ブラジルにおける現金給付政策――中間報告

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このジニ係数は 所得等の格差を示すときに用いられる指標であり 所得等が完全に平等に分配されている場合に比べて どれだけ分配が偏っているかを数値で示す ジニ係数は 0~1の値をとり 0 に近づくほど格差が小さく 1に近づくほど格差が大きいことを表す したがって 年間収入のジニ係数が上昇しているというこ

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宇佐見耕一 牧野久美子編 現金給付政策の政治経済学 ( 中間報告 ) 調査研究報告書アジア経済研究所 2013 年 第 4 章 ブラジルにおける現金給付政策 中間報告 近田亮平 要約 1990 年代半ばに経済の安定化に成功したブラジルでは 普遍主義的な社会保障制度が整備されるなか 選別主義 ( ターゲティング ) 的な社会政策として主に条件付の現金給付政策が全国規模で実施されるようになった そこで本稿では ブラジルの現金給付政策の概要と実施状況についてまとめるとともに それら現金給付政策に関する先行研究を紹介する そして最後に 次年度に援用を予定している政治経済学的な理論枠組みを踏まえ ブラジルの現金給付や社会政策の策定背景に関する 最終研究成果での問題意識などについて若干の考察を行う キーワード ブラジル ( 条件付 ) 現金給付政策 社会政策 選別主義 ( ターゲティング ) 普遍主義 はじめに 近年のブラジルでは 社会保障の普遍化を掲げた 1988 年の憲法をもとに 1990 年代から普遍主義的な社会保障制度の整備が進められたことにより 貧困層を中心とした国民の底上げが実現された それに加え 条件付の現金給付政策を統合した ボルサ ファミリア プログラム (Pragrama Bolsa Família: 以下 PBF) をはじめ 貧困および極貧層にターゲットを絞った選別主義的な社会政策が実施されたことなどにより ブラジルの悪しき代名詞でもあった国民間の不平等が 2000 年頃から是正傾向を強めた 本稿は ブラジルの現金給付政策に関する概要や先行研究について理解を深め 次年度で執筆する最終的な研究成果の問題意識や方向性を描出することを目的とする まず ブラジルで実施されてきた主な現金給付政策の概要 および 現在までの実施状況についてまとめる 次に ブラジルの現金給付政策に関する先行研究について PBF に関するものを中心に紹介する そして最後に 最終研究成果で援用を予定している政治経済学的な理論枠組みを踏まえ ブラジルの現金給付や社会政策の策定背景などに関して 問題意識や想定されるリサーチ クエッションについて若干の考察を行う 45

Ⅰ ブラジルの現金給付政策 1 主な現金給付政策の概要 ブラジルにおける貧困層を対象とした初期の現金給付政策としては 1974 年から実施された 終身所得扶助 (Renda Mensal Vitalícia: 以下 RMV) が挙げられる RMV は正規の年金制度に包摂されていない貧困な高齢者を対象に 実質的に非拠出型の年金としての意味を持つ現金を給付する政策であった ただし RMV の支給額が法定の最低賃金 1 の半分と僅かだったことに加え 受給条件が年齢 70 歳以上 世帯収入が最低賃金の 60% を超えないこと 他の社会扶助を受給していないこと 被扶養者ではないこと 保険料を最低 1 年納付しているか賃金が RMV 受給額未満の就業経験が 5 年以上あることなど 対象者が非常に限定されていた ブラジルで現金給付政策が普及し始めたのは 1990 年代半ば以降で はじめに地方自治体レベルで施行され のちに全国レベルで展開されるようになった 永年の懸案だったインフレの終息後に誕生したカルドーゾ (Fernando Henrique Cardoso) 政権 (1995~2002 年 ) は NGO や市民団体の参入を制度的に導入した 連帯コミュニティ プログラム (Programa Comunidade Solidária) と題する一連の社会政策のもと 新自由主義の要素も取り入れた選別主義的な現金給付政策を開始した そのなかで PBF( 後述 ) とともに現在のブラジルの現金給付政策で中心的な存在となっているものが 1996 年に開始された 継続扶助 (Benefício de Prestação Continuada: 以下 BPC) である BPC は 1 人当たりの世帯月収が最低賃金の 4 分の 1 未満で 勤労不可能な高齢者および障害者に対して最低賃金額を支給するものである BPC の開始当初 高齢者の受給年齢は 70 歳だったが 1998 年に 67 歳 2004 年に 65 歳へと引き下げられ 現在 BPC は対象の貧困な高齢者にとって 保険料の納付が不要な非拠出型の年金とほぼ同様の機能を果たしている 1988 