに襲われたことを意味します 教訓次の南海地震の揺れの大きさは この安政南海地震と同じかそれ以上といわれています 沿岸域ばかりでなく 中山間地の住民も 地震対策を怠らないことが大切です 徳島県の地震 津波碑 P19

志和岐 震災碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡美波町志和岐字田井ヶ浦 89 志和岐公民館前建立文久 2 年 (1862)9 月 震災碑 美波町 ( 旧由岐町 ) の志和岐公民館の前に 安政南海地震 (1854.12.24) の津波による被害を四面に刻んだ碑が建っています そこには 嘉永 7 年 11 月 4 日 (1854.12.23) 午前 10 時頃安政東海地震があり 大津波が押し寄せ 住人は家財を寺や高台に運んだ 翌 5 日 (1854.12.24) 午後 4 時頃に安政南海地震の後 すぐに津波が押し寄せ 海辺の家は残らず流失したが 犠牲者はなかった 大地震の後には津波が来るので 油断しないようにと子孫に伝えよ などと刻まれています 教訓津波による浸水が予測される地域では 家屋の流失対策も考慮する一方 早急に津波からの避難を図ることを 子孫に伝えなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P20

こうりゃくひ 東由岐 康暦碑 (1361 年正平南海地震 ) 日本最古の津波碑 所在地海部郡美波町東由岐大池イヤ谷建立康暦 2 年 (1380)11 月 康暦碑 美波町 ( 旧由岐町 ) 東由岐大池の南岸の小さな谷に わが国最古の津波碑といわれる正平 16 年 6 月 24 日 (1361.8.3) に発生した南海地震津波の供養碑 康暦碑 があります 太平記 にも 阿波の雪 ( 由岐 ) の湊を襲った津波 として記されており この碑は 20 年後の康暦 2 年 (1380) に建立されたものです 教訓わが国最古の津波の供養碑が徳島に現存しています 災害文化を継承し 私たちは 二度と津波災害に遭わないよう心がける という誓いの碑としなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P21

東由岐浦 修堤碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡美波町東由岐大池 101-1 東由岐公民館前建立大正 2 年 (1913) 9 月 修堤碑 美波町 ( 旧由岐町 ) 東由岐公民館の前に 大正元 (1912) 年 9 月 22 日の台風で決壊した堤防の修復記念碑にも 安政南海地震 (1854.12.24) 時の津波の記述が見られます 安政南海地震時には 長円寺の下まで津波が来襲 堤防は破壊され 村内の家屋が 140 戸流出 残ったのはわずか 10 余戸 多数の死傷者が出た などと刻まれています 教訓現在では高い堤防に守られていますが 大地震時には揺れや液状化 津波などで破堤されることもあります ハード面の対策だけで安心すべきではなく 避難などのソフト面の対策も合わせて考え 被害軽減に努めなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P22

じょう 西の地 貞治の碑 じ (1361 年正平南海地震 ) 所在地海部郡美波町西の地字東地子安地蔵堂内建立貞治 6 年 6 月 24 日 (1367.7.29) 貞治の碑 美波町 ( 旧由岐町 ) 西の地字東地の道路の奥に 正平南海地震 (1361.8.3) の犠牲者供養のために地蔵尊を刻んだ貞治 6 年 (1367) の銘が入った石 ( 貞治の碑 と呼ばれる ) が 子安地蔵堂内にあります 1854 年の安政南海地震の際に 浜の堤防のなかで異様な光を放つこの石を見た地元の信仰厚い人たちがここに移しお祀りしたと伝えられています 教訓地震 津波の犠牲者を供養するため 地蔵尊を刻み残した先人の想いを理解し この地が再び災害に遭わないよう地域住民各自が努力しなくてはなりません 徳島県の地震 津波碑 P23

木岐王子神社 石灯籠 (1854 年安政南海地震 ) 所在地 建立不詳 海部郡美波町木岐南白浜 191-2 王子神社 美波町 ( 旧由岐町 ) 木岐地区の南白浜の王子神社横の堤防沿いの木立に埋もれた石灯籠の側面に 安政南海地震 (1854.12.24) の様子が刻まれています それには 午後 4 時の大地震のあと 1 時間内に大津波が 3 度押し寄せ 高さ約 12m を越える津波で家屋もこの神社も流失した などと刻まれています 石灯籠 教訓津波は何度も押し引きを繰り返します このような巨大津波では 全ての家屋は破壊され 流失します そのうえ 尊い生命を奪われないためにも 早く近くの高いところへ避難することを心がけなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P24

