学位論文の内容の要旨 論文提出者氏名 小泉章子 論文審査担当者 主査下門顕太郎 副査荒井裕国 吉田雅幸 論文題目 Genetic defects in a His-Purkinje system transcription factor, IRX3, cause lethal cardiac arrhythmias ( 論文内容の要旨 ) < 要旨 > 心室細動は心臓突然死 (SCD) の最も主要な原因であり 1000 人に1 人の割合で起こるといわれている SCD は冠動脈疾患の際出現する心室細動 (VF) に伴うことが最も多いが 5-10% の症例で SCD や VF が正常心機能心で出現し 特発性心室細動 (IVF) といわれる IVF の機序はいくつかの特殊なケースを除いて殆ど知られていない 心房は上位から下位へ電気的シグナルが伝播するが 心室の電気的シグナルは心尖部から心基部へと上昇する 心室には特別な伝導ネットワークである His-Purkinje 系があり 心臓不整脈および SCD に関係している可能性が示唆されるが His-Purkinje 系と VF の機序や遺伝学的関連は知られていない Irx3 は Iroquois homeobox 転写因子の一員で 心臓では His-Purkinje 系に選択的に発現し その遺伝的欠損により正常心筋において His-Purkinje 系の機能不全を起こすことが報告されている 我々は Irx3 ノックアウトマウス (Irx3 -/- ) を用いてその不整脈原性について検証した Irx3 -/- マウスには心機能は正常であったが Irx3 -/- マウスが特に交感神経活動の高い時に高率に心室性不整脈および房室伝導障害を示すことを発見した そのメカニズムとして His-Purkinje 系におけるギャップジャンクションチャネルである Cx40 と Na チャネルである Scn5a の発現が低下していることが示された さらに IVF 患者 130 例における IRX3 遺伝子のスクリーニングを施行した その結果 2 例に IRX3 の新規遺伝子変異を認め これらの症例はいずれも運動中に VF 発作を生じていた 臨床例で認められた遺伝子変異をマウス Irx3 を用いて作成し 心筋細胞に遺伝子導入すると 野生型 Irx3 の遺伝子導入では Cx40 と Scn5a の発現が誘導されたのに対し 変異型 Irx3 では発現誘導が減弱していた 以上より IRX3/Irx3 の機能異常は His-Purkinje 系の伝導障害を来し IVF に関連することが明らかとなった < 方法 > マウスにおける in vivo および ex vivo の検討野生型 (WT) マウス Irx3 +/- Irx3 -/- マウスにおいてイソフルレン麻酔下に体表心電図および心臓超音波検査を施行した また テレメトリー送信機を植え込み 通常活動時 水泳による運動負荷 Isoproterenol 投与 心筋梗塞作成後 の種々の条件で経時的に心電図記録を行った - 1 -
また カスタムメイドの 1Fr 電極カテーテルを用いて in vivo で心臓電気生理学検査を施行し His 束心電図記録を行った さらに ex vivo の検討として 摘出心を Langendorff 還流し 電位感受性色素 (di 4-ANEPPS) および高速 CMOS カメラシステムを用いて膜電位の変化を観察する オプティカルマッピングを施行した また マウス心室組織より定量的 RT-PCR Western blotting 免疫組織染色を施行した 患者設定および突然変異の検出 IVF Brugada 症候群 (BS) 早期脱分極症候群(ERS) Short QT 症候群 (SQTs) を含む VF を経験した患者 130 名のゲノム DNA を血液サンプルより分離後 PCR 施行した後にダイレクトシークエンスを行い IRX3 の遺伝子変異の検索を行った 健常対照者として VF の既往のない 250 名からも同様に IRX3 のシークエンスを施行した In vitro 解析マウス心房細胞由来の細胞株である HL-1 細胞 および新生仔マウス心室筋細胞を使用した マウス Irx3 の野生型 (WT) および作成した変異体を pcdna3.1+ベクターあるいはアデノウィルスベクター (pad-cmv-dest) にサブクローニングして上記細胞に遺伝子導入を行った 遺伝子導入 2 日後の細胞を回収し定量的 RT-PCR を施行した < 結果 > 不整脈原性が Irx3 -/- マウスにおいて増加する Baseline の解析では Irx3 -/- マウスは WT に比して QRS 幅の有意な延長を認めた また心臓超音波検査では解剖学的異常や心機能の異常は見られなかった テレメトリー送信機をマウスに植え込んで活動時の心電図を記録したところ Irx3 -/- および Irx3 +/- では夜間に高度房室ブロックや心室性期外収縮 心室頻拍が認められた これらは WT では見られなかった この不整脈イベントは マウスの活動時間帯である夜間に多く出現したことから 交感神経亢進に関連して不整脈が出現していると思われた 次に交感神経亢進を来しうる状況下で記録を行った β 受容体刺激薬である isoproterenol(0.05mg/kg,i.p.) 