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1 1 3 世 紀 ~6 世 紀 の 中 国 第 6 章 古 代 の 東 アジア 情 勢 (1) 魏 晋 南 北 朝 時 代 から 隋 の 統 一 まで ぎ ご しょく 中 国 大 陸 では 三 世 紀 前 半 に 後 漢 が 魏 によって 滅 ぼされると 魏 呉 蜀 の 三 国 に 分 割 され る やがて 魏 が 蜀 を 滅 ぼすが 魏 は 家 臣 の 司 馬 炎 によって 滅 ぼされる 司 馬 炎 は 武 帝 となって 晋 ( 西 晋 )を 建 国 し 呉 を 滅 ぼして280 年 には 中 国 を 統 一 する しかし 次 の 恵 帝 の 時 皇 帝 の 後 継 者 争 い( 八 王 の 乱 )が 起 こる この 八 王 の 乱 の 過 程 で 兵 力 として 活 躍 したのが 北 方 や 西 きょうど せんぴ けつ てい きょう 方 の 匈 奴 鮮 卑 羯 氐 羌 の 諸 民 族 であった やがて 彼 らは 勢 力 を 拡 大 して 各 地 に 独 自 政 権 ごこじゅうろっこく を 打 ち 立 てる この 影 響 を 受 け 西 晋 は 滅 び 五 胡 十 六 国 が 興 亡 を 繰 り 返 す 時 代 になる たくばつ 五 胡 十 六 国 時 代 を 終 わらせたのが 北 魏 である 北 魏 は 鮮 卑 族 の 拓 跋 氏 が 建 国 した 国 で たいぶてい 三 代 皇 帝 太 武 帝 の 時 の439 年 に 華 北 を 統 一 する 皇 帝 家 は 中 国 人 豪 族 と 婚 姻 関 係 を 結 ぶこ とによって 大 多 数 の 中 国 人 を 支 配 する 体 制 を 築 いていく この 国 は 遊 牧 民 族 の 鮮 卑 族 の 国 で じゅうぜん あったが 一 旦 華 北 に 入 り 込 んでしまうと 今 度 は 新 たな 遊 牧 民 族 の 柔 然 の 侵 略 に 備 えなけ ればならなくなった そこで 万 里 の 長 城 の 北 側 陰 山 山 脈 に 沿 って 前 線 基 地 を 何 箇 所 か 設 ちん けた そして そこには 鮮 卑 族 や 中 国 人 を 駐 屯 させて 国 防 に 当 たらせた これを 鎮 という 鎮 の 軍 事 集 団 は 鮮 卑 族 と 中 国 人 の 混 成 集 団 であったが 辺 境 の 防 衛 の 苦 労 を 共 にすると いう 環 境 の 中 で 強 い 団 結 力 を 持 ち さらに 両 者 が 雑 婚 を 繰 り 返 すうちに 鎮 は 強 固 な 家 族 的 性 格 を 持 つようになった 鎮 の 軍 人 たちは 元 来 良 家 の 出 であって 仕 官 の 途 も 開 か れていた ところが 439 年 第 六 代 の 孝 文 帝 の 治 世 に 行 われた 洛 陽 への 遷 都 や 厳 しい 漢 化 政 策 の 断 行 によって 鎮 の 人 々は 中 央 政 府 から 置 き 去 りにされる 形 で 時 と 共 に 冷 遇 されて よくや かいさく ぶせん ぶめい じゅうげん いくようになる このような 処 遇 に 対 し 沃 野 鎮 懐 朔 鎮 武 川 鎮 撫 冥 鎮 柔 玄 鎮 かいこう りくちん 懐 荒 鎮 の 六 つの 鎮 を 中 心 とする 六 鎮 の 乱 という 大 反 乱 が 起 こる この 反 乱 が 引 き 金 となり 北 魏 は 東 魏 と 西 魏 に 分 立 する 北 朝 西 魏 北 周 隋 魏 西 晋 五 胡 十 六 国 北 魏 蜀 南 朝 東 魏 北 斉 呉 東 晋 宋 斉 梁 陳 1

2 かい さくちん こうかん 東 方 の 東 魏 は 懐 朔 鎮 出 身 の 高 歓 が 実 権 を 握 り やがて 北 斉 王 朝 を 樹 立 する しかし 南 朝 ぶせんちん の 貴 族 文 化 の 影 響 を 受 けて 自 滅 的 な 解 体 をしていく 一 方 西 方 の 西 魏 は 武 川 鎮 出 身 の うぶんたい こうびんてい 宇 文 泰 が 実 権 を 握 り やがて 宇 文 泰 の 長 子 宇 文 覚 が 自 ら 天 子 ( 孝 閔 帝 )となって 北 周 王 朝 を 樹 立 する(557 年 ) 北 周 は 北 斉 とは 違 って 武 川 鎮 軍 閥 の 固 い 団 結 力 によって 統 治 され 発 展 していく 北 周 北 斉 陳 ( 南 朝 ) 北 周 の 第 3 代 皇 帝 武 帝 は 北 斉 の 衰 弱 ぶりを 見 てとると 国 民 を 総 動 員 して 北 斉 を 攻 め 山 東 うぶんいん 政 権 を 倒 した(577 年 ) しかし 武 帝 が 亡 くなると 皇 太 子 の 宇 文 贇 が 即 位 して 宣 帝 となるが うぶんえん これが 暗 君 であった 即 位 の 翌 年 僅 か 七 歳 の 皇 太 子 の 宇 文 衍 ( 静 帝 )に 位 を 譲 り 自 らは 上 皇 となって 政 治 をせずに 放 縦 生 活 に 浸 り 二 十 二 歳 の 若 さで 死 んでしまう この 後 外 戚 ( 皇 后 ようけん の 父 )の 楊 堅 が 実 権 を 握 り 随 王 に 封 ぜられる その 翌 年 楊 堅 は 幼 帝 から 禅 譲 を 受 けて 即 位 する すなわち 隋 の 高 祖 文 帝 の 誕 生 である(581 年 ) 文 帝 は 残 存 する 旧 北 周 王 室 の 宇 文 氏 を 皆 殺 しにすると 旧 北 斉 領 を 含 む 華 北 全 域 を 安 定 させ 軍 事 力 を 整 え 江 南 の 陳 王 朝 を 制 圧 する これにより 南 北 朝 に 分 かれていた 中 国 は 隋 によって 統 一 される(589 年 ) 北 周 王 朝 系 図 ( 印 は 隋 の 文 帝 に 殺 される) 泰 宇 文 肱 顥 逌 通 達 盛 純 倹 ( ( ( ( ( 北 代 越 陳 異 王 王 王 ) ) ) ) 公 ) 勝 王 招 ( 趙 王 ) 憲 ( 斉 王 ) 直 邕 ( 武 帝 ) 覚 ( 閔 帝 ) 毓 = 独 ( 孤 明 氏 帝 ) 護 導 男 絢 子 五 人 男 子 二 人 男 子 五 人 男 子 三 人 乾 惲 男 子 六 人 元 兌 充 允 贄 賛 男 男 子 子 二 三 人 人 楊 氏 = 術 衎 2 贇 ( 宣 帝 ) 衍 ( 静 帝 ) 康 湜 寔 貞 徳 文 樹 嬢 恭 道 賢 弘 義 衆 椿 翼 亮 広 孰 仲 男 倫 和 子 五 人 明 洽 隋 の 煬 帝 宮 崎 市 定 ( 中 公 文 庫 )より 借 用

3 (2) 隋 の 統 一 楊 堅 は581 年 に 即 位 して 文 帝 になると 翌 年 にこれまでの 前 漢 から 北 周 まで 続 いた 長 安 城 を 捨 てて その 東 南 に 新 都 を 建 造 した 文 帝 がまだ 若 いときに 大 興 郡 公 という 爵 位 に 封 ぜられ だいこうじょう たのに 因 んで 大 興 城 と 名 付 けられた この 新 しい 城 は 次 の 唐 王 朝 に 引 き 継 がれ 日 本 の 平 城 京 平 安 京 の 模 範 となった 文 帝 は583 年 に 大 興 城 に 入 城 すると 最 初 に 地 方 制 度 の 改 革 に 着 手 する 魏 晋 以 降 続 い ていた 州 - 郡 - 県 の 三 階 の 行 政 区 分 を 改 め 州 - 県 の 二 階 の 行 政 区 分 に 改 編 した そ れまで211の 州 の 下 に508の 郡 があり さらにその 下 に1124の 県 があったが 1 州 がおよそ5 県 を 管 轄 することになった これによって 地 方 役 人 の 冗 員 を 整 理 し 行 政 事 務 を 簡 素 化 する へきしょう とともに 地 方 長 官 が 持 っていた 辟 召 権 ( 属 僚 採 用 権 )を 廃 止 し 州 県 官 の 人 事 権 を 中 央 がとり あげた しかし 地 方 の 属 僚 採 用 権 が 中 央 に 移 ったことにより 中 央 では 莫 大 な 人 数 の 官 僚 予 きゅうひんかんじんほう 備 軍 を 備 えておかなければならなくなった そこで 文 帝 は 魏 から 続 いていた 九 品 官 人 法 を 廃 止 し 学 科 試 験 による 官 吏 登 用 制 度 を 始 めた それが 科 挙 である ( 中 国 では 官 吏 を 選 任 す ることを 選 挙 というが 試 験 には 種 々の 科 目 があったので 科 目 による 選 挙 略 して 科 挙 と 称 されるようになった ) このように 文 帝 は 門 閥 貴 族 の 官 職 独 占 を 阻 止 し 君 主 権 の 強 化 を 図 った こう ようだい 604 年 文 帝 が 在 位 24 年 で 薨 ずると 第 二 子 皇 太 子 の 揚 広 が 即 位 して 煬 帝 ( 在 位 604~6 18)となった 文 帝 の 時 代 は 戦 乱 の 後 であったため 民 を 疲 弊 させるような 大 土 木 工 事 は 控 え 専 ら 国 力 の 充 実 が 図 られたが 煬 帝 は 父 の 遺 した 黒 字 財 政 の 余 剰 積 立 を 運 河 の 建 設 に 充 て わいすい つうさいきょ こうつうきょ 605 年 黄 河 と 淮 水 を 結 ぶ 通 済 渠 を 開 削 した これによって 都 のある 長 安 から 広 通 渠 黄 河 わいすい かん こう こう と 通 済 渠 淮 水 邗 溝 江 都 まで 船 運 がつつがなく 往 来 できるようになった (このうち 広 通 渠 と 邗 溝 は 文 帝 の 治 世 の584 年 と587 年 にそれぞれ 開 削 されていた ) 第 二 期 目 の 工 事 は608 年 に 開 始 された 一 つは 黄 河 から 北 へ 現 在 の 北 京 近 くの たくぐん えいさいきょ 涿 郡 にまで 永 済 渠 を 開 削 した も う 一 つは 長 江 から 南 へ 太 湖 の 側 せんとう こう を 経 て 杭 州 で 銭 塘 江 口 に 接 続 し た 煬 帝 によって 整 備 された 大 運 河 は 全 長 1500kmにも 達 し 文 字 通 り 東 西 南 北 の 交 通 路 が 整 い 人 と 物 の 流 通 が 盛 んになった 3

