中世シチリアにおける農民の階層区分 はじめに 西欧中世の農民 : 農奴 や 隷農 農奴 : ラテン語の セルウス (servus) それに相当する現代西欧語 ( 英語 仏語の serf) 隷農 : ラテン語の ウィラーヌス (villanus) それに相当する現代西欧語 ( 英語の villein や仏語の vilain) 図表 1 農民を指すラテン語起源の現代語例 servus (L) serf (E, F), servo (I) villanus (L) villein (E), vilain (F), villano (I) rusticus ( rus) (L) rustic, rural (E), rustique, rural (F), rustico, rurale (I) L: Latin, E: English, F: French, I: Italian セルウス : 語源的には 奴隷 その現代西欧語形 ( 英語および仏語の serf や伊語の servo) は 隷属状態にある中世の農民を指す ウィラーヌス : 語義的には ウィラ ( villa 所領 ) に住む人 農奴 隷農 農民 自由民 という言葉 不自由農民一般 二種類のウィラーヌスのうち自由度の低い方をセルウス 1
第一節研究史 図表 2 ウィラーヌスを示す三言語の言葉 ( シャランドンによる )Ferdinand Chalandon, Histoire de la domination normande en Italie et en Sicile, 2 vols. (Paris 1907) ラテン語 servi glebae, rustici, adscriptitii, inscriptitii, homines, coloni, aldii, metochii, cortisani, angararii, homines censiles ギリシャ語 pavroikoi (paroikoi), a[nqrwpoi (antrōpoi), ejnapovgrafoi (enapographoi), ejxwvgrafoi (exōgraphoi) アラビア語 Rigiâl el Geraîd (rijāl al-jarā id), maks, Mehallet (maḥallāt), Ghorebâ (ghurabā ) フレデリクス二世勅法集に含まれるウィレルムス二世の法 ( ラテン語 ) ウィラーヌスたちはすべてその所有者の許可なく聖職者層に加わることが勅法により禁じられているという人々の誤りを 好意的な説明によって正そうとする我々は 次のようなウィラーヌスたちのみが上記の勅法により聖職者になることを禁じられていると理解されると判断する つまり 自ら 即ち その人の人格においてという了解の下で奉仕すべく定められている いわば アドスクリプティティイ セルウィ グレベ 何かそのような者たちのことである しかし 保有地或いは他の恩貸地のために奉仕の義務を負った者たちは もし 聖職者層に加わりたいと欲すれば 領主の同意なく彼らに許される Huillard-Bréholles, Historia diplomatica Friderici secundi, tomus IV, pars I, p. 120: Errores eorum qui villanos quoslibet sine licentia dominorum ad ordinem clericalem accedere regia constitutione dicunt esse prohibitos, interpretatione benivola corrigentes, decernimus eos tantum villanos predicta constitutione intelligi fore prohibitos clericari, qui personaliter, intuitu persone sue scilicet, servire tenentur, sicut sunt adscriptitii et servi glebe et huiusmodi alii. Qui vero respectu tenimenti vel alicujus beneficii servire debent, si voluerint ad ordinem clericatus accedere, liceat eis sine voluntate etiam dominorum, prius tamen his que tenent a dominis suis in eorum manibus resignatis. 図表 3 シャランドンによるウィラーヌスの分類 I. 土地保有により奉仕義務を負う II. 人格的に奉仕義務を負う ラテン語 homines censiles servi adscriptitii ギリシャ語 ejxwvgrafoi (exōgraphoi) ejnapovgrafoi (enapographoi) a[nqrwpoi (antrōpoi) pavroikoi (paroikoi), アラビア語 maks rijāl al-jarā id maḥallāt A ガルーフィ ジャリーダ (jarīda 複数形 jarā id 文書 という意味 ) プラテイア (platei:a) 2
