エラーに学び, エラーを防止する 自発的なエラーの報告から学習する文化の醸成 医療における安全文化とは 江原一雅 : 医療安全活動の歴史と今後のあり方, 医療事故 紛争対応研究会誌,Vol.7,P.11~23,2013. 第 1 回の講義で, 安全文化の4 本柱を示しました 今回は, その柱の中のB ヒューマンエラーを防止するための報告 学習文化の醸成 について解説します 旧来の医療安全の考え方では, エラーを個人の注意不足の産物と見なし, エラーを犯した個人を非難し, 時には懲罰するという対応が取られてきました しかし, To err is Human( 人は誰でも間違える ) の報告書が公表され, 医療安全の最も大事な考え方として, 自発的なエラーの報告から学習する文化の醸成 が拡まったのです エラー (error) とは 簡潔な定義 : 正しいことをしようとして, 間違ったことをしてしまうこと Bill Runciman より正式な定義 : 計画された精神的又は身体的な一連の行為が意図した結果を達成できなかったもので, その失敗が何らかの偶然の作用には起因しない場合 James Reason エラーとは, 正しいことをしようとして, 間違ってしまうこと と定義されています また, 失敗が偶然の作用には起因しない場合 ともされています スイスチーズモデルから学ぶエラーの防止 ~ 目に見える失敗 スイスチーズモデル (1) 目に見える失敗 潜在的要因組織的なプロセス 業務負荷, 手書きの処方箋経営上の決定 スタッフの配置, 新人研修医への支援が欠如した文化エラーを生み出す要因環境 多忙な病棟, 作業の中断チーム 監督の欠如個人 知識の不足業務 繰り返し作業, 薬剤投与記録票の設計の不備患者 コンプレックス, コミュニケーション困難 不安全行動 目に見える失敗エラー スリップ, ラプス違反防護策不十分 AMHは混乱を招きやすい欠如 薬剤師が関与しない WHO 患者安全カリキュラムガイド ( 多職種版 2011) によると, エラーをした個人に対する非難の文化から脱却するためには, システムアプローチでエラーを考えることが重要であるとされています そのことについて,Reasonのスイスチーズモデルを示して説明しています すなわち, 事故を防御するさまざまなバリア ( スイスチーズ ) を通り抜けたものが事故に至るという解釈です 112 病院安全教育 Vol.1 No.2
スイスチーズモデルでは, さまざまなバリアを, 潜在的要因 エラーを生み出す要因 目に見える失敗 防護策 の4つに分けて考えています では, まずは 目に見える失敗 ( 不安全行動 ) に注目してみましょう 認知科学的アプローチによる失敗のタイプ分類スリップ動作の失敗意図しない行動ラプス イギリスの心理学者であるReasonは, 不安全行動を, 意図しない行動 と 意図した行動 に分類しています 意図しない行動は, さらに スリップ と ラプス に分けられます 不安全行動 記憶の失敗スリップとは動作の失敗であり, 例えば引き出勘違いしの中の注射アンプルを隣のアンプルと間違ってミステイク 意図した行動 規則ベースの誤り知識ベースの誤り違反 手に取り注射してしまう, というようなことです ラプスとは記憶の間違いであり, 例えば医師 規則違反が投薬の処方をする時に, 効能を勘違いして別の手順の逸脱 James Reason Human Error Cambridge Univ.Press, 1990 薬を処方してしまう, というようなことです 一方, 意図した行動は ミステイク と 違反 に分類されています ミステイクは規則や知識の誤りのため結果的に失敗する場合で, 例えば医師が誤っ た処方の指示を出した場合, その指示どおりに正確に投薬した看護師が, 結果として誤った薬を患者に飲 ませるという失敗をしたことになるようなケースです 違反というのは, 意図して規則違反や手順の逸脱 が行われた場合を言います 例えば, 採血の際に患者確認をすることがルールとして決められているのに, それをしないで別の患者の採血をしてしまったような場合です ではここで,A 病院のインシデントレポートの救急カートのラシックスとプリンペランの取り中から, スリップの一例を示します 術後の患者違え スリップ ( 動作ミス ) の例さんの尿量が少なく, 主治医からラシックス ( 