4 昔 から 中 国 で 統 一 王 朝 が 誕 生 すると 周 辺 諸 国 は 使 節 を 送 り 臣 従 の 意 思 を 示 すことで 自 さくほう 国 の 安 全 保 障 を 図 るのが 普 通 であった これを 冊 封 という 隋 が 中 国 を 統 一 した 時 にも 周 辺 ひがしとっけつ 諸 国 は 冊 封 を 受 けたが 高 句 麗 は 陳 が 隋 に 滅 ぼされたことを 知 ると 東 突 厥 と 同 盟 を 結 んで 隋 に 対 抗 しようとした この 事 情 を 知 ることになった 煬 帝 は 永 済 渠 が 開 通 するのを 待 って 61 たくぐん 2 年 兵 と 物 資 を 涿 郡 に 集 め 陸 路 大 軍 を 率 いて 高 句 麗 に 親 征 した しかし 隋 軍 は 遼 東 城 で 待 ち 構 えていた 高 句 麗 軍 に 苦 戦 を 強 いられる 一 方 海 路 から 高 句 麗 の 平 壌 城 に 攻 め 入 った 水 軍 も 高 句 麗 のゲリラ 戦 法 にやられ 結 局 隋 は 何 十 万 人 という 兵 士 を 失 って 大 敗 する 613 へいたん 年 煬 帝 は 再 度 高 句 麗 遠 征 を 行 なうが 味 方 の 兵 站 基 地 の 総 司 令 官 に 謀 反 を 起 こされ 遠 征 は 中 止 を 余 儀 なくされる 反 乱 を 鎮 めた 煬 帝 は 翌 年 三 たび 高 句 麗 遠 征 を 断 行 するが 陣 中 に 飢 餓 と 悪 病 が 広 まり 同 時 に 国 内 各 地 で 反 乱 が 相 次 いで 起 こり 仕 方 なく 高 句 麗 と 和 睦 を 結 び 撤 退 するしかなかった しかし 民 衆 の 怒 りは 鎮 まることはなく 各 地 の 反 乱 はさらに 増 え 隋 は 滅 亡 へと 向 かう 時 代 は 少 し 遡 ること 607 年 聖 徳 太 子 が 小 野 妹 子 を 隋 に 遣 わして 煬 帝 に 国 書 を 出 してい る そのときの 様 子 が 隋 書 倭 国 伝 に 記 されている それによると 煬 帝 は 倭 国 からの 国 書 に 怒 りを 表 している 理 由 は 倭 の 王 が 自 ら 天 子 と 名 乗 ったからである 中 国 の 思 想 では 天 の 命 を 受 けた 者 が 天 子 として 天 下 を 支 配 することができる 当 然 天 子 はこの 世 に 一 人 し かいない 天 命 思 想 は 中 国 の 政 治 思 想 の 根 幹 であるので 煬 帝 が 怒 るのは 当 然 のことである はいせいせい しかし 怒 ったはずの 煬 帝 が 翌 年 小 野 妹 子 が 帰 国 する 際 裴 世 清 を 国 使 として 日 本 に 遣 わ している これはどういうことか ちょうどその 頃 煬 帝 は 高 句 麗 遠 征 を 決 め 準 備 を 整 えている 時 であった 高 句 麗 が 倭 国 と 手 を 結 ぶことを 恐 れて 煬 帝 は 倭 国 と 外 交 関 係 を 築 こうとしたの だろうと 言 われている 書 き 下 し 文 た 大 業 三 年 その 王 多 り 利 し 思 ひ 比 こ 孤 使 を 遣 わして 朝 貢 す 使 者 いわく 聞 く 海 西 の 菩 薩 天 子 重 ねて 仏 法 を 興 すと 故 に 遣 わして 朝 拝 せしめ 兼 ねて 沙 門 数 十 人 来 って 仏 法 を 学 ぶ と その 国 書 にいわく 日 出 つつが こう ろ けい づる 処 の 天 子 書 を 日 没 する 処 の 天 子 に 致 す 恙 なきや 云 々 と 帝 これを 覧 て 悦 ばず 鴻 臚 卿 に 言 って いわく 蛮 夷 の 書 無 礼 なる 者 あり 復 た 以 て 聞 する 勿 れ と 多 利 思 比 孤 大 王 を 表 す 菩 薩 天 子 仏 教 の 復 興 に 尽 力 した 初 代 文 帝 ( 在 位 581~604) 沙 門 修 行 僧 和 訳 大 業 三 年 (607 年 ) その 王 多 利 思 比 孤 が 使 者 ( 小 野 妹 子 )を 遣 わして( 隋 に) 朝 貢 した その 使 者 が 言 うには 海 の 西 方 に 菩 薩 と 仰 がれる 天 子 が 再 び 仏 法 を 盛 んにされている と 聞 いている そこで 使 者 を 遣 わして 朝 拝 させ 併 せて 沙 門 数 十 人 を 中 国 に 来 させて 仏 法 を 学 ばせたいのです と その 国 書 には 日 が 昇 るところの 天 そくさい 子 が 書 を 日 が 沈 むところの 天 子 に 送 ります 恙 なく 息 災 でありますか 云 々 と 煬 帝 はこれを 見 て 気 分 を 害 し 鴻 臚 卿 ( 外 相 )に 命 じた 蛮 夷 ( 倭 国 )の 書 は 無 礼 なところがある 再 び 奏 聞 するには 及 ばぬぞ と 4

5 2 朝 鮮 半 島 (1) 古 朝 鮮 朝 鮮 半 島 の 記 録 上 の 人 間 の 歴 史 は 古 朝 鮮 から 始 まる 古 朝 鮮 とは 近 世 の 朝 鮮 王 だんくん 朝 (1392~1896)に 対 し 古 代 の 三 つの 王 朝 つまり 壇 君 き し 朝 鮮 箕 子 えいし 朝 鮮 衛 氏 朝 鮮 の 総 称 として 用 いられる このうち 実 在 が 確 認 されているのは 衛 氏 朝 鮮 だけであ り 他 の 二 つは 神 話 上 の 或 は 伝 説 上 の 王 朝 であると 言 われている 1 壇 君 朝 鮮 いち ねん 壇 君 朝 鮮 についての 伝 承 は 高 麗 の 僧 一 然 (1206~1289)が 編 纂 した 歴 史 書 の さんごくいじ 三 国 遺 事 に 見 られるが 次 のように 記 されている 三 国 遺 事 大 意 魏 書 に 因 ると 今 から 二 千 年 前 壇 君 王 儉 が 阿 斯 達 に 都 を 定 め 新 しい 国 を 建 て 朝 鮮 と 称 し た これは 中 国 の 堯 帝 と 同 じ 時 代 のことであった 古 記 に 因 れば 昔 神 様 ( 帝 釈 天 )の 庶 子 で 棺 雄 という 者 が 地 上 界 に 関 心 を 持 ち 人 間 世 界 を 治 めたいと 考 えた 父 の 桓 因 は 子 の 思 いを 見 抜 いて 太 白 山 に 降 りてみると 治 めるに 相 応 しい 世 界 だと 判 断 し 天 符 印 を 三 つ 与 え 人 間 世 界 を 治 めさせることにした 桓 雄 は 人 間 世 界 を 治 めるために 従 者 3000 人 を 引 き 連 れ 太 伯 山 山 頂 の 神 檀 樹 のもとに 降 臨 した 風 の 神 雨 の 神 雲 の 神 を 連 れ 穀 物 生 命 病 気 刑 罰 善 悪 など 人 間 社 会 の 三 百 六 十 あまりの 事 柄 について 人 々に 教 えを 説 いた ある 時 桓 雄 の 前 に 人 間 になりたいという 熊 と 虎 が 現 れた 桓 雄 は 一 握 りの 蓬 と 大 蒜 二 十 個 を 与 え お 前 たち これを 食 って 百 日 間 光 を 見 ずに 洞 窟 の 中 で 過 ごすことができれば 人 間 になることができるだろう と 言 っ た 忍 耐 力 のない 虎 は 途 中 で 根 を 上 げ 洞 窟 の 外 へ 出 てしまうが 熊 は 忌 むこと 二 十 一 日 目 に 人 間 の 女 に 成 り 得 た すると 人 間 の 女 になった 熊 女 は 桓 雄 に 対 し 夫 になる 者 がいないので 子 を 産 むことができない と 訴 えた その 願 いを 訊 くと 桓 雄 は 熊 女 と 結 ばれ 熊 女 は 身 ごもって 子 を 産 んだ その 子 こそ 古 朝 鮮 建 国 の 始 祖 とされる 壇 君 王 儉 である 壇 君 は 中 国 の 堯 帝 即 位 五 十 年 に 平 壌 城 を 都 とし 初 めて 朝 鮮 と 称 した 国 を 治 めること 千 五 百 年 で 周 の 武 王 が 箕 子 を 朝 鮮 に 封 じたので 壇 君 は 隠 退 して 阿 斯 達 の 山 神 となった 齢 一 千 九 百 八 歳 であった 2 箕 子 朝 鮮 箕 子 朝 鮮 については 前 漢 の 時 代 に 書 かれた 司 馬 遷 ( 紀 元 前 145~ 紀 元 前 87)の 史 記 に その 記 述 が 見 られる それによると 次 のように 記 されている 史 記 - 世 家 第 八 巻 - 大 意 箕 子 は 中 国 殷 朝 末 期 の 聖 人 殷 の 紂 王 の 無 軌 道 ぶりを 諫 めるが 紂 王 を 説 得 することがで きなかった そこで 彼 は 自 分 の 正 しさを 主 張 することは 君 子 の 悪 事 を 世 に 広 めることになると 言 って 狂 人 のふりをする やがて 周 が 殷 を 滅 ぼすと 周 の 武 王 は 箕 子 を 崇 めて 家 臣 とはせず 東 方 の 朝 鮮 に 封 じた 箕 子 は 礼 儀 や 田 作 織 作 を 教 え 犯 禁 八 条 を 作 って 生 活 の 規 範 にした 5

6 壇 君 朝 鮮 の 神 話 は 高 麗 時 代 に 北 方 の 異 民 族 の 侵 略 の 中 から 生 まれた 民 族 主 義 的 な 思 潮 として 被 支 配 者 階 級 の 農 民 の 間 に 広 まったと 言 われている 一 方 箕 子 朝 鮮 の 伝 説 は 高 麗 時 代 の 儒 学 者 たちによる 儒 教 の 流 布 と 尚 古 思 想 の 発 展 によって 広 まった 支 配 者 階 級 のための 思 想 と 言 える 言 い 換 えれば 檀 君 朝 鮮 は 朝 鮮 出 自 の 神 話 であり 箕 子 朝 鮮 は 中 国 出 自 の 伝 承 であると 言 える 現 代 の 朝 鮮 半 島 の 人 々が 檀 君 神 話 を 大 切 に 思 うのはもっともなことである 3 衛 氏 朝 鮮 古 朝 鮮 のうち 現 在 のところその 実 在 が 確 実 視 されているのは 衛 氏 朝 鮮 だけだと 言 われて いる 衛 氏 朝 鮮 の 建 国 は 中 国 の 前 漢 の 成 立 と 関 わりがある 高 祖 劉 邦 が 中 国 を 統 一 して 前 漢 を 建 てるのが 紀 元 前 202 年 である 漢 はその 広 大 な 領 土 を 治 めるために 都 の 長 安 を 中 心 とす る 地 域 は 直 轄 地 として 直 接 支 配 するが 周 辺 部 は 皇 族 一 族 や 建 国 の 功 臣 たちに 封 国 として 与 りょ こう え その 支 配 を 任 せていた しかし 高 祖 とつづく 皇 后 呂 后 の 時 代 に 功 臣 の 王 国 の 取 り 潰 しが ろわん 始 まった 高 祖 の 幼 馴 染 の 盧 綰 が 領 有 していた 東 北 部 の 燕 の 国 も 例 外 ではなかった 危 険 を 感 じた 盧 綰 は 匈 奴 へ 亡 命 し 家 臣 の 衛 満 は 徒 党 1,000 人 余 りを 率 いて 朝 鮮 へと 逃 げた 紀 元 前 195 年 のことである このときの 経 過 は 史 記 の 朝 鮮 列 伝 に 詳 しく 記 述 されている 史 記 - 朝 鮮 列 伝 第 五 十 五 - 大 意 朝 鮮 王 の 衛 満 はもと 燕 の 国 の 人 である 燕 はかつて 真 番 ( 鴨 緑 江 以 西 ) 朝 鮮 ( 鴨 緑 江 以 東 )を 攻 略 して 服 属 させ 役 人 を 置 き 要 塞 を 築 いて 統 治 していた 秦 が 燕 を 滅 ぼすと 遼 東 郡 の 国 境 外 の 地 まで 領 有 した ついで 漢 が 成 立 するが それらの 地 が 遠 方 で 守 備 しにくいという 理 由 で 再 び 遼 東 のもとの 要 塞 を 修 復 し 浿 水 ( 鴨 緑 江 説 遼 河 説 がある)までを 境 とし 燕 国 の 領 土 とした 燕 王 盧 綰 が 漢 に 背 いて 匈 奴 に 逃 げたとき 衛 満 も 亡 命 し 徒 党 千 余 人 を 集 め 髪 を 椎 型 に 結 い 蛮 夷 の 衣 服 を 着 東 に 走 って 要 塞 を 出 浿 水 を 渡 り 秦 の 時 代 には 誰 も 住 んでい なかった 朝 鮮 を 根 拠 地 とした その 後 真 番 郡 朝 鮮 の 蛮 夷 及 びもとの 燕 斉 の 亡 命 者 らを 部 下 にして 朝 鮮 の 王 となり 王 険 ( 現 平 壌 )に 都 した 朝 鮮 王 となった 衛 満 は 遼 東 太 守 との 間 で 漢 の 外 臣 になることを 約 束 するが すぐにその 約 束 を 反 故 にし 周 辺 の 小 国 に 侵 攻 し 臨 屯 国 真 番 国 をも 服 属 し その 領 土 は 数 千 里 四 方 に う き ょ 及 んだという 満 の 孫 右 渠 の 時 代 になると 漢 からの 亡 命 者 も 多 くなり 右 渠 は 漢 に 朝 貢 しな いばかりか 真 番 周 辺 諸 国 の 漢 への 朝 貢 の 妨 害 もした ここに 至 り 漢 の 武 帝 は 紀 元 前 109 年 に 衛 氏 朝 鮮 を 攻 め 翌 年 これを 滅 ぼした 紀 元 前 二 ~ 紀 元 前 一 世 紀 の 頃 の 武 帝 の 治 世 は 前 漢 の 全 盛 時 代 として 知 られているが 同 時 に 対 外 政 策 においてはそれまでの 消 極 策 から 積 極 策 への 転 換 期 でもあった 時 代 は 遡 る が 前 漢 建 国 者 の 高 祖 劉 邦 は 秦 が 厳 しい 政 治 を 行 なったために 諸 侯 や 民 衆 の 反 発 を 招 い て 滅 亡 したことをふまえ 内 政 はもちろん 対 外 政 策 においても 消 極 主 義 をとった そのため 高 祖 は 匈 奴 に 敗 れ 毎 年 多 額 の 物 品 を 贈 るという 屈 辱 的 な 和 約 を 結 ばされていたのである 6

