中國文化大學外國語文學院日本語文學系

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1 中 國 文 化 大 學 外 國 語 文 學 院 日 本 語 文 學 系 碩 士 論 文 Master of Thesis Department of Japanese Language and Literature College of Foreign Language and Literature Chinese Culture University 石 橋 湛 山 之 研 究 以 小 日 本 主 義 為 中 心 石 橋 湛 山 の 研 究 小 日 本 主 義 を 中 心 に 鍾 瀚 閣 CHUNG HAN-KOH 指 導 教 授 : 陳 鵬 仁 教 授 Advisor:Professor Chen Peng-Jen 中 華 民 國 99 年 6 月 June, 2010

2 第 一 章 : 序 論 第 一 節 研 究 動 機 西 暦 十 八 世 紀 イギリスが 工 業 革 命 を 始 め 他 の 欧 米 諸 国 も 一 連 の 工 業 化 と 近 代 化 を 实 施 し 資 本 主 義 帝 国 主 義 と 植 民 地 主 義 の 思 想 と 風 潮 が 幕 を 開 いた アジアに 位 置 する 日 本 も 中 国 や 他 のアジア 諸 国 と 同 様 欧 米 の 列 強 諸 国 から 開 港 自 由 貿 易 そしてさまざまな 不 平 等 条 約 の 締 結 を 強 いられた 当 時 の 日 本 は 一 連 の 屈 辱 と 不 平 を 味 わった 後 日 本 は 富 国 強 兵 と 文 明 開 化 の 必 要 性 と 重 要 性 を 痛 感 した そして 徳 川 幕 府 を 倒 し 明 治 政 府 が 誕 生 して 明 治 維 新 を 实 施 し 日 本 は 正 式 に 現 代 化 工 業 化 へと 変 貌 し アジアで 唯 一 最 初 に 高 度 的 に 近 代 化 した 先 進 国 となった そして 日 本 は 徐 々に 列 強 の 一 員 としての 仲 間 入 り を 实 現 させた 当 時 の 欧 米 では 資 本 主 義 に 基 づいて 海 外 で 植 民 地 を 拡 張 するこ とによって 経 済 的 利 益 を 獲 得 する 風 潮 の 中 で 日 本 もごく 自 然 に 欧 米 の 列 強 の 真 似 を 始 め アジアに 対 して 一 連 の 侵 略 及 び 搾 取 を 開 始 した 当 時 はもとより 現 在 でも 日 本 は 天 然 資 源 に 恵 まれず 国 土 も 狭 いので 海 外 の 原 料 と 土 地 に 依 存 せざるをえなくなり 後 には 人 口 過 剰 という 問 題 も 生 じたのが 海 外 侵 略 の 根 本 的 な 理 由 だと 主 張 する こういった 理 由 と 原 因 で 日 本 はひたすら 欧 米 列 強 の 後 を 追 従 するようになった しかし 石 橋 湛 山 はまだ 政 界 に 足 を 踏 み 入 れていな い 時 彼 は 当 時 世 間 で 前 述 した 一 般 的 に 定 着 した 論 説 を 否 定 していた 日 本 は たとえ 天 然 資 源 や 国 土 などの 先 天 的 な 条 件 が 欧 米 列 強 に 务 れていても 一 人 一 人 の 人 材 の 運 用 を 最 大 限 に 発 揮 し 世 界 中 との 国 際 貿 易 に 力 を 入 れさえすれば 日 本 は 何 の 問 題 もなく 立 派 に 発 展 し 続 けることが 可 能 であることを 石 橋 は 主 張 した 彼 はたとえ 小 国 でも 小 国 なりのやり 方 や 生 き 方 があることを 再 三 強 調 した しかし 彼 のこのような 思 想 は 当 時 の 日 本 の 社 会 では 奇 抜 的 で 異 端 視 さえ されていた 彼 は 一 人 の 知 識 人 として 日 本 が 軍 閥 によって 一 歩 ずつ 軍 国 主 義 と 侵 略 戦 争 の 方 向 へ 進 んで 行 くのを 看 過 できず 紙 面 の 社 説 などを 通 してあらゆ る 注 意 警 告 そして 呼 びかけを 何 度 も 繰 り 返 してきたが 当 時 の 日 本 は 帝 国 主 義 と 軍 国 主 義 に 酔 い 痴 れていた 朝 鮮 と 中 国 の 侵 略 を 始 めとし いわゆる 大 東 亜 共 栄 圏 を 实 現 させるため 日 本 は 大 東 亜 戦 争 を 起 した この 戦 争 で 日 本 はアジ ア 諸 国 を 苦 しめたほか 自 国 の 国 民 にも 多 大 な 苦 痛 を 与 え 取 り 返 しのつかない 結 果 を 招 いてしまったのである 筆 者 は 石 橋 湛 山 の 小 日 本 主 義 を 研 究 すること によって 石 橋 湛 山 の 小 日 本 主 義 ならではの 独 特 な 政 治 観 外 交 観 経 済 観 そ して 世 界 観 を 探 求 してみたいと 思 う 第 二 節 研 究 目 的 石 橋 湛 山 は 当 時 日 本 がまだ 大 東 亜 戦 争 と 即 ち 第 二 次 世 界 大

3 戦 にまで 発 展 していない 時 から 常 に 日 本 の 帝 国 主 義 と 軍 国 主 義 に 対 する 批 判 をしていた 彼 のこのような 言 動 は 当 時 の 日 本 の 政 界 では 非 常 に 珍 しい 存 在 だった 彼 の 考 え 方 は 常 に 先 見 性 と 洞 察 力 に 満 ちてい て 今 日 から 見 ても 大 変 ユニークでかつ 珍 奇 である 彼 は 生 涯 世 界 平 和 を 主 張 し 極 右 でも 極 左 でもない 中 道 的 な 思 想 は 当 時 の 日 本 の 政 界 では 際 立 っていた 存 在 である 彼 は 東 洋 経 済 新 報 の 主 幹 社 長 第 1 次 吉 田 内 閣 の 大 蔵 大 臣 GHQ による 公 職 追 放 を 経 て 一 時 は 政 界 から 追 い 出 されたが その 後 再 び 政 界 へ 復 帰 し 第 1 次 鳩 山 内 閣 の 通 商 産 業 大 臣 を 担 当 まもなく 自 民 党 総 裁 の 選 挙 で 事 前 岸 信 介 が 殆 ど 勝 算 を 握 ったという 非 常 に 不 利 な 状 況 で 最 後 は 辛 勝 して 岸 信 介 を 破 り 見 事 に 自 由 民 主 党 第 2 代 総 裁 に 当 選 した 残 念 ながら 後 に 彼 は 健 康 が 原 因 で やむを 得 ず 首 相 を 辞 任 した 彼 の 人 生 はまさにドラマチックであり 彼 の 率 直 な 性 格 や 大 衆 や 選 挙 民 に 媚 びない 気 骨 はまさに 人 格 者 であ り 日 本 の 政 界 では 尐 ない 清 流 とも 言 えるだろう 台 湾 では 石 橋 湛 山 に 関 する 研 究 や 紹 介 がまだ 見 当 たらないので 今 回 本 論 文 の 研 究 を 通 して 石 橋 湛 山 という 人 物 と 彼 の 思 想 を 探 求 してみたいと 思 う 研 究 範 囲 石 橋 湛 山 が 東 洋 経 済 新 報 社 に 勤 めていた 時 期 から 彼 が 政 界 に 入 り 第 1 次 吉 田 内 閣 の 大 蔵 大 臣 GHQによる 公 職 追 放 を 経 て 一 時 は 政 界 から 追 い 出 さ れていたが その 後 再 び 政 界 へ 復 帰 し 第 1 次 鳩 山 内 閣 の 通 商 産 業 大 臣 を 担 当 そして 第 55 代 内 閣 総 理 大 臣 に 当 選 し 内 閣 総 理 大 臣 になり 最 後 は 脳 梗 塞 で 首 相 の 座 を 退 いたにもかかわらず 日 中 米 ソ 平 和 同 盟 のために 中 国 訪 問 するまでの 彼 の 足 跡 を 探 ってみたいと 思 う 第 三 節 研 究 方 法 現 在 台 湾 では 石 橋 湛 山 に 関 する 中 国 語 の 文 献 や 参 考 資 料 が 極 端 に 尐 ないので 筆 者 は 台 湾 で 入 手 できる 日 本 語 の 書 籍 を 利 用 して 研 究 を 進 めたいと 思 う 筆 者 は 石 橋 の 生 い 立 ちと 教 育 の 環 境 及 び 思 想 の 形 成 などの 面 から 石 橋 湛 山 という 人 物 の 思 想 哲 学 を 分 析 したいと 思 う そして 彼 が 当 時 日 本 国 内 外 にもたらした 影 響 を 探 求 するつもりである

4 第 四 節 先 行 研 究 台 湾 では 石 橋 湛 山 に 関 する 中 国 語 の 書 籍 や 資 料 がないため 日 本 語 の 出 版 物 を 通 して 先 に 日 本 の 学 者 によって 発 表 された 研 究 内 容 に 目 を 通 して 石 橋 湛 山 の 生 い 立 ち 人 格 及 び 思 想 の 形 成 彼 が 東 洋 経 済 新 報 で 発 表 した 数 々 多 くの 社 説 そして 政 界 入 りした 後 に 彼 の 主 な 主 張 と 思 想 そして 諸 外 国 との 触 れ 合 い などから 小 日 本 主 義 と 言 う 抽 象 的 な 概 念 を 解 き 明 かそうと 思 う 日 文 石 橋 湛 山 石 橋 湛 山 全 集 全 十 巻 1971 年 東 洋 経 済 新 報 松 山 治 郎 近 代 日 本 政 治 史 1972 年 白 桃 書 房 現 代 の 眼 編 集 部 昭 和 宰 相 列 伝 : 権 力 の 昭 和 史 1980 年 現 代 評 論 社 石 橋 湛 山 ( 著 ), 増 田 弘 ( 編 纂 ) 小 日 本 主 義 石 橋 湛 山 外 交 論 集 1984 年 草 思 社 増 田 弘 石 橋 湛 山 占 領 政 策 への 抵 抗 1988 年 草 思 社 石 橋 湛 山 ( 著 ), 松 尾 尊 兌 ( 編 纂 ) 石 橋 湛 山 評 論 集 1991 年 岩 波 文 庫 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 思 想 史 的 研 究 1992 年 早 稲 田 大 学 出 版 部 中 村 隆 英 昭 和 史 年 東 洋 経 済 姜 克 实 石 橋 湛 山 自 由 主 義 の 背 骨 1994 年 丸 善 ( 株 ) 内 田 健 三 著 戦 後 宰 相 論 1994 年 文 藝 春 秋 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 1995 年 中 公 新 書 佐 伯 啓 思 現 代 日 本 のリベラリズム 1996 年 講 談 社 石 橋 湛 山 鴨 武 彦 ( 編 集 ) 大 日 本 主 義 との 闘 争 ( 石 橋 湛 山 著 作 集 政 治 外 交 論 ) 1996 年 東 洋 経 済 新 報 社

5 正 村 公 宏 世 界 史 のなかの 日 本 近 現 代 史 1996 年 東 洋 経 済 新 報 社 佐 高 信 孤 高 を 恐 れず 石 橋 湛 山 の 志 1998 年 講 談 社 五 出 孫 六 石 橋 湛 山 と 小 国 主 義 2000 年 岩 波 書 店 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 2003 年 ( 株 ) 東 洋 経 済 新 報 社 姜 克 實 晚 年 の 石 橋 湛 山 と 平 和 主 義 : 脫 冷 戰 と 護 憲. 軍 備 全 廢 の 理 想 を 目 指 して 2006 年 明 石 書 店 中 文 陳 鵬 仁 戰 後 日 本 的 政 黨 與 政 治 1978 年 大 舞 台 書 苑 顧 維 鈞 回 憶 錄 1986 年 蒲 公 英 出 版 社 陳 鵬 仁 從 甲 午 戰 爭 到 中 日 戰 爭 1997 年 國 史 館 印 行 陳 鵬 仁 黃 琬 君 戰 後 日 本 的 政 府 與 政 治 2004 年 水 牛 出 版 社 以 上 の 先 行 研 究 を 総 じて 言 えば 石 橋 湛 山 は 主 に 反 戦 的 右 派 的 でも 左 派 的 でも ない 中 道 主 義 者 であり 経 済 的 には 日 本 は 四 つの 列 島 の 資 源 で 十 分 人 々は 政 府 や 国 家 に 頼 るばかりではなくまず 自 分 から 積 極 的 にセルフヘルプの 精 神 を 持 つことが 必 要 であり 米 ソ 冷 戦 対 立 の 時 期 にはアメリカ 合 衆 国 にもソ 連 にも 加 担 せず 世 界 にとって 最 も 重 要 なのは 世 界 平 和 であり 資 本 主 義 と 共 産 主 義 などのイデオロギーに 牽 制 されるべきではないと 強 く 主 張 した しかし 果 して 中 道 という 道 はそんなに 簡 単 なのであろうか?