近年のアラビストたち A ネフ J ジョンズ A メトカルフ A デ シモーネ 図表 4 Jeremy Johns によるウィラーヌスの分類 Jeremy Johns, Arabic Administration in Norman Sicily (Cambridge 2002), p. 151, Table 6.1. 1 フルシュ (ḥursh) あるいは リジャール ( アフル ) アルジャラーイド (rijāl (ahl) al-jarā id) と表現され る 登録された (registered) ウィラーヌス 2 ムルス (muls) と表現される 登録されていない (unregistered) ウィラーヌス メトカルフ 1 登録された 者たち: アラビア語で フルシュ あるいは リジャール ( アフル ) アルジャラーイド ギリシャ語で エナポグラフォイ ejnapovgrafoi 2 登録されていない 者たち: アラビア語で ムルス ギリシャ語で エクソーグラフォイ ejxwvgrafoi 問題点 言葉の意味からの類推 ( 東 ) ローマ帝国の法制度からの類推 農民を指す言葉( 概念 ) がアラビア語 ギリシャ語 ラテン語の間で一対一の関係? ムルス のギリシャ語の対応語 エクソーグラフォイ : ジョンズやメトカルフと異なる二つの解釈 3
1 ( リスト ) の外に書かれたもの ( アマーリとネフの解釈 ) 2 ( リストに ) 加えられたもの ( デ シモーネの解釈 ) 第二節 ムルス (muls) と フルシュ (ḥursh) は 対概念を示す言葉なのか? アラビア語の ムルス (muls) とは何かジョンズの説明 最初は 一一四一年の文書に リジャール アルジャラーイド と対置された形で現れる 1トリオカーラ (Triocala) の リジャール アルジャラーイド のリスト 2ラフル アルバサル (Raḥl al-baṣal) の リジャール アルジャラーイド のリスト 3 ムルス の名前のリスト ムルス 滑らかな 洗練された(smooth) 柔らかな (soft) すべすべした(sleek) などを意味する アムラス(amlas) の複数形 一一四九年と一一五四年の二つの文書で フルシュ(ḥursh) の反意語として記されている フルフルの教会に与えられた五家族のうち 二家族が フルシュ 三家族が ムルス フルシュ という言葉: 形容詞 アフラシュ (aḥrash) の複数形 粗野な (rough) ざらざらした (harsh) あるいは あらい(coarse) フルシュ と ムルス : 粗野な(rough) と 洗練された(smooth) を意味する一対の対照的な反意語 メトカルフとネフによって受け入れられる 19 世紀の研究者たち R ドージィ :Reinhart Dozy, Supplément aux dictionnaires arabes, 2 vols. (Leiden 1877 1881), vol. 2, p. 620 アムラス(amlas) の項: ムルスはシチリアにおいては農奴(serfs) の一つの階層を成しており もう一つの階層は フルシュ という名を有していた Les ملس formaient en Sicile une certain classe de serfs, tandis.الحرش qu une autre portait le nome de A ナッリーノ : Michele Amari, Storia dei Musulmani di Sicilia, 2nd ed., a cura di C. A. Nallino, 3 vols. in 5 parts (Catania 1933-39), vol. 3, p. 246, note 1. フルシュ( アフラシュの複数形 ) は 粗野な(ruvidi) を意味しているが 上述の ムルス ( 洗練された (lisci)) の階層に対置されるものであり 史料の検討からリジャール ( アフル ) アルジャラーイド( プラテアに記された人々 ) つまり ウィラーニ(villani), アドスクリプティチイ (adscripticii) ルスティチ(rustici) と同じものだということがわかる ムルス と フルシュ を対概念と捉える根拠 : 図表 5 ムルス と フルシュ に言及した文 (Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, nos. 14, 16) 1149, line 6; 1154, lines 5-6 الجملة خمسة رجال من إقلیم جاطو منھم/ اثنین حرش وثلاثة ملس 合計はヤート地域の男たち (rijāl) 五名であり そのうち二名は フルシュ ḥursh 三名は ムルス muls である 4