7 たいえい ところが 今 十 六 歳 で 即 位 した 青 年 皇 帝 の 武 帝 は 祖 先 の 退 嬰 政 策 を 踏 襲 するのを 好 まず 従 来 の 方 針 を 改 め 攻 勢 的 な 積 極 政 策 に 転 じたのである 北 方 の 匈 奴 に 大 打 撃 を 与 えること なんえつ だいえん に 成 功 すると 南 の 南 越 (ベトナム)を 討 ち 西 の 大 宛 (フェルガナ)を 討 ち 東 の 衛 氏 朝 鮮 を 討 ったのである 武 帝 は 衛 氏 朝 鮮 を 滅 ぼした 後 紀 元 前 108 年 に その 地 に 楽 浪 郡 玄 菟 郡 真 番 郡 臨 屯 郡 の 四 郡 を 置 き 漢 の 直 轄 地 とした これは 古 朝 鮮 の 終 わりを 告 げる 出 来 事 でも あった (2) 楽 浪 四 郡 の 設 置 紀 元 前 108 年 前 漢 の 武 帝 は 衛 氏 朝 鮮 の 故 地 に 楽 浪 郡 を 楽 浪 郡 の 東 朝 鮮 半 島 の 東 海 岸 を 中 心 に 臨 屯 郡 を 楽 浪 郡 の 近 くの 海 岸 地 域 に 真 番 郡 を 置 いた ( 真 番 郡 の 所 在 地 については 古 くか ら 北 在 説 南 在 説 があり さらに 南 在 説 の 場 合 は 西 部 説 と 東 部 説 があるが ここでは 西 部 説 で 進 め おうりょく こう ていく ) また 一 年 遅 れて 鴨 緑 江 の 中 流 域 から 東 げんと 海 岸 に 達 するまでの 地 域 に 玄 菟 郡 を 置 いた 郡 の 下 には 県 が 置 かれた 設 立 当 初 の 県 数 は 楽 浪 郡 が 十 八 県 臨 屯 郡 が 十 五 県 真 番 郡 も 十 五 県 玄 菟 郡 は 最 低 四 県 あったと 言 われている 郡 の 長 官 の 太 守 や 県 の 長 官 の 県 令 は 漢 の 中 央 政 府 から 派 遣 された このようにして 漢 の 郡 県 制 によ る 朝 鮮 支 配 が 始 まるが 郡 県 支 配 による 収 奪 と 旧 秩 序 の 破 壊 がこの 地 方 の 住 民 の 政 治 的 結 束 を 促 したために 漢 はすぐに 四 郡 の 改 編 を 始 め た 紀 元 前 82 年 に 真 番 郡 と 臨 屯 郡 の 二 郡 が 廃 止 され 二 郡 に 属 していたいくつかの 県 は 楽 浪 郡 と 玄 菟 郡 に 吸 収 されることになる さらに 紀 元 前 75 年 になると 玄 菟 郡 は 郡 治 の 置 かれてい よ く そ た 沃 沮 県 と 元 臨 屯 郡 に 属 していた 六 県 を 合 わせて 七 県 を 楽 浪 郡 に 転 属 させ 郡 治 を 西 北 の 高 句 麗 県 に 移 動 させた これによって 玄 菟 郡 はわずか 三 県 の 小 郡 になった このように 玄 菟 郡 が 縮 小 撤 退 したのは 敵 対 する 高 句 麗 族 の 抵 抗 があったためだと 推 測 されている 高 句 麗 は こんこう すでにこの 頃 鴨 緑 江 中 流 域 や 渾 江 流 域 に 根 拠 地 をもち 侮 れない 政 治 勢 力 として 成 長 して いたと 見 られる 現 存 最 古 の 朝 鮮 の 歴 史 書 三 国 史 記 によれば 高 句 麗 の 建 国 は 紀 元 前 3 7 年 と 記 されている 一 方 の 楽 浪 郡 は 二 十 五 県 を 抱 える 巨 大 郡 となり 400 年 間 朝 鮮 半 島 に おける 中 国 政 治 の 前 線 基 地 として 機 能 することになる 7

8 (3) 高 句 麗 おうりょく こう 紀 元 前 75 年 に 玄 菟 郡 が 鴨 緑 江 中 流 地 域 から 撤 退 すると 鴨 緑 江 の こん こう そつほん 支 流 である 渾 江 の 流 域 の 卒 本 ( 現 はく 在 の 中 国 遼 寧 省 桓 仁 ) の 地 に 貊 族 の 高 句 麗 が 誕 生 する 朝 鮮 の 歴 史 書 三 国 史 記 によれば 紀 元 前 37 年 の 出 来 事 として 伝 えられている しゅもう すうむ 始 祖 は 朱 蒙 ( 鄒 牟 )といい 同 じ 貊 ぷ よ 族 の 夫 餘 の 王 族 の 出 身 であると 記 録 されている 高 句 麗 はいくつかの ぬ 部 族 から 成 っていたが それらは 奴 ゆうらく と 呼 ばれる 邑 落 共 同 体 ( 有 力 な 五 しょう ぬ つを 五 族 といい 涓 奴 じゅん 順 ぬ 奴 部 ぶ かん 灌 ぬ 奴 部 ぶ けい 桂 ぶ ぜつ ぬ ぶ 部 絶 奴 部 ろ ぶ 婁 部 の 五 つが あった) を 中 心 とした 部 族 連 合 国 家 であった おうもう 中 国 では 紀 元 8 年 に 外 戚 の 王 莽 が 帝 位 を 奪 い 前 漢 を 倒 して 新 という 王 朝 を 建 国 した し かし 王 莽 は 周 の 政 治 を 理 想 とした 極 端 な 復 古 主 義 政 策 を 展 開 したので 社 会 の 実 情 に 合 わ ず 農 民 や 豪 族 の 反 乱 が 相 次 ぎ わずか15 年 で 滅 亡 した 新 の 滅 亡 後 やがて 漢 の 一 族 で ある 劉 秀 が 漢 ( 後 漢 )を 復 興 すると 対 外 政 策 に 変 更 が 見 られた 前 漢 から 新 にかけての 武 力 制 圧 に 代 わって 懐 柔 政 策 へと 転 換 する 楽 浪 郡 の 組 織 も 在 地 の 豪 族 を 主 体 とし 実 質 的 な 中 国 の 郡 県 支 配 は 遼 東 郡 に 移 動 した このような 後 漢 の 政 策 のおかげで 一 世 紀 の 間 は 後 漢 と 東 方 諸 民 族 の 間 の 対 立 は 少 なかった しかし 二 世 紀 になると 高 句 麗 夫 餘 の 両 国 は 遼 東 平 原 獲 得 を 狙 って 遼 東 郡 と 再 び 対 立 する 高 句 麗 が 鴨 緑 江 流 域 の 山 間 部 から 農 耕 に 適 した 遼 しょう 東 郡 への 進 出 を 目 指 すなら 夫 餘 も 北 方 の 松 か 花 8 こう 江 流 域 の 寒 冷 地 から 温 暖 な 遼 河 流 域 への 進 出 を 目 論 んでいた 両 者 は 同 じ 土 地 を 目 指 して 領 土 を 拡 大 しようとしていたために 共 同 して 遼 東 郡 と 戦 うことができなかった そこで 遼 東 郡 と 高 句 麗 と 夫 餘 の 三 者 による 遼 東 平 原 争 奪 戦 が 繰 り 広 げられることになる こうきん ご と べい どう 後 漢 は184 年 に 勃 発 した 農 民 の 反 乱 の 黄 巾 の 乱 をはじめ 五 斗 米 道 といった 道 教 的 教 義 に 支 えられた 民 衆 の 反 乱 などが 相 次 ぎ 分 裂 状 態 に 陥 る そしてこれに 乗 じて 地 方 の 豪 族 も 中 央 政 府 に 対 して 反 旗 を 翻 す 者 も 多 くなった 遼 東 郡 の 支 配 も 例 外 ではなかった この 頃 玄 菟 郡 こうそんたく う がん 役 人 から 出 世 し 遼 東 太 守 になった 者 に 公 孫 度 がいる 彼 は 西 は 烏 丸 を 討 ち 東 は 高 句 麗 を

9 こう 攻 めたて 190 年 には 国 家 体 制 を 整 え 中 央 政 府 から 自 立 した 公 孫 氏 の 政 権 は 度 から 康 きょう えん 恭 淵 へと 受 け 継 がれていく 204 年 公 孫 康 の 時 代 になると 朝 鮮 半 島 南 方 の 諸 族 を 統 制 す るために 楽 浪 郡 の 南 部 を 割 いて 帯 方 郡 を 設 置 した は く こ こう ばつ き い い も 高 句 麗 では 197 年 に8 代 目 の 新 大 王 ( 伯 固 )が 薨 ずると 皇 子 の 抜 奇 と 伊 夷 模 の 間 で 皇 位 継 承 をめぐり 争 いが 起 こった この 当 時 高 句 麗 の 王 位 継 承 は 部 族 会 で 決 定 していた 王 位 継 承 の 選 挙 権 を 持 つ 有 力 五 部 族 が 王 位 継 承 の 資 格 者 を 擁 立 し 支 援 部 族 の 多 い 者 が 王 位 に 就 しょう ぬ ぶ いた この 時 兄 の 抜 奇 を 支 持 する 部 族 は 涓 奴 部 のみで 他 の 四 部 族 は 弟 の 伊 夷 模 を 支 持 し た そこで 抜 奇 は 遼 東 郡 の 公 孫 康 に 救 援 を 求 めて 逃 げる 伊 夷 模 は 支 持 勢 力 に 推 されて 現 在 の 中 国 吉 林 省 集 安 に 新 国 を 建 国 する やがてこの 新 国 が 高 句 麗 を 名 乗 るようになる 220 年 に 後 漢 が 魏 によって 滅 ぼされると 中 国 は 北 の 魏 南 の 呉 西 の 蜀 の 三 国 時 代 を 迎 え とうせんおう る 呉 の 孫 権 ( 大 帝 )は 遼 東 郡 太 守 の 公 孫 淵 や 高 句 麗 の 東 川 王 と 結 び 東 方 から 魏 を 牽 制 しよ そうえい かんきゅうけん ゆうしゅう し し うとすると 237 年 魏 の 曹 叡 ( 明 帝 )は 毌 丘 倹 を 幽 州 刺 史 に 任 じ 遼 東 郡 討 伐 を 命 じるが 失 敗 かんきゅうけん し ば い する 翌 238 年 曹 叡 は 毌 丘 倹 に 加 え 司 馬 懿 も 派 遣 し 公 孫 淵 を 討 ち 滅 ぼした このとき 魏 は 公 孫 淵 を 南 方 からも 討 つために 長 らく 放 置 していた 楽 浪 郡 帯 方 郡 の 二 郡 を 支 配 下 に 入 れた これによって 魏 は 朝 鮮 南 部 の 韓 族 や 日 本 の 邪 馬 台 国 と 積 極 的 に 交 易 できるようになると 同 時 に 東 方 諸 民 族 との 連 携 によって 呉 国 を 側 面 からにらむことが 可 能 になったのである 高 句 麗 は 238 年 の 魏 の 公 孫 淵 討 伐 の 際 には 援 軍 を 出 したが 魏 と 直 接 接 することになった ため その 後 しばしば 魏 の 領 内 に 侵 入 し 魏 を 刺 激 した そのため244 年 魏 は 幽 州 刺 史 毌 丘 がん とじょう 倹 を 派 遣 し 高 句 麗 を 攻 撃 した 高 句 麗 の 王 都 丸 都 城 は 陥 落 し 王 の 東 川 王 は 妻 子 を 連 れて 脱 出 する 戦 いは 三 年 にも 及 び 高 句 麗 は 滅 亡 の 危 機 に 瀕 するが この 試 練 をしのぎ その 後 再 興 する 9

10 (4) 馬 韓 辰 韓 弁 韓 朝 鮮 半 島 の 北 部 で 高 句 麗 が 統 一 国 家 を 築 いていた 頃 半 島 の 南 部 にはまだ 統 一 国 家 は 誕 生 しておらず 韓 族 による 地 域 別 の 小 国 家 群 が 存 在 するにすぎなかった 魏 が 楽 浪 郡 帯 方 郡 を 修 復 して 高 句 麗 や 扶 餘 を 攻 略 するなど 東 方 政 策 を 展 開 していく 過 程 で 東 方 の 諸 種 族 に 関 する 情 報 が 収 集 されていった これらの 諸 種 族 の 情 報 は 晋 の 陳 寿 によって 三 国 志 の 魏 書 の 中 に 遺 されている それによると 韓 は 帯 方 郡 の 南 にあり 東 西 は 海 で 南 側 は 倭 と 接 しており 広 さは 四 方 四 千 里 の 広 さを 持 ち 種 族 には 馬 韓 辰 韓 弁 韓 の 三 つがあ る と 記 されている さらに 馬 韓 については 馬 韓 は 半 島 の 西 にあり その 民 は 定 住 しており ゆうらく しん ち 穀 物 を 植 え 養 蚕 の 技 術 があり 綿 や 布 を 作 る 各 邑 落 には 長 がおり 大 きな 邑 落 の 長 は 臣 智 ゆうしゃく 小 さな 邑 落 の 長 は 邑 借 といった 城 郭 はなく 海 山 に 散 在 して 暮 らしている 国 は 全 部 で 五 十 余 国 がある そのうち 大 国 には 一 万 余 戸 小 国 には 数 千 戸 総 計 十 余 万 戸 あった とあ る 辰 韓 については 辰 韓 は 馬 韓 の 東 方 にある その 地 の 古 老 達 が 代 々 言 い 伝 えるところ いにしえ では 自 分 らは 古 の 逃 亡 者 の 子 孫 で 秦 の 労 役 を 逃 れて 韓 の 国 に 辿 り 着 き 馬 韓 がその 東 部 の 土 地 を 割 いて 与 えてくれたのだ と 居 住 地 の 周 囲 には 城 壁 や 柵 がある 彼 らの 言 葉 は こく ほう きゅう こ そく こう こうしゅ こうしょう 馬 韓 と 異 なり 国 を 邦 といい 弓 を 弧 といい 賊 のことを 寇 といい 行 酒 ( 酒 の 回 し 飲 み)を 行 觴 と といい 互 いに 徒 と 呼 び 合 うなど 秦 人 の 言 葉 と 似 たところがある ただ 単 に 近 くの 燕 や 斉 の 言 あざん 葉 が 伝 わったという 感 じではない 彼 らは 楽 浪 郡 の 人 のことを 阿 残 と 呼 ぶ 東 方 の 人 々は 自 分 あ 達 のことを 阿 と 呼 ぶが 楽 浪 の 人 々はもともと 自 分 達 の 残 余 なので 阿 残 と 呼 ぶのだという 今 で も 彼 らの 国 のことを 秦 韓 と 呼 ぶ 者 がいる 元 来 六 か 国 であったが 徐 々に 分 かれて 十 二 国 にな った とある そして 弁 辰 ( 弁 韓 )については 弁 辰 も 十 二 国 からなり さらにいくつかの 地 方 しん ち けんそく はんわい 的 な 小 さな 村 があって それぞれに 統 率 者 がいて 有 力 者 は 上 から 順 に 臣 智 險 側 樊 濊 さっけい ゆうしゃく 殺 奚 邑 借 と 呼 ばれる 辰 韓 と 弁 韓 は 雑 居 していて 合 わせて 二 十 四 の 小 国 家 が 存 在 して おり そのうち 大 きいものには 四 千 ~ 五 千 戸 小 さいものには 六 百 ~ 七 百 戸 総 計 四 万 ~ 五 万 戸 あった とある このように およそ3 世 紀 の 朝 鮮 半 島 の 南 には 韓 族 の 国 々が 馬 韓 辰 韓 弁 韓 合 わせて 八 十 近 い 小 国 家 が 存 在 していたと 考 えられる 10