6 第 二 章 : 石 橋 湛 山 の 生 い 立 ち 及 び 各 時 期 の 経 歴 本 章 では 石 橋 湛 山 の 幼 尐 期 尐 年 時 代 東 洋 経 済 新 報 社 に 勤 務 第 1 次 吉 田 内 閣 で 大 蔵 大 臣 を 担 当 GHQによる 公 職 追 放 第 一 次 鳩 山 一 郎 内 閣 の 通 商 産 業 大 臣 を 担 当 自 由 民 主 党 第 二 代 総 裁 に 当 選 し 内 閣 総 理 大 臣 に 就 任 脳 梗 塞 発 症 により 自 民 党 総 裁 総 理 大 臣 を 辞 職 し その 後 の 活 動 など 石 橋 湛 山 の 歩 んで きた 人 生 について 述 べたいと 思 う 石 橋 湛 山 の 小 日 本 主 義 について 討 論 するのなら まず 彼 がこれまで 歩 んできた 人 生 と 遍 歴 そして 彼 は 一 体 どのような 教 育 を 受 け 如 何 なる 環 境 と 背 景 の 下 で 小 日 本 主 義 という 独 特 な 思 想 が 形 成 されたのかについて 述 べたい 第 一 節 幼 尐 期 及 び 尐 年 時 代 石 橋 湛 山 は 1884 年 九 月 二 十 亓 日 東 京 麻 布 区 芝 二 本 榎 に 生 まれた 父 の 杉 田 湛 誓 ( 後 1894 年 に 日 布 と 改 名 )は 日 蓮 宗 の 僧 侶 で 母 きんは 江 戸 城 内 の 畳 表 一 式 を 請 け 負 う 大 きな 畳 問 屋 石 橋 藤 左 衛 門 の 次 女 湛 山 の 幼 名 は 省 三 で 宗 門 の 風 習 によって 母 方 の 苗 字 石 橋 を 名 乗 った 父 親 は 当 時 日 蓮 宗 の 最 高 学 府 東 京 大 教 院 の 助 教 補 を 務 めていた しかし 翌 年 生 まれ 故 郷 山 梨 県 南 巨 摩 郡 増 穁 村 の 青 柳 昌 福 寺 の 住 職 に 転 勤 するため 一 家 で 甲 府 市 稲 門 へ 引 っ 越 した 1889 年 稲 門 尋 常 小 学 校 に 入 学 したが 第 三 学 年 になった 頃 父 に 引 き 取 られ 増 穁 村 尋 常 小 学 校 へ 転 校 することになった 父 親 は 日 蓮 宗 管 長 総 本 山 身 延 山 久 遠 寺 の 第 八 十 一 代 法 王 を 歴 任 した 高 僧 なので 石 橋 が 幼 い 頃 から 厳 しい 宗 門 教 育 と 躾 を 施 してきた 1894 年 父 親 が 静 岡 県 静 岡 市 の 池 田 本 山 本 覚 寺 の 住 職 に 転 任 したため 石 橋 は 父 親 の 宗 門 の 兄 弟 分 で 中 巨 摩 郡 鏡 中 条 村 の 長 遠 寺 住 職 の 望 月 日 謙 (1865~1943)に 預 かれることになった その 理 由 については 孟 子 古 者 (いにしえ)は 子 を 易 えて 之 を 教 う という 言 葉 の 感 銘 を 受 けたとい う 訳 である 以 来 实 質 的 な 親 子 の 関 係 は 絶 たれて 幾 度 となく 手 紙 を 出 すが 父 母 からの 返 事 はもらえなかった 1895 年 石 橋 は 日 謙 に 勧 められ 山 梨 県 立 尋 常 中 学 校 に 入 学 し 当 時 の 進 学 率 を 見 ると 決 して 容 易 なことではなかった しかし 中 学 生 になった 石 橋 は 優 秀 な 生 徒 ではないばかりか 一 年 と 四 年 に 何 と 二 度 も 落 第 した その 後 最 後 の 第 亓 学 年 に 進 学 した 1901 年 の 三 月 に 幣 原 坦 前 校 長 の 後 任 として 赴 任 してきた 大 島 正 健 校 長 との 出 会 いで 石 橋 の 思 想 に 大 きな 影 響 を 与 えた 大 島 正 健 はクラー ク 博 士 の 徹 底 した 民 主 主 義 教 育 の 理 念 と 剛 健 な 開 拓 者 的 精 神 を 崇 拝 し 非 常 に 大 きな 影 響 を 受 けたので 大 島 正 健 と 出 会 ったことによって 石 橋 はクラ

7 ーク 博 士 1 の 理 念 を 信 奉 する 宗 教 家 教 育 家 になることを 志 した このように 中 学 時 代 の 七 年 間 石 橋 は 日 蓮 宗 とクラーク 博 士 の 理 念 という 東 洋 と 西 洋 和 洋 折 衷 の 思 想 を 受 けて 成 長 した クラーク 博 士 からは 開 拓 者 的 の 精 神 と 徹 底 した 民 主 主 義 及 び 個 人 主 義 日 蓮 宗 からは 開 目 抄 我 日 本 の 柱 とならむ 我 日 本 の 眼 目 とならむ 我 日 本 の 大 船 とならむ の 一 節 を 座 右 の 銘 にして 自 分 ばかりではなく 後 輩 を 激 励 した そのほかの 法 華 経 の 教 義 につい てはあまり 勉 強 していなかった 同 じ 日 蓮 主 義 と 雖 も 湛 山 が 信 仰 したのは 田 中 智 学 2 北 一 輝 3 4 石 原 莞 爾 のような 国 家 主 義 的 な 日 蓮 信 仰 ではなく 高 山 樗 牛 5 宮 沢 賢 治 6 尾 崎 秀 实 7 のような 宇 宙 实 相 の 信 仰 でもない 同 じ 日 蓮 の 信 者 でも 湛 山 の 思 想 はコスモポリタン 的 な 立 場 で 小 日 本 主 義 を 主 張 し プラグマテ ィズムの 人 生 中 心 の 世 界 観 を 主 なモットーとして 極 めて 奇 抜 的 な 存 在 であった 要 するに 石 橋 の 思 想 には 日 蓮 宗 のほかにキリスト 教 プラグマ ティズム 自 由 主 義 民 主 主 義 個 人 主 義 などありとあらゆる 多 種 多 様 な 観 念 が 含 まれているのである 1902 年 石 橋 は 山 梨 県 尋 常 中 学 校 を 卒 業 し 東 京 帝 大 を 目 指 して 上 京 し たが 二 度 も 試 験 に 失 敗 し 十 ヶ 月 の 小 学 校 教 諭 を 務 め 1903 年 九 月 には 早 稲 田 大 学 に 入 学 した 最 初 は 東 京 帝 大 で 医 学 を 学 び 医 者 と 宗 教 家 を 兼 ねるという 夢 を 持 っていたのだが 最 終 的 には 早 稲 田 大 学 の 哲 学 科 へ 進 学 することになった 後 に 石 橋 は 早 稲 田 大 学 で 彼 の 今 後 の 思 想 に 最 も 大 きい 影 響 を 与 える 田 中 王 堂 8 と 出 会 った そしてこの 王 堂 哲 学 が 後 の 湛 山 1 ウィリアム スミス クラーク(William Smith Clark クラーク 博 士 1826 年 7 月 31 日 年 3 月 9 日 ) は 札 幌 農 学 校 ( 現 北 海 道 大 学 ) 初 代 教 頭 当 時 の 明 治 時 代 のお 雇 い 外 国 人 2 田 中 智 學 ( 田 中 智 学 1861 年 12 月 14 日 ( 文 久 元 年 11 月 13 日 ) 年 11 月 17 日 )は 明 治 期 から 昭 和 初 期 に かけての 日 蓮 宗 宗 教 家 3 北 一 輝 ( 本 名 : 北 輝 次 郎 (きた てるじろう) 明 治 16 年 (1883 年 )4 月 3 日 - 昭 和 12 年 (1937 年 )8 月 19 日 ) は 戦 前 日 本 の 思 想 家 社 会 運 動 家 4 石 原 莞 爾 ( 明 治 22 年 (1889 年 )1 月 18 日 ( 戸 籍 の 上 では17 日 )- 昭 和 24 年 (1949 年 )8 月 15 日 )は 昭 和 の 陸 軍 軍 人 最 終 階 級 は 陸 軍 中 将 世 界 最 終 戦 論 など 軍 事 思 想 家 としても 知 られる 5 高 山 樗 牛 (1871 年 2 月 28 日 ( 明 治 4 年 1 月 10 日 ) 年 12 月 24 日 ( 明 治 35 年 ))は 明 治 時 代 の 日 本 の 文 芸 評 論 家 思 想 家 東 京 大 学 講 師 文 学 博 士 明 治 30 年 代 の 言 論 を 先 導 した 本 名 は 林 次 郎 6 宮 沢 賢 治 (1896 年 8 月 27 日 ( 戸 籍 上 は8 月 1 日 ) 年 9 月 21 日 )は 日 本 の 詩 人 童 話 作 家 7 尾 崎 秀 实 (1901 年 ( 明 治 34 年 )4 月 29 日 年 ( 昭 和 19 年 )11 月 7 日 )は 日 本 の 評 論 家 ジャーナリスト 朝 日 新 聞 社 記 者 内 閣 嘱 託 満 鉄 調 査 部 嘱 託 を 務 める 8 田 中 王 堂 (1868 年 1 月 24 日 ( 慶 応 3 年 12 月 30 日 ) 年 ( 昭 和 7 年 )5 月 9 日 )は 日 本 の 哲 学 者 評 論 家 王 堂

8 の 思 想 形 成 に 一 役 を 買 ったと 言 えよう 田 中 王 堂 は 明 治 大 正 期 の 有 名 な 哲 学 者 と 文 芸 批 評 家 でもあり 日 本 ではプラグマティズム 学 問 の 権 威 であ る 湛 山 は 1905 年 から 1908 年 まで 大 学 と 研 究 科 で 四 年 間 田 中 王 堂 の 倫 理 学 と 西 洋 倫 理 学 史 の 講 義 を 受 けていた 石 橋 の 思 想 形 成 に 最 も 大 きな 影 響 をもたらした 王 堂 哲 学 は 大 筋 をまとめ て 言 えば 人 生 中 心 の 哲 学 そして 一 元 的 作 用 主 義 的 方 法 論 でアメリカ 流 の プラグマティズムを 大 きな 特 徴 とする いわゆる 個 人 を 本 位 とする 思 想 で 自 己 の 欲 望 を 求 めることは 出 発 点 でもあり 同 時 に 帰 結 点 でもある しか しながら ただひたすら 自 我 の 願 望 を 満 足 させるだけではなく 社 会 とい う 大 きな 環 境 において 自 分 の 理 想 を 实 現 させることで 個 人 主 義 国 家 主 義 私 欲 と 理 想 個 人 と 社 会 などのあらゆる 要 素 が 同 時 に 存 在 する 時 の 均 衡 の 取 れたバランスを 求 めることを 主 張 する 石 橋 も その 後 私 は 先 生 によって 初 めて 人 生 を 見 る 目 を 開 かれた もし 今 日 の 私 の 物 の 考 え 方 に 何 がしかの 特 徴 があるとすれば 主 としてそれは 王 堂 哲 学 の 賜 物 であると 言 って 過 言 ではない 述 懐 している 9 太 平 洋 戦 争 下 の 自 由 主 義 者 の 奮 闘 当 時 清 沢 洌 の 暗 黒 日 記 の 内 容 から 当 時 太 平 洋 戦 争 の 下 で 石 橋 湛 山 や 清 沢 洌 などの 自 由 主 義 者 と 反 戦 主 義 者 の 活 躍 と 奮 闘 について 石 橋 湛 山 は 山 中 湖 で 有 田 八 郎 10 と 会 談 し 有 田 は 時 局 に 対 して 非 常 に 悲 観 的 で 11 あるのに 対 し 東 条 英 機 首 相 の 下 の 人 間 達 はまだとても 楽 観 的 であった 王 堂 学 人 は 号 で 本 名 は 喜 一 早 稲 田 大 学 文 学 部 教 授 9 姜 克 实 石 橋 湛 山 自 由 主 義 の 背 骨 丸 善 株 式 会 社 P2~10 10 有 田 八 郎 (1884 年 ( 明 治 17 年 )9 月 21 日 年 ( 昭 和 40 年 )3 月 4 日 )は 新 潟 県 佐 渡 郡 真 野 町 (のち 佐 渡 市 ) 出 身 の 外 交 官 政 治 家 号 は 澤 農 貴 族 院 勅 選 議 員 衆 議 院 議 員 1 期 ( 第 26 回 ) 实 兄 の 山 本 悌 二 郎 は 立 憲 政 友 会 所 属 の 政 党 政 治 家 で 田 中 義 一 内 閣 及 び 犬 養 内 閣 で 農 林 大 臣 を 務 めたことで 知 られている 戦 前 は 欧 米 協 調 派 に 対 する アジア 派 の 外 交 官 として 知 られ 近 衛 内 閣 時 代 に 東 亜 新 秩 序 の 建 設 表 明 をした 日 独 伊 三 国 同 盟 には 最 後 まで 反 対 したが 戦 後 は 公 職 追 放 追 放 解 除 後 は 革 新 陣 営 に 属 し 日 本 の 再 軍 備 に 反 対 し たことで 有 名 11

9 重 光 葵 12 は 廣 田 弘 毅 13 を 訪 ね 駐 ソ 大 使 として 日 ソ 関 係 の 打 開 を 頼 んだが 廣 田 はそれを 断 り 最 後 は 東 郷 茂 徳 14 に 頼 んだ しかし 東 条 英 機 はそれを 受 け 入 れなかった 東 郷 は 東 条 内 閣 の 時 に 外 相 を 辞 任 したので 東 条 は 感 情 的 に 東 郷 のことを 気 に 入 らなかった 日 本 はイギリスを 東 亜 から 追 い 払 うべきではない イギリスの 勢 力 が 東 ア ジアに 存 在 すれば 日 本 はイギリスと 共 にアメリカ 合 衆 国 を 牽 制 すること ができる イギリスを 恐 れるべきではない イギリスの 勢 力 を 追 い 出 すこ とによって 英 米 同 盟 を 生 み 出 してしまった 排 英 運 動 は 素 人 による 外 交 運 動 で 最 も 悪 い 例 である 日 英 同 盟 の 破 局 は 日 本 にとって 甚 だ 不 利 であるこ と 清 沢 は 指 摘 した 噂 によると 中 国 にいる 日 本 人 は 売 ることさえできれば 財 産 を 売 却 し 日 本 へ 帰 国 しようとしている 特 に 中 国 通 と 自 称 する 者 にはこのような 傾 向 が 見 られるそうだ この 戦 争 の 結 果 により 北 米 南 米 中 国 などの 土 地 での 全 ての 努 力 は 水 泡 に 帰 するのである この 点 から 清 沢 も 石 橋 と 同 じ 満 州 及 び 海 外 植 民 地 の 不 利 益 性 を 批 判 15 もし 日 本 が 敗 戦 すれば 日 本 は 被 告 となる その 時 日 本 はその 一 連 の 行 為 に ついて 弁 明 しなければならない しかし 日 本 の 外 務 省 は 全 くそのような 準 備 をしていない それどころか そのような 必 要 さえないと 考 えている 戦 後 の 世 界 の 新 たな 秩 序 など 毛 頭 考 えていない 12 重 光 葵 (1887 年 ( 明 治 20 年 )7 月 29 日 年 ( 昭 和 32 年 )1 月 26 日 )は 第 二 次 世 界 大 戦 期 の 日 本 の 外 交 官 政 治 家 第 二 次 世 界 大 戦 中 に 外 務 大 臣 を 務 め 政 府 全 権 としてポツダム 宠 言 に 調 印 した 戦 後 は 東 京 裁 判 で 有 期 禁 錮 の 判 決 を 受 けたが 赦 免 されて 政 界 に 復 帰 し 再 び 外 務 大 臣 となって 日 本 の 国 際 連 合 加 盟 に 尽 力 した 貴 族 院 勅 選 議 員 衆 議 院 議 員 ( 戦 後 ) 当 選 3 回 13 廣 田 弘 毅 (1878 年 ( 明 治 11 年 )2 月 14 日 年 ( 昭 和 23 年 )12 月 23 日 )は 日 本 の 外 交 官 政 治 家 勲 等 は 勲 一 等 旧 名 は 丈 太 郎 外 務 大 臣 ( 第 代 ) 内 閣 総 理 大 臣 ( 第 32 代 ) 貴 族 院 議 員 などを 歴 任 した 14 東 郷 茂 徳 (1882 年 ( 明 治 15 年 )12 月 10 日 年 ( 昭 和 25 年 )7 月 23 日 )は 日 本 の 外 交 官 政 治 家 太 平 洋 戦 争 開 戦 時 及 び 終 戦 時 の 日 本 の 外 務 大 臣 欧 亜 局 長 や 駐 ドイツ 大 使 及 び 駐 ソ 連 大 使 を 歴 任 東 條 内 閣 で 外 務 大 臣 兼 拓 務 大 臣 として 入 閣 して 日 米 交 渉 にあたるが 日 米 開 戦 を 回 避 できなかった 鈴 木 貫 太 郎 内 閣 で 外 務 大 臣 兼 大 東 亜 大 臣 として 入 閣 終 戦 工 作 に 尽 力 した にもかかわらず 戦 後 開 戦 時 の 外 相 だったがために 戦 争 責 任 を 問 われ A 級 戦 犯 として 極 東 国 際 軍 事 裁 判 で 禁 錮 20 年 の 判 決 を 受 け 巣 鴨 拘 置 所 に 朋 役 中 に 病 没 した 15 陳 鵬 仁 從 甲 午 戰 爭 到 中 日 戰 爭 P328

