1. 本論文の目的 贈与税は 主として 資産の再配分を図ることを主な目的としている相続税の補完税として位置づけられ 相続税の税負担を回避または減少させる目的で生前に親族等に財産を贈与することに対処するものとして 相続税よりも高い税率となっている そのために生前の贈与は抑制的な状況にあると言える このような ( 生前贈与の抑制的な ) 環境は 高齢化社会の進展が従来よりも相続の発生を長期に繰り延べさせている状況も作用して 高齢者層へ資産が偏った結果 経済活動の停滞を生み出している要因の一つとなっている 平成 25 年度税制改正法附則第 108 条 ( 検討 ) 第 4 号に 贈与税について 高齢者が保有する資産の若年世代への早期移転を促し 消費の拡大を通じた経済活性化を図る観点 格差の固定化の防止等の観点から 結婚 出産又は教育に関する費用等の非課税財産の範囲の明確化も含め 検討すること が定められ 経済政策上 今後の贈与税の役割や方向性が示された このことは 生前贈与の円滑化を図るという観点からのものであり 相続時精算課税制度の導入の頃から現れていると言える しかし このような政策的な生前贈与を促進した場合において 経済政策上の効果に着目した先行研究は極めて少ないのが現状ある よって 本論文では 相続時精算課税制度の導入や住宅取得等資金贈与の非課税の特例による非課税枠の拡大により 高齢者層に滞留しがちな個人金融資産を若年者層へと移転し 住宅取得などを通じての資産の有効活用を図ることの重要性について検証していく そのうえで 今後更なる少子高齢社会に直面するにあたり 非課税枠の拡大を利用した世代間の資産移転を促進させる贈与税制が有効であるかを検討した 2. 本論文の構成 本論文は次の 4 章で構成されている 第 1 章第 2 章第 3 章第 4 章 相続税法における贈与の意義住宅取得資金の贈与と贈与税制贈与税制と住宅建設少子高齢時代に相応しい贈与税制のあり方 2
3. 研究の概要等 1 章では 第 1 節で相続税法の歴史的経緯について 特に贈与の位置づけの変遷を中心に概観し 明治 38 年に創設された相続税法での贈与に対する扱いはどうであったのか また 昭和 22 年のシャベル勧告により贈与税が導入され 昭和 25 年のシャウプ勧告で廃止 その後 昭和 28 年に別の形で復活し 平成 15 年度には新制度である相続時精算課税が導入されるなど めまぐるしく仕組みを変えた贈与税制について言及した 第 2 節では 様々な歴史的変遷をたどってきた贈与税について 現行の制度内容を踏まえた課税要件や計算方法について説明した 第 3 節では 第 1 節 2 節で見てきたとおり 様々な歴史的経緯をたどり現在の贈与税制に至ることとなったその過程を検証することにより 少子高齢化を迎える我が国の贈与税のあり方 位置づけについての方向性を検討した 2 章では 第 1 節で 個人が保有する金融資産の実態について 総務省 家計調査年報 ( 貯蓄 負債編 ) ( 平成 24 年 ) を用いて検討を行った 主に年齢階層別の金融資産の分布を分析することにより 60 歳以上の高齢者層が他の年齢者層と比べて多くの金融資産を保有している状況が確認された また第 2 節では 国税庁の税務統計資料を用いて 贈与の件数 金額 1 件当り金額の推移を示し これらが住宅資金贈与を中心とする贈与税制上の変更を通じてどのような影響を受けたのか このような贈与税制上の変更に促され 高齢者層が多く保有する金融資産が若年齢者層へのスムーズな資産移転を可能としたのかを検証した 検証の結果 相続時精算課税制度が導入された平成 15(2003) 年から平成 17(2005) 年の 3 年間 ( 暦年課税での 5 分 5 乗方式と相続時精算課税 1,000 万円の特例の両方の措置が認められた時期 ) は 全体での贈与件数が以前と比べ 2 割程度の増加を示し また 平成 22(2010) 年 平成 23(2011) 年の住宅取得資金等の贈与税の非課税措置 ( 租特 70 条の 2) による非課税枠が大きく拡大されたことにより 7 万件を超える贈与件数となったことが明らかとなった ( 図 1 2 参照 ) このことから 住宅取得資金として活用し得る世代への資産移転を促進する上では 贈与税制における非課税措置が極めて有効に作用しうると考えられる つまり 住宅取得のための頭金と考えられる金額以上の非課税枠の設定が 早期の世代間の資産移転を促し 経済活動の活性化に役立つとの見通しを得た 3