11 (5) 楽 浪 郡 の 滅 亡 265 年 に 魏 が 滅 び 晋 が 成 立 すると 晋 が 楽 浪 帯 方 両 郡 の 支 配 権 を 引 き 継 ぐ 前 漢 末 頃 の 楽 浪 郡 の 規 模 はおよそ25 県 を 擁 し 63,000 戸 数 あったが この 時 楽 浪 郡 は 僅 か6 県 3700 戸 帯 方 郡 も7 県 4900 戸 にまで 減 少 していた さらに 晋 が 八 王 の 乱 などで 衰 退 して いくと 両 郡 を 支 配 する 力 はもはや 無 くなっていた そこで 高 句 麗 第 15 代 の 美 び せん 川 王 は 313 年 楽 浪 郡 を 占 拠 翌 314 年 には 帯 方 郡 を 攻 略 した これは 紀 元 前 108 年 から 続 いた 中 国 の 朝 鮮 支 配 体 制 に 終 わりを 告 げるものであった 楽 浪 郡 と 帯 方 郡 の 滅 亡 によって 高 句 麗 の 領 土 拡 張 は 容 易 になるように 思 えたが そこに 立 ぼ ちはだかったのが 五 胡 十 六 国 の 混 乱 の 中 から 台 頭 した 鮮 卑 族 の 慕 よう 容 氏 である 慕 容 氏 が31 9 年 に 遼 東 を 確 保 すると 高 句 麗 は 慕 容 氏 と 直 接 対 峙 することになった 慕 容 氏 は337 年 に 自 ぼようこう 立 して 燕 国 を 建 てると 342 年 燕 国 王 の 慕 容 皝 は 五 万 の 大 軍 でもって 高 句 麗 を 攻 撃 した 高 こ こくげん 句 麗 の 故 国 原 王 は 単 身 東 方 に 逃 亡 するが 慕 容 皝 は 容 赦 しなかった 丸 都 城 を 破 壊 した 上 宮 殿 を 焼 き 払 い 五 万 人 余 りを 掠 めとり 王 母 や 王 后 を 人 質 にしただけでなく 先 王 の 美 川 王 の 王 陵 を 暴 いてその 屍 をも 持 ち 帰 った ここに 再 び 高 句 麗 の 王 都 は 壊 滅 したのである 翌 年 故 国 原 王 は 弟 を 燕 に 入 朝 させ 謝 罪 したので 父 美 川 王 の 屍 を 返 してもらうことができたが 王 母 は 返 してもらうことはできなかった 355 年 故 国 原 王 は 人 質 と 献 上 品 を 納 付 し ようやく 王 母 の ぼ ようしゅん 帰 国 が 許 された このとき 燕 王 の 慕 容 儁 は 高 句 麗 王 を 冊 封 した 高 句 麗 の 王 が 中 国 の 王 朝 か ら 冊 封 を 受 けるのはこの 時 に 始 まる これ 以 降 朝 鮮 半 島 の 諸 国 王 が 中 国 の 王 朝 から 冊 封 を 受 けるはじめとなった この 後 燕 の 勢 力 が 弱 まり 高 句 麗 と 燕 との 衝 突 はみられなくなる しかし 美 川 王 時 代 に 始 まった 高 句 麗 の 南 進 政 策 は 半 島 南 部 の 新 興 勢 力 の 百 済 を 刺 激 す ることになった 369 年 高 句 麗 故 国 原 王 は 二 万 の 軍 隊 を 率 いて 百 済 を 攻 めるが 逆 に 百 済 しゅ の 太 子 須 に 撃 破 される その 二 年 後 の371 年 故 国 原 王 は 再 び 百 済 を 攻 撃 するために 大 同 きんしょう こ 江 を 渡 るが 百 済 の 伏 兵 に 苦 戦 する 勢 いに 乗 った 百 済 軍 は 近 肖 古 王 自 ら 三 万 の 兵 を 率 いて 高 句 麗 の 平 壌 城 を 攻 め 高 句 麗 の 故 国 原 王 は 流 れ 矢 にあたりあえなく 一 命 を 落 とす 故 国 原 しょうじゅうりん 王 の 戦 死 の 後 王 位 を 継 いだ 小 獣 林 王 は 国 力 の 充 実 に 力 を 入 れ 始 めた 仏 教 を 広 め 大 学 を 建 て 儒 教 による 教 育 を 始 め 律 令 を 頒 布 した 次 の 故 国 壌 王 も 厚 く 仏 教 を 敬 い また 宗 廟 を 建 てるなどして 礼 制 を 整 えた 次 に 王 位 を 継 承 して 即 位 したのが 18 歳 の 広 開 土 王 である こくこうじょう こうかい ど きょうへいあん こうたいおう 正 式 な 諡 号 は 国 岡 上 広 開 土 境 平 安 好 太 王 であるが 三 国 史 記 が 広 開 土 王 と 略 して 用 いたことより 一 般 には 広 開 土 王 がよく 用 いられている 日 本 ではよく 好 太 王 が 用 いられるが 好 と 太 は 王 につける 単 なる 美 称 なので 好 太 王 より 広 開 土 王 を 用 いたい 広 く 領 土 を 開 墾 したのでこの 名 がついているが 実 際 この 王 と 次 の 長 寿 王 の 治 世 に 高 句 麗 は 最 盛 期 を 迎 える 11

12 (6) 高 句 麗 広 開 土 王 の 碑 1880 年 中 国 吉 林 省 集 安 市 で 苔 や 蔓 に 覆 われた 石 碑 が 発 見 された それは 広 開 土 王 の 没 後 西 暦 414 年 に 息 子 の 長 寿 王 によって 建 立 された 広 開 土 王 碑 であった 高 さ 約 6.3 m 幅 約 1.4m~1.9m 重 さ 約 37 トンの 凝 塊 角 礫 岩 の 角 柱 状 の 石 碑 である 四 面 を 通 じて44 行 1 行 当 り 原 則 41 文 字 文 字 の 大 きさは 不 揃 いであるが およそ12cm 平 方 ~14cm 平 方 で 総 数 1775 字 が 刻 まれている 碑 文 は 全 三 段 から 構 成 されている 第 一 段 はいわば 序 論 で 第 一 面 の 途 中 まであり 高 句 麗 の 始 祖 鄒 牟 王 伝 承 と 建 碑 の 目 的 について 書 かれている 第 二 段 は 本 論 前 編 にあたり 第 三 面 の 途 中 まで 続 き 広 開 土 王 の 武 勲 を 年 代 記 的 に 記 してある 第 三 段 は 本 論 後 編 で 広 開 土 王 陵 の 守 墓 人 烟 戸 三 三 〇 戸 の 構 成 とその 由 来 について 記 してある 第 一 段 の 始 祖 鄒 牟 王 伝 承 は 次 のように 述 べられている 碑 文 第 一 段 ( 冒 頭 部 分 ) 惟 昔 始 祖 鄒 牟 王 之 創 基 也 出 自 北 夫 餘 天 帝 之 子 母 河 伯 女 郎 剖 卵 降 世 生 而 有 聖 命 駕 巡 幸 南 下 路 由 夫 餘 奄 利 大 水 王 臨 津 言 曰 我 是 皇 天 之 子 母 河 伯 女 郎 鄒 牟 王 爲 我 連 葭 浮 龜 應 聲 即 爲 連 葭 浮 龜 然 後 造 渡 於 沸 流 谷 忽 本 西 城 山 上 而 建 都 焉 不 樂 世 位 天 遣 黄 龍 来 下 迎 王 王 於 忽 本 東 罡 履 龍 首 昇 天 顧 命 世 子 儒 留 王 以 道 興 治 大 朱 留 王 紹 承 基 業 遝 至 十 七 世 孫 國 罡 上 廣 開 土 境 平 安 好 太 王 注 ) 赤 字 は 字 画 の 一 部 が 合 致 する 碑 字 は 釈 文 できない 碑 字 書 き 下 し 文 こ すうむ ふ よ よ い か はく さ 惟 れ 昔 始 祖 鄒 牟 王 の 創 基 せるなり 北 夫 餘 自 り 出 ず 天 帝 の 子 母 は 河 伯 の 女 郎 なり 卵 を 剖 きて 世 に 降 えん り だいすい り 生 まれながらにして 聖 有 り 駕 を 命 じ 巡 幸 して 南 下 し 路 は 夫 餘 の 奄 利 大 水 に 由 る 王 こ あし 津 に 臨 みて 言 ひて 曰 はく 我 は 是 れ 皇 天 の 子 母 は 河 伯 の 女 郎 鄒 牟 王 なり 我 が 為 に 葭 を 連 ね 龜 を 浮 こえ ぞうと ふつりゅうこく こつほん ばしめよ と 聲 に 應 じ 即 ち 為 に 葭 を 連 ね 龜 を 浮 かべ 然 る 後 に 造 渡 せしむ 沸 流 谷 の 忽 本 の 西 に 於 て 山 上 に 城 きて 都 を 建 つ 世 位 を 樂 まず 天 黄 龍 を 遣 わし 来 り 下 りて 王 を 迎 へしむ 王 忽 本 の 東 罡 に 於 い て 龍 首 を 履 みて 天 に 昇 る 世 子 の 儒 留 王 に 顧 命 し 道 を 以 て 興 治 せしむ 大 朱 留 王 基 業 を 紹 承 し 十 七 世 孫 の 國 罡 上 廣 開 土 境 平 安 好 太 王 に 至 るに 遝 ぶ 和 訳 その 昔 始 祖 鄒 牟 王 が 高 句 麗 を 建 国 された 出 自 は 北 扶 餘 であり ( 王 は) 北 扶 餘 の 天 帝 の 子 で 母 は 河 の 神 の 娘 である ( 王 は) 卵 から 誕 生 され 天 からこの 世 に 降 臨 された 生 来 聖 を 備 えられていた を 命 じ ( 王 は 扶 餘 を 出 て) 南 へ 進 まれた 進 路 は 扶 餘 の 奄 利 大 水 に 従 った 王 は 津 を 眼 前 にして 言 われ た 我 こそは 扶 餘 の 天 帝 の 子 で 母 は 河 の 神 の 娘 の 鄒 牟 王 である 我 の 為 に 葦 を 連 ね 亀 を 浮 かべて( 渡 ら せよ ) すると その 声 に 応 えて 葦 が 浮 き 出 て 亀 が 現 れて 鄒 牟 王 を 渡 らせた ( 王 は) 沸 流 谷 の 忽 本 の 西 側 の 山 頂 に 都 を 造 られた (しかし やがて 王 は)この 世 の 王 位 を 楽 しめなくなった そこで 天 は 黄 龍 を 下 して 王 を 迎 えさせた 王 は 忽 本 の 東 の 岡 から 龍 に 乗 り 龍 の 首 に 跨 って 天 上 に 昇 られた ( 王 は) 王 位 を 継 ぐ 世 子 の 儒 留 王 に 命 じ 道 に 従 って 政 を 盛 んに 行 なわせた ( 次 の) 大 朱 留 王 がこれを 受 け 継 ぎ 十 七 世 孫 に 当 たる 国 岡 上 広 開 土 境 平 安 好 太 王 に 至 ったのである 12