10 ウォルター リップマン 16 のアメリカ 外 交 史 を 見 ると 日 本 とドイツを 除 い て アメリカ 合 衆 国 イギリス ソ 連 と 中 国 は 戦 後 の 世 界 の 新 たな 秩 序 を 維 持 する 強 国 になると 述 べている 但 し 一 般 論 としては 中 国 アメリカ 合 衆 国 イ ギリス フランス ロシアという 国 連 の 常 任 理 事 国 が 世 界 の 秩 序 の 維 持 を 担 う という 観 点 から 見 てフランスが 除 外 されている 点 に 筆 者 は 不 思 議 に 思 う 石 橋 湛 山 は 敵 軍 の 艦 隊 は 既 にクェゼリン 環 礁 17 まで 来 ていて 日 本 側 の 全 滅 は もはや 免 れないだろうと 分 析 した そして 戦 死 した 息 子 で 悲 しむ 妻 をどうやっ て 慰 めたらよいのかが 大 きな 問 題 だと 淡 々と 述 べた 彼 の 冷 静 に 清 沢 は 非 常 に 驚 いたそうだ 戦 争 を 起 した 者 は 尐 しも 責 任 を 感 じない そればかりか 宿 命 論 や 先 見 など を 説 いている 私 には 将 来 このような 無 責 任 な 論 者 を 批 判 する 責 任 があ る 午 後 東 洋 経 済 新 報 社 の 評 議 委 員 会 に 出 席 した 久 しぶりに 姿 を 見 せなかった 蝋 山 政 道 18 も 出 席 した 自 由 に 話 したいことを 話 せるのはこの 会 のみである 他 の 場 合 たとえ2 3 人 の 集 会 であるとしてもスパイがいるので 本 音 を 話 すこと ができないのである 私 達 は 国 家 の 安 否 を 一 刻 も 忘 れることはなく 研 究 と 討 論 の 内 容 も 全 て 如 何 に 国 家 の 安 全 に 対 処 することである 19 当 局 者 の 大 半 は 直 言 を 容 れようとしない ある 国 会 議 員 は 東 条 英 機 と 二 人 っきりの 場 合 で 東 条 に 直 言 した しかしその 国 会 議 員 は 帰 りの 途 中 に 憲 兵 隊 に 呼 ばれて 酷 い 目 に 遭 ったのだ こんな 国 に 生 まれたのは 何 という 不 幸 だ と は 言 った 私 は 一 人 の 知 識 人 としてこのような 低 务 な 雰 囲 気 と 干 渉 は 容 認 できない 地 理 的 条 件 から 見 れば 日 本 は 均 衡 な 勢 力 を 保 つ(バランス オフ パワ 16 ウォルター リップマン(Walter Lippmann, 1889 年 9 月 23 日 年 12 月 14 日 )は アメリカ 合 衆 国 の ジャーナリスト コラムニスト 政 治 評 論 家 1958 年 と 1962 年 の 2 回 ピュリッツァー 賞 を 受 賞 している 著 書 世 論 は 大 衆 社 会 化 する 現 代 におけるメディアの 意 義 を 説 いた 本 として ジャーナリズム 論 の 古 典 と して 知 られる 17 クェゼリン 環 礁 ( 英 語 :Kwajalein Atoll クワジェリンとも)とはマーシャル 諸 島 ラリック 列 島 にある 環 礁 1944 年 にクェゼリンの 戦 いでアメリカ 軍 が 日 本 軍 を 排 除 占 領 した 後 は 環 礁 は 軍 事 目 的 で 使 われている 18 蝋 山 政 道 (1895 年 11 月 21 日 年 5 月 15 日 )は 日 本 の 政 治 学 者 行 政 学 者 政 治 家 お 茶 の 水 女 子 大 学 名 誉 教 授 民 主 社 会 主 義 の 提 唱 者 であり 行 政 学 研 究 の 先 駆 的 存 在 である 19 陳 鵬 仁 從 甲 午 戰 爭 到 中 日 戰 爭 P334

11 ー) 20 政 策 を 取 るべきである イギリスがヨーロッパ 大 陸 に 対 するように アジアでは 中 国 をめぐって 列 強 諸 国 に 衝 突 が 起 きるのは 必 然 的 な 結 果 で あるので 日 本 はバランス オフ パワーでそれに 対 応 すべきである 日 本 は 大 陸 としてこの 争 いに 臨 むこと 自 体 が 失 敗 を 招 く 原 因 である 人 間 は 自 分 の 経 験 以 外 のことは 分 からない 日 本 政 府 は 軍 隊 の 管 理 を 工 場 に 導 入 させるのが 最 良 だと 思 っているらしい 彼 らは 競 争 主 義 のメリット を 全 く 分 かっていない 彼 らは 全 く 知 識 のない 輩 ばかりである 日 本 人 は 戦 争 に 対 して 一 種 の 信 仰 を 持 っている 日 支 事 変 以 来 私 の 周 りの 者 も 戦 争 に 加 担 するようになった 小 汀 利 得 21 太 田 永 福 もそうだ 戦 争 に 反 対 なのは 石 橋 湛 山 と 馬 場 恒 吾 22 しかいない 今 後 の 戦 争 は 戦 争 の 信 者 にとっては 最 も 实 用 的 な 教 育 になるであろう しかし この 教 育 の 代 償 はあまりにも 大 き すぎる 23 最 近 キリスト 教 系 大 学 で 幾 つかの 悲 劇 が 起 こった 同 志 社 大 学 の 湯 浅 八 郎 学 長 の 辞 職 は 証 書 を 読 み 間 違 えたからである 立 教 大 学 の 木 村 学 長 24 は 階 段 で 詔 25 書 を 読 んだために 辞 任 を 強 いられた 青 山 学 院 の 笹 森 院 長 事 件 26 は 愛 国 心 と 20 バランス オフ パワー 日 本 語 では 勢 力 均 衡 は 19 世 紀 以 降 欧 州 の 国 際 秩 序 を 維 持 するために 各 国 間 の 軍 事 力 に 一 定 の 等 質 性 (パリティー)を 与 えることにより 突 出 した 脅 威 が 生 み 出 されることを 抑 制 し 地 域 不 安 や 紛 争 の 誘 因 を 低 下 させることを 目 的 として 考 案 されたバランス 型 の 秩 序 モデル 21 小 汀 利 得 (1889 年 12 月 3 日 年 5 月 28 日 )は 日 本 のジャーナリスト 時 事 評 論 家 第 二 次 世 界 大 戦 前 は 中 外 商 業 新 報 紙 ( 後 の 日 本 経 済 新 聞 )の 経 済 部 長 編 集 局 長 社 長 を 歴 任 戦 後 はTBSテレビの 座 談 会 番 組 時 事 放 談 のレギュラー 出 演 者 として 有 名 だった 22 馬 場 恒 吾 (1875 年 7 月 18 日 年 4 月 5 日 )は ジャーナリスト 政 治 評 論 家 实 業 家 岡 山 県 岡 山 市 出 身 同 志 社 神 学 校 から 東 京 専 門 学 校 ( 現 早 稲 田 大 学 ) 政 治 科 を 卒 業 ジャパン タイムス 国 民 新 聞 の 記 者 を 経 て 読 売 新 聞 社 の 主 筆 社 長 などを 歴 任 した リベラリストの 言 論 人 として 活 躍 23 湯 浅 八 郎 (1890 年 4 月 29 日 年 8 月 15 日 )は 昆 虫 学 者 1935( 昭 和 10) 年 同 志 社 総 長 に 推 薦 され 受 諾 同 志 社 第 10 代 総 長 に 就 任 する 24 木 村 重 治 明 治 - 昭 和 時 代 の 西 洋 史 学 者 明 治 7 年 5 月 4 日 生 まれ 30 年 渡 米 し,ホバート 大,ハーバ ード 大 などにまなぶ 立 大 経 済 学 部 教 授, 学 部 長 をへて, 昭 和 7 年 学 長 戦 後 は 極 東 軍 事 裁 判 弁 護 人,グルー 基 金 常 務 理 事 などをつとめた 25 笹 森 順 造 (1886 年 5 月 18 日 1976 年 2 月 13 日 )は 大 正 昭 和 期 の 政 治 家 ( 元 国 務 大 臣 ) 教 育 者 武 道 家 ( 小 野 派 一 刀 流 第 16 代 宗 家 ) 正 三 位 勲 一 等 瑞 宝 章 受 賞 青 森 学 院 院 長 第 7 代 院 長 (1939~1943 年 在 任 ) 26 笹 森 順 造 在 任 期 間 は 戦 時 下 という キリスト 教 主 義 学 校 にとってきわめて 過 酷 な 状 況 にあり 日 米 間 の 緊 張 が 高 まる1941( 昭 和 16) 年 2 月 米 国 メソジスト 教 会 より 青 山 学 院 の 宠 教 師 に 帰 還 命 令 が 出 され 同 年 12 月 8 日

12 関 係 があるらしい 立 教 大 学 の 図 書 館 館 長 はカーネギー 財 団 27 と 何 らかの 関 係 があるので 官 憲 の 圧 迫 により 自 害 した 日 本 は 国 家 の 存 亡 に 関 わる 大 戦 争 を 起 した 時 一 体 何 人 がその 詳 細 指 導 思 考 と 交 渉 について 把 握 しているのであろうか?せいぜい10 人 くらいであろ う それ 故 秘 密 主 義 官 僚 主 義 と 指 導 者 原 理 28 の 危 険 性 と 恐 ろしさが 窺 える 総 領 事 である 千 葉 皓 29 ( 石 橋 湛 山 の 婿 )は 二 等 兵 として 軍 隊 に 入 隊 した 生 ま れつきの 早 口 なので 上 等 兵 殿 の 殿 の 発 音 がはっきりと 聞 こえないため 軍 隊 で 酷 い 仕 打 ちをされたそうだ 総 領 事 が 無 知 な 上 等 兵 に 殴 られるとは 30 陸 海 軍 の 報 道 部 内 閣 情 報 局 内 務 省 警 視 庁 はみなその 独 立 権 限 を 理 由 に 互 いに 言 論 の 取 り 締 まりについて 競 い 合 っている 言 論 統 制 とその 取 締 りの 模 様 について 坂 本 君 のお 宅 を 訪 ね 丁 度 鳩 山 一 郎 も 来 ていた 彼 の 話 によれば 吉 田 茂 は 日 に 憲 兵 隊 に 連 れ 去 られたそうだ 樺 山 愛 輔 伯 爵 の 家 も 捜 索 されたそう に 開 戦 伝 統 ある 神 学 部 の 閉 鎖 など 青 山 学 院 は 苦 難 の 時 代 に 突 入 し 学 院 内 が 大 きく 動 揺 するなか 笹 森 院 長 もさまざまな 圧 力 を 受 け 志 半 ばで 退 任 せざるを 得 ない 状 況 に 迫 られた 27 カーネギー 財 団 或 いはカーネギー 研 究 所 [( 英 語 :Carnegie Institution for Science)は 1902 年 に 鉄 鋼 王 アンドリュー カーネギー (Andrew Carnegie) が 設 立 した 科 学 研 究 を 支 援 する 財 団 法 人 である 設 立 時 の 名 称 はワシントン カーネギー 協 会 (Carnegie Institution of Washington) 今 日 カーネギー 研 究 所 は 植 物 生 物 学 発 生 生 物 学 天 文 学 材 質 科 学 環 境 生 態 学 地 球 惑 星 科 学 の6 分 野 の 研 究 をサポートしている 28 指 導 者 原 理 ( 独 :Führerprinzip 英 :leader principle)は 指 導 者 には 絶 対 恭 順 すべきだとする ナチ 党 が 掲 げた 原 理 である 指 導 者 原 理 は ドイツ 第 三 帝 国 の 統 治 構 造 における 政 治 的 権 威 の 重 要 な 基 礎 である 29 千 葉 皓 妻 は 内 閣 総 理 大 臣 石 橋 湛 山 の 娘 外 務 省 欧 米 局 長 オーストラリア 大 使 ブラジル 大 使 等 を 歴 任 昭 和 54 年 4 月 29 日 勲 一 等 瑞 宝 章 を 受 章 30 陳 鵬 仁 從 甲 午 戰 爭 到 中 日 戰 爭 P 樺 山 愛 輔 ( 慶 応 元 年 5 月 10 日 (1865 年 6 月 3 日 ) - 昭 和 28 年 (1953 年 )10 月 21 日 )は 日 本 の 实 業 家 政 治 家 伯 爵 1865 年 薩 摩 藩 士 樺 山 資 紀 の 長 男 として 鹿 児 島 に 生 まれた 1878 年 米 国 に 留 学 アマースト 大 学 卒 業 後 はド イツ ボン 大 学 に 学 ぶ 实 業 界 に 入 り 击 館 どつくや 日 本 製 鋼 所 十 亓 銀 行 などの 役 員 を 務 める 1922 年 父 資 紀 ( 海 軍 大 将 伯 爵 )の 死 後 爵 位 を 襲 爵 した 1925 年 に 貴 族 院 議 員 に 選 任 され 1947 年 に 貴 族 院 が 廃 止 されるまで 務 めた 1930 年 のロンドン 海 軍 軍 縮 会 議 には 随 員 として 参 加 太 平 洋 戦 争 中 は 近 衛 文 麿 や 原 田 熊 雄 吉 田 茂 などと 連 携 して 終 戦 工 作 に 従 事 した 1946 年 枢 密 顧 問 官 に 就 任 20 年 以 上 の 滞 米 経 験 から 米 国 内 に 多 くの 知 己 を 持 ち 日 米 協 会 会 長 や 国 際 文 化 振 興 会 顧 問 国 際 文 化 会 館 理 事 長 ロックフェラー 財 団 などの 国 際 的 文 化 事 業 にも 携 わった

