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平成 13 年度研究報告 研究テーマ 脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチンの抗糖尿病薬としての分子機構と臨床応用に関する研究 - 脂肪萎縮性糖尿病とレプチン - 京都大学大学院医学研究科臨床病態医科学 第二内科 助手小川佳宏 現所属 : 東京医科歯科大学難治疾患研究所分子代謝医学分野

サマリー 研究目的レプチンは 脂肪組織に由来する代表的なホルモンであり 視床下部に直接作用することにより強力な摂食抑制とエネルギー代謝亢進をもたらし 肥満や体重増加の制御に関与することが知られている 我々は既に レプチンが主に中枢神経系を介して糖脂質代謝調節に関与することを明らかにしてきた 本研究では 1) 脂肪萎縮性糖尿病モデルマウス (A-ZIPTg) を用いてレプチンの糖代謝改善作用の分子機構について検討した 2) 脂肪萎縮性糖尿病患者 ( 後天性 /12 歳女性 先天性 /29 歳男性 ) に対してレプチン投与を施行して その治療効果を検討した 研究方法 1) 15 週齢雄性 A-ZIPTg とレプチン過剰発現トランスジェニックマウス (LepTg) を交配して得られる LepTg/A-ZIPTg に交感神経遮断薬を投与後 あるいは A-ZIPTg の両側副腎摘出後 腹腔内ブドウ糖負荷試験にて糖代謝を検討した 2) ヒトの後天性脂肪萎縮性糖尿病と先天性脂肪萎縮性糖尿病の 2 症例に対して 血中濃度が健常人と同程度に達すると予想される量のレプチンを一日 2 回皮下投与し 血糖値 インスリン 中性脂肪 HbAlc を経時的に測定した 経口ブドウ糖負荷試験により糖代謝の変化を検討した 腹部 CT 検査により肝臓容積と肝臓と脾臓の脂肪含量の比率を計算し 脂肪肝の変化を検討した 研究結果および考察 1) LepTg/A-ZIPTg の耐糖能は非選択的 β 遮断薬であるプロプラノロールの投与により悪化したが α1 遮断薬であるブナゾシンの投与では明らかな変化はなかった A-ZIPTg における尿中コルチコステロン排泄量は著しく増加しており 耐糖能は両側副腎摘出により改善した 以上より A-ZIPTg におけるレプチンによる糖代謝の改善はβ 交感神経活動亢進によることが示唆された 2) レプチン投与前と比較して投与後は空腹感が軽減され 血糖値 インスリン 中性脂肪 HbAlc の減少が認められた 経口ブドウ糖負荷試験によりレプチン投与後には投与前と比較して明らかな糖代謝の改善が認められた レプチン投与後には肝臓容積の減少と脂質の肝臓 / 脾臓比の増加が認められ 脂肪肝が著しく改善していた 両症例においてレプチン投与の少なくとも 9 ヶ月間には明らかな副作用は観察されなかった 以上より ヒトの脂肪萎縮性糖尿病に対する有効な治療法になることが明らかになった 結論本研究により 1) 脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチンの中枢性糖脂質代謝改善作用の少なくとも一部はβ 交感神経活動亢進作用と糖質コルチコイド産生抑制作用によりもたらされることが示唆された 2) ヒトの脂肪萎縮性糖尿病における糖脂質代謝異常に対してレプチンは安全且つ有効な治療薬となることが明らかになった