旧旭町南海地震 記念碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡牟岐町灘字大牟岐田児童公園内建立昭和 24 年 (1949)10 月 28 日 記念碑 牟岐町灘字大牟岐田の児童公園内に 昭和南海地震 (1946.12.21) の記念碑があります 当初 牟岐町旧旭町にあったものを 昭和南海地震から 50 周年記念にあたる平成 8 年 (1996) にこの地に移転しています 碑には 昭和南海地震後 工費 95 万円 延べ 5,720 名 10 ケ月をかけて後世の災厄に備えるための地盤埋立事業を行った 旧名坊小路を旭町と改称した などと刻まれています また 大地震の直後には 津波が襲う と警鐘を鳴らしています 教訓大地震の後には地盤沈下が起き そこへ津波が来襲するため 被害はさらに大きくなります この地域は 津波到達時間が短く 地震の揺れが治まり次第, 直ちに避難を開始することが必要です 徳島県の地震 津波碑 P25

牟岐町における南海震災史碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡牟岐町灘字大牟岐田児童公園内建立平成 8 年 (1996)12 月 21 日 地図は前頁参照 前面 背面 大牟岐田の児童公園内に 昭和南海地震 (1946.12.21) から 50 周年を記念して平成 8 年 (1996) に 牟岐町における南海震災史碑 が建立されています 前面には 昭和南海地震 津波の再調査の結果をもとに 牟岐町では犠牲者 52 名 家屋被害 1,774 棟などの被害を受けた 阪神淡路大震災 (1995.1.17 ) の教訓を活かし 将来必ず起きる南海地震に対して日頃から備えよ などと刻まれています 背面には 過去に牟岐を襲った巨大地震の震災史が刻まれています 教訓図表により 自分のまちを襲った過去の南海地震の被災の実態を住民各自が知りうるよう工夫されています 次の南海地震に備えるための心構えができるよう考慮されたこうした碑は 防災教育 防災学習にも有効です 徳島県の地震 津波碑 P26

牟岐 大震潮記念碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡牟岐町中村字本村 14 牟岐小学校前建立昭和 6 年 (1931) 5 月 1 日 安政 昭和南海地震碑と潮位標識 大震潮記念碑 牟岐小学校前に 安政南海地震と昭和南海地震の碑が並んで建っています 2 つの碑の間には 昭和南海地震の最高潮位 4.52m を示す新しい標識があり 住民に津波への注意を促しています 安政南海地震 (1854.12.24) の碑は 度重なる地震の記録を留めようと 昭和 6 年 (1931) に建てられています 安政東海地震 (1854.12.23) が午前 8 時に発生 午前 10 時に潮の変動が見られたため人々は恐れて山へ避難し一夜を過ごした 翌 5 日 (1854.12.25) の午後 4 時に安政南海地震が発生 約 10m の津波が 3 度押し寄せ 家屋 640 戸が流失 39 名が溺死した 天変地異の前兆があれば 油断せずに避難することが大切である などと刻まれています また 幻の津波といわれる永正 9 年 (1512) の津波来襲日や 慶長 宝永 安政各地震の震暦も刻まれています 教訓南海地震はおよそ100 年周期で繰り返し起きています 安政の津波で牟岐町では39 名が溺死しました 天変地異の前兆があれば 油断せずにいつでも避難できる態勢を整えておくことが大切です 徳島県の地震 津波碑 P27