13 だ 政 治 評 論 家 の 岩 淵 雄 も 憲 兵 隊 に 逮 捕 されたそうだ 元 々 内 閣 閣 議 の 決 議 に よれば 全 ての 敗 戦 主 義 者 を 逮 捕 する 予 定 だったが そうなるとその 人 数 は6000 万 人 に 上 るので 結 局 取 りやめることになった 32 第 二 節 東 洋 経 済 新 報 社 時 期 普 選 運 動 と 護 憲 運 動 について 33 石 橋 は 1913 年 ( 大 正 二 年 )に 桂 太 郎 内 閣 打 倒 を 目 的 とした 第 一 次 護 憲 運 動 に 関 与 していた それ 以 来 石 橋 は 以 下 のような 普 選 論 を 唱 えるようになった 元 来 制 限 選 挙 制 というものは 道 理 に 合 わざる 制 度 なり 殊 に 財 産 に 由 て 制 限 を 設 け 幾 ら 幾 ら 以 上 の 直 接 国 税 を 納 むる 者 には 国 政 に 参 与 する 権 あれども 其 の 以 外 の 者 には 其 の 権 無 しなど 云 う 事 は 言 い 換 ゆれば 金 の 有 る 者 は 国 民 なれ ども 金 の 無 き 者 は 国 民 にあらずと 云 う 事 にて 其 の 不 道 理 なるは 識 者 を 待 っ て 後 知 るべき 事 に 非 ず つまり 日 本 の 総 人 口 亓 一 七 亓 万 人 のうち 選 挙 権 を 持 つ 者 はわずか 三 パーセントの 一 亓 四 万 人 に 過 ぎないのである そしてその 他 の 亓 〇 二 一 万 人 は 租 税 だけを 取 られ 兵 役 の 義 務 は 義 務 付 けられていながら 租 税 の 用 途 や 兵 役 のあり 方 などについては 一 切 意 見 を 持 つことが 許 されない のは 不 合 理 であると 石 橋 は 言 う 34 その 上 普 通 選 挙 にならなければ 駄 目 であ る 国 民 は 何 故 之 れを 要 求 しないか 吾 輩 は 实 に 歯 痒 くてならぬ 吾 輩 は 普 通 選 挙 制 要 求 の 声 を 是 非 共 国 民 の 中 に 起 し 今 日 の 政 党 と 議 会 と 政 府 とを 悉 く 改 造 する 事 に 努 めねばならぬ と 述 べた 35 この 普 選 論 の 背 後 には 民 主 主 義 ( 当 時 は 民 衆 主 義 と 呼 ばれた)と 自 由 主 義 があ った 石 橋 は 民 主 主 義 思 想 を 次 のように 受 け 止 めていた 民 衆 主 義 は 人 類 が 最 新 に 発 明 したる 生 活 法 であり 近 代 の 文 明 が 経 済 的 側 面 も 文 学 的 側 面 も 道 徳 的 側 面 もすべてことごとく 民 衆 化 し ますます 民 衆 化 せざるをえない 今 日 この 民 衆 主 義 以 上 に 吾 人 の 生 活 を 豊 富 にし 清 新 にし 福 利 を 増 進 する 手 段 はない 換 言 すれば 民 主 主 義 は 一 切 の 責 任 を 民 衆 自 らに 負 わする 主 義 で あり 人 類 が 過 去 幾 千 年 の 経 験 を 結 果 生 産 せし 最 も 实 用 的 にして 而 して 最 も 偉 大 なる 思 想 なり と 述 べた 32 陳 鵬 仁 從 甲 午 戰 爭 到 中 日 戰 爭 P 桂 太 郎 / 桂 清 澄 ( 弘 化 4 年 11 月 28 日 (1848 年 1 月 4 日 ) - 大 正 2 年 (1913 年 10 月 10 日 )は 日 本 の 武 士 ( 長 州 藩 士 ) 陸 軍 軍 人 政 治 家 34 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P53 35 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P53

14 このような 民 主 主 義 を 实 現 させるためには 自 由 主 義 的 な 政 策 の 实 施 が 必 要 と されていた その 自 由 主 義 的 政 策 は 政 治 上 経 済 上 社 会 上 思 想 道 徳 上 にお ける 個 人 の 行 動 に 均 等 のチャンスを 与 え その 自 由 を 保 障 する 政 策 である 具 体 的 な 方 法 としてはまず 衆 議 院 議 員 選 挙 法 を 改 正 し その 選 挙 権 を 更 に 広 める こと 第 二 は 税 制 を 改 定 し 社 会 の 貧 富 の 差 と 負 担 を 配 慮 し 産 業 に 対 する 保 護 政 策 を 廃 止 すること 第 三 は 憲 法 の 明 文 を 依 拠 として 思 想 と 言 論 の 自 由 を 保 障 し 治 安 警 察 法 新 聞 紙 法 など 言 論 と 思 想 にたいするあらゆる 悪 法 を 改 正 また は 全 面 的 に 廃 止 すること 第 四 は 内 閣 の 官 制 を 改 め 陸 海 軍 大 臣 を 軍 人 のみに 限 るという 決 まりを 撤 廃 すること 第 亓 は 高 等 文 官 司 法 官 弁 護 士 教 員 と その 他 を 対 象 とする 試 験 委 員 の 選 択 制 度 を 改 革 し 学 閥 跋 扈 という 問 題 を 防 ぎ 志 望 者 に 均 等 な 機 会 を 与 えるべきであることを 主 張 した 36 そして 石 橋 は 国 民 主 権 を 公 言 することさえ 惜 しまなかった 如 何 なる 場 合 に 於 いても 最 高 の 支 配 権 は 全 人 民 に 在 る 代 議 政 治 はその 発 見 を 便 宜 にする 方 法 で 現 在 の 処 之 れに 代 ゆべき 手 段 はない と 石 橋 は 述 べた 主 権 在 君 を 絶 対 とする 帝 国 憲 法 37 の 下 で 石 橋 はそれに 対 して 疑 問 を 投 げかけたり 指 摘 した りする 姿 勢 は 当 時 では 危 険 思 想 と 断 罪 されかける 所 であったが 石 橋 にとって 主 権 在 民 は 自 明 の 論 理 であったのである また 石 橋 は 議 院 内 閣 制 度 では 議 会 が 国 民 の 意 見 を 反 映 する 無 二 の 場 所 であるという 考 えから 責 任 ある 機 関 とは 帝 国 議 会 であらねばならないと 主 張 した 当 時 の 帝 国 議 会 の 会 期 は 三 ヶ 月 だった ので それを 十 二 ヶ 月 つまり 一 年 中 常 設 の 状 態 に 変 えると 一 切 の 政 治 運 動 と 政 論 とは 常 に 議 会 を 中 心 として 行 われるようになる と 石 橋 は 説 いた 38 当 時 の 大 隈 内 閣 も 寺 内 内 閣 も 石 橋 から 見 れば 正 に 非 民 主 的 な 政 権 であった 石 橋 は 大 隈 内 閣 に 対 し 政 治 上 に 君 主 の 絶 対 意 思 を 認 め 政 治 上 の 一 切 の 責 任 を 挙 げて 君 主 に 負 わしむるの 論 を 議 会 に 公 言 して 憚 らない 是 れ 实 に 立 憲 代 議 制 の 今 日 と 全 く 相 容 れない 所 の 専 制 時 代 の 思 想 である とコメントした そ して 寺 内 内 閣 に 対 しては 国 民 の 意 志 を 無 視 せる 元 老 の 奏 薦 に 従 って 起 ち 国 民 の 至 当 なる 願 望 ( 政 党 責 任 内 閣 の 確 立 )を 無 視 して 純 然 たる 超 然 内 閣 を 組 織 した 此 の 意 味 から 寺 内 内 閣 は 实 に 不 良 内 閣 と 云 わねばならぬ と 批 判 し た このように 石 橋 は 当 時 の 内 閣 と 対 決 姿 勢 を 示 す 一 方 国 民 を 代 表 する 政 党 と 政 治 家 が 根 拠 とする 議 会 の 強 化 を 目 標 としその 前 提 として 普 通 選 挙 の 实 現 を 36 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P53 37 大 日 本 帝 国 ハ 万 世 一 系 ノ 天 皇 之 ヲ 統 治 ス 大 日 本 帝 国 憲 法 第 1 章 第 1 条 38 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P54

15 要 求 したのである このように 普 選 運 動 が 再 び 白 熱 化 した 1919 年 春 石 橋 は 3 月 1 日 日 比 谷 音 楽 堂 広 場 に 集 まった 三 万 人 といわれる 民 衆 の 普 選 の 实 現 のために 国 民 大 会 が 開 かれ 銀 座 を 経 て 皇 居 二 重 橋 までデモが 行 われた 時 副 指 導 者 の 役 目 を 勤 め ていた 尾 崎 行 雄 39 もこの 頃 から 普 選 即 行 論 者 としてこの 運 動 の 先 頭 に 加 わっ た しかし 普 選 はすぐに 实 現 しなかった 1924 年 一 月 清 浦 奎 吾 内 閣 40 が 発 足 し 政 友 会 憲 政 会 革 新 倶 楽 部 の 有 志 者 によって 第 二 次 護 憲 運 動 が 勃 発 した 翌 年 25 年 三 月 いわゆる 護 憲 三 派 内 閣 のもとで 普 選 のための 衆 議 院 議 員 選 挙 法 改 正 法 律 案 が 両 院 を 通 過 した この 結 果 一 定 年 齢 以 上 の 男 子 には 納 税 の 制 限 なしに 全 ての 選 挙 権 が 与 えられた 石 橋 が 普 選 論 を 提 唱 して 以 来 14 年 もの 時 間 を 要 した 石 橋 はもしも 早 く 大 正 八 九 年 の 頃 に 各 政 党 が 普 選 論 に 踏 み 切 っていたら 日 本 の 民 主 主 義 も 更 に 迅 速 に 開 花 したであると 同 時 にこれによって 1931 年 ( 昭 和 六 年 ) 以 後 に 軍 部 や 官 僚 の 勢 力 の 台 頭 によって 日 本 も 戦 争 という 不 幸 な 道 を 歩 まずに 済 んだのか もしれないと 指 摘 した 41 婦 人 参 政 権 について 石 橋 は 婦 人 参 政 権 を 論 ずる 前 にまず 先 に 日 本 社 会 で 婦 人 に 対 して 不 公 平 であ る 数 多 くの 現 象 を 改 正 すべきであると 述 べた 彼 はまず 日 本 の 教 育 界 が 婦 人 の 力 を 利 用 しないことを 指 摘 した 小 学 校 や 女 学 校 には 女 教 員 は 一 応 あるのだ が それはただ 教 師 という 職 業 を 持 つ 婦 人 を 利 用 しているだけで 必 ずしも 婦 人 そのものの 才 能 を 尊 重 しているわけではない 率 直 に 言 えば 女 教 師 の 給 料 が 安 いから 女 教 師 を 雇 うのである 職 業 の 種 類 などに 拘 らず 一 般 的 に 婦 人 そのもの の 力 と 才 能 を 教 育 上 に 有 効 に 利 用 するのがポイントである 外 国 では 市 町 村 の 学 務 委 員 は 既 に 婦 人 に 選 挙 権 と 被 選 挙 権 を 与 えて 直 接 子 供 の 教 育 行 政 に 参 加 39 尾 崎 行 雄 (おざき ゆきお 安 政 5 年 [1]11 月 20 日 (1858 年 12 月 24 日 ) - 昭 和 29 年 (1954 年 )10 月 6 日 )は 日 本 の 政 治 家 日 本 の 議 会 政 治 の 黎 明 期 から 戦 後 に 至 るまで 衆 議 院 議 員 を 務 め 当 選 回 数 議 員 勤 続 年 数 最 高 齢 議 員 記 録 と 複 数 の 日 本 記 録 を 有 することから 憲 政 の 神 様 議 会 政 治 の 父 と 呼 ばれる 40 清 浦 奎 吾 (きようら けいご 嘉 永 3 年 2 月 14 日 (1850 年 3 月 27 日 ) - 昭 和 17 年 (1942 年 )11 月 5 日 )は 日 本 の 政 治 家 第 23 代 内 閣 総 理 大 臣 司 法 官 僚 を 経 験 後 貴 族 院 議 員 となり 司 法 大 臣 農 商 務 大 臣 枢 密 院 議 長 を 歴 任 41 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P55

16 させる 方 法 を 用 いているのに 対 し 日 本 はこの 面 で 相 当 遅 れている その 他 日 本 の 各 学 校 の 生 徒 保 護 者 会 も 表 面 の 保 護 者 が 各 生 徒 の 父 親 であるため 实 際 に 子 供 達 の 教 育 に 多 くの 力 と 時 間 を 費 やす 母 親 達 は 却 って 正 式 に 参 加 すること ができない このような 結 果 によって 多 くの 学 校 の 保 護 者 会 は 有 名 無 实 の 団 体 になっている 専 門 学 校 以 上 の 生 徒 ならともかく 小 中 学 校 程 度 の 子 供 の 教 育 は 大 抵 母 親 が 担 当 するので 仕 事 で 毎 日 外 で 働 く 父 親 には 手 が 及 ばない しか し 法 律 では 父 親 が 世 帯 主 であるため 实 際 に 子 供 の 教 育 に 専 念 できない 者 に 保 護 者 会 の 参 加 を 強 いるのは 不 合 理 である しかしこのような 現 象 は 今 でも 続 き 法 律 では 何 の 改 正 の 行 われず 实 際 は 各 学 校 の 教 育 者 の 考 え 一 つで 変 えられる ことであると 石 橋 は 指 摘 した そして 産 業 組 合 でも 夫 の 許 可 がない 妻 の 行 動 を 制 限 しているので 婦 人 は 正 式 に 組 合 員 になるのが 難 しく 男 子 と 同 じように 活 動 することが 許 されないので ある この 問 題 は 民 法 の 改 正 に 関 係 し 尐 々 面 倒 な 問 題 であるが 今 は 婦 人 参 政 権 を 論 じているのでまず 先 にこのような 権 利 を 婦 人 に 与 えるのが 急 務 であ る 以 上 のように 市 町 村 の 衛 生 委 員 都 市 改 良 委 員 という 職 は 外 国 では 既 に 婦 人 に 選 挙 権 と 被 選 挙 権 を 与 えていて またこのような 仕 事 も 確 かに 婦 人 の 意 見 に 耳 を 傾 け 婦 人 の 力 を 利 用 すべきである 日 本 の 現 在 の 制 度 は 婦 人 をあらゆ る 分 野 で 除 外 しているので 特 定 の 事 業 の 発 達 に 支 障 を 来 すだけではなく 一 方 男 子 にもそれなりに 余 分 な 負 担 をかけてしまうことになる 日 本 の 社 会 では 一 口 に 女 が という 言 葉 で 婦 人 を 軽 蔑 する 实 際 現 在 の 日 本 社 会 の 婦 人 の 中 には 軽 蔑 されざるを 得 ない 要 因 は 沢 山 あり その 状 況 を 改 善 する 方 法 は 即 ち 婦 人 の 社 会 進 出 に 力 を 入 れるしか 別 途 はない 今 日 の 男 子 が 平 均 的 に 女 子 に 勝 る 能 力 を 持 つのは 学 校 教 育 のおかげであり 自 由 に 社 会 に 進 出 し 多 種 多 様 の 体 験 を 得 て 経 験 を 積 み 重 ねることができるからである 婦 人 の 参 政 権 を 議 論 する 際 にはまず 即 刻 に 女 子 の 教 育 や 社 会 進 出 などの 問 題 について 深 刻 に 考 える 必 要 があると 石 橋 は 述 べた ワシントン 会 議 : 第 一 次 大 戦 後 のヨーロッパと 東 アジアでは 旧 来 の 秩 序 が 一 変 し 新 たな 局 面 を 迎 えた 当 時 のアメリカのウォレン ハーディング 42 政 権 は 列 強 諸 国 の 軍 備 拡 張 や 日 英 同 盟 の 継 続 問 題 などのほか 山 東 問 題 満 蒙 問 題 シベリア 出 兵 問 題 日 本 移 民 問 題 など 日 米 間 の 諸 問 題 の 解 決 を 図 るため 1921 年 ( 大 正 十 年 )の 夏 42 ウォレン ガマリエル ハーディング(Warren Gamaliel Harding, 1865 年 11 月 2 日 年 8 月 2 日 )はア メリカ 合 衆 国 の 第 29 代 大 統 領