研究報告 研究目的レプチンは代表的なアディポカインであり 体脂肪率に比例して血中濃度が上昇することが知られている 当初 視床下部に作用して摂食抑制やエネルギー消費亢進をもたらす体重調節因子として発見されたが 他にも末梢組織における栄養状態を中枢神経系に伝達するメディエータとして多彩な生物作用を有することが知られている 我々は既に レプチン過剰発現トランスジェニックマウス (LepTg) の作製と解析を通して レプチンの性腺機能調節作用 (J. Clin. Invest. 105:749, 2000) 血圧調節作用 (J. Clin. Invest. 105:1243, 2000) 糖代謝調節作用 (Diabetes 48:1822, 1999) を明らかにしてきた レプチンの糖代謝調節作用に関しては LepTg と脂肪萎縮性糖尿病モデルマウス (A-ZIPTg) の交配により得られるダブルトランスジェニックマウス (LepTg/A-ZIPTg) は脂肪組織が消失しているにもかかわらず高レプチン血症を呈するが このマウスを用いて 脂肪萎縮性糖尿病の糖脂質代謝異常は脂肪組織の消失に伴う低レプチン血症によること 脂肪萎縮性糖尿病においてレプチンの治療薬としての有用性を明らかにした (Diabetes 50:1440, 2001) 以上の背景を踏まえて 本研究では レプチンによる糖脂質代謝改善の作用経路を検討するとともに 脂肪萎縮性糖尿病症例にレプチン治療を試みることにより脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチンの治療薬としての有用性を検討した 研究方法 1) 糖脂質代謝の改善におけるレプチン作用経路の解明脂肪組織より分泌されたレプチンは主に視床下部に作用し 摂食抑制のみならず交感神経活動亢進を介するエネルギー消費亢進作用や血圧上昇作用 視床下部 - 下垂体系を介する ACTH および糖質コルチコイド産生抑制作用が知られている 本研究では レプチンによる糖脂質代謝改善作用について a) 中枢神経系を介する可能性 b) 交感神経活動亢進を介する可能性 c) 糖質コルチコイド産生抑制を介する可能性について検討した a) A-ZIPTg において末梢投与では代謝に影響を認めない低用量のレプチンを浸透圧ミニポンプを用いて 6 日間 側脳室内に投与し 糖脂質代謝を評価した b) A-ZIPTg と LepTg/A-ZIPTg において α 交感神経遮断薬ブナゾシンを β 交感神経遮断薬プロプラノロールを投与後 腹腔内ブドウ糖負荷試験により耐糖能を評価した c) A-ZIPTg と野生型マウスにおいてコルチコステロン一日尿中排泄量を測定した A-ZIPTg と野生型マウスにおいて副腎摘出術を施行し 腹腔内ブドウ糖負荷試験により耐糖能を評価した 2) 脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチン補償治療従来の基礎研究の成績を踏まえ 脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチンの治療薬としての有用性を検討する目的で 京都大学 医の倫理委員会 の承認を得てヒト脂肪萎縮性糖尿病症例に対しレプチンの臨床試験を開始した 本臨床試験の適格基準は血中レプチン濃度が男性で 3ng/ml 女性で 6ng/ml 未満の低レプチン血症を呈する 5 歳以上の脂肪萎縮症症例であり 糖尿病 高脂血症 脂肪肝のいずれか一つ以上の代謝異常を有するものとした レプチンは米国アムジェン社より供与を受け 男性では体脂肪率が 20% 女性では 30% の場合に達する血中レプチン濃度が得られる量を補償量とし これを 1 日 2 回に分けて皮下投与した 最初の 4 ヶ月間は入院して一定の食事量のもとレプチンの治療効果を評価した 本研究では 2 症例の脂肪萎縮性糖尿病症例 ( 後天性 /12 歳 女性 先天性 /29 歳 男性 ) に対してレプチン補償療法を試みた

研究結果 1) 糖脂質代謝の改善におけるレプチン作用経路の解明 a) A-ZIPTg において末梢投与では代謝に影響を認めない低用量のレプチンを脳室内投与したところ A-ZIPTg の血中グルコース インスリン 中性脂肪 遊離脂肪酸はいずれも著しい低下が認められた 以上より レプチンの糖脂質代謝改善作用は主に中枢神経系を介することが示唆された ( 図 1) b) 高レプチン血症により良好な耐糖能を示す LepTg/A-ZIPTg ではプロプラノロール投与により耐糖能の悪化が認められた ( 図 2) 一方 ブナゾシン投与では LepTg/A-ZIPTg の耐糖能に明らかな変化は認められなかった このときプロプラノロールおよびブナゾシンの A-ZIPTg の耐糖能には変化をもたらさなかった 以上より レプチンによる糖代謝改善作用の少なくとも一部は β 交感神経系を介することが示唆された c) コルチコステロン 1 日尿中排泄量は A-ZIPTg では野生型マウスと比較して著しく亢進していた ( 図 3) A-ZIPTg において副腎摘出術を施行したところ 耐糖能の著しい改善が認められた 一方 野生型マウスでは副腎摘出による耐糖能の明らかな変化は認められなかった 以上より A-ZIPTg における耐糖能異常の少なくとも一部は コルチコステロンの産生亢進によりもたらされると考えられた