年憲法で全国民への社会保障の普遍化が掲げられる以前 ブラジルでは多くの貧困な高齢者が正規の年金制度に包摂されていなかった しかし 最低賃金と同額を支給する BPC の整備により 必要最低限ではあるが貧困高齢者でも生計維持が保障されるようになった なお 前述の RMV は 1996 年の BPC 創設とともに廃止され 現在は既認可分のみが継続支給されている また 日々の生計を保障することを目的とした BPC より少額で 主に生計を補填することを目的に補足的な金額を特定の分野や対象者に支給する選別主義的な現金給付政策が 1 ブラジルの最低賃金は ひと月の基礎的食糧および生活品 (cesta básica) 購入額の 2 倍前後で 養育費などが必要な世帯の収入としては決して十分な額ではない また 2012~15 年までの最低賃金額は 前年の物価上昇率と前々年の GDP 年間成長率を合算した値で調整し その金額を議会の承認を要さない大統領令により決定される 46

はじめは地方自治体レベルで施行され 後に全国レベルへ拡大されていった それらの先駆的なものとして 1996 年に開始された 児童労働撲滅プログラム (Programa de Erradicação de Trabalho Infantil: 以下 PETI) がある PETI は 貧困家庭の子供が児童労働に従事せず学校に通うことを支援し 不就労と就学を条件に現金給付も行うプログラムである PETI の支給額は 対象家族の所得や子供の数 居住地域 ( 都市部 / 農村部 ) などで異なるが PETI が 2006 年に PBF に統合されたため 現金給付に関して現在は 所得が PBF の受給条件の上限を超えた場合に PETI の現金給付が行われる仕組みとなっている PETI のように 受給の際に何かしらの条件を設定する現金給付政策は 条件付現金給付 (Conditional Cash Transfer 以下 CCT) と呼ばれている CCT は 教育や保健医療など人的資本形成につながる分野での活動を条件に貧困層へ現金を給付するもので 人的資源への投資により貧困の連鎖を断ち切ろうとする政策である ブラジルの CCT としては PETI に加え 1994 年に地方自治体 2 で開始された 就学手当プログラム ( 後述 ) が 先駆的なものとして知られている また 1999 年には 15~17 歳の若年層に社会教育的な研修を行う 若年層の社会人間開発プログラム (Programa Agente Jovem de Desenvolvimento Social e Humano) 3 が開始され 1 年間で終了する同プログラムへの参加を条件として 対象者に 65 レアル ( 当時 ) 4 が毎月支給された ただし 後述する 2008 年の PBF 対象年齢の拡張により 同プログラムの現金給付部分は PBF に統合され廃止となった なお 同プログラムおよび BPC と PETI は社会保障扶助省 ( 当時 ) が管轄していた さらに 2001 年に 食糧手当プログラム (Programa Bolsa Alimentação) や前述した 就学手当プログラム (Programa Bolsa Escola) 2002 年に ガス手当プログラム (Programa Auxílio Gas) などが全国規模で実施されるようになった これら 3 つのプログラムは 一人当たり世帯月収が最低賃金の半分未満の低所得家庭を対象とし 教育省の政策である就学手当プログラムは 7~15 歳の子供を持つ場合に学校への通学を条件として また 保健省の政策である食糧手当プログラムは 妊婦や乳母 0~6 歳の子供を持つ場合に保健医療活動への参加を条件として 1 人当たり 15 レアルを最高 3 人分 ( 計 45 レアル ) まで支給するものである 鉱山エネルギー省が管轄するガス手当プログラムは 同じ所得条件の貧困家庭を対象に 家庭用のガス購入の補助として 2 ヶ月に 1 回 15 レアルを支給するものである 5 2 1994 年にサンパウロ州のカンピーナス (Campinas) 市 1995 年にブラジリア連邦区で実施されるようになった 3 2008 年から ProJovem Adolescente と改名 4 同プログラムが開始された 1999 年は ブラジルの通貨レアルが変動為替相場制へ移行したためドル換算が難しいが おおよそ 1 ドル =1.8 レアル程度 なお 2013 年 3 月時点の為替レートは約 1 ドル =1.9 レアル 5 受給額は全て各プログラムの開始当時の金額 47