牟岐町南海震災記念碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡牟岐町中村字本村 14 牟岐小学校前建立昭和 53 年 (1978)12 月 21 日 安政 昭和南海地震碑と潮位石柱 牟岐町南海震災記念碑 牟岐小学校前の安政南海地震碑の横に 昭和南海地震碑があります 地震から 30 周年にあたる昭和 53 年 (1978)12 月 21 日に建立されています この碑には 昭和 21 年 (1946)12 月 21 日午前 4 時 19 分 32 秒に発生した南海地震とそれに伴う津波は 牟岐町にとって 92 年前の安政の津波以来の災害となり 敗戦の痛手から立ち直ろうとしていた町民を さらにうちのめす結果となった このため 54 人の人命が奪わるなどの大被害を受けた 瞬時にして荒廃の町と化したその痛ましい記録を刻み 犠牲になられた人たちの御霊を慰め 町民の後世への教訓とする などと刻まれています 教訓県南部の地域では 地震の揺れによる被害よりも津波による被害が多く 津波が来る前に素早く屋外に脱出し 避難行動をとることが大切です そのためには 家具の転倒による怪我や下敷きにならない各自の事前対策が必要です 徳島県の地震 津波碑 P28

てばじま 出羽島観栄寺 石碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡牟岐町大字牟岐浦字出羽島観栄寺境内建立不詳再建昭和 3 年 (1928) 12 月 旧碑 再建碑 牟岐沖出羽島の観栄寺階段を上りきった境内左の植え込みの中に旧碑が 本堂正面に向かい合う形で再建碑が建っています 碑には 安政東海地震 (1854.12.23) 当日の午前 8 時にこの島でも 6m 程度潮が上下し 翌日 (1854.12.24) 午後 4 時の安政南海地震発生時にも同程度の津波が来たが 島民は前日より山の上に避難していて無事であった などと刻まれています 教訓前日の安政東海地震による潮の変調に気づき山へ避難していたため 翌日の南海地震の津波から助かった例が各地でみられます 津波に対しては 早く近くの高いところへ避難し 半日程度は下山しないことが必要です 徳島県の地震 津波碑 P29

浅川 南海津浪死没者 (1946 年昭和南海地震 ) 供養塔 所在地海部郡海陽町浅川字大田建立昭和 42 年 (1967)12 月 21 日 南海津浪死没者供養塔 昭和南海地震 (1946.12.21) 時の津波による犠牲者の名前を刻んだ供養塔が浅川の弥勒菩薩の像のある小高い丘の一画に昭和 42 年 地元の みろく会 によって建てられています 教訓地震 津波などの自然災害により犠牲者を出した家族にとっては いつまでも不幸な記憶を忘れることはできません 津波の襲来を受ける宿命の地こそ 過去の災害の記憶を風化させてはなりません 徳島県の地震 津波碑 P30

浅川天神社 折損鳥居 (1605 年慶長南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字大田 34 天神社境内移転不祥 説明板 折損鳥居 天神社 海陽町浅川字大田の天神社の境内に 旧社地より出土した折損鳥居の一部が置かれています 説明板には 天神社は もと天神前丸山 ( 古天神 ) にあったが 慶長南海地震 (1605.2.3) 時の大津波により流失 御霊代を一時吉祥院の屋敷内に奉還後 寛永 10 年 (1636) に現地に社殿を再建した と書かれています 慶長地震津波の遺物は他にみられない貴重な史料です 教訓この地は 慶長時代以降も宝永 安政 昭和の南海地震による津波被害を受けてきました この遺物を 今後 これ以上 津波被害を受けさせない地域とする という 住民の誓いのしるし にすべき宝物です 徳島県の地震 津波碑 P31

浅川天神社 石碑 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字大田 34 天神社境内建立慶応 3 年 (1867)4 月再建平成 6 年 (1994)11 月 4 日 旧碑 再建碑 浅川大田の天神社境内には 碑文が読めなくなった安政南海地震 (1854.12.24) の碑と碑文がわかるように再建した2つの碑があります 安政南海地震の前日 (1854.12.23) 安政東海地震が起き その日の午前 10 時頃 浅川では海水が道路に溢れ 住民は山へ避難した 翌日 (1854.12.24) 午後 4 時大地震 約 9mの津波により 天神 大歳 御崎の3 神社 江音 千光 東泉の3 寺以外は人家全て流失した 幸い村内には怪我人は出なかった などと刻まれています 教訓神社や寺以外は全て流失したものの 山へ避難した人々は津波が収まるまで下山しなかったため この地では犠牲者が出なかったことを教訓として忘れてはなりません 碑文を蘇らせ 現代に伝承することも大切です 徳島県の地震 津波碑 P32