利 術後 尿量が少なく 主治医からラシックス1/2A と生食 100mLをミキシングして投与するよう指示があっ尿剤 )1/2アンプルを生理食塩水 100mLに混ぜ, た 事前に処方されていなかったので救急カートか点滴するように指示がありました 術前に処方がら取り出して使用した されていなかったので, 救急カートから取り出し 翌日 薬剤部から 処方箋はラシックスになっていて病棟に配置されていた生理食塩水と共に使用しるが 救急カートからはプリンペランが使用されている との連絡があった ラシックスとプリンペランを間ましたが, 翌朝, 救急カートを点検してみると, 違えて使用したことに気付いた 定数からプリンぺラン ( 吐き気止め ) が1 本減っており, ラシックスは定数どおりでした どうやらラシックスのつもりで, 誤ってプリンぺランを使用した可能性があります この例の問題点として, まず救急カートの薬剤を使用する場合, 薬剤師の処方チェックや, 投与までのダブルチェックが省略されるため, 防御機構が脆弱になることが挙げられます この例では, 再発防止策として, 処方のダブルチェックがかからない病棟配置薬は禁止, 救急カートの薬剤常備は必要最低限にし, 注射の前のダブルチェックを徹底するように委員会に提言しました スイスチーズモデルから学ぶエラーの防止 ~ 防護策 次に, スイスチーズモデルの 防護策 を見ていきます 問題点の抽出と対策立案のためには, なぜエラーを検出できなかったかという点を考える必要があります Reasonによると, 防護策には1エラーの検出,2エラーの修正,3 影響緩和の3つの段階があります 病院安全教育 Vol.1 No.2 113
スイスチーズモデル (2) 防護策 潜在的要因組織的なプロセス 業務負荷, 手書きの処方箋経営上の決定 スタッフの配置, 新人研修医への支援が欠如した文化エラーを生み出す要因環境 多忙な病棟, 作業の中断チーム 監督の欠如個人 知識の不足業務 繰り返し作業, 薬剤投与記録票の設計の不備患者 コンプレックス, コミュニケーション困難目に見える失敗エラー スリップ, ラプス違反防護策不十分 AMHは混乱を招きやすい欠如 薬剤師が関与しない * エラーの検出 * エラーの修正 * 影響緩和 防御機構 認知心理学におけるエラーの検出法 1. 自己監査 : 指さし呼称 チェックシート 2. 他者による確認 ダブルチェック チェックシート 3. システムによるチェック バーコード アラームなど機械による警告 エラーの検出のためには見える化し 分かりやすくする James Reason Human Error Cambridge Univ.Press, 1990 エラーの検出法としては, 基本的に次の 3 つの方法があります 1 自分でエラーを検出する ( 自己監査 ) 2 他者による確認 3 システムによるチェック まず, 自分でエラー検出力を強化する方法としては, 指差し呼称とチェックシートがあります 他者による確認としてはダブルチェックがあり, ダブルチェックを行ったことを明確にするためにチェックシートがあります さらに, システムによるチェックとしては, バーコードによる確認やアラーム監視などの方法があります 防御策として最も有効なものは ダブルチェック であり, チェックシートでチェック項目が見えるようにする 見える化 も重要です 点滴 注射薬のダブルチェック ( 病棟 ) 確認のサインをする! では, 先に例に挙げたA 病院の防護策を見ていきます A 病院では, 注射指示箋の実施予定時間のところに, スタンプによって, 準備, 混合, 実施のサイン欄と開始時間を記入する枠が設けられています また, 点滴のラベルにも, 準備, 混合, 実施, 確認をサインする欄が設けられ, サインをするルールになっています このことで, チェックがされたかどうか, 誰がチェックしたかが誰にでも分かるように 見える化 されています 救急カートの改善策 救急カート内の薬剤配置を変更 ( 形状 劇薬 薬効別 ) 外見の似たアンプルは離して配置 先の誤薬事故の後, 救急カートをチェックしてみたところ, ラシックスとプリンぺランは共に褐色のアンプルであり, 外形が似ていました しかも, 引き出しの中ではラシックスとプリンぺランが隣同士に並んでいたことも分かりました 外見の似た薬剤が隣接して保管されていたことが, 今回のエラーを生み出した要因だと考えられます そこで, 再発防止策として, 全病棟の救急カートについて 標準化 を行い, その際, 外見の似たアンプルは離して配置する, という対策が立案されました 写真は, 対策策定後の救急カートの引き出しです 仕切られた枠内にも, 医薬品名が印字されていて, どの枠にどの薬剤を保管するかについても決められています 114 病院安全教育 Vol.1 No.2