そして 2003 年に誕生したルーラ (Luiz Inácio Lula da Silva) 政権 (2003~2010 年 ) は 政権発足直後に看板的な社会政策として 飢餓ゼロ プログラム (Programa Fome Zero) を発表した そのなかに 食糧カード プログラム (Programa Cartão Alimentação) という現金給付政策が含まれており 一人当たり世帯月収が最低賃金の半分未満の低所得家庭を対象に 食糧購入の補助として 50 レアルを支給するものであった しかしルーラ政権は 飢餓ゼロ プログラムを掲げた同年の 10 月には 同プログラムとは別の社会政策を発表し その普及を積極的に推し進めた それが のちに世界的にも知られるようになった ボルサ ファミリア プログラム (PBF) である PBF は 前述したカルドーゾ政権に開始された就学手当プログラム 食糧手当プログラム ガス手当プログラム および ルーラ政権自身が開始した食糧カード プログラムの 4 つの現金給付政策を統合したものである これらの現金給付政策は内容的に重複する部分が多かったが 管轄省が異なることもあり 実施における非効率性が問題とされていた そこでルーラ政権は 社会開発飢餓撲滅省 (Ministério do Desenvolvimento Social e Combate à Fome) 6 を新たに創設し CCT をはじめとする選別主義的な社会政策による貧困削減を推進した 近年のブラジルでは 1988 年憲法をもとに社会保障の普遍化が試みられるとともに 経済的な安定と成長が実現された そしてさらに PBF に代表されるような貧困に焦点を当てた選別主義的な CCT 政策が全国規模で実施されるようになり これらの要素が複合的に効果を発揮し ルーラ政権の 8 年間で約 3000 万人が貧困層から中間層へ社会上昇を遂げたとされる PBF は 対象の低所得家庭を一人当たり世帯月収により 70 レアル以下の極貧家庭と 70~140 レアルの貧困家庭の 2 つに分類し 子供の通学や妊婦の予防接種などを条件に現金を給付する 支給額は子供の数や年齢により異なるが 極貧家庭の場合 子供や妊婦の有無に関わらず基礎的な扶助として 70 レアルが支給される 対象年齢が 2008 年 3 月に 15 歳から 17 歳へ引き上げられるなど 支給額や受給条件は物価上昇やその時々の情勢に合わせ漸次調整されてきた 2013 年 3 月時点での支給額は 前述の基礎的な 70 レアル 15 歳以下の子供や妊婦 1 人に対する 32 レアル ( 最高 5 人 ) 16 歳と 17 歳の子供 1 人に対する 38 レアル ( 最高 2 人 ) となっている ( 表 1) また 総受給額は最小 32 レアルから最大 306 レアルで その平均額は 2013 年 1 月時点で約 142 レアル 7 であった ルーラ政権を継承したルセフ (Dilma Rousseff) 政権 (2011 年 ~) は 貧困削減傾向にある近年のブラジルで依然貧困から抜け出せない人々 つまり極貧層によりフォーカスした 困窮なきブラジル計画 (Plano Brasil Sem Miéria) という社会政策を打ち出した その対 6 同省の正式な創設は 2004 年 1 月で 2003 年のルーラ政権発足当初からそれまでは 食糧安全飢餓撲滅特別省 (Ministério Extraordinário de Segurança Alimentar e Combate à Fome) であった 7 社会開発飢餓撲滅省 (http://www.mds.gov.br/saladeimprensa/noticias/2013/01/governo-federal-come ca-a-pagar-o-bolsa-familia-nesta-sexta-18) 48

象は 政権発足当時にブラジルで 1620 万人いたとされる一人当たり世帯収入 70 レアル以下の極貧層である その具体的な施策としてルセフ政権は PBF の受給対象 (15 歳以下の 32 レアル支給 ) を 児童のみの 3 名から現行のような妊婦 乳母を含む 5 名へと拡張するなど PBF を発展的に継続実施している またルセフ政権は 0~6 歳の乳幼児にフォーカスした 愛情あるブラジル プログラム (Programa Brasil Carinhoso) を 2011 年に開始した 同プログラムは PBF を既に受給していても一人当たり世帯月収が 70 レアルを上回らない 0~6 歳の乳幼児を持つ家族を対象に 実際の一人当たり世帯月収と 70 レアルとの差額を支給するものである さらにルセフ政権は 自然保護地区で居住および就労する人々に環境保全を条件に 300 レアルを 3 ヶ月ごとに支給する 緑手当プログラム (Programa Bolsa Verde) や 農村部での資材購入や設備投資のための資金 2400 レアルを 2 年間で 3 回に分けて支給する 農村生産活動支援プログラム (Programa de Fomento às Atividades Produtivas Rurais) を実施している これらの現金給付政策は 前述の一人当たり世帯月収 70 レアル以下の極貧家庭を対象としている 表 1 PBF 受給の条件や金額 家計状況 極貧 貧困 1 人当たり世帯月収 ~ 70.00 レアル 70.01 レアル ~ 140.00 レアル 15 歳以下の児童 妊婦 乳母 32 レアル /1 人 ( 最高 5 人 ) 16~17 歳の児童 38 レアル /1 人 ( 最高 2 人 ) 0 人 0 人 1 人 + 基礎 0 人 0 人 1 人 + 基礎 5 人基礎 2 人 0 人 0 人 受給額 ( レアル ) 70 [ 基礎 ] 102 [32+70] 108 [38+70] 306 [32x5+70+38x2] 0 [ 基礎ナシ ] 1 人 0 人 32 1 人 1 人 38 5 人 2 人 236 ( 出所 ) 社会開発飢餓撲滅省のウェブページのデータ (2013 年 3 月 6 日時点 ) をもとに筆 者作成 49