13 第 二 段 は 広 開 土 王 が 領 土 を 拡 大 した 業 績 を 記 した 部 分 であるが 倭 との 戦 闘 記 事 があるた めに これまで 度 々 話 題 になっている 特 に 諸 説 が 飛 び 交 っているのが 辛 卯 年 条 の 箇 所 である 百 殘 新 羅 舊 是 屬 民 由 来 朝 貢 の 箇 所 については 大 方 意 見 は 一 致 しており 普 通 百 済 と 新 羅 は 元 来 高 句 麗 の 属 民 であって 以 前 から 朝 貢 してきた と 訳 される 問 題 はその 後 である 印 は 風 化 のため 判 読 出 来 ない 文 字 である 海 も 風 化 が 進 んでいるが こちらは 海 と 読 めるという 人 と 読 めないという 人 とに 分 かれる 百 殘 というのは 百 済 のことで 高 句 麗 の 百 済 に 対 する 蔑 称 である そして この 百 済 の 後 の 二 つの に 入 れる 碑 字 として 加 羅 倭 寇 連 侵 招 倭 など 様 々な 説 がある 碑 文 第 二 段 ( 冒 頭 部 分 ) 永 樂 五 年 歳 在 乙 未 王 以 稗 麗 不 人 躬 率 往 討 過 富 山 負 山 至 鹽 水 上 破 其 三 部 落 六 七 百 営 牛 馬 羣 羊 不 可 稱 數 於 是 旋 駕 因 過 襄 平 道 東 来 城 力 城 北 豊 五 備 海 遊 觀 土 境 田 猟 而 還 百 殘 新 羅 舊 是 屬 民 由 来 朝 貢 而 倭 以 辛 卯 年 来 渡 海 破 百 殘 新 羅 以 爲 臣 民 以 六 年 丙 申 王 躬 率 軍 討 伐 殘 國 注 ) 赤 字 は 字 画 の 一 部 が 合 致 する 碑 字 は 釈 文 できない 碑 字 書 き 下 し 文 永 楽 五 年 歳 は 乙 未 に 在 り 王 碑 麗 の 人 を せざりしを 以 て 躬 ら 率 ゐて 往 討 す 富 山 負 山 を 過 ぎ 鹽 水 の 上 に 至 り 其 の 三 部 落 六 七 百 営 を 破 る 牛 馬 羣 羊 は 稱 げて 數 ふべからず 是 に 於 て 駕 を 旋 し 因 り て 襄 平 を 過 ぎ 東 来 城 力 城 北 豊 五 備 海 を 道 土 境 を 遊 觀 し 田 猟 して 還 る 百 済 新 羅 は 舊 是 れ 属 民 にして 由 来 朝 貢 せり 而 るに 倭 辛 卯 の 年 より 以 来 海 を 渡 りて 百 済 を 破 り 新 羅 を し 以 て 臣 民 を 為 せ り 以 て 六 年 丙 申 王 躬 ら 軍 を 率 ゐ 残 国 を 討 伐 す 和 訳 永 楽 五 年 (395 年 ) 乙 未 の 年 王 は 稗 麗 が 人 を しなかったので 自 ら 軍 を 指 揮 して 親 征 して 討 伐 した 富 山 負 山 を 過 ぎ 塩 水 流 域 に 達 し そこにある 三 つの 部 落 の 六 七 百 の 営 ( 包 のようなもの)を 打 ち 破 った 捕 獲 した 牛 馬 や 羊 は 多 すぎて 数 えきれない ( 王 は)そこで 隊 の 方 向 を 転 じ 襄 平 を 過 ぎ 東 来 城 力 城 北 豊 や 五 つの 備 ( 要 害 )の 海 を 経 て 領 土 を 遊 観 し 狩 猟 しながら 帰 還 した 百 済 と 新 羅 は 元 来 高 句 麗 王 の 属 民 であって 以 前 から( 高 句 麗 王 に) 朝 貢 していたのである ところが 倭 が 辛 卯 年 (391 年 )よりこの 方 海 を 渡 っ て 百 済 を 破 り 新 羅 を して 臣 民 にしてしまった よって 永 楽 六 年 (396 年 ) 丙 申 の 年 王 は 自 ら 軍 を 率 い 親 征 して 百 済 国 を 討 伐 した 第 二 段 は 広 開 土 王 が 領 土 を 拡 大 した 業 績 が 記 されてはいるが 広 開 土 王 の 武 勲 をたたえる ことを 目 的 としたものではない 第 三 段 に 記 されている 守 墓 人 の3 分 の2が この 第 二 段 に 出 て くる 王 の 討 伐 地 域 から 徴 発 されるのである つまり 第 二 段 は 第 三 段 で 現 れる 守 墓 人 の 徴 発 地 域 の 由 来 として 書 かれたのである 結 局 この 広 開 土 王 碑 の 建 立 の 目 的 は 第 三 段 の 守 墓 役 制 度 に 関 する 法 令 の 布 告 にあると 言 われている 13

14 さて 第 二 段 に 述 べられている 広 開 土 王 の 武 勲 をここに 整 理 すると 次 のようになる 西 暦 391 倭 が 百 済 新 羅 に 侵 攻 した 395 王 躬 率 して 契 丹 族 の 稗 麗 ( 沃 沮 地 方 )を 討 伐 した 396 王 躬 率 して 百 済 を 討 伐 した 398 王 教 遣 して 粛 慎 族 を 討 伐 した 399 百 済 が 高 句 麗 との 約 束 を 破 り 倭 と 同 盟 を 結 び 倭 が 新 羅 の 国 境 まで 攻 めた 400 王 教 遣 して 五 万 の 大 軍 を 新 羅 に 送 り 新 羅 を 救 援 し 倭 人 と 安 羅 人 を 撃 退 した 404 倭 の 水 軍 が 帯 方 郡 ( 現 在 の 黄 海 道 地 方 )まで 侵 入 したので 王 躬 率 して 倭 を 討 伐 した 407 王 教 遣 して 五 万 の 大 軍 を に 送 り 多 くの 戦 利 品 を 得 た 410 王 躬 率 して 東 扶 餘 を 討 伐 した しゅくしん このように 広 開 土 王 は 北 方 の 粛 慎 東 扶 餘 と 南 方 の 百 済 倭 などを 討 って 朝 鮮 半 島 と 中 国 の 東 北 三 省 をほぼ 隷 属 させたということになる 碑 文 には 書 かれていないが 高 句 麗 は 遼 東 平 原 をも 征 服 していた 広 開 土 王 は 治 世 二 十 二 年 間 で これだけの 領 土 を 獲 得 したのである ところで 王 の 武 勲 の 記 事 の 書 き 方 には 二 つのタイプが 見 てとれる 一 つは 王 躬 率 タイプ ( 王 自 らが 軍 を 率 いて 出 征 するタイプ)であり もう 一 つは 教 遣 タイプ( 軍 隊 だけを 派 遣 するタイプ)である そして 王 躬 率 タイプの 場 合 には その 記 述 の 前 に 王 自 ら 出 征 するに 至 った 理 由 或 いは 王 の 親 征 によって 困 難 な 事 態 が 打 開 される 状 況 が 前 置 きされている 例 の 辛 卯 年 条 の 箇 所 も 王 躬 率 タイプで 書 かれている つまり 高 句 麗 の 属 民 であった 百 済 が 高 句 麗 との 約 束 を 破 り 倭 と 同 盟 を 結 び さらに 倭 が 新 羅 の 国 境 まで 攻 めるという 非 常 事 態 において 王 自 ら 親 征 して 倭 を 成 敗 するという 偉 業 を 成 し 遂 げた という 構 成 になっている 敵 ( 倭 )が 強 力 なほ ど 広 開 土 王 の 偉 業 ぶりを 知 らしめることができるということであろう 第 三 段 では 広 開 土 王 陵 の 守 墓 人 330 戸 と 守 墓 人 の 売 買 禁 止 やその 罰 則 について 記 載 さ れている 第 二 段 がよく 注 目 されてきているが 実 は 建 碑 の 目 的 は 第 三 段 の 守 墓 役 制 度 に 関 する 法 令 の 布 告 にあると 言 われている 第 二 段 に 王 の 武 勲 が 書 かれている 理 由 は 王 が 韓 濊 から 六 四 城 を 奪 取 したことを 述 べるためのものである 守 墓 人 330 戸 の 内 220 戸 が 王 の 遺 言 により この 征 服 地 の 中 から 徴 発 されているからである この 頃 の 高 句 麗 では 王 の 権 力 が 強 くなりつつあるが 依 然 として 五 族 によって 政 治 は 動 いていた それまで 高 句 麗 王 陵 の 烟 戸 は 高 句 麗 本 来 の 五 族 を 中 心 とする 住 民 が 担 っていた 王 の 親 征 とその 被 支 配 地 域 の 住 民 を 烟 戸 にしたことを 記 した 石 碑 は 王 制 成 立 の 期 待 を 込 めたシンボルだったのではないか 14

15 (7) 百 済 はくさい 百 済 は 馬 韓 の 伯 済 国 が 周 囲 の 小 国 を 統 合 して 成 長 した 国 と 考 えられている 伯 済 国 という のは 現 在 のソウルを 流 れる 漢 江 より 南 側 一 帯 にあった 王 都 は 慰 い れい 礼 城 ( 現 在 の 京 畿 道 河 南 市 ) に 置 かれた 伯 済 国 から 百 済 への 成 長 過 程 を 記 した 史 料 はないが 四 世 紀 中 頃 までには 百 きんしょう こ 済 は 国 家 として 出 来 上 がっていたと 考 えられる 百 済 の 興 起 は 四 世 紀 中 頃 の 近 肖 古 王 ( 在 位 きんきゅうしゅ 346~375)とその 次 の 近 仇 首 王 ( 在 位 375~384)の 治 世 である 北 の 強 国 高 句 麗 に 対 して 百 済 は 連 携 してくれる 勢 力 を 求 めなければならなかった そこで 百 済 は 南 へ 進 み 安 羅 卓 淳 金 官 などの 東 南 沿 岸 部 の 加 耶 諸 国 と 親 交 を 結 び さらにそれらの 国 を 介 して 倭 とも 友 好 関 係 を 築 いたと 考 えられる このときの 倭 と 百 済 の 友 好 関 係 の 証 の 品 ではないかと 言 われているのが いそのかみじんぐう 奈 良 県 天 理 市 の 石 上 神 宮 に 伝 来 する しち し とう 七 支 刀 である 長 さ 約 75cmの 鉄 製 の 両 刃 剣 で 剣 身 から 左 右 に 互 い 違 いに 枝 刃 が6つ 出 て 中 心 の1つと 合 わせて 計 7つの 枝 になる 刀 身 の 表 側 きん ぞうがん に34 字 裏 側 に27 字 の 金 象 嵌 の 文 字 が 見 られるが 判 読 不 能 な 文 字 が 幾 つかあって 学 者 によって 解 釈 の 仕 方 に 諸 説 がある ところで 日 本 書 紀 の 神 功 皇 后 五 十 二 年 九 月 条 に くてい 久 氐 等 千 熊 長 彦 に 従 いて 詣 り 即 ななつさやのたち ち 七 ななつこのかがみ 枝 刀 一 口 七 子 鏡 一 面 及 び 種 々の 重 宝 を 献 る という 記 載 がある 石 上 神 宮 に 伝 来 する 七 支 刀 は その 銘 文 から 推 して 日 本 書 紀 の 中 に 出 て くる 七 枝 刀 であると 考 えられてい る 日 本 書 紀 の 神 宮 皇 后 五 十 二 年 は 西 暦 372 年 相 当 の 可 能 性 が あり 七 支 刀 の 泰 和 四 年 は 西 暦 3 69 年 に 相 当 する 年 代 的 には 同 時 代 である 写 真 提 供 : 石 上 神 宮 15

16 七 支 刀 金 象 嵌 字 表 側 秦 四 年 月 十 六 日 丙 午 正 陽 造 百 練 釦 七 支 刀 辟 百 兵 供 供 候 王 作 裏 側 先 世 以 来 未 有 此 刀 百 済 世 奇 生 聖 音 故 為 倭 王 旨 造 世 注 ) 赤 字 は 判 読 しづらく 諸 解 釈 のある 字 は 釈 文 できない 碑 字 和 訳 秦 和 四 年 六 月 十 一 日 丙 午 の 日 の 正 陽 鍛 錬 した 鉄 でこの 七 支 刀 を 造 りました 敵 兵 を 悉 く 打 ち 破 る 霊 刀 を 侯 王 に 贈 ります 作 百 済 王 と 世 子 の 奇 生 聖 音 ( 後 の 貴 須 王 )は 倭 王 のために 昔 から 見 たことのないこの 刀 を 造 りました 願 はくば 後 世 まで 伝 えられんことを しゅ きんきゅうしゅ 前 述 (p.11)したように 七 支 刀 が 製 造 された369 年 百 済 の 太 子 須 ( 後 の 近 仇 首 ) は 攻 めてきた 高 句 麗 故 国 原 王 を 撃 破 する さらに 二 年 後 の371 年 太 子 は 父 の 近 肖 古 王 と 共 に 高 16 きんしょう こ 句 麗 の 平 壌 城 を 攻 めて 高 句 麗 故 国 原 王 を 討 った 七 支 刀 はまさにこうした 時 期 の 贈 物 である 従 来 は 百 済 王 世 子 より 倭 王 に 献 上 された とする 説 が 通 説 であったが 最 近 は 百 済 が 倭 と 友 好 的 な 軍 事 同 盟 を 結 んだ 記 念 として 百 済 王 世 子 より 倭 王 に 上 るのが 有 力 となっている 下 関 係 なく 贈 られた とす 百 済 という 国 名 が 初 めて 中 国 の 文 献 に 登 場 するのは 唐 の 時 代 に 書 かれた 晋 書 の 中 である その 帝 紀 咸 安 二 年 (372 年 ) 正 月 の 条 で 百 済 が 東 晋 に 朝 貢 している 記 述 がある そ して 同 年 六 月 には 東 晋 は 使 者 を 送 り 百 済 王 余 句 ( 近 肖 古 王 )に 鎮 東 将 軍 領 楽 浪 太 守 の 号 を 授 けている いわゆる 冊 封 である 近 肖 古 王 が 東 晋 から 冊 封 を 受 けられたのには 369 年 ~3 71 年 にかけての 高 句 麗 との 戦 いに 勝 ったことが 大 きい 近 肖 古 王 はこの 名 声 を 携 えて 東 晋 に 冊 封 を 要 請 したのであろう そして 近 肖 古 王 は 東 晋 から 冊 封 を 受 け 強 国 高 句 麗 を 破 った 国 と して 東 アジアの 国 際 社 会 に 登 場 することができたのである 内 政 面 では 371 年 漢 山 に 王 都 を 築 いている 最 初 の 王 都 慰 い れい 礼 城 からわずか 約 6.5kmし か 離 れていないので 遷 都 というよりは 新 興 国 の 王 都 に 相 応 しく 最 初 の 慰 礼 城 を 拡 張 整 備 きんしょう こ したと 考 えられる また 近 肖 古 王 ( 在 位 346~375)の 代 に 博 士 高 興 によって 文 字 がもたら され 記 録 を 残 すことができるようになった 文 字 の 使 用 によって 文 化 の 発 展 が 加 速 したことは もちろんのこと 外 交 上 極 めて 大 きな 出 来 事 であったと 言 える さらに 384 年 には 東 晋 か マーラーナンダ ら 西 域 の 僧 侶 摩 羅 難 陀 によって 仏 教 が 伝 えられ 王 室 で 信 奉 されるようになった これが 百 済 仏 教 のはじめと 言 われている 新 興 国 の 百 済 にとって 北 の 高 句 麗 の 存 在 は 脅 威 であった 百 済 と 高 句 麗 の 間 では 幾 度 となく 戦 闘 が 続 いていたが 391 年 に 高 句 麗 に 広 開 土 王 が 即 位 すると 百 済 は 存 亡 の 危 機 に 面 する 広 開 土 王 碑 によると 396 年 広 開 土 王 自 ら 大 軍 を 率 い 百 済 の 漢 山 城 を 攻 め てきた 百 済 は58の 城 700の 村 を 奪 われ 王 弟 と 大 臣 10 人 が 連 行 された 百 済 の 阿 ( 在 位 392~405)は 高 句 麗 に 降 伏 し 服 属 を 誓 わされたという しかし 百 済 もすぐに 対 策 を あ しん 華 王