第三節 ムルス (muls) とは何か? 図表 6 ムルス muls に関する史料 1 1141: Toledo, ADM, Mesina, no. 1119. muls 2 1149: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 14 (1149 年の文書の最初の写し ). muls + ḥursh 3 1154: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 16 (1149 年の文書の 2 番目の写し ). muls + ḥursh 4 1169: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 25. ḥursh ghurabā + muls 5 1183: Palermo, BCRS, no. 45 muls = ejxwvgrafoi (exōgraphoi) 一一八三年のアラビア語 ギリシャ語併記文書 : ムルス のギリシャ語の対応語 エクソーグラフォイ ejxwvgrafoi を含むギリシャ語の エクソーグラフォイ : 外に書かれたもの 書かれたものの外 書かれていないもの アラビア語の ムルス : なめらかな すべる 抜け落ちた 抜け落ちた つまり 前の文書( あるいは名前のリスト ) から抜け落ちた ( あるいは記されていない ) 者たち 図表 7 一一八三年の文書の構成 (Palermo, BCRS, Fondo Monreale, no. 45) lines 1-13:( アラビア語の序文 ) [1-a] (اسما أھل المحلات بغار الصرفي) " の人々の名前 line 14: " Ghār al-ṣirfī の maḥallāt lines 15-18:( ギリシャ語とアラビア語で 14 人の名前のリスト ) line 17: "challet からのこれらは計 14 名 " (ou{toi ek tw:n callevt ojmou: ojnovmata id j) (الجملة من المحلات اربع عشر اسما) " 名 line 18: " maḥallāt からの合計は 14 [1-b] line 19: " Siriphē 所領の exōgraphoi " (oij ejxwvgrafoi [Cusa, ejzwvgrafoi] tou: cwrivou sivrifh) (ومن الملس بغار الصرفي) " から line 20: " そして Ghār al-ṣirfī の muls lines 21-30:( ギリシャ語とアラビア語で 40 人の名前のリスト ) line 31: " 計 40 名 " (ojmou: ojnovmata m j) (الجملة عربعین اسما) " 名 line 32: " 計 40 [2-a] line 31: " そして Dartze の machallet から " (kai; ajpo; tw:n macalle;t davrtze) (ومن المحلات بالدرجة ( " から line 32: " そして Darja の maḥallāt lines 32-34:( ギリシャ語とアラビア語で 10 人の名前のリスト ) line 33: " 計 10 名 " (ojmou: ojnovmata i j) (الجملة عشرة اسما) " 名 line 34: " 計 10 [2-b] line 35: " Dartze の exōgraphoi " (oij ejxwvgrafoi th:v davrtzev) (ومن الملس بالدرجة) " から line 36: " そして Darja の muls lines 37-38:( ギリシャ語とアラビア語で 3 人の名前のリスト ) line 37: " 計 3 名 " (ojmou: ojnovmata triva) (الجملة ثلاثة اسما) " 名 line 38: " 計 3 [3-a] line 39: " そして Tzatine の machallet から " (kai; ajpo; tw:n macalle;t tzativne) (ومن المحلات بجطینة ( " から line 40: " そして Jaṭīna の maḥallāt 5