2 現金給付政策の実施状況 本項では 前項で概説したブラジルの現金給付政策の実施状況について概観する まず 同国の主要な現金給付政策とされる BPC( および BPC に統合された RMV) と PBF につい て見てみる 表 2 は BPC と RMV および PBF の受給者数の推移をまとめたものである 表 2 BPC/RMV と PBF の受給者数の推移 障害者 ( 人 ) 貧困高齢者 ( 人 ) 合計 PBF 年 BPC RMV 計 BPC RMV 計 BPC/RMV ( 家族 ) 1993-718,830 718,830-538,871 538,871 1,257,701-1994 - 725,040 725,040-533,781 533,781 1,258,821-1995 - 701,341 701,341-501,944 501,944 1,203,285-1996 304,227 667,281 971,508 41,992 459,446 501,438 1,472,946-1997 557,088 626,497 1,183,585 88,806 416,120 504,926 1,688,511-1998 641,268 585,197 1,226,465 207,031 374,301 581,332 1,807,797-1999 720,274 547,693 1,267,967 312,299 338,031 650,330 1,918,297-2000 806,720 509,643 1,316,363 403,207 303,138 706,345 2,022,708-2001 870,072 475,555 1,345,627 469,047 271,829 740,876 2,086,503-2002 976,257 436,672 1,412,929 584,597 237,162 821,759 2,234,688-2003 1,036,365 403,174 1,439,539 664,875 208,297 873,172 2,312,711-2004 1,127,849 370,079 1,497,928 933,164 181,014 1,114,178 2,612,106 6,571,839 2005 1,211,761 340,715 1,552,476 1,065,604 157,860 1,223,464 2,775,940 8,700,445 2006 1,293,645 310,806 1,604,451 1,183,840 135,603 1,319,443 2,923,894 10,965,810 2007 1,385,107 284,033 1,669,140 1,295,716 115,965 1,411,681 3,080,821 11,043,076 2008 1,510,682 261,149 1,771,831 1,423,790 100,945 1,524,735 3,296,566 10,557,996 2009 1,625,625 237,307 1,862,932 1,541,220 85,090 1,626,310 3,489,242 12,370,915 2010 1,778,345 215,463 1,993,808 1,623,196 71,830 1,695,026 3,688,834 12,778,220 2011 1,907,511 195,018 2,102,529 1,687,826 59,540 1,747,366 3,849,895 13,352,306 2012 2,021,721 177,578 2,199,299 1,750,121 50,042 1,800,163 3,999,462 13,902,155 ( 出所 ) 社会開発飢餓撲滅省と社会保障省のウェブページのデータをもとに筆者作成 BPC は障害者と貧困高齢者を対象としており 障害者に関しては BPC が開始された 1996 年に同受給者が約 30 万人 RMV が約 70 万人で合計約 97 万人であった それが 2012 年には BPC が約 202 万人へと増加したのに対し PBC 以前の既存分のみが継続されている RMV