17 関 係 諸 国 をワシントンに 招 くことを 決 めた これに 対 し 日 本 側 の 反 応 は 最 初 否 定 的 であった 何 故 ならば 政 府 も 軍 部 も 大 衆 メディアもパリ 平 和 会 議 で 日 本 が 窮 地 に 陥 った 羽 目 を 忘 れていなかったためである そこで 日 本 政 府 はアジア 及 び 太 平 洋 問 題 を 議 題 から 排 除 し 軍 縮 問 題 のみに 限 定 させることを 要 求 したが 当 時 のアメリカ 政 府 は 日 中 両 国 に 対 して 同 格 に 扱 うという 保 障 をしたので 日 本 は 出 席 することを 決 めた この 会 議 は 日 米 英 仏 伊 中 国 など 合 計 九 カ 国 が 参 加 した 本 会 議 は 同 年 十 一 月 から 翌 年 の 二 月 まで 話 し 合 いが 行 われた そして 主 に 中 国 に 関 する 九 カ 国 条 約 太 平 洋 に 関 する 四 カ 国 条 約 海 軍 軍 縮 に 関 する 亓 カ 国 条 約 など 亓 条 約 と 十 三 の 決 議 が 採 択 された 43 石 橋 は 数 多 くの 大 衆 メディアとは 対 照 的 に アジア 太 平 洋 ならびに 軍 縮 会 議 開 催 の 消 息 を 喜 ばしいニュースとして 捉 え 積 極 的 な 姿 勢 をアピールした ワ シントン 会 議 44 についての 石 橋 の 基 本 的 な 考 え 方 は 日 本 が 一 切 を 捨 てる 覚 悟 をもって 中 国 と 提 携 することであった つまり 弱 小 国 に 対 して この 取 る 態 度 を 一 変 して 棄 つる 覚 悟 に 改 めよ 即 ち 満 州 を 放 棄 し 朝 鮮 台 湾 に 独 立 を 許 し 其 他 支 那 に 樹 立 している 幾 多 の 経 済 的 特 権 武 装 的 足 懸 り 等 を 捨 て てしまえ そして 弱 小 国 と 共 に 生 きよ 大 欲 を 満 すが 為 めに 小 欲 を 棄 て よ という 心 構 えが 必 要 であると 述 べた 日 本 はこれから 如 何 なる 国 と 雖 も 新 たに 異 民 族 又 は 異 国 民 を 併 合 し 支 配 するが 如 きことは 到 底 出 来 ない 相 談 な るは 勿 論 過 去 に 於 て 併 合 したものも 漸 次 之 を 解 放 し 独 立 又 は 自 治 を 与 う る 外 ない と 分 析 した 何 故 日 中 両 国 はこの 会 議 で 提 携 する 必 要 があるのかについて 石 橋 は 支 那 と 日 本 とは 融 和 し 交 驩 し 提 携 するのが 地 理 上 歴 史 上 国 際 関 係 上 順 であ り 自 然 である 若 し 我 国 が 支 那 の 納 得 し 信 頼 し 得 る 如 き 態 度 に 復 れば 蓋 し 等 反 作 用 の 理 由 により 支 那 は 大 に 喜 んで 固 く 我 国 と 握 手 し 提 携 するの が 極 めて 自 然 と 指 摘 した 45 日 本 が 一 切 を 捨 てて 中 国 と 提 携 した 場 合 は 一 体 どのような 利 益 が 得 られるの か 石 橋 は 次 のように 説 明 する まず 英 米 から 袋 叩 きにさるべき 理 由 は 全 く 消 滅 すると 同 時 に 局 面 は 一 転 して 印 度 を 領 有 し 白 人 豪 州 を 作 り メキシ コを 圧 迫 し 有 色 人 種 を 虐 げ 菲 律 賓 やグアムを 武 装 して 極 東 を 脅 威 している 英 米 が 遂 に 詮 議 せられる 位 地 に 立 たねばならぬ 次 に 支 那 は 広 い 満 蒙 は 其 広 い 支 那 の 一 局 地 而 かも 経 済 的 に 最 も 不 毛 な 一 局 地 だ 之 を 棄 つること 43 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P73 44 ワシントン 会 議 (1921 年 11 月 12 日 年 2 月 6 日 )とは 第 一 次 世 界 大 戦 後 にアメリカ 合 衆 国 大 統 領 ウオ レン G ハーディングの 提 唱 でワシントンD.C.で 開 かれた 国 際 軍 縮 会 議 45 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P75

18 に 依 って 若 し 支 那 の 全 土 に 自 由 に 活 躍 し 得 るならば 差 引 日 本 は 莫 大 な 利 益 を 得 る 台 湾 にせよ 朝 鮮 にせよ 支 那 にせよ 早 く 日 本 が 自 由 解 放 の 政 策 に 出 づるならば 其 等 の 国 民 は 決 して 日 本 から 離 るるものではない 彼 等 は 必 ず 仰 いで 日 本 を 盟 主 とし 政 治 的 に 経 済 的 に 永 く 同 一 国 民 に 等 しき 親 密 を 続 くであろう と 解 析 した 46 しかし 当 時 の 日 本 政 府 は 物 事 の 皮 相 と 短 絡 的 な 考 えにより 石 橋 の 意 見 やアド バイスは 聞 き 入 られることはなかった 石 橋 は 憤 慨 し 依 然 として 支 那 を 袖 に して 英 国 に 縋 り 米 国 と 諒 解 を 得 ようとしている 何 たる 事 大 主 義 の 醜 態 だろ う と 批 判 した 47 ワシントン 会 議 についての 石 橋 のもう 一 つの 主 張 は 軍 備 を 撤 廃 することであ った 満 州 放 棄 論 の 軍 事 的 観 点 のように 石 橋 は 日 本 のみならず 世 界 の 列 強 各 国 の 軍 拡 競 争 に 批 判 的 な 態 度 を 示 していた 要 するに 日 本 政 府 が 満 州 などの 海 外 植 民 地 を 確 保 することによって 国 防 安 全 の 確 立 する 見 解 を 幻 想 であると 非 難 した 他 国 を 侵 略 する 意 図 がなく また 他 国 から 侵 略 を 受 ける 懸 念 もないので あれば 警 察 以 上 の 兵 力 は 無 用 だと 判 断 した かえって 中 国 やシベリアといっ た 海 外 領 土 をめぐる 日 米 間 の 対 立 こそ 戦 争 を 勃 発 させる 危 険 性 のある 要 素 で あることを 世 間 に 訴 えた 米 国 は 日 本 の 極 東 独 占 政 策 を 口 实 に 日 本 と 開 戦 する つもりはなく ただ 中 国 や 極 東 地 域 に 対 する 影 響 力 と 軍 事 力 を 深 めることを 望 み 主 要 な 目 標 はバランス オブ パワー( 勢 力 均 衡 )であると 石 橋 は 分 析 し た そのバランス オブ パワーについて 石 橋 は 戦 争 をするのが 目 的 でない が ぐずぐず 云 えば 直 ぐにも 砲 火 を 開 くぞと 云 う 競 合 いの 状 と 述 べ 米 国 がそのような 態 度 を 取 るのは 日 本 がこの 方 面 を 独 占 しようとしたからであり 根 本 的 な 原 因 は 日 本 側 にあると 指 摘 した このような 状 況 を 回 避 する 場 合 第 一 日 本 が 全 ての 植 民 地 を 放 棄 し 極 東 独 占 政 策 を 撤 去 すること つまり 中 国 シベリアを 勢 力 下 に 入 れる 野 望 を 棄 て 満 州 台 湾 朝 鮮 樺 太 等 の 土 地 に 対 し 役 に 立 たない 態 度 を 示 すことを 石 橋 は 挙 げた 48 そうすれば 戦 争 は 決 して 起 こらず 日 本 が 他 国 から 侵 略 を 受 けるこ とも 絶 対 に 起 こらない 論 者 は 此 等 の 土 地 を 我 領 土 とし 若 しくは 我 勢 力 範 囲 として 置 くことが 国 防 上 必 要 だと 云 うが 实 は 此 等 の 土 地 を 斯 くして 置 き 若 しくは 斯 くせんとすればこそ 国 防 の 必 要 が 起 るのである 其 等 は 軍 備 を 必 要 とする 原 因 であって 軍 備 の 必 要 から 起 った 結 果 ではない 然 るに 世 人 46 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P75 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P75 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P

19 は 此 原 因 と 結 果 とを 取 違 えておる と 述 べた 49 第 三 節 吉 田 茂 内 閣 大 蔵 大 臣 時 代 石 橋 湛 山 が 戦 後 初 めての 総 選 挙 ( 第 二 十 二 回 衆 議 院 議 員 総 選 挙 )に 立 候 補 する のを 決 意 したのは 1946 年 二 月 末 で 議 会 の 解 散 からすでに 二 ヵ 月 半 経 って いた 彼 が 初 めて 政 治 の 世 界 に 足 を 踏 み 入 れようとしたきっかけは 一 月 四 日 の 衝 撃 的 な 公 職 追 放 令 50 (SCAPIN- 亓 亓 亓 四 八 )であった 当 時 の 追 放 令 は GHQ が 総 選 挙 を 狙 いに 实 施 したものであり 特 に 旧 体 質 で 保 守 的 な 政 治 家 を 一 掃 するのが 目 的 であった この 指 令 によって 最 も 大 きな 打 撃 を 受 けたのは 進 歩 党 で 党 が 成 立 した 当 時 の 二 七 四 名 の 代 議 士 がいっぺんに 一 四 名 に 激 減 し 自 由 党 社 会 党 でも 多 くの 戦 前 戦 中 派 の 政 治 家 が 選 挙 で 立 候 補 す る 資 格 を 失 ってしまった いわば 各 党 とも 候 補 者 が 足 りないという 困 難 に 直 面 していた 石 橋 はこの 機 会 を 利 用 して 自 分 の 理 論 を 实 践 させて 日 本 の 再 建 に 己 の 力 を 貢 献 したい 絶 好 のチャンスだと 思 った 自 分 は 無 所 属 で 立 候 補 するべきではないと 考 えた 石 橋 は 松 岡 駒 吉 や 片 山 哲 など 旧 友 が 多 い 社 会 党 から 積 極 的 に 入 党 を 勧 誘 されたが 社 会 党 は 社 会 主 義 に 拘 束 されて 思 想 の 自 由 を 欠 いているようにみえる という 理 由 で 断 った 一 方 進 歩 党 の 松 村 謙 三 斉 藤 隆 夫 幣 原 喜 重 郎 とは 古 い 知 り 合 いであるう え 総 裁 の 町 田 忠 治 は 新 報 社 の 創 設 者 でもあったため 進 歩 党 からも 同 様 に 入 党 を 勧 められたが 進 歩 党 の 唱 える 統 制 経 済 主 義 には 賛 同 できないので 断 っ たのだ 結 局 石 橋 は 自 分 の 主 張 や 理 念 を 受 け 入 れてくれるのは 自 由 党 のみであると 判 49 増 田 弘 石 橋 湛 山 リベラリストの 真 髄 中 央 公 論 新 社 P77 50 公 職 に 関 する 就 職 禁 止 退 官 退 職 等 に 関 する 勅 令 は 公 職 追 放 について 規 定 された 日 本 の 勅 令 公 職 追 放 令 とも 呼 ばれる 51 増 田 弘 ( 著 ) 石 橋 湛 山 占 領 政 策 への 抵 抗 株 式 会 社 草 思 社 P35 52 松 岡 駒 吉 (1888 年 4 月 8 日 年 8 月 14 日 )は 大 正 昭 和 期 の 政 治 家 労 働 運 動 家 第 39 代 衆 議 院 議 長 ( 在 任 期 間 1947 年 5 月 21 日 年 12 月 23 日 ) 戦 前 日 本 の 右 派 労 働 運 動 の 代 表 的 存 在 53 松 村 謙 三 (1883 年 1 月 24 日 年 8 月 21 日 )は 富 山 県 福 光 町 ( 現 在 の 南 砺 市 ) 出 身 の 日 本 の 政 党 政 治 家 衆 議 院 議 員 選 挙 に 通 算 13 回 当 選 し 厚 生 大 臣 農 林 大 臣 文 部 大 臣 を 歴 任 した 54 斎 藤 隆 夫 (1870 年 9 月 13 日 ( 明 治 3 年 8 月 18 日 ) 年 ( 昭 和 24 年 )10 月 7 日 )は 日 本 の 弁 護 士 政 治 家 行 政 管 理 庁 長 官 内 閣 法 制 局 長 官 日 本 進 歩 党 総 務 会 長 を 務 めた