lines 41-46:( ギリシャ語とアラビア語で 24 人の名前のリスト ) line 45: " 計 24 名 " (ojmou: ojnovmata kd j) (الجملة اربعة وعشرین اسما) " 名 line 46: " 計 24 [3-b] line 47: " Tzatine の exōgraphoi " (oij ejxwvgrafoi tzativnev) (ومن الملس بجطینة) " から line 48: " そして Jaṭīna の muls lines 49-56:( ギリシャ語とアラビア語で 30 人の名前のリスト ) line 55: " 計 30 名 " (ojmou: ojnovmata trivakwnta) (الجملة ثلثون اسما) " 名 line 56: " 計 30 [4-a] line 57: " そして Abderrhachmen と Koumait の所領 (minzēl) の machallet から " (kai; ajpo; tw:n macalle;t mivnzhl ajbderjrjacme;n kai; koumavi&t) line 58: " そしてʻAbd al-raḥmān と al-qumayṭ の所領 (manzil) の maḥallāt から " (ومن المحلات بمنزل عبد الرحمن والقمیط ( lines 59-60:( ギリシャ語とアラビア語で 3 人の名前のリスト ) line 59: " 計 3 名 " (ojmou: ojnovmata triva) (الجملة ثلاثة اسما) " 名 line 60: " 計 3 [4-b] line 61: " そして同所の exōgraphoi " (kai; oij ejxwvgrafoi ajp jaujth:v) (ومن الملس بھا) " から line 62: " そして そこの muls lines 63-68: ( ギリシャ語とアラビア語で 25 人の名前のリスト ) line 67: " 計 25 名 " (ojmou: ojnovmata ke j) (الجملة خمسة وعشرون اسما) " 名 line 68: " 計 25 ---------------------------------- [52-b] 見出し語 名前のリスト 名前の合計数が一つのユニット( まとまりをなす単位 ) ある土地の マハッラートの人々 のユニットと その エクソーグラフォイ/ ムルス のユニットとが対 アラビア語の マハッラート : 集落を意味する 見出しに ウィラーヌスの階層を示唆する言葉は含まれていない ムルス と エクソーグラフォイ は単に以前の文書や名前のリストに記されていない者を示す 対をなすユニットの見出しが非対称 アフル や アントローポイ のように 人 を意味する一般的な言葉が使われている 一一四一年のアラビア語文書の構成 図表 8 一一四一年の文書の構成 (Toledo, ADM, Mesina, no. 1119) lines 1-2: " 五三六年 ( 一一四一年 ) の十一月に書かれた Triocala の男たち (rijāl) の名前を証明するジャリーダ " (جریدة تشھد علي أسماء رجال طرقلش / كتبت بتاریخ شھر نومبره من سنة ست وثلاثین وخمسمایة ( lines 3-11:(50 人の名前のリスト ) (أسماء رجال رحل البصل) " の名前 line 11: " Raḥl al-baṣal の男たち (rijāl) lines 12-20:(50 人の名前のリスト ) (الكلمة مایة رجال) (rijāl)" line 20: " 計 100 人の男たち line 21-22: " そして インディクティオー 4 年 ( 一一四一年 ) の七月に あなたは 私たちに その時 私たちはア グリジェントにいた 神がこの町を守り給いますように! この文書 (sijill; ラテン語では sigillum; ギリシャ語では 6
sigivllion) にその名前が記されている あなたの保有下にあるムルスの者たちに関する願いを行った そこで 私たち は 彼らを次の条件であなたに与えた つまり 彼らのうちの誰かが私たちのジャラーイド あるいは 私たちの ( 家 臣である ) 領主たち (tarārīya) のジャラーイドに記されていた場合には あなたから取り戻されるということである " ثم لما كان بتاریخ شھر اسطریون (أسطربیر (Gálvez بالاندقتس الرابع (الربع (Gálvez سالتنا ونحن بكركنت حماھا الله في ھاولا الاسما الذین یثبتوا في ھذا السجل / الذین وجدوا عندك (عبدك (Gálvez ملسا فسلمناھم لك على شریطة انھ متى ما ظھر منھم في جرایدنا وجراید تراریتنا (قرابیننا (Gálvez احدا یوخذ ) یوخد (Johns منك (وھذه اسماھم) " これが彼らの名前である line 23: " line 24-25: (15 人の名前のリスト ) (الجملة خمسة عشر رجلا ملس) " の男たち line 26: " 計 15 人の muls line 27:( ロゲリウス二世のギリシャ語署名 )"ʻRogevrioV ejn Cristw/: Qew/: eujsebh:v kravtaiov ʻRh;x kai; tw:n cristianw:n bohqovv." 