1989 年 1990 年 1991 年 1992 年 1993 年 1994 年 1995 年 1996 年 1997 年 1998 年 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 2011 年 1989 年 1990 年 1991 年 1992 年 1993 年 1994 年 1995 年 1996 年 1997 年 1998 年 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 2011 年 ( 図 1) 住宅取得等資金の贈与件数の推移 贈与件数 ( 件 ) 80,000 70,000 60,000 50,000 40,000 30,000 20,000 10,000 0 暦年課税 相続時精算課税 ( 出所 ) 国税庁 統計年表 より作成 ( 図 2) 住宅取得等資金の贈与件数と非課税額の推移 ( 暦年課税 ) 贈与件数 ( 件 ) 80,000 70,000 60,000 50,000 40,000 30,000 20,000 10,000 0 18,000 16,000 14,000 12,000 10,000 8,000 6,000 4,000 2,000 0 非課税額 ( 千円 ) 暦年課税 ( 住宅取得等資金 ) 住宅取得等資金非課税額 ( 出所 ) 国税庁 統計年表 より作成 3 章では 2 章で得た見通しの妥当性を検証するため すなわち 非課税枠拡大による経済活動への活性化効果について明らかにするため 贈与税制上の優遇措置が住宅取得 ( 新設着工戸数 ) に与えた影響を定量的に分析した 第 1 節では 国土交通省 建築着工統計調査報告 等を用いて 1990 年代以降の新設住宅着工戸数の推移と現状を示し これらに重要な影響を与えたとされる要因について検討した 具体的には 1 贈与税制要因 ( 暦年課税および相続時精算課税における住宅取得資金の贈与件数 )2 金利要因 ( 住宅取得支援機構基準金利 長期プライムレートの最大値 )3 人口要因 (30 から 40 歳代人口構造変化 4
ダミー )4 建築基準法改正の影響 ( 建築基準法改正ダミー ) について言及した 第 2 節で は 第 1 節で検討を行った要因を説明変数とする回帰分析に基づいた統計的分析を行い 近年の贈与税制の変化と住宅建設の動向との関連性について検証を行った [ 住宅着工戸数 ] = 定数項 + a 暦年課税の贈与件数 + b 精算課税の贈与 件数 + c 30-49 歳代人口 + d 金利 + e 構造変 化ダミー + f 建築基準法改正ダミー ( 表 1) 住宅着工戸数における回帰分析の推計結果 係数 定数項 -3154117.31-3.312 暦年課税の贈与件数 : a 5.189 4.449 精算課税の贈与件数 : b 18.275 6.896 30-49 歳代人口 : c 107.353 3.504 金利 : d -2314.335-0.052 構造変化ダミー : e -457591.954-9.392 建築基準法改正ダミー : f -217503.86-3.723 自由度修正済決定係数 :R² 推計期間 : 平成 7 年 ~ 平成 23 年 0.88102 ( 出所 ) 筆者作成 ( 注 1) は 1% 水準で有意 ( 帰無仮説が棄却 ) であることを示す t 値 上記の推計結果をみると 推計式全体の説明力を示す決定係数は R 2 =0.88102 とかなり高く 1の贈与税制要因である 住宅資金に係る暦年課税および精算課税の贈与件数 に係る説明変数の係数は正を示し有意水準 1% また 3の人口要因である 30-49 歳代人口 および 構造変化ダミー に係る説明変数の係数は正および負を示し有意水準 1% 4の建築基準法改正の影響である 建築基準法改正ダミー に係る説明変数の係数は負を示し有意水準 1% の有意な推計結果が得られており理論的予想と合致した結果となった ただ 2の金利要因については 係数は負と符号条件は満たすものの この説明変数の係数推定値は有意ではなく 理論的予想に反する結果となった この理由としては 今日の経済状況の低迷の影響を受け低い金利水準が続いており また 著しい各種住宅取得支援策の改正の影響が住宅購入を後押ししているため 住宅取得者側では 購入決定要素としての優先順位が低くなっているのではないかと推測した 5