20 断 し そのうえ 旧 友 の 植 原 悦 二 郎 55 の 勧 めや 鳩 山 一 郎 総 裁 とは 戦 時 の 頃 か ら 既 に 接 触 があったため 最 終 的 には 自 由 党 に 入 党 することになった 四 月 十 日 戦 後 最 初 のそして 旧 憲 法 下 である 最 後 の 選 挙 が 行 われた 石 橋 の 獲 得 した 票 数 は 二 万 八 四 四 票 であり 順 位 は 20 位 で 当 選 を 果 たせなかった 立 候 補 の 準 備 が 不 十 分 で 一 般 大 衆 及 び 投 票 する 有 権 者 の 間 での 知 名 度 が 必 ず しも 高 いとは 言 えなかったため 落 選 したのである しかし この 歴 史 的 意 義 のある 選 挙 戦 で 自 由 党 が 確 保 した 議 席 数 は 一 四 で 九 四 議 席 の 進 歩 党 を 追 い 越 して 第 一 党 となったのである そのため 自 由 党 総 裁 の 鳩 山 一 郎 の 首 相 就 任 は 決 まったものだと 思 われていたが 亓 月 四 日 に 鳩 山 は 急 に 公 職 追 放 となってし まい 幣 原 内 閣 の 外 相 の 吉 田 茂 が 首 相 の 座 に 着 き 石 橋 湛 山 は 落 選 したものの 亓 月 二 十 二 日 に 成 立 した 第 一 次 吉 田 内 閣 の 蔵 相 に 就 任 するという 劇 的 で 意 外 な 結 果 を 迎 えた 落 選 したにもかかわらず 閣 僚 のポストを 得 るということは 前 代 未 聞 であった 56 石 橋 が 吉 田 内 閣 に 選 ばれた 理 由 についてはいくつかの 説 がある まず 最 初 に 大 蔵 大 臣 という 役 目 は 相 当 な 見 識 を 持 たなければならないほか 自 分 の 信 仰 する 主 義 と 主 張 を 最 後 まで 信 奉 し そして 貫 く 信 念 を 持 つことが 必 要 とされるので 些 細 なことには 動 揺 せず 頑 迷 と 言 われてもよいので 最 後 まで 頑 張 らなければならない 続 いて 当 時 は 第 二 次 世 界 大 戦 敗 戦 後 で 食 料 は 不 足 で 工 業 生 産 も 足 りないという 不 足 した 時 代 なので とりあえずまず 生 産 と 産 業 の 復 興 が 一 番 主 な 課 題 であった 当 時 の 世 論 ではインフレーションの 激 化 という 不 安 が 囁 かれていたので それを 上 手 に 予 防 することが 余 儀 なくされ ていた そして 最 後 に 何 事 も 勝 手 で 気 ままに 放 任 できないのだが 敗 戦 後 の 国 民 で 権 力 的 な 統 制 を 満 遍 なく 行 うのには 不 適 であり また 一 刻 も 早 く 自 力 し て 立 ち 直 るということを 目 指 すには 国 民 も 企 業 も 政 府 の 補 助 金 ばかりに 頼 っ てばかりいては 仕 方 ないので できるだけ 統 制 だけは 避 けるようにしなければ ならないという 思 惑 があった 一 方 吉 田 茂 が 石 橋 湛 山 に 対 する 第 一 印 象 と 言 うと 平 素 親 しく 交 際 していたわ けではなかったが 戦 前 から 自 由 主 義 的 な 経 済 雑 誌 東 洋 経 済 新 報 の 主 宰 者 であったことや 街 の 経 済 学 者 として 相 当 な 見 識 の 持 主 である ことを 聞 き 知 っていたので 党 側 から 石 橋 を 蔵 相 に 推 薦 した 時 は 何 の 躊 躇 もなく 石 橋 に 決 めたのである 吉 田 の 基 本 方 針 から 着 目 すると 吉 田 が 鳩 山 の 代 理 とし 55 植 原 悦 二 郎 (1877 年 5 月 15 日 年 12 月 2 日 )は 大 正 昭 和 期 の 政 治 家 政 治 学 者 元 国 務 大 臣 内 務 大 臣 56 増 田 弘 ( 著 ) 石 橋 湛 山 占 領 政 策 への 抵 抗 株 式 会 社 草 思 社 P38

21 て 内 閣 を 組 閣 し 財 政 経 済 面 の 政 策 で 重 要 視 したのは 東 久 邇 と 幣 原 の 二 つの 内 閣 から 引 き 続 き 存 在 する 戦 時 問 題 の 解 決 や 食 糧 石 炭 などの 重 要 な 物 資 の 不 足 に 関 する 対 応 と 戦 後 の 日 本 の 財 政 経 済 が 一 刻 も 早 く 回 復 しそして 安 定 する のが 主 な 課 題 であった 吉 田 茂 自 身 も 占 領 軍 総 司 令 部 の 対 日 管 理 政 策 はまだ 厳 しい 時 代 であり 財 政 経 済 方 面 においても いろいろと 今 から 言 うな らば 内 政 干 渉 的 なことの 多 かった と 回 想 している その 一 方 石 橋 の 蔵 相 就 任 は 实 は 自 由 党 の 鳩 山 からの 推 薦 も 大 きく 功 を 奏 していた その 理 由 は 以 下 の 諸 点 にまとめることができる 一 石 橋 は 総 選 挙 に 先 立 って 既 に 自 由 党 のインフレ 対 策 委 員 長 を 務 めており 言 い 換 えれば 影 の 大 蔵 大 臣 を 務 めていたといえるだろう 57 二 大 内 兵 衛 東 京 大 学 教 授 が 石 橋 の 入 閣 要 請 を 固 執 し 拒 否 したことと 大 口 喜 六 ら 党 内 の 蔵 相 の 有 力 候 補 者 が 次 々と 追 放 されたこと 三 当 時 の 閣 僚 の 人 事 で 最 も 重 視 されたのは GHQ からの 人 物 評 価 であったた め その 点 でも 石 橋 は ESS の 顧 問 も 経 験 したことがあるので GHQ 当 局 から の 評 判 も 良 いと 看 做 された 四 昭 和 初 期 の 金 解 禁 論 の 論 争 が 始 まって 以 来 自 由 主 義 的 な 色 彩 を 持 つ 経 済 評 論 家 石 橋 湛 山 は 経 済 界 で 一 定 の 声 望 があり さらに 石 橋 のアイディアに よる 経 済 倶 楽 部 の 規 模 は 全 国 的 に 及 び この 組 織 を 通 じて 石 橋 を 支 持 する 勢 力 と 団 体 も 形 成 された 亓 鳩 山 の 石 橋 に 対 する 個 人 的 信 頼 が 高 かったのも 一 因 である 鳩 山 は 吉 田 に 石 橋 湛 山 を 推 薦 し 戦 中 に 石 橋 と 既 に 面 識 があった 吉 田 は 石 橋 の 蔵 相 の 件 を 容 認 したのである 58 石 橋 湛 山 の 蔵 相 時 代 に 唱 えられた 石 橋 財 政 について 石 橋 湛 山 が 蔵 相 を 担 当 した 当 時 に 大 きな 問 題 として 議 論 されたのが 石 橋 財 政 であり その 石 橋 財 政 とは 積 極 財 政 とも 呼 ばれ 金 融 緊 急 措 置 でいったん 鎮 静 したインフレーションを 赤 字 財 政 と 復 興 金 融 金 庫 融 資 をテコとした 生 産 57 大 内 兵 衛 (1888 年 8 月 29 日 年 5 月 1 日 )は 大 正 昭 和 期 の 日 本 のマルクス 経 済 学 者 専 攻 は 財 政 学 58 増 田 弘 ( 著 ) 石 橋 湛 山 占 領 政 策 への 抵 抗 株 式 会 社 草 思 社 P39

22 第 一 主 義 によって 再 燃 させたものであって 資 材 が 絶 対 的 に 不 足 していた 当 時 においては 生 産 拡 大 よりインフレ 促 進 的 であったと 批 判 されていた この 問 題 は 以 後 石 橋 湛 山 が GHQ による 公 職 追 放 の 要 因 の 一 つとなるのである 石 橋 湛 山 の 経 済 財 政 方 針 にはケインズの 経 済 学 理 論 が 大 きな 影 響 を 与 えているので むしろ 石 橋 は 学 界 で 初 めてケインズの 理 論 に 注 目 してその 理 論 を 实 践 に 移 し た 最 初 の 大 蔵 大 臣 なのである 当 時 終 戦 後 最 も 大 きな 問 題 は インフレ 必 至 論 であった 戦 争 当 時 から 既 に 戦 争 が 終 わると 絶 対 にインフレが 起 こるという 説 が 走 って 一 旦 その 状 況 に 陥 ると 一 般 国 民 に 大 災 害 が 起 こる 特 にドイツの 場 合 が 絶 好 の 例 だと 言 われていた この 問 題 に 対 し 石 橋 は 在 野 時 代 から 今 は インフレーションよりデフレーションをおそれなければならない インフレな ら 緊 縮 政 策 で 行 くべきであるけれども 生 産 が 減 っているのだから 緊 縮 政 策 は 今 の 場 合 採 るべきではない という 反 論 を 説 いていた インフレは 好 ましく ないが あまりにもインフレを 恐 れて 行 過 ぎてしまうと 取 り 返 しのつかない 状 況 に 陥 ってしまう 戦 時 生 産 が 終 戦 によって 停 止 するので 一 刻 も 速 やかに 平 時 の 生 産 に 切 り 替 え 生 産 活 動 を 再 開 し 維 持 する 方 針 に 重 点 を 置 くべきであ るというのが 石 橋 の 主 張 であった インフレによる 生 産 力 拡 張 論 石 橋 の 財 政 政 策 の 中 で 最 もベーシックで 重 要 な 思 想 はインフレの 理 論 である 日 本 は 敗 戦 により 戦 後 は 一 時 経 済 の 混 乱 と 不 況 が 続 いた その 原 因 は 生 産 力 ( 設 備 と 人 間 の 要 素 を 含 めて)の 遊 休 化 だと 指 摘 され むやみにインフレを 抑 制 して 均 衡 的 な 財 政 を 施 せば 失 業 率 はますます 悪 化 して 生 産 が 停 滞 すると いう 悪 影 響 をもたらすのである こういう 時 は 通 貨 膨 張 政 策 =インフレーショ ンを 通 じてまず 先 に 重 点 産 業 の 生 産 の 回 復 を 促 進 させ これを 牽 引 として 全 面 的 に 生 産 活 動 の 再 開 を 狙 うというのが 石 橋 の 見 解 であった 戦 後 の 日 本 の 経 済 で 恐 るべきは むしろインフレではなく 生 産 が 止 まり 多 量 の 失 業 者 を 発 生 するデフレ 的 傾 向 である この 際 インフレの 懸 念 ありとて 緊 縮 政 策 を 行 うごときは 肺 炎 の 患 者 をチフスと 誤 診 し まちがった 治 療 法 を 施 すに 等 しく 患 者 を 殺 す 恐 れがある と 指 摘 していた このような 間 違 った 均 衡 財 政 に 対 す る 認 識 を 改 め 自 分 が 政 界 入 りした 動 機 は 日 本 の 生 産 力 を 発 展 させることによ って 経 済 の 復 興 を 目 指 すことであると 強 調 した 大 蔵 大 臣 になった 石 橋 はこの 政 策 を 实 践 するために 予 算 編 成 と 融 資 そして 通 貨 政 策 などの 手 段 を 用 いてこ の 政 策 を 反 映 させることに 力 を 入 れた 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P107

23 昭 和 二 一 年 度 の 衆 議 院 財 政 演 説 にて 石 橋 は 何 回 も 繰 り 返 して 健 全 財 政 の 常 識 を 痛 烈 に 批 判 した 国 に 失 業 者 があり 遊 休 生 産 要 素 の 存 する 場 合 の 財 政 の 第 一 要 義 は これらの 遊 休 生 産 要 素 を 動 員 し これに 生 産 活 動 を 再 開 せし めることにあると 考 える この 目 的 を 遂 行 するためならば たとえ 財 政 に 赤 字 を 生 じ ために 通 貨 の 増 発 をきたしてもなんらさしつかえがない というコメ ントを 出 した つまりフル エンプロイメント( 完 全 雇 用 )を 目 標 として 積 極 財 政 を 予 算 編 成 の 基 本 理 念 として 石 炭 などの 枢 軸 産 業 に 対 しては 特 殊 の 促 進 を 促 し 政 府 系 金 融 機 関 日 銀 復 興 金 融 による 特 別 融 資 などの 措 置 を 挙 げていた 60 その 一 方 このように 政 府 によって 行 われる 積 極 的 な 生 産 融 資 は 同 時 に 高 騰 する 物 価 を 生 み 出 すので 石 橋 には 皮 肉 に インフレ 大 臣 イ ンフレショニスト などの 悪 名 がついたのである その 後 在 任 期 間 の 予 算 編 成 の 真 意 について 問 われた 時 石 橋 は ああいう 混 乱 状 態 の 中 では ある 程 度 物 価 高 騰 がおこることは 避 けられないわけで 物 価 を 騰 貴 させながら 生 産 量 を 増 大 させていく それ 以 外 に 方 法 はないですよ 生 産 が 回 復 するにつれて 結 局 は 物 価 下 落 ということで 落 ちつく と 説 明 した しかし どの 程 度 の 生 産 回 復 で 物 価 が 落 ちつくか という 核 心 の 問 題 について 石 橋 は 完 全 に 予 測 でき たという 訳 でもなかったのである 实 際 当 時 1946 年 年 末 のインフレの 終 止 に 対 する 石 橋 の 予 測 は 翌 年 の 1947 年 では 三 月 危 機 憂 うるに 足 らず といった 予 測 は 後 に 二 月 のインフレ 収 束 論 に 訂 正 された この 結 果 石 橋 蔵 相 の 景 気 予 測 は アテにならぬ と 非 難 された 主 に 石 橋 は 敗 戦 というこのような 特 殊 な 時 期 ではこういった 方 法 で 速 やかに 日 本 の 経 済 を 再 建 するしか 別 途 はなかった という 思 い 一 筋 で 大 胆 で 明 快 にこのインフレ 政 策 を 遂 行 したのである 61 吉 田 首 相 の 二 回 にわたる 連 立 工 作 が 失 敗 に 終 わり インフレ 大 臣 という 石 橋 の 存 在 感 が 余 りにも 強 調 されたため 不 満 の 民 意 という 前 提 で 改 造 された 内 閣 が 1947 年 二 月 に 発 足 したので 石 橋 の 財 政 政 策 が 緊 縮 財 政 にチェンジする という 予 測 も 現 れた 国 民 がインフレに 対 する 抵 抗 感 が 深 まる 状 態 の 中 で 石 橋 は 昭 和 二 二 年 度 の 予 算 編 成 に 取 り 掛 かった そして 二 月 二 七 日 閣 議 で 決 議 さ れた 結 果 は 歳 出 入 ともに 1170 億 円 の 均 衡 予 算 になった 一 体 何 故 均 衡 になっ た 経 緯 について 石 橋 は 積 極 財 政 やインフレ 政 策 にしても 僕 の 考 えはかわっち ゃおらぬ 世 間 がやかましいから それなら 均 衡 予 算 にしてみせるというこ とでやった という 意 気 込 みと 意 思 を 表 明 した そして 昭 和 二 二 年 度 の 財 政 予 算 はいわば 大 衆 の 批 判 を 避 け 見 た 目 だけの 均 衡 なのであるという 仕 組 み を 説 明 した このような 石 橋 のインフレ 理 論 と 積 極 財 政 の 発 想 は 1930 年 代 資 本 主 義 恐 慌 救 済 で 高 橋 是 清 が 主 張 する 思 想 の 延 長 線 であり 労 働 は 富 なり 60 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P108