名前のリスト : 1 トリオカーラの男たち(rijāl) の名前 のリスト 2 ラフル アルバサルの男たち(rijāl) の名前 のリスト 3 この文書に記されている あなたの保有下にあるムルスの者たちの名前 のリスト ウィラーヌスの階層を示唆する言葉はない ムルス は 前のリストや文書から抜け落ちていた あるいは 記されていない者たち と解釈することが可能 農民の名前のリスト 1 一〇九五年 パレルモのサンタ マリア教会への寄進状 ( ギリシャ語 アラビア語併記 ): アラビア語による名前のリストとギリシャ語による名前のリスト 2 一〇九五年 カターニア司教への寄進状 ( ギリシャ語 アラビア語併記 ): アラビア語によるアーチ (Aci, Liyāj, Giavkhn) の人々 (ahl) の名前のリストと寡婦 (arāmil) の名前のリスト 3 一一四一年の文書 一一四五年の文書 : 既存の古い名前のリストに加えて 追加的な名前のリストを含む 名前のリストや寄進状 特権状の改訂は 古い名前のリストの下に新しい名前のリストを加えるという方法でなされた 一一八三年の文書の ムルス と エクソーグラフォイ は 付加されたものであることを示すために使われた リジャール アルジャラーイド ジャラーイドの男たち ジョンズ : ウィラーヌスのもう一つのグループであるムルスは 一一四一年十一月にトリオカーラの聖ゲオルギウス教会のために更新されたジャリーダの中に リジャール アルジャラーイドの反意語として 初めて現れる トリオカーラとラフル アルバサルのリジャール アルジャラーイドのリストの後に 三番目のムルスの名前のリストが来ているのである リジャール アルジャラーイド という言葉は記されていない トリオカーラの男たち ラフル アルバサルの男たち という言葉が記されているだけ 7
ムルス という言葉は 一一八三年の文書の名前のリストの見出しに繰り返し現れる フルシュ と リジャール アルジャラーイド は名前のリストの見出しに出てこない リジャール アルジャラーイドは ジャリーダに記されている者たち を指す 寄進からの除外条件一〇九五年のギリシャ語文書 : もし カターニア司教に譲渡されるこのプラテイアの中に記されているサラセン人たちのうちの誰かが私のプラテイアや私の封臣たちのプラテイアの中に見出されたならば その者は例外なくすぐに返却されなければならない 一一四一年の文書 : 彼らのうちの誰かが私たちのジャラーイド あるいは 私たちの( 家臣である ) 領主たちのジャラーイドに記されていた場合には あなたから取り戻される 農民が誰のジャリーダに記されているのか 誰に帰属しているのかが重要 ウィラーヌスの階層が問題にされているのではない ムルス に関する二つの問題 1 誰が ムルス だったのかジョンズ : ムルス が新しい移住者だったと推測 一一四一年のトリオカーラの文書に記された十五人の ムルス のうち十四人の名前が北アフリカ出身を示すニスバを有していることから ムルス は登録された所領への新しい移住者だったことが推測されるメトカルフ : ムルス をシチリアへ移住した最初の世代と考えるべきではないと主張 その多くがシチリア内の別の町や村から移住してきた人々であり 税の軽減や支払い猶予期間を含む 寛大な土地保有条件を与えられた人々 2 ムルス の法的身分が リジャール アルジャラーイド へ変化ネフ : ムルスは税の支払義務を負う共同体の一員ではなかったが その共同体に加わった後には登録民の リジャール アルジャリーダ に変化するジョンズ : ムルス たちは最初は未登録のよそ者だったが その地に定着すると 登録民の リジャール アルジャリーダ に変わるメトカルフ : ムルス たちは 次の住民調査を受けた後に 未登録民 であることを止め 登録民 として名簿に記載されようになる つまり 住民調査が行われることによってウィラーヌスの身分が変わる 第四節 ḥursh とは何か ラテン語の ルスティクス rusticus との関係ナッリーノ : 粗野な(ruvidi) を意味する フルシュ は 洗練された(lisci) を意味する ムルス の反意語 史料の検討からリジャール ( アフル ) アルジャラーイド( プラテアに記された人々 ) つまり ウィッラーニ (villani) アドスクリプティチイ(adscripticii) ルスティチ(rustici) と同じものだったということがわかる ジョンズ : 8