17 てん し 講 じた 397 年 阿 華 王 は 倭 に 太 子 の 腆 支 を 人 質 として 送 り 倭 との 軍 事 同 盟 を 強 化 した こ れを 受 けて 広 開 土 王 碑 に 見 られるように 404 年 倭 の 水 軍 が 百 済 を 支 援 するために 帯 方 郡 ( 現 在 の 黄 海 道 地 方 )まで 侵 入 したのであろう 5 世 紀 の 中 国 は 南 北 朝 時 代 で 北 朝 ( 北 魏 )と 南 朝 ( 宋 や 斉 )が 対 立 する 時 代 である 高 句 麗 はこの 対 立 を 上 手 く 利 用 し 両 朝 に 使 者 を 送 り 両 朝 から 冊 封 を 受 けていた これに 対 して 百 済 は 南 朝 のみに 使 者 を 送 り 冊 封 を 受 けていた 427 年 に 高 句 麗 が 王 都 を 南 の 平 壌 に 遷 都 し 本 格 的 な 南 進 政 策 に 乗 り 出 すと 百 済 は 今 までにない 危 機 感 を 抱 くことになる そこで 百 済 は 高 句 麗 の 従 属 から 抜 け 出 そうとする 新 羅 と 同 盟 を 結 ぶ そして 中 国 の 南 朝 に 使 節 を 送 り がい ろ おう 高 句 麗 に 対 抗 した 472 年 百 済 の 蓋 鹵 王 は 高 句 麗 の 悪 逆 無 道 な 振 る 舞 いを 訴 え その 討 伐 を 請 うたが それまで 百 済 が 北 魏 に 朝 貢 しなかったことを 理 由 に 退 けられた 果 たして 三 年 後 の475 年 高 句 麗 は 長 寿 王 自 ら 三 万 の 兵 を 率 いて 百 済 の 王 都 漢 山 城 を 攻 撃 する 城 は 七 日 七 夜 の 間 耐 え 抜 くが ついに 蓋 鹵 王 は 捕 らえられ 殺 される このようにして 百 済 はここで 一 旦 滅 びるが 後 に 南 に 落 ち 延 びた 太 子 の 文 周 が 百 済 を 再 興 することになる きんこう ゆうしん 漢 山 城 陥 落 から 僅 か 一 か 月 後 南 に 落 ち 延 びた 文 周 は 錦 江 上 流 の 熊 津 城 で 即 位 し 百 済 を 再 興 するが 漢 山 城 での 基 盤 を 失 い 一 からの 出 発 だったので 文 周 王 ( 在 位 475~47 さんきんおう 7) 三 斤 王 ( 在 位 477~479)の 治 世 は 貴 族 の 勢 力 争 いが 度 々 起 こり 政 局 が 安 定 しなかっ とうじょうおう た 東 城 王 ( 在 位 479~501)が 即 位 して ようやく 政 局 が 安 定 し 王 権 を 強 化 し 官 僚 制 国 家 へと 歩 み 始 めたと 言 える 東 城 王 は 国 内 基 盤 を 整 えながら 外 交 においても 積 極 的 な 政 策 をと っていく 490 年 と495 年 には 南 斉 に 対 して 現 在 の 全 羅 道 地 域 の 領 有 権 の 承 認 を 得 る 請 求 をしている また493 年 には 新 羅 と 婚 姻 関 係 を 結 び 連 携 して 高 句 麗 に 対 抗 した しかし ぺく か 王 権 伸 長 策 を 急 ぎ 過 ぎたため 新 興 貴 族 の 苩 加 に 殺 される ぶ ねいおう 東 城 王 の 皇 子 斯 摩 が501 年 に 即 位 して 武 寧 王 になると 朝 鮮 半 島 南 部 への 領 土 獲 得 はさ らに 加 速 した 512 年 頃 には 現 在 の 全 羅 南 北 道 から 慶 尚 南 道 にかけての 地 域 を 統 治 下 に 入 れたと 思 われる 中 国 に 対 しては 南 朝 の 梁 に 512 年 と521 年 の 二 度 に 渡 り 朝 貢 をしている が 二 度 目 の521 年 の 際 には 新 羅 の 使 者 をも 伴 っており 百 済 の 使 者 は 梁 に 対 し 新 羅 も 加 耶 諸 国 も 百 済 の 従 属 国 であると 伝 え その 大 国 ぶりを 顕 示 した 日 本 に 対 しては 513 年 以 降 度 々 日 本 の 要 請 に 応 えて 易 経 詩 経 書 経 春 秋 礼 記 の 五 経 に 精 通 している いわゆる 五 経 博 士 を 派 遣 し 日 本 に 儒 教 をもたらすなど 文 化 の 発 展 に 貢 献 した さらに 次 の 聖 王 ( 在 位 5 めいじょう せい 23~554)の 時 には 仏 教 が 百 済 から 日 本 に 伝 えられた 聖 王 は 生 前 は 明 穠 没 後 に 聖 おう せいめいおう 王 というが 日 本 書 紀 では 聖 明 王 と 記 している そのため 日 本 では 聖 明 王 の 名 で 知 られ ている 17

18 きんこう し ひ 538 年 聖 王 は 錦 江 を25km 南 下 した 泗 沘 ( 忠 清 南 道 扶 餘 )に 遷 都 した 王 宮 の 背 後 に 山 城 を 築 き 周 囲 には 城 壁 をめぐらした 王 都 である 王 都 を 整 えた 聖 王 は 加 耶 地 域 を 支 配 下 に 入 れようとするが 上 手 くいかなかった そこで 551 年 に 新 羅 と 連 合 して 高 句 麗 を 攻 撃 し 漢 山 城 を 奪 回 するが 翌 年 新 羅 によって 掠 奪 されてしまう これに 対 して 554 年 聖 王 の 太 子 よしょう 余 昌 ( 後 の 威 徳 王 )の 軍 が 函 山 城 の 戦 いで 新 羅 軍 を 打 ち 負 かし 新 羅 国 内 にまで 進 撃 するが 逆 に 新 羅 軍 の 中 で 孤 立 してしまう 聖 王 はこれを 救 出 しようとして 伏 兵 に 殺 されてしまう 百 済 はこの 後 新 興 の 新 羅 によって660 年 に 滅 ぼされてしまう (8) 新 羅 し ろ 新 羅 は 辰 韓 の 斯 盧 国 が 周 囲 の 小 国 を 統 合 して 成 長 した 国 と 考 えられている 斯 盧 国 という のは 半 島 の 東 南 部 現 在 の 慶 尚 北 道 慶 州 市 にあった 一 然 (1206~1289)が 編 纂 した 三 国 遺 事 には 建 国 の 神 話 について 次 のように 記 されている 三 国 遺 事 大 意 あつせん ようざん とつざん こうきょ し ざん ちん き も ざん たいじゅ きんざん 辰 韓 の 地 に 昔 六 つの 村 があった 閼 川 の 楊 山 村 突 山 の 高 墟 村 觜 山 の 珍 支 村 茂 山 の 大 樹 村 金 山 の か り めいかつざん こう や 加 利 村 明 活 山 の 高 耶 村 の 六 村 である これら 六 村 の 祖 先 たちは 皆 天 から 降 りてきたようである 前 漢 の 地 節 ( 漢 の 宣 帝 の 年 号 ) 元 年 ( 紀 元 前 六 九 年 ) 三 月 六 村 の 村 長 が 閼 川 の 岸 の 畔 に 集 まって 民 を 治 める 徳 のある 君 主 を 探 そうという 相 談 をしていたところ 楊 山 の 麓 の 池 の 辺 りで 雷 光 のような 光 が 走 った すると そこに 一 頭 の 白 馬 が 跪 いて 礼 拝 するような 姿 勢 が 見 えた 六 村 の 村 長 たちがその 場 所 に 行 ってみると 一 つの 紫 色 の 卵 が 落 ちており 白 馬 は 村 長 たちが 来 ると 天 に 昇 って 行 った 卵 を 割 ってみると 中 から 男 の 子 が 出 て 来 た 驚 き ながらも 不 思 議 に 思 って その 男 の 子 を 東 泉 寺 に 連 れて 帰 り 湯 浴 みをさせると 全 身 が 光 輝 いた 鳥 や 獣 た かくきょ せい ちが 集 まってきて 天 地 が 揺 れ 動 き 月 と 日 がことさら 光 輝 いたので その 子 を 赫 居 世 ( 世 の 中 を 光 照 らすという 意 味 )と 名 付 けた 人 々は 喜 び 次 は 徳 のある 女 君 を 探 して 配 偶 を 決 めなければならないと 思 っていると 同 じ あつえいせい 日 沙 梁 里 の 閼 英 井 のそばに 鶏 竜 が 現 れて 女 の 子 を 産 んだ 容 姿 は 殊 更 美 しかったが 口 元 が 鶏 の 嘴 のよ うであった 月 城 の 北 川 に 連 れて 帰 り 湯 浴 みをさせると その 嘴 はとれた 南 山 の 西 の 麓 に 宮 殿 を 造 り 二 人 の 聖 児 を 住 まわせた 男 の 子 は 卵 から 生 まれ その 卵 が 瓢 のような 形 をしていたので (この 地 では 瓢 のことを 朴 というため) 男 の 子 の 姓 を 朴 とした 女 の 子 の 姓 は 閼 英 とした 二 人 が 十 三 歳 になると 前 漢 の 五 鳳 ( 漢 の 宣 ソ ラ ボル ソ ボル 帝 の 年 号 ) 元 年 ( 紀 元 前 五 七 年 ) 男 の 子 は 王 となり 女 の 子 は 后 となって 国 号 を 徐 羅 伐 または 徐 伐 とい シ ラ シ ロ い あるいは 斯 羅 または 斯 盧 ともいった 后 が 鶏 井 から 生 まれたために 鶏 林 国 ともいう 後 世 になってついに 新 羅 と 国 号 を 確 定 した 赫 居 世 が 国 を 治 めること 六 十 一 年 目 に 王 は 天 に 昇 ったが その 後 七 日 経 って 遺 体 が 散 って 地 に 落 ちてきた 后 も 亡 くなり 国 の 人 が 一 緒 に 葬 ろうとすると 大 蛇 が 邪 魔 をしに 現 れた そこで 五 体 を 別 々に 葬 り これを 五 陵 と 名 付 けた 曇 厳 寺 の 北 陵 がそれである 太 子 の 南 解 王 が 王 位 を 継 いだ 18