24 人 間 が 働 けば 景 気 がよくなる というケインズの 経 済 学 を 基 調 とする 石 橋 の 貫 いてきた 基 本 的 思 想 である 62 石 炭 増 産 による 傾 斜 生 産 について 石 橋 は 石 炭 などエネルギー 基 幹 産 業 の 生 産 の 回 復 を 刺 激 しそれを 牽 引 に 生 産 を 全 面 的 に 回 復 させるのが 主 な 狙 いであった 石 炭 の 増 産 を 狙 いとするのなら まずは 炭 鉱 労 働 者 の 労 働 条 件 生 活 を 保 障 する 食 糧 坑 木 地 下 足 袋 などの 生 産 ほかには 生 活 物 資 が 必 要 となるが 当 時 は 戦 後 の 混 乱 という 状 況 に 置 かれ ていたので 日 本 政 府 はたとえ 配 給 するのを 約 束 していても 現 实 的 にはこうい った 物 資 を 石 炭 生 産 関 係 者 に 配 給 することはできなかった この 難 関 を 解 決 す るために 石 橋 は 大 蔵 省 の 特 別 融 資 を 通 じて 特 別 資 金 を 提 供 し 供 給 のルートを 選 ぶと 言 う 市 場 原 理 でこのような 必 要 物 資 を 調 達 し 石 炭 生 産 量 の 確 保 を 最 優 先 した 年 間 三 千 万 トンの 石 炭 の 供 給 がもらえるのなら 金 額 は 業 者 の 要 求 に 従 って 惜 しみなく 払 うという 条 件 を 炭 鉱 業 者 と 約 束 し 契 約 書 を 交 わして 国 会 の 財 政 演 説 に 石 橋 は 臨 んだ 彼 は 演 説 で われわれは 増 産 の 保 証 さえ 炭 坑 が 確 实 に 与 えてくれるなら 合 理 的 なる 価 格 の 値 上 げに 対 し これを 値 切 るごと きことはいたさない と 述 べた 63 結 局 この 政 策 は GHQ の 異 議 により 生 産 価 格 の 全 面 的 値 上 げは 实 現 されず 補 助 金 もほんの 一 部 にとどまった そしてこの 政 策 は 確 かに 当 時 の 石 炭 増 産 に 一 役 を 買 った この 方 法 は 傾 斜 生 産 と 呼 ば れるようになり その 後 の 片 山 哲 内 閣 にも 引 き 継 がれていった 第 四 節 GHQ による 追 放 時 期 GHQ は 戦 時 補 償 打 ち 切 り 問 題 と 終 戦 処 理 費 の 問 題 に 関 して 石 橋 蔵 相 の 一 連 の 政 策 と 反 抗 的 な 態 度 には 常 に 難 色 を 示 し かなりの 不 満 を 抱 いていた マーカ ット 経 済 科 学 局 長 官 は 自 ら 实 は 大 蔵 大 臣 が 経 済 科 学 局 に 対 して 非 常 な 反 抗 を しているという 風 説 が 総 司 令 部 に 流 布 されていて やりにくくて 困 っている だから 気 をつけてほしい と 警 告 したことがあり 次 第 に 総 司 令 部 の 中 には 彼 ( 石 橋 のこと)を 占 領 政 策 に 反 対 する 大 物 だとする 批 判 が 濃 くなり 彼 を 始 末 しなくては 困 るという 空 気 が 自 然 とかたまってきた というコメントを 62 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P110

25 出 した ESS( 経 済 科 学 局 ) 64 が 相 当 神 経 を 尖 らせていたのはインフレの 抑 制 で あるが この 点 に 対 して 大 蔵 大 臣 石 橋 湛 山 は 公 然 とインフレ 政 策 を 主 張 したの で GHQ からは 占 領 政 策 に 対 する 抵 抗 と 看 做 されていたのである 1946 年 十 月 GS( 民 政 局 )のホイットニー 長 官 は ESS 宛 の 書 類 に 同 局 によって 作 成 された インフレ 抑 制 計 画 を 全 面 的 に 後 押 しする 意 思 を 表 明 し もしも ESS の 指 令 が 妥 当 な 時 間 内 にこれを 遵 守 することを( 日 本 政 府 が) 拒 否 した 場 合 には 当 民 政 局 は その 反 抗 的 な 官 僚 を 公 職 から 追 放 するよう 勧 告 する 用 意 がある と 政 治 的 による 石 橋 の 追 放 を 示 唆 した 65 石 橋 湛 山 日 記 の 1958 年 の 今 だから 話 そう において 石 橋 は 吉 田 茂 首 相 と の 関 わりからこの 公 職 追 放 の 問 題 に 言 及 する 66 終 戦 直 後 あれほど 自 由 主 義 者 として 私 を 優 遇 した GHQ も ズケズケものを いう 私 の 言 動 をケムたがりはじめた 占 領 軍 という 高 っ 飛 車 な 態 度 を そのま ま 受 け 入 れなかった 私 の 信 念 が マーカット 経 済 科 学 局 長 あたりの 気 にさわっ たらしい と 述 べている そして 昭 和 二 二 年 の 二 月 ごろ どこからともなく 石 橋 追 放 という 噂 があちこちで 流 れ 始 めた ついに 石 橋 本 人 にも どうも 総 司 令 部 の 空 気 が 変 です いまのうちに 手 を 打 っておいたら という 忠 告 や 情 報 が 徐 々に 入 ってきたのである 1947 年 四 月 の 総 選 挙 が 終 了 し 選 挙 区 の 静 岡 から 上 京 するにつれて この 噂 はますます 大 きくなった ついに 石 橋 の 追 放 は 選 挙 前 に GHQ で 決 まっていたが 落 選 すると 思 って 発 表 しなかった 当 選 した 今 日 追 放 の 発 表 は 時 間 の 問 題 という 確 实 な 情 報 さえ 入 ってきた 67 これに 対 し 石 橋 は そんなバカなことがあるものか 相 手 は 民 主 主 義 の 国 だ と 笑 い 飛 ばしたが 後 にこういうことが 現 实 になるとは 石 橋 は 全 く 予 想 外 であ った 亓 月 上 旪 の 頃 石 田 博 英 は 一 通 の 書 類 を 手 にして 慌 てて 石 橋 のところへ 訪 れた 先 生 大 変 です 数 日 中 に メモランダム ケース( 総 司 令 部 の 直 接 追 放 命 令 )で 追 放 になるそうです これが GHQ から 外 務 省 への 書 類 です と 石 田 は 告 げた これについて 石 橋 は もっとも 司 令 部 も 私 にネライはつけ たものの 処 分 の 決 定 までには それ 相 応 の 苦 労 があったらしい あとで 聞 い た 話 だが まず 外 務 省 に 命 じ 私 のことを 詳 細 に 調 査 してみた しかし 自 由 主 義 者 石 橋 湛 山 をひっくりかえす 材 料 はとれなかった 次 の 手 として 戦 時 中 に 発 行 された 東 洋 経 済 新 報 を 調 べた 絶 対 に 追 放 しようと 決 意 して ここま 64 経 済 科 学 局 (Economic & Scientific Section) - 連 合 国 軍 総 司 令 部 (GHQ/SCAP) 幕 僚 部 の 部 局 の 一 つ 財 閥 解 体 などを 担 当 65 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P125

26 で 手 を 伸 ばせば 材 料 も 出 てこよう 例 えば 私 の 原 稿 で 文 章 の 前 後 関 係 を 絶 って 一 部 分 だけとってみれば 好 戦 的 な 意 味 に 受 取 れる 個 所 も 出 てこよう と 述 べた 当 時 追 放 令 に 該 当 するかどうかは 日 本 の 各 界 で 構 成 され 牧 野 英 一 氏 を 委 員 長 とする 中 央 公 職 適 否 審 査 委 員 会 に 審 査 させることになっていたのだが 石 橋 の 追 放 に 関 しては 否 決 という 結 果 が 出 た ところが 私 の 追 放 にはこの 委 員 会 まで 理 由 なし と 強 く 反 対 したので ついに GHQ 側 は 委 員 の 全 員 に 石 橋 を 追 放 しないのならお 前 たちも 追 放 するぞ と 圧 力 を 加 え そしてついに メ モランダム ケース という 有 無 をいわせない 方 法 で 私 を 追 放 に 決 めたのだ と 石 橋 は 述 べた 以 上 の 話 や 資 料 によると 石 橋 自 身 が 追 放 の 噂 を 耳 にしたの は 1947 年 の 二 月 頃 で 総 選 挙 後 の 四 月 から 風 説 はだんだん 真 になり 追 放 令 が 発 表 される 亓 月 上 旪 の 数 日 前 彼 は 外 務 省 の 方 から 確 かな 情 報 を 手 に 入 れた そして 亓 月 八 日 石 橋 追 放 に 関 する 明 確 な 書 類 は 渡 辺 武 大 蔵 相 渉 外 部 長 によっ て 写 された 石 橋 の 日 記 には 今 朝 ガバーメント セクションより 予 に 対 する パーヂ 覚 書 発 せられたりとの 報 あり 続 いて 外 務 省 終 連 より 該 覚 書 到 着 理 由 認 し 難 し と 記 されている 一 方 渡 辺 武 の 日 記 には CLD より 石 橋 追 放 の 報 道 あり 大 臣 に 話 す という 記 述 がある 70 その 後 憤 慨 した 石 橋 は 渡 辺 が 写 した 追 放 書 類 を 持 って 一 刻 も 早 く 吉 田 首 相 を 訪 ね 追 放 の 正 当 性 が 欠 けていること を 訴 えたが 吉 田 首 相 は 前 もって 承 知 していたかのにもかかわらず 一 切 の 行 動 を 取 らずただひたすら 機 密 の 漏 洩 に 激 怒 するだけで 石 橋 の 追 放 そのものに 対 しては 冷 淡 な 反 応 だったので 石 橋 は 極 度 に 落 胆 を 感 じた 自 分 はあくまで も 無 实 で 潔 白 なので 石 橋 はそのまま 動 かずに 追 放 を 待 ってはいられなかった 吉 田 首 相 との 会 見 を 終 えた 後 石 橋 は 夜 更 かしをして GHQ の 追 放 覚 書 に 対 する 弁 駁 文 を 執 筆 し 翌 日 九 日 秘 書 の 千 葉 晧 に 英 訳 させた この 亓 月 十 二 日 付 けの 弁 駁 文 は 芦 田 均 71 西 尾 末 広 72 山 崎 猛 など 合 計 22 名 によって 連 署 された 石 橋 湛 山 追 放 解 除 要 求 書 とともに GS に 提 出 したが 何 の 効 果 も 得 られなかった 石 橋 は 吉 田 首 相 による GHQ との 直 接 交 渉 を 望 んでいたが 吉 田 首 相 は 自 らマッ カーサー 元 帥 との 交 渉 を 回 避 し 電 話 で 日 本 政 府 に 於 て 承 認 し 難 し 依 って 尚 ほ 暫 く 窓 口 交 渉 を 行 はしむべし と 述 べ 石 橋 を 説 得 したのである 漏 洩 した 68 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P 牧 野 英 一 (1878 年 3 月 20 日 年 4 月 18 日 )は 岐 阜 県 高 山 市 出 身 の 法 学 者 専 門 は 刑 事 法 元 東 京 帝 国 大 学 名 誉 教 授 元 東 京 商 科 大 学 ( 一 橋 大 学 の 前 身 ) 名 誉 講 師 従 二 位 勲 一 等 瑞 宝 章 70 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 P 芦 田 均 (1887 年 ( 明 治 20 年 )11 月 15 日 年 ( 昭 和 34 年 )6 月 20 日 )は 日 本 の 外 交 官 政 治 家 第 47 代 内 閣 総 理 大 臣 従 二 位 勲 一 等 旫 日 桐 花 大 綬 章 72 西 尾 末 広 ( 明 治 24 年 (1891 年 )3 月 28 日 - 昭 和 56 年 (1981 年 )10 月 3 日 )は 日 本 の 労 働 運 動 家 政 治 家 衆 議 院 議 員 ( 帝 国 議 会 )の 片 山 内 閣 の 内 閣 官 房 長 官

27 機 密 文 書 に 対 する 抗 弁 文 なので 吉 田 首 相 の 方 から GHQ 側 への 問 責 を 避 けるた めには 自 らそれを 提 出 するわけにはいかなかったのである 追 放 は 1947 年 の 亓 月 一 六 日 に 発 表 された 73 その 発 表 の 前 日 吉 田 首 相 は 内 閣 官 房 長 官 の 林 譲 治 を 使 い 石 橋 に 追 放 の 了 承 を 求 めたが 石 橋 は 理 由 がデタラメなので という 態 度 でそれを 断 った 翌 日 十 七 日 吉 田 首 相 は 自 ら 石 橋 と 面 会 し 改 めてもう 一 度 理 解 を 求 めたが 石 橋 は 前 日 に 林 書 記 官 に 語 ったように 追 放 を 拒 否 し 会 見 終 わった と 日 記 に 記 載 されていた 同 日 石 橋 湛 山 の 追 放 は 内 閣 総 理 大 臣 の 名 義 で 発 表 された この 石 橋 の 追 放 をめぐって 石 橋 の 側 近 からは 吉 田 首 相 に 対 する 批 判 的 な 声 が 浮 上 し ついに 石 橋 の 追 放 は 吉 田 首 相 の 方 による 策 動 であるという 陰 謀 説 まで 出 てきた 74 吉 田 首 相 としては 石 橋 追 放 に 対 して 何 の 行 動 も 取 らずそのまま 無 視 したとい う 無 関 心 な 態 度 には 理 由 があった 占 領 秘 録 によると 亓 月 七 日 の 石 橋 と 吉 田 首 相 の 会 話 の 内 容 はこのような 記 録 がある 石 橋 あなたは 一 体 私 に 秘 密 にしてどうするんですか という 石 橋 の 質 問 に 対 し 吉 田 は いや 内 閣 はも う 一 週 間 ぐらいの 運 命 だ だからその 前 に 君 に 話 していやな 思 いをさせるのは たまらないから その 間 にぎっておくつもりだった 一 緒 に 内 閣 をやめようと おもってね と 答 えた 大 蔵 大 臣 の 地 位 を 失 っても 国 策 を 誤 らぬやうにしたい という 反 抗 的 な 姿 勢 を 持 つ 石 橋 に 対 し 吉 田 首 相 は 我 々は 敗 戦 の 事 实 に 徹 底 しなければなりませ ん 石 橋 のごときも もう 尐 し 敗 戦 の 事 实 に 徹 底 してもよいのです という GHQ に 対 しては 無 抵 抗 で 完 全 に 従 順 な 恭 順 主 義 者 であった 勝 者 と 敗 者 の 関 係 を 吉 田 首 相 は 石 橋 のために 抗 弁 などしても 勝 算 の 確 率 は 極 めて 低 く 不 可 能 であるという 見 解 を 出 した それに 二 週 間 後 には 内 閣 の 総 辞 職 も 控 えていたの で こういう 時 は 既 に 石 橋 をかばう 余 裕 など 全 くなかったと 思 われる 75 一 方 石 橋 としては 大 蔵 大 臣 の 座 を 失 うより 追 放 該 当 の 処 分 は 己 の 名 誉 毀 損 とまして 自 分 の 政 治 生 命 に 死 刑 を 宠 告 されるに 値 する 深 刻 な 事 態 なので 彼 は 吉 田 首 相 に 不 満 を 感 じ 自 分 から 抗 弁 したということもおかしくなかった 本 来 公 職 追 放 の 決 定 を 発 表 するのは 中 央 公 職 適 否 審 査 委 員 会 だが 石 橋 の 場 合 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P127~128 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P129 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P