は約 18 万人に減少し 合計は約 202 万人で 1996 年と比べ 2.3 倍の増加となった また貧困高齢者に関しては 1996 年の BPC 受給者が約 4 万人 RMV が約 46 万人で合計約 50 万人であった それが 2012 年には BPC 約 175 万人 RMV 約 5 万人で合計が約 180 万人に達し 1996 年比で 3.6 倍も増加した そして BPC 全体の受給者数は 1996 年の約 147 万人から 2012 年に約 400 万人まで増え 2.7 倍の増加となった このことから近年のブラジルにおいて BPC が障害者と貧困高齢者という社会的弱者の生活保障に大きく寄与していることがわかる そして そのなかでも貧困高齢者が最もその恩恵に与っており ブラ 50

ジルの人口の高齢化とともに今後もその受給者数は増加していくものと考えられる 一方の PBF は 受給家族数が政策開始当初の 2004 年は約 657 万家族だったが 2012 年にはその 2.1 倍の約 1390 万家族にまで増加している このことは 現在のブラジルでほぼ 3 人に 1 人が受益者となるまでに PBF が普及している状況を意味している ただし 同数値は PBF が政策対象として想定する貧困家族数に相当することから 今後の受給者数は増加した場合でもより緩やかなものになると考えられる 次に ブラジルにおいて社会政策の対象となる貧困層を特定し より有効な現金給付や社会扶助の政策を施行することを目的に構築された 統一登録システム (Cadastro Único または CadÚnico) の実施状況について見てみる 同システムは カルドーゾ政権期の 2001 年に構築され ルーラ政権期の 2007 年以降にその整備が進められた 統一登録システムには 自治体レベルの調査で収集した個人データや政府の統計データをもとに 一人当たり世帯月収が最低賃金の半分以下の家庭 および 全世帯月収が最低賃金の 3 倍以下の家庭が登録される そして 中央政府や地方自治体が統一登録システムの情報をもとに これら低所得家庭の社会経済状況や家族構成などを把握した上で 対象家族に適した現金給付などの社会政策を実施することが期待されている したがって 同システムに登録された貧困家庭のほとんどが PBF をはじめとする何かしらの現金給付政策の受給者だといえる 図 1 は 統一登録システムの登録家族数の推移を 2006 年から 2012 年まで ブラジル全体と地域別にまとめたものである その数はブラジル全体で 2006 年の約 1513 万家族から 6 年後の 2012 年に約 2320 万家族へと 1.5 倍増加している 地域的な割合は ブラジルのより貧困な地域である北東部が最も大きく 次に 最も人口の多い南東部となっている どの地域も登録家族数は年々増加しており その割合も大きくは変化していない ただし 人口がより密集している南東部の割合の増加がより大きいことは 物理的な諸要因により貧困家庭のデータ収集や登録作業がより困難な都市部において システム導入当初に遅れていた普及が徐々に進んできたことを意味していよう 8 また より貧困な北東部の割合が低下していることは 統一登録システムの普及における優先度を示唆しているといえよう また表 3 は 2012 年 2 月時点における統一登録システムに登録済みの人数を 年齢別 全国と地域別 および PBF の裨益者の割合によってまとめたものである 同表からわかることは まず グレーで表示した PBF の直接の対象児童年齢において PBF 裨益者の割合がどの地域と年齢層でも 50% を超え 初等義務教育の最年長である 14 歳まででは 60% 以上となっている点である このことは ブラジルの貧困若年層における PBF の重要度および普及率の高さを意味している そして特に より貧困な北東部と北部でその数値がほぼ 80% 以上と高くなっており ブラジルにおける貧困削減を目的とした現金給付政策が PBF を中心に対象者を選別しながら実施されている様子が表れているといえよう また 8 O Estado de São Paulo(http://www.estadao.com.br/noticias/impresso,sao-paulo-tem-menor-indicede-pobres-com-bolsa-familia-entre-capitais-do-pais-,955766,0.htm) 51

PBF の裨益者の割合を見ると 直接の対象者以外の年齢層 特にその親の世代と考えられる年齢層でも高くなっており さらには祖父母の世代と思われる高齢者層にも裨益者を確認することができる このことは 貧困な若年層をターゲットとした PBF がその直接的な対象者だけでなく 彼 彼女らが所属する貧困家庭全体に社会経済的な恩恵を与えていることを意味している また 今回は BPC に関するデータが入手できなかったが BPC についても PBF と同様 直接的な受益者である高齢者における BPC の重要度と普及率が高く そして 高齢者以外の年齢層も少なからず BPC の恩恵を与っているという結果が得られると推測できよう 図 1 統一登録システムの登録家族数の推移 : 地域別の割合 ( 出所 ) 社会開発飢餓撲滅省のウェブページのデータをもとに筆者作成 ( 注 ) 縦軸の M は 百万 で単位は 家族 横軸は 年 グラフ中の数値は全国に対する各地域の割合 (%) 52