スイスチーズモデルから学ぶエラーの防止 ~ エラー発生要因 スイスチーズモデル (3) エラー発生要因 ヒューマンファクター 潜在的要因組織的なプロセス 業務負荷, 手書きの処方箋経営上の決定 スタッフの配置, 新人研修医への支援が欠如した文化エラーを生み出す要因環境 多忙な病棟, 作業の中断チーム 監督の欠如個人 知識の不足業務 繰り返し作業, 薬剤投与記録票の設計の不備患者 コンプレックス, コミュニケーション困難 目に見える失敗エラー スリップ, ラプス違反防護策不十分 AMHは混乱を招きやすい欠如 薬剤師が関与しない 救急カートの誤薬事故で示したように, スイスチーズモデルにおいて, エラーを生み出す要因は 目に見える失敗 の上流に位置します 今回のケースは, 外見の似たアンプルが引き出しの中で隣り合った位置に配置されていたというハードウエアの問題でした しかし, 一般的にエラーを生み出す要因は人的要因の方がより多く, それらはヒューマンファクターズと呼ばれています ヒューマンファクターズに関するエラー発生要因 エラー発生要因 人が短期に記憶できる量の限界 ( ワーキングメモリー ) に限界がある タスクに慣れていない 経験がない 時間が足りない チェックが不十分 訓練不足 機材のインターフェースが貧弱 指導者の不在 エラー増強因子 疲労 ストレス 空腹 病気 言語 文化的要因 危険な気質 怒り ヒューマンファクターズに関するエラー発生要因には,8つの項目があります 心理学的研究によると, 人が一度に記憶できる数 ( ワーキングメモリー ) には限界があり, その数は7つ程度とされています また, 教育訓練の不足などもエラー発生要因となります さらに, エラー増強因子として, 疲労, ストレスなど6つの項目が挙げられています このように, 医療事故やインシデントの問題点を抽出し, 対策を立案するには, ヒューマンファクターズの考え方を導入することが有用です スライドは WHO 患者安全カリキュラムガイド ( 多職種版 2011) を引用しました 2. 見えるようにする 4. 共通のプロセスや手順の標準化 については, 前述したとおりです 先のA 病院では, ヒューマンファクターズに基づく 記憶に頼らない の実例として, 電子カルテシステム上で医薬品名を右クリックすれば, いつでも薬剤情報が参照できるシステムを導入しました 作業環境にヒューマンファクターズの考え方を用いる 1. 記憶に頼らない 2. 見えるようにする 3. プロセスをレビューし単純化する 4. 共通のプロセスや手順の標準化 5. チェックリストを日常的に使う 6. 人間の注意に頼りすぎない ( 対策 ) 記憶に頼らない 記憶に頼らない 投薬 注射オーダー 薬剤情報提供システム 患者確認 リストバンド 一度に複数の作業をしない 注射の準備 :1 患者 1 トレイ 採血 :1 患者 1 試験管立て 病院安全教育 Vol.1 No.2 115
注射薬ー 1 患者 1 トレイ 病棟での人工呼吸器の点検 ( チェックシート ) 人工呼吸器日常チェックリスト 患者氏名 ( )( / )( / )( / )( / )( / ) チェック項目 深日 準 深日 準 深日準 深日準 深日準 1 2 3 4 5 6 7 8 胸郭の動き設定の確認設定量の確認アラーム設定気管内チューブの固定 接続回路の確認カフ内圧の確認人工鼻の汚れ 日付 9 10 電源 耐圧ホースのあそび 人工呼吸器のチェック表 ( 病棟 毎日ナースが実施 ) 臨床工学技士の点検と回路交換 ( 週 1 回 ) また, 点滴のミキシングの際に, 複数の患者の点滴を同時に作業すると混同しやすく, 勘違い ( ラプス ) や取り間違い ( スリップ ) が起こる可能性が高くなります したがって, 一人の患者の注射薬と処方箋を一つの入れ物に入れておき, 一人の患者ごとに作業する 1 