住宅取得資金贈与に係る非課税枠拡大が 住宅取得 ( 住宅建設 ) に与えた影響を検討する上で最も注目すべきは 住宅資金に係る暦年課税および精算課税の贈与件数 の係数推定値である 表 1 の推計結果によれば この係数推定値は 暦年課税で 5.189 であり 精算課税で 18.275 であった この推計結果を用いて 平成 23(2011) 年の贈与税制 ( 非課税枠 1,000 万円 暦年贈与件数 73,522 件 ) に当てはめてみたところ 住宅着工戸数 38 万戸増加させる効果があることを示唆する このような効果は 平成 23 年度の住宅着工戸数 54 万戸の 70% に相当することから 住宅取得資金贈与に係る非課税枠拡大が住宅取得 ( 住宅建設 ) に与えた影響はかなり大きいことが明らかとなった また 住宅着工戸数の長期的推移に示される 2003 年以降 2006 年度および 2009 年以降 2012 年度の 2 つの期間における着工戸数の増加要因は 少なからず 住宅取得資金贈与の非課税枠拡大措置 ( 暦年課税および精算課税 ) が作用していると推測でき これらの措置は贈与件数や移転財産額を押し上げるといった効果を及ぼしただけでなく 住宅着工戸数の増加においても大きく正の相関作用を示したと言え その効果は期待通りであった 最後に 4 章では 第 1 章から第 3 章までの検証を踏まえた上で 少子高齢化を迎える我が国の贈与税制が担う役割を明らかにするため どのような方向性が必要か検討した 4. 本論文の結論相続時精算課税制度の導入や住宅取得資金の非課税枠拡大といった政策的な生前贈与の促進は 経済政策上の一定の効果 いわゆる金融資産の保有割合の高い高齢者層からその下の世代への資産移転を促すことによる経済活動の活性化効果を示したのではないかと考える また 平成 25 年度税制改正法附則第 108 条 ( 検討 ) 第 4 号に 贈与税について 高齢者が保有する資産の若年世代への早期移転を促し 消費の拡大を通じた経済活性化を図る観点 格差の固定化の防止等の観点から 結婚 出産又は教育に関する費用等の非課税財産の範囲の明確化も含め 検討すること が定められ 今後の贈与税の役割や方向性が示されたことからも 本稿の第 1 章から第 3 章までの考察は意味を持つものと考えられ 生前贈与の位置づけとして 贈与税制上の優遇措置である住宅資金贈与の非課税枠拡大 は 今後の贈与税制のあり方として重要な方向性を示したと言える しかし一方で 本稿での考察の結果に対し 非課税枠拡大 ( 暦年課税 ) を利用する贈与のケースでは 贈与者の保有する資産が相続税の基礎控除を上回る場合に限り 生前贈与を行うことで相続税を減額できるため 非課税枠拡大によって資産格差の固定化が助 6
長されうるといった副作用を生み出す可能性が指摘されており このよう理由から相続税 贈与税制を景気対策や経済活性化のために利用することに対する懸念があるのも事実である このような従来の非課税枠以上の贈与を行える高額資産保有者を優遇するとの批判を受ける現在の 非課税枠拡大 について 井上 (2010) によれば 配偶者とその子 2 人の単純な家庭モデルを想定すると 平成 22(2010) 年の非課税枠 1,500 万円により相続税の実効税率 ( 平成 22 年度の国税庁税務統計データをもとに筆者が試算したところ 実効税率は 25.66%) を最大 2% 強程度低下させるに過ぎないとの試算をしていることや 国税庁の税務統計資料による相続税課税の割合は 4.1% であり 相続税の課税を受けるのはごく限られた 1 部の富裕者層であると言われていることを鑑みると 住宅に限った贈与資金が原因で資産格差の固定化が助長されるかは疑問であると考える また 富裕な高齢者は 財産評価基本通達 による評価を行って自分の保有している住宅等実物資産を相続対象として念頭に置くはずであり 彼らが将来的に住宅を相続しようと考えているのに それとは別に子供たちへの住宅支援を通じて贈与を進めるというのは疑問である このため 住宅取得等資金の贈与に限った贈与税制の特例が 資産格差の世代間承継および富の集中 ( 富める一族はますます富むこととなる ) を促し 贈与税の意義とされる 相続税の補完税 としての機能を失わせたとは考えられず むしろ 平成 25 年度税制改正でも示された 高齢者が保有する資産の若年世代への早期移転を促し 消費の拡大を通じた経済活性化を図る目的 を実行していく上で 今後の贈与税の役割や方向性を示す重要な意味合いを持つものであると考える 7