表 3 統一登録システムに登録済みの人数 : 2012 年 2 月時点における年齢と地域別および PBF 裨益者の割合 全国 中西部 3 歳以下 4,087,035 80.7% 263,323 71.8% 1,850,874 85.2% 470,406 86.4% 1,119,382 76.2% 383,050 71.2% 4~6 歳 4,888,711 81.6% 314,222 72.4% 2,116,050 88.6% 632,702 86.7% 1,375,605 74.7% 450,132 69.1% 7~9 歳 5,573,736 79.0% 370,240 71.0% 2,304,330 87.7% 717,743 85.2% 1,635,202 70.4% 546,221 64.8% 10~14 歳 10,668,968 75.8% 699,025 67.5% 4,314,613 86.2% 1,292,108 83.5% 3,261,016 66.0% 1,102,206 60.3% 15~17 歳 6,304,184 69.3% 413,503 59.3% 2,569,865 81.8% 725,404 79.1% 1,922,034 57.2% 673,378 51.3% 18~24 歳 10,590,790 55.8% 654,593 43.3% 4,708,768 67.5% 1,146,534 67.8% 3,059,187 42.1% 1,021,708 37.5% 25~29 歳 5,634,735 62.0% 336,931 52.7% 2,719,665 69.4% 593,581 72.8% 1,487,100 51.4% 497,458 46.7% 30~39 歳 10,719,925 66.2% 725,030 57.2% 4,671,909 75.3% 1,073,044 75.6% 3,191,578 57.0% 1,058,364 50.6% 40~49 歳 8,745,162 58.1% 554,680 45.3% 3,686,144 71.6% 718,730 69.1% 2,770,687 46.0% 1,014,921 41.4% 50~59 歳 5,266,415 50.7% 280,979 38.9% 2,363,452 63.3% 402,548 64.2% 1,581,596 37.5% 637,840 33.2% 60~64 歳 1,724,636 33.6% 103,194 28.4% 809,000 38.8% 131,029 43.9% 479,413 28.2% 202,000 21.9% 65~69 歳 1,212,342 18.6% 88,772 16.2% 520,296 21.0% 100,563 25.3% 354,028 16.5% 148,683 11.9% 70 歳以上 1,652,785 9.2% 125,142 8.8% 685,997 10.3% 135,007 12.9% 498,694 8.3% 207,945 5.7% ( 出所 ) 社会開発飢餓撲滅省のウェブページのデータをもとに筆者作成 ( 注 ) 単位は 人 % 表示は左欄の人数に対する PBF の裨益者数の割合 グレーで表示した部分は PBF の対象年齢 北東部北部南東部南部 Ⅱ 現金給付政策をめぐる先行研究 ブラジルの現金給付政策 特に PBF に関しては 前節で見たように PBF が複数の現金給付政策を統合したより影響力の強い社会政策であることや ルーラ政権が国連などの国際機関で PBF を CCT の成功例として積極的にアピールしたことから ブラジルの国内外で数多くの先行研究が発表されている そしてそれらは主に 政策自体を分析評価したもの 社会政策全体の中で捉えたもの 貧困や特定の社会分野への影響 政治との関連性などに大別することができる まず 政策自体を分析評価したものとしては Medeiros et al.[2007] が BPC と PBF を取り上げ 受給条件や財政面などの特性を定量的に分析した結果 ブラジルの現金給付政策が他国の同様の政策に比べ優れている点を明らかにしている 浜口 [2007] は PBF の政策スキームや実施状況および先行研究の評価について詳説した上で 貧困サイクルを断ち切る PBF の有効性とともに 対象児童の人的資本形成とそのための教育の質的向上を課題として指摘している Kerstenetzky[2009] は PBF について定性的な研究を行い 不平等ではあるが先進国でも後進国でもないブラジルで PBF のような貧困層を優遇する政策をさらに推進することは 財政面でのコンセンサスや正当性を得ることが困難だと主張し 普遍主義と選別主義の複合および教育のさらなる整備の 2 点を提案している Bichir [2010] は PBF 53