患者 1トレイ 方式が採用されています その際,2 人で薬剤名, 患者名, 実施時間, 投与量など5Rで指差し呼称しながら確認する ダブルチェック がルール化されています さらに,5. チェックシートを用いれば, 人工呼吸器の毎日の始業点検をより確実に漏れなく行うことが可能となり, ほかのスタッフも点検が確実に行われたことが分かります スイスチーズモデルから学ぶエラーの防止 ~ 潜在的要因 スイスチーズモデル (4) 潜在的要因 潜在的要因組織的なプロセス 業務負荷, 手書きの処方箋経営上の決定 スタッフの配置, 新人研修医への支援が欠如した文化エラーを生み出す要因環境 多忙な病棟, 作業の中断チーム 監督の欠如個人 知識の不足業務 繰り返し作業, 薬剤投与記録票の設計の不備患者 コンプレックス, コミュニケーション困難 不安全行動 目に見える失敗エラー スリップ, ラプス違反防護策不十分 AMHは混乱を招きやすい欠如 薬剤師が関与しない 潜在的条件 不充分な技術 不充分なトレーニング 実用的でない手順 低い品質水準 非現実的時間圧力 人手不足 潜在的要因とは 組織の要因 不充分な人員配属 欠陥のある設備 情報不足 不確実性 ストレスのある環境 低いモチベーション 低級なトレーニング 潜在している失敗 主に組織上の問題であり 患者安全に対する脅威の根本的原因 ( システムエラー ) 一方, スイスチーズモデルによれば, 医療事故やインシデントのさらに上流には, 医療機関内の組織内部の潜在的要因もあります 潜在的要因については, 第 1 回の講義でも述べたように, 安全を最優先にする組織文化が浸透していることが第一であり, そこには人員不足, 訓練, 情報不足, モチベーションの問題などが含まれます 根本原因の解明と再発防止策立案については, 場合によってはこの要因を検討する必要があります 116 病院安全教育 Vol.1 No.2
まとめ ~ エラーに学び, エラーを防ぐために 安全文化の醸成 = 報告する文化 ( エラーから学ぶ ) ニアミスは神様からの贈り物 ハーマン病院看護部長が医療事故後の振り返りの場において語った言葉 ハーマン病院の医療事故 :1996 年 8 月に生後 2 か月の心臓病の男児にジゴキシン 0.09mg 投与すべきところを 0.9 mg 投与し 男児が死亡 李啓充 : アメリカ医療の光と影 - 医療過誤防止からマネジドケアまで 医学書院 2000. まとめ ~ エラーに学び エラーを防ぐために 医療におけるエラーは複雑な問題であるが エラーそのものは人間の特性として避けられない 失敗から事故に至るまでには様々な要因が関連し それを整理し説明するためにはスイスチーズモデルが有用である 目に見える失敗 ( 不安全行動 ) には 心理学的に1スリップ 2ラプス 3ミステイク 4 違反の4 種類ある 事故を防ぐためには目に見える失敗 ( 不安全行動 ) のさらに下流の防護策を工夫する必要がある 事故を未然に防ぐためにはエラー発生要因となるヒューマンファクターズを調べ その上で対策を考える エラーから学ぶことが 事故防止 医療安全の基本である 以上に述べたように, 自発的なエラー報告を奨励し, そこから再発防止に向けた学習を行うことが, 医療安全において最も基本的な活動となります スライドの表題は, ハーマン病院における医療事故の振り返りの会議での, 看護部長の言葉です ニアミス, つまり, 幸いにも患者さんに被害が生じなかったような小さなインシデント, いわゆるヒヤリハットこそを皆で大切に共有し, そこからシステムの問題を探り不備を修正することで, 重大なアクシデントの発生が二度と起こらないようにしたいという思いが込められています 引用 参考文献 1) 東京医科大学医学教育講座訳 : http://www.tokyo-med.ac.jp/mededu/news/detail2.html(2013 年 8 月閲覧 ) 2) 江原一雅 : 医療安全活動の歴史と今後のあり方, 医療事故 紛争対応研究会誌,Vol.7,P.11 ~23,2013. 3)James Reason Human Error Cambridge Univ.Press, 1990 4) 李啓充 : アメリカ医療の光と影 - 医療過誤防止からマネジドケアまで, 医学書院,2000. 病院安全教育 Vol.1 No.2 117