浅川天神社前 南海大地震記念碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海陽町浅川字大田 34 天神社境前建立昭和 31 年 (1956)12 月 天神社 南海大地震記念碑 昭和南海地震 (1946.12.21) で徳島県内最大の犠牲者を出した浅川の天神社前の広場に 10 周年記念に建立された 南海大地震記念碑 があります 21 日午前 4 時 19 分に大地震 震後 10 分余りで津波が来襲 第 1 波の高さ約 2.7m 第 2 波約 3.6m 第 3 波約 3.3m を記録した 死者 85 名 傷者 80 名 流家流失 185 戸 全壊 161 戸 半壊 169 戸に及んだ その他 船舶漁具家財および農作物も多数流失した 終戦後の物資不足の時世に多方面から援助を受けたことへに感謝する などと刻まれています 教訓天神社には 慶長 宝永 安政 昭和の地震に関する記念碑があります これほど多くの碑が残されている浅川の人達は 次の南海地震時には犠牲者をなくすこと それが先人に対する義務と考えなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P33

浅川観音堂 地蔵尊台石 (1707 年宝永地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字イナ観音堂境内地蔵堂建立正徳 2 年 (1712) 7 月 地図は次頁参照 地蔵尊台石 地蔵尊 地蔵尊扁額 海陽町浅川字イナの浅川湾を見下ろす小高い丘の観音堂地蔵尊台石に わが国最大級の東海 東南海 南海地震が同時に起きた宝永地震 (1707.10.28) 時の津波の様相が刻まれています それには 午後 2 時頃 大地震 その後 9m の津波がカラウト坂の麓まで上がり 引き潮により千光寺以外はすべて流失 140 余人の犠牲者を出した などと刻まれています 今では台石の文字は上半分しか見えず その銘文を扁額に書き示しています 教訓この浅川には 慶長津波の天神社鳥居の遺物 宝永津波のこの供養地蔵尊があり その後の1854 年安政南海 1946 年昭和南海地震津波でも大きな被害を受け多くの碑が建てられています この丘に立てば 浅川湾の湾口に津波防波堤が見えます しかし 津波防波堤だけに頼らず 地震時には家具の倒壊を防ぎ 屋外への脱出など避難態勢を整えておくことが大切です 徳島県の地震 津波碑 P34

浅川観音堂 宝永ノ津浪 (1707 年宝永地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字イナ観音堂境内建立平成 11 年 (1999)3 月 宝永ノ津浪 浅川イナの観音堂内にある地蔵尊台石の碑文を より多くの人に知らせるために 平成 11 年 (1993)3 月 境内に新しい石碑が建てられました 教訓住民各自が津波災害対策を考えるためにも 過去の生の資料を提示することは 防災意識の向上に役立ちます 徳島県の地震 津波碑 P35

浅川観音堂石段 津波襲来地点石標 (1854 年安政南海地震 1946 年昭和南海地震 ) 所在地 建立不詳 海部郡海陽町浅川字イナ観音堂石段 地図は前頁参照 安政南海地震津波襲来地点石標 浅川観音堂石段 浅川の観音堂に至る石段脇に 安政南海地震 (1854.12.24) 時および昭和南海地震 (1946.12.21) 時それぞれの津波の到達点を示す石標が建てられています それぞれの石標から 安政の津波は 6.4m 昭和の津波は 4.1m の高さにもなっています 自分の目線をその位置に合わせ 石段反対側の家の高さと比べて下さい 津波の恐ろしさが実感できるはずです 昭和の津波は 安政の津波よりもはるかに小さかったことも一目瞭然です 教訓津波高を示す石標は 地域の防災意識を高める無言の教科書になります 昭和南海地震津波襲来地点石標 徳島県の地震 津波碑 P36