の地方自治体と連邦レベルの政策スキームを取り上げ 給付条件の妥当性 普及率の高さ 政治的な影響力など PBF をめぐる議論をまとめた上で 政策のさらなる精度化や多様化が必要だと主張する Machado et al.[2011] は UNDP と ILO の支援のもと労働市場に焦点を当てた PBF の分析を行い PBF が貧困家庭の所得を保障しブラジルの社会保護システムの構築に寄与した一方 現金の直接的で主たる受給者である母親の給付金への依存を高め 労働市場参入への障壁になっている点を問題として指摘している 社会政策全体の中で捉えたものについては Jaccoud[2005] がさまざまな現金給付政策の実施の経緯や状況を分析し 1993 年に制定された 社会扶助基本法 (Lei Orgânica da Assistência Social:LOAS) が社会扶助政策の根幹となった点を強調している 子安 [2005] はカルドーゾ政権とルーラ政権の現金給付を含む社会政策を取り上げ 普遍主義的側面をはじめ両者の間の類似性や継続性について論じている Hall[2006] は飢餓ゼロ プログラムと PBF の政策内容を分析し 選別主義とセーフティ ネットの構築という点からルーラ政権の社会政策の変容をラテンアメリカの新たな社会政策モデルと評している Fishlow[2011] は民政に移管した 1985 年からの社会政策を分析し カルドーゾ政権期から政府の社会支出が増加したことや 現金給付政策が新たな社会政策として導入されたことでブラジルの不平等は是正されたが 高齢層より若年層の貧困が依然深刻だと指摘している Roett[2010] は植民地期からのブラジルの歴史をたどり 近年の貧困削減と社会政策の効果を論説した上で PBF を成功させたルーラ政権においてブラジルが新たな国家へ変容したと主張している 貧困や特定の社会分野への影響に関しては 全般的に現金給付政策の効果を肯定的に捉えたものが多いが Tavares[2010] は PBF の対象者である母親とそうではない母親の雇用機会を比較し PBF の受給額が多い母親ほど労働市場への参入が低くなっている状況を明らかにしている Cacciamali, Tatei and Batista[2010] は PBF の対象児童の労働と学校への通学に与える影響を計量的に分析し PBF は就学率の向上に寄与する一方で児童労働削減の効果は低く また 両者に関して都市部に比べ農村部の状況が劣悪だとする研究を行っている Marinho, Linhares and Campelo[2011] は現金給付政策とともに 経済成長 所得格差 就学年数 女性世帯主家族 男性失業率などが貧困削減に与える影響について分析し 政策実施の際の実務的な問題などから現金給付政策は想定されるより貧困削減への寄与度が高くないと結論付けている Simões and Soares[2012] は PBF が女性の受胎率に与える影響を統計的に分析し PBF の支給額の大きさと課される条件の費用対効果などの要因から 先行研究とは異なり 受胎率は対象女性の方が対象外の女性より低いとの結果を導出している 政治との関連性などについては Pasquim and Santos[2007] が連邦と州レベルにおいて複数の現金給付政策の関与しているアクターに関する定性的な研究を行い 個々の政策は普遍主義を目指すものの実際には選別主義的であるため 貧困や飢餓対策としてこれらの異 54

なる政策を統合すべきだと主張している Britto and Soares[2010] は PBF とほぼ同時に制定された 市民のベーシック インカム (Renda Básica de Cidadania: 以下 RBC) の関連性について それぞれの起源や成立過程を調査し 対象や概念の違いなどをから両者には関連性がないと結論付けている Bohn[2011] はルーラ労働者党 (PT) 政権の支持層に PBF が与えた影響について 2 度の大統領選挙の投票動向に関する計量的な分析をもとに 先行研究の指摘とは異なり PBF がルーラ大統領の再選をもたらしたわけではないと結論付けている おわりに 本稿では ブラジルの現金給付政策の概要と実施状況 および それらに関する先行研究について概観した これらを基盤として今後 ブラジルの現金給付政策の策定背景に関して 政治経済学的な視点から最終研究成果を執筆する予定である その際に援用する政治経済学的な理論枠組みとしては 言説やアイディアの政治 社会構成主義 フレーミング論などを取り入れた 社会学的制度論に立脚する方向性を考えている 