19 四 世 紀 初 め 高 句 麗 が 楽 浪 郡 帯 方 郡 の 二 郡 を 滅 ぼし 半 島 中 部 にまで 勢 力 を 拡 大 してく な こつおう ると これに 対 し 斯 盧 国 は 辰 韓 勢 力 を 統 合 していった やがて 第 十 七 代 王 奈 勿 王 ( 在 位 35 6~402)の 治 世 になると 洛 東 江 流 域 まで 領 土 を 拡 大 し 国 家 としての 体 制 が 整 っていく 新 羅 という 国 名 が 中 国 の 歴 史 書 に 登 場 するのはこの 頃 のことで 377 年 新 羅 は 高 句 麗 に 伴 われて 前 秦 に 朝 貢 している 以 来 新 羅 は 高 句 麗 に 従 属 的 な 関 係 を 維 持 していきながら 一 方 で 半 島 南 部 の 加 耶 諸 国 からの 侵 略 に 苦 しめられた 当 時 新 羅 は 高 句 麗 と 加 耶 諸 国 に 何 度 も 人 質 を 出 している 新 羅 が 高 句 麗 に 対 して 反 抗 に 転 じるのは5 世 紀 中 頃 である 先 ず 433 年 に 百 済 と 和 を 結 び 455 年 に 高 句 麗 が 百 済 に 侵 入 すると 百 済 に 対 して 救 援 軍 を 送 る などして 百 済 と 連 携 して 高 句 麗 に 対 抗 するようになる 五 世 紀 末 新 羅 は 慶 州 盆 地 に 王 城 を 築 き 周 辺 には 六 部 ( 建 国 の 神 話 に 見 られる 六 つの 村 落 を 基 盤 とした 新 羅 の 六 つの 貴 族 集 団 ) が 居 住 した 領 土 が 慶 州 盆 地 の 外 側 にも 拡 大 していくにつれて 盆 地 内 が 王 京 その 外 側 が 地 方 というように 区 別 されるようになる ちしょう ま りつかん し ろ 500 年 に 智 証 麻 立 干 ( 在 位 500~514)が 即 位 すると 503 年 に 国 号 を 斯 盧 から 新 羅 に ほうこう 王 号 を 麻 立 干 から 国 王 に 変 えたと 伝 えられているが 麻 立 干 の 王 号 は 次 の 法 興 王 の 代 まで 使 用 されており この 時 期 が 過 渡 期 であると 思 われる ( 麻 立 干 という 王 号 は 国 政 を 決 定 する 貴 わはく 族 会 議 これを 和 白 というが その 会 議 の 司 会 者 に 過 ぎなかった ) 智 証 麻 立 干 の 治 世 には 地 方 整 備 が 進 み 地 方 の 長 官 に 命 じて ほう 農 業 を 奨 励 し 生 産 力 は 向 上 した 次 の 法 こう 興 王 ( 在 位 514~540)の 治 世 には 国 政 の 整 備 は 一 段 と 加 速 した 前 王 に 引 き 続 き 生 産 基 盤 を 整 え 軍 事 を 司 る 兵 部 を 設 置 し 統 治 機 構 を 整 備 した 521 年 には 百 済 の 使 者 に 伴 って 梁 に 朝 貢 もし ている また 新 羅 では5 世 紀 初 めに 既 に 仏 教 は 伝 わっていたが 527 年 反 対 す る 貴 族 たちをおさえ 仏 教 を 正 式 に 認 め じょうだい ることになった さらに531 年 には 上 大 とう 等 という 最 高 官 職 ( 貴 族 会 議 の 議 長 職 ) を 置 いた 当 時 の 新 羅 を 支 えたのは 大 等 という 貴 族 のエリート 集 団 であり 上 せいちゅう 大 等 は 貴 族 を 代 表 して 王 を 掣 肘 する 権 力 を 持 っていた 19

20 しんこう 新 羅 が 飛 躍 的 に 領 土 を 拡 大 したのは 真 興 王 ( 在 位 540~576)の 治 世 である 551 年 には 高 句 麗 の10 郡 を 奪 い 552 年 には 百 済 が 高 句 麗 から 取 り 戻 した 漢 山 城 一 帯 を 掠 奪 し 翌 年 そこに 新 州 を 置 いた その 結 果 新 羅 は 半 島 の 東 南 部 から 高 句 麗 と 百 済 の 間 に 割 って 入 り 西 海 岸 にまで 領 土 を 広 げることができた 一 方 で 562 年 には 大 加 耶 を 滅 ぼし 洛 東 江 下 流 域 の 加 耶 諸 国 をも 手 に 入 れた このような 真 興 王 の 領 土 拡 大 の 痕 跡 は 王 の 建 てた 碑 によって 証 明 される 545 年 前 後 に 建 せきじょう 立 された 丹 陽 赤 城 碑 は 高 句 麗 侵 攻 の 突 破 口 となった 赤 城 地 方 にある 561 年 に 建 立 した しょうねい 昌 寧 碑 には 加 耶 諸 国 経 略 のために 働 いた 軍 官 の 歴 名 が 記 されいる 568 年 には 北 辺 に ま うんれい こうそうれい ほっ かんざん 摩 雲 嶺 碑 黄 草 嶺 碑 の 二 つの 碑 を 漢 山 城 の 近 くに 北 漢 山 碑 を 建 立 している 新 羅 が 領 土 拡 大 していく 中 で その 軍 事 力 の 養 成 機 関 として 活 躍 したのが 花 郎 集 団 であ か ろう る 花 郎 と 称 するリーダを 中 心 に 十 五 六 歳 の 貴 族 の 子 弟 を 複 数 の 集 団 に 分 けて 花 郎 集 団 を 組 織 し 互 いに 道 義 歌 舞 武 技 などを 磨 かせ 心 身 を 鍛 錬 した そして この 花 郎 の 中 きん ゆ しん から 国 家 有 為 の 人 材 が 育 成 された 統 一 戦 争 で 活 躍 した 金 庾 信 もその 一 人 である 法 興 王 ( 在 位 514~540)の 治 世 に 仏 教 が 公 認 されると 真 興 王 の 治 世 には 興 輪 寺 永 興 寺 皇 龍 寺 祇 園 寺 実 際 寺 などが 次 々と 建 立 された これらの 寺 院 の 中 で 最 も 重 要 なものは 553 年 に 建 立 された 皇 龍 寺 である 皇 龍 寺 は 本 来 宮 殿 として 計 画 されたものであったが 途 中 で 寺 院 に 変 更 された 寺 で 最 初 は 王 室 の 私 的 な 寺 院 として 出 発 するが のちには 新 羅 仏 教 の 中 心 寺 院 として 機 能 するようになる (9) 加 耶 諸 国 はくさい し ろ 馬 韓 の 伯 済 国 を 中 心 にして 百 済 が 生 まれ 辰 韓 の 斯 盧 国 を 中 心 に 新 羅 が 生 まれるが 弁 韓 からは 大 きく 成 長 する 国 が 現 れなかった 加 耶 諸 国 というのは 弁 韓 地 方 の 諸 小 国 群 を 指 して か や か ら みまな 言 う その 呼 び 名 に 関 しては 単 に 加 耶 加 羅 任 那 と 呼 ばれることも 多 い 諸 小 国 が 連 盟 を 組 んで 大 国 に 対 抗 することはあったが 最 後 まで 一 つにまとまることはなく その 時 々の 連 盟 の 仕 方 で 六 加 耶 浦 上 八 国 任 那 十 国 などという 呼 び 方 で 文 献 に 残 っている 加 耶 諸 国 がどのような 地 理 的 範 囲 を 指 すのかはっきりしていないが 半 島 東 南 部 の 洛 東 江 から 内 せんしんこう 陸 に 入 り 小 白 山 脈 を 西 に 越 え 蟾 津 江 下 流 に 至 るまでの 範 囲 で 慶 尚 南 道 を 中 心 に 慶 尚 北 道 にまで 及 ぶ 範 囲 と 考 えられているようだ 加 耶 諸 国 が 文 献 に 残 っている 最 も 古 い 史 料 は 高 句 麗 の 広 開 土 王 碑 である その 中 かのえのね の 永 楽 十 年 の 条 で 永 楽 十 年 ( 西 暦 400 年 ) 庚 子 の 年 王 が 教 遣 して 五 万 の 大 軍 を 新 羅 だんきょ に 送 り 新 羅 を 救 援 した 男 居 城 から 新 羅 城 に 至 るまで 倭 は 一 帯 に 満 ちていたが 高 句 麗 の じゅうばつ 官 軍 がまさに 到 着 しようとした 時 倭 賊 は 退 した さらに 背 して 急 迫 し 任 那 加 羅 の 従 抜 城 に 至 るや 従 抜 城 はたちまちに 帰 服 した というように 任 那 加 羅 という 形 で 現 れる 20

21 任 那 加 羅 とは 任 那 と 加 羅 ではなく 任 那 という 加 羅 である この 任 那 加 羅 というの は 金 官 加 羅 或 いは 金 官 ともいい 加 耶 諸 国 を 代 表 する 小 国 である く 金 官 は 3 世 紀 の 弁 韓 の 狗 や 邪 国 の 後 進 であり 地 理 的 には 現 在 の 慶 尚 南 道 金 海 市 に あたる 例 の 魏 志 倭 人 伝 の 中 で 帯 方 郡 から 邪 馬 台 国 に 行 く 行 程 で 狗 邪 国 は 出 てくる 帯 方 郡 から 西 海 岸 南 海 岸 を 航 行 し 半 島 の 東 南 部 の 狗 邪 国 にまで 至 り 初 めて 大 海 を 渡 ると 記 されている 金 官 があった 地 域 は 古 代 から 鉄 の 産 出 地 であり 同 時 に 海 上 交 易 の 盛 んな 地 域 であった このような 環 境 で 金 官 は 発 達 し 四 世 紀 には 洛 東 江 下 流 域 を 中 心 に 盟 主 的 地 位 を 確 立 していた ところが 五 世 紀 になると 金 官 国 は 新 興 勢 力 国 家 の 新 羅 に 苦 しめら おお か や れ 始 め 五 世 紀 後 半 には その 勢 力 は 洛 東 江 内 陸 部 の 大 加 耶 に 移 行 していく は へ 大 加 耶 は 3 世 紀 の 弁 韓 の 半 路 国 ( 伴 跛 国 ともいう)の 後 進 であり 現 在 の 慶 尚 北 道 こ もん た さ 高 霊 郡 を 中 心 とする 地 域 にあった 大 加 耶 は 小 白 山 脈 山 麓 の 己 汶 滞 沙 などの 諸 国 ま でを 含 む 地 域 の 盟 主 的 地 位 を 確 立 していた 479 年 には 中 国 南 朝 の 斉 へ 朝 貢 し 冊 封 まで か ち ほ こく 受 けている 南 斉 書 東 夷 伝 に 加 羅 国 王 荷 知 の 使 者 が 来 献 し 輔 国 将 軍 加 羅 国 王 に 任 じ られた とある しかし 513 年 に 百 済 が 己 汶 滞 沙 を 支 配 下 に 組 み 入 れると 大 加 耶 は 百 済 に 対 抗 するため 新 羅 に 婚 姻 関 係 をもちかけ 同 盟 関 係 を 結 ぶ しかし 新 羅 にも 加 耶 侵 略 の 下 心 があったため 婚 姻 関 係 は 数 年 で 破 綻 することになる 524 年 になると 新 羅 が 洛 東 江 を 越 えた 加 耶 南 部 の 金 官 や 卓 淳 などへ 本 格 的 に 攻 撃 し 始 め 529 年 には 金 官 は 壊 滅 的 打 撃 を 受 け ついに 532 年 金 官 は 王 及 び 王 族 の 新 羅 への 投 降 という 形 で 滅 亡 した そ とく と こん とくじゅん の 後 金 官 に 続 いて 㖨 己 吞 や 卓 淳 なども 新 羅 に 征 服 された とく こ とん 金 官 㖨 己 吞 卓 淳 と 南 部 の 加 耶 諸 国 が 次 々に 新 羅 の 手 に 落 ちたことを 知 った 安 羅 は 百 済 に 救 援 を 求 めた 百 済 はすでに 滞 沙 を 支 配 下 に 入 れ 加 耶 諸 国 南 部 にまで 勢 力 をのばしていたので 安 羅 はその 百 済 軍 に 安 羅 の 警 護 を 求 めた のである これによっ て 卓 淳 まで 進 出 21

22 していた 新 羅 と 安 羅 にまで 進 駐 してきた 百 済 が 加 耶 諸 国 において 対 峙 する 形 となった 538 年 百 済 は 熊 津 から 泗 沘 に 遷 都 すると 郡 将 城 主 を 設 置 して 地 方 支 配 に 力 を 入 れた 同 時 に 新 しく 支 配 下 に 組 み 入 れた 己 汶 滞 沙 さらに 安 羅 に 至 る 地 域 にも 郡 令 城 主 を 設 置 して 安 羅 地 域 をも 百 済 領 に 組 み 入 れようとした 百 済 と 友 好 関 係 を 保 ってきた 安 羅 に とって この 百 済 のやりかたは 見 逃 せないものであった そのため 安 羅 は 新 羅 よりに 方 向 転 換 することになった 541 年 百 済 の 聖 王 は 新 羅 と 和 睦 を 結 んだ 上 で 同 年 及 び544 年 に 主 要 な 加 耶 諸 国 の 首 長 を 百 済 に 集 めて 金 官 卓 淳 㖨 己 吞 の 三 国 の 復 興 について 対 策 会 議 を 主 催 してい る しかし 百 済 がすでに 滅 んだ 加 耶 諸 国 の 復 興 を 本 気 で 願 ったわけではない まだ 新 羅 に 落 ちていない 安 羅 などの 残 存 加 耶 勢 力 が 新 羅 に 内 応 することを 止 めるのが 目 的 だったと 思 われる 結 局 会 議 は 百 済 にとって 何 ら 成 果 なく 終 わり 安 羅 はまもなく 新 羅 に 投 降 することに なる このような 加 耶 諸 国 をめぐる 新 羅 と 百 済 の 駆 け 引 きは 554 年 の 函 山 城 の 戦 いで 新 羅 が 百 済 に 勝 利 することによって 急 速 に 新 羅 優 勢 に 動 き 出 した 勢 いに 乗 った 新 羅 が 562 年 に 大 加 耶 を 滅 ぼすと 大 加 耶 に 連 盟 していた 諸 国 も 次 々に 新 羅 に 投 降 し 加 耶 諸 国 はすべて 新 羅 領 となった 時 代 は 朝 鮮 半 島 統 一 にむけて 高 句 麗 百 済 新 羅 の 三 国 がしのぎを 削 る 時 代 に 突 入 する 22