震災後 50 年南海道地震津波史碑 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字川ヨリ東 26-4 海南庁舎浅川出張所前広場建立平成 8 年 (1996)12 月 21 日 地図は次頁参照 震災後 50 年南海道地震津波史碑 背面 並列する昭和南海地震津波に関する碑 海陽町海南庁舎浅川出張所前広場に 昭和南海地震 (1946.12.21) の新しい記念碑が 2 基並んで建っています 震災後 50 年南海道地震津波史碑 は 当時を回想して 85 名の犠牲者の冥福を祈念し 碑の背面に繰り返された津波の歴史と先人の教訓が永く語り継がれることを願って 平成 8 年 (1996)12 月 21 日に建てられたものです 教訓この碑に刻まれた 被災の歴史を風化させてはならない その歴史を通じて 一人一人の命は地球よりも重い ことを肝に銘じ 日頃から住民各自が高い防災意識を持つべきことをこの碑は教えています 徳島県の地震 津波碑 P37

津波十訓 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字川ヨリ東 26-4 海南庁舎浅川出張所前広場建立平成 8 年 (1996)12 月 21 日 津波十訓 昭和南海地震津波の最高潮位標識 震災後 50 年南海道地震津波史碑 の横に 津波に対する心構え 津波十訓 が刻まれています それには 地区内に建てられた多くの昭和南海地震津波の最高潮位標識よりも高い津波もある 最小限の持ち出し品の準備 避難路 避難場所を決めておく 津波の前に潮が引くとは限らない 避難は早く近くの高いところへ 船の移動方法 などに関する教訓が述べられています 教訓十訓に学び 住民一人ひとりが自分の地域の弱点をよく知り その地域に応じた津波への対応をとることが大切です 徳島県の地震 津波碑 P38

浅川御崎神社 大地震津浪記 (1707 年宝永地震 1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字川ヨリ西御崎神社境内建立明治 34 年 (1901)11 月再建平成 8 年 (1996) 旧碑 再建碑 浅川の御崎神社境内には 千光寺の 大地震津浪記 扁額に記された文章に 宝永地震 (1707.10.28) 時の死者数 185 人などを付け加えた石碑が 明治 34 年 (1901) に建てられています 風化が激しく碑文が読み取れないため 平成 8 年 (1996) に復元した再建碑が境内の別の位置に建てられました 教訓石碑に刻まれた文字は風化しても そこに記された教訓は風化させてはなりません 新しく誰もがわかる形で蘇らせた再建碑から地域の災害史を学ぶことが大切です 徳島県の地震 津波碑 P39

浅川千光寺 大地震津浪記 扁額 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡海陽町浅川字川ヨリ西 166-3 千光寺本堂内奉納文久元年 (1861) 6 月 大地震津浪記 浅川の千光寺本堂内に 安政南海地震 (1854.12.24) の 6 年後に奉納された浅川の当時の様子記した 扁額 があります そこには 安政南海地震の前日に起きた安政東海地震津波の浅川への影響や住民の行動 当日の津波で浅川では 一部の神社や寺院を除く集落全域が流失した 津波は 6~ 9m にも這い上がり 観音堂石段 25 段 高台の 3 ケ寺 ( 江音寺 千光寺 東泉寺 ) でも座上 1.2m も浸水した また 大阪などでは 船に乗って逃げたために多くの死者が出た などと記されています 教訓 約 100 年後にはまた大地震が起きる そのため仮住居の用意をする 津波に対し船で逃げてはならない など多くの教訓が記されています 徳島県の地震 津波碑 P40

ずく だ 旧熟田峠地蔵尊 供養塔 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡海陽町熟田熟田峠旧山道建立不詳 供養塔 山を切り裂いた熟田の新道に沿って 草深い旧道に分け入った道端に 高さ 50cm 程の地蔵尊を刻した石塔があります もともと 安政南海地震津波 (1854.12.24) による大里村の被災状況を後世に伝えるため 人の目に触れやすい峠に供養塔を建てられていました この側面には 宝永地震 (1707.10.28) より安政南海地震まで 148 年目 安政南海地震の前日の安政東海地震が起きた午前 8 時頃 潮が町中に溢れ込み 当日の午後 4 時に大地震とともに 約 9m の津波が押し入った 住民は山へ逃げ登り 海辺の人家は流失 一面は荒野となった などと刻まれています 先人の意思を生かすためにも 石塔を人の目に触れる新道路脇などに移し 碑文を示すなどの措置も考えられます 教訓新道の開通により 誰も目につかない旧道に地蔵尊は埋もれています 犠牲者の供養と先人の意志を生かすことを考えなければなりません 徳島県の地震 津波碑 P41