最後に 本稿でまとめたブラジルの現金給付政策に関する情報や論点 および 上記の政治経済学的な理論枠組みを踏まえ 最終研究成果に向けた今後の問題意識や想定されるリサーチ クエッションを 本稿のむすびにかえて以下に提示する まず PBF などの現金給付政策がどのように策定されたかについて 主に法律との関連からその背景を分析する点である PBF は 2003 年 10 月に開始されたが 当初は暫定的な大統領令により施行され 本格的な実施や普及は 2004 年 1 月 9 日の法律 10,836 号を法的な根拠としている そして その 1 日前の 2004 年 1 月 8 日 ブラジルでは前述の RBC が法律 10,835 号として連続して成立している これらの政策と法律の間に関連性はあるのだろうか 否定的な結果を主張する先行研究を本稿で紹介したが 最終的に関連性のないものとして両者が成立したとしても そのプロセスにおいて相互が何かしらの影響を及ぼし合ったのではないだろうか また ブラジルで初めて現金給付政策の法制化を試みたとされる 最低賃金保障プログラム (Programa de Garantia de Renda Mínima) という法案が RBC が成立する 13 年も前の 1991 年に上院で可決された しかしながらその後 同法案は法律として成立することなく現在に至り 同法案とは別の RBC が制定された この 2 つの法案と現金給付政策の軌跡は どのように関連し合っているのだろうか また 政権ごとの看板的な社会政策の意味や 現金給付政策との関連性も挙げることができる 本稿で紹介したように 近年の各政権は自身の社会分野に関する指針ともいえる社会政策を掲げており カルドーゾ政権が 連帯コミュニティ プログラム ルーラ政権が 飢餓ゼロ プログラム ルセフ政権が 困窮なきブラジル計画 となっている しか 55

し これらの社会政策は具体的な個別の社会政策ではなく 複数の社会政策の総称であったり それらの特徴を表現したりするなど 各政権の社会政策全般に関するフレームを意味する傾向にある つまり これらの看板的な社会政策は実体性や具体性に欠ける一方 言説として政策普及への効果が高いといえる この点において ルーラ政権は主要な社会政策を飢餓ゼロ プログラムから PBF へ同じ年に変更したが それは何故であり どのようなアイディアにもとづいているのかに着目することは 現金給付政策との関連性からも示唆に富んでいよう また 全国規模での現金給付や社会政策が実施される以前の政権には このような言説的要素やフレーミング機能を強く持つ看板的な社会政策がなかった点も ブラジルの社会政策をめぐる状況や政治の研究にとって興味深いといえる 参考文献 日本語文献 子安昭子 2003. ブラジル型福祉国家の方向性 宇佐見耕一編 新興福祉国家論 アジアとラテンアメリカの比較研究 日本貿易振興機構アジア経済研究所. 2005. ブラジルの普遍主義的な社会政策と社会扶助プログラムにおける重点主義 宇佐見耕一編 新興工業国の社会福祉 最低生活保障と家族福祉 日本貿易振興機構アジア経済研究所. 近田亮平 2004. ブラジルの貧困と連邦政府による社会政策 セクター別から包括的な貧困削減政策へ ラテンアメリカ レポート 21(2) 12-21. 2011. 貧困削減をともなったブラジルの経済成長 宇佐見耕一ほか編 世界の社会福祉年鑑 旬報社. 2012. ブラジルの貧困高齢者扶助年金 表面化する人種問題からの再検討 アジア経済 53(1) 35-57. 浜口伸明 2007. ボルサ ファミリア ブラジル ルーラ政権の貧困対策 海外事情 55(2) 49-59. 英語文献 Bohn, Simone R. 2011. "Social Policy and Vote in Brazil: Bolsa Família and the Shifts in Lula s Electoral Base." Latin American Research Review 46(1): 54-79. Fishlow, Albert 2011. Starting Over: Brazil Since 1985. Washington, D.C.: Brookings Inst Press. Hall, Anthony 2006. "From Fome Zero to Bolsa Família: Social Policies and Poverty Alleviation under Lula." Journal of Latin American Studies 38(4): 689-709. Machado, Ana Flavia, Gustavo G. Fontes, Mariangela F. Antigo, Roberto H.S. Gonzalez, and Fábio 56

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