投与 水泳による運動負荷では Irx3 -/- にのみ心室頻拍 房室ブロックが記録された さらに 急性期心筋梗塞モデルを作成すると 発生から 24 時間以内に Irx3 -/- マウスでのみ持続性心室頻拍が見られた Ex vivo でランゲンドルフ還流心を観察すると 心外膜における興奮伝播は WT マウスと比べ Irx3 -/- マウスで著明に遅かった Isoproterenol(10nM) を灌流液に投与すると Irx3 -/- マウスでは心拍数の上昇に伴って房室ブロックが出現し その後心室頻拍が認められた これらの表現型の分子メカニズムを探索したところ Irx3 -/- おいて左室心内膜直下での Cx40 および SCN5a の発現低下が mrna およびタンパクレベルで認められた 免疫組織染色では WT は Purkinje 線維に一致する 左室心内膜直下の層で Cx40 の発現が見られたのに対し Irx3 -/- では Cx40 の発現はほとんど見られなかった 固有心室筋に発現する Cx43 の発現には差は認められなかった IRX3 遺伝子欠損が IVF 患者において見られた次にヒト IRX3 遺伝子変異と欠致死性不整脈との関連を検討した IRX3 遺伝子のエクソンのシークエンス解析を IVF BS ERS および SQTs の発端者 130 例 コントロールとして健常人 - 2 -
250 例を対象に施行した IVF 群の 2 家系において IRX3 遺伝子に 2 種類の新規突然変異が発見された この 2 家系において 既知の Brugada 関連遺伝子として報告のある 13 遺伝子 ( SCN5A GPD1-L CACNA1C CACNB2 KCNE3 SCN1B SCN3B,KCNJ8,MOG1 HCN4,KCND3 KCNE5 SLMAP) におけるエクソンのシークエンス解析を施行したが 変異は認めなかった 家系 1 の発端者 51 歳男性は アイススケート中に VF が発症した 本症例では IRX3 遺伝子に 1262G>C の点突然変異を認め アミノ酸では 421 のアルギニンがプロリンへ置換された (R421P) 同症例は心電図では type1 の Brugada 型心電図波形を呈し 同じ遺伝子変異をもつ父親に完全房室ブロック 息子に完全右脚ブロックが見られた 一方 母親と娘において同変異は認めず 心電図所見は正常であった 家系 2 の発端者は 15 歳男性 通学中に VF を発症 心電図で Brugada 型心電図や早期再分極などの心電図所見はなかった 発端者 祖母 母において 1453C>A の点突然変異を認め 485 残基のプロリンがスレオニンに置換する変異 (P485T) を認めた 祖母は原因不明の失神の既往があるも 父 母 姉 兄には SCD や VF 失神のエピソードはなかった R421P および P485T の突然変異は健常者 250 例には認めず 既知の 1000 ゲノムデータベースにおいても報告はなかった IRX3 突然変異は Cx40 および Scn5a の発現低下を引き起こす続いて我々は臨床例で認められた IRX3 の突然変異体の機能を検討した ヒト IRX3 遺伝子とマウス Irx3 遺伝子の配列は高度に保存され 突然変異部位もマウスでも保存されていた マウス Irx3 における R426P( ヒトで R421P に相当 ) P491T( ヒトで P485T に相当 ) の変異体を作成し アデノウィルスまたは pcdna3 発現ベクターを用いて HL-1 細胞および新生児マウス心筋細胞に遺伝子導入を行い Cx40 と Scn5a の発現を Irx3 発現量で規格化して定量評価した WT Irx3 を遺伝子導入したところ Cx40 と Scn5a の発現は著明に増加した しかし R426P および P491T の変異体 Irx3 を導入したところ Cx40 と Scn5a の発現誘導は WT に比して有意に小さかった < 結論 > IVF などによる SCD は正常機能の心臓でも出現し 予測が困難である 我々は IVF 患者において 転写因子である IRX3 の遺伝的欠損を発見した IRX3 は His-Purkinje 系に特異的に発現する転写因子であり Irx3 -/- マウスは心臓の解剖学的異常や収縮力異常を伴わず心室の fast conduction の障害のみを来し 主として交感神経活動亢進時に心室頻拍が出現した 現在までに 少なくとも 13 種類の遺伝的欠損が Brugada 症候群や早期再分極症候群を含めた IVF に関連すると報告されている 今回明らかとなった IRX3/Irx3 の遺伝的欠損は His-Purkinje 系に特異的に伝導障害を来す点で 既存の報告とは異なる 心臓の転写因子の遺伝的欠損と心臓不整脈の関連は Nkx2.5 や Tbx5 が心臓奇形を伴い報告されているが IRX3/Irx3 突然変異は形態的な異常なしに電気生理学的特性にのみ影響を与えているという点が特徴的である よって IRX3 突然変異は正常機能の心臓における VF および IVF を引き起こす遺伝的危険因子といえる Irx3 -/- マウスの Scn5a Cx40 の発現低下 および心室伝導系障害による QRS 間隔の延長はすでに報告されている しかし Irx3 -/- マウスにおける不整脈原性は今回が初の報告となる Irx3 -/- マウスの不整脈は主に夜間活動時に出現し さらに β 刺激薬である isoproterenol 投与下 運動 - 3 -
中 心筋梗塞急性期において観察された 臨床例でも夜間睡眠中などではなく 日中活動時に VF が生じており マウスにおける所見と矛盾はない Irx3 機能異常による不整脈は交感神経活動亢進下でのみ出現するといえ 運動に関連する突然死を説明することができる Irx3 は Cx40 と Scn5a の発現を増加させる Irx ファミリーは通常 負の制御因子として働く そのため Irx3 の直接のターゲットが未知の負の制御因子である可能性は否定できない Cx40 Scn5a の mrna 発現が Irx3 -/- で低下することからも 発見された 2 種の IRX3/Irx3 突然変異が loss-of-function として働くことを示唆している 結論として IRX3 の遺伝的欠損およびそれに起因する His-purkinje 系の機能障害は IVF 発症に伴う著明な遺伝的リスクであると言える 一見正常に見える心臓で特に交感神経緊張状態において 心臓突然死のリスク管理や予防的治療を今後改善させることが期待される - 4 -
論文審査の要旨および担当者 報告番号甲第 4937 号小泉章子 論文審査担当者 主査下門顕太郎 副査荒井裕国 吉田雅幸 ( 論文審査の要旨 ) 1. 論文内容本論文は His-Purkinje 系に特異的に発現している転写因子 IRX3の遺伝子異常が致死性不整脈を引き起こすことを 同遺伝子の欠損マウスを用いた研究および特発性心室細動を起こした患者の遺伝子検索により明らかにしたものである 2. 論文審査 1) 研究目的の先駆性 独創性心臓突然死の主要な原因である特発性心室細動 (IVF) の機序は殆ど知られていない 心室の刺激伝導系である His-Purkinje 系と IVF の関係が示唆されているものの詳細は不明である 申請者は His-Purkinje 系に特異的に発現する転写因子 IRX3に注目し同遺伝子と IVF の関係を明らかにしようとしたもので 先駆的な研究といえる 2) 社会的意義本研究の主要な成果は以下のとおりである (1) Irx3 -/- マウスが特に交感神経活動の高い時に高率に心室性不整脈および房室伝導障害を示すことを発見し そのメカニズムが His-Purkinje 系におけるギャップジャンクションチャネルである Cx40 と Na チャネルである Scn5a の発現の低下であることを示した (2) IVF 患者 130 例における IRX3 遺伝子のスクリーニングを施行し 2 例に IRX3 の新規遺伝子変異を認めた (3) 臨床例で認められた遺伝子変異をマウス培養心筋細胞の IRX3 遺伝子に導入し IRX3 の遺伝子変異が Cx40 や Scn5a の発現低下をきたすことを確認した 基礎研究で得られた知見を実際の臨床例でも確認した研究で 学問的価値も臨床的価値も極めて高いと考える 3) 研究方法 倫理観電気生理学的手法 免疫組織学的手法から人の遺伝子解析さらには遺伝子導入まで 研究目的遂行のため必要な幅広い研究方法が用いられており 極めて正統的な研究と評価できる 研究倫理的な面でも問題がない ( 1 )
4) 考察 今後の発展性申請者は IRX3 の遺伝的欠損およびそれに起因する His-Purkinje 系の機能障害は IVF のリスクであり 本研究結果が心臓突然死のリスク管理や予防的治療法の開発に有用であると考察している 今後の臨床的な展開とともに 類似の機序の発見につながると期待される 3. 審査結果博士 ( 医学 ) の学位授与に値する論文であると判断する ( 2 )