大岩 慶長 宝永地震津波碑 (1605 年慶長地震 1707 年宝永地震 ) 所在地海部郡海陽町鞆浦字北町建立慶長碑 : 寛文 4 年 (1664) 宝永碑 : 不詳 慶長碑 ( 左 ) および宝永碑 ( 右 ) 大岩の碑 海陽町鞆浦漁港近くの大岩に 慶長南海地震 (1605.2.3)( 向って左 ) と宝永地震 (1707.10.28)( 同右 ) の碑文が刻まれています 慶長の碑面には 南無阿弥陀仏と中央上面に文字が刻まれ その下に 午後 10 時に 30m の津波が来襲 100 余名の犠牲者が出た などと刻まれています 一方 宝永の碑面には 午後 2 時頃 約 3m の津波が 3 度来襲したが 犠牲者はなかった などと刻まれています この慶長の津波碑は 四国で地震 津波の様子が記された最古の碑です 教訓地震 津波の様子が記された最古の碑が鞆浦の集落にあることは この地域の文化の高さを示すもので 先人の誇りを受け継ぎ 徳島県南地域が 日本一津波被害がない地域となるよう努力すべきです 徳島県の地震 津波碑 P42

かい しょう 鞆浦 海嘯記 (1854 年安政南海地震 ) 所在地海部郡海陽町鞆浦字立岩海部川旧河道沿い建立昭和 2 年 (1927)5 月 1 日 津波避難施設 ( 鞆浦山下地区 ) 海嘯記 鞆浦漁港から海部川の旧河道沿いに 安政南海地震 (1854.12.24) 時の津波の様相を記した 海嘯記 が建っています この碑には 午後 4 時頃に起きた地震による津波は 多善寺の門前 脇宮まできた 人々はあわてふためき近くの山々へ逃げた 津波は夜半までに 4~5 回あり 余震は夜明けまでに 30~40 回も続いた 津波の高さは 他の地域では 6~9m にもなったが 鞆浦では 3~6m であった 建物被害も少なく けが人もなかった などと刻まれています 教訓この狭い鞆浦の集落には 慶長 宝永 安政の津波碑が存在します 過去の津波の実態を知り 現在までの地形や土地利用変化も考えながら 被害を最小化する知恵が必要です 避難場所の少ない山下地区には 現在立派な避難所が造られています 徳島県の地震 津波碑 P43

宍喰 南海地震津波最高潮位標識 (1946 年昭和南海地震 ) 所在地海部郡海陽町宍喰浦弁天山登り口建立平成 8 年 (1996)9 月 南海大地震津波最高潮位標識 古目大師堂 海陽町宍喰は 古文書によれば永正の津波 (1512.9.13) 慶長 宝永 安政 昭和の津波で大被害を受けてきたことがわかっています しかし 石碑や扁額といった形では残されていません 宍喰浦弁天山登り口 ( 古目大師堂の対面 ) に 昭和南海地震 (1946.12.21) の津波最高潮位を示す標識が避難所の看板と並んで建てられています 教訓宍喰における安政南海地震津波の高さなどは この地の旧家の古文書に残され 昭和南海地震津波よりもさらに大きかったことがわかっています それらを次の南海地震津波の防災対策に生かすことが望まれます 徳島県の地震 津波碑 P44

南海地震津波 最高潮位標識 (1946 年昭和南海地震 ) 美波町西由岐公民館前 美波町西の地由岐保育所前 海陽町浅川天神社前 海陽町浅川御崎神社前 牟岐町灘大牟岐田 牟岐町蛭子神社横 徳島県南部の地域では 昭和南海地震 (1946.12.21) による津波の最高潮位を示す標識 ( 石柱 電柱 壁面の印 ) が各所で見受けられます こうした津波高を示す標識は それを日頃眺めるだけで津波の脅威を無意識に感じ 防災意識を高める無言の教科書 といえます 徳島県の地震 津波碑 P45