23 関 連 語 句 八 王 の 乱 西 晋 (265~316)を 建 国 した 武 帝 の 子 の 恵 帝 ( 在 位 290~306)の 時 皇 后 の か 賈 氏 とその 一 族 が 汝 南 王 亮 を 召 して 政 治 を 輔 けさせたが その 専 権 を 嫌 い 帝 の 弟 で 楚 い 王 瑋 と 計 って 汝 南 王 亮 を 殺 すが 楚 王 瑋 も 殺 される これに 対 して 汝 南 王 の 弟 趙 王 倫 が 兵 を 率 いて 宮 中 に 入 り 賈 皇 后 を 殺 し 恵 帝 を 廃 して 自 ら 帝 位 に 即 いた そこで 一 族 の けい がい えい ぎょう 斉 王 冏 長 沙 王 乂 成 都 王 穎 河 間 王 顒 らが 趙 王 を 殺 し 恵 帝 を 復 位 させた しかし 功 を 立 てた 諸 王 の 間 に 内 紛 が 起 り 斉 王 冏 がまず 殺 される 長 沙 王 が 殺 され 成 都 王 と 河 間 王 が 相 次 いで 殺 され 306 年 最 後 にひとり 残 った 東 海 王 越 が 懐 帝 を 擁 立 して 実 権 を 握 った こ れら 一 連 を 八 王 の 乱 という きょうど けつ せんぴ てい きょう 五 胡 十 六 国 北 方 系 の 匈 奴 羯 鮮 卑 とチベット 系 の 氐 羌 の 五 つの 民 族 を 五 胡 という 五 胡 の 諸 民 族 は その 強 大 な 軍 事 力 で 政 権 をうちたてるが 長 続 きはしなかった およそ130 年 間 に20に 達 する 諸 国 が 興 亡 を 繰 り 返 したが そのうちの16の 国 に 基 づいてこの 時 代 を 五 胡 十 六 国 時 代 という その16の 国 とは 匈 奴 の 建 てた 前 趙 夏 北 涼 羯 の 建 てた こうちょう 後 趙 漢 人 の 建 てた 前 涼 西 涼 北 燕 鮮 卑 の 建 てた 前 燕 後 燕 南 燕 西 秦 南 涼 氐 の 建 てた 成 漢 前 秦 後 涼 羌 の 建 てた 後 秦 の 十 六 である きゅうひんかんじんほう ちんぐん 九 品 官 人 法 220 年 に 魏 が 成 立 したときに 陳 羣 によって 立 案 施 行 された 官 僚 登 用 制 度 で ちゅうせい ある 地 方 の 郡 ごとに 中 正 と 呼 ばれる 官 を 置 き 中 正 は 郡 内 の 官 吏 志 願 者 の 才 能 や 人 徳 きょうひん と を 調 査 し 最 高 の 一 品 から 最 低 の 九 品 までで 等 級 をつけ 中 央 政 府 に 送 る これを 郷 品 かんぴん いう 一 方 中 央 政 府 の 官 職 も 一 品 から 九 品 に 等 級 付 けをしておく これを 官 品 という 中 央 政 府 は 中 正 から 送 られてきた 郷 品 に 応 じて 官 吏 志 願 者 をそれに 相 応 しい 官 職 に 任 命 した このとき 官 品 は 郷 品 の 四 等 下 と 決 まっていた つまり 郷 品 二 品 を 与 えられた 志 願 者 は 官 品 六 品 の 役 職 に 就 いた 以 後 の 官 歴 で 二 品 の 官 職 まで 昇 進 できた 九 品 官 人 法 制 度 の 趣 旨 は 家 柄 に 関 わらず 個 人 の 才 能 や 人 徳 に 応 じて 官 位 に 登 用 することであった しかし 中 正 の 職 に 任 じられる 者 が 有 力 貴 族 の 子 弟 を 優 遇 するようになると 次 第 に 九 品 官 人 法 は 門 閥 第 一 家 柄 中 心 に 郷 品 を 与 えるようになり 貴 族 階 層 を 固 定 させる 道 具 となった このた じょうひん かんもん かひん ぜいぞく め 当 時 上 品 に 寒 門 なく 下 品 に 勢 族 なし ( 高 い 品 等 には 低 い 家 柄 の 者 はなく 低 い 品 等 には 高 い 家 柄 の 者 はいない)と 言 われた 23

24 禅 譲 中 国 では 王 朝 が 交 代 することを 天 命 が 革 まる すなわち 革 命 と 称 される 革 命 ほうばつ の 方 法 には 二 つの 方 式 があり 一 つは 武 力 で 前 王 朝 を 滅 ぼすことで 放 伐 という もう 一 ぜんじょう つは 前 王 朝 の 天 子 が 平 和 的 に 一 族 以 外 の 有 徳 者 に 位 を 譲 ることで 禅 譲 という しかし さんだつ 禅 譲 も 実 質 上 は 放 伐 や 簒 奪 と 少 しも 変 わらないことがほとんどである 府 兵 制 西 魏 で 始 まった 兵 農 一 致 の 兵 制 東 魏 の 高 歓 は 充 実 した 強 力 な 兵 力 を 持 ってい たのに 対 し 西 魏 の 宇 文 泰 は 微 力 な 兵 力 しか 持 っていなかった 西 魏 が 東 魏 と 互 角 に 戦 う ためには 農 民 を 効 率 の 高 い 兵 士 として 育 てて 組 織 するしかなかった これを 府 兵 制 という 府 兵 制 はその 後 北 周 隋 唐 で 引 き 継 がれる 農 民 は 兵 役 期 間 中 は 租 庸 調 を 免 除 され るが 武 器 や 衣 服 は 自 弁 であり 農 民 にとっては 重 い 負 担 になった 均 田 制 五 胡 十 六 国 時 代 の 長 い 戦 乱 の 後 耕 地 は 荒 廃 し 農 民 たちは 流 浪 の 民 となって いた そこで 北 魏 の 孝 文 帝 は 流 浪 している 農 民 を 土 地 の 耕 作 に 戻 すために 無 主 の 土 地 を 年 齢 や 性 別 に 応 じて 農 民 に 対 して 給 田 し 土 地 の 耕 作 権 を 認 め 税 を 納 めさせた これを 均 田 制 という その 結 果 皇 帝 の 直 轄 地 を 拡 大 するとともに 税 収 を 増 大 し 豪 族 の 大 土 地 所 有 を 抑 制 することができた その 一 方 で 豪 族 の 反 感 を 反 らすために 豪 族 の 所 有 する 奴 婢 や 耕 牛 にも 給 田 を 行 った 尚 古 思 想 儒 家 の 経 典 に 描 かれた 夏 殷 周 等 の 古 代 の 文 物 制 度 を 模 範 とする 中 国 の 思 想 黄 巾 の 乱 後 漢 時 代 の184 年 に 太 平 道 という 宗 教 結 社 を 始 めた 張 角 が 指 導 した 農 民 の 反 乱 黄 色 の 布 を 頭 に 巻 いたことから 黄 巾 の 賊 と 呼 ばれた 後 漢 衰 退 の 大 きな 要 因 にな った ご と べい どう 五 斗 米 道 後 漢 末 の2 世 紀 後 半 に 帳 陵 が 蜀 で 始 めた 宗 教 結 社 天 師 道 ともいう 祈 禱 に よって 病 気 治 療 をし 謝 礼 として 五 斗 ( 約 9リットル)の 米 を 要 求 したのでこの 名 前 がついてい る 孫 の 張 魯 によって 教 団 として 確 立 され 四 川 を 中 心 に 広 まった 仏 教 の 公 伝 百 済 の 聖 明 王 が 欽 明 天 皇 の 時 に 仏 像 経 論 などを 伝 えたとされているが じょうぐうしょう とくほうおうていせつ がんごう じ えん ぎ ぼ ご その 年 代 については 上 宮 聖 徳 法 王 帝 説 や 元 興 寺 縁 起 の 538 年 ( 戊 午 年 ) 説 と 日 じんしん 本 書 紀 の 552 年 ( 壬 申 年 ) 説 がある 538 年 説 の 方 が 有 力 とされている 24

25 参 考 図 書 中 学 社 会 歴 史 ( 平 成 24 年 発 行 教 育 出 版 ) 中 学 総 合 的 研 究 社 会 ( 改 訂 版 平 成 21 年 発 行 旺 文 社 ) 中 学 社 会 自 由 自 在 ( 改 訂 第 2 刷 版 平 成 25 年 発 行 受 験 研 究 社 ) 中 学 歴 史 の 発 展 的 学 習 藤 井 譲 治 編 著 (2007 年 発 行 文 英 堂 ) 改 訂 版 詳 説 世 界 史 研 究 木 下 康 彦 木 村 靖 二 吉 田 寅 編 ( 平 成 20 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 改 訂 版 詳 説 日 本 史 研 究 佐 藤 信 五 味 文 彦 高 埜 利 彦 鳥 海 靖 編 ( 平 成 20 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 改 訂 版 世 界 史 B 用 語 集 全 国 歴 史 教 育 研 究 協 議 会 編 ( 平 成 20 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 改 訂 版 日 本 史 B 用 語 集 全 国 歴 史 教 育 研 究 協 議 会 編 ( 平 成 21 年 発 行 山 川 出 版 社 ) なぜ? がわかる 世 界 史 前 近 代 浅 野 典 夫 著 (2012 年 発 行 学 研 マーケティング) 青 木 世 界 史 B 講 義 の 実 況 中 継 1 青 木 裕 司 著 (2005 年 改 訂 新 版 語 学 春 秋 社 ) 倭 国 のなりたち 日 本 古 代 の 歴 史 1 木 下 正 史 著 (2013 年 発 行 吉 川 弘 文 館 ) 東 アジアにおける 国 家 の 形 成 日 本 史 講 座 第 1 巻 歴 史 学 研 究 会 日 本 史 研 究 会 編 (2010 年 発 行 東 京 大 学 出 版 会 ) 現 代 語 訳 魏 志 倭 人 伝 松 尾 光 著 (2014 年 発 行 株 式 会 社 KADOKAWA) 新 訂 魏 志 倭 人 伝 後 漢 書 東 夷 伝 宋 書 倭 国 伝 隋 書 倭 国 伝 石 原 道 博 編 訳 (1985 年 新 訂 版 発 行 岩 波 文 庫 ) 中 国 史 ( 上 ) 宮 崎 市 定 著 (2015 年 発 行 岩 波 文 庫 ) 隋 の 煬 帝 宮 崎 市 定 著 (2003 年 改 版 発 行 中 公 文 庫 ) 科 挙 宮 崎 市 定 著 (2003 年 改 版 発 行 中 公 文 庫 ) 魏 晋 南 北 朝 川 勝 義 雄 著 (2003 年 発 行 講 談 社 学 術 文 庫 ) 世 界 の 歴 史 6 隋 唐 帝 国 と 古 代 朝 鮮 礪 波 護 武 田 幸 男 著 (2008 年 発 行 中 公 文 庫 ) 中 国 文 明 の 歴 史 4 - 分 裂 の 時 代 - 魏 晋 南 北 朝 森 鹿 三 責 任 編 集 (2008 年 発 行 中 公 文 庫 ) 古 代 朝 鮮 井 上 秀 雄 著 (2004 年 発 行 講 談 社 学 術 文 庫 ) 史 記 7 列 伝 三 司 馬 遷 小 竹 文 夫 小 竹 武 夫 訳 (1995 年 発 行 ちくま 学 芸 文 庫 ) 史 記 列 伝 ( 四 ) 小 川 環 樹 今 鷹 真 福 島 吉 彦 訳 (1975 年 発 行 岩 波 文 庫 ) 史 記 世 家 ( 上 ) 小 川 環 樹 今 鷹 真 福 島 吉 彦 訳 (1980 年 発 行 岩 波 文 庫 ) 正 史 三 国 志 4 魏 書 Ⅳ 陳 寿 裴 松 之 注 今 鷹 真 小 南 一 郎 訳 (1993 年 発 行 ちくま 学 芸 文 庫 ) 新 版 世 界 各 国 史 2 朝 鮮 史 武 田 幸 男 編 (2000 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 白 帝 社 アジア 史 選 書 広 開 土 王 碑 との 対 話 武 田 幸 男 著 (2007 年 発 行 白 帝 社 ) 朝 鮮 の 歴 史 先 史 から 現 代 田 中 俊 明 編 (2008 年 発 行 昭 和 堂 ) 韓 国 の 歴 史 李 景 珉 監 修 水 野 俊 平 著 (2007 年 発 行 河 出 書 房 新 社 ) 東 アジア 文 化 圏 の 形 成 日 本 史 リブレット7 李 成 市 著 (2000 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 古 代 の 日 本 と 加 耶 日 本 史 リブレット70 田 中 俊 明 著 (2009 年 発 行 山 川 出 版 社 ) 25

26 古 代 国 家 はいつ 成 立 したか 都 出 比 呂 志 著 (2011 年 発 行 岩 波 新 書 ) 日 本 の 誕 生 吉 田 孝 著 (1997 年 発 行 岩 波 新 書 ) 飛 鳥 奈 良 時 代 吉 田 孝 著 (1999 年 発 行 岩 波 ジュニア 新 書 ) 日 本 書 紀 ( 上 下 ) 宇 治 谷 孟 訳 (1988 年 発 行 講 談 社 学 術 文 庫 ) 東 洋 文 庫 372 三 国 史 記 1 金 富 軾 著 井 上 秀 雄 訳 注 (1980 年 発 行 平 凡 社 ) 東 洋 文 庫 425 三 国 史 記 2 金 富 軾 著 井 上 秀 雄 訳 注 (1983 年 発 行 平 凡 社 ) 完 訳 三 国 遺 事 一 然 著 金 思 燁 訳 注 (1976 年 発 行 朝 日 新 聞 社 ) 資 料 提 供 協 力 七 支 刀 画 像 ( 石 上 神 宮 ) 26

 

  障 害 者 政 策 委 員 会 第 2 小 委 員 会 ( 第 3 回 ) 資 料 一 覧 資 料 1-1 論 点 4 15 24 条 所 得 保 障 等 ( 年 金, 諸 手 当, 経 済 的 負 担 の 軽 減 等 )について に 関 する 厚 生 労 働 省 資 料 1 資 料 1-2 論 点 4 15 24 条 所 得 保 障 等 ( 年 金, 諸 手 当, 経 済 的 負 担 の 軽 減

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