形容詞 アフラシュ の複数形 粗野な (rough) ざらざらした(harsh) あるいは あらい(coarse) デ シモーネ : フラシュ(ḥurash) アラビア語文書作成に関わった書記がギリシャ語の ホ エク テース コーラス (oj/oij ejk th:v cwvrav 原住者 先住者 もともとの住民 ) のアラビア語の翻訳語として使った フラシュ と ムルス は 先住者(indigno) と 後続者 入植者(sopraggiunto) を表したもの 図表 9 フルシュ ḥursh に関する史料 21149: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 14. (1st copy of 1149) muls と ḥursh 31154: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 16. (2nd copy of 1149) muls と ḥursh 41169: Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 25. ḥursh ghurabā + muls 図表 10 一一六九年の文書の構成 (Palermo, Arch. Dioc., Fondo Primo, no. 25) line 1: hoc est privilegium... line 2: To; katovnoma tw:n ajnqrwvpwn tou: cwrivou ajin lian tw:n dovqentw:n eijv to; spitalon tou: Kavmpo Gravssou. بسم الله الرحمن الرحیم :3 line lines 4-10:( インディクティオー暦二年の七月 Khandaq al-qayruz の病院に与えるもの つまり テルミニ地方にある ʻAyn al-liyān 村 (raḥl) とその村の権利すべてを含むこの文書を記すようにというウィレルムス二世の命がくだされた ) (وفیھ من الرجال الحرش) " から line 10:" そしてその中には al-rijāl al-ḥursh lines 9-12:(6 人の名前のリスト ) line 13: " 計 6 名 " (ojmou ojnovmata V.) ) الجملة ستة اسما ( " 名 line 14: " 合計は 6 ومن الرجال الغربا والملس الساكنین بالرحل ( " の男たちから line 14: " そして上述の村 (raḥl) に住むグラバー (ghurabā ) とムルス (muls) (المذكور lines 16-18:(8 人の名前のリスト ) line 17: " 計 8 名 " (ojmou ojnovmata h.) ) الجملة ثمانیة اسما ( " 名 line 18: " 合計は 8 line 17: " 計 二つ合わせて 14 名 " (ojmou aij b ojmavdev ojnovmata id.) ) جملة الجملتین اربعة عشر اسما ( " 名 line 18: " 二つの小計の合計 14 lines 18-22: " 彼は 上記の病院 (iṣbtāl: ラテン語の hospitale) に対し ここに記されたすべてのものを次の条件で与え た テルミニの住民たち すなわち アイン アッリヤーン村 (al-raḥl ʻAyn al-liyān) の住民であり その村の中に耕 9
地を有し 自分たち もしくは その父祖たちがこの耕地を切り拓いた者たちは その耕地を所有したまま 今まで役人 (al-ʻummāl) によって求められていたものをこの病院に払い続けるということである そうすれば ディーワーン アルマームール (al-dīwān al-maʻmūr) の管轄 (ḥukm) 下にあった上記の村は 彼らに対するその負担を増加することなく またこの村の住民である船乗り (al-baḥrīyūn) やその他の人々はすべての事柄に関して役人との今までの慣習 (āda) を維持することになる これを確認してまた 証明して冒頭に記された日に崇高なる印璽が押された アッラーは我々にとって十分なお方であり 何とすばらしき監視者 (al-wakīl) であらせられることか " 多くの研究者: フルシュ を ムルス や リジャール アルジャラーイド と対比されるウィラーヌスの階層と考える ジョンズ メトカルフ: 英語の rough men を訳語として与える ラテン語の ルスティクス(rusticus) のアラビア語訳と考える者たちもいる 森 (ḥarsh) を意味している可能性 妥当な結論を得るには フルシュ に関する情報が少なすぎる おわりに アラビア語の ムルス と フルシュ : ウィラーヌスの二つの階層を示す一対の対称的な言葉ではない ムルス は 既存の文書や名簿に記されていない者たちを示すために用いられた言葉文書作成時に必要とされた言葉 この結論は これまでの研究者たちの見解とは大きく異なる 登録された ウィラーヌス対 登録されていない ウィラーヌスの概念とは異なる 既存の名簿に記されていない者たちを示す言葉としての ムルス は 当時の文書作成の有り様と 既存のアラビア語名簿に基づいて作成された文書による土地 住民支配の現実を反映したものウィラーヌスの二つの階層とはまったく関係がない ウィラーヌスを 登録民 と 非登録民 に区分して二つの階層と捉える従来の見方は ( 東 ) ローマ帝国 個々のウィラーヌスの状態は その領主との関係に応じて大きく異なっていた 領主による領民支配が基本的な支配の枠組みとして機能し続けていた 10