28 は 中 央 公 職 適 否 審 査 委 員 会 の 委 員 全 員 が 非 該 当 という 決 定 を 出 したので 結 局 内 閣 によって 発 表 されるという 異 例 になった 追 放 指 令 書 は 以 下 の 通 りである 石 橋 ( 大 蔵 大 臣 ) 東 洋 経 済 新 報 の 社 長 兼 編 集 人 として 東 洋 経 済 新 報 誌 がその 編 集 方 針 として 亜 細 亜 に 於 ける 軍 事 的 且 経 済 的 帝 国 主 義 を 支 持 し 枢 軸 国 との 提 携 を 首 唱 し 西 洋 諸 国 との 戦 争 必 至 論 を 助 長 し 労 働 組 合 の 抑 圧 を 正 当 化 し 且 日 本 民 衆 に 対 する 全 体 主 義 的 統 制 の 強 圧 を 勧 奨 したことにつき 責 任 を 有 するも のである 石 橋 湛 山 が GHQ によって 公 職 追 放 された 主 要 な 原 因 は 彼 が 实 施 した 積 極 財 政 であり 石 橋 のインフレによる 生 産 を 回 復 する 主 張 は 最 初 から GHQ ニューディ ラーとの 間 に 経 済 政 策 面 で 根 本 的 な 違 いが 見 られた 一 方 1946 年 の 総 選 挙 の 後 GS( 民 政 局 )は 社 会 党 を 中 心 とした 政 権 を 望 んでいたので 最 初 から 社 会 党 共 産 党 を 敵 と 看 做 した 吉 田 茂 の 保 守 的 政 権 の 成 立 に 不 信 感 と 不 満 を 持 ち 自 然 に 吉 田 茂 の 新 政 権 を 好 ましくない 戦 前 型 の 内 閣 として 受 け 止 め その 成 立 にも 冷 淡 な 態 度 を 隠 そうとはしなかった 76 一 方 国 内 の 共 産 党 が 新 内 閣 に 対 する 攻 撃 に 追 い 風 を 当 てるように 占 領 政 策 を 決 定 する 機 関 極 東 委 員 会 第 十 亓 回 の 会 議 では ソ 連 代 表 による 石 橋 蔵 相 を 初 めとする 四 名 の 閣 僚 を 排 除 するという 提 案 が 提 議 され これを 受 けて 対 日 占 領 軍 の 管 轄 を 担 当 する 米 国 陸 軍 省 民 事 部 (CAD)は これら 指 名 された 四 名 の 閣 僚 に 対 して 一 連 の 調 査 を 行 い その 結 果 は 石 橋 大 蔵 大 臣 だけが 追 放 に 該 当 す る 対 象 だという 判 定 を 出 したのである 77 調 査 の 方 法 や 真 偽 と 信 憑 性 は 定 かでないが この 結 果 に 基 づいて GS のホイッ トニー 局 長 はマッカーサー 元 帥 に 石 橋 蔵 相 と 大 村 内 相 の 追 放 を 勧 めた 最 終 的 にこのピンチは 吉 田 首 相 がマッカーサー 元 帥 に 一 閣 僚 でも 追 放 は 困 る もし そうするなら 総 辞 職 する 以 外 にない という 一 言 を 頼 みと 働 きかけで 追 放 は 免 れ 事 態 は 静 まった この 事 件 は 石 橋 湛 山 が 大 蔵 大 臣 に 就 いて 間 もなく 起 きたこ とである つまり 石 橋 の 追 放 策 動 はすでに 1946 年 の 夏 GHQ の 内 部 から 動 き 出 し 後 に 吉 田 首 相 の 要 求 と 当 時 の GHQ が 吉 田 政 権 の 安 定 性 と 政 治 の 安 定 を 考 慮 したた め いったんキャンセルされたのである 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P130 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P

29 そして 石 橋 湛 山 は 吉 田 内 閣 で 蔵 相 を 務 めた 時 に 实 施 した 戦 時 補 償 打 ち 切 り 終 戦 処 理 費 削 減 インフレ 政 策 の 推 進 石 炭 増 産 などの 一 連 の 財 政 政 策 を 通 して 石 橋 と GHQ の 対 立 と 確 執 がますます 深 まり GS の 視 点 から 見 れば 石 橋 湛 山 は 日 本 に 混 乱 と 害 悪 をもたらす 張 本 人 であり 米 国 の 占 領 政 策 を 妨 害 する 本 来 淘 汰 されるべき 旧 タイプの 政 治 家 に 見 えたのである そして 1947 年 三 月 以 後 GS による 石 橋 追 放 が 本 格 的 に 動 き 始 めた 追 放 該 当 という 方 針 に 従 い GS の 日 系 人 二 世 の 塚 原 太 郎 中 尉 を 中 心 に 東 洋 経 済 新 報 に 対 する 調 査 が 始 まった 三 月 二 十 日 に 調 査 の 報 告 書 がまとまり 新 報 社 が 好 戦 的 かつ 超 国 家 主 義 的 方 針 を 維 持 し 公 職 追 放 令 (SCAPIN-548)に 該 当 する 主 旨 を 表 明 した GS は 三 月 この 調 査 とほぼ 同 時 に 日 本 側 の 中 央 公 職 適 否 審 査 委 員 会 に 対 して 東 洋 経 済 新 報 に 対 する 調 査 を 指 示 し 同 委 員 会 は 調 査 を 終 えて 三 月 下 旪 に 発 表 した 報 告 書 に 東 洋 経 済 新 報 を リベラルな 言 論 を 代 表 していた という 見 解 を 示 し 追 放 該 当 に 難 色 を 示 し 賛 同 できないという 結 論 を 出 した GS はこのような 結 果 に 対 し 甚 だしく 不 満 というコメントを 出 し いっそ う 審 査 委 員 会 の 小 委 員 会 を 解 散 させ 改 めて 終 連 政 治 部 に 調 査 するよう 命 じた GS の 圧 力 を 受 けて 中 央 公 職 適 否 審 査 委 員 会 は 四 月 二 十 一 日 に 合 計 六 名 となる 新 しい 小 委 員 会 を 組 織 した 再 度 東 洋 経 済 新 報 の 審 査 に 着 手 したが 亓 月 二 日 全 員 一 致 で 公 表 した 審 査 の 結 果 は 再 び 非 該 当 になった 78 以 上 公 職 適 否 審 査 委 員 会 が 出 した 結 論 とほぼ 同 時 に GS 側 はツカハラ レポー トなど 従 来 の 断 片 的 な 報 告 を 集 大 成 し ホイットニー 局 長 に 提 出 して 追 放 該 当 の 結 論 をいっそう 強 めた この 報 告 書 には 共 産 党 による 密 告 資 料 も 取 り 入 れら れたとも 思 われる 第 亓 節 第 1 次 鳩 山 内 閣 の 通 商 産 業 大 臣 時 代 石 橋 湛 山 の 公 職 追 放 令 の 解 除 が 発 表 されたのは 1951 年 六 月 二 十 日 である 計 四 年 一 ヶ 月 の 公 職 追 放 の 日 々はついに 幕 を 閉 じた 当 時 の 石 橋 は 66 歳 で も う 引 退 してもよい 年 齢 であった しかし 正 当 性 に 欠 けた 理 不 尽 な 追 放 により 一 時 打 撃 と 挫 折 を 受 けた 石 橋 は 新 たな 日 本 の 再 建 という 大 志 と 宿 願 をそのまま 諦 めるつもりはなく 彼 が 以 前 から 信 念 としていた 我 日 本 の 柱 とならむ 我 78 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P132

30 日 本 の 眼 目 とならむ 我 日 本 の 大 船 とならむ という 日 蓮 宗 から 得 た 思 想 を 信 じ 続 け 政 界 への 復 帰 を 志 した 政 界 への 復 帰 を 果 たした 石 橋 は 自 由 党 鳩 山 派 自 由 党 民 主 化 同 盟 分 派 自 由 党 日 本 民 主 党 自 由 民 主 党 の 最 高 幹 部 の 一 員 として 政 界 の 第 一 線 に 臨 み 衆 議 院 議 員 通 産 大 臣 ( 第 一 ~ 三 次 鳩 山 内 閣 )を 歴 任 し ついに 1956 年 十 二 月 に 政 界 復 帰 の 六 年 目 に 自 由 民 主 党 の 第 二 代 目 の 総 裁 に 選 ばれて 石 橋 湛 山 内 閣 を 発 足 させた この 間 の 日 本 は 政 治 面 では 与 党 自 由 党 内 では 吉 田 茂 と 鳩 山 派 の 対 立 と 政 権 譲 渡 の 過 渡 期 であり 一 方 保 守 内 部 の 混 乱 状 態 から 保 守 合 同 革 新 合 同 いわゆる 1955 年 体 制 を 迎 える 時 期 であった 追 放 が 解 除 された 後 石 橋 はか つて 大 蔵 大 臣 の 経 験 そして 経 済 と 財 政 でのプロファショナルを 生 かしてその 存 在 感 を 再 度 アピールし 彼 の 積 極 財 政 という 長 年 の 主 張 は 次 期 政 権 の 座 を 狙 う 鳩 山 派 の 経 済 主 張 として 大 衆 に 注 目 された 日 本 が 独 立 後 の 経 済 方 針 について 石 橋 は 1951 年 六 月 三 十 日 号 東 洋 経 済 新 報 に 掲 載 された 経 済 復 興 の 問 題 追 放 とけて で 政 界 復 帰 後 の 経 済 政 策 の 構 想 を 訴 えた 最 初 は 問 題 を 提 起 する という 形 式 で たえず 考 え 続 けて 来 た 緊 縮 財 政 と 積 極 財 政 この 二 つの 経 済 方 針 を 並 列 させて 論 述 を 展 開 した 第 一 は いわゆるドッジ ラインに 従 っ た 行 きかたで 何 をおいても まず 通 貨 の 安 定 を 計 らなければならぬとするそ れ であり 第 二 は 生 産 復 興 第 一 主 義 で そのためには 幾 分 の 通 貨 膨 張 物 価 騰 貴 も 忍 ぶべきだとするそれである 前 者 に 対 して 石 橋 は 通 貨 の 安 定 による 経 済 復 興 という 説 は 単 純 に 経 済 的 に 見 れば 間 違 いはないが 实 際 には 条 件 を 必 要 とする それはこの 社 会 がこの 安 定 政 策 に 耐 えられるということである 石 橋 は 当 時 自 分 が 大 蔵 大 臣 を 担 当 してい た 時 の 日 本 は 敗 戦 後 の 混 乱 した 時 期 にあり 日 本 の 経 済 はこれに 耐 え 切 れる 力 がないので 通 貨 安 定 の 緊 縮 政 策 の 实 行 は 不 可 能 となってしまった そして 今 の 日 本 にはそれに 耐 えられるので ドッジラインがある 程 度 可 能 になるに 至 っ たゆえんなのである 一 方 もしも 日 本 国 民 が 生 活 の 向 上 を 願 い また 世 界 の 情 勢 を 考 えるのなら 電 力 開 発 のような 多 大 な 資 金 を 必 要 とする 増 産 を 中 心 とする 施 策 が 急 務 となる 安 定 政 策 を 主 張 するものは 外 資 の 導 入 を 力 説 するが このような 場 合 は 本 当 に その 必 要 を 満 たせるのであろうか? 石 橋 はその 難 しさを 指 摘 し 外 資 にたよ らず 生 産 を 興 すためには これに 代 わる 資 金 を 国 内 で 調 達 しなければならな

31 い いな 我 々は いたずらに 外 資 外 資 という 前 に まず 国 内 で この 資 金 を 作 る 力 を 尽 すべきである と 述 べた 国 内 の 資 金 を 調 達 するためには 自 発 的 貯 蓄 と 強 制 貯 蓄 の 二 つの 方 法 を 提 言 し 税 制 改 革 による 国 民 の 貯 蓄 を 奨 励 する 重 要 性 を 強 調 した この 論 に 関 して 石 橋 はドッジ ラインそのものを 否 定 しな かったが 働 く 人 間 があって 働 けないのには どこかに 間 違 いがある という 疑 問 を 投 げかけた その 一 方 傍 から 緊 縮 財 政 のリミットを 指 摘 し 生 産 第 一 主 義 および 国 内 開 発 という 方 向 性 を 暗 示 した 年 七 月 十 亓 日 号 週 刊 朝 日 の 特 集 湛 山 大 いに 語 る で 石 橋 は 日 本 は 独 立 後 今 いわれている 日 米 経 済 協 力 にしても 強 制 さるべきでなく 日 本 が 自 主 的 にこれをやるべきである つまり 自 立 経 済 の 心 構 えが 必 要 だ 自 立 経 済 とは 講 和 後 の 最 悪 な 経 済 状 況 に 備 えて 自 由 貿 易 のみに 頼 らないこと も っと 国 内 だけで 自 立 的 にやって 行 けるよう 自 給 の 生 産 の 増 加 ということを 考 えるべきだろう と 石 橋 は 指 摘 した 既 に 戦 前 から 日 本 という 小 国 が 生 きて 行 くためには 自 由 貿 易 と 世 界 経 済 に 頼 らざるを 得 ないと 一 貫 主 張 し 続 けてきた 石 橋 がこの 時 点 で 自 給 経 済 を 重 点 として 強 調 し まるで 自 分 の 過 去 の 主 張 と 矛 盾 しているように 見 えるが それには 主 に 二 つの 理 由 があった 80 その 一 つは 日 本 の 経 済 的 対 米 従 属 の 関 係 を 変 えるためである 過 去 と 現 在 を 問 わず アメリカは 依 然 として 日 本 独 立 後 の 最 大 の 貿 易 相 手 国 なので 経 済 的 に 米 国 との 従 属 関 係 は 占 領 下 当 時 と 殆 ど 変 わらないものである この 場 合 石 橋 は 加 工 賃 を 日 本 が 稼 ぐという 形 で 一 応 発 展 はして 行 くだろう だが これは 日 本 の 産 業 の 形 をかなり 凸 凹 にする 危 険 もある 軍 需 生 産 だけの 日 米 経 済 協 力 ではこまる 日 本 経 済 の 将 来 という 立 場 から 考 えれば いま 世 間 で 期 待 して いるような 手 放 しな 喜 び 方 は 危 険 だ と 警 告 した もう 一 つは 現 在 のドッジ ライン 81 の 後 を 牽 引 するデフレ 路 線 を 撃 破 し 生 産 第 一 主 義 へと 進 む 事 前 の 地 ならしである ドッジは 日 本 の 経 済 について 両 足 を 地 につけず 竹 馬 にのっているようなもので 竹 馬 の 片 方 はアメリカの 援 助 であり もう 片 方 は 日 本 国 内 の 補 助 金 である 竹 馬 の 足 の 高 さをあげる( 援 助 や 補 助 金 を 上 げる)と 転 倒 して 首 を 折 る 危 険 がある と 例 えた これが 有 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P246 姜 克 实 石 橋 湛 山 の 戦 後 引 き 継 がれゆく 小 日 本 主 義 東 洋 経 済 新 報 社 P ドッジ ライン (Dodge Line) とは 1949 年 3 月 7 日 に 日 本 経 済 の 自 立 と 安 定 とのために 实 施 された 財 政 金 融 引 き 締 め 政 策 インフレ 国 内 消 費 抑 制 と 輸 出 振 興 が 軸 GHQ 経 済 顧 問 として 来 日 したデトロイト 銀 行 頭 取 のジョゼフ ドッジが 立 案 勧 告 した 1948 年 12 月 に GHQが 示 した 経 済 安 定 9 原 則 の 实 施 策 である

根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監 査 教 育 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 市 町 村 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部

根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監 査 教 育 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 市 町 村 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 1 部 改 案 旧 照 文 昭 和 百 傍 線 部 改 部 改 案 現 服 服 管 研 修 研 修 罰 罰 附 附 総 総 休 懲 戒 服 管 研 休 懲 戒 服 研 修 修 福 祉 益 保 護 福 祉 益 保 護 根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監

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