2) 脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチン補償治療 1 例目は 10 歳時に発症した後天性全身性脂肪萎縮症の 12 歳女児である 4 ヶ月間のレプチン投与により HbA1c は 10.0% から 4.8% に減少し ( 図 4) 中性脂肪の低下 (1941mg/dl から 83mg/dl) と腹部 CT 上の脂肪肝の著しい改善が認められた 同時に服用していたインスリン抵抗性改善薬ピオグリタゾンの中止が可能であった 2 例目は生下時より特異顔貌と全身の脂肪組織の減少を認めた先天性全身性脂肪萎縮症の 29 歳男性である 本症例においても 4 ヶ月間のレプチン投与により HbA1c は 10.3% から 7.1% に低下し 糖代謝の明らかな改善が認められた 同時に服用していた SU 剤グリベンクラミドと α グルコシダ ゼ阻害薬ボグリボースを中止が可能であった 両症例においてレプチンによると思われる明らかな副作用は認められておらず レプチンは脂肪萎縮性糖尿病治療薬として安全かつ有用であると考えられた 考察と結論本研究により 1) レプチンは主に中枢神経系に作用し β 交感神経活動の亢進と糖質コルチコイド産生抑制を介して糖脂質代謝を改善すると考えられた ( 図 5) 更に 2) レプチンは脂肪萎縮性糖尿病治療薬として安全かつ有用であると考えられた 我々は既に マウス用いた検討により脂肪萎縮性糖尿病以外にもインスリン分泌低下型糖尿病におけるレプチンの有用性 2 型糖尿病におけるレプチンの有用性を明らかにしている 実際の臨床応用に関しては レプチン抵抗性 など未解決の問題も多いが 糖尿病治療薬としてのレプチンの適応拡大が期待される

本研究成果の刊行 ( 投稿 ) に関する一覧表 1. 論文発表 ( 総説 ) Y. Ogawa, H. Masuzaki, K.Ebihara, M. Shintani, M. Aizawa-Abe, F. Miyanaga, and K. Nakao. Pathophysiogical role of leptin in lifestyle-related diseases:studies with transgenic skinny mice overexpressing leptin. J. Diabetes Complications 16:119-122, 2002. 2. 学会発表第 39 回日本臨床分子医学会学術総会 2003.3.1~3.2 大阪 1. 宮永史子, 小川佳宏, 海老原健, 阿部恵, 日高周次, 雪岡日出男, 田中智洋, 益崎裕章, 林達也, 細田公則, 井上元, 中尾一和インスリン分低下型糖尿病のレプチン インスリン併用療法 第 45 回日本糖尿病学会年次学術集会 2002.5.17~5.19 東京 1. 田中智洋, 小川佳宏, 海老原健, 雪岡日出男, 宮永史子, 増田志帆子, 日高周次, 林達也, 細田公則, 井上元,Marc L. Reitman, 中尾一和レプチンによる脂肪萎縮性糖尿病の脂肪肝改善における PPARγ の意義 2. 海老原健, 小川佳宏, 雪岡日出男, 宮永史子, 田中智洋, 林達也, 細田公則, 井上元, Marc L. Reitman, 中尾一和脂肪萎縮性糖尿病におけるレプチンの糖 脂質代謝調節機構 第 75 回日本内分泌学会学術総会 2002.6.28~6.30 大阪 1. 雪岡日出男, 小川佳宏, 海老原健, 宮本恵宏, 宮永史子, 田中智洋, 林達也, 細田公則, 井上元, 吉政康直,Marc L. Reitman, 中尾一和マイクロアレイを用いた脂肪萎縮性糖尿病マウスにおけるレプチンの糖脂質代謝改善作用機構の解析 2. 海老原健, 小川佳宏, 雪岡日出男, 宮永史子, 田中智洋, 林達也, 細田公則, 井上元, Marc L. Reitman, 中尾一和脂肪萎縮性糖尿病の代謝改善におけるレプチン作用のメカニズム 第 23 回日本肥満学会 2002.10.3~10.4 京都 1. 田中智洋, 小川佳宏, 海老原健, 雪岡日出男, 宮永史子, 増田志帆子, 日高周次, 林達也, 細田公則, 井上元, 中尾一和脂肪萎縮性糖尿病の脂肪肝発症とレプチンによるその改善における PPARγ の病態生理的意義 2. 雪岡日出男, 小川佳宏, 海老原健, 宮本恵宏, 田中智洋, 宮永史子, 林達也, 細田公則, 井上元, 吉政康直, 中尾一和マイクロアレイによる脂肪萎縮性糖尿病の肝臓におけるレプチンの糖脂質代謝改善メカニズムの解明